遅かった春を取り戻すかのように、北国にも緑輝く季節がやってきましたね。色とりどりの花が咲き誇り緑が大地をおおうころ、山形県・米沢では、次々と伸びてくる垣根の新芽を食すと聞きます。
春先から夏まで家々の食卓を緑で彩るその植物の名は、「ウコギ」。城下町・米沢に今も伝わる伝統食に受け継がれてきた、歴史と精神と味を紹介します。

戦前は都会でも生垣に使われていたという、食べられる植物《五加木(ウコギ)》

刺があることから防犯用にもなり、非常食ともなることから、古くから生け垣に用いられていた《五加木(ウコギ)》。戦前は都会でもよく目にし、春先の若菜を摘んで食用にしたといいます。
そんな昔ながらの食文化が、山形県米沢市には今も残っていると聞くと、驚く人も多いかもしれません。
このウコギ。山菜の代表である「ウド」や「たらの芽」とおなじウコギ科の落葉低木。米沢市に今も残る武家屋敷にはこのウコギの垣根が青々と茂り、昔の風情を残しています。
家を守ると同時に食用にもなる。春先の青物の少ない時期の代用食となるウコギは、城下町米沢の春から初夏にかけてのおいしい風物詩なのです。

ケネディ大統領も尊敬したという名君・鷹山(ようざん)公精神がいまも生きる米沢

さて、このウコギが米沢に今も残っている理由を歴史から紐解いてみましょうか。
もともと、米沢で栽培が始まったのは、「天地人」の主人公になった上杉藩の知将「直江兼続公」の時代とも言われ、後の米沢藩9代藩主「上杉鷹山(ようざん)公」が、このウコギの垣根を奨励したとされています。ウコギの葉をゆでて干して蓄え、冬季や飢饉の糧にもしたことでしょう。
鷹山公のことはご存じの方も多いと思いますが、なんとアメリカのケネディ元大統領が「最も尊敬する日本人」として語ったという逸話が残っているほどの名君。
(なぜ海外での知名度があるかと言えば、近代日本の思想家・内村鑑三が『代表的日本人』という著作の中で、日蓮大聖人、西郷隆盛、二宮尊徳、中江藤樹とともに上杉鷹山を挙げ、広く西欧社会に広めたからなのです)
17歳で藩主となり、倹約を政治の柱にして、莫大な借財をかかえていた上杉藩の財政再建に乗り出した鷹山公。平素の食事は一汁一菜、普段着は木綿。行政改革と同時に自給自足の気風を強め、困窮を極めた財政を生涯をかけて再建。全藩をあげても5両のお金を工面できなかった上杉藩が、公の治世により国中が豊かに満たされ、一声で一万両も集めるようにまでなったといいます。
臣民に人の道を説き、導き、米沢を物心両面から豊かにした鷹山公。公にならい、倹約して質素に暮らす心構えが、ここ米沢に「鷹山公精神」として息づき、ウコギの生け垣は、そのシンボルとなっているのです。

春から夏にかけての新芽の味は、そのほろ苦さが身にしみて……

生け垣として栽培されているウコギは、中国原産のヒメウコギ。
春~初夏にかけて出た新芽を収穫し、食用とするのが一般的ですが、このごろ、「新梢(しんしょう)」という、少し枝が伸びた形状での流通・販売も行われ、8月下旬までおいしくいただけます。
調理法は、和えものやおひたしをはじめ天ぷらやウコギご飯など、さまざま。独特の香気とほろ苦さがなんとも味わい深い滋味となり、長く愛されているのも納得です。
また、ビタミン、ミネラル、カルシウムの宝庫でもあるウコギの葉は、生活習慣病の原因とされる「活性酸素」を消去するポリフェノールなどの抗酸化物質も多く含まれていることから、健康食品としての注目度も大。食物繊維もごぼうに匹敵するくらい豊富で、糖尿病改善に役立つという効能も期待できるということです。
「なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人のなさぬ成りけり」
――どんなことでも強い意志をもって行えば、必ずや成就すると家臣に説いたこの名言を残した、鷹山公の強く真摯な想い。
今の世に生きる私たちも学びたい公の教えが、ほろ苦いウコギを噛み締めるたび、じんわりと身に染みてくるような気がするかもしれません。
ぜひいつの日か米沢で、一度は口に運んでみてほしい日本の豊かな味です。

※参考文献/
「野菜・山菜博物事典」(草川俊著・東京堂出版)
「代表的日本人」(内村鑑三著・鈴木範久訳・岩波文庫)