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    クロちゃんが絶対やってはいけない"筋トレ"行い医師が警告「このままでは歩けない体になる」 

     安田大サーカスのクロちゃんが、気になるトピックについて"真実"のみを語る連載「死ぬ前に話しておきたい恋の話」。今回のテーマは「筋トレ」。自身のSNSで、ジムでの筋トレの様子を頻繁にアップしているクロちゃん。実は昔から体を鍛えることが好きだったクロちゃんだが、一時は間違った筋トレをやりすぎて、ドクターストップがかかった経験もあるという。そこまでしてクロちゃんが筋トレを続ける理由とは? *  *  * あんまり信じてもらえないんだけど、ボクは週3回のペースでジムに通っている。SNSなどでは「ウソつくな!」とかって散々いわれるんだけど本当だからね(笑)。 ジムに通う日は、朝4時に起きて、支度をして、4時半には自宅を出るのがルーティン。ジムまでの移動は基本、徒歩。1時間弱かかるんだけど、これもトレーニングの一貫だと思っている。到着するのは5時半頃。午後からよりも、朝のほうが空いていて、器具もいろいろ使えるから、トレーニングがしやすいんだよね。 ベンチプレスやダンベル、ハイプーリーなどを使って、主に上半身を鍛えるトレーニングに今は取り組んでいる。ちなみに下半身は、あまり鍛えないのがボクのこだわり。下半身のトレーニングをやりすぎると、2~3日疲れが取れなかったりするからね。ボクは、散歩が好きで日頃からよく歩いているから、そこで下半身の筋力は十分カバーできているはずなんだ。だって、仕事のスケジュールが問題なければ、ジムからも徒歩で帰ったりもするからね。午前中で1万歩以上を歩くなんてことも決して珍しいことじゃない。健康的な生活で良いでしょ? そもそもボクは昔からジムが大好き。通いはじめたのは大学生の頃だから、もう25年以上になる。当時は、体重が108キロまで増えてしまっていて、「体重が煩悩の数なんてヤバい」って焦ったのが通い始めるきっかけ。その時は「とにかく痩せたい」って精神的にもかなり自分を追い込んでいたから、筋トレ以外にも、エアロビやヨガなども取り入れてめちゃくちゃ頑張った。そのおかげで、ダイエットは大成功。108キロもあった体重がなんと66キロまで落ちたんだ。  この時の成功体験と、自分の身体が変わっていくさまがたまらなく面白くて、ボクはすっかりジムにハマってしまった。ピークに鍛えていた頃は、130キロのベンチプレスも持ち上げることができたし、一時は3つのジムを掛け持ちしていたこともある。当時はなぜか「ジムを掛け持ちすること」が、ステータスのように感じていた。ただ、掛け持ちしていたといっても、うまく使い分けていたのかって聞かれたら、全然そんなことはない。トレーニングも独自のメニューをこなしていたから、効率も悪かったし、体にも負担がかかりすぎていた。  ジム初心者の方に言っておきたいけど、間違ったトレーニングをやり続けるのは、けっこう危険だよ。しらずしらずのうちに、自分の身体が悲鳴をあげている可能性があるからね。かなり昔の話だけど、ボクは「花の慶次」っていう漫画に出てくる、片腕だけ異常に太いキャラクター「岩兵衛」に憧れて、"右腕"だけを集中的にトレーニングをしていたら、ドクターストップがかかったことがある(笑)。 今、振り返っても、たしかに、あれは、ちょっとやりすぎていた。 暇さえあれば、右腕がパンパンになるまで、ずーっと筋トレしていたからね。握力ボールとかであれば5~6時間以上は平気でやり続けてしまうくらい……。 当然、右腕はだんだん太くなっていった。「岩兵衛」のように、右腕と左腕の太さの"差"をつけたかったのもあって、左腕はまったく鍛えずにいたんだけど、結局、これがダメだった。 ある日、朝起きたら、突然、体に激痛が走ったんだよね。あまりの痛さで布団からまったく出られないくらいに……。これはボクもびっくりした。あまりの痛さに「これはダメだ」って思って、急いで病院に駆け込んだ。お医者さんからは「(右腕のみの筋トレをやりすぎて)身体の左右のバランスが非常に悪くなっています。このまま続けていると、最悪の場合、歩けない体になる可能性もありますよ」と告げられた。衝撃的だった。今考えると、なんて恐ろしいことをしていたのかと怖くなるよ。 熱中しすぎると、周りが見えなくなって、とことん突き詰めてしまうのがボクの悪いクセだなってことを改めて感じた瞬間だった。その時の無理なトレーニングの影響で、いまだにボクの身体のバランスは少しおかしい。正面からボクを見るとよく分かるけど、右肩のほうが左肩よりもじゃっかん下がってしまっているからね。たぶん、これはもうなおらない。  やっぱり、トレーニングはきちんと正しい方法で行わなくちゃ駄目だね。あと、絶対無理はしちゃいけない。 だから、今では専属のトレーナーさんもちゃんとつけているし、無理なトレーニングして、自分を追い込むこともしていない。結局、それがいちばん効率も良いし、なんといっても、ジムに「長く通い続けること」の秘訣(ひけつ)なんだよね。  ボクは、ジムって「通い続けること」に意味があると思う。もちろん無理のない範囲で。  やっぱり人間、健康がいちばん。ボクは昨年コロナになって、それが身にしみてわかった。残りの人生、できるだけ長く健康でいるために、ある程度の体力や持久力、免疫力を、適度な運動することで、つねに維持しておきたいっていうのが、ボクがジムに通う最大の理由なんだよね。 あと、ボクの場合、「水曜日のダウンタウン」(TBS系)で無人島に突然連れていかれたり、いきなりプロレスの試合に出ることになったりなどのハードな仕事も多いから、それに耐えられるための体作りっていう目的ももちろんある。どんな仕事でも、プロとして絶対NGは出したくないからね。 それに、シンプルに、運動するのってやっぱり気持ちいいよ。ジムに興味があるけど「どうしようかな」って迷っている人は、週1回でもいいから、無理のない日程を決めて、とにかく一度通ってみるといい。そこで自分を追い込む必要なんかまったくないし、嫌なら休んだっていい。 これはボクだけの感覚かもしれないけど、「ジムに通っている」ってことでだけで、自己満足度が勝手にあがって、自分に少し自信がついたり、気分転換にもなったりするんだよね。 友達や恋人と一緒に通うのだってきっと楽しいと思う。ボクも、いつかは恋人とジムデートしてみたい。ボクは、筋トレの知識も豊富だから、いろいろとアドバイスができると思うからね。 健康的な体を維持することがもちろん大前提だけど、余力があれば、プロレスラーのオカダカズチカさんや棚橋弘至さんみたいなたくましい身体づくりも目指したい。女性に頼られるような強い男ってやっぱり憧れちゃうんだよね。今は昭和のプロレスラー体型っていわれるから、なんか嫌なんだ。 しかし、これだけジム通っているのに、なぜ、もう少し痩せないんだろう……。不思議だよね? 明日も筋トレ頑張るしん。 ◎クロちゃん/1976年12月10日生まれ。広島県出身。2001年4月に団長安田、HIROと「安田大サーカス」を結成。スキンヘッド、強面には似合わないソプラノボイスが特徴(構成/AERA dot,編集部・岡本直也)

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    ナイツ・塙宣之が語る 「細野晴臣さんは神」であり「YMOが“ヤホー漫才”の原点」

    「“ヤホー漫才”の原点はYMO」「自分にとっての神は、細野晴臣さん」と公言しているナイツの塙宣之さん。今年3月には『細野晴臣 夢十夜』(細野氏が見た夢を題材に、朝吹真理子、リリー・フランキー、塙が書いた短篇小説集)で小説家デビューも果たした塙さんに、細野さんの魅力を語ってもらった。 *  * *  1978年生まれの塙宣之さんが音楽家・細野晴臣を知ったのは、中学生の頃。実兄で芸人のはなわさんとともに、深夜ラジオ『電気グルーヴのオールナイトニッポン』(1991年~1994年)にハマったのがきっかけだった。 「ラジオもハチャメチャで面白かったんですけど、そのうち(テクノグループの)電気グルーヴの曲を聴くようになって、その流れでYMOを知って。特に細野さんが作るフックのあるテクノに惹かれたんですよね。リズムが一定で、いきなり音階が変わったり、転調するのがとにかく気持ち良くて。もともとファミコンのピコピコした音が好きだったし、自分の体質に合ってたんでしょうね」 ■ヤホー漫才のスタイルはテクノ音楽から発想した  高校時代はファミレスのバイトで貯めたお金でYMOのCDを買い揃え、はっぴいえんど(細野氏が70年代に参加していた伝説のロックバンド)や細野氏のソロ作品も聴くようになったという塙さん。 「佐賀に住んでいたので、1993年に東京ドームで行われたYMO再結成ライブには行けなかったのですが、ずっと細野さんの音楽を聴いてました。はっぴいえんどや、ソロの作品はYMOとはぜんぜん違うし、その後に細野さんがやりはじめたアンビエント(テクノと環境音楽を融合させた音楽)なんてわけがわからなかったけど(笑)、聴いてる時の気持良さは一緒でした」  2000年に相方の土屋伸之さんとナイツを結成。しばらくは売れない時期が続いたが、2007年頃から一気に注目を集めるようになった。そのきっかけは、現在のスタイルである“ヤホー漫才”を確立したこと。一定の会話のテンポをキープしながら、“塙が固有名詞を言い間違え、土屋がツッコミを入れる”スタイルは、細野のテクノ音楽から発想を得たという。 「ちょうどその頃にYMOを聴き直して、やっぱりいいなと。その時に、『テクノみたいに一定のテンポでボケとツッコミを繰り返すのはどうだろう?』と思い付いたんです。ヤホー漫才でいきなり下ネタを入れたり、急にテンションを下げるのは、細野さんの特徴であるメロディの展開や転調の影響かな(笑)。その前にやってた漫才はロック音楽に近いというか、柄にもなく叫んだりしてたんですけど、今考えると自分たちに合ってなかった気がして。ほら、細野さんもぜんぜんテンションが高くないでしょ。僕も目に力がないし(笑)、淡々としゃべったほうが面白いのかなと。とにかく気持ちよく聴いてもらえるのがいちばんだと思うので。それで僕らのYMO……、あ、ヤホー漫才オーケストラが誕生したんです(笑)」 ■細野晴臣さんのコンサートに出演も  ヤホー漫才で頭角を現し、瞬く間に人気コンビとなったナイツ。塙さんがとある媒体のインタビュー記事で、「この世でいちばん好きな人は細野晴臣さん」と公言したことをきっかけに両者の交流が生まれ、2017年11月にはなんと細野氏のコンサートにナイツとして出演した。  筆者はその公演を会場で観たのだが、「1969年にバンド“ほっぴいえんど”を結成し……」「“はっぴいえんど”ね。ホッピー飲み切ったみたいになってるから」「日本酒ロックの礎を築きました」「日本語ロック! 日本酒ロック、飲みづらいわ」という漫才は大ウケだった。  尊敬する細野氏の前で“細野ネタ”で披露するのはかなり緊張したはず……と思いきや、プロの矜持を感じられるこんな答えが返ってきた。 「漫才は仕事なので、そこは切り替えて、“ウケたい”という気持ちでやってましたね。会場のお客さんはみんな細野さんのファンで、ネタの背景についての説明が必要ないので、テレビや劇場でやる漫才よりもむしろやりやすかったです。東京ドームで巨人のネタをやればウケるのと同じですね(笑)」 ■細野さんとの仕事でなければ断ってた  この春に刊行された書籍『細野晴臣 夢十夜』(KADOKAWA刊)は、細野氏が自身の見た夢を記した夢日記37篇と、その夢をモチーフに朝吹真理子、リリー・フランキー、塙の3氏が書き下ろした短篇小説9篇を収めたもの。塙さんは“もしも大谷翔平が〇〇〇だったら”をテーマにした「PLAYBALL」、師匠の内海桂子さんとの思い出を題材にした「うるせえ! くそジジイ!」、細野氏の夢に出てきた架空の沖縄の歌手を“ヤホー漫才”のネタにした「さとう龍平」の3篇を寄稿している。 「ここ何年かの仕事で、いちばん大変でしたね。夢ってツッコミようがないから、漫才のネタにもなりづらいし、何をどう書けばわからなくて。細野さんの仕事じゃなかったら、引き受けてないですね(笑)」  また現在開催されている細野晴臣デビュー50周年記念展「細野観光1969-2021」(埼玉県所沢市「ところざわサクラタウン」にて6/26まで開催予定)では、星野源さん、高橋幸宏さん、水原希子さんとともに塙さんも音声ガイドを担当するなど、両者の交流はさらに深まっている。  漫才、ラジオパーソナリティのほか、テレビドラマに出演したり、自ら主宰する劇団やYouTubeチャンネルを立ち上げるなど、精力的な活動を続ける塙さん。表現の幅を広げるのも、細野さんの影響だとか。 「細野さんは時期によってやってることが全然違うんですけど、ただずっと好きなことをやってるだけなんだろうなと思っていて。YMOは大ヒットしたけど、売れるかどうかは関係なく、他にやりたいことができたら、すぐにそっちにいっちゃう(笑)。それは理想だし、羨ましいですね。自分もまだ40代。“浅草の漫才師”というイメージがあるからこそ、自由にいろんなことをやってみたいですね。細野さんとも、もっと仲良くなりたいです(笑)」 (森 朋之) 塙宣之(はなわ・のぶゆき)/漫才師。漫才コンビ・ナイツでボケを担当。1978年千葉県生まれ。佐賀県育ち。2001年ツッコミ担当の土屋伸之とコンビを結成。03年の漫才新人大賞受賞をはじめとして数々の賞を得ている。08~10年に「M−1グランプリ」決勝進出、11年「THE MANZAI 2011」準優勝。2007年には史上最年少で漫才協会の理事に就任し、15年からは副会長をつとめている。多くのテレビ、ラジオ、舞台で活躍中。近著に「細野晴臣 夢十夜」(細野氏が見た夢を題材に、朝吹真理子、リリー・フランキー、塙が書いた短篇小説集)。現在、埼玉県所沢市の「ところざわサクラタウン」にて開催中の展覧会『細野観光1969-2021』では音声ガイドも担当している。 ■細野晴臣デビュー50周年記念展「細野観光1969‐2021」in ところざわサクラタウンhttps://tokorozawa-sakuratown.com/event/hosonokankou.html

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    7時間前

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    ミュージカル界の帝王・山口祐一郎を鼓舞させた“医療関係者からの手紙”

    「ミュージカル界の帝王」、山口祐一郎さん。作家・林真理子さんとは長年のお付き合いということで、対談が始まるとすぐに、会話は大盛り上がりでした。 *  *  * 林:ご無沙汰しております。 山口:林さんとは、青春時代に楽しいひとときを過ごさせていただきました。 林:はい、だから私もお会いするのを楽しみにしていました。  今回、山口祐一郎さんがホストになって、縁のあるゲストの方々をお招きして、劇場に来たお客さんにトークと歌で楽しんでいただくイベント(「My Story,My Song ~and YOU~」5月19~22日 シアタークリエ)をなさるんですね。 山口:実は2年前に帝国劇場で、今まで初めての試みとしてトークショー(「My Story ─素敵な仲間たち─」)をおこなったんですよ。当時は今よりももっとミュージカルやコンサートなどに対する制限が厳しくって、集まって何かするものはすべて延期、中止という風潮だったんですよね。それでも「こういうつらいときだからこそ劇場に来たい」という方がたくさんいらっしゃるわけじゃないですか。 林:当時はいろんな舞台が中止になって、とても残念でしたよ。 山口:そうですよね。それで、「(コロナの状況で)稽古ができないのなら、歌なしでトークだけのショーにしよう」と考えて企画されたのが、帝劇の舞台機構を使って、奥にひそんでいる劇場そのものの魅力を前面に出したトークショーだったんです。裏方さん、大道具さん、照明さん、音響さんたちの力を総動員して、せり(舞台の床の一部が上下する装置)とか盆(床が回転する装置)も全部使って。 林:オーケストラとか歌は、そのときどうしたんですか? 山口:オーケストラもないし、歌もありません。そういうのができない状態でしたからね。 林:すごいですね。お客さん、たくさんいらしたんですか。 山口:満杯になりました。当時、コロナ禍ですでに医療現場が疲弊しきっていた時期だったのですが、そのトークショーのあと、僕、医療関係の方からお手紙をいただいたんですよ。「コロナになって1年、泣いたり笑ったりすることもありませんでしたが、劇場に来て山口さんの話を聞いていたら、泣いている自分に気づいて。そんな自分に、途中から笑っちゃいました」というんです。それを読んで、ああそうか、緊張したギリギリの状態で医療に励んでおられる方が、劇場に来てふと我に返れる瞬間があったんだな、と思ったんです。それから、「よし、チャンスがあったら何でもやろう」と思いました。 林:なるほど、そうやって勇気づけられた人がたくさんいたんですね。素晴らしいです。 山口:それで、その延長として開催されるのが、今回のシアタークリエのコンサートなんです。 林:(チラシを見ながら)1部が山口さんとゲストの方とのトーク、2部がミニコンサートで、皆さんでミュージカルナンバーを歌うわけですね。保坂知寿さんは私も存じ上げてますが、石川禅さんや上口耕平さんという方たちは……。 山口:今まで一緒に舞台に立ってきた皆さんです。いつも勇気やパワーはお客様やこの仲間たちからいただいています。コロナ禍を経て再会できて温かな気持ちでショーをお届けします。 林:これはインターネットで配信もなさるんですか? 山口:千秋楽の配信が決まりました。たとえば大学に入った若い人なんかは、「やった! 東京に来たぞ。バイトしながら学生生活を楽しむぞ」と思ったら、大学に行けなくて、授業もリモートばっかり、学生用の小さなワンルームに閉じ込められてるなんてこともあるわけじゃないですか。そんな人たちが、僕らのネット配信を見て「私ももうちょっと頑張ろう」と思ってくれたらそれでいいんです。 林:なるほど。それにしても山口さん、久しぶりにお目にかかったら、相変わらず背が高くて(186センチ)カッコいいですね。 山口:つい先日は、篠山紀信さんにプログラム用の撮影をしていただいたので、多少おなか周りなど、気にして毎日を過ごしていました。(ポスターを示し)これは帝劇の屋上です。 林:素敵じゃないですか! 篠山さん、やっぱりさすがですね。 山口:篠山さんは中学高校の先輩でして、初対面でしたが男子校の同窓会のようで、フレンドリーに撮影していただきました。ありがたいですね。こうやって撮っていただいた作品を見ると、新しいミュージカルのストーリーが生まれてきそうですね。 (構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木俊雄)※週刊朝日  2022年5月27日号より抜粋

    週刊朝日

    6時間前

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    ミュージカルの帝王・山口祐一郎 「100%予想できない展開」楽しんでほしい

     俳優・山口祐一郎が東京・日比谷のシアタークリエで公演を行う。コロナ禍で試行錯誤するなかで、改めて得た気付きがあるという。AERA 2022年5月23日号から。 *  *  *  新型コロナウイルスは生き方を変えた。コロナ禍でミュージカル公演が軒並み中止となった2020年秋のこと。「自分たちの日常がなくなってしまう」と、ミュージカルの帝王・山口祐一郎(65)は、演劇の殿堂・帝国劇場で初めてのトークショー「My Story~素敵な仲間たち」に出演した。 「どういう形で皆様に出会う機会があるのか、スタッフの皆さんで検討する中、トークショーならコロナ対策に関しても対応しやすいのではないか、と実現しました。とは言っても、トークショーで帝劇が満席になって、大勢の方に配信でも観てもらえるなんて、自分でも思っておらず驚きました」 ■普段以上のやりとり  ミュージカル公演では数カ月どころか年単位で準備を進める。稽古場で流した汗が本番で結実する。だが、トークショーでは稽古場での時間がないだけに、 「稽古分の汗が本番中の冷や汗にならないか心配していましたが(笑)、お客さまと大変楽しく過ごすことができました」  このトークショーでの気付きは大きかった。マスクをしていても、皮膚感覚で観客の熱を感じた。五感は置かれた環境によって順応すると知った。マスクで顔の動きもわからないかと思っていたら大間違い。1千人以上の人が白いマスクをしていたが、表情がはっきりわかった。 「コロナ前とは違いますが、普段以上のキャッチボールが客席とできたような気がします。新しい発見でした」  コロナ禍を通じ、改めて自身が恵まれた環境で演じてきたことにも気付かされた。  例えば公演後、欧州や米国からやってきた演出家たちは、静かに見ている日本の観客が気になるらしい。「何か大きなミステイクがあったのではないか。何があったか本当のことを教えてくれ」と尋ねられた。そう聞く彼らに、「この小さな島国の日本では、こうやって感情を表現するんです。能や狂言をぜひご覧になってください」と答えた。 ■佇まいで心情わかる 「日本人は何かをしているから人の感情を感じるというより、ただ佇んでいるだけでもその人がどういう心情にいるかを理解するんですよね。日本は世界中のどの劇場よりも、お客さまとのコミュニケーションが普段と変わらず行われる。私はそういう特殊な恵まれた幸せな場に立っているのだ、と感じました」  そんないくつもの発見を経て、今回、東京・日比谷のシアタークリエで、さらに内容をグレードアップした「My Story,My Song~and YOU~」を開催する。「これまで出演したミュージカルナンバーで、普段なかなか聞くことのできない歌を披露する」と言う。千穐楽はオンラインでも生配信する予定だ。 「役者も演出・制作スタッフさん方もバンドさんも、みんな一緒にやってきました。クリエで魅力的な時間と空間をお客さまに楽しんでもらいましょうと企画する時に、みんながやりたいことがあっという間に山積みになりました。その中から面白いものを選んで構成しています。トークでも、ゲストはみんな一緒に仕事をしてきた仲間です。前回もそうでしたが、何か金脈に当たるとみんなでそこを掘っちゃうんです。今回もどんなトークになるか、私にも全くわかりません。100%予想できない展開になるはずです(笑)。それを私自身が心から楽しんでいる様子やコンサートの雰囲気、エネルギーを、配信でご覧になるお客さまも含め、皆さんにも楽しんでいただけたらと思っています」 (フリーランス記者・坂口さゆり) ※AERA 2022年5月23日号

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    4630万円誤送金で脚光浴びた「フロッピーディスク」 絶滅どころか公的機関でいまだ“現役”の事情

    「えっ、いまだにフロッピーディスクを使っているの?」  そう思った人も少なくないだろう。  山口県阿武町で誤って1世帯に4630万円を振り込んだ、いわゆる誤送金問題。18日夜、県警は同町の田口翔容疑者(24)を電子計算機使用詐欺容疑で逮捕したが、誤送金に至る過程で、町役場から銀行に依頼データの入ったフロッピーディスク(FD)を渡したことが報じられると、「旧石器時代」「時代遅れ過ぎる」など、驚きや嘆きの声がSNSに上がった。ところが取材してみると、絶滅していたかのように思われたFDは、一部の中央省庁や役所、銀行、企業ではいまも日常的に使われていることがわかった。それぞれの事情を聞いた。 *   *   *  山口県阿武町からFDでの振り込みを依頼された山口銀行などを傘下に持つ「山口フィナンシャルグループ(FG)」にたずねると、「山口銀行は、FDなどによる振り込みおよび口座振替依頼データの授受については昨年5月末日を持って廃止させていただいております」と言う。  ところが、山口銀行はFDによる振り込みデータの受け渡しを現在も行っている。なぜか。 「新規の受付は行っておりませんが、既存のお客様から、FDでの振り込みを継続させてほしい、というご要望があれば、対応せざるを得ないという状況です」  山口銀行は、これまでFDで振り込みを依頼してきた顧客に対して、同行のインターネットバンキングを通じて振り込みをしてもらえるように交渉してきた。 「ただ、昔からずっとお取引していただいているお客様の利便性の観点からすると、FDを廃止するのは難しい側面があります」  担当者はすんなりとはいかない事情を、そう説明する。 ■東京の区役所でもFD  一方、東北地方のある銀行によると、FDでの引き落としは「公官庁から依頼されることが多い」と関係者は言い、こう続ける。 「県内では、市役所や町村役場でFDを使っているところが多いです。税金や国民年金、国民健康保険料の引き落としなどです。そんなわけで、私どももそれを引き受けざるを得ませんでした」  この銀行では半年ほど前から県内の各市町村に打診して今年中にFDの取り扱いを終了し、すべてインターネットバンキングに切り替える予定だ。 「理由としては、FD自体を新しく購入するのが困難になってきたこと。それから銀行に置かれた読み取り装置のメンテナンスが難しくなったこと。万が一、故障してしまったら、市町村の担当者の方が窓口に来られても手続きが滞ってしまいますから。そんなわけで、FDの取り扱いを終了させていただくことになりました」(同)  知るほどに驚く、FDの“現役”利用。だが、それは地方の市町村だけではない。  東京都千代田区は今年3月まで介護保険や障害者介護、生活保護に関する給付金の振込みにFDを使用していた。使用を終了した理由を会計室の担当者にたずねると、こう説明する。 「これまでFDを繰り返し使ってきたのですが、いずれ破損したり経年劣化で使えなくなったりすることも考えられます。もうメーカーもFDの製造を打ち切ったという話も聞いておりました。それらもあって使用を徐々に縮小し、昨年度末をもって、最終的にFDの取り扱いをやめたわけです」  ちなみに、国内大手のFDメーカーだったソニーが国内販売を終了したのは、2011年3月である。もう10年以上前のことだ。 「FDはいまとなっては記憶容量が少ないですし、持ち運びの際にどうしてもセキュリティーの問題も生じます。これからは庁内の端末に入力したデータはインターネット経由でやりとりを行います」(千代田区担当者) ■行政サービスの一環として  霞が関の中央省庁もFDを使っている。その一つが、厚生労働省だ。  厚労省は医薬品や医療機器メーカーから送られてきた製品に関する申請書類を審査する。そこでいまも続けられているのが書類データをFDで提出する「FD申請」だ。 「制度の名称としては『FD』とありますが、実際、9割9分はCDかオンラインの申請です。過去の名残というか、通称として『FD申請』という名前が使われています」  同省医薬品審査管理課の担当者はそう説明するが、こうも胸の内を明かす。 「ただ、こちらとしてはせめてCDで出してくださいとお願いしてはいるんですけれど、『どうしてもCDは使えない』という方が、ごく少数ですがいらっしゃいます。行政サービスとしてはうちのFDドライブが生き続けるかぎりはFDを受け付けざるを得ないという事情があります。できれば、持ち込まれるメディアはCDに統一したいのですが、メーカーさんのことを考えると、世の中からFDが枯渇するまでは止められないですね」  FD本体は極めて薄い磁気記憶媒体であるため、CDやDVDなどと比べて故障しやすい。 「気づかないうちに磁気に触れてデータがとんでしまうことがあります。それでも、CDを使うように強制することはできません。あくまでお願いベースです」(厚労省担当者) ■保証期間はとっくに過ぎている  ちなみに、現在インターネット上などで販売されているFDのほとんどは10年以上前に製造された未使用在庫品である。メーカーもこんな長い期間、使われ続けるとは想定していなかっただろう。当然のことながら、保証期間はとっくに過ぎている。  パソコンの周辺機器の老舗メーカー、ロジテックが「最後のWindows対応のUSB外付け型FDドライブ」の販売を終了して、久しい。ただ、パソコン用品メーカーの大手のエレコムに聞くと、FDを収納するプラスチックケースは「数量は少ないですが、現在もコンスタントに売れている状況です」と言う。  昭和に輝いたテクノロジーの産物FDだが、令和のこの時代でも根強く使われていることがわかった。コレクションとして私的に使うのはいいが、触ったことも見たこともない若年層も多い中で公的機関が業務で使用するのは、そろそろ潮時ではないだろうか。 (AERA dot.編集部・米倉昭仁)

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    宇野昌磨らの“頼れる先輩”田中刑事が引退 プロとして最初に表現したのは「失敗の美学」

    「思っていた以上に記者さんがたくさんいるので緊張していますが、ちょっといろいろ思いを伝えたく、書面にて考えてきたので、見て読ませていただきます」  4月11日にツイッターとインスタグラムで現役引退を表明した田中刑事は、4月29日に行われた「プリンスアイスワールド2022-2023 Brand New StoryIII 横浜公演」の初回終了後、引退会見を開いた。冒頭の言葉とともに紙を取り出して読み上げる姿には、フィギュアスケーターとしての区切りを迎える思いをきちんと伝えたいという誠実さがあった。  プリンスアイスワールドで田中と共演しており、引退会見の前に取材に応じた宇野昌磨と鍵山優真の言葉からは、温厚な先輩としての田中が浮かんでくる。  宇野は「年は先輩ですけれども、同じ目線でしゃべって下さっています」と田中の気さくな人柄について語った。 「これからも友達なのか先輩・後輩なのか、その間の関係だとは思うんですけれども、仲良くしていくと思うので、これからも、これまでも変わらないと思います」  また鍵山も「大先輩だけど楽しく話してくれて、すごく頼れる人」と話し、親しく接してきたことを振り返っている。そして、鍵山はプロスケーターとしての田中への期待を口にした。 「これからはプロになると思いますけれど、僕は刑事くんのプログラムが好きなので、たくさん見られるのがすごく楽しみです」  近年の田中は所作に円熟味が増し、ベテランならではの渋い男性像を氷上に描き出して観客を魅了していた。またアニメが大好きだという田中は、今季のショートで「シン・エヴァンゲリオン劇場版」より『Paris』を使用している。  田中のアニメ愛が炸裂したのが、『ジョジョの奇妙な冒険』の曲『ダイヤモンドは砕けない~メインテーマ~』を使ったエキシビションだ。学ランを着て主人公の東方仗助に扮した田中が、疾走感のある曲に乗り、最初から最後まで全力でリンクを駆け回る。演技後の挨拶も “ジョジョ立ち”で決めてみせるこのプログラムは、何度でも観たいと思わせてくれる、田中のこだわりが詰まった傑作だった。  そして引退を表明し、プロスケーターとして初めての出演となるアイスショー・プリンスアイスワールドで田中が滑ったのは、町田樹氏の振付による『ショパンの夜に』だった。田中は昨年のプリンスアイスワールドで、町田氏が2014年に自作自演した『ジュ・トゥ・ヴ』を再演する“継承プロジェクト”に参加し、新しい味わいを持つプログラムとして生まれ変わらせている。そして今年の『ショパンの夜に』は、プロスケーターのためにアイスショーならではの振付をする“プロフェッショナル・ピース・プロジェクト”として演じられた。自分の頬を平手打ちする振り付けが印象的な「失敗の美学」を追求するこの作品を、田中は自らの競技人生に重ね合わせて滑ったという。田中は、町田氏の実験的な創作を体現するスケーターとしても唯一無二の存在なのだ。  演技に制約のないプロスケーターとなった田中のプログラムには、さらに大きな期待がかかる。プロスケーターとアシスタントコーチ、二つの活動を両立させる厳しい道をあえて選んだ田中が、これからアイスショーでどんな姿を見せてくれるのか、楽しみにしたい。(文・沢田聡子) ●沢田聡子/1972年、埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。シンクロナイズドスイミング、アイスホッケー、フィギュアスケート、ヨガ等を取材して雑誌やウェブに寄稿している。「SATOKO’s arena」

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    5時間前

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    4630万円誤送金を使い切った24歳男の“罪の重さ” 弁護士が指摘する「実刑」の年数

    山口県阿武町が新型コロナウイルス対策の臨時特別給付金4630万円(463世帯分)を誤って振り込んだ問題で、振り込みを受けた無職、田口翔容疑者(24)が18日、県警に電子計算機使用詐欺容疑で逮捕された。異例の展開となった今回の逮捕劇だが、田口容疑者の刑罰はどの程度の重さになるのか、専門家に見解を聞いた。 *  *  * 報道によると、田口容疑者は4月12日、自分名義の口座に町が入金した4630万円が誤りによるものだと知りながら、スマートフォンを操作して、オンライン決済で決済代行業者の口座に400万円を振り替えた疑いがある。  そもそも、「電子計算機使用詐欺」とはどのような罪なのか。  人を欺いて財物をだまし取る罪は詐欺罪に当たる。一方で電子計算機使用詐欺罪は、ATMや電子決済などで、コンピューターなどに虚偽情報や不正な指令を与えて不法な利益を得る罪のことだ。法定刑は詐欺罪と同じく10年以下の懲役となっている。  刑事裁判官の経験を持つ片田真志弁護士(古川・片田総合法律事務所)は、「例えば銀行窓口で同じ行為を行った場合は、人をだましたとして詐欺罪になります。今回はスマホ決裁を用いたことで電子計算機使用詐欺罪が適用されたことになります」と解説する。  果たして、田口容疑者はどの程度の刑事罰が待っているのか。  片田弁護士によると、どの程度の金額を返済できるか。また、町側に示談の余地があるかが焦点になるという。 「まったく返済できない場合、実刑となり懲役3年前後の判決がくだる可能性が高いと考えられます。一方で、全額返済した場合には執行猶予が付くことになるでしょうし、全額までいかなくても相当額を返済する内容で町側が示談に応じた場合は、執行猶予がつく可能性が出てきます」(片田弁護士)  そもそもは町側のミスが発端だが、情状に影響はするのか。 「たまたま財布を拾ってそのお金を使ってしまった場合と似ており、田口容疑者も最初から町から不正に金銭を得ようと計画していたのではありません。その点は、量刑に影響すると思います」(片田弁護士)  一部報道では、田口容疑者は振り込まれた金を「ネットカジノで全部使った」と供述したとされる。詐欺を働いた動機については量刑にどの程度影響するのか。 「例えば殺人罪の場合、介護による苦しみの末の犯行か、怨恨(えんこん)かで量刑は大きく変わってきます。ただ、財産犯はそれとは違い、動機が遊興目的でも仮に生活苦だったとしても、量刑への影響は限定的と考えられます」  片田弁護士は、今後の展開をこう予測する。 「例えば田口容疑者側から半額程度の返済による示談が提案されたとしても、全国的に大きく報道されていること、また、地方自治体である町側が容易には債権の一部放棄に応じないことを考えると、『半額程度で折り合いをつけ示談に応じる』ということは、町としてはしづらいのではないでしょうか」  田口容疑者の代理人は、返還方法について「(田口容疑者が)働いて返すしかない」と話しているというが、裁判にかかる費用も含め、市民の税金が戻ってくるかは依然として不透明だ。(AERA dot.編集部・國府田英之)

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    投資信託は最悪どこまで下がる? S&P500と全世界株式の30年検証

     2021年までの絶好調相場から一転、米国株は2022年に入り軟調といっていい。そもそも株式市場には暴落が付きものだ。アエラ増刊「AERA Money 2022夏号」では、過去30年の実績から見て「どれくらい下がる可能性があるのか」を検証している。  株価の暴落といえば数年に1回はあるもの。だが暴落が止まらなかったことは一度もない。投資ビギナーはまず、過去の暴落でどのくらい下がったか、どのくらいで回復したかを知っておこう。  取材をお願いしたのは、セゾン投信代表取締役会長CEOの中野晴啓さん。セゾン投信は「セゾン資産形成の達人ファンド」をはじめとする投資信託(以下、投信)の運用会社だ。同社の運用する3本の投信の資産総額は2022年3月に5000億円を突破した。  今回は米国株の代表的な株価指数「S&P500」と、世界中の株式に投資する「全世界株式」の値動きを捉えた指数「MSCIオール・カントリー・ワールド・インデックス」を教材とした。  それぞれの過去30年の暴落局面を調べてみると、ワースト3は次の通り。3位がやや予想外の結果だった。 1位 リーマン・ショック 2位 ITバブル崩壊 3位 コロナ・ショック   最も下落率の大きいリーマン・ショックのとき、「全世界株式」は1年4カ月にわたって56.2%も下落。暴落前の高値を回復するのに6年8カ月かかっている。  リーマン・ショックの震源地となった米国のS&P500は、1年4カ月かけて52.6%下落、戻るまでに5年5カ月かかった。 「30年以上、資産運用の世界で生きてきた私にとってもリーマン・ショックは過去最大の暴落でした。資産運用の歴史の中では下落率50%超、すなわち投資金額が半値になるような暴落がたまにある、と考えておきましょう」(中野さん)  下落しはじめてから回復までの期間で見ると、S&P500が2000年のITバブル崩壊以降、6年9カ月かかっているのが最長だ。  つまり60歳になっていざ換金をはじめようとした矢先に下落がはじまって、そのまま下げ止まらなかった場合、「すっかり元に戻るまで7~8年くらいかかることもある」ということ。 「株価というのは、デコボコ、ギザギザした値動きを繰り返すものです。何がきっかけで暴落が起こるかは誰にもわかりません。  ただ、結果的に株式市場は3つの暴落を乗り越えて右肩上がりで上昇しています。長い時間軸で見れば、株価は成長に見合った水準に収まっていくものなのです」  2021年までは米国株を中心に株式市場の調子がよすぎた。そのせいもあり「S&P500などに投資していれば儲かる」という油断(?)も生じていた。  2022年に入ってから米国株は下がり、ウクライナ危機もあり、投資ビギナーの間には動揺が見られた。 「株価が下がっているときは、多くの投資家が『この下落がずっと続くかも』と不安になります。しかしどんな暴落もいずれ終わる」  つみたて中は悩む必要はない。いつか終わるなら「今月は安く買えてラッキー」と思いながらつみたて続ければいい。では、運悪く老後を迎える前後にリーマン・ショックのような大暴落が起こったら、どうすればいいのか。 「老後は運用資産のすべてを現金化しなければいけない、という『思い込み』は捨ててください」  でも、年金は原則65歳スタート。60歳で定年の会社も多い。5年間、嘱託社員などで会社に残るか、別の仕事をしないと、年金も何もお金は入ってこない。 「『運用資産を取り崩すときは全額を換金しないとダメ』なんてルールはありません。60歳以降に自分が働かないなら、お金に働いてもらって育て続けましょう。老後も運用(保有)を続けながら必要な分だけ取り崩すのです」 ■預金や年金もあるから  世の中には「60歳まで積極的に投資、60歳以降はハイリスクな投資は終了。できれば預金」という考え方が常識化している。  しかし老後は長いのだ。先ほど「S&P500はITバブル崩壊から元に戻るまで6年9カ月、つまり回復まで7~8年くらいかかることもある」と述べたが、60歳時点で資産が投信のみ、預金は0円という人は少ないだろう。  65歳からは年金もある。投信だけを見て不安になるのもおかしな話。預金や年金もセットにして考えたい。そして人生100年と考えれば、60歳で投資終了というのは早すぎる。 「長期投資に一番必要なのは、おおらかさです。買うときも売るときも、淡々と機械的に。下がったら怖いとか、売ったあとに上がって『もっと儲かったのに』という強欲から離れるためにも自然体でいきましょう。  投資についていろいろ考えすぎず、自分の人生にとって、本当に楽しみなことに貴重な時間を使ってください」  (編集・文/綾小路麗香、伊藤 忍) ※『AERA Money 2022夏号』から抜粋

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    佐藤勝利、堂本光一との「SHOCK」秘話 「『迷惑かけてよ』と言ってくれた」

     昨秋、初の単独主演舞台を成功させるなど、活躍の幅を広げる佐藤勝利さん。今回挑んだのは、自身が初めて生で触れたエンタメ作品で、何度も劇場に足を運んだと公言する、堂本光一さん主演の「Endless SHOCK」とそのスピンオフ「─Eternal─」だ。憧れの舞台を踏むにあたって明かした思いは。また、得意だという料理についても語ってくれた。 *  *  * ──「Endless SHOCK」の出演オファーがあった昨年11月から、先行して稽古を始めたとか。  去年の秋、僕の主演舞台(「ブライトン・ビーチ回顧録」)があって、その舞台のためにボイトレをしていたんです。そのとき、ミュージカル発声、舞台発声のすごさに気づいて。僕はもともと舞台や演劇が好きだったのもあって、僕の目指したい発声が少しずつ見えてきて、練習するうちに、もしかしたら、そこにたどり着けるかなあと思えたんです。それで、舞台が終わった後も週2ぐらいでトレーニングを続けていたんですよ。  ちょうどその時期に、「SHOCK」のお話をいただいたので、続けてきたボイトレに加えて、まずはダンスをやって振りを覚えていきました。「SHOCK」での歌のトレーニングもあったので、ほぼ毎日のように何かしらやってきましたね。  こういうものって頑張ればいいという話でもないんですが、ただ、僕は実力が伴っていないという不安のほうが大きくて、それを埋めたいという気持ちがありました。練習することで、一歩ずつ怖さがなくなっていく。基礎、土台がなかったら舞台もできない、と思って早めから準備をしてきたんです。でも、そうやって「型」だけになっていくのを、今回座長(堂本光一)に壊してもらえた感じですね。それが、製作発表前日の電話でした。 ──どんな話を?  僕の中で「Endless SHOCK」というものの存在が大きすぎて……。「迷惑かけちゃいけない」っていう思いがあって、だから「型」が重要だと思っていたんです。そうしたら、光一くんが「そんなのどうでもいいよ、迷惑かけてよ」って言ってくれて。  もちろん前提として、「型」を習得していないと破るものがないので、練習は絶対に裏切らないっていうのは、光一くんが一番わかってて。でも、練習したものをただ披露するだけでは、人の心なんて動かない、ってことだと思うんです。「型」って、個性とは真逆のものですしね。このままだと僕が「型」で止まりそうで、何も破れそうもなかったんだと思うんですよ。だからこそ「迷惑かけてよ」って言ってくれたんだと思います。 ──ライバル役は感情の起伏が激しい役です。どう演じたいですか?  ライバル役との向き合い方としては、的の真ん中を射ぬこうとは思っていなくて。この役で、基準点や平均点を取りにいこうとは思っていません。失敗はマイナス点かもしれないけど、そうだとしても、そのほうが面白くて、真ん中っていうのが一番つまんないのかなと思います。自分としてもそう思うし、光一くんと話して、求められているものもそういうことなのかな、と思いました。  僕は、その役が言いたいことだったり、心が動いたからこの行動に出た、という流れだったりをすごく大事にしたい。もちろんセリフで説明はできるけど、セリフ、言葉っていうのは形だから。その役がどういう気持ちでそのセリフを言うのかとか、心がまずスタートにないと、っていう思いはありますね。  ライバルは激しい役だけど、ただ暴れればいいってもんじゃないかな、とは思っています。でも、考えすぎたら考えすぎたで、小さくまとまってる、って言われそうな気もするし……。とはいえ、わざとふざけるとか、変わったことをやってみるとか、そういうのは苦手なので。 ──勝利さんも感情のアップダウンは激しい?  基本的には、そんなことないと思うんですけど。ただ、感情が動いたときの振れ幅はすごく大きいですね。すっごい落ちるときは落ちるし、すっごい上がるときは上がる。でも、それが普段からずっとあるってわけじゃなくて、ずっと振れているような感じはないですね。何かがあって落ち込んだときは、あんまり人に話さないタイプです。いろんな経験してきたから、耐性は強いと思っているんです。 ──ところで、料理が得意だとか。いつから始めたんですか?  タイミング的にはコロナがはやるちょっと前くらいに。食べること自体すごく好きだし、それでふと、米炊けるようになりたいな、と思ったんです。最初のうちはカレーとか作ったと思うんですけど。始めたころは炊飯器で炊いてたんですが、そのうちなんか違うな、と思って、土鍋で炊き始めたんです。ボタン一つで炊けちゃうと、なんでできたかわからない。アナログで、一からやるようになったのは、なぜそうやって米が炊けるのかがわかるから。そのほうが楽しめるんですよね。  最近は、パスタを作ることが多いかな。もちろん買ってきたソースもおいしいけど、やっぱり自分で作りたい。トマトベースのものとかが多いかな。リゾットなんかも、プロのシェフが作っている動画を見て、見よう見まねで作ってみたこともあります。レストランで出すような料理を家で再現してみたいな。 ──誰かに振る舞ったことはありますか?  ありますよ。友達とか、家族に。驚いてくれたり、喜んでくれたりして、うれしいです。これまで、ドームに立ったり、アリーナに立ったりとか、すごい大勢の人に喜んでもらうのは、得意というか……ずっとそうやって仕事をしてきたので、経験のあることじゃないですか。ただ、一対一で人と話をするときも、料理でもそうですけど、目の前の人に喜んでもらうことって、すごい難しいなあと思っていて。  料理って、僕の場合趣味なので、振る舞う相手は小さな世界になっちゃいますけど。でも、その一人、家族でも、親でも誰でもそうですけど、一人に料理振る舞ったら、すっごい喜んでくれるじゃないですか。だから、それもやっぱりやりがいの一つかなと。  普段ライブもグループでやっているわけで、自分一人で、一人に向けて歌ったり踊ったりすることって、ないじゃないですか。僕としては、一人ひとりに届くように、という気持ちはあるんですが……。だから、難しいんです、一人を一人で喜ばせるって。  それができるな、って感じたから、料理ができるっていうのは本当にすてきなことだなって。相手の喜ぶ姿を見て、自分もうれしくなれるから、すごくいいものだな、と思いますね。 (構成/本誌・直木詩帆) ※週刊朝日  2022年5月20日号

