師走12月に入って、一挙に街も暮らしも慌ただしくなってきました。七十二候も第60候となり、≪橘始黄~たちばな はじめてきばむ≫を迎えています。さて、この「橘(たちばな)」。名前はよく耳にしますが、実際はどのような植物なのでしょうか。古来、不老長寿の象徴とされるゆえんは、いったいどのようなことなのでしょうか。一緒にひもといてみませんか。

「橘(たちばな)」は、食用柑橘類の総称でもあり、不老長寿の象徴「常世草(とこよぐさ)」でもあり

♪唄はちやっきりぶし、
男は次郎長、
花はたちばな、
夏はたちばな、
茶のかをり~♪
と、北原白秋が作詞した「ちゃっきり節」にも登場する「橘」。これは、昭和2年に静岡鉄道(当時、静岡電気鉄道)が狐ヶ崎遊園地の開園を記念し、沿線の観光と物産を広く紹介するために作られた歌。ここでの「橘」は、静岡の名産・みかんのこととして歌われているようです。
さらに辞書をひもとけば、柚子、レモンなど食用になる柑橘類の総称。またその木。特に日本橘をいうとあり、古くは古事記や日本書紀にも「橘」は登場。なんと万葉集では70首もの歌に詠まれている、古代よりなじみ深い植物であるようです。
日本書紀によると、垂仁天皇の命を受けた田道間守(たじまもり)が常世(とこよ)の国に登岐士玖能木実(ときじくのこのみ)を探しに行ったという物語があります。
当時の常世(とこよ)の国は、永久不変不老不死の理想郷。
田道間守は長い歳月を費やし、苦労の末にこの果実を持ち帰ったとか。その後、橘は常世(とこよ)物として、永遠の繁栄をもたらすものとして珍重され、別名「常世草(とこよぐさ)」とも呼ばれていたそうです。「橘」の語源も田道花からとされ、
~常世物この橘のいや照りに
わご大君はいまも見るごと~  大伴家持
(常世の国から伝来した橘の実がいよいよ輝くように、わが君はいつまでも栄えるであろう)
という歌にもあるように、歴史と伝説に彩られた橘は、冬でも青々とした常緑の葉を繁らせ、黄金に輝く実をつけるところからも、繁栄と長寿の象徴になったのでしょう。

京都御所にもある橘の木。「左近桜」と対で植えられ、その名は「右近橘」

そんな不老長寿のおめでたい木とされた橘は、いにしえより今に受け継がれ、現代の京都御所にも植えられています。
平安遷都から明治になるまでの悠久の都の名残を留める京都御所。その一角にある「紫宸殿(ししんでん)」は、明治・大正・昭和天皇の即位式が行われた場所。この建物の正面左側には桜があり「左近桜」と呼ばれ、右側には橘があり「右近橘」という名で有名です。
思えば、ひな祭りのひな壇。おひなさまとおだいりさまの左右にも、桜とミカンの木が供えられています。このミカンは橘を表していたのですね。
さて、この「橘」。実際、古来日本に原種があったかどうか、定かではないらしいのですが、現代では主に野生のミカン科の木をさすようです。別名を大和橘(ヤマトタチバナ)ともいい、環境省のレッドリストでは、絶滅危惧種にも指定されているとか。花は直径2cmくらい、実は直径3cmくらいと小ぶりです。

初夏のころ、新緑のなか爽やかな香りを放ち花開く橘の花「花橘(はなたちばな)」

橘が古くからあまたの歌人に愛され、歌に詠まれた理由には、初夏に咲く、白く可憐で香り高い花の魅力もあったようです。
~五月待つ花橘の香をかげば
昔の人の袖の香ぞする~  よみ人しらず
古今集にはこのような歌もあり、伊勢物語にも橘にまつわる物語が綴られています。
さて、この橘の花、昔から家紋のデザインにも多く見られます。文様としては平安時代末期より現れ、江戸時代には90あまりの旗本が用いていたそうです。
また近年では、5弁の可憐な橘の花が、文化勲章のモチーフにもなっていることをご存じの方も多いことでしょう。もともと文化勲章の図案は桜花になるところを、昭和天皇のご意向から橘になったとか。
現代の私たちの生活では、馴染みが薄いように思える橘ですが、桜とならぶほど古くから愛され、大切にされてきた身近な植物だったのですね。

みかん、柚子、デコポン、いよかん、金柑、だいだい…
冬においしい柑橘類は、健康効果もたっぷり。みかんをよく食べると風邪や成人病予防にもなるともいわれています。
こたつの上の籠にはいったみかんを囲む団欒風景は、不老長寿を願って珍重された橘の果実から連綿とつづく、人の願いが形になったものなのかもしれませんね。
寒い冬、暖かい部屋でいただく、果汁たっぷりの柑橘たち。
その美味しさ、ありがたさに思いを馳せたい≪橘始黄~たちばな はじめてきばむ≫の時節です。
※参照&出典
万葉植物事典(北隆館)