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    【ゲッターズ飯田】7月の開運のつぶやき「与える人に運は味方する」銀の羅針盤座

     占いは人生の地図のようなもの。芸能界最強の占い師、ゲッターズ飯田さんの「五星三心占い」が、あなたが自分らしく日々を送るためのお手伝いをします。12タイプ別に、毎週月曜日にその日の運勢、毎月5のつく日(毎月5、15、25日)に開運のつぶやきをお届けします。 【タイプチェッカー】あなたはどのタイプ?自分のタイプを調べる 【金の羅針盤座】時間がないのではなく、時間の使い方が下手なだけ【銀の羅針盤座】与えられることを待っている間は、運は味方しない。与える人に運は味方する【金のインディアン座】運気が悪いから動かない人と、運気の悪さを楽しむ人では、人生に差がつく【銀のインディアン座】「運気を上げたい、幸運をつかみたい」と思うなら、他人を許し認めること【金の鳳凰座】否定的な人ほど否定される。認められたければ肯定し、ほめるのが大切【銀の鳳凰座】「転んでもただでは起きない」。そう本気で思って生きている人に運は味方する【金の時計座】人にたくさん会う人は、人生でたくさんチャンスがやってくる【銀の時計座】不安とは己がつくり出したものだから、己が変わらなければなくならない 【金のカメレオン座】「人生には落とし穴があるものだ」と思って心構えしておくことも必要 【銀のカメレオン座】見様見真似で終わらないように。そこから、自分のものにすることが大切【金のイルカ座】相手にやる気を出させる。これが上手にできる人に幸運はやってくる【銀のイルカ座】「努力も、覚悟も、感謝もしない」。それは「幸せがいらない」のと同じ※毎週月曜日に占いが届きます!AERA dot.の公式LINEの友達申請はこちら↓↓↓https://lin.ee/trWiCvV

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    「独身おじさん友達いない」問題が意外に深刻 「会社以外ではいつも一人ぼっち」の中年男性はどうすればいいのか

