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ヘンリー王子とメーガンさんにすきま風 「3年持つはずがない」がここにきて現実味
5月6日、国王チャールズ3世(74)の戴冠式が執り行われた。規模は縮小されたが、歴史と伝統を尊重した荘厳な式であった。国王に続いて、王位継承順位1位のウィリアム皇太子(40)と2位のジョージ王子(9)を国民の前に示して、王室の継続性と安定性をアピールした。 王室の慶事に暗い影を落としたのは、ヘンリー王子(38)だった。わずか28時間ほどの滞在で、他の王族との交流も深めず、まるで逃げるようにアメリカに帰った。それなら妻子と合流した王子はさぞ幸せであるかというと、聞こえてくる話はそうではない。いつでも手を握り腕を絡ませる王子とメーガンさん(41)だったのに、風向きが少々変わってきたようなのだ。 5月19日は2人の5回目の結婚記念日だった。アツアツの写真やコメントを予想する向きも多かったが、何も出てこなかった。メーガンさんの戴冠式欠席の理由は、アーチー王子の4歳の誕生日を祝うためとされた。しかし、パパとママと妹リリベット王女(1)に囲まれた彼の笑顔を見ることはなかった。戴冠式翌日に目に飛び込んできたのは、メーガンさんが、イギリスから帰国しているはずのヘンリー王子とではなく、友人やボディーガードとハイキングする姿だった。 5月20日、イギリスのタブロイド紙は、ヘンリー王子は自宅近くの高級ホテルにメーガンさん抜きで利用する秘密の部屋をキープしていると報じた。「王子は、ここをメーガンさんからの逃げ場と考えている」との説明だ。またさらに、会員制クラブ、サン・ヴィセンテ・バンガローズにも王子は頻繁に通う。バリーズ・ブートキャンプで汗を流した後は決まって立ち寄る。プライバシーが究極の贅沢とうたうクラブハウスには、写真撮影禁止など厳格なポリシーがある。王子は「隠れ家」を少なくとも2カ所持つとのニュースが広がると、夫妻の広報担当者があわてて否定した。 一方、メーガンさんは仕事にまい進する。ネットフリックスで王室生活をテーマにした長編映画を制作する意欲を見せているのだ。以前に生い立ちをもとにしたアニメーション「パール」をネットフリックスから公開しようとしたが、中止になった。やはりネットフリックスは英王室の裏話を生々しく明かしてほしいし、メーガンさんもそれに応えたい。しかし、ヘンリー王子は必ずしも賛成していない。むしろイギリスに家族で帰る希望さえ持つという。 そもそも王子夫妻が2018年に結婚したとき、イギリスのメディアから「3年持つはずがない」と言われた。結婚2年足らずで王室離脱、オプラ・ウィンフリーさんのインタビューを受け、「ハリー&メーガン」のドキュメンタリー番組を公開し、ヘンリー王子は暴露本『スペア』を出版した。いずれもテーマは英王室批判で、それによる収入も莫大だ。こうしたことから二人の人気はイギリスはもとより、アメリカでも凋落傾向にある。 しかしメーガンさんは、しぶるヘンリー王子を置きざりにしてでもさらにスーパースターへの道を駆け上がりたい。先日は、大手エージェンシーのウィリアム・モリス・エンデヴァーと契約、芸能活動などに力を入れていく。メーガンさん担当とされるCEOアリ・エマニュエル氏の兄は、オバマ元米大統領の首席補佐官で元シカゴ市長、現在の駐日大使だ。政界進出の夢を捨てていないメーガンさんにとっては重要なコネになる可能性がある。自分には公爵夫人、子どもたちには王子と王女の称号を得た。もう、ヘンリー王子は必ずしも必要がないのかもしれない。夫妻の目指す方向には徐々にずれが生じている。 メーガンさんが前夫に離婚を告げる際は、封筒に婚約・結婚指輪を入れて送り付け、それきりだった。父親との関係もそうだ。心臓病で緊急手術を受けようと、「孫と会いたい」と繰り返そうと、関係修復の姿勢を見せない。メーガンさんは、英王室に入るときに閉鎖したブログ「ティグ」を再開する予定だ。ヘンリー王子と出会う前のティグには次のような言葉がつづられている。「自分を完成させるのに他人は必要ない。自分一人で十分だ」。ヘンリー王子とメーガンさんの不仲説は、離婚へと突き進むのだろうか。 (ジャーナリスト・多賀幹子) ※AERAオンライン限定記事
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ジェーン・スー「目標1万歩ウォーキング 生活を変えると、気になるものも変わってくる」
作詞家、ラジオパーソナリティー、コラムニストとして活躍するジェーン・スーさんによるAERA連載「ジェーン・スーの先日、お目に掛かりまして」をお届けします。 * * * 4月半ばからウォーキングを始めました。これから暑くなるというのに、スタートするタイミングが悪いなあと我ながら思います。 とはいえ、いまや東京で「暑くも寒くもなく花粉も飛んでいない梅雨以外の時期」なんて4月下旬から6月頭までと、10月から頑張って年末くらいまで。夏になると夜もうだるような蒸し暑さです。ラジオで毎日「熱中症に気を付けて!」と言いながら、自分が倒れては元も子もない。よって、いつまで続けられるかは気温次第。 歩き始めて、1万歩ちゃんと歩くことはなかなか大変だとわかりました。ちょこちょこした移動も含めた「1日に1万歩」なら、一駅手前で降りるなどの工夫次第でどうにかなる。しかし「歩くぞ!」と心に決めて、運動としてのウォーキングだけで1万歩を達成するのはなかなかヘビー。先日は、夜に1時間半6キロシャキシャキ歩いてみたけれど、それでも9千歩程度でした。一気に1万歩を目指すのは、週末に1度できたら御の字でしょう。 平日は1日3回程度に分けて歩きます。理想的なのは、自宅からラジオ局、ラジオ局から事務所、事務所から自宅をすべて徒歩にすること。これで1万歩は余裕です。 私は汗かきなので、歩き始めて5分もしないうちに滝のような汗が顔面や背中に滴ってきます。リュックには着替えのTシャツが入っているから大丈夫だけれど、それにしても汗だく。 生活を変えると、気になるものも変わって面白いですね。昔はスポーツ用と銘打った強力な日焼け止めがドラッグストアに必ず置いてあったけれど、いまは街使用向けのものですらSPF50が標準となり、あとは落ちにくさが問われるわけですが、ウォータープルーフ機能を強く謳っているものは意外と少ない。「汗、水に強い」と控えめに書いてあるくらいです。肌に悪そうな印象を持たれたくないからなのかしら。 朝、やや頼りなさを感じる日焼け止めを顔や首、腕に塗りたくり、日傘を右手に、タオルを左手に家を出る毎日。途中、コンビニで水を買い、ごくごくと飲みながら40分。気温25度くらいまでなら、なんとか体力を温存しながら歩けます。ラジオが終わったらまた歩くのだから、私はやはり体力があるほうと言えるでしょう。強い体に産んでくれた親に感謝です。 ○じぇーん・すー◆1973年、東京生まれ。日本人。作詞家、ラジオパーソナリティー、コラムニスト。著書多数。『揉まれて、ゆるんで、癒されて 今夜もカネで解決だ』(朝日文庫)が発売中 ※AERA 2023年6月5日号
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19時間前
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開成はランク外、地域に偏り…国公立大学合格者ランキング
2023年入試が終わり、各大学の結果が出そろった。大学入学共通テストの難易度が増した昨年に対して、今年は落ち着きを取り戻し、波乱は少なかったようだ。本誌恒例の大学合格者高校ランキングの大トリを飾るのは、国公立全179大学の合格者数。本誌とサンデー毎日、大学通信の合同調査による総合型・学校推薦型を含む人数(4月末日現在判明分)を調べた。 合格者数トップ15高校を並べてみると、熊本(熊本)、金沢泉丘(石川)、岡崎(愛知)、修猷館(福岡)、浜松北(静岡)など、地方の難関公立進学校が勢ぞろいした。今年は地域が偏っていることが特徴で、中部以西の高校がランクインしている。首都圏をはじめ、東北や北海道の高校はトップ15に入らなかった。 なお、本誌4月21日号では「難関国立10大学の合格率ランキング」を特集したが、このときは関西圏の私立校が上位を多く占め、今回とは対照的だった。 大学通信情報調査・編集部部長の井沢秀さんがこう解説する。 「ランキングの上位には、私立大の選択肢があまりない地方の学校が毎年多く入る傾向にあります。もう一つの要因としては、公立校がその地域のトップ校で、大学も地元国立大や旧帝大に進学する人が多いからというのもありますね」 熊本県にも石川県にも私立大学はあるが、旧帝大をはじめ、熊本大や金沢大を受験する人たちが併願校としては選びにくい。福岡県や愛知県の高校も上位に位置するが、同様の理由だろう。また、6位の新潟南(新潟)は300人が国公立大学への合格を決めたが、新潟大と新潟県立大だけで182人を占めた。 井沢さんが続ける。 「首都圏は早慶をはじめ、有力な難関私立大学が多くあります。東北や北海道も東京志向が強いといえますから、今回トップ15に入らなかったのではないでしょうか」 昨年のランキングでは開成(東京)が2位につけた。多くを東大合格者が占めた結果だが、今年は東大合格者を45人減らし、ランク外となった。 私立校では洛南(京都)、東海(愛知)、西大和学園(奈良)の3校がランクインした。やはり、合格者の多くは東大や京大、国公立大医学部が占めている。 「ランキング上位の高校は、難関国公立大への合格者の割合が多いのも特徴です。生徒それぞれが自分の行きたい大学に果敢にチャレンジし、結果を出したからだといえるでしょう」(井沢さん) ただ、一人でも多く国公立大学の合格者を出すため、生徒の受験校選びに介入する高校もあるという。学力に応じた指導といえばそれまでだが、生徒の意欲を高める取り組みといえるだろうか。 24年入試に向け、勉強を本格化している受験生も多いだろう。最後まで自分の行きたい大学を諦めず、合格をつかみ取ってほしい。(河嶌太郎)※週刊朝日 2023年6月9日号
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6時間前
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MARCH合格者数の上位校「大宮開成」「山手学院」 30年間で「伸びた学校」に変えた改革の“中身”
この30年間でMARCH(明治・青山学院・立教・中央・法政)への大学合格者数を伸ばしている高校がある。どんな教育方針なのだろうか。埼玉の大宮開成と横浜市の山手学院を取材した。AERA 2023年6月5日号の記事を紹介する。 * * * 駿台予備学校によると、5月の「駿台全国模試(ハイレベル)」では理系3教科型の受験者数がこの30年間で約2万人から約2万7千人に増加。それに対し、文系3教科型は約2万3千人から約1万1千人に減少した。まさに文理逆転の構図である。 駿台入試情報室部長の城田高士さんは、この30年間で「伸びている学校」の共通点を指摘する。 「やらされるのではなく、自分から進んで学ぶ自主性のある生徒さんが多い印象です。『入試ってイヤだよね』ではなく、『入試があるから頑張れる』というロジックを持っている生徒さんが多いように思います」 生徒の自主性を育てるには、周りの教職員がどうサポートするのかも重要だ。埼玉の大宮開成もこの30年で実績を伸ばし、立教、中央、法政の3大学で1位に。今やMARCHの合格者数トップを誇る進学校になった。 同校は1959年に女子校として設立。大学進学を希望する生徒はほとんどいなかったが、96年に打ち出した「学校大改革」で大きく変わる。渡邉涼也進路指導部長は言う。 「進学にも力を入れようと、97年から共学化。特進コースを設置しました。ただ、大学受験のノウハウはなく、ほとんどゼロからのスタートでした。若手教員は予備校講師の授業を見学して、受験指導というものを学びながらやっていました」 他校の受験生に追いつくために、学びの環境を整えた。すると、初年度から早慶に受かった生徒が1人。結果が出た。 ■人の発想力は2のn乗 現在、予備校講師による授業はなくなった。年月が経つにつれ教師の授業も洗練されていったからだという。 「受験戦略も担任が主軸となって組み立てるので、進路指導部長の私は資料を渡すだけ。もともと進学校ではなかったこともあり、先生が自由にやれる余白があるのも大きいです」 渡邉さんはそう言い、今では「教員全員が進路指導部のよう」と、自信にあふれる。 横浜市の丘陵地にある山手学院も、青山学院や明治、立教への合格者数をぐんと伸ばしている。創立当初からグローバル教育に力を入れ、近年は国公立への進学者数も増えた。 「リーダーとして活躍する人になるには、いろんな発想をしていかなければいけない。持論ですが、人の発想力は2のn乗に比例するという感覚があります。そのnは知識の量なんです」 そう説明するのは、時乗洋昭校長だ。nの幅を広くするために、文系や理系、ひいては芸術まで学べる環境のほうがいいと考えたという。授業のほかにも、土曜講座として韓国語やタイ料理を学ぶ時間もある。保護者が参加できるものもあり、親と子ども、学校とがコミュニケーションをとる場にもなっている。 「生徒の自発性を重視するのは、大学受験でも同じです」 時乗校長がそう話すように、生徒が行きたいところを自発的に目指せる環境が、実績へとつながった。このnの考え方と受け止め方こそ、30年間での成長力につながっているに違いない。(編集部・福井しほ) ※AERA 2023年6月5日号より抜粋
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【30年比較】東大、京大、早慶、MARCH…難関21大学「合格者数ランキング」【1993-2023】
東京大 / 京都大 / 大阪大 / 北海道大 / 東北大 / 名古屋大 / 九州大早稲田大 / 慶應義塾大 / 上智大 / 東京理科大 / 明治大 / 青山学院大 / 立教大 / 中央大 / 法政大 / 学習院大 / 関西大 / 関西学院大 / 同志社大 / 立命館大進学調査を行う「大学通信」の調査のもと、大学別に2023年と1993年の合格者数の上位校を掲載した。「合格者数」はのべ合格者数で、1人の学生が複数の大学に合格しているケースも含まれる。また、既卒生の合格者も含まれる。高校への調査では、未回答の学校は掲載していない。大学公表値では、推薦など一部の入試方式の合格者が含まれていない場合がある。1993年の早稲田大と2023年の国立大は合格実績のある高校に調査した人数。93年の北海道大と私立大は大学が公表した人数(早稲田大を除く)。93年のその他の国立大はサンデー毎日と大学通信の共同調査。早稲田大は23年が一般入試の合格者のみのため、93年のランキングからは附属・系属校の内部合格者を除いた。高校名は現在の名称。私=私立、公=公立、国=国立(協力/大学通信)【関連記事】東大、京大、早慶…30年で激変! 「難関21大学」合格者数ランキング 渋幕、西大和「急成長」のナゼ
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ハーバード卒・廣津留すみれが感じるクラシック音楽界のいま 多才な人が多いのはなぜ?
小中高と大分の公立校で学び、米・ハーバード大学、ジュリアード音楽院を卒業・修了したバイオリニストの廣津留すみれさん(29)。その活動は音楽だけにとどまらず、大学の教壇に立ったり、情報番組のコメンテーターを務めたりと、幅広い。「才女」のひと言では片付けられない廣津留さんに、人間関係から教育やキャリアのことまで、さまざまな悩みや疑問を投げかけていくAERA dot.連載。今回は音楽について。現役のバイオリニストとして感じる、クラシック音楽界の“いま”を教えてもらった。 * * * Q. ハーバード大学を卒業し、バイオリニストとして活動する廣津留さんだけでなく、「Cateen かてぃん」の名でYouTubeでも大人気の東大出身ピアニスト・角野隼斗さん、ショパン国際ピアノコンクールで2位入賞を果たしつつ実業家の顔も持つ反田恭平さんなど、音楽以外のことでも多様な活躍をする若い演奏家が登場しています。みなさん多才ですが、音楽と学業で共通するところはあるのでしょうか? また、同世代の演奏家同士で意識していることはありますか? A. 人によるとは思いますが、楽器の練習は勉強と似ているところがあるかもしれません。効率よく練習するには、まずは曲に対する大きいビジョンを持ち、それから間違えそうなところやできないところを集中的に練習して、それから通して弾いていくというマクロとミクロ両方の視点が大事ですが、勉強も同じ方法だなと。「これができるようになりたい!」と目標を定め、迷うことなくまっしぐらに突き進んでいく過程も似ていますね。ただ、もっとも共通しているのは過程よりも「好きでやっている」気持ちのはず。弾くことも学ぶことも単純に楽しくて、やりたいことをやっているのだと思いますよ。 同じ世代の演奏家同士はライバルというよりもお互いを応援している気がします。インタビュー記事を読んで共感したり、SNSでつながっていたり。最近はYouTubeなどでいろいろな人に発信しやすくなったことで、クラシックの人はクラシックだけをやるという考えではなくて、ジャンルやカテゴリーの垣根を取っ払って音楽業界全体を盛り上げていこうという空気になっていると感じますね。演奏家になるには、音大で学んでコンクールで優勝してキャリアを積んでいくことが長らく一般的でしたが、いまはYouTubeやSNSで発信したり別事業を拡大したりして有名になっていく人たちもいます。新しいやり方が認められるようになってきたことは、業界を盛り上げていくうえでもすごくいいことだなと思いますね。 Q. 廣津留さんがクラシックだけではなく、バイオリンでJ-POPなどを弾くようになったのはなぜですか? 私がちょうどニューヨークにいた頃は、ジャンルに関係なく演奏動画をSNSにアップする音楽家が増えてきた時期でした。そこで注目されて仕事につながることもあると、一部の人たちが気づき始めたのです。例えば、バイオリンを使ってコミカルなパフォーマンスをするオーストラリアの2人組YouTuber、TwoSet Violinが世界的なバイオリニストであるヒラリー・ハーンとツアーをしたり、私の友人のピアニストがYouTubeに有名バンドThe Chainsmokersのカバー曲をアップしたら本人たちからオファーが来て、彼らのステージに立って一躍有名になったり。そういう、以前では考えられなかったような組み合わせやドリームストーリーもSNSを通して実現するようになってきたタイミングでした。 また、当時私はヨーヨー・マさん率いる音楽グループのシルクロード・アンサンブルと共演して、クラシックあり、ワールド・ミュージックあり、ジャズもありと、一つのジャンルに定義できないような彼らの音楽を知ったんです。音楽をやっていくうえでジャンルって関係ないんだなという思いが強くなりました。 そういう影響もあって、私自身もよくJ-POPのカバー動画をアップしています。宇多田ヒカルさんの「First Love」が好きでバイオリンで弾いた動画を上げたら、それを見ていただいていたかは分かりませんが、たまたまテレビの音楽番組からこの曲を弾いてほしいという依頼をいただきました。クラシック以外のジャンルも演奏できるバイオリニストとして出演させてもらうのはうれしいですね。他番組では、YouTuberとしても活躍するピアニストのハラミちゃんと、坂本冬美さんの「夜桜お七」や山根康広さんの「Get Along Together」などをご本人とコラボする機会もありました。その際にはハラミちゃんがバイオリンのパートの入り方まで考えてピアノも弾き、曲のアレンジの土台をつくってくださったんです。表からは見えないところで演奏以外のこともさらっとやっていて、すごいなあと思いました。 ボストンにいたときにゲームのサントラ録音をしたことがあるのですが、そのときに実感したのは、クラシックで培った技術だけじゃなくて、セッションのノリも分かる必要があるということ。また、ワールド・ミュージックだったら各地の音楽を生み出しているコンテクストを理解しないと良い演奏はできません。情報がさまざまにあふれているいま、これからの音楽家は、ジャンルに関係なくいろんなことを学んでいく必要があるでしょうし、みんなが当たり前のように多様に活動する時代になっていくだろうと思います。 構成/岩本恵美 衣装協力/BEAMS AERA dot.では、ハーバード大学とジュリアード音楽院を卒業・修了した廣津留すみれさんのライフヒストリーを紹介する連載「廣津留すみれのアタマの中」を掲載。2023年からは「Season 2」として、バイオリニストでありながら、情報番組のコメンテーターや大学の教員など多方面で活躍する廣津留さんが、勉強やキャリア、海外のことなどにまつわるさまざまな悩みや疑問に答えます。 そこで、みなさんからの質問を大募集します! お子さんから学生、大人まで、年齢は問いません。 【こちらから気軽にお寄せください】 例えば…… ·「歴史と英単語の暗記のコツを教えて」 ·「これって今の英語ではなんて言うの?」 ·「ピアノがなかなか上手くなりません。習い事はいつまで続けたほうがいい?」 ·「日本に遊びに来た若い外国人を、廣津留さんならどこに案内しますか?」 ·「英語でプレゼンするときに相手に響くポイントは?」 ·「今、勉強しておくといいジャンルは何だと思いますか?」 ·「ずばり、日本の教育を変えられるならどこを変える?」 「First Love」を演奏する廣津留すみれさん
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ヤングケアラーだった「ノブコブ・徳井」が同じ境遇の子に伝えたいこと 「あの壮絶な少年時代があったから芸人になった」
お笑いコンビ「平成ノブシコブシ」の徳井健太さん(42)は、10代のころ、統合失調症の母親に代わって家事や妹の世話を日常的に行う「ヤングケアラー」でした。中学から高校にかけては「マジで青春がなかった」という徳井さん。過酷な経験といま家族の世話に追われている子どもたちへのメッセージを、時事YouTuberのたかまつななさんが聞きました。(「たかまつななチャンネル」で動画を配信しています) * * * ■「ドアの隙間から1万円札」閉じこもった母親と幼い妹 ――徳井さんがヤングケアラーだったと聞いて驚きました。 そんな大それたものじゃないのよ。もともとヤングケアラーなんて言葉はなかったじゃん。『敗北からの芸人論』(新潮社)という本を出したときに、ある記者さんから取材を受けて「徳井さんってヤングケアラーなんじゃないですか」って言われたのが初めてだったの。「何それ」と思って。そこが問題なのかなっていう。 ――ご自身では問題に気づかなかったということですね。どなたのお世話をされていたんですか? 母親ですね。俺が中学のときだから30年前か、うちは団地に住んでいて、父親は高卒で大企業で働いていたんだけど、高卒だと役職に就けないから、会社から2年間大学に行かせられていたの。(大学から)帰ってきたら課長、部長になれよってことで出張に行くことになって、その間、会社が全額給料も出すし、学費も出すと。それで父親がいなくなってから母親の様子がおかしくなってきた。 誰かが悪口を言っているとか、隣の人が文句を言っているとか。今思えば幻聴だろうね。それで母親は自分の部屋から一歩も出なくなって、心がどんどん弱っていって。 俺には6個下の妹がいて、まだ小学1年くらいだったのかな。ご飯を作る人がいないし、洗濯する人がいないし、買い物する人がいない。 たまに母親がドアの隙間から1万円と買い物リストをフッと出してくるので、じゃあこれを買ってくればいいんだなって俺が買ってきて料理して。問題なのは、普通なのよそれが。そんな大変なことって思わないでやっていたから。 ――妹さんの面倒も見ていたんですね。 そこまで手厚くはやっていなかったと思うけど、俺がやっていたんだろうね。母親は寂しかったんだろうね。母親は中卒で、父親は高卒なのさ。両親が20歳とか21歳のときに俺を産んでるから、お母さんは社会に出ていないのよ。働いてもいないし。お父さんだけがよりどころで、いなくなっちゃったから心が崩壊していってという感じだから。 ■中学・高校の6年間、ヤングケアラーだった ――1日のスケジュールはどんな感じだったんですか? 中学1年だから忙しいのよ。学校も普通に行って部活もやって帰ってきたから意外と時間もなくて。バレー部に入って、朝練をやっていたからさ。朝6時に起きて、部活をやって8時に学校に行くでしょ。授業が午後4時に終わって6時に部活が終わるよね、そこからご飯を作るよね。洗濯して8時。そこから勉強して10時に寝るとかだから。 ――ヤングケアラーだった期間はどれくらいですか? 家事は小学4年くらいのときからやっていたね。母親がダメになってから父親が帰ってきて地元の北海道に戻るのさ。中学2年から高校3年まで北海道にいた。その間もずっと母親が闘病中だったから、中高6年間ぐらいかな。 ――家族の世話をしていることで、自分の生活に支障はありましたか? 友達とは遊んでいなかったね。でも俺は別に遊びたくなかったんだよな。北海道に帰ってから、中学2年から高校3年まで新聞配達を朝夕やるのさ。それは生活のためとかじゃなくて、小遣いがほしくて。だから青春がマジでないのよ俺。誰かと手をつないで歩いたとかそんなのもなくて。友達はできなかったね。 ――周囲に相談できる人はいなかったんですか? 相談する人はいなかったし、相談するほどのことでもないと思っちゃったんだよね。もし30年前にヤングケアラーって言葉があれば、もしかしたら俺がそうかもって思って、学校の先生とかに相談できたかもしれないけど。 ーー辛くなかったのですか? 辛くないんだよな。これが俺の個性なのか、後天的なものか分からないんだけどさ。例えば八百屋さんの息子、娘がいたとして、親は八百屋さんのほうが忙しくて朝から晩まで働いてたら、家事を手伝うじゃん。そこに寝たきりのおばあちゃんがいたら介護もするじゃん。これ、みんなから褒められるんだよ。「そんな小さいのにおばあちゃんの介護をして、家の家事までして偉いね」って。言われたら子どもって嬉しいじゃん。俺そういう子たちって辛くないと思うんだよね。自分の生きる意味ってあるんだって、どっちかというとそう思っちゃうから。 お笑いをやった若手の頃とかは、普通に面白話としてこういう話を喋っていたのよ。だけどウケない。俺は「お前馬鹿だな」っていう感じで言ってほしいのに、みんな「大丈夫か」とか言ってくる。おかしいな、みんな俺が思っているリアクションと違うな、これあんまり面白くないんだと思っていた。本当35歳とか40歳ぐらいになって、なるほど、ウケないじゃなくて、俺が不幸って思われていたのかって気づいた。 ■家に帰って温かいみそ汁とご飯があったら…… ――今振り返ると、当時の生活や家庭の状況をどう思いますか? よく悪い道に走らなかったなって思う。俺みたいな人が100人いたら、たぶん95人は悪のほうに行くと思うんだよね。でも、お笑いってマジで多様性の塊じゃん。みんな優しいし、とにかく笑うから、なんとか悪事に手を染めずにここまでこられた。今思うと、あの壮絶な少年時代があったから芸人になったし、芸人を続けられたし、普通とは違う切り口で笑いを取れたりしているから。 でも実際問題、あのとき誰かが手伝ってくれたり、俺の話を聞いてくれたりしたら違っただろうとは思う。芸人にはなっていなかったかもしれない。家事も大変だったからね。妹はほぼ子守に近かったから。家に帰って、温かいみそ汁とご飯と魚とかがあったら、なんて楽だろうと思ったりはしました。 ヤングケアラーの子たちは、いい大学を目指したいって言っても希望も折られていくじゃん。それで悪の道に進んでも、その子たちを責めるのもちょっと酷かなと思う。俺は運が良かったけど、普通だったら、ここでたかまつななとヤングケアラーがどうなんてしゃべっている身分じゃないんだろうなと。俺は大人になってから周りに恵まれたと思う。 ――厚生労働省の調査によると、今、子どもの4~6%が大人に代わって家族の世話をしているそうです。家族の問題を知られたくないことから、周りに相談できない子どもたちもたくさんいると思いますが、どうすれば相談できるようになると思いますか? たぶん俺、すごい人に壁を作っていると思うのよ、昔から。そういうのを踏み越えて、俺が嫌だって言っても徳井ん家に行こうよみたいになって、「これだめなんじゃないの」とか、「良くないんじゃない」って言ってくれる人がいたら、そうなのかなって思ったかもね。友達が実際に家に来ることは何度かはあったけど、みんな気まずい。あんまり家庭のことに首を突っ込むんじゃないって言われていたのかもね。 ヤングケアラーの子たちに対して、家庭のことに首を突っ込まれなかったら助けられないだろうね。突っ込んだら突っ込んだで難しいけど、例えば、8人に怒られたとしても、2人の子どもの未来が救えるんだったら、それでもいいのかなって思うけどね。 それとお笑いの力が大きいと思うけどね。いじめられていた話も、芸人がしゃべると面白いじゃん。だけど、いじめられている人たちには、ちゃんと心に優しく刺さるじゃん。多分、他人からヤングケアラーだよって言われるのって、あんまり本人に通じないと思うんだよね。だから本人の目に入る、お笑い番組だったり、YouTubeだったり、漫画でもいいんだけど、そういうときに自分がヤングケアラーだって自覚するように、うちら大人がばらまき続けるしかないかね。 ■自分がそうだと気づいたら声を上げて ――ヤングケアラーの子だと、部活や進学を諦めている人もいると思いますが、どう心の整理をつければいいと思いますか? 俺がもし家族のためにとか、こういう母親がいるからと思っていたら、たぶん北海道で就職していたと思うのよ。だけど俺は家族なんてどうでもいいから自分の夢を追いかけたい、この家族と離れたいと思って、今ここにいるけど。だから本当に夢があったり、かなえたいことがあるんだったら、俺は家族を捨ててもいいと思うけどね。 ――最後に、今、ヤングケアラーだと気づいていない子もいるかもしれないし、苦しんでいる方もいると思うんですけど、当事者の方にメッセージをお願いします。 苦しんでいる人はすぐ声を上げたほうがいいでしょうね。今はSNSもあるし、周りにいろいろな大人もいるし、学校の先生も。苦しいって言える人は普通に苦しいって言えばいいし、助けてくれる人もいっぱいいると思うけど。 苦しくない、自分は普通だって思いながら日々削られている子たちには、言葉はたぶん刺さらないから、そうなのかもなって思っている小学生、中学生がもしいたら、土足でもその子の心に入って行ったほうがいいと思う。 「あのとき俺なら」っていう思いを後でするぐらいなら、今後その子と絶交になったとしても、ズッて踏み込んで、その子が大丈夫か、大丈夫じゃないかを確認してあげたほうがいいと思います。 ーーお話しにくい点もあったと思いますが、本日はありがとうございました。 全然ないですよ、俺には話しにくいことなんて全然ないです。そこが問題なんだろうな。 (聞き手・構成/たかまつなな 監修:一般社団法人ケアラーアクションネットワーク協会代表 持田恭子)
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「あまちゃん」待望の再放送に地元も異例の盛り上がり 三陸鉄道には「三陸元気!GoGo号」も走る
あの「国民的ドラマ」、NHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」が、放送開始10年を記念して、4月から再放送がスタートした。あまちゃんをイメージした、ラッピング列車まで走る。お茶の間だけでなく、地元も、再びあまちゃん熱で盛り上がる。AERA 2023年6月5日号の記事を紹介する。 * * * 日本中に笑いと涙をもたらした、あの朝ドラが帰ってきた。 「『じぇじぇじぇ』って、聞くたび元気になります」 都内の会社員の女性(40代)は楽しそうに話す。 2013年に放送されたNHK連続テレビ小説「あまちゃん」だ。東京になじめない女子高校生の天野アキ(俳優・のん)が、母・春子(小泉今日子)の故郷、太平洋に面した岩手県久慈市をモデルにした架空の町「北三陸市」を訪れる。そこで、祖母・夏(宮本信子)に憧れ、海女を目指し、やがてご当地アイドルになり、東日本大震災からの復興に奮闘する物語。驚いた時に使う方言「じぇじぇじぇ」が流行語になり、ロケ地巡りの「聖地巡礼」が始まった。放送終了後には「あまロス」なる言葉まで生まれるなど、社会現象を巻き起こした。その「あまちゃん」のアンコール放送が、放送開始10年を迎えたタイミングで、4月からNHKBSプレミアムとBS4Kでスタートしたのだ。 ■異例の盛り上がり 再放送が始まると連日、ツイッターで関連ワードがトレンド入りするなど、ネット上をにぎわせている。「#あまちゃん」というハッシュタグも立ち、 <泣いて笑って笑って泣いた15分> <エモく懐かしく、胸に響いて…そして爽やかで…。だけど最後の最後はクスッと笑わせてくれる…だから…最高> といった書き込みも殺到し、異例の盛り上がりを見せている。 冒頭の女性は、「圧倒的にアキがかわいい」と言う。 「地味で暗くて向上心も協調性もない」と言われたアキが、母や祖母など強い個性の人たちの影響を受け、挫折しながらも成長していく。 「話の展開がわかっているのに、アキの夢や恋をドキドキしながら見守っています」(女性) ドラマのロケ地も再び盛り上がりを見せる。 「じぇじぇじぇ発祥の地」記念碑が立つ、ロケ地の一つ久慈市宇部町。「久慈市観光物産協会」事務局長の向川(むかいかわ)智之さんによれば、このゴールデンウィーク(GW)期間中は、町には多くの老若男女のあまちゃんファンが県外からも訪れた。同協会が入る「道の駅くじ やませ土風館」にある「海女衣装体験コーナー」では、若者が海女の衣装に着替え撮影を楽しんだという。 「あまちゃんのすごさを実感いたしました」(向川さん) それにしても、10年経っても色褪せない「あまちゃん」の魅力とは何か。 理由は一つではないが、NHKメディア戦略本部でドラマジャンル編集長の下要(しもかなめ)さんは、「元気をもらえるのが一番大きいのでは」と語る。 「頑張れば報われる、明日に向かって進もうというのがあまちゃんのテーマだと思います。もちろん、アキは、悩んだり壁にぶつかったりします。けれど、常に前を向いて乗り越えていく。その姿が、閉塞感があり困難な今の時代を生きる私たちに、元気を与えてくれるのではないでしょうか」 ■圧倒的な総合力 フリーライターで『みんなの朝ドラ』の著書もある木俣冬(きまたふゆ)さんは、10年経って「あまちゃん」の再放送を見て、改めて感じたのは「圧倒的な総合力」だと言う。 「脚本、演出、ヒロイン、バイプレーヤー(脇役)たち、音楽、風景……等々、すべてに力があって、元気をもらえます」 さらに結束力を感じるが、そのモチベーションの第一は、東北を応援したいという気持ちではないかという。あまちゃんは東日本大震災から2年後にできたドラマで、東北へのリスペクトがあり、といってひたすら持ち上げたり気を使いすぎたりするのではなく、あえて田舎の欠点も描いている。宮城県出身の宮藤官九郎さんが脚本だったからか、それにも説得力があったという。 中でも、ひと際光るのは、夏、春子、アキの家族3代だと木俣さん。 「とりわけ、アキは透明感があって清純そうな面もありつつ時には毒づくこともあって、多彩な面があって目が離せません。朝ドラのヒロインはそれまで、たいてい清純一点張りでしたが、アキは表情がとても豊かです」 そしてこう続ける。 「なつかしい1980年代カルチャーも満載。テレビ、演劇、音楽、すべてにおいて日本がやたらと元気で明るく、表現に忖度がなかった頃のパワーが凝縮していたと、10年経って、尊く思います」 ■前に進む勇気 再びの「あまちゃんフィーバー」を象徴するかのように、岩手県沿岸を走る三陸鉄道(三鉄)に、あまちゃんをイメージしたラッピング列車も登場した。車体全面にあまちゃんの名場面や、のんさんにちなんだイラストといった、いわゆる「あま絵」が描かれた「三陸元気!GoGo号」だ。 三鉄は、ドラマでは「北三陸鉄道」と名前を変え登場する。ラッピング列車は、三鉄を応援するあまちゃんファンがクラウドファンディング(CF)で全国から資金を募り、目標額を上回る約791万円を集め、三鉄の協力を得て実現した。 CFの実行委員長を務めたのは、埼玉県に住む今西穂高(ほだか)さん(66)。 13年4月、33年勤めた会社をリストラされた。失意の中、東北を一人で旅している時に放送中の「あまちゃん」を見てハマり、元気をもらった。自分も何かに向かって行動しようという気持ちになれ、前に進む勇気を与えてくれたという。「アキが海に飛び込むシーンが何度かあり、どれも印象的でした。飛び込むとは、恐れながらも勇気を出して新しい世界に入ることを意味しています。自分を変えようとする『覚悟』を感じました」 その後、今西さんは再就職も決まり、三陸地方にも通い三鉄もよく利用するようになると、あまちゃんでも重要な役割を果たす三鉄に親しみを感じた。そして、この三鉄に「あま絵」で飾った列車を走らせたら、楽しく、沿線の人も喜んでくれるだろうと考えるようになり、CFで資金を募ったという。「三陸元気!GoGo号」は、今西さんの命名だ。 「多くの皆さんに三陸を訪れ、きれいな景色や美味しいお弁当を楽しみながら、『三陸元気!GoGo号』に乗っていただきたいと思います」(今西さん) ■再び日本を元気に 4月上旬、三鉄の久慈駅で行われた三陸元気!GoGo号の出発式には、のんさんも駆けつけた。 「たくさんの愛情を感じる列車。沿岸を走るのがすごく楽しみ」 とあいさつ。テープカットをした後、北の海女の姿になり、大漁旗を振って列車を見送った。 ラッピング列車は、久慈(岩手県久慈市)−盛(さかり)(同大船渡市)間の163キロを、10月1日までの毎週土日に運行する。それ以降は、通常ダイヤに組み込んで来年4月上旬まで運行する予定だという。 三陸鉄道も歓迎する。 同鉄道は1984年に開業。かつては、交通手段がなく隣の集落に行くのさえ船で岬を回らなければいけなかった三陸地方を一つにつないだのが三鉄だった。だが、開業時には年間268万人だった乗客数は、沿線自治体の少子化や人口減少、コロナ禍などで21年度は約61万人と4分の1にまで減少。22年度は、燃料費高騰も加わり、2年連続の赤字になる見通しなど厳しい状況が続く。 それだけに、三陸元気!GoGo号への期待も大きい。三鉄によれば、今年のGWは多くの観光客が列車を利用し、駅のホームではカメラを構えたファンが、列車が来るのを待った。4月29日から5月5日までの収入は、対前年を上回り121%になったという。 「今後は、新型コロナウイルスが5類に移行したことから『あまちゃん』の再放送と『三陸元気!GoGo号』の運行によって、たくさんの方に来ていただきたいと期待しております」(三陸鉄道) あまちゃんが再び、三陸を、そして日本を元気にする。 (編集部・野村昌二) ※AERA 2023年6月5日号
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3時間前
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「オリジナル10」初のJ3降格の予感も 予想外が続出、今季J2は“先が読めない”状況に
開幕から2カ月が経った。J1では早くも波乱が続出しているが、それ以上に多くの者にとって“サプライズ”の序盤戦となっているのがJ2リーグ戦だ。全チームが42試合中10試合を終えた現時点で、前評判を大きく上回る好発進を決めたチームがある一方、思わぬ苦戦を強いられているチームもある。 現在、単独首位に立っているのは、昨季15位だった町田だ。ここまで10試合で勝点23(7勝2分1敗、16得点4失点)。開幕戦の仙台戦(△0-0)の後、第2節から群馬(○2-0)、金沢(○2-1)、水戸(○3-0)、山形(○3-0)、いわき(○1-0)、藤枝(○1-0)と破竹の6連勝。第8節の秋田(●0対1)、第9節の磐田(△1-1)との試合では足踏みしたが、“頂上決戦”となった第10節の大分戦に勝利(○3-1)して首位返り咲き。青森山田高校からJクラブの指揮を執ることになった“異色の”黒田剛新監督、さらに選手も半数以上が入れ替わったことでチームの成熟には時間を要すると思われていたが、予想を遥かに上回る仕上がりと完成度を披露。懐疑論を吹き飛ばし、「所詮は高校サッカー」というアンチも黙らせながら白星を重ねている。 目立つのは、組織的なプレッシングからのショートカウンターだ。今季の10試合でボール支配率、パス総本数ともに相手を上回ったのは3試合(仙台、いわき、秋田戦)のみで、その3試合の成績は1勝1分1敗。その一方で、今季3得点を奪って快勝した3試合(水戸、山形、大分戦)のボール支配率は、41%、39%、30%という低さ。固いブロックで相手の攻撃を跳ね返し、ボールを奪ってから素早い攻撃で得点を量産。特に新加入のブラジル人FWエリキのスピードに乗ったドリブルと裏への抜け出し、シュートセンスが大きな武器となっている。今後、他チームからマークされる立場になった中で、どこまで現在の戦い方を維持できるか。意図的にボールを握らされた時、リトリートされた守備をどうやって崩すか。デザインされたセットプレー以外にも、チームとしての引き出しの多さが問われることになる。 その町田と同じ「堅守速攻」の戦い方で結果を出しているのが、今季がJ2昇格3シーズン目となる秋田だ。過去2シーズンは13位、12位という成績だったが、現在10試合を終えて勝点18(5勝3分2敗、8得点5失点)の4位。就任1年目にチームをJ3優勝に導き、これまで数々の「名言」、「語録」を披露しながら縦に速いサッカーを徹底してきた吉田謙監督の下、選手が大幅に入れ替わった中でも、愚直に走り、最後の1秒まで諦めない姿勢を貫き、堂々たる戦いぶりを披露。全試合1点差以内という接戦の中でしぶとさを見せて勝点を掴み取り、町田とともに序盤のサプライズとなっている。 1位の町田、4位の秋田の他にも、戦力補強に成功した昨季11位の長崎が勝点17(5勝2分3敗、13得点8失点)の5位につけ、昨季20位で辛うじてJ2残留を決めた群馬も同じく勝点17(5勝2分3敗、12得点10失点)の6位と期待以上の戦い。さらにJ3から昇格した藤枝も8位(5勝1分4敗、18得点15失点)と健闘するなど、J1初昇格を目指す「新興勢力」が上位につけているのが今季のJ2序盤戦の特徴だと言える。その一方で、J1経験組も今季は期待の持てる戦いを続けており、特に大分はオフに主力流出が目立った中でも攻守に質の高いサッカーを見せ、勝点22(7勝1分2敗、15得点11失点)の2位と好発進。15年連続J2の東京Vも、城福浩監督の下で全員がハードワークする強度の高いサッカーを身に付け、勝点19(6勝1分3敗、15得点5失点)の3位と好位置に付けている。 前評判の低かった、あるいはそれほど高くなかったチームが好発進を決めた反面、清水、磐田のJ1からの降格組の出遅れも序盤戦の大きなトピックだ。磐田は開幕5試合を岡山(●2-3)、山口(△1-1)、山形(○2-1)、大宮(●0-1)、清水(△2-2)で1勝2分2敗。清水にいたっては、開幕7試合を水戸(△0-0)、岡山(△0-0)、長崎(△1-1)、大分(△0-0-)、磐田(△2-2)、群馬(●1-3)、甲府(●0-1)で5分2敗と白星がなかった。 両チームとも徐々に調子を上げ、磐田は10試合で勝点13(3勝4分3敗、17得点13失点)の10位、清水は勝点12(2勝6分2敗、13得点9失点)の14位と巻き返してはいるが、J1自動昇格圏までは磐田が勝点9、清水は勝点10の差をつけられている。まだシーズンは32試合を残しているが、「1年でのJ1復帰」を至上命令とするチームにとっては、できるだけ早い段階で上位との差を詰めておきたいところだ。 下位チームの中で、まだ浮上のキッカケを掴めていないのが、2014年と2021年にJ1経験のある徳島だ。昨季も中盤以降に調子を上げて8位でフィニッシュしたが、今季はクラブワーストを更新する開幕10戦未勝利という泥沼にハマって、現時点で勝点5(5分5敗、6得点16失点)。ダニエル・ポヤトス監督をG大阪に奪われた後、久保建英が在籍するスペイン1部レアル・ソシエダで分析担当の責任者だったベニャート・ラバイン氏を新監督に据え、名古屋から元日本代表の柿谷曜一朗を12シーズンぶりに復帰させるなど戦力補強も積極的に行ったが、結果が出ていない。特に得点力不足が深刻。トップチームでの監督経験がない35歳の青年指揮官の立場が、早くも危うくなっている。 さらにもう1チーム、非常に気になるのが千葉だ。J発足時の「オリジナル10」の一員であり、これまで数々の名選手たちがプレーしてきた歴史と実績のあるクラブ。2009年にJ1最下位となってクラブ初のJ2降格となって以降、J2暮らしが続いて今季が14シーズン目となった今季、開幕戦で長崎に勝利(○1-0)するも、第2節から山形(●1-3)、群馬(△2-2)、秋田(●0-1)、大分(●1-2)、岡山(△1-1)、金沢(●0-2)、徳島(△2-2)、藤枝(●1-3)と8試合白星なし。ようやく第10節の東京Vで勝利(○1-0)したが、まだ勝点9(2勝3分5敗、10得点16失点)の20位。上よりも下(21位、22位がJ3に自動降格)が気になる順位にいる。 これまで千葉といえば、「J2降格後に一度もJ1復帰を果たせていないオリジナル10」だったが、このまま低迷が続けば非常に危険。J1からJ3まで転落したことのあるクラブには、大分、松本山雅があるが、千葉の場合は「初めてJ3に降格したオリジナル10」という汚名を着せられることになる。田口泰士、呉屋大翔、鈴木大輔、新井一耀といった実績組に、2021年にリーグ戦14得点を挙げた見木友哉、若手にも期待の19歳SB西久保駿介、さらに20歳のFWブワニカ啓太と戦力は揃う。今季からチームを指揮する小林慶行監督は、東京V戦後に「勝つことがすべてだったので、そういう意味ではとても大きなゲームになりました」と話した。その言葉通り、勝利こそが最良の薬として、「オリジナル10」のプライドを見せられるか。 一部のファンが「順位表を逆にしても違和感ない」と言うほど“予想外”の展開となっているJ2序盤戦。過去には本命チームが前評判通りに開幕から独走するシーズンも多かったが、今季は違う。今後、好スタートを切ったチームの息切れ、地力のあるチームの追い上げが予想され、頭に「超」と「大」が付くほどの混戦になる予感もタップリ。今季のJ2は、例年にも増して「何が起こるかわからない」シーズンになりそうだ。(文・三和直樹)
