日本に海水浴が伝わったのは19世紀、明治時代の頃でした。


日本の海水浴普及に貢献したのが、初代陸軍軍医総監の松本順氏。まだ江戸幕府だった頃、幕府の命を受けた侍医の松本氏は長崎伝習所へ入所。そこでオランダ人医師のポンぺ氏と出会います。ポンぺ氏の助手となった松本氏は、そこで海水浴を使った医療に従事。
陸軍軍医総監を退官後、松本氏は海水浴に適した海を探し全国をまわりました。
そこで見つけたのが大磯の海。当初は地域の人々の賛同を得られず苦労の連続でしたが、海水浴場をつくることが大磯の発展につながると説き、1885年、何とか大磯海水浴場の開設にこぎつけたのです。

鉄道の開通と政界の後押し

海水浴の発展には様々なきっかけが後押しとなり、よい方向に転じていきました。
まず松本氏は、大磯の海水浴場の近くに療養施設として旅館を建設。
医療としての海水浴を広めるため、着実にまわりを固めていったのです。
その想いが通じ、松本氏の提唱する海水浴の治療を受けたいと政界の要人たちも大磯を訪れるようになり、なんと伊藤博文は別荘を建てるほどの熱心ぶりだったとか。
さらに追い風となったのは鉄道の開通でした
大磯海水浴場が開設した2年後の1887年、東海道線の横浜-国府津間が開通し、大磯駅も開業。
交通網が整備されたことで、有名人を中心に東京から大磯を訪れる人が増加。海水浴が一般にも広まっていきました。
そういえば、明治末期を舞台とした夏目漱石の『こころ』も、語り手「私」と「先生」との出会いを記した導入部は、二人が海水浴にやってきた鎌倉の由比ヶ浜でした。作中で漱石は鎌倉海岸を次のように描写しています。
「──この辺にこれほどの都会人種が住んでいるかと思うほど、避暑に来た男や女で砂の上が動いていた。ある時は海の中が銭湯のように黒い頭でごちゃごちゃしている事もあった──」。
今では、すっかりレジャーとしての海水浴が定着していますが、もし今のようにレジャーとしての海水浴が普及していなければ、海岸周辺の人々の生活もまったく違うものになっていたかもしれません。
夏休み中に海水浴を計画している人は、そんな歴史に思いを馳せてみるのも一興ではないでしょうか。