    小学生の頃は「友達100人できるかな」なんて歌っていたのが、40歳を過ぎたら「あれ? 俺って友達一人もいなくない?」と愕然とする中年男性は少なくない。特に独身の場合は、家庭を持った友人とは疎遠になり、いつの間にか、話し相手がいるのは会社だけ、なんてことにもなりかねない。さらには「今さら友達づくり? 恥ずかしい」と男のプライドが邪魔をして、どんどん“ぼっち”になってくという悪循環に……。でも本音を言えば、「友達」が欲しくてたまらない! という人だっているだろう。じゃあ、どうすればいいのか。40代からの“友達のつくり方”を聞いてみた。 *  *  *「別府の良い温泉を教えろ」「彼氏に浮気された」などのメッセージが寄せられ、よろず相談室と化しているらしいライターのヨッピーさんのLINE。6月のある日には、こんなメッセージが届いた。 「会社以外の知り合いが全くいなくて、危機感を覚えているのですが、いい年した独身のおっさんはどうやって友達を作れば良いのでしょうか」  すかさず、こんな返事をするヨッピーさん。 「えーなんだろ。友達の飲み会に混ぜてもらってそこから友達の輪を増やしていくとか……?」  ところが続く”おっさん“の返信に、全ネットが泣いた。 「その友達がいないんですが」  ヨッピーさんはこのやりとりを「胸が痛い」というツイートとともに投稿。たくさんのリツイートと「いいね」を集めた。  ネットでこの三段オチのお手本のようなやりとりを見て、笑ってばかりもいられなかったのが40代の独身会社員氏だ。 「そういえば自分も、昔のように友達をつくれない。それに気がついたのは、数年前。40歳を迎えたころのことですかね。四半世紀前に卒業した大学時代からの男女の友人はいるものの、数えるほど。結婚はまだしも、子どもが生まれるとみんなパタンと会わなくなって、つながっているのはLINEだけですよ。だから平日はともかく、土日は飲みにいく相手がいない。さみしいものです」  人と話すのは好きで、会社になら話す相手は何人もいる。でもいつか仕事をリタイアする年齢になって、もしも独身を通していたら……。この会社員の場合、そう考えて一番どんよりするのは、やはり食事のことだ。自炊も好きだが、店に食べに行くのも好き。そんなとき、一緒に行きたい相手といえば、やはり友達。食べたり飲んだりは、「恋人より友達のほうが楽しかったりすることも多い」からだ。  会社の50代の先輩に『一人で飲みに行けば、友達なんていくらでもできるだろう』と言われたこともあるが、飲み屋で出会った人とその場は盛り上がったとしても、友達として長続きするかは別。 「だいたいおっさんが、友達ほしさに誰かに話しかけたりするのだって面倒。まして『連絡先教えて』なんて、異性に聞くより恥ずかしくないですか? 要は面倒くささと恥ずかしさが、友達ほしい願望を上回っているということ。そのくせ、さみしいのです(笑)」  さまざまなコレクションの趣味もあるが、30年以上続けているともう立派なベテラン。今さら人とつるんで、気を遣いながら掘り出しものを探しにいくのも、考えただけでめんどくさい。最近「友達紹介するよ」という友達からの声がけがまったくなくなったのは、「そんな自分にも問題があるのでは?」と考えて、ジイジイ……じゃなかった、イジイジする日々だ。  ちなみに若いころは恋人選びじゃあるまいし、友達ひとり作るのにこんな逡巡は1ミリもなかったという。いつの間にか自分を「おっさん」と呼べる立派な年齢になったことも、自分の友達づくりを邪魔している気がして、会社員の心のどんよりを、さらにディープにしている。  ではそんな迷えるおっさんたちは、どうしたらいいのか。まずはヨッピーさんにLINEのメッセージを送ってきた「会社以外に友達が全くいないおっさん」へ寄せられた、ネットのみなさんのアドバイスから。 