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    皇后雅子さま 赤十字大会で「うっかり」ハプニングと衣装のリメイクが意味すること

     5月19日、皇后雅子さまが全国赤十字大会に出席した。単独の皇居外での公務は2019年8月のナイチンゲール記章授与式に出席して以来、2年9カ月ぶりであった。ご体調も良く、この日、とびきりの笑顔を見せた雅子さま。実は、雅子さまは衣装をリメイクすることも多いのだ。 *  *  * 「私の娘の愛子と同じ年の21歳ですよね。すごくしっかりしていますね」 「あ、オハイオ州!」   雅子さまは会場を出る際、奉迎に立った青少年赤十字卒業生奉仕団の大学生らの緊張を解こうとするかのように、和やかなムードで話しかけた。  19日、渋谷区の明治神宮会館で全国赤十字大会が3年ぶりに開催された。日本赤十字社の名誉総裁を務める雅子さまは、副総裁の紀子さまや他の妃殿下とともに出席した。 ■体調の好調ぶりが伝わる場面が何度も  日本赤十字社と皇后のつながりは深い。  1912年に明治天皇の皇后であった昭憲皇太后は、赤十字の活動のために現在の3億5千万円相当にあたる10万円を寄付した。これにより「昭憲皇太后基金」が設立された。  第一次世界大戦の勃発が迫るなかで、各国の赤十字社は戦場での救護に追われていた。加えて地震や台風、火災などの自然災害の脅威にもさらされるなかでの国際基金の設立は画期的なことであった。この基金は現在も、世界中の赤十字の活動に使われている。  1947年には、香淳皇后が日本赤十字社の名誉総裁に就任。以来、歴代皇后がその役を務める。  皇后の重要な公務のひとつであり、雅子さまが皇居の外で単独で務める公務としては、2年9カ月ぶりだった。  この日は体調の良さが伝わる場面が何度もあった。  記事冒頭の写真は、追っかけ大学生の阿部満幹さんが帰路につく雅子さまを撮影した一枚だ。注目したいのは、雅子さまがしっかりとカメラ目線であることだ。  体調の悪いときは、人の視線を避けることが多かった。「最近は、しっかりと目線を合わせてくださいます。僕も、カメラ目線の写真を撮影できる機会が増えました。この日は晴天に恵まれて、大洋の日差しがちょうどスポットライトのように皇后さまを照らしていました。なにより、笑顔は自信に満ちていらしゃいました」  大会では皇后が日赤の事業に貢献した13名に有功章を授与する。久しぶりの単独公務で雅子さまも緊張していたのだろうか。 ■「うっかり!」ハプニングの皇后雅子さま  こんなシーンもあった。  受章者はまず壇上で一礼して、さらに名誉総裁である皇后雅子さまの前に一礼したのち授与される。  1人目の受章者が、雅子さまの前に歩を進めた。ところが、受章者が2度目の礼をする前に、雅子さまが有功章を渡しかけてしまうというハプニングも。  5人目の受章者は、車椅子で壇上に上がった。雅子さまが、身体をかがめて視線を合わせながら授与するその姿は、国民とともに歩んだ平成の皇室を彷彿とさせた。  この全国赤十字大会で名誉総裁を務める皇后は、平成の時代から白を貴重に紺などのブルー系の差し色が入ったスーツを着ることが多い。名誉総裁の皇后や名誉副総裁に就く皇族妃は、赤十字社の赤色の紀章を胸に付ける。紀章が目立つようにとの配慮だと思われる。  2019年5月に催された前回の大会のときも雅子さまは、白を基調に紺のアクセントが入ったスーツを着こなしている。  令和皇室の色がにじむのは、この日の雅子さまの着こなしだ。  この日、追っかけで集まった皇室ファンの間でも、「雅子さまのスーツは新調されたものでは?」と話題になっていた。その通り、スーツは新調されている。  しかし、帽子はリメイクだ。  事情を知る関係者がこう話す。 「皇后さまのスーツの襟と袖口とポケットには、夏らしく紺のオーガンジーの素材が使われています。同じ紺のオーガンジー生地を二重に重ねて、前からお使いになっていた帽子のリボンの部分を張り替えて、今回は着用されました。皇太子妃時代から、リメイクなさることは少なくないのです」  リメイクといえば、昨年12月に二十歳の成年を迎えた愛子さまは、ティアラを新調せず、叔母の黒田清子さんのティアラを借りて成年の儀式に臨んだ。サイズを合わせるために多少の手直しは、必要だったと思われる。  コロナ禍で厳しい生活を送る国民に配慮し、両陛下と相談して決めたと公表され、海外紙なども「思慮深いプリンセス」と令和の天皇ご一家を絶賛した。  皇后雅子さまと内親王の愛子さまが国民の生活に心を寄せた結果、意識的に衣装などのリメイクをなさっている部分もあるだろう。 「たしかに、お持ちの衣装をきれいに大切にお使いです。リメイクされることも少なくありません」  天皇ご一家を知る関係者はそう話すが、一方で、別の理由もあると言う。 ■オーダーメイドに耐えうる皇族方の体力  天皇や皇族方が公務で着用する衣装は、オーダーメイドでデザイナーが仕立てる。そのためには、採寸や仮縫いなどに要する時間もあり、発注するご本人も体力が必要だ。  雅子さまは、まだご体調に波があり、オーダーで仕立てるのが難しい時期もあった。また、公務への出席がギリギリまで判明しないため、長い間、新しい衣装を作らず、昔の衣装のサイズ直しをしたり軽いリフォームを施して着用することも少なくなかった。 「その意味では、今回スーツをオーダーなさったのは、ご体調がよい状況が続いた証しですね」(宮内庁関係者)  大会が終わり、会場となった渋谷区の明治神宮会館を出発した。車から手をふる雅子さまは、ひと目姿を見ようと集まった人びとに、とびきりの笑顔を見せた。 (AERAdot.編集部・永井貴子)

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    22時間前

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    ヤクルト内川聖一ここまで出番なし 同じ“アラフォー2人”と対照的に苦しい立場に

     ヤクルトの内川聖一に出番が回ってこない状況が続いている。同じ“アラフォー”である先発左腕の石川雅規、外野手の青木宣親はチームに欠かせない存在となっているのとは対照的だ。球史に残る安打製造機はこのままバットを置いてしまうのだろうか……。 「DeNA戦の雨天中止は大きい。(仮に内川が今年で引退したら)最後に神宮で古巣との対戦が実現できる可能性が出てきた。シーズン終盤、満員御礼になってテレビ中継も数字が期待できそう。そこでヤクルトが優勝争いに絡んでいれば最高です」(在京テレビ局スポーツ担当者)  4月29日から神宮で予定されていたヤクルトとDeNAの連戦は3試合中2試合が雨天中止となった。コロナ禍の中ではあるが、観客の人数制限などが解除され迎えたゴールデンウィーク。書き入れ時の水入りに本来は頭が痛いところだが、関係各所からはこんな声が聞こえてきた。  打撃技術は天才とも称される内川だがここ数年は苦しんでいる。ソフトバンクでの最後のシーズンとなった2020年には二軍で3割を超える打率を残したが、キャリアで初めて一軍での出場なくシーズンが終了。昨シーズンはヤクルトに移籍して再起を誓ったが、一軍では38試合で打率.208と低迷し、日本一となったチームの中で存在感を示すことができなかった。  今季もここまで一軍での出場はないが、08年の横浜時代に右打者としてはシーズン最高となる打率.378で首位打者を獲得し、2000本安打も達成した39歳の“レジェンド”は技術的にはまだまだできる余力を残しているはずだ。 「ミート力など技術的な部分の問題はない。年齢的な衰えや視力の低下も心配されるが、ある程度は技術でカバーできる。出場機会が与えられないことが問題。メンタル部分の波があることが知られているので、一軍のベンチに入れにくい部分もあるのかもしれない」(在京球団編成担当者) 「二軍戦には継続的に出場して打率(.270)も悪くはない。コンディションは良さそうですが一軍に呼ばれる気配はない。高津臣吾監督は調子の良い若手を起用するため、誰もが必死にやっている。チーム一丸の姿勢が首位争いにつながっている中、無理して内川を呼ぶ必要はないのでしょう」(ヤクルト担当記者)  対照的に40歳を超えても試合に出場し続け、チームで貴重な存在となっているのが石川、青木という2人の大ベテランだ。  石川は42歳で迎えた今季も開幕からローテーションを守っている。3度目の先発となった4月23日の阪神戦(神宮)ではシーズン初勝利を挙げ、通算の勝利数を178まで伸ばした。大卒の新人として入団してから21年連続で勝利でマークし、通算200勝という大記録も見えてきた。 「一般人と変わらない体格(身長167cm、体重73kg)でここまでやっているのがすごい。とにかく練習熱心で研究を怠らない。練習から戻ってくるのも最後の時が多く記者などは待ちくたびれる人もいる。投手だけでなく野手にも貪欲に質問して取り入れられるものを探している。実績あるベテランなのに若手に対して偉そうな態度を取ることがないのもすごい」(ヤクルト球団関係者)  不惑の40歳を迎えた青木も存在感は変わらない。打撃は開幕から調子が上がらず打率2割を切ることもあったが、少しずつ持ち返してきた。4月30日のDeNA戦(神宮)ではNPB通算1500試合出場を達成し、レジェンドに相応しい勲章がまた1つ加わった。 「淡々と準備をして試合に臨む姿には、学ぶところも多いです。尊敬するイチロー選手もそうでしたが達観した域にたどり着いたように見える。自身の調子が悪くチームの雰囲気も下がり気味の時に丸刈りにするなど、自分からネタになって盛り上げたりもしてくれる。野球の技術はもちろん、そういう姿勢がチームに好影響を与えています」(ヤクルト球団関係者)  若きエース奥川恭伸が上半身のコンディション不良で離脱し、復帰時期が未定。来日2年目の助っ人サンタナは開幕から好調を維持していたが、左半月板のクリーニング手術のため長期離脱となった。投打の主力が相次いで離脱する非常事態が起こったが石川、青木の踏ん張りがチームを支えている。本来なら内川もこの中に入らなければいけないはずの選手だが……。 「内川の実績も2人(石川、青木)に負けていない。本人のモチベーション次第ではプレー以外でもできることもあるはず。仮に今季限りだったとしても惜しまれながら注目を浴びた状態で最後まで走り抜けて欲しい」(在京テレビ局スポーツ担当者)  両リーグでの首位打者だけでなく、侍ジャパンの一員として世界一にも貢献。日本球界で一時代を築いた名選手であることに間違いはない。しかし現役晩年は苦しむ姿が目立つようになった。だが、華々しい引き際を見せ、記録と記憶の両方に残る選手になって欲しい。そのためには野球選手として、ここからのプレーや振る舞いには大いに注目したい。時代は変わり40歳という年齢でも一線でプレーできるような時代にもなった。内川の天才的打撃をまだ見たいというファンは多いはずだ。

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    佳子さまの装いは「満点以上」とマナー解説者が絶賛 耳を出したハーフアップにした理由とは

     森林づくりの功労者を表彰する「第31回森と花の祭典―みどりの感謝祭式典 “感じよう みどりの恵みと 木のぬくもり” 」の式典が7日、東京都千代田区で行われ、秋篠宮家の次女・佳子さまが出席された。前回は姉の小室眞子さんが出席し、コロナ禍で3年ぶりの式典となった今回は佳子さまが初めて臨まれた。そのときの佳子さまの装いが「壇上のフラワーアレンジメントとマッチしてすごい!」という。 *  *  *  写真を見れば一目瞭然、その日の佳子さまの装いは、まさに「華」があった。 「グリーンがベースでピンクと白い花柄の刺繍があしらわれたセットアップに、同系色のノーカラージャケットを羽織られていました。足元はベージュのパンプス、手元には小ぶりのベージュのクラッチバックと白の手袋をお持ちになっていました。髪型は耳をしっかり出し、後ろでまとめたハーフアップにパールのイヤリングにパールのネックレスをされていました」(皇室記者)  この装いと身だしなみを「満点以上の高得点」と絶賛するのは大手企業のマナーコンサルティングを長年務めるマナー解説者の西出ひろ子さん。西出さんがまず挙げるのが髪型だ。 「まず髪型ですがハーフアップにしていらっしゃって、耳を出すというのは、すっきりときちんとした印象になるのと、おじぎをしたときに髪が顔にかかることがない。だらりと髪の毛が顔にかかるのは、清楚感や清潔感に欠けると思う方もいるのでハーフアップというのはとても大事ですね」  続けて、その装いも素晴らしいと言う。 「お若い方がカチッとしたフォーマルを着てしまうと年齢よりもかなり老けて見えたり、服に着られてしまう感じになるのをレースの花柄のモチーフのセットアップが解消しています。とても、可愛らしく、でもきちんとした印象もある素敵なフォーマルの装いだと思いました。また、ピンクにグリーンの差し色もあり、“みどりの感謝祭”への気持ちを表すのにぴったりです」(西出さん)  さらに、西出さんが感心したポイントが靴とバッグの色選び。 「一番感心したのはパンプスとバッグの色を同色にしていること。これは、フォーマルなマナーで重視されていることです。基本的なことですが、あまり浸透していないことなので、佳子さまはさすがだと思いました。足元にベージュを選ばれているのも素晴らしい。全体的な色味から黒い靴や茶色の靴は合わせないと思いますが、今回の佳子さまのような淡い色の服に黒い靴を合わせている方も正直多いです。統一感のあるベージュになさっていることで高得点過ぎるといいますか、身だしなみというマナーにおいて満点以上の着こなしです!」(西出さん)  さらに、佳子さまは、式典の壇上にある花も味方に付けていた。 「ステージに飾られた生花が佳子さまのジャケットの下のセットアップの色合いに合わせられたようでした」(皇室記者)  1枚目の写真が生花を背にした佳子さまだが、たしかに「華」がある。ここ数年、秋篠宮家と言えば眞子さんの話題ばかり取り上げられることとなってしまったが、佳子さまのファッションから紐解くとしっかり大人の階段を上っているようだ。年代を追って振り返ってみる。 【1】姉妹でお揃いコーデが定番だった 2007年8月31日、佳子さまと遊ぶ、もうすぐ1歳をむかえられる悠仁さま。この時12歳の佳子さまは眞子さま(当時)と似た感じのジャケットスタイルで初々しい。佳子さまがもっと幼い頃は姉妹で全身同じコーデだったり、色違いのワンピースだった。 【2】佳子さまのファッションに変化が! 2007年御用邸近くの葉山しおさい公園を訪れ、日本庭園の池の鯉に餌を与え楽しげな佳子さまと眞子さま(当時)。この頃から、姉妹お揃いからは卒業!? 真っ白なダウンにミニスカート、足元はボアブーツで。姉の眞子さまのセーターがトラディショナルなアーガイル柄のタートルなのに対し、妹・佳子さまは襟元ゆったりなタートルが対照的。 【3】グッとおしゃれ度が増しカジュアル路線に 2012年9月6日で6歳になった秋篠宮家の長男・悠仁さまと眞子さま(当時)と佳子さま。この年に大流行したダンガリーシャツにパッチワークのワンピースを合わせたスタイル。ダンガリーシャツは裾を結んでご自分なりのアレンジをきかせている。当時は、赤文字系ファッション誌できれいめファッションが取り上げられた最後の年で、その後、ナチュラル・カジュアルへ転換していったのがこの頃。 【4】同じ入学式スタイルでもこんなに違う 左は2013年4月学習院大学文学部教育学科へ入学式に向かう佳子さま。右は2015年、前年にAO入試で合格した国際基督教大学教養学部アーツ・サイエンス学科の入学の1枚。スーツは同じだが、高校卒業後すぐの入学式とその2年後、真っ黒ストレートヘアから少し明るい髪色でふんわり毛先を遊ばせたスタイルに変身している。 【5】母と娘たちコートの着こなしも様々 2017年2月28日ベトナムへ出発する天皇、皇后両陛下(当時)を見送る紀子さま、眞子さま(当時)、佳子さまは3者3様のコートスタイル。佳子さまはダブルブレストコートでウエストに切り返しがあり脚長効果も。つばがやや広めのしっかりした帽子で小顔効果もありスタイルよく見える。 【6】真っ白なワンピーススーツで外国訪問へ 2019年9月15日オーストリアとハンガリーを公式訪問するため、羽田空港を出発する秋篠宮家の次女佳子さま。光沢のある真っ白なワンピーススーツで清楚な感じもしつつ、程よいフレアスカートでかっちり過ぎず23歳らしいフレッシュな印象に。よく見るとストッキングもナチュラルベージュではなく光沢がある白っぽいものにしていて、そのコーデは完璧過ぎる! 【7】アイテムのチョイスが絶妙 2019年12月の25歳のお誕生日前に公開された秋篠宮邸の庭を散策する佳子さま。佳子さまが着ているダッフルコートと言えば紺色かキャメルカラーが定番。それを鮮やかなスカイブルーで、しかもショート丈のチョイスはかなりのオシャレ上級者!? 写真では見えにくいがワイドパンツとのコーデをしていて年齢相応の大人カワイイも演出。 【8】「姉が主役」のため落ち着いた装い 2021年10月26日眞子さま(当時)を見送る秋篠宮ご夫妻と佳子さま。あまりに有名になってしまった姉妹のしばしのお別れのシーンだが、嫁ぐ姉に寄り添う佳子さまはグッとシックな装い。「この日は姉が主役」とTPOをわきまえられた気持ちの表れも感じられる。  前出の西出さんは、着こなしにはTPOをわきまえることの大切さを指摘する。 「身だしなみや服装において、一般的に大事なことはTPOです。私はマナーの専門家として“P”をさらに2つ加えていてTPPPOと言っております。TはTIME(時間)、PはPLACE(場所)、私が加えるPの一つ目はPERSON(人)。どんな人と一緒にいるか、どんな相手と接するのかによって服装や身だしなみが変わります。もう一つのPはPOSITION(立場)です。例えば、結婚式の服装で言うと、親族なのか友人なのか立場で変わりますよね。この2つのPがとても大事なのかなと思っています。佳子さまの今回の式典の話しに戻すと、今回の“みどりの感謝祭”というのは、樹木や草花を大切にしていく気持ちが、しっかり服装に表れていたなと思いました」(西出さん)  佳子さまの今回の装いを見ても、ファッションの変遷をたどってみてもなかなかの上級者なのかもしれない。(AERAdot.編集部・太田裕子)

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    「アラサーちゃん」作者・峰なゆかが描く“ぶっちゃけすぎ妊婦ライフ”

    ドラマ化もされた人気漫画『アラサーちゃん』の著者である峰なゆかさんが、異色の「育児漫画」を出版した。峰さんの妊婦時代の経験から、誰も書けなかった本音を赤裸々に描いた『わが子ちゃん』(扶桑社)は、これまでの育児漫画とは一線を画した意欲作だ。慈悲と優しさにあふれた「聖母」のような妊婦像を押し付けてくる社会に対して、ウィットに富んだ毒を含む表現を駆使しながらあらがい、本音で生きようとする「妊婦・峰なゆか」の姿は痛快ですらある。著者本人に、数々のエピソードの裏話を聞いた。 *  *  * 取材場所のカフェに現れた峰さんは、トレードマークだった黒髪のロングヘアを鮮やかなピンクアッシュに染めていた。その理由を聞くと、 「小さい子どもがいると、無遠慮に話しかけてくる人が多くて、それがイヤなんですよ。髪を派手にすれば話しかけられないと思って染めたんですけど、効果てきめんでした」  育児中の女性に“あるある”の悩みを吐露しながらも、ユーモラスな返しが、いかにも峰さんらしい。  4月に出版した『わが子ちゃん』(1巻)では、峰さんの妊娠から出産前までが描かれている。世間から押し付けられる妊婦のイメージや“正しい”とされる妊婦マインドをことごとく蹴散らし、独特の表現で女性の「本音」をつづった。  執筆は出産したその日からスタートさせたという。 「みんなが『産んだら(妊娠中の苦労や)痛みを忘れちゃうよ』と言うので、忘れないうちに書かなきゃと思い、産んだ30分後にはiPadを開いてメモしていました。私の場合、妊娠中からつわりがひどくて、これを漫画にしてお金に変えないとやってられないな、と思っていたんです」  作品には妊婦の心の内を赤裸々に描いた場面が数多くあるが、序盤から、表立っては語られづらい「流産」についても触れている。妊娠初期で流産する確率は約15%もあることを踏まえたうえで、これをおなかに銃口を向けられた「ロシアンルーレットと同じ確率」(6分の1)と表現した。 「本当に流産した人が見た時にどう思うのかな、などいろいろ考えました。でも、妊娠初期は肉体的なつらさだけではなく、流産するかもしれないという精神的な不安はかなり大きいんです。誰もがそう感じているはずなのに、でも、みんな書かない。だから伝わりやすく描く必要があると思ったんです」  もしも流産した時に自身の心が壊れないように、妊娠初期は胎児に愛情を持たないようにしていたことも描いた。 「中には『母親としての自覚がない』と怒る人がいるかもしれません。でも、読者の方からは『わかる!』という反応が多くて、みんな同じような心境だったことが改めてわかりました」  安定期に入る前は「食べづわり」に悩まされた。街中で路地に隠れておにぎりをほおばったり、カップ麺を作るお湯が沸く時間すら待てずに硬い麺を食べたりしたことも。その姿を見たパートナーの「チャラヒゲ」からは、「妊婦さんは2人分食べなきゃね」と励まされたが、これに峰さんの心はざわつく。 「その時は妊娠7週目で、胎児はまだ1センチほどですよ。なのに2人分食べなきゃね、なんてありえないでしょう。食べたら吐いてしまうつわりは心配されるのに、『食べづわり』は、食欲旺盛で元気なだけ、と思われがちなので、そのつらさが周囲に伝わりにくいことを痛感しました」  そんなつらい日々のなかでも、たまに「食べづわり」がこない日があると、今度は胎児がおなかの中で亡くなっているのではないかという不安に襲われた。 「産婦人科に行って『死んでいるかもしれないので診てください』なんて言うのは気まずいし、先生には言いにくいですよね。不安になってすぐ診てもらいたいというときでも、病院に行くのも時間がかかるし、予約が埋まっていれば診てもらえるかもわからないし。将来的には、エコーの機械が自動販売機みたいに街中に設置してあって、500円入れたら、すぐに胎児の心音が聞けるような世の中になったらいいのにと思います」  育児雑誌や自治体のパンフレットに掲載されている“常識”も、峰さんとっては違和感だらけだった。たとえば「授乳はママにしかできません」「パパはできることを手伝いましょう」などの記述は、当然のように母親と父親の役割を決めつけるものだと感じていた。作品では、「チャラヒゲ」に育児雑誌の記事を読ませて不適切な箇所を添削させる、という場面が出てくるが、このエピソードは読者からとても反響が大きかったという。 「母乳の生産はできなくても、(搾乳をしたり、粉ミルクを用意したりすれば)授乳自体は父親にもできます。本当に間違った情報がたくさん載っているんですが、今でもそれを目にする度に赤ペンで直したくなります(笑)」 「アラサーちゃん」を執筆していた時は、昼夜逆転の生活だったというが、“わが子ちゃん”が産まれてからは、夜9時には寝るのが習慣になった。 「わが子ちゃん(現在2歳)が、保育園に行っている間しか仕事ができない状況になってからは、その時間で集中して書くようになりました。独身時代は1日1時間半くらいしか書いていなかったので、逆に仕事する時間は長くなりましたね(笑)」 「わが子ちゃん」には、妊婦体験をした男性の安易な共感への批判や、妊婦がおじさんからいかに「なめられているか」を痛感した体験など、他では読めないエピソードが満載だ。女性が共感できるのはもちろん、男性は女性の本音を探る参考書としても使えるかもしれない。(AERA dot.編集部 岩下明日香)

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    19時間前

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    山口祐一郎「きっかけは4番目の父親」 歌の才能を見抜かれ

     1981年に「劇団四季」の「ジーザス・クライスト=スーパースター」で主演デビューした山口祐一郎さん。退団後も大作に出演し続け、「ミュージカル界の帝王」と呼ばれる山口さんが、作家・林真理子さんと対談。生い立ち、この道に進んだきっかけなど、「ここだけの話」がいっぱいです。 *  *  * 林:こんな素敵な山口さんをお産みになったお母さま、すごくきれいな方なんですってね。 山口:きれい、に近い(笑)。 林:お顔はお母さまに似てるんですか。男の子はお母さんに似るっていうから。 山口:でも僕、父親と母親が5人いるんですよ。 林:えっ、5人いらっしゃる? 山口:DNAは、もちろん1番目の両親なんですけど、その後親がどんどん代わっていきまして……。最初の父親と母親は鹿児島の同じ高校の先輩後輩だったんですよ。父親は野球部で、その年のホームラン王。もう1回勝ったら甲子園に行けたのに、負けて行けなくて、その1年後輩が母親だったんです。父親は東京六大学で野球を始めたんですけど、祖父に「野球選手にさせるために大学に行かせたんじゃない」と言われて野球をやめさせられちゃって、ふつうの学生をやってたんですよ。母親のほうは映画のニューフェースに受かって、1年後に東京に出てきて、文学座の研究生になったんです。 林:まあ、そうなんですか。 山口:元野球部の大学生と、文学座に通っている女優の卵が、参宮橋の小さなアパートで一緒に住んだら、そこは劇団四季の稽古場から100メートルぐらいしか離れていない場所で……。 林:私、そのすぐ近くに住んでたんですよ。駅前のカレー屋の2階に住んでたんです。 山口:えっ、ほんとに? 林:「ザ・ベストテン」で「追っかけマン」が「きょうは劇団四季の稽古場からの中継で、野口五郎さんが歌います」と言ったので、そのとき私、こたつで見てたんだけど、すっごい勢いで駆けだして行ったの覚えてますよ(笑)。 山口:劇団四季の稽古場って、当時は外からの音も聞こえるくらいでしたからね。そうそう、その参宮橋で両親が一緒に暮らしていて、父親が大学を卒業するときに山口祐一郎クンが生まれたんですよ。でも、祖父は鹿児島で土木関係の会社を経営していた人。父親はそこの跡取りだから、「大学を卒業したとたんに子どもだなんて、このバカヤロー! アメリカの大学に行ってこい!」と言われちゃった。それで、父親はひとりで、カリフォルニア大学のバークレー校に留学させられたんです。 林:当時はすごいことですよね。 山口:それからもいろいろとあって両親ともどんどん代わって、それで5人。ミュージカルを始めるきっかけになったのは音大を出た4番目の父親でした。実は僕が高校生のときに、その人が僕の声を聞いて「ちょっと声を出してみな」って言うんです。学生のときは剣道ばっかりでしたから、歌なんか一度も歌ったことはなくて。剣道で「ウワー」って掛け声はずっと出してましたけどね。そう言われて声を出したら「すごい! 歌やれよ。そんな“楽器”めったにない」って言われたんです。 林:ええ、ええ。 山口:じゃあやってみようかと思って、そのころ岩崎宏美さんが出ていたテレビの番組があったんです。そこに応募して受かったら仕事にしよう、落ちたらサラリーマンになろうと思ったんですけど、応募して一回歌ったら受かっちゃったんですよ。 林:すごい。 山口:受かったら、そのテレビ局が音楽の学校に行かせてくれるんですが、そこの音楽の先生が劇団四季の作曲をされていて。その方が「ミュージカルのほうに行きなさい」とおっしゃって、浅利(慶太)先生のところに連れていってくれたんです。 林:まあ、そうだったんですか。私、劇団四季の「キャッツ」の初演(1983年)見ましたよ。山口さん、ラム・タム・タガーをやったんですよね。私、そのときお手洗いに行ったら、私に気づいた若い女の子が「山口祐一郎さんステキでしょう? 林さんのいちばんのタイプだと思いますよ」ってコーフンして言うんです。それで私は「山口祐一郎さん」というお名前を知ったんです。 山口:ありがとうございます。 林:ところで、最初のご両親は、まだご健在なんですか。 山口:いや、コロナの前に父親も母親も亡くなりました。 林:私、どういうわけか、劇場のお手洗いに行くと山口祐一郎さんの情報をファンの人が教えてくれるんですよ(笑)。いつかも「山口さんは、お母さんがあまりにも素敵すぎて結婚なさらないんですよ」という話を聞きました。 山口:さっきも言ったように、父親も母親も5人でしょう。「社会通念上のシステムに拘束される現代人って何なんだろう」みたいなことが自動的に教育されちゃったんですよね。「形じゃないんじゃない?」みたいなことが。 林:なるほど……。でも、いろんなことが落ち着いて、いまから結婚してお子さんをつくるのもいいかもしれない。 山口:今年僕、66歳ですよ。いまさら子どもは……。弟も妹もいっぱいいますしね。僕ってプライベートがないんです。「どこそこの劇場にいる」って常に告知されて、そこに行くと僕がいるから、僕の知らない弟たち、妹たちが、「お兄さん」って言って来るんですよ。あるタイミングから僕、自分の実人生がなくなって。僕が過ごしてきたのは、全部舞台の上。死神とかヴァンパイアとか、人じゃない役を演じたこともたくさんあるわけですが、そんな虚構の世界が自分の人生なんです。自分の夢が現実になり、現実になった夢の中に生きているという感じでしょうか。 林:それはこういう容姿と才能に恵まれた人の運命ですね。 >>【前編】ミュージカル界の帝王・山口祐一郎を鼓舞させた“医療関係者からの手紙” (構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木俊雄)※週刊朝日  2022年5月27日号より抜粋

    週刊朝日

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    帯津医師が“老害”に異議「老人全般に拡大してしまっている」

     西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一(おびつ・りょういち)氏。老化に身を任せながら、よりよく老いる「ナイス・エイジング」を説く。今回のテーマは「老害について」。 *  *  * 【魂の成熟】ポイント (1)「老害」といういやな言葉が使われることがある (2)老人が害になることって、本当にあるのだろうか (3)老化により本来、成熟する魂が害になるはずがない 「老害」という言葉があります。いやな言葉ですね。老人が害になるという意味でしょうか。  確かに、最近、高齢者が引き起こす交通事故がニュースになったりします。アクセルとブレーキを踏み間違えてしまうというのですから、これが老化によるものだとしたら、老害だといえます。そんな事態になる前に運転をやめるのは大事なことだと思います。  しかし、こうしたこと以外に老人が害になることって、あるのでしょうか。日々の診療で感じるのは、80歳以上の患者さんは、往々にして話が長いということです。話が止まらなくなることがよくあります。でも、これは迷惑というほどではありません。話が長いのは、その人の個性ですから尊重すべきです。  思い起こしてみると、私の父親も80歳を超えたころ、車を農道から田んぼに落として、これを機に運転免許証を返納しました。しかし、日常生活で老害など、とんでもなかったです。若いころの父は結構、怒りっぽくて、私が映画に夢中になって帰りが遅くなってしまったときには、殴られたりしました。でも、歳をとってからは、性格が円満になり、誰からも愛されました。私の母が亡くなり、一人暮らしになってからは、しばしば、私の病院にやってきて、私の部屋に入り、私の著書を小一時間、読んでは静かに帰っていくという、端正な振る舞いでした。  私と同様、晩酌が好きで、向こう三軒両隣のご近所さんが届けてくれるつまみで、毎晩、酒を楽しんでいました。そういえば、祖父も、よく1時間ぐらいかけて徒歩でわが家にやってきて、親父と酒を酌み交わしていました。ニコニコと盃を傾ける穏やかでやさしいおじいさんでしたね。  改めて、「老害」を広辞苑で調べてみると、 「(老人による害の意)硬直した考え方の高齢者が指導的立場を占め、組織の活力が失われること」  とあります。つまり、老害とは組織の中という、かなり限定されたところでの出来事のようです。低成長の時代に入り、日本の企業の活力低下が危惧されるなかで生まれてきた言葉ではないでしょうか。そんな言葉が老人全般に拡大して使われてしまっているように思います。そうなってしまうのは、老化に対するマイナスイメージが世の中に定着してしまっているからでしょう。私が敬愛する哲学者の池田晶子さんはこう書いています。 「ソクラテスは言いました。『人生の目的は魂の世話をすることである』。この世の時空においては絶対的な、老化と、そして死という現象をそれとして認め、受け容れることで、魂はその成熟と風味とを増します」(『死とは何か』毎日新聞出版)  老化によって本来、魂は成熟するのです。その成熟した魂が他人の害になるはずがありません。 帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)など著書多数。本誌連載をまとめた「ボケないヒント」(祥伝社黄金文庫)が発売中※週刊朝日  2022年5月27日号

    週刊朝日

    1時間前

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    インフレに強い資産を検証 「米国リート」が最も安定的、ゴールドは“ダークホース”

     キャッシュが強いデフレ時代は預貯金一辺倒でもよかったが、インフレが進むと実質価値が目減りしてしまう。資産を守る投資先を分析した。AERA 2022年5月23日号の「資産防衛」特集から紹介する。 *  *  *  インフレが進めば、デフレ時代とは正反対の対応が求められる。物価の上昇とともにキャッシュの価値が低下するので、日本円のまま預貯金にしておくのは最も危険だといえる。無論、盗難リスクもある“タンス預金”はもっての外だ。  仮に年10%の物価上昇が進んだとすれば、いま100万円の預貯金は1年後に実質90万円の価値に減ってしまう。残高(見た目の金額)には変化が生じないだけに恐ろしい。  日本人の金融資産は預貯金に偏重しているだけに、その一部を別のものにシフトさせておくのが無難だろう。ではインフレに強い資産とは何か。過去のデータから検証を行ったのがフィデリティ・インスティテュート首席研究員の重見吉徳さんだ。 ■米国リートが最も安定  まずはグラフ【1】を見てほしい。これは1972年を100として、今年2月までにおける(1)米国株(S&P500)、(2)不動産(米国リート=不動産投資信託)、(3)商品(コモディティー)、(4)ゴールド(金)のトータルリターン(収益)を比較したものだ。 「米国株や米国リートは長期的に右肩上がりを描いている一方で、商品やゴールドは下がったまま、長期間にわたって戻らない局面がありました。言い換えれば、米国株や米国リートなら70年代のようなスタグフレーション期を迎えたとしても、10年程度待てば大丈夫と言えるかもしれません」(重見さん)  商品とゴールドも消費者物価指数の上昇率を上回るリターンを残しているが、浮き沈みが激しいのが難点。運用の中核に据えるのは危ういと言えそうだ。  グラフ【2】は、四つの資産の70年代以降の実質リターン(物価変動を考慮した実績値)を各年代別に検証したものだ。 「商品やゴールドは実質リターンがマイナスとなって、インフレに勝てなかった年代もあります。その点、米国リートのリターンが最も安定的で、米国株が続いています」(同)  マネックス証券でマーケット・アナリストを務める益嶋裕さんも、次のような見解を示す。 「インフレに強いという観点からはもちろん、円安・ドル高に対するリスクヘッジ(危険回避)の側面から、資産の一部を米国株に投じるのも一考でしょう」  変動性の高さとは、いわば“両刃の剣”である。魅力を感じたとしても、商品やゴールドへの投入はごく一部の資金にとどめ、むやみに高いリスクを取らないのが肝心だ。そのスタンスに徹すれば、ポートフォリオ内の“ダークホース的存在”として妙味がある。金融・貴金属アナリストの亀井幸一郎さんが言う。 「本来、急激な金融引き締めはやってはならないこと。コロナ禍でドルをばらまきすぎたので、回収を急いでいるのが今のFRB(米連邦準備制度理事会)です。株式市場などへのインパクトは未知数で、その意味ではドルにも弱点が潜んでいます。ゴールドはインフレに強い実物資産であると同時に、世界共通の価値を有する無国籍通貨です。円からはもちろん、ドルからの避難先としても、ゴールドが脚光を浴びる可能性があります」 ■金には上値余地あり  ゴールドと言えば、すでにかなりの上昇を遂げたという印象を抱くかもしれない。もっとも、それは国内価格(円建て)の話だ。世界的な取引価格であるドル建て価格を円に換算すると、円安が進んだ分が上乗せされる結果となり、国内価格は史上最高値を何度も更新した。 「世界的にインフレはなかなか収束しないはずですし、ロシアへの経済制裁を機に、世界的なサプライチェーン(エネルギー資源などの調達網)の再構築が求められています。こうした情勢を踏まえれば、ドル建て価格も史上最高値を更新する可能性が高いでしょう」(亀井さん)  亀井さんによれば、第2次オイルショック直後の80年につけた1トロイオンス850ドルの高値は、その後の物価変動を踏まえた実質的な価値に換算すると約2800ドルに相当する。「現在2千ドルを切っているドル建て価格には、まだまだ上値余地があります」(同)  さて、重見さんの検証では最も安定的なリターンを達成していた米国リートの話が、すっかり後回しになってしまった。  日本国内の投資家が比較的気軽に資金を投じられるのは、米国リートのインデックス(市場全体の平均的な動き)に連動するETF(上場投資信託)や投資信託だろう。投資経験を踏まえた人なら、過去の実績などを参考に、より有望な米国リートの個別銘柄を厳選して運用するアクティブ型のファンドを選ぶのも手だ。(金融ジャーナリスト・大西洋平)※AERA 2022年5月23日号より抜粋

    AERA

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    ミュージカル界の帝王・山口祐一郎を鼓舞させた“医療関係者からの手紙”

    「ミュージカル界の帝王」、山口祐一郎さん。作家・林真理子さんとは長年のお付き合いということで、対談が始まるとすぐに、会話は大盛り上がりでした。 *  *  * 林:ご無沙汰しております。 山口:林さんとは、青春時代に楽しいひとときを過ごさせていただきました。 林:はい、だから私もお会いするのを楽しみにしていました。  今回、山口祐一郎さんがホストになって、縁のあるゲストの方々をお招きして、劇場に来たお客さんにトークと歌で楽しんでいただくイベント(「My Story,My Song ~and YOU~」5月19~22日 シアタークリエ)をなさるんですね。 山口:実は2年前に帝国劇場で、今まで初めての試みとしてトークショー(「My Story ─素敵な仲間たち─」)をおこなったんですよ。当時は今よりももっとミュージカルやコンサートなどに対する制限が厳しくって、集まって何かするものはすべて延期、中止という風潮だったんですよね。それでも「こういうつらいときだからこそ劇場に来たい」という方がたくさんいらっしゃるわけじゃないですか。 林:当時はいろんな舞台が中止になって、とても残念でしたよ。 山口:そうですよね。それで、「(コロナの状況で)稽古ができないのなら、歌なしでトークだけのショーにしよう」と考えて企画されたのが、帝劇の舞台機構を使って、奥にひそんでいる劇場そのものの魅力を前面に出したトークショーだったんです。裏方さん、大道具さん、照明さん、音響さんたちの力を総動員して、せり(舞台の床の一部が上下する装置)とか盆(床が回転する装置)も全部使って。 林:オーケストラとか歌は、そのときどうしたんですか? 山口:オーケストラもないし、歌もありません。そういうのができない状態でしたからね。 林:すごいですね。お客さん、たくさんいらしたんですか。 山口:満杯になりました。当時、コロナ禍ですでに医療現場が疲弊しきっていた時期だったのですが、そのトークショーのあと、僕、医療関係の方からお手紙をいただいたんですよ。「コロナになって1年、泣いたり笑ったりすることもありませんでしたが、劇場に来て山口さんの話を聞いていたら、泣いている自分に気づいて。そんな自分に、途中から笑っちゃいました」というんです。それを読んで、ああそうか、緊張したギリギリの状態で医療に励んでおられる方が、劇場に来てふと我に返れる瞬間があったんだな、と思ったんです。それから、「よし、チャンスがあったら何でもやろう」と思いました。 林:なるほど、そうやって勇気づけられた人がたくさんいたんですね。素晴らしいです。 山口:それで、その延長として開催されるのが、今回のシアタークリエのコンサートなんです。 林:(チラシを見ながら)1部が山口さんとゲストの方とのトーク、2部がミニコンサートで、皆さんでミュージカルナンバーを歌うわけですね。保坂知寿さんは私も存じ上げてますが、石川禅さんや上口耕平さんという方たちは……。 山口:今まで一緒に舞台に立ってきた皆さんです。いつも勇気やパワーはお客様やこの仲間たちからいただいています。コロナ禍を経て再会できて温かな気持ちでショーをお届けします。 林:これはインターネットで配信もなさるんですか? 山口:千秋楽の配信が決まりました。たとえば大学に入った若い人なんかは、「やった! 東京に来たぞ。バイトしながら学生生活を楽しむぞ」と思ったら、大学に行けなくて、授業もリモートばっかり、学生用の小さなワンルームに閉じ込められてるなんてこともあるわけじゃないですか。そんな人たちが、僕らのネット配信を見て「私ももうちょっと頑張ろう」と思ってくれたらそれでいいんです。 林:なるほど。それにしても山口さん、久しぶりにお目にかかったら、相変わらず背が高くて(186センチ)カッコいいですね。 山口:つい先日は、篠山紀信さんにプログラム用の撮影をしていただいたので、多少おなか周りなど、気にして毎日を過ごしていました。(ポスターを示し)これは帝劇の屋上です。 林:素敵じゃないですか! 篠山さん、やっぱりさすがですね。 山口:篠山さんは中学高校の先輩でして、初対面でしたが男子校の同窓会のようで、フレンドリーに撮影していただきました。ありがたいですね。こうやって撮っていただいた作品を見ると、新しいミュージカルのストーリーが生まれてきそうですね。 (構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木俊雄)※週刊朝日  2022年5月27日号より抜粋

    週刊朝日

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    雅子さまの外出公務をファン歴29年追っかけが久々に激写 沿道から「元気な顔をみれてよかった」

