浅草の夏の風物詩「浅草サンバカーニバル」が今週末の8月29日(土)に開催されます!
外国人が多く訪れる観光のメッカ・浅草のメイン通りで行われるこの祭典は、本場ブラジルのリオデジャネイロスタイルに、ジャパンカラーを随所にちりばめた世界に誇るサンバカーニバルです。
驚くことに来場者数は約50万人! 下町のビッグイベントであることはもちろん、
北半球最大のサンバ・イベントとも称される「浅草サンバカーニバル」の魅力と、歴史とは?

今週末の土曜(8/29)、下町のビッグイベント「浅草サンバカーニバル」開催!
今週末の土曜(8/29)、下町のビッグイベント「浅草サンバカーニバル」開催!

どうして浅草でサンバ? 誰が発案したの?

1980年代の初頭にはじまり、今年で34回目を迎える「浅草サンバカーニバル」。
いまや日本各地はもちろん、世界中から観光客が集まるこの一大カーニバルは、数十台の大掛かりな山車(だし)と、きらびやかな衣装を着たダンサーや打楽器隊(総勢5000人ほど)が、陽気なサンバのリズムを奏でながら街を練り歩くパレード形式の祭典です。
今でこそ、多くの観光客が訪れる浅草ですが、実は1923年の関東大震災、第二次大戦の戦災、テレビの普及などによって、日本一の繁華街とも言われていた町の活気が下火に。当時、浅草を愛し、浅草の地に暮らす人の誰もが、かつての活気を取り戻したいと願っていました。
そこで、「ブラジルのサンバカーニバルをモデルに、歴史ある浅草で盛大なイベントを開催しよう!」という発案したのは、かの伴淳三郎さんでした。
伴淳三郎さんといえば、昭和に大流行した「アジャパー」の決めゼリフで知られ、バンジュンのアダ名で知られる、紫綬褒章を受章した喜劇俳優です。この発案に、当時の台東区長であった内山榮一さんが乗り、かつて繁華街として栄えた町の活気を取り戻そうという切なる想いから、この大規模な和製カーニバルイベントが実現したのです。
とはいえ、当時はまだブラジルの「サンバ」というものが何なのか一般には理解されておらず、まったくの手探りの状態からスタート。それゆえ、当初は本場ブラジルとはだいぶ雰囲気の違う独特なものだったそう。
当時を記憶する人によると、イベント開始直後は、浅草独自の自由な心意気そのものともいえる「何でもありの仮装大会」のようなイベントだったというエピソードも。
今日の本格サンバカーニバルになるまでには、長い歳月と、イベントに携わった人々の試行錯誤があったことがうかがえますね。

その年ごとにテーマが変わる浅草サンバカーニバル
その年ごとにテーマが変わる浅草サンバカーニバル

総勢20チームのハイレベルなダンスチームが競演!

華やかで自由なパレードの雰囲気ですが、意外にもこのイベントはリーグ制のコンテストと聞いて驚かれる人も多いのではないでしょうか。
実は「浅草サンバカーニバル」は、日本全国から集まった本格的なダンスチーム(総勢20チーム)が得点を競い合うイベントなのです。
カーニバルの出場者たちは、S1・S2という2つのリーグに分かれパフォーマンスを競い合います。
リーグによって審査基準も異なり、特にハイレベルなチームが揃うS1リーグでは、パフォーマンスの質・量ともに非常に高度なものが求められます。
出場者にとっても観客にとっても気になる順位は、テーマの表現、演奏、全体の調和、躍動感、衣装等の装飾物、ダンスの6項目に基づき審査され、審査員による採点と一般客によるインターネット投票での採点を集計して、当日のうちに総合順位が発表されます。
今週末「浅草サンバカーニバル」に行かれる人は、以下のポイントを押さえておけば、より一層カーニバルを楽しめるはず!
■受賞の常連として知られる強豪チーム
第1回目から出場している地元浅草の「仲見世バルバロス」
横浜を拠点とし、無類のサンバ好きが集う「エスコーラ・ヂ・サンバ・サウーヂ」
個々の主体性と自由な精神を大切にする「リベルダージ」
各大学のラテン系音楽サークルによる学生サンバ連合「ウニアン」……などなど。
これら強豪チームのパフォーマンスは、イベントの盛り上がりがピークを迎えるハイライトシーンを彩ります。チームごとの独特でユニークな工夫、その年ごとの演出を楽しむのもリッチな鑑賞法となるでしょう。

強豪ダンスチームが得点を競い合う点も、イベントの見どころ
強豪ダンスチームが得点を競い合う点も、イベントの見どころ

歴史に翻弄された浅草。その革新性のシンボルとして

さらに、「浅草サンバカーニバル」の鑑賞に奥行きを持たせるため、イベントに行かれる前に浅草の歴史を知っておくとよいかもしれません。
今では情緒あふれるイメージが強い浅草ですが、かつては新しもの好きの江戸っ子が通りを闊歩する最先端の街でした。芝居小屋、仲見世、遊郭、代表的な盛り場として親しまれた当時の浅草は、江戸っ子好みの華やかさ、滑稽さで満ちあふれていたようです。
大正時代になっても、演劇場、活動写真館(映画館)、オペラ座などが軒を連ねる歓楽街として賑わった浅草。
日本初のエレベーター付きデパートであった12階建ての「凌雲閣」は、さながら現在の東京スカイツリーのような観光名所として賑わい、新たに演芸場や劇場等も次々と建ち、多くの人が往来する東京の最先端をいく文化の発信地だったのです。
ところが、1923年の関東大震災や第二次大戦の戦災によって一時期の繁栄の勢いが失われてしまいます。さらにテレビの普及により、昭和30年代後半から映画館や劇場が次々と閉館。浅草の人通りはめっきり減少してしまいます。
とはいえ、芝居小屋に通い、粋(いき)を競った豪遊な町人・庶民の気風や粋な心意気は今も健在。
江戸っ子の息づかいを引き継ぐのが、この「浅草サンバカーニバル」といえるでしょう。

さあ、今週土曜は「浅草サンバカーニバル」へGO!

二天門からスタートし、その昔は馬場に向かう道であった馬道通り(実は新吉原への道)、および門前町のメインストリートである雷門通りを通過する巨大なアレゴリア(山車)のきらびやかさ、ダンサーやバテリア(打楽器隊)の華やかさが、いまも変わらない浅草の賑わいを伝えます。
【第34回「浅草サンバカーニバル」】(公式HPは下部リンク先参照)
〈主催〉浅草サンバカーニバル実行委員会
〈開催日〉2015年8月29日(土曜)  小雨決行
〈開催時間〉13時~18時(パレードコンテストは13時30分から開始)
細かいことにはこだわらず、意地っ張りで見栄っ張り、そして競い合うことが大好きなのが江戸っ子の気質。そんな江戸の町人気質がこの「浅草サンバカーニバル」には息づいています。異質な外来文化を進んで受け入れる寛容さ、気前のよさもこのイベントから垣間見えることでしょう。
長期予報によるとイベント前後の期間は、「平年と同様に晴れの日が多い」と見込まれているので、気になる人はぜひ浅草へ足を運んでみましょう!