都心の美しい日本庭園、六義園。有名な名所ですが、「きれいな庭だったなあ」で帰ってしまうのは、もったいないかもしれません。この地には、88もの和歌のコードが組み込まれています。すべて解読すると、中世の和歌テーマワールドに旅するような楽しみ方ができるのです。秋のベストシーズン前に、散策の楽しみが増す、六義園の秘密をご紹介します。

設計者柳沢吉保は、ドラマでは水戸黄門の敵。実は知性と教養に満ちた名老中

小石川後楽園とともに江戸の二大庭園と讃えられているのが、駒込の六義園です。「ろくぎえん」ではなく、「りくぎえん」。「りくぎ」とは、中国古代詩の分類を借りて紀貫之が「和歌に六義あり」とした、いわば和歌の表現形式を意味します。この命名からもおわかりのように、六義園は当初から和歌の庭として設計されたのです。
元禄15年(1702年)に築造されたこの庭の設計者は、柳沢吉保。ドラマでの柳沢吉保といえば、水戸黄門の宿敵で、悪役として描かれていますね。しかし実際の吉保は、知性も実践力も備えた川越藩主。今も埼玉県指定旧跡として残る、三富(さんとめ)新田を開発した名老中でした。

和歌のコードを、疑似ワールドに盛り込んだ回遊式築山泉水庭園

回遊式庭園とは、園内をぐるっと回って鑑賞することが前提の庭園です。六義園は、まず池の周辺を和歌山の海辺に、次にこんもりした丘を吉野山に見立て、一回りすると和歌山の紀の川に戻る設定になっています。しかし一見しただけでは、立派で大きな池や、その奥の美しい木々の道にしか見えないかも知れません。
では、次のように、場所ごとに景観名や歌枕(有名な名所や歌枕)としてのコードと、関係する歌が示されていたらいかがでしょうか?
(※歌の引用は旧かな使いです)

【出汐湊(でしおのみなと) 】
和歌の浦に月の出汐のさすままによるなく鶴(たづ)の声ぞかなしき

池を前に、この歌の光景を想像してみましょう。船の出入りのための潮が満ちるのは、月の出のときです。満潮を待つ間に浮かぶ月、そして物悲しく響く鶴の声…脳裏には海辺が見えてきますね。「和歌の浦」や「夜鳴く鶴」は、和歌の定番コンテンツでもあります。

【指南岡(しるべのをか) 】
尋ね行く和歌の裏路の浜千鳥跡あるかたに道しるべせよ

指南岡の次にあるコードは、千鳥橋。「橋」は、別の世界に移動する意味も持ちますし、実際に、この場所のテーマ設定は、海辺から山に移ります。そして、浜千鳥の足跡とは、和歌の言葉や言霊の象徴の意味もあるそうです。私を和歌の奥義に連れてって、と誰かが呟いているのかもしれません。

崇徳天皇や西行の言葉に耳を傾けてみる

庭園内で唯一水音が聞こえる、小さな滝を模した水辺も、風情があります。この場所のコードは、

【水分石(みずわけのいし)】
瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思う    崇徳院

崇徳天皇の歌が込められていると、思わず悲劇の人の一生を思い浮かべます。
続いて道なりに木々が多い路には、
【下折峯(しをりのみね)   】
よしの山去年(こぞ)の下折のみちかへてまだ見ぬかたの花をたづねん
桜が大好きだった西行の、「今年は去年と違う道の桜を探しましょう」の心に、思わず頷きました。ちなみに下折=枝折とは、帰り道で迷わないように木の枝を折ったもので、「栞」の語源です。

八十八は八雲の道。天地とともに長久なるこころなるべし

こんな風に、コードごとに連想、空想、見立てや想像をフル回転させて庭を歩けば、知らないうちに、ゆったりまったりな中世の風雅な世界に浸っています。その心地こそ、柳沢吉保が憧れた境地だったのでしょう。「六義園で遊ぶ者は和歌の道に遊ぶことと同じ」とした吉保は、88の和歌のコードについて、こう語っています。原文でご紹介しましょう。
「八十八は八雲の道、そしてその支極に至り、終りてはまた始り、春夏秋冬の廻りてやまさる如く、窮もなくやむ事もなく、天地とともに長久なるこころなるべし。」六義園は、柳沢吉保が和歌の永遠なる境地に至るための 、シミュレーションゲーム・テーマパークだったのかもしれません。
六義園は晩秋には夜間開園され、見事なライトアップが楽しめます(期間限定)。初秋のうちに和歌の本を携えて、コード解読の予習散策を試みてはいかがでしょうか。