     天皇、皇后両陛下は18日、東京都千代田区のホテルで開かれた第16回「みどりの式典」に出席した。ホテル前の沿道には約10人の皇室追っかけたちが待っていて、記者もその中に交じって話を聞いた。  雅子さまと天皇陛下がやってきたのは午後4時頃。警備の男性が「もうすぐ、来られます」と声をかけてくれた。とたんに追っかけたちに緊張が走る。交通量の多い道路だったが、車がピタッとまったく通らなくなった。追っかけの中から「車が通らなくなったから来る」と声が上がる。「白バイが来た」と誰かが叫び、興奮は最高潮に。白バイに先導され、雅子さまの乗った黒塗りの車がやってきた。一瞬だったが、車内の雅子さまがこちらを見て、右手を上げたのが見えた。待っていた沿道の人たちは、それぞれがスマホやカメラで撮影を始めた。  天皇ご夫妻にとっては、上皇ご夫妻から引き継いだ公務。「みどりの日」(5月4日)について国民の関心と理解を促進するための内閣府主催の式典だ。会場内では、岸田文雄首相から、植物や森林などの緑を守り育てる研究や技術開発で功績のあった人に「みどりの学術賞」が授与された。今年は、龍谷大学龍谷エクステンションセンター顧問の岡田清孝氏と、京都大学大学院の北島薫教授が授賞した。  式典の最中、外の追っかけたちは、先ほどとは反対車線に移動し、警察官の指示のもと、工事現場にある赤い三角コーンと棒で急ごしらえした狭いスペースの中で待っていなければならなかった。そばには警察官の白い自転車が駐輪されていた。  雅子さまの帰りを待っていると、急に雨が降り出してきた。雨の中、傘をさして1時間半待ち続けた。薄着だったため、ぬれて寒い。都内からやって来たという女性はカメラは持たず、スマホで撮影していた。 「スマホで動画を撮っているんです。YouTubeにアップするのではなく、個人の楽しみです。今日は、雅子さまは緑の帽子に緑の洋服ですね。『みどりの式典』にちなんだからではないでしょうか」  雅子さまを追いかけ続けて29年の白滝富美子さん(81)は、「今日は正午に自宅を出て、バスと地下鉄を乗り換え、式典の2時間前の午後2時に到着しました。最初は皇居の乾門(いぬいもん)で待っていたら、警備の人から『ここからは(雅子さまは)出ないよ』と言われ、ホテル前に移動しました」と話す。  天皇皇后両陛下は、4月13日の「日本国際賞」に出席し、およそ8カ月ぶりに外出をともなう公務に出席した。「みどりの式典」は、今年2回目の外出公務だ。  白滝さんが、雅子さまをリアルに見たのは今年2回目だという。 「私はお正月以来よ。コロナの影響で、雅子さまが外出することが減ったんです。天皇陛下、雅子さまが即位してから、天皇誕生日と新年の一般参賀がすべて見送りになって、一度も実施していないから、かわいそうですよ」  この日沿道に集まったのは、およそ10人の追っかけたち。かなり少なめだという。 「雨だし、平日の月曜だから少ないんだと思います。これが晴れた日の祭日ならもっといます。私の周りの追っかけ主婦には『雅子さまのマスクがはずれたら行きたい』と言う人が多い。やっぱり、マスクをしていると、せっかくの雅子さまの表情が見えませんから。マスクなしのほうが価値は高いの。テレビ局の人が私に『貸してくれ』と言うのもマスクなしの写真ばかり」  皇室追っかけのベテランらしく、4月29日の「昭和の日」についてはこう語った。 「昭和天皇の誕生日が4月29日なの。ゴールデンウイークの連休の一角である大事な1日だから『みどりの日』に変えて新設された」  白滝さんは「おなかがすいた」と、持ってきたパンをほおばっていた。近くにいた女性からは「おなかがすいたなんて元気がいいわね」とからかわれていた。  雨の中、午後5時35分頃、両陛下を乗せた車がやって来た。通りすぎるほんの一瞬、シャッターを切った。白滝さんも撮れたらしい。 「入りの方が明るかったからいい写真が撮れた。帰りは車内灯もついてなかったから、ちょっと暗かった。でも、久々でしたが、雅子さまの元気な顔が見られてよかった」(白滝さん) (AERAdot.編集部 上田耕司)

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    参院選出馬の「水道橋博士」が明かした「妻の涙」と「たけしからのメッセージ」

     夏の参院選にれいわ新選組からの出馬を表明したお笑いコンビ・浅草キッドの水道橋博士(59)。選挙では「反スラップ訴訟」「消費税ゼロ」などを訴えていくとされるが、本当に政治家になる覚悟はあるのか。また、かつて自身が批判していた「タレント候補の出馬」について今はどう思っているのか。その他、師匠であるビートたけしの反応なども含めて、数々の疑問を本人に直接聞いた。 *  *  * 水道橋博士が「出馬表明」したのは、都内でトークショーが行われた18日のこと。れいわ新選組の山本太郎代表からの「れいわで一緒に参議院選戦ってくれるかな」という問いかけに対して「ああ戦います、はい戦います」と答えたのだが、本人の口からは一度も「出馬します」というストレートな言葉は聞かれなかった。  そこで、インタビュー冒頭で改めて聞いてみた。ズバリ、本当に次の参院選に出馬するんですよね? 「えーと、まぁ確実にすると思うんですが……。れいわさんも山本太郎代表の“独裁”ではなく、党できちんと会議をへて候補者を決める過程を踏むので、ワンクッション置かせてもらっている状態です」  では「れいわ」のことはいったん脇において、水道橋博士さんのお気持ちはどうなんでしょうか? 「れいわさんに誘われてなかったら出馬してないですね」  じゃあ、出馬しますと言ってよろしいんですね? 「出馬します」  やっと、スッキリと答えてくれた。  出馬への懸念材料としては、供託金の問題があるという。参院選の立候補に必要な供託金は、選挙区での出馬は300万円、比例区なら600万円と高額で、得票数が一定の水準に達しなければ没収されてしまう。れいわ新選組がこの供託金を負担してくれることが、出馬の条件だという。 「れいわさんが選挙分析をして『水道橋では票が取れないので、供託金は払えない』というなら出馬はしないと思います。その場合、他党から『供託金を払いますから出てください』と言われれば、それはやぶさかではありません。ウチの家計には供託金を払えるような余裕はないので、(今回の出馬は)予定していなかった行動なんです」  出馬を考えたのは、本当にごく最近のことだという。15日、川崎市の溝の口駅前で山本氏の街頭演説があった。そこに博士は「自称ジャーナリスト」として訪れ、山本氏に質問した。 「4月25日かな、松井一郎・大阪市長から訴状が届きました。名誉毀損の裁判を5月30日、大阪地裁でやるんですが、裁判費用は莫大(ばくだい)にかかります。被告になってテレビ、ラジオに出られないということになれば、政敵をテレビ、ラジオに出演させないために訴える方法があるわけです。反スラップ訴訟の法律をつくりたい。れいわさんで今後、反スラップ訴訟の立法化について努力してくれるかをお聞きしたい」  2月13日、博士はツイッターで松井市長を批判したYouTube動画を紹介した。これに対して、松井市長は「水道橋さん、これらの誹謗中傷デマは名誉毀損の判決が出ています。言い訳理屈つけてのツイートもダメ、法的手続きします」とツイッターで応戦。本当に訴訟沙汰に発展したという経緯がある。  博士はこの訴訟について、権力を持つ地位にある者が弱い者の口を封じるために訴訟を起こす「スラップ訴訟」だと主張しているのだ。  博士の質問に対して、山本氏はこう答えた。 「(水道橋さんは)自称ジャーナリストから政治家になったらどうですか。自分自身がスラップの被害者であるならば、その立場に立って立法していくというのはかなり説得力のある話なんです。(供託金は)うちから出しますから、うちから出てください。どうでしょう?」  博士はまんざらでもない様子で「検討します」と応じた。  これが発端となり、博士の「出馬」が現実味を帯びた。 「立候補は(山本氏とのかけあいで生じた)偶然の産物です。それから3日間、出馬のための調整をしました」  博士が最初に相談したのは、妻と娘だった。 「妻には(街頭演説翌日の)16日に打ち明けました。泣いていましたね。本当にかわいそうでした。そういうことが好きなタイプの女性ではないので。妻は『家計の持ち出しになるのは絶対に嫌だ』『子どもの教育費を残してほしい』ということをずっと言っていました」  娘はこう言ったという。 「私も公の仕事に就きたいという希望があるから、パパ、人の道を汚したり、後ろ指をさされるようなことがあったら困ります」  師匠のビートたけしとは「出馬表明」前日の17日午後、直接会って相談したという。その時の様子をこう明かす。 「芸人仲間の原田専門家と2人で待ち合わせ場所へ行きました。実に2年半ぶりの再会になりました。たけしさんはもう75歳なので体調はどうかと思っていましたが、非常にお元気な様子でした。話したのは30分くらいです。たけしさんは政治的な活動には、冷ややかなんです。ご自身も出馬などはなさらないので。私からは『大阪の松井市長に訴えられていて、反スラップ訴訟をやらないことには、僕はただ干上がるだけなので、出馬させてほしい。ただし、たけしさんが芸人として出馬はするなとおっしゃるのであれば、出馬はやめます』と申し上げました」  たけしはこう答えたという。 「おまえのことはおまえで決めていいよ。ただし、オレは一切関係ないし、一切の応援はしない」  たけしとは部屋を出て別れた。 「たけしさんの後ろ姿は、がんばれよと言っているようで、かっこよかったです」  たけしの承諾が得られたことで、18日の「出馬表明」となったわけだが、それを報じた記事のコメントやSNSでは批判も巻き起こった。 「タレントとして仕事が減ったから報酬の高い国会議員になろうとしている」「選挙をネタにしたいだけ」などの批判も少なくなかった。こうした声について、どう思っているのだろうか。 「客観的にみれば、そう受け取れるでしょうし、(批判は)傾聴に値するというか、そう思われるだろうなとは思います。僕もタレント候補に対しては、以前からかなり批判してきましたから。ネットで発信する限り、自分を全否定されたり、気を病むくらいの矢が放たれてきたりすることは当然のことだと思っています」  選挙をネタにしたいだけという書き込みについては、 「芸人は選挙もネタにすればいいんじゃないですか。(立川)談志師匠がそうであったようにね。『囃(はや)されたら踊れ』というのが芸人ですから」  参院選で最も強く訴えたいことは「反スラップ訴訟」だという。  前述のように、博士は松井市長から名誉毀損で訴えられているが、2月13日のツイートから訴訟に発展するまでの間には、直接話をしようと試みたこともあった。  松井市長が現れる応援演説に出向き、本人にも声をかけたが、ほとんど反応はなかったという。 「知り合いのジャーナリストに聞いたところ、松井市長はジャーナリストだったらいつでも会いますと言っているようでしたので、即座に肩書を“自称ジャーナリスト”に変えて、なぜ僕を訴えようとするのかを松井市長に質問しに行っているんです。公人だから、そうして声をかけられることもあると思うのですが、なぜか反応はしてくれませんでしたね。僕は、絶対に向こう(松井市長)が大後悔するところまでやります。芸人という職業をバカにしてああいうこと(訴訟)をしているわけで、僕はそんなにヤワじゃないぞということは絶対に見せたいですね」  選挙戦では、反スラップ訴訟を軸に「反維新」の包囲網を広げていくつもりだという。また、アントニオ猪木元参院議員が30年以上前に「スポーツ平和党」を旗揚げして参院選に出馬した時のスローガン、「国会に卍固め、消費税に延髄斬り」も口にしている。 「それはほんとにギャグで言っているだけなんですが、あまり響かないので、もうみなさん、覚えていないのかなと思いました。経済政策としては、消費税ゼロとインボイス反対を訴えていきたいです」  参院選までおよそ2カ月。水道橋博士は客寄せの“タレント候補”で終わるのか、はたまた旋風を巻き起こす新人議員となるのか。これからの活動で試される。(AERA dot.編集部・上田耕司)

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    【ゲッターズ飯田】5月23日の運勢は?「生活習慣を少し変えてみるといい日」金の羅針盤座

     占いは人生の地図のようなもの。芸能界最強の占い師、ゲッターズ飯田さんの「五星三心占い」が、あなたが自分らしく日々を送るためのお手伝いをします。12タイプ別に、毎週月曜日にその日の運勢、毎月5のつく日(毎月5、15、25日)に開運のつぶやきをお届けします。 【タイプチェッカー】あなたはどのタイプ?自分のタイプを調べる 【金の羅針盤座】生活習慣を少し変えてみるといい日。悪習慣になっていると思えることを断ち切ってみたり、健康的な生活を意識してみるといいでしょう。起きる時間や出社時間なども変えてみるといいかも。 【銀の羅針盤座】身の回りを整理整頓して、きれいにすることでやる気がアップする日。モチベーションが上がらないときほど、掃除からスタートしてみるといいでしょう。磨けるものはできるだけピカピカにしてみて。 【金のインディアン座】時間や数字にこだわって仕事をするといい日。ダラダラやらないで、時計を意識して励んでみましょう。何事も早めに取りかかってみると、いい感じで進められそうです。 【銀のインディアン座】強引に推し進めるよりも、流れに身を任せておくほうがいい日。新しい仕事や体制の変化にも逆らわないで、まずは受け止めること。自分のできる仕事に集中するようにしましょう。 【金の鳳凰座】自分だけの楽しみを求めるのではなく、周囲やほかの人と関わることを楽しもうとすると、いい1日になるでしょう。何事も、よい面を見るようにするといいでしょう。 【銀の鳳凰座】疲れやストレスがたまりやすい日。ダラダラと仕事をしないで短時間で終え、途中で休憩をはさむようにしましょう。旬のフルーツを食べるといいので、仕事帰りに買いに行きましょう。 【金の時計座】付き合いの長い人からの指摘は、しっかり受け止めるようにしましょう。自分以上に相手は、あなたの調子や才能を理解している可能性があるものです。 【銀の時計座】忘れ物やうっかりミスをしやすい日。ただのドジと片付けないで、自分の雑な部分を確認できてよかったと思い、次から気をつけるようにしましょう。遅刻にも注意してください。 【金のカメレオン座】大きなことばかりに目を向けていると、何事も雑になるだけ。今日は、もっと小さなことや細かなことに目を向けてみましょう。挨拶やお礼など、基本的なマナーもおろそかにしないように。 【銀のカメレオン座】自分よりも、相手の得を考えて仕事をするといい日。相手が儲けて得したことは、のちにあなたに戻ってくるでしょう。ケチケチしないことが幸運への近道です。 【金のイルカ座】急ぎの仕事を任されてしまったり、壁にぶつかってしまう出来事がありそうな日。些細なことで落ち込まないためにも、自分に何が足りないのかを冷静に分析して、「このくらいで済んでよかった」と思うようにしてみて。 【銀のイルカ座】自分中心に動いていると、物事がうまく進まなくなってしまう日。人様の役に立つには何ができるのかを、よく考えてみましょう。一度考え直して、原点に立ち戻ってみると、突破口が見つかるかもしれません。 ※毎週月曜日に占いが届きます!AERA dot.の公式LINEの友達申請はこちら↓↓↓https://lin.ee/trWiCvV

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    佐藤二朗のガラケーとジャージはネタ? 担当編集者が真実を目撃

     個性派俳優・佐藤二朗さんが日々の生活や仕事で感じているジローイズムをお届けします。今回は2つの疑惑について。 *  *  * 当コラムの僕の担当が変わりまして。  変わったというか、以前まで担当だったK氏が出産・育児のお休みから復帰して、彼女がお休みの間、僕を担当してくれていたK氏(こちらもK氏。共に女性)から元に戻った形。  で、コロナ禍ということもあり、原稿のやり取りは主にメールで、なかなか対面でご挨拶が出来ていなかったので、これを機にお2人と会うことに。  2人のK氏に、大河撮影中のNHKに来て頂きました。その日、僕は午前中のワンシーンのみの撮影だったので、撮影が終わったあと、僕の楽屋でご挨拶することにしたのです。  撮影を終え、前室(撮影前に役者がいる控え室のようなところ)に行くと、2人のK氏が。 「わあ」 「わあ」というような表情をしたのではなく、音、出てました。「わあ」って。2人揃って「わあ」って口から出てました。  察するに、僕の鎌倉時代の扮装を見て、「わあ、テレビで見るのと同じ~」な感じの「わあ」でした。  2人とも、本当にいつも誠実な対応をしてくれる、優秀な担当さんですが、ドラマの現場はそんなに数多く経験はないでしょうから、とても素直な反応だなと思い、失礼ながら「かわいらしい反応だな」と思いました。 「ごめんなさい、着替えますので、ちょっとお待ちくださいね」と言う僕に2人のK氏は「いえいえ、どうぞごゆっくり」。その表情も完全に「わあ」のまま。  ふふ。なんか、和むなあ。俺にとっては映画やドラマの現場は日常だけど、彼女たちは出版や編集の現場は日常でも、やはりドラマの現場は物珍しいんだろうな。逆に俺がたとえばスポーツ界や漫画界といった異業種の現場に行くと「わあ」と思うのと似たような感覚かな。  鎌倉時代の扮装から私服に戻り、あとはメイクを落とし、カツラを外すのみ。  衣装部屋からメイク室に行く時にも前室を通り、「ごめんなさいごめんなさい、あとはメイクを落とすだけですので」 「いえいえ、ホントにどうぞごゆっくり」  ん? 2人のK氏、まだ顔が「わあ」のまま。鎌倉時代の扮装から私服に戻ったのに。むしろ一段階レベルが上がった「わあ」の表情。  カツラだな。カツラだ。2人とも時代劇のカツラをそんなに間近で見ることはないだろうから、カツラに対する「わあ」だな。  そのカツラを外し、メイクも落とし、比企能員から完全に佐藤二朗に戻り、2人の元へ。 「お待たせしました。さ、楽屋の方へ」  そう言った僕に、2人は「わあ」の表情のまま。むしろキラキラ。夢見る乙女レベルのキラキラ。  ちょ、君たちはいつまで「わあ」なのだ。  楽屋に入るなり2人のK氏。 「ずっと2人で話してたんです。わあ、ホントにジャージだあ。わあ、ホントにガラケーだあって」 ………そっちか。そっちであったか。そっちでござったか。業種、関係なし。ドラマ、関係なし。鎌倉時代もカツラも関係なし。普段の。等身大の。53歳のオジサンに対する「わあ」であったか。  どうやら当コラムで53歳のオジサンが幾度となく書いてきた「ジャージ」とか「ガラケー」とかのワードを、2人の担当K氏は「これ、もしかして、多少は、ネタじゃね?」と心のどこかで思っていたのだろう。  それが会ってみたら、完全にジャージで、完全にジャージって意味がよく分からんが、要するに誰がどう見てもまごうことなきジャージで、ジャージ着てガラケーを握りしめたオジサンが前室の辺りをウロチョロしてるもんだから「わあ」となったらしい。  2人のK氏と読者諸兄に告ぐ。  ネタではない。ネタで毎日のようにジャージを着たり、いまだガラケーを維持できるものではない。ネタではなく、ごめん特に思いつかないが、要するに、事実だ。一片の粉飾もない、まるっきりまるごとの事実なのだ。  俺、大丈夫なのかな、今のままで。  己を省みている場合ではない。そんな素直な反応をするK氏から素直な反応をするK氏にバトンが渡った当コラムをこれからもどうぞよろしくお願いしたいっす。 ■佐藤二朗(さとう・じろう)/1969年、愛知県生まれ。俳優、脚本家、映画監督。ドラマ「勇者ヨシヒコ」シリーズの仏役や映画「幼獣マメシバ」シリーズの芝二郎役など個性的な役で人気を集める。著書にツイッターの投稿をまとめた『のれんをくぐると、佐藤二朗』(山下書店)などがある。96年に旗揚げした演劇ユニット「ちからわざ」では脚本・出演を手がけ、原作・脚本・監督の映画「はるヲうるひと」(主演・山田孝之)がBD&DVD発売中。また、主演映画「さがす」が公開中。

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    15時間前

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    誰のための「AV新法」なのか 「リアル」を求める撮影現場の実態とずれた骨子案の危うさ

     作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、AVに関する新法について。 *   *  *  映画監督の小林勇貴氏が、リアリティーを出すために子役を実際に殴る演出をしていたことに批判が集まっている。実際の映像を見ると、体格の良い成人男性が、自分の半分もないような子どもを地面に押さえつけ、髪の毛をつかみ、大声を出しながら殴っている。殴られている子どもの心理は見ている側には分からない。「怖がっている」のは演技なのか、演技ではないのか。その境はどこにあるのか。殴る側はどのような心理なのだろう。監督に「殴れ」と言われたら、たとえ相手が子どもであっても、「殴る」ことは「業務」になってしまうのだろうか。  実際、殴っていた男性は、いったん「カット!」の声がかかると、スッと、何の違和感もなく、それまでのことがウソのように「素」に戻っていた。殴られていた子どもはすぐには気持ちを切り替えることはできないようで、頬を押さえ目を伏せているように見える。そんな子どもに、周りの大人たちが「よくがんばった!」などと明るくいたわるように声をかけていた。 「異常な光景だ」と、ネット上では小林監督への批判が集中している。確かに、問題のある映像だと私も心から思う。一方で、この映像に私はとても既視感をもつ。こうした演出という名のもとでの暴力は、AVの撮影でも同じように行われている。  年間3万本制作されているAVの現場で行われているのは、実際の性交、実際の暴力である。男性器を肛門や膣や口に挿入するだけではない。女性を殴ったり、水の中に顔をうずめさせたり、圧縮袋に入れて窒息寸前まで苦しめるようなことをしたりなど、女性が苦痛にもだえるような姿が記録されている映像は無数にある。何らかの特殊映像が使われているとか、本当は圧縮袋に入れられていないのに圧縮袋に入れられている演技をしているとかいうのではなく、実際に圧縮袋に入れられた女性が映像として記録されるのだ。もちろん、事故も起きる。2004年には女性に薬物を吸わせ、肛門に器具を挿入して破裂させ、直腸に重傷を負わせる事件も起きている。処置が少しでも遅ければ女性は死んでいたといわれている。 「AVはファンタジー」とは言われているが、実際に現場で行われているのはファンタジーではなく、リアルな暴力である。俳優が性交を演じているのではなく、被写体になった人が性交している行為が記録されている、というほうがむしろ正しい表現なのだと、私はAV被害者を支援する団体に関わることで実感している。  AVに出演したことによる被害を訴える人たちが、ほぼ全員口をそろえて言うことは「俳優としての技術は求められたことはない」というものだ。ただ自分が性交しているシーン、暴力を受けているシーンを記録されているだけという意識が圧倒的である。まさに、子どもを大人が殴り続けたシーンのように。本気で怯える子どもの顔を「撮る」ために、AVのカメラは回されている。  いま、AVに関する新法が、つくられようとしている。  きっかけは、今年、改正民法が施行され、18歳、19歳の取り消し権が使えなくなってしまったことだった。成年年齢が引き下げられることで、AV出演に巻き込まれる子どもたちが増えてしまうかもしれないという懸念の声があがり、世論が大きく動いたこともあって与党議員たちが動いたのだ。私自身、この動きにはとても期待をよせていた。  ところが、先日、与党のプロジェクトチームから提案された法案の骨子案に、衝撃を受けている。悪質な業者を排除するための細かな規則はつくられているが、最大の問題は、性交が契約に入ってしまっていることだ。つまり、性交を契約上の業務として国が認めたということになる。セックスを国が業務として認める、初めての法律でもある。AVの中でこれまで行われてきたリアルな性交は、罰する法律がなかっただけでグレーゾーンの状態で行われていた。そのことに、今後は国がおすみつきを与えることになる。  改めて、AVとは何だろう。  そんな思いにかられる。なぜ、性交を演じる、のではなく、「リアル」が求められなければいけないのだろう。妊娠や性感染症のリスクもある。今ある「売春防止法」にだって抵触する問題もある。AVが「作品」であり「表現物」だというのならば、なぜセックスを「演じる」のではいけないのだろうか。  水原希子さん、さとうほなみさん主演の「彼女」(Netflix)で、日本で初めてインティマシー・コーディネーターが起用されたことが話題になっている。性的なシーンを撮るときに、監督の意図、そして俳優の許容範囲などを丁寧に探り、監督と俳優双方の合意を得る仕事だ。撮影時にも、撮影人数を制限するなどの配慮をし、環境づくりをするともいわれている。俳優の人権、俳優のバウンダリー(身体、精神的に、許容できる境界線)を尊重することが、今、世界の「表現」界では求められている。物語に必要ではないのに、過激なセックスシーンをあえて入れる、女性の裸体を必要以上に露出させるような「演出」、女優に過酷な性的表現を強いるような表現物にセンシティブであろうとしているのが、今の流れだともいえる。  そういう中で、「あくまでもリアル性交」「リアル暴力」にこだわる日本のAVは何だろう。それにおすみつきを与えようとする法案は、誰のことを見ているものなのだろう。  骨子案には契約の問題が細かく記されていた。契約に問題があれば訴えればいい、ということである。しかし、契約が盤石ならば被害は生まれないというのは、性暴力被害、AV被害の実態を知らない甘い考えだ。実際、契約書に自分の意思で自分の手で自分の名前を書いたとしても、それが完全に契約を理解したものだとは限らない。特に若ければ若いほど、判断は未熟なものになるだろう。  例えば、今、AV業界では契約の際にカメラを回すことが求められている。それは強引な契約ではないということの証拠として、メーカー側に保存されるものだ。でも、考えてみてほしい。社会経験が圧倒的にない若い女性が、大人の男たちに囲まれていたらどうだろう。撮影の当日、ギリギリまで出たくないと思っているのに、「契約にサインしたのは君だよ?」「撮影をばらしたら、数百万円の損失になるよ」などと言われたら、断れなくなる。  怒鳴られたわけではなく、殴られて出演を強いられたわけでもない。自分の手でサインし、自分の足で現場に向かい、自分で服を脱ぐ。でも、それはどこからが自分が決定したことなのか、どこからが諦めたことなのか……自分でも分からない。それが、AV出演の被害の実態だ。契約がしっかりしていればしているほど、被害を口にすることは難しくなる。ノーと言えなかった。怖かった。フリーズしていた。あれは性暴力だった。と思いながらも、被害の証拠を残せなくなるのだ。  今回、与党が出してきた骨子案は、そういった性被害者の声を伝えてきた支援団体の思いを踏みにじる内容に私には読める。むしろ業者側に都合よく、今後、業者が「適正」に性交をリアルに記録し、安全に業界を維持できるものになっていくだろう。そこでうまれる被害の大きさを思うと、あまりにもつらい。  今回の骨子案に関わった議員の一人は、AV被害者の支援団体のヒアリングの場で、「この骨子案は寝ないでつくった。がんばった」ということを強調していた。「まだ不十分な法律かもしれないが、それでも一歩進めるべきだとは思わないのか」と言う議員もいた。今回の骨子案は18歳、19歳に限らず、全ての年代で、契約に問題があった場合は契約解除ができるというものでもある。確かに、この骨子案で救われる被害者もいるだろう。でも、それ以上に被害が拡大する可能性のほうが大きいことは、被害者支援に関わる経験をもつ者には一目瞭然でもある。  いったい、誰のための、何のためのAV新法だろう。こんな大切な法案を、力ずくで通してはいけないのではないか。

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    なぜ暗号資産は「長期投資」向きなのか? 手を出す前に知っておきたい基礎知識

     ビットコインにイーサリアム。どこかで聞いたことはあるけど、実のところはよくわからない。長期投資の選択肢として暗号資産を選ぶ人が増えています。始める前に、最低限のことは理解しよう。AERA 2022年5月23日号の「資産防衛」特集から紹介。 *  *  *  底に金貨を隠した菓子箱に「おぬしも悪よのう」とニヤリとするお代官さま。身代金の札束が詰まったジュラルミンのケースを、犯人に向けて滑らせるおとり捜査官……。  これまでは見たり触ったりできる「形」があったからこそ、お金は人々を惑わせてきた。そんなお金がネット空間だけでやりとりできる、形のないデータに姿を変えようとしている。暗号資産(仮想通貨)だ。  FX(外国為替証拠金取引)のように、暗号資産への投資も注目されている。当初はデジタルに詳しい人が、新しい時代を味わいたくてメモリアル的に購入するような特殊なものだったが、ここ数年は機関投資家も参入。莫大(ばくだい)な資金が流入し、個人投資家も呼び込んでいる。  その代名詞ともいえるビットコインは、登場した2000年代の終わりごろには1BTC(ビットコイン)が1円以下だったのが、今では400万円超(5月15日時点)に膨らんだ。 「暗号資産は激しい値動きなどから、短期間で利益を出す投資先と考えている人もいますが、特にビットコインは長期間持っていても、価値が下がるリスクが少ない投資先として注目されています。つまり金に近い、資産防衛(価値の保存)に向いている投資先なんです」  そう話すのは暗号資産の交換業者(取引所)大手ビットバンクの広報担当者。長期投資のリスクが少ないという理由は、ビットコインの仕組みにあるとか……と詳しく解説してもらう前に、暗号資産のおさらいから始めよう。 ■ピザ2枚400億円也  ビットコインの名前が世に出てきたのは2008年ごろ。サトシ・ナカモトという日本人ふうの名前を持った謎の人物が、「ブロックチェーン技術を使った中央管理者のいない決済システム」なる英語の論文を発表してからだった。まもなくこの論文に書かれたような「国境のない通貨」に共感した開発者たちが、まったく新しい通貨を運用するためのソフトウェアなどをつくった。10年には世界初の暗号資産として、ビットコインの最初の取引が行われた。  ちなみにビットコインを初めて買い物に使ったのは米フロリダ州のプログラマー。10年5月22日、ピザ2枚を1万BTCで購入したが、今の価値だと400億円相当の超高い買い物になってしまった。だから5月22日は「ビットコインピザの日」。  それはさておき、私たちが普段使っている日本円や米ドルは「法定通貨」といい、国家や中央銀行など「中央管理者」が発行したり供給量を決めたりしている。国が「本物の通貨」だとお墨付きを与えることで安心して使える。そして振り込みや送金などの取引は銀行の台帳に記録される。  一方、ビットコインは大きく違う。発行するのはコンピュータープログラムだし、供給ペースもプログラムが自動で調整する。 ■間違いは取り消せない  国に代わって「この通貨は本物です」というお墨付きをくれるのは、「ブロックチェーン」という技術。分散型台帳ともいい、ユーザーが小さな台帳を持って取引を記録していき、それを鎖(チェーン)のようにつなげていくイメージだ。中央管理者がいなくても取引履歴をユーザーが分散して管理する仕組みで、参加者全員が偽造などを監視できる。その仕組みこそが、通貨としての信用性や安全性を担保しているのだ。  その仕組みを理解するために、暗号資産の送金先を間違えたケースを想定してみよう。  あなたがAさんに1BTCを送ろうとする。だが誤って100BTCを送ってしまった。もしこれが普通の通貨なら、あなた→Aさんの間には銀行の台帳があるだけ。一方、暗号資産の場合はあなた→Aさんの間に小さな台帳を持った数千人ものユーザーがいる。2人だけの取引なのに、参加者全員の許可を取らなければ修正できない。  ということは、暗号資産を偽造して増やそうと思っても、過去にさかのぼって全ての台帳を変更しなければならない。そんなことは現実的ではない。  ただ暗号資産は現金と同じように盗まれることがある。暗号資産の出し入れには「秘密鍵」というパスワードを用いる。それを他人に知られると、大金を奪われてしまう可能性があるのだ。かつて交換業者に対するサイバー攻撃などで多額の暗号資産が流出する事件も起きている。  ビットコインから始まった暗号資産は、世界で数千種類ともいわれる。ビットバンクのような国内の交換業者が日本で扱っているのは現在40種類ほど。同社は「今は日本暗号資産取引業協会の審査を通過した銘柄でなければ扱えません」と説明する。 ■メタバースでも活用  ビットコインのほかに最近注目されているのが「イーサリアム」という暗号資産だ。  ブロックチェーンの仕組みは、デジタルアート作品にオリジナルであることのお墨付きを与える時に使うNFT(非代替性トークン)という技術にも応用されている。そこでNFT作品の売買にはイーサリアムが使われることが多い。また、「メタバース」という仮想空間でゲームをしたり土地を買ったりするときにもよく利用される。 「NFTにしろ、まだ暗号資産とはほど遠い市場のメタバースにしろ、デジタルから最初に生まれたデジタルネイティブなサービスです。そうした目に見えないものとの相性がいい通貨が暗号資産なんです。これからデジタルネイティブなサービスはどんどん増えていき、そうすれば暗号資産もどんどん使われるようになるでしょう。またイーサリアムのように暗号資産も種類によっては、その通貨を保有すること自体が新たな市場の未来に投資していると言えるかもしれません。そんな長期的な将来を見据えて暗号資産の通貨を選ぶことも醍醐味のひとつです」(ビットバンク広報担当)  ビットコインが長期保有しても大きく下がらないという根拠となっているのが、供給量を調整する仕組みにある。  とくにビットコインの場合、サトシ・ナカモトが最初にプログラムを組んだ時点で、供給総量の上限が決められた。世の中に2100万BTC以上が出回らないようにスタート時にプログラミングされており、前出の送金の間違いが修正できないのと同じで、今となってはもう誰にも修正はできないのだ。  それなら、2100万BTCまではどうやって供給されていくのだろう。  ここで活用されるのが、暗号資産の話でよく出てくる「マイニング」だという。暗号資産取引の承認には複雑な計算が必要で、それを手伝うと報酬として暗号資産がもらえる。それを金の発掘(マイニング)に倣って表現している。すぐに掘り尽くされないよう、マイニングできる量を4年に1度、半分にするようプログラムされている。  ビットバンクのアナリスト、長谷川友哉さんは言う。 「すでに上限の90%が市場に出回っているといわれます。ただ供給ペースはこれから減っていくので、上限の2100万BTCに達するのは2140年ごろとされています」  自分はもうこの世にいないと思うのでそのとき何が起きるのかは知らなくてもいいが、ポイントとなるのは、市場に出回る上限が決まっているというルールだ。長谷川さんが解説する。 「ビットコインは供給ペースが今後減っていくことが既定路線になっています。その一方で、需要は増えていくとみられます。長期間保有した場合は一時的に下がることはあっても、永遠に下がっていくことはほぼないと考えられています」 (ライター・福光恵)※AERA 2022年5月23日号より抜粋

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    田端信太郎×テスタ対談「客になりたい企業と社員になりたい企業は違う」

     リクルート、ライブドア、LINE、ZOZOなど「超ホット」な企業を渡り歩いてきた田端信太郎さんと、50億円トレーダーのテスタさんが会った。田端さんはツイッターで歯に衣着せない発言で有名、YouTubeも絶好調。テスタさんは相変わらずコツコツと株の利益を積み上げている。一見、住む世界が違う二人のおもしろ対談。 *  *  * 編集部:田端さんはリクルートでフリーマガジン『R25』を立ち上げ、ライブドアのメディア事業部長として「ライブドアニュース」、LINEで法人ビジネス全般を軌道に乗せてこられました。 テスタ:どれも社会の中心になっていった企業や事業ばかり。狙って転職されたんですか? 田端:半分は、狙っていましたね(笑)。ぶっちゃけ、会社員って、倒産でもしない限りダウンサイドリスク<損する可能性>はないじゃないですか。勤務先が大変なことになっても僕が大変なことになるわけじゃないでしょ。 テスタ:確かに。 田端:「ライブドアに東京地検が入ってきたとき、僕、その現場にいましたからね」という体験は、振り返ると「お金じゃ買えない、すべらない話」みたいなもの。 テスタ:それにしても、先見の明がないと、なかなか狙って転職できるものではないですよね。 編集部:田端さんが転職したら、その企業の株を買うと儲かりそう? 田端:いやいや、客になりたい企業と社員になりたい企業は違うんですよ。たとえばサイバーエージェント。ネット広告事業で国内トップ、最近ではゲーム事業の『ウマ娘』が大ヒットしてますよね。 田端:サイバーエージェントの藤田晋さんは非常に素晴らしい社長だと尊敬しています。株を買うならライブドアではなくサイバーエージェントの株を買っていたと思う。でも当時はライブドアに入社しようと思った。なんだか、おもしろそうだなと。はい、勘です(笑)。 テスタ:「客になりたい企業と社員になりたい企業は違う」。名言。  テスタ:ライブドア・ショックから16年以上経ちますが、僕は当時、投資をはじめて1年目でした。あのときのことははっきり覚えています。なぜ堀江さんが逮捕されたのか、よくわからない。あの事件はベンチャー企業の発展に水を差したような気がします。 田端:その視点、大事ですよね。僕のような当事者が「あの頃のライブドアに比べたら今のベンチャーは……」なんて言うと、単なる「おっさん語り」になっちゃう。 テスタ:そんなことは(笑)。 田端:最近ようやく、ネット産業は少し「整って」きましたよね。僕がライブドアに入社した頃って、新卒で入社するっていうと親から反対されがちでしたから。 テスタ:整って安定感が増した分、おもしろみがなくなった? 田端さんは会社員時代からツイッターで自由に意見を言って、炎上もたくさん。今も遠慮なしに発信してますよね。だからおもしろい。 田端:遠慮することもあるんですよ! 言いたいことの半分ぐらいしか言っていません。ライブドアにいたときも、ZOZOで前澤友作さんの下で働いていたときも、「自由にやっていいよ」と言われていたけど。ツイッターは、炎上しても絶対やめません。 テスタ:前澤友作さんは実際のところ、どんな方ですか? 田端:経営者というより、バンドマン。いやロックスター。いい意味でも悪い意味でも無邪気な悪ガキがそのまんま大人になって、資産数千億円の大富豪になりました~って感じです。 テスタ:悪ガキ(笑)。でもアパレル初のネット通販事業、宇宙旅行……と誰もやらなかったことにチャレンジするのがすごい。田端さんも地道にコツコツやるより、新しいことを見つけて飛びつくほうが楽しいタイプですか? 田端:うーん、粘り強くはないかな。たとえば「ユニクロ」は20年くらい前に「ヒートテック」を作って、地道に改良を積み重ねて、今のヒートテックブランドを作り上げました。そういうの、僕にはゼロとは言わないけど……飽き性かもしれない。 テスタ:同じです! 自分も本当に飽き性で、株以外のことは長続きしないんですよ。 田端:僕も株が好きで15年ぐらいやっていますけど、デイトレードは下手なの。かといって長期保有するのも苦手で、株を買ってもせいぜい半年くらいで手放す。暗号資産も初期に1ビットコイン5万円で10ビットコインくらい買いましたけど、30万円くらいまで値上がりしたときに売りました。 テスタ:株はたくさんの会社の仕事ぶりを見て投資するわけじゃないですか。だから、いつも新しいことに触れられる。「へぇ、こんな新しい業界や商品があるんだ」と知るとワクワクします。僕がやっていることは株の売買ですが、その時々で見える景色が常に新しい。それが飽きない理由かも。 田端:ここ3年はナスダックのハイテク株が調子よくて、日本でもS&P500やナスダックの投資信託が人気ですよね。それもまた、2000年代のITバブルの再放送を見ているようだなと。 テスタ:一般の人に株がはやればはやるほど、そろそろ相場は天井かな……と思ってしまいます。 田端:投資って常に「自分が間違っている可能性がある」というプレッシャーに身をさらすことですよね。心の中で勝手に割安で有望だと判断している株が値下がりしたとき、「自分じゃなくて、マーケットが間違っている」と思う時点で、投資家としては終わっているわけじゃないですか。 テスタ:それ、一番あかんやつですね(笑)。 田端:企業の社長も消費者や投資家から忖度(そんたく)なしの罵声やマジレス(真剣な返信)を浴び続けながらまともな経営を続ける必要がある。頭が柔軟じゃないと、投資家も経営者も務まりません。 テスタ:凝り固まったら終了。怖いなぁ。 田端:ユーチューブの配信で「ちょっと難しいことしゃべったら、再生回数落ちる。ほんと視聴しているやつ、バカばっかり」と言ったらおしまいですから(笑)。俺は正しい、周りが間違っているなんて、どの世界でもありえない。 編集部:「バカばっかり」って言いそうな雰囲気あるのに、実は謙虚な人なんですね? 田端:やめて!(笑) テスタ:田端さんって「お金欲しい!」っていう感じがしないですよね。もちろんお金に興味ないとか無欲とかではないと思いますが、お金至上主義じゃないというか。 田端:わかります、その表現(笑)。お金、ねえ。ゲームのスコアみたいなものかな。スコアは上げたいけど、ゲームでズルして勝っても楽しくない。「カネがすべてだ」というのも違う気がするし、かといって「カネなんてぜ~んぜん関係ない」というのもウソだし。 テスタ:お金=ゲームのスコア。すごくよくわかる! 田端:死ぬときに人生を振り返って「あのとき、お金のことなんか気にせず、アレをやっておけばよかった」という後悔はしたくない。 テスタ:たとえばどんな? 田端:僕には今、息子とアメリカをキャンプで横断するっていう夢があるんです。今年、長男が中2になるんですけどね。費用は1カ月200万~300万円。 テスタ:何かをやるやらないで迷うときの理由がお金だったら、金銭的に多少苦労したとしても、やったほうがいいですよね。これツイッターで言うと「あなたはお金があるからそういうことが言える」って燃えそうですけど(笑)。 田端:いい薪に(笑)。ま、でもテスタさんはもうお金なんかどうでもいいんじゃないの? テスタ:僕は株の成績を上げたいというだけ。成績が上がったら、自然とお金がついてくる、という感じになっています。自分の予想が当たるとうれしいし、はずれると悔しい。「どうすればもっと株のトレードがうまくなるんだろう」、もうそれだけ。昔は生活費を稼ぐために株式投資をしていたのに、いつの間にか。 田端:一般人が考える「贅沢(ぜいたく)」って10億円あったら、だいたいできるんですよ。資産がすでに数十億円から数千億円もある人は、個人で思いつく贅沢は実現できる。 テスタ:その通り、個人的な贅沢は10億円で足りますね。じゃあ大金があれば、世の中を変えることができるかというと、数千億円を持っていても足りない。 田端:足りない! 確かに! テスタ:お金持ちといえば、テスラのイーロン・マスク。 田端:イーロン・マスクはレジェンドというか、いまだに型にはまらない感じがすごい! テスタ:成功した経営者ってだんだん行儀よくなっていくものですが、イーロンさんだけは違いますね。田端さんがおっしゃってた前澤さんみたいに無邪気なのかな。 田端:そうかも(笑)。昨年も、格差問題解消のために自分が創業したテスラの株を売って税金を払ったほうがいいか、ツイッターのフォロワー(当時約6200万人)にアンケートして大騒ぎになりましたね。そのアンケート結果を受けて本当に株を売りましたから。しかも、振り返ると一番の高値近辺で完璧に売り抜けた格好。 テスタ:「計算ずくだ」という人と「いや、そうじゃない」という人がいましたね。じゃあ実際はどうだったのか、全くわからないところが、これまたすごい。 田端:天然の天才なのか、天然に見せることが天才的にうまいのか。メイクしているように見せないためのメイクっていうか(笑)。世の中の金持ち批判に対する駆け引きみたいなところはあるでしょうけど。スケールが違いすぎる。 田端:暗号資産の中でも「ビットコイン」だけはアリかも、もう売っちゃったけど(笑)。ビットコインという名前のブランド力は、携帯用ラジカセが何でもかんでも「ウォークマン」と呼ばれるようになったくらい強い。 テスタ:ウォークマン、懐かしい。 田端:もし中央銀行の信頼性がなくなればお金の価値はなくなる。キャッシュレス時代の今、そのお金も紙切れですらなく、単なるコンピューター上のデータ。それに比べたらビットコインのように「発行数量の上限が決まっている」というルールのほうが、よほど厳格な気がします。 テスタ:確かに、発行数量がもう増えないというビットコインは希少性が上がっていくのかも。まあ僕はこれからも日本株中心でやっていきますが(笑)。 (編集・文/安住拓哉、編集部・中島晶子) ※この記事は抜粋版です。「AERA Money2022夏号」で全5ページにわたる全文をお読みいただけます。

