「夏草や…」の句は、松尾芭蕉が平泉で5月13日(新暦6月29日)に詠んだ俳句です。江戸を出発しておよそ1ヵ月半。平泉の高館(たかだち)に立ち、夏草が生い茂る風景を目の当たりにして、奥州藤原氏の栄華の儚さを思ったのでしょうか。平泉が世界遺産に決定してから、およそ4年。芭蕉が平泉を訪れたこの時期は、若草色の春もみじがちょうど見ごろを迎えます。さらに、世界遺産に決まった6月を記念して、臨時列車が運行されます。新緑まぶしいこの時期に、芭蕉の足跡を追って、世界遺産の平泉を訪れてみてはいかがでしょうか。

若草色の“春もみじ”がまぶしい、新緑の中尊寺。
若草色の“春もみじ”がまぶしい、新緑の中尊寺。

旅を始めて44日目、芭蕉は平泉で2つの句を残した

1689年3月27日(新暦5月16日)、松尾芭蕉は門人の曾良をともなって、江戸から東北・北陸へ600里(約2400km)、150日間の「おくのほそ道」の旅に出ました。奥州藤原氏が平泉で滅亡してから500年後のことです。
江戸・深川を出発してから44日目、5月13日(新暦6月29日)に奥州平泉を訪れた芭蕉は、藤原三代の栄華の儚さと義経の最期を偲び、あの有名な句を詠みました。
「夏草や 兵どもが 夢の跡」
(なつくさや つわものどもが ゆめのあと)
高館(たかだち)にのぼってあたりを見渡すと、藤原氏の栄華の痕跡はあとかたもなく、ただ夏草が茂る風景が広がるばかり。栄華の儚さを詠んだ句です。
続いて芭蕉は中尊寺を訪れ、美しい金色堂を参詣し、以下の句を残しました。
「五月雨の 降り残してや 光堂」
(さみだれの ふりのこしてや ひかりどう)
光堂とは金色堂のことです。あらゆるものを朽ち果てさせる五月雨も、光堂にだけは雨を降らせず残してくれたかのように、500年経っても光堂は色あせずに美しいままだ、と詠んだものです。中尊寺には、芭蕉の像とともに、この句の句碑があります。

中尊寺の芭蕉像。新緑の中、句碑とともに佇んでいる。
中尊寺の芭蕉像。新緑の中、句碑とともに佇んでいる。

浄土思想に基づいて造られた平泉の建造物や庭園は、日本独自の発展をとげた

平泉は岩手県南西部に位置します。11世紀末から12世紀にかけての約90年間、藤原清衡(きよひら)に始まる奥州藤原氏が、この地を拠点としました。清衡は浄土思想を唱え、この平泉に、中尊寺や毛越寺(もうつうじ)をはじめ、数多くの寺院や宝塔を建立し、これら建築物や庭園の一群が世界遺産へと登録されました。平泉には大きく5つの見どころがあります。
・中尊寺
清衡が1105年から造立に着手し、1124年、金色に輝く金色堂が完成しました。中尊寺の境内には、全盛期には40にも及ぶお堂や塔があったとされています。
・毛越寺(もうつうじ)
火災により現在は建物は残っていません。当時はお堂や塔が40以上もあったそうです。
・無量光院跡
宇治平等院鳳凰堂を模して建てられましたが、建物は焼失し、現在は礎石が残っています。
・観自在王院跡
2つの阿弥陀堂がありましたが、1573年に焼亡、今は舞鶴が池が残っており、史跡公園として整備されています。
・柳之御所遺跡
「吾妻鏡」に記されている「政庁・平泉館」の可能性が高いとされていて、現在も学術的な発掘調査が行われています。

中尊寺・白山神社への参道。若葉が茂る道の奥には能楽殿。
中尊寺・白山神社への参道。若葉が茂る道の奥には能楽殿。

平泉行きの特別列車 !! 秋田からは 「平泉・藤原号」、仙台からは 「仙台ジパング平泉」

5月は平泉に向かう臨時列車が運行します。この時期だけの特別列車に乗って平泉を訪れる鉄道の旅もまた、風情がありますね。
「快速 平泉・藤原号」 (JR東日本 秋田支社)
・運転日 5月16日(土)、6月6日(土)
・運転区間 秋田(7:43発)→平泉(11:05着)、平泉(16:29発)→秋田(19:37着)の往復
・停車駅 秋田、和田、羽後境、刈和野、大曲、後三年、横手、ほっとゆだ、北上、平泉
・仕様 2両編成、クルージングトレイン、 全車指定席
「仙台ジパング平泉」 (JR東日本 盛岡支社)
・運転日 5月23日(土)、5月24日(日)
・運転区間 仙台(7:36発)→平泉(9:18着)、平泉(14:52発)→仙台(16:24着)の往復
・停車駅 仙台、塩釜、松島、小牛田、一ノ関、平泉
・仕様 4両編成、展望室つき、全車指定席
2011年6月に平泉が世界遺産に登録されてから、4年が経とうとしています。ゴールデンウィークが過ぎた5月は、暑くもなく寒くもなく、旅にはちょうどいい季節ですね。中尊寺には「五月雨」を詠んだ芭蕉の句碑があります。新緑がまぶしい初夏のこの時期、芭蕉の足跡を追って、世界遺産の平泉を訪れてみてはいかがでしょうか。