松井 しましたね。マウンドに立って、初めにキャッチャーを見た時はすごく遠く感じました。
金村 プロのスカウトとか意識せえへんかった?
松井 全然しなかったです。抑えてやろうという思いだけでしたね。でも、普通しないんじゃないですか?
金村 俺はものすごく意識してたで。目立とうと思って投球練習の1球目をバックネットにぶつけたるって決めてたからな。
松井 メチャメチャですね。
金村 まあ結局、力みすぎてバックネットまで届かんかったけどな。
松井 金村さんの時は槙原寛己さん(大府)も出場してましたよね。やはり意識してたんですか?
金村 めちゃくちゃ意識してた。春の選抜大会で逆立ちしてもかなわないような140キロ台後半のストレートを投げてな。絶対に負けたくなかったから俺もストレートばっかり投げた。
松井 全部ストレート?
金村 でも、途中で槙原には負けたなって悟って、3回から変化球ばっか投げたった(笑い)。夏の甲子園大会では工藤公康(名古屋電気、現・愛工大名電)もすごかった。
松井 僕の場合は岡島秀樹(東山)でしたね。えぐいカーブ投げてましたからね。
金村 いや、そりゃ工藤のカーブのほうがすごいで。俺はその工藤から4打数で3安打してるからな。
松井 工藤さんから?
金村 当たり前やん。投げて、打って、優勝してガッツポーズやで。
松井 この対談、僕、いらないでしょう(笑い)。
金村 同じ大会に出た同級生に対しては、プロに行ってからも特別なライバル意識があった。そいつらの年俸をチェックしたりしてな。そういう意味では、甲子園は野球人生の原点。稼頭央は高校野球よりもプロに入ってから伸びた選手やな。
松井 やっぱり高校野球の3年間があったからですよ。ケガばっかりして、普通だったらふて腐れても仕方ないのに、中村監督はそうならないように「センターを守ってみるか」と気遣ってくれて、なんとか試合に向けて前向きな気持ちを保てるようにしてくれました。
金村 ええ監督やな。素質を見抜いてたんやろな。
松井 中村監督からは、今でもたまにアドバイスをいただいています。
金村 高校野球は指導者しだいでいかようにも変わる。絶対服従の世界やもんな。
松井 監督だけじゃなくて先輩からの"愛のムチ"もあったし、不条理な練習もいっぱいありましたよね。
金村 膝が悪くなるのにうさぎ跳びをやらされたり、水分補給を禁止されたりな。
松井 それでも、あの3年間は"財産"ですよね。
金村 いまの高校球児たちには、甲子園に出られなくても、高校野球は甲子園だけじゃないという思いで3年間、頑張ってほしい。
松井 たとえ、高校野球を卒業した後の人生に苦難があっても、あの3年間をやり遂げたのなら大丈夫。
金村 その一方で「甲子園優勝投手はプロでは大成しない」とも言われる。くれぐれも、勘違いして天狗にならんようにせないかん。
松井 経験者からのアドバイスですか?
金村 そのとおりや(笑い)。 (構成 本誌・竹内良介)
かねむら・よしあき 1963年生まれ。兵庫県出身。81年、報徳学園のエースとして春夏連続で甲子園に出場。夏は兵庫大会から決勝まで全試合完投して全国制覇。82年、近鉄に入団。中日、西武を経て99年に現役を引退した。現在は野球解説者。プロでの通算成績は打率.258、127本塁打、487打点
まつい・かずお 1975年生まれ。大阪府出身。91年、PL学園に入学。2年生エースとして春の甲子園に出場。94年、西武に入団。3年目にリーグ2位の50盗塁を記録。2004年、米ニューヨーク・メッツへ移籍。11年に東北楽天へ移籍して日本球界に復帰した