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    4630万円誤送金で脚光浴びた「フロッピーディスク」 絶滅どころか公的機関でいまだ“現役”の事情

    「えっ、いまだにフロッピーディスクを使っているの?」  そう思った人も少なくないだろう。  山口県阿武町で誤って1世帯に4630万円を振り込んだ、いわゆる誤送金問題。18日夜、県警は同町の田口翔容疑者(24)を電子計算機使用詐欺容疑で逮捕したが、誤送金に至る過程で、町役場から銀行に依頼データの入ったフロッピーディスク(FD)を渡したことが報じられると、「旧石器時代」「時代遅れ過ぎる」など、驚きや嘆きの声がSNSに上がった。ところが取材してみると、絶滅していたかのように思われたFDは、一部の中央省庁や役所、銀行、企業ではいまも日常的に使われていることがわかった。それぞれの事情を聞いた。 *   *   *  山口県阿武町からFDでの振り込みを依頼された山口銀行などを傘下に持つ「山口フィナンシャルグループ(FG)」にたずねると、「山口銀行は、FDなどによる振り込みおよび口座振替依頼データの授受については昨年5月末日を持って廃止させていただいております」と言う。  ところが、山口銀行はFDによる振り込みデータの受け渡しを現在も行っている。なぜか。 「新規の受付は行っておりませんが、既存のお客様から、FDでの振り込みを継続させてほしい、というご要望があれば、対応せざるを得ないという状況です」  山口銀行は、これまでFDで振り込みを依頼してきた顧客に対して、同行のインターネットバンキングを通じて振り込みをしてもらえるように交渉してきた。 「ただ、昔からずっとお取引していただいているお客様の利便性の観点からすると、FDを廃止するのは難しい側面があります」  担当者はすんなりとはいかない事情を、そう説明する。 ■東京の区役所でもFD  一方、東北地方のある銀行によると、FDでの引き落としは「公官庁から依頼されることが多い」と関係者は言い、こう続ける。 「県内では、市役所や町村役場でFDを使っているところが多いです。税金や国民年金、国民健康保険料の引き落としなどです。そんなわけで、私どももそれを引き受けざるを得ませんでした」  この銀行では半年ほど前から県内の各市町村に打診して今年中にFDの取り扱いを終了し、すべてインターネットバンキングに切り替える予定だ。 「理由としては、FD自体を新しく購入するのが困難になってきたこと。それから銀行に置かれた読み取り装置のメンテナンスが難しくなったこと。万が一、故障してしまったら、市町村の担当者の方が窓口に来られても手続きが滞ってしまいますから。そんなわけで、FDの取り扱いを終了させていただくことになりました」(同)  知るほどに驚く、FDの“現役”利用。だが、それは地方の市町村だけではない。  東京都千代田区は今年3月まで介護保険や障害者介護、生活保護に関する給付金の振込みにFDを使用していた。使用を終了した理由を会計室の担当者にたずねると、こう説明する。 「これまでFDを繰り返し使ってきたのですが、いずれ破損したり経年劣化で使えなくなったりすることも考えられます。もうメーカーもFDの製造を打ち切ったという話も聞いておりました。それらもあって使用を徐々に縮小し、昨年度末をもって、最終的にFDの取り扱いをやめたわけです」  ちなみに、国内大手のFDメーカーだったソニーが国内販売を終了したのは、2011年3月である。もう10年以上前のことだ。 「FDはいまとなっては記憶容量が少ないですし、持ち運びの際にどうしてもセキュリティーの問題も生じます。これからは庁内の端末に入力したデータはインターネット経由でやりとりを行います」(千代田区担当者) ■行政サービスの一環として  霞が関の中央省庁もFDを使っている。その一つが、厚生労働省だ。  厚労省は医薬品や医療機器メーカーから送られてきた製品に関する申請書類を審査する。そこでいまも続けられているのが書類データをFDで提出する「FD申請」だ。 「制度の名称としては『FD』とありますが、実際、9割9分はCDかオンラインの申請です。過去の名残というか、通称として『FD申請』という名前が使われています」  同省医薬品審査管理課の担当者はそう説明するが、こうも胸の内を明かす。 「ただ、こちらとしてはせめてCDで出してくださいとお願いしてはいるんですけれど、『どうしてもCDは使えない』という方が、ごく少数ですがいらっしゃいます。行政サービスとしてはうちのFDドライブが生き続けるかぎりはFDを受け付けざるを得ないという事情があります。できれば、持ち込まれるメディアはCDに統一したいのですが、メーカーさんのことを考えると、世の中からFDが枯渇するまでは止められないですね」  FD本体は極めて薄い磁気記憶媒体であるため、CDやDVDなどと比べて故障しやすい。 「気づかないうちに磁気に触れてデータがとんでしまうことがあります。それでも、CDを使うように強制することはできません。あくまでお願いベースです」(厚労省担当者) ■保証期間はとっくに過ぎている  ちなみに、現在インターネット上などで販売されているFDのほとんどは10年以上前に製造された未使用在庫品である。メーカーもこんな長い期間、使われ続けるとは想定していなかっただろう。当然のことながら、保証期間はとっくに過ぎている。  パソコンの周辺機器の老舗メーカー、ロジテックが「最後のWindows対応のUSB外付け型FDドライブ」の販売を終了して、久しい。ただ、パソコン用品メーカーの大手のエレコムに聞くと、FDを収納するプラスチックケースは「数量は少ないですが、現在もコンスタントに売れている状況です」と言う。  昭和に輝いたテクノロジーの産物FDだが、令和のこの時代でも根強く使われていることがわかった。コレクションとして私的に使うのはいいが、触ったことも見たこともない若年層も多い中で公的機関が業務で使用するのは、そろそろ潮時ではないだろうか。 (AERA dot.編集部・米倉昭仁)

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    「捕手のドラ1」はほぼ大成しない? 12球団で育成に成功、失敗した球団はどこだ

     今年も多くのルーキーが既に一軍デビューを果たしているプロ野球だが、そんな中でも最も注目を集めているのがロッテの松川虎生である。プロ野球史上3人目となる高卒ルーキーでの開幕スタメンを勝ち取ると、4月10日には佐々木朗希の完全試合を好リード。24日の試合では判定に不服な態度を見せた佐々木に対して激高した白井一行球審をなだめる姿も話題となった。松川がこのまま正捕手に定着できるかは未知数であるが、プロ野球人生の好スタートを切ったことは間違いないだろう。  キャッチャーというポジションはその特異性から評価が難しいと言われており、過去5年のドラフトを見ても松川以外で1位指名された捕手は2017年の中村奨成(広島)と村上宗隆(ヤクルト)だけ。村上はプロ入り後すぐにサードへコンバートとなり、中村も現在は外野を守ることが多くなっている。近年では複数の捕手を併用するケースも増えているが、不動の正捕手がいると他のキャッチャーはどうしても出番が少なくなり、将来の正捕手として期待されて入団しても控えのまま終わる選手も多い。  そんな中で最も上手く期待通り正捕手を固定できている球団と言えばやはり西武になるだろう。1981年のドラフト1位でその後の黄金期を支えることになる伊東勤を指名。ちなみに伊東は熊本工でプレーしていたが、当時西武の監督を務めていた根本陸夫のはからいで所沢高校へ転校し、球団職員としても採用する“囲い込み”をしたうえで1位指名したという経緯もある。それだけ根本が伊東の才能を高く評価していたことがよく分かるだろう。伊東はその期待に応えてベストナイン10回、ゴールデングラブ11回を受賞するなどリーグを代表する捕手となっている。  伊東の後の正捕手を見ても細川亨(2001年自由枠)、炭谷銀仁朗(2005年高校生ドラフト1位)、そして現在の森友哉(2013年1位)その年のドラフトの最上位で指名した選手が続いており、全員がベストナインに選ばれているのだ。これだけ揃って1位指名した捕手が活躍している球団は他には見当たらない。有望な捕手を見出し、育てるということに関しては12球団でもナンバーワンと言えるだろう。  西武に次いで近年目立つのが巨人だ。山倉和博(1977年1位)の後はしばらく絶対的な正捕手が育たず、1995年1位の原俊介も結果を残すことはできなかったが、大ヒットとなったのはやはり阿部慎之助(2000年1位)だ。当時は逆指名制度があったため、早くから阿部を徹底マークして入団にこぎつけると、プロ入り後も1年目からレギュラーに定着。若い頃はリード面を酷評されることもあったが、年々攻守に安定感が増し、2132安打、406本塁打を記録するなど強打の捕手として長く活躍した。そして阿部の後釜となったのが小林誠司(2013年1位)だ。過去2年間は苦しんでいるものの、2016年からは4年連続でリーグトップの盗塁阻止率をマークするなど球界を代表する強肩捕手として活躍している。西武が伊東、炭谷、森と高卒選手が多いのとは逆に山倉、阿部、小林と大卒、社会人の選手が揃っているというのも対照的で面白い。  逆に1位指名の捕手が大成していないのが広島だ。達川光男の後釜として指名した瀬戸輝信(1990年1位)は球団の高い期待を受けながらプロの壁に苦しみ低迷。プロ5年目以降に二番手捕手として一軍には定着したが、最後まで正捕手という地位を築くことはできなかった。地元である広陵高校出身の大型捕手として期待されたのが白浜裕太(2003年1巡目)だ。高校3年春には西村健太朗(元巨人)とバッテリーを組んで甲子園優勝を果たすなど超高校級捕手として注目を集めたが、プロでは一度も一軍に定着できていない。現在も現役を続けているが一軍の戦力としては考えづらく、期待した通りの活躍はできなかった。また冒頭で触れた中村奨成も現在のチーム事情を考えると、正捕手定着の可能性は高くはないだろう。  阪神、中日も近年は苦しんでいる印象が強い。阪神はかつては田淵幸一(1968年1位)、木戸克彦(1982年1位)と1位指名から正捕手を輩出しているが、その後は中谷仁(1997年1位)、浅井良(2001年自由枠)、岡崎太一(2004年自由枠)と多くの選手を最高順位で指名しながらレギュラーにすることはできていない。  また中日も中尾孝義(1980年1位)、中村武志(1984年1位)と名捕手が続いた後は前田章宏(2001年1巡目)、田中大輔(2006年大学生・社会人1位)と正捕手として期待した捕手が活躍することができなかった。阪神は矢野燿大、中日は谷繁元信という他球団から移籍した捕手が長くプレーしてきた影響は大きく、改めて捕手の世代交代の難しさが感じられる。  今年のドラフト戦線は1位指名間違いなしという大物捕手は不在だが、来年は守備力、打力ともに高いレベルで備えた進藤勇也(上武大)が早くから注目を集めている。少し気が早い話だが、将来の正捕手を考えて進藤に1位指名する球団が出てくることも、十分に考えられるだろう。(文・西尾典文) ●プロフィール西尾典文1979年生まれ。愛知県出身。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究。主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間300試合以上を現場で取材し、執筆活動を行っている。ドラフト情報を研究する団体「プロアマ野球研究所(PABBlab)」主任研究員。

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    「野球知ってるの?」とファン騒然 信じられない“珍走塁”が話題になった男たち

     プロ野球選手といえども人間。時には平常心を失って、とてもプロとは思えないようなチョンボをやらかしてしまうことだってある。特に打球判断が難しい走塁では、かつての長嶋茂雄(巨人)の“三角ベース事件”に代表されるように、思わず口アングリの珍プレーが起きやすい。  日本シリーズ進出をかけたセ・リーグの頂上決戦で、事実上、敗退を決定的にする“残念な走塁”が見られたのが、2007年10月20日のCS第2ステージ、巨人vs中日第3戦だ。  同年、5年ぶりのリーグ優勝を飾った巨人だったが、CSでは第1戦、2戦と2位・中日に連敗。王手をかけられた第3戦も、8回を終わって2対4の劣勢だった。  だが9回、「このまま終わってたまるか!」とばかりに、先頭の代打・大道典嘉が中日の守護神・岩瀬仁紀から意地の左前安打を放ち、無死一塁と反撃の狼煙を上げる。  この重要局面で、原辰徳監督は代走に古城茂幸を起用した。内野を全ポジション守れるスーパーサブで、シーズン5盗塁を記録した足のスペシャリストでもある。  そして、次打者は前日川上憲伸から3ランを放ち、この日も前の打席で安打を放っているホリンズ。一発が出れば同点という場面で、ホリンズは岩瀬の初球、スライダーをレフトに打ち上げた。  詰まり気味の打球は、徐々に失速し、レフト・上田佳範が前進してキャッチ。これで1死一塁と思われたが、次の瞬間、スタンドの巨人ファンから悲鳴のようなどよめきが起きる。  なんと、一塁走者の古城が何を思ったのか、二塁ベース手前まで来ているではないか。自分の進行方向の打球なのだから、見えないはずはなかったのに……。  ボールはすぐさまファースト・中村紀洋に送球され、まさかの併殺……。致命的な走塁ミスに、ベンチの原監督も表情を凍りつかせた。  実は、古城のチョンボは、帳消しになっていた可能性もゼロではなかった。  上田の送球が中村の喉を直撃していたのだ。しかし、中村は必死に痛みをこらえながら、素手でボールを掴んで併殺を完成させると、直後、力尽きたようにその場に倒れ込んだ。  もし中村が落球、または後逸していたら、その後の状況も変わっていたかもしれないが、最後までボールを離さなかった中村の執念が勝った。  そして、2死無走者で、木村拓也が空振り三振に倒れ、巨人はストレート負けで日本シリーズ進出を逃した。「古城のあの走塁さえなければ……」と悔しがったG党も多かったことだろう。  元メジャーリーガーであるにもかかわらず、思わず「野球のルール知ってるの?」とツッコミを入れたくなるようなトンデモ走塁を披露したのが、巨人時代のマギーだ。  17年4月14日の中日戦、0対0の2回、巨人は先頭のマギーが遊ゴロエラーで出塁し、岡本和真の二塁打で1死二、三塁の先制チャンスをつくった。  ところが、三塁走者のマギーは、次打者・小林誠司の投ゴロで大きく飛び出してしまう。打球を処理した大野雄大がすぐさま三本間に走って、タッチに行くと、なんと、マギーは帰塁を放棄したかのように、あさっての方角の三塁内野席に向かって逃げていくではないか。  このようなケースでは、当然スリーフィートオーバー(野球規則7.08)が適用され、アウトになる。佐々木昌信三塁塁審がアウトを宣告したとき、マギーは三塁側カメラマン席の近くまで達していた。  小学生の草野球レベルの“鬼ごっこ”は、ネット上でも「晩飯吹いたわ」「いくらなんでも逃げすぎやろ」etc呆れる声が続出し、大反響を呼んだ。  さらに巨人は同年8月6日の中日戦でも、1点を追う9回1死一、二塁のチャンスに、坂本勇人の中飛で飛び出した一塁走者・重信慎之介が二塁を回っていたにもかかわらず、帰塁の際に二塁ベースを踏まなかったことから、アピールアウトになり、併殺でゲームセットという珍幕切れに泣いている。  これまで紹介した3つの珍走塁が、いずれも同一カードの巨人vs中日という偶然も面白い。  最後に登場するのは、ファンサービスのパフォーマンスで珍走塁を披露したソフトバンクのバティスタだ。  05年6月1日の阪神戦の6回、バティスタはカウント2-2から三塁線ギリギリにボテボテのゴロを転がした。  必死の形相で一塁に全力疾走したバティスタは、ベースを駆け抜けてもスピードを緩めることなく、そのまま右翼ポール際まで走っていった。  だが、結果はファウル。本拠地・ヤフードームでは見慣れた光景ながら、甲子園の阪神ファンには初お披露目とあって、スタンドは大爆笑の渦に包まれた。  打ち直しの打席では空振り三振に倒れたものの、“グラウンドのエンターテイナー”は「ファウルと思ったけど、ファンも喜んでくれただろ」と笑いを取れて満足そうだった。 同年は打率.263、27本塁打、90打点とまずまずの成績を残したバティスタだったが、たった1年で解雇されたのが惜しまれる。(文・久保田龍雄) ●プロフィール久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」(野球文明叢書)。

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    13時間前

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    HiHi Jets高橋優斗くん 「先生の言うことが矛盾している」という質問に「大人も成長途中」

    HiHi Jetsのメンバーが小中学生からの質問に答える「放課後はまかせて! HiHi JetsにQuestion」。今回はグループの最年長、高橋優斗くんが登場!「質問エグい。マジで難しい!」と頭を抱えながらも自分で質問を選び、熱く回答してくれました。現在好評発売中の『ジュニアエラ』6月号から紹介します。 *  *  * Q)なんで時間というものがあるの?(ピーチャ・小5)  A)時間そのものについては俺もわかりません。でも、まず一つには、人間が生活するために必要だから、誰かが決めたものだと思う。  だって時間っていう世界共通の軸がなかったら待ち合わせもできないよ? ピーチャさんは今、学校が始まる時間に間に合うように朝起きるとか、起きるためには早く寝なきゃとか、時間という軸に沿って、集団生活や社会のルールみたいなものを守れるように練習している真っ最中なんです。  で、それを学んだ後は、みんなそれぞれの正解があると思う。死ぬまでの限られた時間の中で、何をするかは自由だからね。  選択肢は無限にあるけど、自分が満足できる、充実した人生を送れたほうがよくない? 俺はいかに自分が納得できる時間の使い方ができるか、意識しながら生きてます。  ピーチャさんも常識に縛られず、自分にとって納得できる時間の使い方をしてね。 Q)ときどき先生の言ってることが矛盾します。どう対応すればいい?(ぷっちょ・13歳) A)ちょっと大人っぽい言い方をするけど、しょせん、先生も人間。ムカつくかもしれないけど、そこでイライラするのって時間の無駄なんだよね。  先生って、これからみんなが社会に出ていくために、ある程度の基礎を教えてくれる人。人を育てるっていう選択をしてくれた人。先生だって……いや、どんな大人も日々学びながら成長している途中なんです。  だから矛盾に目を向けるより、尊敬できるところにフォーカスを当てて、吸収したほうがいい。いい意味で利用させてもらうほうが、ぷっちょさんがより魅力的な人間になれる近道だと思うよ。  今回、この二つの質問を選んだのは、俺自身が「限られた自分の時間」というものを強く意識しながら生きているから。成し遂げたい夢を設定して逆算すると、今、やるべきことが見えてくる。みんなも自分の正解を探してみてね。 (取材・文/大道絵里子) HiHi Jets高橋優斗/HiHi Jetsの5人が闇の掃除屋!?に扮するドラマ「全力!クリーナーズ」が、ABCテレビ(毎週日曜深夜0時25分~)、テレビ神奈川(毎週火曜夜11時~)で放送中! 【質問メール募集中】 『ジュニアエラ』では、HiHi Jetsのメンバーに聞いてみたいことや、ちょっと気になっていること、お悩み相談など、小中学生の質問を募集中! ジュニアエラ公式Twitter(@juniorAERA)のダイレクトメッセージかメールアドレス(mja@asahi.com)に(1)質問したいメンバー(2)質問したい内容(3)ペンネーム・年齢(4)連絡先(住所・本名・電話番号/質問が採用された場合、掲載誌を1部お送りします)をお送りください。

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    19時間前

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    上手くいかないのは全部「円安」のせい? 一之輔を襲った不運なできごと

     落語家・春風亭一之輔氏が週刊朝日で連載中のコラム「ああ、それ私よく知ってます。」。今週のお題は「円安」。 *  *  *  最近の上手くいかないことは、すべて『円安』のせい。そう思うようにしている。  景気が悪いわりには天気がいいので、スニーカーでも買おうと靴屋さんへ行くと店員がすぐに寄ってくる。円安のせいだ。円高の時はほっといてくれる。「『この子』なんかどうでしょう?」。靴に『この子』だぁ? 普段ならこんな店員からは買わないが、気に入ったので『その子』を購入。しかたない、円安だもの。  そのお気に入りの子を履いて宮崎県都城市の独演会へ。早朝の生ラジオ終わりの都城入りはめちゃくちゃに眠い。円が安いからね。楽屋入り。「ちょっとチケットのはけ具合が芳しくなく……」。スタッフさんが申し訳なさそうに言われたが「はけ具合」が「禿げ具合」と聞こえ、一瞬ムッとしたのも円安ゆえ。チケットが売れないのはコロナと円安ゆえ。決して私のせいでは……ちょっとあるかな。  開演1時間前。「街を散歩してくる」と弟子に言い残しオモテへ出る。暑。円暑。都城駅まで歩いて10分くらい。さすが宮崎県下ナンバー2のメトロポリタンシティ都城。街は大賑わ……どうやらこの日の都城は危険度の高い円安で戒厳令がしかれていたらしく人っ子ひとり見当たらない。日曜日のお昼だというのに「ひと、いねーなーっ!」と叫んでも恥ずかしくないくらい円安。駅に着く。電車の本数も円安。時刻表がスカスカだった。「帰ろ」と呟き、Uターン。軽自動車はすれ違うのに歩行者がいない。なのにパチンコ屋は盛況の様子。「円が下がるとパチ屋は儲かる」らしい。  楽屋に戻ると何やら左足の裏に違和感。ガムを踏んでいた。しかもまだ粘り気が強い。人影のない街をたった30分歩いて、他人が吐き出したばかりのガムを踏む。しかもおろしたての靴で。自分の引きの強さと円安を呪った。靴底のガムを爪楊枝でカリカリ除去する作業開始。そんな私を傍らで見つめる円安な弟子。「……何見てる?」「お手伝いしますか?」。こんなこと、弟子にやらせるような仕事じゃない。「いーよ! 自分でやるから!」。弟子がなにかスマホで調べている。「……ガムはサラダ油をつけると綺麗に剥がれるそうです」「……独演会の開演30分前なのに、どこからサラダ油を持ってくるんだよ!?」。黙って見ている弟子。「何か言いたいことある?」「はい……気になって……」「なによ?」「そのガム……誰が吐いたのかなぁって……」「!? やなこと言うなよっ! 気持ち悪いよっ!! 吉永小百合みたいな人は吐かないだろっ!!」「ですよね? 吐くならオッサンですよね!」「うるさい!」。テレビでもつけろ、とスイッチ入れるとデーゲームの中継。佐々木朗希が登板していた。 「凄えな佐々木」「そうですね……」「なんだよ?」「粘り強いですね、どちらも」「……」「佐々木も、ガムも」「……ロッテだからな」「……上手い」「上手くねえよ(怒)」。完全に舐められてる。思わず白井球審と同じ顔をして詰め寄りそうになった私も44歳。物心ついたころも今と同じ1ドル=130円くらいだったっけ。その時は『円高』って言われてたのに。「なにがえーんだか」。上手くねえよ。※週刊朝日  2022年5月27日号

    週刊朝日

    15時間前

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    皇后雅子さま 赤十字大会で「うっかり」ハプニングと衣装のリメイクが意味すること

     5月19日、皇后雅子さまが全国赤十字大会に出席した。単独の皇居外での公務は2019年8月のナイチンゲール記章授与式に出席して以来、2年9カ月ぶりであった。ご体調も良く、この日、とびきりの笑顔を見せた雅子さま。実は、雅子さまは衣装をリメイクすることも多いのだ。 *  *  * 「私の娘の愛子と同じ年の21歳ですよね。すごくしっかりしていますね」 「あ、オハイオ州!」   雅子さまは会場を出る際、奉迎に立った青少年赤十字卒業生奉仕団の大学生らの緊張を解こうとするかのように、和やかなムードで話しかけた。  19日、渋谷区の明治神宮会館で全国赤十字大会が3年ぶりに開催された。日本赤十字社の名誉総裁を務める雅子さまは、副総裁の紀子さまや他の妃殿下とともに出席した。 ■体調の好調ぶりが伝わる場面が何度も  日本赤十字社と皇后のつながりは深い。  1912年に明治天皇の皇后であった昭憲皇太后は、赤十字の活動のために現在の3億5千万円相当にあたる10万円を寄付した。これにより「昭憲皇太后基金」が設立された。  第一次世界大戦の勃発が迫るなかで、各国の赤十字社は戦場での救護に追われていた。加えて地震や台風、火災などの自然災害の脅威にもさらされるなかでの国際基金の設立は画期的なことであった。この基金は現在も、世界中の赤十字の活動に使われている。  1947年には、香淳皇后が日本赤十字社の名誉総裁に就任。以来、歴代皇后がその役を務める。  皇后の重要な公務のひとつであり、雅子さまが皇居の外で単独で務める公務としては、2年9カ月ぶりだった。  この日は体調の良さが伝わる場面が何度もあった。  記事冒頭の写真は、追っかけ大学生の阿部満幹さんが帰路につく雅子さまを撮影した一枚だ。注目したいのは、雅子さまがしっかりとカメラ目線であることだ。  体調の悪いときは、人の視線を避けることが多かった。「最近は、しっかりと目線を合わせてくださいます。僕も、カメラ目線の写真を撮影できる機会が増えました。この日は晴天に恵まれて、大洋の日差しがちょうどスポットライトのように皇后さまを照らしていました。なにより、笑顔は自信に満ちていらしゃいました」  大会では皇后が日赤の事業に貢献した13名に有功章を授与する。久しぶりの単独公務で雅子さまも緊張していたのだろうか。 ■「うっかり!」ハプニングの皇后雅子さま  こんなシーンもあった。  受章者はまず壇上で一礼して、さらに名誉総裁である皇后雅子さまの前に一礼したのち授与される。  1人目の受章者が、雅子さまの前に歩を進めた。ところが、受章者が2度目の礼をする前に、雅子さまが有功章を渡しかけてしまうというハプニングも。  5人目の受章者は、車椅子で壇上に上がった。雅子さまが、身体をかがめて視線を合わせながら授与するその姿は、国民とともに歩んだ平成の皇室を彷彿とさせた。  この全国赤十字大会で名誉総裁を務める皇后は、平成の時代から白を貴重に紺などのブルー系の差し色が入ったスーツを着ることが多い。名誉総裁の皇后や名誉副総裁に就く皇族妃は、赤十字社の赤色の紀章を胸に付ける。紀章が目立つようにとの配慮だと思われる。  2019年5月に催された前回の大会のときも雅子さまは、白を基調に紺のアクセントが入ったスーツを着こなしている。  令和皇室の色がにじむのは、この日の雅子さまの着こなしだ。  この日、追っかけで集まった皇室ファンの間でも、「雅子さまのスーツは新調されたものでは?」と話題になっていた。その通り、スーツは新調されている。  しかし、帽子はリメイクだ。  事情を知る関係者がこう話す。 「皇后さまのスーツの襟と袖口とポケットには、夏らしく紺のオーガンジーの素材が使われています。同じ紺のオーガンジー生地を二重に重ねて、前からお使いになっていた帽子のリボンの部分を張り替えて、今回は着用されました。皇太子妃時代から、リメイクなさることは少なくないのです」  リメイクといえば、昨年12月に二十歳の成年を迎えた愛子さまは、ティアラを新調せず、叔母の黒田清子さんのティアラを借りて成年の儀式に臨んだ。サイズを合わせるために多少の手直しは、必要だったと思われる。  コロナ禍で厳しい生活を送る国民に配慮し、両陛下と相談して決めたと公表され、海外紙なども「思慮深いプリンセス」と令和の天皇ご一家を絶賛した。  皇后雅子さまと内親王の愛子さまが国民の生活に心を寄せた結果、意識的に衣装などのリメイクをなさっている部分もあるだろう。 「たしかに、お持ちの衣装をきれいに大切にお使いです。リメイクされることも少なくありません」  天皇ご一家を知る関係者はそう話すが、一方で、別の理由もあると言う。 ■オーダーメイドに耐えうる皇族方の体力  天皇や皇族方が公務で着用する衣装は、オーダーメイドでデザイナーが仕立てる。そのためには、採寸や仮縫いなどに要する時間もあり、発注するご本人も体力が必要だ。  雅子さまは、まだご体調に波があり、オーダーで仕立てるのが難しい時期もあった。また、公務への出席がギリギリまで判明しないため、長い間、新しい衣装を作らず、昔の衣装のサイズ直しをしたり軽いリフォームを施して着用することも少なくなかった。 「その意味では、今回スーツをオーダーなさったのは、ご体調がよい状況が続いた証しですね」(宮内庁関係者)  大会が終わり、会場となった渋谷区の明治神宮会館を出発した。車から手をふる雅子さまは、ひと目姿を見ようと集まった人びとに、とびきりの笑顔を見せた。 (AERAdot.編集部・永井貴子)

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    19時間前

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    ミュージカル界の帝王・山口祐一郎を鼓舞させた“医療関係者からの手紙”

    「ミュージカル界の帝王」、山口祐一郎さん。作家・林真理子さんとは長年のお付き合いということで、対談が始まるとすぐに、会話は大盛り上がりでした。 *  *  * 林:ご無沙汰しております。 山口:林さんとは、青春時代に楽しいひとときを過ごさせていただきました。 林:はい、だから私もお会いするのを楽しみにしていました。  今回、山口祐一郎さんがホストになって、縁のあるゲストの方々をお招きして、劇場に来たお客さんにトークと歌で楽しんでいただくイベント(「My Story,My Song ~and YOU~」5月19~22日 シアタークリエ)をなさるんですね。 山口:実は2年前に帝国劇場で、今まで初めての試みとしてトークショー(「My Story ─素敵な仲間たち─」)をおこなったんですよ。当時は今よりももっとミュージカルやコンサートなどに対する制限が厳しくって、集まって何かするものはすべて延期、中止という風潮だったんですよね。それでも「こういうつらいときだからこそ劇場に来たい」という方がたくさんいらっしゃるわけじゃないですか。 林:当時はいろんな舞台が中止になって、とても残念でしたよ。 山口:そうですよね。それで、「(コロナの状況で)稽古ができないのなら、歌なしでトークだけのショーにしよう」と考えて企画されたのが、帝劇の舞台機構を使って、奥にひそんでいる劇場そのものの魅力を前面に出したトークショーだったんです。裏方さん、大道具さん、照明さん、音響さんたちの力を総動員して、せり(舞台の床の一部が上下する装置)とか盆(床が回転する装置)も全部使って。 林:オーケストラとか歌は、そのときどうしたんですか? 山口:オーケストラもないし、歌もありません。そういうのができない状態でしたからね。 林:すごいですね。お客さん、たくさんいらしたんですか。 山口:満杯になりました。当時、コロナ禍ですでに医療現場が疲弊しきっていた時期だったのですが、そのトークショーのあと、僕、医療関係の方からお手紙をいただいたんですよ。「コロナになって1年、泣いたり笑ったりすることもありませんでしたが、劇場に来て山口さんの話を聞いていたら、泣いている自分に気づいて。そんな自分に、途中から笑っちゃいました」というんです。それを読んで、ああそうか、緊張したギリギリの状態で医療に励んでおられる方が、劇場に来てふと我に返れる瞬間があったんだな、と思ったんです。それから、「よし、チャンスがあったら何でもやろう」と思いました。 林:なるほど、そうやって勇気づけられた人がたくさんいたんですね。素晴らしいです。 山口:それで、その延長として開催されるのが、今回のシアタークリエのコンサートなんです。 林:(チラシを見ながら)1部が山口さんとゲストの方とのトーク、2部がミニコンサートで、皆さんでミュージカルナンバーを歌うわけですね。保坂知寿さんは私も存じ上げてますが、石川禅さんや上口耕平さんという方たちは……。 山口:今まで一緒に舞台に立ってきた皆さんです。いつも勇気やパワーはお客様やこの仲間たちからいただいています。コロナ禍を経て再会できて温かな気持ちでショーをお届けします。 林:これはインターネットで配信もなさるんですか? 山口:千秋楽の配信が決まりました。たとえば大学に入った若い人なんかは、「やった! 東京に来たぞ。バイトしながら学生生活を楽しむぞ」と思ったら、大学に行けなくて、授業もリモートばっかり、学生用の小さなワンルームに閉じ込められてるなんてこともあるわけじゃないですか。そんな人たちが、僕らのネット配信を見て「私ももうちょっと頑張ろう」と思ってくれたらそれでいいんです。 林:なるほど。それにしても山口さん、久しぶりにお目にかかったら、相変わらず背が高くて(186センチ)カッコいいですね。 山口:つい先日は、篠山紀信さんにプログラム用の撮影をしていただいたので、多少おなか周りなど、気にして毎日を過ごしていました。(ポスターを示し)これは帝劇の屋上です。 林:素敵じゃないですか! 篠山さん、やっぱりさすがですね。 山口:篠山さんは中学高校の先輩でして、初対面でしたが男子校の同窓会のようで、フレンドリーに撮影していただきました。ありがたいですね。こうやって撮っていただいた作品を見ると、新しいミュージカルのストーリーが生まれてきそうですね。 (構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木俊雄)※週刊朝日  2022年5月27日号より抜粋

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    佳子さまの装いは「満点以上」とマナー解説者が絶賛 耳を出したハーフアップにした理由とは

     森林づくりの功労者を表彰する「第31回森と花の祭典―みどりの感謝祭式典 “感じよう みどりの恵みと 木のぬくもり” 」の式典が7日、東京都千代田区で行われ、秋篠宮家の次女・佳子さまが出席された。前回は姉の小室眞子さんが出席し、コロナ禍で3年ぶりの式典となった今回は佳子さまが初めて臨まれた。そのときの佳子さまの装いが「壇上のフラワーアレンジメントとマッチしてすごい!」という。 *  *  *  写真を見れば一目瞭然、その日の佳子さまの装いは、まさに「華」があった。 「グリーンがベースでピンクと白い花柄の刺繍があしらわれたセットアップに、同系色のノーカラージャケットを羽織られていました。足元はベージュのパンプス、手元には小ぶりのベージュのクラッチバックと白の手袋をお持ちになっていました。髪型は耳をしっかり出し、後ろでまとめたハーフアップにパールのイヤリングにパールのネックレスをされていました」(皇室記者)  この装いと身だしなみを「満点以上の高得点」と絶賛するのは大手企業のマナーコンサルティングを長年務めるマナー解説者の西出ひろ子さん。西出さんがまず挙げるのが髪型だ。 「まず髪型ですがハーフアップにしていらっしゃって、耳を出すというのは、すっきりときちんとした印象になるのと、おじぎをしたときに髪が顔にかかることがない。だらりと髪の毛が顔にかかるのは、清楚感や清潔感に欠けると思う方もいるのでハーフアップというのはとても大事ですね」  続けて、その装いも素晴らしいと言う。 「お若い方がカチッとしたフォーマルを着てしまうと年齢よりもかなり老けて見えたり、服に着られてしまう感じになるのをレースの花柄のモチーフのセットアップが解消しています。とても、可愛らしく、でもきちんとした印象もある素敵なフォーマルの装いだと思いました。また、ピンクにグリーンの差し色もあり、“みどりの感謝祭”への気持ちを表すのにぴったりです」(西出さん)  さらに、西出さんが感心したポイントが靴とバッグの色選び。 「一番感心したのはパンプスとバッグの色を同色にしていること。これは、フォーマルなマナーで重視されていることです。基本的なことですが、あまり浸透していないことなので、佳子さまはさすがだと思いました。足元にベージュを選ばれているのも素晴らしい。全体的な色味から黒い靴や茶色の靴は合わせないと思いますが、今回の佳子さまのような淡い色の服に黒い靴を合わせている方も正直多いです。統一感のあるベージュになさっていることで高得点過ぎるといいますか、身だしなみというマナーにおいて満点以上の着こなしです!」(西出さん)  さらに、佳子さまは、式典の壇上にある花も味方に付けていた。 「ステージに飾られた生花が佳子さまのジャケットの下のセットアップの色合いに合わせられたようでした」(皇室記者)  1枚目の写真が生花を背にした佳子さまだが、たしかに「華」がある。ここ数年、秋篠宮家と言えば眞子さんの話題ばかり取り上げられることとなってしまったが、佳子さまのファッションから紐解くとしっかり大人の階段を上っているようだ。年代を追って振り返ってみる。 【1】姉妹でお揃いコーデが定番だった 2007年8月31日、佳子さまと遊ぶ、もうすぐ1歳をむかえられる悠仁さま。この時12歳の佳子さまは眞子さま(当時)と似た感じのジャケットスタイルで初々しい。佳子さまがもっと幼い頃は姉妹で全身同じコーデだったり、色違いのワンピースだった。 【2】佳子さまのファッションに変化が! 2007年御用邸近くの葉山しおさい公園を訪れ、日本庭園の池の鯉に餌を与え楽しげな佳子さまと眞子さま(当時)。この頃から、姉妹お揃いからは卒業!? 真っ白なダウンにミニスカート、足元はボアブーツで。姉の眞子さまのセーターがトラディショナルなアーガイル柄のタートルなのに対し、妹・佳子さまは襟元ゆったりなタートルが対照的。 【3】グッとおしゃれ度が増しカジュアル路線に 2012年9月6日で6歳になった秋篠宮家の長男・悠仁さまと眞子さま(当時)と佳子さま。この年に大流行したダンガリーシャツにパッチワークのワンピースを合わせたスタイル。ダンガリーシャツは裾を結んでご自分なりのアレンジをきかせている。当時は、赤文字系ファッション誌できれいめファッションが取り上げられた最後の年で、その後、ナチュラル・カジュアルへ転換していったのがこの頃。 【4】同じ入学式スタイルでもこんなに違う 左は2013年4月学習院大学文学部教育学科へ入学式に向かう佳子さま。右は2015年、前年にAO入試で合格した国際基督教大学教養学部アーツ・サイエンス学科の入学の1枚。スーツは同じだが、高校卒業後すぐの入学式とその2年後、真っ黒ストレートヘアから少し明るい髪色でふんわり毛先を遊ばせたスタイルに変身している。 【5】母と娘たちコートの着こなしも様々 2017年2月28日ベトナムへ出発する天皇、皇后両陛下(当時)を見送る紀子さま、眞子さま(当時)、佳子さまは3者3様のコートスタイル。佳子さまはダブルブレストコートでウエストに切り返しがあり脚長効果も。つばがやや広めのしっかりした帽子で小顔効果もありスタイルよく見える。 【6】真っ白なワンピーススーツで外国訪問へ 2019年9月15日オーストリアとハンガリーを公式訪問するため、羽田空港を出発する秋篠宮家の次女佳子さま。光沢のある真っ白なワンピーススーツで清楚な感じもしつつ、程よいフレアスカートでかっちり過ぎず23歳らしいフレッシュな印象に。よく見るとストッキングもナチュラルベージュではなく光沢がある白っぽいものにしていて、そのコーデは完璧過ぎる! 【7】アイテムのチョイスが絶妙 2019年12月の25歳のお誕生日前に公開された秋篠宮邸の庭を散策する佳子さま。佳子さまが着ているダッフルコートと言えば紺色かキャメルカラーが定番。それを鮮やかなスカイブルーで、しかもショート丈のチョイスはかなりのオシャレ上級者!? 写真では見えにくいがワイドパンツとのコーデをしていて年齢相応の大人カワイイも演出。 【8】「姉が主役」のため落ち着いた装い 2021年10月26日眞子さま(当時)を見送る秋篠宮ご夫妻と佳子さま。あまりに有名になってしまった姉妹のしばしのお別れのシーンだが、嫁ぐ姉に寄り添う佳子さまはグッとシックな装い。「この日は姉が主役」とTPOをわきまえられた気持ちの表れも感じられる。  前出の西出さんは、着こなしにはTPOをわきまえることの大切さを指摘する。 「身だしなみや服装において、一般的に大事なことはTPOです。私はマナーの専門家として“P”をさらに2つ加えていてTPPPOと言っております。TはTIME(時間)、PはPLACE(場所)、私が加えるPの一つ目はPERSON(人)。どんな人と一緒にいるか、どんな相手と接するのかによって服装や身だしなみが変わります。もう一つのPはPOSITION(立場)です。例えば、結婚式の服装で言うと、親族なのか友人なのか立場で変わりますよね。この2つのPがとても大事なのかなと思っています。佳子さまの今回の式典の話しに戻すと、今回の“みどりの感謝祭”というのは、樹木や草花を大切にしていく気持ちが、しっかり服装に表れていたなと思いました」(西出さん)  佳子さまの今回の装いを見ても、ファッションの変遷をたどってみてもなかなかの上級者なのかもしれない。(AERAdot.編集部・太田裕子)