「会社以外に通うところを見つけるのがいい」「ボルタリングジムは、一人で来ている人が多いのでおすすめです」「(新たな友達を求めて)会社を転職するのはどうでしょう」「小さい店で一人のみの常連になる」。  かく言う自分はおばちゃんだが、最近仕事の場面以外で、新しい友達がまったくできない事情はおっさんたちと同じ。ボルタリングに、がぜん興味が湧いてきた……というか、そんなことより、おっさんへのアドバイスだ。  せっかくなので、当のヨッピーさんにも聞いた。ヨッピーさんが見習うべきお手本として挙げてくれたのが、2年前、ヨッピーさんの「口車に乗せられて」、縁もゆかりもない佐賀県の唐津に移住した、編集者の中川淳一郎さん(48)だった。ヨッピーさんによると、中川さんは今では町の有名人。 「一緒に唐津で飲み歩いていると、あちこちから『中川さん!』と声がかかるほど。いつのまにか町の人気者になって、唐津の町を牛耳り始めていたのでびっくりしました。例えば『イカ釣りに行こう』とか『ニラを育てよう』とか、誰に何を誘われても、『おお!やりましょう!』と楽しそうに出かけて行くんです。そんな中川さんに、誘った方もうれしくなって、またあちこちから声がかかるんですよね」  あるときは唐津の居酒屋で、絵に描いたようなぐでんぐでんの酔っ払いと居合わせたこともある。 「でも中川さんは実に楽しそうに、その知らない人と仲良く飲み始めたりする。あー、中川さんはこうやって、唐津の町や人を受け入れたから、この土地に受け入れられたのだな、と思った。他人に自分を受け入れてほしいなら、まず自分が他人を受け入れようと。友達作りも、たぶんそんな具合ですよね」  最後に「超雑談力」や、最新刊「部下 後輩 年下との話し方」などの著書がある、作家で心理カウンセラーの五百田達成(いおた・たつなり)さんが言う。 「先日、大きな病院の待合室でずっと待っている人を観察していたのですが、女性は若い人から高齢者まで、いつのまにかほかの患者さんとおしゃべりが始まっている。それに対して男性は、ひとりイライラしながら、むっつりして座っている人がほとんど。私の本の読者を見ても、友達を上手につくれないのは既婚未婚にかかわらず、男性のほうが多い傾向はありそうですね」  その解決法を、五百田さんはこう話す。 「若い世代は別ですが、今の40代以降の人のなかには、女性らしさや男性らしさを押しつけられて育った人も多い。その結果コミュニケーションでも、つい人と競争してしまい、人に議論をふっかけたり、マウントしようとする男性が少なくない印象です。他人との平和な会話に慣れていないので、まず人と雑談する場数を踏むのがおすすめ。当たり障りのないゆるふわな雑談トークでも数をこなせば、必ずや気の合う人が見つかります。そういう人に出会ったら、あとはじっくり友人としての仲を深めていくのがいいですね」  長引くコロナ禍で、他人とのリアルなコミュニケーションがない生活が常態化。「もう友達なんていなくても生きていけるもんね」と、両手の人さし指をツンツンしている人もいるかもしれない。でも、アドラー先生も、瀬戸内寂聴先生も、金八先生もみんな言っている。「人はひとりでは生きていけない」らしいのだ。  前出ヨッピーさんも、こう語る。 「やっぱり、人間ってひとりで生きてくようには設計されてないのかなぁ~」  ちなみに五百田さんによると、相手と仲良くなれる雑談の一番のコツは、「情報を交換することより、気持ちをやりとりする」こと。競争心を捨て、丸腰で人の懐に入っていくことが、「友達100人できるかな」と不安だった小学校入学時以来の、友達作りのポイントになりそうだ。おっさんたちの健闘を祈る。(福光恵)

