春らしい食べものってなんでしょうか。
たけのこ、山菜、菜の花、ウド、貝の刺身、ちらし寿司、新キャベツ……人それぞれに春を実感できる食べものがあるでしょうが、春は気分が緩んで、なんとなく甘いものが食べたくなります。おはぎでもチョコレートでも草でもいいのですが、あんぱんはいかがでしょう。

春ならではの「桜あんぱん」
春ならではの「桜あんぱん」

文明開化の味がするあんぱん

もともとあんぱんは、明治7年に木村屋の創業者木村安兵衛とその次男の木村英三郎が考案し、売り出したものとされています。
外来のものだったパンをイーストではなく、米と糀で作った酒種酵母によって発酵させるという、日本人ならではの工夫が功を奏して、銀座発祥のハイカラな風物の一つとして、カレーライスなどと並んで評判となりました。
木村屋のホームページ(リンク先参照)には、当時のあんぱんの宣伝ソングが紹介されています。
「木村屋パンを ごろうじろ/西洋仕込みの 本場もの/焼きたて 出来たてほくほくの/木村屋パンを 召し上がれ/文明開化の味がして/寿命が延びる 初物 初物」

塩味の桜あんぱんと春の空気

現在の銀座の木村屋に行くと、季節ごとにいろいろな種類のあんぱんが売られていますが、なんといっても春らしいのは桜の花の塩漬が使われた「桜あんぱん」です。あんの甘味と桜の花の塩味が微妙なコントラストを作って、時々不意に寒い日が交じる春の空気を感じさせてくれます。明治8年に明治天皇に献上された日を記念して4月4日は「あんぱんの日」なのだそうです。ひょっとするとお酒にも合うのではないでしょうか。ジャムパンも木村屋の発明とか。

あんぱんと俳句

そんなあんぱんなのですが、俳人の坪内稔典氏は、ほぼ毎朝あんぱんを食べるそうです。
『季語集』(岩波新書)によると、
「あんパンを食べるようになって約二〇年になる。一年に三〇〇個は食べるから、すでに六〇〇〇個くらいを食べたことになる」とあります。
坪内氏はこの本で伝統的な季語に加えて、現代の新しい季語を提案しています。
たとえばバレンタインデー、デッキチェア、セーター、おでんなど。
そんな意味で「あんぱん」も春の季語として認めてはどうか、というのです。
その名前そのものが、その母音と「ん」の作る音の柔らかい響きをもっていて、そしてあんぱんの味の記憶が加わって、春の言葉としてふさわしいような気がしてきます。
坪内氏のあんぱんの句は   あんパンに空洞窓に楠の花    というものです。

食べものと言葉がつくる季節の楽しみ

季語というのは不思議な言葉で、ほんの数文字で季節の実感をなんとなくつかまえたような気になるものですが、『季語集』に紹介されている春の食べものの句をもう少し挙げてみましょう。
腸(はらわた)に春滴(したた)るや粥の味 夏目漱石
春は 白い卵と 白い卵の影と 富沢赤黄男
早春のおとなりから芹のおひたしを一皿 種田山頭火
漱石は大病の後の句です。富沢赤黄男の句は、春の暖かいけど、まだ残っている何か冷ややかなイメージを捉えてちょっとシュールですね。こんなふうに、食べもののイメージと季節の味わいを言葉によって増幅させて遊ぶのも楽しみの一つです。