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    64歳で弁護士になった元新聞記者 60代での就活、30カ所で「門前払い」

     昨年1月に4度目の挑戦で司法試験に合格した元朝日新聞記者の上治信悟さん(64)が今春、弁護士になった。50代で法律の勉強を始め、9年かかって難関試験をパスした上治さんを待っていたのは、厳しい就職活動と知力と体力を振り絞る「卒業試験」だった。昨年7月9日号で紹介した司法試験合格記に続き、新人弁護士として踏み出すまでの歩みをつづってもらった。 *  *  *  私は昨年3月30日、1980年以来40年以上勤めた朝日新聞社を辞め、翌日から74期の司法修習生になった。修習を始める前から気になっていたのは、弁護士事務所に就職できるかということと、修習の終わりに実施され卒業試験にあたる国家試験「司法修習生考試」(通称「二回試験」)に合格できるか、だった。  60歳を超え、若い人と一緒に就職活動をしなければならなかった。一方、司法試験に合格したとはいえ、成績は1450人中1424位とぎりぎりだった。仕事先も見つからず、修習にもついていけずに二回試験に落第して弁護士になれないのではないか。そんな不安で合格の喜びにゆっくり浸る時間はなかった。  修習は埼玉県和光市にある司法研修所(研修所)での修習と裁判所、検察庁、弁護士事務所での分野別実務修習(実務修習)、選択型実務修習に分かれる。  私が属した74期A班はまず研修所で約1カ月間、導入修習をした。その後、指定の修習地で約7カ月間、実務修習をした後、研修所に戻って、二回試験のリハーサルのような論文試験や模擬裁判などで構成される約1カ月半の集合修習を受けた(新型コロナウイルスのため、研修所での修習は原則リモートになった)。  集合修習が終わった後は、実務修習地などで自分が選んだテーマを学ぶ約1カ月半の選択型実務修習に進み、最後に二回試験を受けた。私は東京が実務修習地となり、東京地検、東京地裁民事部、都内の弁護士事務所、東京地裁刑事部の順に実務修習をした。  選択型実務修習では実務修習の弁護士事務所をホームグラウンドとしながら、東京地裁民事部で再び修習をした。  実務修習と選択型実務修習では被疑者の取り調べをしたり、事件の記録を読んで有罪無罪、勝訴敗訴を検討するレポートや起訴状を起案したり、事件を傍聴したりした。  起案は何日もかかり、夜遅くまで残業することもあったが、指導役の裁判官や検察官、弁護士らから生の事件について指導を受け議論することは楽しく、実務家に近づいているというワクワクした気分になった。  しかし、就職先が見つからなければ始まらない。63歳での就活である。受験で世話になった恩師は「(60歳を超えた人間を)喜んで採用してくれるところはないかも」と教えてくれた。高名な弁護士からは、「自分(一人)で事務所を開設する他ない」と率直に指摘された。  年齢を変えることはできない。修習が終わってすぐに一人で事務所を開設することを「即独」というが、そんな自信も全くなかった。何とかして見つけなければと、司法修習に入る前の昨年2月から就職活動を始めた。  しかし、春が過ぎ、夏になっても就活は終わらなかった。朝日新聞で53歳から8年間弱経験した著作権の仕事を生かそうと、日本弁護士連合会の求人情報サイトなどを手がかりに知的財産権を扱う都内の弁護士事務所、約30カ所に応募したが、ほとんど相手にされなかった。 「残念ながら、ご期待に沿えません。ご活躍をお祈り申し上げます」といった返事をくれる事務所さえ多くはなく、無視され続けた。  応募先を探す中で、20代を大量に採用する大手弁護士事務所にエントリーしてみようかと思った。ホームページ(HP)を開き、生年の欄にチェックを入れようとしたら、私の生年の「1957」はなかった。端から相手にされていないと感じた。テレビで宣伝している弁護士事務所など相手にしてくれるところもわずかにあったが、著作権の仕事ができそうになかったり、面接で落とされたりした。  約20年前に始まった司法制度改革で、多彩なバックグラウンドを有する人材を多数法曹に受け入れることがうたわれた。しかし、バックグラウンドがあっても年を取っていたらお呼びでないのかと思った。  そんな苦戦の最中、著作権を主要な業務の一つとしている「虎ノ門総合法律事務所」のHPを見つけた。 ■「覚悟」を求める事務所にトライ  弁護士の仕事は「きつい」「厳しい」「きりがない」という意味で「『3Kである』と断言します。この覚悟のない者には、そもそも我が事務所の門を叩く資格がありません」と書いてあった。事務所の雰囲気の良さや、遅くまで仕事をすることはないというような優しく甘いメッセージのHPが目につく中で、異彩だった。  ただ、先輩の弁護士や同期の修習生に聞くと、弁護士の仕事は忙しい。夜遅くまで仕事をするのは当たり前で、週末も仕事をする人が多い。3Kと断言するのはむしろ、正直だ。だいたい、楽ちんな仕事で成長できたり、喜びを味わったりすることはできないだろう。  当方、隠居仕事で弁護士を始めるつもりはない。そう考えた私はこの事務所に応募することを決め、修習の合間に1週間かけて応募書類を書き上げ、送った。  同事務所のHPには、毎年200人以上が新人採用に応募し採用は1人か2人とあった。今度もダメかなと思っていたら、代表から面接するという連絡が来て、神谷町にある事務所に出かけた。  最初は、型通りに志望動機を話した。そのうちに朝日新聞や日本新聞協会でやってきた著作権の仕事に代表も詳しく、仕事を通じた共通の知人もいることがわかり、志望動機よりも双方が知っている話に花が咲き、あっという間に90分くらいが経ってしまった。  面接自体は楽しかったものの、これで良かったのかと感じたが、1カ月後に2次面接に呼ばれた。代表、ベテラン、若手の弁護士の3人と面接し、またまた、90分くらい同じような話をした。それからさらに1カ月以上が過ぎ、採用が決まった。  運が良かったのは間違いない。ただ、編集出身の私が2010年、当時の定年まであと7年だった53歳で縁もゆかりもない知的財産部門に異動し落胆した時、腐らなくて良かったと思う。  そもそも私は60歳を過ぎてもできる限り働きたいと考えていた。著作権の仕事をしているうちに面白くなり、会社を辞めた後もできる仕事として弁護士を目指し法律の勉強を始めた。仕事にも熱が入り、社外に知己が増えた。なぜ、採用してくれたのかはわからないが、仕事を通じて得た知識、経験、人脈が役立ったのではないだろうか。人間万事塞翁が馬とはよく言ったものだ。  就職先が決まった後は、二回試験に合格することが最大の目標になった。不合格でも後の修習期の二回試験を2回受けることができるが、今さら、そんなことはご免だった。  二回試験は、ざっくりいって99%が合格するといわれる。しかし、司法試験では合格者の98%強が私よりも成績が上だった。若くて機敏で優秀な修習生に囲まれ、修習中の成績も大したことなかった私は「ひょっとして落ちるかも」と心配で、懸命に勉強した。司法試験に合格した後もこんなに勉強しなければならないとは思わなかった。  合格のため特に大事といわれたのが、昨年12月から今年1月にかけて行われた集合修習中の論文試験(10回)の復習である。就職先の先輩弁護士から「同じ問題は出ないが、同じ考え方の問題が出る」と助言されたこともあり、集中的に復習した。集合修習の論文試験の解説授業は録画されていたので見ながら復習できたが、授業で表示された教材は原則ダウンロード不可だった。 ■根を詰めすぎて体はふらふらに  そこで、1科目200分から300分の解説授業の教材を1科目丸2、3日かけてノートにほぼ書き写した。これで根を詰めすぎたのか、ストレスのせいか体調が悪くなり、二回試験前日の今年3月22日に軽いふらふら状態になった。  翌日から土日を挟んで5日間5科目(検察、民事弁護、民事裁判、刑事弁護、刑事裁判の順)の試験が始まる。  1科目は午前10時20分から午後5時45分までの7時間25分である。合計37時間5分。司法試験の4日間19時間55分よりずっと長い。二回試験では、長いもので約100ページある記録を読んで答案構成をし、論文を書き上げなければならない。  ふらふらで思考力、体力が持つか心配になって病院に行ったら、点滴をしてくれた。そのおかげか体調はかなり回復し、翌日司法研修所に乗り込むことができ、1科目が終わるたびに疲れて家路についたものの、薬を飲みながら長丁場を乗り切った。  結果発表は4月19日の夕方だった。最高裁判所のHPに不合格者の番号が発表された。恐る恐るアクセスしたら、私の番号はなかった。「これで、弁護士になれる」。ほっとし、うれしさが湧いてきた。  私は4月21日に東京弁護士会に登録し、同日から虎ノ門総合法律事務所で働いている。これからは著作権やジャーナリズムに関する仕事をすることになると思う。  ただ、修習では一般民事と呼ばれるお金や土地、相続などに関する事件や、離婚や別れた子との面会交流といった家事事件、刑事弁護など幅広く修習した。一つひとつの事件にその人の人生がかかっていると思うことが多かった。  幸い、就職した事務所は著作権以外にも多彩な事件を扱っているので、私もいろいろ取り組みたい──。就職前、こう考えていたら、勤務初日、早速、家事事件の担当になった。「姉弁」である先輩弁護士の指導を受けながら依頼者のために働いている。  10年かかってたどりついた弁護士である。64歳から新しいキャリアを始める幸せを噛み締めながら、歩んでいきたい。※週刊朝日  2022年5月27日号

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    ヤクルト内川聖一ここまで出番なし 同じ“アラフォー2人”と対照的に苦しい立場に

     ヤクルトの内川聖一に出番が回ってこない状況が続いている。同じ“アラフォー”である先発左腕の石川雅規、外野手の青木宣親はチームに欠かせない存在となっているのとは対照的だ。球史に残る安打製造機はこのままバットを置いてしまうのだろうか……。 「DeNA戦の雨天中止は大きい。(仮に内川が今年で引退したら)最後に神宮で古巣との対戦が実現できる可能性が出てきた。シーズン終盤、満員御礼になってテレビ中継も数字が期待できそう。そこでヤクルトが優勝争いに絡んでいれば最高です」(在京テレビ局スポーツ担当者)  4月29日から神宮で予定されていたヤクルトとDeNAの連戦は3試合中2試合が雨天中止となった。コロナ禍の中ではあるが、観客の人数制限などが解除され迎えたゴールデンウィーク。書き入れ時の水入りに本来は頭が痛いところだが、関係各所からはこんな声が聞こえてきた。  打撃技術は天才とも称される内川だがここ数年は苦しんでいる。ソフトバンクでの最後のシーズンとなった2020年には二軍で3割を超える打率を残したが、キャリアで初めて一軍での出場なくシーズンが終了。昨シーズンはヤクルトに移籍して再起を誓ったが、一軍では38試合で打率.208と低迷し、日本一となったチームの中で存在感を示すことができなかった。  今季もここまで一軍での出場はないが、08年の横浜時代に右打者としてはシーズン最高となる打率.378で首位打者を獲得し、2000本安打も達成した39歳の“レジェンド”は技術的にはまだまだできる余力を残しているはずだ。 「ミート力など技術的な部分の問題はない。年齢的な衰えや視力の低下も心配されるが、ある程度は技術でカバーできる。出場機会が与えられないことが問題。メンタル部分の波があることが知られているので、一軍のベンチに入れにくい部分もあるのかもしれない」(在京球団編成担当者) 「二軍戦には継続的に出場して打率(.270)も悪くはない。コンディションは良さそうですが一軍に呼ばれる気配はない。高津臣吾監督は調子の良い若手を起用するため、誰もが必死にやっている。チーム一丸の姿勢が首位争いにつながっている中、無理して内川を呼ぶ必要はないのでしょう」(ヤクルト担当記者)  対照的に40歳を超えても試合に出場し続け、チームで貴重な存在となっているのが石川、青木という2人の大ベテランだ。  石川は42歳で迎えた今季も開幕からローテーションを守っている。3度目の先発となった4月23日の阪神戦(神宮)ではシーズン初勝利を挙げ、通算の勝利数を178まで伸ばした。大卒の新人として入団してから21年連続で勝利でマークし、通算200勝という大記録も見えてきた。 「一般人と変わらない体格(身長167cm、体重73kg)でここまでやっているのがすごい。とにかく練習熱心で研究を怠らない。練習から戻ってくるのも最後の時が多く記者などは待ちくたびれる人もいる。投手だけでなく野手にも貪欲に質問して取り入れられるものを探している。実績あるベテランなのに若手に対して偉そうな態度を取ることがないのもすごい」(ヤクルト球団関係者)  不惑の40歳を迎えた青木も存在感は変わらない。打撃は開幕から調子が上がらず打率2割を切ることもあったが、少しずつ持ち返してきた。4月30日のDeNA戦(神宮)ではNPB通算1500試合出場を達成し、レジェンドに相応しい勲章がまた1つ加わった。 「淡々と準備をして試合に臨む姿には、学ぶところも多いです。尊敬するイチロー選手もそうでしたが達観した域にたどり着いたように見える。自身の調子が悪くチームの雰囲気も下がり気味の時に丸刈りにするなど、自分からネタになって盛り上げたりもしてくれる。野球の技術はもちろん、そういう姿勢がチームに好影響を与えています」(ヤクルト球団関係者)  若きエース奥川恭伸が上半身のコンディション不良で離脱し、復帰時期が未定。来日2年目の助っ人サンタナは開幕から好調を維持していたが、左半月板のクリーニング手術のため長期離脱となった。投打の主力が相次いで離脱する非常事態が起こったが石川、青木の踏ん張りがチームを支えている。本来なら内川もこの中に入らなければいけないはずの選手だが……。 「内川の実績も2人(石川、青木)に負けていない。本人のモチベーション次第ではプレー以外でもできることもあるはず。仮に今季限りだったとしても惜しまれながら注目を浴びた状態で最後まで走り抜けて欲しい」(在京テレビ局スポーツ担当者)  両リーグでの首位打者だけでなく、侍ジャパンの一員として世界一にも貢献。日本球界で一時代を築いた名選手であることに間違いはない。しかし現役晩年は苦しむ姿が目立つようになった。だが、華々しい引き際を見せ、記録と記憶の両方に残る選手になって欲しい。そのためには野球選手として、ここからのプレーや振る舞いには大いに注目したい。時代は変わり40歳という年齢でも一線でプレーできるような時代にもなった。内川の天才的打撃をまだ見たいというファンは多いはずだ。

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    「暴くべき秘密はまだまだ残っている」“共闘”という新たな手法で記者たちが放ったスクープ

     原発と基地――「国益」の名の下に犠牲を強いられる「苦渋の地」で今、何が起きているのか。政府や行政といった、権力を監視する役割を担うメディアは、その機能を果たせているのか。福島と沖縄を持ち場とする2人の新聞記者が、取材現場での出来事を綴った『フェンスとバリケード』。著者で沖縄タイムスの阿部岳記者が、共同通信・石井暁記者との連帯でつかんだ「自衛隊辺野古常駐計画」、そのスクープの裏側を一部抜粋してお届けします。 ■でかいネタ  2021年1月25日、全国の新聞に「辺野古 陸自も常駐」の見出しが躍った。沖縄2紙を含め、12紙がこの記事を1面トップに据えた。共同通信編集委員の石井暁(ぎょう)がメールで送ってくれた各社の紙面を見て、感慨を覚えた。やっとここまで来た。石井との異例の合同取材が、実を結んだ。  さかのぼること2年余り――。2018年の暮れ、私は一人興奮していた。「これはでかい」。20年余の記者人生で一番でかい。  辺野古新基地に陸上自衛隊が来る。ある関係者が長い対話の途中で、さらりと言った。根拠も併せて示した。確かな話だ。  新基地建設は1996年以来、日米安保体制最大の懸案であり、沖縄にとっては呪縛であり続けた。日米両政府は、市街地のど真ん中にあって危険な普天間飛行場を返還し、米海兵隊が使う代わりの施設を造るのだと説明してきた。移転先に選ばれたのが名護市辺野古だ。  外国軍が他国に駐留するのは例外的な状態で、戦略環境が変われば海兵隊が撤退することもあり得る。だから海上に基地を浮かべる撤去可能な工法や、15年の使用期限が検討されてきた。これらの案が消えた今も、海兵隊自身が撤退を選択して基地負担が減ることに期待をつなぐ向きは多い。 「海兵隊専用」という両政府の説明に反して陸自が常駐するなら、問題は根底から変わる。自国部隊である陸自に「撤退先」はない。計画を暴くことは、新基地が完成すれば半永久的に返還されない実態を広く知らせることになるだろう。  しかし、一人盛り上がった私は、すぐ現実に直面することになる。記事にするためには陸自の中枢から裏づけを取る必要があるが、どう考えても取材ルートがない。私は沖縄を拠点にしている。東京には防衛省担当の同僚がいるものの、沖縄タイムスにとっての優先課題は一貫して米軍だった。戦後、沖縄を統治した全能の支配者で、日本復帰後も基地面積や事件事故、演習の被害が圧倒的に大きい。これに対して、復帰後になって沖縄に進出した自衛隊の中枢を取材した蓄積はあまりなかった。 ■人でなし  取材の突破口をあれこれ考えては目の前の取材に追われる、そんな日々を繰り返しているうちに、1年半が過ぎていた。転機となったのは2020年5月、東京高検検事長の黒川弘務が新聞記者、元記者と賭け麻雀を繰り返していたという週刊文春のスクープだった。  業界の端っこにいるものとして、私は記者の行動の方に強いショックを受けた。検察庁法改正に絡んで渦中の人だった黒川のスキャンダルを目の前で見ながら書けない新聞に、あすはあるのか。もう読者に見放されるのではないか。ささやかでも、この惨状に危機感を持つ業界の人間がいることを伝えたかった。週に1回担当している新聞1面のコラムに、ある先輩記者のことを書いた。  尊敬する記者の言動を胸に刻んでいる。シンプルなこと。重大な情報を得たら書く。たとえ時間をかけて築いた関係でも、それをぶち壊しても。「人でなしと言われればその通り。書くために付き合っているんだから」  石井暁。2016年12月、東京で開かれた「調査報道セミナー」の講師だった石井の言葉は、私に強い印象を残していた。防衛省・自衛隊を取材して4半世紀以上。中枢に深い人間関係を築き、必要な時にはそのしがらみを断って数々のスクープを放ってきた。  石井はセミナーで、陸上自衛隊の秘密情報部隊「陸上幕僚監部運用支援・情報部別班(通称・別班)」に関する大スクープについて語った。別班は防衛相にも首相にも報告しないまま、独断でロシアや中国、韓国に拠点を設け、情報活動をしていた。構成員の自衛官は民間人などに身分を偽装して出国していた。  報道された2013年11月当時、国会では特定秘密保護法案が審議されていた。シビリアンコントロールを無視して暴走する軍事組織、際限なく増殖する秘密。法案の危険性を浮き彫りにする調査報道だった。  端緒をつかんでから記事にするまでは5年半かかったという。途中、元自衛隊幹部に警告された。「本当にあなたが虎の尾を踏んでしまったら、(彼らは)あなたを消すぐらいのことはやる」。それでも動じず取材を続け、最終的に陸上幕僚長や防衛省情報本部長といった最高幹部職の経験者から具体的な証言を引き出し、事実関係を固めた(石井著『自衛隊の闇組織』)。  飲みに誘い、親しく杯を交わし、情報を聞き出す。石井の取材手法は昔ながらだ。しかし、聞いた後の行動が並大抵ではない。ネタが大きすぎ、本質的すぎて、人間関係が終わると分かっていても、書き切ってきた。  日ごろ取材対象と懇意にしていて、「いざとなれば後ろからたたき斬る」などと勇ましいことを言う記者はいくらでもいる。石井のように実際にたたき斬ってきた記者を、私はあまり知らない。  石井はこの記事が社内で検討される過程で、陸幕長経験者、情報本部長経験者の責任者2人に限っては実名を報じてもいいと申し出たという。もちろん本人たちの了解が取れるはずはない。「極めて責任の重い立場にあり、それもシビリアンコントロールに反するような極めて重大なことに関係してきたから」と決意した。検討の結果、2人の証言は匿名のまま掲載することに落ち着いたが、石井は集めた情報をどこまでも読者のために生かし、取材過程を説明する覚悟を決めていた。  記事が配信された後は、防衛省・自衛隊の各種会見でシビリアンコントロールの逸脱を執拗にただした。かつて頻繁に酒席を共にした陸幕長とは、記事を書いたことで完全に断絶していた。報道から7カ月後の退任会見。なごやかな雰囲気の中、ここでも石井は「大臣にも嘘をつくということは、シビリアンコントロールに反することになりませんか」「やましい点はまったくありませんか」と追及した。  自ら語る通り、世間で言えば「人でなし」だろう。でも、記者の2つの任務――権力を監視し、そのために肉薄する――はもともと相矛盾している。両者の間で引き裂かれることは宿命とさえ言える。その時が来たら市民の知る権利に応えることを選び、取材先にとっては「人でなし」になるしかない。 ■お耳に入れたいことがあります  実は最初に「辺野古に陸自」の話を聞いた時から、石井なら裏付けが取れるのではないか、というイメージがあった。1年半も抱えてしまったのは、記者であるからには自分で書きたいという意地、スクープをものにしたいという欲のせいだった。  琉球新報とのライバル関係も念頭にあった。「沖縄2紙」とくくられ、権力に対する厳しい論調は共通しているものの、戦後ずっと競い合ってきた歴史がある。タイムスでも新報でも、デスクが現場記者に必ず聞くのは「で、相手は知っているのか?」。記事の評価も「新報を(タイムスを)抜けるかどうか」に左右される。  共同通信には2紙とも加盟している。私が石井に情報提供して記事になった場合でも新報に先んじることはできず、同時に載ることになる。  この期に及んで――と思い直した。黒川賭け麻雀問題で、「権力と癒着し、不都合を書かない新聞」の姿が暴かれた。危機はかつてなく深刻だ。小さなライバル関係にこだわっている場合ではない。タイミングは今。誰が書くにしても、辺野古新基地をめぐる極秘計画の存在は、きっと世論に大きなインパクトを与えるはずだ。  石井に触れたコラムが新聞に載った日の夜、報告を兼ねて「この機にお耳に入れたいことがあります」とメールを送った。私は3年前のセミナーで一度会っただけで、受講生の一人に過ぎなかった。懇親会で杯を交わしたとは言え、この時点で覚えていてもらえているかも分からなかった。  他社の記者に相談する以上、私が知っていることは全て伝え、後は判断を委ねるつもりでいた。2通目のメールにはこう書いた。 「この話をどう判断し、扱われるかは全てお任せです。ご多忙のことと思いますので、心の片隅に止めていただくだけでも幸いです」「私は記者になって23年になりますが、年を重ねるにつれて辺野古のような愚策ぐらいは止めたいと強く思うようになりました」「会社の枠など気にしている場合ではないので、手に負えないネタはご相談してみようと思い立った次第です」  石井は、沖縄から東京のセミナーに自腹で参加した私を覚えてくれていた。「変わっているか、よっぽど金持ちか」と後に冗談めかして語っている。セミナーに(多少変わってはいるかもしれないが)金持ちではない私が無理して参加したのは、尊敬する神奈川新聞記者の松島佳子が主催者の一人で、熱心に誘ってくれた結果だった。志ある記者とのつながりがまた次の出会いを運んでくれた。  私のメールに対する石井の返信は、いきなり核心に迫っていた。 「読後、私が考えたのは、日本版海兵隊といわれる陸上自衛隊『水陸機動団』の配備ではないかということです」「阿部さんのメールを読んで、あらためて再取材をしてみます。是非、一緒にやらせて下さい」  聞けば石井も、辺野古に陸自を常駐させるという同じ話を、私より早い2017年の段階で把握していた。当時熱心に取材したものの、詰め切れないままだったという。パソコンに保存している過去の取材メモと私の情報を照合し、もう一度挑戦しようと決めた。そして私が全て任せます、と投げたボールを、合同取材の提案として投げ返してくれた。 ■合同取材  石井は共同通信の社内で合同取材の了解を取り付けた。私も同様にした。石井に情報提供をする前、タイムス編集局長の与那嶺一枝にだけは報告していた。新報との競争の先頭に立つ立場であるにもかかわらず、すんなり認めてくれた与那嶺は、合同取材に発展したことをことのほか喜んだ。「課題が複雑になる中、1社だけでは調査報道は難しい。どんどん手を組んでいくべきだと思う」。ただ両社とも、スタート時点ではうまくいく確信はなかった。  沖縄タイムスは共同通信に出資する加盟社の一つで、日ごろ記事や写真の配信を受け、紙面に掲載している。過去には合同で連載企画をしたこともあった。しかしその場合も完成した記事を交換するだけで、取材段階の一次情報を共有する合同取材は、両社にとって初めての試みだった。  石井と私は、情報提供してくれた関係者の話を一緒に6時間にわたって聞いた。個別の取材メモを共有し、進捗を報告し合った。東京の防衛省・自衛隊中枢にアクセスできる石井と、沖縄にいる私が役割分担した。互いの社内でも、ごく一部を除いて取材内容は報告せず、秘密裏に進めた。  石井は前述の通り自衛隊のスパイ活動を暴いている。当局に監視されている可能性が高い。やりとりが暗号化され、安全性が高いとされるメールサービスのアカウントを互いに作り、そこで連絡を取った。それでも、ネタ元の名前が出るような話は直接会った時にしかしなかった。石井はメモの束を抱えて3度、沖縄に来てくれた。  途中、鍵を握る人物に計画の存在を否定されたこともあった。石井から「思うようにいかないものですね」というメールを受け取り、ここまでかと覚悟した。  それでも石井の熱意と取材力はすさまじかった。私はたびたび、石井のメモを見て息をのんだ。「私だったらこれだけ裏が取れれば書くと思います」と言ったことがある。しかし石井は「単独でももちろん間違いはあってはならないが、合同取材ではなおさらあってはいけない」となおも確証を探し、最後に決定的な証言を引き出してくれた。12月、石井と2人、「これなら絶対に間違いない」と顔を見合わせた。  本記、解説、何本ものサイド記事。書くべきことはたくさんあった。それぞれが書いた記事を見せ合い、一つ一つの表現と、なぜそう言えるのか、根拠を確認していった。だいたいの準備が整ったのは年末。合同取材開始から半年以上が過ぎていた。 ■極秘合意  この記事が、沖縄タイムスで1面トップになることは確定している。今回大事なのは、共同通信の配信を受ける他の新聞社でもなるべく大きく扱ってもらい、問題を全国に伝えることだ。そこで、掲載のタイミングは共同通信に任せ、なるべく全国ニュースが少ない日を見極めてもらうことにした。新型コロナウイルスの感染状況が悪化するなどして何回か見送った後、2021年1月25日に掲載の日を迎えた。 「辺野古 陸自も常駐」「海兵隊と極秘合意」「日米一体化 中核拠点に」  沖縄タイムスには石井と私、両方の記事が載る。ほとんど眠れないまま自宅アパートで手にした琉球新報も、石井の記事が1面トップを飾っている。石井からは河北新報、信濃毎日新聞、新潟日報、高知新聞なども1面トップだと連絡が入った。共同は英語、中国語でも配信し、ロシア、パキスタン、中国のメディアに転電された。私1人では到底解明できなかった事実が、到底届かない読者にまで伝わった。石井の力が借りられて良かった、と心から思った。  報道はこんな内容だ。陸自トップの陸上幕僚長・岩田清文と在日米海兵隊司令官ニコルソンが2015年、陸自の離島専門部隊である水陸機動団の連隊一つを辺野古新基地に常駐させることで極秘合意していた。「日本版海兵隊」と呼ばれる水陸機動団は「本家」海兵隊の指導を受けながら、V字型滑走路や新設される岸壁を使って共通装備のオスプレイや水陸両用車の訓練ができる。海兵隊にとっても、陸自と一体化を進め、実質的に配下に組み込むメリットがある。辺野古は両組織の中核拠点となる。そして複数の陸自幹部が海兵隊撤退を見据え、「将来、辺野古は実質的に陸自の基地になる」と語っている――。  国会で問題になった。防衛相・岸信夫は日米の正式合意ではないと強調したが、事実に沿って現場トップ同士の合意までは否定しなかった。ところが、新基地建設に血道を上げてきた首相・菅義偉は、完全否定に走った。「従来より代替施設における恒常的な共同使用は考えていなかった。その考えにこれからも変更はない」と答弁した。  明らかな虚偽を含んでいる。民主党政権は公に新基地の日米共同使用を打ち出し、米政府と協議していた。報道もされている。菅はこれ以上、新基地建設への批判材料を増やしたくなかったのだろう。私たちにとっては、思わぬ形で首相の全面否定という言質が転がり込むことになった。今後、縛りになる。  防衛省は表向き否定しつつ、裏では「記事と似たようなことはあったが、終わった話。将来陸自が常駐するとしても、それは今回報じられた合意とは別だ」と解説していた。大半の全国メディアはその都合のいい説に乗り、時事通信を除いて常駐計画を報じなかった。  ワシントンに駐在する沖縄タイムスの同僚、平安名純代は独自取材で追撃してくれた。2015年、ホワイトハウスの高官が国防総省から陸自常駐計画の報告を受けていた事実をつかんだ。元高官は計画が「日米両政府間の共通理解」だったと証言した。日米安保体制の秘密は、ほとんどが米側の情報で明らかになる。 ■暴くべき秘密  石井はこの合同取材でまた1人、貴重な情報源を失った。「ああいう原稿になるとは思わなかった」と告げられたという。それでも、表向き淡々としている。「微妙な原稿を書く以上やむを得ない。情報提供者がバレた、組織内での立場を悪くした、ということには絶対にしない。その鉄則は守っている」。石井のプロフェッショナリズムに間近で触れられたことは大きな財産だった。  東京都市大学教授でジャーナリストの高田昌幸は、私と石井が出会った調査報道セミナーの主催者の1人だった。その場から生まれた合同取材を喜ぶとともに、「権力監視型調査報道の画期的な第一歩」と評してくれた。  第2次安倍政権以降、権力は強大化している。情報が一極集中し、秘密が増えている。そして、メディアは明らかに弱くなっている。読者や視聴者を失い続けて経営は苦しく、記者の数が減っている。  たとえ不都合な事実を1社が暴いたとしても、それだけで権力が非を認めて改めることもなくなった。各社がそれぞれの角度から問題点を掘り起こし、世論が反応した時だけ、事態は変わる。権力を揺さぶろうと思えば、束になってかかるしかない。  私がそうだったように、大きいネタの端緒を抱えたまま、どうにもできずに悶々としている記者は今も各地にたくさんいるはずだ。信頼できる仲間が見つかったら、たとえ他社でも一緒に調査報道に挑戦してほしい。秘密のかけらをかき集めて持ち寄れば、全体像が浮かぶかもしれない。  そのためにも、個の顔が見える発信が欠かせない。記事はもちろん、SNSも有効だ。最後まで闘える記者かどうかを、情報提供者も、同業者も、見ている。  私たちの報道から1カ月もたたない2021年2月、今度は中日新聞と西日本新聞が合同取材で鮮やかなスクープを放った。愛知県知事のリコール署名が、佐賀市の貸会議室で組織的に偽造されていたのだ。  読者との双方向型報道を目指す西日本の「あなたの特命取材班」の窓口にメールが寄せられ、この企画で協力する中日と共有したことがきっかけになった。組織連携を生かした報道は高く評価され、新聞協会賞を受賞した。  共闘の時代が始まっている。組織の壁など、その気になれば簡単に飛び越えられる。私たちには、まだまだ暴くべき秘密が残っている。

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    90分でも60分でもなく…「10分間のカセットテープ」が今一番売れているワケ

     カセットテープはこの先なくなってしまうのか。マクセル ライフソリューション事業本部の三浦健吾さんは「デジタル化で需要は落ちているが、長年ご愛用いただいているお客様がいる。今一番人気なのは“10分のテープ”だ」という。詳しく話を聞いた――。 1989年には年間5億本以上の需要があった  カセットテープが全盛期を迎えたのは、1980年代だ。背景には、1970年代にラジオ受信機とカセットテープレコーダーが一体となった「ラジオカセットレコーダー(ラジカセ)」が、一般家庭に普及したことがある。  ラジオ番組から流れてくるお気に入りの音楽を録音する「エアチェック」や、屋外にラジカセを持ち出して環境音を録音する「生録」など、カセットテープはさまざまな用途で使われるようになっていった。  その後も売り上げを伸ばし、バブル経済が絶頂を迎えていた1989年には国内で年間約5億本以上の需要があったという。  その後、CDやMDなどのデジタル録音ができる記録媒体が主流となったことで、カセットテープ人気は徐々に陰りを見せていった。  2000年代以降は、iPodに代表されるMP3音楽プレーヤーの登場に続き、インターネットを介した音楽のダウンロードやストリーミングといったデジタル音源が浸透してきたことで、カセットテープの需要は全盛期と比べると大きく減少してしまった。 コアなファンとシニア世代に根強い人気  しかし、スマホやPCで音楽を聴くのが一般化した現在でも、「カセットテープはコアなファンに愛され続けている」とマクセル ライフソリューション事業本部で事業企画部長を務める三浦健吾さんは話す。 「カセットテープは、深みのある音やアナログ特有の音質が特徴で、今のデジタル音源のように『0』と『1』の信号で統一された音質では味わえない独特の良さがあります。1970年代以降のカセットテープ全盛期を過ごしたオールドファンやシニア世代の方には、今でもカセットテープの存在はなじみ深く、根強い人気があると感じています」  マクセルは1966年にカセットテープ生産を始めた。市場の成長を牽引してきたことから、特に50~60代以降のシニア層には「マクセル=カセットテープ」のイメージが強く残っているという。  いち早く日本にカセットテープの需要を作り、時代とともに移り変わるニーズに合わせて「ハイポジション」や「メタルポジション」といった技術を発展させるなど、マクセルブランドを着実に築き上げてきたわけだ。 一番売れているのは「10分テープ」  現在は、全盛期に比べ需要が減っていることもあり、同社が販売しているカセットテープは「UR」シリーズのみとなっている。  それも、カセットテープ全盛期に見られた150分や120分のテープは取り扱っておらず、90分から10分までの4種類のタイムバリエーションで展開しているそうだ。 「全盛期に比べてカセットテープの需要が見込めなくなったことで、品質の高いテープ原反の入手も難しくなっており、現在は90分、60分、20分、10分と4種類のタイムバリエーションに絞っています」  そんななか、4種類の長さのうち「10分テープ」が意外なニーズにはまって一番人気を誇っているという。  それがシニア世代を中心としたカラオケ需要だ。 「カセットテープが登場した頃は、60分や90分が主流でしたが、1980年代にカラオケブームが盛り上がりを見せ、その需要に応えるために10分のカセットテープを発売しました。歌を練習するのに、10分という長さはちょうど良く、さらには巻き直しも楽なのでカラオケの練習に都合がいい。その名残が今でもあるため、シニア世代を中心に10分テープが最も多く売れているんです。また、テープレコーダーも再生ボタンを押すだけのシンプルな操作で手間いらずなので、スマホなどの最新機器に慣れていないシニア世代でも使いやすいというのが、支持されている理由だと考えています」 「ニッチな需要」に応え続けたい  そのほか、英会話の勉強やカラオケ大会へ提出する際のデモ音源など、シニア世代の勉強や娯楽目的に10分テープは有効活用されているという。  しかし、コロナ禍の影響でカラオケの需要が減っていることもあり、苦しい状況に立たされているのは否めない。  三浦さんは「新型コロナウイルスの影響で生活様式も変化し、直近では復調の兆しが見えてきているので、これからもできるだけニッチな需要に応えられるようにビジネスを継続していきたい」と話す。  カセットテープ自体は全盛期ほどの勢いにはないものの、近年の「昭和レトロ」ブームや70~80年代に流行した「シティ・ポップ」が再評価されていることで、若年層にもカセットテープの“真新しさ”が注目されてきている。 若年層にもカセットテープの魅力を訴求する  マクセルもカセットテープの需要を喚起すべく、マーケティング手法を変えている。昔のように大々的にテレビCMを打つのではなく、若者に受け入れられるような工夫を凝らして、カセットテープが根絶しないように企業努力をしているそうだ。  「最近では、音楽アーティストがカセットテープで楽曲を出すなど、アナログへの回帰が注目されていると思っています。デジタル音源やストリーミングにはない味のある音や、カセットテープならではの懐かしさを楽しむコアな音楽ファンにも見直されてきていると感じています。こうした状況を踏まえて、2020年には若年層に手に取ってもらえるようなパッケージのデザインに刷新し、試行錯誤しながらカセットテープの魅力を絶やさないように努力しています」 アナログもデジタルも、顧客満足度の高い製品開発を続けたい  インターネット環境が急速に広まり、テクノロジーが進化したことで、情報の記録はクラウドサーバーでの管理が当たり前になった。  それでも、カセットテープやCD、MD、DVDといったハードウェアの記録媒体もしばらくは残り続けることだろう。  全国の量販店のPOSデータをもとに、パソコンやデジタル家電関連製品の年間販売数No.1を決める「BCN AWARD」という賞(※)がある。マクセルはCDメディア部門、DVDメディア部門、BDメディア部門の3部門で5年連続年間販売台数シェアのトップを誇っている。 ※BCNが全国の量販店のPOSデータを日次で収集・集計した「BCNランキング」に基づき、パソコン関連・デジタル家電関連製品の年間(1月~12月)販売台数第1位のベンダーを表彰するもの。  いわば記録媒体のリーディングカンパニーとして、今後も記録メディア事業をライフソリューション事業部のひとつの顔として据えながら、コンシューマー事業を展開していくという。 「記録メディア事業はマクセルにとってルーツであり、今後もお客様のニーズに合わせて顧客満足度、価値の高い製品を提供していければと思っています。それが長年トップでやってきている会社の使命であり、市場の牽引役としてこれからも尽くしていきたい。また、弊社としては除菌消臭器やシェーバーなどの健康・理美容製品が新しい事業の柱にもなっているので、お客様のライフスタイルや志向が多様化するなか、お客様の声に真摯に向き合い、柔軟に対応をしていきながら、アナログからデジタルまで顧客満足度の高い製品開発を行っていきたいと考えています」 古田島 大介(こたじま・だいすけ)フリーライター1986年生まれ。ビジネス、ライフスタイル、エンタメ、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている。

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    ミスを指摘されると不機嫌になる性格に悩む28歳女性 自己分析もできている相談者に鴻上尚史が示した“その先”とは

     ミスを指摘されると不機嫌になる性格に悩む28歳女性。「性根が短気でプライドが高く負けず嫌い」と自己分析する相談者に、鴻上尚史が投げかけた一歩踏み込んだ質問とは? 【相談144】ミスを指摘されると不機嫌になってしまいますが、どうこの性格を治していいかわかりません(28歳 女性 どど)  ミスを指摘されると不機嫌になってしまいます。  何故不機嫌になってしまうのかを考えたところ、性根が短気でプライドが高く負けず嫌いなので、周りを見下して心の安定を図っていることに気づきました。  気づいたはいいのですが、相変わらず同僚や後輩にミスを指摘されるとあからさまに不機嫌になってしまい、どうこの性格を治していいかわかりません。  どうやったら周りを見下さずに済むか、せめてすぐ不機嫌になったり、イライラしたりせずに過ごしたいです。知恵を貸していただけないでしょうか。 【鴻上さんの答え】 どどさん。そうですか。不機嫌になる理由は「性根が短気でプライドが高く負けず嫌いなので、周りを見下して心の安定を図っている」からだと気づいたのですね。素晴らしい自己分析だと思います。  持て余す感情に対して、うまくつきあっていくためには、理性しかないと僕は思っています。  つまりは、「どうして自分はこうするのか?」「どうしてこう感じるのか?」を突き詰めていくしか、賢く生きる道はないと思っているのです。  でね、どどさん。もう一歩踏み込んで、「どうして、性根が短気でプライドが高く負けず嫌い」なのか、考えてみませんか? 「そういう性格だから」というのは、あまり賢明な答えではないと思います。そういう性格になった理由を探ろうとしているのです。  ちゃんと自己分析できるどどさんですから、じっくり考えたら答えが出ると思います。ここで終わってもいいぐらいなんですが、それだと「ほがらか人生相談」にメールを送ってくれた意味がないでしょうから、僕の判断を書きますね。  どどさんが「性根が短気でプライドが高く負けず嫌い」なのは、「どどさんが自分自身に自信がないから」だと僕は思います。自分に自信がないから、他人にミスを指摘されると、自分自身そのものを否定されたような気持ちになって怒ってしまうんだと思います。短気でプライドが高く、負けず嫌いなのも、自分に自信がなく、常に不安で自分を守ろうとしているからだと思うのです。  だって、自信のあることや得意なことは、突っ込まれてもたいして動揺しないでしょう? どどさんは何が得意ですか? 高校時代、なにかクラブ活動してました? もしバスケが得意だったら、ミスの指摘もアドバイスもちゃんと聞いたんじゃないですか? でも、もしライバルが現れて、レギュラーから補欠に落とされそうになったら、不安になって、ミスの指摘にいらついたんじゃないですか?  そうするとね、どどさん。この性格を変えていくためには、「自分に自信を持つこと」となります。  自分に自信を持てば、短気でもなくなり、ミスを指摘されても簡単には怒らなくなるんじゃないでしょうか。  え? そんなことができたら苦労はしない? たしかに「自分に自信を持つ」ことは、先進国の中で、「自尊感情」がトップレベルで低い日本人には、なかなか難しいことです。でも、そうなることが、一番確実な解決方法だと思います。  では、どうしたら「自分に自信を持てる」ようになるかですね?  それは、職場でひとつひとつ「勝ち味」を積み重ねていくことだと僕は思います。「成功体験」とか「自分をほめること」と言ってもいいです。どんなに小さなことでもいい、誰かの「ありがとう」とか「助かります」なんていう感謝の言葉でもいい、毎日、ちゃんと会社に遅刻しないで行っていることでも、満員電車に耐えていることでもいい、とにかくなんでも自分をほめる理由を見つけて、自分自身でかみしめるのです。それが「勝ち味」です。  もし、どどさんが毎日毎日、失敗ばかりして怒鳴られていたら、この方法は難しいです。でも、普段はちゃんと仕事をしていて、たまにミスをするぐらいなら、普段ちゃんと仕事している自分をうんとほめるのです。ほめて、自分に自信をつけていくのです。自分へのご褒美も忘れないように。毎朝、ちゃんと起きている自分をほめるために、美味しい物を食べるとか、スーパー銭湯に行くとか、マッサージを受けるとか、ご褒美をかみしめてください。  そうすれば「周りを見下して心の安定を図」る必要もなくなると思います。  時間はかかりますが、これが一番確実な「ミスの指摘に簡単に不機嫌にならない方法」だと僕は考えます。どどさん、どうですか? ■本連載の書籍化第3弾!『鴻上尚史のますますほがらか人生相談』が発売中です!

