5年半かけた平成の大修理を終えた姫路城の白さは、時代を経た知恵と、職人技の賜物。
別名白鷺城の雄姿のみならず、新しい歴史探索も楽しみな姫路城です。

平成の大修理を終えた姫路城。白鷺城ならぬしろすぎ城?

3月27日にグランドオープンし、一般公開が始まった姫路城。平成5年に奈良の法隆寺と並び、日本で初めての世界文化遺産となったこの城は、別名「白鷺城」とも呼ばれています。お化粧直しされた白塗り姿は、五月晴れに映える見事な威容ですね。しかし中には、天守のあまりの白さに、「しろすぎ城」と呼ぶ人もいるほど。いったい何故、姫路城はこれほど白いのでしょうか?

天然の建築資材、漆喰による塗籠(ぬりごめ)造り

この白さの秘密は、外壁に塗られた漆喰の成分の石灰にあります。今回用いられた漆喰は、海藻を煮て植物繊維と混ぜたものと石灰を合わせた、すべて手作りの天然素材。姫路城と同じく国宝の天守をもつ彦根城、犬山城、松本城では、雨風対策として、壁に黒い板を貼り炭や漆を塗っています。けれども姫路城では、板を張った形跡がないそうです。この理由は、蔵に塗られる漆喰と同じく防火・耐火目的とも、威厳を保つためとも言われています。
また今回の修理で屋根の瓦7万5千枚がすべて葺き替えられましたが、その瓦の継ぎ目も、分厚く漆喰を塗って固められています。そのため下や斜めからの角度によっては、瓦の色よりも漆喰の白さのみが視野に入ります。その結果天守はまさに、鷺が羽を広げて飛び立つ瞬間の如く、白くそびえ立って見えるのです。

風雨に晒されれば、漆喰の白さも風化していく

しかしこの姫路城ならでの白漆喰も、長く雨に晒されると、黒い黴が生える弱点があります。永遠に、屋根まで真っ白な姫路城の姿を見られるとは限りません。大戦中も、攻撃された焼夷弾が不発だったという幸運で、焼け落ちる運命を免れた姫路城。昭和の大修理に続き、平成の匠の技術によって再生されたこの優美な姿は、まさに今こそが時分の花かもしれません。

物語の宝庫・姫路城を新たな角度から発見しよう

古くは1333年鎌倉末期の赤松則村(円心)が砦を築き、1580年秀吉が3層の天守閣を築き、1600年池田輝政が城主となった姫路城。この場所には、たくさんの伝説が伝わります。
そのひとつが、徳川秀忠と江(ごう)の娘で、夫・豊臣秀頼が大坂城で自害した後、この城で本多忠刻と再婚した千姫の、哀しい晩年。ほかにも、怪談「播州皿屋敷」の舞台ともいわれた、「お菊井戸」や、地元に実在し、許されぬ恋を引き裂かれた、お夏・清十郎。いずれも、小説や浄瑠璃にも取り上げられたモチーフです。
今城内では、専用アプリ「姫路城大発見アプリ」をダウンロードして、スマートフォンなどの端末を各スポットでかざすと、動画や写真による解説を楽しめます。長い間地元で愛されてきた姫路城に流れる悠久の時間を、改めてあれこれと楽しみたいものですね。新緑の眩しいこれからの季節にこそ、その白さを体感したい姫路城に、今こそ訪れてみましょう。

参考文献・メディア
NHK 歴史秘話ヒストリア
『なんでこんなに真っ白なの?~いよいよオープン!姫路城 美の秘密~』
http://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/235.html
姫路城大天守 保存修理工事 | 鹿島建設株式会社
http://www.kajima.co.jp/tech/himeji_castle/index-j.html