「毒があっても旨ければ食べる」と、昔から多くの食通たちを魅了してきた高級魚「フグ(河豚)」。
かの美食家・北大路魯山人も「フグの代用になる美食は、私の知る限りこの世の中にない」と語ったといいます。
天然フグのシーズンは「秋の彼岸から春の彼岸まで」といわれていますが、まさに今の時期が(1~2月)最も美味しい旬となります。
そこで今回は、旨いものには毒がある(!?)、禁断のフグワールドにフォーカス。
ちょっと「フグ通」になれる豆知識やウンチクを、あれこれご紹介しましょう。

ひょうきんな姿に、猛毒と旨みを隠し持った不思議な魚「フグ」
ひょうきんな姿に、猛毒と旨みを隠し持った不思議な魚「フグ」

体脂肪0.1%の美味

フグ科に属するフグは、世界の熱帯から温帯域の沿岸を中心に、約130種類ほどが生息しています。
そのうち日本で流通する食用フグは、トラフグ・マフグ・シロサバフグ・ショウサイフグなどが有名です。
なかでも、天然物のトラフグは「フグの王様」と呼ばれ、最も美味で最も高価な高級種として知られています。
フグにはほとんど脂分がなく、脂肪分はなんと約0.1%と超ヘルシー! 鍋物に入れたり醤油につけたりしても、その表面にまったく脂が浮いてきません。その分、旨み成分のアミノ酸を豊富に含んでいるため、さっぱりとした上品な甘さと繊細な風味を堪能することができます。
一般的に、魚はトロや脂の乗ったものが好まれますが、その対極にある異次元の複雑な味わいこそが、食通を唸らせるフグの醍醐味といえるでしょう。

フグは縄文時代から食べられていた!?

日本人とフグの関わりは非常に古く、縄文期の貝塚からもフグの骨が見つかっているそうです。そうしたことから、その当時よりフグが日常的に食されていたと推定されています
室町時代以降になると、フグ毒による死亡者が絶えず「フグ食禁止令」がたびたび出され、藩士が中毒死すると家禄を没収されたといいます。徳川秀吉の時代にも、朝鮮出兵に向かう兵士たちがフグ中毒で次々と倒れ、フグ食を固く禁じる令が出されました。
そして、江戸時代から長く続いた禁止令を解いたのが、初代総理大臣の伊藤博文です。彼は明治20年、日清講和条約の舞台ともなった下関の料亭「春帆桜」で禁断のフグを食し、あまりの美味しさに驚嘆。この美味を禁じるのはもったいないと、その翌年、山口県知事原保太郎氏に命じて県内の禁指令を解かせました。
その後、フグの集積地となった下関は、身を極薄にそいで盛り付ける「フグ刺し」の調理法や、毒のある部位を取り除く「身欠き」の技術向上・管理整備に力を入れ、全国屈指のフグの本場として、そのブランド価値を築き上げました。
ちなみに、フグは地方によってさまざまな呼び方があります。
下関や北九州では「福」につながるとして「ふく」と呼びます。大阪では「(毒に)当たると死ぬ」にかけたシャレで「鉄砲(てっぽう)」と呼ばれ、「てっさ(刺身)」や「てっちり(鍋物)」という料理名もそれに由来しているそうです。

見た目にも美しい「フグ刺し」は、調理人の熟練の技が光る逸品
見た目にも美しい「フグ刺し」は、調理人の熟練の技が光る逸品

恐るべき猛毒のテトロドトキシン

フグの毒はテトロドトキシンと呼ばれ、青酸カリの10倍の殺傷力を持つ猛毒な成分です。
トラフグは卵巣と肝臓にテトロドトキシンを持っており、その臓器を10g食しただけで死に至るというから驚くばかり(怖い!)。
人間国宝の歌舞伎役者で、美食家としても知られた八代目・坂東三津五郎が、好物のフグの肝を食べて中毒死したという話は有名ですが……何とも痛ましいことです。
このテトロドトキシンはフグの種類によって存在する部位が異なるため、調理の際には確かな知識と技術、管理設備が必要です。
そのため、昭和時代に食品衛生法が制定され、フグを調理・販売するためには、フグ調理師・フグ処理師・フグ取扱者などの免許が必要となりました。
さらに、取り除いた臓器など(毒を持った部位)の廃棄には、鍵のかかる専用の金属箱を使うと定められているとか。いやはや、何とも厳重です。
猛毒を持っていてもフグを食べたい……その欲求のために、日本人は毒を除く工夫を重ね、調理の技術や衛生基準を築き上げてきました。その過程で、多くの人が犠牲になったことも事実です。
もし魯山人に「そこまでして、なぜ食べるのか」と問えば、当然という顔でこう答えるでしょう。
「旨いから」と……。