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    「アラサーちゃん」作者・峰なゆかが描く“ぶっちゃけすぎ妊婦ライフ”

    ドラマ化もされた人気漫画『アラサーちゃん』の著者である峰なゆかさんが、異色の「育児漫画」を出版した。峰さんの妊婦時代の経験から、誰も書けなかった本音を赤裸々に描いた『わが子ちゃん』(扶桑社)は、これまでの育児漫画とは一線を画した意欲作だ。慈悲と優しさにあふれた「聖母」のような妊婦像を押し付けてくる社会に対して、ウィットに富んだ毒を含む表現を駆使しながらあらがい、本音で生きようとする「妊婦・峰なゆか」の姿は痛快ですらある。著者本人に、数々のエピソードの裏話を聞いた。 *  *  * 取材場所のカフェに現れた峰さんは、トレードマークだった黒髪のロングヘアを鮮やかなピンクアッシュに染めていた。その理由を聞くと、 「小さい子どもがいると、無遠慮に話しかけてくる人が多くて、それがイヤなんですよ。髪を派手にすれば話しかけられないと思って染めたんですけど、効果てきめんでした」  育児中の女性に“あるある”の悩みを吐露しながらも、ユーモラスな返しが、いかにも峰さんらしい。  4月に出版した『わが子ちゃん』(1巻)では、峰さんの妊娠から出産前までが描かれている。世間から押し付けられる妊婦のイメージや“正しい”とされる妊婦マインドをことごとく蹴散らし、独特の表現で女性の「本音」をつづった。  執筆は出産したその日からスタートさせたという。 「みんなが『産んだら(妊娠中の苦労や)痛みを忘れちゃうよ』と言うので、忘れないうちに書かなきゃと思い、産んだ30分後にはiPadを開いてメモしていました。私の場合、妊娠中からつわりがひどくて、これを漫画にしてお金に変えないとやってられないな、と思っていたんです」  作品には妊婦の心の内を赤裸々に描いた場面が数多くあるが、序盤から、表立っては語られづらい「流産」についても触れている。妊娠初期で流産する確率は約15%もあることを踏まえたうえで、これをおなかに銃口を向けられた「ロシアンルーレットと同じ確率」(6分の1)と表現した。 「本当に流産した人が見た時にどう思うのかな、などいろいろ考えました。でも、妊娠初期は肉体的なつらさだけではなく、流産するかもしれないという精神的な不安はかなり大きいんです。誰もがそう感じているはずなのに、でも、みんな書かない。だから伝わりやすく描く必要があると思ったんです」  もしも流産した時に自身の心が壊れないように、妊娠初期は胎児に愛情を持たないようにしていたことも描いた。 「中には『母親としての自覚がない』と怒る人がいるかもしれません。でも、読者の方からは『わかる!』という反応が多くて、みんな同じような心境だったことが改めてわかりました」  安定期に入る前は「食べづわり」に悩まされた。街中で路地に隠れておにぎりをほおばったり、カップ麺を作るお湯が沸く時間すら待てずに硬い麺を食べたりしたことも。その姿を見たパートナーの「チャラヒゲ」からは、「妊婦さんは2人分食べなきゃね」と励まされたが、これに峰さんの心はざわつく。 「その時は妊娠7週目で、胎児はまだ1センチほどですよ。なのに2人分食べなきゃね、なんてありえないでしょう。食べたら吐いてしまうつわりは心配されるのに、『食べづわり』は、食欲旺盛で元気なだけ、と思われがちなので、そのつらさが周囲に伝わりにくいことを痛感しました」  そんなつらい日々のなかでも、たまに「食べづわり」がこない日があると、今度は胎児がおなかの中で亡くなっているのではないかという不安に襲われた。 「産婦人科に行って『死んでいるかもしれないので診てください』なんて言うのは気まずいし、先生には言いにくいですよね。不安になってすぐ診てもらいたいというときでも、病院に行くのも時間がかかるし、予約が埋まっていれば診てもらえるかもわからないし。将来的には、エコーの機械が自動販売機みたいに街中に設置してあって、500円入れたら、すぐに胎児の心音が聞けるような世の中になったらいいのにと思います」  育児雑誌や自治体のパンフレットに掲載されている“常識”も、峰さんとっては違和感だらけだった。たとえば「授乳はママにしかできません」「パパはできることを手伝いましょう」などの記述は、当然のように母親と父親の役割を決めつけるものだと感じていた。作品では、「チャラヒゲ」に育児雑誌の記事を読ませて不適切な箇所を添削させる、という場面が出てくるが、このエピソードは読者からとても反響が大きかったという。 「母乳の生産はできなくても、(搾乳をしたり、粉ミルクを用意したりすれば)授乳自体は父親にもできます。本当に間違った情報がたくさん載っているんですが、今でもそれを目にする度に赤ペンで直したくなります(笑)」 「アラサーちゃん」を執筆していた時は、昼夜逆転の生活だったというが、“わが子ちゃん”が産まれてからは、夜9時には寝るのが習慣になった。 「わが子ちゃん(現在2歳)が、保育園に行っている間しか仕事ができない状況になってからは、その時間で集中して書くようになりました。独身時代は1日1時間半くらいしか書いていなかったので、逆に仕事する時間は長くなりましたね(笑)」 「わが子ちゃん」には、妊婦体験をした男性の安易な共感への批判や、妊婦がおじさんからいかに「なめられているか」を痛感した体験など、他では読めないエピソードが満載だ。女性が共感できるのはもちろん、男性は女性の本音を探る参考書としても使えるかもしれない。(AERA dot.編集部 岩下明日香)

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    17時間前

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    山口祐一郎「きっかけは4番目の父親」 歌の才能を見抜かれ

     1981年に「劇団四季」の「ジーザス・クライスト=スーパースター」で主演デビューした山口祐一郎さん。退団後も大作に出演し続け、「ミュージカル界の帝王」と呼ばれる山口さんが、作家・林真理子さんと対談。生い立ち、この道に進んだきっかけなど、「ここだけの話」がいっぱいです。 *  *  * 林:こんな素敵な山口さんをお産みになったお母さま、すごくきれいな方なんですってね。 山口:きれい、に近い(笑)。 林:お顔はお母さまに似てるんですか。男の子はお母さんに似るっていうから。 山口:でも僕、父親と母親が5人いるんですよ。 林:えっ、5人いらっしゃる? 山口:DNAは、もちろん1番目の両親なんですけど、その後親がどんどん代わっていきまして……。最初の父親と母親は鹿児島の同じ高校の先輩後輩だったんですよ。父親は野球部で、その年のホームラン王。もう1回勝ったら甲子園に行けたのに、負けて行けなくて、その1年後輩が母親だったんです。父親は東京六大学で野球を始めたんですけど、祖父に「野球選手にさせるために大学に行かせたんじゃない」と言われて野球をやめさせられちゃって、ふつうの学生をやってたんですよ。母親のほうは映画のニューフェースに受かって、1年後に東京に出てきて、文学座の研究生になったんです。 林:まあ、そうなんですか。 山口:元野球部の大学生と、文学座に通っている女優の卵が、参宮橋の小さなアパートで一緒に住んだら、そこは劇団四季の稽古場から100メートルぐらいしか離れていない場所で……。 林:私、そのすぐ近くに住んでたんですよ。駅前のカレー屋の2階に住んでたんです。 山口:えっ、ほんとに? 林:「ザ・ベストテン」で「追っかけマン」が「きょうは劇団四季の稽古場からの中継で、野口五郎さんが歌います」と言ったので、そのとき私、こたつで見てたんだけど、すっごい勢いで駆けだして行ったの覚えてますよ(笑)。 山口:劇団四季の稽古場って、当時は外からの音も聞こえるくらいでしたからね。そうそう、その参宮橋で両親が一緒に暮らしていて、父親が大学を卒業するときに山口祐一郎クンが生まれたんですよ。でも、祖父は鹿児島で土木関係の会社を経営していた人。父親はそこの跡取りだから、「大学を卒業したとたんに子どもだなんて、このバカヤロー! アメリカの大学に行ってこい!」と言われちゃった。それで、父親はひとりで、カリフォルニア大学のバークレー校に留学させられたんです。 林:当時はすごいことですよね。 山口:それからもいろいろとあって両親ともどんどん代わって、それで5人。ミュージカルを始めるきっかけになったのは音大を出た4番目の父親でした。実は僕が高校生のときに、その人が僕の声を聞いて「ちょっと声を出してみな」って言うんです。学生のときは剣道ばっかりでしたから、歌なんか一度も歌ったことはなくて。剣道で「ウワー」って掛け声はずっと出してましたけどね。そう言われて声を出したら「すごい! 歌やれよ。そんな“楽器”めったにない」って言われたんです。 林:ええ、ええ。 山口:じゃあやってみようかと思って、そのころ岩崎宏美さんが出ていたテレビの番組があったんです。そこに応募して受かったら仕事にしよう、落ちたらサラリーマンになろうと思ったんですけど、応募して一回歌ったら受かっちゃったんですよ。 林:すごい。 山口:受かったら、そのテレビ局が音楽の学校に行かせてくれるんですが、そこの音楽の先生が劇団四季の作曲をされていて。その方が「ミュージカルのほうに行きなさい」とおっしゃって、浅利(慶太)先生のところに連れていってくれたんです。 林:まあ、そうだったんですか。私、劇団四季の「キャッツ」の初演(1983年)見ましたよ。山口さん、ラム・タム・タガーをやったんですよね。私、そのときお手洗いに行ったら、私に気づいた若い女の子が「山口祐一郎さんステキでしょう? 林さんのいちばんのタイプだと思いますよ」ってコーフンして言うんです。それで私は「山口祐一郎さん」というお名前を知ったんです。 山口:ありがとうございます。 林:ところで、最初のご両親は、まだご健在なんですか。 山口:いや、コロナの前に父親も母親も亡くなりました。 林:私、どういうわけか、劇場のお手洗いに行くと山口祐一郎さんの情報をファンの人が教えてくれるんですよ(笑)。いつかも「山口さんは、お母さんがあまりにも素敵すぎて結婚なさらないんですよ」という話を聞きました。 山口:さっきも言ったように、父親も母親も5人でしょう。「社会通念上のシステムに拘束される現代人って何なんだろう」みたいなことが自動的に教育されちゃったんですよね。「形じゃないんじゃない?」みたいなことが。 林:なるほど……。でも、いろんなことが落ち着いて、いまから結婚してお子さんをつくるのもいいかもしれない。 山口:今年僕、66歳ですよ。いまさら子どもは……。弟も妹もいっぱいいますしね。僕ってプライベートがないんです。「どこそこの劇場にいる」って常に告知されて、そこに行くと僕がいるから、僕の知らない弟たち、妹たちが、「お兄さん」って言って来るんですよ。あるタイミングから僕、自分の実人生がなくなって。僕が過ごしてきたのは、全部舞台の上。死神とかヴァンパイアとか、人じゃない役を演じたこともたくさんあるわけですが、そんな虚構の世界が自分の人生なんです。自分の夢が現実になり、現実になった夢の中に生きているという感じでしょうか。 林:それはこういう容姿と才能に恵まれた人の運命ですね。 >>【前編】ミュージカル界の帝王・山口祐一郎を鼓舞させた“医療関係者からの手紙” (構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木俊雄)※週刊朝日  2022年5月27日号より抜粋

    週刊朝日

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    雅子さまの外出公務をファン歴29年追っかけが久々に激写 沿道から「元気な顔をみれてよかった」

     天皇、皇后両陛下は18日、東京都千代田区のホテルで開かれた第16回「みどりの式典」に出席した。ホテル前の沿道には約10人の皇室追っかけたちが待っていて、記者もその中に交じって話を聞いた。  雅子さまと天皇陛下がやってきたのは午後4時頃。警備の男性が「もうすぐ、来られます」と声をかけてくれた。とたんに追っかけたちに緊張が走る。交通量の多い道路だったが、車がピタッとまったく通らなくなった。追っかけの中から「車が通らなくなったから来る」と声が上がる。「白バイが来た」と誰かが叫び、興奮は最高潮に。白バイに先導され、雅子さまの乗った黒塗りの車がやってきた。一瞬だったが、車内の雅子さまがこちらを見て、右手を上げたのが見えた。待っていた沿道の人たちは、それぞれがスマホやカメラで撮影を始めた。  天皇ご夫妻にとっては、上皇ご夫妻から引き継いだ公務。「みどりの日」(5月4日)について国民の関心と理解を促進するための内閣府主催の式典だ。会場内では、岸田文雄首相から、植物や森林などの緑を守り育てる研究や技術開発で功績のあった人に「みどりの学術賞」が授与された。今年は、龍谷大学龍谷エクステンションセンター顧問の岡田清孝氏と、京都大学大学院の北島薫教授が授賞した。  式典の最中、外の追っかけたちは、先ほどとは反対車線に移動し、警察官の指示のもと、工事現場にある赤い三角コーンと棒で急ごしらえした狭いスペースの中で待っていなければならなかった。そばには警察官の白い自転車が駐輪されていた。  雅子さまの帰りを待っていると、急に雨が降り出してきた。雨の中、傘をさして1時間半待ち続けた。薄着だったため、ぬれて寒い。都内からやって来たという女性はカメラは持たず、スマホで撮影していた。 「スマホで動画を撮っているんです。YouTubeにアップするのではなく、個人の楽しみです。今日は、雅子さまは緑の帽子に緑の洋服ですね。『みどりの式典』にちなんだからではないでしょうか」  雅子さまを追いかけ続けて29年の白滝富美子さん(81)は、「今日は正午に自宅を出て、バスと地下鉄を乗り換え、式典の2時間前の午後2時に到着しました。最初は皇居の乾門(いぬいもん)で待っていたら、警備の人から『ここからは(雅子さまは)出ないよ』と言われ、ホテル前に移動しました」と話す。  天皇皇后両陛下は、4月13日の「日本国際賞」に出席し、およそ8カ月ぶりに外出をともなう公務に出席した。「みどりの式典」は、今年2回目の外出公務だ。  白滝さんが、雅子さまをリアルに見たのは今年2回目だという。 「私はお正月以来よ。コロナの影響で、雅子さまが外出することが減ったんです。天皇陛下、雅子さまが即位してから、天皇誕生日と新年の一般参賀がすべて見送りになって、一度も実施していないから、かわいそうですよ」  この日沿道に集まったのは、およそ10人の追っかけたち。かなり少なめだという。 「雨だし、平日の月曜だから少ないんだと思います。これが晴れた日の祭日ならもっといます。私の周りの追っかけ主婦には『雅子さまのマスクがはずれたら行きたい』と言う人が多い。やっぱり、マスクをしていると、せっかくの雅子さまの表情が見えませんから。マスクなしのほうが価値は高いの。テレビ局の人が私に『貸してくれ』と言うのもマスクなしの写真ばかり」  皇室追っかけのベテランらしく、4月29日の「昭和の日」についてはこう語った。 「昭和天皇の誕生日が4月29日なの。ゴールデンウイークの連休の一角である大事な1日だから『みどりの日』に変えて新設された」  白滝さんは「おなかがすいた」と、持ってきたパンをほおばっていた。近くにいた女性からは「おなかがすいたなんて元気がいいわね」とからかわれていた。  雨の中、午後5時35分頃、両陛下を乗せた車がやって来た。通りすぎるほんの一瞬、シャッターを切った。白滝さんも撮れたらしい。 「入りの方が明るかったからいい写真が撮れた。帰りは車内灯もついてなかったから、ちょっと暗かった。でも、久々でしたが、雅子さまの元気な顔が見られてよかった」(白滝さん) (AERAdot.編集部 上田耕司)

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    参院選出馬の「水道橋博士」が明かした「妻の涙」と「たけしからのメッセージ」

     夏の参院選にれいわ新選組からの出馬を表明したお笑いコンビ・浅草キッドの水道橋博士(59)。選挙では「反スラップ訴訟」「消費税ゼロ」などを訴えていくとされるが、本当に政治家になる覚悟はあるのか。また、かつて自身が批判していた「タレント候補の出馬」について今はどう思っているのか。その他、師匠であるビートたけしの反応なども含めて、数々の疑問を本人に直接聞いた。 *  *  * 水道橋博士が「出馬表明」したのは、都内でトークショーが行われた18日のこと。れいわ新選組の山本太郎代表からの「れいわで一緒に参議院選戦ってくれるかな」という問いかけに対して「ああ戦います、はい戦います」と答えたのだが、本人の口からは一度も「出馬します」というストレートな言葉は聞かれなかった。  そこで、インタビュー冒頭で改めて聞いてみた。ズバリ、本当に次の参院選に出馬するんですよね? 「えーと、まぁ確実にすると思うんですが……。れいわさんも山本太郎代表の“独裁”ではなく、党できちんと会議をへて候補者を決める過程を踏むので、ワンクッション置かせてもらっている状態です」  では「れいわ」のことはいったん脇において、水道橋博士さんのお気持ちはどうなんでしょうか? 「れいわさんに誘われてなかったら出馬してないですね」  じゃあ、出馬しますと言ってよろしいんですね? 「出馬します」  やっと、スッキリと答えてくれた。  出馬への懸念材料としては、供託金の問題があるという。参院選の立候補に必要な供託金は、選挙区での出馬は300万円、比例区なら600万円と高額で、得票数が一定の水準に達しなければ没収されてしまう。れいわ新選組がこの供託金を負担してくれることが、出馬の条件だという。 「れいわさんが選挙分析をして『水道橋では票が取れないので、供託金は払えない』というなら出馬はしないと思います。その場合、他党から『供託金を払いますから出てください』と言われれば、それはやぶさかではありません。ウチの家計には供託金を払えるような余裕はないので、(今回の出馬は)予定していなかった行動なんです」  出馬を考えたのは、本当にごく最近のことだという。15日、川崎市の溝の口駅前で山本氏の街頭演説があった。そこに博士は「自称ジャーナリスト」として訪れ、山本氏に質問した。 「4月25日かな、松井一郎・大阪市長から訴状が届きました。名誉毀損の裁判を5月30日、大阪地裁でやるんですが、裁判費用は莫大(ばくだい)にかかります。被告になってテレビ、ラジオに出られないということになれば、政敵をテレビ、ラジオに出演させないために訴える方法があるわけです。反スラップ訴訟の法律をつくりたい。れいわさんで今後、反スラップ訴訟の立法化について努力してくれるかをお聞きしたい」  2月13日、博士はツイッターで松井市長を批判したYouTube動画を紹介した。これに対して、松井市長は「水道橋さん、これらの誹謗中傷デマは名誉毀損の判決が出ています。言い訳理屈つけてのツイートもダメ、法的手続きします」とツイッターで応戦。本当に訴訟沙汰に発展したという経緯がある。  博士はこの訴訟について、権力を持つ地位にある者が弱い者の口を封じるために訴訟を起こす「スラップ訴訟」だと主張しているのだ。  博士の質問に対して、山本氏はこう答えた。 「(水道橋さんは)自称ジャーナリストから政治家になったらどうですか。自分自身がスラップの被害者であるならば、その立場に立って立法していくというのはかなり説得力のある話なんです。(供託金は)うちから出しますから、うちから出てください。どうでしょう?」  博士はまんざらでもない様子で「検討します」と応じた。  これが発端となり、博士の「出馬」が現実味を帯びた。 「立候補は(山本氏とのかけあいで生じた)偶然の産物です。それから3日間、出馬のための調整をしました」  博士が最初に相談したのは、妻と娘だった。 「妻には(街頭演説翌日の)16日に打ち明けました。泣いていましたね。本当にかわいそうでした。そういうことが好きなタイプの女性ではないので。妻は『家計の持ち出しになるのは絶対に嫌だ』『子どもの教育費を残してほしい』ということをずっと言っていました」  娘はこう言ったという。 「私も公の仕事に就きたいという希望があるから、パパ、人の道を汚したり、後ろ指をさされるようなことがあったら困ります」  師匠のビートたけしとは「出馬表明」前日の17日午後、直接会って相談したという。その時の様子をこう明かす。 「芸人仲間の原田専門家と2人で待ち合わせ場所へ行きました。実に2年半ぶりの再会になりました。たけしさんはもう75歳なので体調はどうかと思っていましたが、非常にお元気な様子でした。話したのは30分くらいです。たけしさんは政治的な活動には、冷ややかなんです。ご自身も出馬などはなさらないので。私からは『大阪の松井市長に訴えられていて、反スラップ訴訟をやらないことには、僕はただ干上がるだけなので、出馬させてほしい。ただし、たけしさんが芸人として出馬はするなとおっしゃるのであれば、出馬はやめます』と申し上げました」  たけしはこう答えたという。 「おまえのことはおまえで決めていいよ。ただし、オレは一切関係ないし、一切の応援はしない」  たけしとは部屋を出て別れた。 「たけしさんの後ろ姿は、がんばれよと言っているようで、かっこよかったです」  たけしの承諾が得られたことで、18日の「出馬表明」となったわけだが、それを報じた記事のコメントやSNSでは批判も巻き起こった。 「タレントとして仕事が減ったから報酬の高い国会議員になろうとしている」「選挙をネタにしたいだけ」などの批判も少なくなかった。こうした声について、どう思っているのだろうか。 「客観的にみれば、そう受け取れるでしょうし、(批判は)傾聴に値するというか、そう思われるだろうなとは思います。僕もタレント候補に対しては、以前からかなり批判してきましたから。ネットで発信する限り、自分を全否定されたり、気を病むくらいの矢が放たれてきたりすることは当然のことだと思っています」  選挙をネタにしたいだけという書き込みについては、 「芸人は選挙もネタにすればいいんじゃないですか。(立川)談志師匠がそうであったようにね。『囃(はや)されたら踊れ』というのが芸人ですから」  参院選で最も強く訴えたいことは「反スラップ訴訟」だという。  前述のように、博士は松井市長から名誉毀損で訴えられているが、2月13日のツイートから訴訟に発展するまでの間には、直接話をしようと試みたこともあった。  松井市長が現れる応援演説に出向き、本人にも声をかけたが、ほとんど反応はなかったという。 「知り合いのジャーナリストに聞いたところ、松井市長はジャーナリストだったらいつでも会いますと言っているようでしたので、即座に肩書を“自称ジャーナリスト”に変えて、なぜ僕を訴えようとするのかを松井市長に質問しに行っているんです。公人だから、そうして声をかけられることもあると思うのですが、なぜか反応はしてくれませんでしたね。僕は、絶対に向こう(松井市長)が大後悔するところまでやります。芸人という職業をバカにしてああいうこと(訴訟)をしているわけで、僕はそんなにヤワじゃないぞということは絶対に見せたいですね」  選挙戦では、反スラップ訴訟を軸に「反維新」の包囲網を広げていくつもりだという。また、アントニオ猪木元参院議員が30年以上前に「スポーツ平和党」を旗揚げして参院選に出馬した時のスローガン、「国会に卍固め、消費税に延髄斬り」も口にしている。 「それはほんとにギャグで言っているだけなんですが、あまり響かないので、もうみなさん、覚えていないのかなと思いました。経済政策としては、消費税ゼロとインボイス反対を訴えていきたいです」  参院選までおよそ2カ月。水道橋博士は客寄せの“タレント候補”で終わるのか、はたまた旋風を巻き起こす新人議員となるのか。これからの活動で試される。(AERA dot.編集部・上田耕司)

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    ミュージカルの帝王・山口祐一郎 「100%予想できない展開」楽しんでほしい

     俳優・山口祐一郎が東京・日比谷のシアタークリエで公演を行う。コロナ禍で試行錯誤するなかで、改めて得た気付きがあるという。AERA 2022年5月23日号から。 *  *  *  新型コロナウイルスは生き方を変えた。コロナ禍でミュージカル公演が軒並み中止となった2020年秋のこと。「自分たちの日常がなくなってしまう」と、ミュージカルの帝王・山口祐一郎(65)は、演劇の殿堂・帝国劇場で初めてのトークショー「My Story~素敵な仲間たち」に出演した。 「どういう形で皆様に出会う機会があるのか、スタッフの皆さんで検討する中、トークショーならコロナ対策に関しても対応しやすいのではないか、と実現しました。とは言っても、トークショーで帝劇が満席になって、大勢の方に配信でも観てもらえるなんて、自分でも思っておらず驚きました」 ■普段以上のやりとり  ミュージカル公演では数カ月どころか年単位で準備を進める。稽古場で流した汗が本番で結実する。だが、トークショーでは稽古場での時間がないだけに、 「稽古分の汗が本番中の冷や汗にならないか心配していましたが(笑)、お客さまと大変楽しく過ごすことができました」  このトークショーでの気付きは大きかった。マスクをしていても、皮膚感覚で観客の熱を感じた。五感は置かれた環境によって順応すると知った。マスクで顔の動きもわからないかと思っていたら大間違い。1千人以上の人が白いマスクをしていたが、表情がはっきりわかった。 「コロナ前とは違いますが、普段以上のキャッチボールが客席とできたような気がします。新しい発見でした」  コロナ禍を通じ、改めて自身が恵まれた環境で演じてきたことにも気付かされた。  例えば公演後、欧州や米国からやってきた演出家たちは、静かに見ている日本の観客が気になるらしい。「何か大きなミステイクがあったのではないか。何があったか本当のことを教えてくれ」と尋ねられた。そう聞く彼らに、「この小さな島国の日本では、こうやって感情を表現するんです。能や狂言をぜひご覧になってください」と答えた。 ■佇まいで心情わかる 「日本人は何かをしているから人の感情を感じるというより、ただ佇んでいるだけでもその人がどういう心情にいるかを理解するんですよね。日本は世界中のどの劇場よりも、お客さまとのコミュニケーションが普段と変わらず行われる。私はそういう特殊な恵まれた幸せな場に立っているのだ、と感じました」  そんないくつもの発見を経て、今回、東京・日比谷のシアタークリエで、さらに内容をグレードアップした「My Story,My Song~and YOU~」を開催する。「これまで出演したミュージカルナンバーで、普段なかなか聞くことのできない歌を披露する」と言う。千穐楽はオンラインでも生配信する予定だ。 「役者も演出・制作スタッフさん方もバンドさんも、みんな一緒にやってきました。クリエで魅力的な時間と空間をお客さまに楽しんでもらいましょうと企画する時に、みんながやりたいことがあっという間に山積みになりました。その中から面白いものを選んで構成しています。トークでも、ゲストはみんな一緒に仕事をしてきた仲間です。前回もそうでしたが、何か金脈に当たるとみんなでそこを掘っちゃうんです。今回もどんなトークになるか、私にも全くわかりません。100%予想できない展開になるはずです(笑)。それを私自身が心から楽しんでいる様子やコンサートの雰囲気、エネルギーを、配信でご覧になるお客さまも含め、皆さんにも楽しんでいただけたらと思っています」 (フリーランス記者・坂口さゆり) ※AERA 2022年5月23日号

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    「捕手のドラ1」はほぼ大成しない? 12球団で育成に成功、失敗した球団はどこだ

     今年も多くのルーキーが既に一軍デビューを果たしているプロ野球だが、そんな中でも最も注目を集めているのがロッテの松川虎生である。プロ野球史上3人目となる高卒ルーキーでの開幕スタメンを勝ち取ると、4月10日には佐々木朗希の完全試合を好リード。24日の試合では判定に不服な態度を見せた佐々木に対して激高した白井一行球審をなだめる姿も話題となった。松川がこのまま正捕手に定着できるかは未知数であるが、プロ野球人生の好スタートを切ったことは間違いないだろう。  キャッチャーというポジションはその特異性から評価が難しいと言われており、過去5年のドラフトを見ても松川以外で1位指名された捕手は2017年の中村奨成(広島)と村上宗隆(ヤクルト)だけ。村上はプロ入り後すぐにサードへコンバートとなり、中村も現在は外野を守ることが多くなっている。近年では複数の捕手を併用するケースも増えているが、不動の正捕手がいると他のキャッチャーはどうしても出番が少なくなり、将来の正捕手として期待されて入団しても控えのまま終わる選手も多い。  そんな中で最も上手く期待通り正捕手を固定できている球団と言えばやはり西武になるだろう。1981年のドラフト1位でその後の黄金期を支えることになる伊東勤を指名。ちなみに伊東は熊本工でプレーしていたが、当時西武の監督を務めていた根本陸夫のはからいで所沢高校へ転校し、球団職員としても採用する“囲い込み”をしたうえで1位指名したという経緯もある。それだけ根本が伊東の才能を高く評価していたことがよく分かるだろう。伊東はその期待に応えてベストナイン10回、ゴールデングラブ11回を受賞するなどリーグを代表する捕手となっている。  伊東の後の正捕手を見ても細川亨(2001年自由枠)、炭谷銀仁朗(2005年高校生ドラフト1位)、そして現在の森友哉(2013年1位)その年のドラフトの最上位で指名した選手が続いており、全員がベストナインに選ばれているのだ。これだけ揃って1位指名した捕手が活躍している球団は他には見当たらない。有望な捕手を見出し、育てるということに関しては12球団でもナンバーワンと言えるだろう。  西武に次いで近年目立つのが巨人だ。山倉和博(1977年1位)の後はしばらく絶対的な正捕手が育たず、1995年1位の原俊介も結果を残すことはできなかったが、大ヒットとなったのはやはり阿部慎之助(2000年1位)だ。当時は逆指名制度があったため、早くから阿部を徹底マークして入団にこぎつけると、プロ入り後も1年目からレギュラーに定着。若い頃はリード面を酷評されることもあったが、年々攻守に安定感が増し、2132安打、406本塁打を記録するなど強打の捕手として長く活躍した。そして阿部の後釜となったのが小林誠司(2013年1位)だ。過去2年間は苦しんでいるものの、2016年からは4年連続でリーグトップの盗塁阻止率をマークするなど球界を代表する強肩捕手として活躍している。西武が伊東、炭谷、森と高卒選手が多いのとは逆に山倉、阿部、小林と大卒、社会人の選手が揃っているというのも対照的で面白い。  逆に1位指名の捕手が大成していないのが広島だ。達川光男の後釜として指名した瀬戸輝信(1990年1位)は球団の高い期待を受けながらプロの壁に苦しみ低迷。プロ5年目以降に二番手捕手として一軍には定着したが、最後まで正捕手という地位を築くことはできなかった。地元である広陵高校出身の大型捕手として期待されたのが白浜裕太(2003年1巡目)だ。高校3年春には西村健太朗(元巨人)とバッテリーを組んで甲子園優勝を果たすなど超高校級捕手として注目を集めたが、プロでは一度も一軍に定着できていない。現在も現役を続けているが一軍の戦力としては考えづらく、期待した通りの活躍はできなかった。また冒頭で触れた中村奨成も現在のチーム事情を考えると、正捕手定着の可能性は高くはないだろう。  阪神、中日も近年は苦しんでいる印象が強い。阪神はかつては田淵幸一(1968年1位)、木戸克彦(1982年1位)と1位指名から正捕手を輩出しているが、その後は中谷仁(1997年1位)、浅井良(2001年自由枠)、岡崎太一(2004年自由枠)と多くの選手を最高順位で指名しながらレギュラーにすることはできていない。  また中日も中尾孝義(1980年1位)、中村武志(1984年1位)と名捕手が続いた後は前田章宏(2001年1巡目)、田中大輔(2006年大学生・社会人1位)と正捕手として期待した捕手が活躍することができなかった。阪神は矢野燿大、中日は谷繁元信という他球団から移籍した捕手が長くプレーしてきた影響は大きく、改めて捕手の世代交代の難しさが感じられる。  今年のドラフト戦線は1位指名間違いなしという大物捕手は不在だが、来年は守備力、打力ともに高いレベルで備えた進藤勇也(上武大)が早くから注目を集めている。少し気が早い話だが、将来の正捕手を考えて進藤に1位指名する球団が出てくることも、十分に考えられるだろう。(文・西尾典文) ●プロフィール西尾典文1979年生まれ。愛知県出身。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究。主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間300試合以上を現場で取材し、執筆活動を行っている。ドラフト情報を研究する団体「プロアマ野球研究所(PABBlab)」主任研究員。

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    田端信太郎×テスタ対談「客になりたい企業と社員になりたい企業は違う」

     リクルート、ライブドア、LINE、ZOZOなど「超ホット」な企業を渡り歩いてきた田端信太郎さんと、50億円トレーダーのテスタさんが会った。田端さんはツイッターで歯に衣着せない発言で有名、YouTubeも絶好調。テスタさんは相変わらずコツコツと株の利益を積み上げている。一見、住む世界が違う二人のおもしろ対談。 *  *  * 編集部:田端さんはリクルートでフリーマガジン『R25』を立ち上げ、ライブドアのメディア事業部長として「ライブドアニュース」、LINEで法人ビジネス全般を軌道に乗せてこられました。 テスタ:どれも社会の中心になっていった企業や事業ばかり。狙って転職されたんですか? 田端:半分は、狙っていましたね(笑)。ぶっちゃけ、会社員って、倒産でもしない限りダウンサイドリスク<損する可能性>はないじゃないですか。勤務先が大変なことになっても僕が大変なことになるわけじゃないでしょ。 テスタ:確かに。 田端:「ライブドアに東京地検が入ってきたとき、僕、その現場にいましたからね」という体験は、振り返ると「お金じゃ買えない、すべらない話」みたいなもの。 テスタ:それにしても、先見の明がないと、なかなか狙って転職できるものではないですよね。 編集部:田端さんが転職したら、その企業の株を買うと儲かりそう? 田端:いやいや、客になりたい企業と社員になりたい企業は違うんですよ。たとえばサイバーエージェント。ネット広告事業で国内トップ、最近ではゲーム事業の『ウマ娘』が大ヒットしてますよね。 田端:サイバーエージェントの藤田晋さんは非常に素晴らしい社長だと尊敬しています。株を買うならライブドアではなくサイバーエージェントの株を買っていたと思う。でも当時はライブドアに入社しようと思った。なんだか、おもしろそうだなと。はい、勘です(笑)。 テスタ:「客になりたい企業と社員になりたい企業は違う」。名言。  テスタ:ライブドア・ショックから16年以上経ちますが、僕は当時、投資をはじめて1年目でした。あのときのことははっきり覚えています。なぜ堀江さんが逮捕されたのか、よくわからない。あの事件はベンチャー企業の発展に水を差したような気がします。 田端:その視点、大事ですよね。僕のような当事者が「あの頃のライブドアに比べたら今のベンチャーは……」なんて言うと、単なる「おっさん語り」になっちゃう。 テスタ:そんなことは(笑)。 田端:最近ようやく、ネット産業は少し「整って」きましたよね。僕がライブドアに入社した頃って、新卒で入社するっていうと親から反対されがちでしたから。 テスタ:整って安定感が増した分、おもしろみがなくなった? 田端さんは会社員時代からツイッターで自由に意見を言って、炎上もたくさん。今も遠慮なしに発信してますよね。だからおもしろい。 田端:遠慮することもあるんですよ! 言いたいことの半分ぐらいしか言っていません。ライブドアにいたときも、ZOZOで前澤友作さんの下で働いていたときも、「自由にやっていいよ」と言われていたけど。ツイッターは、炎上しても絶対やめません。 テスタ:前澤友作さんは実際のところ、どんな方ですか? 田端:経営者というより、バンドマン。いやロックスター。いい意味でも悪い意味でも無邪気な悪ガキがそのまんま大人になって、資産数千億円の大富豪になりました~って感じです。 テスタ:悪ガキ(笑)。でもアパレル初のネット通販事業、宇宙旅行……と誰もやらなかったことにチャレンジするのがすごい。田端さんも地道にコツコツやるより、新しいことを見つけて飛びつくほうが楽しいタイプですか? 田端:うーん、粘り強くはないかな。たとえば「ユニクロ」は20年くらい前に「ヒートテック」を作って、地道に改良を積み重ねて、今のヒートテックブランドを作り上げました。そういうの、僕にはゼロとは言わないけど……飽き性かもしれない。 テスタ:同じです! 自分も本当に飽き性で、株以外のことは長続きしないんですよ。 田端:僕も株が好きで15年ぐらいやっていますけど、デイトレードは下手なの。かといって長期保有するのも苦手で、株を買ってもせいぜい半年くらいで手放す。暗号資産も初期に1ビットコイン5万円で10ビットコインくらい買いましたけど、30万円くらいまで値上がりしたときに売りました。 テスタ:株はたくさんの会社の仕事ぶりを見て投資するわけじゃないですか。だから、いつも新しいことに触れられる。「へぇ、こんな新しい業界や商品があるんだ」と知るとワクワクします。僕がやっていることは株の売買ですが、その時々で見える景色が常に新しい。それが飽きない理由かも。 田端:ここ3年はナスダックのハイテク株が調子よくて、日本でもS&P500やナスダックの投資信託が人気ですよね。それもまた、2000年代のITバブルの再放送を見ているようだなと。 テスタ:一般の人に株がはやればはやるほど、そろそろ相場は天井かな……と思ってしまいます。 田端:投資って常に「自分が間違っている可能性がある」というプレッシャーに身をさらすことですよね。心の中で勝手に割安で有望だと判断している株が値下がりしたとき、「自分じゃなくて、マーケットが間違っている」と思う時点で、投資家としては終わっているわけじゃないですか。 テスタ:それ、一番あかんやつですね(笑)。 田端:企業の社長も消費者や投資家から忖度(そんたく)なしの罵声やマジレス(真剣な返信)を浴び続けながらまともな経営を続ける必要がある。頭が柔軟じゃないと、投資家も経営者も務まりません。 テスタ:凝り固まったら終了。怖いなぁ。 田端:ユーチューブの配信で「ちょっと難しいことしゃべったら、再生回数落ちる。ほんと視聴しているやつ、バカばっかり」と言ったらおしまいですから(笑)。俺は正しい、周りが間違っているなんて、どの世界でもありえない。 編集部:「バカばっかり」って言いそうな雰囲気あるのに、実は謙虚な人なんですね? 田端:やめて!(笑) テスタ:田端さんって「お金欲しい!」っていう感じがしないですよね。もちろんお金に興味ないとか無欲とかではないと思いますが、お金至上主義じゃないというか。 田端:わかります、その表現(笑)。お金、ねえ。ゲームのスコアみたいなものかな。スコアは上げたいけど、ゲームでズルして勝っても楽しくない。「カネがすべてだ」というのも違う気がするし、かといって「カネなんてぜ~んぜん関係ない」というのもウソだし。 テスタ:お金=ゲームのスコア。すごくよくわかる! 田端:死ぬときに人生を振り返って「あのとき、お金のことなんか気にせず、アレをやっておけばよかった」という後悔はしたくない。 テスタ:たとえばどんな? 田端:僕には今、息子とアメリカをキャンプで横断するっていう夢があるんです。今年、長男が中2になるんですけどね。費用は1カ月200万~300万円。 テスタ:何かをやるやらないで迷うときの理由がお金だったら、金銭的に多少苦労したとしても、やったほうがいいですよね。これツイッターで言うと「あなたはお金があるからそういうことが言える」って燃えそうですけど(笑)。 田端:いい薪に(笑)。ま、でもテスタさんはもうお金なんかどうでもいいんじゃないの? テスタ:僕は株の成績を上げたいというだけ。成績が上がったら、自然とお金がついてくる、という感じになっています。自分の予想が当たるとうれしいし、はずれると悔しい。「どうすればもっと株のトレードがうまくなるんだろう」、もうそれだけ。昔は生活費を稼ぐために株式投資をしていたのに、いつの間にか。 田端:一般人が考える「贅沢(ぜいたく)」って10億円あったら、だいたいできるんですよ。資産がすでに数十億円から数千億円もある人は、個人で思いつく贅沢は実現できる。 テスタ:その通り、個人的な贅沢は10億円で足りますね。じゃあ大金があれば、世の中を変えることができるかというと、数千億円を持っていても足りない。 田端:足りない! 確かに! テスタ:お金持ちといえば、テスラのイーロン・マスク。 田端:イーロン・マスクはレジェンドというか、いまだに型にはまらない感じがすごい! テスタ:成功した経営者ってだんだん行儀よくなっていくものですが、イーロンさんだけは違いますね。田端さんがおっしゃってた前澤さんみたいに無邪気なのかな。 田端:そうかも(笑)。昨年も、格差問題解消のために自分が創業したテスラの株を売って税金を払ったほうがいいか、ツイッターのフォロワー(当時約6200万人)にアンケートして大騒ぎになりましたね。そのアンケート結果を受けて本当に株を売りましたから。しかも、振り返ると一番の高値近辺で完璧に売り抜けた格好。 テスタ:「計算ずくだ」という人と「いや、そうじゃない」という人がいましたね。じゃあ実際はどうだったのか、全くわからないところが、これまたすごい。 田端:天然の天才なのか、天然に見せることが天才的にうまいのか。メイクしているように見せないためのメイクっていうか(笑)。世の中の金持ち批判に対する駆け引きみたいなところはあるでしょうけど。スケールが違いすぎる。 田端:暗号資産の中でも「ビットコイン」だけはアリかも、もう売っちゃったけど(笑)。ビットコインという名前のブランド力は、携帯用ラジカセが何でもかんでも「ウォークマン」と呼ばれるようになったくらい強い。 テスタ:ウォークマン、懐かしい。 田端:もし中央銀行の信頼性がなくなればお金の価値はなくなる。キャッシュレス時代の今、そのお金も紙切れですらなく、単なるコンピューター上のデータ。それに比べたらビットコインのように「発行数量の上限が決まっている」というルールのほうが、よほど厳格な気がします。 テスタ:確かに、発行数量がもう増えないというビットコインは希少性が上がっていくのかも。まあ僕はこれからも日本株中心でやっていきますが(笑)。 (編集・文/安住拓哉、編集部・中島晶子) ※この記事は抜粋版です。「AERA Money2022夏号」で全5ページにわたる全文をお読みいただけます。