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市川猿之助にずっと気を使っていた「香川照之」との関係性 行きつけの居酒屋で見せていた“本当の仲”
警視庁は24日、歌舞伎俳優の市川猿之助(47)を都内の施設に呼び、事情聴取を行った。両親が向精神薬中毒の疑いで死亡した経緯について詳しく話を聞いたとみられる。悲惨な「一家心中騒動」にはいまだ多くの謎が残るが、改めて猿之助の交友関係を取材すると、意外な人間模様が浮かび上がってきた。特に従兄弟で同じ歌舞伎役者でもある「香川照之」との微妙な関係が見え隠れする。 * * * 猿之助は都内のある居酒屋を行きつけの店にしていた。そこでは、彼の華麗な人脈がみてとれる。猿之助の知人が言う。 「その店は、もともと20年くらい前からリリー・フランキーさんが1人で飲んでいて、彼が“隠れ家”にしている飲み屋だったんです。そのうち、リリーさんが福山雅治さん、大泉洋さんらを呼んで、みんなでワイワイと飲むようになった。猿之助さんは福山さんが連れてきたと記憶しています」 猿之助は日本酒をキープしていて、それをおちょこで飲んでいたという。 「猿之助さんは学生時代からの福山雅治さんのファンで、福山さんがDJを務めるラジオ番組を聞いて、何通も手紙を書き送っていたそうです。その後、テレビドラマでも共演するようになり、公私ともに仲良くなったようですね」(同) 猿之助が俳優の香川照之(57)を居酒屋に呼ぶことも、しばしばだった。 「猿之助さんが先に店にいて、香川さんに電話をかけ、『今日はみんないるけどどう?』と言って、香川さんが遅れてやって来るのを見かけましたね。猿之助さんは一人でしゃべりまくって、いつも座の盛り上げ役。香川さんとも仲良く飲んでいましたよ」 同じ澤瀉屋(おもだかや)で市川中車を襲名した香川と、その従兄弟にあたる四代目猿之助は、私生活でも関係が深かったようだ。だが、一門でのパワーバランスや歌舞伎役者としてのプライドなども絡み複雑な関係だったとも言われ、「女性セブン」(23年6月8日号)は2人の間に長年の確執があったと報じている。 歌舞伎に詳しい著述家の米原範彦氏は2人の関係をこう語る。 「香川はずっと歌舞伎界を離れていたので、歌舞伎の世界に戻っても四代目の猿之助を立てるような立場になっていました」 それを象徴する出来事があった。 俳優としての香川は2013年に始まったドラマ「半沢直樹」シリーズ(TBS系)で、堺雅人演じる主人公の宿敵を怪演して大ブレークした。ある新聞社が正月特集で「半沢直樹」でブレークした香川を大きく扱おうとしたところ、突如、キャンセルになったという。 「澤瀉屋のリーダーの猿之助をさしおいて、新聞の正月版に大々的に載ることはできないと判断されたようです。香川は何かと、猿之助に気を使わざるを得ない存在なんだと感じました」(メディア関係者) 香川は、三代目猿之助(現・二代目猿翁)と浜木綿子の息子。本来なら香川が四代目猿之助を名乗っても不思議のない家柄ではあったが、香川が3歳の時、両親が離婚。三代目猿之助は00年に舞踊家の藤間紫と再婚したことで、香川とは長い間、断絶関係が続いた。 「三代目猿之助は浜と香川のことは“過去のこと”として完全に切り捨てた。三代目猿之助は香川に対し、『あなたは息子ではありません。私はあなたの父でもない。今後、2度と会うことはありません』と言ったという有名なエピソードもありました。だが、それでも香川はどうしても歌舞伎の世界に戻りたかった。その結果、香川は夫婦間の軋轢が生じて離婚までしたのですが、そのとき、歌舞伎界に戻れるように熱心にサポートしたのが四代目猿之助だったのです」(米原氏) 昨年夏、香川は銀座のクラブホステスの髪を引っ張るなどのスキャンダルを「デイリー新潮」に報じられ、テレビドラマやCMを次々に降板することとなった。その後、香川は市川中車として歌舞伎から人生の再出発を図ったが、その際にサポートしたのも猿之助だったという。 結局、昨年12月に香川は十三代目市川團十郎白猿襲名披露の舞台に「市川中車」として出演したことで、俳優復帰を果たした。 「市川團十郎の弟子筋が市川猿之助になります。それゆえ、團十郎に引っ張り上げてもらうにしても、猿之助を飛び越えることはできない。香川はいつも猿之助に気を使う立場だったのです。そんな状態のなかで、猿之助が事件を起こし、その代役として香川の長男の團子(だんこ)に光が当たるというのは、おどろおどろしい因果を感じます」(米原氏) 事件が起きた18日は、明治座で「市川猿之助奮闘歌舞伎公演」の真っただ中だった。猿之助は休演し、18日の昼の部はさすがに休演となったが、夜の部は二代目中村錦之助の長男・中村隼人(29)が務めた。翌19日には代役として、昼の部は香川の長男・市川團子(19)が務めた。 團子はわずか1日の稽古で本番に臨んだようだが、堂々たる芝居を披露し、スタンディングオベーションも巻き起こったという。 「團子は判官びいきの日本人の琴線に触れたのかもしれません」(演芸評論家の山本健一氏) 團子、隼人という若手のホープが澤瀉屋のピンチを救った形となった。米原氏はこう語る。 「歌舞伎という芸能にはしたたかさがある。猿之助がいなくても、必ずその代役が現れる。團子はまだそれほど稽古を積んでないと思いますが、驚くべき吸収力です。隼人も脚光を浴びて、きれいな顔をしていることも世に知られました。猿之助も好きだったけど、隼人も團子もいいよねというファンも増えたはずです。歌舞伎ファンではなかった人にも存在が知れ渡り、新しいファン層を広げる結果になったと思います」 歌舞伎界に詳しい早稲田大学の児玉竜一教授は、團子と隼人をこう評価する。 「團子と隼人の2人は見事に代役を演じました。隼人は間違いなく、猿之助が場所と役を与えて、育てた一人と言えるでしょう。猿之助が若手を育てたことが実を結んだことは、悲しい出来事が続いたなかで、ひとつの希望になったとは思います。今月の明治座のピンチを乗り切ったとしても、ずっと安泰ではありません。ここから先は、若手の人たちの自覚と精進次第だと思います」 はたして、澤瀉屋の未来やいかに。 (AERA dot.編集部・上田耕司)
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「クソ素人」で大炎上 なぜ有名ラーメン店と客はもめやすいのか 背景にある「独特の文化」
埼玉県にあるラーメン店の店主が、「不味い」などとSNSで厳しいコメントを投稿した客に対し、「クソ素人」などと応戦し大炎上した。近年、ラーメン店側がSNSで“モノ申す”ケースは多々あるが、迷惑駐車や確信犯的な「大量残し」などの行為を批判するなど、一定の支持がある投稿もあれば、埼玉の店のように店主が激しくたたかれてしまうこともある。なぜ、SNSをめぐるこうした現象が後を絶たないのか。トラブルを防ぐために、店と客に何が求められているのか。 * * * 昔も今も、店独自のルールを設けているラーメン店は少なくない。そこに店主の“こだわり”がにじむのがラーメン店の特徴でもある。ルールといっても、客目線で高圧的と感じられるものから、「おすすめ」や「お願い」に近い内容のものまでさまざまだが、たとえば、 「スープからすすって」 「スープは飲み干して」 などの食べ方に関してのもの。 「食事中のおしゃべり禁止」 「食事中のながらスマホや読書は禁止」 など、客の回転率を上げるためや、並んで待っている人が早く食べられるように配慮を促すものなどがある。 また、熱狂的なファンがいる「ラーメン二郎」や、「二郎系」などと呼ばれる店では、野菜や生ニンニクなどのトッピングを増減できるところが多いが、増減を伝えるときのコール(言葉)の仕方にルールを設けている店がある。たとえば増量の際は「増し」「増し増し」とコールしたりする。 だが、冒頭の埼玉の店は、生ニンニクのトッピングの増減を伝える際、「増し」と「なし」を混同しないように、ニンニクを入れないなら「なし」ではなく「抜き」と言うようにお願いする掲示をしていた。ちなみに、同じ理由で「なし」は控えるように店内に示してある店はほかにもある。 埼玉の店では、客が「なし」と言ってしまったことがトラブルの発端になったようだ。その客が「もう二度と行かない」などとツイートすると、店主が「クソ素人」という言葉を交えて応戦し、店側が炎上した。 ボリュームが多いことで知られる店で、面白いもの見たさだったり、映える写真をとるためにあえて大盛りを注文し、結果としてトラブルになるケースもある。 ある人気店では、量がとても多いので、初めての客は大盛りを頼まないように掲示してあった。ある時、大盛りを頼もうとした客がいて、店側は口頭で控えるように伝えた。それでも大盛りにこだわったため提供したところ、その客は「こんなの食えねー」と笑いながら大量に残して帰っていったようだ。店側はSNSに客に対して厳しい言葉を投稿した。 こうした投稿は店側にも“理”があるので炎上はしにくい。この他、近所迷惑な路上駐車を繰り返している客に対して、店側が厳しくツイートした例などがある。 SNSを活用していない店でも「ルール」を掲げているところはある。 たとえば茨城県北西部の都市にある老舗の人気店。老夫婦が切り盛りしておりSNSとは無縁の、いかにも昭和のラーメン店といった風情で、おかみさんの接客も丁寧だ。だが、店内には「飲食中のスマホ、大声での会話禁止」「飲食しながら新聞を読むのは禁止」「お釣りのないようにお願いします」などと書かれた貼り紙があった。 こうした独自ルールやSNSでの投稿については賛否が分かれる。 食べ方の高圧的なルールについては、「お金を払っているのだから自由に食べさせて欲しい」「逆に食事を楽しめない」という批判的な声。 その一方で、行列への配慮やコールの仕方については、 「並んで待っている人に気を遣えない客がいたら、店が動くのは当然」 「仕事などで臭いがきついニンニクを食べたくない人もいるのだから、ミスを防ぐために『なし』はやめてと求めるのは、むしろミスを防ぐために良いことだと思う」 など肯定的な声もある。 客の迷惑行為に関しては、 「迷惑駐車で困っている人がいるのだから、SNSで注意されて当然」 「平気で食べ物を残すやつが悪い」といった客に対する厳しい指摘が目立つ。 そもそも、なぜラーメン店でこうした事例が目立つのか。 ラーメン評論家でフードジャーナリストの山路力也氏は「昔から、常連客しか来なかったような、いわゆるクローズド(閉鎖的)なコミュニティーとして存在していたラーメン店が数多くありました」としつつ、こう分析する。 「そうした店が、口コミサイトやSNSなどで存在を知られるようになり、常連だけではなく不特定多数の客が訪れるようになりました。そのため、店がそれまで大事にしてきた環境やコミュニティーを守るため、ルールを決めて掲示したり、ルールを守ってくれない客にSNSを通じて苦言を呈したりするようになったのではないでしょうか。昔から、物申す、物申したいという店主はたくさんいたでしょうし、実際に店の中で同様の発言や意見はしていたと思います。今はSNSが発達したため、それが可視化されるようになっただけなのだろうと考えています」 ただ、山路氏は、客商売である以上、SNSでの発言や言葉遣いには、より慎重にならなくてはいけない、とくぎを刺す。 「ファンビジネス的な側面もある業態なので、その発信の仕方ひとつでファンをつかむこともできる一方、逆にファンが減ったり、アンチが増えたりするリスクもあります。具体的な店名は挙げませんが、激しい言葉で客をののしったり、レスに対してケンカ腰で反応している投稿も散見されます。店側は、それで一瞬スッキリするのかも知れませんが、店のイメージやブランディング的にはマイナスでしかありません」 SNSは情報発信をする手段としては便利だが、時には無用のトラブルを生む。店主の投稿が炎上し、第三者に激しく非難されることになれば店にとってはダメージでしかない。そうした事態を避けるために、店と客には何が求められているのか。 「店は商品とサービスを提供し、客はその対価としてお金を支払う。その関係性に上下や貴賎はないと考えています。店も客も、お互いの立場や相手の気持ちをおもんぱかって行動することができれば、大抵のトラブルは回避できるのではないでしょうか」(山路さん) 店側も客も、「こちらが上」という印象を持たれない気遣いをすることが、最も大切なのかもしれない。 (AERA dot.編集部・國府田英之)
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紀子さま 戴冠式での着物姿、なぜ「たるみ」と「よれ」が気になったのか
英ロンドンのウェストミンスター寺院で執り行われた、チャールズ国王の戴冠式。長引くインフレや失業率の高さなどに配慮して、これまでより簡略化された式典となった。参列者のドレスコードも緩やかになり、各国の王妃や皇太子妃らがひざ丈のドレスなどで臨むなか、松竹梅の柄の着物をお召しになって参列した秋篠宮家の紀子さま。和装を世界にアピールする場にもなったが、親子2代にわたって皇室に着物を納めてきた関係者はため息をつく。 * * * 1億ポンド(約170億円)規模と報道されたチャールズ新国王の戴冠式。これまでより参列者の数も絞られ、かつてのような豪華な夕食会も開かれなかった。 参列者のドレスコードも緩やかになった。 2013年のオランダ国王の即位式では、東宮であった天皇陛下と雅子さまが参列した。雅子さまは、日中の正装であるローブモンタント(長袖ロングドレス)をお召しだった。 一方、チャールズ新国王の戴冠式では、ひざ丈のドレスやナショナルドレス(民族衣装)の装いで出席した各国のロイヤルメンバーもすくなくなかった。 宮内庁関係者がこう明かす。 「英国側からドレスコードについて何度か連絡があり、その度に基準が緩やかになったと聞いています。最後は、ナショナルドレスでも構わないということになり、紀子さまも着物を選ばれたそうです」 ■「一体どうされた?」 戴冠式が執り行われるウェストミンスター寺院に向かう秋篠宮ご夫妻。にこやかに微笑むおふたりの写真は、世界に配信された。 モーニング姿の秋篠宮さまの隣で歩を進める紀子さまが選んだ着物は、吉祥文様である松竹梅や小花や波柄、そして金彩がほどこされた淡い色の訪問着。七宝文様の袋帯には、慶事に合わせる白金の帯締と帯揚げ、金銀の祝扇をさしている。金色のバッグも明るさを添えている。 紀子さまの帯は、18年にオランダ・ハーグ市を訪問しマルグリート王女と歓談した際や、19年の都内での公務でもお召しであった品だ。新調せずに、馴染んだ和装を選ぶ紀子さまに、不況が続く国内外への配慮がうかがえる。 目を引くのは、背と両袖に秋篠宮家の家紋を入れた、三つ紋の訪問着である点だ。 天皇と皇族方は、それぞれの家紋を持っている。 天皇ご一家である内廷皇族は、十六葉八重表菊(じゅうろくようやえおもてぎく)。他の皇族は、十四葉一重裏菊(じゅうよんようひとえうらぎく)を用いる。 各宮家は、創設にあたり紋章(家紋)をつくる。 皇嗣家である秋篠宮家は、中心に十四弁の菊の花を置き、周りに横向きの菊花と秋篠宮さまのお印である栂(つが)の枝葉を四つずつ円形に連ねた意匠。 ご夫妻で相談しながら選んだという。 紀子さまらしい、華やかながら控えめな和装である。 だが、「染の聚楽」代表の高橋泰三さんは、ため息をつきながら戴冠式の様子を見ていた。今回の着物は、泰三さんが納めたものではないが、「染の聚楽」は、昭和の時代から皇室に着物をつくり納めていたこともある。 「日本の伝統文化を世界にアピールするよい機会ですから、和装をお召しと知り、楽しみにニュースを拝見したのです。お召しの着物は、手の込んだ刺繍はなく、染で細かな意匠を描いた訪問着でした。むしろ色無地の方が帯を引き立たせたかもしれません」 一方で泰三さんは、紀子さまの映像や写真を目にして驚いたという。 「着物業界の人間も同じ思いを抱いたようで、私のもとに何件も『紀子さまのお着物は、一体どうされたのか』と問い合わせがありました」 ■着物を着こなす紀子さま 具体的に、どのあたりに違和感を持ったのか。 「真っ先に目についたのは、紀子さまの着物のたるみとよれ具合です。日本の新聞やテレビでよく使用された写真を見ると、歩く紀子さまの裾が妙にたるんで、よれています。裾も大きく崩れ、後ろがめくれています。和装の顔ともいえる袋帯も内側の袋の部分がぐんにゃりと生地がヘタっているようにも見えます」 紀子さまは、普段からよく着物をお召しで和装には慣れている。今回のように、歩くだけで足元が大きく乱れることはない、と泰三さんは首をひねる。 「質の良い正絹は、幾重にも絹糸を重ねて密度が濃く織り上げられます。そのため昔は、目方つまり重量で正絹の価値を測っていました。良い正絹は生地自体の重みがあるため、身体にきれいに沿う。逆に、正絹の織の密度が粗い場合は、ペラペラと薄い着物になります。生地も軽いため、歩いていても着物の裾にたるみやよれが出たり、めくれやすくなったりします。紀子さまの着物にこれほどたるみとよれが出てしまったのは、薄い生地であったためかもしれませんね」 天皇や皇族方は、国内外の要人の接遇を行い、厳粛な式典にも出席する。装いは、接遇の相手やそこに集まる人々に敬意を示す手段でもある。 装いが注目される皇后や女性皇族は、360度どの角度から写真や映像を撮影されても困らないような、気遣いと立ち居振る舞いを常に求められる。 和装では着くずれやしわを防ぐため、公務の際に車で移動するときもシートに背中をもたれないよう配慮している。さらにシルエットを整えるために帯板を何枚か重ねるなど、工夫を重ねるケースもあるという。 「紀子さまは、普段の公務では美しく着物を着こなす方です。それなのに、たくさんの『しわ』が寄ったような和装の写真が世界中で用いられてしまったのは、残念です。ともあれ、戴冠式は各国の王族が集まり、世界中に映像や写真が配信される場です。日本の伝統文化と技術をアピールできる和装を選んでいただいたのは嬉しいことです」 天皇の名代として、戴冠式への参列と国際親善の役目をとどこおりなく果たした秋篠宮ご夫妻。 皇嗣家として重責を担うご一家には、ますますの活躍が求められそうだ。 (AERA dot.編集部・永井貴子)
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今後「緊急補強」に動く球団あるか 「トレードの狙い目」になりそうな選手を探った
開幕から2カ月が経過したプロ野球のペナントレース。上位と下位の差が徐々に開きつつあるが、3位以内に入ればクライマックスシリーズ進出となるため、近年を振り返ってみても6月以降にトレードに動いた球団は少なくない。今回はそんなトレードでの緊急補強の候補になりそうな選手について探ってみたいと思う(成績は5月31日終了時点)。 まず需要の多いのが投手だが、セ・リーグでは首位を走る阪神が先発、リリーフともに充実した戦力を誇り、力はあってもなかなか一軍に呼ばれない選手も存在している。そんな中で名前を挙げたいのが馬場皐輔だ。2017年のドラフトでは清宮幸太郎(日本ハム)と安田尚憲(ロッテ)の“外れ外れ”ながら、2球団による競合の1位指名で阪神に入団。3年目の2020年に中継ぎとして一軍に定着すると、翌2021年には44試合に登板して3勝、10ホールドとブルペンを支える存在となった。 ただ昨年からは湯浅京己、浜地真澄、石井大智などの台頭もあって一軍での登板機会が激減し、今年も開幕から二軍暮らしが続いている。ただ二軍での成績を見てもチームトップの17試合に登板して防御率は2点台と安定しており、イニング数を上回る奪三振をマークするなど状態は良いように見える。150キロを超えるスピードと、鋭く落ちるスプリットという決め球があるのは大きな魅力だ。かつてのドラフト1位だけに阪神も簡単には手放さないと思われるが、現在のようなチーム状況が続くのであればトレードに応じることも十分に考えられる。パ・リーグでリリーフに苦しんでいる楽天などは馬場の出身地ということもあるだけに、狙っても面白いのではないだろうか。 一方のパ・リーグでポテンシャルのある投手や、かつて実績を残した投手が二軍に多い球団と言えばやはりソフトバンクになるだろう。他球団からするともったいないと感じるほどの投手が多く二軍でプレーしているが、貴重なサウスポーとして狙い目になりそうなのが笠谷俊介だ。プロ入りからしばらくは二軍暮らしが続いたが、6年目の2020年には20試合に登板(うち11試合は先発)し、プロ初勝利を含む4勝をマーク。翌年には開幕ローテーション入りを果たしている。 昨年はリリーフで16試合に登板して防御率6点台と結果を残すことができなかったが、オフにはプエルトリコのウィンターリーグに参加してレベルアップを図っている。今年はまだ一軍での登板はないが、二軍では8イニングで16個の三振を奪うなど、持ち味を発揮。現在は故障もあってリハビリ組に入っているものの、実戦復帰は間近という報道も出ている。同じサウスポーでは現役ドラフトで移籍した大竹耕太郎(阪神)が大活躍しているだけに、投手陣の苦しいヤクルトや巨人などであれば活躍の場も十分にありそうだ。 野手ではパ・リーグで首位を走るロッテの外野陣が山口航輝、藤原恭大などが台頭してきたことによって、少し飽和状態に見える。中でも今年出番に恵まれていないのが菅野剛士だ。ルーキーイヤーの2018年にいきなり53試合に出場。3年目の2020年にはキャリアハイとなる58安打を放ち、貴重な外野のバックアップとして活躍している。今年もここまで一軍出場はないものの、二軍では4割を超える出塁率をマークするなど、そのしぶとい打撃は健在だ。何か圧倒的な武器があるわけではないが、守備も安定感があり、チームバッティングができるというのは大きな魅力である。なかなか外野が固定できない西武などであれば、一軍の戦力になる可能性は高いだろう。 育成が難しいと言われる捕手で実績がありながら今シーズン完全に“余剰戦力”となっているのが宇佐見真吾(日本ハム)だ。2019年のシーズン途中にトレードで巨人から移籍し、昨年はキャリアハイとなる81試合出場、55安打、5本塁打と結果を残したが、今年は伏見寅威とマルティネスの加入もあってここまでわずか9試合の出場に終わり、ヒットも1本も出ていない。 ただ打てる捕手という意味では貴重な存在であり、トレードをきっかけに成績を伸ばした実績もあることから、環境が変わればまた戦力となることも十分に考えられる。2番手捕手が課題の中日、またシーズン中の同一リーグへの捕手のトレードは珍しいことだが森友哉(オリックス)の抜けた穴を埋めることに苦しんでいる西武などにとっては、垂涎の存在と言えそうだ。 今年に入ってから成立したトレードで移籍した選手でも西村天裕(日本ハム→ロッテ)が新天地で中継ぎとして大きな戦力となっており、5月に発表された広岡大志(巨人→オリックス)と鈴木康平(オリックス→巨人)の2人も移籍早々に一軍でプレーしている。今後も彼らに続くような、選手が生きるトレードが活発化することを期待したい。(文・西尾典文) ●プロフィール西尾典文 1979年生まれ。愛知県出身。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究。主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間300試合以上を現場で取材し、執筆活動を行っている。ドラフト情報を研究する団体「プロアマ野球研究所(PABBlab)」主任研究員。
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東大、京大、早慶…30年で激変! 「難関21大学」合格者数ランキング 渋幕、西大和「急成長」のナゼ
「昔は大変だったんだよ……」。若者を諭すときに大人が使う、魔法の言葉。はたして受験の世界は、かつて“大変”だったのか。AERAは今年で創刊35周年。この間に「合格マップ」は、変わった。30年前の1993年と今年で合格者数を比較すると「強い高校」が見えてくる。AERA 2023年6月5日号の特集「変わる大学・高校」から記事を紹介する。 * * * 夢の国ディズニーランドの近くには、受験界の“王国”があった。 県立千葉、県立東葛飾、県立船橋。「千葉御三家」とも呼ばれる同県屈指の公立高校で、東京大を筆頭に難関大学へ多くの合格者を送り出してきた。そんな“公立王国”千葉の勢力図を大きく書き換えたのが、渋谷教育学園幕張だった。 愛称は「渋幕」。私立の中高一貫校である同校は、1983年に開校。東京ディズニーランドと同い年だ。新設校でありながら、いまでは東大に74人が合格。さらに、早稲田大に226人、慶應義塾大に136人が合格している(2023年春)。 学内に入るや2フロアにわたる図書館が目に飛び込んでくる。6万5千冊を超える蔵書のうち、1万冊以上は英語の本が占める。静謐な空間だが、「しゃべらない」などのルールはない。 「本を読む生徒もいれば、プロジェクターを映して議論する生徒もいる。ここでいろんな知を深めてほしいんです」 そう話すのは、同校進路部長の井上一紀教諭だ。今や押しも押されもせぬ進学校だが、開校してしばらくは、東大合格者数は数人ほどだった。それが02年には県内トップの県立千葉と合格者数が逆転。12年に東大合格者数トップ10に入って以来、東大の常連校になった。 大学受験の世界は目まぐるしく変化している。アエラでは、大学通信の協力を得て、難関大学への合格者数を調査。受験人口が多かった1993年と2023年を比較して「30年」の変化を追った。 ■ガリ勉よりも情操教育 東京・京都・大阪などの難関国立大と早稲田・慶應義塾・上智・東京理科・MARCH(明治・青山学院・立教・中央・法政)・関関同立(関西・関西学院・同志社・立命館)など人気21大学への合格者数の上位校をランキングにした。 なお、ここで比較した「合格者数」は、のべ合格者数だ。既卒生を含み、私立大の場合は優秀な生徒が複数の学部や学科に合格する場合がある。また、卒業生数が多ければ合格者数も多く出る可能性がある。それらを踏まえた上で、じっくり読み解いてほしい。 93年春に大学受験をした人は、現在48歳を過ぎた辺り。生まれたときは第2次ベビーブーム下で、各校の卒業生数を見てもわかるとおり、30年前と現在とでは生徒数の差が際立つ。 上位校が入れ替わった東日本に対し、大阪大や関関同立などは公立の強さが見て取れる。 「そんな中で、やはり東大の変化に注目です」 そう指摘するのは、大学通信情報調査部の井沢秀さんだ。今も昔も合格者数では開成がトップに位置するのは変わらないが、ラ・サールや東京学芸大学附属、桐蔭学園、巣鴨、県立千葉がトップ10から姿を消している。井沢さんは続ける。 「ラ・サールや巣鴨は医学部志向が高まり、東大へ進む生徒が減ったことが背景にあります」 一方、新たな顔ぶれとして先の渋幕のほか、聖光学院や西大和学園、日比谷などが並ぶ。 「ガリガリ勉強させるより、情操教育に力を入れているところが伸びています」(井沢さん) ■集大成はペットボトル 事実、大躍進を遂げた渋幕の田村聡明校長は、「楽しくなければ学校じゃない」と言い切る。 同校には特進コースのようなクラス編成はなく、東大志望生もそうでない生徒も同じ教室で学ぶ。多様な将来を描くクラスメートと過ごすことで、生徒たちは視野を広げていく。 「だから、自発的に動く生徒が多いんですよ」(田村校長) 推薦入試で東大に進学した生徒は、時間さえあればグラウンドでペットボトルロケットを飛ばしていた。どうすれば遠くまで飛ぶのか試行錯誤を続けた。 「卒業するときには『私の集大成を置いていきます』とボロボロになったペットボトルを置いていきました。見た人は『なんじゃこりゃ』と思うような作品ですけどね」(同) 自主性や柔軟性の高さでは、奈良県の西大和学園も同じ。 同校は1986年開校で渋幕同様に新設校だが、京大や阪大など関西の難関大に多くの生徒を送り出してきた。しかし、近年は京大ではなく、東大へ進む生徒が増えている。 飯田光政校長によれば15年くらい前から東大進学に風向きが変わりはじめたという。そして14年、高2の生徒たち67人が当時学年部長だった飯田校長のもとを訪れ、こう嘆願した。 「東大専用のコースを作ってください」 その言葉を飯田校長は、どう受け止めたのか。 「本腰を入れて勉強しようとしたら、京大向けのものばかりやないかと思ったんでしょうね。ただ、67人も入る部屋がなかったので急きょリフォームして大きな教室を作ったんですよ」 そして16年3月、史上最多の29人が東大に現役合格した。 「かっこいい生徒たちでした。ドラマみたいでしょう」 飯田校長は誇らしげに、そう語った。 (編集部・福井しほ) ※AERA 2023年6月5日号より抜粋
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BL展開の岡田准一、あざとさ全開の松井玲奈 「どうする家康」は多様性の象徴?
漫画家&TVウォッチャーのカトリーヌあやこさんが「どうする家康」(NHK総合 日曜20:00~ほか)をウォッチした。 * * * 家康の生涯は「どうする?」事案ばかり、納得のタイトルだと思ったこの大河。が、フタを開けてみればコレ「どうする?」というよりも「どうした?家康」の連続だ。 はなから家康(松本潤)をロックオンし「俺の白兎」などとのたまい、その耳にかじりつく昭和のBL漫画のような「どうした信長(岡田准一)」。 「蹴とばしてぇ時に蹴とばしてちょうでぇ!」とハイテンションに尻を差し出しながら、瞳に光が無いサイコパス、「どうした秀吉(ムロツヨシ)」。 あまりにビジュアルが濃すぎてもはや武田テルマエ・ロマエの守(かみ)信玄(阿部寛)。いまわの際の言葉「黄泉(よみ)にて見守るううううううう」の「う」がロングトーンすぎる。 戦国武将が揃いも揃ってどうかしてれば、各話エピソードもイレギュラー。姉川の戦いで、お市の方(北川景子)が兄・信長に小豆袋を送り、夫の謀反を伝えたといわれる逸話では小豆を擬人化。侍女・阿月(伊東蒼)が危機を知らせるためフルマラソンの距離を走りぬく。 そもそも家康の側室たちが皆ダイバーシティー(多様性)の象徴のようなキャラなのだ。 お葉(北香那)は子を産み、役割を果たした後、「殿に触れられるたび吐きそうに……」とぶっちゃけ、実は想い人は女性であることを打ち明ける。 あざとさ全開で家康を誘惑したお万(松井玲奈)。男は欲しいものを戦(いくさ)で手に入れるが、女は戦わずして手に入れる。「政(まつりごと)も女子(おなご)がやればよいのです」と、NHKドラマ「大奥」を見てきたかのような発言。 今後出てくる於愛(広瀬アリス)は夫を戦乱で亡くし、幼子を連れて側室となるので、きっとシングルマザーの苦労と待機児童問題について語ってくれるにちがいない。 さて本作の脚本はドラマ「コンフィデンスマンJP」(フジテレビ系)で知られる古沢良太。 カネの亡者から大胆に金を騙し取るコンフィデンスマンの物語は、毎回クライマックスに時間が逆戻りし、詐欺の緻密(ちみつ)な仕掛けをネタばらしする。 この「家康」でもそんな「実は……」がたびたび挿入されるのだ。時間がさかのぼり、実はあの時こんなことが……という回想場面五月雨のごとく。 まさかの逆流大河ドラマか。これからどうやって大海原にたどりつくのか黄泉にて見守るううううううううう。う、長い。 カトリーヌあやこ/漫画家&TVウォッチャー。「週刊ザテレビジョン」でイラストコラム「すちゃらかTV!」を連載中。著書にフィギュアスケートルポ漫画「フィギュアおばかさん」(新書館)など※週刊朝日 2023年6月9日号
週刊朝日
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室井佑月「おなじ時代に生きる」
作家・室井佑月さんは、連載「しがみつく女」が始まったときのことを振り返り、「寛容な社会」が実現するために人々がするべきことを訴える。 * * * 今回でこのコラムも最終回となります。今まで私を支えてくださった読者のみなさま、本当にありがとうございました。 14年前、連載を依頼されたとき、私は当時の編集長であった山口一臣さんからこういわれました。 「女性らしい目線で、社会問題をしっかり見つめて欲しい」と。 今の時代であったら、「女性らしいってなんだよ」とそのような発言はNGなのだろうか? が、私にはそのときの編集長の考えはしっかり伝わった。当時の執筆陣は男性が多かったので、違いを見せろ、というのもあったろう。けど、それだけじゃなかったと思う。私には編集長の言葉はこう聞こえた。 ──社会問題をざっくり捉え指南するようなコラムではなく、ニュースを読んでみんなが心に引っかからなかった部分にも光を当てることができたらいい。女性らしい心配りで──そう私はいわれたような気がした(ような、というのははっきり確認しなかったからだ。山口さん、間違っていたら、ごめんなさい)。 女であるということは、私の根底にしっかりと根付いている。ものを考える上で、いいや、生きていく上で、自分の性を切り離すことは、私にはできない。 もちろん私は、心からジェンダー平等を願っている。その上で、正直にいわせてもらうが、ジェンダー差はあると思う。だから、良いのだ。 寛容な社会とは、自分とは違った人間を受け入れるということじゃないか。自分とは考え方も生き方も違う、逆の性の人と番(つが)い家族になる。自分たちとは違う、同性同士のペアの隣人を理解する。文化や見た目が違う国の人たちとも仲間になる。年齢が離れた人たちを、敵認定したりしない。 そんなに難しいことなのか? 私たちはたまたまおなじ時代に生きる仲間じゃないか。 週刊朝日、連載の依頼を受けたときのことを思い出し、最後のコラムで私の書きたいことは決まった。 女性らしい視点から、なにかを訴えるならこれだ。子どものPTAで知り合った母親同士は、子どもがたまたまおなじ学校に通っているというだけで、医師も専業主婦もフリーアルバイターも公務員も、たまにいる父親とだって、みな同列でヒエラルキーなぞなく、子のための話ができた。 違いを探して眉をひそめるのではなく、違った人間同士が手を握り合うことの、利点を探した方が有益だ。 どうか、自分ではない誰かを愛すことを躊躇(ためら)わないでください。なにがあっても私たちはそのことを躊躇わなかった。だから、今があるのだ。この先もきっとそうだ。 長い間、ありがとうございました。 室井佑月(むろい・ゆづき)/作家。1970年、青森県生まれ。「小説新潮」誌の「読者による性の小説」に入選し作家デビュー。テレビ・コメンテーターとしても活躍。「しがみつく女」をまとめた「この国は、変われないの?」(新日本出版社)が発売中※週刊朝日 2023年6月9日号
週刊朝日
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コスト半額0.05775%の「全世界株式」投資信託のカラクリ eMAXIS Slimが追従値下げしない理由
新しいNISAの本命の一つ「全世界株式」で激安信託報酬の投資信託が登場。なぜこんなに安くできるのか、そのカラクリを運用会社に直接取材した。AERA 2023年6月5日号の記事を紹介する。 * * * 4月26日に設定された投資信託「Tracers MSCIオール・カントリー・インデックス(全世界株式)」(以下、トレイサーズ)。4月10日に、この投資信託の有価証券届出書が提出されて話題になった。これまで世界中の株に投資する「全世界株式」の投資信託は信託報酬0.1%台が最安だったが、トレイサーズは0.05775%とほぼ半額の水準だったからだ。 全世界株式で人気首位は「eMAXIS Slim 全世界株式(オール・カントリー)」で信託報酬は0.1133%以内。eMAXIS Slimは“業界最低水準の運用コストを将来にわたって目指し続ける”とうたい、他社の動向に合わせて機敏に信託報酬を引き下げてきた。 この投資信託を運用する三菱UFJ国際投信はトレイサーズに追従したか? 結論からいうとノーだ。その対応は早く、4月13日付「eMAXIS Slimシリーズの基本理念について」というお知らせで値下げしない理由が明らかになった。 「弊社のeMAXIS Slimシリーズでは信託報酬に含めている『ファンドの計理業務』、『目論見書・運用報告書の作成に係る費用』、『対象指数(インデックス)の商標使用料(ライセンスフィー)』などを信託報酬とは別にファンドに請求しているものもあります」(原文ママ) ■追従引き下げはしない 勝手に意訳すると、こうだ。 「計理業務(日々の基準価額算出など)、目論見書などのパンフレットを作るコストなどを信託報酬とは別で取る投資信託は実質的にeMAXIS Slim 全世界株式より安いとはいえない。今回は値下げしません」 そう、トレイサーズ全世界株式の目論見書には、信託報酬以外に「その他の費用・手数料0.1%を上限とする金額」がかかると明記されている。つまり信託報酬0.05775%+その他費用0.1%以内=0.15775%(最大)。eMAXIS Slim全世界株式は信託報酬0.1133%以内+売買手数料や税金も含めたトータルコストで見て、現状でこれより高いとは言い切れない。だから信託報酬を変えないというわけだ。 トレイサーズのその他費用0.1%が実際に何%となるかは運用開始1年後の決算で判明する。これを超えると運用会社側の“持ち出し”になるので、相当余裕を持って0.1%としているはず。三菱UFJ国際は1年後にトレイサーズの総コストが判明し、それがeMAXIS Slim全世界株式より安ければ値下げするのか? 「個別の投資信託に関しては回答できませんが、信託報酬、その他コストも含めた総経費率と実際のパフォーマンスも含め、eMAXIS Slimより有利なものが出てきたら引き下げも検討します」(三菱UFJ国際投信デジタル・マーケティング部の野尻広明さん) ■値下げの約束は難しい では、トレイサーズを運用する日興アセットマネジメントは最安値を目指すのだろうか。 「低価格を目指す努力はいたします。ただ、常に最低水準への値下げを“明確にお約束する”ことは難しい」(商品開発部長の有賀潤一郎さん) トレイサーズが信託報酬に占める範囲が、一般的な投資信託より狭いのはなぜか。もちろん“安く見せたい”という意図も無くはないだろうが、どのようなポリシーで運用している? 「当社(日興アセット)が運用する投資信託約230本のうち半分以上がこの方式で、実質主義の考え方で運用しています。コストに関し、引き続きわかりやすく開示して参ります」 トレイサーズ全世界株式は、信託報酬とその他費用の合計で最大0.15775%とはいえ十分に安い。1年後の決算時にフタを開けたらeMAXIS Slim全世界株式並み、いやそれより安い可能性もある。 気になるのはトレイサーズ全世界株式の販売会社。5月23日現在でSBI証券のみだ。信託報酬が安い=金融機関の取り分も減るわけで、仕方ない? 「販売会社での取り扱いの難易度が高いことは、承知しています。販売会社100社以上に集まっていただく『商品戦略アカデミー』という情報提供の場でご意見を伺いつつ、こちらからも提案を続けています」 ■指数利用料はいくらか 低コストの投資信託は規模が大きくないと金融機関側の収益として話にならない。今後、トレイサーズ全世界株式の残高が伸びればネット証券などの販売会社側でも“取り扱わざるを得ない”状況になるはずだ。投資家側も「安く、もっと安く!」と求めるばかりでなく、金融機関側の永続的な運用という視点も忘れないようにしたい。 今回の“全世界株式対決”で改めて話題になったのが、指数利用料(インデックスフィー)の存在だ。インデックス型投資信託の場合、S&P500ならS&Pダウ・ジョーンズ・インデックス社に、全世界株式の指数(MSCI ACWI)ならMSCI社に“インデックスを使わせていただくお金”を払わねばならない。トレイサーズは指数利用料を信託報酬に含めていない。eMAXIS Slimは信託報酬に含めている。そもそも指数利用料はどれくらいかかるのだろうか。 「指数算出会社との個別契約になるので正確な数字は開示できません。一般的には純資産総額に応じて支払うケースが多いです」(野尻さん) 正確な数字の回答は控えたが、三菱UFJ国際はインデックス型のETFで指数利用料を開示している。eMAXIS Slim全世界株式と中身が同じETFが「MAXIS全世界株式(オール・カントリー)上場投信」で、0.055%上限。この数値が参考にはなる。 信託報酬とは別でかかるその他費用は“隠れコスト”とも呼ばれ、各投資信託の決算時に運用報告書に記される。内訳は売買手数料、有価証券取引税、保管費用、監査費用、目論見書などの作成・印刷費用等。いくらかかるか予想しづらいので「1年でこれだけかかりました」という“事後報告”形式だ。 ■目論見書費用の外出し 日本の投資信託には「どこまでを信託報酬に含め、どこからその他経費に含めるか」という明確な基準がない。各社の裁量に任されているのがそもそもの問題点ではないか。 たとえば「目論見書などの印刷・作成費用」に関して、人気のSBI・Vシリーズや楽天インデックスシリーズは信託報酬から“外出し”。三菱UFJ国際は信託報酬に含めている。 22年4月、投資信託協会は目論見書に「その他費用も含めた総経費率を記載するよう」細則を改正した。今後は目論見書に前期の総経費率も信託報酬と併せて掲載されるようになる。eMAXIS Slimは「7月作成の目論見書から総経費率も掲載します」(野尻さん)。 目論見書や運用報告書を見るのもいいが、ごまかしが利かないのは「トータルリターン」の項目だ。信託報酬だけでなく、一定期間のトータルリターンもチェックすることをすすめる。 (経済ジャーナリスト・向井翔太、編集部・中島晶子) ※AERA 2023年6月5日号
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松下洸平「僕にとって、とても大きな3年間」 朝ドラをきっかけにドラマや映画、バラエティーにも
ドラマ「合理的にあり得ない」に出演中の松下洸平さんがAERAに登場。NHK連続テレビ小説「スカーレット」で注目され、舞台や映画にも次々に抜擢。「課せられるものが大きくなっていることを実感している」という。AERA 2023年6月5日号の記事を紹介する。 * * * AERAで昨夏にスタートした自身の連載「じゅうにんといろ」での抜け感のある衣装とは違う、スマートなスーツ姿でスタジオに入ると、まずフォトグラファーの蜷川実花に「お久しぶりです」と丁寧に頭を下げ、笑顔で握手を交わした。 本誌の表紙は2020年10月以来、2度目。前回の撮影は、その前年の9月から放送されたNHK連続テレビ小説「スカーレット」で注目され、オファーが殺到し始めた頃だった。 あれから3年弱。ドラマや映画の話題作に立て続けに出演し、バラエティーでは飾らない姿で笑いを取り、CMで癒やしを届けてきた。さらに、一昨年は歌手として再デビューも果たした。今回の撮影後、初めての表紙を改めて見て、感慨深そうに言った。 「若いなー。これから先のいろんな壁のことをまだ知らない顔ですね(笑)。もちろん覚悟や決意はありましたけど、まだそこにぶち当たる前の表情だと思います」 その言葉に、自身に集まる視線と期待が高まることを感じながら、多忙を極める日々を乗り越えてきた充実感がにじんだ。 「僕にとって、とても大きな3年間でした。たくさんの作品に呼んでいただき、いろんな役とお仕事を経験させてもらいました。課せられるものが大きくなっていることは感じています」 現在はカンテレ・フジ系ドラマ「合理的にあり得ない」で天海祐希と共演し、今夏は舞台「闇に咲く花」に出演予定。映画「ミステリと言う勿れ」の公開も控える。その先もスケジュールはびっしりだ。 「でも、僕自身は特に変わってはいないんですよね。人としての厚みなんてまだまだですし」 決して偉ぶらず、実直。その人柄が人気をますます加速させている。(編集部・古田真梨子) ※AERA 2023年6月5日号
