ご存じない方も多いと思いますが、3(み)4(たらし)5(だんご)の語呂合わせから、毎月3・4・5日は「みたらし団子の日」なんです! ユニークですね。
甘い醤油ダレに絡む、香ばしくてモチモチした食感は、誰もが愛する定番の美味しさ。
そんなみたらし団子の発祥は京都。時代は鎌倉まで遡ります。
今ではお団子屋さんのみならずコンビニでも手軽に購入できますが、昔は身代わり人形として神前に供えたこともあったそう。
知られざるみたらし団子の歴史を振り返ってみましょう。

写真は今どきのみたらし団子。古くは一串5個=5銭だったが、4銭紙幣の登場で一串4個=4銭に
写真は今どきのみたらし団子。古くは一串5個=5銭だったが、4銭紙幣の登場で一串4個=4銭に

御手洗池は清めの水。そこに浮かんだ泡とは……

みたらし団子を漢字にすると「御手洗団子」と書きます。
「おてあらい」とか「みたらい」と読みたくなりますが、御手洗(みたらし)が正解。
漢字からも、「御」=偉い人が、手を洗ったという意味が推測できますが、「みたらし団子」はどうやら、神事とも関係ある由緒ある名前のようなのです。
「御手洗」の名前で有名なのが、世界遺産にも登録された京都の神社・下鴨神社でしょう。
境内にあるのが、御手洗社(みたらしのやしろ)です。
地下から湧き出る水の上にあることで有名な社で、この湧き水がたまった「御手洗池」こそ、みたらし団子の発祥に深く関係しているのです。

下鴨神社の境内にある、御手洗社と御手洗池
下鴨神社の境内にある、御手洗社と御手洗池

人に見立てた5つの団子が、みたらし団子を起源

ときは鎌倉時代。後醍醐天皇が行幸(天皇の外出)で下鴨神社を訪れたときのことです。
昔の神社には、参拝者が手や口を浄める手水舎(てみずや、または、ちょうずや)のようなものはなく、近くの神聖な川や湧き水で身を清めることが一般的でした。
後醍醐天皇も「清め」のために、御手洗池(みたらしいけ)の水を手ですくったところ、大きな泡がぷくりとひとつ浮かび、少し間を置いて4つの泡がぷくぷくと浮かび上がったそうです。
それを人に見立てて団子にしたのが、みたらし団子を起源といわれています。
また、京都の三大祭り「葵祭」で、祭りの主役である斎王代が身を清めるのも御手洗池。泡が浮かび上がったのは、斎王代の清めのときだったという説もあります。

水舎手で手と口をすすぎ、神前に向かいましょう
水舎手で手と口をすすぎ、神前に向かいましょう

人の形に見立てた「みたらし団子」。 串に刺す団子は5つだった

鎌倉時代のみたらし団子は、串先に団子をひとつ、少し離して4つの団子を刺したといいます。
つまり、串先の団子が頭部で、その下の4つの団子が胴体。みたらし団子を五体(人の体)としたわけです。
作り方、食べ方にもきちんとしたルールがあり、団子を作るのは氏子、そして、厄除け人形として神前に供え、祈祷を受けた神聖な団子を持ち帰って食べたといわれています。今では手軽なおやつですが、そもそもはとてもありがたい食べ物だったのですね。
下鴨神社の近くにある甘味屋「加茂みたらし茶屋」では、みたらし団子発祥の地として、今も当時のまま一串に5個の団子が刺さったみたらし団子を食せます。参拝後に、抹茶の渋みと甘辛い団子を堪能するひとときも素敵。心が癒されそうですね。
── このように、あまり知られていませんが、みたらし団子には古い歴史があります。
今では様々にアレンジされた団子があり、それもまた美味ですが、「みたらし団子の日」は3日ありますので、歴史を感じながら美味しいみたらし団子を、ぜひ味わってみては。

「加茂みたらし茶屋」の団子は、由緒正しく一串に団子が5つ!
「加茂みたらし茶屋」の団子は、由緒正しく一串に団子が5つ!