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    HiHi Jets高橋優斗くん 「先生の言うことが矛盾している」という質問に「大人も成長途中」

    HiHi Jetsのメンバーが小中学生からの質問に答える「放課後はまかせて! HiHi JetsにQuestion」。今回はグループの最年長、高橋優斗くんが登場!「質問エグい。マジで難しい!」と頭を抱えながらも自分で質問を選び、熱く回答してくれました。現在好評発売中の『ジュニアエラ』6月号から紹介します。 *  *  * Q)なんで時間というものがあるの?(ピーチャ・小5)  A)時間そのものについては俺もわかりません。でも、まず一つには、人間が生活するために必要だから、誰かが決めたものだと思う。  だって時間っていう世界共通の軸がなかったら待ち合わせもできないよ? ピーチャさんは今、学校が始まる時間に間に合うように朝起きるとか、起きるためには早く寝なきゃとか、時間という軸に沿って、集団生活や社会のルールみたいなものを守れるように練習している真っ最中なんです。  で、それを学んだ後は、みんなそれぞれの正解があると思う。死ぬまでの限られた時間の中で、何をするかは自由だからね。  選択肢は無限にあるけど、自分が満足できる、充実した人生を送れたほうがよくない? 俺はいかに自分が納得できる時間の使い方ができるか、意識しながら生きてます。  ピーチャさんも常識に縛られず、自分にとって納得できる時間の使い方をしてね。 Q)ときどき先生の言ってることが矛盾します。どう対応すればいい?(ぷっちょ・13歳) A)ちょっと大人っぽい言い方をするけど、しょせん、先生も人間。ムカつくかもしれないけど、そこでイライラするのって時間の無駄なんだよね。  先生って、これからみんなが社会に出ていくために、ある程度の基礎を教えてくれる人。人を育てるっていう選択をしてくれた人。先生だって……いや、どんな大人も日々学びながら成長している途中なんです。  だから矛盾に目を向けるより、尊敬できるところにフォーカスを当てて、吸収したほうがいい。いい意味で利用させてもらうほうが、ぷっちょさんがより魅力的な人間になれる近道だと思うよ。  今回、この二つの質問を選んだのは、俺自身が「限られた自分の時間」というものを強く意識しながら生きているから。成し遂げたい夢を設定して逆算すると、今、やるべきことが見えてくる。みんなも自分の正解を探してみてね。 (取材・文/大道絵里子) HiHi Jets高橋優斗/HiHi Jetsの5人が闇の掃除屋!?に扮するドラマ「全力!クリーナーズ」が、ABCテレビ(毎週日曜深夜0時25分~)、テレビ神奈川(毎週火曜夜11時~)で放送中! 【質問メール募集中】 『ジュニアエラ』では、HiHi Jetsのメンバーに聞いてみたいことや、ちょっと気になっていること、お悩み相談など、小中学生の質問を募集中! ジュニアエラ公式Twitter(@juniorAERA)のダイレクトメッセージかメールアドレス(mja@asahi.com)に(1)質問したいメンバー(2)質問したい内容(3)ペンネーム・年齢(4)連絡先(住所・本名・電話番号/質問が採用された場合、掲載誌を1部お送りします)をお送りください。

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    17時間前

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    佐藤二朗のガラケーとジャージはネタ? 担当編集者が真実を目撃

     個性派俳優・佐藤二朗さんが日々の生活や仕事で感じているジローイズムをお届けします。今回は2つの疑惑について。 *  *  * 当コラムの僕の担当が変わりまして。  変わったというか、以前まで担当だったK氏が出産・育児のお休みから復帰して、彼女がお休みの間、僕を担当してくれていたK氏(こちらもK氏。共に女性)から元に戻った形。  で、コロナ禍ということもあり、原稿のやり取りは主にメールで、なかなか対面でご挨拶が出来ていなかったので、これを機にお2人と会うことに。  2人のK氏に、大河撮影中のNHKに来て頂きました。その日、僕は午前中のワンシーンのみの撮影だったので、撮影が終わったあと、僕の楽屋でご挨拶することにしたのです。  撮影を終え、前室(撮影前に役者がいる控え室のようなところ)に行くと、2人のK氏が。 「わあ」 「わあ」というような表情をしたのではなく、音、出てました。「わあ」って。2人揃って「わあ」って口から出てました。  察するに、僕の鎌倉時代の扮装を見て、「わあ、テレビで見るのと同じ~」な感じの「わあ」でした。  2人とも、本当にいつも誠実な対応をしてくれる、優秀な担当さんですが、ドラマの現場はそんなに数多く経験はないでしょうから、とても素直な反応だなと思い、失礼ながら「かわいらしい反応だな」と思いました。 「ごめんなさい、着替えますので、ちょっとお待ちくださいね」と言う僕に2人のK氏は「いえいえ、どうぞごゆっくり」。その表情も完全に「わあ」のまま。  ふふ。なんか、和むなあ。俺にとっては映画やドラマの現場は日常だけど、彼女たちは出版や編集の現場は日常でも、やはりドラマの現場は物珍しいんだろうな。逆に俺がたとえばスポーツ界や漫画界といった異業種の現場に行くと「わあ」と思うのと似たような感覚かな。  鎌倉時代の扮装から私服に戻り、あとはメイクを落とし、カツラを外すのみ。  衣装部屋からメイク室に行く時にも前室を通り、「ごめんなさいごめんなさい、あとはメイクを落とすだけですので」 「いえいえ、ホントにどうぞごゆっくり」  ん? 2人のK氏、まだ顔が「わあ」のまま。鎌倉時代の扮装から私服に戻ったのに。むしろ一段階レベルが上がった「わあ」の表情。  カツラだな。カツラだ。2人とも時代劇のカツラをそんなに間近で見ることはないだろうから、カツラに対する「わあ」だな。  そのカツラを外し、メイクも落とし、比企能員から完全に佐藤二朗に戻り、2人の元へ。 「お待たせしました。さ、楽屋の方へ」  そう言った僕に、2人は「わあ」の表情のまま。むしろキラキラ。夢見る乙女レベルのキラキラ。  ちょ、君たちはいつまで「わあ」なのだ。  楽屋に入るなり2人のK氏。 「ずっと2人で話してたんです。わあ、ホントにジャージだあ。わあ、ホントにガラケーだあって」 ………そっちか。そっちであったか。そっちでござったか。業種、関係なし。ドラマ、関係なし。鎌倉時代もカツラも関係なし。普段の。等身大の。53歳のオジサンに対する「わあ」であったか。  どうやら当コラムで53歳のオジサンが幾度となく書いてきた「ジャージ」とか「ガラケー」とかのワードを、2人の担当K氏は「これ、もしかして、多少は、ネタじゃね?」と心のどこかで思っていたのだろう。  それが会ってみたら、完全にジャージで、完全にジャージって意味がよく分からんが、要するに誰がどう見てもまごうことなきジャージで、ジャージ着てガラケーを握りしめたオジサンが前室の辺りをウロチョロしてるもんだから「わあ」となったらしい。  2人のK氏と読者諸兄に告ぐ。  ネタではない。ネタで毎日のようにジャージを着たり、いまだガラケーを維持できるものではない。ネタではなく、ごめん特に思いつかないが、要するに、事実だ。一片の粉飾もない、まるっきりまるごとの事実なのだ。  俺、大丈夫なのかな、今のままで。  己を省みている場合ではない。そんな素直な反応をするK氏から素直な反応をするK氏にバトンが渡った当コラムをこれからもどうぞよろしくお願いしたいっす。 ■佐藤二朗(さとう・じろう)/1969年、愛知県生まれ。俳優、脚本家、映画監督。ドラマ「勇者ヨシヒコ」シリーズの仏役や映画「幼獣マメシバ」シリーズの芝二郎役など個性的な役で人気を集める。著書にツイッターの投稿をまとめた『のれんをくぐると、佐藤二朗』(山下書店)などがある。96年に旗揚げした演劇ユニット「ちからわざ」では脚本・出演を手がけ、原作・脚本・監督の映画「はるヲうるひと」(主演・山田孝之)がBD&DVD発売中。また、主演映画「さがす」が公開中。

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    12時間前

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    中日助っ人は大活躍の直後に「退団」 “優良”だったのに日本を去った外国人選手たち

     チームの浮沈のカギを握る外国人選手は、活躍すれば翌年も契約が更新されるが、成績不振の場合はたった1年で解雇というパターンが、ほぼお約束だ。  その一方で、そこそこ活躍したのに、諸々の事情から、わずか1年で日本を去った助っ人も少なからず存在する。  代表的なのが、1987年のボブ・ホーナー(ヤクルト)だ。  当時は珍しかったバリバリの現役メジャーとして4月末に来日すると、最初の4試合で11打数7安打6本塁打という驚異的な成績を残し、“ホーナー旋風”を巻き起こした。  最終的に出場93試合で打率.327、31本塁打、73打点を記録し、観客動員数アップにも大きく貢献したとあって、球団側も3年契約の総額15億円の条件で引き留めを図ったが、ホーナーは環境になじめない日本よりも本国でプレーすることを望み、年俸1億円でカージナルスと契約した。  だが、メジャー復帰後は左肩を痛めて60試合出場の3本塁打に終わり、たった1年で戦力外に。そこで翌89年、再びヤクルトに売り込んだが、“商品価値”の下落に加え、すでに外国人枠が埋まっていたため、断られてしまい、間もなく現役引退を発表した。  ヤクルトといえば、93年に入団したレックス・ハドラーも、打率3割をマークしながら、たった1年でクビになった。  勝負強い打撃が売りのハドラーは、同年5月19日の広島戦で16対16の延長14回にサヨナラ打を放つなど、一時はセ・リーグの首位打者争いにも名を連ね、“恐怖の8番打者”と呼ばれた。  また、雨で試合が中止になった日の余興としてミミズやアリを食べ、「グッド・テースト」「グッド・フレーバー」を連発。これらの悪食は、試合中止でネタに困った報道陣へのサービスという意味合いもあったようだ。  同年は打率.300、14本塁打、64打点を記録し、チームのV2に貢献したが、守備の不安や長打力不足がネックとなり、オフになっても、球団側は残留→解雇→残留→自由契約と二転三転し、なかなか結論を出せない。  11月末、帰国して膝の治療を受けたハドラーから「来季のプレーに支障がない」と連絡が入ると、ようやく再契約に向けて交渉を始めることになったが、その矢先、前巨人の長距離砲、ジェシー・バーフィールドの入団が内定したことから、ハドラーは押し出される形で自由契約になった。  ところが、バーフィールドもアストロズとの二重契約問題でまさかの獲得断念。ここでもハドラーは代役としてお呼びがかからず、入団したのは、ジェラルド・クラークだった。  そのクラークも、翌94年は打率.293、20本塁打とそこそこの成績を残しながら、1年で解雇されている。  ベストナインに選ばれたのに、1年限りで退団したのが、90年の中日・バンスローだ。  ファーストネームの「バンス」にファミリーネームの「ロー」をくっつけてフルネームがそのまま登録名になった助っ人は、酒もタバコもやらない敬虔なモルモン教徒だった。  家族思いでも知られ、5月23日の巨人戦では、夫人と4人の子供をナゴヤ球場に呼び、「今日はドアラ人形を貰ってあげるよ」と約束。その言葉どおり、斎藤雅樹から8号ソロを放ち、賞品のドアラ人形をゲットした。  その後も7月8日の阪神戦で4打数3安打5打点を記録するなど、落合博満のあとの5番として活躍し、打率.313、29本塁打、78打点の好成績で、三塁手部門のベストナインに選ばれた。  星野仙一監督も「来季は3番」と期待したが、8歳の長女が脳腫瘍で闘病中だったことから、帰国後の11月19日、「家族との時間を優先させる」と退団を申し出、アスレチックスと契約。「本当に痛い」と星野監督を残念がらせた。  特大の場外弾を連発したにもかかわらず、1年で解雇されたのが、90年に大洋入りしたジョーイ・マイヤーだ。  後に横綱に昇進した曙の従兄弟としても話題になった助っ人は、練習時間の長い日本にあっても、“郷に入っては郷に従え”でキャンプから手を抜くことなく、まじめに調整を続けた。  その甲斐あって、4月7日の開幕戦、中日戦で4番デビューをはたし、西本聖から来日1号を放ったが、好事魔多し、4月中旬に肋骨骨折で離脱してしまう。  しかし、復帰後の5月19日の広島戦では、球場の外を歩いていたカップルを仰天させる推定140メートル場外弾を放ち、8月29日のヤクルト戦でも、横浜公園まで届く推定160メートル場外弾を記録した。  さらに9月15日のヤクルト戦では、こけら落としとなった勝田市民球場の第1号となるシーズン26号を放ち、リーグトップの落合まで3本差に迫った。  ところが、これからラストスパートというときに左足を骨折し、残り14試合を棒に振ってしまう。  出場104試合で打率.275、77打点と助っ人として及第点の成績を残したものの、4月の肋骨骨折、6月の左足関節捻挫に続くシーズン3度の故障は、大きなマイナス材料となり、ロバート・レイノルズの獲得で外国人枠からはみ出て、解雇された。  大洋は92年に打率.308、26本塁打を記録し、100打点で打点王を獲得したラリー・シーツも契約面で折り合わず、1年で退団。当時の大洋は、毎年のように優良助っ人が入団してきたので、見切りも早かった。  2000年代では、2000年に西武入りしたトニー・フェルナンデスも、ハンマーで素振りをするなどのユニークなトレーニングで話題を呼び、リーグ4位の打率.327をマークしたが、38歳という年齢から、これまた1年で日本を去っている。(文・久保田龍雄) ●プロフィール久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」(野球文明叢書)。

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    投資信託は最悪どこまで下がる? S&P500と全世界株式の30年検証

     2021年までの絶好調相場から一転、米国株は2022年に入り軟調といっていい。そもそも株式市場には暴落が付きものだ。アエラ増刊「AERA Money 2022夏号」では、過去30年の実績から見て「どれくらい下がる可能性があるのか」を検証している。  株価の暴落といえば数年に1回はあるもの。だが暴落が止まらなかったことは一度もない。投資ビギナーはまず、過去の暴落でどのくらい下がったか、どのくらいで回復したかを知っておこう。  取材をお願いしたのは、セゾン投信代表取締役会長CEOの中野晴啓さん。セゾン投信は「セゾン資産形成の達人ファンド」をはじめとする投資信託(以下、投信)の運用会社だ。同社の運用する3本の投信の資産総額は2022年3月に5000億円を突破した。  今回は米国株の代表的な株価指数「S&P500」と、世界中の株式に投資する「全世界株式」の値動きを捉えた指数「MSCIオール・カントリー・ワールド・インデックス」を教材とした。  それぞれの過去30年の暴落局面を調べてみると、ワースト3は次の通り。3位がやや予想外の結果だった。 1位 リーマン・ショック 2位 ITバブル崩壊 3位 コロナ・ショック   最も下落率の大きいリーマン・ショックのとき、「全世界株式」は1年4カ月にわたって56.2%も下落。暴落前の高値を回復するのに6年8カ月かかっている。  リーマン・ショックの震源地となった米国のS&P500は、1年4カ月かけて52.6%下落、戻るまでに5年5カ月かかった。 「30年以上、資産運用の世界で生きてきた私にとってもリーマン・ショックは過去最大の暴落でした。資産運用の歴史の中では下落率50%超、すなわち投資金額が半値になるような暴落がたまにある、と考えておきましょう」(中野さん)  下落しはじめてから回復までの期間で見ると、S&P500が2000年のITバブル崩壊以降、6年9カ月かかっているのが最長だ。  つまり60歳になっていざ換金をはじめようとした矢先に下落がはじまって、そのまま下げ止まらなかった場合、「すっかり元に戻るまで7~8年くらいかかることもある」ということ。 「株価というのは、デコボコ、ギザギザした値動きを繰り返すものです。何がきっかけで暴落が起こるかは誰にもわかりません。  ただ、結果的に株式市場は3つの暴落を乗り越えて右肩上がりで上昇しています。長い時間軸で見れば、株価は成長に見合った水準に収まっていくものなのです」  2021年までは米国株を中心に株式市場の調子がよすぎた。そのせいもあり「S&P500などに投資していれば儲かる」という油断(?)も生じていた。  2022年に入ってから米国株は下がり、ウクライナ危機もあり、投資ビギナーの間には動揺が見られた。 「株価が下がっているときは、多くの投資家が『この下落がずっと続くかも』と不安になります。しかしどんな暴落もいずれ終わる」  つみたて中は悩む必要はない。いつか終わるなら「今月は安く買えてラッキー」と思いながらつみたて続ければいい。では、運悪く老後を迎える前後にリーマン・ショックのような大暴落が起こったら、どうすればいいのか。 「老後は運用資産のすべてを現金化しなければいけない、という『思い込み』は捨ててください」  でも、年金は原則65歳スタート。60歳で定年の会社も多い。5年間、嘱託社員などで会社に残るか、別の仕事をしないと、年金も何もお金は入ってこない。 「『運用資産を取り崩すときは全額を換金しないとダメ』なんてルールはありません。60歳以降に自分が働かないなら、お金に働いてもらって育て続けましょう。老後も運用(保有)を続けながら必要な分だけ取り崩すのです」 ■預金や年金もあるから  世の中には「60歳まで積極的に投資、60歳以降はハイリスクな投資は終了。できれば預金」という考え方が常識化している。  しかし老後は長いのだ。先ほど「S&P500はITバブル崩壊から元に戻るまで6年9カ月、つまり回復まで7~8年くらいかかることもある」と述べたが、60歳時点で資産が投信のみ、預金は0円という人は少ないだろう。  65歳からは年金もある。投信だけを見て不安になるのもおかしな話。預金や年金もセットにして考えたい。そして人生100年と考えれば、60歳で投資終了というのは早すぎる。 「長期投資に一番必要なのは、おおらかさです。買うときも売るときも、淡々と機械的に。下がったら怖いとか、売ったあとに上がって『もっと儲かったのに』という強欲から離れるためにも自然体でいきましょう。  投資についていろいろ考えすぎず、自分の人生にとって、本当に楽しみなことに貴重な時間を使ってください」  (編集・文/綾小路麗香、伊藤 忍) ※『AERA Money 2022夏号』から抜粋

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    4630万円誤送金で脚光浴びた「フロッピーディスク」 絶滅どころか公的機関でいまだ“現役”の事情

    「えっ、いまだにフロッピーディスクを使っているの?」  そう思った人も少なくないだろう。  山口県阿武町で誤って1世帯に4630万円を振り込んだ、いわゆる誤送金問題。18日夜、県警は同町の田口翔容疑者(24)を電子計算機使用詐欺容疑で逮捕したが、誤送金に至る過程で、町役場から銀行に依頼データの入ったフロッピーディスク(FD)を渡したことが報じられると、「旧石器時代」「時代遅れ過ぎる」など、驚きや嘆きの声がSNSに上がった。ところが取材してみると、絶滅していたかのように思われたFDは、一部の中央省庁や役所、銀行、企業ではいまも日常的に使われていることがわかった。それぞれの事情を聞いた。 *   *   *  山口県阿武町からFDでの振り込みを依頼された山口銀行などを傘下に持つ「山口フィナンシャルグループ(FG)」にたずねると、「山口銀行は、FDなどによる振り込みおよび口座振替依頼データの授受については昨年5月末日を持って廃止させていただいております」と言う。  ところが、山口銀行はFDによる振り込みデータの受け渡しを現在も行っている。なぜか。 「新規の受付は行っておりませんが、既存のお客様から、FDでの振り込みを継続させてほしい、というご要望があれば、対応せざるを得ないという状況です」  山口銀行は、これまでFDで振り込みを依頼してきた顧客に対して、同行のインターネットバンキングを通じて振り込みをしてもらえるように交渉してきた。 「ただ、昔からずっとお取引していただいているお客様の利便性の観点からすると、FDを廃止するのは難しい側面があります」  担当者はすんなりとはいかない事情を、そう説明する。 ■東京の区役所でもFD  一方、東北地方のある銀行によると、FDでの引き落としは「公官庁から依頼されることが多い」と関係者は言い、こう続ける。 「県内では、市役所や町村役場でFDを使っているところが多いです。税金や国民年金、国民健康保険料の引き落としなどです。そんなわけで、私どももそれを引き受けざるを得ませんでした」  この銀行では半年ほど前から県内の各市町村に打診して今年中にFDの取り扱いを終了し、すべてインターネットバンキングに切り替える予定だ。 「理由としては、FD自体を新しく購入するのが困難になってきたこと。それから銀行に置かれた読み取り装置のメンテナンスが難しくなったこと。万が一、故障してしまったら、市町村の担当者の方が窓口に来られても手続きが滞ってしまいますから。そんなわけで、FDの取り扱いを終了させていただくことになりました」(同)  知るほどに驚く、FDの“現役”利用。だが、それは地方の市町村だけではない。  東京都千代田区は今年3月まで介護保険や障害者介護、生活保護に関する給付金の振込みにFDを使用していた。使用を終了した理由を会計室の担当者にたずねると、こう説明する。 「これまでFDを繰り返し使ってきたのですが、いずれ破損したり経年劣化で使えなくなったりすることも考えられます。もうメーカーもFDの製造を打ち切ったという話も聞いておりました。それらもあって使用を徐々に縮小し、昨年度末をもって、最終的にFDの取り扱いをやめたわけです」  ちなみに、国内大手のFDメーカーだったソニーが国内販売を終了したのは、2011年3月である。もう10年以上前のことだ。 「FDはいまとなっては記憶容量が少ないですし、持ち運びの際にどうしてもセキュリティーの問題も生じます。これからは庁内の端末に入力したデータはインターネット経由でやりとりを行います」(千代田区担当者) ■行政サービスの一環として  霞が関の中央省庁もFDを使っている。その一つが、厚生労働省だ。  厚労省は医薬品や医療機器メーカーから送られてきた製品に関する申請書類を審査する。そこでいまも続けられているのが書類データをFDで提出する「FD申請」だ。 「制度の名称としては『FD』とありますが、実際、9割9分はCDかオンラインの申請です。過去の名残というか、通称として『FD申請』という名前が使われています」  同省医薬品審査管理課の担当者はそう説明するが、こうも胸の内を明かす。 「ただ、こちらとしてはせめてCDで出してくださいとお願いしてはいるんですけれど、『どうしてもCDは使えない』という方が、ごく少数ですがいらっしゃいます。行政サービスとしてはうちのFDドライブが生き続けるかぎりはFDを受け付けざるを得ないという事情があります。できれば、持ち込まれるメディアはCDに統一したいのですが、メーカーさんのことを考えると、世の中からFDが枯渇するまでは止められないですね」  FD本体は極めて薄い磁気記憶媒体であるため、CDやDVDなどと比べて故障しやすい。 「気づかないうちに磁気に触れてデータがとんでしまうことがあります。それでも、CDを使うように強制することはできません。あくまでお願いベースです」(厚労省担当者) ■保証期間はとっくに過ぎている  ちなみに、現在インターネット上などで販売されているFDのほとんどは10年以上前に製造された未使用在庫品である。メーカーもこんな長い期間、使われ続けるとは想定していなかっただろう。当然のことながら、保証期間はとっくに過ぎている。  パソコンの周辺機器の老舗メーカー、ロジテックが「最後のWindows対応のUSB外付け型FDドライブ」の販売を終了して、久しい。ただ、パソコン用品メーカーの大手のエレコムに聞くと、FDを収納するプラスチックケースは「数量は少ないですが、現在もコンスタントに売れている状況です」と言う。  昭和に輝いたテクノロジーの産物FDだが、令和のこの時代でも根強く使われていることがわかった。コレクションとして私的に使うのはいいが、触ったことも見たこともない若年層も多い中で公的機関が業務で使用するのは、そろそろ潮時ではないだろうか。 (AERA dot.編集部・米倉昭仁)

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    クロちゃんが絶対やってはいけない"筋トレ"行い医師が警告「このままでは歩けない体になる」 

     安田大サーカスのクロちゃんが、気になるトピックについて"真実"のみを語る連載「死ぬ前に話しておきたい恋の話」。今回のテーマは「筋トレ」。自身のSNSで、ジムでの筋トレの様子を頻繁にアップしているクロちゃん。実は昔から体を鍛えることが好きだったクロちゃんだが、一時は間違った筋トレをやりすぎて、ドクターストップがかかった経験もあるという。そこまでしてクロちゃんが筋トレを続ける理由とは? *  *  * あんまり信じてもらえないんだけど、ボクは週3回のペースでジムに通っている。SNSなどでは「ウソつくな!」とかって散々いわれるんだけど本当だからね(笑)。 ジムに通う日は、朝4時に起きて、支度をして、4時半には自宅を出るのがルーティン。ジムまでの移動は基本、徒歩。1時間弱かかるんだけど、これもトレーニングの一貫だと思っている。到着するのは5時半頃。午後からよりも、朝のほうが空いていて、器具もいろいろ使えるから、トレーニングがしやすいんだよね。 ベンチプレスやダンベル、ハイプーリーなどを使って、主に上半身を鍛えるトレーニングに今は取り組んでいる。ちなみに下半身は、あまり鍛えないのがボクのこだわり。下半身のトレーニングをやりすぎると、2~3日疲れが取れなかったりするからね。ボクは、散歩が好きで日頃からよく歩いているから、そこで下半身の筋力は十分カバーできているはずなんだ。だって、仕事のスケジュールが問題なければ、ジムからも徒歩で帰ったりもするからね。午前中で1万歩以上を歩くなんてことも決して珍しいことじゃない。健康的な生活で良いでしょ? そもそもボクは昔からジムが大好き。通いはじめたのは大学生の頃だから、もう25年以上になる。当時は、体重が108キロまで増えてしまっていて、「体重が煩悩の数なんてヤバい」って焦ったのが通い始めるきっかけ。その時は「とにかく痩せたい」って精神的にもかなり自分を追い込んでいたから、筋トレ以外にも、エアロビやヨガなども取り入れてめちゃくちゃ頑張った。そのおかげで、ダイエットは大成功。108キロもあった体重がなんと66キロまで落ちたんだ。  この時の成功体験と、自分の身体が変わっていくさまがたまらなく面白くて、ボクはすっかりジムにハマってしまった。ピークに鍛えていた頃は、130キロのベンチプレスも持ち上げることができたし、一時は3つのジムを掛け持ちしていたこともある。当時はなぜか「ジムを掛け持ちすること」が、ステータスのように感じていた。ただ、掛け持ちしていたといっても、うまく使い分けていたのかって聞かれたら、全然そんなことはない。トレーニングも独自のメニューをこなしていたから、効率も悪かったし、体にも負担がかかりすぎていた。  ジム初心者の方に言っておきたいけど、間違ったトレーニングをやり続けるのは、けっこう危険だよ。しらずしらずのうちに、自分の身体が悲鳴をあげている可能性があるからね。かなり昔の話だけど、ボクは「花の慶次」っていう漫画に出てくる、片腕だけ異常に太いキャラクター「岩兵衛」に憧れて、"右腕"だけを集中的にトレーニングをしていたら、ドクターストップがかかったことがある(笑)。 今、振り返っても、たしかに、あれは、ちょっとやりすぎていた。 暇さえあれば、右腕がパンパンになるまで、ずーっと筋トレしていたからね。握力ボールとかであれば5~6時間以上は平気でやり続けてしまうくらい……。 当然、右腕はだんだん太くなっていった。「岩兵衛」のように、右腕と左腕の太さの"差"をつけたかったのもあって、左腕はまったく鍛えずにいたんだけど、結局、これがダメだった。 ある日、朝起きたら、突然、体に激痛が走ったんだよね。あまりの痛さで布団からまったく出られないくらいに……。これはボクもびっくりした。あまりの痛さに「これはダメだ」って思って、急いで病院に駆け込んだ。お医者さんからは「(右腕のみの筋トレをやりすぎて)身体の左右のバランスが非常に悪くなっています。このまま続けていると、最悪の場合、歩けない体になる可能性もありますよ」と告げられた。衝撃的だった。今考えると、なんて恐ろしいことをしていたのかと怖くなるよ。 熱中しすぎると、周りが見えなくなって、とことん突き詰めてしまうのがボクの悪いクセだなってことを改めて感じた瞬間だった。その時の無理なトレーニングの影響で、いまだにボクの身体のバランスは少しおかしい。正面からボクを見るとよく分かるけど、右肩のほうが左肩よりもじゃっかん下がってしまっているからね。たぶん、これはもうなおらない。  やっぱり、トレーニングはきちんと正しい方法で行わなくちゃ駄目だね。あと、絶対無理はしちゃいけない。 だから、今では専属のトレーナーさんもちゃんとつけているし、無理なトレーニングして、自分を追い込むこともしていない。結局、それがいちばん効率も良いし、なんといっても、ジムに「長く通い続けること」の秘訣(ひけつ)なんだよね。  ボクは、ジムって「通い続けること」に意味があると思う。もちろん無理のない範囲で。  やっぱり人間、健康がいちばん。ボクは昨年コロナになって、それが身にしみてわかった。残りの人生、できるだけ長く健康でいるために、ある程度の体力や持久力、免疫力を、適度な運動することで、つねに維持しておきたいっていうのが、ボクがジムに通う最大の理由なんだよね。 あと、ボクの場合、「水曜日のダウンタウン」(TBS系)で無人島に突然連れていかれたり、いきなりプロレスの試合に出ることになったりなどのハードな仕事も多いから、それに耐えられるための体作りっていう目的ももちろんある。どんな仕事でも、プロとして絶対NGは出したくないからね。 それに、シンプルに、運動するのってやっぱり気持ちいいよ。ジムに興味があるけど「どうしようかな」って迷っている人は、週1回でもいいから、無理のない日程を決めて、とにかく一度通ってみるといい。そこで自分を追い込む必要なんかまったくないし、嫌なら休んだっていい。 これはボクだけの感覚かもしれないけど、「ジムに通っている」ってことでだけで、自己満足度が勝手にあがって、自分に少し自信がついたり、気分転換にもなったりするんだよね。 友達や恋人と一緒に通うのだってきっと楽しいと思う。ボクも、いつかは恋人とジムデートしてみたい。ボクは、筋トレの知識も豊富だから、いろいろとアドバイスができると思うからね。 健康的な体を維持することがもちろん大前提だけど、余力があれば、プロレスラーのオカダカズチカさんや棚橋弘至さんみたいなたくましい身体づくりも目指したい。女性に頼られるような強い男ってやっぱり憧れちゃうんだよね。今は昭和のプロレスラー体型っていわれるから、なんか嫌なんだ。 しかし、これだけジム通っているのに、なぜ、もう少し痩せないんだろう……。不思議だよね? 明日も筋トレ頑張るしん。 ◎クロちゃん/1976年12月10日生まれ。広島県出身。2001年4月に団長安田、HIROと「安田大サーカス」を結成。スキンヘッド、強面には似合わないソプラノボイスが特徴(構成/AERA dot,編集部・岡本直也)

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    広瀬すず「いろいろな感情に出会いたい」 デビュー10周年の危機感とヒント

     公開中の映画「流浪の月」(李相日監督)で女児誘拐事件の“被害者とされる女性”を演じた広瀬すずさん。俳優としてデビュー10周年を迎え、心境にも変化があったという。AERA 2022年5月23日号から。 *  *  * ――ある誘拐事件の“元誘拐犯”と“被害女児”の出会いと再会を描いた映画「流浪の月」で、主人公で被害者の更紗(さらさ)を演じた。「怒り」以来、6年ぶりの李相日監督作出演になる。 広瀬すず(以下、広瀬):この世界に入ってから満たされたと感じたことはないんですが、「怒り」では思うようなお芝居ができなさすぎて、“悔しい”を通り越して虚しさを感じた初めての作品でした。お芝居のお仕事をやっていく上で必要な熱量をたくさんもらえた時間でしたし、ずっと忘れてはいけないと思える経験です。  それ以来、もう一度李監督の映画に「また参加したい」とずっと思っていました。また呼んでいただけたのが素直にうれしかったです。楽しさよりも緊張感がある現場なので、日々身構えて臨みました。 ■「何が真実なのか」 ――更紗と“元誘拐犯”の文(ふみ)(松坂桃李)は、いわゆる恋愛感情という言葉ではくくれない、強固な関係性で結ばれている。 広瀬:更紗と文の関係性はただ「好き」とか「一緒にいたい」という感情ではなく、まだ言葉として存在しないようなものだと思いました。どうやったら形にできるのか、最初は全く想像できないくらい難しかった。演じていくうちに、更紗にとっては一緒にいてくれる文といることが居心地がいいと思ったので、しがらみなく大胆にいようと思いました。桃李さんはエネルギーの溜め方が尋常ではなく、役者としてリスペクトすると同時に、安心感がすごくありました。  一方で、更紗は恋人の亮くん(横浜流星)に対しては、言葉を交わしていたとしてもどこか狂気を感じている。さわったら血が出そうな棘(とげ)のある雰囲気を流星くんがすごくうまく作ってくれました。まわりの人にすごく助けられた現場でした。  更紗と文はお互いの孤独を埋めるように一緒にいただけなのに、世間からは青年と女児というレッテルを貼られて注目されて、事件の後も生きづらくなってしまった。でも、ふたりは何も嘘はついてないんです。「何が真実なのか」という視点でこの映画を観ていただけたら、更紗と文のような思いをしている人にとっての希望につながると思っています。 ――デビュー10周年を迎えた。仕事で楽しいと感じる瞬間について聞いた。 広瀬:「いま全部出てた!」って思うような感情が激しいお芝居をやっている時に、特にこのお仕事の楽しさを感じます。感情が枯れてしまうところまでいくお芝居をしている瞬間は楽しさは感じないんですけど、完成した映像を観ると楽しいし、そういうお芝居をしている人を見るのも好きです。すごくすっきりするし、そこにしかない高揚感が気持ちいいんです。  10代の時はすごく負けず嫌いでいつも心は燃えていて、それが目にも出ていたと思います。でも、そうやって自分を削ることに疲れたのか、今は人と比べるというより、「この世界が好きだな」という自分目線に変わりました。 ■楽しくいられたら 広瀬:私は運がよくて、まわりに「この人とお仕事がしたい」と思える人がたくさんいます。信用できる人もたくさんいるので、「この人たちについていけば大丈夫」とも感じています。そういうふうに思うことで、「また呼んでもらえるように、自分なりにお芝居を楽しもう」という心境になり、すごく楽になりました。  前は目標みたいなものもあったんですが、前例がないものになろうとした方が絶対に面白いなって思うようになりました。でもそのために何を頑張ればいいかわからない(笑)。それで欲がわかりやすく出なくなりました。強いこだわりを持つこともすてきだけど、今の私はこだわりを持ってもすぐに捨ててしまう(笑)。柔軟に楽しくいられたら一番いいなと思います。 ――一方で、14歳でデビューしてローティーンから役者として活動してきたことで感じる“壁”もあるという。 広瀬:私は14歳でこの仕事を始め、運よくすぐにお仕事をたくさんいただけるようになったので、学校に行く日よりもお仕事に行く日の方が圧倒的に多かったんです。普通に学校に通って就職するという経験を全くしていないので、そういう役を演じる時は想像でしか演じられない。恋愛にしても、「流浪の月」の更紗のように同棲経験があるわけでもない。李監督とも、「もっと人生経験を豊富にしていかないと、今後はより壁を感じるのではないか」という話をしました。華やかで非現実的な生活を送っているような役より、普通の役を演じることが多いので、余計に危機感を覚えます。  いまの環境はまわりの人が守ってくれて、とてもありがたいんですが、お芝居をする上では良くない気もしていて……。どうやったら、いろいろな景色や感情に出会えるんだろうと思うことがあります。たまに同じ仕事をしている方に話すと、大体「しかたないよ」って返ってくるので、私が求めすぎなのかなと思って「すみません!」って気持ちになっています(笑)。 ■人と人とのつながり ――ただ、その壁を解決するヒントも得ていると話す。 広瀬:20歳を過ぎてから、ずっと一緒にいられるような仲の良い人と出会えることが増えたんです。自分がまわりの皆さんに守ってもらってきたように、自分もまわりの人を守ったり、大切にしたいと思うようになりました。お仕事でもプライベートでも10年くらい一緒にいる方も何人かいて、そういう人はこれからどんどん増えていくと思っています。人と人とのつながりは、たとえばどんなお仕事をしているかとかで境界線がない、すごく普遍的なもの。だから、それをきちんと大切にしていきたいと思っています。 (構成/ライター・小松香里)※AERA 2022年5月23日号

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    沢田研二の「せやろ」にファン“キュン死” 新作映画の特報ムービー解禁

     沢田研二主演映画「土を喰らう十二ヵ月」の劇場公開日が11月11日に決定し、特報ムービーとメインビジュアルが解禁された。本作は水上勉のエッセー「土を喰う日々 ―わが精進十二ヵ月―」が原案。長野の山荘を舞台に、沢田が演じる作家「ツトム」と松たか子演じる担当編集者で25歳年下恋人の「真知子」との“食”を交えた交流や、四季折々の自然の恵みについて描く。  今回発表されたムービーにおさめられたのはツトムが真知子のためにお茶を点てるシーンや、二人肩を並べて出来上がったばかりの若竹煮をほおばるシーンなど。広報担当者に聞いたところ「今回のムービーは食に特化した形でまとめました。男性が女性のためにお茶を点てるシーンって珍しいですよね。その流れでツトムを見つめていた真知子が思わず『いい男ねぇ……』とつぶやき、ツトムが『せやろ?』と応じるのがとても素敵だと思いました。  また、耳を澄ませばお茶を点てる音、炒め物をする音、料理を噛みしめる音など美味しい音がいっぱい聴こえることに気付いてもらえると思います。眼だけでなく五感で作品を想像できるムービーになっているんじゃないでしょうか」とのこと。  本作は料理担当として料理研究家の土井善晴が参加していることでも話題だ。「若竹煮を食べるシーンの撮影には私も立ち会ったのですが、本当にすごくいい雰囲気で撮れていて中江(裕司)監督や関係者たちもお気に入りなんです。若竹煮は土井さんが監修して沢田さんと作ったもの。撮影後にみんなでいただいたんですが、本当に美味しかったです」(広報担当者)   特報で公開された沢田の「せやろ」はファンの間でも話題に。SNSでは「この“せやろ”でキュン死した人何人いるだろう」「世界一かっこいい"せやろ"でしたね~」と盛り上がっていた。  筆者にとって印象的だったのはメインビジュアルに記された「喰らうは生きる 食べるは愛する いっしょのご飯が いちばんうまい」というフレーズ。このフレーズを頭に入れた上でムービーを見れば、本作は老境に至るも決して枯れないツトムと、中年に差し掛かる女性ならではの艶やかさをまとった真知子が織りなすラブストーリーなのだと理解できる。  70代(現在73歳。撮影時は71歳~72歳)を迎えた沢田が今でもこんなに色気あふれる演技を見せるとは思っていなかった。7月に皮切りとなる全国ツアー「まだまだ一生懸命」もチケット争奪戦だった。やはりジュリーはいつまでもジュリーなのだ。  (中将タカノリ) ※週刊朝日2022年6月3日号 <特報映像> https://www.youtube.com/watch?v=Vv4A7bgl47w

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    江口のりこ、結婚相手は「俳優は絶対にイヤ」 理想は夢で見た外国人のおじさん?