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小島よしおが「なんで本を読まないといけないの?」と聞く中1女子に伝えたい、意外な“理由”とは
「なんで本を読まないといけないのか」という相談を送ってくれたのは、中学1年生の女の子。数多くの子ども向けライブを開催し、YouTubeチャンネル「おっぱっぴー小学校」も人気の小島よしおさんが子どもの悩みや疑問に答えるAERA dot.の本連載。月に5~8冊読んでいるという小島さんが考える、本の魅力とは? 読書の時間が楽しくなるヒントも聞きました。 * * * 【相談40】なんで本を読まないといけないのか。学校でも「読書の時間」というものがあり、日本語と英語の本を読むように言われている。いまではほとんどの人がスマホを持っているのに、わざわざ本を買わなければいけない理由を知りたいです。(ぷりん・中学1年生・女子) 【よしおの答え】 ぷりんピーヤ、いろんな情報の受け取り方がある時代に、疑問を持てるってすばらしい!ぷりんちゃんが言うように、いまはスマホがあればすぐにいろんな情報にたどり着くことができる。ネット検索すれば知りたいことの答えはだいたい出ているし、もっと詳しく知りたかったら誰かが動画で解説してくれているし、もちろん電子書籍もあるからね。 だけどいまでも多くの学校が読書を推奨していると思うし、学校には図書館が必ずあるよね。よしおが小学生のころから「本を読もう」とは言われていたし、誰の言葉かわからないけど「本は心の栄養」って言ったりもする。簡単に情報を得られる世の中で、どうしていまだに読書がすすめられるのか、よしおと一緒に考えてみよう! まずはよしおの“読書体験”から話してみようかな。よしおは“読書家”って大きな声で言えるほどじゃないけど、本を読むことが好き。だいたい月に5~8冊は読んでいるかなあ。本を読むと新しいことを知ることができるのはもちろんだけど、“本を読んでいる俺、なんかかっこいいなあ!”って思うんだ(笑)。 よしおの後輩も、「明治神宮外苑のイチョウ並木(道沿いにイチョウの木がたくさん並んだ東京の名所だよ!)のベンチで村上春樹を読む自分に酔いしれていた」って言っていた。よしおも、大学時代は古めの喫茶店に入って芥川龍之介とか夏目漱石とかを読んで自分に酔っていたよ(笑)。「そんな目的で本読むの?」と思うかもしれないけど、これがけっこう充実した時間なんだ。 ■目で追いかけてページをめくる本の魅力 じゃあなんで本を読むとそんなに充実感があるのか、考えてみた。まずは、紙の本と電子書籍の違い。電子書籍は、スマホやタブレットが1台あれば何冊も持ち歩くことができるね。家でも、本を置く場所をとらないからスペースに余裕ができる。紙を使わないから環境にもいいかもしれないね。 ただ、スマホやタブレットには誘惑が多い。誰かからメッセージが来たり、SNSをついチェックしてしまったり……。一方本は重くてかさばるけど、文字を追うのに集中できる。誘惑がないからこそ、本の世界に集中できるんだ。 そしてなんといっても、紙の本は1冊読み終えると達成感がある。ランニングをして目的地に着いたようなね。物として実際に目に見えるから、「ああ、俺これだけ読んだんだなあ」って実感できるんだ。電子書籍もいいと思うけど、達成感を得たくて紙の本を読んでいるっていうのもあるかもしれないなあ。 じゃあ次にスマホで得られる情報と本で得られる情報の違いについて考えてみよう。ネットの情報はすぐに何かを知りたいときには調べればすぐに答えが出てくるからすごく便利だね。それに対して、本は読むのに時間がかかるけど、情報がきっちり整理されていてまとまっている。 ネットの情報が全て間違っているわけではないけど、正しいかどうかを見分けるのは至難の業。だけど本はいろんな人の目を通って出版されているから、信頼できると思うんだ。それに、自分の考えを整理したり、知識を深めたりするときに、切り取り記事よりも順序だてて物事を考える手助けになるのが本なのかな、って思う。 自分に蓄積される知識の量も違う気がするんだ。不思議なもので、ネットサーフィンをしていると情報がどんどん流れていってしまう感じがするんだよね。反対に本は、自分の目で追いかけて自分の手でページをめくるっていう能動的な行為だから、情報を自分で手にしている感じがする。そうすると、自分のなかでもどんどん知識が重なっていくのを感じるんだ。 本を手にする過程も、よしおにとっては大切な時間。ネットですぐに本を買うことはできるけど、よしおは本屋さんや図書館に行くのをおすすめしたい。自分が欲しい本以外にも、いろんな情報が一気に目に飛び込んでくる環境だから、とても刺激があるんだ。自分では気づいていなかったけど実は興味を持っていたことが目に入ってきたり、自分には興味がないことでも周りの人が興味を持っていることが何かわかったりする。それを体験するのが楽しいんだ。 ネットで本を買うのと比べて、入ってくる情報量が全然違うんだよね。寄り道ができるっていうか、余白を感じるというか。それを感じたくて、本が欲しいときにはなるべく本屋さんに行くようにしているよ。 ■本は読み切らなくてもOK! ここまで一方的によしおが思う本のすばらしさを伝えてみたけど、何かピンときたかな? 自分で実感しないとわからないことだから難しいかなあ。ところで、ぷりんちゃんの学校の「読書の時間」は決められた本を読むのかな。それとも読む本の内容は自由で、日本語の本と英語の本を自分で探してきて読むのかな。 もし自分で本を選べるなら、とにかくいろんなジャンルの本を手にとってみたらどうだろう。学生のころって、「本は最初から最後まで1冊読み切らないとだめ」って思い込みがあるかもしれないけど、もし読んでいる本が「ちょっと読むの苦しいな」って思ったらどんどん違う本に切り替えてOK! よしおも、同じ内容の本でも読む時期によって、読みやすいときとそうでないときがあるんだよね。その情報を欲しているときにスラスラ読めるのかも。喉が渇いているときっていっぱい水飲めるよね? そんな感覚に近いかな(笑)。 本って小説もあれば知識を得る教養系の本もあるし、いろんな人の経験や考えが書かれたエッセーとかコラムもある。本っていろんなジャンルがあるから、絶対に好きなものがある気がするんだよなあ。もし許されるなら「読書の時間」に複数冊机に置いて、いろんな本をかじり読みするといいかも。「これなら読める!」という本に出合えたら、そこから本を読む面白さや知ることの面白さを知ることができるかもしれないね。 決められた本を読まなきゃいけないなら、それをゲームにしちゃうっていう手もあるかな。例えば、決められた時間に何ページ読めるか毎回ページ数を数えてみるとか、クラスの子と読んだ本の内容のクイズを出し合うとか。「このとき、主人公は何色の服を着ていたでしょう?」とかね。 そもそも本が苦手なようだったら、漫画や映像から入るのもありだと思うよ。よしおは湊かなえさんの『Nのために』っていう本はドラマが面白くて、もっと内容を知りたいと思って小説を買って読んだんだ。より作品を楽しめるし、ドラマで描かれていないストーリーも知ることができたよ。 だけど、必ずしも本を買わなきゃいけないってことはないし、読まなきゃいけないってこともないと思う。本を読まなくてもいいと思う人がいるのは別に悪いことじゃないからね。それに、「~しなきゃいけない」って義務のように感じて苦しいよね。 でも、学校で決められた課題をそう簡単に覆すことはできないから、せっかく設けられた時間なら「こうしたら楽しいかな」って考えられたらいいな、ってよしおは思う。それに、よしおは本のおかげで充実した時間を過ごせているから、少しでもその良さがぷりんちゃんにも届くといいなあ、と思う。本の楽しみ方って実はいろいろあるからね。ぷりんちゃんが相談を送ってくれたことをきっかけに、何かが少しでも変わったらうれしいな! ……って、僕は思うんだけど、君はどう思うかな? (構成/濱田ももこ) ●小島よしお(こじま・よしお)/1980年、沖縄生まれ千葉育ちのお笑い芸人。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業。「そんなの関係ねぇ!」でブレーク。2020年4月からYouTubeチャンネル「小島よしおのおっぱっぴー小学校」で子どもの学習を支援する動画を公開。キッズコーディネーショントレーナーの資格を持ち、子ども向けのイベントを多数開催している。 【質問募集中!】小島よしおさんに答えてほしい悩みや疑問を募集しています。お気軽にお寄せください!https://dot.asahi.com/info/2021100800087.html
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「ギフテッド」で「ろう」の女性が教員になろうと思った理由 米国留学で出会った教授から伝えられた「救いの一言」
知能の高さゆえにさまざまな生きづらさを抱えていることも多い「ギフテッド」。【前編】ではIQ130を超え、かつ「ろう者」でもある女性が「障害があるのに何でもできる」ことが原因で理不尽ないじめを受けたことを紹介した。その後、女性は親からの重圧と周りからの目に翻弄され、心を病んでいくことになる。どん底だった女性を救ったのは米国への留学だった。<阿部朋美・伊藤和行著『ギフテッドの光と影 知能が高すぎて生きづらい人たち』(朝日新聞出版)より一部抜粋・再編集> ※【前編】<「障害者はバカでいたらいいのかな」 IQ130台の「ギフテッド」で“ろう”の女性が小学生で受けた理不尽ないじめと葛藤>から続く * * * ■「あなたのために」親の重圧 家庭環境はどうだったのか。尋ねると、女性はまた険しい顔を浮かべ、キーボードをたたき始めた。「褒められた記憶はない」「社会に出たら周りは聞こえる人ばかりなので、親は早くから慣れたらいいと思ったみたい」「当時は親に殺されるって思っていました。親は今は反省しているみたいですが」……。 「将来のために」と厳しくしつける両親だったそうだ。だが、聴覚障害がある子どもにこれほどつらい思いをさせることが信じられなかった。親が抱えていた不安はどういったものだったのだろうか。 女性によると、両親は女性が幼少時代、医師から「将来話せるようになるか、仕事に就けるかはわからない」と言われていたという。そのため、女性が将来一人で生きていけるようにと、聴者と同じ環境で育てようと考えたという。「聴者に認められるには勉強ができないといけない」「あなたのためにやっているの」などと、繰り返し言われた記憶が女性にはある。「親の前では『できる自分』を見せ続けなければならなかった」と振り返る。 ■学校と家庭、引き裂かれる心 今では信じられないことだが、女性が生まれた1980年代はまだ、手話を使うことは多くのろう学校で禁止されていた。障害者基本法の改正で、手話が言語であると初めて明記されたのは2011年。それまで聴覚障害者には、相手の口の形を読み取り、それを真似ることで言葉を発する「口話教育」が盛んに行われていた。 女性も今でこそ手話を使ってコミュニケーションをとるが、子どものころは両親や教員から「手話を使わないように」と言われていたそうだ。また教員から「いろいろな体験をさせて」とも言われていた両親には、キャンプや釣り、スキーなどによく連れて行ってもらったという。小学生のころは、スイミングスクールやエレクトーン教室などにも通い、家庭教師もついたという。 女性は当時を「何に対しても成績を残さないといけないと思っていました」と言い、「ここまでやれば認めてくれるかなって感じでやり続けていました」と振り返る。 親の期待に応えるには「できる自分」を出さなければいけない。しかし、学校では「できない自分」でいたい。女性の心は、次第に引き裂かれていった。家では何も話さなくなり、「死にたい」と考えるようになっていたという。エレクトーンや習字で失敗すると、自分で手や足を赤くなるまでたたいたりつねったりするようになっていった。 「親は、自分たちが死んでも私が一人で生きていけるようにという思いだったと思います。ただ私は、『できる自分』と『できないでいたい自分』との間で、どうあればいいのかわからなくなっていきました」 ■「がんばってるね」の一言が…… 進学校の県立高校に進むと、親は喜び、厳しいことは言わなくなった。そこで、女性はようやく「できる自分」を封印することができた。「できない人」は親しまれやすいと思い、テストでわざと20点や30点をとってはクラスで笑いのネタにして楽しんだ。ダウンタウンや明石家さんまなどが出ているお笑い番組を見ては、ものまねをしたり「どうウケるか」を考えて友達とはしゃいだりした。「いじめはなくなり、友達もできました」。 だが、「聞こえないのにすごいね」「聴覚障害があるのに、よくがんばっているね」。そう言われるたびに、女性は違和感を覚えた。勉強ができるのは、自分にとっては努力したことではなく、普通のこと。なのに、障害があるだけで、「がんばっている」と見なされるのが、つらかった。「だって、聞こえないことと、能力は関係ないはずですよね?」。 その通りだ。だけど、あらためてそう問われてみると、私の内心にも、ろう者に対して「聞こえないのはかわいそう」とか、「聞こえないのに頭がいいなんてすごい」といった考えがないとは言い切れない。 そのことを認めると、女性は「そういう心理的な反応は自然なことだと思います」と言った。大事なことは、「うちの親のように、振り返って、あれは先入観があったかもと考えることではないでしょうか。心理的なバイアスは誰にでも起きますから」。そう淡々と語る女性の姿を見ていると、何度もそうした偏見や差別に悩み、葛藤してきたのだろうと想像できた。 ■米国で認められた「スペシャル」な能力 女性の学生時代の話に戻る。地元の進学校を卒業した女性は浪人し、その後、地方の国立大学に進み、別の国立の大学院も出た。教育や心理学を学んだが、「できる人とできない人のどちらにも嫉妬して、心がめちゃくちゃ」な状態だったという。さらに不安定になった女性は、「自分はいるべき存在じゃない」とリストカットなどの自傷行為を繰り返していた。 転機は、米国への留学だった。語学を学んだあと、米国の聴覚障害者が多く通う大学院に入った。留学4年目のある時、心の不調を訴えると、学部長から「知能検査をしてみよう」と勧められたという。 知能検査の「WAI-IV」を受けた結果、四つの指標のうち、作業の速度を測る「処理速度」がIQ140と極めて高いスコアが出た。目で見た情報から形を推理する「知覚推理」もIQ117と高い数字が出た。一方、ことばの理解力や推理力、思考力を示す「言語理解」はIQ98、「ワーキングメモリー」はIQ95と平均的だった。 女性は「ただ、びっくりでした。なんとなく人より高いとは思っていましたがまさかこれほどとは」。そして、学部長に伝えると、「驚かないよ」と言ってくれた。 学部長から、「レポートが理路整然としていて深く考えていたから、普段から教授陣の間で評価していたんだ」と伝えられた。そして「今まで出会った中でスペシャルな生徒の一人だ」とたたえてくれた。障害に関係なく、自分の能力だけを認めてくれたことがうれしかった。 「学部長との出会いが大きかったですね。ずっと『できる』ことで嫌な思いをしてきたので、『できる』ことの良さを自分で感じたかったし、人にも思われたかったんです」 ■可能性を閉ざさない 教員を志したのは、そのころだ。米国のろう学校で、小中学生に将来の夢を聞く機会があった。子どもたちはなりたい職業よりも、「自分はバカだから」「周りの大人がそうだから」といったイメージで将来を考えていた。 日本のろう学校で知り合った子どもたちも同じことを言っていた。手話を使えば、子どもたちは豊かな表現をしたり深い考察をしたりと、それぞれに光る才能がある。しかし聴覚障害があるというだけで、自分の可能性を閉ざしている。 「子どもたちの様子を見ていると、自分の経験が何か役に立てるのではと思いました。それぞれが『できる』ことを、親や先生、何よりもその子自身が考えて学ぶ力を育てたいと思ったんですね。私は苦しかったけれど、大学院や留学をして聴覚障害に関して専門的に学ぶ機会に恵まれたのはたしかで、自分の『できること』がポジティブになるかもと思いました」 日本に戻り、教員になってまもなく10年になる。 社会には今も、ろう者に対して「かわいそう」「頭が悪い」「音楽に親しまない」といった先入観があると女性は感じている。 ろう者の中にも、手話はできるのに日本語がうまく読み書きできないことを理由に「勉強ができない」と思い込む子が多い。 そんな子には、「手話はばっちり。日本語に置き換えるのがまだ難しいね」と伝えている。手話と日本語を区別して評価すると、自信を持てる子どもは多いからだ。聞こえないことを理由に、できる、できないを評価するのではなく、その子の得意なことと苦手なことを見つめ、一緒にどうするかを考えられる教員になりたいと思っている。 女性は「それぞれが持つ才能をそのまま発揮できる社会になればいいと思います」との思いを私に伝えてくれた。 (年齢は2023年3月時点のものです)
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【30年比較】東大、京大、早慶、MARCH…難関21大学「合格者数ランキング」【1993-2023】
東京大 / 京都大 / 大阪大 / 北海道大 / 東北大 / 名古屋大 / 九州大早稲田大 / 慶應義塾大 / 上智大 / 東京理科大 / 明治大 / 青山学院大 / 立教大 / 中央大 / 法政大 / 学習院大 / 関西大 / 関西学院大 / 同志社大 / 立命館大進学調査を行う「大学通信」の調査のもと、大学別に2023年と1993年の合格者数の上位校を掲載した。「合格者数」はのべ合格者数で、1人の学生が複数の大学に合格しているケースも含まれる。また、既卒生の合格者も含まれる。高校への調査では、未回答の学校は掲載していない。大学公表値では、推薦など一部の入試方式の合格者が含まれていない場合がある。1993年の早稲田大と2023年の国立大は合格実績のある高校に調査した人数。93年の北海道大と私立大は大学が公表した人数(早稲田大を除く)。93年のその他の国立大はサンデー毎日と大学通信の共同調査。早稲田大は23年が一般入試の合格者のみのため、93年のランキングからは附属・系属校の内部合格者を除いた。高校名は現在の名称。私=私立、公=公立、国=国立(協力/大学通信)【関連記事】東大、京大、早慶…30年で激変! 「難関21大学」合格者数ランキング 渋幕、西大和「急成長」のナゼ
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ヘンリー王子とメーガンさんにすきま風 「3年持つはずがない」がここにきて現実味
5月6日、国王チャールズ3世(74)の戴冠式が執り行われた。規模は縮小されたが、歴史と伝統を尊重した荘厳な式であった。国王に続いて、王位継承順位1位のウィリアム皇太子(40)と2位のジョージ王子(9)を国民の前に示して、王室の継続性と安定性をアピールした。 王室の慶事に暗い影を落としたのは、ヘンリー王子(38)だった。わずか28時間ほどの滞在で、他の王族との交流も深めず、まるで逃げるようにアメリカに帰った。それなら妻子と合流した王子はさぞ幸せであるかというと、聞こえてくる話はそうではない。いつでも手を握り腕を絡ませる王子とメーガンさん(41)だったのに、風向きが少々変わってきたようなのだ。 5月19日は2人の5回目の結婚記念日だった。アツアツの写真やコメントを予想する向きも多かったが、何も出てこなかった。メーガンさんの戴冠式欠席の理由は、アーチー王子の4歳の誕生日を祝うためとされた。しかし、パパとママと妹リリベット王女(1)に囲まれた彼の笑顔を見ることはなかった。戴冠式翌日に目に飛び込んできたのは、メーガンさんが、イギリスから帰国しているはずのヘンリー王子とではなく、友人やボディーガードとハイキングする姿だった。 5月20日、イギリスのタブロイド紙は、ヘンリー王子は自宅近くの高級ホテルにメーガンさん抜きで利用する秘密の部屋をキープしていると報じた。「王子は、ここをメーガンさんからの逃げ場と考えている」との説明だ。またさらに、会員制クラブ、サン・ヴィセンテ・バンガローズにも王子は頻繁に通う。バリーズ・ブートキャンプで汗を流した後は決まって立ち寄る。プライバシーが究極の贅沢とうたうクラブハウスには、写真撮影禁止など厳格なポリシーがある。王子は「隠れ家」を少なくとも2カ所持つとのニュースが広がると、夫妻の広報担当者があわてて否定した。 一方、メーガンさんは仕事にまい進する。ネットフリックスで王室生活をテーマにした長編映画を制作する意欲を見せているのだ。以前に生い立ちをもとにしたアニメーション「パール」をネットフリックスから公開しようとしたが、中止になった。やはりネットフリックスは英王室の裏話を生々しく明かしてほしいし、メーガンさんもそれに応えたい。しかし、ヘンリー王子は必ずしも賛成していない。むしろイギリスに家族で帰る希望さえ持つという。 そもそも王子夫妻が2018年に結婚したとき、イギリスのメディアから「3年持つはずがない」と言われた。結婚2年足らずで王室離脱、オプラ・ウィンフリーさんのインタビューを受け、「ハリー&メーガン」のドキュメンタリー番組を公開し、ヘンリー王子は暴露本『スペア』を出版した。いずれもテーマは英王室批判で、それによる収入も莫大だ。こうしたことから二人の人気はイギリスはもとより、アメリカでも凋落傾向にある。 しかしメーガンさんは、しぶるヘンリー王子を置きざりにしてでもさらにスーパースターへの道を駆け上がりたい。先日は、大手エージェンシーのウィリアム・モリス・エンデヴァーと契約、芸能活動などに力を入れていく。メーガンさん担当とされるCEOアリ・エマニュエル氏の兄は、オバマ元米大統領の首席補佐官で元シカゴ市長、現在の駐日大使だ。政界進出の夢を捨てていないメーガンさんにとっては重要なコネになる可能性がある。自分には公爵夫人、子どもたちには王子と王女の称号を得た。もう、ヘンリー王子は必ずしも必要がないのかもしれない。夫妻の目指す方向には徐々にずれが生じている。 メーガンさんが前夫に離婚を告げる際は、封筒に婚約・結婚指輪を入れて送り付け、それきりだった。父親との関係もそうだ。心臓病で緊急手術を受けようと、「孫と会いたい」と繰り返そうと、関係修復の姿勢を見せない。メーガンさんは、英王室に入るときに閉鎖したブログ「ティグ」を再開する予定だ。ヘンリー王子と出会う前のティグには次のような言葉がつづられている。「自分を完成させるのに他人は必要ない。自分一人で十分だ」。ヘンリー王子とメーガンさんの不仲説は、離婚へと突き進むのだろうか。 (ジャーナリスト・多賀幹子) ※AERAオンライン限定記事
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ヤングケアラーだった「ノブコブ・徳井」が同じ境遇の子に伝えたいこと 「あの壮絶な少年時代があったから芸人になった」
お笑いコンビ「平成ノブシコブシ」の徳井健太さん(42)は、10代のころ、統合失調症の母親に代わって家事や妹の世話を日常的に行う「ヤングケアラー」でした。中学から高校にかけては「マジで青春がなかった」という徳井さん。過酷な経験といま家族の世話に追われている子どもたちへのメッセージを、時事YouTuberのたかまつななさんが聞きました。(「たかまつななチャンネル」で動画を配信しています) * * * ■「ドアの隙間から1万円札」閉じこもった母親と幼い妹 ――徳井さんがヤングケアラーだったと聞いて驚きました。 そんな大それたものじゃないのよ。もともとヤングケアラーなんて言葉はなかったじゃん。『敗北からの芸人論』(新潮社)という本を出したときに、ある記者さんから取材を受けて「徳井さんってヤングケアラーなんじゃないですか」って言われたのが初めてだったの。「何それ」と思って。そこが問題なのかなっていう。 ――ご自身では問題に気づかなかったということですね。どなたのお世話をされていたんですか? 母親ですね。俺が中学のときだから30年前か、うちは団地に住んでいて、父親は高卒で大企業で働いていたんだけど、高卒だと役職に就けないから、会社から2年間大学に行かせられていたの。(大学から)帰ってきたら課長、部長になれよってことで出張に行くことになって、その間、会社が全額給料も出すし、学費も出すと。それで父親がいなくなってから母親の様子がおかしくなってきた。 誰かが悪口を言っているとか、隣の人が文句を言っているとか。今思えば幻聴だろうね。それで母親は自分の部屋から一歩も出なくなって、心がどんどん弱っていって。 俺には6個下の妹がいて、まだ小学1年くらいだったのかな。ご飯を作る人がいないし、洗濯する人がいないし、買い物する人がいない。 たまに母親がドアの隙間から1万円と買い物リストをフッと出してくるので、じゃあこれを買ってくればいいんだなって俺が買ってきて料理して。問題なのは、普通なのよそれが。そんな大変なことって思わないでやっていたから。 ――妹さんの面倒も見ていたんですね。 そこまで手厚くはやっていなかったと思うけど、俺がやっていたんだろうね。母親は寂しかったんだろうね。母親は中卒で、父親は高卒なのさ。両親が20歳とか21歳のときに俺を産んでるから、お母さんは社会に出ていないのよ。働いてもいないし。お父さんだけがよりどころで、いなくなっちゃったから心が崩壊していってという感じだから。 ■中学・高校の6年間、ヤングケアラーだった ――1日のスケジュールはどんな感じだったんですか? 中学1年だから忙しいのよ。学校も普通に行って部活もやって帰ってきたから意外と時間もなくて。バレー部に入って、朝練をやっていたからさ。朝6時に起きて、部活をやって8時に学校に行くでしょ。授業が午後4時に終わって6時に部活が終わるよね、そこからご飯を作るよね。洗濯して8時。そこから勉強して10時に寝るとかだから。 ――ヤングケアラーだった期間はどれくらいですか? 家事は小学4年くらいのときからやっていたね。母親がダメになってから父親が帰ってきて地元の北海道に戻るのさ。中学2年から高校3年まで北海道にいた。その間もずっと母親が闘病中だったから、中高6年間ぐらいかな。 ――家族の世話をしていることで、自分の生活に支障はありましたか? 友達とは遊んでいなかったね。でも俺は別に遊びたくなかったんだよな。北海道に帰ってから、中学2年から高校3年まで新聞配達を朝夕やるのさ。それは生活のためとかじゃなくて、小遣いがほしくて。だから青春がマジでないのよ俺。誰かと手をつないで歩いたとかそんなのもなくて。友達はできなかったね。 ――周囲に相談できる人はいなかったんですか? 相談する人はいなかったし、相談するほどのことでもないと思っちゃったんだよね。もし30年前にヤングケアラーって言葉があれば、もしかしたら俺がそうかもって思って、学校の先生とかに相談できたかもしれないけど。 ーー辛くなかったのですか? 辛くないんだよな。これが俺の個性なのか、後天的なものか分からないんだけどさ。例えば八百屋さんの息子、娘がいたとして、親は八百屋さんのほうが忙しくて朝から晩まで働いてたら、家事を手伝うじゃん。そこに寝たきりのおばあちゃんがいたら介護もするじゃん。これ、みんなから褒められるんだよ。「そんな小さいのにおばあちゃんの介護をして、家の家事までして偉いね」って。言われたら子どもって嬉しいじゃん。俺そういう子たちって辛くないと思うんだよね。自分の生きる意味ってあるんだって、どっちかというとそう思っちゃうから。 お笑いをやった若手の頃とかは、普通に面白話としてこういう話を喋っていたのよ。だけどウケない。俺は「お前馬鹿だな」っていう感じで言ってほしいのに、みんな「大丈夫か」とか言ってくる。おかしいな、みんな俺が思っているリアクションと違うな、これあんまり面白くないんだと思っていた。本当35歳とか40歳ぐらいになって、なるほど、ウケないじゃなくて、俺が不幸って思われていたのかって気づいた。 ■家に帰って温かいみそ汁とご飯があったら…… ――今振り返ると、当時の生活や家庭の状況をどう思いますか? よく悪い道に走らなかったなって思う。俺みたいな人が100人いたら、たぶん95人は悪のほうに行くと思うんだよね。でも、お笑いってマジで多様性の塊じゃん。みんな優しいし、とにかく笑うから、なんとか悪事に手を染めずにここまでこられた。今思うと、あの壮絶な少年時代があったから芸人になったし、芸人を続けられたし、普通とは違う切り口で笑いを取れたりしているから。 でも実際問題、あのとき誰かが手伝ってくれたり、俺の話を聞いてくれたりしたら違っただろうとは思う。芸人にはなっていなかったかもしれない。家事も大変だったからね。妹はほぼ子守に近かったから。家に帰って、温かいみそ汁とご飯と魚とかがあったら、なんて楽だろうと思ったりはしました。 ヤングケアラーの子たちは、いい大学を目指したいって言っても希望も折られていくじゃん。それで悪の道に進んでも、その子たちを責めるのもちょっと酷かなと思う。俺は運が良かったけど、普通だったら、ここでたかまつななとヤングケアラーがどうなんてしゃべっている身分じゃないんだろうなと。俺は大人になってから周りに恵まれたと思う。 ――厚生労働省の調査によると、今、子どもの4~6%が大人に代わって家族の世話をしているそうです。家族の問題を知られたくないことから、周りに相談できない子どもたちもたくさんいると思いますが、どうすれば相談できるようになると思いますか? たぶん俺、すごい人に壁を作っていると思うのよ、昔から。そういうのを踏み越えて、俺が嫌だって言っても徳井ん家に行こうよみたいになって、「これだめなんじゃないの」とか、「良くないんじゃない」って言ってくれる人がいたら、そうなのかなって思ったかもね。友達が実際に家に来ることは何度かはあったけど、みんな気まずい。あんまり家庭のことに首を突っ込むんじゃないって言われていたのかもね。 ヤングケアラーの子たちに対して、家庭のことに首を突っ込まれなかったら助けられないだろうね。突っ込んだら突っ込んだで難しいけど、例えば、8人に怒られたとしても、2人の子どもの未来が救えるんだったら、それでもいいのかなって思うけどね。 それとお笑いの力が大きいと思うけどね。いじめられていた話も、芸人がしゃべると面白いじゃん。だけど、いじめられている人たちには、ちゃんと心に優しく刺さるじゃん。多分、他人からヤングケアラーだよって言われるのって、あんまり本人に通じないと思うんだよね。だから本人の目に入る、お笑い番組だったり、YouTubeだったり、漫画でもいいんだけど、そういうときに自分がヤングケアラーだって自覚するように、うちら大人がばらまき続けるしかないかね。 ■自分がそうだと気づいたら声を上げて ――ヤングケアラーの子だと、部活や進学を諦めている人もいると思いますが、どう心の整理をつければいいと思いますか? 俺がもし家族のためにとか、こういう母親がいるからと思っていたら、たぶん北海道で就職していたと思うのよ。だけど俺は家族なんてどうでもいいから自分の夢を追いかけたい、この家族と離れたいと思って、今ここにいるけど。だから本当に夢があったり、かなえたいことがあるんだったら、俺は家族を捨ててもいいと思うけどね。 ――最後に、今、ヤングケアラーだと気づいていない子もいるかもしれないし、苦しんでいる方もいると思うんですけど、当事者の方にメッセージをお願いします。 苦しんでいる人はすぐ声を上げたほうがいいでしょうね。今はSNSもあるし、周りにいろいろな大人もいるし、学校の先生も。苦しいって言える人は普通に苦しいって言えばいいし、助けてくれる人もいっぱいいると思うけど。 苦しくない、自分は普通だって思いながら日々削られている子たちには、言葉はたぶん刺さらないから、そうなのかもなって思っている小学生、中学生がもしいたら、土足でもその子の心に入って行ったほうがいいと思う。 「あのとき俺なら」っていう思いを後でするぐらいなら、今後その子と絶交になったとしても、ズッて踏み込んで、その子が大丈夫か、大丈夫じゃないかを確認してあげたほうがいいと思います。 ーーお話しにくい点もあったと思いますが、本日はありがとうございました。 全然ないですよ、俺には話しにくいことなんて全然ないです。そこが問題なんだろうな。 (聞き手・構成/たかまつなな 監修:一般社団法人ケアラーアクションネットワーク協会代表 持田恭子)
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「オリジナル10」初のJ3降格の予感も 予想外が続出、今季J2は“先が読めない”状況に
開幕から2カ月が経った。J1では早くも波乱が続出しているが、それ以上に多くの者にとって“サプライズ”の序盤戦となっているのがJ2リーグ戦だ。全チームが42試合中10試合を終えた現時点で、前評判を大きく上回る好発進を決めたチームがある一方、思わぬ苦戦を強いられているチームもある。 現在、単独首位に立っているのは、昨季15位だった町田だ。ここまで10試合で勝点23(7勝2分1敗、16得点4失点)。開幕戦の仙台戦(△0-0)の後、第2節から群馬(○2-0)、金沢(○2-1)、水戸(○3-0)、山形(○3-0)、いわき(○1-0)、藤枝(○1-0)と破竹の6連勝。第8節の秋田(●0対1)、第9節の磐田(△1-1)との試合では足踏みしたが、“頂上決戦”となった第10節の大分戦に勝利(○3-1)して首位返り咲き。青森山田高校からJクラブの指揮を執ることになった“異色の”黒田剛新監督、さらに選手も半数以上が入れ替わったことでチームの成熟には時間を要すると思われていたが、予想を遥かに上回る仕上がりと完成度を披露。懐疑論を吹き飛ばし、「所詮は高校サッカー」というアンチも黙らせながら白星を重ねている。 目立つのは、組織的なプレッシングからのショートカウンターだ。今季の10試合でボール支配率、パス総本数ともに相手を上回ったのは3試合(仙台、いわき、秋田戦)のみで、その3試合の成績は1勝1分1敗。その一方で、今季3得点を奪って快勝した3試合(水戸、山形、大分戦)のボール支配率は、41%、39%、30%という低さ。固いブロックで相手の攻撃を跳ね返し、ボールを奪ってから素早い攻撃で得点を量産。特に新加入のブラジル人FWエリキのスピードに乗ったドリブルと裏への抜け出し、シュートセンスが大きな武器となっている。今後、他チームからマークされる立場になった中で、どこまで現在の戦い方を維持できるか。意図的にボールを握らされた時、リトリートされた守備をどうやって崩すか。デザインされたセットプレー以外にも、チームとしての引き出しの多さが問われることになる。 その町田と同じ「堅守速攻」の戦い方で結果を出しているのが、今季がJ2昇格3シーズン目となる秋田だ。過去2シーズンは13位、12位という成績だったが、現在10試合を終えて勝点18(5勝3分2敗、8得点5失点)の4位。就任1年目にチームをJ3優勝に導き、これまで数々の「名言」、「語録」を披露しながら縦に速いサッカーを徹底してきた吉田謙監督の下、選手が大幅に入れ替わった中でも、愚直に走り、最後の1秒まで諦めない姿勢を貫き、堂々たる戦いぶりを披露。全試合1点差以内という接戦の中でしぶとさを見せて勝点を掴み取り、町田とともに序盤のサプライズとなっている。 1位の町田、4位の秋田の他にも、戦力補強に成功した昨季11位の長崎が勝点17(5勝2分3敗、13得点8失点)の5位につけ、昨季20位で辛うじてJ2残留を決めた群馬も同じく勝点17(5勝2分3敗、12得点10失点)の6位と期待以上の戦い。さらにJ3から昇格した藤枝も8位(5勝1分4敗、18得点15失点)と健闘するなど、J1初昇格を目指す「新興勢力」が上位につけているのが今季のJ2序盤戦の特徴だと言える。その一方で、J1経験組も今季は期待の持てる戦いを続けており、特に大分はオフに主力流出が目立った中でも攻守に質の高いサッカーを見せ、勝点22(7勝1分2敗、15得点11失点)の2位と好発進。15年連続J2の東京Vも、城福浩監督の下で全員がハードワークする強度の高いサッカーを身に付け、勝点19(6勝1分3敗、15得点5失点)の3位と好位置に付けている。 前評判の低かった、あるいはそれほど高くなかったチームが好発進を決めた反面、清水、磐田のJ1からの降格組の出遅れも序盤戦の大きなトピックだ。磐田は開幕5試合を岡山(●2-3)、山口(△1-1)、山形(○2-1)、大宮(●0-1)、清水(△2-2)で1勝2分2敗。清水にいたっては、開幕7試合を水戸(△0-0)、岡山(△0-0)、長崎(△1-1)、大分(△0-0-)、磐田(△2-2)、群馬(●1-3)、甲府(●0-1)で5分2敗と白星がなかった。 両チームとも徐々に調子を上げ、磐田は10試合で勝点13(3勝4分3敗、17得点13失点)の10位、清水は勝点12(2勝6分2敗、13得点9失点)の14位と巻き返してはいるが、J1自動昇格圏までは磐田が勝点9、清水は勝点10の差をつけられている。まだシーズンは32試合を残しているが、「1年でのJ1復帰」を至上命令とするチームにとっては、できるだけ早い段階で上位との差を詰めておきたいところだ。 下位チームの中で、まだ浮上のキッカケを掴めていないのが、2014年と2021年にJ1経験のある徳島だ。昨季も中盤以降に調子を上げて8位でフィニッシュしたが、今季はクラブワーストを更新する開幕10戦未勝利という泥沼にハマって、現時点で勝点5(5分5敗、6得点16失点)。ダニエル・ポヤトス監督をG大阪に奪われた後、久保建英が在籍するスペイン1部レアル・ソシエダで分析担当の責任者だったベニャート・ラバイン氏を新監督に据え、名古屋から元日本代表の柿谷曜一朗を12シーズンぶりに復帰させるなど戦力補強も積極的に行ったが、結果が出ていない。特に得点力不足が深刻。トップチームでの監督経験がない35歳の青年指揮官の立場が、早くも危うくなっている。 さらにもう1チーム、非常に気になるのが千葉だ。J発足時の「オリジナル10」の一員であり、これまで数々の名選手たちがプレーしてきた歴史と実績のあるクラブ。2009年にJ1最下位となってクラブ初のJ2降格となって以降、J2暮らしが続いて今季が14シーズン目となった今季、開幕戦で長崎に勝利(○1-0)するも、第2節から山形(●1-3)、群馬(△2-2)、秋田(●0-1)、大分(●1-2)、岡山(△1-1)、金沢(●0-2)、徳島(△2-2)、藤枝(●1-3)と8試合白星なし。ようやく第10節の東京Vで勝利(○1-0)したが、まだ勝点9(2勝3分5敗、10得点16失点)の20位。上よりも下(21位、22位がJ3に自動降格)が気になる順位にいる。 これまで千葉といえば、「J2降格後に一度もJ1復帰を果たせていないオリジナル10」だったが、このまま低迷が続けば非常に危険。J1からJ3まで転落したことのあるクラブには、大分、松本山雅があるが、千葉の場合は「初めてJ3に降格したオリジナル10」という汚名を着せられることになる。田口泰士、呉屋大翔、鈴木大輔、新井一耀といった実績組に、2021年にリーグ戦14得点を挙げた見木友哉、若手にも期待の19歳SB西久保駿介、さらに20歳のFWブワニカ啓太と戦力は揃う。今季からチームを指揮する小林慶行監督は、東京V戦後に「勝つことがすべてだったので、そういう意味ではとても大きなゲームになりました」と話した。その言葉通り、勝利こそが最良の薬として、「オリジナル10」のプライドを見せられるか。 一部のファンが「順位表を逆にしても違和感ない」と言うほど“予想外”の展開となっているJ2序盤戦。過去には本命チームが前評判通りに開幕から独走するシーズンも多かったが、今季は違う。今後、好スタートを切ったチームの息切れ、地力のあるチームの追い上げが予想され、頭に「超」と「大」が付くほどの混戦になる予感もタップリ。今季のJ2は、例年にも増して「何が起こるかわからない」シーズンになりそうだ。(文・三和直樹)
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紀子さま 戴冠式での着物姿、なぜ「たるみ」と「よれ」が気になったのか
英ロンドンのウェストミンスター寺院で執り行われた、チャールズ国王の戴冠式。長引くインフレや失業率の高さなどに配慮して、これまでより簡略化された式典となった。参列者のドレスコードも緩やかになり、各国の王妃や皇太子妃らがひざ丈のドレスなどで臨むなか、松竹梅の柄の着物をお召しになって参列した秋篠宮家の紀子さま。和装を世界にアピールする場にもなったが、親子2代にわたって皇室に着物を納めてきた関係者はため息をつく。 * * * 1億ポンド(約170億円)規模と報道されたチャールズ新国王の戴冠式。これまでより参列者の数も絞られ、かつてのような豪華な夕食会も開かれなかった。 参列者のドレスコードも緩やかになった。 2013年のオランダ国王の即位式では、東宮であった天皇陛下と雅子さまが参列した。雅子さまは、日中の正装であるローブモンタント(長袖ロングドレス)をお召しだった。 一方、チャールズ新国王の戴冠式では、ひざ丈のドレスやナショナルドレス(民族衣装)の装いで出席した各国のロイヤルメンバーもすくなくなかった。 宮内庁関係者がこう明かす。 「英国側からドレスコードについて何度か連絡があり、その度に基準が緩やかになったと聞いています。最後は、ナショナルドレスでも構わないということになり、紀子さまも着物を選ばれたそうです」 ■「一体どうされた?」 戴冠式が執り行われるウェストミンスター寺院に向かう秋篠宮ご夫妻。にこやかに微笑むおふたりの写真は、世界に配信された。 モーニング姿の秋篠宮さまの隣で歩を進める紀子さまが選んだ着物は、吉祥文様である松竹梅や小花や波柄、そして金彩がほどこされた淡い色の訪問着。七宝文様の袋帯には、慶事に合わせる白金の帯締と帯揚げ、金銀の祝扇をさしている。金色のバッグも明るさを添えている。 紀子さまの帯は、18年にオランダ・ハーグ市を訪問しマルグリート王女と歓談した際や、19年の都内での公務でもお召しであった品だ。新調せずに、馴染んだ和装を選ぶ紀子さまに、不況が続く国内外への配慮がうかがえる。 目を引くのは、背と両袖に秋篠宮家の家紋を入れた、三つ紋の訪問着である点だ。 天皇と皇族方は、それぞれの家紋を持っている。 天皇ご一家である内廷皇族は、十六葉八重表菊(じゅうろくようやえおもてぎく)。他の皇族は、十四葉一重裏菊(じゅうよんようひとえうらぎく)を用いる。 各宮家は、創設にあたり紋章(家紋)をつくる。 皇嗣家である秋篠宮家は、中心に十四弁の菊の花を置き、周りに横向きの菊花と秋篠宮さまのお印である栂(つが)の枝葉を四つずつ円形に連ねた意匠。 ご夫妻で相談しながら選んだという。 紀子さまらしい、華やかながら控えめな和装である。 だが、「染の聚楽」代表の高橋泰三さんは、ため息をつきながら戴冠式の様子を見ていた。今回の着物は、泰三さんが納めたものではないが、「染の聚楽」は、昭和の時代から皇室に着物をつくり納めていたこともある。 「日本の伝統文化を世界にアピールするよい機会ですから、和装をお召しと知り、楽しみにニュースを拝見したのです。お召しの着物は、手の込んだ刺繍はなく、染で細かな意匠を描いた訪問着でした。むしろ色無地の方が帯を引き立たせたかもしれません」 一方で泰三さんは、紀子さまの映像や写真を目にして驚いたという。 「着物業界の人間も同じ思いを抱いたようで、私のもとに何件も『紀子さまのお着物は、一体どうされたのか』と問い合わせがありました」 ■着物を着こなす紀子さま 具体的に、どのあたりに違和感を持ったのか。 「真っ先に目についたのは、紀子さまの着物のたるみとよれ具合です。日本の新聞やテレビでよく使用された写真を見ると、歩く紀子さまの裾が妙にたるんで、よれています。裾も大きく崩れ、後ろがめくれています。和装の顔ともいえる袋帯も内側の袋の部分がぐんにゃりと生地がヘタっているようにも見えます」 紀子さまは、普段からよく着物をお召しで和装には慣れている。今回のように、歩くだけで足元が大きく乱れることはない、と泰三さんは首をひねる。 「質の良い正絹は、幾重にも絹糸を重ねて密度が濃く織り上げられます。そのため昔は、目方つまり重量で正絹の価値を測っていました。良い正絹は生地自体の重みがあるため、身体にきれいに沿う。逆に、正絹の織の密度が粗い場合は、ペラペラと薄い着物になります。生地も軽いため、歩いていても着物の裾にたるみやよれが出たり、めくれやすくなったりします。紀子さまの着物にこれほどたるみとよれが出てしまったのは、薄い生地であったためかもしれませんね」 天皇や皇族方は、国内外の要人の接遇を行い、厳粛な式典にも出席する。装いは、接遇の相手やそこに集まる人々に敬意を示す手段でもある。 装いが注目される皇后や女性皇族は、360度どの角度から写真や映像を撮影されても困らないような、気遣いと立ち居振る舞いを常に求められる。 和装では着くずれやしわを防ぐため、公務の際に車で移動するときもシートに背中をもたれないよう配慮している。さらにシルエットを整えるために帯板を何枚か重ねるなど、工夫を重ねるケースもあるという。 「紀子さまは、普段の公務では美しく着物を着こなす方です。それなのに、たくさんの『しわ』が寄ったような和装の写真が世界中で用いられてしまったのは、残念です。ともあれ、戴冠式は各国の王族が集まり、世界中に映像や写真が配信される場です。日本の伝統文化と技術をアピールできる和装を選んでいただいたのは嬉しいことです」 天皇の名代として、戴冠式への参列と国際親善の役目をとどこおりなく果たした秋篠宮ご夫妻。 皇嗣家として重責を担うご一家には、ますますの活躍が求められそうだ。 (AERA dot.編集部・永井貴子)
