3月15日より、啓蟄の末候「菜虫化蝶」(なむしちょうとなる)です。「菜虫」とは青虫のこと。青虫が変態して蝶になる頃、と言う意味ですが、まだこの時期ですと、蛹で冬越しして春の訪れとともに羽化して飛び始めている個体が実際には多いでしょう。青虫から羽化する蝶の代表格はモンシロチョウ。日本の春の風景に欠かせない、もっともありふれている身近な蝶と思われているかもしれませんが、どうやら昔からそうだったわけではないようです。

モンシロチョウ
モンシロチョウ

チャンスはキャベツとともにやってきた! モンシロチョウ天下を獲る

♪ちょうちょう ちょうちょう
菜の葉にとまれ
知らない人はいない、誰もが知っている唱歌「ちょうちょう」。古いドイツの童謡「Hänschen klein」に1881年野村秋足が歌詞を付けて小学唱歌となりましたが、歌詞は今とは異なっていました。
戦後1947年に現在の歌詞に改められました。つまり戦後に普及した比較的「新しい」歌なのです。歌詞の中の「ちょうちょう」は特定されていませんが、菜の葉=菜の花とたわむれているさまから、多くの人が疑いもなくモンシロチョウと思っているのではないでしょうか。明るい菜の花と可憐なモンシロチョウの組み合わせは、いかにも春の田園風景そのものですよね。
モンシロチョウは人里近くに多く生息し、その幼虫はキャベツや菜の花、白菜、大根などアブラナ科の葉を好み、大発生するので農家には困った存在。青菜を好む典型的な「青虫」です(ちなみに、青虫と混同して同じ意味に使われがちな「イモムシ」ですが、実は別物。主に秋、サトイモやサツマイモの葉について食害をもたらすスズメガの幼虫のことを、芋の葉につくのでイモムシといいます)。そのくらい、現代の日本ではもっともポピュラーで数の多い蝶だということは誰もが認識していますよね。
近年遺伝子構造を解析することで、4~5000年前には、大陸からわたってきていたことがわかっていますが、しかしそれにしては日本の古い文献、文学などの記録にモンシロチョウはほとんど言及がなく、絵画に描かれている白い蝶もむしろ在来のスジグロシロチョウが多いのです。日本画でもっとも古い時期にモンシロチョウが描かれたのは寛政5年(1793)円山応挙の写生帖および「百蝶図」。稀で目立たない種だったようです。

そんなモンシロチョウが日本国内で爆発的に増えたのは、明治以降、それも第二次世界大戦前後か戦後のようなのです。
モンシロチョウはヨーロッパが原産地。これがユーラシア大陸を東に広がってアジアでも繁殖するようになったのですが、アメリカ大陸にはまったくいませんでした。1860年にアメリカ東海岸のケベックで北米大陸最初のモンシロチョウが採取され、フランスから入植者のキャベツとともにやってきたのではないかと推定されています。
そして瞬く間に大陸横断鉄道の貨車のキャベツとともに西に広がり、1898年ハワイ州の合併とともにハワイに、1925年には沖縄で最初のモンシロチョウが発見されます。

つまり、日本を含めてアジアにはかなり昔からモンシロチョウは自然に伝播していたのだが数が少なかった。それが欧米の植民地時代に、人間の持ち込むキャベツとともに大量のモンシロチョウがアジアに移入された、ということのようなのです。日本にはじめてキャベツがわたってきたのは江戸時代の長崎ですが、それは観賞用(現在でも長崎のグラバー園などではさかんに葉ぼたんの植栽が行なわれています)。実際に日本人がキャベツを大量に生産し消費するようになるのは戦後からです。キャベツが日本全土で生産されるようになって、はじめて日本全土でモンシロチョウが今のように普通に見られるようになった、というわけです。

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