     ドラマ「半沢直樹」「SUPER RICH」など、次々と話題作で独特の存在感を示してきた俳優の江口のりこさん。最近では大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に出演中です。作家・林真理子さんとの対談で、ブレークした今の生活や結婚観などを明かしました。 【江口のりこ、高校に行かず2万円で上京 3畳間に住み新聞配達から売れっ子へ】より続く *  *  * 林:いまのこの状態は、すごく満足なんでしょう? こんなに売れっ子になって、好きなお芝居をきちんきちんと定期的にやれて。 江口:舞台が好きなので、舞台があるとうれしいなあという思いはありますね。でも、いまの自分が大満足で100点満点かというと、ちょっと違うかもしれない。 林:もっとお芝居が増えたほうがいい? 江口:いや、それはいいです(笑)。 林:あんまり働きたくない? 江口:うーん……。働くのは好きです。休みがたくさんあると数日で飽きて、何すればいいのかなと思うし、かといってメチャクチャ働いてると、これがほんとに楽しいことなのかなと思ったりもするし、いつも矛盾してるようなところがあります。 林:いまこんな売れっ子になっても、生活は変わらないですか。 江口:そうですね。2年前と同じマンションに住んでますし。 林:お酒は飲むんですか。 江口:まったく飲まないです。 林:人気者になっても、素敵な人はあらわれなかった? 江口:ハハハハ。私はそっち方面ではいま楽しくないですね。男の人、こんなに働く女はイヤじゃないかなって思いますよ。私、メチャメチャ働いてます。それだけです、はい(笑)。 林:お金がたまるだけ? 江口:お金がたまっても、ただの数字という感じで、「これが楽しいから、これに使いたい」というのがないんです。 林:とりあえずマンション買っとこうとか。 江口:ないですねえ。そういうことに興味がないのかも。 林:江口さん、芸能界にお友達いるんですか。 江口:いないです。 林:いなさそうですよね、いまのお話を聞くと(笑)。成功してよかったですね。お芝居というものに出会わなかったら、いまは無気力な人間になってたかもしれない(笑)。 江口:私もそう思います。もし芝居をやってなかったら、ちゃんとした仕事してないと思う。 林:いまごろ故郷で小さいお店やって「昔、女優を志してたんだ」なんて言ってたかも。 江口:いや、店もできないと思いますよ。どこか住み込みで働いてるんじゃないですか(笑)。 林:これから、この監督さんにこんな感じに撮ってもらいたいな、というのはあります? 江口:そんなのもあんまりないですね。このホン(脚本)でこの役でこんなふうにしたい、というのはほとんどないんですよね。 林:自分がプロデュースして何かやってみようとかは? 江口:まったくないです。私は永遠に使われる身でいたいです。自分で何かを企画するなんてこと、これっぽっちも考えてないし、イヤですね、それは。 林:でも、恋愛ドラマのときに、台本もらって「ケッ。こんなこと言うのか」って内心思ったりすることありません? 江口:そんなん、いつも思ってます(笑)。「なんじゃこれ」と思いながらやってます。だいたい、そばにいる旦那さんや恋人に対して「あなた」って呼ぶこと自体、私にとってはものすごく苦手なことなんですよ。だから、そこはもう楽しむしかないです。 林:江口さんが出てきたとき、男の人が「すごく色気がある」って書いてたけど、私もそう思う。 江口:へ~え。 林:いまもそうですよ。華やかな人が振りまく色気とはまったく違うネトッとしたこの色気って、何なんだろうと思う。自分では心当たりないですか。 江口:ないですねえ。 林:ということは演技力なんだ、あの色気は。 江口:いやあ……。目が一重だからじゃないですか(笑)。 林:その目がいいですよ。ところで、若い俳優さんって、たとえばお芝居で「ロミオとジュリエット」のバルコニーの場面を3カ月やると、本当に恋人になっちゃうみたいですね。 江口:簡単にすぐ好きになっちゃいますからね、だいたい。 林:江口さんはそういうワナに陥らなかったんですか。 江口:すべてワナだと思ってるので、ちょっとでもそんなふうに思ったら、「気をつけろよ」って自分に言いますね。だから共演者を好きになることはないです。 林:でも、この後もしかしたら年下の俳優さんと電撃結婚するかもしれない。氷のようなお姫さまの心を溶かす人が出てきて。 江口:俳優は絶対にイヤです。どこかでライバル意識があると思うんです。こっちは仕事がいっぱいあって、向こうがなかったり、その反対だったり、絶対あるじゃないですか。そんなときお互い気をつかうと思うんです。 林:お酒も飲みに行かないし、他業種の人とつき合うチャンスないじゃないですか。 江口:ないですねえ。でも、きのう夢を見ました。UFOを呼べる外国人のおじさんがいて、一緒にUFOを呼ぼうという仕事があって。その人と一緒に休憩してて、私が寝てたらその人が毛布をかけてくれて、こういう人とつき合えばいいんだなと思って隣を見て、「やっぱりイヤ」と思う夢(笑)。 林:それはハリウッドに行け、という夢じゃないですか? 江口:メチャクチャいいほうに解釈しますね(笑)。 林:SF映画のオファーが来て、日本人女性の役で出て、でも、なんだこんなもんか、と思って帰ってくる。そう思ったらどうですか。 江口:なるほど。じゃ、期待してます、そんなふうに(笑)。 林:江口さんに初めてお会いしたけど、私が思ったとおりの人でしたよ。なんだかうれしいな(笑)。 (構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木俊雄) 江口のりこ(えぐち・のりこ)/1980年、兵庫県生まれ。2000年に劇団東京乾電池に入団。舞台、映画、テレビなどで幅広く活躍。過去の出演作に、舞台「奇跡の人」「寿歌」「神の子」「Home,I’m Darling~愛しのマイホーム~」、ドラマ「半沢直樹」「SUPER RICH」など。放送中のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に出演するほか、舞台「お勢、断行」(5月11~24日・世田谷パブリックシアター、28日~6月19日・兵庫、愛知、長野、福岡、島根)への出演が控える。※週刊朝日  2022年4月1日号より抜粋

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    江口のりこ、高校に行かず2万円で上京 3畳間に住み新聞配達から売れっ子へ

     舞台、映画、テレビなどオファーが絶えない俳優の江口のりこさん。いまや話題作に引っ張りだこの存在ですが、お芝居ひと筋の覚悟がうかがえる過去がありました。作家・林真理子さんに、サバサバした口調で率直に話してくれました。 【江口のりこブレークの実感なし? 「やってることはぜんぜん変わらない」】より続く *  *  * 林:江口さんは劇団東京乾電池のご出身ですよね。 江口:はい。いまもそうです。 林:東京乾電池の柄本明さんに憧れて、とおっしゃってますね。 江口:憧れてというか、10代のころ映画を見てて、柄本さんが出演されてて、「ああ、映画っておもしろいなあ」と思ったんです。柄本さんは日本映画によく出てたので、「劇団というところに入れば俳優になれるのかな」と思って、柄本さんがいるところに行ってみようと思ったのが始まりですね。 林:ご経歴、すごく変わっていて、進学してもやりたいことがないから、高校に行かずに中学でいいと思って、2万円持って東京に来たんでしょう? いまどきめずらしい話ですよね。 江口:うちはお金がなくて、お小遣いというものがなかったので、小学校の高学年から「高校には行かない」と決めてましたね。 林:親御さん、「高校ぐらいは行って」と言わなかったですか。 江口:ところが、うちのお父さんは行きたかった高校に行かず、第2志望の高校に行ったらしいんです。それがおもしろくない日々だったみたいで、「高校なんか行かんでええ」って私たちによく言ってたんですよ。だからいちばん上のお兄ちゃんも高校行ってないし、私が「行きたくない」と言ったら、「じゃ、行かんでええ」という感じでしたね。 林:江口さん、双子なんですってね。江口さんは妹さん? 江口:私が妹で、向こうがお姉ちゃんですね。 林:顔、似てらっしゃる? 江口:似てますね。おばあちゃんはいつまでも私がどっちかわからなかったし、お姉ちゃんも20代のころ東京にいた時期があって、たまたま柄本さんが通りがかって、「お、江口」ってお姉ちゃんに声をかけたり(笑)。 林:そんなにそっくりなんだ。 江口:でも、お姉ちゃんのほうが断然きれいです。二人でライブハウスとか行くと、ナンパされるのは絶対お姉ちゃんでした。 林:お姉ちゃん、ふつうの方? 江口:主婦です。子どもも2人いて、アメリカに住んでます。 林:上京したとき3畳間に住んでたって本当ですか? 江口:そうです。3畳間でした。 林:私も大学生になったときに、3畳間にしばらく住んでましたよ。トイレは共同だったし、お風呂は銭湯だったけど、ぜんぜんイヤじゃなかった。 江口:そうなんですよ。住めばそこが家になりますからね。 林:若いころ、3畳から4畳半、6畳、1DKって、双六のように1・5畳ずつ増えていったのが、私はうれしかったけど。 江口:私もそんな感じでしたね。 林:新聞配達もしてたとか? 江口:はい。朝日新聞で1年間やってました。住み込みで。 林:まじめに? 江口:そうでもなかったです。あまりにもしんどくて一回休んだことがあって、そしたら代わりにやってくれたお兄さんがいて、「そっか、休んでも代わりにやってくれる人がいるのか」と思って。 林:そう思ったらダメでしょう。 江口:後半は1カ月に1回ぐらいズル休みするようになってしまいましたね。 林:なんかうれしいな、私と似たような人がいて(笑)。2万円持って上京したときに、「自分は女優になれる」って信じてたんですか。地方から俳優になりたくて上京しても、だいたいみんな挫折して帰っていきますけど。 江口:私は絶対にうまくいくと思ってました。自分の計算では、中学卒業してアルバイトして、すぐに30万~40万ためて、そのお金で上京しようと思ってたんです。ところが、バイトしてお金たまって、それを自分の本棚のうしろに隠してたら、いちばん上のお兄ちゃんがそれを持ってったりして。 林:まあ。 江口:全部最初からやり直しで、フテくされたんですね。「バイトなんかやってられん」と思って、ぜんぜん働かない時期があったり、働きだしても、「こんなことがやりたいわけじゃない」と思って3日でやめたり、そんなことの繰り返しで、その期間がほんとにつらかったんですよ。 林:ええ。 江口:何もすることないから原付き乗り回してると、かつての同級生たちが高校の制服で楽しそうに自転車乗って帰ってくるんです。いまの自分の姿を見られるのがすごく恥ずかしくて。早くどこか行ってしまいたい、ここを抜け出して東京に行ったら、自分がやりたいと思ったことがスタートできる。そう思っただけで、やりたいことがやれるという気持ちになってたんです。 林:でも、東京乾電池に入っても、ああいうところってお給料あんまりないんでしょう? 江口:もちろんないですし、公演をするたびに自分でチケットを売らなきゃいけないというノルマがあるんです。研究生を1年間やって、最後に卒業公演というのがあって、一人5万円のノルマだったんですよ。でも私、知ってる人に「お芝居見に来て」と言ってチケットを売ることができなかったんです。それって「私を見に来てね。おもしろいことするから」という自信がないとできないし、見られるのも恥ずかしいし、だから5万円全額自分で払いました。 林:えっ、そうなんですか。 江口:いまもそういうところあります。「見に来てね」とは言えないですね。 林:私もそういう気持ち、ちょっとわかる気がします。 (構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木俊雄) 江口のりこ(えぐち・のりこ)/1980年、兵庫県生まれ。2000年に劇団東京乾電池に入団。舞台、映画、テレビなどで幅広く活躍。過去の出演作に、舞台「奇跡の人」「寿歌」「神の子」「Home,I’m Darling~愛しのマイホーム~」、ドラマ「半沢直樹」「SUPER RICH」など。放送中のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に出演するほか、舞台「お勢、断行」(5月11~24日・世田谷パブリックシアター、28日~6月19日・兵庫、愛知、長野、福岡、島根)への出演が控える。 >>【江口のりこ、結婚相手は「俳優は絶対にイヤ」 理想は夢で見た外国人のおじさん?】へ続く※週刊朝日  2022年4月1日号より抜粋

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    ミュージカル界の帝王・山口祐一郎を鼓舞させた“医療関係者からの手紙”

    「ミュージカル界の帝王」、山口祐一郎さん。作家・林真理子さんとは長年のお付き合いということで、対談が始まるとすぐに、会話は大盛り上がりでした。 *  *  * 林:ご無沙汰しております。 山口:林さんとは、青春時代に楽しいひとときを過ごさせていただきました。 林:はい、だから私もお会いするのを楽しみにしていました。  今回、山口祐一郎さんがホストになって、縁のあるゲストの方々をお招きして、劇場に来たお客さんにトークと歌で楽しんでいただくイベント(「My Story,My Song ~and YOU~」5月19~22日 シアタークリエ)をなさるんですね。 山口:実は2年前に帝国劇場で、今まで初めての試みとしてトークショー(「My Story ─素敵な仲間たち─」)をおこなったんですよ。当時は今よりももっとミュージカルやコンサートなどに対する制限が厳しくって、集まって何かするものはすべて延期、中止という風潮だったんですよね。それでも「こういうつらいときだからこそ劇場に来たい」という方がたくさんいらっしゃるわけじゃないですか。 林:当時はいろんな舞台が中止になって、とても残念でしたよ。 山口:そうですよね。それで、「(コロナの状況で)稽古ができないのなら、歌なしでトークだけのショーにしよう」と考えて企画されたのが、帝劇の舞台機構を使って、奥にひそんでいる劇場そのものの魅力を前面に出したトークショーだったんです。裏方さん、大道具さん、照明さん、音響さんたちの力を総動員して、せり(舞台の床の一部が上下する装置)とか盆(床が回転する装置)も全部使って。 林:オーケストラとか歌は、そのときどうしたんですか? 山口:オーケストラもないし、歌もありません。そういうのができない状態でしたからね。 林:すごいですね。お客さん、たくさんいらしたんですか。 山口:満杯になりました。当時、コロナ禍ですでに医療現場が疲弊しきっていた時期だったのですが、そのトークショーのあと、僕、医療関係の方からお手紙をいただいたんですよ。「コロナになって1年、泣いたり笑ったりすることもありませんでしたが、劇場に来て山口さんの話を聞いていたら、泣いている自分に気づいて。そんな自分に、途中から笑っちゃいました」というんです。それを読んで、ああそうか、緊張したギリギリの状態で医療に励んでおられる方が、劇場に来てふと我に返れる瞬間があったんだな、と思ったんです。それから、「よし、チャンスがあったら何でもやろう」と思いました。 林:なるほど、そうやって勇気づけられた人がたくさんいたんですね。素晴らしいです。 山口:それで、その延長として開催されるのが、今回のシアタークリエのコンサートなんです。 林:(チラシを見ながら)1部が山口さんとゲストの方とのトーク、2部がミニコンサートで、皆さんでミュージカルナンバーを歌うわけですね。保坂知寿さんは私も存じ上げてますが、石川禅さんや上口耕平さんという方たちは……。 山口:今まで一緒に舞台に立ってきた皆さんです。いつも勇気やパワーはお客様やこの仲間たちからいただいています。コロナ禍を経て再会できて温かな気持ちでショーをお届けします。 林:これはインターネットで配信もなさるんですか? 山口:千秋楽の配信が決まりました。たとえば大学に入った若い人なんかは、「やった! 東京に来たぞ。バイトしながら学生生活を楽しむぞ」と思ったら、大学に行けなくて、授業もリモートばっかり、学生用の小さなワンルームに閉じ込められてるなんてこともあるわけじゃないですか。そんな人たちが、僕らのネット配信を見て「私ももうちょっと頑張ろう」と思ってくれたらそれでいいんです。 林:なるほど。それにしても山口さん、久しぶりにお目にかかったら、相変わらず背が高くて(186センチ)カッコいいですね。 山口:つい先日は、篠山紀信さんにプログラム用の撮影をしていただいたので、多少おなか周りなど、気にして毎日を過ごしていました。(ポスターを示し)これは帝劇の屋上です。 林:素敵じゃないですか! 篠山さん、やっぱりさすがですね。 山口:篠山さんは中学高校の先輩でして、初対面でしたが男子校の同窓会のようで、フレンドリーに撮影していただきました。ありがたいですね。こうやって撮っていただいた作品を見ると、新しいミュージカルのストーリーが生まれてきそうですね。 (構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木俊雄)※週刊朝日  2022年5月27日号より抜粋

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    クロちゃんが絶対やってはいけない"筋トレ"行い医師が警告「このままでは歩けない体になる」 

     安田大サーカスのクロちゃんが、気になるトピックについて"真実"のみを語る連載「死ぬ前に話しておきたい恋の話」。今回のテーマは「筋トレ」。自身のSNSで、ジムでの筋トレの様子を頻繁にアップしているクロちゃん。実は昔から体を鍛えることが好きだったクロちゃんだが、一時は間違った筋トレをやりすぎて、ドクターストップがかかった経験もあるという。そこまでしてクロちゃんが筋トレを続ける理由とは? *  *  * あんまり信じてもらえないんだけど、ボクは週3回のペースでジムに通っている。SNSなどでは「ウソつくな!」とかって散々いわれるんだけど本当だからね(笑)。 ジムに通う日は、朝4時に起きて、支度をして、4時半には自宅を出るのがルーティン。ジムまでの移動は基本、徒歩。1時間弱かかるんだけど、これもトレーニングの一貫だと思っている。到着するのは5時半頃。午後からよりも、朝のほうが空いていて、器具もいろいろ使えるから、トレーニングがしやすいんだよね。 ベンチプレスやダンベル、ハイプーリーなどを使って、主に上半身を鍛えるトレーニングに今は取り組んでいる。ちなみに下半身は、あまり鍛えないのがボクのこだわり。下半身のトレーニングをやりすぎると、2~3日疲れが取れなかったりするからね。ボクは、散歩が好きで日頃からよく歩いているから、そこで下半身の筋力は十分カバーできているはずなんだ。だって、仕事のスケジュールが問題なければ、ジムからも徒歩で帰ったりもするからね。午前中で1万歩以上を歩くなんてことも決して珍しいことじゃない。健康的な生活で良いでしょ? そもそもボクは昔からジムが大好き。通いはじめたのは大学生の頃だから、もう25年以上になる。当時は、体重が108キロまで増えてしまっていて、「体重が煩悩の数なんてヤバい」って焦ったのが通い始めるきっかけ。その時は「とにかく痩せたい」って精神的にもかなり自分を追い込んでいたから、筋トレ以外にも、エアロビやヨガなども取り入れてめちゃくちゃ頑張った。そのおかげで、ダイエットは大成功。108キロもあった体重がなんと66キロまで落ちたんだ。  この時の成功体験と、自分の身体が変わっていくさまがたまらなく面白くて、ボクはすっかりジムにハマってしまった。ピークに鍛えていた頃は、130キロのベンチプレスも持ち上げることができたし、一時は3つのジムを掛け持ちしていたこともある。当時はなぜか「ジムを掛け持ちすること」が、ステータスのように感じていた。ただ、掛け持ちしていたといっても、うまく使い分けていたのかって聞かれたら、全然そんなことはない。トレーニングも独自のメニューをこなしていたから、効率も悪かったし、体にも負担がかかりすぎていた。  ジム初心者の方に言っておきたいけど、間違ったトレーニングをやり続けるのは、けっこう危険だよ。しらずしらずのうちに、自分の身体が悲鳴をあげている可能性があるからね。かなり昔の話だけど、ボクは「花の慶次」っていう漫画に出てくる、片腕だけ異常に太いキャラクター「岩兵衛」に憧れて、"右腕"だけを集中的にトレーニングをしていたら、ドクターストップがかかったことがある(笑)。 今、振り返っても、たしかに、あれは、ちょっとやりすぎていた。 暇さえあれば、右腕がパンパンになるまで、ずーっと筋トレしていたからね。握力ボールとかであれば5~6時間以上は平気でやり続けてしまうくらい……。 当然、右腕はだんだん太くなっていった。「岩兵衛」のように、右腕と左腕の太さの"差"をつけたかったのもあって、左腕はまったく鍛えずにいたんだけど、結局、これがダメだった。 ある日、朝起きたら、突然、体に激痛が走ったんだよね。あまりの痛さで布団からまったく出られないくらいに……。これはボクもびっくりした。あまりの痛さに「これはダメだ」って思って、急いで病院に駆け込んだ。お医者さんからは「(右腕のみの筋トレをやりすぎて)身体の左右のバランスが非常に悪くなっています。このまま続けていると、最悪の場合、歩けない体になる可能性もありますよ」と告げられた。衝撃的だった。今考えると、なんて恐ろしいことをしていたのかと怖くなるよ。 熱中しすぎると、周りが見えなくなって、とことん突き詰めてしまうのがボクの悪いクセだなってことを改めて感じた瞬間だった。その時の無理なトレーニングの影響で、いまだにボクの身体のバランスは少しおかしい。正面からボクを見るとよく分かるけど、右肩のほうが左肩よりもじゃっかん下がってしまっているからね。たぶん、これはもうなおらない。  やっぱり、トレーニングはきちんと正しい方法で行わなくちゃ駄目だね。あと、絶対無理はしちゃいけない。 だから、今では専属のトレーナーさんもちゃんとつけているし、無理なトレーニングして、自分を追い込むこともしていない。結局、それがいちばん効率も良いし、なんといっても、ジムに「長く通い続けること」の秘訣(ひけつ)なんだよね。  ボクは、ジムって「通い続けること」に意味があると思う。もちろん無理のない範囲で。  やっぱり人間、健康がいちばん。ボクは昨年コロナになって、それが身にしみてわかった。残りの人生、できるだけ長く健康でいるために、ある程度の体力や持久力、免疫力を、適度な運動することで、つねに維持しておきたいっていうのが、ボクがジムに通う最大の理由なんだよね。 あと、ボクの場合、「水曜日のダウンタウン」(TBS系)で無人島に突然連れていかれたり、いきなりプロレスの試合に出ることになったりなどのハードな仕事も多いから、それに耐えられるための体作りっていう目的ももちろんある。どんな仕事でも、プロとして絶対NGは出したくないからね。 それに、シンプルに、運動するのってやっぱり気持ちいいよ。ジムに興味があるけど「どうしようかな」って迷っている人は、週1回でもいいから、無理のない日程を決めて、とにかく一度通ってみるといい。そこで自分を追い込む必要なんかまったくないし、嫌なら休んだっていい。 これはボクだけの感覚かもしれないけど、「ジムに通っている」ってことでだけで、自己満足度が勝手にあがって、自分に少し自信がついたり、気分転換にもなったりするんだよね。 友達や恋人と一緒に通うのだってきっと楽しいと思う。ボクも、いつかは恋人とジムデートしてみたい。ボクは、筋トレの知識も豊富だから、いろいろとアドバイスができると思うからね。 健康的な体を維持することがもちろん大前提だけど、余力があれば、プロレスラーのオカダカズチカさんや棚橋弘至さんみたいなたくましい身体づくりも目指したい。女性に頼られるような強い男ってやっぱり憧れちゃうんだよね。今は昭和のプロレスラー体型っていわれるから、なんか嫌なんだ。 しかし、これだけジム通っているのに、なぜ、もう少し痩せないんだろう……。不思議だよね? 明日も筋トレ頑張るしん。 ◎クロちゃん/1976年12月10日生まれ。広島県出身。2001年4月に団長安田、HIROと「安田大サーカス」を結成。スキンヘッド、強面には似合わないソプラノボイスが特徴(構成/AERA dot,編集部・岡本直也)

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    皇后雅子さま 赤十字大会で「うっかり」ハプニングと衣装のリメイクが意味すること

     5月19日、皇后雅子さまが全国赤十字大会に出席した。単独の皇居外での公務は2019年8月のナイチンゲール記章授与式に出席して以来、2年9カ月ぶりであった。ご体調も良く、この日、とびきりの笑顔を見せた雅子さま。実は、雅子さまは衣装をリメイクすることも多いのだ。 *  *  * 「私の娘の愛子と同じ年の21歳ですよね。すごくしっかりしていますね」 「あ、オハイオ州!」   雅子さまは会場を出る際、奉迎に立った青少年赤十字卒業生奉仕団の大学生らの緊張を解こうとするかのように、和やかなムードで話しかけた。  19日、渋谷区の明治神宮会館で全国赤十字大会が3年ぶりに開催された。日本赤十字社の名誉総裁を務める雅子さまは、副総裁の紀子さまや他の妃殿下とともに出席した。 ■体調の好調ぶりが伝わる場面が何度も  日本赤十字社と皇后のつながりは深い。  1912年に明治天皇の皇后であった昭憲皇太后は、赤十字の活動のために現在の3億5千万円相当にあたる10万円を寄付した。これにより「昭憲皇太后基金」が設立された。  第一次世界大戦の勃発が迫るなかで、各国の赤十字社は戦場での救護に追われていた。加えて地震や台風、火災などの自然災害の脅威にもさらされるなかでの国際基金の設立は画期的なことであった。この基金は現在も、世界中の赤十字の活動に使われている。  1947年には、香淳皇后が日本赤十字社の名誉総裁に就任。以来、歴代皇后がその役を務める。  皇后の重要な公務のひとつであり、雅子さまが皇居の外で単独で務める公務としては、2年9カ月ぶりだった。  この日は体調の良さが伝わる場面が何度もあった。  記事冒頭の写真は、追っかけ大学生の阿部満幹さんが帰路につく雅子さまを撮影した一枚だ。注目したいのは、雅子さまがしっかりとカメラ目線であることだ。  体調の悪いときは、人の視線を避けることが多かった。「最近は、しっかりと目線を合わせてくださいます。僕も、カメラ目線の写真を撮影できる機会が増えました。この日は晴天に恵まれて、大洋の日差しがちょうどスポットライトのように皇后さまを照らしていました。なにより、笑顔は自信に満ちていらしゃいました」  大会では皇后が日赤の事業に貢献した13名に有功章を授与する。久しぶりの単独公務で雅子さまも緊張していたのだろうか。 ■「うっかり!」ハプニングの皇后雅子さま  こんなシーンもあった。  受章者はまず壇上で一礼して、さらに名誉総裁である皇后雅子さまの前に一礼したのち授与される。  1人目の受章者が、雅子さまの前に歩を進めた。ところが、受章者が2度目の礼をする前に、雅子さまが有功章を渡しかけてしまうというハプニングも。  5人目の受章者は、車椅子で壇上に上がった。雅子さまが、身体をかがめて視線を合わせながら授与するその姿は、国民とともに歩んだ平成の皇室を彷彿とさせた。  この全国赤十字大会で名誉総裁を務める皇后は、平成の時代から白を貴重に紺などのブルー系の差し色が入ったスーツを着ることが多い。名誉総裁の皇后や名誉副総裁に就く皇族妃は、赤十字社の赤色の紀章を胸に付ける。紀章が目立つようにとの配慮だと思われる。  2019年5月に催された前回の大会のときも雅子さまは、白を基調に紺のアクセントが入ったスーツを着こなしている。  令和皇室の色がにじむのは、この日の雅子さまの着こなしだ。  この日、追っかけで集まった皇室ファンの間でも、「雅子さまのスーツは新調されたものでは?」と話題になっていた。その通り、スーツは新調されている。  しかし、帽子はリメイクだ。  事情を知る関係者がこう話す。 「皇后さまのスーツの襟と袖口とポケットには、夏らしく紺のオーガンジーの素材が使われています。同じ紺のオーガンジー生地を二重に重ねて、前からお使いになっていた帽子のリボンの部分を張り替えて、今回は着用されました。皇太子妃時代から、リメイクなさることは少なくないのです」  リメイクといえば、昨年12月に二十歳の成年を迎えた愛子さまは、ティアラを新調せず、叔母の黒田清子さんのティアラを借りて成年の儀式に臨んだ。サイズを合わせるために多少の手直しは、必要だったと思われる。  コロナ禍で厳しい生活を送る国民に配慮し、両陛下と相談して決めたと公表され、海外紙なども「思慮深いプリンセス」と令和の天皇ご一家を絶賛した。  皇后雅子さまと内親王の愛子さまが国民の生活に心を寄せた結果、意識的に衣装などのリメイクをなさっている部分もあるだろう。 「たしかに、お持ちの衣装をきれいに大切にお使いです。リメイクされることも少なくありません」  天皇ご一家を知る関係者はそう話すが、一方で、別の理由もあると言う。 ■オーダーメイドに耐えうる皇族方の体力  天皇や皇族方が公務で着用する衣装は、オーダーメイドでデザイナーが仕立てる。そのためには、採寸や仮縫いなどに要する時間もあり、発注するご本人も体力が必要だ。  雅子さまは、まだご体調に波があり、オーダーで仕立てるのが難しい時期もあった。また、公務への出席がギリギリまで判明しないため、長い間、新しい衣装を作らず、昔の衣装のサイズ直しをしたり軽いリフォームを施して着用することも少なくなかった。 「その意味では、今回スーツをオーダーなさったのは、ご体調がよい状況が続いた証しですね」(宮内庁関係者)  大会が終わり、会場となった渋谷区の明治神宮会館を出発した。車から手をふる雅子さまは、ひと目姿を見ようと集まった人びとに、とびきりの笑顔を見せた。 (AERAdot.編集部・永井貴子)

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    19時間前

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    佳子さまの装いは「満点以上」とマナー解説者が絶賛 耳を出したハーフアップにした理由とは

     森林づくりの功労者を表彰する「第31回森と花の祭典―みどりの感謝祭式典 “感じよう みどりの恵みと 木のぬくもり” 」の式典が7日、東京都千代田区で行われ、秋篠宮家の次女・佳子さまが出席された。前回は姉の小室眞子さんが出席し、コロナ禍で3年ぶりの式典となった今回は佳子さまが初めて臨まれた。そのときの佳子さまの装いが「壇上のフラワーアレンジメントとマッチしてすごい!」という。 *  *  *  写真を見れば一目瞭然、その日の佳子さまの装いは、まさに「華」があった。 「グリーンがベースでピンクと白い花柄の刺繍があしらわれたセットアップに、同系色のノーカラージャケットを羽織られていました。足元はベージュのパンプス、手元には小ぶりのベージュのクラッチバックと白の手袋をお持ちになっていました。髪型は耳をしっかり出し、後ろでまとめたハーフアップにパールのイヤリングにパールのネックレスをされていました」(皇室記者)  この装いと身だしなみを「満点以上の高得点」と絶賛するのは大手企業のマナーコンサルティングを長年務めるマナー解説者の西出ひろ子さん。西出さんがまず挙げるのが髪型だ。 「まず髪型ですがハーフアップにしていらっしゃって、耳を出すというのは、すっきりときちんとした印象になるのと、おじぎをしたときに髪が顔にかかることがない。だらりと髪の毛が顔にかかるのは、清楚感や清潔感に欠けると思う方もいるのでハーフアップというのはとても大事ですね」  続けて、その装いも素晴らしいと言う。 「お若い方がカチッとしたフォーマルを着てしまうと年齢よりもかなり老けて見えたり、服に着られてしまう感じになるのをレースの花柄のモチーフのセットアップが解消しています。とても、可愛らしく、でもきちんとした印象もある素敵なフォーマルの装いだと思いました。また、ピンクにグリーンの差し色もあり、“みどりの感謝祭”への気持ちを表すのにぴったりです」(西出さん)  さらに、西出さんが感心したポイントが靴とバッグの色選び。 「一番感心したのはパンプスとバッグの色を同色にしていること。これは、フォーマルなマナーで重視されていることです。基本的なことですが、あまり浸透していないことなので、佳子さまはさすがだと思いました。足元にベージュを選ばれているのも素晴らしい。全体的な色味から黒い靴や茶色の靴は合わせないと思いますが、今回の佳子さまのような淡い色の服に黒い靴を合わせている方も正直多いです。統一感のあるベージュになさっていることで高得点過ぎるといいますか、身だしなみというマナーにおいて満点以上の着こなしです!」(西出さん)  さらに、佳子さまは、式典の壇上にある花も味方に付けていた。 「ステージに飾られた生花が佳子さまのジャケットの下のセットアップの色合いに合わせられたようでした」(皇室記者)  1枚目の写真が生花を背にした佳子さまだが、たしかに「華」がある。ここ数年、秋篠宮家と言えば眞子さんの話題ばかり取り上げられることとなってしまったが、佳子さまのファッションから紐解くとしっかり大人の階段を上っているようだ。年代を追って振り返ってみる。 【1】姉妹でお揃いコーデが定番だった 2007年8月31日、佳子さまと遊ぶ、もうすぐ1歳をむかえられる悠仁さま。この時12歳の佳子さまは眞子さま(当時)と似た感じのジャケットスタイルで初々しい。佳子さまがもっと幼い頃は姉妹で全身同じコーデだったり、色違いのワンピースだった。 【2】佳子さまのファッションに変化が! 2007年御用邸近くの葉山しおさい公園を訪れ、日本庭園の池の鯉に餌を与え楽しげな佳子さまと眞子さま(当時)。この頃から、姉妹お揃いからは卒業!? 真っ白なダウンにミニスカート、足元はボアブーツで。姉の眞子さまのセーターがトラディショナルなアーガイル柄のタートルなのに対し、妹・佳子さまは襟元ゆったりなタートルが対照的。 【3】グッとおしゃれ度が増しカジュアル路線に 2012年9月6日で6歳になった秋篠宮家の長男・悠仁さまと眞子さま(当時)と佳子さま。この年に大流行したダンガリーシャツにパッチワークのワンピースを合わせたスタイル。ダンガリーシャツは裾を結んでご自分なりのアレンジをきかせている。当時は、赤文字系ファッション誌できれいめファッションが取り上げられた最後の年で、その後、ナチュラル・カジュアルへ転換していったのがこの頃。 【4】同じ入学式スタイルでもこんなに違う 左は2013年4月学習院大学文学部教育学科へ入学式に向かう佳子さま。右は2015年、前年にAO入試で合格した国際基督教大学教養学部アーツ・サイエンス学科の入学の1枚。スーツは同じだが、高校卒業後すぐの入学式とその2年後、真っ黒ストレートヘアから少し明るい髪色でふんわり毛先を遊ばせたスタイルに変身している。 【5】母と娘たちコートの着こなしも様々 2017年2月28日ベトナムへ出発する天皇、皇后両陛下(当時)を見送る紀子さま、眞子さま(当時)、佳子さまは3者3様のコートスタイル。佳子さまはダブルブレストコートでウエストに切り返しがあり脚長効果も。つばがやや広めのしっかりした帽子で小顔効果もありスタイルよく見える。 【6】真っ白なワンピーススーツで外国訪問へ 2019年9月15日オーストリアとハンガリーを公式訪問するため、羽田空港を出発する秋篠宮家の次女佳子さま。光沢のある真っ白なワンピーススーツで清楚な感じもしつつ、程よいフレアスカートでかっちり過ぎず23歳らしいフレッシュな印象に。よく見るとストッキングもナチュラルベージュではなく光沢がある白っぽいものにしていて、そのコーデは完璧過ぎる! 【7】アイテムのチョイスが絶妙 2019年12月の25歳のお誕生日前に公開された秋篠宮邸の庭を散策する佳子さま。佳子さまが着ているダッフルコートと言えば紺色かキャメルカラーが定番。それを鮮やかなスカイブルーで、しかもショート丈のチョイスはかなりのオシャレ上級者!? 写真では見えにくいがワイドパンツとのコーデをしていて年齢相応の大人カワイイも演出。 【8】「姉が主役」のため落ち着いた装い 2021年10月26日眞子さま(当時)を見送る秋篠宮ご夫妻と佳子さま。あまりに有名になってしまった姉妹のしばしのお別れのシーンだが、嫁ぐ姉に寄り添う佳子さまはグッとシックな装い。「この日は姉が主役」とTPOをわきまえられた気持ちの表れも感じられる。  前出の西出さんは、着こなしにはTPOをわきまえることの大切さを指摘する。 「身だしなみや服装において、一般的に大事なことはTPOです。私はマナーの専門家として“P”をさらに2つ加えていてTPPPOと言っております。TはTIME(時間)、PはPLACE(場所)、私が加えるPの一つ目はPERSON(人)。どんな人と一緒にいるか、どんな相手と接するのかによって服装や身だしなみが変わります。もう一つのPはPOSITION(立場)です。例えば、結婚式の服装で言うと、親族なのか友人なのか立場で変わりますよね。この2つのPがとても大事なのかなと思っています。佳子さまの今回の式典の話しに戻すと、今回の“みどりの感謝祭”というのは、樹木や草花を大切にしていく気持ちが、しっかり服装に表れていたなと思いました」(西出さん)  佳子さまの今回の装いを見ても、ファッションの変遷をたどってみてもなかなかの上級者なのかもしれない。(AERAdot.編集部・太田裕子)

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    4630万円誤送金で脚光浴びた「フロッピーディスク」 絶滅どころか公的機関でいまだ“現役”の事情

    「えっ、いまだにフロッピーディスクを使っているの?」  そう思った人も少なくないだろう。  山口県阿武町で誤って1世帯に4630万円を振り込んだ、いわゆる誤送金問題。18日夜、県警は同町の田口翔容疑者(24)を電子計算機使用詐欺容疑で逮捕したが、誤送金に至る過程で、町役場から銀行に依頼データの入ったフロッピーディスク(FD)を渡したことが報じられると、「旧石器時代」「時代遅れ過ぎる」など、驚きや嘆きの声がSNSに上がった。ところが取材してみると、絶滅していたかのように思われたFDは、一部の中央省庁や役所、銀行、企業ではいまも日常的に使われていることがわかった。それぞれの事情を聞いた。 *   *   *  山口県阿武町からFDでの振り込みを依頼された山口銀行などを傘下に持つ「山口フィナンシャルグループ(FG)」にたずねると、「山口銀行は、FDなどによる振り込みおよび口座振替依頼データの授受については昨年5月末日を持って廃止させていただいております」と言う。  ところが、山口銀行はFDによる振り込みデータの受け渡しを現在も行っている。なぜか。 「新規の受付は行っておりませんが、既存のお客様から、FDでの振り込みを継続させてほしい、というご要望があれば、対応せざるを得ないという状況です」  山口銀行は、これまでFDで振り込みを依頼してきた顧客に対して、同行のインターネットバンキングを通じて振り込みをしてもらえるように交渉してきた。 「ただ、昔からずっとお取引していただいているお客様の利便性の観点からすると、FDを廃止するのは難しい側面があります」  担当者はすんなりとはいかない事情を、そう説明する。 ■東京の区役所でもFD  一方、東北地方のある銀行によると、FDでの引き落としは「公官庁から依頼されることが多い」と関係者は言い、こう続ける。 「県内では、市役所や町村役場でFDを使っているところが多いです。税金や国民年金、国民健康保険料の引き落としなどです。そんなわけで、私どももそれを引き受けざるを得ませんでした」  この銀行では半年ほど前から県内の各市町村に打診して今年中にFDの取り扱いを終了し、すべてインターネットバンキングに切り替える予定だ。 「理由としては、FD自体を新しく購入するのが困難になってきたこと。それから銀行に置かれた読み取り装置のメンテナンスが難しくなったこと。万が一、故障してしまったら、市町村の担当者の方が窓口に来られても手続きが滞ってしまいますから。そんなわけで、FDの取り扱いを終了させていただくことになりました」(同)  知るほどに驚く、FDの“現役”利用。だが、それは地方の市町村だけではない。  東京都千代田区は今年3月まで介護保険や障害者介護、生活保護に関する給付金の振込みにFDを使用していた。使用を終了した理由を会計室の担当者にたずねると、こう説明する。 「これまでFDを繰り返し使ってきたのですが、いずれ破損したり経年劣化で使えなくなったりすることも考えられます。もうメーカーもFDの製造を打ち切ったという話も聞いておりました。それらもあって使用を徐々に縮小し、昨年度末をもって、最終的にFDの取り扱いをやめたわけです」  ちなみに、国内大手のFDメーカーだったソニーが国内販売を終了したのは、2011年3月である。もう10年以上前のことだ。 「FDはいまとなっては記憶容量が少ないですし、持ち運びの際にどうしてもセキュリティーの問題も生じます。これからは庁内の端末に入力したデータはインターネット経由でやりとりを行います」(千代田区担当者) ■行政サービスの一環として  霞が関の中央省庁もFDを使っている。その一つが、厚生労働省だ。  厚労省は医薬品や医療機器メーカーから送られてきた製品に関する申請書類を審査する。そこでいまも続けられているのが書類データをFDで提出する「FD申請」だ。 「制度の名称としては『FD』とありますが、実際、9割9分はCDかオンラインの申請です。過去の名残というか、通称として『FD申請』という名前が使われています」  同省医薬品審査管理課の担当者はそう説明するが、こうも胸の内を明かす。 「ただ、こちらとしてはせめてCDで出してくださいとお願いしてはいるんですけれど、『どうしてもCDは使えない』という方が、ごく少数ですがいらっしゃいます。行政サービスとしてはうちのFDドライブが生き続けるかぎりはFDを受け付けざるを得ないという事情があります。できれば、持ち込まれるメディアはCDに統一したいのですが、メーカーさんのことを考えると、世の中からFDが枯渇するまでは止められないですね」  FD本体は極めて薄い磁気記憶媒体であるため、CDやDVDなどと比べて故障しやすい。 「気づかないうちに磁気に触れてデータがとんでしまうことがあります。それでも、CDを使うように強制することはできません。あくまでお願いベースです」(厚労省担当者) ■保証期間はとっくに過ぎている  ちなみに、現在インターネット上などで販売されているFDのほとんどは10年以上前に製造された未使用在庫品である。メーカーもこんな長い期間、使われ続けるとは想定していなかっただろう。当然のことながら、保証期間はとっくに過ぎている。  パソコンの周辺機器の老舗メーカー、ロジテックが「最後のWindows対応のUSB外付け型FDドライブ」の販売を終了して、久しい。ただ、パソコン用品メーカーの大手のエレコムに聞くと、FDを収納するプラスチックケースは「数量は少ないですが、現在もコンスタントに売れている状況です」と言う。  昭和に輝いたテクノロジーの産物FDだが、令和のこの時代でも根強く使われていることがわかった。コレクションとして私的に使うのはいいが、触ったことも見たこともない若年層も多い中で公的機関が業務で使用するのは、そろそろ潮時ではないだろうか。 (AERA dot.編集部・米倉昭仁)

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    投資信託は最悪どこまで下がる? S&P500と全世界株式の30年検証

