七夕といえば、織姫と彦星が一年に一度出会う日。
願い事を書いた短冊を笹の葉に飾り付けて……。そんな子ども時代の素敵な思い出もあるのではないでしょうか。
もう、すっかり七夕行事も終わったかに思われますが、実は8月に七夕祭りをするところが意外と多いのです。
例えば日本三大七夕祭りの一つ、仙台市「仙台七夕まつり」(8月6〜8日開催)や、愛知県「安城七夕まつり」(8月7〜9日開催)などです。
なぜ7月ではなく、8月に七夕祭りをするのか、七夕の由来とともに振り返ってみましょう。

400年以上の歴史ある「仙台七夕まつり」。和紙の吹き流しが美しい豪華な竹飾りが見事
400年以上の歴史ある「仙台七夕まつり」。和紙の吹き流しが美しい豪華な竹飾りが見事

秋の豊作を祈った日本古来の神事

七夕の始まりは諸説ありますが、日本古来のお盆前の神事と、乞巧奠(きっこうでん)という中国伝来の行事が合体したものだと言われています。
旧暦の7月7日を2015年に当てはめると、現在の8月20日にあたります。
当時の7月7日頃は、稲穂が大きく育つ頃でした。
旧暦の7月15日がお盆だったこともあり、秋の豊作を祈るため7月7日に人々は禊ぎをし、先祖の霊を賜るお盆の準備に入りました。当時は祖霊に祈りを捧げることが、稲作が無事に育つための欠かせない神事だったのですね。
先祖の霊(当時は神とされた)のために、新しく衣を織るのは、棚機女(たなばため)という選ばれた乙女たち。
清流の水辺につくられた機屋(はたや)で「棚機(たなばた)」を使って、衣を織りました。
これが禊ぎの行事の一つで、七夕の起源とされます。
この「たなばた」という言葉が、中国の「乞巧奠(きっこうでん)」という行事に結びついたのですね。

裁縫などの技巧上達を星に祈る

七夕といえば、やはり、星伝説は欠かせません。
日本・中国には、牽牛星(けんぎゅうせい・わし座のアルタイル)と、織女星(しょくじょせい・こと座のベガ)のお話があります。いわゆる織姫・彦星の物語です。
──昔、織女(織姫)という裁縫や機織りの上手な娘がいました。天帝の娘でありましたが、牽牛(彦星)と恋に落ちたことで、織女は機織り仕事をおろそかにしてしまいます。怒った天帝は、織女と牽牛を離ればなれにさせました。そして年に一度だけ、天の川を渡ってお互いに合うことを許したのです──。
中国ではこの織女星にあやかり、裁縫などの技巧上達を祈る「乞巧奠(きっこうでん)」という行事を行うようになりました。それが奈良時代に中国から日本に伝わり、宮中の年中行事になりました。
裁縫だけでなく、芸事や書道上達の願いも込められるようになったと言われています。

なぜ、8月7日が中暦の七夕になった?

前述しように、旧暦の7月7日は8月下旬になることもあります。
本来の意味合いではお盆前の禊ぎの行事です。このため、季節感のずれを減らすため、中暦(新暦と旧暦の間を取る)が採用されました。
この中暦にならい、多くの地域で8月に七夕祭りを行っているのですね。
日本三大七夕祭りの一つである「仙台七夕まつり」も8月6〜8日の日程で開催されます。
伊達政宗公の時代から400年も続く行事であり、季節感を合わせるために、中暦を採用しているようです。
七夕の中暦に、もう一度お願い事をしてみるのも、いいかもしれません。
8月の七夕まつりは、夏の風物詩。
星伝説にあやかって、ロマンチックなひとときを過ごしてみるのはいかがでしょう。
参考/仙台七夕まつりHP(リンク先参照)http://www.tenki.jp/lite/forecast/2/7/3410.html