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小島よしおが「なんで本を読まないといけないの?」と聞く中1女子に伝えたい、意外な“理由”とは
「なんで本を読まないといけないのか」という相談を送ってくれたのは、中学1年生の女の子。数多くの子ども向けライブを開催し、YouTubeチャンネル「おっぱっぴー小学校」も人気の小島よしおさんが子どもの悩みや疑問に答えるAERA dot.の本連載。月に5~8冊読んでいるという小島さんが考える、本の魅力とは? 読書の時間が楽しくなるヒントも聞きました。 * * * 【相談40】なんで本を読まないといけないのか。学校でも「読書の時間」というものがあり、日本語と英語の本を読むように言われている。いまではほとんどの人がスマホを持っているのに、わざわざ本を買わなければいけない理由を知りたいです。(ぷりん・中学1年生・女子) 【よしおの答え】 ぷりんピーヤ、いろんな情報の受け取り方がある時代に、疑問を持てるってすばらしい!ぷりんちゃんが言うように、いまはスマホがあればすぐにいろんな情報にたどり着くことができる。ネット検索すれば知りたいことの答えはだいたい出ているし、もっと詳しく知りたかったら誰かが動画で解説してくれているし、もちろん電子書籍もあるからね。 だけどいまでも多くの学校が読書を推奨していると思うし、学校には図書館が必ずあるよね。よしおが小学生のころから「本を読もう」とは言われていたし、誰の言葉かわからないけど「本は心の栄養」って言ったりもする。簡単に情報を得られる世の中で、どうしていまだに読書がすすめられるのか、よしおと一緒に考えてみよう! まずはよしおの“読書体験”から話してみようかな。よしおは“読書家”って大きな声で言えるほどじゃないけど、本を読むことが好き。だいたい月に5~8冊は読んでいるかなあ。本を読むと新しいことを知ることができるのはもちろんだけど、“本を読んでいる俺、なんかかっこいいなあ!”って思うんだ(笑)。 よしおの後輩も、「明治神宮外苑のイチョウ並木(道沿いにイチョウの木がたくさん並んだ東京の名所だよ!)のベンチで村上春樹を読む自分に酔いしれていた」って言っていた。よしおも、大学時代は古めの喫茶店に入って芥川龍之介とか夏目漱石とかを読んで自分に酔っていたよ(笑)。「そんな目的で本読むの?」と思うかもしれないけど、これがけっこう充実した時間なんだ。 ■目で追いかけてページをめくる本の魅力 じゃあなんで本を読むとそんなに充実感があるのか、考えてみた。まずは、紙の本と電子書籍の違い。電子書籍は、スマホやタブレットが1台あれば何冊も持ち歩くことができるね。家でも、本を置く場所をとらないからスペースに余裕ができる。紙を使わないから環境にもいいかもしれないね。 ただ、スマホやタブレットには誘惑が多い。誰かからメッセージが来たり、SNSをついチェックしてしまったり……。一方本は重くてかさばるけど、文字を追うのに集中できる。誘惑がないからこそ、本の世界に集中できるんだ。 そしてなんといっても、紙の本は1冊読み終えると達成感がある。ランニングをして目的地に着いたようなね。物として実際に目に見えるから、「ああ、俺これだけ読んだんだなあ」って実感できるんだ。電子書籍もいいと思うけど、達成感を得たくて紙の本を読んでいるっていうのもあるかもしれないなあ。 じゃあ次にスマホで得られる情報と本で得られる情報の違いについて考えてみよう。ネットの情報はすぐに何かを知りたいときには調べればすぐに答えが出てくるからすごく便利だね。それに対して、本は読むのに時間がかかるけど、情報がきっちり整理されていてまとまっている。 ネットの情報が全て間違っているわけではないけど、正しいかどうかを見分けるのは至難の業。だけど本はいろんな人の目を通って出版されているから、信頼できると思うんだ。それに、自分の考えを整理したり、知識を深めたりするときに、切り取り記事よりも順序だてて物事を考える手助けになるのが本なのかな、って思う。 自分に蓄積される知識の量も違う気がするんだ。不思議なもので、ネットサーフィンをしていると情報がどんどん流れていってしまう感じがするんだよね。反対に本は、自分の目で追いかけて自分の手でページをめくるっていう能動的な行為だから、情報を自分で手にしている感じがする。そうすると、自分のなかでもどんどん知識が重なっていくのを感じるんだ。 本を手にする過程も、よしおにとっては大切な時間。ネットですぐに本を買うことはできるけど、よしおは本屋さんや図書館に行くのをおすすめしたい。自分が欲しい本以外にも、いろんな情報が一気に目に飛び込んでくる環境だから、とても刺激があるんだ。自分では気づいていなかったけど実は興味を持っていたことが目に入ってきたり、自分には興味がないことでも周りの人が興味を持っていることが何かわかったりする。それを体験するのが楽しいんだ。 ネットで本を買うのと比べて、入ってくる情報量が全然違うんだよね。寄り道ができるっていうか、余白を感じるというか。それを感じたくて、本が欲しいときにはなるべく本屋さんに行くようにしているよ。 ■本は読み切らなくてもOK! ここまで一方的によしおが思う本のすばらしさを伝えてみたけど、何かピンときたかな? 自分で実感しないとわからないことだから難しいかなあ。ところで、ぷりんちゃんの学校の「読書の時間」は決められた本を読むのかな。それとも読む本の内容は自由で、日本語の本と英語の本を自分で探してきて読むのかな。 もし自分で本を選べるなら、とにかくいろんなジャンルの本を手にとってみたらどうだろう。学生のころって、「本は最初から最後まで1冊読み切らないとだめ」って思い込みがあるかもしれないけど、もし読んでいる本が「ちょっと読むの苦しいな」って思ったらどんどん違う本に切り替えてOK! よしおも、同じ内容の本でも読む時期によって、読みやすいときとそうでないときがあるんだよね。その情報を欲しているときにスラスラ読めるのかも。喉が渇いているときっていっぱい水飲めるよね? そんな感覚に近いかな(笑)。 本って小説もあれば知識を得る教養系の本もあるし、いろんな人の経験や考えが書かれたエッセーとかコラムもある。本っていろんなジャンルがあるから、絶対に好きなものがある気がするんだよなあ。もし許されるなら「読書の時間」に複数冊机に置いて、いろんな本をかじり読みするといいかも。「これなら読める!」という本に出合えたら、そこから本を読む面白さや知ることの面白さを知ることができるかもしれないね。 決められた本を読まなきゃいけないなら、それをゲームにしちゃうっていう手もあるかな。例えば、決められた時間に何ページ読めるか毎回ページ数を数えてみるとか、クラスの子と読んだ本の内容のクイズを出し合うとか。「このとき、主人公は何色の服を着ていたでしょう?」とかね。 そもそも本が苦手なようだったら、漫画や映像から入るのもありだと思うよ。よしおは湊かなえさんの『Nのために』っていう本はドラマが面白くて、もっと内容を知りたいと思って小説を買って読んだんだ。より作品を楽しめるし、ドラマで描かれていないストーリーも知ることができたよ。 だけど、必ずしも本を買わなきゃいけないってことはないし、読まなきゃいけないってこともないと思う。本を読まなくてもいいと思う人がいるのは別に悪いことじゃないからね。それに、「~しなきゃいけない」って義務のように感じて苦しいよね。 でも、学校で決められた課題をそう簡単に覆すことはできないから、せっかく設けられた時間なら「こうしたら楽しいかな」って考えられたらいいな、ってよしおは思う。それに、よしおは本のおかげで充実した時間を過ごせているから、少しでもその良さがぷりんちゃんにも届くといいなあ、と思う。本の楽しみ方って実はいろいろあるからね。ぷりんちゃんが相談を送ってくれたことをきっかけに、何かが少しでも変わったらうれしいな! ……って、僕は思うんだけど、君はどう思うかな? (構成/濱田ももこ) ●小島よしお(こじま・よしお)/1980年、沖縄生まれ千葉育ちのお笑い芸人。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業。「そんなの関係ねぇ!」でブレーク。2020年4月からYouTubeチャンネル「小島よしおのおっぱっぴー小学校」で子どもの学習を支援する動画を公開。キッズコーディネーショントレーナーの資格を持ち、子ども向けのイベントを多数開催している。 【質問募集中!】小島よしおさんに答えてほしい悩みや疑問を募集しています。お気軽にお寄せください!https://dot.asahi.com/info/2021100800087.html
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吉永小百合「週刊朝日」の休刊に寂しさ 「トップが悪いんじゃないですか」
101年間、時代とともに歩んできた「週刊朝日」は今号をもって休刊します。休刊にあたって女優・吉永小百合さんからメッセージをいただきました。読者の皆さんと重ねた年月は宝物です。またいつか、どこかでお会いしましょう。 * * * 私が初めて「週刊朝日」さんから取材を受けたのは、1965年です。コラムニストの荒垣秀雄さんとの対談でした。 政治経済の記事も入っている堅くてまじめな雑誌です。それに、荒垣さんは「天声人語」を長い間書かれた方とお聞きして、私なんて届くことのない世界の方ですから、そうとう緊張してお答えしたと思います。 でも堅い記事ばかりではなく、おもしろい連載もたくさんあるんですよね。特に「似顔絵塾」には強い印象が残っています。人を描く素晴らしさを感じました。 私は「夢千代日記」(第1部放送は81年)で胎内被爆者を演じてから、非戦・反核について、言うべきことはきちっと言わないといけないという思いが強くなりました。 芸能人が社会的な問題についてしゃべる機会や場というのは、なかなかありません。そんな中、「週刊朝日」さんは私の考えを紹介してくださいました。近年は、先に亡くなられた坂本龍一さんがオピニオンリーダーとして、お考えをきちんと言っていらして。私も一緒に活動をさせていただき、見習いたいと思っていましたし、これからもと思っているんですね。 日本だけでなく地球全体がめちゃくちゃな方向に進んでいる。そういう時代になってきたと思います。だからこそ、きちっと正面から題材に取り組んで書く雑誌には、頑張ってほしいと思っていました。 そんなときに休刊の発表です。発言の場がなくなっていく寂しさを感じます。トップが悪いんじゃないですか。100年も続いた大事な雑誌をやめるなんて。 映画の世界もフィルムからデジタルに変わって、私は今でもまだ慣れたとはいえません。加えてネット配信も普及してきました。映画を映画館で観ることで、感じるものもあると思うんですけど。 情報も、本や雑誌を買いに行かなくても、自分のもとに勝手にネットに乗ってくるようになりました。これを読もうと思わなくても、自分で考えて選ばなくても、勝手に情報がやってくる。自分でその場所に行き、目で見ることで感じたり、出会った人と言葉を交わすといった世界が、どんどん遠のいていってしまう危機感があります。 ですから私は昨年2月の「週刊朝日」創刊100周年記念号で、「200年を目指して、ぜひぜひ頑張ってください」とエールを送ったんですよ。そう言ったのに、という思いでいっぱいです。 (取材・構成/本誌・菊地武顕) ※週刊朝日 2023年6月9日号
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市川猿之助にずっと気を使っていた「香川照之」との関係性 行きつけの居酒屋で見せていた“本当の仲”
警視庁は24日、歌舞伎俳優の市川猿之助(47)を都内の施設に呼び、事情聴取を行った。両親が向精神薬中毒の疑いで死亡した経緯について詳しく話を聞いたとみられる。悲惨な「一家心中騒動」にはいまだ多くの謎が残るが、改めて猿之助の交友関係を取材すると、意外な人間模様が浮かび上がってきた。特に従兄弟で同じ歌舞伎役者でもある「香川照之」との微妙な関係が見え隠れする。 * * * 猿之助は都内のある居酒屋を行きつけの店にしていた。そこでは、彼の華麗な人脈がみてとれる。猿之助の知人が言う。 「その店は、もともと20年くらい前からリリー・フランキーさんが1人で飲んでいて、彼が“隠れ家”にしている飲み屋だったんです。そのうち、リリーさんが福山雅治さん、大泉洋さんらを呼んで、みんなでワイワイと飲むようになった。猿之助さんは福山さんが連れてきたと記憶しています」 猿之助は日本酒をキープしていて、それをおちょこで飲んでいたという。 「猿之助さんは学生時代からの福山雅治さんのファンで、福山さんがDJを務めるラジオ番組を聞いて、何通も手紙を書き送っていたそうです。その後、テレビドラマでも共演するようになり、公私ともに仲良くなったようですね」(同) 猿之助が俳優の香川照之(57)を居酒屋に呼ぶことも、しばしばだった。 「猿之助さんが先に店にいて、香川さんに電話をかけ、『今日はみんないるけどどう?』と言って、香川さんが遅れてやって来るのを見かけましたね。猿之助さんは一人でしゃべりまくって、いつも座の盛り上げ役。香川さんとも仲良く飲んでいましたよ」 同じ澤瀉屋(おもだかや)で市川中車を襲名した香川と、その従兄弟にあたる四代目猿之助は、私生活でも関係が深かったようだ。だが、一門でのパワーバランスや歌舞伎役者としてのプライドなども絡み複雑な関係だったとも言われ、「女性セブン」(23年6月8日号)は2人の間に長年の確執があったと報じている。 歌舞伎に詳しい著述家の米原範彦氏は2人の関係をこう語る。 「香川はずっと歌舞伎界を離れていたので、歌舞伎の世界に戻っても四代目の猿之助を立てるような立場になっていました」 それを象徴する出来事があった。 俳優としての香川は2013年に始まったドラマ「半沢直樹」シリーズ(TBS系)で、堺雅人演じる主人公の宿敵を怪演して大ブレークした。ある新聞社が正月特集で「半沢直樹」でブレークした香川を大きく扱おうとしたところ、突如、キャンセルになったという。 「澤瀉屋のリーダーの猿之助をさしおいて、新聞の正月版に大々的に載ることはできないと判断されたようです。香川は何かと、猿之助に気を使わざるを得ない存在なんだと感じました」(メディア関係者) 香川は、三代目猿之助(現・二代目猿翁)と浜木綿子の息子。本来なら香川が四代目猿之助を名乗っても不思議のない家柄ではあったが、香川が3歳の時、両親が離婚。三代目猿之助は00年に舞踊家の藤間紫と再婚したことで、香川とは長い間、断絶関係が続いた。 「三代目猿之助は浜と香川のことは“過去のこと”として完全に切り捨てた。三代目猿之助は香川に対し、『あなたは息子ではありません。私はあなたの父でもない。今後、2度と会うことはありません』と言ったという有名なエピソードもありました。だが、それでも香川はどうしても歌舞伎の世界に戻りたかった。その結果、香川は夫婦間の軋轢が生じて離婚までしたのですが、そのとき、歌舞伎界に戻れるように熱心にサポートしたのが四代目猿之助だったのです」(米原氏) 昨年夏、香川は銀座のクラブホステスの髪を引っ張るなどのスキャンダルを「デイリー新潮」に報じられ、テレビドラマやCMを次々に降板することとなった。その後、香川は市川中車として歌舞伎から人生の再出発を図ったが、その際にサポートしたのも猿之助だったという。 結局、昨年12月に香川は十三代目市川團十郎白猿襲名披露の舞台に「市川中車」として出演したことで、俳優復帰を果たした。 「市川團十郎の弟子筋が市川猿之助になります。それゆえ、團十郎に引っ張り上げてもらうにしても、猿之助を飛び越えることはできない。香川はいつも猿之助に気を使う立場だったのです。そんな状態のなかで、猿之助が事件を起こし、その代役として香川の長男の團子(だんこ)に光が当たるというのは、おどろおどろしい因果を感じます」(米原氏) 事件が起きた18日は、明治座で「市川猿之助奮闘歌舞伎公演」の真っただ中だった。猿之助は休演し、18日の昼の部はさすがに休演となったが、夜の部は二代目中村錦之助の長男・中村隼人(29)が務めた。翌19日には代役として、昼の部は香川の長男・市川團子(19)が務めた。 團子はわずか1日の稽古で本番に臨んだようだが、堂々たる芝居を披露し、スタンディングオベーションも巻き起こったという。 「團子は判官びいきの日本人の琴線に触れたのかもしれません」(演芸評論家の山本健一氏) 團子、隼人という若手のホープが澤瀉屋のピンチを救った形となった。米原氏はこう語る。 「歌舞伎という芸能にはしたたかさがある。猿之助がいなくても、必ずその代役が現れる。團子はまだそれほど稽古を積んでないと思いますが、驚くべき吸収力です。隼人も脚光を浴びて、きれいな顔をしていることも世に知られました。猿之助も好きだったけど、隼人も團子もいいよねというファンも増えたはずです。歌舞伎ファンではなかった人にも存在が知れ渡り、新しいファン層を広げる結果になったと思います」 歌舞伎界に詳しい早稲田大学の児玉竜一教授は、團子と隼人をこう評価する。 「團子と隼人の2人は見事に代役を演じました。隼人は間違いなく、猿之助が場所と役を与えて、育てた一人と言えるでしょう。猿之助が若手を育てたことが実を結んだことは、悲しい出来事が続いたなかで、ひとつの希望になったとは思います。今月の明治座のピンチを乗り切ったとしても、ずっと安泰ではありません。ここから先は、若手の人たちの自覚と精進次第だと思います」 はたして、澤瀉屋の未来やいかに。 (AERA dot.編集部・上田耕司)
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東大、京大、早慶…30年で激変! 「難関21大学」合格者数ランキング 渋幕、西大和「急成長」のナゼ
「昔は大変だったんだよ……」。若者を諭すときに大人が使う、魔法の言葉。はたして受験の世界は、かつて“大変”だったのか。AERAは今年で創刊35周年。この間に「合格マップ」は、変わった。30年前の1993年と今年で合格者数を比較すると「強い高校」が見えてくる。AERA 2023年6月5日号の特集「変わる大学・高校」から記事を紹介する。 * * * 夢の国ディズニーランドの近くには、受験界の“王国”があった。 県立千葉、県立東葛飾、県立船橋。「千葉御三家」とも呼ばれる同県屈指の公立高校で、東京大を筆頭に難関大学へ多くの合格者を送り出してきた。そんな“公立王国”千葉の勢力図を大きく書き換えたのが、渋谷教育学園幕張だった。 愛称は「渋幕」。私立の中高一貫校である同校は、1983年に開校。東京ディズニーランドと同い年だ。新設校でありながら、いまでは東大に74人が合格。さらに、早稲田大に226人、慶應義塾大に136人が合格している(2023年春)。 学内に入るや2フロアにわたる図書館が目に飛び込んでくる。6万5千冊を超える蔵書のうち、1万冊以上は英語の本が占める。静謐な空間だが、「しゃべらない」などのルールはない。 「本を読む生徒もいれば、プロジェクターを映して議論する生徒もいる。ここでいろんな知を深めてほしいんです」 そう話すのは、同校進路部長の井上一紀教諭だ。今や押しも押されもせぬ進学校だが、開校してしばらくは、東大合格者数は数人ほどだった。それが02年には県内トップの県立千葉と合格者数が逆転。12年に東大合格者数トップ10に入って以来、東大の常連校になった。 大学受験の世界は目まぐるしく変化している。アエラでは、大学通信の協力を得て、難関大学への合格者数を調査。受験人口が多かった1993年と2023年を比較して「30年」の変化を追った。 ■ガリ勉よりも情操教育 東京・京都・大阪などの難関国立大と早稲田・慶應義塾・上智・東京理科・MARCH(明治・青山学院・立教・中央・法政)・関関同立(関西・関西学院・同志社・立命館)など人気21大学への合格者数の上位校をランキングにした。 なお、ここで比較した「合格者数」は、のべ合格者数だ。既卒生を含み、私立大の場合は優秀な生徒が複数の学部や学科に合格する場合がある。また、卒業生数が多ければ合格者数も多く出る可能性がある。それらを踏まえた上で、じっくり読み解いてほしい。 93年春に大学受験をした人は、現在48歳を過ぎた辺り。生まれたときは第2次ベビーブーム下で、各校の卒業生数を見てもわかるとおり、30年前と現在とでは生徒数の差が際立つ。 上位校が入れ替わった東日本に対し、大阪大や関関同立などは公立の強さが見て取れる。 「そんな中で、やはり東大の変化に注目です」 そう指摘するのは、大学通信情報調査部の井沢秀さんだ。今も昔も合格者数では開成がトップに位置するのは変わらないが、ラ・サールや東京学芸大学附属、桐蔭学園、巣鴨、県立千葉がトップ10から姿を消している。井沢さんは続ける。 「ラ・サールや巣鴨は医学部志向が高まり、東大へ進む生徒が減ったことが背景にあります」 一方、新たな顔ぶれとして先の渋幕のほか、聖光学院や西大和学園、日比谷などが並ぶ。 「ガリガリ勉強させるより、情操教育に力を入れているところが伸びています」(井沢さん) ■集大成はペットボトル 事実、大躍進を遂げた渋幕の田村聡明校長は、「楽しくなければ学校じゃない」と言い切る。 同校には特進コースのようなクラス編成はなく、東大志望生もそうでない生徒も同じ教室で学ぶ。多様な将来を描くクラスメートと過ごすことで、生徒たちは視野を広げていく。 「だから、自発的に動く生徒が多いんですよ」(田村校長) 推薦入試で東大に進学した生徒は、時間さえあればグラウンドでペットボトルロケットを飛ばしていた。どうすれば遠くまで飛ぶのか試行錯誤を続けた。 「卒業するときには『私の集大成を置いていきます』とボロボロになったペットボトルを置いていきました。見た人は『なんじゃこりゃ』と思うような作品ですけどね」(同) 自主性や柔軟性の高さでは、奈良県の西大和学園も同じ。 同校は1986年開校で渋幕同様に新設校だが、京大や阪大など関西の難関大に多くの生徒を送り出してきた。しかし、近年は京大ではなく、東大へ進む生徒が増えている。 飯田光政校長によれば15年くらい前から東大進学に風向きが変わりはじめたという。そして14年、高2の生徒たち67人が当時学年部長だった飯田校長のもとを訪れ、こう嘆願した。 「東大専用のコースを作ってください」 その言葉を飯田校長は、どう受け止めたのか。 「本腰を入れて勉強しようとしたら、京大向けのものばかりやないかと思ったんでしょうね。ただ、67人も入る部屋がなかったので急きょリフォームして大きな教室を作ったんですよ」 そして16年3月、史上最多の29人が東大に現役合格した。 「かっこいい生徒たちでした。ドラマみたいでしょう」 飯田校長は誇らしげに、そう語った。 (編集部・福井しほ) ※AERA 2023年6月5日号より抜粋
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「さすが」の雅子さま 令和初の園遊会でマナーのプロが感嘆した別格のコミュニケーション力
5月11日、東京・元赤坂の赤坂御苑で天皇、皇后両陛下主催の「春の園遊会」が開かれた。園遊会が開かれるのは2018年秋以来およそ4年半ぶり、令和になってからは初。車いすテニスの第一人者で国民栄誉賞を受賞した国枝慎吾さんや、ノーベル化学賞を受賞した吉野彰さん、歌舞伎俳優の片岡仁左衛門さん、東京五輪卓球金メダリストの伊藤美誠選手ら各界の功労者1000人余りが出席した。あいにくの雨の中だったが、天皇、皇后両陛下は大幅に時間を超えて懇談された。そんな中で、マナーの専門家は雅子さまのとっさのひとことに感嘆したという。 * * * 令和初ということもあり、注目を集めていた園遊会であったが、あいにくの雨となってしまった。 「例年なら14時10分ごろには両陛下はじめ皇族方々が中池の丘の上にお出ましになりますが、時間になってもなかなか出てこられなかった。次第に雨が強くなったのに、14時21分、雨が一旦ぴたりと止みました。それからしばらくして14時27分ごろ、普段より15分程遅れての両陛下のお出ましになりました」(皇室記者) 天皇陛下、雅子さまに続き秋篠宮ご夫妻と初めて参加される秋篠宮の次女・佳子さまと皇族の方々が順に出てこられ、丘の上に横一列に並ばれた。雅子さまは、落ち着いた水色にアヤメかショウブと思われる文様がほどこされた着物をお召しになっていた。大手企業のマナーコンサルティングやNHK大河ドラマ、映画などのマナー指導も務めるマナーコンサルタントの西出ひろ子さんは、園遊会での雅子さまの着物の色味に着目する。 「女性皇族のほとんどがイエロー系の暖色の着物をお召しになっていた中、雅子さまは寒色の薄いブルー系でいらっしゃいました。落ち着きのある品格がにじみ出て、まさに皇后さまらしいともいえる本当に素敵な色合いでした。いままで以上にといいますか、ますます皇后さまらしさに磨きがかかっていらっしゃると感じました」(西出氏) 令和初の園遊会での雅子さまでマナーの専門家が「さすが」と感嘆したのはコミュニケーション能力の高さだという。まずは、その表情。 「ここ最近、お出ましになるとき雅子さまの表情はとてもにこやかでいらっしゃいます。今回も園遊会に招待された方々との会話を心から楽しまれ、ほほ笑まれている表情が瞳の輝きから伝わってきました。マスクで顔の半分が隠れているにもかかわらず、お優しい表情が見て取れました」(西出氏) そんな表情とともに雅子さまのコミュニケーション能力の高さを感じたのは、片岡仁左衛門さんとの会話の瞬間だという。 「雅子さまが『後進の育成は』という質問を発したときに、土砂降りになってきた雨音のせいかマスク越しの会話のためか片岡仁左衛門さんが聞き取れなかったようでした。とっさに、雅子さまは『若い方の~』と言い換えられました。この言い換えには、さすがでいらっしゃると感嘆しました。現在、私は新入社員に対してビジネスマナーの講習をしている時期でもありますが、そういった研修で伝えているのは、相手が分かりやすい言葉に言い換えること。雅子さまが、状況に応じて『後進の育成』を瞬時に『若い方の~』と言い換えられたのは、雅子さまが相手の様子をしっかり受け止め、臨機応変に振る舞われることができるコミュニケーション力、マナー力、人間力が備わっていらっしゃると感じた瞬間でした。雅子さまならば、それくらいのことはできて当たり前だと思われるかもしれませんが、とっさのひとことは、なかなか簡単に対応できるものではありません。1000人以上もの招待客に対して、セリフがきちんと書かれた台本があるわけではないと思いますので、本当に素晴らしいなと感じました」(西出氏) 雅子さまのコミュニケーション能力が発揮される理由を西出氏は指摘する。 「園遊会は、明治13年に国際親善のために外国の方々を招いたことから始まった秋の観菊会が前身です。現在、招待客は国内の方々が主ですが、雅子さまはご結婚前は外交官でいらしたので、園遊会はまさに雅子さまがご活躍される場所のおひとつであることを今回のお姿を拝見して改めて思いました。自然に色々な話題を振り、会話をつないでいき、気さくな雰囲気の中にも堂々とされていて、世界のどこにお出ましになっても素晴らしい、本当に私たちが誇れる皇后さまだと思いましたね」(西出氏) 招待客との会話が途切れなかったためか、例年よりも時間が大幅に超えた園遊会となった。お付きの人から時間を告げるお声がけもあったそうだが、丁寧に会話を続けられたという。 「雅子さまは、卓球の伊藤美誠選手とお母さまが作られたおにぎりの話をなさっていらっしゃいましたが、そのあと、伊藤選手の前に既に話を終えている高木美帆選手にもお話を振られ一緒に会話をなさいました。一度、目の前を通り過ぎた人との会話は終わりではなく、共通の話題であれば『一緒にお話しいたしましょう』という思いやりの場をその場で作られました。コミュニケーションをみんなで取りましょうという心配りと優しさ、その思いやりに強く感動いたしました。一般的にもたくさんの方が集まる会合などでは特にですが、誰とも会話せずにポツンと立っている瞬間は寂しいものですよね。私の職業柄からそういう視点から拝見していましたが、雅子さまのコミュニケーション能力、思いやりの真心からのマナーは本当に素晴らしかったです」(西出氏) 今回の園遊会の時間が大幅に超えたのも、さすが雅子さまと思える瞬間がたくさん詰まっていたからかもしれない。(AERAdot. 編集部・太田裕子) ◯西出ひろ子/マナーコンサルタント、マナー評論家、マナー解説者。大学卒業後、参議院議員秘書職を経て、マナー講師として独立。31歳で渡英。オックスフォード大学大学院遺伝子学研究者(当時)と英国にて起業。帰国後、企業のコンサルティングをはじめ、大河ドラマや映画、CMなどのマナー指導など多方面で活躍中。
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MARCH合格者数の上位校「大宮開成」「山手学院」 30年間で「伸びた学校」に変えた改革の“中身”
この30年間でMARCH(明治・青山学院・立教・中央・法政)への大学合格者数を伸ばしている高校がある。どんな教育方針なのだろうか。埼玉の大宮開成と横浜市の山手学院を取材した。AERA 2023年6月5日号の記事を紹介する。 * * * 駿台予備学校によると、5月の「駿台全国模試(ハイレベル)」では理系3教科型の受験者数がこの30年間で約2万人から約2万7千人に増加。それに対し、文系3教科型は約2万3千人から約1万1千人に減少した。まさに文理逆転の構図である。 駿台入試情報室部長の城田高士さんは、この30年間で「伸びている学校」の共通点を指摘する。 「やらされるのではなく、自分から進んで学ぶ自主性のある生徒さんが多い印象です。『入試ってイヤだよね』ではなく、『入試があるから頑張れる』というロジックを持っている生徒さんが多いように思います」 生徒の自主性を育てるには、周りの教職員がどうサポートするのかも重要だ。埼玉の大宮開成もこの30年で実績を伸ばし、立教、中央、法政の3大学で1位に。今やMARCHの合格者数トップを誇る進学校になった。 同校は1959年に女子校として設立。大学進学を希望する生徒はほとんどいなかったが、96年に打ち出した「学校大改革」で大きく変わる。渡邉涼也進路指導部長は言う。 「進学にも力を入れようと、97年から共学化。特進コースを設置しました。ただ、大学受験のノウハウはなく、ほとんどゼロからのスタートでした。若手教員は予備校講師の授業を見学して、受験指導というものを学びながらやっていました」 他校の受験生に追いつくために、学びの環境を整えた。すると、初年度から早慶に受かった生徒が1人。結果が出た。 ■人の発想力は2のn乗 現在、予備校講師による授業はなくなった。年月が経つにつれ教師の授業も洗練されていったからだという。 「受験戦略も担任が主軸となって組み立てるので、進路指導部長の私は資料を渡すだけ。もともと進学校ではなかったこともあり、先生が自由にやれる余白があるのも大きいです」 渡邉さんはそう言い、今では「教員全員が進路指導部のよう」と、自信にあふれる。 横浜市の丘陵地にある山手学院も、青山学院や明治、立教への合格者数をぐんと伸ばしている。創立当初からグローバル教育に力を入れ、近年は国公立への進学者数も増えた。 「リーダーとして活躍する人になるには、いろんな発想をしていかなければいけない。持論ですが、人の発想力は2のn乗に比例するという感覚があります。そのnは知識の量なんです」 そう説明するのは、時乗洋昭校長だ。nの幅を広くするために、文系や理系、ひいては芸術まで学べる環境のほうがいいと考えたという。授業のほかにも、土曜講座として韓国語やタイ料理を学ぶ時間もある。保護者が参加できるものもあり、親と子ども、学校とがコミュニケーションをとる場にもなっている。 「生徒の自発性を重視するのは、大学受験でも同じです」 時乗校長がそう話すように、生徒が行きたいところを自発的に目指せる環境が、実績へとつながった。このnの考え方と受け止め方こそ、30年間での成長力につながっているに違いない。(編集部・福井しほ) ※AERA 2023年6月5日号より抜粋
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旧統一協会と関係深めた安倍元首相 背景に「虚偽答弁」の成功体験か
2022年7月8日、安倍晋三元首相が参議院選挙の応援演説中に銃弾にたおれて、1年近くが経った。だが、安倍氏が残した強権的な政治手法の影響は今も残る。第二次安倍政権の発足以降、菅政権、そして岸田政権へと継承された約10年で、日本の政治はとかく「単純化」が進んだ。朝日新書『「単純化」という病 安倍政治が日本に残したもの』では、問題の本質を見ず、空回りを続ける日本の病を“物言う弁護士”郷原信郎氏が指摘している。安倍氏が亡くなった後も色濃く残る「政治の病」とは何か。その背景を同著から一部を抜粋、再編集し、紹介する。 * * * ■安倍氏銃撃事件と統一教会問題 安倍氏の首相在任期間の最後の頃に表面化し、野党・マスコミの追及を受けた桜を見る会問題は、安倍支持者からは、「モリ・カケ・サクラ」と一括りにして、些末な問題であるように扱われた。内閣総理大臣の国会での「虚偽答弁」は、議院内閣制の下で、国会の信認を前提に成立している内閣にとって致命的で、まさに、第二次安倍政権の評価そのものに関わる問題だった。 安倍氏は、当初から虚偽であることが明らかだと思える説明、虚偽答弁を繰り返し、2020年8月末に首相を辞任した後、検察捜査で明らかになった事実から、首相として国会で118回もウソの答弁をしていたことが否定できなくなり、答弁の訂正に追い込まれる事態となった。 そして、2020年12月25日の衆参両院の議院運営委員会が、答弁訂正の説明の場として設定されたものの、そこでも、国会での虚偽答弁の際の認識などについて明らかにウソの説明をした。安倍氏の国会での最後の発言となったのは、虚偽答弁についての「ウソの説明」だった。 それにもかかわらず、その重大性が認識されることはなく、この問題は収束し、少なくとも、元首相としての安倍氏の政治的地位に影響することは殆(ほとん)どなかった。安倍氏は、自民党内の最大派閥「安倍派」の会長となり、自民党内において強大な政治権力を保持し続けた。 そして、2022年7月8日、安倍氏は、奈良市内で参議院選挙の応援演説中に、旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)に恨みを持つ山上徹也に、自作銃で銃撃されて亡くなった。 母親が旧統一教会にのめりこんで、1億円を超える高額献金を行って破産、家庭が崩壊したことで、旧統一教会に対して恨みを持つ山上容疑者の攻撃の矛先が、教団と関係が深い安倍氏に向かったとされている。 統一教会問題を長年取材してきた鈴木エイト氏は、著書『自民党の統一教会汚染 追跡3000日』で、安倍晋三氏は、「1968年に同教団系の政治組織・国際勝共連合の創設の後ろ盾となって以降、教団と友好関係にあった祖父の岸信介元首相や、教会員を自民党国会議員の秘書として紹介し各議員を教団のセミナーへ勧誘していたとされる父親の安倍晋太郎元外相とは異なり」、少なくとも、小泉政権で官房長官を務めていた2006年頃までは、「統一教会と一定の距離を置いていた形跡がある」としている。 その根拠に、2006年5月、統一教会のフロント組織である天宙平和連合(UPF)が福岡で開催したイベント「祖国郷土還元日本大会」に、当時官房長官だった安倍氏らが祝電を贈ったことが発覚した際に、それ以前から継続して統一教会や勝共連合の批判を続ける有田芳生(よしふ)参議院議員(当時)のブログで、安倍氏自身の“判断”による祝電ではないとの見解を示していること、当時の報道を見ても「私人の立場で地元事務所から『官房長官』の肩書で祝電を送ったとの報告を受けている。誤解を招きかねない対応であるので、担当者によく注意した」との安倍氏のコメントが各メディアで報じられていたことを挙げている(18~20頁)。 その安倍氏は、民主党への政権交代で自民党が野党に転落した頃から、統一教会との関係を深め、組織票支援を依頼するまでに変節したとされている。 ■安倍氏のビデオメッセージ 2021年9月12日、ソウル近郊の教団施設で、旧統一教会のフロント団体・UPFが主催し「150か国の国家首脳、国会議員、宗教指導者が集う」とされた「神統一韓国のためのTHINK TANK 2022 希望前進大会」なるリモート集会にVIPとして、安倍晋三前内閣総理大臣とドナルド・トランプ前アメリカ大統領がリモート登壇した。 冒頭「日本国、前内閣総理大臣の安倍晋三です」と名乗った後、安倍氏は「UPFの主催の下、より良い世界実現のための対話と諸問題の平和的解決のためにおよそ150か国の国家首脳、国会議員、宗教指導者が集う希望前進大会で、世界平和を共に牽引してきた盟友のトランプ大統領とともに演説の機会をいただいたことを光栄に思います。ここにこのたび出帆した『THINK TANK 2022』の果たす役割は大きなものがあると期待しております。今日に至るまでUPFとともに世界各地の紛争の解決、とりわけ朝鮮半島の平和的統一に向けて努力されてきた韓鶴子(ハンハクチャ)総裁をはじめ皆様に敬意を表します」と韓鶴子総裁を礼賛し、「UPFの平和ビジョンにおいて家庭の価値を強調する点を、高く評価いたします」と述べた(前掲書270~272頁)。 それまで鈴木氏が取材で把握していた「安倍と教団側の“取引”を示す傍証は、安倍サイドからしてみると『教団側が捏造したもの』『教団側がそう言っているだけ』として言い逃れができてしまうものだった。しかし、この映像は安倍が初めて統一教会との関係を公にした瞬間だった」。それだけに「安倍のビデオメッセージによるリモート録画登壇は衝撃的だった」と、鈴木氏も述べている(前掲書、276頁)。 2021年9月17日に、「全国霊感商法対策弁護士連絡会」(以下、「全国弁連」)が、旧統一教会について、 統一教会は、信者の人権を抑圧し、霊感商法による金銭的搾取(さくしゅ)と家庭の破壊等の深刻な被害をもたらしてきた反社会的な団体である。 国会議員や地方議員が統一教会やそのフロント組織の集会・式典などに出席し祝辞を述べ、祝電を打つという行為が目立っている。これらの行為は、統一教会により、自分達の活動が社会的に承認されており、問題のない団体であるという「お墨付き」として利用される。 として、安倍晋三衆議院議員宛てに公開抗議文を送付したが、安倍事務所は、受け取りを拒否していた。 2018年6月1日には、全国弁連所属の弁護士や支援者など約50人が、参議院議員会館会議室で緊急院内集会を開き、『政治家の皆さん、家庭連合(旧統一教会)からの支援を受けないで下さい』と題した声明文も採択されていた。「政治家が家庭連合の式典に出席し、祝辞を述べ、祝電を打つという行為は、家庭連合にお墨付きとして利用され、反社会的な活動を容易にするものであり、政治家が統一教会と連携することがどのような社会的弊害をもたらすか考えるべき」と旧統一教会との関係について、国会議員に注意と再考を促す内容で、各議員会館内の全国会議員に配布された。 このような全国弁連の弁護士らの動きを踏まえれば、安倍氏も、有力国会議員が旧統一教会を支援しているような発言をすることが、旧統一教会にお墨付きを与えることになること、それが霊感商法や高額献金等の被害者などに強い反発を持たれることは認識できたはずだ。 ところが、安倍氏は、旧統一教会の関連団体の国際イベントにリモート登壇し、教団トップの韓鶴子総裁に「敬意を表する」とまで言い切ったのである。 島薗進編『政治と宗教 統一教会問題と危機に直面する公共空間』(岩波新書)の中で、中野昌宏・青山学院大学教授は、 このように手の込んだ祝辞を述べ、イベントに協力しているということは、彼は統一教会の活動を公に是認していると見るほかはない。あまつさえ安倍はこのメッセージの中で、「UPFの平和ビジョンにおいて、家庭の価値を強調する点を、高く評価いたします」と発言した。まさに教団に家庭を破壊された山上容疑者が、このビデオを目にしたのである。彼の起こした行動が肯定できないものだとはいえ、この瞬間の彼の胸中は、想像に難くない。 と述べている。 安倍氏の行動は、あまりにも大胆で無神経な行動だったと言える。それが、銃撃され殺害されるなどという結果を招くことは誰にも予想できなかったとしても、少なくとも、旧統一教会の霊感商法等の反社会的行為の被害者や信者二世に、強い反感と憎悪を持たれることは認識すべきだった。ところが、安倍氏は、敢(あ)えて、UPFのイベントへのリモート登壇を行い、韓鶴子総裁を礼賛したのである。 安倍氏のこのような行動には、第二次安倍政権の間に、森友学園問題、加計学園問題、桜を見る会問題と、安倍氏自身が追及される問題が表面化し、野党・マスコミからの追及が続いたものの、結局、常に「強気」で押し通した結果、実質的に問題なく収束することができたという「成功体験」が影響しているように思える。 結局、「モリ・カケ・サクラ」問題を経て、安倍氏やその周辺に残ったのは、選挙で勝利しさえすれば、どんな問題でも乗り切れる、そして、それが政治的にも有利に働く、という「経験知」だった。 旧統一教会の関連団体のイベントへのリモート登壇を行ったことが、全国弁連や旧統一教会の被害者等から何らかの反発を招いたとしても、桜を見る会問題での「虚偽答弁」問題ですら、さしたる苦労もなく乗り切ったのであるから、それ程大きな問題にはならないと高をくくっていたのかもしれない。 安倍氏が、UPFのイベントにリモート登壇することを教団側に伝えたのは、2021年8月末だったとされている(前掲鈴木、279頁)。その頃は、安倍政権を継承した菅政権の支持率が、コロナ感染対策やコロナ禍での東京五輪開催の是非の問題等で急低下し、自民党総裁の任期切れを9月に、衆議院の任期満了を10月に控え、岸田文雄氏の総裁選への出馬表明もあって、政局が一気に緊迫化していた時期だった。総裁選と衆院選が目前に迫っている時期だっただけに、安倍氏には、それまで以上に旧統一教会との関係を深め、選挙での応援を強力なものにしてもらおうという思惑もあったのかもしれない。 結局、選挙にさえ勝てば、「モリ・カケ・サクラ」を乗り切ってきたやり方で、すべての問題を乗り越えることができるという「過信」が、旧統一教会の関連団体の国際イベントにリモート登壇して、韓鶴子総裁を礼賛するという行為に対する抵抗感を希薄化させていたのではなかろうか。 そのように、安倍元首相ら自民党議員が旧統一教会との関わりを深めることに対して、教団への多額の献金で経済的に困窮し、家庭が崩壊し、人生が破壊された信者、元信者、その家族、信者二世などの「怨念」が高まっていった。安倍氏の行為に対しても強烈な反感・憎悪が生じるのは当然だった。 ●郷原信郎(ごうはら・のぶお)1955年生まれ。弁護士(郷原総合コンプライアンス法律事務所代表)。東京大学理学部卒業後、民間会社を経て、1983年検事任官。東京地検、長崎地検次席検事、法務総合研究所総括研究官等を経て、2006年退官。「法令遵守」からの脱却、「社会的要請への適応」としてのコンプライアンスの視点から、様々な分野の問題に斬り込む。名城大学教授・コンプライアンス研究センター長、総務省顧問・コンプライアンス室長、関西大学特任教授、横浜市コンプライアンス顧問などを歴任。近著に『“歪んだ法"に壊される日本 事件・事故の裏側にある「闇」』(KADOKAWA)がある。
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「クソ素人」で大炎上 なぜ有名ラーメン店と客はもめやすいのか 背景にある「独特の文化」