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    佳子さまの装いは「満点以上」とマナー解説者が絶賛 耳を出したハーフアップにした理由とは

     森林づくりの功労者を表彰する「第31回森と花の祭典―みどりの感謝祭式典 “感じよう みどりの恵みと 木のぬくもり” 」の式典が7日、東京都千代田区で行われ、秋篠宮家の次女・佳子さまが出席された。前回は姉の小室眞子さんが出席し、コロナ禍で3年ぶりの式典となった今回は佳子さまが初めて臨まれた。そのときの佳子さまの装いが「壇上のフラワーアレンジメントとマッチしてすごい!」という。 *  *  *  写真を見れば一目瞭然、その日の佳子さまの装いは、まさに「華」があった。 「グリーンがベースでピンクと白い花柄の刺繍があしらわれたセットアップに、同系色のノーカラージャケットを羽織られていました。足元はベージュのパンプス、手元には小ぶりのベージュのクラッチバックと白の手袋をお持ちになっていました。髪型は耳をしっかり出し、後ろでまとめたハーフアップにパールのイヤリングにパールのネックレスをされていました」(皇室記者)  この装いと身だしなみを「満点以上の高得点」と絶賛するのは大手企業のマナーコンサルティングを長年務めるマナー解説者の西出ひろ子さん。西出さんがまず挙げるのが髪型だ。 「まず髪型ですがハーフアップにしていらっしゃって、耳を出すというのは、すっきりときちんとした印象になるのと、おじぎをしたときに髪が顔にかかることがない。だらりと髪の毛が顔にかかるのは、清楚感や清潔感に欠けると思う方もいるのでハーフアップというのはとても大事ですね」  続けて、その装いも素晴らしいと言う。 「お若い方がカチッとしたフォーマルを着てしまうと年齢よりもかなり老けて見えたり、服に着られてしまう感じになるのをレースの花柄のモチーフのセットアップが解消しています。とても、可愛らしく、でもきちんとした印象もある素敵なフォーマルの装いだと思いました。また、ピンクにグリーンの差し色もあり、“みどりの感謝祭”への気持ちを表すのにぴったりです」(西出さん)  さらに、西出さんが感心したポイントが靴とバッグの色選び。 「一番感心したのはパンプスとバッグの色を同色にしていること。これは、フォーマルなマナーで重視されていることです。基本的なことですが、あまり浸透していないことなので、佳子さまはさすがだと思いました。足元にベージュを選ばれているのも素晴らしい。全体的な色味から黒い靴や茶色の靴は合わせないと思いますが、今回の佳子さまのような淡い色の服に黒い靴を合わせている方も正直多いです。統一感のあるベージュになさっていることで高得点過ぎるといいますか、身だしなみというマナーにおいて満点以上の着こなしです!」(西出さん)  さらに、佳子さまは、式典の壇上にある花も味方に付けていた。 「ステージに飾られた生花が佳子さまのジャケットの下のセットアップの色合いに合わせられたようでした」(皇室記者)  1枚目の写真が生花を背にした佳子さまだが、たしかに「華」がある。ここ数年、秋篠宮家と言えば眞子さんの話題ばかり取り上げられることとなってしまったが、佳子さまのファッションから紐解くとしっかり大人の階段を上っているようだ。年代を追って振り返ってみる。 【1】姉妹でお揃いコーデが定番だった 2007年8月31日、佳子さまと遊ぶ、もうすぐ1歳をむかえられる悠仁さま。この時12歳の佳子さまは眞子さま(当時)と似た感じのジャケットスタイルで初々しい。佳子さまがもっと幼い頃は姉妹で全身同じコーデだったり、色違いのワンピースだった。 【2】佳子さまのファッションに変化が! 2007年御用邸近くの葉山しおさい公園を訪れ、日本庭園の池の鯉に餌を与え楽しげな佳子さまと眞子さま(当時)。この頃から、姉妹お揃いからは卒業!? 真っ白なダウンにミニスカート、足元はボアブーツで。姉の眞子さまのセーターがトラディショナルなアーガイル柄のタートルなのに対し、妹・佳子さまは襟元ゆったりなタートルが対照的。 【3】グッとおしゃれ度が増しカジュアル路線に 2012年9月6日で6歳になった秋篠宮家の長男・悠仁さまと眞子さま(当時)と佳子さま。この年に大流行したダンガリーシャツにパッチワークのワンピースを合わせたスタイル。ダンガリーシャツは裾を結んでご自分なりのアレンジをきかせている。当時は、赤文字系ファッション誌できれいめファッションが取り上げられた最後の年で、その後、ナチュラル・カジュアルへ転換していったのがこの頃。 【4】同じ入学式スタイルでもこんなに違う 左は2013年4月学習院大学文学部教育学科へ入学式に向かう佳子さま。右は2015年、前年にAO入試で合格した国際基督教大学教養学部アーツ・サイエンス学科の入学の1枚。スーツは同じだが、高校卒業後すぐの入学式とその2年後、真っ黒ストレートヘアから少し明るい髪色でふんわり毛先を遊ばせたスタイルに変身している。 【5】母と娘たちコートの着こなしも様々 2017年2月28日ベトナムへ出発する天皇、皇后両陛下(当時)を見送る紀子さま、眞子さま(当時)、佳子さまは3者3様のコートスタイル。佳子さまはダブルブレストコートでウエストに切り返しがあり脚長効果も。つばがやや広めのしっかりした帽子で小顔効果もありスタイルよく見える。 【6】真っ白なワンピーススーツで外国訪問へ 2019年9月15日オーストリアとハンガリーを公式訪問するため、羽田空港を出発する秋篠宮家の次女佳子さま。光沢のある真っ白なワンピーススーツで清楚な感じもしつつ、程よいフレアスカートでかっちり過ぎず23歳らしいフレッシュな印象に。よく見るとストッキングもナチュラルベージュではなく光沢がある白っぽいものにしていて、そのコーデは完璧過ぎる! 【7】アイテムのチョイスが絶妙 2019年12月の25歳のお誕生日前に公開された秋篠宮邸の庭を散策する佳子さま。佳子さまが着ているダッフルコートと言えば紺色かキャメルカラーが定番。それを鮮やかなスカイブルーで、しかもショート丈のチョイスはかなりのオシャレ上級者!? 写真では見えにくいがワイドパンツとのコーデをしていて年齢相応の大人カワイイも演出。 【8】「姉が主役」のため落ち着いた装い 2021年10月26日眞子さま(当時)を見送る秋篠宮ご夫妻と佳子さま。あまりに有名になってしまった姉妹のしばしのお別れのシーンだが、嫁ぐ姉に寄り添う佳子さまはグッとシックな装い。「この日は姉が主役」とTPOをわきまえられた気持ちの表れも感じられる。  前出の西出さんは、着こなしにはTPOをわきまえることの大切さを指摘する。 「身だしなみや服装において、一般的に大事なことはTPOです。私はマナーの専門家として“P”をさらに2つ加えていてTPPPOと言っております。TはTIME(時間)、PはPLACE(場所)、私が加えるPの一つ目はPERSON(人)。どんな人と一緒にいるか、どんな相手と接するのかによって服装や身だしなみが変わります。もう一つのPはPOSITION(立場)です。例えば、結婚式の服装で言うと、親族なのか友人なのか立場で変わりますよね。この2つのPがとても大事なのかなと思っています。佳子さまの今回の式典の話しに戻すと、今回の“みどりの感謝祭”というのは、樹木や草花を大切にしていく気持ちが、しっかり服装に表れていたなと思いました」(西出さん)  佳子さまの今回の装いを見ても、ファッションの変遷をたどってみてもなかなかの上級者なのかもしれない。(AERAdot.編集部・太田裕子)

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    「ちむどんどん」と「まれ」に共通点多い? ウォッチャー「『まれどんどん』では?」

     漫画家&TVウォッチャーのカトリーヌあやこ氏が、「ちむどんどん」(NHK総合 月~土8:00~[土曜は1週間の振り返り])をウォッチした。 *  *  * 「ちむどんどん」とは、沖縄方言で「胸がわくわくする」こと。沖縄本島・やんばる地域を舞台に、料理人になることを夢見るヒロイン・比嘉暢子(黒島結菜)を描く朝ドラだ。  さてどれほど視聴者のちむがどんどんするかと思えば、まず父・賢三(大森南朋)が借金を残して急死。東京に住む賢三の叔母からの「兄妹の一人を引き取る」という申し出に、ヒロインが名乗り出る。  家族と涙のお別れよ……と、思いきや結局行かずに7年後。さぁ借金どうなった? なんの説明もないまま、働かずにフラフラしてる兄・賢秀(竜星涼)がまた借金。  その上詐欺でお金はパー。かばう母親(仲間由紀恵)、東京に行きたいというヒロイン。姉ちゃん(川口春奈)前借り、母ちゃん前借り。やめて朝からこの貧困スパイラル。  沖縄の海と空は美しいけど、見てるこっちは「ちむもやもや」。どうもスッキリしないこの感じ、あの朝ドラを思い出すのだ、それは「まれ」。  まれ(土屋太鳳)は「地道にコツコツがモットーで夢見ることが苦手」という触れ込みながら、まったくコツコツせずに夢まっしぐらの恐るべきヒロインだった。  ケーキ職人になりたいと言いつつ、市役所に就職。しかし半年で退職し横浜でパティシエ見習い始めたと思えば、結婚し地元で漆器工房の女将(おかみ)修業を始めるやいなや、自らケーキ店を開店したものの産休で閉店。行き当たりばったりにもほどがある、ツッコ「まれ」状態。しかしどこか似ている「まれ」と「ちむ」。まずサブタイトルが食べ物しばり。 「卒業ロールケーキ」「さよなら桜もち」が「まれ」ならば、「別れの沖縄そば」「青春ナポリタン」が「ちむ」。どちらも高校時代に料理(ケーキ作り)バトルに参加する。  さらに身内(「まれ」は父、「ちむ」は兄)が金で問題起こし即失踪。第二の舞台が神奈川県・横浜というのも同じ。もうこれ「まれどんどん」では?  このままいけば暢子は料理人修業をしたのち沖縄に戻って、やちむん工房の女将(存在するんでしょうか?)やりつつレストラン開くよ。 「あさイチ」で朝ドラ受けをする博多大吉先生も困惑顔で「あの家族いったん落ちついて。やらないかんこと書き出して!」と言ってたけど。まず製作スタッフが、やらないかんこと書き出して! カトリーヌあやこ/漫画家&TVウォッチャー。「週刊ザテレビジョン」でイラストコラム「すちゃらかTV!」を連載中。著書にフィギュアスケートルポ漫画「フィギュアおばかさん」(新書館)など※週刊朝日  2022年5月27日号

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    11時間前

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    優秀な「外交官」に大学中退者が多いのはなぜ? 国家公務員合格者の出身大学ランキング

     国家公務員総合職は「キャリア」「エリート官僚」といわれ、難関大学の学生から人気が高い。彼らは国の重要な政策立案を担う、中央省庁の将来の幹部候補だ。国会議員が答弁する際、後方から助言する姿をよく見かける。国会の答弁でも、官僚は重要な役割を果たす。  国家公務員総合職試験合格者数(2021年)のベスト5は、東京大362人、京都大142人、早稲田大98人、北海道大82人、岡山大78人だった。 ■東京大に陰りが見えはじめた  なぜ、東京大はそれほど強いのか、それは大学の成り立ちと関係がある。東京大の前身である帝国大の役割は「帝国大学ハ国家ノ須要ニ応スル学術技芸ヲ教授シ……」(帝国大学令)とある。「須要」とは、「なくてはならないこと」、つまり、国家に必要なことに応えるための専門分野を教え、もっと平たく言えば政策を考える専門家を養成、ということになる。  こうして東京大は戦後も半世紀以上にわたってトップの座に君臨してきた。そして多くの官僚を生んだ。  しかし、2010年代半ばから陰りが見えはじめた。  東京大からの合格者数は2015年459人→16年433人→17年372人→18年329人→19年307人→20年249人と右肩下がりを示している。21年は362人と100人以上増やして持ち直した。だが、2000年代までは500人を超えていたので、いまはかなりの低水準にあるといえるだろう。  これには、さまざまな理由が取りざたされている。  国会答弁作成などで徹夜仕事の連続を強いられても、それに見合う給料をもらっていないこと。20代、30代のうちに働きがいがないと感じること。中央官庁で不祥事が続き、国会で対応する官僚のしどろもどろな様子や、国民の疑問に答えようとしない様子が報じられること、などだ。  とくに「森友・加計学園」をめぐる問題での財務省担当者の対応が、官僚志望の学生を失望させたことは想像に難くない。  では、これまで国家公務員総合職試験を受けていた層はどこへいったのだろうか。東京大関係者によれば、外資系銀行やコンサルティング企業に流れたといわれている。一部上場企業より大きな仕事を任される、20代のうちから自分の力を発揮できる、そして待遇が良い、といわれるからだ。  国家公務員総合職試験合格者数で前年より合格者数が増えた大学に、地方国立大学もいくつか見られた。4位北海道大(69人→82人)、5位岡山大(56人→78人)、9位千葉大(24人→59人)、9位九州大(47人→59人)など。  一方、国家公務員一般職試験合格者は省庁内で「ノンキャリア」と呼ばれている。彼らは特定分野で専門知識を持ち、経験も豊富ゆえ、「○○の神様」「○○の天皇」と尊敬される人たちもいる。出身校は広島大、岡山大、山口大など地方の国立大学のほか、早稲田大、明治大、中央大、法政大、日本大など、大規模私立大学が多い。  こうした私立大学では、公務員対策講座が充実している。  明治大の行政研究所では公務員試験対策講座を開いている。国家公務員総合職、一般職、地方公務員の採用試験向けだ。大学の正規授業ではない。課外の特別講座として各学年で平日夕方1時間の講義を行い、大学の授業料とは別に受講料として年間6万6000円(3年次は13万2000円)かかる。  安いとまではいえないが、公務員予備校に比べれば半額以下だ。学内にダブルスクールが設置されたといっていい。中央大にも同様な課外有料講座がある。 ■外交官に「大学中退者」が多い理由は?  国家公務員の採用では、これらの総合職、一般職とは別に、外務省専門職員の採用試験がある。高い語学力を生かし、関連する地域の社会、文化、歴史などに通じた地域の専門家を登用する試験だ。一方、国家公務員総合職試験に合格して外務省に入り、順調に出世すれば、将来、同省幹部そして海外での日本国特命全権大使になることが約束されている。「外務省キャリア官僚」と呼ばれる。  外務省に勤務すれば家族が海外で生活する機会が増え、子どもは外国語を習得する環境に置かれる。外国人との交流で「国際感覚」を身につけることもあろう。親子2代続けて外交官というケースはめずらしくない。最も有名なのは小和田恒さん、小和田雅子さん(現・皇后)親子であり、いずれも東京大出身だ。  外務省総合職試験の合格者を大学別にみると、毎年東京大が10~20人、他大学は1~4人だ。したがって同省事務次官、審議官、欧米主要国の大使は東京大出身者がズラリと並ぶ。私立大学はかなり少数派だ。  こうしたなか2010年代、外務省事務次官、駐米大使を歴任した杉山晋輔氏は早稲田大出身である。なお、卒業はしていない。その昔、外務省の採用試験は国家公務員試験とは別に行われており、大学3年で合格すれば卒業資格を必要とされず入省できたため、優秀な外交官には「中退」がたくさんいる。  ほかには、飯村豊氏、齋藤泰雄氏が東京大、小松一郎氏(以上、駐仏大使など)が一橋大、藤崎一郎氏(駐米大使など)が慶應義塾大、薮中三十二氏(事務次官、シカゴ総領事など)が大阪大を中退している。  現在、外務省採用は国家公務員総合職試験に統合されたため、大学卒の資格が必要となり、大学中退で外務省キャリア官僚が生まれることはない。  外務省専門職員試験合格者は東京外国語大のほか、大阪大、上智大など外国語学部がある大学が多い。  2007年、大阪大は大阪外国語大と統合したことで、大阪大外国語学部からの外交官がいっきに増えている。  創価大は2008年から21年までの14年間で11人の合格者を出している(08、12、19年は合格者なし)。同大学は2014年法学部に「国際平和・外交コース」をスタートさせ、こう鼓舞している。 「外交官をはじめ、国際機関、グローバル企業など、グローバル・キャリアの養成に一層力を入れていきます。あなたも法学部で外交官を目指し、世界に羽ばたきませんか!!」(創価大ウェブサイト2016年9月21日)  なお、外務省専門職員試験合格者のなかでもっとも有名な言論人がいる。作家で同省主任分析官をつとめた佐藤優さんで、同志社大出身である。  (教育ジャーナリスト・小林哲夫)

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    14時間前

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    中日助っ人は大活躍の直後に「退団」 “優良”だったのに日本を去った外国人選手たち

     チームの浮沈のカギを握る外国人選手は、活躍すれば翌年も契約が更新されるが、成績不振の場合はたった1年で解雇というパターンが、ほぼお約束だ。  その一方で、そこそこ活躍したのに、諸々の事情から、わずか1年で日本を去った助っ人も少なからず存在する。  代表的なのが、1987年のボブ・ホーナー(ヤクルト)だ。  当時は珍しかったバリバリの現役メジャーとして4月末に来日すると、最初の4試合で11打数7安打6本塁打という驚異的な成績を残し、“ホーナー旋風”を巻き起こした。  最終的に出場93試合で打率.327、31本塁打、73打点を記録し、観客動員数アップにも大きく貢献したとあって、球団側も3年契約の総額15億円の条件で引き留めを図ったが、ホーナーは環境になじめない日本よりも本国でプレーすることを望み、年俸1億円でカージナルスと契約した。  だが、メジャー復帰後は左肩を痛めて60試合出場の3本塁打に終わり、たった1年で戦力外に。そこで翌89年、再びヤクルトに売り込んだが、“商品価値”の下落に加え、すでに外国人枠が埋まっていたため、断られてしまい、間もなく現役引退を発表した。  ヤクルトといえば、93年に入団したレックス・ハドラーも、打率3割をマークしながら、たった1年でクビになった。  勝負強い打撃が売りのハドラーは、同年5月19日の広島戦で16対16の延長14回にサヨナラ打を放つなど、一時はセ・リーグの首位打者争いにも名を連ね、“恐怖の8番打者”と呼ばれた。  また、雨で試合が中止になった日の余興としてミミズやアリを食べ、「グッド・テースト」「グッド・フレーバー」を連発。これらの悪食は、試合中止でネタに困った報道陣へのサービスという意味合いもあったようだ。  同年は打率.300、14本塁打、64打点を記録し、チームのV2に貢献したが、守備の不安や長打力不足がネックとなり、オフになっても、球団側は残留→解雇→残留→自由契約と二転三転し、なかなか結論を出せない。  11月末、帰国して膝の治療を受けたハドラーから「来季のプレーに支障がない」と連絡が入ると、ようやく再契約に向けて交渉を始めることになったが、その矢先、前巨人の長距離砲、ジェシー・バーフィールドの入団が内定したことから、ハドラーは押し出される形で自由契約になった。  ところが、バーフィールドもアストロズとの二重契約問題でまさかの獲得断念。ここでもハドラーは代役としてお呼びがかからず、入団したのは、ジェラルド・クラークだった。  そのクラークも、翌94年は打率.293、20本塁打とそこそこの成績を残しながら、1年で解雇されている。  ベストナインに選ばれたのに、1年限りで退団したのが、90年の中日・バンスローだ。  ファーストネームの「バンス」にファミリーネームの「ロー」をくっつけてフルネームがそのまま登録名になった助っ人は、酒もタバコもやらない敬虔なモルモン教徒だった。  家族思いでも知られ、5月23日の巨人戦では、夫人と4人の子供をナゴヤ球場に呼び、「今日はドアラ人形を貰ってあげるよ」と約束。その言葉どおり、斎藤雅樹から8号ソロを放ち、賞品のドアラ人形をゲットした。  その後も7月8日の阪神戦で4打数3安打5打点を記録するなど、落合博満のあとの5番として活躍し、打率.313、29本塁打、78打点の好成績で、三塁手部門のベストナインに選ばれた。  星野仙一監督も「来季は3番」と期待したが、8歳の長女が脳腫瘍で闘病中だったことから、帰国後の11月19日、「家族との時間を優先させる」と退団を申し出、アスレチックスと契約。「本当に痛い」と星野監督を残念がらせた。  特大の場外弾を連発したにもかかわらず、1年で解雇されたのが、90年に大洋入りしたジョーイ・マイヤーだ。  後に横綱に昇進した曙の従兄弟としても話題になった助っ人は、練習時間の長い日本にあっても、“郷に入っては郷に従え”でキャンプから手を抜くことなく、まじめに調整を続けた。  その甲斐あって、4月7日の開幕戦、中日戦で4番デビューをはたし、西本聖から来日1号を放ったが、好事魔多し、4月中旬に肋骨骨折で離脱してしまう。  しかし、復帰後の5月19日の広島戦では、球場の外を歩いていたカップルを仰天させる推定140メートル場外弾を放ち、8月29日のヤクルト戦でも、横浜公園まで届く推定160メートル場外弾を記録した。  さらに9月15日のヤクルト戦では、こけら落としとなった勝田市民球場の第1号となるシーズン26号を放ち、リーグトップの落合まで3本差に迫った。  ところが、これからラストスパートというときに左足を骨折し、残り14試合を棒に振ってしまう。  出場104試合で打率.275、77打点と助っ人として及第点の成績を残したものの、4月の肋骨骨折、6月の左足関節捻挫に続くシーズン3度の故障は、大きなマイナス材料となり、ロバート・レイノルズの獲得で外国人枠からはみ出て、解雇された。  大洋は92年に打率.308、26本塁打を記録し、100打点で打点王を獲得したラリー・シーツも契約面で折り合わず、1年で退団。当時の大洋は、毎年のように優良助っ人が入団してきたので、見切りも早かった。  2000年代では、2000年に西武入りしたトニー・フェルナンデスも、ハンマーで素振りをするなどのユニークなトレーニングで話題を呼び、リーグ4位の打率.327をマークしたが、38歳という年齢から、これまた1年で日本を去っている。(文・久保田龍雄) ●プロフィール久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」(野球文明叢書)。

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    眞栄田郷敦「ダンスは苦手。歌もうまくない」でも、「めっちゃ頑張る」心構え

     5月16日から始まるNHKの夜ドラ「カナカナ」で主演を務める眞栄田郷敦さんがAERAに登場。映画「小さな恋のうた」で2019年に俳優デビューし、「カナカナ」で地上波初主演に挑戦する。AERA 2022年5月23日号から。 *  *  *  郷敦という名は父・千葉真一の筆名「GORDON」からだという。漢字の由来がずっと気になっていた。 「僕も母に聞いたんですが、『当て字』と言われました。物心ついた時からこの漢字なので、自分では『画数が多いな』くらいにしか思っていません(笑)」  高校生まで音楽一筋。俳優には興味がなかった。父や兄(新田真剣佑)の出演作も知らず、映画もドラマも見ない生活。サックスのソリストとして学び、将来は演奏家になるつもりだった。ところが、東京藝術大学に不合格。  失意の中で、父が兄の出演映画を見に誘ってくれた。それを機に新たな道が拓かれた。映画「小さな恋のうた」の脚本が送られてきて、父に促されるまま、オーディションとも顔合わせとも思える場で本読みすることに……。 「『もう断れないじゃん!』みたいな状況だったんです(笑)。俳優になると心を決める前に進んでしまった、というのが正直なところ。父が誘導した? 聞いたことはないですが、多分、そうなんでしょうね」  デビュー作をきっかけに、俳優として進む覚悟を決めた。 「僕は器用ではありませんが、努力した分、成果が出ることが好きなんです。デビューしてから、演技は難しいな、できないことも多いなと思っていたのですが、昨夏の『プロミス・シンデレラ』から、やっと楽しいなと思えるようになりました。まだ新人なので、監督も新人の方と一緒に仕事をしてみたい。ぶつかり合いながら作品を作って、評価されたら楽しいだろうなと思っています」  明るくこうも言う。 「ダンスは苦手。歌もうまくないです。アイドルは絶対できません(笑)」 苦手と言いつつ、ドラマのためとなればダンスにも挑戦する。 「今は全然できませんが、ミュージカルに出るとなったら、めっちゃ頑張ると思います(笑)」  自分がいるべき場所を見つけ、仲間を重んじて進む──。そんな彼の話は「郷敦」という名前とぴったり重なった。 (フリーランス記者・坂口さゆり) ※AERA 2022年5月23日号

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    「鉄鎖の女性」が浮かび上がらせた現代中国の闇 誘拐と人身売買の悲惨な現実

     中国の農村で首を鎖につながれた女性が発見された。北京五輪の開催直前に発覚したその事件が中国社会に与えた衝撃は大きい。AERA 2022年5月23日号の記事から紹介する。 *  *  * 「一歩まちがえれば、鎖につながれていたのは自分だったかもしれない」  同情と憤りと共に、中国の女性たちからそんな声が噴き出し、SNS上にあふれた。  中国東部の江蘇省徐州市豊県で撮影された動画がネットに拡散し始めたのは、1月下旬のことだった。  動画には、農村にある粗末な小屋で、女性が閉じ込められている姿が映っていた。  真冬の寒々しく汚い場所で、女性は薄着のまま首に鎖を巻かれていた。歯はほとんど抜け落ち、話しかけられても相手とうまく意思疎通ができないようにも見える。女性は保護され、病院に収容された。  中国の人びとは、この動画に大きなショックを受けた。女性が“夫”とされる男との間に8人の子どもを持ったあと、こうした境遇に置かれていたことも、衝撃に拍車をかけた。  50代の“夫”は、動画アプリ「TikTok(ティックトック)」の中国国内版「抖音(トウイン)」で、子だくさんの父親として自らをアピールしていた。地元ではちょっとした有名人で、企業の宣伝にも起用されたことがある。  動画は、そうして有名になった家庭の様子をSNSで公開しようと、この家を訪ねたとみられる男性が撮影したという。抖音に投稿されて広がり、誘拐や人身売買、性的暴行の被害者ではないか、という疑いの声が一斉にわき上がった。 「鉄鎖の女性」。女性はそう呼ばれるようになった。 ■「一人っ子政策」の影  中国では1980年代、女性の誘拐と人身売買が深刻な社会問題になった。 「一人っ子政策」の影響で男女のバランスが崩れ、女性より男性の数が多くなった農村部で、連れ去られた女性が貧困層の男性と結婚を強いられる事例などが伝えられてきた。  事件の現場となった徐州とその周辺は、そんな誘拐の被害に遭った女性が少なくないと指摘されてきた地域でもあった。  地元当局は1月28日、誘拐や人身売買を否定する調査結果を公表した。発表文には、女性には精神疾患があり、たびたび理由もなく子どもや老人を殴っていたというくだりもあった。  こうした説明は「虐待を正当化するのか」という反発を招き、内容にも疑義が相次いだ。  地元当局はその後、法律違反の疑いで“夫”を調べていると姿勢を一変させた。また、8人の子どもはDNA鑑定によって、女性と“夫”の実子であることが確認されたという。  2月10日には事件に関する4回目の発表があり、監禁の疑いで“夫”を拘束したことが明らかにされた。DNA鑑定の結果、女性は雲南省出身であることが判明し、女性を誘拐して売った容疑で、40代の女と60代の男も拘束された。  だが、世論はこの内容にも納得しなかった。鎖でつながれていた女性と、雲南省出身の女性とされる写真が、別人のものではないかといった指摘が一向にやまなかった。 ■何度も売り飛ばされる  ごまかしは許さないと市民らが目を光らせるなか、国営の中国中央テレビは2月17日、江蘇省が事件の調査に乗り出すと報じた。それまで調査にあたってきた県と市が一貫性のない説明を続け、県・市のレベルでは、真相を求める世論を沈静化させられないという判断があった模様だ。  江蘇省が2月23日に発表した調査結果によると、女性は44歳で、人身売買の被害に繰り返し遭っていたことが判明したという。豊県トップの共産党委員会書記の更迭など、17人の処分もあわせて公表された。  彼女はどのような経緯をたどって「鉄鎖の女性」にされてしまったのだろうか。発表では、おおむね次のような事情が明らかになった。  雲南省の出身地とされる場所は豊県と約2千キロ離れている。10代で結婚し、2年ほどで離婚。1998年はじめに江蘇省に連れて行かれ、5千元(現在のレートで約9万7千円)で売られた。女性を妻にしたいと考えた男が買い手だったという。  数カ月して行方不明になり、その後、河南省の食堂にいた女性を経営者夫婦が見つけ、1カ月後に近くの工事現場で仕事をしていた2人に売った。さらに別の人物を介して98年6月、女性は“夫”の父親に売り渡された。  女性は99年7月に長男を出産し、2011年から20年にかけて7人の子どもを産んだ。12年に第3子を出産して以降、精神疾患が悪化したという。今回の動画がきっかけとなり、“夫”は虐待の疑いで逮捕された。 「鉄鎖の女性」は、中国にはびこる誘拐と人身売買の闇を改めてクローズアップさせ、政府も対応を迫られている。 ■政府も対応に追われる  全国人民代表大会(全人代、中国の国会に相当)では3月、李克強首相が政府活動報告で「女性・児童の人身売買を厳重に取り締まり、女性・児童の合法的な権利・利益を断固として守る」との方針を示した。公安省は3~12月に、女性や子どもの誘拐、人身売買を集中的に取り締まるという。 「3年以下の懲役」と定められた人身売買の買い手に対する罰則は、軽すぎるのではないかという議論も起きている。売った側と同じく、買った側も最高刑を死刑にすべきだとの意見が聞かれる。  女性権益保障法の改正作業も進んでいる。「地方政府の職員らが業務の過程で女性の誘拐・人身売買の疑いがあることを発見した際には、速やかに公安機関に報告しなければならない」といった内容のほか、学校でのセクハラ防止、結婚・出産を理由にした女性従業員の昇進制限の禁止──などが盛り込まれる見通しだ。 「鉄鎖の女性」の事件は、21世紀のいま、経済発展をとげた中国でこんなことが起きうるのかという驚きの一方で、自分の身に降りかかっていても不思議ではなかったという思いを呼び起こした。  中国が威信をかけて2月に開催した北京冬季五輪と時期を同じくして、人権問題に焦点が当たる事態となった。 ■女性との差はわずか  筆者の印象では、五輪以上に社会の関心を集めたと言っても過言ではない。友人知人を含む中国の市民たちが、この事件に関してSNSに書き込んだ内容の真剣さと投稿量には、目を見張るものがあった。  五輪で国民的スターになった女子フリースタイルスキーの谷愛凌(アイリーン・グー)選手と対比させる投稿も目についた。米サンフランシスコで生まれ育ち、中国代表になった谷選手は三つのメダルを獲得した。 「谷愛凌を照らし、鉄鎖の女性を照らさないのなら、それは偽物の太陽だ」 「谷愛凌と鉄鎖の女性はほぼ同時に注目され、激しい落差を浮き彫りにした。一人は万能で、一人は犬のような生活」 「谷愛凌のような優秀な人間にはなれないけれど、私、娘、孫娘と鉄鎖の女性の差はほんのわずかだ」  いまも残る出産で女児より男児を好む傾向、男性の結婚難、女性の誘拐……。「一人っ子政策」などがもたらした社会の歪(ゆが)みは大きい。  その象徴として、鎖につながれた女性の姿は人びとの記憶に深く刻まれた。女性が誘拐され、売買される対象であることへの強い憤りも広く共有された。  中国共産党は昨年、結党100周年を迎え、みなが衣食住に困らず、まずまずの暮らしができる「小康社会」を実現したと宣言した。だがその足元には、「鉄鎖の女性」によって白日の下にさらされた農村の悲惨な現実が横たわっている。(朝日新聞瀋陽支局長・金順姫)※AERA 2022年5月23日号

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    12時間前

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    90分でも60分でもなく…「10分間のカセットテープ」が今一番売れているワケ

     カセットテープはこの先なくなってしまうのか。マクセル ライフソリューション事業本部の三浦健吾さんは「デジタル化で需要は落ちているが、長年ご愛用いただいているお客様がいる。今一番人気なのは“10分のテープ”だ」という。詳しく話を聞いた――。 1989年には年間5億本以上の需要があった  カセットテープが全盛期を迎えたのは、1980年代だ。背景には、1970年代にラジオ受信機とカセットテープレコーダーが一体となった「ラジオカセットレコーダー(ラジカセ)」が、一般家庭に普及したことがある。  ラジオ番組から流れてくるお気に入りの音楽を録音する「エアチェック」や、屋外にラジカセを持ち出して環境音を録音する「生録」など、カセットテープはさまざまな用途で使われるようになっていった。  その後も売り上げを伸ばし、バブル経済が絶頂を迎えていた1989年には国内で年間約5億本以上の需要があったという。  その後、CDやMDなどのデジタル録音ができる記録媒体が主流となったことで、カセットテープ人気は徐々に陰りを見せていった。  2000年代以降は、iPodに代表されるMP3音楽プレーヤーの登場に続き、インターネットを介した音楽のダウンロードやストリーミングといったデジタル音源が浸透してきたことで、カセットテープの需要は全盛期と比べると大きく減少してしまった。 コアなファンとシニア世代に根強い人気  しかし、スマホやPCで音楽を聴くのが一般化した現在でも、「カセットテープはコアなファンに愛され続けている」とマクセル ライフソリューション事業本部で事業企画部長を務める三浦健吾さんは話す。 「カセットテープは、深みのある音やアナログ特有の音質が特徴で、今のデジタル音源のように『0』と『1』の信号で統一された音質では味わえない独特の良さがあります。1970年代以降のカセットテープ全盛期を過ごしたオールドファンやシニア世代の方には、今でもカセットテープの存在はなじみ深く、根強い人気があると感じています」  マクセルは1966年にカセットテープ生産を始めた。市場の成長を牽引してきたことから、特に50~60代以降のシニア層には「マクセル=カセットテープ」のイメージが強く残っているという。  いち早く日本にカセットテープの需要を作り、時代とともに移り変わるニーズに合わせて「ハイポジション」や「メタルポジション」といった技術を発展させるなど、マクセルブランドを着実に築き上げてきたわけだ。 一番売れているのは「10分テープ」  現在は、全盛期に比べ需要が減っていることもあり、同社が販売しているカセットテープは「UR」シリーズのみとなっている。  それも、カセットテープ全盛期に見られた150分や120分のテープは取り扱っておらず、90分から10分までの4種類のタイムバリエーションで展開しているそうだ。 「全盛期に比べてカセットテープの需要が見込めなくなったことで、品質の高いテープ原反の入手も難しくなっており、現在は90分、60分、20分、10分と4種類のタイムバリエーションに絞っています」  そんななか、4種類の長さのうち「10分テープ」が意外なニーズにはまって一番人気を誇っているという。  それがシニア世代を中心としたカラオケ需要だ。 「カセットテープが登場した頃は、60分や90分が主流でしたが、1980年代にカラオケブームが盛り上がりを見せ、その需要に応えるために10分のカセットテープを発売しました。歌を練習するのに、10分という長さはちょうど良く、さらには巻き直しも楽なのでカラオケの練習に都合がいい。その名残が今でもあるため、シニア世代を中心に10分テープが最も多く売れているんです。また、テープレコーダーも再生ボタンを押すだけのシンプルな操作で手間いらずなので、スマホなどの最新機器に慣れていないシニア世代でも使いやすいというのが、支持されている理由だと考えています」 「ニッチな需要」に応え続けたい  そのほか、英会話の勉強やカラオケ大会へ提出する際のデモ音源など、シニア世代の勉強や娯楽目的に10分テープは有効活用されているという。  しかし、コロナ禍の影響でカラオケの需要が減っていることもあり、苦しい状況に立たされているのは否めない。  三浦さんは「新型コロナウイルスの影響で生活様式も変化し、直近では復調の兆しが見えてきているので、これからもできるだけニッチな需要に応えられるようにビジネスを継続していきたい」と話す。  カセットテープ自体は全盛期ほどの勢いにはないものの、近年の「昭和レトロ」ブームや70~80年代に流行した「シティ・ポップ」が再評価されていることで、若年層にもカセットテープの“真新しさ”が注目されてきている。 若年層にもカセットテープの魅力を訴求する  マクセルもカセットテープの需要を喚起すべく、マーケティング手法を変えている。昔のように大々的にテレビCMを打つのではなく、若者に受け入れられるような工夫を凝らして、カセットテープが根絶しないように企業努力をしているそうだ。  「最近では、音楽アーティストがカセットテープで楽曲を出すなど、アナログへの回帰が注目されていると思っています。デジタル音源やストリーミングにはない味のある音や、カセットテープならではの懐かしさを楽しむコアな音楽ファンにも見直されてきていると感じています。こうした状況を踏まえて、2020年には若年層に手に取ってもらえるようなパッケージのデザインに刷新し、試行錯誤しながらカセットテープの魅力を絶やさないように努力しています」 アナログもデジタルも、顧客満足度の高い製品開発を続けたい  インターネット環境が急速に広まり、テクノロジーが進化したことで、情報の記録はクラウドサーバーでの管理が当たり前になった。  それでも、カセットテープやCD、MD、DVDといったハードウェアの記録媒体もしばらくは残り続けることだろう。  全国の量販店のPOSデータをもとに、パソコンやデジタル家電関連製品の年間販売数No.1を決める「BCN AWARD」という賞(※)がある。マクセルはCDメディア部門、DVDメディア部門、BDメディア部門の3部門で5年連続年間販売台数シェアのトップを誇っている。 ※BCNが全国の量販店のPOSデータを日次で収集・集計した「BCNランキング」に基づき、パソコン関連・デジタル家電関連製品の年間(1月~12月)販売台数第1位のベンダーを表彰するもの。  いわば記録媒体のリーディングカンパニーとして、今後も記録メディア事業をライフソリューション事業部のひとつの顔として据えながら、コンシューマー事業を展開していくという。 「記録メディア事業はマクセルにとってルーツであり、今後もお客様のニーズに合わせて顧客満足度、価値の高い製品を提供していければと思っています。それが長年トップでやってきている会社の使命であり、市場の牽引役としてこれからも尽くしていきたい。また、弊社としては除菌消臭器やシェーバーなどの健康・理美容製品が新しい事業の柱にもなっているので、お客様のライフスタイルや志向が多様化するなか、お客様の声に真摯に向き合い、柔軟に対応をしていきながら、アナログからデジタルまで顧客満足度の高い製品開発を行っていきたいと考えています」 古田島 大介(こたじま・だいすけ)フリーライター1986年生まれ。ビジネス、ライフスタイル、エンタメ、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている。

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    4630万円誤送金で脚光浴びた「フロッピーディスク」 絶滅どころか公的機関でいまだ“現役”の事情

    「えっ、いまだにフロッピーディスクを使っているの?」  そう思った人も少なくないだろう。  山口県阿武町で誤って1世帯に4630万円を振り込んだ、いわゆる誤送金問題。18日夜、県警は同町の田口翔容疑者(24)を電子計算機使用詐欺容疑で逮捕したが、誤送金に至る過程で、町役場から銀行に依頼データの入ったフロッピーディスク(FD)を渡したことが報じられると、「旧石器時代」「時代遅れ過ぎる」など、驚きや嘆きの声がSNSに上がった。ところが取材してみると、絶滅していたかのように思われたFDは、一部の中央省庁や役所、銀行、企業ではいまも日常的に使われていることがわかった。それぞれの事情を聞いた。 *   *   *  山口県阿武町からFDでの振り込みを依頼された山口銀行などを傘下に持つ「山口フィナンシャルグループ(FG)」にたずねると、「山口銀行は、FDなどによる振り込みおよび口座振替依頼データの授受については昨年5月末日を持って廃止させていただいております」と言う。  ところが、山口銀行はFDによる振り込みデータの受け渡しを現在も行っている。なぜか。 「新規の受付は行っておりませんが、既存のお客様から、FDでの振り込みを継続させてほしい、というご要望があれば、対応せざるを得ないという状況です」  山口銀行は、これまでFDで振り込みを依頼してきた顧客に対して、同行のインターネットバンキングを通じて振り込みをしてもらえるように交渉してきた。 「ただ、昔からずっとお取引していただいているお客様の利便性の観点からすると、FDを廃止するのは難しい側面があります」  担当者はすんなりとはいかない事情を、そう説明する。 ■東京の区役所でもFD  一方、東北地方のある銀行によると、FDでの引き落としは「公官庁から依頼されることが多い」と関係者は言い、こう続ける。 「県内では、市役所や町村役場でFDを使っているところが多いです。税金や国民年金、国民健康保険料の引き落としなどです。そんなわけで、私どももそれを引き受けざるを得ませんでした」  この銀行では半年ほど前から県内の各市町村に打診して今年中にFDの取り扱いを終了し、すべてインターネットバンキングに切り替える予定だ。 「理由としては、FD自体を新しく購入するのが困難になってきたこと。それから銀行に置かれた読み取り装置のメンテナンスが難しくなったこと。万が一、故障してしまったら、市町村の担当者の方が窓口に来られても手続きが滞ってしまいますから。そんなわけで、FDの取り扱いを終了させていただくことになりました」(同)  知るほどに驚く、FDの“現役”利用。だが、それは地方の市町村だけではない。  東京都千代田区は今年3月まで介護保険や障害者介護、生活保護に関する給付金の振込みにFDを使用していた。使用を終了した理由を会計室の担当者にたずねると、こう説明する。 「これまでFDを繰り返し使ってきたのですが、いずれ破損したり経年劣化で使えなくなったりすることも考えられます。もうメーカーもFDの製造を打ち切ったという話も聞いておりました。それらもあって使用を徐々に縮小し、昨年度末をもって、最終的にFDの取り扱いをやめたわけです」  ちなみに、国内大手のFDメーカーだったソニーが国内販売を終了したのは、2011年3月である。もう10年以上前のことだ。 「FDはいまとなっては記憶容量が少ないですし、持ち運びの際にどうしてもセキュリティーの問題も生じます。これからは庁内の端末に入力したデータはインターネット経由でやりとりを行います」(千代田区担当者) ■行政サービスの一環として  霞が関の中央省庁もFDを使っている。その一つが、厚生労働省だ。  厚労省は医薬品や医療機器メーカーから送られてきた製品に関する申請書類を審査する。そこでいまも続けられているのが書類データをFDで提出する「FD申請」だ。 「制度の名称としては『FD』とありますが、実際、9割9分はCDかオンラインの申請です。過去の名残というか、通称として『FD申請』という名前が使われています」  同省医薬品審査管理課の担当者はそう説明するが、こうも胸の内を明かす。 「ただ、こちらとしてはせめてCDで出してくださいとお願いしてはいるんですけれど、『どうしてもCDは使えない』という方が、ごく少数ですがいらっしゃいます。行政サービスとしてはうちのFDドライブが生き続けるかぎりはFDを受け付けざるを得ないという事情があります。できれば、持ち込まれるメディアはCDに統一したいのですが、メーカーさんのことを考えると、世の中からFDが枯渇するまでは止められないですね」  FD本体は極めて薄い磁気記憶媒体であるため、CDやDVDなどと比べて故障しやすい。 「気づかないうちに磁気に触れてデータがとんでしまうことがあります。それでも、CDを使うように強制することはできません。あくまでお願いベースです」(厚労省担当者) ■保証期間はとっくに過ぎている  ちなみに、現在インターネット上などで販売されているFDのほとんどは10年以上前に製造された未使用在庫品である。メーカーもこんな長い期間、使われ続けるとは想定していなかっただろう。当然のことながら、保証期間はとっくに過ぎている。  パソコンの周辺機器の老舗メーカー、ロジテックが「最後のWindows対応のUSB外付け型FDドライブ」の販売を終了して、久しい。ただ、パソコン用品メーカーの大手のエレコムに聞くと、FDを収納するプラスチックケースは「数量は少ないですが、現在もコンスタントに売れている状況です」と言う。  昭和に輝いたテクノロジーの産物FDだが、令和のこの時代でも根強く使われていることがわかった。コレクションとして私的に使うのはいいが、触ったことも見たこともない若年層も多い中で公的機関が業務で使用するのは、そろそろ潮時ではないだろうか。 (AERA dot.編集部・米倉昭仁)

