今年もお盆ウィークを迎え、ふるさとへ帰省されている方も多いのではないでしょうか。今は亡き人たちへ想いを馳せるこの時節に、神社やお祭り、水辺では《灯籠(とうろう)》に火がともされます。真夏の宵闇をほんのり照らす炎は、いわば神様や仏とつながる道標。その一つ一つが風に揺らめくたび、懐かしさともの哀しさを物語ります。奈良、本など全国各地で見られる《灯籠(とうろう)》の幻想的な光景と、灯りに宿る人々の想いを綴ります。

奈良・春日大社の回廊を彩る光の芸術
奈良・春日大社の回廊を彩る光の芸術

奈良・春日大社で8月14・15日に行われる「中元万燈篭(ちゅうげんまんとうろう)」

奈良県にある世界遺産「春日大社」。奈良時代に創建され悠久の歴史を刻むこの社は、今年20年に一度の式年造替を迎えています。境内にあるおびただしい数の灯籠は、平安時代より現在に至るまで人々から寄進されてきたもの。その数はおよそ、石灯籠が2000基、釣灯籠が1000基。合計約3000基の灯籠に、いっせいに炎が灯させれるのが、毎年8月14・15日に行われる「中元万燈篭(ちゅうげんまんとうろう)」です。
もともと「灯籠」は、仏教とともに日本に伝来したもの。それが神社にも見られるようになったのは、神仏習合が進んだ平安時代からだと言われています。
ちなみに「中元」とは、上元(旧暦1月15日)、下元(旧暦10月15日)とともに中国から伝わる雑節「三元」の一つ。旧暦で7月15日に行われていた、終日火をたき神を祝う風習が日本に伝わり、お盆の習わしと重なったようです。(贈答品を交わす「お中元」という言葉も、この「中元」からきています)
8月の14日と15日の両日は、19時頃から全灯籠に灯がともり、朱塗りの柱が連なる回廊は、昼間とは一転して幻想的な趣に。奉納する際、人々が願いを込めると同時に様々な意匠を凝らした灯籠の間を歩く一歩一歩が、まさに夢幻のひとときです。
もともとは雨乞いの祈祷として室町時代や江戸時代に行われていたという「万燈篭」。「浄火(じょうか)」を神様に献じて、家内安全や商売繁盛、武運長久、先祖の冥福向上などを祈る、いにしえから変わらない人々の想いが、ともる灯火にこめられているのです。

熊本県・山鹿(やまが)では、8月15・16日に「山鹿灯籠まつり」が。クライマックスは「千人灯籠踊り」!

熊本県・山鹿は、江戸~昭和初期の風情を残す豊前街道沿いに店々が連なるノスタルジックな町。山鹿温泉や芝居小屋「八千代座」があることでご存じの方も多いと思います。
この町で開催されるのが、ゆらめく灯りが幻想的な「山鹿灯籠まつり」です。その由来は古く、第12代景光(けいこう)天皇が筑紫巡幸をした際に、濃い霧に行く手を阻まれたのを、山鹿の里人が松明(たいまつ)をかかげてお迎えしたことから。
その後、室町中期からは奉納の松明に代え、灯籠が奉納されるようになったということです。
山鹿の金灯籠(かなとうろう)は、和紙と糊とで作られ、「骨なし灯籠」とも言われる精巧なもの。この金灯籠を頭の上に乗せた浴衣姿の女性1000人が優美に舞い踊るのが、祭りのクライマックス「千人灯籠踊り」です(16日、山鹿小学校グラウンドで開催)。
三味線や笛の音に合わせ、よへほ~、よへほ~と唄われる「よへほ節」。薄闇に幾重にも重なる光の渦、流れ揺らめく1000もの灯籠の灯かりが、見つめる者を別世界へと誘います。
夏祭りの両日は、町中に光が揺らめき、「奉納灯籠」や「花火大会」「たいまつ行列」など盛りだくさんの内容。前もって希望すれば踊りのレッスンも受けられ「灯籠娘」として踊りの輪に加わることも可能だそうです。

和紙でできた金燈篭を頭にのせ優美に踊ります
和紙でできた金燈篭を頭にのせ優美に踊ります

全国各地の水辺で見られる美しくも切ない光景「灯籠流し」

お盆の行事「送り火」の一種だとされる「灯籠流し」。
長崎市では、初盆を迎えた家が共同製作した精霊船を「西方浄土」へおくる「精霊流し」が8月15日に行われます。「灯籠流し」はその精霊船が変化したものともされ、灯火を乗せ川や海に流される簡素な灯籠には、お盆に迎えた死者の魂をまた送り返し、弔うという意味合いが込められています。
京都・嵐山では、8月16日(日)に渡月橋の東詰より桂川に精霊送りの灯籠が流されます。五山送り火の「鳥居形」や、遠くに「大文字」も見ることができ、古都ならではのお盆の情景が広がります。
8月15日(土)には、東京の隅田川でも吾妻橋近くの隅田公園親水テラスから、地元の小学生も参加し、想いを込めて灯籠を川に流すとのことです。
また、8月6日には広島で。9日には長崎で。7月31日には石巻市で。鎮魂の祈りを捧げる灯籠が今年も流されました。

8月19日には東京都調布市・野川でも
8月19日には東京都調布市・野川でも

ゆらゆらとゆらめく水面に、ゆっくりと流れゆく灯火一つ一つに宿るのは、人が人を想う心そのもの。
湿度を帯びた暑さの中で、この世とあの世の境界線が少しゆるむ日本のお盆。この時節に、亡くなった人へ想いを寄せ、祈りを捧げる方も多いことでしょう。
たとえこの世で再び逢うことは叶わなくても、懐かしい思い出がある限り、重なり合ういくつもの記憶があるかぎり、今は亡き人たちがいつまでも、ずっと傍らに居てくれるような……。
そんな切ない気持ちへ誘うように、ゆらゆらと揺らめき瞬く幻のように美しい真夏の光景が、今年も日本のあちらこちらできらめくのです。
※参考文献
日本の祭り(菅田正昭著 実業之日本社)及び下記リンク先