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    要介護5の70歳母の面倒を見る75歳父 福祉サービスを嫌がる両親に悩む39歳女性に、鴻上尚史が実父の体験を例に語る「説得できるチャンス」とは?

     福祉サービスを嫌がる両親をどう説得するか悩む39歳女性。自身もうつ病で療養中という相談者に、鴻上尚史が実父の介護サービスの経験を例に語る「説得できるチャンス」とは? 【相談149】母は要介護5の難病ですが、福祉サービスを嫌がり、困ってます(39歳 女性 まあこ)  鴻上さん、こんにちは。  私の母(70歳)は難病で要介護5の寝たきりです。父(75歳)が面倒をみてます。認知症は発症していません。  両親が頑なに福祉サービスを受け付けてくれなくて困ってます。ケアマネジャーともろくに口をききません。他人が家に入るのをとても嫌がり、デイケア、ショートステイも試しましたが、職員さんたちのアラばかり探し、文句を言って二度と行かないと頑なです。  父が特にひどくて、「あいつらは人を下に見てる」とか「憐れみを受けたくない」みたいな酷い発言が多いです。肝心の母は、体が動かないから四六時中側に父が居てくれる今の状況にできるだけいたいようです。ただ父も高齢で体が心配です。  実は私は去年まで同居して手伝っていましたが、15年以上介護と家事と仕事で目まぐるしい毎日だったのでうつ病を発症してしまい、会社を解雇され現在一人暮らしで療養中です。  自分の体調を回復させ、また仕事を探さないといけないのに、両親のことが心配で苦しくてなかなか精神が安定しません。  二人を説得して福祉の力を借りることはできないのでしょうか? もうやりたいようにやらせておくしかないのでしょうか?  兄弟妹は結婚して遠方なので力は借りられません。  ご意見をお聞かせください。よろしくお願いします。 【鴻上さんの答え】 まあこさん。大変ですね。昔気質の人には、福祉サービスを受けることをよしとしない、行政の保護を受けることを恥ずかしいと思う人が一定数、いらっしゃいますよね。  どうしてなんでしょうねえ。自分が本当にダメな人間になった、無用な存在になったと思ってしまうのでしょうか。それとも、「世間様」から後ろ指を指されると思っているのでしょうか。「公助」に頼るのは国民の恥で、「自助」でやり抜くことが正しいと思っているんでしょうか。  でも、福祉サービスも生活保護のお金も税金で運営されていますが、税金は国が国民にほどこすものではなく、まあこさんの親や国民一人一人が一生懸命働いて、「自分達のために使って欲しい」と思って納めたものなんですよね。「年貢」と「税金」の違いですね。  だから、それを自分が弱った時に使うのは、当り前のことで、税金の正当な使い道を要求するのは、国民のまっとうな権利ですね。  でも、頑固なまあこさんの両親、特に父親に言っても通じないんですよねえ。  僕のアドバイスとしては、とりあえず今は父親の好きなようにさせておくしかないと思います。  というのは、今、父親は言えば言うだけ頑なに、頑固になるような予感がします。  まあこさんやケアマネさんが言えば言うほど、かえって意地になって心を閉ざすと思えます。  でも、75歳が「要介護5」の70歳の面倒を見る「老老介護」ですから、間違いなく近いうちに、父親が負担の重さに悲鳴を上げる時がくると思います。  早くて1年以内、長くても2、3年のうちには、父親が介護に疲れ果てる時期がくるでしょう。父親が気持ちを変えるとしたら、その時期なんじゃないかと僕は思います。  といって、完全に疲れ果てると正常な判断力を失ってしまい、取り返しのつかないことになってしまうかもしれませんから、「しんどい。なんとかしたい。どうしたらいいんだ」と迷い始めた時が説得できるチャンスだと思います。  それまで、まあこさんは黙って父親の状態を見続けるのがいいと思います。定期的に実家に行き、でも、福祉サービスのことはなにも言わず、ただ、両親の状況を観察するのです。  母親は要介護5でも認知症は発症してないんですよね。母親とはどれぐらいコミュニケイションできますか? やがて、父親が疲れ始めた時に、「お父さんを楽にするために、福祉サービスの世話になるのはどう?」と、父親のいない所で話すことはとても大切だと思います。「自分のせいで夫が疲れ果てていく」という状態を深く受け止めれば、母親の方から「福祉サービス」を受けることを父親に提案する可能性もあります。  僕の父親は元教師でとても頑固でした。「要介護3」の時に、ある福祉サービスの施設に行った時は、「俺を子供扱いした!」とぷりぷり怒って帰ってきました。それでも、母親の負担になるからと僕は福祉サービスを受けるように何回も言いました。実際に母親は父親の世話で疲れ切っていたのです。でも、母親は昔のタイプですから、ぐっと我慢して自分から福祉サービスを受けて欲しいとは言いませんでした。  僕は何カ所か、まずデイサービスの施設を調べ、ケアマネさんとも相談して、ショートステイを含めて父親に行ってもらいました。父親は母親の疲弊を実感していたのです。  父親は3カ所は嫌いましたが、たった1カ所、とても気に入った所ができました。やがて、週に2回から3回、その施設に行くことを本当に楽しみにするようになりました。  どんな福祉サービスを受けるかの適性と施設そのものとの相性もあると思います。それから、ケアマネさんとの相性もあります。  今はまあこさんの父親は、言えば言うほど心を閉ざす状態だと思います。ですから、つかず離れず見守りながら、ちょうどいいタイミングで、福祉サービスを提案することをお勧めします。  それまでは、まだしばらく時間があると思いますから、まあこさんは自分の生活を立て直して、回復する時期にしてはどうでしょうか。今の間に休息して、体調を回復するといいと思います。  うまくいくことを心から願います。 ■本連載の書籍化第3弾!『鴻上尚史のますますほがらか人生相談』が発売中です!

