寒かった空もようやく春めいてきましたね。3月9日は、残念ながらあいにくのお天気となりましたが、(もし、お天気がよければ…)部分日食が日本各地で見られました。
日食が見られるのは2012年5月21日の金環日食以来4年ぶり。国立天文台によると日食の開始が一番早いのは那覇で午前9時29分、東京が10時12分、札幌が10時38分。
インドネシアの島々から太平洋にかけては皆既日食が見られました。
※一部記事を修正しました。

こちらの画像は、2012の金環日食。日本中が奇跡の天体ショーに大いに盛り上がりました
こちらの画像は、2012の金環日食。日本中が奇跡の天体ショーに大いに盛り上がりました

そもそも日食ってなんでおこるのでしょうか?

そもそも日食は太陽、月、地球が一直線上にならぶ時におきます。
太陽の通る軌道と月の軌道は5度ずれており、地球と一直線上にならぶのはこの軌道が交差するときだけなのです。この時地球の前に月が立ちはだかり太陽を隠してしまうのです。
ちなみに3月9日の日食のとき、赤道直下にあるインドネシアの一部地域では太陽と月の真っ正面になるので、100%太陽が隠れてしまう皆既日食になります。インドネシアより北に位置する日本は真っ正面から少し外れますので、太陽の一部が月によって隠される、部分日食となります。食の最大は、那覇では太陽の面積の22%、東京では15%、札幌では5%が月によって隠されます。

画像:国立天文台サイトより
画像:国立天文台サイトより

江戸時代にも行われていた?天体観測

現代の私たちは科学技術の発達で宇宙の動きのメカニズムを知り、天体ショーとして日食を楽しみにしていますが、昔の人はどのように日食を捉えていたのでしょうか?
数年前『天地明察』という映画が話題になりました。その中で主人公の安井算哲は朝廷が採用してきた中国の暦に間違いを発見し、それを証明するために望遠鏡、天球儀などさまざまな道具を使って地道に観測を行いました。
大きな山場となったのが「いつ日食がおこるか」を巡り、算哲が朝廷側と生命を賭けて戦った場面。その戦いをお祭り騒ぎのように見つめていた民衆が、いざ日食が起こりはじめるとおそれおののき、この世の終わりとばかりに逃げ出すシーンでは、当時の日本で、日食がいかに不吉なこととして怖れられていたかがよくわかります。

「富嶽百景」浅草鳥越の不二図(千葉市美術館所蔵)
「富嶽百景」浅草鳥越の不二図(千葉市美術館所蔵)

中世のヨーロッパでは日食をどう思っていたのでしょう?

それでは海外ではどのように日食をとらえていたのでしょうか?
世界の文豪シェークスピアをたずねてみるとこんなことが書いてあります。
「月の軌道が狂ったのか、それが地球に迫るとき、狂気が人を襲うという」
計略で嫉妬心を煽られ、愛する妻を殺してしまった将軍オセローが自分の罪におののき云うセリフです。
いかがでしょう、これはもしかしたら日食がおきていたのではないか、と思いませんか?
やはり不吉なものとして怖れていたことが読みとれます。
出典 『オセロー』 福田恆存訳、新潮文庫、昭和48年

ウィリアム・シェークスピア
ウィリアム・シェークスピア

このように日食は昔から知られていた天体現象ですが、昼のさかりに急に太陽が隠されて暗くなれば人々は大いに驚くでしょうし、心をも乱してしまうのもわかる気がしますが、現代の私たちにとっては、数年に一度の天体ショー。その年その場所でしか観測できない自然が作り出す神秘を大いに楽しみたいですね。
とはいえ、たとえ曇っていたとしても、太陽はたいへん強い光と熱を発しています。観測の際には、専用の観察器具を使うなど、安全な方法で観察するようにしましょうね。