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    17時間前

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    4630万円誤送金を使い切った24歳男の“罪の重さ” 弁護士が指摘する「実刑」の年数

    山口県阿武町が新型コロナウイルス対策の臨時特別給付金4630万円(463世帯分)を誤って振り込んだ問題で、振り込みを受けた無職、田口翔容疑者(24)が18日、県警に電子計算機使用詐欺容疑で逮捕された。異例の展開となった今回の逮捕劇だが、田口容疑者の刑罰はどの程度の重さになるのか、専門家に見解を聞いた。 *  *  * 報道によると、田口容疑者は4月12日、自分名義の口座に町が入金した4630万円が誤りによるものだと知りながら、スマートフォンを操作して、オンライン決済で決済代行業者の口座に400万円を振り替えた疑いがある。  そもそも、「電子計算機使用詐欺」とはどのような罪なのか。  人を欺いて財物をだまし取る罪は詐欺罪に当たる。一方で電子計算機使用詐欺罪は、ATMや電子決済などで、コンピューターなどに虚偽情報や不正な指令を与えて不法な利益を得る罪のことだ。法定刑は詐欺罪と同じく10年以下の懲役となっている。  刑事裁判官の経験を持つ片田真志弁護士(古川・片田総合法律事務所)は、「例えば銀行窓口で同じ行為を行った場合は、人をだましたとして詐欺罪になります。今回はスマホ決裁を用いたことで電子計算機使用詐欺罪が適用されたことになります」と解説する。  果たして、田口容疑者はどの程度の刑事罰が待っているのか。  片田弁護士によると、どの程度の金額を返済できるか。また、町側に示談の余地があるかが焦点になるという。 「まったく返済できない場合、実刑となり懲役3年前後の判決がくだる可能性が高いと考えられます。一方で、全額返済した場合には執行猶予が付くことになるでしょうし、全額までいかなくても相当額を返済する内容で町側が示談に応じた場合は、執行猶予がつく可能性が出てきます」(片田弁護士)  そもそもは町側のミスが発端だが、情状に影響はするのか。 「たまたま財布を拾ってそのお金を使ってしまった場合と似ており、田口容疑者も最初から町から不正に金銭を得ようと計画していたのではありません。その点は、量刑に影響すると思います」(片田弁護士)  一部報道では、田口容疑者は振り込まれた金を「ネットカジノで全部使った」と供述したとされる。詐欺を働いた動機については量刑にどの程度影響するのか。 「例えば殺人罪の場合、介護による苦しみの末の犯行か、怨恨(えんこん)かで量刑は大きく変わってきます。ただ、財産犯はそれとは違い、動機が遊興目的でも仮に生活苦だったとしても、量刑への影響は限定的と考えられます」  片田弁護士は、今後の展開をこう予測する。 「例えば田口容疑者側から半額程度の返済による示談が提案されたとしても、全国的に大きく報道されていること、また、地方自治体である町側が容易には債権の一部放棄に応じないことを考えると、『半額程度で折り合いをつけ示談に応じる』ということは、町としてはしづらいのではないでしょうか」  田口容疑者の代理人は、返還方法について「(田口容疑者が)働いて返すしかない」と話しているというが、裁判にかかる費用も含め、市民の税金が戻ってくるかは依然として不透明だ。(AERA dot.編集部・國府田英之)

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    16時間前

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    投資信託は最悪どこまで下がる? S&P500と全世界株式の30年検証

     2021年までの絶好調相場から一転、米国株は2022年に入り軟調といっていい。そもそも株式市場には暴落が付きものだ。アエラ増刊「AERA Money 2022夏号」では、過去30年の実績から見て「どれくらい下がる可能性があるのか」を検証している。  株価の暴落といえば数年に1回はあるもの。だが暴落が止まらなかったことは一度もない。投資ビギナーはまず、過去の暴落でどのくらい下がったか、どのくらいで回復したかを知っておこう。  取材をお願いしたのは、セゾン投信代表取締役会長CEOの中野晴啓さん。セゾン投信は「セゾン資産形成の達人ファンド」をはじめとする投資信託(以下、投信)の運用会社だ。同社の運用する3本の投信の資産総額は2022年3月に5000億円を突破した。  今回は米国株の代表的な株価指数「S&P500」と、世界中の株式に投資する「全世界株式」の値動きを捉えた指数「MSCIオール・カントリー・ワールド・インデックス」を教材とした。  それぞれの過去30年の暴落局面を調べてみると、ワースト3は次の通り。3位がやや予想外の結果だった。 1位 リーマン・ショック 2位 ITバブル崩壊 3位 コロナ・ショック   最も下落率の大きいリーマン・ショックのとき、「全世界株式」は1年4カ月にわたって56.2%も下落。暴落前の高値を回復するのに6年8カ月かかっている。  リーマン・ショックの震源地となった米国のS&P500は、1年4カ月かけて52.6%下落、戻るまでに5年5カ月かかった。 「30年以上、資産運用の世界で生きてきた私にとってもリーマン・ショックは過去最大の暴落でした。資産運用の歴史の中では下落率50%超、すなわち投資金額が半値になるような暴落がたまにある、と考えておきましょう」(中野さん)  下落しはじめてから回復までの期間で見ると、S&P500が2000年のITバブル崩壊以降、6年9カ月かかっているのが最長だ。  つまり60歳になっていざ換金をはじめようとした矢先に下落がはじまって、そのまま下げ止まらなかった場合、「すっかり元に戻るまで7~8年くらいかかることもある」ということ。 「株価というのは、デコボコ、ギザギザした値動きを繰り返すものです。何がきっかけで暴落が起こるかは誰にもわかりません。  ただ、結果的に株式市場は3つの暴落を乗り越えて右肩上がりで上昇しています。長い時間軸で見れば、株価は成長に見合った水準に収まっていくものなのです」  2021年までは米国株を中心に株式市場の調子がよすぎた。そのせいもあり「S&P500などに投資していれば儲かる」という油断(?)も生じていた。  2022年に入ってから米国株は下がり、ウクライナ危機もあり、投資ビギナーの間には動揺が見られた。 「株価が下がっているときは、多くの投資家が『この下落がずっと続くかも』と不安になります。しかしどんな暴落もいずれ終わる」  つみたて中は悩む必要はない。いつか終わるなら「今月は安く買えてラッキー」と思いながらつみたて続ければいい。では、運悪く老後を迎える前後にリーマン・ショックのような大暴落が起こったら、どうすればいいのか。 「老後は運用資産のすべてを現金化しなければいけない、という『思い込み』は捨ててください」  でも、年金は原則65歳スタート。60歳で定年の会社も多い。5年間、嘱託社員などで会社に残るか、別の仕事をしないと、年金も何もお金は入ってこない。 「『運用資産を取り崩すときは全額を換金しないとダメ』なんてルールはありません。60歳以降に自分が働かないなら、お金に働いてもらって育て続けましょう。老後も運用(保有)を続けながら必要な分だけ取り崩すのです」 ■預金や年金もあるから  世の中には「60歳まで積極的に投資、60歳以降はハイリスクな投資は終了。できれば預金」という考え方が常識化している。  しかし老後は長いのだ。先ほど「S&P500はITバブル崩壊から元に戻るまで6年9カ月、つまり回復まで7~8年くらいかかることもある」と述べたが、60歳時点で資産が投信のみ、預金は0円という人は少ないだろう。  65歳からは年金もある。投信だけを見て不安になるのもおかしな話。預金や年金もセットにして考えたい。そして人生100年と考えれば、60歳で投資終了というのは早すぎる。 「長期投資に一番必要なのは、おおらかさです。買うときも売るときも、淡々と機械的に。下がったら怖いとか、売ったあとに上がって『もっと儲かったのに』という強欲から離れるためにも自然体でいきましょう。  投資についていろいろ考えすぎず、自分の人生にとって、本当に楽しみなことに貴重な時間を使ってください」  (編集・文/綾小路麗香、伊藤 忍) ※『AERA Money 2022夏号』から抜粋

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    クロちゃんが絶対やってはいけない"筋トレ"行い医師が警告「このままでは歩けない体になる」 

     安田大サーカスのクロちゃんが、気になるトピックについて"真実"のみを語る連載「死ぬ前に話しておきたい恋の話」。今回のテーマは「筋トレ」。自身のSNSで、ジムでの筋トレの様子を頻繁にアップしているクロちゃん。実は昔から体を鍛えることが好きだったクロちゃんだが、一時は間違った筋トレをやりすぎて、ドクターストップがかかった経験もあるという。そこまでしてクロちゃんが筋トレを続ける理由とは? *  *  * あんまり信じてもらえないんだけど、ボクは週3回のペースでジムに通っている。SNSなどでは「ウソつくな!」とかって散々いわれるんだけど本当だからね(笑)。 ジムに通う日は、朝4時に起きて、支度をして、4時半には自宅を出るのがルーティン。ジムまでの移動は基本、徒歩。1時間弱かかるんだけど、これもトレーニングの一貫だと思っている。到着するのは5時半頃。午後からよりも、朝のほうが空いていて、器具もいろいろ使えるから、トレーニングがしやすいんだよね。 ベンチプレスやダンベル、ハイプーリーなどを使って、主に上半身を鍛えるトレーニングに今は取り組んでいる。ちなみに下半身は、あまり鍛えないのがボクのこだわり。下半身のトレーニングをやりすぎると、2~3日疲れが取れなかったりするからね。ボクは、散歩が好きで日頃からよく歩いているから、そこで下半身の筋力は十分カバーできているはずなんだ。だって、仕事のスケジュールが問題なければ、ジムからも徒歩で帰ったりもするからね。午前中で1万歩以上を歩くなんてことも決して珍しいことじゃない。健康的な生活で良いでしょ? そもそもボクは昔からジムが大好き。通いはじめたのは大学生の頃だから、もう25年以上になる。当時は、体重が108キロまで増えてしまっていて、「体重が煩悩の数なんてヤバい」って焦ったのが通い始めるきっかけ。その時は「とにかく痩せたい」って精神的にもかなり自分を追い込んでいたから、筋トレ以外にも、エアロビやヨガなども取り入れてめちゃくちゃ頑張った。そのおかげで、ダイエットは大成功。108キロもあった体重がなんと66キロまで落ちたんだ。  この時の成功体験と、自分の身体が変わっていくさまがたまらなく面白くて、ボクはすっかりジムにハマってしまった。ピークに鍛えていた頃は、130キロのベンチプレスも持ち上げることができたし、一時は3つのジムを掛け持ちしていたこともある。当時はなぜか「ジムを掛け持ちすること」が、ステータスのように感じていた。ただ、掛け持ちしていたといっても、うまく使い分けていたのかって聞かれたら、全然そんなことはない。トレーニングも独自のメニューをこなしていたから、効率も悪かったし、体にも負担がかかりすぎていた。  ジム初心者の方に言っておきたいけど、間違ったトレーニングをやり続けるのは、けっこう危険だよ。しらずしらずのうちに、自分の身体が悲鳴をあげている可能性があるからね。かなり昔の話だけど、ボクは「花の慶次」っていう漫画に出てくる、片腕だけ異常に太いキャラクター「岩兵衛」に憧れて、"右腕"だけを集中的にトレーニングをしていたら、ドクターストップがかかったことがある(笑)。 今、振り返っても、たしかに、あれは、ちょっとやりすぎていた。 暇さえあれば、右腕がパンパンになるまで、ずーっと筋トレしていたからね。握力ボールとかであれば5~6時間以上は平気でやり続けてしまうくらい……。 当然、右腕はだんだん太くなっていった。「岩兵衛」のように、右腕と左腕の太さの"差"をつけたかったのもあって、左腕はまったく鍛えずにいたんだけど、結局、これがダメだった。 ある日、朝起きたら、突然、体に激痛が走ったんだよね。あまりの痛さで布団からまったく出られないくらいに……。これはボクもびっくりした。あまりの痛さに「これはダメだ」って思って、急いで病院に駆け込んだ。お医者さんからは「(右腕のみの筋トレをやりすぎて)身体の左右のバランスが非常に悪くなっています。このまま続けていると、最悪の場合、歩けない体になる可能性もありますよ」と告げられた。衝撃的だった。今考えると、なんて恐ろしいことをしていたのかと怖くなるよ。 熱中しすぎると、周りが見えなくなって、とことん突き詰めてしまうのがボクの悪いクセだなってことを改めて感じた瞬間だった。その時の無理なトレーニングの影響で、いまだにボクの身体のバランスは少しおかしい。正面からボクを見るとよく分かるけど、右肩のほうが左肩よりもじゃっかん下がってしまっているからね。たぶん、これはもうなおらない。  やっぱり、トレーニングはきちんと正しい方法で行わなくちゃ駄目だね。あと、絶対無理はしちゃいけない。 だから、今では専属のトレーナーさんもちゃんとつけているし、無理なトレーニングして、自分を追い込むこともしていない。結局、それがいちばん効率も良いし、なんといっても、ジムに「長く通い続けること」の秘訣(ひけつ)なんだよね。  ボクは、ジムって「通い続けること」に意味があると思う。もちろん無理のない範囲で。  やっぱり人間、健康がいちばん。ボクは昨年コロナになって、それが身にしみてわかった。残りの人生、できるだけ長く健康でいるために、ある程度の体力や持久力、免疫力を、適度な運動することで、つねに維持しておきたいっていうのが、ボクがジムに通う最大の理由なんだよね。 あと、ボクの場合、「水曜日のダウンタウン」(TBS系)で無人島に突然連れていかれたり、いきなりプロレスの試合に出ることになったりなどのハードな仕事も多いから、それに耐えられるための体作りっていう目的ももちろんある。どんな仕事でも、プロとして絶対NGは出したくないからね。 それに、シンプルに、運動するのってやっぱり気持ちいいよ。ジムに興味があるけど「どうしようかな」って迷っている人は、週1回でもいいから、無理のない日程を決めて、とにかく一度通ってみるといい。そこで自分を追い込む必要なんかまったくないし、嫌なら休んだっていい。 これはボクだけの感覚かもしれないけど、「ジムに通っている」ってことでだけで、自己満足度が勝手にあがって、自分に少し自信がついたり、気分転換にもなったりするんだよね。 友達や恋人と一緒に通うのだってきっと楽しいと思う。ボクも、いつかは恋人とジムデートしてみたい。ボクは、筋トレの知識も豊富だから、いろいろとアドバイスができると思うからね。 健康的な体を維持することがもちろん大前提だけど、余力があれば、プロレスラーのオカダカズチカさんや棚橋弘至さんみたいなたくましい身体づくりも目指したい。女性に頼られるような強い男ってやっぱり憧れちゃうんだよね。今は昭和のプロレスラー体型っていわれるから、なんか嫌なんだ。 しかし、これだけジム通っているのに、なぜ、もう少し痩せないんだろう……。不思議だよね? 明日も筋トレ頑張るしん。 ◎クロちゃん/1976年12月10日生まれ。広島県出身。2001年4月に団長安田、HIROと「安田大サーカス」を結成。スキンヘッド、強面には似合わないソプラノボイスが特徴(構成/AERA dot,編集部・岡本直也)

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    17時間前

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    さんま、鶴瓶も驚いた…タモリが32年も「いいとも」を続けるために絶対にやらなかったこと

    「森田一義アワー 笑っていいとも!」は1982年から2014年までの32年も続いた生放送のバラエティー番組である。司会のタモリ(森田一義)はこの番組を続けるために、絶対にやらなかったことがある。ライターの戸部田誠さんは「笑福亭鶴瓶も明石家さんまも『そんなことができるのはタモリしかいない』と驚きを隠さない」という――。 ※本稿は、戸部田誠『タモリ学』(文庫ぎんが堂)の一部を再編集したものです。 笑福亭鶴瓶が驚いたタモリのある言動  笑福亭鶴瓶は以前、伊豆にあるタモリの別荘に招待されたことがある。そこにはたくさんの木の切り株があり、座るためのものかと鶴瓶が思っていると、タモリは横で「あ、切ったんだ」とつぶやいた。  実はタモリは10本の古い木を気に入って土地を買い、その木を活かした設計で別荘を建てていた。そして鶴瓶を招待するにあたり、枝を手入れしてもらうつもりで「木、切っておいて」と管理人に連絡をしていたのだ。  しかし管理人は勘違いをし、あろうことか10本の木そのものをすべて切り倒してしまった。「切っちゃったもんは、しょうがない」と執着しないタモリに「普通、怒るでしょ」と呆れる鶴瓶[1]。 さんまが驚愕したタモリの特異性  しかしタモリは「キチンと説明しない自分が悪かった」と逆に鶴瓶をなだめたという[2]。  こうしたタモリの執着のなさには驚嘆させられる。明石家さんまはタモリの特異性として、「われわれのようなお笑い芸人からすると信じられない切り替えの早さ」をあげている。 「あの人しか『いいとも』はできない」 「タモリさんは演芸場にも出てらっしゃらないし、そういう意味では畑違いのところがありますから。普通、前のコーナーがウケないとわれわれお笑い芸人は引きずるんですよ。次のコーナーに入った時も汗かいて、『あかんかったなー』って取り返そうとするんですけど、タモリさんは取り返そうとしない(笑)。あのドライさは凄い。あの人しか『いいとも』はできないと思います。あの切り替えの早さと引きずらない凄さ」と。  しかしさんまは「でも……俺は引きずりたい」と言い、こう続けた。「僕たちは引きずりたいし、背中にイヤな汗をかきたい。それで『なんとかしよう』と思って挽回したときの嬉しさもあるし」[3] 反省なんかしたらやっていけませんよ  だがタモリは「ダメ出し、やりませんね。もうダメ出ししたらキリがないですからね。終わったものは仕方がない」と言い[4]、反省をしないことが「いいとも」のような長寿番組を続ける秘訣ひけつだと、事あるごとに語っているのだ。 「反省なんかしません。反省なんかしたら毎日やっていけませんよ。悪いこといっぱいあるんだもの。俺が自分の番組一切見ないのも、悪いことばっか見えちゃうから。自分の番組見てたら自分大嫌いになりますよ。自分のこと大嫌いですから。番組中は自分のこと忘れて結構やってるから、後でああいうことやってる自分を見たらいやだもの」[5] 「僕はあれ毎日こうやって(自分の番組を)見てたら絶対反省して、こんなに長くは続けられないと思ってますよ」[6]「毎日反省してたら生きた心地がしない」[7] 真面目な人は芸能界に向いていない  タモリは岡村隆史との対談で、「終わったものはしょうがないと思っていても、寝られなかったりする」という岡村に「真面目な人は苦しいと思うよ、この業界は」と語ったうえで、自身の「反省しない」スタンスを実践的に語っている。 「反省と一口に言っても、勝手に自分だけが悪いと思っている場合があるからね。そこでもう一回、その反省をもとにして、同じ状況に立って、こうすれば良かったと思ったことを再びやったときに、それがその場にそぐうかそぐわないかは、また疑問だからね。そんなことのために反省してもしょうがないものね」[8]  そしてタモリは、「俺なんか毎日が上出来だもん。今日も良かったって」と語るのだった。 「計画」も「目標」もいらない  過去を反省しないタモリは、未来に対する展望も持たない。  「人生成功せにゃいかん、ナンバー1にならなきゃいかん、それには何歳までにこういうことをやっておかないといかん(笑)。ダメだよ、それじゃあ。苦しくなるから」[8]「ご利用は計画的に」と消費者金融のCMで呼びかけているタモリだが、実はそれは自身の考え方とは真逆なのだ。 「計画」を立てないタモリは「目標」も作らない。岡村隆史に「30歳でデビューして、この世界で天下とってやるんだ! という気持ちはなかったんですか」「大きなビジョンとかもなかったんですか。『タモリの~』という冠番組やろうとか」と矢継ぎ早に問われた時も、タモリは「あんまり思ったことはないね」と笑う[8]。 「結構大変だったんだよ。俺、30歳で芸能界に入って『いいとも』が始まったでしょ。だから、毎日その日その日のことをやっていかないといけなくて。将来の夢なんていうのは、ほとんど考えられなかったね」[8]  MANZAIブームの時は「俺なんかまったく顧みられなかった」と述懐する。そうした番組に呼ばれはしても、周囲にはまったく期待されていない。 「そしたら、なんだ? と思わせるような、難しいことをやるしかないんじゃないか」「ちょっとした反骨心もあるからね。何が漫才だ、という気持ちで、ウケないのが気持ちいい。お前らどっちみちわかんないだろうって」と、「誰でもできるチック・コリア(ジャズ・ピアニスト)」などの芸を披露していた[8]。 ハングリー精神なんて邪魔 やがて37歳で「いいとも」が始まり、約1年で軌道に乗った。しかし自分はすでにその年齢を過ぎてしまった──と嘆く岡村に、タモリは「だから、そういうふうに考えないのよ」と諭す。 「他のことに興味が出てくると、ちょっとは自分を見る見方も変わってきて、それは余裕になると思うよ」と[8]。そしてこの岡村との対談の前年に行われたインタビューでは、もっとはっきりと、このように述べている。 「ハングリー精神なんて邪魔。この世界ハングリー精神じゃダメだと思うんですけどね。笑いなんか人間の精神の余分なところでやってるわけでしょ」[9] 「目標なんて、もっちゃいけません」  タモリの座右の銘が「適当」であることは有名だ。  他にも「現状維持」「俺は努力ということをしない」などをあげることもある。共通点は「頑張って向上する」ということを拒否した言葉であるということだ。 「向上心なんてなかったですからねぇ。今もないし」とタモリは言う[10]。「なんかいつも、みんな何年後かに私はこうなりたいとかいうでしょ。目標を持って努力して頑張ることが、いいことのようにいうけど、いつも違和感があったんだよね」[5]「目標なんて、もっちゃいけません」とタモリは言う。  その理由はこうだ。「目標をもつと、達成できないとイヤだし、達成するためにやりたいことを我慢するなんてバカみたいでしょう。(略)人間、行き当たりバッタリがいちばんですよ」[11] 夢なんて無くたって生きていける  タモリが支持されたのは、そういったスタンスが時代のニーズにあったからではないかと自身も分析している。  そしてタモリはまた、「夢」を無条件で賛美する風潮にも異議を唱える。 「努力すれば夢は叶う」とマスコミは喧伝する。しかし例えば自分は中学の時に短距離の選手になりたかったが、どんなに頑張っても世界記録は出せないだろう、と。「やっぱり、中学の時に勉強できない奴がいっぱいいるんですけれども、勉強できない奴にどんなに勉強さして、尻を叩いても、先生方は『みんな勉強する能力は同じだよ』と。違うんですよ。だから勉強できなくてもいいわけです」[12]  にもかかわらずこのような状況に陥っているのは、「資本主義という全体主義」が元凶であり、しかしそれはもはや行き詰まりを見せているのだとタモリは語る。  タモリの根幹には「なるようにしかならない」という思想があるのだろう。過去の自分にも、未来の夢にも執着しないで、現状を肯定する。大学でトランペットを志したタモリは、先輩の言葉によってその夢が断たれた。  しかしその先輩の勧めで始めた司会業こそが天職だったように、タモリは流れに身を任せて生きてきたのだ。「夢なんて無くたって生きていけるんだよ」[13] [1]「FNS27時間テレビ」フジテレビ(12・7・22)[2]「ざっくりハイタッチ」テレビ東京(13・11・9)[3]『本人』vol.11/太田出版(09)[4]『対談「笑い」の解体』山藤章二/講談社(87)[5]「エチカの鏡 ココロにキクTV」フジテレビ(09・2・1)[6]「徹子の部屋」テレビ朝日(05・12・23)[7]「笑っていいとも!」フジテレビ(11・12・9)[8]『パピルス』幻冬舎(08・10)[9]『STUDIO VOICE』INFASパブリケーションズ(07・3)[10]「タモリ先生の午後2007。」「ほぼ日刊イトイ新聞」(06~07)[11]『MINE』講談社(98・8・10)[12]「はじめての中沢新一」「ほぼ日刊イトイ新聞」(05~06)[13]「笑っていいとも!」フジテレビ(04・12・20) 戸部田 誠(とべた・まこと)ライター1978年生まれ。ペンネームは「てれびのスキマ」。『週刊文春』「水道橋博士のメルマ旬報」などで連載中。著書に『タモリ学』『コントに捧げた内村光良の怒り』『1989年のテレビっ子』『人生でムダなことばかり、みんなテレビに教わった』『全部やれ。 日本テレビ えげつない勝ち方』など。

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    ミュージカルの帝王・山口祐一郎 「100%予想できない展開」楽しんでほしい

     俳優・山口祐一郎が東京・日比谷のシアタークリエで公演を行う。コロナ禍で試行錯誤するなかで、改めて得た気付きがあるという。AERA 2022年5月23日号から。 *  *  *  新型コロナウイルスは生き方を変えた。コロナ禍でミュージカル公演が軒並み中止となった2020年秋のこと。「自分たちの日常がなくなってしまう」と、ミュージカルの帝王・山口祐一郎(65)は、演劇の殿堂・帝国劇場で初めてのトークショー「My Story~素敵な仲間たち」に出演した。 「どういう形で皆様に出会う機会があるのか、スタッフの皆さんで検討する中、トークショーならコロナ対策に関しても対応しやすいのではないか、と実現しました。とは言っても、トークショーで帝劇が満席になって、大勢の方に配信でも観てもらえるなんて、自分でも思っておらず驚きました」 ■普段以上のやりとり  ミュージカル公演では数カ月どころか年単位で準備を進める。稽古場で流した汗が本番で結実する。だが、トークショーでは稽古場での時間がないだけに、 「稽古分の汗が本番中の冷や汗にならないか心配していましたが(笑)、お客さまと大変楽しく過ごすことができました」  このトークショーでの気付きは大きかった。マスクをしていても、皮膚感覚で観客の熱を感じた。五感は置かれた環境によって順応すると知った。マスクで顔の動きもわからないかと思っていたら大間違い。1千人以上の人が白いマスクをしていたが、表情がはっきりわかった。 「コロナ前とは違いますが、普段以上のキャッチボールが客席とできたような気がします。新しい発見でした」  コロナ禍を通じ、改めて自身が恵まれた環境で演じてきたことにも気付かされた。  例えば公演後、欧州や米国からやってきた演出家たちは、静かに見ている日本の観客が気になるらしい。「何か大きなミステイクがあったのではないか。何があったか本当のことを教えてくれ」と尋ねられた。そう聞く彼らに、「この小さな島国の日本では、こうやって感情を表現するんです。能や狂言をぜひご覧になってください」と答えた。 ■佇まいで心情わかる 「日本人は何かをしているから人の感情を感じるというより、ただ佇んでいるだけでもその人がどういう心情にいるかを理解するんですよね。日本は世界中のどの劇場よりも、お客さまとのコミュニケーションが普段と変わらず行われる。私はそういう特殊な恵まれた幸せな場に立っているのだ、と感じました」  そんないくつもの発見を経て、今回、東京・日比谷のシアタークリエで、さらに内容をグレードアップした「My Story,My Song~and YOU~」を開催する。「これまで出演したミュージカルナンバーで、普段なかなか聞くことのできない歌を披露する」と言う。千穐楽はオンラインでも生配信する予定だ。 「役者も演出・制作スタッフさん方もバンドさんも、みんな一緒にやってきました。クリエで魅力的な時間と空間をお客さまに楽しんでもらいましょうと企画する時に、みんながやりたいことがあっという間に山積みになりました。その中から面白いものを選んで構成しています。トークでも、ゲストはみんな一緒に仕事をしてきた仲間です。前回もそうでしたが、何か金脈に当たるとみんなでそこを掘っちゃうんです。今回もどんなトークになるか、私にも全くわかりません。100%予想できない展開になるはずです(笑)。それを私自身が心から楽しんでいる様子やコンサートの雰囲気、エネルギーを、配信でご覧になるお客さまも含め、皆さんにも楽しんでいただけたらと思っています」 (フリーランス記者・坂口さゆり) ※AERA 2022年5月23日号

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    17時間前

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    佐藤勝利、堂本光一との「SHOCK」秘話 「『迷惑かけてよ』と言ってくれた」

     昨秋、初の単独主演舞台を成功させるなど、活躍の幅を広げる佐藤勝利さん。今回挑んだのは、自身が初めて生で触れたエンタメ作品で、何度も劇場に足を運んだと公言する、堂本光一さん主演の「Endless SHOCK」とそのスピンオフ「─Eternal─」だ。憧れの舞台を踏むにあたって明かした思いは。また、得意だという料理についても語ってくれた。 *  *  * ──「Endless SHOCK」の出演オファーがあった昨年11月から、先行して稽古を始めたとか。  去年の秋、僕の主演舞台(「ブライトン・ビーチ回顧録」)があって、その舞台のためにボイトレをしていたんです。そのとき、ミュージカル発声、舞台発声のすごさに気づいて。僕はもともと舞台や演劇が好きだったのもあって、僕の目指したい発声が少しずつ見えてきて、練習するうちに、もしかしたら、そこにたどり着けるかなあと思えたんです。それで、舞台が終わった後も週2ぐらいでトレーニングを続けていたんですよ。  ちょうどその時期に、「SHOCK」のお話をいただいたので、続けてきたボイトレに加えて、まずはダンスをやって振りを覚えていきました。「SHOCK」での歌のトレーニングもあったので、ほぼ毎日のように何かしらやってきましたね。  こういうものって頑張ればいいという話でもないんですが、ただ、僕は実力が伴っていないという不安のほうが大きくて、それを埋めたいという気持ちがありました。練習することで、一歩ずつ怖さがなくなっていく。基礎、土台がなかったら舞台もできない、と思って早めから準備をしてきたんです。でも、そうやって「型」だけになっていくのを、今回座長(堂本光一)に壊してもらえた感じですね。それが、製作発表前日の電話でした。 ──どんな話を?  僕の中で「Endless SHOCK」というものの存在が大きすぎて……。「迷惑かけちゃいけない」っていう思いがあって、だから「型」が重要だと思っていたんです。そうしたら、光一くんが「そんなのどうでもいいよ、迷惑かけてよ」って言ってくれて。  もちろん前提として、「型」を習得していないと破るものがないので、練習は絶対に裏切らないっていうのは、光一くんが一番わかってて。でも、練習したものをただ披露するだけでは、人の心なんて動かない、ってことだと思うんです。「型」って、個性とは真逆のものですしね。このままだと僕が「型」で止まりそうで、何も破れそうもなかったんだと思うんですよ。だからこそ「迷惑かけてよ」って言ってくれたんだと思います。 ──ライバル役は感情の起伏が激しい役です。どう演じたいですか?  ライバル役との向き合い方としては、的の真ん中を射ぬこうとは思っていなくて。この役で、基準点や平均点を取りにいこうとは思っていません。失敗はマイナス点かもしれないけど、そうだとしても、そのほうが面白くて、真ん中っていうのが一番つまんないのかなと思います。自分としてもそう思うし、光一くんと話して、求められているものもそういうことなのかな、と思いました。  僕は、その役が言いたいことだったり、心が動いたからこの行動に出た、という流れだったりをすごく大事にしたい。もちろんセリフで説明はできるけど、セリフ、言葉っていうのは形だから。その役がどういう気持ちでそのセリフを言うのかとか、心がまずスタートにないと、っていう思いはありますね。  ライバルは激しい役だけど、ただ暴れればいいってもんじゃないかな、とは思っています。でも、考えすぎたら考えすぎたで、小さくまとまってる、って言われそうな気もするし……。とはいえ、わざとふざけるとか、変わったことをやってみるとか、そういうのは苦手なので。 ──勝利さんも感情のアップダウンは激しい?  基本的には、そんなことないと思うんですけど。ただ、感情が動いたときの振れ幅はすごく大きいですね。すっごい落ちるときは落ちるし、すっごい上がるときは上がる。でも、それが普段からずっとあるってわけじゃなくて、ずっと振れているような感じはないですね。何かがあって落ち込んだときは、あんまり人に話さないタイプです。いろんな経験してきたから、耐性は強いと思っているんです。 ──ところで、料理が得意だとか。いつから始めたんですか?  タイミング的にはコロナがはやるちょっと前くらいに。食べること自体すごく好きだし、それでふと、米炊けるようになりたいな、と思ったんです。最初のうちはカレーとか作ったと思うんですけど。始めたころは炊飯器で炊いてたんですが、そのうちなんか違うな、と思って、土鍋で炊き始めたんです。ボタン一つで炊けちゃうと、なんでできたかわからない。アナログで、一からやるようになったのは、なぜそうやって米が炊けるのかがわかるから。そのほうが楽しめるんですよね。  最近は、パスタを作ることが多いかな。もちろん買ってきたソースもおいしいけど、やっぱり自分で作りたい。トマトベースのものとかが多いかな。リゾットなんかも、プロのシェフが作っている動画を見て、見よう見まねで作ってみたこともあります。レストランで出すような料理を家で再現してみたいな。 ──誰かに振る舞ったことはありますか?  ありますよ。友達とか、家族に。驚いてくれたり、喜んでくれたりして、うれしいです。これまで、ドームに立ったり、アリーナに立ったりとか、すごい大勢の人に喜んでもらうのは、得意というか……ずっとそうやって仕事をしてきたので、経験のあることじゃないですか。ただ、一対一で人と話をするときも、料理でもそうですけど、目の前の人に喜んでもらうことって、すごい難しいなあと思っていて。  料理って、僕の場合趣味なので、振る舞う相手は小さな世界になっちゃいますけど。でも、その一人、家族でも、親でも誰でもそうですけど、一人に料理振る舞ったら、すっごい喜んでくれるじゃないですか。だから、それもやっぱりやりがいの一つかなと。  普段ライブもグループでやっているわけで、自分一人で、一人に向けて歌ったり踊ったりすることって、ないじゃないですか。僕としては、一人ひとりに届くように、という気持ちはあるんですが……。だから、難しいんです、一人を一人で喜ばせるって。  それができるな、って感じたから、料理ができるっていうのは本当にすてきなことだなって。相手の喜ぶ姿を見て、自分もうれしくなれるから、すごくいいものだな、と思いますね。 (構成/本誌・直木詩帆) ※週刊朝日  2022年5月20日号

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    12時間前

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    室井佑月「侮辱罪改正法案」

     作家・室井佑月氏は、「侮辱罪改正法案」について危惧しているという。 *  *  *  ゴールデンウィークが間に入りあまり騒がれなかったが、じわじわと恐ろしいことが進んでいるようだ。  SNS上での誹謗中傷が酷い。それをやられて自死する人まで出てきている。なので、ネット上の誹謗中傷をもっと取り締まっていこう、というのはわかる。  が、政府が出してきた侮辱罪の改正法案でいいのだろうか。  政府の改正法案は、刑法に設けられている現行の侮辱罪の法定刑、「拘留または科料」というものを、「1年以下の懲役もしくは禁錮、30万円以下の罰金、または拘留もしくは科料」に引き上げるというものなのだ。  ちなみに現在、これだけSNSの誹謗中傷が社会問題化しているのに、2016年以降、法定刑で定められた拘留になっている人は一人もいない。だいたいが9千円以下の科料となり、こんな軽い刑では誹謗中傷は無くなるはずがない。  だが、政府案の「1年以下の懲役もしくは禁錮、30万円以下の罰金、または拘留もしくは科料」と罰を重くすればそれでいいという話でもないと感じる。  処罰対象が定められていないからだ。今、問題になっているのはSNS上の誹謗中傷で、どういうものが誹謗中傷となるのか、そこをはっきりさせたほうがいい。当たり前だろう。どこからが誹謗中傷となるのか、具体例が詳細に出てこないのはおかしい。つまり、一定のルールを決めようとしないのがおかしいのだ。  それがない政府の侮辱罪の改正法案は危うい。政府法案はべつにSNSに特化したものではない。だからこそ、この法案があたしたちにとって危険なことに使われかねない。  たとえば、政治家の批判や、政府の方針への苦言などはどうなるのだろう。居酒屋で政治家や政府の悪口をいった。きちんとした取り締まりのルールを設けない限り、それだって処罰の対象になりかねないのではないか。  それで罪に問われるまでになるとは考えにくいが、身体拘束は簡単となるかもしれない。  デモに出る。政治家や政府への批判を口にする。そのことを誰かが通報したとする。そして、1年以下の懲役かどうか裁判となる。その間、不当に拘束されやすくならないか。  デモとは、市民が集まり、政府や大きな力に要求や苦情を伝える行為。民主主義で、あたしたちの大切な権利だ。  政府の侮辱罪改正法案が通れば、デモなどをしづらい空気が巷(ちまた)に作られるに違いない。  というようなことを考えれば、わざと細かなルールも決めない、やたらとざっくりしたこの改正法案だったりしてね。こんなものでも数の力で押し通し、それが許されてしまうんでしょうか? 室井佑月(むろい・ゆづき)/作家。1970年、青森県生まれ。「小説新潮」誌の「読者による性の小説」に入選し作家デビュー。テレビ・コメンテーターとしても活躍。「しがみつく女」をまとめた「この国は、変われないの?」(新日本出版社)が発売中※週刊朝日  2022年5月27日号

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    21時間前

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    ミスを指摘されると不機嫌になる性格に悩む28歳女性 自己分析もできている相談者に鴻上尚史が示した“その先”とは

     ミスを指摘されると不機嫌になる性格に悩む28歳女性。「性根が短気でプライドが高く負けず嫌い」と自己分析する相談者に、鴻上尚史が投げかけた一歩踏み込んだ質問とは? 【相談144】ミスを指摘されると不機嫌になってしまいますが、どうこの性格を治していいかわかりません(28歳 女性 どど)  ミスを指摘されると不機嫌になってしまいます。  何故不機嫌になってしまうのかを考えたところ、性根が短気でプライドが高く負けず嫌いなので、周りを見下して心の安定を図っていることに気づきました。  気づいたはいいのですが、相変わらず同僚や後輩にミスを指摘されるとあからさまに不機嫌になってしまい、どうこの性格を治していいかわかりません。  どうやったら周りを見下さずに済むか、せめてすぐ不機嫌になったり、イライラしたりせずに過ごしたいです。知恵を貸していただけないでしょうか。 【鴻上さんの答え】 どどさん。そうですか。不機嫌になる理由は「性根が短気でプライドが高く負けず嫌いなので、周りを見下して心の安定を図っている」からだと気づいたのですね。素晴らしい自己分析だと思います。  持て余す感情に対して、うまくつきあっていくためには、理性しかないと僕は思っています。  つまりは、「どうして自分はこうするのか?」「どうしてこう感じるのか?」を突き詰めていくしか、賢く生きる道はないと思っているのです。  でね、どどさん。もう一歩踏み込んで、「どうして、性根が短気でプライドが高く負けず嫌い」なのか、考えてみませんか? 「そういう性格だから」というのは、あまり賢明な答えではないと思います。そういう性格になった理由を探ろうとしているのです。  ちゃんと自己分析できるどどさんですから、じっくり考えたら答えが出ると思います。ここで終わってもいいぐらいなんですが、それだと「ほがらか人生相談」にメールを送ってくれた意味がないでしょうから、僕の判断を書きますね。  どどさんが「性根が短気でプライドが高く負けず嫌い」なのは、「どどさんが自分自身に自信がないから」だと僕は思います。自分に自信がないから、他人にミスを指摘されると、自分自身そのものを否定されたような気持ちになって怒ってしまうんだと思います。短気でプライドが高く、負けず嫌いなのも、自分に自信がなく、常に不安で自分を守ろうとしているからだと思うのです。  だって、自信のあることや得意なことは、突っ込まれてもたいして動揺しないでしょう? どどさんは何が得意ですか? 高校時代、なにかクラブ活動してました? もしバスケが得意だったら、ミスの指摘もアドバイスもちゃんと聞いたんじゃないですか? でも、もしライバルが現れて、レギュラーから補欠に落とされそうになったら、不安になって、ミスの指摘にいらついたんじゃないですか?  そうするとね、どどさん。この性格を変えていくためには、「自分に自信を持つこと」となります。  自分に自信を持てば、短気でもなくなり、ミスを指摘されても簡単には怒らなくなるんじゃないでしょうか。  え? そんなことができたら苦労はしない? たしかに「自分に自信を持つ」ことは、先進国の中で、「自尊感情」がトップレベルで低い日本人には、なかなか難しいことです。でも、そうなることが、一番確実な解決方法だと思います。  では、どうしたら「自分に自信を持てる」ようになるかですね?  それは、職場でひとつひとつ「勝ち味」を積み重ねていくことだと僕は思います。「成功体験」とか「自分をほめること」と言ってもいいです。どんなに小さなことでもいい、誰かの「ありがとう」とか「助かります」なんていう感謝の言葉でもいい、毎日、ちゃんと会社に遅刻しないで行っていることでも、満員電車に耐えていることでもいい、とにかくなんでも自分をほめる理由を見つけて、自分自身でかみしめるのです。それが「勝ち味」です。  もし、どどさんが毎日毎日、失敗ばかりして怒鳴られていたら、この方法は難しいです。でも、普段はちゃんと仕事をしていて、たまにミスをするぐらいなら、普段ちゃんと仕事している自分をうんとほめるのです。ほめて、自分に自信をつけていくのです。自分へのご褒美も忘れないように。毎朝、ちゃんと起きている自分をほめるために、美味しい物を食べるとか、スーパー銭湯に行くとか、マッサージを受けるとか、ご褒美をかみしめてください。  そうすれば「周りを見下して心の安定を図」る必要もなくなると思います。  時間はかかりますが、これが一番確実な「ミスの指摘に簡単に不機嫌にならない方法」だと僕は考えます。どどさん、どうですか? ■本連載の書籍化第3弾!『鴻上尚史のますますほがらか人生相談』が発売中です!