埼玉県にあるラーメン店の店主が、「不味い」などとSNSで厳しいコメントを投稿した客に対し、「クソ素人」などと応戦し大炎上した。近年、ラーメン店側がSNSで“モノ申す”ケースは多々あるが、迷惑駐車や確信犯的な「大量残し」などの行為を批判するなど、一定の支持がある投稿もあれば、埼玉の店のように店主が激しくたたかれてしまうこともある。なぜ、SNSをめぐるこうした現象が後を絶たないのか。トラブルを防ぐために、店と客に何が求められているのか。 * * * 昔も今も、店独自のルールを設けているラーメン店は少なくない。そこに店主の“こだわり”がにじむのがラーメン店の特徴でもある。ルールといっても、客目線で高圧的と感じられるものから、「おすすめ」や「お願い」に近い内容のものまでさまざまだが、たとえば、 「スープからすすって」 「スープは飲み干して」 などの食べ方に関してのもの。 「食事中のおしゃべり禁止」 「食事中のながらスマホや読書は禁止」 など、客の回転率を上げるためや、並んで待っている人が早く食べられるように配慮を促すものなどがある。 また、熱狂的なファンがいる「ラーメン二郎」や、「二郎系」などと呼ばれる店では、野菜や生ニンニクなどのトッピングを増減できるところが多いが、増減を伝えるときのコール(言葉)の仕方にルールを設けている店がある。たとえば増量の際は「増し」「増し増し」とコールしたりする。 だが、冒頭の埼玉の店は、生ニンニクのトッピングの増減を伝える際、「増し」と「なし」を混同しないように、ニンニクを入れないなら「なし」ではなく「抜き」と言うようにお願いする掲示をしていた。ちなみに、同じ理由で「なし」は控えるように店内に示してある店はほかにもある。 埼玉の店では、客が「なし」と言ってしまったことがトラブルの発端になったようだ。その客が「もう二度と行かない」などとツイートすると、店主が「クソ素人」という言葉を交えて応戦し、店側が炎上した。 ボリュームが多いことで知られる店で、面白いもの見たさだったり、映える写真をとるためにあえて大盛りを注文し、結果としてトラブルになるケースもある。 ある人気店では、量がとても多いので、初めての客は大盛りを頼まないように掲示してあった。ある時、大盛りを頼もうとした客がいて、店側は口頭で控えるように伝えた。それでも大盛りにこだわったため提供したところ、その客は「こんなの食えねー」と笑いながら大量に残して帰っていったようだ。店側はSNSに客に対して厳しい言葉を投稿した。 こうした投稿は店側にも“理”があるので炎上はしにくい。この他、近所迷惑な路上駐車を繰り返している客に対して、店側が厳しくツイートした例などがある。 SNSを活用していない店でも「ルール」を掲げているところはある。 たとえば茨城県北西部の都市にある老舗の人気店。老夫婦が切り盛りしておりSNSとは無縁の、いかにも昭和のラーメン店といった風情で、おかみさんの接客も丁寧だ。だが、店内には「飲食中のスマホ、大声での会話禁止」「飲食しながら新聞を読むのは禁止」「お釣りのないようにお願いします」などと書かれた貼り紙があった。 こうした独自ルールやSNSでの投稿については賛否が分かれる。 食べ方の高圧的なルールについては、「お金を払っているのだから自由に食べさせて欲しい」「逆に食事を楽しめない」という批判的な声。 その一方で、行列への配慮やコールの仕方については、 「並んで待っている人に気を遣えない客がいたら、店が動くのは当然」 「仕事などで臭いがきついニンニクを食べたくない人もいるのだから、ミスを防ぐために『なし』はやめてと求めるのは、むしろミスを防ぐために良いことだと思う」 など肯定的な声もある。 客の迷惑行為に関しては、 「迷惑駐車で困っている人がいるのだから、SNSで注意されて当然」 「平気で食べ物を残すやつが悪い」といった客に対する厳しい指摘が目立つ。 そもそも、なぜラーメン店でこうした事例が目立つのか。 ラーメン評論家でフードジャーナリストの山路力也氏は「昔から、常連客しか来なかったような、いわゆるクローズド(閉鎖的)なコミュニティーとして存在していたラーメン店が数多くありました」としつつ、こう分析する。 「そうした店が、口コミサイトやSNSなどで存在を知られるようになり、常連だけではなく不特定多数の客が訪れるようになりました。そのため、店がそれまで大事にしてきた環境やコミュニティーを守るため、ルールを決めて掲示したり、ルールを守ってくれない客にSNSを通じて苦言を呈したりするようになったのではないでしょうか。昔から、物申す、物申したいという店主はたくさんいたでしょうし、実際に店の中で同様の発言や意見はしていたと思います。今はSNSが発達したため、それが可視化されるようになっただけなのだろうと考えています」 ただ、山路氏は、客商売である以上、SNSでの発言や言葉遣いには、より慎重にならなくてはいけない、とくぎを刺す。 「ファンビジネス的な側面もある業態なので、その発信の仕方ひとつでファンをつかむこともできる一方、逆にファンが減ったり、アンチが増えたりするリスクもあります。具体的な店名は挙げませんが、激しい言葉で客をののしったり、レスに対してケンカ腰で反応している投稿も散見されます。店側は、それで一瞬スッキリするのかも知れませんが、店のイメージやブランディング的にはマイナスでしかありません」 SNSは情報発信をする手段としては便利だが、時には無用のトラブルを生む。店主の投稿が炎上し、第三者に激しく非難されることになれば店にとってはダメージでしかない。そうした事態を避けるために、店と客には何が求められているのか。 「店は商品とサービスを提供し、客はその対価としてお金を支払う。その関係性に上下や貴賎はないと考えています。店も客も、お互いの立場や相手の気持ちをおもんぱかって行動することができれば、大抵のトラブルは回避できるのではないでしょうか」(山路さん) 店側も客も、「こちらが上」という印象を持たれない気遣いをすることが、最も大切なのかもしれない。 (AERA dot.編集部・國府田英之)
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夏に増殖する「トコジラミ」の被害が続出 血を吸われると「赤いぶつぶつ」になり深刻な皮膚トラブルも
最近、トコジラミ(別名・南京虫)に刺されたことによって、肌が赤く腫れあがった写真をSNSに投稿する人が目立っている。血を吸われると強烈なかゆみを引き起こし、家に居ついてしまうと駆除が難しいとされるこの害虫。ついには薬剤に耐性を持つ個体まで確認されているようだが、被害を防ぐにはどうすれば良いのか。虫ケア用品大手のアース製薬に対策を聞いた。 * * * 「トコジラミ捕獲、勘弁して。もうしんどい」 「激かゆ」 「トコジラミが怖すぎて、どうしていいか分からなくなったので誰か助けてください」 ここ最近、SNSでトコジラミによる被害への悲痛な声や、対策方法に関する投稿が相次いでいる。 自治体への相談件数も増加している。たとえば東京都では2005年の相談は26件で08年までは2桁で推移していたが、09年以降は3桁に急増。その後、300件を超す年も出始め、19年には458件にまで増えた。 戦後の日本で徹底的な駆除が行われ、1970年代には「撲滅された」とも言われていたトコジラミだが、インバウンド需要により増えた訪日客が持ち込んでしまったり、日本人が海外旅行先から、手荷物に入るなどしたトコジラミを持ち帰ってしまったことが原因ではないかと指摘されている。 さらに最近では、ピレスロイド系と呼ぶ従来は効き目があった薬剤に耐性を持つ、通称「スーパートコジラミ」の存在が報告されており、駆除がより難しくなっているようだ。 そもそも、トコジラミとはどんな害虫なのか。 アース製薬の担当者によると、トコジラミは「シラミ」ではなく「カメムシ」の仲間だそう。体長は4~5ミリ前後で、幼虫も成虫も人やペットの血を吸って生きる。 まずやっかいなのが、その強烈なかゆみだ。 刺された人の体質により個人差はあるが、「吸血されると赤色っぽい発疹ができて、唾液によるアレルギー反応で激しいかゆみを引き起こす場合があります」(担当者) 主な発生時期は6~9月だが、暖房が効いた日本の家屋では季節を問わず生息することが可能で、冬季の出現例も珍しくないという。 成虫は1日で3~6個のペースで、約3ヵ月産卵し続ける。 「飢餓に強く、3カ月くらいは吸血しなくても生きられます」(担当者)と、生命力、繁殖力からしても手ごわすぎる存在なのだ。 さらにやっかいなのが、トコジラミは「かくれんぼ」が上手だという点。明るい場所が苦手なため、日中はベッドや家具の隙間などの狭い場所に隠れていて、就寝後、部屋が暗くなるとはい出てきて寝ている住人の血を吸う。飛べないため蚊のような飛翔音もなく、目が覚めたらすでに刺されているため、被害に気づくのも難しい。 では、家にトコジラミがいるかどうかをどうやって確認すればいいのか。担当者はこう話す。 「刺された跡やかゆみがあったら、部屋に2ミリくらいの黒褐色の汚れがないか確認してみてください。それはトコジラミのふんで、天井や壁、カーテン、寝具付近で見つかるケースが多いです」 外から持ち込まないための注意も重要だ。担当者は、海外の宿泊先では室内の隙間などをよく確認し、部屋を明るくして荷造りすることをすすめる。帰宅後も、手荷物などをよくチェックすることが大切になる。 早期発見、早期駆除が重要のため、トコジラミの発生が疑われたら市販の有効成分を含んだ駆除剤を活用するとともに、吸血されないように肌に塗る虫よけ剤などを使うのも手だが、前述のように殺虫剤に耐性があるスーパートコジラミもいるため、新しい薬剤を使用したくん煙タイプの駆除剤がおすすめだという。 そして、そもそも繁殖力が極めて強い害虫であることもあり、専門の駆除業者への依頼を推奨する自治体も複数ある。 厄介すぎる“お客さん”が自宅に住み着いていないか。心当たりが少しでもあったら、特に梅雨の時期から夏にかけては念入りにチェックしてみる必要がありそうだ。 (AERA dot.國府田英之)
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ジェーン・スー「目標1万歩ウォーキング 生活を変えると、気になるものも変わってくる」
作詞家、ラジオパーソナリティー、コラムニストとして活躍するジェーン・スーさんによるAERA連載「ジェーン・スーの先日、お目に掛かりまして」をお届けします。 * * * 4月半ばからウォーキングを始めました。これから暑くなるというのに、スタートするタイミングが悪いなあと我ながら思います。 とはいえ、いまや東京で「暑くも寒くもなく花粉も飛んでいない梅雨以外の時期」なんて4月下旬から6月頭までと、10月から頑張って年末くらいまで。夏になると夜もうだるような蒸し暑さです。ラジオで毎日「熱中症に気を付けて!」と言いながら、自分が倒れては元も子もない。よって、いつまで続けられるかは気温次第。 歩き始めて、1万歩ちゃんと歩くことはなかなか大変だとわかりました。ちょこちょこした移動も含めた「1日に1万歩」なら、一駅手前で降りるなどの工夫次第でどうにかなる。しかし「歩くぞ!」と心に決めて、運動としてのウォーキングだけで1万歩を達成するのはなかなかヘビー。先日は、夜に1時間半6キロシャキシャキ歩いてみたけれど、それでも9千歩程度でした。一気に1万歩を目指すのは、週末に1度できたら御の字でしょう。 平日は1日3回程度に分けて歩きます。理想的なのは、自宅からラジオ局、ラジオ局から事務所、事務所から自宅をすべて徒歩にすること。これで1万歩は余裕です。 私は汗かきなので、歩き始めて5分もしないうちに滝のような汗が顔面や背中に滴ってきます。リュックには着替えのTシャツが入っているから大丈夫だけれど、それにしても汗だく。 生活を変えると、気になるものも変わって面白いですね。昔はスポーツ用と銘打った強力な日焼け止めがドラッグストアに必ず置いてあったけれど、いまは街使用向けのものですらSPF50が標準となり、あとは落ちにくさが問われるわけですが、ウォータープルーフ機能を強く謳っているものは意外と少ない。「汗、水に強い」と控えめに書いてあるくらいです。肌に悪そうな印象を持たれたくないからなのかしら。 朝、やや頼りなさを感じる日焼け止めを顔や首、腕に塗りたくり、日傘を右手に、タオルを左手に家を出る毎日。途中、コンビニで水を買い、ごくごくと飲みながら40分。気温25度くらいまでなら、なんとか体力を温存しながら歩けます。ラジオが終わったらまた歩くのだから、私はやはり体力があるほうと言えるでしょう。強い体に産んでくれた親に感謝です。 ○じぇーん・すー◆1973年、東京生まれ。日本人。作詞家、ラジオパーソナリティー、コラムニスト。著書多数。『揉まれて、ゆるんで、癒されて 今夜もカネで解決だ』(朝日文庫)が発売中 ※AERA 2023年6月5日号
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「人生の10年を部活に奪われた」小学校教諭の叫び 部活顧問は「労働問題」、拒否できると指摘
厳しい職場環境から、ブラックな仕事と言われるようになった「教師」という職業。その激務の原因の一つが、部活動の顧問だ。経験がない競技の指導を任され、休日返上で長時間労働を強いられる。しかもそれは本来の仕事ではない――。「顧問は拒否できる」と呼びかけ、引き受けるかどうかを選べる職場をめざして2021年に設立された任意団体「全国部活動問題エンパワメント(PEACH:ピーチ)」。参加する組織は全国に広がり、現在は北海道から九州・沖縄まで24団体を数えるほどになった。部活の指導を学校外に委ねる「地域移行」が進むなか、PEACHの代表で愛知県の小学校教諭、加藤豊裕(あつひろ)さんに、顧問を強いられる教師たちの現状について聞いた。 * * * 過労死ラインを超えた教職員の長時間労働が問題視され、文部科学相が2017年に決定した「学校における働き方改革に関する緊急対策」で、部活動は「学校の業務だが、必ずしも教師が担う必要のない業務」として位置づけられた。 「これを機に、この問題を明るみに出したいと思いました」 加藤さんは部活に苦しめられている教員のための教職員組織として、教職員組合「愛知部活動問題レジスタンス(IRIS:アイリス)」を立ち上げ、21年11月に組合としての登録が認められた。そして翌月にPEACHを結成した。 教職員組合といえば、日本教職員組合(日教組)や全日本教職員組合(全教)などがあるが、なぜ部活動専門の組合を立ち上げたのか? 「この問題をあくまでも『労働問題』として貫き通すためです。どうしても既存の組合だと、最終的に『教育』という話に持っていかざるを得なくなってしまう。『教育問題』というのは子どもが主体ですから、『先生が我慢するしかないよね』という話で終わってしまう。今までずっとそれを繰り返してきた。それに、部活の問題というのは、子どもや保護者、教員、学校、競技団体、大会スポンサー企業と、利害関係が複雑に絡み合っていて、既存組合はその全部に配慮した物言いになってしまいがちなんですよ」 ■マグロ漁船の船員のように 1978年に愛知県で生まれた加藤さんは、中学のときは文芸部に所属して小説や詩を読んだり書いたりし、高校ではESS部で英会話を楽しんだ。そして大学卒業後、英語を教えたいと県内で中学校教師になった。 しかし、最初に配属された中学校では、競技経験のないハンドボール部の顧問を任された。その後もバスケットボール部、卓球部、水泳部の顧問にもなった。運動部の文化には全くなじめず、顧問は苦痛でしかなかった。 顧問の仕事のために平日は早朝に家を出て、帰宅は深夜。さらに休日も出勤する。それが日常だった。「本業」である英語の授業にも支障が出ていた。 「運動場を駆けずりまわるような生活で、満足いく授業の準備ができない。自分がやりたかったこととは違う。自己実現が全然できなかった。人生の10年を部活に奪われた、というのがまさに実感です」 喜びを感じる瞬間は「ほぼ一瞬もなかったと言っても過言ではない」と言い切る。 顧問をしている同僚たちの生活も、似たようなものだった。 「部活でとにかく時間が奪われる。教員と教員以外のパターンの夫婦が、特に苦しむみたいです。夫はマグロ漁船に乗っているような状態で、全然家に帰ってこない。妻はワンオペ育児で、どれだけ苦しい苦しいと言っても部活に夫を奪われる。いわゆる『部活未亡人』です。 お互いに教員だったらまだ理解できると思うんですけれど、一般の人からすると、教員のそういう働き方って理解しがたい。それで離婚してしまうケースもあるようです」 加藤さんが何より嫌だったのは、生徒が大会に出場するときに求められる審判業務だった。 「引率であれば教員の仕事として理解できる部分もありますが、審判は大会運営側の仕事で、これを当たり前のようにやらされるのは全く納得できませんでした。誤審をしたときには、とても教育者とは思えないような口汚い言葉でクレームをつけられる。審判の仕事は非常にストレスでした」 実際に18年に公表された文科省の委託調査研究「公立小学校・中学校等 教員勤務実態調査研究」によると、教員が部活の顧問として必要な技能を備えていない場合、メンタルヘルス不良になる傾向が明らかにされている。 ■「できない」と言えない 先に書いたように、部活は「学校の業務だが、必ずしも教師が担う必要のない業務」という位置づけだ。しかし、教員は校長などの管理職から「部活の顧問になってもらえますか」と尋ねられることもなく、何かの顧問を務めることが「当たり前」になっている。 「もちろん『何部がいいですか』くらいは聞かれますよ。でも、顧問をやる、やらない、ということは聞かれない。なので『断れる』という発想が思い浮かばない。さらに、まわりから白い目で見られるんじゃないかとか、浮いちゃうんじゃないかという恐れがあって、顧問となることを受け入れている教員は大勢いると思います」 教員の採用試験でも、「部活の指導ができるかどうか」を質問されることも珍しくないという。「この質問をやめてほしい」と県教育委員会に請願を出した加藤さんに、県教委からは次のような回答があった。 「昨今の働き方改革で部活動への見方も随分変わってきていると思うが、現状ではまだ学校教育活動の一環として大きな意義・役割を果たしている。そうした部活動に対して、これまでどのように取り組んできたか、現場で指導できる力量があるかを問うことは、そのことだけで採用の可否を決定することはないが、一つの要素としてあっても良いと思う」(「22年9月5日「請願第23号」の議事録から) 加藤さんは言う。 「つまり、面接官は部活の顧問をやれる人なのかを見ているわけです。尋ねられたほうは事実上、『部活の顧問はできません』とは言えないから、不適切な質問だと思います」 ■対策は打ち出されたが 文科省が4月に公表した昨年度の「教員勤務実態調査」(速報値)によると、教諭の1日当たりの平日の在校等時間(10、11月)は、小学校が10時間45分、中学校が11時間1分。前回16年度の調査に比べて30分ほど短くなったが、長時間労働の状態は依然として続いている。 「勤務の現状を考えると、部活の顧問をやっていたら、授業準備などの業務が勤務時間外にはみ出してしまう。部活の顧問というのは本来、その他の学校業務が勤務時間内に終わって、余裕のある人がやるものでしょう」 4年前、部活顧問を拒否する運動を始めたころは全く手ごたえがなかった。しかし、2年ほど前から実際に顧問を拒否する人がぽつぽつと現れ始めた。 「SNSで『顧問は断れる』という情報が広まるとともに、この問題についてオープンに議論してもいいんだ、という雰囲気がつくられていきました。昨年度は30~40人の相談に乗りました」と、加藤さんは手ごたえを語る。 一方、課題もある。 「組合活動に参加することへ強い抵抗感があるのを感じます。労働問題以外の政治運動みたいなものに動員されるんじゃないか、という不信感があるようです。あと、顧問は断れる、ということを、なかなか信じてもらえない、ということもあります」 文科省は部活の顧問を「部活動指導員」などに置き換える制度を設け、今年度から公立中学校の部活指導を地域や民間に委ねる「地域移行」を本格化させる。しかし、必要な人材を確保できるか不透明な地域もあり、教師たちに過度な負担を強いている状況の改善には、なお時間がかかりそうだ。 (AERA dot.編集部・米倉昭仁)
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息子が語る黒川紀章と膨大な借金「とにかく努力の人だったと知った」
TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。今回は中銀カプセルタワーと黒川紀章さんについて。 * * * 銀座8丁目の中銀(なかぎん)カプセルタワービルが昨年姿を消した。11階建てと13階建て2棟に140個のカプセルユニットがあり、SONYのAV機器が据え付けられ、円形の窓が近未来を示し、一つ一つのカプセルの中で日々の生活が営まれていた。 新陳代謝を意味する建築運動「メタボリズム」のリーダーだった黒川紀章はその象徴として中銀カプセルタワーを設計、1972年に竣工した。「時代の変化に沿って建物は変化し、増殖していくべきだ」。カプセルを交換しながら200年維持する構想だったが、どれか一つを取り換えるのが難しく、全てを一挙にという手法も所有者の意見がまとまらなかった。 時代に建築は即応するべきと黒川が唱えたが、このビルの消滅は衰退の一途を辿(たど)る日本のディストピアを示していた。これもまたメタボリズムなのだろう。 ギャラリーを営んでいる友人から誘われた。軽井沢にカプセルが遺(のこ)されているという。山の中腹で待っていると、先導のためにスポーツカーが下りてきた。「こんにちは」。降りてきた黒川未来夫(みきお)は長髪でロックミュージシャンのような風貌だった。世界に名を知られた建築家の息子は50代半ばだが、切れ長の目は父に似て鋭い知性を感じさせ、少年のような印象を持った。「カプセル建築は可能性が無限。都会にそびえ立つ中銀カプセルタワービルに対し、小さなサマーハウスを作ることでその可能性を示したかったようです」 外から眺めるとサマーハウスは森の中でひっそり呼吸しているように見えた。国内外で出版された黒川紀章作品集、レコード……。そこかしこに父の匂いのする品々が置かれた部屋で彼は話し始めた。 「父の周辺にはいたくなかったんです」。受けたのは東京藝術大学だが、建築ではなく美術学部。「藝大? 受かるわけない」と父の言葉も聴こえてきたが「2浪の末、合格しました。美術学部絵画科油画専攻です。この科が日本で現代美術を勉強する上で適した場所だと聞いていたから」 父が亡くなり息子は父の会社を継ぐが、そこには膨大な借金も残されていた。 「父は世界のコンペで闘い続けていた。そのためにも運転資金を必要としていたんですね。父が死ぬとたちまち資金が枯渇して……」 父の会社で激務の中、役員、社員から父のことを毎日のように聞く日々が始まった。もちろん良いことばかりではない。怒鳴られたり、叱咤(しった)されたり。殆(ほとん)ど知らなかった父の日常が見えてきた。「睡眠は3時間以内。それ以外は事務所での設計か、本を書くか、読書か。とにかく努力の人だったと知ったのです」 息子は父の作品を語った。「森の中の空港というテーマで設計されたクアラルンプール新国際空港は連鎖する森のような機能に対するデザインが高い次元にあるし、大阪の国立文楽劇場には伝統的なディテールが編み込まれ、それでいて和の建築ではない。見事と思った」 改めて話を聴いたのは半蔵門のビルの一室。夕刻になり、隣の建物も彼の父の作品だと気づいた。そのワコール麹町ビルを見上げ、今度一緒に黒川紀章が関わった建築を観て歩きたいと思った。 延江浩(のぶえ・ひろし)/1958年、東京都生まれ。慶大卒。TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー。小説現代新人賞、アジア太平洋放送連合賞ドキュメンタリー部門グランプリ、日本放送文化大賞グランプリ、ギャラクシー大賞など受賞。新刊「松本隆 言葉の教室」(マガジンハウス)が好評発売中※週刊朝日 2023年6月2日号
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コスト半額0.05775%の「全世界株式」投資信託のカラクリ eMAXIS Slimが追従値下げしない理由
新しいNISAの本命の一つ「全世界株式」で激安信託報酬の投資信託が登場。なぜこんなに安くできるのか、そのカラクリを運用会社に直接取材した。AERA 2023年6月5日号の記事を紹介する。 * * * 4月26日に設定された投資信託「Tracers MSCIオール・カントリー・インデックス(全世界株式)」(以下、トレイサーズ)。4月10日に、この投資信託の有価証券届出書が提出されて話題になった。これまで世界中の株に投資する「全世界株式」の投資信託は信託報酬0.1%台が最安だったが、トレイサーズは0.05775%とほぼ半額の水準だったからだ。 全世界株式で人気首位は「eMAXIS Slim 全世界株式(オール・カントリー)」で信託報酬は0.1133%以内。eMAXIS Slimは“業界最低水準の運用コストを将来にわたって目指し続ける”とうたい、他社の動向に合わせて機敏に信託報酬を引き下げてきた。 この投資信託を運用する三菱UFJ国際投信はトレイサーズに追従したか? 結論からいうとノーだ。その対応は早く、4月13日付「eMAXIS Slimシリーズの基本理念について」というお知らせで値下げしない理由が明らかになった。 「弊社のeMAXIS Slimシリーズでは信託報酬に含めている『ファンドの計理業務』、『目論見書・運用報告書の作成に係る費用』、『対象指数(インデックス)の商標使用料(ライセンスフィー)』などを信託報酬とは別にファンドに請求しているものもあります」(原文ママ) ■追従引き下げはしない 勝手に意訳すると、こうだ。 「計理業務(日々の基準価額算出など)、目論見書などのパンフレットを作るコストなどを信託報酬とは別で取る投資信託は実質的にeMAXIS Slim 全世界株式より安いとはいえない。今回は値下げしません」 そう、トレイサーズ全世界株式の目論見書には、信託報酬以外に「その他の費用・手数料0.1%を上限とする金額」がかかると明記されている。つまり信託報酬0.05775%+その他費用0.1%以内=0.15775%(最大)。eMAXIS Slim全世界株式は信託報酬0.1133%以内+売買手数料や税金も含めたトータルコストで見て、現状でこれより高いとは言い切れない。だから信託報酬を変えないというわけだ。 トレイサーズのその他費用0.1%が実際に何%となるかは運用開始1年後の決算で判明する。これを超えると運用会社側の“持ち出し”になるので、相当余裕を持って0.1%としているはず。三菱UFJ国際は1年後にトレイサーズの総コストが判明し、それがeMAXIS Slim全世界株式より安ければ値下げするのか? 「個別の投資信託に関しては回答できませんが、信託報酬、その他コストも含めた総経費率と実際のパフォーマンスも含め、eMAXIS Slimより有利なものが出てきたら引き下げも検討します」(三菱UFJ国際投信デジタル・マーケティング部の野尻広明さん) ■値下げの約束は難しい では、トレイサーズを運用する日興アセットマネジメントは最安値を目指すのだろうか。 「低価格を目指す努力はいたします。ただ、常に最低水準への値下げを“明確にお約束する”ことは難しい」(商品開発部長の有賀潤一郎さん) トレイサーズが信託報酬に占める範囲が、一般的な投資信託より狭いのはなぜか。もちろん“安く見せたい”という意図も無くはないだろうが、どのようなポリシーで運用している? 「当社(日興アセット)が運用する投資信託約230本のうち半分以上がこの方式で、実質主義の考え方で運用しています。コストに関し、引き続きわかりやすく開示して参ります」 トレイサーズ全世界株式は、信託報酬とその他費用の合計で最大0.15775%とはいえ十分に安い。1年後の決算時にフタを開けたらeMAXIS Slim全世界株式並み、いやそれより安い可能性もある。 気になるのはトレイサーズ全世界株式の販売会社。5月23日現在でSBI証券のみだ。信託報酬が安い=金融機関の取り分も減るわけで、仕方ない? 「販売会社での取り扱いの難易度が高いことは、承知しています。販売会社100社以上に集まっていただく『商品戦略アカデミー』という情報提供の場でご意見を伺いつつ、こちらからも提案を続けています」 ■指数利用料はいくらか 低コストの投資信託は規模が大きくないと金融機関側の収益として話にならない。今後、トレイサーズ全世界株式の残高が伸びればネット証券などの販売会社側でも“取り扱わざるを得ない”状況になるはずだ。投資家側も「安く、もっと安く!」と求めるばかりでなく、金融機関側の永続的な運用という視点も忘れないようにしたい。 今回の“全世界株式対決”で改めて話題になったのが、指数利用料(インデックスフィー)の存在だ。インデックス型投資信託の場合、S&P500ならS&Pダウ・ジョーンズ・インデックス社に、全世界株式の指数(MSCI ACWI)ならMSCI社に“インデックスを使わせていただくお金”を払わねばならない。トレイサーズは指数利用料を信託報酬に含めていない。eMAXIS Slimは信託報酬に含めている。そもそも指数利用料はどれくらいかかるのだろうか。 「指数算出会社との個別契約になるので正確な数字は開示できません。一般的には純資産総額に応じて支払うケースが多いです」(野尻さん) 正確な数字の回答は控えたが、三菱UFJ国際はインデックス型のETFで指数利用料を開示している。eMAXIS Slim全世界株式と中身が同じETFが「MAXIS全世界株式(オール・カントリー)上場投信」で、0.055%上限。この数値が参考にはなる。 信託報酬とは別でかかるその他費用は“隠れコスト”とも呼ばれ、各投資信託の決算時に運用報告書に記される。内訳は売買手数料、有価証券取引税、保管費用、監査費用、目論見書などの作成・印刷費用等。いくらかかるか予想しづらいので「1年でこれだけかかりました」という“事後報告”形式だ。 ■目論見書費用の外出し 日本の投資信託には「どこまでを信託報酬に含め、どこからその他経費に含めるか」という明確な基準がない。各社の裁量に任されているのがそもそもの問題点ではないか。 たとえば「目論見書などの印刷・作成費用」に関して、人気のSBI・Vシリーズや楽天インデックスシリーズは信託報酬から“外出し”。三菱UFJ国際は信託報酬に含めている。 22年4月、投資信託協会は目論見書に「その他費用も含めた総経費率を記載するよう」細則を改正した。今後は目論見書に前期の総経費率も信託報酬と併せて掲載されるようになる。eMAXIS Slimは「7月作成の目論見書から総経費率も掲載します」(野尻さん)。 目論見書や運用報告書を見るのもいいが、ごまかしが利かないのは「トータルリターン」の項目だ。信託報酬だけでなく、一定期間のトータルリターンもチェックすることをすすめる。 (経済ジャーナリスト・向井翔太、編集部・中島晶子) ※AERA 2023年6月5日号
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「市川猿之助」一家に何があったのか 近隣住民と歌舞伎関係者が見ていた「家族の内情」
18日午後、衝撃的なニュースが飛び込んできた。歌舞伎俳優の市川猿之助さん(47)、両親の市川段四郎さんと母親が自宅で倒れているところを発見され、その後、両親は死亡が確認された。猿之助さんは意識がある状態で入院しているという。報道によると、猿之助さんが倒れていた場所のそばで遺書のようなもの見つかったという。一家3人に一体何があったのか。近隣住民や関係者を取材した。 * * * 現場となった自宅は東京・目黒駅から徒歩20分ほどの閑静な住宅街にある。コンクリート造りのモダンな外観だ。猿之助さんの自宅に通じる道には、黄色いテープで警察の規制線が張られ、数人の警察官が警備にあたるものものしい雰囲気に包まれていた。 報道によると、警察官が駆け付けたときには、猿之助さんは半地下にあるクロゼットの中で意識がもうろうとした状態で見つかったという。一方、両親は2階のリビングで倒れており、母親はその場で死亡が確認された。段四郎さんも搬送先の病院で死亡した。いずれも目立った外傷はなかったという。 遺書のようなものがあったなど現場の状況から、猿之助さんが自殺を図ったとみられている。 近所に住む85歳の女性は、18日午前中の様子をこう話す。 「今朝、何かすごくにぎやかだなと思ったのよ。女の人の声とかがして、ガチャガチャ物音が聞こえた。何だろうなとは思っていたら、テレビで事件を知り、まさかと驚きました」 猿之助さんの自宅からは日頃から、歌舞伎の稽古をする音が聞こえてきたという。 「よく、歌舞伎のお稽古の歌声が聞こえてきたり、踊りのドンドンという音が響いていましたね。歌舞伎は嫌いじゃないから、うるさいとは感じませんでした」 かつて猿之助さん一家がお得意さんだったという米店の店主はこう話す。 「10年くらい前までは、うちのお米やお正月のお餅の配達をしていました。亡くなったお母さんはボーイッシュな髪形のおキレイな方でしたよ。ハキハキしたしゃべり方で、あのお母さんが自殺をするとはとても思えない。猿之助さんは子どもの頃からバスで名門の男子校に通う姿をよく見かけました。大人になってからは、よく1人で散歩するのを見ていました」 現在の猿之助さんは4代目となるが、亡くなった父・市川段四郎さんの兄が「3代目」の猿之助にあたる。歌舞伎に詳しい評論家はこう語る。 「3代目猿之助は猛優(もうゆう)と呼ばれ、歌舞伎をぶっ壊す革命児であり、パイオニアでした。『スーパー歌舞伎』をつくったのも3代目です。現在の4代目は、それにポップなセンスを味付けした。3代目に比べると猛優ではないが、器用でアグレッシブ。歌舞伎界における自分の位置というのを常に考えている人だという印象です」 亡くなった市川段四郎さんについてはこう話す。 「兄の3代目が太陽だとすれば、亡くなった段四郎さんは月で、対照的でした。段四郎さんは陰のある渋くて風格のある俳優でした。それが10年くらい前から、歌舞伎の舞台に全然出なくなった。松竹関係者に聞くと、体調不良で出られなくなったと。4代目は、父親の介護もしていたのではないかと思います」 くしくも、19日は猿之助さんのプライベートも含めたスキャンダルを報じた女性週刊誌の発売日でもあった。出版関係者は「猿之助さんがこの報道を苦にした可能性はある」と話す。 「女性週刊誌の記者が猿之助さんに直撃取材したのは、月曜日(15日)の夜。週刊誌は発売日の1日前に『早刷り』が関係各所に出回るので、猿之助さんは水曜日(17日)に記事を目にした可能性はあると思います。記事の内容は、猿之助さんのプライベートまで深く知ると思われる複数の人物が彼のパワハラ、セクハラ疑惑を語っているものだったので、猿之助さんがそれを目にしたら大きなショックを受けたことは想像にかたくありません」 実際にそのような行為があったのかは現時点ではわからないが、「客を呼べる役者」として猿之助さんが一門の中で強い力を持っていたことは事実だろう。 「今、客が呼べる役者としては片岡仁左衛門、坂東玉三郎、元海老蔵の市川團十郎、そして4代目猿之助の4人です。仕事はどんどん来るし、4代目自身、芸の上で苦難があっても、それを積極的に突破するパーソナリティーの持ち主。芸で悩んでいたとは考えにくく、原因があるとしたら私生活ではないか」(前出の評論家) 猿之助さんの一日も早い回復と、本人の口からの説明が待たれる。 (AERA dot.編集部・上田耕司)
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契約金“5億円超え”で騒動になった男も 期待外れに終わった「ドラ1大型左腕列伝」
身長190センチ前後の大型左腕といえば、現役では、188センチの山崎福也(オリックス)、191センチの上原健太(日本ハム)、日本人左腕歴代最長身、193センチの弓削隼人(楽天)が該当する。彼らはアマチュア時代から“和製ランディ・ジョンソン”の異名で呼ばれることが多いが、過去には「将来のエース」と期待されながら、不発に終わった者も少なくない。 新人王候補と期待されながら、プロで伸び悩んだのが、2004年に自由枠で横浜に入団した192センチ左腕・那須野巧だ。 日大時代は4年の春に優勝投手になるなど、通算22勝を記録。最速149キロの速球は「ホームベースの1メートル手前から伸びる」といわれた。 1年目は5月15日の日本ハム戦でプロ初先発初登板デビューも、初回に小笠原道大と新庄剛志にタイムリーを浴びるなど、6回4失点と力みから制球を乱し、「さすがに緊張した。1軍は甘くないなあと」とプロの厳しさを味わった。 その後、5月22日の西武戦で5回4失点ながら、うれしいプロ初勝利を挙げたものの、同29日のロッテ戦は里崎智也に満塁弾を浴び、1回4失点KOで中継ぎに降格。1年目は1勝2敗、2年目も3勝8敗と不本意な成績に終わった。 さらに翌07年は、開幕直後の4月11日に入団時の契約金が最高標準額(1億円プラス出来高5000万円)を大幅に超える5億3000万円だったことも明るみになる。 そんな騒動のなか、「グラウンド上で精一杯のプレーをして結果を出す」と誓った那須野は、4月24日の巨人戦で、夫人の出産に立ち会うため、一時帰国した守護神・クルーンの代役として8、9回を抑え、プロ初セーブを挙げた。 だが、同26日の巨人戦では、1点リードの8回から三浦大輔をリリーフした直後、4連続長短打を浴び、三浦の2年ぶりのG戦白星を消してしまう。 先発に戻った08年も5勝12敗、防御率6.47と安定感を欠き、翌年以降は1勝もできないまま、「最後まで熱いものがなかった」と、11年のロッテを最後にユニホームを脱いだ。 高校時代に“和製ランディ”の異名をとりながら、プロでは通算1勝で終わったのが、ロッテの190センチ左腕・木村優太(本名・雄太)だ。 秋田経法大付時代は甲子園に出場していないが、素質豊かな最速144キロ左腕に12球団がこぞって注目した。 2003年春、筆者は取材で会った広島のスカウトから「今年のウチの1位は木村で決まり」と聞かされた。同郷の秋田出身のスカウトが密着しているという。 だが、同年のドラフトでは、木村はどの球団からも指名されず、東京ガスに入社したので、「広島の話は?」と首を捻ったことを覚えている。 その後、07年春に西武の裏金問題が発覚し、木村が高校時代から「栄養費」を貰っていたことが明らかになった。1年間の謹慎処分を受けた木村は、解禁後の08年の都市対抗で活躍し、ロッテに1位指名で入団する。 2年間2軍暮らしのあと、西本聖コーチとフォーム改造に取り組み、11年8月24日に1軍初昇格。同日のソフトバンク戦に7回からリリーフで初登板をはたすと、1イニングを1安打無失点に抑え、内川聖一、カブレラから三振を奪った。 だが、初勝利までの道のりはさらに遠かった。15年4月8日のオリックス戦、先発・木村は初回を除いて毎回走者を出しながらも、5回を1失点と踏ん張る。そして、0対1の5回に今江敏晃の逆転2点タイムリーが飛び出し、7年目の初勝利を手にした。 「長かった。やっと勝てたなという気持ち。アマチュア時代から気にかけてくれている人も多いので、勝てて良かった」と笑顔を見せた29歳の遅咲き左腕だったが、4月15日の日本ハム戦では、大谷翔平に2点タイムリー二塁打を浴びるなど、4回途中5失点KO。その後は結果を出せないまま、翌16年シーズン後に戦力外通告を受けた。 1軍デビュー直後にあっと驚く快投を演じながら、エースになることができなかったのが、楽天の191センチ左腕・片山博視だ。 報徳学園時代に2度甲子園に出場。打者としても高校通算36本塁打を記録した片山は、投打いずれもドラフト上位候補と注目され、05年の高校生ドラフトで楽天から1巡目指名を受けた。 1年目に肘を痛め、一時は130キロも出ない苦境を克服した片山は、08年に1軍初昇格。2度目の先発となった7月2日のロッテ戦では、「逃げない」の言葉を胸に刻み、6回1死一、三塁のピンチに、ベニー、ズレータを連続三振に切って取る。9回2死三塁も、今江を遊ゴロに打ち取り、鮮やかな3安打完封でプロ初勝利を挙げた。 「まだ実感がわかないです。1軍で勝ちたい気持ちでやってきた。この3年間はあっという間でした」と初々しいコメントを口にする21歳の若武者に、野村克也監督も「ナイスゲーム!よく踏ん張ってくれた。あの子の真っすぐはスライスする。いわゆる“真っスラ”なんだ。右打者が詰まるのはそれ」と賛辞を惜しまなかった。 だが、その後は相次ぐ故障から15年に打者転向、16年に投手復帰、さらにはトミー・ジョン手術と苦闘を続けた末、育成契約の17年を最後に退団。18年からBCリーグ・埼玉武蔵で主に野手、現在はコーチ兼野手として登録されている。(文・久保田龍雄) ●プロフィール久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」(野球文明叢書)。
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知能が高すぎる「ギフテッド」で精神を病んだ40歳女性が見つけた希望 自ら望んで「閉鎖病棟」へ入った理由
知能が高さゆえに周りから浮いてしまうことも多い「ギフテッド」。【前編】では、何事もできすぎるあまり小中学校ではいじめられ、勉強が嫌いになっていった立花奈央子さん(40)が社会人になるまでを紹介した。高卒で公務員になった立花さんは、いつしか精神を病み「うつ病」になっていた。そこで彼女が取った選択は、自らの意思で精神科病院の閉鎖病棟に入ることだった。<阿部朋美・伊藤和行著『ギフテッドの光と影 知能が高すぎて生きづらい人たち』(朝日新聞出版)より一部抜粋・再編集> 【前編】<「ギフテッド」ゆえに無視され、孤立した小中時代 40歳フォトグラファー女性が経験した“高い知能”こその苦難>より続く * * * ■自ら望んで閉鎖病棟に3カ月間 躁状態の時は、ストレス解消や現実逃避のため、デパートで好きな服を大量に買った。しかし、家に帰ると、いつのまにか買い物をした記憶がなくなっている。 一方、気持ちが沈んでいる時は、「死にたい。トラックが突っ込んできてほしい」と願う。精神科に行った。「うつ病」「解離性遁走」と診断された。突然どこか遠くへ行ってしまい、気がつくと自分がなぜそこにいるのかわからないことが続いた。しまいには知らない場所で警察に保護されていた。 「このままではだめになる。徹底的に治さなければ」と、精神科病院の閉鎖病棟に自ら望んで入った。約3カ月間すごし、外で生きられない患者たちの姿を目の当たりにした。外部から遮断され、あらゆる自分の時間が、他人によって管理されている中には、これ以上いたくないと思った。 今変わらなければこのまま人生が終わると思った。この閉鎖病棟での3カ月間で、自分の気持ちに向き合おうと決めた。 自分が本当に好きなことは何か、自分にとって大事な人は誰か、本来の自分とは何者か。突き詰めて考えた。 哲学や宇宙など、自分が興味のある話を、とことん人と語り合える時間が最も楽しい。そんな気の合う人たちとの時間を大切にしたい。自分の気持ちを抑えつけるのはやめようと決めた。 まず、区役所をやめた。自分を偽り、親が望む人間になろうという思いも捨て、退院後に身を寄せていた実家も出た。渋谷駅のハチ公前で、ストリートアートをしていた人たちに話しかけた。自分も一緒に描いたり、路上ミュージシャンと友達になったり。どんどん周りに自分の好きな人たちが増えていった。すると、ライターや撮影、ヘアメイクなどの仕事がフリーでできるようになっていった。 ■ようやく解けた「本当の私」 実家の父から久しぶりに電話がかかってきたのは、2019年。36歳になっていた。1歳下の弟が、知能検査を受け、発達障害だと診断されたとのことだった。立花さん自身も、自分が発達障害やADD(注意欠陥障害)かもしれないと思っていたため、一度検査を受けてみることにした。 「WAIS-IV」という知能検査を受けた。その結果、全般的なIQ(知能指数)が平均を大きく超える137だった。また、同検査の四つの指標のうち、ことばの理解力や推理力、思考力を示す「言語理解」はIQ130、目で見た情報から形を把握し推理する「知覚推理」はIQ128、情報を一時的に記憶する力の「ワーキングメモリー」がIQ131、作業の速度を測る「処理速度」がIQ130と、指標のすべてが平均を超える高い数値となっていた。 驚いた。臨床心理士からは「発達障害の可能性はほぼない。単に、知能が世の中の人より高いだけの健常者ですね」と言われた。立花さんはそれまで、自分の生きづらさは発達障害のせいだ、となんとなく思っていたが、それは間違っていたことがはっきりした。この時、初めて自分の特性が何なのかを知りたい、と思った。 結果を知人に言うと、「ギフテッドじゃん」と言われた。初めて聞く言葉だった。「ギフテッド」に関する専門書を片っ端から読んでみた。 特徴として書かれていた「情報を素早く理解」「いつも何かにのめり込み徹底的に調べる」という良さだけでなく、「注意散漫に見える」「同級生との関係づくりが下手」といった弱点までが、いちいち自分に当てはまった。「これ私のことだ」と思うと、胸がすっとした。 普通と違う私。他人に合わせ、ずっと生きづらさを抱えてきた私。子どものころから、本当の自分は何なのかと思ってきた疑問が、ようやく解けた気がした。「パズルのピースがはまるような感覚だった」という。 立花さんは言う。「私は、自分のことを『天才』とは思いません。ただIQが高いという個性があるのだということがわかりました。そのせいで、これまで息苦しさや孤独を抱えていたのだと理解できて本当に良かったです」。 そしてこう思った。きっと、同じような仲間がいるのではないか。自分の特性を理解してくれたり共感してくれたりする仲間ともっと話がしたい、と。もし、子どもの時から知っていたら? 「MENSA」という国際組織を知人が教えてくれた。IQの上位2%の人だけが入会でき、日本支部があるという。さっそく入会した。 MENSAは、1946年にイギリスで創設された国際組織だ。世界100カ国以上に13万人以上の会員がいるとされる。日本支部には約4700人の会員がおり、定期的に開かれるミーティングで話し合ったり、趣味や考えが合う会員同士がオフ会などで交流したりしているという。入会するには、独自の入会テストを受けて一定のスコアを出すか、知能検査の結果を示さなければならない。 立花さんは、MENSAで出会った人たちと、「性とは何か」「既成の価値観に縛られていないか」といった深い話をすることが楽しい。人のつながりが増え、好奇心があふれ、知的欲求が満たされるという。 ようやく好きなことを仕事にし、仲間にも巡り会えたという立花さん。ただそれはたくさんの回り道をして得たものだった。「もっと早くに知能検査を受けておけばよかったという後悔はないか」と聞くと、立花さんは「後悔はない」とはっきり言った。過去のつらい時期があったからこそ、充実した今があると思っているから、と。 ただ、どうしても考えてしまうことは、あるという。「もし、子どものころに自分の特性を知り、それを理解した教育や子育てをしてもらっていたら、あんなつらい経験をせず、もっと様々なことを学べたのではないか」と。いま後悔していないと言えるのは、浮きこぼれていてもはい上がることができたからではないか。自分と同じように生きづらさを抱えたまま悩んでいる人が、今もきっといるはずだ。 ■ゴールデン街の会員制バーで そんな思いを強くした立花さんが始めたのが、「サロン・ド・ギフテッド」だ。19年ごろから週1回、フォトグラファーの仕事のかたわら、東京・歌舞伎町の新宿ゴールデン街にあるバーで開いている。 22年12月中旬、私はそのバーを訪れた。毎週火曜日、オーナーから店を間借りした立花さんが、カウンターに立っている。 重い木製のドアを開けると、立花さんの「いらっしゃーい」という明るい声が聞こえてきた。カウンター席が6席だけのこぢんまりとした店。すでに5人の先客が、立花さんが出すビールやハイボールを飲みながら、会話を楽しんでいた。 サロンは、IQ130以上の条件がある会員制。特別に参加させてもらった私の隣に座っていたのは、この日初めて来たという東京大学に通う女性だった。理路整然とした話しっぷり。ただ子どものころは学校になじめず「つらかった」と吐露した。「だって、先生は私のこと全然理解してくれなかったから」と女性。今はギフテッドの子どもやその保護者を支援する団体に入って活動をしているという。 IQが150ありながら、会社の上司とコミュニケーションがうまくとれず退職したという男性もいた。話すスピードが速すぎて変人と思われないかという不安があり、自分のことを知らない人とは話をするのが怖くなったという。他にも、地下アイドルを「推す」中年男性や、マクドナルドで働く母親など、個性豊かな人たちが胸の内を語り合っていた。 立花さん自身にとっても、他人は他人、自分は自分と実感できる場所だという。 ■「ほっといてほしい」 さて、立花さんのトークを収録した朝日新聞ポッドキャストは、22年12月上旬に配信された。「同級生と話が合わない」「なじめたことは一度もない」「授業はクソつまらない」。そんな立花さんの率直な語りぶりが、多くのリスナーの好評を得た。 収録の終盤、司会者が立花さんに「自分の経験を踏まえ、どんな世の中になればいいと思うか」と聞いた。 「ほっといてほしいですね」 即答だった。立花さんが生きやすさを感じたタイミングは、高校生になって行動範囲が広がったり、社会人になって使えるお金が増えたりするなど、自分で選択できることが増えた時だったという。 「子どものころは大人の見守りは当然必要だと思いますけど、普通と違うからと枠にはめようとしたり、周りの子どもと比較したりするのは、やめてほしいですね。ましてや、ギフテッドだから才能をのばさないといけないとか、才能を見過ごしてはもったいない、といった考えは大きなお世話です。その人が、その人らしく生きられるような社会になることが大事なのだと思います」 立花さんのそんな言葉が、多くの人に届くといいと思った。 (年齢は2023年3月時点のものです)
