8月23日〜27日頃は『綿柎開(わたのはなしべひらく)』。綿の実がはじけて、綿花がのぞく時季です。じつは「綿花」というのは、花ではありません。綿の花は、やわらかなクリーム色をしたハイビスカスのような花びらなのです。その花が終わって顔を出すのが、真っ白な「綿花(コットン)」。もふもふの恋しい季節が、すぐそこまで来ています。

夏と思っていたら、いきなり温かそうなものが
夏と思っていたら、いきなり温かそうなものが

コットンの花はクリーム色。次の日ピンクに変わります

綿はアオイ科の植物。越冬が難しいため、園芸では一年草扱いです。7月~9月に開花し、アメリカ産は全体がクリーム色、日本産は中央が小豆色をしています。どちらも、翌日ピンク色になって萎んでしまいます。花が落ちると、子房がふくらんで緑色の固い実がどんどん大きくなり、やがてはじけて、中からふわふわのコットンが顔(お尻?)を出すのです。
実の中は、小部屋に分かれています。密生する綿毛に包まれて、種子が数個ずつ。綿実油もとれます。
長く伸びた綿毛の繊維「リント」は 布・化粧コットン・不織布などに、種子にくっついた地毛「リンター」は レーヨンなどの原料に。生の綿毛は水の入った管状で、乾燥すると特有の「よじれ」ができます。それが絡み合ってつながり、長い糸となるのですね。
庭などで育てたものを クリスマスツリーの飾りやマスコットにして楽しむ人もいます。綿花は11月〜12月の晴れた日に収穫します。1本の木から両手一杯分くらいの綿がとれますが、クッションなど大物を作るのはなかなか大変。ちなみに大人のTシャツ1枚分には、60個くらいの綿花が必要なのだそうです。
日本の綿栽培は平安時代、三河国に漂着したインド系の青年が種子を持ち込んだのが始まりといわれます。栽培するも、1年で失敗。その後何度も種子の導入・栽培を試みたようですが成功した事例の記録はみられず、熱帯の植物を温帯の日本に定着させるには時間と工夫が必要だったことがうかがえます。
古代や中世でいう『綿』は、絹でできた真綿を指します。朝鮮から輸入されていたコットンは『輸入文綿(もんめん)』と呼ばれ、15世紀室町時代には「安置した宝剣や鎧の四方を囲う幕」に用いられるような、珍重すべき布でした。16世紀になって栽培が定着すると、コットンは急速に全国に普及します。江戸時代には分業化が進み、寒冷で栽培はできなくても、優れた綿織物の産地になれたのです。
明治の産業革命により、手紡ぎで高価な日本在来綿は廃れていきます。現在はほぼ100%輸入されています(リンク先もご覧ください)。

次々と誕生するコットンの花と、若い実。
次々と誕生するコットンの花と、若い実。

コットンを着るまで、日本の民は寒風にさらされていました

地球が「第4氷河期」に入ったとされる後期旧石器時代。人類は、食べるために狩りとった獣類の毛皮を身にまとい、寒さを防ぐことを始めたといいます。繊維が登場するのは、今から1万数千年前の新石器時代になってから。当時の住居跡からは、麻の糸・綱・布などが発見されています。天然の繊維を長くつなぎ合わせて糸をつくり、縦横に組み合わせて綱や布を編んだり織ったりしていたのですね。
綿栽培は、ペルーやインドではそれぞれ紀元前2600年頃すでに行われていたのに、中国・朝鮮・日本などではかなり遅れて10世紀以降とされます。年代については諸説ありますが、はっきりしているのは「コットンの普及が日本の庶民の生活を劇的に、まったく劇的に変えた!」という事実なのです。
それ以前、富貴な人は軽くて温かい絹の服を着ることができましたが、貧しい庶民は、真冬でも素肌に麻や樹皮でつくった服を着るしかありませんでした。夏に想像しても凍えそうですね。万葉歌人・山上憶良の『貧窮問答歌』には、袖のない麻の服をありったけ身につけ、藁をぱらぱら敷いた土の上に直に寝る様子が歌われています。寒さのために病気にかかって亡くなる人がとても多かったといいます。
そんな厳しい寒さと闘う民に、恵みのようにもたらされたコットン。温かくて丈夫で肌触りが良く、洗うほどになじむ布・・・どれほど人々を癒し、心にやすらぎを与えるぬくもりだったことでしょう!
富む者だけでなく貧しい者の肌まで覆うことができる木綿を、江戸期の文献は「天下の霊材」(『農業全書』1697年)、「五穀につづきて、此霊草の徳を尊み仰ぐ」(『綿圃要務』1833年)、「万民一日も欠くべからざる宝物」(『経済要録』1827年)などと、最上級の誉め言葉で讃えています。柳田國男氏は著書『木綿以前の事』で「我々の生活に与えた影響が、毛糸のスエーターやメリンスなどよりも、はるかに偉大なものであった」とし、労働時などには 程よい摩擦が「むしろ絹よりも快く優れている」と語っています。さらに木綿の着物は、人々の外見のシルエットをすっきりと変え、美しい色や模様の楽しみをくれました。肌のやすらぎにより「生活の味わいが知らず知らずの間に濃か(こまやか)に」なったともいいます。風流の間口が、ぐぐっと広がったのですね。
コットンという「衣料革命」がもし起こらなかったら、浮世絵に描かれる人の姿も日本人の暮らし方も、今とまったく違っていたかもしれません。

伝説の草食植物!「ヒツジの入った実がなる木」とは?

北ヨーロッパの人々は、当初コットンを「植物性のウール」、つまり木から生まれる珍種のヒツジ?と認識したようです。
その誤解が生んだ伝説の植物『バロメッツ』は、インドやモンゴルなど各地の荒野に分布するという「ヒツジの入った実がなる木」。実が熟してはじけると、中からなんと生きたヒツジが! メエ〜と鳴いて、茎とつながったまま周りの草を食み、エサがなくなると死んでしまいます。蹄までが羊毛の(ムダのない)死体は、山積みとなって人に用いられるのでした。なぜか肉はカニの味がするそうです。
ドイツでは木綿を『Baumwolle (「木のウール」という意味)』と呼ぶなど、ヨーロッパにはその痕跡が今も残っているといいます。
暑い季節は汗を吸いとってスッキリと、これからの季節には温かい安らぎを。1日でも木綿に触れない生活なんて、もう想像できませんね。ヒツジのような白いもふもふのぬくもりが目に愛おしくなる頃・・・そろそろ、秋支度でしょうか。

もふもふの子羊ちゃんたち
もふもふの子羊ちゃんたち

<参考>
『木綿以前の事』柳田國男(筑摩書房ちくま日本文学015)
『新・木綿以前のこと』永原慶二(中公新書)
『綿と木綿の歴史』武部善人(御茶の水書房)