9月19日は「糸瓜忌」「獺祭忌」…子規忌と鶏頭

2015/09/17 11:00

俳句の祖というと松尾芭蕉が浮かびますが、芭蕉が俳諧の発句から俳句へ、進化させた後に開花させた、正岡子規(1867~1902年)の存在は外せないでしょう。 35年という短い人生において、数多くの作品を残しており、秋の花「鶏頭(けいとう)」の句だけで、48句を詠んでいます。中でも、「鶏頭論争」を巻き起こした一句をご紹介して、忌日を悼みたいと思います。

「鶏頭論争」を生んだ名句 【鶏頭の十四五本もありぬべし(けいとうのじゅうしごほんもありぬべし)】 子規 慶応3年に生まれ、明治35年短い人生を閉じた正岡子規(享年35歳)。 彼が明治33年に詠んだ句が【鶏頭の…】です。そのときすでに子規は病を患っており、『病床六尺』から見える限られた景色が、言葉を紡ぐ世界であったことが窺われる一句です。 なぜ、賛否両論を生んだのか…いくつかの説によると、否定派は「他の組み合わせでも作れてしまうのでは?」という意見が多く、肯定派は「病床から見える鶏頭の花とわが身のはかなさを対比した名句だ」と、句に対する視線の違いが見て取れます。どちらにせよ、賛否両論を呼ぶということは、それだけインパクトの強い一句であったことは間違いありません。 鶏頭の燃える色とはかない命 鶏頭の花は、秋に咲きます。最近では秋以外にも咲く品種があるようですが、子規が病床から見た花は、秋に咲く鮮やかな鶏頭だったでしょう。秋、病床に横たわって見える鶏頭の燃えるような色は、いつ果てるかもしれぬ恐れと闘っていた子規にとって、憧れを伴う命の色であり、わが身の内側で燃える心の色でもあったのではないでしょうか。 【鶏頭の十四五本もありぬべし】…実際に数えたわけでもなく、そのくらいたくさんの命の色が子規の心に迫るように咲いていた。強く、強く、この世の、今年の秋を彩って。その2年後、明治35年9月19日に辞世の句に「糸瓜(へちま)」を詠んで、静かに亡くなりました。 …辞世の句・三句の内一句 【糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな(へちまさいてたんのつまりしほとけかな)】 子規 子規の忌日を「糸瓜忌」と呼ぶのは辞世の句から。別に「獺祭忌(だっさいき)」という呼び名もあり、こちらは新聞に連載していた記事のタイトルからとられています。 子規庵とホトトギス 子規は若くして亡くなりましたが、その後の日本文学における多くの遺産を遺していました。 「ホトトギス」を継承した高浜虚子は、子規の写生という俳句の手法をさらに洗練させ、現代俳句の原型を作りました。 また、松山の「子規堂」や東京・根岸の「子規庵」など、子規が居住した場所は名所旧跡として残っています。 東京・台東区の「子規庵」の向かいには、子規に「写生=今、ここ」という概念を気づかせた、中村不折(画家・書家)創設の「書道博物館」もあり、訪ねるだけで明治時代にタイムトリップできそうですね。 近隣には子規が好んだ飲食店もあり、子規庵においては、9月30日まで「第15回特別展 子規の顔(2)」を開催中です。 秋の一日、明治文学散歩で「今、ここ」を感じてみませんか? 《参考》 「子規百句」 坪内稔典・小西昭夫編 創風社出版 「子規庵(東京都指定史蹟)」サイト

あわせて読みたい

  • 9月19日は獺祭忌(だっさいき)。近代俳句の改革者・正岡子規の命日です

    9月19日は獺祭忌(だっさいき)。近代俳句の改革者・正岡子規の命日です

    tenki.jp

    9/17

    LINEで“実に優雅な遊び”を 下重暁子が語るコロナ禍の句会事情
    筆者の顔写真

    下重暁子

    LINEで“実に優雅な遊び”を 下重暁子が語るコロナ禍の句会事情

    週刊朝日

    6/11

  • 秋の文学散歩── 秋に早逝した正岡子規を偲び、かつての文人の町・根岸の「子規庵」を訪ねる

    秋の文学散歩── 秋に早逝した正岡子規を偲び、かつての文人の町・根岸の「子規庵」を訪ねる

    tenki.jp

    10/9

    秋の路地に佇んでいた異形のもの。「トサカゲイトウ」は今どこに?

    秋の路地に佇んでいた異形のもの。「トサカゲイトウ」は今どこに?

    tenki.jp

    9/29

  • 七十二候「玄鳥去(つばめさる)」9月17日~21日 つばめ旅立ち秋深まる頃

    七十二候「玄鳥去(つばめさる)」9月17日~21日 つばめ旅立ち秋深まる頃

    tenki.jp

    9/16

別の視点で考える

特集をすべて見る

この人と一緒に考える

コラムをすべて見る

カテゴリから探す