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市川猿之助にずっと気を使っていた「香川照之」との関係性 行きつけの居酒屋で見せていた“本当の仲”
警視庁は24日、歌舞伎俳優の市川猿之助(47)を都内の施設に呼び、事情聴取を行った。両親が向精神薬中毒の疑いで死亡した経緯について詳しく話を聞いたとみられる。悲惨な「一家心中騒動」にはいまだ多くの謎が残るが、改めて猿之助の交友関係を取材すると、意外な人間模様が浮かび上がってきた。特に従兄弟で同じ歌舞伎役者でもある「香川照之」との微妙な関係が見え隠れする。 * * * 猿之助は都内のある居酒屋を行きつけの店にしていた。そこでは、彼の華麗な人脈がみてとれる。猿之助の知人が言う。 「その店は、もともと20年くらい前からリリー・フランキーさんが1人で飲んでいて、彼が“隠れ家”にしている飲み屋だったんです。そのうち、リリーさんが福山雅治さん、大泉洋さんらを呼んで、みんなでワイワイと飲むようになった。猿之助さんは福山さんが連れてきたと記憶しています」 猿之助は日本酒をキープしていて、それをおちょこで飲んでいたという。 「猿之助さんは学生時代からの福山雅治さんのファンで、福山さんがDJを務めるラジオ番組を聞いて、何通も手紙を書き送っていたそうです。その後、テレビドラマでも共演するようになり、公私ともに仲良くなったようですね」(同) 猿之助が俳優の香川照之(57)を居酒屋に呼ぶことも、しばしばだった。 「猿之助さんが先に店にいて、香川さんに電話をかけ、『今日はみんないるけどどう?』と言って、香川さんが遅れてやって来るのを見かけましたね。猿之助さんは一人でしゃべりまくって、いつも座の盛り上げ役。香川さんとも仲良く飲んでいましたよ」 同じ澤瀉屋(おもだかや)で市川中車を襲名した香川と、その従兄弟にあたる四代目猿之助は、私生活でも関係が深かったようだ。だが、一門でのパワーバランスや歌舞伎役者としてのプライドなども絡み複雑な関係だったとも言われ、「女性セブン」(23年6月8日号)は2人の間に長年の確執があったと報じている。 歌舞伎に詳しい著述家の米原範彦氏は2人の関係をこう語る。 「香川はずっと歌舞伎界を離れていたので、歌舞伎の世界に戻っても四代目の猿之助を立てるような立場になっていました」 それを象徴する出来事があった。 俳優としての香川は2013年に始まったドラマ「半沢直樹」シリーズ(TBS系)で、堺雅人演じる主人公の宿敵を怪演して大ブレークした。ある新聞社が正月特集で「半沢直樹」でブレークした香川を大きく扱おうとしたところ、突如、キャンセルになったという。 「澤瀉屋のリーダーの猿之助をさしおいて、新聞の正月版に大々的に載ることはできないと判断されたようです。香川は何かと、猿之助に気を使わざるを得ない存在なんだと感じました」(メディア関係者) 香川は、三代目猿之助(現・二代目猿翁)と浜木綿子の息子。本来なら香川が四代目猿之助を名乗っても不思議のない家柄ではあったが、香川が3歳の時、両親が離婚。三代目猿之助は00年に舞踊家の藤間紫と再婚したことで、香川とは長い間、断絶関係が続いた。 「三代目猿之助は浜と香川のことは“過去のこと”として完全に切り捨てた。三代目猿之助は香川に対し、『あなたは息子ではありません。私はあなたの父でもない。今後、2度と会うことはありません』と言ったという有名なエピソードもありました。だが、それでも香川はどうしても歌舞伎の世界に戻りたかった。その結果、香川は夫婦間の軋轢が生じて離婚までしたのですが、そのとき、歌舞伎界に戻れるように熱心にサポートしたのが四代目猿之助だったのです」(米原氏) 昨年夏、香川は銀座のクラブホステスの髪を引っ張るなどのスキャンダルを「デイリー新潮」に報じられ、テレビドラマやCMを次々に降板することとなった。その後、香川は市川中車として歌舞伎から人生の再出発を図ったが、その際にサポートしたのも猿之助だったという。 結局、昨年12月に香川は十三代目市川團十郎白猿襲名披露の舞台に「市川中車」として出演したことで、俳優復帰を果たした。 「市川團十郎の弟子筋が市川猿之助になります。それゆえ、團十郎に引っ張り上げてもらうにしても、猿之助を飛び越えることはできない。香川はいつも猿之助に気を使う立場だったのです。そんな状態のなかで、猿之助が事件を起こし、その代役として香川の長男の團子(だんこ)に光が当たるというのは、おどろおどろしい因果を感じます」(米原氏) 事件が起きた18日は、明治座で「市川猿之助奮闘歌舞伎公演」の真っただ中だった。猿之助は休演し、18日の昼の部はさすがに休演となったが、夜の部は二代目中村錦之助の長男・中村隼人(29)が務めた。翌19日には代役として、昼の部は香川の長男・市川團子(19)が務めた。 團子はわずか1日の稽古で本番に臨んだようだが、堂々たる芝居を披露し、スタンディングオベーションも巻き起こったという。 「團子は判官びいきの日本人の琴線に触れたのかもしれません」(演芸評論家の山本健一氏) 團子、隼人という若手のホープが澤瀉屋のピンチを救った形となった。米原氏はこう語る。 「歌舞伎という芸能にはしたたかさがある。猿之助がいなくても、必ずその代役が現れる。團子はまだそれほど稽古を積んでないと思いますが、驚くべき吸収力です。隼人も脚光を浴びて、きれいな顔をしていることも世に知られました。猿之助も好きだったけど、隼人も團子もいいよねというファンも増えたはずです。歌舞伎ファンではなかった人にも存在が知れ渡り、新しいファン層を広げる結果になったと思います」 歌舞伎界に詳しい早稲田大学の児玉竜一教授は、團子と隼人をこう評価する。 「團子と隼人の2人は見事に代役を演じました。隼人は間違いなく、猿之助が場所と役を与えて、育てた一人と言えるでしょう。猿之助が若手を育てたことが実を結んだことは、悲しい出来事が続いたなかで、ひとつの希望になったとは思います。今月の明治座のピンチを乗り切ったとしても、ずっと安泰ではありません。ここから先は、若手の人たちの自覚と精進次第だと思います」 はたして、澤瀉屋の未来やいかに。 (AERA dot.編集部・上田耕司)
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「ギフテッド」で「ろう」の女性が教員になろうと思った理由 米国留学で出会った教授から伝えられた「救いの一言」
知能の高さゆえにさまざまな生きづらさを抱えていることも多い「ギフテッド」。【前編】ではIQ130を超え、かつ「ろう者」でもある女性が「障害があるのに何でもできる」ことが原因で理不尽ないじめを受けたことを紹介した。その後、女性は親からの重圧と周りからの目に翻弄され、心を病んでいくことになる。どん底だった女性を救ったのは米国への留学だった。<阿部朋美・伊藤和行著『ギフテッドの光と影 知能が高すぎて生きづらい人たち』(朝日新聞出版)より一部抜粋・再編集> ※【前編】<「障害者はバカでいたらいいのかな」 IQ130台の「ギフテッド」で“ろう”の女性が小学生で受けた理不尽ないじめと葛藤>から続く * * * ■「あなたのために」親の重圧 家庭環境はどうだったのか。尋ねると、女性はまた険しい顔を浮かべ、キーボードをたたき始めた。「褒められた記憶はない」「社会に出たら周りは聞こえる人ばかりなので、親は早くから慣れたらいいと思ったみたい」「当時は親に殺されるって思っていました。親は今は反省しているみたいですが」……。 「将来のために」と厳しくしつける両親だったそうだ。だが、聴覚障害がある子どもにこれほどつらい思いをさせることが信じられなかった。親が抱えていた不安はどういったものだったのだろうか。 女性によると、両親は女性が幼少時代、医師から「将来話せるようになるか、仕事に就けるかはわからない」と言われていたという。そのため、女性が将来一人で生きていけるようにと、聴者と同じ環境で育てようと考えたという。「聴者に認められるには勉強ができないといけない」「あなたのためにやっているの」などと、繰り返し言われた記憶が女性にはある。「親の前では『できる自分』を見せ続けなければならなかった」と振り返る。 ■学校と家庭、引き裂かれる心 今では信じられないことだが、女性が生まれた1980年代はまだ、手話を使うことは多くのろう学校で禁止されていた。障害者基本法の改正で、手話が言語であると初めて明記されたのは2011年。それまで聴覚障害者には、相手の口の形を読み取り、それを真似ることで言葉を発する「口話教育」が盛んに行われていた。 女性も今でこそ手話を使ってコミュニケーションをとるが、子どものころは両親や教員から「手話を使わないように」と言われていたそうだ。また教員から「いろいろな体験をさせて」とも言われていた両親には、キャンプや釣り、スキーなどによく連れて行ってもらったという。小学生のころは、スイミングスクールやエレクトーン教室などにも通い、家庭教師もついたという。 女性は当時を「何に対しても成績を残さないといけないと思っていました」と言い、「ここまでやれば認めてくれるかなって感じでやり続けていました」と振り返る。 親の期待に応えるには「できる自分」を出さなければいけない。しかし、学校では「できない自分」でいたい。女性の心は、次第に引き裂かれていった。家では何も話さなくなり、「死にたい」と考えるようになっていたという。エレクトーンや習字で失敗すると、自分で手や足を赤くなるまでたたいたりつねったりするようになっていった。 「親は、自分たちが死んでも私が一人で生きていけるようにという思いだったと思います。ただ私は、『できる自分』と『できないでいたい自分』との間で、どうあればいいのかわからなくなっていきました」 ■「がんばってるね」の一言が…… 進学校の県立高校に進むと、親は喜び、厳しいことは言わなくなった。そこで、女性はようやく「できる自分」を封印することができた。「できない人」は親しまれやすいと思い、テストでわざと20点や30点をとってはクラスで笑いのネタにして楽しんだ。ダウンタウンや明石家さんまなどが出ているお笑い番組を見ては、ものまねをしたり「どうウケるか」を考えて友達とはしゃいだりした。「いじめはなくなり、友達もできました」。 だが、「聞こえないのにすごいね」「聴覚障害があるのに、よくがんばっているね」。そう言われるたびに、女性は違和感を覚えた。勉強ができるのは、自分にとっては努力したことではなく、普通のこと。なのに、障害があるだけで、「がんばっている」と見なされるのが、つらかった。「だって、聞こえないことと、能力は関係ないはずですよね?」。 その通りだ。だけど、あらためてそう問われてみると、私の内心にも、ろう者に対して「聞こえないのはかわいそう」とか、「聞こえないのに頭がいいなんてすごい」といった考えがないとは言い切れない。 そのことを認めると、女性は「そういう心理的な反応は自然なことだと思います」と言った。大事なことは、「うちの親のように、振り返って、あれは先入観があったかもと考えることではないでしょうか。心理的なバイアスは誰にでも起きますから」。そう淡々と語る女性の姿を見ていると、何度もそうした偏見や差別に悩み、葛藤してきたのだろうと想像できた。 ■米国で認められた「スペシャル」な能力 女性の学生時代の話に戻る。地元の進学校を卒業した女性は浪人し、その後、地方の国立大学に進み、別の国立の大学院も出た。教育や心理学を学んだが、「できる人とできない人のどちらにも嫉妬して、心がめちゃくちゃ」な状態だったという。さらに不安定になった女性は、「自分はいるべき存在じゃない」とリストカットなどの自傷行為を繰り返していた。 転機は、米国への留学だった。語学を学んだあと、米国の聴覚障害者が多く通う大学院に入った。留学4年目のある時、心の不調を訴えると、学部長から「知能検査をしてみよう」と勧められたという。 知能検査の「WAI-IV」を受けた結果、四つの指標のうち、作業の速度を測る「処理速度」がIQ140と極めて高いスコアが出た。目で見た情報から形を推理する「知覚推理」もIQ117と高い数字が出た。一方、ことばの理解力や推理力、思考力を示す「言語理解」はIQ98、「ワーキングメモリー」はIQ95と平均的だった。 女性は「ただ、びっくりでした。なんとなく人より高いとは思っていましたがまさかこれほどとは」。そして、学部長に伝えると、「驚かないよ」と言ってくれた。 学部長から、「レポートが理路整然としていて深く考えていたから、普段から教授陣の間で評価していたんだ」と伝えられた。そして「今まで出会った中でスペシャルな生徒の一人だ」とたたえてくれた。障害に関係なく、自分の能力だけを認めてくれたことがうれしかった。 「学部長との出会いが大きかったですね。ずっと『できる』ことで嫌な思いをしてきたので、『できる』ことの良さを自分で感じたかったし、人にも思われたかったんです」 ■可能性を閉ざさない 教員を志したのは、そのころだ。米国のろう学校で、小中学生に将来の夢を聞く機会があった。子どもたちはなりたい職業よりも、「自分はバカだから」「周りの大人がそうだから」といったイメージで将来を考えていた。 日本のろう学校で知り合った子どもたちも同じことを言っていた。手話を使えば、子どもたちは豊かな表現をしたり深い考察をしたりと、それぞれに光る才能がある。しかし聴覚障害があるというだけで、自分の可能性を閉ざしている。 「子どもたちの様子を見ていると、自分の経験が何か役に立てるのではと思いました。それぞれが『できる』ことを、親や先生、何よりもその子自身が考えて学ぶ力を育てたいと思ったんですね。私は苦しかったけれど、大学院や留学をして聴覚障害に関して専門的に学ぶ機会に恵まれたのはたしかで、自分の『できること』がポジティブになるかもと思いました」 日本に戻り、教員になってまもなく10年になる。 社会には今も、ろう者に対して「かわいそう」「頭が悪い」「音楽に親しまない」といった先入観があると女性は感じている。 ろう者の中にも、手話はできるのに日本語がうまく読み書きできないことを理由に「勉強ができない」と思い込む子が多い。 そんな子には、「手話はばっちり。日本語に置き換えるのがまだ難しいね」と伝えている。手話と日本語を区別して評価すると、自信を持てる子どもは多いからだ。聞こえないことを理由に、できる、できないを評価するのではなく、その子の得意なことと苦手なことを見つめ、一緒にどうするかを考えられる教員になりたいと思っている。 女性は「それぞれが持つ才能をそのまま発揮できる社会になればいいと思います」との思いを私に伝えてくれた。 (年齢は2023年3月時点のものです)
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「市川猿之助」一家に何があったのか 近隣住民と歌舞伎関係者が見ていた「家族の内情」
18日午後、衝撃的なニュースが飛び込んできた。歌舞伎俳優の市川猿之助さん(47)、両親の市川段四郎さんと母親が自宅で倒れているところを発見され、その後、両親は死亡が確認された。猿之助さんは意識がある状態で入院しているという。報道によると、猿之助さんが倒れていた場所のそばで遺書のようなもの見つかったという。一家3人に一体何があったのか。近隣住民や関係者を取材した。 * * * 現場となった自宅は東京・目黒駅から徒歩20分ほどの閑静な住宅街にある。コンクリート造りのモダンな外観だ。猿之助さんの自宅に通じる道には、黄色いテープで警察の規制線が張られ、数人の警察官が警備にあたるものものしい雰囲気に包まれていた。 報道によると、警察官が駆け付けたときには、猿之助さんは半地下にあるクロゼットの中で意識がもうろうとした状態で見つかったという。一方、両親は2階のリビングで倒れており、母親はその場で死亡が確認された。段四郎さんも搬送先の病院で死亡した。いずれも目立った外傷はなかったという。 遺書のようなものがあったなど現場の状況から、猿之助さんが自殺を図ったとみられている。 近所に住む85歳の女性は、18日午前中の様子をこう話す。 「今朝、何かすごくにぎやかだなと思ったのよ。女の人の声とかがして、ガチャガチャ物音が聞こえた。何だろうなとは思っていたら、テレビで事件を知り、まさかと驚きました」 猿之助さんの自宅からは日頃から、歌舞伎の稽古をする音が聞こえてきたという。 「よく、歌舞伎のお稽古の歌声が聞こえてきたり、踊りのドンドンという音が響いていましたね。歌舞伎は嫌いじゃないから、うるさいとは感じませんでした」 かつて猿之助さん一家がお得意さんだったという米店の店主はこう話す。 「10年くらい前までは、うちのお米やお正月のお餅の配達をしていました。亡くなったお母さんはボーイッシュな髪形のおキレイな方でしたよ。ハキハキしたしゃべり方で、あのお母さんが自殺をするとはとても思えない。猿之助さんは子どもの頃からバスで名門の男子校に通う姿をよく見かけました。大人になってからは、よく1人で散歩するのを見ていました」 現在の猿之助さんは4代目となるが、亡くなった父・市川段四郎さんの兄が「3代目」の猿之助にあたる。歌舞伎に詳しい評論家はこう語る。 「3代目猿之助は猛優(もうゆう)と呼ばれ、歌舞伎をぶっ壊す革命児であり、パイオニアでした。『スーパー歌舞伎』をつくったのも3代目です。現在の4代目は、それにポップなセンスを味付けした。3代目に比べると猛優ではないが、器用でアグレッシブ。歌舞伎界における自分の位置というのを常に考えている人だという印象です」 亡くなった市川段四郎さんについてはこう話す。 「兄の3代目が太陽だとすれば、亡くなった段四郎さんは月で、対照的でした。段四郎さんは陰のある渋くて風格のある俳優でした。それが10年くらい前から、歌舞伎の舞台に全然出なくなった。松竹関係者に聞くと、体調不良で出られなくなったと。4代目は、父親の介護もしていたのではないかと思います」 くしくも、19日は猿之助さんのプライベートも含めたスキャンダルを報じた女性週刊誌の発売日でもあった。出版関係者は「猿之助さんがこの報道を苦にした可能性はある」と話す。 「女性週刊誌の記者が猿之助さんに直撃取材したのは、月曜日(15日)の夜。週刊誌は発売日の1日前に『早刷り』が関係各所に出回るので、猿之助さんは水曜日(17日)に記事を目にした可能性はあると思います。記事の内容は、猿之助さんのプライベートまで深く知ると思われる複数の人物が彼のパワハラ、セクハラ疑惑を語っているものだったので、猿之助さんがそれを目にしたら大きなショックを受けたことは想像にかたくありません」 実際にそのような行為があったのかは現時点ではわからないが、「客を呼べる役者」として猿之助さんが一門の中で強い力を持っていたことは事実だろう。 「今、客が呼べる役者としては片岡仁左衛門、坂東玉三郎、元海老蔵の市川團十郎、そして4代目猿之助の4人です。仕事はどんどん来るし、4代目自身、芸の上で苦難があっても、それを積極的に突破するパーソナリティーの持ち主。芸で悩んでいたとは考えにくく、原因があるとしたら私生活ではないか」(前出の評論家) 猿之助さんの一日も早い回復と、本人の口からの説明が待たれる。 (AERA dot.編集部・上田耕司)
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小学1年で息子が「IQ154」と発覚したときに母親は何を思ったのか 「ギフテッド」の子ども持つ親の“本音”
物事に没頭しやすい、情報処理が速いといった特徴をもつことが多いと言われる「ギフテッド」。【前編】では、IQ154あり小学4年生で英検準1級に合格した小林都央さん(11)が学校生活に適応することに苦しんでいる現状を紹介した。一方で、自分の子どもがギフテッドだったら、親は何を思い、どう行動するのか。都央さんの母親である小林純子さんが実体験を語った。<阿部朋美・伊藤和行著『ギフテッドの光と影 知能が高すぎて生きづらい人たち』(朝日新聞出版)より一部を抜粋・再編集> 【前編】<小学4年で英検準1級に合格した「ギフテッド」少年の生きづらさ 「正直、学校は好きじゃない」と適応に苦しみ>より続く * * * ■幼稚園で全元素を暗記 幼少期の都央さんは、様々なものに興味を持った。漢字は3歳ごろから路線図で読めるようになった。初めて書いた字は「品川」だった。点字を覚え、フォントやピクトグラム(絵文字)に興味を持ち、歯車のおもちゃで遊ぶのも大好きだった。大人向けの機械式時計の本が愛読書だった。どうやって歯車がかみ合って動くのか、仕組みがわかるのが大好きだった。 幼稚園のころには分子に興味を持ち、すべての元素を英語と日本語で暗記した。「世の中のすべてのものは元素でできているので、こういうふうに結合することによってこういうものが生まれるみたいなことがわかるのがとても楽しかった」と都央さんは記憶している。純子さんに元素のクイズを出してくるが、難しくて答えられなかったという。幼稚園のころからパソコンに触れていた都央さんは、元素クイズを自動で出すゲームのプログラムを自作して遊んだ。 台風が近づいているというニュースを見ると「台風はどこで発生するんだろう」。雨が降ると、「降ってきた水はどこへ行くんだろう」と、疑問が次々と湧く。純子さんは「なんで?」といつも都央さんに問いかけられた。大人でも答えられないようなたくさんの疑問。純子さんは「とにかく常になんで、なんでと聞かれて、ちょっと私がパンクしそうになったので、ノートに書いて自分で調べてみてと伝えました。私の逃げ場のようにつくったノートです」。そう言って見せてくれた当時のノートには、都央さんの頭に浮かんだ疑問が並んでいた。 「なぜタイヤは黒い? 黒じゃなくてもいい?」 「どうして赤い火より青い火のほうが熱い?」 「なぜ日本には大統領がいないの?」 そして、図鑑などで調べた自分なりの答えが書き込まれていた。 ■みんなと遊んで気づいた「違い」 好奇心が旺盛な都央さんに体調の変化が現れたのも、幼稚園のころだった。日曜日の深夜に嘔吐(おうと)を繰り返した。救急車で運ばれたこともある。だが、疑われた感染症ではなかった。 その後も日曜日になると吐くことが続き、「心理的なもの」と診断を受けた。幼稚園での集団生活がストレスになっているようだった。夜にうなされることもあり、ドッジボールがある日は体調が悪そうに見えた。 後から、ボールが無秩序に動くルールが嫌で、体が拒否反応を起こしているとわかった。都央さんは「どんなルールでみんなが動いているかがわからなくて、怖いな、嫌だなっていう気持ちが強くなったんです。みんながランダムに動いて、ボールが自分めがけて飛んでくるのも怖かった」という記憶がある。ドッジボールがある時は、トイレに逃げ込んだ時もあった。 そのころから、周囲との違いも感じるようになったという。 「自宅で遊んでいる時は感じなかったのですが、幼稚園でみんなと過ごすようになって、ちょっと周りの人と話が合わないとか、周りの人が好きなことが自分はあまり好きではないとか、思うようになりました。ほかの友達が遊んでいるものもあまり面白いと感じられないなということもありました」(都央さん) 元素のことなどを話しても興味を持ってもらえないため、気持ちをセーブしながら周りの人と話していたという。 それまで、純子さんは都央さんのことを「ちょっと変わっているところがある」と思っていた。敏感で靴下は同じメーカーのものしかはかない。ただ、初めての子育てで他の子どもと比較はできず、「少しこだわりがあるのかな」と感じていた。周囲から「ギフテッド」の存在を教えてもらったのは、そんな時だ。知人に勧められ簡易的な検査を受けたところ、IQが高いとわかった。小学1年の時に受けた検査でIQが154だった。 ■「息子のつらさを初めて知った」 IQが高いとわかった時にはどんな心境だったのか。 純子さんは「息子がギフテッドかもしれないってわかった時に、お母さんって自分の子どもがお友達と同じように遊んで、同じように進学して、と知らず知らずのうちに思っているんだなって気づかされました。『普通じゃない、人と違う』ということが当時は不安でした。違うということを認めたくないという気持ちもありました」と当時の思いを語る。 同時に、IQを検査してくれた医師から、IQに差がある子どもたちと過ごすということは、学年が異なるクラスで過ごすようなものだと教えてもらった。 「学年が違うクラスで過ごすような感覚が日常なのは、それは息子にとって苦痛だなと、やっと息子のつらさがわかりました。IQが高いのは、いいことだと思ったこともあるのですが、話が合わない、関心事が合わない集団に日常的にずっといるっていう息子のつらさを初めて知った気がします」(純子さん) そして、IQが高い人は、ほかの人よりもセンサーが敏感で、相手が何をしてほしいかを察知することに優れ、それに応えようとして疲れてしまうとも聞いた。授業の内容は、都央さんにとって学びが多いとは言いがたいものだったという。 「授業は淡々と受けて、教室にいればいいので楽だなと思う一方で、楽しい時間ではないのでつらい場所でもある」とこぼす。 学校でつらい思いをする都央さんを見て、入学や進級のたびに担任の先生へ都央さんの個性について手紙を書いて理解を求めた。幸いなことに担任の先生もギフテッドについて調べ、理解してくれる努力をしてくれた。スクールカウンセラーも理解を示し、相談に乗ってくれるという。純子さんは「集団生活や行事など学校でしか学べないこともあると思います。息子がやりたいことの時間も取りつつ、負荷はかけないように学校に行く日も作ろうという試行錯誤の中で今のスタイルになった」という。 ■独学でAIをプログラミング ただ、都央さんにとっては、周りの小学生のように週に5日、一日6時間の授業を受けることが「時間のロス」に感じてしまうこともある。「自分が興味のあることをしている時が一番ワクワクする」と言い、いくつかの夢中になっていることがある。 その一つがプログラミングだ。21年に開かれた小学生向けのプログラミング大会では、小学4年で決勝に進出。一人暮らしの祖母のために考えた買い物アプリを発表し、特別賞を受賞した。翌年にも同じ大会で、5千件を超える応募作品の中からトップ10に選ばれた。AIが文章を作成するアプリをChatGPT(対話型AI)がリリースされる前に独自に制作し、決勝に進出した。 都央さんは「学校に行ってない、サボっている、頑張っていないとか言われるのですが、自分なりに頑張っているんだというのを知ってもらいたい」と話す。 ■人と違う個性、誇りになった 平日、美術館や図書館へ行くと、じろじろと見られることもある。だが、純子さんは胸を張って歩くようにしているという。 「学校は行くものだから、平日に子どもがいるのはおかしいでしょうと思われることもある。だけど、息子は家でたくさん勉強をこなして、今は散歩やリフレッシュなんです、と堂々としていたいなぁと思います。自分の中の常識や、外からどう見られているのかということで息子を苦しめてしまうことはできるだけしないようにしたいなって思います」 純子さんは「人と違う個性を持っていることが誇り」と次第に感じるようになった。ただ、ギフテッドについての理解は、社会でも学校現場でもまだまだ行き届いていないと感じる。「ギフテッド」という単語を聞くと、「なんでもできるすごい天才」というイメージを持たれてしまうことも危惧する。 試行錯誤しながら登校したり、リフレッシュ休みをとったりする日々だが、都央さん、純子さんの悩みは尽きない。学校ではみんなが同じようにすることに価値が置かれているように感じ、登校しないと評価されない。この先の進路を考えた時に、出席日数がネックになることも出てくるかもしれない。「足が速い、絵が上手と同じように、ギフテッドを個性の一つとしてとらえてほしい」。そう願っている。 (年齢は2023年3月時点のものです)
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小島よしおが「なんで本を読まないといけないの?」と聞く中1女子に伝えたい、意外な“理由”とは
「なんで本を読まないといけないのか」という相談を送ってくれたのは、中学1年生の女の子。数多くの子ども向けライブを開催し、YouTubeチャンネル「おっぱっぴー小学校」も人気の小島よしおさんが子どもの悩みや疑問に答えるAERA dot.の本連載。月に5~8冊読んでいるという小島さんが考える、本の魅力とは? 読書の時間が楽しくなるヒントも聞きました。 * * * 【相談40】なんで本を読まないといけないのか。学校でも「読書の時間」というものがあり、日本語と英語の本を読むように言われている。いまではほとんどの人がスマホを持っているのに、わざわざ本を買わなければいけない理由を知りたいです。(ぷりん・中学1年生・女子) 【よしおの答え】 ぷりんピーヤ、いろんな情報の受け取り方がある時代に、疑問を持てるってすばらしい!ぷりんちゃんが言うように、いまはスマホがあればすぐにいろんな情報にたどり着くことができる。ネット検索すれば知りたいことの答えはだいたい出ているし、もっと詳しく知りたかったら誰かが動画で解説してくれているし、もちろん電子書籍もあるからね。 だけどいまでも多くの学校が読書を推奨していると思うし、学校には図書館が必ずあるよね。よしおが小学生のころから「本を読もう」とは言われていたし、誰の言葉かわからないけど「本は心の栄養」って言ったりもする。簡単に情報を得られる世の中で、どうしていまだに読書がすすめられるのか、よしおと一緒に考えてみよう! まずはよしおの“読書体験”から話してみようかな。よしおは“読書家”って大きな声で言えるほどじゃないけど、本を読むことが好き。だいたい月に5~8冊は読んでいるかなあ。本を読むと新しいことを知ることができるのはもちろんだけど、“本を読んでいる俺、なんかかっこいいなあ!”って思うんだ(笑)。 よしおの後輩も、「明治神宮外苑のイチョウ並木(道沿いにイチョウの木がたくさん並んだ東京の名所だよ!)のベンチで村上春樹を読む自分に酔いしれていた」って言っていた。よしおも、大学時代は古めの喫茶店に入って芥川龍之介とか夏目漱石とかを読んで自分に酔っていたよ(笑)。「そんな目的で本読むの?」と思うかもしれないけど、これがけっこう充実した時間なんだ。 ■目で追いかけてページをめくる本の魅力 じゃあなんで本を読むとそんなに充実感があるのか、考えてみた。まずは、紙の本と電子書籍の違い。電子書籍は、スマホやタブレットが1台あれば何冊も持ち歩くことができるね。家でも、本を置く場所をとらないからスペースに余裕ができる。紙を使わないから環境にもいいかもしれないね。 ただ、スマホやタブレットには誘惑が多い。誰かからメッセージが来たり、SNSをついチェックしてしまったり……。一方本は重くてかさばるけど、文字を追うのに集中できる。誘惑がないからこそ、本の世界に集中できるんだ。 そしてなんといっても、紙の本は1冊読み終えると達成感がある。ランニングをして目的地に着いたようなね。物として実際に目に見えるから、「ああ、俺これだけ読んだんだなあ」って実感できるんだ。電子書籍もいいと思うけど、達成感を得たくて紙の本を読んでいるっていうのもあるかもしれないなあ。 じゃあ次にスマホで得られる情報と本で得られる情報の違いについて考えてみよう。ネットの情報はすぐに何かを知りたいときには調べればすぐに答えが出てくるからすごく便利だね。それに対して、本は読むのに時間がかかるけど、情報がきっちり整理されていてまとまっている。 ネットの情報が全て間違っているわけではないけど、正しいかどうかを見分けるのは至難の業。だけど本はいろんな人の目を通って出版されているから、信頼できると思うんだ。それに、自分の考えを整理したり、知識を深めたりするときに、切り取り記事よりも順序だてて物事を考える手助けになるのが本なのかな、って思う。 自分に蓄積される知識の量も違う気がするんだ。不思議なもので、ネットサーフィンをしていると情報がどんどん流れていってしまう感じがするんだよね。反対に本は、自分の目で追いかけて自分の手でページをめくるっていう能動的な行為だから、情報を自分で手にしている感じがする。そうすると、自分のなかでもどんどん知識が重なっていくのを感じるんだ。 本を手にする過程も、よしおにとっては大切な時間。ネットですぐに本を買うことはできるけど、よしおは本屋さんや図書館に行くのをおすすめしたい。自分が欲しい本以外にも、いろんな情報が一気に目に飛び込んでくる環境だから、とても刺激があるんだ。自分では気づいていなかったけど実は興味を持っていたことが目に入ってきたり、自分には興味がないことでも周りの人が興味を持っていることが何かわかったりする。それを体験するのが楽しいんだ。 ネットで本を買うのと比べて、入ってくる情報量が全然違うんだよね。寄り道ができるっていうか、余白を感じるというか。それを感じたくて、本が欲しいときにはなるべく本屋さんに行くようにしているよ。 ■本は読み切らなくてもOK! ここまで一方的によしおが思う本のすばらしさを伝えてみたけど、何かピンときたかな? 自分で実感しないとわからないことだから難しいかなあ。ところで、ぷりんちゃんの学校の「読書の時間」は決められた本を読むのかな。それとも読む本の内容は自由で、日本語の本と英語の本を自分で探してきて読むのかな。 もし自分で本を選べるなら、とにかくいろんなジャンルの本を手にとってみたらどうだろう。学生のころって、「本は最初から最後まで1冊読み切らないとだめ」って思い込みがあるかもしれないけど、もし読んでいる本が「ちょっと読むの苦しいな」って思ったらどんどん違う本に切り替えてOK! よしおも、同じ内容の本でも読む時期によって、読みやすいときとそうでないときがあるんだよね。その情報を欲しているときにスラスラ読めるのかも。喉が渇いているときっていっぱい水飲めるよね? そんな感覚に近いかな(笑)。 本って小説もあれば知識を得る教養系の本もあるし、いろんな人の経験や考えが書かれたエッセーとかコラムもある。本っていろんなジャンルがあるから、絶対に好きなものがある気がするんだよなあ。もし許されるなら「読書の時間」に複数冊机に置いて、いろんな本をかじり読みするといいかも。「これなら読める!」という本に出合えたら、そこから本を読む面白さや知ることの面白さを知ることができるかもしれないね。 決められた本を読まなきゃいけないなら、それをゲームにしちゃうっていう手もあるかな。例えば、決められた時間に何ページ読めるか毎回ページ数を数えてみるとか、クラスの子と読んだ本の内容のクイズを出し合うとか。「このとき、主人公は何色の服を着ていたでしょう?」とかね。 そもそも本が苦手なようだったら、漫画や映像から入るのもありだと思うよ。よしおは湊かなえさんの『Nのために』っていう本はドラマが面白くて、もっと内容を知りたいと思って小説を買って読んだんだ。より作品を楽しめるし、ドラマで描かれていないストーリーも知ることができたよ。 だけど、必ずしも本を買わなきゃいけないってことはないし、読まなきゃいけないってこともないと思う。本を読まなくてもいいと思う人がいるのは別に悪いことじゃないからね。それに、「~しなきゃいけない」って義務のように感じて苦しいよね。 でも、学校で決められた課題をそう簡単に覆すことはできないから、せっかく設けられた時間なら「こうしたら楽しいかな」って考えられたらいいな、ってよしおは思う。それに、よしおは本のおかげで充実した時間を過ごせているから、少しでもその良さがぷりんちゃんにも届くといいなあ、と思う。本の楽しみ方って実はいろいろあるからね。ぷりんちゃんが相談を送ってくれたことをきっかけに、何かが少しでも変わったらうれしいな! ……って、僕は思うんだけど、君はどう思うかな? (構成/濱田ももこ) ●小島よしお(こじま・よしお)/1980年、沖縄生まれ千葉育ちのお笑い芸人。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業。「そんなの関係ねぇ!」でブレーク。2020年4月からYouTubeチャンネル「小島よしおのおっぱっぴー小学校」で子どもの学習を支援する動画を公開。キッズコーディネーショントレーナーの資格を持ち、子ども向けのイベントを多数開催している。 【質問募集中!】小島よしおさんに答えてほしい悩みや疑問を募集しています。お気軽にお寄せください!https://dot.asahi.com/info/2021100800087.html
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「ギフテッド」ゆえに無視され、孤立した小中時代 40歳フォトグラファー女性が経験した“高い知能”こその苦難
さまざまな領域で特別な才能を有する「ギフテッド」と呼ばれる若者たち。だがその能力の高さゆえに、周囲からねたまれたり、いじめにあったり、無視されたりするなど、生きづらい人生を送ることも多い。フォトグラファーの立花奈央子さん(40)もそんなギフテッドのひとりで、かつてつらい体験をしたという。彼女はどのような学生時代を過ごし、フォトグラファーとして活躍できるようになったのか。その軌跡を紹介する。<阿部朋美・伊藤和行著『ギフテッドの光と影 知能が高すぎて生きづらい人たち』(朝日新聞出版)より一部抜粋・再編集> * * * ■「やっと光をあててくれた」 金髪の女性が歩いてきた。青い蛍光色のスタジャンを羽織り、スーツケースを引いている。「こんにちは」。明るい声で呼びかけられた。待ち合わせた人だと気づくのが遅れた私に、立花奈央子さん(40)は陽気に笑いかけてきた。 東京・新宿で写真スタジオを営むフォトグラファー。20代後半から、女装する男性を美しく撮ることをライフワークとし、これまで数々の写真展を開いたり、タレントのマネジメントをしたりしてきたという。他にもアイドルプロデュース、SNSブランディングなど、多彩な仕事を手がけている。 私が立花さんを知ったのは2022年春。立花さんが投稿サイト「nоte」に、「ADD(注意欠陥障害)を疑って調べたら、高IQ(ギフテッド)だった話」という文章を載せていたのを読んだ。「ギフテッド」とオープンにしている人は珍しい。インタビューを申し込んだ。 立花さんは「やっと光をあててくれて嬉しい」と言ってくれた。インタビューは2時間を超えた。生い立ちから、家族のこと、社会人になり心を病んだことなど、立花さんは質問の意図を的確に理解し、少々早い口調で、ざっくばらんに話してくれた。 ■一度読めばわかる教科書 立花さんは1982年、千葉市で生まれた。千葉市といっても沿岸の都市部ではなく、内陸部の田畑や牧場に囲まれた農村地帯。父は工務店を営み、母が店を手伝った。4人きょうだいの長女で、自宅には父の見習いの青年も住み込みで働いていた。幼児のころから読書とお絵かきが大好きな子どもだったという。 ただ、親や周りの評価は「変わった子」。目に入るものすべてに興味を示すからだ。例えば、活字を読んでいないと落ち着かず、ごはんを食べながら、食品のパッケージに書かれた栄養成分表示や、新聞を隅から隅まで読んでいたという。「全部目に入れてましたね。情報を吸収していないと気が済まない子でした」と立花さん。 小学校は、当時はまだ1クラス40人の大人数学級。立花さんは、授業は毎日、とても退屈に感じていたという。教科書をひととおり読めばだいたい理解できるのに、先生は、同じことを黒板に何度も書いたり説明したりする。「答えがすぐわかる問題をわざわざ出すのはなぜだろうと常々思っていました」。 授業中は、プリントの裏に落書きをして時間をつぶしていたという。鉛筆回しもよくやった。先生からは「態度が悪い」「もっと授業をちゃんと聞きなさい」と叱られたことを覚えている。学年が上がるごとに、退屈な授業や学校生活を、苦痛に感じるようになっていった。 勉強はしなくても、テストはいつも満点をとった。通知表は、体育以外はすべて「◎」。その代わり、同級生とは話が合わなかった。勉強していないのにできるからだろうか、いつの間にか嫌われていたという。 「無視されたり、工作でつくった作品を隠されたりしましたね。遠足の班分けは、いつも自分だけ最後まで残っていました。だんだん、自分が悪いことをしているからいじめられるのだと思うようになっていきました」 ただ、両親は学校に行くのは当たり前だという考えだったため、理由がなければ学校は休めない。「おなかが痛い」「頭が痛い」と言って学校を休むようになった。 中学ではさらに孤立した。同級生が話すアイドルや恋愛話にはまったく興味が湧かなかった。友達がいないと学校生活はつらいことばかりで、無理に話を合わせることもあった。だが、一人で「石に意識はあるのか」というテーマで漫画を描いたり、宇宙や時間についての専門書を読みふけったりすることのほうが楽しかったという。学校に行くよりも、母が買ってくれたパソコンで自身のサイトを立ち上げたり、当時はまっていた漫画「封神演義」のファンの集まりに行ったりするほうがよっぽど楽しかった。 小中学校ではどんな子どもでしたか。私が聞くと、立花さんはしばらく考えた。「みんなの『わからないこと』がわからず、浮いた存在でしたね。自分を否定されたくないからなんとか話を合わせようとはしていました。でも、心の中ではずっと生きづらさを抱えていました」 そんな息苦しさから解放されたいと、高校は「中学の同級生が誰も行かない」という理由で、千葉県内の進学校を選んだ。電車やバスを乗り継ぎ、通学に1時間以上かかる女子校。小中学時代を知る人はおらず、新しい友達はできた。見える世界も広がった。だが、勉強をすることが嫌いになっており、成績は良くなかった。 「ギフテッドといっても、勉強しなければ当然わかりません。周りは受験勉強を一生懸命しているので、どんどん差がつきました」 そもそも、立花さんには大学へ行く選択肢はなかった。父から「大学に行かせる金はない」と言われていたためだ。 ■心を削り続けた職場 最終学歴が中学の父は根っからの職人気質。また、4人きょうだいで、家計の苦しさから、父は娘を大学へ行かせようとは思っていなかったそうだ。「公務員になれ。自衛隊でもいい」。そんなことを父から言われていた立花さんは、言われるがまま高校3年で就職活動をし、東京都内の区役所に採用された。「自分のやりたいことよりも、相手が求めているものに合わせるような人間になっていました。自分が何をしたいのかは考えなくなっていた」という。 当時を、「泥の中にいるような感覚だった」と表現する立花さん。「他人とうまくいかないのは自分が悪いからだと思っていたんですよね。だから、いつのまにか自分のことを過小評価する人間になっていた」とも言った。 就職して一人暮らしを始めても、自分の居場所は見つけられなかった。 若手職員として、区のスポーツのイベント企画や高齢者福祉などを担当した。「公務員にあるべき服装を無理して考え、地味なスーツやブラウスを嫌々着ていましたよ」と笑う。 選挙の事務の仕事をして臨時の収入が入った時は、どう使おうか考えた末に、胸にタトゥーを彫った。だが、職場でそれが見えて上司や同僚に知られると、白い目で見られた。自分の好きなことをしても否定され、周りの視線や雰囲気に合わせ仕事をする日々が繰り返された。 1年ほど働いた19歳のある時、立花さんは心を病んで休職した。「公務員としてこうあるべきという枠にきちっと入らなければと思えば思うほど、自分の心を削っていっていたのだと思います」。 (年齢は2023年3月時点のものです) ※【後編】<知能が高すぎる「ギフテッド」で精神を病んだ40歳女性が見つけた希望 自ら望んで「閉鎖病棟」へ入った理由>に続く
