残酷に思われる慣習から、人としてのギリギリの知恵や愛情の存在がひしひしと伝わってきます。死んでいる者の方が自由に動き回れて、生きている者たちに手を出せるはず。そう考えるくらい、この世で肉体をもって生きることが不自由で過酷でもあったのです。

 地域外の情報が得にくかった昔、日常から人が「消えて」しまうことは今よりずっと多かったようです。家族がふらっと山にでかけたまま帰ってこなかったり、子どもが忽然といなくなる「神隠し」・・・どこまでが本人の意志か定かでないとはいえ、家族としては、たとえ見ず知らずの別の土地でも、たとえ人間とは別の世界でも(妖怪としてでも)、生きて存在していて欲しいと願ったのですね。

 「妖怪」は、人間と完全に別種の生きものというよりは、人性を残して外見だけが変わっている存在のように思えませんか?
民話で山などに単独で住む「異形」の人は、日本の「先住民」なのではという説もあります。美しい娘が「魅入られて」さらわれてしまうのも、配偶者が欲しいという人類としての強い衝動からの行いではなかったか、というのです。 ということは、「妖怪」と思っていた相手が、じつは単に「見かけないタイプの人」だった可能性もあるわけですね(ちなみに先住民の人々は現在すでに「絶滅」してしまったと考えられているそうです)。
こんなふうに後からあれこれ推測できるのも、昔の人が「何かわからないけど不思議だった」ことを感じるままに話し、聞いた人が代々伝えてくれたからこそ。「語り継ぐ」という行為は、本当に尊いですね!

 「カッパ捕獲許可証」を取得して、昔ながらの村へ

 『遠野物語』にはカッパの話が5話(カッパの子を産んだ人の話など)出てきます。『カッパ淵』の伝説は、以下のようなものです。
ある暑い日に馬を川の水で冷やしに行くと、人が目を離した隙にカッパが出てきて、馬を川に引きずり込もうとしました。けれども馬の方が力が強く、カッパはそのまま厩まで引きずられていってしまいます。困ったカッパはその辺の桶に隠れていたのですが、桶が伏せてあるのを家人に怪しまれてみつかり、村の裁判にかけられます。「もう決して村の馬にはいたずらしません」という約束をして川に帰してもらい、その後は静かに暮らしたといいます。

『カッパ狛犬』がある常堅寺裏の『カッパ淵』。その岸辺には小さな祠があり、赤ちゃんのいる女性がお乳が出るように願をかけると叶うといわれています。その昔、栄養状態が悪いため母乳の出ないお母さんがお参りに行くと、祠にはおっぱいのような丸いぬいぐるみが置かれ、中にはお米が入っていたと伝えられます。匿名の善意だったかもしれません。カッパは乳の守り神とされ、今も乳房型のぬいぐるみが奉納されています。
遠野は『座敷童(ざしきわらし)』の里としても有名で、不思議体験好きな人に評判のスポットが多数あります。カッパの生け捕りに挑戦したい人は、インターネットでも許可証を取得できるそうです。 

 夏は観光地としてにぎわう遠野。夏休み中は、遠野市立博物館では『遠野物語と妖怪』展、遠野ふるさと村の体験など、昔ながらの暮らしを体感できるイベントが盛りだくさん。8月15日には『遠野納涼花火まつり』、23日には『土淵まつり』が開催予定です(詳細はリンク先でご確認ください)。
夏後半、伝説の村にリアルな日本をさがしにでかけてみるのはいかがでしょう。

カッパ狛犬
カッパ狛犬

<参考>
『遠野物語・山の人生』柳田国男(岩波文庫)