郊外のひなびた冬の村道。そろそろ梅が咲き始めてるかなあ、とそぞろ歩いていると突如視界に体長10メートルの大蛇が出現! 大木に巻きついて胴体をうねらせ、ぱっくりと開けた口には真っ赤な舌が・・・! ぎょろりとした目をむいてこっちをにらみつけている!・・・といってもこれ、藁でこしらえた蛇のこと。千葉県の各地、佐倉市、市川市、船橋市、八千代市などで、今もこの時期、藁で作った蛇を村の入り口や主要な道の角に飾って魔除けとする「辻切り」という奇習が行われています。この珍しい風習についてご紹介します。

辻を見張る大蛇、それは生と死-この世と冥界を分ける境界の守護者

京成ユーカリが丘の駅から発着する新交通システム・ユーカリが丘線。町を北上しながらぐるっとラケットのような形に弧を描いて、六駅を経て戻ってくる住民の足です。
ユーカリが丘線の弧の内側にある井野本村という古い村落。ここは昔ながらの「辻切り」の風習が残っている地域として有名です。辻切りといっても、刀で行きずりに斬って捨てることではありません。それは「辻斬り」。辻切りとは毎年一月二十五日、五つに分けられた村の組ごとに集い、農家の作業場や集会所で大きな蛇を藁で綯いあげ、それを村の入り口や橋、主要往還道の境(辻)にかけて村に入る魔よけとする奇習。藁は前年秋の収穫の際に特別にえり分けた「すぐり藁」(選りすぐり、という意味)。この藁を右回りにねじりながら横綱の綱打ちのようにみんなで手渡しながら、徐々に細くしながら左綯いにしていきます。コレが蛇の胴体。頭の部分はわらじを編む要領で作り、それを上下のあごとして向かい合わせに組んで編み上げます。
そして炒った五穀を半紙でくるみ、球状にして墨で瞳を描いて目玉に。ぶつ切りにしたグミ、ヒイラギ、シキミなどの毒やえぐみ、棘のある植物、賽の神三柱のお札などを竹串で頭に飾り、口の中に唐辛子で舌をすえつけ、これを胴体とつなぎ合わせて完成です。
ちなみに主要道などにかける大きなものを「大辻」とともに、各家の生垣などにかける小さめのものもこしらえられ、これを「小辻」というそう。
この蛇にお神酒を飲ませて、決まった場所にある木の高い場所にからみつかせるようにすえつけます。同じ場所に前年にかけた古い蛇はこのときにおろされて、人が足で踏みつけない場所でていねいにお炊き上げをされて役目を終えます。
蛇を辻にかけるのとあわせて、村の外に通じる街道の境界では道を横断するように五穀をまきます。
かつては溝を作って土の下に埋めていたそうですが、道が舗装されたためまくことになったようです。賽の神のお札をつけることからもわかるようにこの風習は賽の神、つまり道祖神信仰に関係した行事。賽の神の「塞」とは道路や境界の要所に祀られた守護神で、日本神話では、伊弉諾尊(イザナギノミコト)が黄泉の国から逃げ戻った時、追いかけてきた黄泉醜女(ヨモツシコメ)をさえぎり止めるために投げた杖から成り出た神とされ、死や災いなどの邪霊の侵入を防ぐ神=さえぎる神=障の神(さえのかみ)となりました。また、道祖神というと旅の守護神であると同時に縁結び・性の神でもあり、男性器や女性器をかたどったご神体の石や、よりそう男女一対のレリーフが刻まれた石像として路傍に据え置かれていることが多いもの。この道祖神信仰は長野県がその中心地で、特に安曇野は道祖神のふるさとといわれています。にもかかわらず、長野県でこうした蛇を飾る辻きりは行われていません。何より賽の神の神事は「どんど焼き」「左義長」といわれて小正月(一月十五日前後)に行われ、辻切りとは十日ほどずれています。となると、単なる賽の神信仰というわけではなさそうです。そもそもどうして魔をさえぎる賽の神が「蛇」なのでしょうか。

竜神・三本足のカラス八咫烏にドーマンセーマン・・・辻切りはあの伝説の一族の呪術だった?