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猿之助の両親の「薬物中毒死」に現役医師が疑義 「50~60錠では死に至らない」「意識を失っただけでは」
歌舞伎俳優の市川猿之助さん(47)と両親が自宅で倒れているのが見つかり、両親が死亡した「一家心中騒動」の余波はいまだ収まらない。猿之助さんは警視庁の聴取に「死んで生まれ変わろうと家族で話し合い、両親が睡眠薬を飲んだ」という話をしているという。警視庁の司法解剖では両親の死因は「向精神薬中毒の疑いとみられる」と報道されたが、24日発売の『週刊文春』は猿之助さんが両親に<ビニール袋をかぶせた>と報道した。現役の医師も「向精神薬で亡くなるのはかなり困難」と疑念を示した上で、「向精神薬を飲めば死ねる」という誤解が広がることは問題だ、と語る。 * * * 現在、警視庁は両親の死亡の経緯を調べるため、猿之助さんへの事情聴取を進めている。 「警察署が所有する施設で聴取を進めています。猿之助さんの話の内容は『家族会議を前夜(17日)に開いた』『死んで生まれ変わる』『両親が薬を飲んだ』など断片的なもので、自殺ほう助、自殺教唆などに当たるのかなど罪名は絞り切れていないようです」(社会部記者) 今後の焦点の一つは、薬物中毒になるほどの薬品を誰がどのように手に入れたのか、という点だ。 そもそも、向精神薬を大量に入手することはできるのか。 一般人が向精神薬をもらう際は、原則1カ月分しか処方されないようになっているが、薬を飲み切らずに新たに処方してもらうなどして、薬をためこむ人は少なくない。さらに、芸能人などの著名人となってくると一般人とは事情が変わってくることもあるようだ。 相馬中央病院内科医長の原田文植氏はこう説明する。 「猿之助さんほどの著名人の場合、病院に来ると騒ぎになるので、在宅医に診てもらうことはよくあります。また、毎月受診することも難しいでしょうから、本人の意向を受けて、一般の方々よりも長い期間の薬を出すことも考えられます。たとえ100錠を超えるような大量の薬が自宅にあったとしても、不自然ではありません」 では、その大量の薬はいったい誰のものだったのか。『週刊文春』では<猿之助が病院で処方してもらった睡眠導入剤>を飲んだと報じたが、他方で父・段四郎さんについては<認知症を患い>(週刊新潮)、<肝臓がんを患い>(週刊文春)などと書かれている。 認知症で夜眠れなくなっていたり、がんで不安を抱いていたりすれば、睡眠薬を含む向精神薬を処方されることもあると原田氏はいう。だが、同時にこう疑問を呈する。 「一般的に処方されている向精神薬は大量に飲んでも簡単には致死量に至りません。精神的に参っている人に処方される薬なので、それで自死できるようには作られていないのです。例え大量に飲もうとしても、体が拒否反応を起こして吐いてしまったりするので、そこまで飲めるかと言われると大きな疑問があります。特に高齢者であれば一層難しくなりますし、介護状態の人であればなおさら難しい」 週刊新潮では捜査関係者の話として<数種類の向精神薬を混ぜ合わせて一人あたり50~60錠ほど飲み込んだ>と具体的に説明をしている。この点について原田氏はこう見る。 「薬を混ぜ合わせて致死性を高めるような知識を猿之助さんが持っていたとは思えないし、そのような薬が処方されて自宅にあったとも考えにくいです。また、一般に処方される向精神薬を50~60錠飲んでも、まず死に至ることはありません。専門家の立場から言うと、向精神薬の大量摂取で死に至ることは『かなり困難』なのです」 もし薬による中毒でなければ、両親の死因は何だったのか。例えば、『週刊文春』の報道では、<両親はそれぞれ十錠ほどを口に含むと、間もなく意識を失った。猿之助は部屋にあったビニール袋を手に取り、その顔に被せてい>ったと伝えている。 猿之助さんは薬を飲んだ後に自らの命を絶とうとしたが「死にきれなかった」という報道もある。薬だけで自死することを想定していなかった可能性も残る。 原田氏はこう語る。 「猿之助さんの両親は睡眠薬などで意識を失ったあとに何らかの理由で亡くなったというほうが可能性があるのではないか、というのが私の見解です」。 原田氏が医師としてこうした見解を示すことには、大きな理由がある。事件の報道により、向精神薬について誤った認識が広がることを危惧しているからだ。 「事件を受けて、向精神薬を服用している患者さんから『大量に飲むと死んでしまうのか』という不安の声を多くいただいていますが、そんなことはありません。もし希死念慮がある患者さんが『この薬を飲むと死ねる』などという誤解が広がってしまえば、それは問題だと考えています」 両親はどうやって死に至ったのか。謎は深まるばかりだが、猿之助さんの口から真相が語られることが待たれる。 (AERA dot.編集部・吉崎洋夫) ※厚生労働省は悩みを抱えている人に対して、主に以下の相談窓口などの利用を呼びかけています。 ▼こころを落ち着けるためのWebページ ・こころのオンライン避難所 https://jscp.or.jp/lp/selfcare/ ▼電話やSNS による相談窓口の情報 ・#いのちSOS(電話相談) https://www.lifelink.or.jp/inochisos/ ・チャイルドライン(電話相談) https://childline.or.jp/index.html ・生きづらびっと(SNS 相談) https://yorisoi-chat.jp/ ・あなたのいばしょ(SNS 相談) https://talkme.jp/ ・こころのほっとチャット(SNS 相談) https://www.npo-tms.or.jp/service/sns.html ・10 代20 代女性のLINE 相談(SNS 相談) https://page.line.me/ahl0608p?openQrModal=true
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【30年比較】東大、京大、早慶、MARCH…難関21大学「合格者数ランキング」【1993-2023】
東京大 / 京都大 / 大阪大 / 北海道大 / 東北大 / 名古屋大 / 九州大早稲田大 / 慶應義塾大 / 上智大 / 東京理科大 / 明治大 / 青山学院大 / 立教大 / 中央大 / 法政大 / 学習院大 / 関西大 / 関西学院大 / 同志社大 / 立命館大進学調査を行う「大学通信」の調査のもと、大学別に2023年と1993年の合格者数の上位校を掲載した。「合格者数」はのべ合格者数で、1人の学生が複数の大学に合格しているケースも含まれる。また、既卒生の合格者も含まれる。高校への調査では、未回答の学校は掲載していない。大学公表値では、推薦など一部の入試方式の合格者が含まれていない場合がある。1993年の早稲田大と2023年の国立大は合格実績のある高校に調査した人数。93年の北海道大と私立大は大学が公表した人数(早稲田大を除く)。93年のその他の国立大はサンデー毎日と大学通信の共同調査。早稲田大は23年が一般入試の合格者のみのため、93年のランキングからは附属・系属校の内部合格者を除いた。高校名は現在の名称。私=私立、公=公立、国=国立(協力/大学通信)【関連記事】東大、京大、早慶…30年で激変! 「難関21大学」合格者数ランキング 渋幕、西大和「急成長」のナゼ
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小学4年で英検準1級に合格した「ギフテッド」少年の生きづらさ 「正直、学校は好きじゃない」と適応に苦しみ
ギフテッドという言葉を聞いたことがあるだろうか。「飛び級で進学」「教科書は一度読めばほとんど理解」など、天才少年少女というイメージをもつ人も多いだろう。しかし本人は、「授業が全く面白くない」「同級生と話が合わない」「学校に行くのが辛い」といった負の側面を感じていることも少なくない。表からは見えづらい「心のうち」はいかなるものなのか。今回は、IQ154、小学4年生で英検準1級に合格したという小林都央さん(11)のケースを紹介する。<阿部朋美・伊藤和行著『ギフテッドの光と影 知能が高すぎて生きづらい人たち』(朝日新聞出版)より一部を抜粋・再編集> * * * ■小2で高IQ集団「MENSA」に認定 パソコンの画面に映る少年は、大きく口を開けて笑顔を見せてくれるとてもあどけない小学生だった。東京都に住む小林都央さん(11)とオンラインツールの「Zoom」で初めて会ったのは2021年12月のことだった。ヘアドネーション(髪の毛の寄付)のために伸ばした長い髪を束ね、くるくると変わる表情で語ってくれたのは、学校に通うことのつらさだった。 「学校に行かないといけない必要性や義務は理解しています。でもぼくにとって学校は、ありのままでいられない場所で、本音を言うと好きじゃない」 都央さんのIQ(知能指数)は154。平均とされる100を大きく上回る。特別な才能を持つとされる「ギフテッド」だ。 小学4年で英検準1級(大学中級程度)、小学5年で漢字検定2級(高校卒業程度)に合格し、英語と日本語を操るバイリンガル。人口の上位2%のIQを持つ人たちが参加する「JAPAN MENSA」に小学2年生で認定された。複数のプログラミング大会で、特別賞などを受賞。住んでいる地元の教育委員会からは、映像コンテストやギフテッド向けのプログラムで優秀な成績を収めたとして、2年連続で表彰を受けた。世界屈指の医学部を有し、最難関大のひとつであるアメリカのジョンズ・ホプキンス大学のギフテッド向けプログラムでは最優秀の成績を収めた。 都央さんの経歴には、こうした数々のきらびやかなものが並ぶ。一方で、幼いころから集団での生活にストレスを感じ、適応に苦しんできた。現在は週に2日ほど学校に行く「選択的登校」をとっている。 都央さんとの出会いのきっかけとなったのは、コロナ禍の一斉休校を機に不登校になった子どもたちを紹介した連載だった。連載が朝日新聞に掲載された21年11月、一通のメールが届いた。 「『不登校は問題』『学校には行かなくてはならない』という考えに疑問を持ちます。 僕は、勉強は好きです。友達と遊ぶのも好きです。でも、ずっと学校に行くのは好きではありません。今日は、午前中は勉強をして、午後から美術館に行く予定です。こんなスケジュールを考えるとワクワクしてきます」 大人びた文面に書かれた自己紹介には、小学4年生と書いてあった。学校に行かないといけない現状を憂う文章と書かれた学年が一致しなかった。 メールの差出人が都央さんだった。ちょうどメールをもらう前からギフテッドに関する取材を始めていた折。もしかして、都央さんはギフテッドではないだろうか。母親の純子さんとすぐに連絡を取り、やりとりをするうちに、都央さんが生まれつき飛び抜けた才能を持っていることが判明した。 Zoom取材での第一印象は、多彩な語彙(ごい)を操り、目を輝かせながらはきはきと答えてくれる小学生だった。だが学校生活に話題が及ぶと、次第に表情は硬くなっていった。都央さんの口から紡ぎ出される言葉は、学校という場がいかにつらいのかを物語っていた。 ■「行っても何も学ばない」 取材の前に都央さんがまとめてくれた「なぜ学校に行きたくないか」というチャート図がある。 「時間の無駄→行っても何も学ばない→つらいだけ」 「知っている→楽しくない→つまらない→つらいだけ」 だから、やりたいことを家でやりたい、そのほうが有意義と書かれている。都央さんにとって学校は「ありのままでいられない場所」となった。毎日登校することが負担になり、泣いて帰宅する日もあった。 どんな時に学校がつらいと思うのか。 授業で、海の生き物を描いて色を塗りましょうと先生が言った時、都央さんは、白いチンアナゴを描いて提出した。すると、先生からは「色を塗っていない」と言われてしまった。「白という色ですよ」と言ってもなかなか理解してもらえず、そこで諦めた。「自由に描いていいよ、と言われても理不尽な枠を決められているようだった」と感じた。 算数の時間に、指定された解き方以外のやり方を見つけても、言われた解き方の通りにしないといけない。 黒板は先生が書いた通りに書き写さないといけない。 「それが当たり前なんだから」。「言われたこと以外はしてはいけない」。そんなことを言われ、自分のアイデアを諦めることもある。がやがやと様々な音がする教室にいるだけで疲れてしまう。好奇心を抱くものを学びたいと思っても、それが叶わない。 ヘアドネーションのために髪を伸ばしていると、「なんで女子が入ってくるんだよ」と言われた。左右違う色の靴下をはいていくと「おかしい」と揶揄(やゆ)される。都央さんは「じゃあなんで左右同じ色をはいているのか、逆に聞き返したりします。たいてい答えられないです」と振り返る。 ■学校に行くことが解決法ではない 登校する時も、下校した時もつらそうな表情をしていた。「普通」の枠に押し込められ、そこから外れると指摘される。そんな学校生活を過ごす都央さんを見て、純子さんは「『自分らしさ』や『自分が好きなこと』を見つける機会が少なくなってしまうのは悲しいこと」と感じるようになった。 そうして、毎日登校するのではなく、疲れた時には「リフレッシュ休み」をとる。週に何日か学校に行く「選択的登校」という方法をとった。純子さんは悩みながら都央さんの思いを尊重したという。 「学校に行くのが当たり前で、なんとかして学校へ行かせようという風潮がある中で、息子にとって学校があんまり勉強できる場所じゃないようで。息子はすごく勉強したいのに、教室はザワザワしていたり、自分の学びたいことができなかったり。息子を見ていると、学校に行くことが解決法ではないと気づきました。自分の思い込みや世間体を気にして学校になんとしても行かせようと思わないようにしました」 二人でどうしたらいいのかと対話を重ねながら、選択的登校というスタイルにたどり着いたという。 (年齢は2023年3月時点のものです) 【後編】小学1年で息子が「IQ154」と発覚したときに母親は何を思ったのか 「ギフテッド」の子ども持つ親の“本音”に続く
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息子が語る黒川紀章と膨大な借金「とにかく努力の人だったと知った」
TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。今回は中銀カプセルタワーと黒川紀章さんについて。 * * * 銀座8丁目の中銀(なかぎん)カプセルタワービルが昨年姿を消した。11階建てと13階建て2棟に140個のカプセルユニットがあり、SONYのAV機器が据え付けられ、円形の窓が近未来を示し、一つ一つのカプセルの中で日々の生活が営まれていた。 新陳代謝を意味する建築運動「メタボリズム」のリーダーだった黒川紀章はその象徴として中銀カプセルタワーを設計、1972年に竣工した。「時代の変化に沿って建物は変化し、増殖していくべきだ」。カプセルを交換しながら200年維持する構想だったが、どれか一つを取り換えるのが難しく、全てを一挙にという手法も所有者の意見がまとまらなかった。 時代に建築は即応するべきと黒川が唱えたが、このビルの消滅は衰退の一途を辿(たど)る日本のディストピアを示していた。これもまたメタボリズムなのだろう。 ギャラリーを営んでいる友人から誘われた。軽井沢にカプセルが遺(のこ)されているという。山の中腹で待っていると、先導のためにスポーツカーが下りてきた。「こんにちは」。降りてきた黒川未来夫(みきお)は長髪でロックミュージシャンのような風貌だった。世界に名を知られた建築家の息子は50代半ばだが、切れ長の目は父に似て鋭い知性を感じさせ、少年のような印象を持った。「カプセル建築は可能性が無限。都会にそびえ立つ中銀カプセルタワービルに対し、小さなサマーハウスを作ることでその可能性を示したかったようです」 外から眺めるとサマーハウスは森の中でひっそり呼吸しているように見えた。国内外で出版された黒川紀章作品集、レコード……。そこかしこに父の匂いのする品々が置かれた部屋で彼は話し始めた。 「父の周辺にはいたくなかったんです」。受けたのは東京藝術大学だが、建築ではなく美術学部。「藝大? 受かるわけない」と父の言葉も聴こえてきたが「2浪の末、合格しました。美術学部絵画科油画専攻です。この科が日本で現代美術を勉強する上で適した場所だと聞いていたから」 父が亡くなり息子は父の会社を継ぐが、そこには膨大な借金も残されていた。 「父は世界のコンペで闘い続けていた。そのためにも運転資金を必要としていたんですね。父が死ぬとたちまち資金が枯渇して……」 父の会社で激務の中、役員、社員から父のことを毎日のように聞く日々が始まった。もちろん良いことばかりではない。怒鳴られたり、叱咤(しった)されたり。殆(ほとん)ど知らなかった父の日常が見えてきた。「睡眠は3時間以内。それ以外は事務所での設計か、本を書くか、読書か。とにかく努力の人だったと知ったのです」 息子は父の作品を語った。「森の中の空港というテーマで設計されたクアラルンプール新国際空港は連鎖する森のような機能に対するデザインが高い次元にあるし、大阪の国立文楽劇場には伝統的なディテールが編み込まれ、それでいて和の建築ではない。見事と思った」 改めて話を聴いたのは半蔵門のビルの一室。夕刻になり、隣の建物も彼の父の作品だと気づいた。そのワコール麹町ビルを見上げ、今度一緒に黒川紀章が関わった建築を観て歩きたいと思った。 延江浩(のぶえ・ひろし)/1958年、東京都生まれ。慶大卒。TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー。小説現代新人賞、アジア太平洋放送連合賞ドキュメンタリー部門グランプリ、日本放送文化大賞グランプリ、ギャラクシー大賞など受賞。新刊「松本隆 言葉の教室」(マガジンハウス)が好評発売中※週刊朝日 2023年6月2日号
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「障害者はバカでいたらいいのかな」 IQ130台の「ギフテッド」で“ろう”の女性が小学生で受けた理不尽ないじめと葛藤
さまざまな領域で特別な才能を持つ「ギフテッド」の人たち。西日本に住む40代女性は、IQ130を超える知能を有し、耳が聞こえない「ろう者」でもある。持ち前の能力で勉強も日常生活も聴者と変わらないようにこなしてきた。それなのに、小学生時代にいじめの対象になった理由は、「聞こえないから」ではなく「聞こえないのにできるから」だった。<阿部朋美・伊藤和行著『ギフテッドの光と影 知能が高すぎて生きづらい人たち』(朝日新聞出版)より一部抜粋・再編集> * * * ■本当はわかる答え、書かずに出した 2022年8月、一通のメールが取材班に届いた。朝日新聞デジタルの連載「ギフテッド 才能の光と影」を読んだ読者からだった。フォトグラファーの立花奈央子さんの記事に共感したと感想を述べ、自身の経験をつづってくれていた。以下がその文面の一部だ。 「なかなか他の人に話せないことですが、私自身、ろう者で、後にIQ130台だとわかった者です。小2から一般の学校に通いました。先生や周囲の話していることが聞き取れない自分はわかって、聞き取れるはずの同級生はわからないことがとても不思議でした。テストで、本当はわかる答えを書かずに出したこともあります。 『聞こえない人が聞こえる人に認められるためには、勉強ができていないといけない』と信じている親と、『できることでいいことがあったためしがないから、できない自分でいたい』と思う自分との間でとても苦しかったです。(中略) 障害と、学識における「才能」の組み合わせは、とても生きづらいと思います。こういう人たちの存在はどれほど認識されているのでしょうか」 才能と、身体障害と、生きづらさ。「できない自分でいたい」と思わせたものとは何だったのか。聴者の私にはおよそ考えつかない視点だった。 メールをくれたのは、西日本に住む40代の女性。教員をしているという。すぐに、詳しくお話を伺いたいと返信すると、「才能のある身体障害児者に関心をもっていただいたこと、本当に嬉しく思います。微力ながらお手伝いさせていただきたい」と返信があった。 女性が住む、西日本のある地方都市へ向かった。 待ち合わせたのは、図書館が併設された文化施設。あてにしていた併設のカフェがコロナ下で閉店しており、施設に机とイスを借り、空きスペースで取材することになった。 直前に私からメールで「施設の駐車場の前にいます」と居場所を知らせたので、女性はすぐに気づいて、会釈してくれた。身長150センチほどの小柄な女性。清潔感のある白いシャツと薄ピンク色のマスクが印象的だった。当たり前だが、外見ではろう者であるとはわからない。 ■聞き取れなくても頭脳でカバー 女性は、先天性の難聴だ。3歳の時に「聴覚障害」と診断された。自身が初めてそのことを自覚したのは、4歳の時だったという。 「飛行機型のジャングルジムで遊んでいる時だったと思います。一緒に遊んでいる友達は、笑ったり、はしゃぎあったり、互いに反応しあいながら動いているように見えました。私は補聴器をしている間は少しの音は聞こえるけど、何と言っているかまではわからなくて。友達の相互作用の中に入れていない。ひとりぼっちになっているなと感じていました」 公務員だった両親は聴者だった。女性は幼稚園と小学校1年まではろう学校に通ったが、「聴者に慣れてほしい」という親の希望で、小2から一般の公立小学校へ転校したという。「体育館のステージに立ち、ろう学校と違ってたくさんの子どもが並んでいるのを見て、とてもワクワクしたのを覚えています。好奇心旺盛な子どもでした」 補聴器をつければ、少しの音は聞き取れた。先生や同級生が発する音と、相手の口の動きや表情、しぐさ、文脈などから意味を推し量り、少しずつコミュニケーションがとれるようになったという。 ただ授業中は、教壇から説明する先生の言葉は、距離があってほとんど聞き取れなかった。しかし勉強に関しては、あまり問題にならなかったという。学習の内容は、教科書を読めばほぼすべて理解できたためだ。 「ドリルやテストはだいたい満点でした。でも、テストは内容と時間を一方的に決められるので好きじゃなかった。夏休みの宿題は一日で終わらせていましたね。英語は、発音記号から(音を頭でイメージして)覚えていました」 ■「聞こえる」のにできないのが不思議 小学6年の時の通知表を見せてもらった。ほとんど「◎」の中で、5カ所だけ1~3学期を通して「○」の項目があった。 例えば国語では、「聞き手にも内容がよく味わえるように朗読する」「細かい点に注意して内容を正確に聞き取り、自分の意見や感想をまとめる」の項目は「○」。音楽では、「音の響き合いを感じて歌ったり、音色の特徴を生かして演奏したりする」が「○」だった。いずれも、聴力や発話が必要な項目だ。 耳が聞こえず、話すことも難しいのだから、できないのは当たり前だ。それなのに他の聴者の子どもと同じ基準で「○」と評価するのは、あまりに機械的すぎないか。そう思い、「学校ってやっぱり硬直的ですね」と感想を言うと、女性は苦笑いしながら言った。 「先生から通知表のコメントで『学習意欲低下』と書かれたこともありました。それはその通りなのですが、なぜ自分が勝手に教科書を先に進めて読んでいるのかということを知ろうとしてくれなかった。『聞こえないから、今どこを学んでいるのかわかっていないのだろう』と思われて、注意されることもよくありました。そうじゃないんだけどなあって」 女性にとっては、勉強はがんばってするものではなかった。ただ単に、教科書を読んでいれば、内容を理解でき、テストもできただけ。それが普通のことだとも思っていた。さらに言えば、耳が聞こえる同級生は、耳が聞こえない自分よりも、もっと勉強ができるはずだと考えていたという。 「先生が黒板に板書をしますよね。あれは、耳が聞こえない自分がノートをとるためにしてくれているのだろうと思っていましたから」 だから、テストの点数が自分より悪い同級生がいることが不思議だった。先生の話す内容を聞き取れない自分が理解できていて、聞き取れるはずの同級生がついてこられない状況が、理解できなかったのだ。「聞こえる人ってバカなんだ」と思うこともあったという。 ■ショックを受けたいじめの理由 そうこうしているうちに、同級生の目が冷たくなっていった。鬼ごっこで集中的にタッチされたり、集団無視されたりした。 「耳の聞こえる人たちって、なんでこんな効率悪いことするんだろうって不思議に思っていました」 5年生のある日。勇気を出し、学校のアンケートでいじめの被害を申告したことがあった。その後の保護者懇談で、担任の先生が、母にこう言ったという。 「聞こえないのにできるから、いじめられているようです」 女性はそれまで、同級生にいじめられるのは、耳が聞こえないからだと思っていた。耳が聞こえないから悪いのだと。それなのに、「聞こえないのにできるから」なんて、どう理解していいのかわからなかった。 「大ショックでした。それからです。障害者はバカでいたらいいのかな、そうすれば友達と仲良くなれるのかな、と思うようになったのは」 小学校の卒業式の時の写真を見せてもらった。同級生らと整列して後方を向いて立っている女性は、耳に補聴器をつけている。どこか、不安げな表情で斜め上を向いていた。 (年齢は2023年3月時点のものです) ※【後編】<「ギフテッド」で「ろう」の女性が教員になろうと思った理由 米国留学で出会った教授から伝えられた「救いの一言」>に続く
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「同じ世界に生きているけど全然違う世界を見ている」 IQ130「ギフテッド」の息子に母が言った「がんばらなくていいんだよ」の言葉
視力と聴力が突出して高い特徴を持つユウ君(10)。【前編】では、それが感覚過敏で、視覚が狭すぎて文字全体が見えない、聴力が高すぎて音が刺さるように痛いという生活に苦しむユウ君の姿を紹介した。【後編】では、知能テストの結果で息子が「ギフテッド」だと改めて認識した母親が、彼の特別な能力をどう生かし、社会生活とどう折り合いをつけていったのかを追った。<阿部朋美・伊藤和行著『ギフテッドの光と影 知能が高すぎて生きづらい人たち』(朝日新聞出版)より一部抜粋・再編集> 【前編】<音が痛い、文字が見えない「ギフテッド」…感覚過敏で「もうがんばりたくない」と話す10歳少年の苦しみ>より続く * * * ■凸凹のIQグラフ 最初、母は自閉症を疑った。専門のクリニックに行った。だが医師は「相手の気持ちをくみコミュニケーションをとれる一方、感覚過敏で人と接するのが苦手というのは、当てはまる例がない。特殊ですね」と困惑した表情で言った。眼科や耳鼻科にも通ったが「異常はない」と言われたという。 とにかく情報がほしい。何が原因で、親としてどうサポートしたらいいのか知りたい。病院を回った。 小学校の養護教諭に勧められ、学校の近くにある小児科の心理相談に行ってみた。そこで発達専門の心理士に診てもらった。心理士はまず、ユウ君と雑談した。そしてこう言った。 「落ち着きぶりや受け答えが、小学2年生ではないです。学校では疲れてしまうでしょう」 そして、発達に関する検査を受けたほうがいいと言い、「WISC-IV」という知能検査を受けることを勧めた。 知能検査と聞き、母は少しためらった。検査は無料だというが、所要時間は1時間から1時間半ほどかかり、検査する人とユウ君が2人きりになることを伝えられたためだ。内容は「図を見たり言葉を覚えたり、簡単なもの」と伝えられていたが、知らない人と話すことが苦手なユウ君は、予想通り嫌がった。 「わらにもすがる思いでした」と母。ユウ君を「どんなふうに支援したらいいかを見つけるためのものだよ」と説得した。1カ月後に検査を受けることになった。 検査の日は大雨だった。雨が地面にはねる刺激だけで「痛い」というユウ君。なんとか病院に着き、検査室に入った。 検査室から出てきたユウ君は、黙り、つらそうだった。母に泣きつき、帰宅しても食事せず、何もやる気が起きずにいる状態が1週間も続いたという。「まだこの時は息子の目の異常がよくわからず、検査がどんなに大変だったか私も想像できませんでした。今ではかわいそうなことをしてしまったとも思います」と振り返る。それでも、検査の結果により、母が知りたかったユウ君のつらさの原因がわかっていくため、母は「本当に大事な検査でした」と話す。 ユウ君の検査の数値は、2人の意向で具体的には示さないが、母によると、言語理解はIQ130を上回った。一方、知覚推理が平均を下回っていた。その差は40以上あった。処理速度とワーキングメモリーは、平均より少し上だった。最高値と最低値の差が40以上あるのは珍しいという。四つの指標を折れ線グラフにして線で結ぶと、激しい凸凹になっていることがわかる。 これは何を意味するのだろうか。結果をもとに心理士から最初に言われたのは、「言語理解が高すぎる」だった。心理士によれば、差が15以上あれば、集団生活で生きづらさを感じることがある、と一般に言われているという。「もし(最も高い)言語理解が平均に近かったら、問題なく学校に通えていたかもしれないですね」と心理士は話し、こう続けたという。 「特に言語理解が高い子は、完璧を求める傾向があり、不登校になりがちです」 ■数値化された「生きづらさ」の一因 母は、まさにユウ君の一面を言い当てていると感じた。まさかこれほど高いIQが出るとは思っていなかったが、それ以上に、IQが高いことが生きづらさを引き起こす原因になっているなんて思いもよらなかった。母は「発達障害でしょうか」と聞いた。心理士も悩みながら「そう診断はできません。『2E』ギフテッドに該当すると思います」と言った。 ギフテッド? うちの子が? 母はふたたび驚いた。だが、そんな思いはすぐに打ち消した。ユウ君は、難しい計算を解いたり、複雑な漢字を書けたりするわけではない。成績も普通だ。独特な才能といえば、野鳥図鑑に載る670種を隅から隅まで記憶していたり、説明書を見ずにレゴブロックで小惑星探査機「はやぶさ」の形を組み立てたりといったことがあるぐらいだ。ペンを持たせると鳥の絵をずっと描き続けるということもあるが、これがギフテッドというには少し大げさすぎると思った。 心理士には、ユウ君にどんな障害があるのかは詳しくはわからないと言われた。その上で、フリースクールや2E教育に力を入れる支援団体などを紹介された。ただ「無理に学校に行かせないでください」とも言われた。いつかは学校に戻ってくれるだろうと考えていた母も、このことを境に考え方を大きく変えた。検査によって初めてユウ君の生きづらさの一因が「数値」としてわかり、納得できたからだ。 「検査がなければ息子のことを理解できないままだったと思います。子どもの言うことを信じて寄り添うことが本当に大事なことだとわかりました。そのことは今でも自分に言い聞かせています」 ■ゆっくり歩んでいくしかない もう一つ、ユウ君には不思議な感覚がある。母がそれを知ったのは、それから半年ほどたったころだ。 近くの物が見えていないのに、どのようにぶつからずに歩いたり野球のボールをつかんだりしていたのかと聞いた。するとユウ君は「波が伝わる」と言った。「ボールから波が伝わってくるでしょ。それで何とか」と。 「自転車に乗るのは?」と聞くと、「自分から出る波が、周りの物から出る波をキャッチし、世界が一瞬だけ透明のようになる」。それによって、あいまいだが周りに何があるかわかり、大まかな空間把握をしているのだという。 ただ、この波も強くなると「たたかれたり刺されたりするような痛み」を感じるという。 しかし、波と言われても、母にはもちろん理解できなかった。「みんな波の感覚はなくて、痛みも感じていないよ」と伝えると、ユウ君は落ち込み、泣いた。ユウ君は、みんながそうした感覚を持ち、痛みを我慢するのが当たり前だと考えていたのだという。母は落ち込んだ。学校でも、電車内でも、自宅でも、そんなつらい状況をずっと我慢していたなんて。気づくことができず、母は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。 「『がんばらなくていいんだよ』と伝えることぐらいしかできませんでした」 ある日、ユウ君は自宅にあった渦巻き形のランチョンマットを抱きしめていた。「ぐるぐるがいい」と言った。また、自宅にある天然の水晶を持ってみると、楽な感覚になるとも母に言った。水晶の結晶構造はらせん状であることが知られている。お守りにして持ち歩いているという。 母は言う。 「息子は同じ世界に生きているけど全然違う世界を見ています。とにかく受け入れて、ゆっくりと歩んでいくしかないと思っています」 そんなユウ君が脚光を浴びる出来事が、22年3月にあった。 ユウ君が描いた鳥の絵が、日本の企業などが企画したデジタルアートのコンペティションで、金賞を受賞したのだ。世界中から1248作品の応募があったなかで、唯一の最高賞だ。ある審査員からは「ずっと見つめていたくなる不思議なパワーを持つ」と評された。最高額の賞金1万ドルが贈られ、オークションにも出品され落札されたという。 タイトルは、「カワウ型飛行都市」。 細かなタッチの線や点で、水鳥のカワウと一体化した城が飛び立つ姿を黒のボールペンで描いている。母によると、A4のコピー用紙に書いたその絵を、スキャンしてデジタル化し応募しただけだという。ユウ君は、受賞時のコメントでこう自分を紹介した。 <ぼくの目は、みんなと同じようには見えていなくて、とても狭い範囲しかわかりません。自分の絵も、全部は見えなくて、一部分だけ見えます> <小さいものは、とてもよく見えるので、ずっと遠くの方を飛んでいる鳥を見るのが好きです> 賞金は、ユウ君の意向で、国外の難民を支援する団体や、障害やケアが必要な子どもの支援団体、ネパールで視覚障害者を支援している団体などに寄付しているという。「息子のカメラを買うお金ぐらいは残してもいいと思っていて、話し合い中です」と母は笑いながら教えてくれた。 公園での取材から1カ月ほどたった22年11月。ユウ君は、視覚発達の専門医による視野の検査を受けた。視野が5度しかないことがわかったという。医師は、一般的に人の視野は180~200度あると言い、なぜそんな狭い視野で歩いたり物をつかんだりできているのか不思議がったという。 ユウ君と初めて会った時、母に手伝ってもらいながら話してくれた言葉を私は思い出す。 「これまで、一生懸命みんなに合わせちゃっていて、なぜ自分がそんなに疲れてしまうのか、わからずいろいろつらかったです。僕の努力と我慢が足りないと思っていました。でも今は、鳥を観察したり、絵や漫画を描いたりして、心の中を表現したりできることが楽しいです」 23年1月、ユウ君は特別支援学校に転校し、新たなスタートを切っている。 (年齢は2023年3月時点のものです)
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岸部一徳、赤ん坊の世話もした「社会復帰」と「俳優修業」
沢田研二に萩原健一といったスポットライトを浴びる主役を斜め後ろから見続けてきた岸部一徳さんの美学。それはのちに久世光彦、樹木希林との、人生を変える出会いからもたらされた俳優としての道で花開く。暗転、そして舞台転換。新たに目の前に広がった場所には、逡巡と雌伏の季節に岸部のうちに胚胎した感性を注ぎ込める映画やドラマがあった。本誌編集長が聞く独占インタビューの第2回。 * * * 「僕は主役の、やや後ろ気味に立って見ているのに慣れているから」 岸部は今回のインタビューで、何度かこんな趣旨の言葉を口にした。注目を浴びることが生業の芸能界にあって、前に出るよりも一歩引いて、観察しているほうが性に合っているのだという。 1971年2月、グループサウンズ(GS)の面々、沢田研二、萩原健一、大野克夫、井上堯之、大口広司と結成したPYGは、GSファンにもロックファンにも総スカンを食らい、デビューから一貫して苦戦した。 「俺はジュリーには勝てない」 萩原が岸部に電話でこう吐露したのは、コンサートで客席がガラガラという事態が続いたころだ。 萩原は電話口で岸部に言った。 「歌はやっぱりジュリーのほうが全然いい。俺はもうやめようと思う」 萩原はライブパフォーマンスを含めすべてが「カッコいい」、“ショーケン”だ。 「沢田も、自分にはないものをショーケンは全部持ってると感じていたんじゃないかなあ」と岸部。「でもショーケンには彼の思いがあったんだろう。映画の裏方をやってみたいと言っていたけど、『約束』(72年)で結局主役の岸惠子さんの相手役で出演することになった。それからショーケンの俳優人生が始まったんですね」 PYGの終焉を迎える。それは岸部にとって大きな転機だった。 その後は井上堯之バンドの一員として沢田のバックで演奏したり、「太陽にほえろ!」(72年~)や「傷だらけの天使」(74年~)のテーマも演奏した。充実して見える活動が却(かえ)って、「音楽をやめようか」という岸部の気持ちを後押しすることになる。 テクニックの問題ではない。レッド・ツェッペリンのベーシスト、ジョン・ポール・ジョーンズにも認められたと伝わるほどの腕前だ。 ■樹木との出会い 赤ん坊の世話も 「いや、それも別に直接会って言われたわけじゃないからね。大野さん、井上さんみたいに才能があるわけでもない。音楽に対して自分は何かやってきたかな、作曲とか、アレンジができるのか、そういう勉強をしてきたのか。考えてみれば自分は女の子にモテたいぐらいのところから始めたんだけどね」 たまたま運良く人気が出てここまで音楽を続けてこられたが、こんなことでいいのだろうか。 「気付かなきゃいいんだけど、気付きだすともう、やめたくなるのよね。『やめるんだったら、いつがいいのかな』なんて思いながら、1年ほどね」 逡巡の時代、演出家の久世光彦のすすめで出演したのがドラマ「悪魔のようなあいつ」(75年)だ。荒木一郎演じる冴えないバイク屋の主人の借金を取り立てるチンピラ・左川を演じた。 当時TBSの久世光彦の演出には瞠目した。 「左川たちが路地みたいなところで立ちションベンをする。すると『溜めといてくれよ』って。本当におしっこしながらセリフを言ってって言う。で、本番でセリフが終わって、出すものも終わって歩いていくって、確かにそうなんだけど、セリフとの寸法が合わないわけ。テストまで我慢して溜めた分だけ出ちゃう(笑)。それで終わるまで撮ってる。今では考えられないですよね」 「人前でしゃべるより黙っているほうが好き」という岸部が、この世界で60年ほどを過ごしてこられたのは、いつも人との縁があったからだという。 久世のすすめで樹木希林の事務所「夜樹社」に入り、俳優としてのスタートを切った。 「希林さんと大楠道代さんの面接を受けた。『あなたに合う役があったらお願いするけれど、うちは生活のために仕事取ってきたりは一切しない。それでも大丈夫?』『はい』なんて話をして。本当に何年か、ほとんど仕事はなかったですね」 結婚して、子どもも生まれたばかり。渡辺プロ時代は入っただけ使うような暮らしだったので蓄えも雀の涙だった。家賃の安い住まいに引っ越しを続け、「ぜいたくをしない、友だちとも会わない」と生活を切り詰めた。赤ん坊の世話もよくした。 「朝5時に起きてね。でも海の向こうではジョン・レノンも同じことをやってると思えばちょっとカッコいいかなと思ってましたね」 ■「社会復帰」と俳優修業の日々 当時、岸部を心配した沢田が、人づてに自分が使っていないマンションを無償で貸した逸話もファンの間で知られている。「できて間もない中野ブロードウェイの高級マンション。ガードマンが常駐していて、屋上にプールがあって、お隣は青島幸男さん。毎日毎日、プールで子どもとプカプカしたり、ブラブラブラブラ……。『タイガースのリーダーは優雅ね、やっぱり』なんて言われて。ただ、ちょっと管理費がねえ、月4万以上した。後で沢田に『高いよ』って言ったけど(笑)」 仕事に恵まれないこの時期が岸部にとって「社会復帰」の時でもあり、俳優としての土台にもなった。NHKのドラマ人間模様「続 事件 海辺の家族」(79年)に起用された時、「どうやって俳優の勉強をしたらいいか」と岸部が尋ねると、脚本家の早坂暁は「一日中バスに乗ってずっと人を見ていればいい。僕はそうしているんだ」と答えたという。 「久世さんは、ドラマの中で台所仕事みたいな日常を本当にやる人。新人の女の子がどうにも芝居ができないってなったら、ベテランの加藤治子さんが代わりにやって見せてくれたり。それをみんなも最初からずっと見ているので勉強になる。『技術的な芝居なんかしなくていい』って、まあ本当は僕ができないから言ってくれていたんだと思うけど、素のままで一生懸命やればいいんだと。そういう優れた人たちの中で出発できたのは恵まれていました」 「良質なドラマに出る」という樹木らの方針もあり、初期こそ数は少ないものの、久世を始め、深町幸男、和田勉ら名だたる演出家の作品に出演するようになり、少しずつ俳優としての地歩を固めていった。 大林宣彦監督とも縁が深い。「時をかける少女」(83年)以来、映画では一番多く起用された。余談だが、「時を~」で原田知世の相手役・深町一夫を演じた高柳良一は慶應義塾高校出身で、瞳みのるの教え子だ。 岸部のキャリアは、映画「死の棘(とげ)」(90年)をおいては語れない。日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞した、メルクマール的な作品だ。 「映画は監督の作品なので。あれはもう本当に、個人賞、もう付録みたいなもので」 本作で小栗康平監督から「セリフに感情を乗せると浅いものにしかならないので感情を乗せないほうがいい」と言われ、内へ内へと向かい、掘り下げる表現を求められた。現場ではその意味を掴みかね、食事も喉を通らずノイローゼ状態に陥った。岸部にとって小栗は、今でも最も尊敬する監督であり、この時の経験が俳優という仕事の礎になったという。 「要するに、心の中をちゃんと作れないとダメだということですよね。日常生活でも、言葉で伝わらない、置き換えられない気持ちの動きみたいなものがある。言葉として、セリフとして発する前の、体の中に、心の中に残っている状態のほうが深いんだ、と。そこを大事にしないといけないよと言われたことは、今でも残ってますね」 90年代に入ると年4~6本のハイペースで映画に出演していく。今回のインタビューに際し、岸部の出演作を振り返ってみたが、筆者が過去に見て印象に残った作品の驚くほど多くに岸部は携わっていた。 オファーを引き受けるかどうかは、監督や脚本によるところが大きいという。 「でも、これは好みもあるんでね。自分の考え、思い、感性みたいなものでこれはいい作品だなと感じるかどうか。監督が何を撮りたいのか。それが当たるとか当たらないとかあんまり関係ないですね」 「死の棘」以来の主演作となった「いつか読書する日」(2005年)では青木研次の脚本に惹かれ、緒方明監督の「自分の撮りたいもの、自分の思ういい作品を誠実に映画にする」姿勢に敬意を抱いたという。 「顔」(00年)、「大鹿村騒動記」(11年)、「団地」(16年)など、阪本順治監督作品も多い。 「映画はやっぱり面白いと思う。テレビも向田(邦子)さんの『阿修羅のごとく』(79年~)とかね、好きなものがたくさんあるけれども。テレビは日常の延長線上で時代を映していますよね。映画は若いころに見たものを何年か経って見てみたら、違う解釈で見ていたことに気付く。それが面白い。新しい発見というか、そのころにはわからなかったことがありますからね」 ■ひと癖ある役も市井の人の役も 映画愛を語る岸部だが、テレビドラマでの活躍ぶりも、改めて言及するまでもない。「相棒」には02年のシーズン1から9まで小野田公顕役で出演。「官房長」の呼称は、岸部の代名詞にもなった。 「『相棒』は最初のころはこんなに長く続くとは思わなかった。打ち上げのたびに水谷(豊)さんと『続けるために面白いことをやるのではなくて普通の刑事ドラマではない挑戦ってなんだろう』とか、『いちばん良い時に終わることもあるかもね』なんて話をしてましたね」 降板したのはなぜ? 「ある時プロデューサーとご飯食べた時にね、『僕、やめようと思う』って、ふっと言葉が出てね。なんでだろう」 演技派としての地位を固める一方、新進のクリエーターと組んだ仕事では、新たな一面も見せた。 大滝秀治との掛け合いもシュールなキンチョールや、木村拓哉と共演した富士通FMVのCMを覚えている人も多いだろう。 三木聡監督の「転々」(07年)は「岸部一徳」として出演。眼鏡屋の前で眼鏡を洗っている岸部一徳を見かけた福原(三浦友和)と文哉(オダギリジョー)の「あの人誰だっけ」「岸部一徳じゃない?」「岸部一徳を街で見かけると良いことがあるんだって」というやりとりがある。 「三浦友和さんはあの作品でキネマ旬報の助演男優賞に選ばれたから、やっぱり良いことあったよね(笑)」 12年から始まったドラマ「Doctor-X 外科医・大門未知子」の神原晶役では手術代回収時にするスキップも有名になった。同作は7期まで続いている。最近、岸部が出演するドラマは長寿になるという業界内での「新伝説」が生まれたとか。 ひと癖ある役柄のインパクトが強いが、市井の人の役でも深い印象を残している。 06年からのNHK朝ドラ「芋たこなんきん」では、田辺聖子がモデルの主人公の祖父で、写真館を営む花岡常太郎を演じた。 仕事には厳しいが家族には優しく、浄瑠璃などの芸事も好きで温かみのある常太郎。 「僕の父に少し似ていたところもありますね」 岸部一徳の父、徳之輔は職業軍人で、終戦までは憲兵だった。 「戦争が終わってからは一度も定職に就かなかったですね。探偵の真似ごとをしたり、いろいろやったりしてましたけど。囲碁が好きだったから囲碁道場を開いてみたり。自分はお金がないんだけど、父の勝負に賭ける人がいて、勝つとすき焼きだったり。そういうのをいつもやってましたね」 岸部ら子どもたちも苦労は多かっただろう。 「どうなんでしょうね。みんな貧乏な時代だからねえ。うちは兄弟も多いんですよ。全部で10人くらいかな」 岸部はいったい、どんな幼少期を過ごしてきたのだろう。(次号に続く/敬称略) (本誌・渡部薫)※週刊朝日 2023年6月2日号
