皆さんは、かつお節をどんなふうに使いますか?
料理のだしに、薬味に……。「毎日のように食べる」という方も多いかもしれません。
引出物に使う習慣も、多くの地域に残っていますね。
でも実は、かつお節がこれほど使われるようになったのは、意外と最近のことのようなのです。
カツオとかつお節について調べてみると、日本の近代化やグローバル化の過程が浮かび上がってきました。
ちょっと意外な(?)かつお節の歴史、ひも解いてみませんか。

料理のだしに、薬味に……今や日本の食卓に欠かせない存在
料理のだしに、薬味に……今や日本の食卓に欠かせない存在

高級食材から、誰もが気軽にカツオを食べられる時代に

世界中の温帯・熱帯の海域に生息しているカツオ。タンパク質や鉄分、ビタミンなどを豊富に含みます。干したカツオを「堅魚(かたうお)」と呼んでいたのが転訛し、やがてカツオと呼ばれるようになりました。古くは8世紀、干しカツオや煮カツオを税金として上納していた記録が残っています。
17世紀になると、焙乾(燻して香りづけすること)やカビ付けといった、かつお節の製法が確立されました。大阪、江戸といった大都市を中心にかつお節の消費が拡大しましたが、当時は大変な高級食材だったようです。全国的に流通するようになったのは、明治時代のこと。現在のように日本中で使うようになったのは、昭和中期以降と言われます。
かつお節の普及に拍車をかけたのが、1960年代に登場した小分けのパック。デパートの店頭などで、削ったかつお節を量り売りするサービスが1950年代に始まり、そこからパック詰めのアイディアが生まれたのだそう。これを読んでいる皆さんの中にも、かつお節を「削ったことがない」方も多いのではないでしょうか?
カツオといえば、お刺身やたたきも美味しいですね。でも、冷凍や冷蔵、そして流通が発達するまでは、カツオは鮮魚として出まわりにくい魚でした。昭和の高度成長期までは、一般の家庭で食べるカツオといえば、塩漬けして乾燥させた「塩鰹」や、ゆでたカツオを切り分けた「なまり節」。生のカツオを気軽に食べられるようになったのは、かなり最近のことなのです。

近代化とグローバル化が支えた、かつお節の普及

かつお節の産地にも、近代化がかかわっています。明治以降、エンジン付きの船舶が登場すると遠洋漁業が可能になり、人びとはカツオを求めて南に向かいました。
大正時代には、沖縄がかつお節の一大産地に。
昭和になると、現在のインドネシア、マレーシアなどに大勢の人が移民しました。
そうして南洋産のかつお節が大量に流通することで価格が下がり、庶民への普及につながったと言われます。
戦後になると、パプアニューギニアやソロモン諸島などに水産会社が進出。現在も、カツオ漁船や加工工場で多くの外国人が活躍しています。伝統食材であると同時に、近代化やグローバル化と深いつながりを持つ食べ物なのですね。

遠い海を隔てて生まれた、双子(?)の「かつお節」

せっかく獲れたカツオを、少しでも長く保存したい……。その気持ちは世界中どこでも同じ。
たとえばインドネシアでは、燻製カツオ(イカン・フフ)が作られています。でも、そんな中でもかつお節はユニークな存在。硬くてそのままでは歯が立たず、削らないと食べることができない……、もしかして、こんな食べ物を思いつくのは日本人だけ?
実はモルディブ諸島にも、かつお節によく似た「ヒキマス(hiki-mas)」という食べ物があります。
アジア、アラビア、アフリカを結ぶ中継地として栄えたモルディブ。すでに14世紀に、交易品としてヒキマスが取り引きされていた記録があります。遠く離れた日本とモルディブ、何らかの交流があったのでしょうか、それとも独自に似たような食品を発明したのでしょうか。
かつお節の歴史あれこれ、いかがでしたか?
「どこで獲れたんだろう?」「誰が、どんなふうに加工したんだろう?」
そんな想いを馳せながら、おいしいカツオやかつお節を召し上がってくださいね。
参考:藤林泰・宮内泰介編著「カツオとかつお節の同時代史」、農山漁村文化協会編「地域食材大百科」