晴れやかな年明けから2週間が過ぎようとしています。
仕事や学校などの日常も戻り、そろそろ正月気分も終わりですね。
そんな頃にやってくるのが「小正月」です。
ちょっと地味な印象もありますが、実は古くから日本人の生活に深い関わりがある小正月の由来、行事、風習などをご紹介します。

旧暦ではこの日が「正月」だった!

明治のごく初期まで用いられていた旧暦(太陰太陽暦)では、1月15日は立春後の初の望月(もちづき=満月)にあたり、この日を「正月」としていました。
その名残りによって新暦(太陽暦)採用後も、元日から7日までを「大正月」、1月15日を「小正月」と呼ぶように。
厳密にいうと、日程は1月15日だけでなく「14日から16日までの3日間」「14日の日没から15日の日没まで」「その年の最初の満月の日」と諸説ありますが、いずれにしても「小正月」をもって、正月行事がすべて終わるとされています。
また、「大正月」が年神様やご先祖の迎える行事であるのに対して、「小正月」は豊作祈願などの農業に関する行事や家庭的な行事が多いのが特徴です。
加えて、大正月には「男正月」、小正月には「女正月」「花正月」の別名もあり、今も年末年始に多忙をきわめた女性をねぎらうため、小正月は女性たちがゆっくりできる日……にしている地方も多いそう。

年神様が煙に乗って天上に帰っていく火祭り

現代でも小正月に全国各地で広く行われているのが、「左義長」「とんど」「どんど焼き」(地方によって呼び名はいろいろ)と呼ばれる火祭りです。
火祭りの名前通り、門松、正月飾り、しめ飾り、書き初め、前年のお札などを神社や田んぼなどに集めて盛大に燃やす儀式ですが、この儀式には大正月にやってきた年神様が、その煙に乗って天上に帰っていく意味も込められています。さらに、その火で焼いたおやお団子を食べることは、無病息災や五穀豊穣の祈願にもつながっていました。
先に、小正月が「花正月」の別名をもつと説明しましたが、ある地域では、小正月に行われる豊作を祈る神事に、「餅花」と呼ばれる小さな餅や団子を木の枝に刺し
て飾る風習があり、そこから「花正月」の名が付いたという説もあります。

1月15日が「成人の日」になったわけ

法律上、一人前の大人として扱われる「成人」に達した人たちを祝う「成人の日」も、実は小正月と深い関係があります。
日本における「成人」の歴史は意外と浅く、敗戦に心くじかれた日本の新時代を担う若者を励まそうと1946年に始まった催しの「成年式」が、名を変えて広まったことが発端とされ、その2年後の48年に国民の祝日に制定。
しかしなぜ、全国各地の自治体で新成人を招いて開かれる「成人の式典」が、1月15日(豪雪地や郡部を除く)になったのでしょうか?
それは、古来から男子が成人になった証の儀式「元服」が、江戸時代まで1月15日に行われていたことに由来します。
ちなみに、現在一般的に広く使われている新暦(太陽暦)の場合、暦と満月の日が必ずしも合致しませんが、旧暦(太陰太陽暦)を用いていた明治5(1872)年まで、小正月の日は必ず満月と決まっていました。つまり、その年の初めての満月の日に、男子が大人の男性として特別なパワーをもらえるように……という意味が込められていたのです。

正月にまつわる風習や、その意義に思いを馳せてみよう

「成人の日」が定着するとともに小正月を知る人も少なくなり、2000年からは「成人の日」そのものも、1月の第2月曜日に変更。これでは、古来から受け継がれてきた風習の意味合いも薄れる一方ですね。
あわせて、無病息災を願って食べられる1月7日の「七草がゆ」の風習は、かろうじて今も受け継がれていますが、伊勢神宮や『土佐日記』(935年)にも記録が残る「小正月の朝食の小豆がゆ」も、1月15日に邪気を払う赤い色の食べ物である小豆を食べて、一年の健康を願って食べる行事食。千年以上の歴史をもつ薬膳食だけあり、きっと心と体にしみ渡るはず……。
デジタル社会の今だからこそ、古来から受け継がれる正月にまつわる風習や意義に思いを馳せながら、2015年の多幸を願ってみてはいかがでしょう。