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西武・山川が書類送検で下位低迷の松井監督に「責任を負わせるのは酷」と同情の声
警視庁は23日、西武の山川穂高を強制性交等の疑いで書類送検した。山川は12日に登録抹消されて1軍復帰のメドは現時点で立っていない。西武は「当球団の選手が書類送検されたことは誠に遺憾であります。ファンの皆さまや関係の皆さまにご心配をおかけしており、誠に申し訳ございません」とコメントを出した。 スポーツ紙デスクは、山川の今後についてこう語る。 「現段階で有罪が確定したわけではありませんが、起訴される可能性が低いというわけでもない。相当処分でも起訴されるケースはあります。検察が起訴、不起訴の判断に半年以上かかることも考えられる。仮に不起訴となった場合も、グラウンドでプレーする理解が得られるかというと疑問です。西武は山川がいないものとして今後のチーム作りを考えた方が現実的だと思います」 NPBでは過去に性犯罪で解雇された事例がある。大洋の主力投手として活躍していた中山裕章が1991年オフに幼児への連続強制わいせつ事件を起こし、神奈川県警に逮捕された。大洋は球団幹部が中山と面談をした上で反省の色が濃く、将来的な復帰を見据えて中山に保留手当を支払うことを検討したが、セ・リーグ連盟は「処分が甘すぎる」と差し戻しに。契約解除となった。その後、94年に中日で支配下登録され、2001年まで中日でプレー。その後は台湾球界で活躍した。 当時の大洋を取材したスポーツ紙記者は振り返る。 「中山は間違いなく大洋の将来を背負って立つ素晴らしい投手だった。性犯罪という前代未聞な事件を起こした時はショックでした。中山の場合は被害者との示談が成立して検察側は起訴しませんでしたが、野球ファンの夢を裏切った、社会的影響の大きさを考慮した上で球界を離れることになった」 今回の事件で山川にも言い分はあるかもしれないが、ファンは裏切られた思いが強いだろう。愛妻家として知られ、家族を大切にするイメージが強かった。昨季は本塁打、打点の2冠に輝くなど、3度の本塁打王を獲得。球界を代表する和製大砲としての地位を築き、今年3月のWBCでは侍ジャパンの一員として世界一に貢献した。大会中は自身のインスタグラムでダルビッシュ有(パドレス)、大谷翔平(エンゼルス)、ラーズ・ヌートバー(カージナルス)らと写った写真を掲載。ベンチスタートが多かったが試合中に声を張り上げ、代打の切り札として奮闘する姿は多くの野球ファンの心をつかんだ。 だが、今回の騒動で「なぜ侍ジャパンを出場辞退しなかった?バレないと思ったのか」、「世界一に泥を塗ってしまう行為をしたのに、なぜ出場したのか」などSNS上には批判の声が殺到する事態に。 山川は順調に行けば今年中にFA権を獲得し、オフは複数球団による争奪戦が有力視されていたが、今後の野球人生は一転し、現役続行の危機を迎えている。 今季は4月上旬に右ふくらはぎの張りで3週間戦線離脱。5月2日に1軍に復帰したが、17試合出場で打率.254、0本塁打、5打点だった。チームも5月に入って下降線をたどり、下位に低迷。西武を取材するスポーツ紙記者は、こう語る。 「山川がいないからチームが低迷しているわけではありません。山川がいない時期が長かった3、4月は13勝11敗と健闘している。ただ、今後を考えると山川がいないのは大きな痛手です。松井稼頭央監督も大きな誤算だったと思います。西武はただでさえ戦力的に厳しい。投手陣はそろっていますが、昨オフに攻守の要だった森友哉がFAでオリックスに移籍して打線の迫力不足は否めない。ここで主砲の山川が想定外の形で起用できなくなり、周囲から色々な声が耳に入ってくるので野球に集中するのが難しい状況になっている。松井監督に低迷の責任を負わせるのは酷ですよ。チームを作り直すために2、3年の猶予が必要です」 西武は主力選手がFAで流出しても、若手の台頭で強さを維持してきた歴史がある。 「山川は今オフにFAで他球団に移籍する可能性も考えられただけに、半年前倒ししてチームを作り直す感覚で良いと思います。若手選手たちはレギュラーを奪うチャンスだと捉えればいい。松井監督が現役時代にメジャー挑戦した際は、中島宏之(現巨人)が遊撃の定位置をつかみ、エースの菊池雄星(現ブルージェイズ)がマリナーズに移籍した後は高橋光成が先発の柱になった。救世主となる若手の台頭が楽しみです」(民放のテレビ局関係者) 山川がいなくても、西武の戦いは続く。就任1年目の松井監督は大きな試練を味わっているが、「常勝西武」を再構築できるか。その手腕が注目される。 (今川秀悟)
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岸部一徳が語るザ・タイガース「『火のような後悔』があったのだろう」
通常、取材はほぼ受けない俳優・岸部一徳さんのインタビューが、本誌休刊のタイミングで実現。3回連載の第1回の今回は、ザ・タイガース前史からPYGまで、本誌編集長がお話を伺いました。 * * * 岸部の日課に最近加わったのが、ベースの練習だ。 「ここ10年、ほとんど触っていなかったからねえ。2曲続けて弾いたりすると指が疲れてくるんで……。6月までには間に合わせないとね」 2018年10月。興行主との集客に関する契約トラブルで中止となった沢田研二のライブから5年。6月に改めて、さいたまスーパーアリーナで開催される沢田の“バースデーライブ”に岸部はゲスト出演する。 「去年会った時に沢田から話があってね。あの時ドタキャンだと騒動になったでしょう? だから『いろんなこと言われたんで、きちっとリベンジしたい』と。それで『ああ、いいよ』って」 岸部と同じくザ・タイガースの元メンバー、森本太郎と瞳みのるもステージに立つ。13年のザ・タイガース復活ツアーには参加した加橋かつみは、今回出演しないという。 ザ・タイガース。1960年代のグループサウンズ(GS)ブームを象徴する伝説のバンドは、今年デビューから57年目を迎えた。 岸部とメンバーとの出会いは中学校時代にまで遡る。森本と瞳とは京都市立北野中学の同級生、それぞれ別の高校に進学したのち、瞳が連れてきて知り合ったのが加橋だ。 「森本とは一番古いし、まあ楽だよね。瞳も中学からいつも一緒だった。大っきいのと小っちゃいのの二人で」 牛乳配達のバイトを瞳に紹介してもらったこともあった。 沢田は岸部、森本、瞳の2学年下になる。 「あのころの一つ二つって大きいよね。沢田は本当におとなしくて。年下の遠慮もあったのかな。いまは全然ないけどね(笑)。沢田と一緒にやりだしたのが、運が良かったと思う。彼がいなかったら僕らは京都止まりだったんじゃないかな」 ザ・タイガースの原形は岸部と森本、瞳、加橋の4人が65年6月に結成したサリーとプレイボーイズだ(岸部の愛称サリーはリトル・リチャードの「ロング・トール・サリー」が由来)。加橋と森本はすでにギターが弾けて、瞳もドラムをたたいたので、岸部はベース担当に。初めて抱いたのは京都の楽器屋で手に入れた4万円の中古だ。練習は西陣の、日本舞踊の小さな舞台の設(しつら)えがあった森本の家が多かった。 「貸しスタジオなんて昔はないから。近所から苦情がくるので、アンプも通さないで、小さな音でね」 ほどなくバンド名をファニーズと変え、翌年、京都市内のゴーゴー喫茶「田園」で先輩バンドの坊やをしながら時折ステージで歌っていた沢田と出会う。 「僕ら4人は誰も歌えないと思ってたんでね。沢田に入ってもらって、ボーカルのいるバンドにしようとしたんだ」 ■5人のバランス 絶妙だった 海の向こうでは、62年にデビューしたザ・ビートルズが瞬く間に世界を席巻していたころだ。オーディションに合格し大阪・道頓堀のジャズ喫茶「ナンバ一番」に出演するようになるとファニーズはファンが増えていった。だが、当時17歳の沢田に後の“ジュリー”の片鱗はまだ見えなかったという。 「僕たちはファッションもアイビーとかコンチとか、全体的に『カッコいい』っていうスタイルを身に着けていたけど、地味~でもっさりしてるのが沢田だったからね(笑)」 だが、「いるかいないか、わからないような内気な少年」は、マイクを握ると不思議な光を放った。当時ブルージーンズにいた内田裕也が前座のファニーズに目を留めたことがきっかけで、渡辺プロダクションからのデビューへ繋がった逸話はよく知られている。 「5人のバランスが絶妙だった」と後年、内田は振り返っている。 大阪時代のファニーズゆかりの地として往年のファンの間で有名なのが、メンバーが下宿していた西成区岸里(きしのさと)の「明月荘」だ。 ここで、ちょっとした新情報をひとつ。 「住んでいたのは1年ほどね。二人で3畳一間みたいなところを3部屋借りたんですよ」と岸部。 3部屋? ずっと「5人で2部屋」と伝わっていますけれど? 「3部屋。僕は瞳と相部屋で、沢田は森本と。で、加橋かつみは一人。それでもかつみは時々、母親のいる実家に帰っちゃったりする。やっぱり共同で二人部屋とか、かつみにはしんどかったのかもわからない」 東京行きが決まると、京都の四条花見小路にある旅館で、メンバーの親も同席して渡辺プロとの契約書にサインした。親側のまとめ役は職業軍人だった岸部の父親が買って出た。66年11月。5人の若者の姿は、開業間もない新幹線の車内にあった。 彼らの人生は東京で一変する。作曲家すぎやまこういちの一声でザ・タイガースと改名し、翌年1月に日劇ウエスタンカーニバルに初登場すると、新宿「ACB」、池袋「ドラム」、上野「テネシー」など都内のジャズ喫茶は連日満員に。2月に出したデビュー曲「僕のマリー」の売れ行きは最初こそ凪だったが、セカンドシングル「シーサイド・バウンド」で人気は爆発する。68年1月のウエスタンカーニバル出演時には、ブルー・コメッツ、ザ・スパイダースら並み居る人気バンドの中でも一頭地を抜く存在となっていた。 「ようやくどうにか一番になったという感じでしたね」。後に沢田は自叙伝『我が名は、ジュリー』で語っている。 上京してわずか1年。飛行機での移動では空港に専用の出入り口が用意され、車で走れば警察車両が先導し、発車時刻に遅刻しそうな時はマネジャーが新幹線さえ止めさせた。 「いきなり、19やハタチで何もかも特別扱いになった。ちょっとやっぱり、生意気になってたでしょうね」 ■GSブームと70年安保闘争 岸部は嵐のような日々を述懐する。住む場所も合宿生活を送った千歳烏山の一軒家から四谷左門町、目黒の池尻大橋と、自宅に押し掛けるファンから逃れるように引っ越しが続いた。ベルベットのジャケットにフリルのブラウス、バレエダンサーのような白いタイツ風の衣装も着た。 「恥ずかしくはなかったよ。ああいう時はああいうふうになるの。5人並んで真ん中にジュリーがいるから一応格好がつく。僕が一人でタイツはいてたら、おかしいでしょ(笑)」 GS全盛期は、そんな時代だった。「でもね」。岸部は言う。 「むつかしいのは、一方では安保闘争をやっている」 東大生の樺美智子が命を落とした60年の安保闘争。学生による反体制運動は続くベトナム反戦運動へとなだれ込み、GSブームの最高潮は、一連の大学紛争が激化した70年安保闘争の時期にぴたりと重なる。 「そんな時に、こっちは女の子相手に音楽やってるわけ。ファンに男なんて誰もいないから肩身が狭い。その肩身の狭さは、外国のほうを見てどうにかしようとするわけですよ。ビートルズとかローリング・ストーンズとか、あっちだってキャーキャー言われてる。『あんなすごいグループと僕らも同じなんだ』と思いながら、やってましたね」 68年6月、「木島則夫ハプニングショー」で、当時社会問題化していたGSと長髪男子の象徴のごとくザ・タイガースが批判にさらされたこともあった。 番組ではアウェー感が演出され、観覧者として参加していた教諭から、「GSファンは大脳が弱い」などという“口撃”も続く中、岸部は毅然と言っている。 「若者を全然理解しないようなのは本当の大人じゃないと僕は思う。だからこれから僕たちが何十年か先、大人になった時は、もっと綺麗な大人になりたいと思います」 日本全体が大きくうねり、転換していた時代だ。変化はメンバーにも生じていた。 「ちょっとずつ考え方に差が出てくるよね。音楽的な趣向が合わないとかじゃなくて、プロダクションの給料制に対してどうだとか、人気に見合うものをもらっているんだろうか、搾取されてどうするんだとかね。周りに『あんたたち、取られてるんだよ』っていう人も出たりする」 アイドル性を重視した渡辺プロのプロモーションも、「日本一のバンド」を目指して出発したメンバー間で少しずつ軋轢(あつれき)の種となっていた。 69年3月、レッスン中に姿を消したまま、加橋は戻らなかった。岸部の弟、シローの加入は話題にはなったものの、すでに瞳の心もグループから離れていた。 「ある日、ウエスタンカーニバルの時に、日劇の奈落にピー(瞳の愛称)に呼び出されてね。『こんな所にいないで、一緒に京都に帰ろう』って言うんだよ」 岸部にはそのころ、すでにザ・タイガースの解散をにらんで、沢田たちと新たなバンドを組む企画が進行中だった。 <なんで帰らないといけないの? 帰ってどうするの? まだやること、こっちでいっぱいあるんだよ> <一緒に帰らないんだったら、お前とはもう会わない> <いいよ> <一生絶交だ> 「子どもじゃないんだけどね。そんなやりとりがあったね」 ■武道館での解散「帰れコール」 71年1月24日、ザ・タイガースは日本武道館でのコンサートを最後に解散した。 公演の後、親や歴代のマネジャーも呼んで、有楽町のガード下にあるちゃんこ料理屋でお別れの食事会が開かれる。内田裕也の主催だった。 会が終わると瞳は、表に待たせていた家財一式を積んだ2トントラックに乗り込み、京都からコンサートを見にきてくれていた中学時代の親友2人と共に去っていった。振り返りもしなかった。 「よくそんな、ねえ。次の日だっていいじゃない(笑)。あの決意はすごいと思うけど」 ザ・タイガースというグループで青春を無駄にしてしまったという「火のような後悔」があったのだろうと、岸部は友の心中を思う。その後、瞳は37年間にわたってメンバーはおろか、芸能界との一切の交流を絶つ。 解散後、岸部は沢田とともに、ザ・テンプターズの萩原健一、大口広司、ザ・スパイダースの大野克夫、井上堯之とPYGの活動を本格始動し2月1日にデビュー。解散コンサートから1週間後のことだった。 PYGが目指したのは本格的なニュー・ロックだ。沢田と萩原のツインボーカル、天才と言われた大野、ミュージシャンに一目置かれる井上も加わり、「GSとは全く違う、もっと上のものを目指そう」と、今までに増して前向きだった。だが──。 出演したロックフェスでは「帰れコール」が飛び、トイレットペーパーや空き缶がステージに投げ込まれた。 「この人たち、ちょっとおかしいんじゃないと思ったぐらい、排除された。GSの残党が金儲けで集まったみたいに思われてるわけだから。出てる方はそんなことないのにね」 GSのファンからも、ロックファンからもそっぽを向かれ、コンサートの客席はガラガラ。メンバーの多忙も重なり、PYGは自然消滅していった──とされているが、実情は違ったらしい。 ある日、岸部のもとに電話がかかってくる。 「俺は、もうちょっと、沢田には勝てないなあ」 声の主はショーケンだった。(次号に続く/敬称略) (本誌・渡部薫)※週刊朝日 2023年5月26日号
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大河ドラマ「光る君へ」に脚本家が不安のワケ「危険な企画だと思った」【後編】
大河ドラマ「功名が辻」(2006年)、「セカンドバージン」(10年)、「家売るオンナ」(16年)、「星降る夜に」(23年)など、数多くの人気ドラマの脚本を手がけてきた脚本家の大石静さん。6月22日から、宮藤官九郎さんとの共同作「離婚しようよ」がNetflixで配信されます。さらに、来年の大河ドラマ「光る君へ」の脚本を担当する大石さん。作家の林真理子さんが、まさにいま、執筆中である「光る君へ」の舞台裏に迫りました。 * * * 林:「離婚しようよ」を書きながら大河ドラマも書いてたんですか。 大石:違います。私は一度に一つしかやらないです。連続ドラマは。 林:連ドラってすごく体力いるんでしょう。 大石:体力がいると言うより、過酷ですね。大河は、民放の5クール分あるんですよ。それをぶっ続けでやるの。いま私、来年の大河の第13話を書いてるんですけど、もうすでに死にそうって感じ。最後まで生きてるかどうかわかんないな(笑)。 林:来年の大河は紫式部ですよね。 大石:そうです、『源氏物語』じゃなくて紫式部の生涯を描きます。でも『源氏物語』も、昔、漫画で読んだぐらいの知識しかないからいちおう少しは勉強したんですけど、ほんとに紫式部はすごい芸術家だなと思いますね。林さんの『STORY OF UJI 小説源氏物語』も拝読しました。 林:ありがとうございます。 大石:私は宇治十帖(『源氏物語』54帖のうちの末尾の10帖)がいちばんおもしろいと思うんですよ。 林:私も、自分で言うのもなんですけど、あれはすごくよくできてると思う。 大石:よくできてる。いろんな方の現代語訳をチラチラと読みましたが、林さんのがいちばんおもしろかったです。 林:あの作品はフランスの心理小説みたいにしたんですよ。装丁もすごく美しい本にして。あんまり売れなかったけど(笑)。紫式部役は吉高由里子さんですね。 大石:吉高さん、平安顔でしょ。衣装合わせのときの写真、見せちゃおう。(スマホを見せて)ほら、カワイイでしょう。 林:すごくカワイイ! メチャカワ! 藤原道長の役は誰ですか。 大石:柄本佑さん。あの人、長身で、シュ~ッとしていて、むちゃくちゃ色っぽいんですよ。その色気がうまく出るといいなと思ってます。 林:『紫式部日記』を読んで、私たちと似てるなと思ったのは、紫式部って作家の目でいろんな人を見てるんですよね。偉い人の輿を担いでいる人がすごく苦しそうで、「あれは私だ」って言ったりする。あれを読んで私、1千年前の人がぐっと身近になった。 大石:そうですよね。フィクションじゃないと本当のことは書けないとか、そういうこともサラッと言ってて。彼女は、(藤原)道長のことを好きだったと、私は思うんですけど、彼に庇護されながらも批判するまなざしもあって、ほんとに『源氏物語』は哲学的作品だなと思いました。 林:大石さん、大河は何回目? 大石:2回目です。 林:「平安時代をやってください」ってNHKから言われたの? 大石:「大河をやってください。紫式部の物語で」って。私、「山本五十六とかやったらおもしろいんじゃないですか?」とかいろいろ言ったんだけど(笑)、「山本五十六だったらあなたに頼みません」みたいな感じだったんです。私、仕事はいつも即決なんですけど、今回はどうしようかなあと思ってすごく迷いました。 林:そうでしたか。 大石:「大河、やりたい、やりたい」って言ってるときは、誰も振り向いてくれず無視され続けていたけど(笑)、「こんなトシになって言われてもなあ」という気持ちと、平安時代って誰も何も知らないし、なじみのない時代を、視聴者が見てくれるのかと考えました。戦国時代だったら、こうなってああなって、本能寺で信長は死ぬってわかるので、みんな乗りやすいですけど。チャレンジングではあるけど、危険な企画だと思いました。史料もないし。だけど、私、70歳になって、この先こんなに「ぜひやってくれ」と求められることはもうないだろうと思うし、これを断ると後悔しそうで、イチかバチかやってみようと思ったんです。道長が書いた『御堂関白記』という日記があるでしょう。 林:はい、はい。 大石:あれは国宝かつ「世界の記憶」(旧記憶遺産)で、一般には公開されてないんですけど、それを見せてもらいに行ったら、道長に「書け」って言われているような感じがして、ゾクッとしました。 林:まあ、素晴らしいです。でも、平安時代の彼女たちってほとんど外に出てないで、ずっと家の中にいる。あの時代は合戦もないし、そういう中での大河ドラマって大変だと思う。そこは大石静流でどうにかしちゃうんですか。 大石:大河って戦国とか明治維新とか、必ずグッと変わるきっかけがあるけど、道長政権のときは太平の世だから目立った戦もないし、人の心の中の激動を描くしかないので、それをどう退屈させずに見せるかっていうのは難しいです。いままでの大河とはだいぶ趣が違うと思いますので、不安ではありますね。でも「ゴッドファーザー」と「華麗なる一族」を足したような、ゾクゾクする物語にするよう奮闘中です。 林:楽しみです。私、京都の風俗博物館で十二単を着せてもらったことがあって、「脱がされるときはどうするんですか?」って聞いたんです。そしたら亡くなった渡辺淳一先生も同じことを聞いたみたいで、「作家ってどうして着ることより脱がせることばっかり考えるんですかね」って(笑)。 大石:私もどうやって一瞬で脱ぐんだろうと思ってたんだけど、十二単ってわりと下の身分の女房たちの正装で、たとえば私たちがホテルでルームサービスを頼んだとき、運んでくる人はネクタイしてきちっとしてるけど、私たちはパジャマで受け取ったりするでしょう。そういう感じで、貴族ほどラクな格好をしていたらしいです。わりとペロッと脱げるらしいんですよ。十二単といっても、さすがに12枚はなくて7、8枚で、しかも全部脱ぐという感覚は、当時はなかったと思います。 林:『源氏物語』でも、廊下の隅でそういうことをしようとするじゃないですか。びっくりしますよ。 大石:現代ではびっくりだけど、あの時代は「はじめまして」という感じで女を抱くんじゃないですか。 林:あいさつ代わりに? 大石:そう。女も転職するみたいな感じで男をポンポン代える。いまのように不倫が糾弾されるような世の中ではなく、“何でもあり”という人間のパワーを感じますね。 林:でも、平安の人って、どうして顔も見ない人に恋い焦がれてラブレターを送れるんだろう。不思議ですよね。 大石:私もそれは不思議。 林:私が『源氏』の小説を書いたときに見てくれた山本淳子先生(平安朝文学研究者)は、手紙のやりとりをするときの香の焚き染め方、添えるお花、歌の素晴らしさ、筆跡の見事さ、そういう総合芸術でその女の人を好きになるんだから、いまみたいに「顔がカワイイ」とか、「スタイル俺好み」というのよりずっと美意識が高かったんです、っておっしゃってた。 大石:私もその話を山本先生に聞いたけど、夜は真っ暗で何も見えないんですよね。ブスでも勝負かけられていいなと思いました(笑)。 林:山本先生曰く、「長くて冷たい髪の毛を男の人が闇の中で捕まえたりするのもエロチックですよね」って。 大石:エロチック。真っ暗で見えないから、裸を愛でるってことはないんですよ。顔もどうでもいい。匂いとか手触りで判断する。そしてセックス自体がいいとなったら本気になっていくんじゃないですか。3日通ったら「結婚した」と言えるらしいですよ。 林:私、日大の仕事もあって、いま小説の連載は『平家物語』だけなんですけど、『平家物語』をやりたいなと思ったのは、昔、藤純子(現・富司純子)さんと尾上菊五郎さん(当時は尾上菊之助)がやった「源義経」……。 大石:ああ、昔の大河ね(1966年放送)。 林:それを見ていて、女の人たちが海に落ちていくときに、琴の音の中で金魚が……。 大石:金魚? 林:緋の袴で金魚みたいに沈んでいくあのシーンが子ども心に忘れられなくて、それから何十年もたって書きたいなと思って。 大石:なるほどね。あの戦で沈んでいく女の人たちがキラキラして金魚みたいだって、林さんのそういう感性はとんでもなく鋭いですね。そんなことはなかなか言えないですよ。 林:大河は、戦国の時代が続いたから、今度の平安、めちゃくちゃ楽しみ。男性の平安はあったけど、女性の平安は初めてだし。 大石:そうなんです。どうかうまくいきますように……。 林:大河を終えたら、少し体を休めようって思ってます? 大石:ちょっとはね。 林:でも、大石さんのことだから、きっと仕事のオファーがいっぱい来るんでしょう? 大石:それはどうかわからないけど、私、自分ですごく営業するタイプなの。いまスケジュールが空いてなくても、これと思うプロデューサーに局でひょっこり会ったりすると、「ぜひお願いします」って必ず言うの。 林:大石さんみたいな大物がそんなこと言うの? 大石:捨て身で営業するのが私の生き方。この人はいけそうだなとか才能ありそうだなと思う若い人には早めに言っておくの。何年かしたらそこから仕事が来るっていうことありますよ。 林:私たち、受注産業だもんね。大石センセイ、私の原作も何かお願いしますよ……、とか言って営業かけちゃって(笑)。 大石:基本、私はオリジナルしかやらないんですけど、大河で疲れたあとは原作もののほうがいいかも。そのときは渾身の力を込めてやらせていただきます。 林:うれしい。よろしくお願いします! (構成/本誌・唐澤俊介、編集協力・一木俊雄) ※記事の前編はこちら>>「宮藤官九郎は『すごくコワかった』 大石静が“嘆願”した意外な内容」※週刊朝日 2023年6月2日号より抜粋
週刊朝日
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学校の授業は退屈で居心地が悪い 並外れた才能ある「ギフテッド」の人たちの生きづらさ
「ギフテッド」と呼ばれる特定分野で突出した才能を持つ人たち。並外れた能力を発揮する一方、学校の授業や生活が苦痛、社会人になっても居場所がないなど、生きづらさを抱えている。『ギフテッドの光と影』(朝日新聞出版)の著者が、ギフテッドの人たちの苦悩に迫った。AERA 2023年5月29日号の記事を紹介する。 * * * 東京都内に住む小学6年の小林都央さん(11)は小4で英検準1級(大学中級程度)、小5で漢字検定2級(高校卒業程度)に合格し、英語と日本語を操るバイリンガル。IQ(知能指数)は平均とされる100を大きく上回る154だ。都央さんのように特定の分野で並外れた才能のある人のことを「ギフテッド」という。 幼稚園のころには分子に興味を持ち、すべての元素を英語と日本語で暗記した。同じころパソコンに触れ始めた都央さんは、元素クイズを自動で出すゲームのプログラムを自作して遊んだ。 人口の上位2%のIQを持つ人たちが参加する「JAPAN MENSA」の会員に小学2年で認定された。複数のプログラミング大会で特別賞などを受賞。住んでいる地元の教育委員会からは、映像コンテストやギフテッド向けのプログラムで優秀な成績を収めたとして、2年連続で表彰を受けた。世界屈指の医学部を有し、最難関大のひとつであるアメリカのジョンズ・ホプキンス大学のギフテッド向けプログラムでは最優秀の成績を収めた。 都央さんの経歴には、こうした数々のきらびやかな業績が並ぶ。一方で、幼いころから集団での生活にストレスを感じ、適応に苦しんできた。ざわざわしている教室にいると落ち着かない。指示された通りに動かないと怒られる学校は都央さんにとって「つらい場所」となった。教室では自分を押し殺し、時計をじっと見て時が過ぎるのを待っている。学校に長い時間いると、顔がこわばり、泣いて帰ってきたこともあった。現在は週に2日ほど登校する。 通っている塾の模試では偏差値79をとった科目もある。しかし、学校での評価は「出席」という高い壁がある。 小学5年の2学期は登校するペースが落ちたものの、学校のテストでは良い点数をとった。だが、通知表では、出席日数が少ないため1学期より成績が落ちた。母親の純子さんは、担任に手紙を書いて都央さんの特性を理解してもらうよう努めてきた。それでも、「学校に行くことが前提」とされる現状をとても歯がゆく感じるという。 「日本では、子どもの能力よりも学校に行くことが評価されてしまう。前例がない、と言われることも多く、『すみません』と謝ることばかり。足が速い、絵がうまい、と同じようにギフテッドの特性を認めてほしい」(純子さん) 海外の研究などによると、ギフテッドについて世界的におおよそ共通理解されている定義では、並外れた才能ゆえに高い実績をあげることが可能な子どもや、実際目に見えて優れた成果をあげている子どもだけでなく、潜在的な素質のある子どもも含むなどとされ、才能の領域は、知的能力全般、特定の学問領域、創造的思考や生産的思考、リーダーシップ、音楽、芸術、芸能、スポーツなどに及ぶ。 ギフテッドはさまざまな才能の領域で3~10%程度いるという研究もある。35人学級だと、クラスに1~3人ほどいる計算だ。そして、ギフテッドの多くは都央さんのように、学校の授業を「ただ過ぎるのを待って過ごしている」と指摘する研究もある。 また、知的な才能のあるギフテッドの子どもは、平均的に2~4学年、知的レベルが進んでいると言われており、小学6年生が小学2年生のクラスに所属すると想像すると、いかに居心地が悪いか思いをはせることができるかもしれない。 ■学校の授業はとても退屈、先生からは「態度が悪い」 成人してから自身がギフテッドかもしれないと感じた都内に住むフォトグラファーの立花奈央子さん(40)は、長い間生きにくさを感じてきたという。 小学生時代、学校の授業はとても退屈に感じ、教科書をひととおり読めばだいたい理解できた。先生からは「態度が悪い」と叱られたことを覚えている。学年が上がるごとに、退屈な授業や学校生活を、苦痛に感じるようになっていった。 勉強はしなくても、テストはいつも満点。通知表は、体育以外はすべて「◎」。その代わり、同級生とは話が合わなかった。勉強していないのにできるからだろうか、いつの間にか嫌われていたという。 「無視されたり、工作でつくった作品を隠されたりしましたね。遠足の班分けは、いつも自分だけ最後まで残っていました。だんだん、自分が悪いことをしているからいじめられるのだと思うようになっていきました」(立花さん) 高校を卒業し、社会人になっても居場所は見つけられなかった。自分の好きなことをしても否定され、周りの視線や雰囲気に合わせて仕事をする日々が繰り返された。19歳の時、立花さんは心を病んで休職した。「うつ病」「解離性遁走(とんそう)」と診断された。突然どこか遠くへ行ってしまい、気がつくと自分がなぜそこにいるのかわからないことが続いた。 「このままではだめになる。徹底的に治さなければ」と、精神科病院の閉鎖病棟に自ら望んで入った。約3カ月間すごし、自分の気持ちに向き合おうと決めた。仕事を辞め、たどり着いたのが女装専門のフォトグラファーだった。 36歳のころ、発達障害を疑って、知能検査を受けたところ、全般的なIQが平均を大きく超える137だった。そこからギフテッドに関する専門書を片っ端から読んでみた。 すると、書かれていた特徴がいちいち自分に当てはまった。他人に合わせ、ずっと生きづらさを抱えてきた。本当の自分は何なのかと思ってきた疑問が、ようやく解けた気がした。「パズルのピースがはまるような感覚だった」という。 「私は、自分のことを『天才』とは思いません。ただIQが高いという個性があるのだということがわかりました。そのせいで、これまで息苦しさや孤独を抱えていたのだと理解できて本当に良かったです」(立花さん) (朝日新聞社・阿部朋美、伊藤和行) ※AERA 2023年5月29日号より抜粋
AERA
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市川猿之助、なぜ両親も…「母親は一生懸命に息子を応援」と鰻屋の女将 スキャンダル後の胸中とは
18日、歌舞伎俳優の市川猿之助さんと両親が自宅で倒れているのが見つかった。母親はその場で死亡が確認され、父・段四郎さんは病院に搬送後、死亡した。猿之助さんは意識がもうろうとした状態で発見されたが、現在は命に別状はないとされる。猿之助さんは歌舞伎界のトップ役者の一人で、両親にとっては自慢の息子。しかし、事件当日発売の女性週刊誌では、スキャンダルが報じられていた。思いつめた末の悲劇なのか。しかし、なぜ両親までも……。事件を読み解くための背景を探った。 * * * 市川猿之助さん一家が行きつけにしている東京・浅草の老舗の鰻料理店「うなぎ 小柳」。 雷門から徒歩4~5分くらいのところにある。 「うちの店はあと2年で創業100年なんですよ」 と女将は話す。そんな店に猿之助さんはやって来た。女将によると、猿之助さんが初めて来てから、かれこれ15年か20年くらいになるという。 「猿之助さんは鰻はうちの店以外は食べられないと言ってくれるのよ。『他の店で鰻を食べたら骨がのどにひっかかった』と言ってました。食べ歩きが好きな人ですから、自分に合う店を選んでいたんじゃないかな」 この店に通うようになったのはファンの差し入れがきっかけ。 「猿之助さんがまだ亀治郎さんだった頃、ひいきのファンがうちの店の鰻を、明治座で公演中の猿之助さんに差し入れたんですよ。それから猿之助さんがうちの店に食べに来るようになりました」 いつも必ず注文するメニューは決まっている。鰻重の最上級の「松」(税込み3520円)と「きも吸い」(税込み110円)。記者も同じものを注文して食べてみた。ご飯の上の鰻は柔らかい。甘くもなく、辛くもなく、さっぱりとしている。 「猿之助さんはビールは2人で1本くらい。それほど飲まれなかったですね」 父親の市川段四郎さんも母親も店に来たことがあるという。 「奥様はとってもかわいがっていて、息子さんを一生懸命、応援している人で、いつも息子さんの舞台を見に行っていました。うちの店には猿之助の舞台を見終わった後、和服で来ることが多かったですね。とってもかしこい方で、人を見る目がある。段四郎さんはやさしい感じの人でしたね」 猿之助が最後に来たのは今年1月14日(土曜)。 「1月の歌舞伎座公演の時ですね。午後7時頃、急に電話があり、4~5人で来ましたよ。2階でみんなで食べてました。元気な様子だったのに、こんなことが起きてびっくりしてます」 ◇梨園のスキャンダルは珍しいことではないが 両親は布団がかけられた状態で2階で発見され、猿之助さんは地下室で倒れていた。両親の死因は向精神薬中毒とみられている。 事件の真相は明らかになっていないが、猿之助さんの精神面に少なからず影響を与えたと思われるのが18日に発売された雑誌「女性セブン」(小学館)の報道だ。同誌では、スタッフや共演者、弟子へのハラスメント疑惑が掲載された。暴言を吐くなどのパワハラに加え、優越的な立場を利用した性的な強要があったという衝撃の内容で、発売前の同誌の取材に対し猿之助さんは「答える義務はありません」と答えたという。 報道の内容が事実なのか、事件の引き金が女性セブンの報道だったのかはわからない。ただ、報道と事件のタイミングから考えると、まったく影響がなかったとはいいきれないだろう。 一方、梨園のスキャンダルは珍しいことではない。例えば、中村芝翫(しかん)はたびたび不倫報道がされているほか、市川海老蔵も隠し子がいたことが報道で明らかにされている。業界に詳しい関係者は「歌舞伎界には昔から性に寛容なところがある」と話す。 「歌舞伎では男性が女形(女性の役)を演じるため、男女両方の芸を訓練していきます。その中で、性的な好みが男性や女性を行き来することがあります。歴史をひも解くと江戸時代に女形の修行の一環として少年が男性と関係を持つことが行われていました。今なら犯罪ですが、当時はこうしたことも芸の肥やしとされていたという歴史があります」 今回の事件では、父・段四郎さんと母親も亡くなっている。目立った外傷などはなかったとされる。世間では「なぜ両親も」といぶかしむ声があがっている。先の関係者は「『猿之助』の名前を汚すことに対して、申し訳ない気持ちを強くもってしまったのではないか」と、親子の心境を想像する。 「猿之助」とは、先祖代々襲名されている名前「名跡」(みょうせき)だ。猿之助さんは2012年に四代目「市川猿之助」を襲名した。名門「澤瀉屋」(おもだかや)を率いる立場だ。当然、その名は“重い”。「猿之助」家の芸風は、「古典的な歌舞伎を革新する進取の気風が持ち味」とされ、実際に猿之助さんはその名に恥じない活躍を見せていた。 父親の段四郎さんはセリフ回しと荒事系の所作を得意として、敵役や脇役などで活躍を見せる歌舞伎俳優だった。しかし、体調不良が続いており、長い間、舞台に立つことができていなかったとされる。 「一般の人たちからすれば想像はしにくいかもしれませんが、歌舞伎一本で生きてきた人たちにとって名前に傷がつくことは耐え難いことです。今回の報道がきっかけの一つとなり、段四郎さんも猿之助さんも『役者生命が終わった』と感じてしまったのかもしれません」 真相はどこにあるのか。 (AERAdot.編集部 上田耕司、吉崎洋夫)
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紀子さま 戴冠式での着物姿、なぜ「たるみ」と「よれ」が気になったのか
英ロンドンのウェストミンスター寺院で執り行われた、チャールズ国王の戴冠式。長引くインフレや失業率の高さなどに配慮して、これまでより簡略化された式典となった。参列者のドレスコードも緩やかになり、各国の王妃や皇太子妃らがひざ丈のドレスなどで臨むなか、松竹梅の柄の着物をお召しになって参列した秋篠宮家の紀子さま。和装を世界にアピールする場にもなったが、親子2代にわたって皇室に着物を納めてきた関係者はため息をつく。 * * * 1億ポンド(約170億円)規模と報道されたチャールズ新国王の戴冠式。これまでより参列者の数も絞られ、かつてのような豪華な夕食会も開かれなかった。 参列者のドレスコードも緩やかになった。 2013年のオランダ国王の即位式では、東宮であった天皇陛下と雅子さまが参列した。雅子さまは、日中の正装であるローブモンタント(長袖ロングドレス)をお召しだった。 一方、チャールズ新国王の戴冠式では、ひざ丈のドレスやナショナルドレス(民族衣装)の装いで出席した各国のロイヤルメンバーもすくなくなかった。 宮内庁関係者がこう明かす。 「英国側からドレスコードについて何度か連絡があり、その度に基準が緩やかになったと聞いています。最後は、ナショナルドレスでも構わないということになり、紀子さまも着物を選ばれたそうです」 ■「一体どうされた?」 戴冠式が執り行われるウェストミンスター寺院に向かう秋篠宮ご夫妻。にこやかに微笑むおふたりの写真は、世界に配信された。 モーニング姿の秋篠宮さまの隣で歩を進める紀子さまが選んだ着物は、吉祥文様である松竹梅や小花や波柄、そして金彩がほどこされた淡い色の訪問着。七宝文様の袋帯には、慶事に合わせる白金の帯締と帯揚げ、金銀の祝扇をさしている。金色のバッグも明るさを添えている。 紀子さまの帯は、18年にオランダ・ハーグ市を訪問しマルグリート王女と歓談した際や、19年の都内での公務でもお召しであった品だ。新調せずに、馴染んだ和装を選ぶ紀子さまに、不況が続く国内外への配慮がうかがえる。 目を引くのは、背と両袖に秋篠宮家の家紋を入れた、三つ紋の訪問着である点だ。 天皇と皇族方は、それぞれの家紋を持っている。 天皇ご一家である内廷皇族は、十六葉八重表菊(じゅうろくようやえおもてぎく)。他の皇族は、十四葉一重裏菊(じゅうよんようひとえうらぎく)を用いる。 各宮家は、創設にあたり紋章(家紋)をつくる。 皇嗣家である秋篠宮家は、中心に十四弁の菊の花を置き、周りに横向きの菊花と秋篠宮さまのお印である栂(つが)の枝葉を四つずつ円形に連ねた意匠。 ご夫妻で相談しながら選んだという。 紀子さまらしい、華やかながら控えめな和装である。 だが、「染の聚楽」代表の高橋泰三さんは、ため息をつきながら戴冠式の様子を見ていた。今回の着物は、泰三さんが納めたものではないが、「染の聚楽」は、昭和の時代から皇室に着物をつくり納めていたこともある。 「日本の伝統文化を世界にアピールするよい機会ですから、和装をお召しと知り、楽しみにニュースを拝見したのです。お召しの着物は、手の込んだ刺繍はなく、染で細かな意匠を描いた訪問着でした。むしろ色無地の方が帯を引き立たせたかもしれません」 一方で泰三さんは、紀子さまの映像や写真を目にして驚いたという。 「着物業界の人間も同じ思いを抱いたようで、私のもとに何件も『紀子さまのお着物は、一体どうされたのか』と問い合わせがありました」 ■着物を着こなす紀子さま 具体的に、どのあたりに違和感を持ったのか。 「真っ先に目についたのは、紀子さまの着物のたるみとよれ具合です。日本の新聞やテレビでよく使用された写真を見ると、歩く紀子さまの裾が妙にたるんで、よれています。裾も大きく崩れ、後ろがめくれています。和装の顔ともいえる袋帯も内側の袋の部分がぐんにゃりと生地がヘタっているようにも見えます」 紀子さまは、普段からよく着物をお召しで和装には慣れている。今回のように、歩くだけで足元が大きく乱れることはない、と泰三さんは首をひねる。 「質の良い正絹は、幾重にも絹糸を重ねて密度が濃く織り上げられます。そのため昔は、目方つまり重量で正絹の価値を測っていました。良い正絹は生地自体の重みがあるため、身体にきれいに沿う。逆に、正絹の織の密度が粗い場合は、ペラペラと薄い着物になります。生地も軽いため、歩いていても着物の裾にたるみやよれが出たり、めくれやすくなったりします。紀子さまの着物にこれほどたるみとよれが出てしまったのは、薄い生地であったためかもしれませんね」 天皇や皇族方は、国内外の要人の接遇を行い、厳粛な式典にも出席する。装いは、接遇の相手やそこに集まる人々に敬意を示す手段でもある。 装いが注目される皇后や女性皇族は、360度どの角度から写真や映像を撮影されても困らないような、気遣いと立ち居振る舞いを常に求められる。 和装では着くずれやしわを防ぐため、公務の際に車で移動するときもシートに背中をもたれないよう配慮している。さらにシルエットを整えるために帯板を何枚か重ねるなど、工夫を重ねるケースもあるという。 「紀子さまは、普段の公務では美しく着物を着こなす方です。それなのに、たくさんの『しわ』が寄ったような和装の写真が世界中で用いられてしまったのは、残念です。ともあれ、戴冠式は各国の王族が集まり、世界中に映像や写真が配信される場です。日本の伝統文化と技術をアピールできる和装を選んでいただいたのは嬉しいことです」 天皇の名代として、戴冠式への参列と国際親善の役目をとどこおりなく果たした秋篠宮ご夫妻。 皇嗣家として重責を担うご一家には、ますますの活躍が求められそうだ。 (AERA dot.編集部・永井貴子)
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