桃の節句も過ぎ、雛人形の片付けを急いだご家庭も多かったのではないでしょうか。とはいえ、旧暦にあわせて四月まで雛人形を飾る地方もあることはご存じでしょうか?石川県の金沢もその一つ。しかも、雛人形と一緒にある「お菓子」を飾る家庭が多いのです。その名は『金花糖(きんかとう)』。江戸時代には献上菓子として珍重され、明治以降は庶民にも広まった砂糖菓子です。現在は作っている職人さんも減り、他の地域では入手困難だとか。そんな、伝統菓子『金花糖』をご紹介します。

雛祭り用の『金花糖』   画像:加賀銘菓の越野Webサイトより
雛祭り用の『金花糖』   画像:加賀銘菓の越野Webサイトより

金平糖(コンペイトウ)との決定的な違いは? ― 形と製法 ―

『金花糖』の材料は砂糖と水だけ。それを聞くと、「コンペイトウみたいなもの?」と思われるかもしれませんね。コンペイトウは、表面に角状の突起をもつ球形をしていますし、その大きさは直径1cmほど。それに対して、『金花糖』は大きく、形も様々です。だるま、招き、恵比寿様、鯛、といった縁起物。春を彩る初物をかたどった海の幸、山の幸。鯛の大きなものですと、直径60cmほどにもなるそうです。
作り方も大きく違います。コンペイトウは、砂糖液を核となる粒に少量ずつかけて、外へ外へと大きくしていきます。対して『金花糖』は、砂糖液を「割り型」に流し込み、余分な液をナベに戻した上で乾燥させて土台を作ります。ですから、コンペイトウは中が詰まっているのに対し、『金花糖』は中が空洞なのです。白色の土台を型から出した後、絵筆で彩色して鮮やかに仕上げる点も『金花糖』の特徴と言えるでしょう。

木型から白色の土台を外す作業は慎重に行われます   画像:まんねん堂Webサイトより
木型から白色の土台を外す作業は慎重に行われます   画像:まんねん堂Webサイトより

加賀藩における『金花糖』

『金花糖』は、16世紀末に長崎に輸入されたポルトガルの有平糖(ありへいとう)が起源だと言われています。当時は、外国から持ち込まれた貴重な砂糖を用いて作られた「高価なお菓子」であったと考えられます。長崎から伝わった『金花糖』が、現在の金沢を含む加賀藩で作られるようになったのは、江戸も末期。加賀藩13代藩主前田斉泰(なりやす)の頃だそうです。
『金花糖』を作る道具にも加賀藩の文化が結集しています。「ナベ」は高岡銅器の鋳造技術、桜の木から作る「割り型」は井波(いなみ)彫刻の技術が使われていました。金花糖専門店まんねん堂のページには、「例えば鯛の木型には鱗やヒレが美しく刻まれており、ピンと反った尾びれにまるで生きているような躍動感を感じます。」との記述が。型だけを見ても芸術品と呼べる代物なのですね。やはり上等な『金花糖』作りに必要なのは、上等な道具、といったところでしょうか。

鯛の木型 ~細部まで美しい彫刻の技術~   画像:まんねん堂Webサイトより
鯛の木型 ~細部まで美しい彫刻の技術~   画像:まんねん堂Webサイトより

さぞかし甘いのでは?

『金花糖』の原材料は砂糖のみですが、砂糖液に空気を含ませるように撹拌していること、土台の中は空洞かつ薄くできているため、ポリポリかじって食べても美味しいのです。しかも、上質の砂糖を用いているので、ご家庭で一般に使われている砂糖の塊を口に入れた時とは全く異なる味わいです。それでも、余ってしまったときは、くだいてコーヒーに入れるなど、砂糖代わりに使います。ちょっと勿体ない気もしますが、煮物に入れることも珍しくありません。甘い物が苦手な方もお試しあれ。

いつまで手に入る?

飾ってかわいい、食べて美味しい金花糖。大変壊れやすいため、地方発送は行わず、店頭のみの販売としているお店も多い様です。季節限定販売、売切れ次第終了などと聞くと、「手に入るの?」と心配になりますが、4月上旬まで、あるいはもっと長く置いてあるというお店もあるようですから、金沢のお土産として、いかがでしょうか。

参考Webサイト:
加賀銘菓の越野:http://www.spacelan.ne.jp/~k.koshino/
まんねん堂:http://kinkato.com/