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    日本で上がる「ウクライナは白旗あげたらいい」の声に戦場ジャーナリストが現地から激怒した理由

     ポーランド国境にほど近い、ウクライナ西部の街に入ったジャーナリストの佐藤和孝さん。これまでもアフガニスタンやボスニアなど様々な紛争地で取材を行ってきた佐藤さんに、AERAはインタビュー。ウクライナに入国した直後のこの街で彼が感じたのは、「平穏」に侵食する恐怖と孤立だった。 *  *  * ――ウクライナ西部にある街、リビウ。美しい街並みはユネスコの世界遺産に登録され、歴史の深さを感じさせる。3月5日、ジャーナリストでジャパンプレス代表の佐藤和孝さんがリビウに入り、取材を続けている。 佐藤:日本で思っているよりも、ウクライナ全土が戦地になっているわけではありません。ロシアに近いハリコフやマリウポリ、キエフは激しい状況ですが、今のリビウはマーケットにも食料が並んでいるし、電気やガス、水道も滞りなくある。でも、会社はやっていないし、学校も幼稚園から大学まで休校です。  リビウはウクライナ各地からのハブになっていて、ポーランドに脱出する人や安全な地方に避難する人たちが集まっています。そうした人たちをケアするために、市民は炊き出しや物を配るボランティア活動に従事している。空からの攻撃を想定して戦車や装甲車をカモフラージュしたり、火炎瓶を作ったりしている人もいる。街は戦時下というより、準戦時体制に入っています。そういった意味でリビウは平穏には見えるけれど、戦火をひしひしと感じている雰囲気です。 ――佐藤さんはこれまで、アフガニスタンをはじめ、チェチェン、イラクなど数々の紛争地を取材し、街に暮らす市井の人の声を伝えてきた。リビウでも、衝撃的な出会いがあった。 佐藤:町工場の若社長として働く30歳の青年がいました。普段は台所用品を作っていたけれど、今は戦車や装甲車が街に侵入しないためのバリケード、そして兵士たちがつける「ドッグタグ」を作っている。普通、ドッグタグには名前や生年月日、血液型や国籍、そしてナンバーが刻まれています。でも、彼が作っていたのはナンバーしか書いていない、名前のないドッグタグでした。  僕がリビウで話を聞いた人たちは、国を守るために戦争に行くと話しました。当然亡くなる人も出てきます。その人たちが無名のドッグタグをつけている。それを見たとき、切なくなった。一人の存在が、番号だけっていうのは……。 腹の底から怒りを覚え ――その青年には7歳と3歳の子どもがいる。あなたも銃を持って戦争に行くのかと問いかけると、「行きたい」と答えた。 佐藤:でも、これまでに戦ったことのない青年です。恐怖について聞くと、「そりゃ怖い」と。「でも、自分が死ぬよりも怖いのは、この国が消滅すること」「だから戦う」と言った。  日本のどこかの評論家だかで、「ウクライナは白旗をあげたらいい」と言った人がいるんでしょう。大馬鹿者ですよ。だったらウクライナに来て、みんなにそう言いなさいと思う。  自分の国、文化や歴史がなくなるんですよ。安全圏で何もわかっていない、命を懸けたこともない人がこれから命を懸けようとしている人たちに向かって言える言葉じゃない。  この国はロシアに踏みにじられてきました。ソ連崩壊でようやく独立国家になったのに、またそのときに戻ってしまう。そうならないために血を流すことを彼らは厭わない。ゼレンスキーも含め、名もない人たちの気概がこの国を勇気づけているんです。  なのに、「10年後にはプーチンが死んでいるだろうから、その後、国に帰ったらいい」なんて馬鹿なことを言っている。このままだと、10年でこの国はなくなるんです。腹の底から怒りを覚えます。 大勢と一人「命」の重さ ――世界はロシアに対しての制裁を強化し、それはウクライナ国民の励みにもなっている。だが、課題もあると指摘する。 佐藤:西側諸国といわれる国が自分たちの味方になってくれていることはよく認識していて、それが戦うモチベーションの一つになっていることも否めません。でも、じゃあ我々はそれを続けていけるのかということも問われてくる。  応援の仕方は色々あるのだと思いますが、ウクライナへの武器の供与以上のことをすると第3次世界大戦になってしまう。世界の指導者のなかには、自分たちが火の粉をかぶらないためにウクライナを犠牲にしてもいいと考える人たちもいる。この問いが正しいかはわかりませんが、大勢の命と一人の命のどっちが大事かということになるかもしれない。そうならないように、外交なども含め世界は動かないといけない。  この戦争は長期化すると思います。だって、多くの人たちが戦う意志を持っている。自分たちの国を自分たちの血をもって守ろうとしている。その魂は消えません。アフガニスタン侵攻でも、ソ連軍が入って10年で撤退を余儀なくされた。結局、勝てないんです。 「核」撃てばロシア消滅 ――ロシア軍がシリアで兵士を募集しているとも報じられ、行き詰まりが見えている。 佐藤:兵士の数が多くても、戦闘経験のない人間は現場では使えません。「ワグネル」といわれる傭兵集団がいますが、彼らは戦闘経験が豊富です。つまり、人の殺し方を知っているということです。シリアの兵士も同じで、人を殺すことに慣れている。そういう人間を使って、なんとかウクライナを制圧したいと思っているんでしょうね。  でも、キエフでロシア軍が政府機関などを押さえたとしても、周りは敵だらけです。ロシア軍にとっても危険なことで、市街戦やゲリラ戦になってくる。長く続けば戦闘意欲やモチベーションもなくなっていくでしょう。  この戦争を長期的に遂行する経済的な裏付けがロシアにあったかというと、難しいんじゃないですか。もともとGDPも低いし、経済制裁もある。中国が助けるといっても限度があります。ロシアにも反対派の人がたくさんいるし、今やっていることは「きょうだい殺し」です。多くの国民は心を痛めているんじゃないかと僕は思う。  ただ、国内世論が反プーチンに傾くほど、彼はますます弾圧しなければならなくなる。今後プーチンはウクライナ、世界、そしてロシア国内とも戦わなければいけなくなります。その覚悟を彼は持っているのか。核があると脅かしますが、それを撃てばロシアも消滅します。  プーチンはルーマニアのチャウシェスクのような形で終わってしまうかもしれません。止められるのはロシア人しかいないと僕は思っています。 世界に見えない街や村 ――様々な国を歩いてきたが、これまで見た戦場とは「質」が違うという。 佐藤:アフガニスタンやイラク、シリアというのはある地域の戦争です。僕のなかでは、世界大戦になるというようなものではなかった。ユーゴスラビアの戦争は世界大戦の可能性を秘めていましたが、各地に火の粉が及ばないようにヨーロッパ各地もいろいろと手を打ちました。  今度はロシアの正規軍が自分たちの論理だけで他国に侵攻し、第3次世界大戦の可能性もはらんだ非常に危機的な状況だと思います。今までの現場とは質が全く違う。だから世界は必死になっているんだけど、行き詰まり感も出てしまっている。  キエフやハリコフから避難してきた人たちは、とにかく攻撃が激しいと口をそろえます。狙撃兵までいるから、外に出られず命からがら逃げてきたと。でも、そういった街や村には記者もいないので、世界に見えていないんです。やりたい放題になって、どんどん残虐な方向に向かってしまう。今後、キエフでも取材したいと思っています。 ◯佐藤和孝(さとう・かずたか)1956年生まれ。独立系通信社「ジャパンプレス」代表。山本美香記念財団代表理事。80年からアフガニスタンで取材を行い、その後も様々な紛争地を取材した。近著に『タリバンの眼 戦場で考えた』など (構成/編集部・福井しほ) ※AERA 2022年3月21日号から

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    64歳で弁護士になった元新聞記者 60代での就活、30カ所で「門前払い」

     昨年1月に4度目の挑戦で司法試験に合格した元朝日新聞記者の上治信悟さん(64)が今春、弁護士になった。50代で法律の勉強を始め、9年かかって難関試験をパスした上治さんを待っていたのは、厳しい就職活動と知力と体力を振り絞る「卒業試験」だった。昨年7月9日号で紹介した司法試験合格記に続き、新人弁護士として踏み出すまでの歩みをつづってもらった。 *  *  *  私は昨年3月30日、1980年以来40年以上勤めた朝日新聞社を辞め、翌日から74期の司法修習生になった。修習を始める前から気になっていたのは、弁護士事務所に就職できるかということと、修習の終わりに実施され卒業試験にあたる国家試験「司法修習生考試」(通称「二回試験」)に合格できるか、だった。  60歳を超え、若い人と一緒に就職活動をしなければならなかった。一方、司法試験に合格したとはいえ、成績は1450人中1424位とぎりぎりだった。仕事先も見つからず、修習にもついていけずに二回試験に落第して弁護士になれないのではないか。そんな不安で合格の喜びにゆっくり浸る時間はなかった。  修習は埼玉県和光市にある司法研修所(研修所)での修習と裁判所、検察庁、弁護士事務所での分野別実務修習(実務修習)、選択型実務修習に分かれる。  私が属した74期A班はまず研修所で約1カ月間、導入修習をした。その後、指定の修習地で約7カ月間、実務修習をした後、研修所に戻って、二回試験のリハーサルのような論文試験や模擬裁判などで構成される約1カ月半の集合修習を受けた(新型コロナウイルスのため、研修所での修習は原則リモートになった)。  集合修習が終わった後は、実務修習地などで自分が選んだテーマを学ぶ約1カ月半の選択型実務修習に進み、最後に二回試験を受けた。私は東京が実務修習地となり、東京地検、東京地裁民事部、都内の弁護士事務所、東京地裁刑事部の順に実務修習をした。  選択型実務修習では実務修習の弁護士事務所をホームグラウンドとしながら、東京地裁民事部で再び修習をした。  実務修習と選択型実務修習では被疑者の取り調べをしたり、事件の記録を読んで有罪無罪、勝訴敗訴を検討するレポートや起訴状を起案したり、事件を傍聴したりした。  起案は何日もかかり、夜遅くまで残業することもあったが、指導役の裁判官や検察官、弁護士らから生の事件について指導を受け議論することは楽しく、実務家に近づいているというワクワクした気分になった。  しかし、就職先が見つからなければ始まらない。63歳での就活である。受験で世話になった恩師は「(60歳を超えた人間を)喜んで採用してくれるところはないかも」と教えてくれた。高名な弁護士からは、「自分(一人)で事務所を開設する他ない」と率直に指摘された。  年齢を変えることはできない。修習が終わってすぐに一人で事務所を開設することを「即独」というが、そんな自信も全くなかった。何とかして見つけなければと、司法修習に入る前の昨年2月から就職活動を始めた。  しかし、春が過ぎ、夏になっても就活は終わらなかった。朝日新聞で53歳から8年間弱経験した著作権の仕事を生かそうと、日本弁護士連合会の求人情報サイトなどを手がかりに知的財産権を扱う都内の弁護士事務所、約30カ所に応募したが、ほとんど相手にされなかった。 「残念ながら、ご期待に沿えません。ご活躍をお祈り申し上げます」といった返事をくれる事務所さえ多くはなく、無視され続けた。  応募先を探す中で、20代を大量に採用する大手弁護士事務所にエントリーしてみようかと思った。ホームページ(HP)を開き、生年の欄にチェックを入れようとしたら、私の生年の「1957」はなかった。端から相手にされていないと感じた。テレビで宣伝している弁護士事務所など相手にしてくれるところもわずかにあったが、著作権の仕事ができそうになかったり、面接で落とされたりした。  約20年前に始まった司法制度改革で、多彩なバックグラウンドを有する人材を多数法曹に受け入れることがうたわれた。しかし、バックグラウンドがあっても年を取っていたらお呼びでないのかと思った。  そんな苦戦の最中、著作権を主要な業務の一つとしている「虎ノ門総合法律事務所」のHPを見つけた。 ■「覚悟」を求める事務所にトライ  弁護士の仕事は「きつい」「厳しい」「きりがない」という意味で「『3Kである』と断言します。この覚悟のない者には、そもそも我が事務所の門を叩く資格がありません」と書いてあった。事務所の雰囲気の良さや、遅くまで仕事をすることはないというような優しく甘いメッセージのHPが目につく中で、異彩だった。  ただ、先輩の弁護士や同期の修習生に聞くと、弁護士の仕事は忙しい。夜遅くまで仕事をするのは当たり前で、週末も仕事をする人が多い。3Kと断言するのはむしろ、正直だ。だいたい、楽ちんな仕事で成長できたり、喜びを味わったりすることはできないだろう。  当方、隠居仕事で弁護士を始めるつもりはない。そう考えた私はこの事務所に応募することを決め、修習の合間に1週間かけて応募書類を書き上げ、送った。  同事務所のHPには、毎年200人以上が新人採用に応募し採用は1人か2人とあった。今度もダメかなと思っていたら、代表から面接するという連絡が来て、神谷町にある事務所に出かけた。  最初は、型通りに志望動機を話した。そのうちに朝日新聞や日本新聞協会でやってきた著作権の仕事に代表も詳しく、仕事を通じた共通の知人もいることがわかり、志望動機よりも双方が知っている話に花が咲き、あっという間に90分くらいが経ってしまった。  面接自体は楽しかったものの、これで良かったのかと感じたが、1カ月後に2次面接に呼ばれた。代表、ベテラン、若手の弁護士の3人と面接し、またまた、90分くらい同じような話をした。それからさらに1カ月以上が過ぎ、採用が決まった。  運が良かったのは間違いない。ただ、編集出身の私が2010年、当時の定年まであと7年だった53歳で縁もゆかりもない知的財産部門に異動し落胆した時、腐らなくて良かったと思う。  そもそも私は60歳を過ぎてもできる限り働きたいと考えていた。著作権の仕事をしているうちに面白くなり、会社を辞めた後もできる仕事として弁護士を目指し法律の勉強を始めた。仕事にも熱が入り、社外に知己が増えた。なぜ、採用してくれたのかはわからないが、仕事を通じて得た知識、経験、人脈が役立ったのではないだろうか。人間万事塞翁が馬とはよく言ったものだ。  就職先が決まった後は、二回試験に合格することが最大の目標になった。不合格でも後の修習期の二回試験を2回受けることができるが、今さら、そんなことはご免だった。  二回試験は、ざっくりいって99%が合格するといわれる。しかし、司法試験では合格者の98%強が私よりも成績が上だった。若くて機敏で優秀な修習生に囲まれ、修習中の成績も大したことなかった私は「ひょっとして落ちるかも」と心配で、懸命に勉強した。司法試験に合格した後もこんなに勉強しなければならないとは思わなかった。  合格のため特に大事といわれたのが、昨年12月から今年1月にかけて行われた集合修習中の論文試験(10回)の復習である。就職先の先輩弁護士から「同じ問題は出ないが、同じ考え方の問題が出る」と助言されたこともあり、集中的に復習した。集合修習の論文試験の解説授業は録画されていたので見ながら復習できたが、授業で表示された教材は原則ダウンロード不可だった。 ■根を詰めすぎて体はふらふらに  そこで、1科目200分から300分の解説授業の教材を1科目丸2、3日かけてノートにほぼ書き写した。これで根を詰めすぎたのか、ストレスのせいか体調が悪くなり、二回試験前日の今年3月22日に軽いふらふら状態になった。  翌日から土日を挟んで5日間5科目(検察、民事弁護、民事裁判、刑事弁護、刑事裁判の順)の試験が始まる。  1科目は午前10時20分から午後5時45分までの7時間25分である。合計37時間5分。司法試験の4日間19時間55分よりずっと長い。二回試験では、長いもので約100ページある記録を読んで答案構成をし、論文を書き上げなければならない。  ふらふらで思考力、体力が持つか心配になって病院に行ったら、点滴をしてくれた。そのおかげか体調はかなり回復し、翌日司法研修所に乗り込むことができ、1科目が終わるたびに疲れて家路についたものの、薬を飲みながら長丁場を乗り切った。  結果発表は4月19日の夕方だった。最高裁判所のHPに不合格者の番号が発表された。恐る恐るアクセスしたら、私の番号はなかった。「これで、弁護士になれる」。ほっとし、うれしさが湧いてきた。  私は4月21日に東京弁護士会に登録し、同日から虎ノ門総合法律事務所で働いている。これからは著作権やジャーナリズムに関する仕事をすることになると思う。  ただ、修習では一般民事と呼ばれるお金や土地、相続などに関する事件や、離婚や別れた子との面会交流といった家事事件、刑事弁護など幅広く修習した。一つひとつの事件にその人の人生がかかっていると思うことが多かった。  幸い、就職した事務所は著作権以外にも多彩な事件を扱っているので、私もいろいろ取り組みたい──。就職前、こう考えていたら、勤務初日、早速、家事事件の担当になった。「姉弁」である先輩弁護士の指導を受けながら依頼者のために働いている。  10年かかってたどりついた弁護士である。64歳から新しいキャリアを始める幸せを噛み締めながら、歩んでいきたい。※週刊朝日  2022年5月27日号

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    <NISAの出口>60歳で相場暴落なら、積み立てた投資信託どうする?

     つみたてNISA、iDeCoなどで投資信託を積み立てる人が激増している。見よう見まねで資産運用を始めたはいいが、「出口問題」についてしっかり考えているだろうか。  出口問題=老後の売却(取り崩し)をどうするか問題のこと。投資は買うより売るほうが難しいのである。5月16日発売の「AERA Money 2022夏号」では、NISAの出口について詳細に解説している。  最悪なのは、いざ投資信託を取り崩そうとしたとき暴落に見舞われることだ。まずはリーマン・ショック後の株価の回復の仕方から「どうすればいいか」を学ぼう。  米国の株価指数、S&P500は2021年の1年間だけで27%も伸びた。それが2022年に入って様相は一変。ロシアがウクライナ侵攻を開始した2月24日には年初からの下落率が10%以上に達した(その後3月中旬から反発、4月上旬は下落)。 「60歳で退職。今年からNISAの投資信託(以下、投信)を取り崩そう」と思っていた矢先に、こういう下落があると売りたくなくなる。どうすればいいのだろう。  GMOクリック証券の谷口幸博さんが、暴落時の鉄則を語る。 「慌てて売らない。つみたて投資で、下落したとたんに売るほどもったいないことはありません」  2021年前半のような株価下落を見ると不安になり、つみたて投資自体をやめる人がいる。持っている投信や株式を売る人も多い。損失の拡大を防ぎたい一心だろうが、つみたて投資の場合、それは間違い。  相場が少し回復して、自分が投資した元本まで戻ったら「もう投資はこりごり。損することにおびえたくない。今なら損していないだけ儲けもの」と売る人もいる。 3年くらい様子を見る 「毎月定額で投信をつみたてている場合は、下がった分だけ安い基準価額でたくさんの口数を買えることになります。老後まで10年以上の時間がある現役世代は、下落をチャンスと捉(とら)えてください。リタイア間近な人も慌てて売らず、3年ほど様子見しましょう」  ここでリーマン・ショックが起こった2008年の1月から2021年12月末までの14年間、毎月1万円をS&P500に連動する投信につみたて投資をしたときのシミュレーションを行った。 「投資元本」とは財布から出したお金のこと。14年間で168万円だ。そして「資産額」は、財布から出したお金と投信自体が増えた分(または減った分)を合わせたもの。リーマン・ショック発生から3年も経つと、投資元本より資産額のほうが上回った。  この期間を振り返ると、リーマン・ショックで始まり、2015年8月に中国人民元切り下げによるチャイナ・ショック、2020年3月には新型コロナウイルス感染症拡大によるコロナ・ショックに見舞われている。  しかし14年に及ぶ毎月1万円のつみたてで、投資元本168万円は2021年末に657万円、つまり約4倍にまで増えた。  下げ相場に突入した2022年の数カ月は、長期投資において「ある一時期」でしかない。 「短期的な下げ局面だけをクローズアップした株価チャートを見ると、ひどい状態に見えます。ただ、数カ月の下落は14年間のつみたて期間から見れば『ごくごく短期間の小さな下げ局面』にすぎません。長期投資は10年、20年という長いスパンで行うもの。短期的な下げに惑わされて全体を見失わないようにしましょう」 生活費を預金で準備  では、60歳の定年退職の際にリーマン・ショックのような大暴落で大切なお金が半分になったらどうすべきなのか。  答えはやはり、「3年ほど待つ」だ。リーマン・ショック後のS&P500は高値から52.6%の暴落を5年5カ月で取り戻している。  最近は定年退職後も再雇用などで働く人が増えた。下落で目減りした老後資産を補てんすべく、働くのもいい。だが、できれば働きたくない人も多いだろう。 「もう働く気がない、もしくは働き口が見つからないことが心配なら、60歳までに運用資産とは別に、最低3年分の生活費を現預金で準備しておくのはどうでしょう」  投資の運用資産以外に生活費3年分をまかなう預金もない人は? 「その場合は、取り崩しが必要になる60歳を迎える3年ほど前から、運用資産の一部を少しずつ売却しておくのもいいでしょう。そうすれば、60歳で暴落に見舞われても、事前に現金化した資金で3年の様子見期間の生活費をまかなえます」  取り崩しにも準備期間が必要ということなのである。  最後に谷口さんの話をまとめよう。 1 慌てて売らない2 リタイア前ならつみたて続行3 リタイア後でも3年ほど待つ4 60歳時点で最低3年分の生活費を準備しておく5 下がり続ける相場はない  「老後を迎えたからといって、暴落時の安値で現金化するのはもったいない。下がり続ける相場はないのです」 (編集・文/綾小路麗香、伊藤 忍)  ※『AERA Money 2022夏号』から抜粋 

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    非常勤講師ではなかった維新・岬議員 「大学の確認が取れました」のナゾ 河村・名古屋市長は告発準備へ

     参院選の選挙公報に書かれた2大学での「非常勤講師」の経歴は虚偽の疑いがあるとして刑事告発された、日本維新の会の岬麻紀衆院議員。AERAdot.が報じてから10日経った5月16日、記者会見を開き、「私の認識と確認の甘さが原因」と非常勤講師でなかったことを認めた。しかし、大学側は明確に否定しているのに、どういう確認をしたら非常勤講師という解釈になったのだろうか?  会見で岬氏は、 「非常勤講師に該当しないことを、今回の報道を受けるまで認識がなかった」 「非常勤講師と記載した理由ですが、当時の私の認識と確認の甘さが原因であると考えております。当時、私は非常勤講師の定義について特に調べていなかった。経歴詐称する気持ちは毛頭ございません」  と説明し、謝罪。給与1カ月分を寄付する意向を示した。  岬氏は2019年の参院選の選挙公報で、<亜細亜大学 非常勤講師><杏林大学 非常勤講師>と記したが、AERAdot.の取材で、そうした事実がないことがわかった。両大学は、岬氏が非常勤講師をしていた事実はない、と正式に回答した。  しかし、岬氏は当初、地元の支援者らに送ったメールでは「潔白」を訴えてきた。  会見での岬氏の説明に怒りをあらわにしたのは、19年の参院選で維新とともに岬氏を共同公認した、地域政党・減税日本代表の河村たかし・名古屋市長だ。 「非常勤講師について調べていなかったという岬氏の発言はなんだ? こちらからは何度も『非常勤講師など、プロフィールは大丈夫か』と確認していたはずだ」  と声を荒らげた。  岬氏が減税日本の面談の際に持参した履歴書には最初、両大学の非常勤講師という経歴は書かれておらず、面談の途中で、自らペンを持って追加したという。  減税日本で岬氏の選挙公報などを担当した幹部は当時のことを、こう振り返る。 「非常勤講師というのはとても重要な経歴です。それまでの面談でも聞いたことがなく、いきなり出てきました。不安に思い、減税日本のスタッフが大学に連絡して確認しましたが、個人情報なので教えてもらえず、岬氏に『自分できちんと確認して』と命じました。選挙準備中にも事務所で岬氏に、『非常勤講師の確認は』と聞くと、自ら携帯電話で連絡し、しばらくして『大学の確認が取れました』と複数のスタッフの前で言っていました。私は『書面で証明書をとってくれ』と言ったのですが、選挙の忙しさもあって、そのままになってしまいました」  岬氏は、参院選で落選後、昨年の衆院選の愛知5区に維新から立候補して落選し、比例代表で復活当選した。維新の愛知県総支部代表の杉本和巳衆院議員は、 「昨年の衆院選で愛知5区に出馬意向を示した際に、私も経歴のことを確認したら『大丈夫だ』と説明していました」  と言葉少なに話す。  一方、岬氏の会見に同席した維新の藤田文武幹事長は、今回の件について、 「岬氏は、履修科目として講義はしていた。その表現の仕方に問題があり、本人からも謝罪があった。法的責任、重い処分を課すのは違うのかなと思います。幹事長からの口頭での厳重注意ということになった」  との処分内容を明かした。  これについて、愛知5区の維新関係者は、 「非常勤講師ではないのに選挙公報に記載していたのは事実、と岬氏が認める中での厳重注意という処分に、維新は『身を切る改革だろう』『身内に甘すぎる』との声も寄せられています」  と話す。  元東京地検の落合洋司弁護士は、自身も非常勤講師を務め、衆院選にも出馬した経験がある。 「私も大学の非常勤講師の経験がありますが、委嘱状や大学のメールアドレスが出され、シラバス(授業計画)にも掲載される。非常勤講師とは、毎日講義はしていないが、大学のルールで正規に選ばれている先生、というのが一般的な社会通念。岬氏の説明を聞くと、かなり社会通念と乖離(かいり)があるように感じる。国会議員になろうとする者が、非常勤講師かどうかはっきり認識できないのに選挙公報などに載せるというのは信じがたい」  こう指摘した上で、 「経歴詐称は、公職選挙法235条に該当します。岬氏に故意があったかどうかがポイント。非常勤講師ではなかったことを岬氏が認めている。すでに検察に刑事告発されており、『真っ白』な嫌疑無しの判断にはならない。起訴されることも想定される。事実関係で検察が故意をどう判断するか」  と説明した。  一方、怒りが収まらない河村市長は、 「こんなことがまかり通ってはいかん。近く刑事告発に向けて弁護士と打ち合わせをする」  と話し、今後も責任を追及する構えだ。 (AERAdot. 編集部 今西憲之)

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    人に話を聞いてもらいたいなら「、」より「。」 ラジオDJ歴25年が明かす“秘伝の技”

     なぜラジオは3時間の生放送でも聞き続けられるのか? ラジオDJとして25年、第一線で活躍し続ける秀島史香さんですが、実は「もともと緊張しがちで人見知りで心配性」といいます。そんな秀島さんだからこそ見つけられた、誰でも再現できる「人が聞き入ってしまう会話のレシピ」を一冊に詰め込んだ『なぜか聴きたくなる人の話し方』からの連載。今回は、「、」よりも「。」を増やすと話を聴いてもらえる理由を紹介します。 *  *  *■会話の第一印象は、「簡潔&完結」が決め手  私がラジオで話す際に、何よりまず大切にしているのが、会話の第一印象です。当たり前ですが、どんな話でも、まずは相手に聞く耳を持ってもらわなくては、その先はありません。  まず目指したいのは、相手に「この人の話をもう少し聞いてもいいかな」と思ってもらうこと。もっと言うと「余計な負荷をかけないこと」。会話の立ち上がりは、これで十分です。  相手に負荷をかけないためにできること。方法はシンプルです。それは「話すときには、短めの一文一文を完結させていく。つまり、意識的に『。』を増やす」ということ。 「え、それだけ?」って思いました? いやいや、これが地味ながら、仕事でも、雑談でも、勝負時でも、相手に聞く耳を開いてもらうための大切な出発点となるのです。  あらゆる会話で大前提にしたいのは、「そもそも人は飽きやすい。その興味をそそり、持続させるのはなかなか大変」という現実です。  どんな状況でも、最初に耳に飛び込んでくる一文が長すぎると、人は「わかりにくい話」と判断し、理解することをやめてしまいます。ただでさえネットのニュースや動画、SNSなど、とにかく「短い尺のもの」が好まれる時代。私たちは「長尺の何か」に対してどんどん耐えきれなくなっています。  そうはいっても、自分が話すとなると、ついダラダラと続けてしまうんですよね。なぜなら「、」を打ちながらつなげて話していくほうが楽だから。  つい「◯◯で~」「◯◯だから~」と次から次へとつなげていく話し方をしていませんか。  文章を書くときにもよく言われる注意点ですね。私も子どもの頃、作文で「朝起きて、学校に行ったら、給食がおいしくて、おかわりしようとしたらジャンケンになって……」とひたすら「、」でつなぎまくって直された思い出があります。  ラジオDJの駆け出し時代も、自信のなさから、「アレもコレも」と話の内容をどんどん付け足してダラダラと長くなり、「で、結局何を言いたいのか?」とよく怒られたものです。  そんな日々から月日は流れました。今でも自分の放送を聞き直しては「こうすればよかった!」というポイントは色々ありますが、客観的に「わかりやすかった」「聞きやすかった」と思えるのは、やっぱりほどよく「。」を入れて話せたときです。  例えば、「昨日は茅ヶ崎の実家に帰りました。」「ここで湘南の話題です。」「今年もイルミネーションが始まりましたね。」と。  活字で目にするとなんてことないように感じますが、それはいまあなたが自分のスピードで文字を追い、理解したから。  会話では当たり前ですが、テロップなしの声だけ。しかも話す人特有のスピードで、いきなり長い文章を話されたらどうでしょう。「ちょ、ちょっと待って!」と聞き手には大きな負荷がかかります。  だからこそ、話はじめは特に意識して「。」を増やし、簡潔に言い切る。相手が話の内容を受け取る際の負荷も、理解度も大きく変わってきます。  何はさておき、短い一文で始めれば、「これからこんな話をしますよ」という全体像を相手に掴んでもらいやすくなります。  相手も「そんな話をするのだな」と聞く準備ができて、続く話の内容を受け取りやすくなります。しかも一文一文が短い話であれば、「まあ、あと少し聞いていてもしんどくないか」と聞く耳を持ってもらえるのです。 「あの人の話ってわかりやすいよね」と感じる人がいたら、それは「何の話?」「この長い話、どこまで続くの?」など余計なストレスがかかっていないということ。  今度話を聞くとき、その人が挟んでくる「。」の数を気にしながら耳を傾けてみてください。「短く言い切ってるな!」と気づくはずです。 ■一文ごとに、お互い、ひと息  リスナーからいただくメールを読む際も、長ーい文章だと、主語と述語がどう対応しているのかわかりづらくなり、理解するのに脳がテンヤワンヤです。とくに、生放送中、初見で声に出して読んでいくときは、文面からリスナーが言わんとしていることを頭に留めながら、書かれている言葉を自分の頭の中で再構築していきます。  そのとき、内容を理解するために、「ええと、つまり、さっきのアレとつながってくるってこと……?」と考えながら、その場で言葉を入れ替えたりつなぎ合わせていくのですが、声は冷静を保ちつつ、頭の中では冷や汗。読みながら「次は何を話すんだっけ?」と、意識が迷子になってしまうこともあります。  例えばラジオで「最近恥ずかしかったこと」がテーマのとき。こんなエピソードを聞かされたら、どうでしょう? <昨日、近所のスーパーに行ったら、新商品のヨーグルトの試食販売をやっていて、『今こそ、免疫力アップ!』なんて言われたらすごく気になって、ちょっと試食してみたら、そのお姉さんがまあマシンガントークで、いろんな種類を次から次へと渡してくれて、断るに断れずで、モグモグ食べていたら、近所の奥さんが通りかかって、挨拶したんですが、恥ずかしくなっちゃって、思わず『これ、おいしいですよー』なんて私まで宣伝しちゃって、参りましたよ!>  ちょっと極端な例ではありましたが、「この話、いつ終わるんだ!?」とつっこみたくなりますね。もちろん息継ぎはしますが、最後まで、ひとつの文章なのです。  こうした「。」のない文は、読んでいても疲れます。ましてや声だけの場合、大量の情報を一気に伝えられると、それを頭で処理しながら話を聞かなければいけません。よほど興味がなければ、集中力が切れて追えなくなってしまいます。  仕事や家事をしながら聞いてもらうラジオ。こんな調子で話を続けたら、「何を言っているのかわからない」とそっぽを向かれてしまいます。悲しいかな、DJの声はただのノイズに。  では、意識的に複数の短めの文に区切ってみるとどうでしょうか。 <昨日、近所スーパーに行ったら、新商品のヨーグルトの試食販売をやっていたんです。『今こそ、免疫力アップ!』なんて言われたら、気になるじゃないですか。ちょっと試食してみたら、そのお姉さんがマシンガントークで大変! 矢継ぎ早にいろんな種類を次から次へと渡してくれるんです。断るに断れず、モグモグ食べていたら、そこに通りかかったのが近所の奥さん。挨拶したんですが、恥ずかしくなっちゃいました。思わず私まで『これ、おいしいですよー』なんて宣伝しちゃいました。参りましたよ!>  こちらのほうが断然、伝わりやすいですよね。これは、一文が完結するたびに、聞き手が話を理解する間が生まれるからです。話し手も、この間を使って、「理解しているかな?」「伝わっているかな?」と相手の様子を確認しながら話を進められます。  伝えたい情報をひとつひとつ手渡して、確認していくイメージです。 ■小さな“シーン”ごとに区切ってみる  短く言い切るコツとしては、ドラマのシーンごとに区切って撮影している感覚。「スーパーに行ったら試食販売をやっている」「宣伝文句を聞いて気になった」「試食してみたら猛烈なセールストークが炸裂」……と、小さいまとまりを作っていきましょう。  このようなイメージを思い浮かべながら、まずは「簡潔&完結」に言い切るように意識してみてください。  慣れないうちは、「なんだか心もとないな」と違和感があるかもしれません。でも大丈夫。日頃から、「。」を打とう、言い切ろう、と意識していると、次第に習慣として身についていきます。  習慣化すれば、話をダラダラつなげること自体、気持ち悪く感じるようになってきます。そうなればもうこっちのもの。  会話の中の「。」を大切にすることで、あなたの会話の第一印象はスッキリ分かりやすいものへと変わっていきます。  しかも今すぐ始められるシンプルさ。「本当にそれだけで?」と思った方は、今日は一口試してみるような感覚で、ひとつでも「。」を増やすことを意識してみてくださいね。小さな工夫で会話の印象を大きくアップさせる第一歩。まずは気軽に始めていきましょう。 【ここまで聴いてくれたあなたへ】「。」を増やせば、わかりやすさが増す。 (構成/小川由希子)

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    追い詰められたプーチン 「ウラー」三唱と異例の演説の結びに見る異変

     5月9日のロシア対独戦勝記念日、演説では戦争宣言は行われなかった。だが、締めくくりは極めて異例だった。見えてくるのは追い詰められたプーチン大統領の姿だ。AERA 2022年5月23日号から。 *  *  *  ロシアにとって最も重要な祝日である対ナチス戦勝記念日の5月9日。注目されたプーチン大統領による「戦争宣言」はなく、静かに過ぎ去った印象を与えた。だが、赤の広場で行われた演説は、実は極めて異様なものだった。プーチン氏は間違いなく、かつてないほど追い詰められている。  私が驚かされたのが、演説の締めくくりだった。  プーチン氏は「ロシアのために! 勝利のために!」と声を張り上げた後、「ウラー!(万歳!)」と叫んだ。広場を埋め尽くした兵士が地響きのような「ウラー」三唱で応え、軍楽隊がロシア国歌を演奏する。式典前半のクライマックスだ。  だがこれは、これまで一度も聞いたことがなかった演説の終わらせ方なのだ。  昨年までは毎年5月9日に行われる演説は「勝利の日、おめでとう!」、または「偉大な勝利の日、おめでとう!」と力強く宣言して締めくくるのがお決まりのパターンだった。それから「ウラー!」、そして国歌へと続く。ほとんど様式美として定着してきた段取りを、今回あえて変えたことの意味は決して小さくない。  そもそも5月9日は、第2次世界大戦でナチスドイツがソ連や米英などの連合国に無条件降伏した記念日だ。周辺国を侵略し、ユダヤ人の絶滅を図ったヒトラーの悪夢から欧州が解放された世界史的な意義を持つ。凄惨を極めたドイツとの戦いで、ソ連の死者は2700万人にのぼったとされる。もちろん、当時ソ連の一部となっていたウクライナの人々も、この数字には含まれている。  そうした犠牲者を追悼し、和解と平和を誓う意味が、戦勝記念日には込められてきた。  これまでプーチン大統領が演説の最後に繰り返してきた「勝利の日、おめでとう!」は、連合国に限らず、戦後の平和を享受してきたすべての人が共有できる祝意だった。  ところが今年の戦勝記念日は、プーチン氏によって「ロシアのため」と位置づけられてしまった。随分とちっぽけな日にしてしまったなあ、というのが、私の率直な感慨だ。  プーチン氏が締めくくりに述べた「勝利のために」もそうだ。これが77年前の戦勝のことではなく、今行われているウクライナでの戦いに勝利を誓った言葉であることは明らかだ。  第2次大戦終戦という歴史的意義を忘れ、目の前の戦いで頭がいっぱいというプーチン氏の実態が、はっきりと見て取れる演説だった。(朝日新聞論説委員・駒木明義)※AERA 2022年5月23日号より抜粋

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    佳子さまの装いは「満点以上」とマナー解説者が絶賛 耳を出したハーフアップにした理由とは

     森林づくりの功労者を表彰する「第31回森と花の祭典―みどりの感謝祭式典 “感じよう みどりの恵みと 木のぬくもり” 」の式典が7日、東京都千代田区で行われ、秋篠宮家の次女・佳子さまが出席された。前回は姉の小室眞子さんが出席し、コロナ禍で3年ぶりの式典となった今回は佳子さまが初めて臨まれた。そのときの佳子さまの装いが「壇上のフラワーアレンジメントとマッチしてすごい!」という。 *  *  *  写真を見れば一目瞭然、その日の佳子さまの装いは、まさに「華」があった。 「グリーンがベースでピンクと白い花柄の刺繍があしらわれたセットアップに、同系色のノーカラージャケットを羽織られていました。足元はベージュのパンプス、手元には小ぶりのベージュのクラッチバックと白の手袋をお持ちになっていました。髪型は耳をしっかり出し、後ろでまとめたハーフアップにパールのイヤリングにパールのネックレスをされていました」(皇室記者)  この装いと身だしなみを「満点以上の高得点」と絶賛するのは大手企業のマナーコンサルティングを長年務めるマナー解説者の西出ひろ子さん。西出さんがまず挙げるのが髪型だ。 「まず髪型ですがハーフアップにしていらっしゃって、耳を出すというのは、すっきりときちんとした印象になるのと、おじぎをしたときに髪が顔にかかることがない。だらりと髪の毛が顔にかかるのは、清楚感や清潔感に欠けると思う方もいるのでハーフアップというのはとても大事ですね」  続けて、その装いも素晴らしいと言う。 「お若い方がカチッとしたフォーマルを着てしまうと年齢よりもかなり老けて見えたり、服に着られてしまう感じになるのをレースの花柄のモチーフのセットアップが解消しています。とても、可愛らしく、でもきちんとした印象もある素敵なフォーマルの装いだと思いました。また、ピンクにグリーンの差し色もあり、“みどりの感謝祭”への気持ちを表すのにぴったりです」(西出さん)  さらに、西出さんが感心したポイントが靴とバッグの色選び。 「一番感心したのはパンプスとバッグの色を同色にしていること。これは、フォーマルなマナーで重視されていることです。基本的なことですが、あまり浸透していないことなので、佳子さまはさすがだと思いました。足元にベージュを選ばれているのも素晴らしい。全体的な色味から黒い靴や茶色の靴は合わせないと思いますが、今回の佳子さまのような淡い色の服に黒い靴を合わせている方も正直多いです。統一感のあるベージュになさっていることで高得点過ぎるといいますか、身だしなみというマナーにおいて満点以上の着こなしです!」(西出さん)  さらに、佳子さまは、式典の壇上にある花も味方に付けていた。 「ステージに飾られた生花が佳子さまのジャケットの下のセットアップの色合いに合わせられたようでした」(皇室記者)  1枚目の写真が生花を背にした佳子さまだが、たしかに「華」がある。ここ数年、秋篠宮家と言えば眞子さんの話題ばかり取り上げられることとなってしまったが、佳子さまのファッションから紐解くとしっかり大人の階段を上っているようだ。年代を追って振り返ってみる。 【1】姉妹でお揃いコーデが定番だった 2007年8月31日、佳子さまと遊ぶ、もうすぐ1歳をむかえられる悠仁さま。この時12歳の佳子さまは眞子さま(当時)と似た感じのジャケットスタイルで初々しい。佳子さまがもっと幼い頃は姉妹で全身同じコーデだったり、色違いのワンピースだった。 【2】佳子さまのファッションに変化が! 2007年御用邸近くの葉山しおさい公園を訪れ、日本庭園の池の鯉に餌を与え楽しげな佳子さまと眞子さま(当時)。この頃から、姉妹お揃いからは卒業!? 真っ白なダウンにミニスカート、足元はボアブーツで。姉の眞子さまのセーターがトラディショナルなアーガイル柄のタートルなのに対し、妹・佳子さまは襟元ゆったりなタートルが対照的。 【3】グッとおしゃれ度が増しカジュアル路線に 2012年9月6日で6歳になった秋篠宮家の長男・悠仁さまと眞子さま(当時)と佳子さま。この年に大流行したダンガリーシャツにパッチワークのワンピースを合わせたスタイル。ダンガリーシャツは裾を結んでご自分なりのアレンジをきかせている。当時は、赤文字系ファッション誌できれいめファッションが取り上げられた最後の年で、その後、ナチュラル・カジュアルへ転換していったのがこの頃。 【4】同じ入学式スタイルでもこんなに違う 左は2013年4月学習院大学文学部教育学科へ入学式に向かう佳子さま。右は2015年、前年にAO入試で合格した国際基督教大学教養学部アーツ・サイエンス学科の入学の1枚。スーツは同じだが、高校卒業後すぐの入学式とその2年後、真っ黒ストレートヘアから少し明るい髪色でふんわり毛先を遊ばせたスタイルに変身している。 【5】母と娘たちコートの着こなしも様々 2017年2月28日ベトナムへ出発する天皇、皇后両陛下(当時)を見送る紀子さま、眞子さま(当時)、佳子さまは3者3様のコートスタイル。佳子さまはダブルブレストコートでウエストに切り返しがあり脚長効果も。つばがやや広めのしっかりした帽子で小顔効果もありスタイルよく見える。 【6】真っ白なワンピーススーツで外国訪問へ 2019年9月15日オーストリアとハンガリーを公式訪問するため、羽田空港を出発する秋篠宮家の次女佳子さま。光沢のある真っ白なワンピーススーツで清楚な感じもしつつ、程よいフレアスカートでかっちり過ぎず23歳らしいフレッシュな印象に。よく見るとストッキングもナチュラルベージュではなく光沢がある白っぽいものにしていて、そのコーデは完璧過ぎる! 【7】アイテムのチョイスが絶妙 2019年12月の25歳のお誕生日前に公開された秋篠宮邸の庭を散策する佳子さま。佳子さまが着ているダッフルコートと言えば紺色かキャメルカラーが定番。それを鮮やかなスカイブルーで、しかもショート丈のチョイスはかなりのオシャレ上級者!? 写真では見えにくいがワイドパンツとのコーデをしていて年齢相応の大人カワイイも演出。 【8】「姉が主役」のため落ち着いた装い 2021年10月26日眞子さま(当時)を見送る秋篠宮ご夫妻と佳子さま。あまりに有名になってしまった姉妹のしばしのお別れのシーンだが、嫁ぐ姉に寄り添う佳子さまはグッとシックな装い。「この日は姉が主役」とTPOをわきまえられた気持ちの表れも感じられる。  前出の西出さんは、着こなしにはTPOをわきまえることの大切さを指摘する。 「身だしなみや服装において、一般的に大事なことはTPOです。私はマナーの専門家として“P”をさらに2つ加えていてTPPPOと言っております。TはTIME(時間)、PはPLACE(場所)、私が加えるPの一つ目はPERSON(人)。どんな人と一緒にいるか、どんな相手と接するのかによって服装や身だしなみが変わります。もう一つのPはPOSITION(立場)です。例えば、結婚式の服装で言うと、親族なのか友人なのか立場で変わりますよね。この2つのPがとても大事なのかなと思っています。佳子さまの今回の式典の話しに戻すと、今回の“みどりの感謝祭”というのは、樹木や草花を大切にしていく気持ちが、しっかり服装に表れていたなと思いました」(西出さん)  佳子さまの今回の装いを見ても、ファッションの変遷をたどってみてもなかなかの上級者なのかもしれない。(AERAdot.編集部・太田裕子)

