ブシャー!だけではない。ほんとうはドラマチックな梨の話

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筆者の住んでいる町は梨の産地。あちこちに梨農家があり、八月から十月にかけての出荷の季節は畑の前に直売や梨狩りののぼりが立ち、直売店が開いて次々に客が押し寄せ活気を呈します。残暑の厳しい季節に、冷やしても甘くみずみずしい梨はとても美味しく感じますね。ただ、某梨の妖精が流行らせた「なし汁ブシャー」、今ならあたりまえですが、実は昔の日本の梨はずっと不味かったようです。いつごろからこんな梨が食べられるようになったのでしょうか。

ゴミ捨て場からはじまった「世紀」の大革新

古くは日本書紀に記録があり、平安時代には「梨」を「無し」の忌み言葉として「ありの実」という別名がつけられたり、古くから梨は食べられてきました。
約250年前、寛政の改革で知られる松平定信の房総地方の視察をまとめた「狗日記」中に「船橋のあたりいく。梨の木を、多く植えて、枝を繁く打曲て作りなせるなり。」と記したように江戸時代中期にはすでに下総葛飾(千葉県東葛飾一帯)をはじめ、武蔵六郷(神奈川県川崎市)などの江戸周辺で盛んに梨の栽培が行なわれていました。しかし追熟させ、甘くなめらかな洋ナシよりも、ざりざりした石細胞が多く硬い和梨は劣るものとされていました。
時代が下り明治21年、下総大橋村(翌年より八柱村、現・千葉県松戸市大橋)の梨農家の跡取り・13歳の松戸覚之助は、親戚の庭先のゴミ捨て場に実の生った梨の木が捨てられているのを見つけてもらいうけます。10年後、この木から育てた苗木から今までなかったような純白の果肉の実を作出することに成功します。この新しい梨は「其味の優等甘味にして漿液(しょうえき)最も多く恰(あたか)も甘き西洋梨の如く、且つ少しも口中は渣滓(さし:かす)を止めず、実に完全の梨果と称するを得べし」と激賞され、来るべき世紀を担う品種であると讃えられて、「二十世紀」と名づけられました。それは和梨の品種刷新をもたらす大革命となりました。
二十世紀梨は黒班病に弱く栽培が難しいという難点があったのですが、改良が行なわれ、1950年代以降現在まで、国内でもっとも多く栽培されている幸水や豊水をはじめとして、全体の85%が二十世紀の子孫の品種で占められているのです。
松戸市にはこの大発見にちなみ、発祥地は二十世紀が丘梨元町という地名がつけられました。

純白の花におう梨園

ところで梨園というと俗に歌舞伎界の事を指しますが、なぜでしょうか。一説では舞楽を愛好した唐の玄宗皇帝が、梨の木の多く植えられた庭園で目をかけた芸人達に舞踊楽器の稽古をさせた故事から、演劇界のことを梨園と呼び習わすようになりました。後に歌舞伎界のみを特定してそう呼ぶようになりました。
梨の園で踊りや楽器の稽古がされていたなんてなかなか耽美的な光景ですが、現在の梨には不思議とあまりロマンチックなイメージはないですよね。かの船橋梨の非公認ゆるキャラも、親しみやすいですが実に散文的ですし・・・
でも、あまり知られていませんが桜や梅、桃と同じバラ科である梨は、純白の綺麗な五弁花を咲かせます。春の盛りの四月半ば、平らに剪定された「梨園」を高台から眺めると、梨の花が一面にじゅうたんのように輝く景色は美しく、もっと多くの人にめでられていいのになあ、と思います。
梨は効用も多い果物です。糖アルコール・ソルビトールは便秘予防に効果があり、カリウムを多く含むため高血圧予防に、アスパラギン酸は利尿作用があります。またタンパク質分解酵素を多量に含むため、すりおろすとおいしい焼肉のタレになります。大いに食べて、残暑を乗り切る活力にしませんか。

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