井野本村の鎮守は、八社大神という神社。現在もこんもりとした社叢林が残っています。八社大神は、八柱の神様を祀る事からその名が付きましたが、筆頭に上げられる神様が別雷命(ワケイカヅチノミコト)。賀茂氏の祖神である賀茂別雷大神(カモワケイカヅチノオオカミ)です。この神にはこんな神話があります。
賀茂建角身命(カモタケツヌミノミコト)の娘、玉依日売(タマヨリヒメ)が石川の瀬見の小川で水遊びをしていると、丹塗矢(にぬりや)が川上より流れくだり、それを拾って床の辺に置いておくと玉依日売は男の子を産んだ。男の子が成人したとき、祖父の賀茂建角身命は男の子の父、つまり丹塗矢の正体を知ろうと汝の父と思う人に酒を飲ませよと言ったところ、男の子は天へとのぼっていってしまった。 そこで賀茂建角身命は彼を賀茂別雷神と命名した。父親、つまり丹塗矢の正体は火雷神(ホノイカヅチノカミ)であった、というものです。
井野の辻切りでは、こしらえた蛇にお神酒を飲ませます。これは、この神話から来ているのではないでしょうか。そしてワケイカヅチノミコトの父は、雷神であり川を下ってくる水神とくればずばり竜神。つまりイコール大蛇である、ということになります。
ところでこの辻切り、全国的な分布ははっきりとはわかっていませんが、辻切りという呼び名よりも「道切り」という呼び名(ときに綱切りとも)がより広範囲に見られ、主に京都市ではわらで作ったロープ(綱)を「道切様」「勧請縄」と称し、やはり道の辻や境界にかけて魔よけとします。京都の道切様には、魔よけの印である「ドーマンセーマン」を記した札をかけます。ドーマンセーマンとは、ドーマンが蘆屋道満(あしやどうまん)で九字格子、セーマンが安倍晴明(あべのせいめい)で星型のマーク。どちらも陰陽道のスーパースターですよね。そして言うまでもなく道満も晴明も陰陽師賀茂忠行・保憲父子に陰陽道を学んだ賀茂氏ゆかりの人物。一子相伝の天文道を伝授された晴明にいたっては母親が賀茂氏であるという説もあります。
またこの時期、房総の各地では鳥ビシャまたは烏ビシャと呼ばれる神事が行われます。紙に描いた烏の目を矢で射抜き豊作を占う行事ですが、まさに賀茂氏、賀茂神社といえば三本足のカラス・八咫烏は、賀茂建角身命の化身といわれています。
辻切り神事と賀茂氏・陰陽道との深い関わりをうかがわせます。賽の神(道祖神)信仰に陰陽道の結界呪術が習合して、辻切り・道切り神事が行われるようになったのでしょう。

舌がアロエで目はみかん・南房総の辻切り大蛇は南国モード

ところで同じ千葉県内の銚子市などの九十九里地方、南房総市でもこの行事が行われますが、辻切りとは言わず、京都と同様道切り、または綱切りと言い、蛇ではなくしめ縄を境界に渡して、そこにわらで作ったタコやさいころ、刀などをつるした形になります。
そんな中で、南房総市の和田町柴では、北総地域と同様に、大蛇の辻切りが橋にかかります。この蛇は南国ムード漂う南房総らしく、目は柑橘系のフルーツ、舌は唐辛子ではなくてアロエの花、耳にはビワの葉を飾ってなかなか派手でかわいらしく、趣がずいぶん異なります。どうしてここだけぽつんとこうした蛇をかけるのか、地元に直接伺ったのですが詳しいことはわかりませんでした。でも南房総市には、当然のごとく創建七世紀といわれる由緒ある神社、賀茂神社があるのです。南房総市の隣には、シーワールドのあるそのまま「鴨川」(賀茂川)もあるとおり、南房総一帯と賀茂氏とは、長く深いかかわりがあったことは間違いありません。

筆者がはじめて辻切りの蛇を見かけて「なんだこりゃ」と驚き、興味を持ってからずいぶんたちます。実際に見ると、素朴ながら丹念に作られたその蛇に、何十世代もの人の想いや歴史の中で培われ変遷してきた奇妙な信仰がこめられていることを知ると、畏敬の気持ちにもとらわれます。いつまでも残ってほしいのですが・・・皆さんもぜひ「辻切りの蛇」を見物にいらしてください。近くには戦国大名千葉氏発祥の地や平将門生地などの興味深い史跡もいっぱいですよ。