     2021年までの絶好調相場から一転、米国株は2022年に入り軟調といっていい。そもそも株式市場には暴落が付きものだ。アエラ増刊「AERA Money 2022夏号」では、過去30年の実績から見て「どれくらい下がる可能性があるのか」を検証している。  株価の暴落といえば数年に1回はあるもの。だが暴落が止まらなかったことは一度もない。投資ビギナーはまず、過去の暴落でどのくらい下がったか、どのくらいで回復したかを知っておこう。  取材をお願いしたのは、セゾン投信代表取締役会長CEOの中野晴啓さん。セゾン投信は「セゾン資産形成の達人ファンド」をはじめとする投資信託(以下、投信)の運用会社だ。同社の運用する3本の投信の資産総額は2022年3月に5000億円を突破した。  今回は米国株の代表的な株価指数「S&P500」と、世界中の株式に投資する「全世界株式」の値動きを捉えた指数「MSCIオール・カントリー・ワールド・インデックス」を教材とした。  それぞれの過去30年の暴落局面を調べてみると、ワースト3は次の通り。3位がやや予想外の結果だった。 1位 リーマン・ショック 2位 ITバブル崩壊 3位 コロナ・ショック   最も下落率の大きいリーマン・ショックのとき、「全世界株式」は1年4カ月にわたって56.2%も下落。暴落前の高値を回復するのに6年8カ月かかっている。  リーマン・ショックの震源地となった米国のS&P500は、1年4カ月かけて52.6%下落、戻るまでに5年5カ月かかった。 「30年以上、資産運用の世界で生きてきた私にとってもリーマン・ショックは過去最大の暴落でした。資産運用の歴史の中では下落率50%超、すなわち投資金額が半値になるような暴落がたまにある、と考えておきましょう」(中野さん)  下落しはじめてから回復までの期間で見ると、S&P500が2000年のITバブル崩壊以降、6年9カ月かかっているのが最長だ。  つまり60歳になっていざ換金をはじめようとした矢先に下落がはじまって、そのまま下げ止まらなかった場合、「すっかり元に戻るまで7~8年くらいかかることもある」ということ。 「株価というのは、デコボコ、ギザギザした値動きを繰り返すものです。何がきっかけで暴落が起こるかは誰にもわかりません。  ただ、結果的に株式市場は3つの暴落を乗り越えて右肩上がりで上昇しています。長い時間軸で見れば、株価は成長に見合った水準に収まっていくものなのです」  2021年までは米国株を中心に株式市場の調子がよすぎた。そのせいもあり「S&P500などに投資していれば儲かる」という油断(?)も生じていた。  2022年に入ってから米国株は下がり、ウクライナ危機もあり、投資ビギナーの間には動揺が見られた。 「株価が下がっているときは、多くの投資家が『この下落がずっと続くかも』と不安になります。しかしどんな暴落もいずれ終わる」  つみたて中は悩む必要はない。いつか終わるなら「今月は安く買えてラッキー」と思いながらつみたて続ければいい。では、運悪く老後を迎える前後にリーマン・ショックのような大暴落が起こったら、どうすればいいのか。 「老後は運用資産のすべてを現金化しなければいけない、という『思い込み』は捨ててください」  でも、年金は原則65歳スタート。60歳で定年の会社も多い。5年間、嘱託社員などで会社に残るか、別の仕事をしないと、年金も何もお金は入ってこない。 「『運用資産を取り崩すときは全額を換金しないとダメ』なんてルールはありません。60歳以降に自分が働かないなら、お金に働いてもらって育て続けましょう。老後も運用(保有)を続けながら必要な分だけ取り崩すのです」 ■預金や年金もあるから  世の中には「60歳まで積極的に投資、60歳以降はハイリスクな投資は終了。できれば預金」という考え方が常識化している。  しかし老後は長いのだ。先ほど「S&P500はITバブル崩壊から元に戻るまで6年9カ月、つまり回復まで7~8年くらいかかることもある」と述べたが、60歳時点で資産が投信のみ、預金は0円という人は少ないだろう。  65歳からは年金もある。投信だけを見て不安になるのもおかしな話。預金や年金もセットにして考えたい。そして人生100年と考えれば、60歳で投資終了というのは早すぎる。 「長期投資に一番必要なのは、おおらかさです。買うときも売るときも、淡々と機械的に。下がったら怖いとか、売ったあとに上がって『もっと儲かったのに』という強欲から離れるためにも自然体でいきましょう。  投資についていろいろ考えすぎず、自分の人生にとって、本当に楽しみなことに貴重な時間を使ってください」  (編集・文/綾小路麗香、伊藤 忍) ※『AERA Money 2022夏号』から抜粋

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    90分でも60分でもなく…「10分間のカセットテープ」が今一番売れているワケ

     カセットテープはこの先なくなってしまうのか。マクセル ライフソリューション事業本部の三浦健吾さんは「デジタル化で需要は落ちているが、長年ご愛用いただいているお客様がいる。今一番人気なのは“10分のテープ”だ」という。詳しく話を聞いた――。 1989年には年間5億本以上の需要があった  カセットテープが全盛期を迎えたのは、1980年代だ。背景には、1970年代にラジオ受信機とカセットテープレコーダーが一体となった「ラジオカセットレコーダー(ラジカセ)」が、一般家庭に普及したことがある。  ラジオ番組から流れてくるお気に入りの音楽を録音する「エアチェック」や、屋外にラジカセを持ち出して環境音を録音する「生録」など、カセットテープはさまざまな用途で使われるようになっていった。  その後も売り上げを伸ばし、バブル経済が絶頂を迎えていた1989年には国内で年間約5億本以上の需要があったという。  その後、CDやMDなどのデジタル録音ができる記録媒体が主流となったことで、カセットテープ人気は徐々に陰りを見せていった。  2000年代以降は、iPodに代表されるMP3音楽プレーヤーの登場に続き、インターネットを介した音楽のダウンロードやストリーミングといったデジタル音源が浸透してきたことで、カセットテープの需要は全盛期と比べると大きく減少してしまった。 コアなファンとシニア世代に根強い人気  しかし、スマホやPCで音楽を聴くのが一般化した現在でも、「カセットテープはコアなファンに愛され続けている」とマクセル ライフソリューション事業本部で事業企画部長を務める三浦健吾さんは話す。 「カセットテープは、深みのある音やアナログ特有の音質が特徴で、今のデジタル音源のように『0』と『1』の信号で統一された音質では味わえない独特の良さがあります。1970年代以降のカセットテープ全盛期を過ごしたオールドファンやシニア世代の方には、今でもカセットテープの存在はなじみ深く、根強い人気があると感じています」  マクセルは1966年にカセットテープ生産を始めた。市場の成長を牽引してきたことから、特に50~60代以降のシニア層には「マクセル=カセットテープ」のイメージが強く残っているという。  いち早く日本にカセットテープの需要を作り、時代とともに移り変わるニーズに合わせて「ハイポジション」や「メタルポジション」といった技術を発展させるなど、マクセルブランドを着実に築き上げてきたわけだ。 一番売れているのは「10分テープ」  現在は、全盛期に比べ需要が減っていることもあり、同社が販売しているカセットテープは「UR」シリーズのみとなっている。  それも、カセットテープ全盛期に見られた150分や120分のテープは取り扱っておらず、90分から10分までの4種類のタイムバリエーションで展開しているそうだ。 「全盛期に比べてカセットテープの需要が見込めなくなったことで、品質の高いテープ原反の入手も難しくなっており、現在は90分、60分、20分、10分と4種類のタイムバリエーションに絞っています」  そんななか、4種類の長さのうち「10分テープ」が意外なニーズにはまって一番人気を誇っているという。  それがシニア世代を中心としたカラオケ需要だ。 「カセットテープが登場した頃は、60分や90分が主流でしたが、1980年代にカラオケブームが盛り上がりを見せ、その需要に応えるために10分のカセットテープを発売しました。歌を練習するのに、10分という長さはちょうど良く、さらには巻き直しも楽なのでカラオケの練習に都合がいい。その名残が今でもあるため、シニア世代を中心に10分テープが最も多く売れているんです。また、テープレコーダーも再生ボタンを押すだけのシンプルな操作で手間いらずなので、スマホなどの最新機器に慣れていないシニア世代でも使いやすいというのが、支持されている理由だと考えています」 「ニッチな需要」に応え続けたい  そのほか、英会話の勉強やカラオケ大会へ提出する際のデモ音源など、シニア世代の勉強や娯楽目的に10分テープは有効活用されているという。  しかし、コロナ禍の影響でカラオケの需要が減っていることもあり、苦しい状況に立たされているのは否めない。  三浦さんは「新型コロナウイルスの影響で生活様式も変化し、直近では復調の兆しが見えてきているので、これからもできるだけニッチな需要に応えられるようにビジネスを継続していきたい」と話す。  カセットテープ自体は全盛期ほどの勢いにはないものの、近年の「昭和レトロ」ブームや70~80年代に流行した「シティ・ポップ」が再評価されていることで、若年層にもカセットテープの“真新しさ”が注目されてきている。 若年層にもカセットテープの魅力を訴求する  マクセルもカセットテープの需要を喚起すべく、マーケティング手法を変えている。昔のように大々的にテレビCMを打つのではなく、若者に受け入れられるような工夫を凝らして、カセットテープが根絶しないように企業努力をしているそうだ。  「最近では、音楽アーティストがカセットテープで楽曲を出すなど、アナログへの回帰が注目されていると思っています。デジタル音源やストリーミングにはない味のある音や、カセットテープならではの懐かしさを楽しむコアな音楽ファンにも見直されてきていると感じています。こうした状況を踏まえて、2020年には若年層に手に取ってもらえるようなパッケージのデザインに刷新し、試行錯誤しながらカセットテープの魅力を絶やさないように努力しています」 アナログもデジタルも、顧客満足度の高い製品開発を続けたい  インターネット環境が急速に広まり、テクノロジーが進化したことで、情報の記録はクラウドサーバーでの管理が当たり前になった。  それでも、カセットテープやCD、MD、DVDといったハードウェアの記録媒体もしばらくは残り続けることだろう。  全国の量販店のPOSデータをもとに、パソコンやデジタル家電関連製品の年間販売数No.1を決める「BCN AWARD」という賞(※)がある。マクセルはCDメディア部門、DVDメディア部門、BDメディア部門の3部門で5年連続年間販売台数シェアのトップを誇っている。 ※BCNが全国の量販店のPOSデータを日次で収集・集計した「BCNランキング」に基づき、パソコン関連・デジタル家電関連製品の年間(1月~12月)販売台数第1位のベンダーを表彰するもの。  いわば記録媒体のリーディングカンパニーとして、今後も記録メディア事業をライフソリューション事業部のひとつの顔として据えながら、コンシューマー事業を展開していくという。 「記録メディア事業はマクセルにとってルーツであり、今後もお客様のニーズに合わせて顧客満足度、価値の高い製品を提供していければと思っています。それが長年トップでやってきている会社の使命であり、市場の牽引役としてこれからも尽くしていきたい。また、弊社としては除菌消臭器やシェーバーなどの健康・理美容製品が新しい事業の柱にもなっているので、お客様のライフスタイルや志向が多様化するなか、お客様の声に真摯に向き合い、柔軟に対応をしていきながら、アナログからデジタルまで顧客満足度の高い製品開発を行っていきたいと考えています」 古田島 大介(こたじま・だいすけ)フリーライター1986年生まれ。ビジネス、ライフスタイル、エンタメ、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている。

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    4630万円誤送金を使い切った24歳男の“罪の重さ” 弁護士が指摘する「実刑」の年数

    山口県阿武町が新型コロナウイルス対策の臨時特別給付金4630万円(463世帯分)を誤って振り込んだ問題で、振り込みを受けた無職、田口翔容疑者(24)が18日、県警に電子計算機使用詐欺容疑で逮捕された。異例の展開となった今回の逮捕劇だが、田口容疑者の刑罰はどの程度の重さになるのか、専門家に見解を聞いた。 *  *  * 報道によると、田口容疑者は4月12日、自分名義の口座に町が入金した4630万円が誤りによるものだと知りながら、スマートフォンを操作して、オンライン決済で決済代行業者の口座に400万円を振り替えた疑いがある。  そもそも、「電子計算機使用詐欺」とはどのような罪なのか。  人を欺いて財物をだまし取る罪は詐欺罪に当たる。一方で電子計算機使用詐欺罪は、ATMや電子決済などで、コンピューターなどに虚偽情報や不正な指令を与えて不法な利益を得る罪のことだ。法定刑は詐欺罪と同じく10年以下の懲役となっている。  刑事裁判官の経験を持つ片田真志弁護士(古川・片田総合法律事務所)は、「例えば銀行窓口で同じ行為を行った場合は、人をだましたとして詐欺罪になります。今回はスマホ決裁を用いたことで電子計算機使用詐欺罪が適用されたことになります」と解説する。  果たして、田口容疑者はどの程度の刑事罰が待っているのか。  片田弁護士によると、どの程度の金額を返済できるか。また、町側に示談の余地があるかが焦点になるという。 「まったく返済できない場合、実刑となり懲役3年前後の判決がくだる可能性が高いと考えられます。一方で、全額返済した場合には執行猶予が付くことになるでしょうし、全額までいかなくても相当額を返済する内容で町側が示談に応じた場合は、執行猶予がつく可能性が出てきます」(片田弁護士)  そもそもは町側のミスが発端だが、情状に影響はするのか。 「たまたま財布を拾ってそのお金を使ってしまった場合と似ており、田口容疑者も最初から町から不正に金銭を得ようと計画していたのではありません。その点は、量刑に影響すると思います」(片田弁護士)  一部報道では、田口容疑者は振り込まれた金を「ネットカジノで全部使った」と供述したとされる。詐欺を働いた動機については量刑にどの程度影響するのか。 「例えば殺人罪の場合、介護による苦しみの末の犯行か、怨恨(えんこん)かで量刑は大きく変わってきます。ただ、財産犯はそれとは違い、動機が遊興目的でも仮に生活苦だったとしても、量刑への影響は限定的と考えられます」  片田弁護士は、今後の展開をこう予測する。 「例えば田口容疑者側から半額程度の返済による示談が提案されたとしても、全国的に大きく報道されていること、また、地方自治体である町側が容易には債権の一部放棄に応じないことを考えると、『半額程度で折り合いをつけ示談に応じる』ということは、町としてはしづらいのではないでしょうか」  田口容疑者の代理人は、返還方法について「(田口容疑者が)働いて返すしかない」と話しているというが、裁判にかかる費用も含め、市民の税金が戻ってくるかは依然として不透明だ。(AERA dot.編集部・國府田英之)

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    日本で上がる「ウクライナは白旗あげたらいい」の声に戦場ジャーナリストが現地から激怒した理由

     ポーランド国境にほど近い、ウクライナ西部の街に入ったジャーナリストの佐藤和孝さん。これまでもアフガニスタンやボスニアなど様々な紛争地で取材を行ってきた佐藤さんに、AERAはインタビュー。ウクライナに入国した直後のこの街で彼が感じたのは、「平穏」に侵食する恐怖と孤立だった。 *  *  * ――ウクライナ西部にある街、リビウ。美しい街並みはユネスコの世界遺産に登録され、歴史の深さを感じさせる。3月5日、ジャーナリストでジャパンプレス代表の佐藤和孝さんがリビウに入り、取材を続けている。 佐藤:日本で思っているよりも、ウクライナ全土が戦地になっているわけではありません。ロシアに近いハリコフやマリウポリ、キエフは激しい状況ですが、今のリビウはマーケットにも食料が並んでいるし、電気やガス、水道も滞りなくある。でも、会社はやっていないし、学校も幼稚園から大学まで休校です。  リビウはウクライナ各地からのハブになっていて、ポーランドに脱出する人や安全な地方に避難する人たちが集まっています。そうした人たちをケアするために、市民は炊き出しや物を配るボランティア活動に従事している。空からの攻撃を想定して戦車や装甲車をカモフラージュしたり、火炎瓶を作ったりしている人もいる。街は戦時下というより、準戦時体制に入っています。そういった意味でリビウは平穏には見えるけれど、戦火をひしひしと感じている雰囲気です。 ――佐藤さんはこれまで、アフガニスタンをはじめ、チェチェン、イラクなど数々の紛争地を取材し、街に暮らす市井の人の声を伝えてきた。リビウでも、衝撃的な出会いがあった。 佐藤:町工場の若社長として働く30歳の青年がいました。普段は台所用品を作っていたけれど、今は戦車や装甲車が街に侵入しないためのバリケード、そして兵士たちがつける「ドッグタグ」を作っている。普通、ドッグタグには名前や生年月日、血液型や国籍、そしてナンバーが刻まれています。でも、彼が作っていたのはナンバーしか書いていない、名前のないドッグタグでした。  僕がリビウで話を聞いた人たちは、国を守るために戦争に行くと話しました。当然亡くなる人も出てきます。その人たちが無名のドッグタグをつけている。それを見たとき、切なくなった。一人の存在が、番号だけっていうのは……。 腹の底から怒りを覚え ――その青年には7歳と3歳の子どもがいる。あなたも銃を持って戦争に行くのかと問いかけると、「行きたい」と答えた。 佐藤:でも、これまでに戦ったことのない青年です。恐怖について聞くと、「そりゃ怖い」と。「でも、自分が死ぬよりも怖いのは、この国が消滅すること」「だから戦う」と言った。  日本のどこかの評論家だかで、「ウクライナは白旗をあげたらいい」と言った人がいるんでしょう。大馬鹿者ですよ。だったらウクライナに来て、みんなにそう言いなさいと思う。  自分の国、文化や歴史がなくなるんですよ。安全圏で何もわかっていない、命を懸けたこともない人がこれから命を懸けようとしている人たちに向かって言える言葉じゃない。  この国はロシアに踏みにじられてきました。ソ連崩壊でようやく独立国家になったのに、またそのときに戻ってしまう。そうならないために血を流すことを彼らは厭わない。ゼレンスキーも含め、名もない人たちの気概がこの国を勇気づけているんです。  なのに、「10年後にはプーチンが死んでいるだろうから、その後、国に帰ったらいい」なんて馬鹿なことを言っている。このままだと、10年でこの国はなくなるんです。腹の底から怒りを覚えます。 大勢と一人「命」の重さ ――世界はロシアに対しての制裁を強化し、それはウクライナ国民の励みにもなっている。だが、課題もあると指摘する。 佐藤:西側諸国といわれる国が自分たちの味方になってくれていることはよく認識していて、それが戦うモチベーションの一つになっていることも否めません。でも、じゃあ我々はそれを続けていけるのかということも問われてくる。  応援の仕方は色々あるのだと思いますが、ウクライナへの武器の供与以上のことをすると第3次世界大戦になってしまう。世界の指導者のなかには、自分たちが火の粉をかぶらないためにウクライナを犠牲にしてもいいと考える人たちもいる。この問いが正しいかはわかりませんが、大勢の命と一人の命のどっちが大事かということになるかもしれない。そうならないように、外交なども含め世界は動かないといけない。  この戦争は長期化すると思います。だって、多くの人たちが戦う意志を持っている。自分たちの国を自分たちの血をもって守ろうとしている。その魂は消えません。アフガニスタン侵攻でも、ソ連軍が入って10年で撤退を余儀なくされた。結局、勝てないんです。 「核」撃てばロシア消滅 ――ロシア軍がシリアで兵士を募集しているとも報じられ、行き詰まりが見えている。 佐藤:兵士の数が多くても、戦闘経験のない人間は現場では使えません。「ワグネル」といわれる傭兵集団がいますが、彼らは戦闘経験が豊富です。つまり、人の殺し方を知っているということです。シリアの兵士も同じで、人を殺すことに慣れている。そういう人間を使って、なんとかウクライナを制圧したいと思っているんでしょうね。  でも、キエフでロシア軍が政府機関などを押さえたとしても、周りは敵だらけです。ロシア軍にとっても危険なことで、市街戦やゲリラ戦になってくる。長く続けば戦闘意欲やモチベーションもなくなっていくでしょう。  この戦争を長期的に遂行する経済的な裏付けがロシアにあったかというと、難しいんじゃないですか。もともとGDPも低いし、経済制裁もある。中国が助けるといっても限度があります。ロシアにも反対派の人がたくさんいるし、今やっていることは「きょうだい殺し」です。多くの国民は心を痛めているんじゃないかと僕は思う。  ただ、国内世論が反プーチンに傾くほど、彼はますます弾圧しなければならなくなる。今後プーチンはウクライナ、世界、そしてロシア国内とも戦わなければいけなくなります。その覚悟を彼は持っているのか。核があると脅かしますが、それを撃てばロシアも消滅します。  プーチンはルーマニアのチャウシェスクのような形で終わってしまうかもしれません。止められるのはロシア人しかいないと僕は思っています。 世界に見えない街や村 ――様々な国を歩いてきたが、これまで見た戦場とは「質」が違うという。 佐藤:アフガニスタンやイラク、シリアというのはある地域の戦争です。僕のなかでは、世界大戦になるというようなものではなかった。ユーゴスラビアの戦争は世界大戦の可能性を秘めていましたが、各地に火の粉が及ばないようにヨーロッパ各地もいろいろと手を打ちました。  今度はロシアの正規軍が自分たちの論理だけで他国に侵攻し、第3次世界大戦の可能性もはらんだ非常に危機的な状況だと思います。今までの現場とは質が全く違う。だから世界は必死になっているんだけど、行き詰まり感も出てしまっている。  キエフやハリコフから避難してきた人たちは、とにかく攻撃が激しいと口をそろえます。狙撃兵までいるから、外に出られず命からがら逃げてきたと。でも、そういった街や村には記者もいないので、世界に見えていないんです。やりたい放題になって、どんどん残虐な方向に向かってしまう。今後、キエフでも取材したいと思っています。 ◯佐藤和孝(さとう・かずたか)1956年生まれ。独立系通信社「ジャパンプレス」代表。山本美香記念財団代表理事。80年からアフガニスタンで取材を行い、その後も様々な紛争地を取材した。近著に『タリバンの眼 戦場で考えた』など (構成/編集部・福井しほ) ※AERA 2022年3月21日号から

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    参院選出馬の「水道橋博士」が明かした「妻の涙」と「たけしからのメッセージ」

     夏の参院選にれいわ新選組からの出馬を表明したお笑いコンビ・浅草キッドの水道橋博士(59)。選挙では「反スラップ訴訟」「消費税ゼロ」などを訴えていくとされるが、本当に政治家になる覚悟はあるのか。また、かつて自身が批判していた「タレント候補の出馬」について今はどう思っているのか。その他、師匠であるビートたけしの反応なども含めて、数々の疑問を本人に直接聞いた。 *  *  * 水道橋博士が「出馬表明」したのは、都内でトークショーが行われた18日のこと。れいわ新選組の山本太郎代表からの「れいわで一緒に参議院選戦ってくれるかな」という問いかけに対して「ああ戦います、はい戦います」と答えたのだが、本人の口からは一度も「出馬します」というストレートな言葉は聞かれなかった。  そこで、インタビュー冒頭で改めて聞いてみた。ズバリ、本当に次の参院選に出馬するんですよね? 「えーと、まぁ確実にすると思うんですが……。れいわさんも山本太郎代表の“独裁”ではなく、党できちんと会議をへて候補者を決める過程を踏むので、ワンクッション置かせてもらっている状態です」  では「れいわ」のことはいったん脇において、水道橋博士さんのお気持ちはどうなんでしょうか? 「れいわさんに誘われてなかったら出馬してないですね」  じゃあ、出馬しますと言ってよろしいんですね? 「出馬します」  やっと、スッキリと答えてくれた。  出馬への懸念材料としては、供託金の問題があるという。参院選の立候補に必要な供託金は、選挙区での出馬は300万円、比例区なら600万円と高額で、得票数が一定の水準に達しなければ没収されてしまう。れいわ新選組がこの供託金を負担してくれることが、出馬の条件だという。 「れいわさんが選挙分析をして『水道橋では票が取れないので、供託金は払えない』というなら出馬はしないと思います。その場合、他党から『供託金を払いますから出てください』と言われれば、それはやぶさかではありません。ウチの家計には供託金を払えるような余裕はないので、(今回の出馬は)予定していなかった行動なんです」  出馬を考えたのは、本当にごく最近のことだという。15日、川崎市の溝の口駅前で山本氏の街頭演説があった。そこに博士は「自称ジャーナリスト」として訪れ、山本氏に質問した。 「4月25日かな、松井一郎・大阪市長から訴状が届きました。名誉毀損の裁判を5月30日、大阪地裁でやるんですが、裁判費用は莫大(ばくだい)にかかります。被告になってテレビ、ラジオに出られないということになれば、政敵をテレビ、ラジオに出演させないために訴える方法があるわけです。反スラップ訴訟の法律をつくりたい。れいわさんで今後、反スラップ訴訟の立法化について努力してくれるかをお聞きしたい」  2月13日、博士はツイッターで松井市長を批判したYouTube動画を紹介した。これに対して、松井市長は「水道橋さん、これらの誹謗中傷デマは名誉毀損の判決が出ています。言い訳理屈つけてのツイートもダメ、法的手続きします」とツイッターで応戦。本当に訴訟沙汰に発展したという経緯がある。  博士はこの訴訟について、権力を持つ地位にある者が弱い者の口を封じるために訴訟を起こす「スラップ訴訟」だと主張しているのだ。  博士の質問に対して、山本氏はこう答えた。 「(水道橋さんは)自称ジャーナリストから政治家になったらどうですか。自分自身がスラップの被害者であるならば、その立場に立って立法していくというのはかなり説得力のある話なんです。(供託金は)うちから出しますから、うちから出てください。どうでしょう?」  博士はまんざらでもない様子で「検討します」と応じた。  これが発端となり、博士の「出馬」が現実味を帯びた。 「立候補は(山本氏とのかけあいで生じた)偶然の産物です。それから3日間、出馬のための調整をしました」  博士が最初に相談したのは、妻と娘だった。 「妻には(街頭演説翌日の)16日に打ち明けました。泣いていましたね。本当にかわいそうでした。そういうことが好きなタイプの女性ではないので。妻は『家計の持ち出しになるのは絶対に嫌だ』『子どもの教育費を残してほしい』ということをずっと言っていました」  娘はこう言ったという。 「私も公の仕事に就きたいという希望があるから、パパ、人の道を汚したり、後ろ指をさされるようなことがあったら困ります」  師匠のビートたけしとは「出馬表明」前日の17日午後、直接会って相談したという。その時の様子をこう明かす。 「芸人仲間の原田専門家と2人で待ち合わせ場所へ行きました。実に2年半ぶりの再会になりました。たけしさんはもう75歳なので体調はどうかと思っていましたが、非常にお元気な様子でした。話したのは30分くらいです。たけしさんは政治的な活動には、冷ややかなんです。ご自身も出馬などはなさらないので。私からは『大阪の松井市長に訴えられていて、反スラップ訴訟をやらないことには、僕はただ干上がるだけなので、出馬させてほしい。ただし、たけしさんが芸人として出馬はするなとおっしゃるのであれば、出馬はやめます』と申し上げました」  たけしはこう答えたという。 「おまえのことはおまえで決めていいよ。ただし、オレは一切関係ないし、一切の応援はしない」  たけしとは部屋を出て別れた。 「たけしさんの後ろ姿は、がんばれよと言っているようで、かっこよかったです」  たけしの承諾が得られたことで、18日の「出馬表明」となったわけだが、それを報じた記事のコメントやSNSでは批判も巻き起こった。 「タレントとして仕事が減ったから報酬の高い国会議員になろうとしている」「選挙をネタにしたいだけ」などの批判も少なくなかった。こうした声について、どう思っているのだろうか。 「客観的にみれば、そう受け取れるでしょうし、(批判は)傾聴に値するというか、そう思われるだろうなとは思います。僕もタレント候補に対しては、以前からかなり批判してきましたから。ネットで発信する限り、自分を全否定されたり、気を病むくらいの矢が放たれてきたりすることは当然のことだと思っています」  選挙をネタにしたいだけという書き込みについては、 「芸人は選挙もネタにすればいいんじゃないですか。(立川)談志師匠がそうであったようにね。『囃(はや)されたら踊れ』というのが芸人ですから」  参院選で最も強く訴えたいことは「反スラップ訴訟」だという。  前述のように、博士は松井市長から名誉毀損で訴えられているが、2月13日のツイートから訴訟に発展するまでの間には、直接話をしようと試みたこともあった。  松井市長が現れる応援演説に出向き、本人にも声をかけたが、ほとんど反応はなかったという。 「知り合いのジャーナリストに聞いたところ、松井市長はジャーナリストだったらいつでも会いますと言っているようでしたので、即座に肩書を“自称ジャーナリスト”に変えて、なぜ僕を訴えようとするのかを松井市長に質問しに行っているんです。公人だから、そうして声をかけられることもあると思うのですが、なぜか反応はしてくれませんでしたね。僕は、絶対に向こう(松井市長)が大後悔するところまでやります。芸人という職業をバカにしてああいうこと(訴訟)をしているわけで、僕はそんなにヤワじゃないぞということは絶対に見せたいですね」  選挙戦では、反スラップ訴訟を軸に「反維新」の包囲網を広げていくつもりだという。また、アントニオ猪木元参院議員が30年以上前に「スポーツ平和党」を旗揚げして参院選に出馬した時のスローガン、「国会に卍固め、消費税に延髄斬り」も口にしている。 「それはほんとにギャグで言っているだけなんですが、あまり響かないので、もうみなさん、覚えていないのかなと思いました。経済政策としては、消費税ゼロとインボイス反対を訴えていきたいです」  参院選までおよそ2カ月。水道橋博士は客寄せの“タレント候補”で終わるのか、はたまた旋風を巻き起こす新人議員となるのか。これからの活動で試される。(AERA dot.編集部・上田耕司)

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    ミスを指摘されると不機嫌になる性格に悩む28歳女性 自己分析もできている相談者に鴻上尚史が示した“その先”とは

     ミスを指摘されると不機嫌になる性格に悩む28歳女性。「性根が短気でプライドが高く負けず嫌い」と自己分析する相談者に、鴻上尚史が投げかけた一歩踏み込んだ質問とは? 【相談144】ミスを指摘されると不機嫌になってしまいますが、どうこの性格を治していいかわかりません(28歳 女性 どど)  ミスを指摘されると不機嫌になってしまいます。  何故不機嫌になってしまうのかを考えたところ、性根が短気でプライドが高く負けず嫌いなので、周りを見下して心の安定を図っていることに気づきました。  気づいたはいいのですが、相変わらず同僚や後輩にミスを指摘されるとあからさまに不機嫌になってしまい、どうこの性格を治していいかわかりません。  どうやったら周りを見下さずに済むか、せめてすぐ不機嫌になったり、イライラしたりせずに過ごしたいです。知恵を貸していただけないでしょうか。 【鴻上さんの答え】 どどさん。そうですか。不機嫌になる理由は「性根が短気でプライドが高く負けず嫌いなので、周りを見下して心の安定を図っている」からだと気づいたのですね。素晴らしい自己分析だと思います。  持て余す感情に対して、うまくつきあっていくためには、理性しかないと僕は思っています。  つまりは、「どうして自分はこうするのか?」「どうしてこう感じるのか?」を突き詰めていくしか、賢く生きる道はないと思っているのです。  でね、どどさん。もう一歩踏み込んで、「どうして、性根が短気でプライドが高く負けず嫌い」なのか、考えてみませんか? 「そういう性格だから」というのは、あまり賢明な答えではないと思います。そういう性格になった理由を探ろうとしているのです。  ちゃんと自己分析できるどどさんですから、じっくり考えたら答えが出ると思います。ここで終わってもいいぐらいなんですが、それだと「ほがらか人生相談」にメールを送ってくれた意味がないでしょうから、僕の判断を書きますね。  どどさんが「性根が短気でプライドが高く負けず嫌い」なのは、「どどさんが自分自身に自信がないから」だと僕は思います。自分に自信がないから、他人にミスを指摘されると、自分自身そのものを否定されたような気持ちになって怒ってしまうんだと思います。短気でプライドが高く、負けず嫌いなのも、自分に自信がなく、常に不安で自分を守ろうとしているからだと思うのです。  だって、自信のあることや得意なことは、突っ込まれてもたいして動揺しないでしょう? どどさんは何が得意ですか? 高校時代、なにかクラブ活動してました? もしバスケが得意だったら、ミスの指摘もアドバイスもちゃんと聞いたんじゃないですか? でも、もしライバルが現れて、レギュラーから補欠に落とされそうになったら、不安になって、ミスの指摘にいらついたんじゃないですか?  そうするとね、どどさん。この性格を変えていくためには、「自分に自信を持つこと」となります。  自分に自信を持てば、短気でもなくなり、ミスを指摘されても簡単には怒らなくなるんじゃないでしょうか。  え? そんなことができたら苦労はしない? たしかに「自分に自信を持つ」ことは、先進国の中で、「自尊感情」がトップレベルで低い日本人には、なかなか難しいことです。でも、そうなることが、一番確実な解決方法だと思います。  では、どうしたら「自分に自信を持てる」ようになるかですね?  それは、職場でひとつひとつ「勝ち味」を積み重ねていくことだと僕は思います。「成功体験」とか「自分をほめること」と言ってもいいです。どんなに小さなことでもいい、誰かの「ありがとう」とか「助かります」なんていう感謝の言葉でもいい、毎日、ちゃんと会社に遅刻しないで行っていることでも、満員電車に耐えていることでもいい、とにかくなんでも自分をほめる理由を見つけて、自分自身でかみしめるのです。それが「勝ち味」です。  もし、どどさんが毎日毎日、失敗ばかりして怒鳴られていたら、この方法は難しいです。でも、普段はちゃんと仕事をしていて、たまにミスをするぐらいなら、普段ちゃんと仕事している自分をうんとほめるのです。ほめて、自分に自信をつけていくのです。自分へのご褒美も忘れないように。毎朝、ちゃんと起きている自分をほめるために、美味しい物を食べるとか、スーパー銭湯に行くとか、マッサージを受けるとか、ご褒美をかみしめてください。  そうすれば「周りを見下して心の安定を図」る必要もなくなると思います。  時間はかかりますが、これが一番確実な「ミスの指摘に簡単に不機嫌にならない方法」だと僕は考えます。どどさん、どうですか? ■本連載の書籍化第3弾!『鴻上尚史のますますほがらか人生相談』が発売中です!

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    山口祐一郎「きっかけは4番目の父親」 歌の才能を見抜かれ

     1981年に「劇団四季」の「ジーザス・クライスト=スーパースター」で主演デビューした山口祐一郎さん。退団後も大作に出演し続け、「ミュージカル界の帝王」と呼ばれる山口さんが、作家・林真理子さんと対談。生い立ち、この道に進んだきっかけなど、「ここだけの話」がいっぱいです。 *  *  * 林:こんな素敵な山口さんをお産みになったお母さま、すごくきれいな方なんですってね。 山口:きれい、に近い(笑)。 林:お顔はお母さまに似てるんですか。男の子はお母さんに似るっていうから。 山口:でも僕、父親と母親が5人いるんですよ。 林:えっ、5人いらっしゃる? 山口:DNAは、もちろん1番目の両親なんですけど、その後親がどんどん代わっていきまして……。最初の父親と母親は鹿児島の同じ高校の先輩後輩だったんですよ。父親は野球部で、その年のホームラン王。もう1回勝ったら甲子園に行けたのに、負けて行けなくて、その1年後輩が母親だったんです。父親は東京六大学で野球を始めたんですけど、祖父に「野球選手にさせるために大学に行かせたんじゃない」と言われて野球をやめさせられちゃって、ふつうの学生をやってたんですよ。母親のほうは映画のニューフェースに受かって、1年後に東京に出てきて、文学座の研究生になったんです。 林:まあ、そうなんですか。 山口:元野球部の大学生と、文学座に通っている女優の卵が、参宮橋の小さなアパートで一緒に住んだら、そこは劇団四季の稽古場から100メートルぐらいしか離れていない場所で……。 林:私、そのすぐ近くに住んでたんですよ。駅前のカレー屋の2階に住んでたんです。 山口:えっ、ほんとに? 林:「ザ・ベストテン」で「追っかけマン」が「きょうは劇団四季の稽古場からの中継で、野口五郎さんが歌います」と言ったので、そのとき私、こたつで見てたんだけど、すっごい勢いで駆けだして行ったの覚えてますよ(笑)。 山口:劇団四季の稽古場って、当時は外からの音も聞こえるくらいでしたからね。そうそう、その参宮橋で両親が一緒に暮らしていて、父親が大学を卒業するときに山口祐一郎クンが生まれたんですよ。でも、祖父は鹿児島で土木関係の会社を経営していた人。父親はそこの跡取りだから、「大学を卒業したとたんに子どもだなんて、このバカヤロー! アメリカの大学に行ってこい!」と言われちゃった。それで、父親はひとりで、カリフォルニア大学のバークレー校に留学させられたんです。 林:当時はすごいことですよね。 山口:それからもいろいろとあって両親ともどんどん代わって、それで5人。ミュージカルを始めるきっかけになったのは音大を出た4番目の父親でした。実は僕が高校生のときに、その人が僕の声を聞いて「ちょっと声を出してみな」って言うんです。学生のときは剣道ばっかりでしたから、歌なんか一度も歌ったことはなくて。剣道で「ウワー」って掛け声はずっと出してましたけどね。そう言われて声を出したら「すごい! 歌やれよ。そんな“楽器”めったにない」って言われたんです。 林:ええ、ええ。 山口:じゃあやってみようかと思って、そのころ岩崎宏美さんが出ていたテレビの番組があったんです。そこに応募して受かったら仕事にしよう、落ちたらサラリーマンになろうと思ったんですけど、応募して一回歌ったら受かっちゃったんですよ。 林:すごい。 山口:受かったら、そのテレビ局が音楽の学校に行かせてくれるんですが、そこの音楽の先生が劇団四季の作曲をされていて。その方が「ミュージカルのほうに行きなさい」とおっしゃって、浅利(慶太)先生のところに連れていってくれたんです。 林:まあ、そうだったんですか。私、劇団四季の「キャッツ」の初演(1983年)見ましたよ。山口さん、ラム・タム・タガーをやったんですよね。私、そのときお手洗いに行ったら、私に気づいた若い女の子が「山口祐一郎さんステキでしょう? 林さんのいちばんのタイプだと思いますよ」ってコーフンして言うんです。それで私は「山口祐一郎さん」というお名前を知ったんです。 山口:ありがとうございます。 林:ところで、最初のご両親は、まだご健在なんですか。 山口:いや、コロナの前に父親も母親も亡くなりました。 林:私、どういうわけか、劇場のお手洗いに行くと山口祐一郎さんの情報をファンの人が教えてくれるんですよ(笑)。いつかも「山口さんは、お母さんがあまりにも素敵すぎて結婚なさらないんですよ」という話を聞きました。 山口:さっきも言ったように、父親も母親も5人でしょう。「社会通念上のシステムに拘束される現代人って何なんだろう」みたいなことが自動的に教育されちゃったんですよね。「形じゃないんじゃない?」みたいなことが。 林:なるほど……。でも、いろんなことが落ち着いて、いまから結婚してお子さんをつくるのもいいかもしれない。 山口:今年僕、66歳ですよ。いまさら子どもは……。弟も妹もいっぱいいますしね。僕ってプライベートがないんです。「どこそこの劇場にいる」って常に告知されて、そこに行くと僕がいるから、僕の知らない弟たち、妹たちが、「お兄さん」って言って来るんですよ。あるタイミングから僕、自分の実人生がなくなって。僕が過ごしてきたのは、全部舞台の上。死神とかヴァンパイアとか、人じゃない役を演じたこともたくさんあるわけですが、そんな虚構の世界が自分の人生なんです。自分の夢が現実になり、現実になった夢の中に生きているという感じでしょうか。 林:それはこういう容姿と才能に恵まれた人の運命ですね。 >>【前編】ミュージカル界の帝王・山口祐一郎を鼓舞させた“医療関係者からの手紙” (構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木俊雄)※週刊朝日  2022年5月27日号より抜粋

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    ミュージカルの帝王・山口祐一郎 「100%予想できない展開」楽しんでほしい

