『マルモッタン・モネ美術館所蔵 モネ展』が東京都美術館で開催されています。前期には「印象派」という名の由来となった作品『印象・日の出』が久々に来日したことでも話題になりました。後期には『ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅』が登場、連日多くの人でにぎわっています。モネの絵って、近くで見るとなんだかわからないのに、離れて見るとその世界にびっくり、うっとりしてしまいますよね! 閉幕まで約2週間。日本人の大好きな印象派の魅力をさぐります。

水面の紅葉
水面の紅葉

印象派はアウトドア派! 太陽の下で見えた感じを大切に

モネ、マネ、ルノワール、ドガ、ゴーギャン、ゴッホ、セザンヌ・・・私たちが「西洋画家」といわれてまず思い浮かべるのが、「印象派」と呼ばれるアーティストたちではないでしょうか。
日本は明治維新の19世紀後半。フランス画壇では、それまでの古典主義的な遠近法や画面構成、さらには精神性・社会性・写実性などから自由になって、見えたままを素直に描いちゃおう!!という「印象主義」が、展開されようとしていました。
その大きな特徴は、画面が明るいこと! 絵の具って、混ぜれば混ぜるほど、どよんと暗く濁っていきますよね。そこで、絵の具じたいは混ぜ合わせずに「見る人が目の中で色を混ぜ合わせる」という『色彩分割』(絵の具を原色のまま細かく並べる) 技法を使っています。遠くで鑑賞するほうがわかりやすい絵になるのは、こんな事情からなのですね。
ものの形よりも、光の変化や空気の震えといった「一瞬の印象」を再現しようとした彼ら。
この頃アメリカで考案された、チューブ入りの絵の具も影響しています。それまでは、風景画を描く場合でも、スケッチした後はアトリエ(暗め)で制作するのが普通でした。それが油絵の具を持ち運べるようになり、太陽の下で見える明るさそのままを、おでかけ先で表現することが可能になったのです!
とはいえ、そんなふうに絵の具をパパッと置いた輪郭線も曖昧な感じの絵は、古い画壇にはなかなか受け入れられませんでした(きっと「真面目に描いてんのかこれ」くらい思われていたことでしょう)。美術史上の「印象派」は、1874年、当時の官展(サロン展)に落選した若い画家たち(モネ、ルノワール、ピサロ、シスレー、セザンヌら)が独自に開いたグループ展が始まりといわれます。『シャリヴァリ』紙の美術記者がモネの作品『印象・日の出』(1872年)に対し、非難と嘲笑をこめて「印象主義者の展覧会」といったのが命名の由来・・・「描きかけの壁紙の方がまし」とまで罵倒されて、かえって有名になり、近代絵画の最初のグループ名として定着したのでした。

動く蒸気に萌え、駅のそばで寝泊まりする「描き鉄」?

モネは、パリの駅をモチーフに12点ほどの作品を制作しました。この展覧会には『ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅』(1877年)が出品されています。
都市の風景を変えた「鉄道」という新しい主題に魅せられたモネは、駅に近いモンセー通りに部屋を借りて本気で制作に取り組んだといいます。「撮り鉄」ならぬ「描き鉄」生活ですね。
モネに限らず マネやカイユボットも当時この駅を描きましたが、それは人物中心のいわゆる風俗画でした。一方モネは、機関車から立ち上る蒸気そのもの、その光の効果に関心をもちます。同じ駅が瞬間ごとに見せるさまざまな様相をカンバスに捉え、機関車のもつ「時間」を表現。絵を見ていると、蒸気がまるで動いているかのよう・・・まさに写実です。モネは若い頃、優れた風刺画家として稼いでいたそうです。一瞬で印象を捉える卓越した眼力は、その頃からすでに発揮されていたのですね。

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