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    「ゴルバチョフ氏の愚は繰り返さぬ」鈴木宗男氏が語るプーチン大統領の論理

     ウクライナに侵攻したロシア。プーチン大統領は何を考えているのか。AERA2022年3月14日号では「ウクライナとロシアの現実」を緊急特集。彼と4回会ったことがあるという鈴木宗男・参議院議員に聞いた。 *  *  *  プーチン大統領の考えを理解するには、東西冷戦が終結した頃からの歴史を俯瞰する視点が必要です。  1989年にベルリンの壁が崩壊し、ブッシュ(父)米大統領とゴルバチョフ・ソ連書記長の間で東西ドイツの統一に向けた議論が始まりました。その時、北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大はしない、と米国はソ連に約束しました。  文書化されていませんが、当時のベーカー米国務長官の回顧録『シャトル外交 激動の四年』(新潮文庫)にも、1990年2月9日のベーカー国務長官とゴルバチョフ氏の会談で「1インチたりとも拡大しない」と伝えた場面が紹介されています。  ゴルバチョフ氏は西側を信頼し、ワルシャワ条約機構を91年に解体したのです。  この頃、KGB職員として東ドイツにいたのがプーチン氏でした。ところがNATOはその後、東方拡大を進めました。  プーチン氏は一方的に約束を反故にしてきた米国の信義違反を繰り返し批判してきました。ゴルバチョフ氏はノーベル平和賞を受賞しましたが、結果として「弱いロシア」になってしまった。プーチン大統領には、西側を善意に解釈したゴルバチョフ氏の愚は繰り返さない、という強い決意と覚悟があります。  NATOに加盟した旧ソ連の国々にはロシアに照準を向けたミサイルが配備されています。ウクライナまでNATOに加盟する事態をロシアは看過できません。  しかし、今の日本のメディアを見ていると、「ウクライナが善、ロシアが悪」という構図の報道ばかりが目につきます。これはちょっと短絡的すぎる。ウクライナのゼレンスキー大統領に何らの過ちもなかった、というのは公平な見方ではないと思います。  ウクライナ東部の「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」で続く紛争をめぐっては、「ミンスク合意」という和平の道筋があります。2014年に欧州安全保障協力機構(OSCE)が支援し、ウクライナ、ロシアとドネツク、ルガンスクの4者が署名した停戦合意と、15年にドイツとフランスが仲介した「ミンスク2」という包括的な和平合意です。  この和平合意を履行しなかったのは、19年に大統領に選出されたゼレンスキー氏です。彼は、自分はミンスク合意に署名していないと言い始めたり、昨年10月に攻撃ドローンを飛ばしたりしたことが、現在に至る緊張状態の発端になっています。米国も今年に入り「ロシアは明日にも侵攻する」といった情報を世界に流し続けました。  プーチン氏には「挑発」と映ったはずです。米国は本来、ロシアとウクライナの間に話し合いの場を設け、ミンスク合意の履行を双方に促すのが役割だったはずです。ロシアが侵攻に踏み切ったのは、この間、話し合いに応じようとしなかったゼレンスキー氏がミンスク合意を履行しないことが明白になったからだと思います。  ロシアが侵攻する前の動きを時系列で見れば、プーチン氏は話し合いを求めたが、それに応じなかったのはゼレンスキー氏です。  ミンスク合意をウクライナが履行していればこんな事態は起きなかった。ゼレンスキー氏が大統領になるまでは散発的な戦闘は起きても、紛争の拡大は抑えられてきましたから。外交は積み重ねです。過去の約束は守るのが基本です。米国が言っていることがすべて善、ロシアは悪という単純な分け方は危険です。  私は今回のロシアの侵攻、力による現状変更、主権侵害は認められるものではないという前提でお話ししています。ただ、ここに至るにはそれなりの経緯がある、ということを知ってもらいたいのです。  プーチン氏の目的は、ウクライナの中立化だと思います。紛争を抱えている国はNATOに入れません。ドネツクやルガンスクで紛争が続いていますから、ウクライナはもともとNATOに加盟できる状況ではありません。プーチン氏が求める中立化は、NATOに加盟しないというのにとどまらない、スイス、オーストリアのようなイメージをしているのではないでしょうか。  私はプーチン氏に4回会ったことがあります。  1999年にキルギスで日本人技師4人が誘拐された事件が起きた直後のアジア太平洋経済協力会議(APEC)で、当時首相だったプーチン氏と初めて面談しました。当時、プーチン氏は恩着せがましく外交カードとして利用することなく、事件の解決に尽力してくれました。強面と言われますが、人情家だと思います。  また、56年の日ソ共同宣言の有効性を認めた指導者は、ソ連、ロシア時代を通じてプーチン氏が初めてです。日本は北方領土や平和条約締結という政治課題がなければ、米国と一体でいいと思います。しかし、日本の国益を踏まえれば、ゼレンスキー氏ともプーチン氏ともバランスの取れたトップ外交を展開すべきだと思います。  長い目で見れば、中国の東アジアでの覇権主義的な動きを抑えられるのは米国ではなく、ロシアではないでしょうか。ロシアは世界一のエネルギー資源大国です。2050年のカーボンニュートラルに向けても、当面はロシアのLNG(液化天然ガス)が必要です。  いかほどの経済制裁をしても事態は収まりません。いま必要なのは一にも二にも話し合いです。 ○鈴木宗男氏(すずき・むねお)1948年、北海道足寄町生まれ。日本維新の会所属の参院議員。小渕内閣で内閣官房副長官を務めた。北方領土問題の解決に取り組んでいる。 (構成/AERA編集部・渡辺豪)

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    久保建英は“微妙な”位置 日本代表W杯メンバー入り「当確」&「当落線上」の選手を考察

     サッカーW杯カタール大会の開幕まで約半年。森保一監督率いる日本代表が今後、本大会へ向けた強化と仕上げを行う中で、選手たちは熾烈な「メンバー入り」を争うことになる。6月に組まれている強化試合で序列が変わる可能性は大いにあるが、改めて現時点での「当確」とともに「当落選上」の選手たちを整理したい。  現時点での「当確」は11人か。予選突破を決めるまでの全9試合でゴールマウスを守った権田修一と、唯一無二のキャプテンシーでチームを牽引してきた吉田麻也。もはやワールドクラスの能力を持つといえる冨安健洋と故障から復帰すれば不動の右SBである酒井宏樹もメンバー入り間違いなし。中盤では、遠藤航は欠くことのできない「チームの心臓」であり、最終予選途中から採用した4-3-3システムにおいて高い機能性を示した守田英正、田中碧の2人も不可欠な存在だ。  そして、最終予選で救世主となった伊東純也、三笘薫の2人のドリブラーは間違いなく現チームのストロングポイントであり、日本人の中では傑出した得点能力を持つ南野拓実も外せない。さらに控えながらCBとアンカーを高いレベルでこなせる板倉滉も必ず連れて行くだろう。彼ら11人は、すでにドーハ行きの航空券を手渡されているといえるような存在だ。  さらに、当確は打てなくても「濃厚」といえる面々もいる。W杯での経験をチームに還元できるベテランGKの川島永嗣に対する森保監督の信頼は厚く、DF陣ではレギュラー不在時にも安定したプレーを見せた谷口彰悟と山根視来の2人は最終予選で能力の高さと連携面でも問題ない証拠を見せた。また、パフォーマンス対しての賛否はあった中でも起用され続けた長友佑都、その控えながら途中出場のカードとして重用された中山雄太も、森保監督はカタールに連れて行くだろう。  中盤では、インサイドハーフでもウイングでも起用可能な原口元気の汎用性が高く、メンバーには必ず入るはず。同様に、最前線で使い続けてきた大迫勇也をメンバー外とすることは考え難く、Jリーグでも進化した姿を見せている上田綺世の序列も高い。以上の8人は、まだ手渡されてはいないが、すでに記名済みのチケットが用意されているといえる面々だろう。  ここで前回大会までなら“残り4枠”という狭き門になるが、コロナ禍の影響が続く今回のW杯は、すでに定着している「1試合5人交代制」とともに、選手登録枠を「23人」から「26人」へと拡大される見通し。そうなれば「残り7枠」となり、随分と選択肢が増える。ポジション的には「GK」を1人、「3センター」の控えと「ウイング」も左右で1人ずつ欲しいところ。南野を前線のマルチロールと考えても、4-2-3-1にした際の「トップ下」に1人、さらに「最前線のFW」にもあと1人は必要。残る1人は、3バックにした際の「CB」もしくは「ウイングバック」、あるいは日本の将来を見据えた「育成枠」があるかも知れない。  そう考えた際、「GK」の残り1枠はシュミット・ダニエルと谷晃生の争いになる。ともに能力的には権田と遜色なく、シュミット・ダニエルには権田を10センチ上回る身長197センチの高さとベルギーリーグで強靭なフィジカルを持つFWと対峙してきた経験がある。谷も身長190センチと高さは十分で、21歳の若さとともに東京五輪で現在のDFラインの面々たちと戦い、スペインと対峙した経験がある。現時点で優劣の判断を下すのは難しく、6月シリーズの4試合の中でのパフォーマンスが重要な決定材料になりそうだ。  中盤の「3センター」の人選も悩みどころだろう。最終予選の途中まで2ボランチの主戦格だった柴崎岳と優れたポリバレント性を持つ旗手怜央が有力だが、ともに決め手を欠くことも事実。その他にも優れた選手は多く、森保ジャパンで招集歴のある橋本拳人や稲垣祥、あるいはスイスで結果を残している川辺駿やポルトガルでインサイドハーフとしての能力を開花させた藤本寛也もいる。さらにベルギーで活躍を続ける森岡亮太も対応可能な能力を持っているはずだが、果たして森保監督の構想に入っているのかどうか。Jリーグにも樋口雄太や橘田健人ら楽しみな人材が頭角を現しており、6月シリーズで初招集される選手がいるかどうかが大きな注目点だ。  左右の「ウイング」は激戦区といえる。伊東に続く右は、久保建英と堂安律の争い。久保には他の日本人にはないメンタリティーがあり、東京五輪で見せたような大舞台での強さも魅力になるが、堂安は代表漏れを経験してからオランダリーグで一気にギアを入れ替えたような活躍を披露しており、メンバー外にするのは非常に惜しい。一方、最終予選で「先発・南野」と「ジョーカー・三笘」の形が試合を重ねるごとに機能していった左は、中島翔哉の復帰や奥川雅也の抜擢を求める声があるが、ここまでの森保監督のチーム作りの流れを見る限りでは、浅野拓磨や前田大然のといったスピードタイプのFWがウイングとして起用される可能性の方が高そうだ。  現状ではオプションであるが、点を取りに行く際に必要になるであろう「トップ下」では、欧州カップ戦で躍動した鎌田大地の復権がありそうだ。だが、先述した森岡もトップ下が主戦場であり、南野も適正は左サイドよりもトップ下にある。“日本の至宝”である久保も、トップ下の方が多彩なプレーを表現できるが、現状では伊東と南野の控えであり、今後、堂安と鎌田が所属クラブでアピールを続ける傍ら、久保が来シーズンもベンチスタートの日々が続くようだと、ドーハ行きの飛行機に乗り遅れる可能性もある。 「最前線のFW」は、セルティックのスターとなった古橋亨梧が、大迫、上田に続く3人目としては有力。左サイドもこなせる点もメンバー入りへのプラス材料になる。同じく、前田大然のスプリント能力は非常に魅力的で、ドイツ、スペインを相手にした際の「前線からのプレッシング」においても必ず相手の脅威になる。そこに林大地や原大智のベルギー組、そしてJリーグで出色のプレーを続けている鈴木優磨が“サプライズ招集”されることはあるのか。いずれにしても、最終予選を戦った主要メンバーの中では、GKを除いて柴崎、旗手、久保、堂安、浅野、前田、鎌田、古橋が「当落線上」にあり、その中から最低2人は「落選」することになるだろう。  さらに6月シリーズでの新たに招集されると見られている伊藤洋輝と菅原由勢らがアピールに成功すれば、谷口、山根、長友、中山といった現状では「濃厚」と思われる守備陣の面々も「落選」する可能性はあり、佐々木翔や植田直通といった面々もチャンスはゼロではない。また、「5人交代制」を有効活用するためには、流れを変えられる攻撃陣の交代選手を多く用意すべきであり、対ドイツ、対スペインの戦略を練る中で3バックシステムへの変更を考えるのであれば、チーム編成も変わってくる。  果たして、森保監督はどのような「26人」を選んでカタール・ドーハの地へ向かうのか。アジア予選と本大会とでは戦い方が異なり、“弱者”である日本が決勝トーナメントに進出するためには、より挑戦的な戦いとメンバー選考が必要になる。まずは6月に組まれている4試合に注視し、残り半年の“サバイバルレース”の中で森保ジャパンが「強くなる」ことを願いたい。(文・三和直樹)

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    ジェーン・スー「身に覚えはないけど発熱し陽性判明…もしものための情報収集が大事」

     作詞家、ラジオパーソナリティー、コラムニストとして活躍するジェーン・スーさんによるAERA連載「ジェーン・スーの先日、お目に掛かりまして」をお届けします。 *  *  *  今年はどんなゴールデンウィークを過ごされましたか? 私は新型コロナウイルスに罹患し、ずーっと家に引きこもっておりました。  3回目のワクチンを接種して、12日後の感染。身に覚えはありませんし、身近に感染者もいない。出先でクラスターが発生した話も聞きません。十分に注意して生活していたつもりでしたが、過去にないほど私の周りにも罹患者が増えていたし、いつかはくるだろうと思っていたこと。仕方ないと腹を括りました。  感染が判明したのは、水曜日の夕方。仕事場でいつものように原稿を書いていると、なんだか暑い。いや、「暑い」はさすがにおかしいと思い熱を測ると、37.2度でした。  前々日にはくしゃみが止まらず、喉も少しイガイガしていたっけ。翌日にはすっかり治っていたので、あれはなんらかのアレルギーだなと思っていたけれど、熱があるならアレルギーではなさそう。  仕事仲間から、37.2度の熱で念のためPCR検査を受けたところ、まさかの陽性だったという話を数カ月前に聞いたばかり。ならばと、私は目の前にあった抗原検査キットの袋を開け、パパッと検査。もちろん、厚生労働省が推奨しているキットです。  結果、陽性。こりゃまずい。私はすぐに、東京都の発熱相談センターに電話を掛けました。指示の通り、発熱していてもPCR検査をしてくれる近くの病院に電話し、即赴く。15分で結果が出るPCR検査を経て、正式に陽性者と認定。  なんと、仕事場で熱を測ってからPCR検査で陽性判定が出るまで、たったの1時間半。我ながら手際の良さに惚れ惚れ。これもひとえに、身近な元罹患者から話を聞いていたからこそ。おススメは、いまのうちにウェブサイトで仕事場と家のそばの発熱外来をチェックしておくことです。ここで躓(つまず)くと面倒なので。  幸い、自宅にはある程度の備蓄があり、東京都から食料も届き、友人がドアノブに美味しいものを掛けてくれたり、ネットスーパーを使ったりで快適な毎日でした。もしかしたら、こんなにしっかり休めたのは数年ぶりかも。皮肉にも、真のゴールデンウィークとなりました。ひたすらに惰眠をむさぼったおかげで、なんだか以前より元気かも?  仕事仲間には迷惑を掛けてしまいましたが、「お互い様だよ」と優しい声ばかり掛けられて、柄にもなくウルッときました。 ○じぇーん・すー/1973年、東京生まれ。日本人。作詞家、ラジオパーソナリティー、コラムニスト。著書多数。『揉まれて、ゆるんで、癒されて 今夜もカネで解決だ』(朝日文庫)が発売中。 ※AERA 2022年5月23日号

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    佳子さまの装いは「満点以上」とマナー解説者が絶賛 耳を出したハーフアップにした理由とは

     森林づくりの功労者を表彰する「第31回森と花の祭典―みどりの感謝祭式典 “感じよう みどりの恵みと 木のぬくもり” 」の式典が7日、東京都千代田区で行われ、秋篠宮家の次女・佳子さまが出席された。前回は姉の小室眞子さんが出席し、コロナ禍で3年ぶりの式典となった今回は佳子さまが初めて臨まれた。そのときの佳子さまの装いが「壇上のフラワーアレンジメントとマッチしてすごい!」という。 *  *  *  写真を見れば一目瞭然、その日の佳子さまの装いは、まさに「華」があった。 「グリーンがベースでピンクと白い花柄の刺繍があしらわれたセットアップに、同系色のノーカラージャケットを羽織られていました。足元はベージュのパンプス、手元には小ぶりのベージュのクラッチバックと白の手袋をお持ちになっていました。髪型は耳をしっかり出し、後ろでまとめたハーフアップにパールのイヤリングにパールのネックレスをされていました」(皇室記者)  この装いと身だしなみを「満点以上の高得点」と絶賛するのは大手企業のマナーコンサルティングを長年務めるマナー解説者の西出ひろ子さん。西出さんがまず挙げるのが髪型だ。 「まず髪型ですがハーフアップにしていらっしゃって、耳を出すというのは、すっきりときちんとした印象になるのと、おじぎをしたときに髪が顔にかかることがない。だらりと髪の毛が顔にかかるのは、清楚感や清潔感に欠けると思う方もいるのでハーフアップというのはとても大事ですね」  続けて、その装いも素晴らしいと言う。 「お若い方がカチッとしたフォーマルを着てしまうと年齢よりもかなり老けて見えたり、服に着られてしまう感じになるのをレースの花柄のモチーフのセットアップが解消しています。とても、可愛らしく、でもきちんとした印象もある素敵なフォーマルの装いだと思いました。また、ピンクにグリーンの差し色もあり、“みどりの感謝祭”への気持ちを表すのにぴったりです」(西出さん)  さらに、西出さんが感心したポイントが靴とバッグの色選び。 「一番感心したのはパンプスとバッグの色を同色にしていること。これは、フォーマルなマナーで重視されていることです。基本的なことですが、あまり浸透していないことなので、佳子さまはさすがだと思いました。足元にベージュを選ばれているのも素晴らしい。全体的な色味から黒い靴や茶色の靴は合わせないと思いますが、今回の佳子さまのような淡い色の服に黒い靴を合わせている方も正直多いです。統一感のあるベージュになさっていることで高得点過ぎるといいますか、身だしなみというマナーにおいて満点以上の着こなしです!」(西出さん)  さらに、佳子さまは、式典の壇上にある花も味方に付けていた。 「ステージに飾られた生花が佳子さまのジャケットの下のセットアップの色合いに合わせられたようでした」(皇室記者)  1枚目の写真が生花を背にした佳子さまだが、たしかに「華」がある。ここ数年、秋篠宮家と言えば眞子さんの話題ばかり取り上げられることとなってしまったが、佳子さまのファッションから紐解くとしっかり大人の階段を上っているようだ。年代を追って振り返ってみる。 【1】姉妹でお揃いコーデが定番だった 2007年8月31日、佳子さまと遊ぶ、もうすぐ1歳をむかえられる悠仁さま。この時12歳の佳子さまは眞子さま(当時)と似た感じのジャケットスタイルで初々しい。佳子さまがもっと幼い頃は姉妹で全身同じコーデだったり、色違いのワンピースだった。 【2】佳子さまのファッションに変化が! 2007年御用邸近くの葉山しおさい公園を訪れ、日本庭園の池の鯉に餌を与え楽しげな佳子さまと眞子さま(当時)。この頃から、姉妹お揃いからは卒業!? 真っ白なダウンにミニスカート、足元はボアブーツで。姉の眞子さまのセーターがトラディショナルなアーガイル柄のタートルなのに対し、妹・佳子さまは襟元ゆったりなタートルが対照的。 【3】グッとおしゃれ度が増しカジュアル路線に 2012年9月6日で6歳になった秋篠宮家の長男・悠仁さまと眞子さま(当時)と佳子さま。この年に大流行したダンガリーシャツにパッチワークのワンピースを合わせたスタイル。ダンガリーシャツは裾を結んでご自分なりのアレンジをきかせている。当時は、赤文字系ファッション誌できれいめファッションが取り上げられた最後の年で、その後、ナチュラル・カジュアルへ転換していったのがこの頃。 【4】同じ入学式スタイルでもこんなに違う 左は2013年4月学習院大学文学部教育学科へ入学式に向かう佳子さま。右は2015年、前年にAO入試で合格した国際基督教大学教養学部アーツ・サイエンス学科の入学の1枚。スーツは同じだが、高校卒業後すぐの入学式とその2年後、真っ黒ストレートヘアから少し明るい髪色でふんわり毛先を遊ばせたスタイルに変身している。 【5】母と娘たちコートの着こなしも様々 2017年2月28日ベトナムへ出発する天皇、皇后両陛下(当時)を見送る紀子さま、眞子さま(当時)、佳子さまは3者3様のコートスタイル。佳子さまはダブルブレストコートでウエストに切り返しがあり脚長効果も。つばがやや広めのしっかりした帽子で小顔効果もありスタイルよく見える。 【6】真っ白なワンピーススーツで外国訪問へ 2019年9月15日オーストリアとハンガリーを公式訪問するため、羽田空港を出発する秋篠宮家の次女佳子さま。光沢のある真っ白なワンピーススーツで清楚な感じもしつつ、程よいフレアスカートでかっちり過ぎず23歳らしいフレッシュな印象に。よく見るとストッキングもナチュラルベージュではなく光沢がある白っぽいものにしていて、そのコーデは完璧過ぎる! 【7】アイテムのチョイスが絶妙 2019年12月の25歳のお誕生日前に公開された秋篠宮邸の庭を散策する佳子さま。佳子さまが着ているダッフルコートと言えば紺色かキャメルカラーが定番。それを鮮やかなスカイブルーで、しかもショート丈のチョイスはかなりのオシャレ上級者!? 写真では見えにくいがワイドパンツとのコーデをしていて年齢相応の大人カワイイも演出。 【8】「姉が主役」のため落ち着いた装い 2021年10月26日眞子さま(当時)を見送る秋篠宮ご夫妻と佳子さま。あまりに有名になってしまった姉妹のしばしのお別れのシーンだが、嫁ぐ姉に寄り添う佳子さまはグッとシックな装い。「この日は姉が主役」とTPOをわきまえられた気持ちの表れも感じられる。  前出の西出さんは、着こなしにはTPOをわきまえることの大切さを指摘する。 「身だしなみや服装において、一般的に大事なことはTPOです。私はマナーの専門家として“P”をさらに2つ加えていてTPPPOと言っております。TはTIME(時間)、PはPLACE(場所)、私が加えるPの一つ目はPERSON(人)。どんな人と一緒にいるか、どんな相手と接するのかによって服装や身だしなみが変わります。もう一つのPはPOSITION(立場)です。例えば、結婚式の服装で言うと、親族なのか友人なのか立場で変わりますよね。この2つのPがとても大事なのかなと思っています。佳子さまの今回の式典の話しに戻すと、今回の“みどりの感謝祭”というのは、樹木や草花を大切にしていく気持ちが、しっかり服装に表れていたなと思いました」(西出さん)  佳子さまの今回の装いを見ても、ファッションの変遷をたどってみてもなかなかの上級者なのかもしれない。(AERAdot.編集部・太田裕子)

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    「堅あげポテト」や「ピザポテト」を開発したカルビーの“神”が「かなわない」ともらした“国民的おやつ”とは

     人気ポテトチップスを次々と開発した“神”と呼ばれる人がいる。カルビーの遠藤英三郎品質保証本部長だ。遠藤氏は、過去に「ピザポテト」や「堅あげポテト」、「ア・ラ・ポテト」など人気ポテトチップスを多数開発。SNSでは遠藤氏のことを「神」「創造神」などと称える声もある。ヒット商品はどのように開発されたのか、なぜ“ヒットメーカー”になれたのか、など本人に話を聞いた。 *  *  * ――様々なヒット商品を出していますが、最も思い入れのある商品は何ですか?   『堅あげポテト』です。開発からブランドの確立まで一番時間がかかりました。開発を始めたのは、1992年で、それまでポテトチップスは中高生がメインターゲットだったんです。でも、日本の人口の動きを見ると、この層は少子化でどんどん減っていくことが十分に予想できる。それで大人向けのポテトチップスを作ろうと。そこで注目したのが堅あげのポテトチップスでした。 ――「堅さ」に注目したのはどういうきっかけだったんでしょうか。遠藤さんの役割が大きかったのでしょうか。  その辺りは、私の発想というよりは、マーケティングの成果だったと思います。海外の市場を見ていたときに、昔から「釜揚げ製法」でつくられる堅いポテトチップスがあったんです。だけど、大量生産もできない製法で、一定のニーズはあったんですけど、メジャーな商品にはなり切れていない感じでくすぶっていたんです。しかも、日本ではまだ商品化されていない。それに着目して、食べ応えがあって、一部の消費者にとっては酒のつまみにも適したものになるなと思いました。 ――具体的に大変だったことは?  堅あげポテトが大量生産できないのは、低温でゆっくり揚げるためです。大量生産しようとすると、どうしてもあのカリッとした食感が出ず、我々の要求する品質を満たすことがなかなかできなかった。原料の問題もありました。通常のポテトチップスでは、ジャガイモを切った後、水やお湯でゆがいて糖分を抜きます。これをしないと、ポテトチップスが焦げ過ぎてしまうんです。しかし、『堅あげポテト』の製法では水で洗ったりすると堅さが出てこないんです。その課題を解決するために、高品質のジャガイモが必要になりました。安定して一定の量を確保できる品種が出てくるまで時間がかかりましたね。だから、当初は期間限定や地域限定で発売していました。最初からすごく売れたわけじゃないんです。  ――『堅あげポテト』のブランドはどう育ったのでしょうか。  ブランドで重要なのは、商品のコンセプトですが、これを決めるのにも時間がかかりました。発売当初は通常のポテトチップスで人気の味を堅あげポテトで色々と試しましたが、売れないんですよ。様々な味を出してしまうことで「堅あげ」の評価ではなくて、「味」の評価になってしまっていると思いました。まずは、「堅あげ」とはどんな特徴の商品かを知ってもらい、「堅あげ」の認知度を上げることがブランドとして重要と考え、うすしお味一本で勝負することにしました。これがある程度成功して、次に酒のつまみの需要を考えて、ブラックペッパー味を出しました。マーケット調査の結果、98年に、この商品の価値は「噛むほどうまい」ということが明確化でき、味はうすしお味とブラックペッパーの二つに決まりました。今では堅あげポテトも様々な味がありますが、10年くらいはうすしお味とブラックペッパー味の二つだけで売り続けていました。マーケティングや生産設備の検討、原料の確保とか色んな役割の方々のお蔭で、ブランドが育った感じですね。 ――カルビーに入社したきっかけは? ポテトチップスの開発をしたかったのでしょうか。  大学が農学部で、食品に携わる仕事はしたいと漠然と考えていました。企業と取引する仕事よりも、直接お客様の反応が見られる仕事のほうが楽しそうだなと思っていました。我々の時代は企業研究はそんなにやらなかったので、今ほど情報があったわけではないですが、カルビーは原料でジャガイモを扱っているイメージがあって、「質実剛健さ」のような雰囲気が魅力的に映ったんだと思います。泥臭い、土臭い感じですね。チョコとかおしゃれな感じのお菓子をつくっている会社じゃないところが、いいなと思ったところです(笑)。当時は「ポテトチップスをつくろう」とか、「お菓子をつくりたい」といった具体的なことは考えてなかったです。 ――そんな遠藤さんが、“国民的おやつ”のポテトチップスの開発に携わることになった理由は?  開発部には、入社して工場で4年働いたあとに、配属されました。そこで「ポテトチップスの新商品をつくれ」という課題が出て、最初に作ったのが「お好み焼きチップス」でした。これがよく売れたんですよ。当時の味は塩、のり、コンソメが主流で、珍しかったんです。そして次に開発に携わったのが、『ピザポテト』です。お好み焼きが売れたから、似たような切り口で安易に「次はピザかな」と思っていたんですよ。そんなときに上司にチーズフレークを渡されて、「これを使ってみよう」と思いついたんです。これが結果的に、他社がまねのできないロングセラー商品になりました。こうしてポテトチップス開発に深くかかわるようになりました。 ――大学での学びと、仕事の成果とのつながりはありますか。  私の場合はあまりないように思います。私は体育会で、テニスばかりやっていましたから。そういう意味では、継続する力ややり抜く力とかは身についたと思います。でも、農学部にいたことで、食品を扱う基礎は身に付いたと思います。研究では、栄養化学をやっていて、エサを食べさせたマウスのコレステロールがどう上がるかを調べていました。ポテトチップスの開発にかかわるようなことは学んでいないです。 ――ヒット商品を多数生み出しています。他の人よりも優れている点は何だと思いますか。  味覚も嗅覚も、私は人より優れているものは持っていないです。アイデアがすごいわけでもない。ただ、人に言われるのは、一つの物事をコツコツとこだわりながらやり抜くようなところはあるみたいです。例えば、堅あげポテトは、あのカリッとした「食感」にこだわりました。あの食感を出すために、生産設備の改善など、時間をかけて何度も行いました。より生産性を求めてより多く生産するために機械を揃えましたが、満足のいく堅さが出来なかったので、結局は元の生産方式に戻したこともありました。 『ピザポテト』を開発するときはチーズフレークを使ったあの見た目にこだわったんです。ピザの味だけなら、粉をふりかけるだけでも出せるんですが、チーズが溶けたような感じが重要だと考え、チーズのつぶつぶを残す製法にこだわりました。結果として、チーズがポテトチップスにまともにくっつかずかなり苦労をしました。堅あげポテトにしても、ピザポテトにしても、色々試していく中で結局は、手間がかかる手法を選んでいくんです。簡単な道を歩んだときにはそれなりの製品にしかならない。やはり、自分の感覚として「あ、この堅さだな」、「この見た目はおもしろい」と琴線に触れるものができるまで、徹底してこだわることが大切なんだと思います。こういうことをやっていると最初は全然儲からないんですよ。会社から「成果はどうか」と問われると、「ごめんなさい」となってしまうんですが、そこをどう耐えられるかも重要です。「巧(たくみ)から仕組みへ変えないとダメだ」と言われますが、その辺りは会社としてうまくやっていく素地がカルビーにはありました。 ――プライベートでは、ポテトチップスは食べていますか?  食べてますよ。最近は堅あげポテトが多いですね。家に買い置きがあります。当社の『かっぱえびせん』もよく食べます。他社の製品ですが、柿の種をよく食べています。Jリーグの試合を見るのが好きなんですが、テレビで見ながらちょこっと食べています。いずれもすばらしい商品です。 ――柿の種のどこに琴線が触れましたか。  柿の種とピーナッツの絶妙なバランスが私の琴線に触れました。あれにはかなわないです。柿の種とピーナッツの個々の美味しさもありますが、バランスが秀逸です。ロングセラー商品ですが、ブランドがブレないのも素晴らしいです。ブランドって、担当者が変わったり、同じ担当者でも長くやってきて飽きてくると、変えたくなるんですよね。そのブランドを理解して、そのブランドの中で変えられればいいんですが、「どうしちゃったんだろう、この商品は」みたいな悲劇はよく目にします。ブランドはお客様の心の中にあるもので、企業はその期待を裏切ってはいけない、ということを、堅あげポテトでもピザポテトでも強く意識していました。 ――かっぱえびせんの琴線はどこですか。  最初の食感とくちどけです。おまけにカルシウムが取れるという栄養的なバランスも考えられている。創業者の松尾孝が、戦後の日本人の栄養不足を憂いて、当時の社会的課題を解決するためにかっぱえびせんをつくったと聞いています。カルビーの社名はカルシウムとビタミンB1を組み合わせたものです。その原点であるスナック菓子がかっぱえびせんなんです。このお菓子には絶対に勝てないですね。 ――「神」と呼ばれることはどう思いますか。  開発は一人でやれるものじゃなくて、いろんな人のアイデアが出て、いろいろな人や部署の協力があってはじめて成り立っているので、その辺は勘違いしていません。私はまぎれもない普通の人間です(笑)。 (AERA dot.編集部・吉崎洋夫)

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    投資信託は最悪どこまで下がる? S&P500と全世界株式の30年検証

     2021年までの絶好調相場から一転、米国株は2022年に入り軟調といっていい。そもそも株式市場には暴落が付きものだ。アエラ増刊「AERA Money 2022夏号」では、過去30年の実績から見て「どれくらい下がる可能性があるのか」を検証している。  株価の暴落といえば数年に1回はあるもの。だが暴落が止まらなかったことは一度もない。投資ビギナーはまず、過去の暴落でどのくらい下がったか、どのくらいで回復したかを知っておこう。  取材をお願いしたのは、セゾン投信代表取締役会長CEOの中野晴啓さん。セゾン投信は「セゾン資産形成の達人ファンド」をはじめとする投資信託(以下、投信)の運用会社だ。同社の運用する3本の投信の資産総額は2022年3月に5000億円を突破した。  今回は米国株の代表的な株価指数「S&P500」と、世界中の株式に投資する「全世界株式」の値動きを捉えた指数「MSCIオール・カントリー・ワールド・インデックス」を教材とした。  それぞれの過去30年の暴落局面を調べてみると、ワースト3は次の通り。3位がやや予想外の結果だった。 1位 リーマン・ショック 2位 ITバブル崩壊 3位 コロナ・ショック   最も下落率の大きいリーマン・ショックのとき、「全世界株式」は1年4カ月にわたって56.2%も下落。暴落前の高値を回復するのに6年8カ月かかっている。  リーマン・ショックの震源地となった米国のS&P500は、1年4カ月かけて52.6%下落、戻るまでに5年5カ月かかった。 「30年以上、資産運用の世界で生きてきた私にとってもリーマン・ショックは過去最大の暴落でした。資産運用の歴史の中では下落率50%超、すなわち投資金額が半値になるような暴落がたまにある、と考えておきましょう」(中野さん)  下落しはじめてから回復までの期間で見ると、S&P500が2000年のITバブル崩壊以降、6年9カ月かかっているのが最長だ。  つまり60歳になっていざ換金をはじめようとした矢先に下落がはじまって、そのまま下げ止まらなかった場合、「すっかり元に戻るまで7~8年くらいかかることもある」ということ。 「株価というのは、デコボコ、ギザギザした値動きを繰り返すものです。何がきっかけで暴落が起こるかは誰にもわかりません。  ただ、結果的に株式市場は3つの暴落を乗り越えて右肩上がりで上昇しています。長い時間軸で見れば、株価は成長に見合った水準に収まっていくものなのです」  2021年までは米国株を中心に株式市場の調子がよすぎた。そのせいもあり「S&P500などに投資していれば儲かる」という油断(?)も生じていた。  2022年に入ってから米国株は下がり、ウクライナ危機もあり、投資ビギナーの間には動揺が見られた。 「株価が下がっているときは、多くの投資家が『この下落がずっと続くかも』と不安になります。しかしどんな暴落もいずれ終わる」  つみたて中は悩む必要はない。いつか終わるなら「今月は安く買えてラッキー」と思いながらつみたて続ければいい。では、運悪く老後を迎える前後にリーマン・ショックのような大暴落が起こったら、どうすればいいのか。 「老後は運用資産のすべてを現金化しなければいけない、という『思い込み』は捨ててください」  でも、年金は原則65歳スタート。60歳で定年の会社も多い。5年間、嘱託社員などで会社に残るか、別の仕事をしないと、年金も何もお金は入ってこない。 「『運用資産を取り崩すときは全額を換金しないとダメ』なんてルールはありません。60歳以降に自分が働かないなら、お金に働いてもらって育て続けましょう。老後も運用(保有)を続けながら必要な分だけ取り崩すのです」 ■預金や年金もあるから  世の中には「60歳まで積極的に投資、60歳以降はハイリスクな投資は終了。できれば預金」という考え方が常識化している。  しかし老後は長いのだ。先ほど「S&P500はITバブル崩壊から元に戻るまで6年9カ月、つまり回復まで7~8年くらいかかることもある」と述べたが、60歳時点で資産が投信のみ、預金は0円という人は少ないだろう。  65歳からは年金もある。投信だけを見て不安になるのもおかしな話。預金や年金もセットにして考えたい。そして人生100年と考えれば、60歳で投資終了というのは早すぎる。 「長期投資に一番必要なのは、おおらかさです。買うときも売るときも、淡々と機械的に。下がったら怖いとか、売ったあとに上がって『もっと儲かったのに』という強欲から離れるためにも自然体でいきましょう。  投資についていろいろ考えすぎず、自分の人生にとって、本当に楽しみなことに貴重な時間を使ってください」  (編集・文/綾小路麗香、伊藤 忍) ※『AERA Money 2022夏号』から抜粋

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    「いま勢いのある大学」1位は? 日大は不祥事の影響で増加率40位に

     2022年の私大入試が終わった。昨年はコロナ禍で多くの大学が志願者を減らしたが、今年は回復の兆しが見え始めた。「実志願者数」とその増加率から、人気を集めた大学を探った。 *  *  *  のべ志願者数は、たとえば1人の受験生が同じ大学の学部・学科を三つ併願した場合、3人と数える。近年、多くの大学で併願受験料の割引などが充実した結果、のべ志願者数が急増し、大学の人気が測れないという声があった。そこで本誌は2018年から、のべ志願者数の上位50大学を対象に実志願者数を独自に調べた。当初は非公表の大学もあったが、今年は全50大学が公表した。  さて、今年のランキングを見てみよう。  全体を通して目を引くのが、実志願者数の回復だ。昨年は新型コロナウイルスの感染拡大を背景に多くの大学が実志願者数を減らし、上位の有名私大でも前年比80%台が目立った。今年は、34の大学が前年比プラスとなった。ベネッセ教育情報センター長の谷本祐一郎さんは「志望校を決める昨年10~11月の段階で国内のコロナの新規感染者が1日数百人台に落ち着き、受験生の間で都市部の大学や規模の大きな私学に挑戦する意欲が復活したことも影響していたのでは」と指摘する。  首位には、前年2位の法政大が立った。2位は前年トップの明治大、3位は同4位の早稲田大が入った。法政大は増加率(前年比)も116%で、全体の2位につけている。同大入学センターでは「本学への期待の大きさとして大変うれしく思っている。充実した学部構成と多様な入試方式を用意しており、受験生が志願しやすかったのではないか」と話した。  実志願者数のランクを見る際に留意すべきは、募集人数の多い大学ほど上位になりやすいことだ。そこで今年は「いま勢いのある大学」を見るうえで増加率にも着目した。  首位は武蔵大。実志願者数ランクでは41位だったものの、前年比で123%と躍進した。22年に国際教養学部を開設したことが人気につながったとみられる。アドミッションセンター長の角田俊男さんは「国際教養学部では各学部に分かれていたグローバルプログラムが統合された。これまで多くの学部ではグローバルプログラムに入るための選考が入学後にあったが、同学部では希望の専攻を入学試験の段階で選べるため、受験生の安心感につながったのではないか」と分析する。  実志願者数ランクで13位だった東京理科大も、増加率で9位と健闘した。一般選抜試験で志願者が増えたのが、共通テスト(国語、外国語)の結果と独自試験を併用するC方式。入試課の担当者は「共通テストの平均点が低調だった年は志願者が伸びていない。今年は英語や国語の平均点変動が小幅だったことが志願者増加の一因となったのでは」と言う。  実志願者数では4位につけたが増加率で40位と、順位のギャップが大きかったのは日本大だ。 「昨年からの一連の不祥事(前理事長の逮捕・起訴)が実志願者数減の要因になっていると考えざるを得ない。教職員一丸となって学修・生活支援及び自己実現のための就職支援などを展開している。こうした姿勢を繰り返し発信していくことで信頼回復につなげたい」(入学課の担当者)  龍谷大も実志願者数で16位に対し増加率は50位。広報担当者は「昨年は入試制度改革が功を奏したが、その効果が一段落したこと、また浪人生の減少が想定以上に大きく影響した」と話す。  前出の谷本さんは、前年と数字を比べる際の注意点も指摘する。1年前に受験生が集まった大学は翌年度に敬遠される傾向があり、結果として合格ラインが下がる。そこで、その次の年は受験生が集まる。このため人気→不人気→人気という「隔年現象が起こりやすい」という。こうした傾向にも留意し、来年の順位に注目したい。(本誌・松岡瑛理)※週刊朝日  2022年5月6・13日合併号

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    日本で上がる「ウクライナは白旗あげたらいい」の声に戦場ジャーナリストが現地から激怒した理由

