新緑が目にまぶしいころとなりました。今日は雑節・八十八夜(はちじゅうはちや)です。
雑節は日本の風土と気候を農耕に照らして考え出され、八十八夜は立春から数えて88日目を指します。5月2日に当たることが多いのですが、今年は閏年のため5月1日になりました。
この頃になりますと、温暖な日が増え最低気温も上昇してきますので、霜が降りなくなります。「八十八夜の別れ霜」という言葉には、この頃に霜が降りると作物に影響がでるので要注意…という意味があります。「八十八日」ではなく「八十八夜」なのは、霜がもうおりませんように…という願いが込められているようにも思えますね。
「別れ霜」は季語で、異称に「忘れ霜」、「遅霜」、「霜の果て」、「晩霜」などがあります。

八十八夜のころの早朝
八十八夜のころの早朝

八十八夜と言えば、新茶の楽しみ…意外に知らない産地と新茶前線

八十八夜と茶摘みはセット…普段はコーヒーや紅茶を飲んでいる方も、この時期になると日本茶が飲みたくなるのではないでしょうか。日本茶と一口に言っても、産地や製造方法などいろいろな種類があります。
産地として名高いのは、宇治と静岡ですね。ところが、実際の出荷量に目を向けると…
1位・静岡、2位・鹿児島、3位・三重、4位・宮崎、5位・京都、その他と、1位の静岡以外は意外な結果となっています。(お茶百科より引用・伊藤園調べ)
このほかに、北関東から九州まで日本列島の多くの地域で茶葉の生産が盛んにおこなわれています。
茶摘みは、早いところでは4月から始まり北上しています。桜前線ならぬ新茶前線は、今まさに北上中です!今年は新茶前線にも目を向けてみませんか?(お茶百科参照)

富士の麓の生産地…静岡茶

霊峰富士の麓で育つ静岡のお茶は、生産量日本一!ということは、私たちの日常にとても馴染みのあるお茶と言えますね。その歴史はと言うと…
《1244年、聖一国師(しょういちこくし)が宋よりお茶の種子を持ち帰り、静岡市郊外の足久保に植えたのが始まりという説があります。明治維新後、牧之原台地の開墾により、日本一の生産地となりました。1883年には全国の14%足らずだった生産量が、現在では全国の約4割を生産する大産地です。 川根・天竜・本山(ほんやま)などの山間地は、気象条件に恵まれた高品質のお茶の産地として有名。また牧之原周辺では、味の濃いお茶づくりをめざし、苦渋味の少ない深蒸し煎茶の製法が開発されました。》(お茶百科・伊藤園より抜粋して引用)
芭蕉の句に、「駿河路や花たちばなも茶のにほい」がありますが、いかにその道々がお茶の匂いに包まれた土地であったかが、表れていると思いませんか?

抹茶と玉露が美味…京都・宇治茶

京都と言えばお茶のイメージですが、生産量は静岡の約10分の一と少ないのが不思議…。
まず、京都のお茶の始まりについて、以下のようなエピソードがあります。
《明恵上人(みょうえしょうにん)が栂尾(とがのお)で茶の振興をはかり、山城・宇治・仁和寺・醍醐などに植えたのが宇治茶の始まりといわれています。その後、お茶は大衆化され、1336年に足利尊氏が『建武式目(けんむしきもく)』において茶寄合いを禁止するほど盛んになりました。足利義満・義政は宇治茶が優れていることを認め、自ら茶園をつくってお茶の栽培を奨励したことから、宇治地方はお茶の著名産地となりました。》(お茶百科より引用)
また、京都で多く作られる玉露やてん茶(抹茶の原料)となる茶葉は、新芽が出て間もなく、ヨシズに藁(わら)を敷き、太陽光を遮ることで、うま味と甘みを増幅させています。
このタイミングとひと手間が味を左右する重要なポイントとなり、多くの茶葉を作るのが難しい所以とも言えます。

注目したい産地は意外な地域、それは…

静岡茶や宇治茶のほかにも、関東の狭山茶、三重の伊勢茶など地元で人気のお茶はいろいろありますが、今年は九州に注目!
なんと九州では、八女茶(福岡)、嬉野茶(長崎)、くまもと茶(本)、宮崎茶(宮崎)、かごしま茶(鹿児島)、最近では大分も加わり、ほぼ九州全域でお茶の栽培がおこなわれています。温暖な気候と雄大な土地がお茶を育んでいることがわかります。
中でも、鹿児島のかごしま茶は、文政年間から茶葉づくりが始まっていた歴史のあるお茶で、現在でも、静岡に次ぐ第二位の生産量を誇ります。日本で一番早く3月上旬に早摘みをする種子島に始まり、4月上旬に大浦、4月中旬に知覧、有明、財部…と多くの品種が順々に茶摘みの時期を迎え、宮崎、くまもと、大分、八女、嬉野…と九州の中で北上します。そして、その前線はさらに日本列島を北上するのです。
今、地震により被害を受けている地域も含まれています。一服のお茶をいただくことで、繋がることができる…これもまた、一つの支援と言えるのではないでしょうか。