     俳優・山口祐一郎が東京・日比谷のシアタークリエで公演を行う。コロナ禍で試行錯誤するなかで、改めて得た気付きがあるという。AERA 2022年5月23日号から。 *  *  *  新型コロナウイルスは生き方を変えた。コロナ禍でミュージカル公演が軒並み中止となった2020年秋のこと。「自分たちの日常がなくなってしまう」と、ミュージカルの帝王・山口祐一郎(65)は、演劇の殿堂・帝国劇場で初めてのトークショー「My Story~素敵な仲間たち」に出演した。 「どういう形で皆様に出会う機会があるのか、スタッフの皆さんで検討する中、トークショーならコロナ対策に関しても対応しやすいのではないか、と実現しました。とは言っても、トークショーで帝劇が満席になって、大勢の方に配信でも観てもらえるなんて、自分でも思っておらず驚きました」 ■普段以上のやりとり  ミュージカル公演では数カ月どころか年単位で準備を進める。稽古場で流した汗が本番で結実する。だが、トークショーでは稽古場での時間がないだけに、 「稽古分の汗が本番中の冷や汗にならないか心配していましたが(笑)、お客さまと大変楽しく過ごすことができました」  このトークショーでの気付きは大きかった。マスクをしていても、皮膚感覚で観客の熱を感じた。五感は置かれた環境によって順応すると知った。マスクで顔の動きもわからないかと思っていたら大間違い。1千人以上の人が白いマスクをしていたが、表情がはっきりわかった。 「コロナ前とは違いますが、普段以上のキャッチボールが客席とできたような気がします。新しい発見でした」  コロナ禍を通じ、改めて自身が恵まれた環境で演じてきたことにも気付かされた。  例えば公演後、欧州や米国からやってきた演出家たちは、静かに見ている日本の観客が気になるらしい。「何か大きなミステイクがあったのではないか。何があったか本当のことを教えてくれ」と尋ねられた。そう聞く彼らに、「この小さな島国の日本では、こうやって感情を表現するんです。能や狂言をぜひご覧になってください」と答えた。 ■佇まいで心情わかる 「日本人は何かをしているから人の感情を感じるというより、ただ佇んでいるだけでもその人がどういう心情にいるかを理解するんですよね。日本は世界中のどの劇場よりも、お客さまとのコミュニケーションが普段と変わらず行われる。私はそういう特殊な恵まれた幸せな場に立っているのだ、と感じました」  そんないくつもの発見を経て、今回、東京・日比谷のシアタークリエで、さらに内容をグレードアップした「My Story,My Song~and YOU~」を開催する。「これまで出演したミュージカルナンバーで、普段なかなか聞くことのできない歌を披露する」と言う。千穐楽はオンラインでも生配信する予定だ。 「役者も演出・制作スタッフさん方もバンドさんも、みんな一緒にやってきました。クリエで魅力的な時間と空間をお客さまに楽しんでもらいましょうと企画する時に、みんながやりたいことがあっという間に山積みになりました。その中から面白いものを選んで構成しています。トークでも、ゲストはみんな一緒に仕事をしてきた仲間です。前回もそうでしたが、何か金脈に当たるとみんなでそこを掘っちゃうんです。今回もどんなトークになるか、私にも全くわかりません。100%予想できない展開になるはずです(笑)。それを私自身が心から楽しんでいる様子やコンサートの雰囲気、エネルギーを、配信でご覧になるお客さまも含め、皆さんにも楽しんでいただけたらと思っています」 (フリーランス記者・坂口さゆり) ※AERA 2022年5月23日号

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    「これはラーメンじゃない」 批判された“TKM”がブレークした理由

     日本に数多くあるラーメン店の中でも、屈指の名店と呼ばれる店がある。そんな名店と、名店店主が愛する一杯を紹介する本連載。埼玉で60年続く老舗町中華の3代目が愛するラーメンは、熊谷で大行列ができる人気店の“TKM”というシンプルすぎる一杯だった。 ■老舗の町中華がSNSでバズった理由  東武伊勢崎線の加須駅(埼玉県)から徒歩5分。60年以上も続く老舗の町中華がある。「かし亀」だ。老舗ながら、高級中華料理店出身の3代目店主・駒剛行さんの料理の腕と、あふれるアイデアで常に行列の人気店。連日、ツイッターやインスタグラムの投稿でファンがにぎわう、まさに令和を生きる町中華である。 「かし亀」がSNSでバズり始めたきっかけは、チャーハンの横に中華の一品ものを乗せた「デカ盛り」だ。「肉乗せチャーハン」を筆頭に「チャーシューチャーハン」「唐揚げチャーハン」など、人気メニューを次々チャーハンに合わせていった。  そして、もう一つの看板メニューは、駒さんが東岩槻(埼玉県)の名店「オランダ軒」で食べて衝撃を受けた「生姜醤油ラーメン」だ。スープを継ぎ足しながら作る“呼び戻し”の要領でスープを徐々に濃くして厚みを出し、2~3年かけて現在の形に完成した。  今ではラーメンファンとデカ盛りファンが集まる店としてすっかり人気に。だが、量が多く食べるのに時間がかかり、行列がどんどん長くなっていった。外で2時間待ちという事態になり、今では来店時に名前を書く記帳制にせざるを得なくなった。 「チャーシューチャーハンと生姜醤油チャーシューメンが一番出ているので、とにかくチャーシューをたくさん作ります。現在では1日30キロ出ています。豚のウデ肉を濃いめのタレで柔らかくなるまで煮て作るんです」(駒さん)  祖父が経営していた店を使っているため家賃もかからない。おのずと利益率は上がりそうだが、その代わり材料にこだわっている。 「お客さんに喜んでもらえればそれでOKだと思っています。喜んでくれたお客さんは口コミを広げてくれるので、CMや宣伝を打つ代わりに原価率をかけていると思えば安いものです。実家でやれることの良さを生かしていきます」(駒さん)  チャーシューが1日30キロも出る町中華とはそうそう聞いたことがない。昭和から続く町中華の止まらぬ進化を感じるお店である。  そんな「かし亀」駒店主が愛する名店は、埼玉・熊谷で“TKM”というメニュ-で大行列ができる店だ。誰でも考え付きそうで考え付かなかったアイデアメニュー誕生の秘密を追ってみたい。 ■「これはラーメンじゃない」批判も一転 名店店主がTKMを評価  JR高崎線・熊谷駅(埼玉県)から徒歩5分。およそラーメン屋とは思えぬポップな店先に大行列ができる店がある。「ゴールデンタイガー」だ。2018年のオープン以来、熊谷を代表する人気店としてその名が知られている。  店主の金澤洋介さんは埼玉県美里町出身。浦和学院高校出身で、野球部に所属。チームは甲子園にも出場した。金澤さんは惜しくもベンチからは外れてしまったが、野球漬けの毎日を過ごしていた。  そんな金澤さんがラーメンと関わるようになったのは、高校3年の9月。部活引退後、「本庄大勝軒」でアルバイトを始めたことがはじまりだ。  食べながら汗をかくのが嫌いでラーメンはあまり食べていなかった金澤さんだが、「本庄大勝軒」のもりそば(つけ麺)は違った。冷たい麺で食べるもりそばがおいしく、ここでアルバイトをしたいと思った。皿洗いが中心だったが、3カ月間働いた。  その後は工場に3年勤め、佐川急便の配達を3カ月、インテリア関係の仕事を1年と職を転々とした。「本庄大勝軒」にはバイトを辞めてからも定期的に訪れていた金澤さん。ある日、マスターとおかみさんに「いつラーメン屋をやるの?」と聞かれた。  このまま仕事を続けるか迷っていた頃、「本庄大勝軒」が2店舗目の「常勝軒」をオープンすると耳にする。50席ほどある大型店で、ここで頑張れば月100万円稼ぐことも夢ではないと思い、入社を決める。23歳の頃だった。 「常勝軒」はすぐさま繁盛店になった。金澤さんは無我夢中で店を回し、気がつけば接客が好きになっていた。 「お客さんとのコミュニケーションがとにかく楽しくて、この仕事って良いなと思いました。目の前で『おいしいね』とか『元気もらえるよ』を言ってもらえる幸せな職業ですよね。常連の多い地元に愛されるお店だったからこそ感じられたことかもしれません」(金澤さん)  オープンから3カ月後には店長に抜擢(ばってき)され、失敗も多かったが成長できた。従業員もたくさんいて、人の配置や人間関係も含め、店作りを学んでいった。「常勝軒」で8年働いた後は、群馬の系列店「景勝軒」に入り、エリアマネジャーとして各店を指導する立場になる。原価や人件費などの数字面も見られるようになった。  その後、妻の妊娠をきっかけに、金澤さんは独立を考え始める。 「ちょうどこの頃仕事に疲れている状況で、今のままだと子どもにこの顔を見せられないなと思ったんです。妻も背中を押してくれて、独立に向けて動き出すことになりました」(金澤さん)  そこで、店の定休日を利用して「金の舌」と名付けたイベントを開催。オリジナルのラーメンを提供することにする。ここで生まれたのが、「金の素」というメニューである。ゆでた麺を氷水で締め、醤油タレをかけて生卵を乗せたシンプルな一杯。店のまかないとして、具無し、スープ無しで麺とタレだけを絡めて食べていたのをヒントに作ったという。 「つけ麺をメインでやろうと思っていましたが、週1のイベントのために仕込むのがとにかく大変だったんです。スープを無しにして、麺とタレだけで作れれば理想だと考えて作りました。うまい麺があればスープは要らないのではという発想です」(金澤さん)  この「金の素」が、のちに「ゴールデンタイガー」を支える一杯になっていく。  こうして2018年3月、金澤さんは熊谷に「ゴールデンタイガー」をオープンする。33歳の時だった。店名は長男の虎太郎くんの名前から名付けた。店のポップな外観は、先輩のデザイナーに作ってもらった。  メニューはつけ麺と「TKM」。TKMは「タマゴカケメン」の略称で、「金の素」をブラッシュアップさせたものだ。「卵かけご飯」の「TKG」からヒントを得て付けた名前はアイデア賞といっていいだろう。艶やかな麺の上に浮かぶ黄色い卵の黄身。シンプルながら絵になる一杯だ。  このTKMが19年4月に大ブレークする。栃木県小山市で開かれた「ラーメン祭り」に出店した時である。ポスターにTKMの写真が載った時は、「これはラーメンじゃない」とばかにされたが、いざイベントが始まると、そのおいしさに他店の店主から絶賛の声が集まる。その後、名店の店主が限定メニューとして出し始めるなどTKM自体が広がっていった。 「よく言えばシンプル、悪く言えば手抜きに見えたのか、お客さんもあまり注文してくれないメニューでした。でも、イベント後に一気に忙しくなり、TKMを注文する人も増えましたね。続けることでリピーターも確実に増えていきました」(金澤さん)  つけ麺の材料で作ることができ、麺のゆで方もつけ麺と同じ。なのに、この唯一無二な一杯を作り上げたのは革命といえる。簡単そうに見えるが、シンプルさゆえにごまかしが利かない。麺をどう仕上げるかがすべてで、そこに全神経を集中して緻密(ちみつ)に作り上げた一品である。  このTKMを看板に掲げ、「ゴールデンタイガー」は一気に人気店に上り詰めた。20年10月からは麺を自家製麺に切り替え、よりうまさが際立つようになった。金澤さんはこれからもシンプルな一杯を極限まで磨き続ける。 「かし亀」駒店主は、このTKMの大ファンだ。 「とにかく麺がおいしい。かためですごくコシのある麺で、なかなかこういう麺には出会ったことがありません。シンプルなだけに細部まで磨き上げられていて、麺の太さ、弾力、のど越し、タレの絡みなど、どこをとっても最高の仕上がりです。私も家で何度も試作したことがありますが、なかなかうまく作れないんですよね」(駒さん) 「ゴールデンタイガー」金澤店主も、「かし亀」の町中華の域を超えた人気に感服する。 「インスタ映えの先駆者的なお店だと思います。そして映えだけでなくしっかりおいしい。ラーメン店ではなかなかできないメニュー数を毎日こなしていて、こだわりのすごい方だなと思います。オリジナリティーにあふれていて、見せ方も面白く、町中華の新たな形として大変勉強になるお店です」(金澤さん)  人気の町中華のデカ盛りメニューとシンプル・イズ・ベストなTKM。どちらも料理は味だけでなく、見た目も大事だということを教えてくれる。そして食べればさらに納得なおいしさ。ファンを夢中にさせる一杯は何より強い。(ラーメンライター・井手隊長) ○井手隊長(いでたいちょう)/大学3年生からラーメンの食べ歩きを始めて19年。当時からノートに感想を書きため、現在はブログやSNS、ネット番組で情報を発信。イベントMCやコンテストの審査員、コメンテーターとしてメディアにも出演する。AERAオンラインで「ラーメン名店クロニクル」を連載中。Twitterは@idetaicho ※AERAオンライン限定記事

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    <NISAの出口>60歳で相場暴落なら、積み立てた投資信託どうする?

     つみたてNISA、iDeCoなどで投資信託を積み立てる人が激増している。見よう見まねで資産運用を始めたはいいが、「出口問題」についてしっかり考えているだろうか。  出口問題=老後の売却(取り崩し)をどうするか問題のこと。投資は買うより売るほうが難しいのである。5月16日発売の「AERA Money 2022夏号」では、NISAの出口について詳細に解説している。  最悪なのは、いざ投資信託を取り崩そうとしたとき暴落に見舞われることだ。まずはリーマン・ショック後の株価の回復の仕方から「どうすればいいか」を学ぼう。  米国の株価指数、S&P500は2021年の1年間だけで27%も伸びた。それが2022年に入って様相は一変。ロシアがウクライナ侵攻を開始した2月24日には年初からの下落率が10%以上に達した(その後3月中旬から反発、4月上旬は下落)。 「60歳で退職。今年からNISAの投資信託(以下、投信)を取り崩そう」と思っていた矢先に、こういう下落があると売りたくなくなる。どうすればいいのだろう。  GMOクリック証券の谷口幸博さんが、暴落時の鉄則を語る。 「慌てて売らない。つみたて投資で、下落したとたんに売るほどもったいないことはありません」  2021年前半のような株価下落を見ると不安になり、つみたて投資自体をやめる人がいる。持っている投信や株式を売る人も多い。損失の拡大を防ぎたい一心だろうが、つみたて投資の場合、それは間違い。  相場が少し回復して、自分が投資した元本まで戻ったら「もう投資はこりごり。損することにおびえたくない。今なら損していないだけ儲けもの」と売る人もいる。 3年くらい様子を見る 「毎月定額で投信をつみたてている場合は、下がった分だけ安い基準価額でたくさんの口数を買えることになります。老後まで10年以上の時間がある現役世代は、下落をチャンスと捉(とら)えてください。リタイア間近な人も慌てて売らず、3年ほど様子見しましょう」  ここでリーマン・ショックが起こった2008年の1月から2021年12月末までの14年間、毎月1万円をS&P500に連動する投信につみたて投資をしたときのシミュレーションを行った。 「投資元本」とは財布から出したお金のこと。14年間で168万円だ。そして「資産額」は、財布から出したお金と投信自体が増えた分(または減った分)を合わせたもの。リーマン・ショック発生から3年も経つと、投資元本より資産額のほうが上回った。  この期間を振り返ると、リーマン・ショックで始まり、2015年8月に中国人民元切り下げによるチャイナ・ショック、2020年3月には新型コロナウイルス感染症拡大によるコロナ・ショックに見舞われている。  しかし14年に及ぶ毎月1万円のつみたてで、投資元本168万円は2021年末に657万円、つまり約4倍にまで増えた。  下げ相場に突入した2022年の数カ月は、長期投資において「ある一時期」でしかない。 「短期的な下げ局面だけをクローズアップした株価チャートを見ると、ひどい状態に見えます。ただ、数カ月の下落は14年間のつみたて期間から見れば『ごくごく短期間の小さな下げ局面』にすぎません。長期投資は10年、20年という長いスパンで行うもの。短期的な下げに惑わされて全体を見失わないようにしましょう」 生活費を預金で準備  では、60歳の定年退職の際にリーマン・ショックのような大暴落で大切なお金が半分になったらどうすべきなのか。  答えはやはり、「3年ほど待つ」だ。リーマン・ショック後のS&P500は高値から52.6%の暴落を5年5カ月で取り戻している。  最近は定年退職後も再雇用などで働く人が増えた。下落で目減りした老後資産を補てんすべく、働くのもいい。だが、できれば働きたくない人も多いだろう。 「もう働く気がない、もしくは働き口が見つからないことが心配なら、60歳までに運用資産とは別に、最低3年分の生活費を現預金で準備しておくのはどうでしょう」  投資の運用資産以外に生活費3年分をまかなう預金もない人は? 「その場合は、取り崩しが必要になる60歳を迎える3年ほど前から、運用資産の一部を少しずつ売却しておくのもいいでしょう。そうすれば、60歳で暴落に見舞われても、事前に現金化した資金で3年の様子見期間の生活費をまかなえます」  取り崩しにも準備期間が必要ということなのである。  最後に谷口さんの話をまとめよう。 1 慌てて売らない2 リタイア前ならつみたて続行3 リタイア後でも3年ほど待つ4 60歳時点で最低3年分の生活費を準備しておく5 下がり続ける相場はない  「老後を迎えたからといって、暴落時の安値で現金化するのはもったいない。下がり続ける相場はないのです」 (編集・文/綾小路麗香、伊藤 忍)  ※『AERA Money 2022夏号』から抜粋 

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    「ゴルバチョフ氏の愚は繰り返さぬ」鈴木宗男氏が語るプーチン大統領の論理

     ウクライナに侵攻したロシア。プーチン大統領は何を考えているのか。AERA2022年3月14日号では「ウクライナとロシアの現実」を緊急特集。彼と4回会ったことがあるという鈴木宗男・参議院議員に聞いた。 *  *  *  プーチン大統領の考えを理解するには、東西冷戦が終結した頃からの歴史を俯瞰する視点が必要です。  1989年にベルリンの壁が崩壊し、ブッシュ(父)米大統領とゴルバチョフ・ソ連書記長の間で東西ドイツの統一に向けた議論が始まりました。その時、北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大はしない、と米国はソ連に約束しました。  文書化されていませんが、当時のベーカー米国務長官の回顧録『シャトル外交 激動の四年』(新潮文庫)にも、1990年2月9日のベーカー国務長官とゴルバチョフ氏の会談で「1インチたりとも拡大しない」と伝えた場面が紹介されています。  ゴルバチョフ氏は西側を信頼し、ワルシャワ条約機構を91年に解体したのです。  この頃、KGB職員として東ドイツにいたのがプーチン氏でした。ところがNATOはその後、東方拡大を進めました。  プーチン氏は一方的に約束を反故にしてきた米国の信義違反を繰り返し批判してきました。ゴルバチョフ氏はノーベル平和賞を受賞しましたが、結果として「弱いロシア」になってしまった。プーチン大統領には、西側を善意に解釈したゴルバチョフ氏の愚は繰り返さない、という強い決意と覚悟があります。  NATOに加盟した旧ソ連の国々にはロシアに照準を向けたミサイルが配備されています。ウクライナまでNATOに加盟する事態をロシアは看過できません。  しかし、今の日本のメディアを見ていると、「ウクライナが善、ロシアが悪」という構図の報道ばかりが目につきます。これはちょっと短絡的すぎる。ウクライナのゼレンスキー大統領に何らの過ちもなかった、というのは公平な見方ではないと思います。  ウクライナ東部の「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」で続く紛争をめぐっては、「ミンスク合意」という和平の道筋があります。2014年に欧州安全保障協力機構(OSCE)が支援し、ウクライナ、ロシアとドネツク、ルガンスクの4者が署名した停戦合意と、15年にドイツとフランスが仲介した「ミンスク2」という包括的な和平合意です。  この和平合意を履行しなかったのは、19年に大統領に選出されたゼレンスキー氏です。彼は、自分はミンスク合意に署名していないと言い始めたり、昨年10月に攻撃ドローンを飛ばしたりしたことが、現在に至る緊張状態の発端になっています。米国も今年に入り「ロシアは明日にも侵攻する」といった情報を世界に流し続けました。  プーチン氏には「挑発」と映ったはずです。米国は本来、ロシアとウクライナの間に話し合いの場を設け、ミンスク合意の履行を双方に促すのが役割だったはずです。ロシアが侵攻に踏み切ったのは、この間、話し合いに応じようとしなかったゼレンスキー氏がミンスク合意を履行しないことが明白になったからだと思います。  ロシアが侵攻する前の動きを時系列で見れば、プーチン氏は話し合いを求めたが、それに応じなかったのはゼレンスキー氏です。  ミンスク合意をウクライナが履行していればこんな事態は起きなかった。ゼレンスキー氏が大統領になるまでは散発的な戦闘は起きても、紛争の拡大は抑えられてきましたから。外交は積み重ねです。過去の約束は守るのが基本です。米国が言っていることがすべて善、ロシアは悪という単純な分け方は危険です。  私は今回のロシアの侵攻、力による現状変更、主権侵害は認められるものではないという前提でお話ししています。ただ、ここに至るにはそれなりの経緯がある、ということを知ってもらいたいのです。  プーチン氏の目的は、ウクライナの中立化だと思います。紛争を抱えている国はNATOに入れません。ドネツクやルガンスクで紛争が続いていますから、ウクライナはもともとNATOに加盟できる状況ではありません。プーチン氏が求める中立化は、NATOに加盟しないというのにとどまらない、スイス、オーストリアのようなイメージをしているのではないでしょうか。  私はプーチン氏に4回会ったことがあります。  1999年にキルギスで日本人技師4人が誘拐された事件が起きた直後のアジア太平洋経済協力会議(APEC)で、当時首相だったプーチン氏と初めて面談しました。当時、プーチン氏は恩着せがましく外交カードとして利用することなく、事件の解決に尽力してくれました。強面と言われますが、人情家だと思います。  また、56年の日ソ共同宣言の有効性を認めた指導者は、ソ連、ロシア時代を通じてプーチン氏が初めてです。日本は北方領土や平和条約締結という政治課題がなければ、米国と一体でいいと思います。しかし、日本の国益を踏まえれば、ゼレンスキー氏ともプーチン氏ともバランスの取れたトップ外交を展開すべきだと思います。  長い目で見れば、中国の東アジアでの覇権主義的な動きを抑えられるのは米国ではなく、ロシアではないでしょうか。ロシアは世界一のエネルギー資源大国です。2050年のカーボンニュートラルに向けても、当面はロシアのLNG(液化天然ガス)が必要です。  いかほどの経済制裁をしても事態は収まりません。いま必要なのは一にも二にも話し合いです。 ○鈴木宗男氏(すずき・むねお)1948年、北海道足寄町生まれ。日本維新の会所属の参院議員。小渕内閣で内閣官房副長官を務めた。北方領土問題の解決に取り組んでいる。 (構成/AERA編集部・渡辺豪)

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    稲垣えみ子「自分の『正しさ』ばかり考えていた時、人の助けと情けが身にしみた」

     元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。 *  *  *  とんでもないことをしでかしてしまった。  あろうことか夕食用のジャガイモの煮物を火にかけたまま外出。焦げ付いたイモの煙に気づいた隣の方の119番で間一髪火事に至らなかったものの、それは多くの方の機転で得られた幸運でしかなく、「うっかり」で済まされるはずもない。何かあれば取り返しがつかなかった。考えただけで震えが止まらなくなった。  なぜこんなことに。振り返れば、ずっと締め切り原稿で頭がいっぱいで、気もそぞろだった。要するに慢心していたのだ。人様に何かを発信するうちに自分の「正しさ」ばかり考えるようになり、浮き足立っていた。なのにそれに気づこうともしなかった。生きていく上でまず大事なことは、人を唸らせる文章を書いたり発言したりすることじゃない。最優先すべきは「火事を出さないこと」だ。人様の生活や命を危険にさらさないよう努力を尽くすことだ。そんな当たり前が全くわかっていなかった。それで正しい事を言うとかありえないだろう。でもそれが私だった。  そして、人の助けと情けがこれほど身にしみたことはない。隣の方始め、消防や警察の方の機敏な判断と行動で首の皮一枚で救われた。怒鳴られて当然なのに、怪我がなくて何より、お互い気をつけましょうと言ってくださった大家さんや近所の方々の優しさよ。酒屋のおかあさんは「怖かったでしょう」と肩に手を置いてくださった。その手の温かさ。そう私は自分が怖かった。同じ酒屋のおとうさんは「おじちゃんはいつもバイクに乗るとき、よし今日も絶対事故を起こさないぞって自分に言い聞かせているよ」と教えてくれた。その全てを一生忘れない。皆様こそが正しく偉大なのであった。  私はこれからどうするべきか。  今の私は何かが間違っているのだ。おそらくは人生の目標が。朝起きたら、その日を無事に過ごすのだと自分に言い聞かせること。外出時の火元の指差し確認。そして人に優しく。それを日々やりとげることが全てなんじゃないか。 ◎稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行※AERA 2022年5月16日号

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    佐藤勝利、堂本光一との「SHOCK」秘話 「『迷惑かけてよ』と言ってくれた」

     昨秋、初の単独主演舞台を成功させるなど、活躍の幅を広げる佐藤勝利さん。今回挑んだのは、自身が初めて生で触れたエンタメ作品で、何度も劇場に足を運んだと公言する、堂本光一さん主演の「Endless SHOCK」とそのスピンオフ「─Eternal─」だ。憧れの舞台を踏むにあたって明かした思いは。また、得意だという料理についても語ってくれた。 *  *  * ──「Endless SHOCK」の出演オファーがあった昨年11月から、先行して稽古を始めたとか。  去年の秋、僕の主演舞台(「ブライトン・ビーチ回顧録」)があって、その舞台のためにボイトレをしていたんです。そのとき、ミュージカル発声、舞台発声のすごさに気づいて。僕はもともと舞台や演劇が好きだったのもあって、僕の目指したい発声が少しずつ見えてきて、練習するうちに、もしかしたら、そこにたどり着けるかなあと思えたんです。それで、舞台が終わった後も週2ぐらいでトレーニングを続けていたんですよ。  ちょうどその時期に、「SHOCK」のお話をいただいたので、続けてきたボイトレに加えて、まずはダンスをやって振りを覚えていきました。「SHOCK」での歌のトレーニングもあったので、ほぼ毎日のように何かしらやってきましたね。  こういうものって頑張ればいいという話でもないんですが、ただ、僕は実力が伴っていないという不安のほうが大きくて、それを埋めたいという気持ちがありました。練習することで、一歩ずつ怖さがなくなっていく。基礎、土台がなかったら舞台もできない、と思って早めから準備をしてきたんです。でも、そうやって「型」だけになっていくのを、今回座長(堂本光一)に壊してもらえた感じですね。それが、製作発表前日の電話でした。 ──どんな話を?  僕の中で「Endless SHOCK」というものの存在が大きすぎて……。「迷惑かけちゃいけない」っていう思いがあって、だから「型」が重要だと思っていたんです。そうしたら、光一くんが「そんなのどうでもいいよ、迷惑かけてよ」って言ってくれて。  もちろん前提として、「型」を習得していないと破るものがないので、練習は絶対に裏切らないっていうのは、光一くんが一番わかってて。でも、練習したものをただ披露するだけでは、人の心なんて動かない、ってことだと思うんです。「型」って、個性とは真逆のものですしね。このままだと僕が「型」で止まりそうで、何も破れそうもなかったんだと思うんですよ。だからこそ「迷惑かけてよ」って言ってくれたんだと思います。 ──ライバル役は感情の起伏が激しい役です。どう演じたいですか?  ライバル役との向き合い方としては、的の真ん中を射ぬこうとは思っていなくて。この役で、基準点や平均点を取りにいこうとは思っていません。失敗はマイナス点かもしれないけど、そうだとしても、そのほうが面白くて、真ん中っていうのが一番つまんないのかなと思います。自分としてもそう思うし、光一くんと話して、求められているものもそういうことなのかな、と思いました。  僕は、その役が言いたいことだったり、心が動いたからこの行動に出た、という流れだったりをすごく大事にしたい。もちろんセリフで説明はできるけど、セリフ、言葉っていうのは形だから。その役がどういう気持ちでそのセリフを言うのかとか、心がまずスタートにないと、っていう思いはありますね。  ライバルは激しい役だけど、ただ暴れればいいってもんじゃないかな、とは思っています。でも、考えすぎたら考えすぎたで、小さくまとまってる、って言われそうな気もするし……。とはいえ、わざとふざけるとか、変わったことをやってみるとか、そういうのは苦手なので。 ──勝利さんも感情のアップダウンは激しい?  基本的には、そんなことないと思うんですけど。ただ、感情が動いたときの振れ幅はすごく大きいですね。すっごい落ちるときは落ちるし、すっごい上がるときは上がる。でも、それが普段からずっとあるってわけじゃなくて、ずっと振れているような感じはないですね。何かがあって落ち込んだときは、あんまり人に話さないタイプです。いろんな経験してきたから、耐性は強いと思っているんです。 ──ところで、料理が得意だとか。いつから始めたんですか?  タイミング的にはコロナがはやるちょっと前くらいに。食べること自体すごく好きだし、それでふと、米炊けるようになりたいな、と思ったんです。最初のうちはカレーとか作ったと思うんですけど。始めたころは炊飯器で炊いてたんですが、そのうちなんか違うな、と思って、土鍋で炊き始めたんです。ボタン一つで炊けちゃうと、なんでできたかわからない。アナログで、一からやるようになったのは、なぜそうやって米が炊けるのかがわかるから。そのほうが楽しめるんですよね。  最近は、パスタを作ることが多いかな。もちろん買ってきたソースもおいしいけど、やっぱり自分で作りたい。トマトベースのものとかが多いかな。リゾットなんかも、プロのシェフが作っている動画を見て、見よう見まねで作ってみたこともあります。レストランで出すような料理を家で再現してみたいな。 ──誰かに振る舞ったことはありますか?  ありますよ。友達とか、家族に。驚いてくれたり、喜んでくれたりして、うれしいです。これまで、ドームに立ったり、アリーナに立ったりとか、すごい大勢の人に喜んでもらうのは、得意というか……ずっとそうやって仕事をしてきたので、経験のあることじゃないですか。ただ、一対一で人と話をするときも、料理でもそうですけど、目の前の人に喜んでもらうことって、すごい難しいなあと思っていて。  料理って、僕の場合趣味なので、振る舞う相手は小さな世界になっちゃいますけど。でも、その一人、家族でも、親でも誰でもそうですけど、一人に料理振る舞ったら、すっごい喜んでくれるじゃないですか。だから、それもやっぱりやりがいの一つかなと。  普段ライブもグループでやっているわけで、自分一人で、一人に向けて歌ったり踊ったりすることって、ないじゃないですか。僕としては、一人ひとりに届くように、という気持ちはあるんですが……。だから、難しいんです、一人を一人で喜ばせるって。  それができるな、って感じたから、料理ができるっていうのは本当にすてきなことだなって。相手の喜ぶ姿を見て、自分もうれしくなれるから、すごくいいものだな、と思いますね。 (構成/本誌・直木詩帆) ※週刊朝日  2022年5月20日号

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    田端信太郎×テスタ対談「客になりたい企業と社員になりたい企業は違う」

     リクルート、ライブドア、LINE、ZOZOなど「超ホット」な企業を渡り歩いてきた田端信太郎さんと、50億円トレーダーのテスタさんが会った。田端さんはツイッターで歯に衣着せない発言で有名、YouTubeも絶好調。テスタさんは相変わらずコツコツと株の利益を積み上げている。一見、住む世界が違う二人のおもしろ対談。 *  *  * 編集部:田端さんはリクルートでフリーマガジン『R25』を立ち上げ、ライブドアのメディア事業部長として「ライブドアニュース」、LINEで法人ビジネス全般を軌道に乗せてこられました。 テスタ:どれも社会の中心になっていった企業や事業ばかり。狙って転職されたんですか? 田端:半分は、狙っていましたね(笑)。ぶっちゃけ、会社員って、倒産でもしない限りダウンサイドリスク<損する可能性>はないじゃないですか。勤務先が大変なことになっても僕が大変なことになるわけじゃないでしょ。 テスタ:確かに。 田端:「ライブドアに東京地検が入ってきたとき、僕、その現場にいましたからね」という体験は、振り返ると「お金じゃ買えない、すべらない話」みたいなもの。 テスタ:それにしても、先見の明がないと、なかなか狙って転職できるものではないですよね。 編集部:田端さんが転職したら、その企業の株を買うと儲かりそう? 田端:いやいや、客になりたい企業と社員になりたい企業は違うんですよ。たとえばサイバーエージェント。ネット広告事業で国内トップ、最近ではゲーム事業の『ウマ娘』が大ヒットしてますよね。 田端:サイバーエージェントの藤田晋さんは非常に素晴らしい社長だと尊敬しています。株を買うならライブドアではなくサイバーエージェントの株を買っていたと思う。でも当時はライブドアに入社しようと思った。なんだか、おもしろそうだなと。はい、勘です(笑)。 テスタ:「客になりたい企業と社員になりたい企業は違う」。名言。  テスタ:ライブドア・ショックから16年以上経ちますが、僕は当時、投資をはじめて1年目でした。あのときのことははっきり覚えています。なぜ堀江さんが逮捕されたのか、よくわからない。あの事件はベンチャー企業の発展に水を差したような気がします。 田端:その視点、大事ですよね。僕のような当事者が「あの頃のライブドアに比べたら今のベンチャーは……」なんて言うと、単なる「おっさん語り」になっちゃう。 テスタ:そんなことは(笑)。 田端:最近ようやく、ネット産業は少し「整って」きましたよね。僕がライブドアに入社した頃って、新卒で入社するっていうと親から反対されがちでしたから。 テスタ:整って安定感が増した分、おもしろみがなくなった? 田端さんは会社員時代からツイッターで自由に意見を言って、炎上もたくさん。今も遠慮なしに発信してますよね。だからおもしろい。 田端:遠慮することもあるんですよ! 言いたいことの半分ぐらいしか言っていません。ライブドアにいたときも、ZOZOで前澤友作さんの下で働いていたときも、「自由にやっていいよ」と言われていたけど。ツイッターは、炎上しても絶対やめません。 テスタ:前澤友作さんは実際のところ、どんな方ですか? 田端:経営者というより、バンドマン。いやロックスター。いい意味でも悪い意味でも無邪気な悪ガキがそのまんま大人になって、資産数千億円の大富豪になりました~って感じです。 テスタ:悪ガキ(笑)。でもアパレル初のネット通販事業、宇宙旅行……と誰もやらなかったことにチャレンジするのがすごい。田端さんも地道にコツコツやるより、新しいことを見つけて飛びつくほうが楽しいタイプですか? 田端:うーん、粘り強くはないかな。たとえば「ユニクロ」は20年くらい前に「ヒートテック」を作って、地道に改良を積み重ねて、今のヒートテックブランドを作り上げました。そういうの、僕にはゼロとは言わないけど……飽き性かもしれない。 テスタ:同じです! 自分も本当に飽き性で、株以外のことは長続きしないんですよ。 田端:僕も株が好きで15年ぐらいやっていますけど、デイトレードは下手なの。かといって長期保有するのも苦手で、株を買ってもせいぜい半年くらいで手放す。暗号資産も初期に1ビットコイン5万円で10ビットコインくらい買いましたけど、30万円くらいまで値上がりしたときに売りました。 テスタ:株はたくさんの会社の仕事ぶりを見て投資するわけじゃないですか。だから、いつも新しいことに触れられる。「へぇ、こんな新しい業界や商品があるんだ」と知るとワクワクします。僕がやっていることは株の売買ですが、その時々で見える景色が常に新しい。それが飽きない理由かも。 田端:ここ3年はナスダックのハイテク株が調子よくて、日本でもS&P500やナスダックの投資信託が人気ですよね。それもまた、2000年代のITバブルの再放送を見ているようだなと。 テスタ:一般の人に株がはやればはやるほど、そろそろ相場は天井かな……と思ってしまいます。 田端:投資って常に「自分が間違っている可能性がある」というプレッシャーに身をさらすことですよね。心の中で勝手に割安で有望だと判断している株が値下がりしたとき、「自分じゃなくて、マーケットが間違っている」と思う時点で、投資家としては終わっているわけじゃないですか。 テスタ:それ、一番あかんやつですね(笑)。 田端:企業の社長も消費者や投資家から忖度(そんたく)なしの罵声やマジレス(真剣な返信)を浴び続けながらまともな経営を続ける必要がある。頭が柔軟じゃないと、投資家も経営者も務まりません。 テスタ:凝り固まったら終了。怖いなぁ。 田端:ユーチューブの配信で「ちょっと難しいことしゃべったら、再生回数落ちる。ほんと視聴しているやつ、バカばっかり」と言ったらおしまいですから(笑)。俺は正しい、周りが間違っているなんて、どの世界でもありえない。 編集部:「バカばっかり」って言いそうな雰囲気あるのに、実は謙虚な人なんですね? 田端:やめて!(笑) テスタ:田端さんって「お金欲しい!」っていう感じがしないですよね。もちろんお金に興味ないとか無欲とかではないと思いますが、お金至上主義じゃないというか。 田端:わかります、その表現(笑)。お金、ねえ。ゲームのスコアみたいなものかな。スコアは上げたいけど、ゲームでズルして勝っても楽しくない。「カネがすべてだ」というのも違う気がするし、かといって「カネなんてぜ~んぜん関係ない」というのもウソだし。 テスタ:お金=ゲームのスコア。すごくよくわかる! 田端:死ぬときに人生を振り返って「あのとき、お金のことなんか気にせず、アレをやっておけばよかった」という後悔はしたくない。 テスタ:たとえばどんな? 田端:僕には今、息子とアメリカをキャンプで横断するっていう夢があるんです。今年、長男が中2になるんですけどね。費用は1カ月200万~300万円。 テスタ:何かをやるやらないで迷うときの理由がお金だったら、金銭的に多少苦労したとしても、やったほうがいいですよね。これツイッターで言うと「あなたはお金があるからそういうことが言える」って燃えそうですけど(笑)。 田端:いい薪に(笑)。ま、でもテスタさんはもうお金なんかどうでもいいんじゃないの? テスタ:僕は株の成績を上げたいというだけ。成績が上がったら、自然とお金がついてくる、という感じになっています。自分の予想が当たるとうれしいし、はずれると悔しい。「どうすればもっと株のトレードがうまくなるんだろう」、もうそれだけ。昔は生活費を稼ぐために株式投資をしていたのに、いつの間にか。 田端:一般人が考える「贅沢(ぜいたく)」って10億円あったら、だいたいできるんですよ。資産がすでに数十億円から数千億円もある人は、個人で思いつく贅沢は実現できる。 テスタ:その通り、個人的な贅沢は10億円で足りますね。じゃあ大金があれば、世の中を変えることができるかというと、数千億円を持っていても足りない。 田端:足りない! 確かに! テスタ:お金持ちといえば、テスラのイーロン・マスク。 田端:イーロン・マスクはレジェンドというか、いまだに型にはまらない感じがすごい! テスタ:成功した経営者ってだんだん行儀よくなっていくものですが、イーロンさんだけは違いますね。田端さんがおっしゃってた前澤さんみたいに無邪気なのかな。 田端:そうかも(笑)。昨年も、格差問題解消のために自分が創業したテスラの株を売って税金を払ったほうがいいか、ツイッターのフォロワー(当時約6200万人)にアンケートして大騒ぎになりましたね。そのアンケート結果を受けて本当に株を売りましたから。しかも、振り返ると一番の高値近辺で完璧に売り抜けた格好。 テスタ:「計算ずくだ」という人と「いや、そうじゃない」という人がいましたね。じゃあ実際はどうだったのか、全くわからないところが、これまたすごい。 田端:天然の天才なのか、天然に見せることが天才的にうまいのか。メイクしているように見せないためのメイクっていうか(笑)。世の中の金持ち批判に対する駆け引きみたいなところはあるでしょうけど。スケールが違いすぎる。 田端:暗号資産の中でも「ビットコイン」だけはアリかも、もう売っちゃったけど(笑)。ビットコインという名前のブランド力は、携帯用ラジカセが何でもかんでも「ウォークマン」と呼ばれるようになったくらい強い。 テスタ:ウォークマン、懐かしい。 田端:もし中央銀行の信頼性がなくなればお金の価値はなくなる。キャッシュレス時代の今、そのお金も紙切れですらなく、単なるコンピューター上のデータ。それに比べたらビットコインのように「発行数量の上限が決まっている」というルールのほうが、よほど厳格な気がします。 テスタ:確かに、発行数量がもう増えないというビットコインは希少性が上がっていくのかも。まあ僕はこれからも日本株中心でやっていきますが(笑)。 (編集・文/安住拓哉、編集部・中島晶子) ※この記事は抜粋版です。「AERA Money2022夏号」で全5ページにわたる全文をお読みいただけます。

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    眞栄田郷敦「ダンスは苦手。歌もうまくない」でも、「めっちゃ頑張る」心構え

     5月16日から始まるNHKの夜ドラ「カナカナ」で主演を務める眞栄田郷敦さんがAERAに登場。映画「小さな恋のうた」で2019年に俳優デビューし、「カナカナ」で地上波初主演に挑戦する。AERA 2022年5月23日号から。 *  *  *  郷敦という名は父・千葉真一の筆名「GORDON」からだという。漢字の由来がずっと気になっていた。 「僕も母に聞いたんですが、『当て字』と言われました。物心ついた時からこの漢字なので、自分では『画数が多いな』くらいにしか思っていません(笑)」  高校生まで音楽一筋。俳優には興味がなかった。父や兄(新田真剣佑)の出演作も知らず、映画もドラマも見ない生活。サックスのソリストとして学び、将来は演奏家になるつもりだった。ところが、東京藝術大学に不合格。  失意の中で、父が兄の出演映画を見に誘ってくれた。それを機に新たな道が拓かれた。映画「小さな恋のうた」の脚本が送られてきて、父に促されるまま、オーディションとも顔合わせとも思える場で本読みすることに……。 「『もう断れないじゃん!』みたいな状況だったんです(笑)。俳優になると心を決める前に進んでしまった、というのが正直なところ。父が誘導した? 聞いたことはないですが、多分、そうなんでしょうね」  デビュー作をきっかけに、俳優として進む覚悟を決めた。 「僕は器用ではありませんが、努力した分、成果が出ることが好きなんです。デビューしてから、演技は難しいな、できないことも多いなと思っていたのですが、昨夏の『プロミス・シンデレラ』から、やっと楽しいなと思えるようになりました。まだ新人なので、監督も新人の方と一緒に仕事をしてみたい。ぶつかり合いながら作品を作って、評価されたら楽しいだろうなと思っています」  明るくこうも言う。 「ダンスは苦手。歌もうまくないです。アイドルは絶対できません(笑)」 苦手と言いつつ、ドラマのためとなればダンスにも挑戦する。 「今は全然できませんが、ミュージカルに出るとなったら、めっちゃ頑張ると思います(笑)」  自分がいるべき場所を見つけ、仲間を重んじて進む──。そんな彼の話は「郷敦」という名前とぴったり重なった。 (フリーランス記者・坂口さゆり) ※AERA 2022年5月23日号

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