     ポーランド国境にほど近い、ウクライナ西部の街に入ったジャーナリストの佐藤和孝さん。これまでもアフガニスタンやボスニアなど様々な紛争地で取材を行ってきた佐藤さんに、AERAはインタビュー。ウクライナに入国した直後のこの街で彼が感じたのは、「平穏」に侵食する恐怖と孤立だった。 *  *  * ――ウクライナ西部にある街、リビウ。美しい街並みはユネスコの世界遺産に登録され、歴史の深さを感じさせる。3月5日、ジャーナリストでジャパンプレス代表の佐藤和孝さんがリビウに入り、取材を続けている。 佐藤:日本で思っているよりも、ウクライナ全土が戦地になっているわけではありません。ロシアに近いハリコフやマリウポリ、キエフは激しい状況ですが、今のリビウはマーケットにも食料が並んでいるし、電気やガス、水道も滞りなくある。でも、会社はやっていないし、学校も幼稚園から大学まで休校です。  リビウはウクライナ各地からのハブになっていて、ポーランドに脱出する人や安全な地方に避難する人たちが集まっています。そうした人たちをケアするために、市民は炊き出しや物を配るボランティア活動に従事している。空からの攻撃を想定して戦車や装甲車をカモフラージュしたり、火炎瓶を作ったりしている人もいる。街は戦時下というより、準戦時体制に入っています。そういった意味でリビウは平穏には見えるけれど、戦火をひしひしと感じている雰囲気です。 ――佐藤さんはこれまで、アフガニスタンをはじめ、チェチェン、イラクなど数々の紛争地を取材し、街に暮らす市井の人の声を伝えてきた。リビウでも、衝撃的な出会いがあった。 佐藤:町工場の若社長として働く30歳の青年がいました。普段は台所用品を作っていたけれど、今は戦車や装甲車が街に侵入しないためのバリケード、そして兵士たちがつける「ドッグタグ」を作っている。普通、ドッグタグには名前や生年月日、血液型や国籍、そしてナンバーが刻まれています。でも、彼が作っていたのはナンバーしか書いていない、名前のないドッグタグでした。  僕がリビウで話を聞いた人たちは、国を守るために戦争に行くと話しました。当然亡くなる人も出てきます。その人たちが無名のドッグタグをつけている。それを見たとき、切なくなった。一人の存在が、番号だけっていうのは……。 腹の底から怒りを覚え ――その青年には7歳と3歳の子どもがいる。あなたも銃を持って戦争に行くのかと問いかけると、「行きたい」と答えた。 佐藤:でも、これまでに戦ったことのない青年です。恐怖について聞くと、「そりゃ怖い」と。「でも、自分が死ぬよりも怖いのは、この国が消滅すること」「だから戦う」と言った。  日本のどこかの評論家だかで、「ウクライナは白旗をあげたらいい」と言った人がいるんでしょう。大馬鹿者ですよ。だったらウクライナに来て、みんなにそう言いなさいと思う。  自分の国、文化や歴史がなくなるんですよ。安全圏で何もわかっていない、命を懸けたこともない人がこれから命を懸けようとしている人たちに向かって言える言葉じゃない。  この国はロシアに踏みにじられてきました。ソ連崩壊でようやく独立国家になったのに、またそのときに戻ってしまう。そうならないために血を流すことを彼らは厭わない。ゼレンスキーも含め、名もない人たちの気概がこの国を勇気づけているんです。  なのに、「10年後にはプーチンが死んでいるだろうから、その後、国に帰ったらいい」なんて馬鹿なことを言っている。このままだと、10年でこの国はなくなるんです。腹の底から怒りを覚えます。 大勢と一人「命」の重さ ――世界はロシアに対しての制裁を強化し、それはウクライナ国民の励みにもなっている。だが、課題もあると指摘する。 佐藤:西側諸国といわれる国が自分たちの味方になってくれていることはよく認識していて、それが戦うモチベーションの一つになっていることも否めません。でも、じゃあ我々はそれを続けていけるのかということも問われてくる。  応援の仕方は色々あるのだと思いますが、ウクライナへの武器の供与以上のことをすると第3次世界大戦になってしまう。世界の指導者のなかには、自分たちが火の粉をかぶらないためにウクライナを犠牲にしてもいいと考える人たちもいる。この問いが正しいかはわかりませんが、大勢の命と一人の命のどっちが大事かということになるかもしれない。そうならないように、外交なども含め世界は動かないといけない。  この戦争は長期化すると思います。だって、多くの人たちが戦う意志を持っている。自分たちの国を自分たちの血をもって守ろうとしている。その魂は消えません。アフガニスタン侵攻でも、ソ連軍が入って10年で撤退を余儀なくされた。結局、勝てないんです。 「核」撃てばロシア消滅 ――ロシア軍がシリアで兵士を募集しているとも報じられ、行き詰まりが見えている。 佐藤:兵士の数が多くても、戦闘経験のない人間は現場では使えません。「ワグネル」といわれる傭兵集団がいますが、彼らは戦闘経験が豊富です。つまり、人の殺し方を知っているということです。シリアの兵士も同じで、人を殺すことに慣れている。そういう人間を使って、なんとかウクライナを制圧したいと思っているんでしょうね。  でも、キエフでロシア軍が政府機関などを押さえたとしても、周りは敵だらけです。ロシア軍にとっても危険なことで、市街戦やゲリラ戦になってくる。長く続けば戦闘意欲やモチベーションもなくなっていくでしょう。  この戦争を長期的に遂行する経済的な裏付けがロシアにあったかというと、難しいんじゃないですか。もともとGDPも低いし、経済制裁もある。中国が助けるといっても限度があります。ロシアにも反対派の人がたくさんいるし、今やっていることは「きょうだい殺し」です。多くの国民は心を痛めているんじゃないかと僕は思う。  ただ、国内世論が反プーチンに傾くほど、彼はますます弾圧しなければならなくなる。今後プーチンはウクライナ、世界、そしてロシア国内とも戦わなければいけなくなります。その覚悟を彼は持っているのか。核があると脅かしますが、それを撃てばロシアも消滅します。  プーチンはルーマニアのチャウシェスクのような形で終わってしまうかもしれません。止められるのはロシア人しかいないと僕は思っています。 世界に見えない街や村 ――様々な国を歩いてきたが、これまで見た戦場とは「質」が違うという。 佐藤:アフガニスタンやイラク、シリアというのはある地域の戦争です。僕のなかでは、世界大戦になるというようなものではなかった。ユーゴスラビアの戦争は世界大戦の可能性を秘めていましたが、各地に火の粉が及ばないようにヨーロッパ各地もいろいろと手を打ちました。  今度はロシアの正規軍が自分たちの論理だけで他国に侵攻し、第3次世界大戦の可能性もはらんだ非常に危機的な状況だと思います。今までの現場とは質が全く違う。だから世界は必死になっているんだけど、行き詰まり感も出てしまっている。  キエフやハリコフから避難してきた人たちは、とにかく攻撃が激しいと口をそろえます。狙撃兵までいるから、外に出られず命からがら逃げてきたと。でも、そういった街や村には記者もいないので、世界に見えていないんです。やりたい放題になって、どんどん残虐な方向に向かってしまう。今後、キエフでも取材したいと思っています。 ◯佐藤和孝(さとう・かずたか)1956年生まれ。独立系通信社「ジャパンプレス」代表。山本美香記念財団代表理事。80年からアフガニスタンで取材を行い、その後も様々な紛争地を取材した。近著に『タリバンの眼 戦場で考えた』など (構成/編集部・福井しほ) ※AERA 2022年3月21日号から

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    2年3カ月ぶりの現場復帰の佳子さま ダンス自主トレと「かーぽん」にかかる秋篠宮家の重責

     秋篠宮家の次女、佳子さま(27)が宮中行事や参拝などを除き、会場に出向く公務としては2年3カ月ぶりに姿を見せた。今年の秋に28歳を迎える佳子さまは、落ち着きを増していた。ダンスの練習も封印し、公務に専念する内親王に期待がかかる。コロナ禍でリモート公務が中心であった令和の皇室も、徐々にその姿が見えてきた。 *  *  *  5月7日、東京都千代田区で開催された『森と花の祭典―「みどりの感謝祭」』の式典。この式典は、これまで秋篠宮ご夫妻から眞子さんへ、そして佳子さまへ引き継がれたものだ。   2019年に出席したときの眞子さんは、式典に相応しい淡いグリーン色のワンピースで出席していた。今回、新たに名誉総裁となった佳子さまも、薄いグリーン地に白とピンクの立体刺繍の花があしらわれた装いを選んだ。皇室の装いには、ときに相手への敬意や祝福のメッセージが込められている。  佳子さまのあいさつも、その声は以前よりもやわらかく落ち着いた印象だ。 「わたくしもこの祭典をきっかけに、森林や草花の果たす大きな役割について、改めて考えております」  あいさつを終えると、若々しい新名誉総裁に会場から拍手が寄せられた。  画面を通じたリモート公務が続く2年間ではあったが、皇嗣家を支える内親王としての存在感が増している。 ■皇室を出たいという思い  事情を知る人物によれば、佳子さまは大学を終えたら皇室を出たいとの思いを抱いていたという。実際、皇室典範第十一条には、皇族の離脱を可能とする規程もある。 <年齢十五年以上の内親王、王及び女王は、その意思に基き、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる> 「そうはいっても卒業する頃には、現実問題として皇室会議を経て離脱するのはそうたやすいことではないと、理解はされたようです。それで結婚することで、皇室を出たいとの考えをお持ちになったようです」(前出の人物)  しかし、姉の眞子さんは小室圭さんと結婚してニューヨーク生活を送るなかでも、英米日のメディアやパパラッチに写真や映像を盗み撮りされ、その画像をネットでさらされる日々が続いている。小室夫妻が2021年11月に、ニューヨークに到着したときなどは、2人が空港から新居に到着するまで追いかけられ、住まいの建物の写真付きで報じられた。  たとえ結婚して日本を離れても、安住の地ではない。そうした光景を目にした佳子さまは、 「姉が気の毒で、悔しくて涙が出た」  そう漏らしたという。  眞子さんの結婚問題が終わってもなお、秋篠宮家への風当たりは続いている。皇嗣家の唯一の内親王となった佳子さまは、公務の重責も増している。 ■かーぽんは大切なメンバー  そうした佳子さまの心の拠りどころの一つは、大学生の頃からレッスンを続けているダンススクールだ。  2017年秋から英・リーズ大学への留学を経験した佳子さまだが、留学へ出発する前日もダンススクールのレッスンに駆けつけるほどの熱心さを見せ、新型コロナがまん延する前は、何度か発表会にも出演している。昨年も同スクールの発表会は行なわれたものの、もちろんレッスンも出演も一切控えている。  スクールの仲間や講師から佳子さまは「かーぽん」と呼ばれ、温かく受け入れられている。小学生の幼い子どもらも顔を合わせると、「かーぽん、かーぽん」と慕っていたという。  コロナ禍で顔を出すことはできなくとも、「かーぽんは、大事なメンバー」、なのだという。  21年度も発表会があった。もちろん、かーぽんは出演しなかった。それでも、発表会前には「出なくても練習しておきなね」と、演目のダンス動画が佳子さまに渡された。  佳子さまはヒップホップからジャズの要素のある踊りまで幅広く踊る。舞台に出たときは、肌色のアンダーウェアを着用していたものの、お腹が開いたデザインの「へそ出し衣装」は皇族に相応しくないと批判も受けたこともあった。  皇族が新しいことを始めれば、注目を浴び、ときには批判の対象になることもある。  上皇ご夫妻の長女、黒田清子さんが内親王であった頃、日本舞踊の名取級の踊り手として舞台に立っている。古典のイメージのある日舞。実は当時は、ちょっとした衝撃であったようだ。  2005年3月30日付の朝日新聞には、こう表現されている。 <日本舞踊は現在でこそ古典化したが、元は近世に生まれた庶民の芸能。皇女による日本舞踊は、日舞界にとって一つの事件だった>  佳子さまにとって精神的な支えの一つであるダンス。 「誰にでも、仕事とはまた別に、心の支柱になるものはある。いまは公務に専念しても、踊る喜びは覚えていて欲しい」(スクール関係者) (AERAdot.編集部 永井貴子)

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    氷川きよし「休養」で男性演歌界どうなる? 牽引役が不在の新時代に突入か

     まさに「転換期」かもしれない。男性演歌界の話である。“大御所”北島三郎さんは紅白を引退し、第一線から退いた。五木ひろしさんも一昨年を最後に紅白卒業、そして“プリンス”氷川きよしさんの休養。大物たちが次々と表舞台を去り、「次」を担うのは誰なのか。業界の事情通たちに大胆予測してもらった。 *  *  * 「氷川きよしの休養宣言は驚きでした。長年、“演歌界のプリンス”として人気も実力も文句なしなのに。これからっていう大事な時に活動休止を発表したのですから」  こう話すのは、演歌畑を長年取材し続けた芸能記者。「大事な時」というのは、演歌界が「次のリーダー」を最も必要としている時という意味だ。 「紅白のほか各地の劇場で続けていた座長公演からも次々と身を引いて、今はほぼ“引退状態”の北島三郎。次なる大物と誰もが認める五木ひろしも一昨年を最後に紅白を卒業してしまった。演歌界ではNHKの紅白歌合戦に出場することが一流の条件みたいなものですから、2人の大物が第一線を退いてしまったことになる。ならば、紅白にも連続出場を続ける“プリンス”氷川きよしが、いよいよ“キング”を継承するだろうと思っていたら……」  レコード会社で演歌を担当した後、独立して演歌歌手のプロモーションをしている事情通も「男性演歌界はリーダー不在の時代になった」と肩を落とす。 「あえてリーダーの条件を挙げれば、その人のファンでない人でも口ずさめるくらいのヒット曲があり、紅白に出場を続けていて、レコード大賞などの受賞経験があること。加えて親分肌な面があれば言うことなし、という感じでしょう」  では、その条件にかなうのは誰か? プロモーター氏は「氷川君が活動再開するまでは、リーダー不在の時代が続くのではないか」と予測する。 「北島さん、五木さんに次ぐ実力者として、すぐ頭に浮かぶのは細川たかしさん、吉幾三さんですが、細川さんには『北酒場』や『矢切の渡し』という大ヒットがあるけど、2015年を最後に紅白卒業を発表している。吉さんも『雪國』『酒よ』があるが、01年を最後に紅白から遠ざかっている。その点、氷川君には“♪やだねったら、やだね”の『箱根八里の半次郎』があり『一剣』でレコード大賞も取っているし、人気も申し分ない。活動休止は実に残念です」  別の条件を挙げて、細川、吉の2人に期待するという意見もある。東京・浅草のレコード店「ヨーロー堂」店主の松永好司さんだ。店の2階にあるステージでは、多くの演歌歌手が生歌を披露するキャンペーンをしており、店主は業界きっての演歌通である。 「僕は北島さんや五木さんがリーダーたり得たのは、後輩の育成に熱心だったからだと思う」  松永さんが指摘するとおり、北島は山本譲二を筆頭に、紅白出場も果たした「北島兄弟」の北山たけし&大江裕ら多くの弟子を育てた。五木も、座長公演で多くの若手をゲストに呼び、「この場を登竜門にしてほしい」とチャンスを与え続けている。 「細川たかしさんは彩青(りゅうせい)や杜(もり)このみなどの弟子を自分の事務所からデビューさせています。育成への気概がある人です。吉幾三さんも多くの若手演歌歌手に楽曲を提供することで育成に携わっています。リーダーの資格は十分あると思います」  冒頭の芸能記者も同じ考えだ。 「僕自身が期待しているのは吉幾三。やはり人気や知名度、ヒット曲もあり、過去には紅白に連続出場している。ただ、吉にはどうしても喜劇やバラエティーのイメージが付きまとい、キングとしては軽量級に見えてしまうのが最大のネックです。細川も、お笑い芸人から髪形とかで笑いのネタにされているせいで重量感がない。そう考えていくと、若手に期待するしかない」  現状では「紅白出場を続けている『演歌第6世代』の山内惠介と三山ひろしのどちらかに頑張ってもらうしかない」と話す一方で、「僕個人の期待としては、福田こうへい。歌のうまさは群を抜いていると思う」とも述べた。  ヨーロー堂の松永さんは「現在の実力という点では、山内さんと三山さんが次期リーダー候補の筆頭であることは間違いない」と話す。  ちなみに演歌の「第6世代」とは、21世紀になってデビューした個性派世代で、純烈や丘みどりなどが属する。  第1世代は春日八郎や三橋美智也のラジオ世代、第2世代は戦後歌謡の美空ひばりや島倉千代子、北島三郎と五木ひろしは歌謡曲が隆盛を迎えた第3世代に属する。第4世代はカラオケ時代の八代亜紀、吉幾三、石川さゆり、細川たかしなどで、第5世代には氷川きよしや水森かおりがいる。  第6世代の山内と三山は、ともに15年から7年連続で紅白に出場している若手のホープ。コンサートなどで熱狂的な“追っかけ”ファンが多数いる点も同じ。どちらも歌唱力には定評があり、甘いマスクの山内には昔のアイドルのような掛け声が飛び、三山は紅白でのけん玉ギネス挑戦などで、ともに知名度も高い。  だが、2人が北島・五木のような「キング」になれるかというと、まだ疑問符が付く。  取材した多くの演歌関係者が指摘するのは「誰もが知っているような大ヒット曲、歌い手の“看板”になるような持ち歌がない。最低でもレコード大賞受賞に匹敵するようなヒット曲が必要」という点だ。  前出のプロモーター氏は「そもそも山内も三山も、そして福田こうへいも自分が今後の演歌界を引っ張っていくなんて、思ってもいないのではないか」と話す。 「仮に自分が引っ張っていきたいなんて発言したら、猛反発を受けますよ。まだ若すぎます。間違いなく『生意気だ』と総スカンを食らいますね。『お前はあと10年、今の位置を保てると思っているのか?』となる。甘くない世界だし、上下関係も厳しい社会だとは、本人たちもよく知っている。氷川君だって、僕はまだ早いと思うくらいです。北島さんや五木さんのような大御所はもう現れない可能性だってあると思っています」(プロモーター氏)  東京・上野アメ横で53年間、演歌専門のレコード店「アメ横リズム」を営む代表の小林和彦さんは、それでも「将来の演歌のキング候補はすでにいる」と断言する。リズムでは毎週、小林さんが選んだ5曲を道行く人々に聞こえるようにかけ続けている。前を通る人々がその歌を耳にしたときの反応で、これから売れる曲や歌い手を的中させてきた。その小林さんがずばり、「次の時代を背負う人材」と太鼓判を押すのが真田ナオキだ。  真田は20年に「♪惚れちまったの俺」と歌うだみ声が印象的な「恵比寿」がヒットして、レコード大賞最優秀新人賞を受賞した第7世代の一人だ。 「デビュー前から注目していました。とにかくあの声質がいい。店頭で曲をかけた時、反応が最高レベルになる。ルックスもいい。声に“色”をつけるために唐辛子を食べ、酒でうがいをしたという苦労話も心に響く。将来は氷川きよしの上をいくのではないかと私は見ている。まだ先の話になるけど、次期キング最有力だと思う」(小林さん)  多くの演歌歌手のキャンペーンを見つめてきた前出のヨーロー堂、松永さんも「将来性なら真田君と辰巳ゆうと君が図抜けている。売り上げ的にも、ネット配信でもこの2人です。今後しばらくは山内惠介さんと三山ひろしさんがつないで、その後に次代のスターとして真田君、辰巳君が出てくるのではないでしょうか」と占う。  業界通の見立てはある程度共通しているようだ。つまり、キング不在の期間はしばらくあるが、将来的には第7世代がキングの座を射止めるという読みだ。  しかし、元NHKアナウンサーで紅白歌合戦の司会も務め、現在もいくつもの音楽番組の司会者として演歌歌手とも交流がある宮本隆治さんは、これに異論を唱える。 「北島さん、五木さんが引退したのは紅白歌合戦という一つの番組です。多くの人はそれを歌手活動の引退と思っていますが、正しくありません。北島さんも五木さんも5月に大きな公演が予定されています。まだ現役で、今も2人が男性演歌界を牽引(けんいん)していることは事実です」  そして男性演歌界の昔と今を「鉄道の路線」にたとえてわかりやすく説明してくれた。 「昔の男性演歌界は本線が2本しかなかった。北島線と五木線です。線路を走っているわけですから、後続の歌手は追い抜くのは難しかった。しかし、氷川君が3本目の線を作ったことで演歌鉄道業界は変わり始めた。これまでは国鉄2路線しかなかったものが、今は私鉄各社がいろんな車両で路線を延ばしている、そんな状態なのではないでしょうか」  誰かが業界を引っ張っていくというのではなく、それぞれが自分の路線の魅力をアップさせて、客足を伸ばそうとしているのが今の演歌界だということだ。休業が予定されている「氷川線」に代わり、近い将来、“路線価”が上がりそうなのが「第7世代線」ということなのかもしれない。(本誌・鈴木裕也)※週刊朝日  2022年5月20日号

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    「これはラーメンじゃない」 批判された“TKM”がブレークした理由

     日本に数多くあるラーメン店の中でも、屈指の名店と呼ばれる店がある。そんな名店と、名店店主が愛する一杯を紹介する本連載。埼玉で60年続く老舗町中華の3代目が愛するラーメンは、熊谷で大行列ができる人気店の“TKM”というシンプルすぎる一杯だった。 ■老舗の町中華がSNSでバズった理由  東武伊勢崎線の加須駅(埼玉県)から徒歩5分。60年以上も続く老舗の町中華がある。「かし亀」だ。老舗ながら、高級中華料理店出身の3代目店主・駒剛行さんの料理の腕と、あふれるアイデアで常に行列の人気店。連日、ツイッターやインスタグラムの投稿でファンがにぎわう、まさに令和を生きる町中華である。 「かし亀」がSNSでバズり始めたきっかけは、チャーハンの横に中華の一品ものを乗せた「デカ盛り」だ。「肉乗せチャーハン」を筆頭に「チャーシューチャーハン」「唐揚げチャーハン」など、人気メニューを次々チャーハンに合わせていった。  そして、もう一つの看板メニューは、駒さんが東岩槻(埼玉県)の名店「オランダ軒」で食べて衝撃を受けた「生姜醤油ラーメン」だ。スープを継ぎ足しながら作る“呼び戻し”の要領でスープを徐々に濃くして厚みを出し、2~3年かけて現在の形に完成した。  今ではラーメンファンとデカ盛りファンが集まる店としてすっかり人気に。だが、量が多く食べるのに時間がかかり、行列がどんどん長くなっていった。外で2時間待ちという事態になり、今では来店時に名前を書く記帳制にせざるを得なくなった。 「チャーシューチャーハンと生姜醤油チャーシューメンが一番出ているので、とにかくチャーシューをたくさん作ります。現在では1日30キロ出ています。豚のウデ肉を濃いめのタレで柔らかくなるまで煮て作るんです」(駒さん)  祖父が経営していた店を使っているため家賃もかからない。おのずと利益率は上がりそうだが、その代わり材料にこだわっている。 「お客さんに喜んでもらえればそれでOKだと思っています。喜んでくれたお客さんは口コミを広げてくれるので、CMや宣伝を打つ代わりに原価率をかけていると思えば安いものです。実家でやれることの良さを生かしていきます」(駒さん)  チャーシューが1日30キロも出る町中華とはそうそう聞いたことがない。昭和から続く町中華の止まらぬ進化を感じるお店である。  そんな「かし亀」駒店主が愛する名店は、埼玉・熊谷で“TKM”というメニュ-で大行列ができる店だ。誰でも考え付きそうで考え付かなかったアイデアメニュー誕生の秘密を追ってみたい。 ■「これはラーメンじゃない」批判も一転 名店店主がTKMを評価  JR高崎線・熊谷駅(埼玉県)から徒歩5分。およそラーメン屋とは思えぬポップな店先に大行列ができる店がある。「ゴールデンタイガー」だ。2018年のオープン以来、熊谷を代表する人気店としてその名が知られている。  店主の金澤洋介さんは埼玉県美里町出身。浦和学院高校出身で、野球部に所属。チームは甲子園にも出場した。金澤さんは惜しくもベンチからは外れてしまったが、野球漬けの毎日を過ごしていた。  そんな金澤さんがラーメンと関わるようになったのは、高校3年の9月。部活引退後、「本庄大勝軒」でアルバイトを始めたことがはじまりだ。  食べながら汗をかくのが嫌いでラーメンはあまり食べていなかった金澤さんだが、「本庄大勝軒」のもりそば(つけ麺)は違った。冷たい麺で食べるもりそばがおいしく、ここでアルバイトをしたいと思った。皿洗いが中心だったが、3カ月間働いた。  その後は工場に3年勤め、佐川急便の配達を3カ月、インテリア関係の仕事を1年と職を転々とした。「本庄大勝軒」にはバイトを辞めてからも定期的に訪れていた金澤さん。ある日、マスターとおかみさんに「いつラーメン屋をやるの?」と聞かれた。  このまま仕事を続けるか迷っていた頃、「本庄大勝軒」が2店舗目の「常勝軒」をオープンすると耳にする。50席ほどある大型店で、ここで頑張れば月100万円稼ぐことも夢ではないと思い、入社を決める。23歳の頃だった。 「常勝軒」はすぐさま繁盛店になった。金澤さんは無我夢中で店を回し、気がつけば接客が好きになっていた。 「お客さんとのコミュニケーションがとにかく楽しくて、この仕事って良いなと思いました。目の前で『おいしいね』とか『元気もらえるよ』を言ってもらえる幸せな職業ですよね。常連の多い地元に愛されるお店だったからこそ感じられたことかもしれません」(金澤さん)  オープンから3カ月後には店長に抜擢(ばってき)され、失敗も多かったが成長できた。従業員もたくさんいて、人の配置や人間関係も含め、店作りを学んでいった。「常勝軒」で8年働いた後は、群馬の系列店「景勝軒」に入り、エリアマネジャーとして各店を指導する立場になる。原価や人件費などの数字面も見られるようになった。  その後、妻の妊娠をきっかけに、金澤さんは独立を考え始める。 「ちょうどこの頃仕事に疲れている状況で、今のままだと子どもにこの顔を見せられないなと思ったんです。妻も背中を押してくれて、独立に向けて動き出すことになりました」(金澤さん)  そこで、店の定休日を利用して「金の舌」と名付けたイベントを開催。オリジナルのラーメンを提供することにする。ここで生まれたのが、「金の素」というメニューである。ゆでた麺を氷水で締め、醤油タレをかけて生卵を乗せたシンプルな一杯。店のまかないとして、具無し、スープ無しで麺とタレだけを絡めて食べていたのをヒントに作ったという。 「つけ麺をメインでやろうと思っていましたが、週1のイベントのために仕込むのがとにかく大変だったんです。スープを無しにして、麺とタレだけで作れれば理想だと考えて作りました。うまい麺があればスープは要らないのではという発想です」(金澤さん)  この「金の素」が、のちに「ゴールデンタイガー」を支える一杯になっていく。  こうして2018年3月、金澤さんは熊谷に「ゴールデンタイガー」をオープンする。33歳の時だった。店名は長男の虎太郎くんの名前から名付けた。店のポップな外観は、先輩のデザイナーに作ってもらった。  メニューはつけ麺と「TKM」。TKMは「タマゴカケメン」の略称で、「金の素」をブラッシュアップさせたものだ。「卵かけご飯」の「TKG」からヒントを得て付けた名前はアイデア賞といっていいだろう。艶やかな麺の上に浮かぶ黄色い卵の黄身。シンプルながら絵になる一杯だ。  このTKMが19年4月に大ブレークする。栃木県小山市で開かれた「ラーメン祭り」に出店した時である。ポスターにTKMの写真が載った時は、「これはラーメンじゃない」とばかにされたが、いざイベントが始まると、そのおいしさに他店の店主から絶賛の声が集まる。その後、名店の店主が限定メニューとして出し始めるなどTKM自体が広がっていった。 「よく言えばシンプル、悪く言えば手抜きに見えたのか、お客さんもあまり注文してくれないメニューでした。でも、イベント後に一気に忙しくなり、TKMを注文する人も増えましたね。続けることでリピーターも確実に増えていきました」(金澤さん)  つけ麺の材料で作ることができ、麺のゆで方もつけ麺と同じ。なのに、この唯一無二な一杯を作り上げたのは革命といえる。簡単そうに見えるが、シンプルさゆえにごまかしが利かない。麺をどう仕上げるかがすべてで、そこに全神経を集中して緻密(ちみつ)に作り上げた一品である。  このTKMを看板に掲げ、「ゴールデンタイガー」は一気に人気店に上り詰めた。20年10月からは麺を自家製麺に切り替え、よりうまさが際立つようになった。金澤さんはこれからもシンプルな一杯を極限まで磨き続ける。 「かし亀」駒店主は、このTKMの大ファンだ。 「とにかく麺がおいしい。かためですごくコシのある麺で、なかなかこういう麺には出会ったことがありません。シンプルなだけに細部まで磨き上げられていて、麺の太さ、弾力、のど越し、タレの絡みなど、どこをとっても最高の仕上がりです。私も家で何度も試作したことがありますが、なかなかうまく作れないんですよね」(駒さん) 「ゴールデンタイガー」金澤店主も、「かし亀」の町中華の域を超えた人気に感服する。 「インスタ映えの先駆者的なお店だと思います。そして映えだけでなくしっかりおいしい。ラーメン店ではなかなかできないメニュー数を毎日こなしていて、こだわりのすごい方だなと思います。オリジナリティーにあふれていて、見せ方も面白く、町中華の新たな形として大変勉強になるお店です」(金澤さん)  人気の町中華のデカ盛りメニューとシンプル・イズ・ベストなTKM。どちらも料理は味だけでなく、見た目も大事だということを教えてくれる。そして食べればさらに納得なおいしさ。ファンを夢中にさせる一杯は何より強い。(ラーメンライター・井手隊長) ○井手隊長(いでたいちょう)/大学3年生からラーメンの食べ歩きを始めて19年。当時からノートに感想を書きため、現在はブログやSNS、ネット番組で情報を発信。イベントMCやコンテストの審査員、コメンテーターとしてメディアにも出演する。AERAオンラインで「ラーメン名店クロニクル」を連載中。Twitterは@idetaicho ※AERAオンライン限定記事

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    90分でも60分でもなく…「10分間のカセットテープ」が今一番売れているワケ

     カセットテープはこの先なくなってしまうのか。マクセル ライフソリューション事業本部の三浦健吾さんは「デジタル化で需要は落ちているが、長年ご愛用いただいているお客様がいる。今一番人気なのは“10分のテープ”だ」という。詳しく話を聞いた――。 1989年には年間5億本以上の需要があった  カセットテープが全盛期を迎えたのは、1980年代だ。背景には、1970年代にラジオ受信機とカセットテープレコーダーが一体となった「ラジオカセットレコーダー(ラジカセ)」が、一般家庭に普及したことがある。  ラジオ番組から流れてくるお気に入りの音楽を録音する「エアチェック」や、屋外にラジカセを持ち出して環境音を録音する「生録」など、カセットテープはさまざまな用途で使われるようになっていった。  その後も売り上げを伸ばし、バブル経済が絶頂を迎えていた1989年には国内で年間約5億本以上の需要があったという。  その後、CDやMDなどのデジタル録音ができる記録媒体が主流となったことで、カセットテープ人気は徐々に陰りを見せていった。  2000年代以降は、iPodに代表されるMP3音楽プレーヤーの登場に続き、インターネットを介した音楽のダウンロードやストリーミングといったデジタル音源が浸透してきたことで、カセットテープの需要は全盛期と比べると大きく減少してしまった。 コアなファンとシニア世代に根強い人気  しかし、スマホやPCで音楽を聴くのが一般化した現在でも、「カセットテープはコアなファンに愛され続けている」とマクセル ライフソリューション事業本部で事業企画部長を務める三浦健吾さんは話す。 「カセットテープは、深みのある音やアナログ特有の音質が特徴で、今のデジタル音源のように『0』と『1』の信号で統一された音質では味わえない独特の良さがあります。1970年代以降のカセットテープ全盛期を過ごしたオールドファンやシニア世代の方には、今でもカセットテープの存在はなじみ深く、根強い人気があると感じています」  マクセルは1966年にカセットテープ生産を始めた。市場の成長を牽引してきたことから、特に50~60代以降のシニア層には「マクセル=カセットテープ」のイメージが強く残っているという。  いち早く日本にカセットテープの需要を作り、時代とともに移り変わるニーズに合わせて「ハイポジション」や「メタルポジション」といった技術を発展させるなど、マクセルブランドを着実に築き上げてきたわけだ。 一番売れているのは「10分テープ」  現在は、全盛期に比べ需要が減っていることもあり、同社が販売しているカセットテープは「UR」シリーズのみとなっている。  それも、カセットテープ全盛期に見られた150分や120分のテープは取り扱っておらず、90分から10分までの4種類のタイムバリエーションで展開しているそうだ。 「全盛期に比べてカセットテープの需要が見込めなくなったことで、品質の高いテープ原反の入手も難しくなっており、現在は90分、60分、20分、10分と4種類のタイムバリエーションに絞っています」  そんななか、4種類の長さのうち「10分テープ」が意外なニーズにはまって一番人気を誇っているという。  それがシニア世代を中心としたカラオケ需要だ。 「カセットテープが登場した頃は、60分や90分が主流でしたが、1980年代にカラオケブームが盛り上がりを見せ、その需要に応えるために10分のカセットテープを発売しました。歌を練習するのに、10分という長さはちょうど良く、さらには巻き直しも楽なのでカラオケの練習に都合がいい。その名残が今でもあるため、シニア世代を中心に10分テープが最も多く売れているんです。また、テープレコーダーも再生ボタンを押すだけのシンプルな操作で手間いらずなので、スマホなどの最新機器に慣れていないシニア世代でも使いやすいというのが、支持されている理由だと考えています」 「ニッチな需要」に応え続けたい  そのほか、英会話の勉強やカラオケ大会へ提出する際のデモ音源など、シニア世代の勉強や娯楽目的に10分テープは有効活用されているという。  しかし、コロナ禍の影響でカラオケの需要が減っていることもあり、苦しい状況に立たされているのは否めない。  三浦さんは「新型コロナウイルスの影響で生活様式も変化し、直近では復調の兆しが見えてきているので、これからもできるだけニッチな需要に応えられるようにビジネスを継続していきたい」と話す。  カセットテープ自体は全盛期ほどの勢いにはないものの、近年の「昭和レトロ」ブームや70~80年代に流行した「シティ・ポップ」が再評価されていることで、若年層にもカセットテープの“真新しさ”が注目されてきている。 若年層にもカセットテープの魅力を訴求する  マクセルもカセットテープの需要を喚起すべく、マーケティング手法を変えている。昔のように大々的にテレビCMを打つのではなく、若者に受け入れられるような工夫を凝らして、カセットテープが根絶しないように企業努力をしているそうだ。  「最近では、音楽アーティストがカセットテープで楽曲を出すなど、アナログへの回帰が注目されていると思っています。デジタル音源やストリーミングにはない味のある音や、カセットテープならではの懐かしさを楽しむコアな音楽ファンにも見直されてきていると感じています。こうした状況を踏まえて、2020年には若年層に手に取ってもらえるようなパッケージのデザインに刷新し、試行錯誤しながらカセットテープの魅力を絶やさないように努力しています」 アナログもデジタルも、顧客満足度の高い製品開発を続けたい  インターネット環境が急速に広まり、テクノロジーが進化したことで、情報の記録はクラウドサーバーでの管理が当たり前になった。  それでも、カセットテープやCD、MD、DVDといったハードウェアの記録媒体もしばらくは残り続けることだろう。  全国の量販店のPOSデータをもとに、パソコンやデジタル家電関連製品の年間販売数No.1を決める「BCN AWARD」という賞(※)がある。マクセルはCDメディア部門、DVDメディア部門、BDメディア部門の3部門で5年連続年間販売台数シェアのトップを誇っている。 ※BCNが全国の量販店のPOSデータを日次で収集・集計した「BCNランキング」に基づき、パソコン関連・デジタル家電関連製品の年間(1月~12月)販売台数第1位のベンダーを表彰するもの。  いわば記録媒体のリーディングカンパニーとして、今後も記録メディア事業をライフソリューション事業部のひとつの顔として据えながら、コンシューマー事業を展開していくという。 「記録メディア事業はマクセルにとってルーツであり、今後もお客様のニーズに合わせて顧客満足度、価値の高い製品を提供していければと思っています。それが長年トップでやってきている会社の使命であり、市場の牽引役としてこれからも尽くしていきたい。また、弊社としては除菌消臭器やシェーバーなどの健康・理美容製品が新しい事業の柱にもなっているので、お客様のライフスタイルや志向が多様化するなか、お客様の声に真摯に向き合い、柔軟に対応をしていきながら、アナログからデジタルまで顧客満足度の高い製品開発を行っていきたいと考えています」 古田島 大介(こたじま・だいすけ)フリーライター1986年生まれ。ビジネス、ライフスタイル、エンタメ、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている。

    プレジデントオンライン

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    4630万円誤送金で脚光浴びた「フロッピーディスク」 絶滅どころか公的機関でいまだ“現役”の事情

    「えっ、いまだにフロッピーディスクを使っているの?」  そう思った人も少なくないだろう。  山口県阿武町で誤って1世帯に4630万円を振り込んだ、いわゆる誤送金問題。18日夜、県警は同町の田口翔容疑者(24)を電子計算機使用詐欺容疑で逮捕したが、誤送金に至る過程で、町役場から銀行に依頼データの入ったフロッピーディスク(FD)を渡したことが報じられると、「旧石器時代」「時代遅れ過ぎる」など、驚きや嘆きの声がSNSに上がった。ところが取材してみると、絶滅していたかのように思われたFDは、一部の中央省庁や役所、銀行、企業ではいまも日常的に使われていることがわかった。それぞれの事情を聞いた。 *   *   *  山口県阿武町からFDでの振り込みを依頼された山口銀行などを傘下に持つ「山口フィナンシャルグループ(FG)」にたずねると、「山口銀行は、FDなどによる振り込みおよび口座振替依頼データの授受については昨年5月末日を持って廃止させていただいております」と言う。  ところが、山口銀行はFDによる振り込みデータの受け渡しを現在も行っている。なぜか。 「新規の受付は行っておりませんが、既存のお客様から、FDでの振り込みを継続させてほしい、というご要望があれば、対応せざるを得ないという状況です」  山口銀行は、これまでFDで振り込みを依頼してきた顧客に対して、同行のインターネットバンキングを通じて振り込みをしてもらえるように交渉してきた。 「ただ、昔からずっとお取引していただいているお客様の利便性の観点からすると、FDを廃止するのは難しい側面があります」  担当者はすんなりとはいかない事情を、そう説明する。 ■東京の区役所でもFD  一方、東北地方のある銀行によると、FDでの引き落としは「公官庁から依頼されることが多い」と関係者は言い、こう続ける。 「県内では、市役所や町村役場でFDを使っているところが多いです。税金や国民年金、国民健康保険料の引き落としなどです。そんなわけで、私どももそれを引き受けざるを得ませんでした」  この銀行では半年ほど前から県内の各市町村に打診して今年中にFDの取り扱いを終了し、すべてインターネットバンキングに切り替える予定だ。 「理由としては、FD自体を新しく購入するのが困難になってきたこと。それから銀行に置かれた読み取り装置のメンテナンスが難しくなったこと。万が一、故障してしまったら、市町村の担当者の方が窓口に来られても手続きが滞ってしまいますから。そんなわけで、FDの取り扱いを終了させていただくことになりました」(同)  知るほどに驚く、FDの“現役”利用。だが、それは地方の市町村だけではない。  東京都千代田区は今年3月まで介護保険や障害者介護、生活保護に関する給付金の振込みにFDを使用していた。使用を終了した理由を会計室の担当者にたずねると、こう説明する。 「これまでFDを繰り返し使ってきたのですが、いずれ破損したり経年劣化で使えなくなったりすることも考えられます。もうメーカーもFDの製造を打ち切ったという話も聞いておりました。それらもあって使用を徐々に縮小し、昨年度末をもって、最終的にFDの取り扱いをやめたわけです」  ちなみに、国内大手のFDメーカーだったソニーが国内販売を終了したのは、2011年3月である。もう10年以上前のことだ。 「FDはいまとなっては記憶容量が少ないですし、持ち運びの際にどうしてもセキュリティーの問題も生じます。これからは庁内の端末に入力したデータはインターネット経由でやりとりを行います」(千代田区担当者) ■行政サービスの一環として  霞が関の中央省庁もFDを使っている。その一つが、厚生労働省だ。  厚労省は医薬品や医療機器メーカーから送られてきた製品に関する申請書類を審査する。そこでいまも続けられているのが書類データをFDで提出する「FD申請」だ。 「制度の名称としては『FD』とありますが、実際、9割9分はCDかオンラインの申請です。過去の名残というか、通称として『FD申請』という名前が使われています」  同省医薬品審査管理課の担当者はそう説明するが、こうも胸の内を明かす。 「ただ、こちらとしてはせめてCDで出してくださいとお願いしてはいるんですけれど、『どうしてもCDは使えない』という方が、ごく少数ですがいらっしゃいます。行政サービスとしてはうちのFDドライブが生き続けるかぎりはFDを受け付けざるを得ないという事情があります。できれば、持ち込まれるメディアはCDに統一したいのですが、メーカーさんのことを考えると、世の中からFDが枯渇するまでは止められないですね」  FD本体は極めて薄い磁気記憶媒体であるため、CDやDVDなどと比べて故障しやすい。 「気づかないうちに磁気に触れてデータがとんでしまうことがあります。それでも、CDを使うように強制することはできません。あくまでお願いベースです」(厚労省担当者) ■保証期間はとっくに過ぎている  ちなみに、現在インターネット上などで販売されているFDのほとんどは10年以上前に製造された未使用在庫品である。メーカーもこんな長い期間、使われ続けるとは想定していなかっただろう。当然のことながら、保証期間はとっくに過ぎている。  パソコンの周辺機器の老舗メーカー、ロジテックが「最後のWindows対応のUSB外付け型FDドライブ」の販売を終了して、久しい。ただ、パソコン用品メーカーの大手のエレコムに聞くと、FDを収納するプラスチックケースは「数量は少ないですが、現在もコンスタントに売れている状況です」と言う。  昭和に輝いたテクノロジーの産物FDだが、令和のこの時代でも根強く使われていることがわかった。コレクションとして私的に使うのはいいが、触ったことも見たこともない若年層も多い中で公的機関が業務で使用するのは、そろそろ潮時ではないだろうか。 (AERA dot.編集部・米倉昭仁)

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    17時間前

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    うつ病はいつの間にか「以前と違う状態に」 2週間以上続く症状に注意【チェックシート】

