日本では古くから梅雨明け~立秋の前日(今年は8月7日)が暑中見舞いの時期とされていますが、手書きの来信はやはり嬉しいもの。いかに情報機器が発達している現代でも、一日中手で文字を書かなかったという日は少ないのではないでしょうか。
ところで、人間は必ず書き間違いをします。
手書きの場合、鉛筆だったら消しゴムで文字を消しますね。ボールペンや万年筆だったら、修正液でしょうか。
そして、今ような筆記具がなかった昔の人は、どうやって文字を訂正していたのでしょうか?

消しゴムの誕生は明治になってから
消しゴムの誕生は明治になってから

古代の文字訂正

現在使われている修正液は、それほど古いものではありません。
私たちが使い慣れた消しゴムも、日本では明治になってから鉛筆とともに輸入されたのがはじめです。
しかし、人々が文字を書き始めた時と同時に、訂正の方法があったはずです。
古代から中世にかけての古い文書類を見ると、いくつか文字を訂正する方法があったことがわかります。
代表的な修正例は、書かれた文字を水で洗う方法。
近代以前は今のような筆記具はなく、ほとんどの文字は墨で書かれていましたから、水で洗うことで文字は薄れ、その上に書き直せばよいのです。古代の写経などに例が残っています。
もう一つ、よく行われていたのは「擦り消し」です。これは、カミソリなどの薄い刃で紙の表面を削ってしまう方法。荒削りな方法ですが、文字はきちんと消えます。このほかにも、胡粉(ごふん = 日本画で用いる貝がらを焼いて作った白色の顔料)などを修正液のように使うこともありました。

見せ消し

もちろん、墨で塗りつぶしてしまうことも多く行われていました。
興味深いのは、古典文学の写本(手で書き写したもの)などで、解釈の相違などを保存しておくために(つまり「直した」ことそのものを記録するために)行われたのが、「見せ消し(見え消ち)」と呼ばれる方法です。
「見せ消し」にはいろいろなバリエーションがありますが、例えば削除したい文字があったとき、その文字の横に3点(または2点ないしは1点の傍点)を打ちます。
画像(左部分)は「寸松庵色紙」という名の古筆で、和歌の末尾の「つゆ」に削除の指示(2点)をしています。ここにはありませんが、正しい文字を示すためには、その文字の横に文字を書き足します。
また、文字を入れ替えたい場合、「乙」という文字を小さく書き込みます。画像(右部分)は中国の書家・黄庭堅によるものです。
つまり「二三」とすべきところを、「三二」と書き誤ったとき、「乙」字を使って「これはひっくり返して読んでください」という意味を示しているのです。漢文訓読の「レ」点のようですが、違う起源の記号だという説もあります。
パソコンでデリートキーを押せば、簡単に修正できる現代とは異なって、文字を訂正するだけでもいろいろな工夫が行われてきました。
思い、思想、情報を伝えながら、長い年月をかけて形成されてきた文字文化には、実にさまざまな発見に満ちています。

「見せ消し」の一例
「見せ消し」の一例