「勘亭流(かんていりゅう)」をご存じでしょうか。
歌舞伎の演目や相撲、寄席のシーンでもよく見かける書体です。
今ではそのどっしりした書体と愛嬌のあるデザイから、商品名などいろいろな場所で見られますし、勘亭流の名前を木彫りしたキーホルダーやシールも、外国人観光客に大人気のようですね。
そんな江戸情緒豊かな文字のルーツについて、振り返ってみましょう。

歌舞伎の顔見世興行を告げる勘亭で書かれた看板
歌舞伎の顔見世興行を告げる勘亭で書かれた看板

江戸時代の文字のスタイル「御家流」

勘亭流は芝居文字ともいい、江戸時代の後期、芝居小屋の手代岡崎勘六が書き始めたとされています。
芝居(歌舞伎)の演目(外題)や役者の名前を看板や番付に書くときに使われました。
この書体は江戸時代に一般的に使われていた御家流(おいえりゅう)がもとになっています。
近代以前、もちろん文字は筆で書かれていました。御家流はたっぷりとした筆の動きを強調した行書・草書の筆法で書かれ、連綿(続け字)や省略なども使われます。
現在一般的に使われる直線的で点画がはっきりした楷書(かいしょ)が社会一般で広く使われるようになったのは、明治時代のことです。

はっぴに染めれられた文字。勘亭流とはちょっと違う
はっぴに染めれられた文字。勘亭流とはちょっと違う

平安時代からある日本風の書体

日本にはもともと文字がありませんでした。漢字は中国からもたらされたものです。
ところが、この御家流は中国にはない書き文字のスタイルなのです。
その元祖は平安時代初期の小野道風だとされています。
歴史的には一人が新しい書体を書き始めたということはないでしょうが、道風は漢字を日本独自の柔らかい書体で書くスタイルを始めたとされています。
これが日本風の書体という意味の和様(わよう)と呼ばれる書体として広く書かれるようになったのです。

書体を観察する楽しみ

御家流はこの和様書体が江戸時代にさらにパターン化され、広く書かれるようになったものです。
勘亭流はこの書体をデフォルメして、看板の文字が遠目からもはっきり見えるように太く強調してデザインされたのが勘亭流です。
こうした芸能社会の周辺でデザインされた書体は、ほかにも寄席文字、相撲文字といったものがありますが、勘亭流に似ているものの、それぞれ少しずつ細部の特徴が異なっています。
江戸時代には特定の社会に属する特定の書体が存在していたのですね。
ただ現在では、たとえばペットボトルのお茶の商品名など、「和風」をアピールしたい場合には勘亭流風のフォントが使われることが多いようです。
どのような書体でももともとは歴史的な背景があります。デジタルフォントでも同様です。
書体を歴史的に観察すると、ポスターや本のデザインがより楽しめるようになるのではないでしょうか。