    うつ病、統合失調症、不安症といった精神疾患を持つ人の半数は10代半ばまでに発症しており、全体の約75%が20代半ばまでに発症しています。精神科医で東京都立松沢病院院長の水野雅文医師が執筆した書籍『心の病気にかかる子どもたち』(朝日新聞出版)から、「うつ病」について、チェックシートとともに一部抜粋してお届けします。 *  *  * 【診断】  気分の落ち込みや睡眠障害などは、うつ病ではなくても少し調子が悪い時によく経験する症状です。また、風邪などのように「いつから始まった」という具体的な発病の時期がはっきりせず、いつの間にか、「以前と違う状態になっている」ことが少なくありません。  そのため、本人も病気だと思わず、受診が遅れがちになります。症状が長く続いている場合(目安は2週間)は、医療機関を受診してください。  不登校や引きこもりでは、うつ病になっているケースも少なくありません。家族など周囲の人は「怠けている」などと決めつけず、本人の話をしっかり聞き、必要に応じて専門家につなげることが大切です。  うつ病は、他の病気のように血液検査や画像検査などで異常を見つけることができないため、医師が詳しい聞き取りをして診断をつけることになります。  うつ病ではないけれど、うつ病に似た症状を起こす病気との鑑別も必要です。精神疾患では、「不安症」や「パーソナリティ障害」「適応障害」「認知症」などがありますし、精神疾患以外でも、甲状腺や肝臓の病気などさまざまです。  近年は、うつが流行のようになって、うつやうつ病という言葉があまり抵抗なく使われるようになりました。誰でもかかる身近な病気として捉えるなどいい面もあるのですが、健康な心の動きをうつ病だと決めつけたり、うつ病を「大した病気ではない」と軽視する風潮もあります。  適切な治療につなげるには、正確な診断が欠かせません。うつ病かどうかの判断は自分で行わず、心配な場合は医療機関を受診してください。 【治療】  うつ病になるのは心が弱いからだと勘違いされがちですが、根性を鍛えて治るものではありません。医師による治療が必要です。  うつ病の主な治療法は、「心身の休養」「抗うつ薬を主体とした薬物療法」「カウンセリングなどの精神療法」の三つです。  とくに休養は、うつ病治療の基本と言えるもの。「休んでいたら周囲から怠け者だと思われないだろうか」などと、休養をとることに抵抗感を抱く人もいますが、心と体の両方をしっかり休ませることが、すみやかな回復につながります。自宅では十分に休めないという場合は、入院も一つの選択肢になります。  休養を取りながら、重症度に応じて薬物療法や精神療法を組み合わせます。 【大切なこと】  以前はうつ病は「心の風邪」などと言われましたが、風邪のようにすぐに治るものではありません。治療でいったん症状が治まったからといってそのまま右肩上がりに良くなるわけではなく、足踏みをしたり、少し逆戻りをしたりすることもあります。そうした上下の波を繰り返しながら、ゆっくり回復していきます。  症状が安定し、調子が上向いてくると、復帰を急いでつい頑張りたくなるものですが、無理をすると悪化することもあります。また、勝手に薬を飲むことをやめてしまったり、治療をやめたりしてしまうのは好ましくありません。  治療には時間がかかることを知っておき、決して焦らないこと。少しずつ、ゆっくりと時間をかけながら進めていきましょう。  うつ病は誰でもかかる可能性がある身近な病気ですが、実際に家族や友人など身近な人がうつ病を発症したら、どう対応すればよいかわからずに混乱してしまうこともあるでしょう。適切な対応をするには、本人だけでなく周囲もうつ病を正確に理解することが大事。医師や専門家からアドバイスをもらいながら、本人を温かく見守り、支えていきましょう。 ※『心の病気にかかる子どもたち』(朝日新聞出版)より抜粋 水野雅文(みずのまさふみ) 東京都立松沢病院院長 1961年東京都生まれ。精神科医、博士(医学)。慶應義塾大学医学部卒業、同大学院博士課程修了。イタリア政府国費留学生としてイタリア国立パドヴァ大学留学、同大学心理学科客員教授、慶應義塾大学医学部精神神経科専任講師、助教授を経て、2006年から21年3月まで、東邦大学医学部精神神経医学講座主任教授。21年4月から現職。著書に『心の病、初めが肝心』(朝日新聞出版)、『ササッとわかる「統合失調症」(講談社)ほか。

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    4630万円誤送金を使い切った24歳男の“罪の重さ” 弁護士が指摘する「実刑」の年数

    山口県阿武町が新型コロナウイルス対策の臨時特別給付金4630万円(463世帯分)を誤って振り込んだ問題で、振り込みを受けた無職、田口翔容疑者(24)が18日、県警に電子計算機使用詐欺容疑で逮捕された。異例の展開となった今回の逮捕劇だが、田口容疑者の刑罰はどの程度の重さになるのか、専門家に見解を聞いた。 *  *  * 報道によると、田口容疑者は4月12日、自分名義の口座に町が入金した4630万円が誤りによるものだと知りながら、スマートフォンを操作して、オンライン決済で決済代行業者の口座に400万円を振り替えた疑いがある。  そもそも、「電子計算機使用詐欺」とはどのような罪なのか。  人を欺いて財物をだまし取る罪は詐欺罪に当たる。一方で電子計算機使用詐欺罪は、ATMや電子決済などで、コンピューターなどに虚偽情報や不正な指令を与えて不法な利益を得る罪のことだ。法定刑は詐欺罪と同じく10年以下の懲役となっている。  刑事裁判官の経験を持つ片田真志弁護士(古川・片田総合法律事務所)は、「例えば銀行窓口で同じ行為を行った場合は、人をだましたとして詐欺罪になります。今回はスマホ決裁を用いたことで電子計算機使用詐欺罪が適用されたことになります」と解説する。  果たして、田口容疑者はどの程度の刑事罰が待っているのか。  片田弁護士によると、どの程度の金額を返済できるか。また、町側に示談の余地があるかが焦点になるという。 「まったく返済できない場合、実刑となり懲役3年前後の判決がくだる可能性が高いと考えられます。一方で、全額返済した場合には執行猶予が付くことになるでしょうし、全額までいかなくても相当額を返済する内容で町側が示談に応じた場合は、執行猶予がつく可能性が出てきます」(片田弁護士)  そもそもは町側のミスが発端だが、情状に影響はするのか。 「たまたま財布を拾ってそのお金を使ってしまった場合と似ており、田口容疑者も最初から町から不正に金銭を得ようと計画していたのではありません。その点は、量刑に影響すると思います」(片田弁護士)  一部報道では、田口容疑者は振り込まれた金を「ネットカジノで全部使った」と供述したとされる。詐欺を働いた動機については量刑にどの程度影響するのか。 「例えば殺人罪の場合、介護による苦しみの末の犯行か、怨恨(えんこん)かで量刑は大きく変わってきます。ただ、財産犯はそれとは違い、動機が遊興目的でも仮に生活苦だったとしても、量刑への影響は限定的と考えられます」  片田弁護士は、今後の展開をこう予測する。 「例えば田口容疑者側から半額程度の返済による示談が提案されたとしても、全国的に大きく報道されていること、また、地方自治体である町側が容易には債権の一部放棄に応じないことを考えると、『半額程度で折り合いをつけ示談に応じる』ということは、町としてはしづらいのではないでしょうか」  田口容疑者の代理人は、返還方法について「(田口容疑者が)働いて返すしかない」と話しているというが、裁判にかかる費用も含め、市民の税金が戻ってくるかは依然として不透明だ。(AERA dot.編集部・國府田英之)

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    16時間前

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    ミスを指摘されると不機嫌になる性格に悩む28歳女性 自己分析もできている相談者に鴻上尚史が示した“その先”とは

     ミスを指摘されると不機嫌になる性格に悩む28歳女性。「性根が短気でプライドが高く負けず嫌い」と自己分析する相談者に、鴻上尚史が投げかけた一歩踏み込んだ質問とは? 【相談144】ミスを指摘されると不機嫌になってしまいますが、どうこの性格を治していいかわかりません(28歳 女性 どど)  ミスを指摘されると不機嫌になってしまいます。  何故不機嫌になってしまうのかを考えたところ、性根が短気でプライドが高く負けず嫌いなので、周りを見下して心の安定を図っていることに気づきました。  気づいたはいいのですが、相変わらず同僚や後輩にミスを指摘されるとあからさまに不機嫌になってしまい、どうこの性格を治していいかわかりません。  どうやったら周りを見下さずに済むか、せめてすぐ不機嫌になったり、イライラしたりせずに過ごしたいです。知恵を貸していただけないでしょうか。 【鴻上さんの答え】 どどさん。そうですか。不機嫌になる理由は「性根が短気でプライドが高く負けず嫌いなので、周りを見下して心の安定を図っている」からだと気づいたのですね。素晴らしい自己分析だと思います。  持て余す感情に対して、うまくつきあっていくためには、理性しかないと僕は思っています。  つまりは、「どうして自分はこうするのか?」「どうしてこう感じるのか?」を突き詰めていくしか、賢く生きる道はないと思っているのです。  でね、どどさん。もう一歩踏み込んで、「どうして、性根が短気でプライドが高く負けず嫌い」なのか、考えてみませんか? 「そういう性格だから」というのは、あまり賢明な答えではないと思います。そういう性格になった理由を探ろうとしているのです。  ちゃんと自己分析できるどどさんですから、じっくり考えたら答えが出ると思います。ここで終わってもいいぐらいなんですが、それだと「ほがらか人生相談」にメールを送ってくれた意味がないでしょうから、僕の判断を書きますね。  どどさんが「性根が短気でプライドが高く負けず嫌い」なのは、「どどさんが自分自身に自信がないから」だと僕は思います。自分に自信がないから、他人にミスを指摘されると、自分自身そのものを否定されたような気持ちになって怒ってしまうんだと思います。短気でプライドが高く、負けず嫌いなのも、自分に自信がなく、常に不安で自分を守ろうとしているからだと思うのです。  だって、自信のあることや得意なことは、突っ込まれてもたいして動揺しないでしょう? どどさんは何が得意ですか? 高校時代、なにかクラブ活動してました? もしバスケが得意だったら、ミスの指摘もアドバイスもちゃんと聞いたんじゃないですか? でも、もしライバルが現れて、レギュラーから補欠に落とされそうになったら、不安になって、ミスの指摘にいらついたんじゃないですか?  そうするとね、どどさん。この性格を変えていくためには、「自分に自信を持つこと」となります。  自分に自信を持てば、短気でもなくなり、ミスを指摘されても簡単には怒らなくなるんじゃないでしょうか。  え? そんなことができたら苦労はしない? たしかに「自分に自信を持つ」ことは、先進国の中で、「自尊感情」がトップレベルで低い日本人には、なかなか難しいことです。でも、そうなることが、一番確実な解決方法だと思います。  では、どうしたら「自分に自信を持てる」ようになるかですね?  それは、職場でひとつひとつ「勝ち味」を積み重ねていくことだと僕は思います。「成功体験」とか「自分をほめること」と言ってもいいです。どんなに小さなことでもいい、誰かの「ありがとう」とか「助かります」なんていう感謝の言葉でもいい、毎日、ちゃんと会社に遅刻しないで行っていることでも、満員電車に耐えていることでもいい、とにかくなんでも自分をほめる理由を見つけて、自分自身でかみしめるのです。それが「勝ち味」です。  もし、どどさんが毎日毎日、失敗ばかりして怒鳴られていたら、この方法は難しいです。でも、普段はちゃんと仕事をしていて、たまにミスをするぐらいなら、普段ちゃんと仕事している自分をうんとほめるのです。ほめて、自分に自信をつけていくのです。自分へのご褒美も忘れないように。毎朝、ちゃんと起きている自分をほめるために、美味しい物を食べるとか、スーパー銭湯に行くとか、マッサージを受けるとか、ご褒美をかみしめてください。  そうすれば「周りを見下して心の安定を図」る必要もなくなると思います。  時間はかかりますが、これが一番確実な「ミスの指摘に簡単に不機嫌にならない方法」だと僕は考えます。どどさん、どうですか? ■本連載の書籍化第3弾!『鴻上尚史のますますほがらか人生相談』が発売中です!

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    子どもを日米最難関大学に入れた佐藤ママ&アグネス・チャン 2人の子育ての意外な「共通点」とは

     しつけや教育、受験などのノウハウや体験談が書かれたいわゆる「子育て本」が、いま人気です。親戚や近所付き合いの中から子育てを自然に学ぶことができた昔と違い、核家族で育った親にとって、これらの本から知識や情報を得ることは日々の子育ての大きな頼りになります。子育て情報誌『AERA with Kids』(朝日新聞出版)の編集を12年経験した同誌元編集長の江口祐子さんは、新刊『子育て本ベストセラー100冊の「これスゴイ」を1冊にまとめた本』(ワニブックス)の中で、子育て本に書かれているエッセンスを紹介しています。今回は、東大理IIIに子ども4人が合格した佐藤ママと、スタンフォード大に息子3人が合格したアグネス・チャンさん、2人に共通する“意外”な教育論を紹介します。 *  *  *  10年以上子育て雑誌の編集をやってきて、取材した教育者、経営者は数百人にのぼります。スポーツ選手や音楽家、起業家を育てた母親にも多く取材してきました。  そのような「母親の体験談」の中でもとくに印象に残っているお二人が、東大理IIIに4人のお子さんが合格したことで有名な、佐藤ママこと佐藤亮子さんと、スタンフォード大に3人の息子さんが合格したアグネス・チャンさんです。  お二人には雑誌の取材だけでなく、書籍の編集もさせていただいたので(佐藤さん『親がやるべき受験サポート』、アグネスさん『0歳教育』『スタンフォード大に三人の息子を合格させた50の教育法』)担当編集者と著者という関係でお話しさせていただく機会もありました。  まさに、日米の最高峰の大学にきょうだい全員が合格……いったいどんな教育をしてきたのかと毎回興味津々でした。  お二人がお子さんたちにしてきた教育はもちろん違いますが、「子育てポリシー」には共通することがいくつかありました。  なかでもとくに印象に残っているのが「きょうだいを比較しない」ということです。  きょうだい全員が東大理III、あるいはスタンフォードに合格というと、「たまたまきょうだい全員、頭が良かったんでしょ」と思いがちですが、お二人の話を聞くと、佐藤さんもアグネスさんも「きょうだい皆、性格も個性も持っている能力も違った」とおっしゃっているのです。  もともと、お二人とも「他人と比較する」子育てを否定しています。  子どもは他人と比較されることで自己肯定感が持てなくなり、ありのままの自分を好きになることができなくなってしまうからです。 「他人と比較することは悪い」とわかっていても、意外ときょうだい間で比較をしていることないでしょうか?  佐藤さんの著書にはたびたび「きょうだいは徹底的に平等に接する」ことの重要性が書かれています。親自身は平等に接しているつもりでも、つい長男長女を優先したり、弟や妹を甘やかしたりしてしまうことはよくある、と指摘。  そこで佐藤さんは、お兄ちゃん、という呼び方をせずに、全員を名前で呼ぶ。おやつの数も全員一緒(いちばん小さい妹が食べきれなければ、後からお兄ちゃんに譲る)など、普段の生活からルールを決めて、「きょうだいを平等に」がブレないようにしていたそう。  佐藤さん、子どもたちに勉強をしっかりさせた「教育ママ」と思われがちですが、このような細かなところにも「教育の柱」を作っているところはさすがです。  アグネス・チャンさんの言葉で印象に残っているのは、「子どもの性格はすべていい性格。悪い性格なんてないんです」というお話をされていたこと。  この視点、意外と抜け落ちていないでしょうか?  きょうだいの性格を説明するとき、ついどちらかをネガティブに言ってしまったりしていませんか? 「お兄ちゃんはしっかりしているけど、弟はだらしなくて」「妹は明るいのにお姉ちゃんはひがみっぽい」など。親の潜在意識は子どもに思った以上に伝わるもの。  「みんないい性格をしているね」とまずは親が思うこと。  まさにきょうだい一人ひとりに自己肯定感を育む秘訣です。  また、きょうだいを仲良くさせるためには、一人ひとりへの声かけが効果的だったといいます。例えば、弟がお兄ちゃんを頼っている場面を見たら、後でお兄ちゃんにコッソリ「〇〇ちゃん(弟)はお兄ちゃんのこと、本当に好きみたいだね」とささやく。  お兄ちゃんと弟が楽しく遊んでいたら、弟に「お兄ちゃんは本当に〇〇ちゃん(弟)のことを大事にしてくれているね」。個別にこっそり言うのがコツだそう。  きょうだいを比べずに一人ひとりの自己肯定感を育むことは、それぞれの能力を伸ばすことにつながりますが、お二人が口をそろえて言っていた大事なポイントがもう一つあります。  「大人になってからも、きょうだい仲良くいられること」  同じ家庭で育ち、親以上に支えとなることもあるきょうだいですが、永遠のライバルでもあり、一つ間違うと愛情や財産の分配をめぐって争いが生じることも日常茶飯事。  実は、きょうだいがずっと仲良くいられるかどうかは、親の言動にかかっているのです。 「子どもの頃を振り返った時に、一点の曇りもなく『楽しかった』と思ってほしかったし、いつか親がいなくなってもきょうだい全員で仲良く集まってほしい」(佐藤さん) 「いま、息子たちは全員成人して、皆バラバラの職業についていますが、今でもきょうだいが仲がいいのは親として何よりもうれしいこと」(アグネスさん)  皆さんはどうでしょうか?  子育てで大切なことは、このように身近でシンプルなことの中にあるのかもしれません。 (教育エディター・江口祐子)

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    急死の上島竜兵さんが残した「山ねこ」のボトル 「会計はいつも竜兵さん」後輩と通ったなじみの店主

     ダチョウ倶楽部のメンバーで、お笑い芸人の上島竜兵さんが11日未明、死去したことがわかった。東京都中野区の自宅で意識がなくなっているのを家族が発見。病院に搬送されたが、午前1時頃、死亡が確認されたという。  上島さんはお酒が好きだった。2015年から行きつけのカフェバーの30代のオーナーはこう語る。 「うちの店には週1回くらいのペースで飲みに来ていました。昔はウイスキーも飲んでいたんですが、そのうち宮崎県産のイモ焼酎『山ねこ』をロックでひたすら飲んでいましたね。食べ物はちょっとつまむぐらいで、もっぱら飲む方でした」  店内には、「上」と書かれた、上島さんが入れた「山ねこ」のボトルがあった。まだ少ししか飲んでいないままだった。 「ボトルが空になると次にまた入れるという感じでした。1人でも来ましたが、たいてい、後輩芸人を1人から3人連れて来ました。会計はいつも、竜兵さん。先輩、後輩がきっちりしていました」  長い付き合いのオーナーには素顔を見せることもあった。 「竜兵さんは自分を『出無精』だと言ってました。自宅で過ごすのが好きだった。『そんな自分を無理やり外に連れ出して、何かやらせる企画が面白いんじゃないか』とか冗談を言ってました」  上島さんは自宅での映画鑑賞を趣味にしていた。 「とくに渥美清さんが寅次郎を演じる『男はつらいよ』(シリーズ48作)がメチャメチャ大好きでした。何回も繰り返し見ていると話していました」  飲んでいても、お笑いの話をするのが常だった。 「『あいつのボケはダメ、こいつのツッコミはいい』という話とか、とにかくお笑いの仕事の話ばかりしていました」 たまに妻でタレントの広川ひかるさん(51)と夫婦でやって来ることもあったという。 「夫婦仲は良さそうでした。2人でずっとしゃべってましたから。ひかるさんのインスタを見ても、『今日は夫が料理を作ってくれた』とか書いてあって、仲のよさがうかがえました」  最後に店に来たのは2020年の秋頃。 「コロナ禍になって、竜兵さんの足が遠のいてました。また、コロナが落ち着いたら来ていただけるのかなと思っていたら、こんなことになってしまった」  上島さんの行きつけの喫茶店の店主(47)は「おとなしい人でした」と話す。 「うちには午後3時頃やってきて、ホットコーヒー(450円)の注文が多かったです。夏はアイスコーヒーでした。いつも砂糖もミルクも入れず、ブラックで飲みながら、スポーツ紙を読んでいました。テレビのお笑い番組でみるような感じではなく、気さくだけどおとなしい人でした。上島さんはタバコを吸うから、タバコのためにうちにやって来ていたんでしょう。2年前、受動喫煙防止条例が制定されてからは、店でタバコが吸えなくなり、上島さんもほとんどお見えにならなくなりました」(喫茶店店主)  上島さんが死去する4,5日前にあいさつを交わしたという。 「自宅マンション1階のエレベーターホールの周辺で見かけました。上島さんの方から『こんにちは』とあいさつしてきて、普段と変わらなかったです」  知人らによると、自身が出演したドラマの話をするのがとても好きだったという。「俳優・上島としての仕事も、もっと見たかった」という声も根強い。  所属事務所は11日、公式ホームページを通じて「あまりにも突然のことで驚きに堪えません。今まで上島竜兵を応援して下さった皆様には心から感謝いたします」とコメントを発表した。 (AERAdot.編集部・上田耕司) ◆「日本いのちの電話」相談窓口◆ 厚生労働省は悩みを抱えている人に対して相談窓口の利用を呼びかけている。◆ナビダイヤル 0570・783・556(午前10・00~午後10・00)◆フリーダイヤル 0120・783・556(毎日:午後4・00~9・00、毎月10日:午前8・00~翌日午前8・00)

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    「怖いから早く欲しい」シェルター需要急増中 約1500万円でも一家で3基購入も

     ロシアによるウクライナ侵攻以降、平和なはずの日本でも不安が広がっている。ミサイルの危険を自分ごとだと感じ、もしもに備えて準備を急ぐ人も出てきた。AERA 2022年5月16日号の記事から紹介する。 *  *  * 「またミサイルだ」  大型連休も後半に差し掛かった5月4日。防衛省は北朝鮮が弾道ミサイルを発射したと発表した。今年、13回目とみられる。  都内に住む女性(32)は、LINEに届いたニュース速報でミサイルの発射を知り、こう感じた。 「落ちてきたら、どこに逃げればいいんだろう」  このとき、女性がいたのは地上を走る電車のなか。もし本当にミサイルが落ちてきたら大変なことになる、とゾッとした。 「きっと窓は割れるから、近くにいると危ないよね。でも、電車って窓だらけ。逃げ場がない」「リスク回避には地下鉄を使うほうがいいんだろうか」  そんな話を友人にすると、考え過ぎだとたしなめられた。自分でもそうだとわかっているし、2017年にJアラートが鳴ったときは、そこまで気に留めていなかった。  ミサイルの危険を自分ごとだと感じるようになったのは、ロシアによるウクライナ侵攻が始まってからだ。 「ウクライナの人たちも、侵攻が始まる前の日まで普通に暮らしていました。そう考えると他人事じゃありません」  こうした不安を抱えているのは、この女性だけではない。ウクライナ侵攻が始まった2月24日以降、こんな動きが起きている。 「核シェルターについて、2カ月で100件以上の問い合わせがありましたよ」と、住宅用防災シェルターの販売を行う「アンカーハウジング」代表の吉山和實(かずみ)さんは言う。  同社では17年から住宅の地下に設置するタイプのシェルターを販売している。日本上空を通過するミサイルの発射が繰り返された同年から、シェルターへの関心は高まっているという。 「あのときの問い合わせは30~50件くらいで、シェルターを販売したいという建設会社が中心でした。でも今は、『怖いから早く欲しい』という個人の方からの相談も増えています」(吉山さん) ■一家で3基購入も  シェルターは米国製で、キューバ危機でも使われたものだという。広さは約2.6坪、深さ約5メートル。折りたたみ式の2段ベッド2台と、床下収納も備え付けられている。放射性物質などを除去できる空気ろ過機や手回し発電機もあり、ここで2週間は過ごせると説明する。  価格は設置費を含めて約1500万円からと、気軽に手を出せる値段ではない。それでも、一家で3基購入したケースもあるという。 「お孫さんの分も、ということでした。安全性を買っているので、価格の問題ではないんです」  自治体もシェルターに熱視線を送っている。  茨城県結城市では、今年からふるさと納税の返礼品として核シェルターを採用。製造するのは、地元企業の「直エンジニアリング」だ。  幅約2メートル、奥行き約4メートル、高さ約2メートルの地上設置型で、ふるさと納税では2090万円の寄付が必要になる。  だが、通常購入であれば本体価格570万円からとシェルターのなかではリーズナブルだ。同社専務の古谷野喜光さんはこう説明する。 「東日本大震災のとき、お金のある人は別の場所にいて、避難所にいなかった、という声も聞きました。ならば、低価格で買えるものを作れないかと思ったんです」  構想から7年経った昨年12月、ようやくシェルターが完成した。 「ミサイルが落ちると想定される場所は限られているので、多くの場合は爆心地から舞い上がる放射性降下物が問題になります。シェルターには放射性物質などを除去するイスラエル製のフィルターを搭載し、屋根と壁には鉛の板も入れています」 ■低いシェルター普及率  ウクライナ侵攻以降、同社への問い合わせも急増している。だが、シェルターそのものが普及していない日本では、購入したことを後ろめたく思う人もいるという。 「地下シェルターではなく一部が地上に出ているので、有事の際に人が殺到することや、自分だけ助かればいいのかと思われてしまうのが怖いという方も多いです。もっとシェルターが普及すれば認識が変わるかもしれません」  NPO法人「日本核シェルター協会」の調査によると、14年時点の核シェルター普及率は、スイス、イスラエルが100%、ノルウェーが98%、アメリカが82%に対して、日本はわずか0.02%だった。堂々とシェルターを使うには、まだ時間がかかりそうだ。(編集部・福井しほ)※AERA 2022年5月16日号より抜粋

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    クロちゃんが絶対やってはいけない"筋トレ"行い医師が警告「このままでは歩けない体になる」 

     安田大サーカスのクロちゃんが、気になるトピックについて"真実"のみを語る連載「死ぬ前に話しておきたい恋の話」。今回のテーマは「筋トレ」。自身のSNSで、ジムでの筋トレの様子を頻繁にアップしているクロちゃん。実は昔から体を鍛えることが好きだったクロちゃんだが、一時は間違った筋トレをやりすぎて、ドクターストップがかかった経験もあるという。そこまでしてクロちゃんが筋トレを続ける理由とは? *  *  * あんまり信じてもらえないんだけど、ボクは週3回のペースでジムに通っている。SNSなどでは「ウソつくな!」とかって散々いわれるんだけど本当だからね(笑)。 ジムに通う日は、朝4時に起きて、支度をして、4時半には自宅を出るのがルーティン。ジムまでの移動は基本、徒歩。1時間弱かかるんだけど、これもトレーニングの一貫だと思っている。到着するのは5時半頃。午後からよりも、朝のほうが空いていて、器具もいろいろ使えるから、トレーニングがしやすいんだよね。 ベンチプレスやダンベル、ハイプーリーなどを使って、主に上半身を鍛えるトレーニングに今は取り組んでいる。ちなみに下半身は、あまり鍛えないのがボクのこだわり。下半身のトレーニングをやりすぎると、2~3日疲れが取れなかったりするからね。ボクは、散歩が好きで日頃からよく歩いているから、そこで下半身の筋力は十分カバーできているはずなんだ。だって、仕事のスケジュールが問題なければ、ジムからも徒歩で帰ったりもするからね。午前中で1万歩以上を歩くなんてことも決して珍しいことじゃない。健康的な生活で良いでしょ? そもそもボクは昔からジムが大好き。通いはじめたのは大学生の頃だから、もう25年以上になる。当時は、体重が108キロまで増えてしまっていて、「体重が煩悩の数なんてヤバい」って焦ったのが通い始めるきっかけ。その時は「とにかく痩せたい」って精神的にもかなり自分を追い込んでいたから、筋トレ以外にも、エアロビやヨガなども取り入れてめちゃくちゃ頑張った。そのおかげで、ダイエットは大成功。108キロもあった体重がなんと66キロまで落ちたんだ。  この時の成功体験と、自分の身体が変わっていくさまがたまらなく面白くて、ボクはすっかりジムにハマってしまった。ピークに鍛えていた頃は、130キロのベンチプレスも持ち上げることができたし、一時は3つのジムを掛け持ちしていたこともある。当時はなぜか「ジムを掛け持ちすること」が、ステータスのように感じていた。ただ、掛け持ちしていたといっても、うまく使い分けていたのかって聞かれたら、全然そんなことはない。トレーニングも独自のメニューをこなしていたから、効率も悪かったし、体にも負担がかかりすぎていた。  ジム初心者の方に言っておきたいけど、間違ったトレーニングをやり続けるのは、けっこう危険だよ。しらずしらずのうちに、自分の身体が悲鳴をあげている可能性があるからね。かなり昔の話だけど、ボクは「花の慶次」っていう漫画に出てくる、片腕だけ異常に太いキャラクター「岩兵衛」に憧れて、"右腕"だけを集中的にトレーニングをしていたら、ドクターストップがかかったことがある(笑)。 今、振り返っても、たしかに、あれは、ちょっとやりすぎていた。 暇さえあれば、右腕がパンパンになるまで、ずーっと筋トレしていたからね。握力ボールとかであれば5~6時間以上は平気でやり続けてしまうくらい……。 当然、右腕はだんだん太くなっていった。「岩兵衛」のように、右腕と左腕の太さの"差"をつけたかったのもあって、左腕はまったく鍛えずにいたんだけど、結局、これがダメだった。 ある日、朝起きたら、突然、体に激痛が走ったんだよね。あまりの痛さで布団からまったく出られないくらいに……。これはボクもびっくりした。あまりの痛さに「これはダメだ」って思って、急いで病院に駆け込んだ。お医者さんからは「(右腕のみの筋トレをやりすぎて)身体の左右のバランスが非常に悪くなっています。このまま続けていると、最悪の場合、歩けない体になる可能性もありますよ」と告げられた。衝撃的だった。今考えると、なんて恐ろしいことをしていたのかと怖くなるよ。 熱中しすぎると、周りが見えなくなって、とことん突き詰めてしまうのがボクの悪いクセだなってことを改めて感じた瞬間だった。その時の無理なトレーニングの影響で、いまだにボクの身体のバランスは少しおかしい。正面からボクを見るとよく分かるけど、右肩のほうが左肩よりもじゃっかん下がってしまっているからね。たぶん、これはもうなおらない。  やっぱり、トレーニングはきちんと正しい方法で行わなくちゃ駄目だね。あと、絶対無理はしちゃいけない。 だから、今では専属のトレーナーさんもちゃんとつけているし、無理なトレーニングして、自分を追い込むこともしていない。結局、それがいちばん効率も良いし、なんといっても、ジムに「長く通い続けること」の秘訣(ひけつ)なんだよね。  ボクは、ジムって「通い続けること」に意味があると思う。もちろん無理のない範囲で。  やっぱり人間、健康がいちばん。ボクは昨年コロナになって、それが身にしみてわかった。残りの人生、できるだけ長く健康でいるために、ある程度の体力や持久力、免疫力を、適度な運動することで、つねに維持しておきたいっていうのが、ボクがジムに通う最大の理由なんだよね。 あと、ボクの場合、「水曜日のダウンタウン」(TBS系)で無人島に突然連れていかれたり、いきなりプロレスの試合に出ることになったりなどのハードな仕事も多いから、それに耐えられるための体作りっていう目的ももちろんある。どんな仕事でも、プロとして絶対NGは出したくないからね。 それに、シンプルに、運動するのってやっぱり気持ちいいよ。ジムに興味があるけど「どうしようかな」って迷っている人は、週1回でもいいから、無理のない日程を決めて、とにかく一度通ってみるといい。そこで自分を追い込む必要なんかまったくないし、嫌なら休んだっていい。 これはボクだけの感覚かもしれないけど、「ジムに通っている」ってことでだけで、自己満足度が勝手にあがって、自分に少し自信がついたり、気分転換にもなったりするんだよね。 友達や恋人と一緒に通うのだってきっと楽しいと思う。ボクも、いつかは恋人とジムデートしてみたい。ボクは、筋トレの知識も豊富だから、いろいろとアドバイスができると思うからね。 健康的な体を維持することがもちろん大前提だけど、余力があれば、プロレスラーのオカダカズチカさんや棚橋弘至さんみたいなたくましい身体づくりも目指したい。女性に頼られるような強い男ってやっぱり憧れちゃうんだよね。今は昭和のプロレスラー体型っていわれるから、なんか嫌なんだ。 しかし、これだけジム通っているのに、なぜ、もう少し痩せないんだろう……。不思議だよね? 明日も筋トレ頑張るしん。 ◎クロちゃん/1976年12月10日生まれ。広島県出身。2001年4月に団長安田、HIROと「安田大サーカス」を結成。スキンヘッド、強面には似合わないソプラノボイスが特徴(構成/AERA dot,編集部・岡本直也)

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    「ゴルバチョフ氏の愚は繰り返さぬ」鈴木宗男氏が語るプーチン大統領の論理

     ウクライナに侵攻したロシア。プーチン大統領は何を考えているのか。AERA2022年3月14日号では「ウクライナとロシアの現実」を緊急特集。彼と4回会ったことがあるという鈴木宗男・参議院議員に聞いた。 *  *  *  プーチン大統領の考えを理解するには、東西冷戦が終結した頃からの歴史を俯瞰する視点が必要です。  1989年にベルリンの壁が崩壊し、ブッシュ(父)米大統領とゴルバチョフ・ソ連書記長の間で東西ドイツの統一に向けた議論が始まりました。その時、北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大はしない、と米国はソ連に約束しました。  文書化されていませんが、当時のベーカー米国務長官の回顧録『シャトル外交 激動の四年』(新潮文庫)にも、1990年2月9日のベーカー国務長官とゴルバチョフ氏の会談で「1インチたりとも拡大しない」と伝えた場面が紹介されています。  ゴルバチョフ氏は西側を信頼し、ワルシャワ条約機構を91年に解体したのです。  この頃、KGB職員として東ドイツにいたのがプーチン氏でした。ところがNATOはその後、東方拡大を進めました。  プーチン氏は一方的に約束を反故にしてきた米国の信義違反を繰り返し批判してきました。ゴルバチョフ氏はノーベル平和賞を受賞しましたが、結果として「弱いロシア」になってしまった。プーチン大統領には、西側を善意に解釈したゴルバチョフ氏の愚は繰り返さない、という強い決意と覚悟があります。  NATOに加盟した旧ソ連の国々にはロシアに照準を向けたミサイルが配備されています。ウクライナまでNATOに加盟する事態をロシアは看過できません。  しかし、今の日本のメディアを見ていると、「ウクライナが善、ロシアが悪」という構図の報道ばかりが目につきます。これはちょっと短絡的すぎる。ウクライナのゼレンスキー大統領に何らの過ちもなかった、というのは公平な見方ではないと思います。  ウクライナ東部の「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」で続く紛争をめぐっては、「ミンスク合意」という和平の道筋があります。2014年に欧州安全保障協力機構(OSCE)が支援し、ウクライナ、ロシアとドネツク、ルガンスクの4者が署名した停戦合意と、15年にドイツとフランスが仲介した「ミンスク2」という包括的な和平合意です。  この和平合意を履行しなかったのは、19年に大統領に選出されたゼレンスキー氏です。彼は、自分はミンスク合意に署名していないと言い始めたり、昨年10月に攻撃ドローンを飛ばしたりしたことが、現在に至る緊張状態の発端になっています。米国も今年に入り「ロシアは明日にも侵攻する」といった情報を世界に流し続けました。  プーチン氏には「挑発」と映ったはずです。米国は本来、ロシアとウクライナの間に話し合いの場を設け、ミンスク合意の履行を双方に促すのが役割だったはずです。ロシアが侵攻に踏み切ったのは、この間、話し合いに応じようとしなかったゼレンスキー氏がミンスク合意を履行しないことが明白になったからだと思います。  ロシアが侵攻する前の動きを時系列で見れば、プーチン氏は話し合いを求めたが、それに応じなかったのはゼレンスキー氏です。  ミンスク合意をウクライナが履行していればこんな事態は起きなかった。ゼレンスキー氏が大統領になるまでは散発的な戦闘は起きても、紛争の拡大は抑えられてきましたから。外交は積み重ねです。過去の約束は守るのが基本です。米国が言っていることがすべて善、ロシアは悪という単純な分け方は危険です。  私は今回のロシアの侵攻、力による現状変更、主権侵害は認められるものではないという前提でお話ししています。ただ、ここに至るにはそれなりの経緯がある、ということを知ってもらいたいのです。  プーチン氏の目的は、ウクライナの中立化だと思います。紛争を抱えている国はNATOに入れません。ドネツクやルガンスクで紛争が続いていますから、ウクライナはもともとNATOに加盟できる状況ではありません。プーチン氏が求める中立化は、NATOに加盟しないというのにとどまらない、スイス、オーストリアのようなイメージをしているのではないでしょうか。  私はプーチン氏に4回会ったことがあります。  1999年にキルギスで日本人技師4人が誘拐された事件が起きた直後のアジア太平洋経済協力会議(APEC)で、当時首相だったプーチン氏と初めて面談しました。当時、プーチン氏は恩着せがましく外交カードとして利用することなく、事件の解決に尽力してくれました。強面と言われますが、人情家だと思います。  また、56年の日ソ共同宣言の有効性を認めた指導者は、ソ連、ロシア時代を通じてプーチン氏が初めてです。日本は北方領土や平和条約締結という政治課題がなければ、米国と一体でいいと思います。しかし、日本の国益を踏まえれば、ゼレンスキー氏ともプーチン氏ともバランスの取れたトップ外交を展開すべきだと思います。  長い目で見れば、中国の東アジアでの覇権主義的な動きを抑えられるのは米国ではなく、ロシアではないでしょうか。ロシアは世界一のエネルギー資源大国です。2050年のカーボンニュートラルに向けても、当面はロシアのLNG(液化天然ガス)が必要です。  いかほどの経済制裁をしても事態は収まりません。いま必要なのは一にも二にも話し合いです。 ○鈴木宗男氏(すずき・むねお)1948年、北海道足寄町生まれ。日本維新の会所属の参院議員。小渕内閣で内閣官房副長官を務めた。北方領土問題の解決に取り組んでいる。 (構成/AERA編集部・渡辺豪)

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    上島竜兵さん、渡辺裕之さん 続く60代の急死に精神科医は「老人に着地していくことも必要」

     ダチョウ倶楽部のメンバーで、お笑い芸人の上島竜兵さんが5月11日未明、死去したことがわかった。その約1週間前の3日には、俳優の渡辺裕之さんが、横浜市の自宅で急死したと発表されたばかり。  10日、渡辺裕之さんの妻で女優の原日出子さん(62)は、所属事務所の公式ホームページを通じてコメントを発表した。 「(夫は)『眠れない』と体調の変化を訴えるようになり、自律神経失調症と診断され,一時はお薬を服用していましたが、またお仕事が忙しくなって、元気を取り戻したようでもありました。しかし、少しずつじわじわと、心の病は夫を蝕み、大きな不安から抜け出せなくなりました」  なぜ、このような悲しいことが起こるのか。上島さんは61歳、渡辺さんは66歳。両者とも60代の男性で、仕事も続けていたなど共通点は少なくない。  精神科医の片田珠美氏はこう語る。 「一般的に60代になると初老期うつ病を発症しやすいと言われています。これは50代から60代半ばの初老期に発症するうつ病で、何らかの喪失体験がきっかけになることが多い」  喪失体験とは、本人が大切なものを失ったと感じて「自分はもうダメだ」と思い詰めるような体験だという。 「例えば、コロナ禍の影響で経済的損失があったのならば、それは喪失体験です。思い通りに体が動かせなくなったとか、理想とする体形ではなくなったとかいう場合も、喪失体験と受け止められやすい」(片田氏)  精神科医の香山リカ氏も、「60代の初老期うつ病というのはけっこう起きやすいものです」と語る。 「60代で、それまで社会的にも活躍していたような男性だと、年齢的にも体力的にも、これからだんだんと高齢者になっていく中で、どのように自分を高齢者として着地させていくのかが大きな課題になります」  周りから「明るくて元気でタフ」、「頼りがいがある」、「いつまでも若い」というイメージで見られている人ほど、「老いてきた自分をなかなかみせられない」という葛藤が生じやすいという。 「60代でも、まだまだ元気で若く、新しいチャレンジをするというのは理想の生き方としてありますが、60代なりの老いの兆候や体の不調というのは誰にでも出てくるもの。少なくない人が年齢に関係なく、若さを保っている時代だからこそ、自分のイメージと現実のギャップに、想像以上に苦しんでいる人がたくさんいると思います」(香山氏)  老いるに老いられない時代。個人差もあるだろうが、「一生現役」と考える人も少なくない。 「老いの兆候があると、ものすごくショックを受けたり、それを自分で否定しようとしたりする人は少なくありません。そして、『いっそのことここで命を絶って終わりにしたほうがいい』『老いていく自分を自分で認められない』と考えてしまう」(香山氏)  それではどうしたらいいのか。 「エイジング(加齢)によって、体に痛みが出てきて動かしにくくなる。元気で明るくと思っていても、気分が上向かないこともある。肉体は衰え、気力もなくなって、記憶も低下するというのは、ある意味では自然の摂理です。いつまでも若い時みたいに元気で明るくいられるわけではありません。難しいことですが、そういう現実を少しずつ受け入れていくことが大切だと思います」(片田氏)  いくつになっても元気で若々しく美しい人というのはいるものだ。 「それは素晴らしいこととは思うんですけど、やっぱり60代、70代ということを自分で認めて、あんまり無理せずに老いていってもいいんじゃないかと思います。老いていく自分も面白いんじゃないの、と思います。うまく、老いというか老人に着地していくことも必要なんじゃないかと思います」(香山氏)  今回は60代の芸能人の急死が続いたが、男女差はあるのだろうか。 「どんな国でも、どんな文化でも、どんな時代をとっても、男性の自殺率が女性よりたいがい高いんです。これは男性の方が喪失体験に対して脆弱だからです」(片田氏)  厚生労働省が今年3月に公表した「令和3年中における自殺の状況」によると、昨年1年間に自殺した人は全国で2万1007人。これを年代別に見ると、50代が3618人と最も多く、60代は2637人、70代は3009人、80代以上は2214人だった。じつに、50代以上が1万1478人と、全体の半数以上を占める。男女別では、男性は1万3939人、女性は7068人と、男性の自殺者数が女性の2倍近い。  ともに老いていく伴侶はどう対応したらいいのだろうか。 「元気で若いイメージのまま、ポキッと折れてしまう人もいるので、少しでも歳を感じさせるような行動とか、見た目を含めた兆候とか、足腰が弱くなるとかが出てきたら『一緒に老いるんだし、当然じゃないの』と受け止める。『まだまだあなたはできるはず』と励ますばかりではなくて、夫と一緒に少しずつペースを緩めて生活していくくらいがいいと思います。『老いたあなたもステキよ』と、変化を楽しむ余裕が必要です」(香山氏) (AERAdot.編集部・上田耕司) ◆「日本いのちの電話」相談窓口◆厚生労働省は悩みを抱えている人に対して相談窓口の利用を呼びかけている。◆ナビダイヤル 0570・783・556(午前10・00~午後10・00)◆フリーダイヤル 0120・783・556(毎日:午後4・00~9・00、毎月10日:午前8・00~翌日午前8・00)

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    稲垣えみ子「自分の『正しさ』ばかり考えていた時、人の助けと情けが身にしみた」

     元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。 *  *  *  とんでもないことをしでかしてしまった。  あろうことか夕食用のジャガイモの煮物を火にかけたまま外出。焦げ付いたイモの煙に気づいた隣の方の119番で間一髪火事に至らなかったものの、それは多くの方の機転で得られた幸運でしかなく、「うっかり」で済まされるはずもない。何かあれば取り返しがつかなかった。考えただけで震えが止まらなくなった。  なぜこんなことに。振り返れば、ずっと締め切り原稿で頭がいっぱいで、気もそぞろだった。要するに慢心していたのだ。人様に何かを発信するうちに自分の「正しさ」ばかり考えるようになり、浮き足立っていた。なのにそれに気づこうともしなかった。生きていく上でまず大事なことは、人を唸らせる文章を書いたり発言したりすることじゃない。最優先すべきは「火事を出さないこと」だ。人様の生活や命を危険にさらさないよう努力を尽くすことだ。そんな当たり前が全くわかっていなかった。それで正しい事を言うとかありえないだろう。でもそれが私だった。  そして、人の助けと情けがこれほど身にしみたことはない。隣の方始め、消防や警察の方の機敏な判断と行動で首の皮一枚で救われた。怒鳴られて当然なのに、怪我がなくて何より、お互い気をつけましょうと言ってくださった大家さんや近所の方々の優しさよ。酒屋のおかあさんは「怖かったでしょう」と肩に手を置いてくださった。その手の温かさ。そう私は自分が怖かった。同じ酒屋のおとうさんは「おじちゃんはいつもバイクに乗るとき、よし今日も絶対事故を起こさないぞって自分に言い聞かせているよ」と教えてくれた。その全てを一生忘れない。皆様こそが正しく偉大なのであった。  私はこれからどうするべきか。  今の私は何かが間違っているのだ。おそらくは人生の目標が。朝起きたら、その日を無事に過ごすのだと自分に言い聞かせること。外出時の火元の指差し確認。そして人に優しく。それを日々やりとげることが全てなんじゃないか。 ◎稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行※AERA 2022年5月16日号

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