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    【下山進】応募原稿から出たベストセラー『同志少女よ、敵を撃て』

     ノンフィクション作家・下山進さんの連載「2050年のメディア」が「週刊朝日」でスタート。メディア業界の構造変化や興廃を、綿密な取材をもとに鮮やかに描き、メディアのあるべき姿について発信してきた下山さんが、メディアをめぐる状況を多角的な視点から語ります。第1回は大ヒットした『同志少女よ、敵を撃て』について。 *  *  *  昨年の11月、池袋の三省堂をとおりぬけようとした時に、この本が、タワーになって積まれているのを見て、早川書房は、いったい初版をどのくらい刷ったの、と心配になった。 『同志少女よ、敵を撃て』  青い目で栗色の髪の少女が、雪の中腹這いになってスコープを覗いているイラストの表紙、著者名を確認すると「逢坂冬馬」というまったく知らない日本人の名前。「あいさかとうま」と読むらしい。  独ソ戦を舞台にした、ソ連の女性狙撃兵が主人公の小説で、第11回のアガサ・クリスティー賞を受賞した、という。  早川以外の出版社の編集者や営業担当だったらば、日本人が書いた独ソ戦を舞台にした小説、しかも、著者は一冊も本を出したことがない、というところで、「売れないよ」とそもそも本にもしないだろう。原稿すら読まないかもしれない。  出版社では、たいがいの編集者は、その人の過去実績から本を出すかどうかを決めている。営業は初版部数を、やはり過去実績から決める。  これは、過去一作も本を出したことがない新人の応募原稿に、可能性を見いだし、46万部のベストセラーにした出版人たちの「ベストセラー誕生」の物語。  メディアの力について書くこのコラムの、サンデー毎日からの移籍第1弾として、前後編2週にわたってお届けする。 「10年やってあたりが出なかったらば、その賞はやめたほうがいい」  翻訳書がメインの出版社である早川書房が、アガサ・クリスティーの生誕120年にちなんで、新人育成のための賞をつくろうとした時、選考委員を頼まれた北上次郎は、当時「ミステリマガジン」の編集長だった小塚麻衣子にそう言っている。  賞を始めるときの社内の空気と言えば、応募原稿を読むことになるので、「めんどくさい」「いいのがくるわけない」と総スカンだった。  小塚は編集長を退いたあとも、社内で最終選考に残す作品を選ぶ「賞の下読み」を続ける。が、気がつけばはや10年がたってしまった。  作品的にはいいものは出たが、しかし、「あたり」は出ていない。大賞をとった作品は出版をすることになっているが、初版4000部がせいぜいだ。もう潮時か。  ところが11年目の、2021年。その原稿はやってきた。  アガサ・クリスティー賞は、まず社外の書評家などに委託して1次選考をおこない、残った十数作品を、社内でまわし読みする。 『同志少女よ、敵を撃て』と題された原稿を書いた「逢坂冬馬」は、過去3度、賞に応募していたが、最終選考までいったことがなかった。  が、その年の原稿は違った。独ソスナイパー同士の筋の読みあい。ソ連の女性だけの狙撃兵の部隊ひとりひとりがそこにたどりつくまでの物語、そして友情すなわちシスターフッド。主人公セラフィマと教官イリーナの憎しみの果ての師弟愛。精緻かつ大胆に組み立てられたその小説は、まさに巻を措(お)く能わず、小塚は、最高点の5をつけた。  しかし、その時点で、小塚は、将来ベストセラーになると思っていたわけではない。社内選考会でも、「キャラクターがアニメっぽい」「仮に本になっても、売りにくい」といった批判もあった。  逢坂のその作品は最終選考にすすむ。  この最終選考会でも「最後のケーニヒスベルクの戦いは余分」と主張する選考委員がいた。他の選考委員が「ここで、重要な伏線が回収されている」と反論し、それに委員全員が納得、アガサ・クリスティー賞始まって以来初めて満票で大賞を受賞することになる。  しかし、このままでは、かつての大賞作品と同様に、初版4000部のスタートとなっただろう。  きっかけは、社内の下読みでこの作品を読んでいた編集統括部長の塩澤快浩が、副社長の早川淳に、「これ面白いから読んでくださいよ」と選考会直後に原稿を渡したことだった。  早川書房は1945年8月に創設された同族会社で、淳は3代目にあたる。現在42歳。慶應SFCを出たあと、イギリスで演劇学校に学び早川書房には2006年に入社している。社長を務める父親の浩に反発して家を出て一人暮らしをしたこともある。  私は、2008年秋のフランクフルトブックフェアで淳に初めて会っているが、このときは入社2年目、まだひらの営業部員だった。素直な人で、書店を一生懸命まわっていたという記憶がある。父親が編集畑だったのに対して、ずっと営業でやってきた。  淳は、渡された原稿を、家で読み始めたが、興奮して眠れなかった。  翌日、営業部に席のある淳は、こう営業部内で宣言する。 「この本は、5万部は売るぞ!」  が早川書房は、いくら副社長の淳が言ったからといって、初版を5万部に設定できるわけではない。刊行の2カ月前にある部数会議のあと、社長の早川浩の厳しい決裁がある。  この社長決裁の日までに、材料を集めなくてはならない。  営業部を管掌する淳は、まず書店員にゲラを読んでもらおうと考える。ゲラの表紙に感想を書く欄と注文書をつけて、200部を発送した。  しかし、忙しい書店員が、分厚く重いゲラをわざわざ読むだろうか?  以下、次号。 下山 進(しもやま・すすむ)/ ノンフィクション作家・上智大学新聞学科非常勤講師。メディア業界の構造変化や興廃を、綿密な取材をもとに鮮やかに描き、メディアのあるべき姿について発信してきた。主な著書に『2050年のメディア』(文藝春秋)など。 週刊朝日  2022年7月15日号

    週刊朝日

    22時間前

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    【岩合光昭】約100頭の馬と同居する太っちょ猫 『赤毛のアン』舞台の島で

     動物写真家・岩合光昭さんが見つけた“いい猫(こ)”を紹介する「今週の猫」。今回は、カナダ・プリンスエドワード島の「のんびりでいいにゃん」です。 *  *  * 『赤毛のアン』の舞台の島に、2輪の馬車で競うハーネスレース場がある。その馬小屋で暮らす9歳の太っちょ猫・マニュー。生まれたときから約100頭の馬と同居生活をしている。  朝、のろのろと小屋から出てくると、観客席に腰を下ろす。お客さんがいないときは、ここから練習風景を眺めるのが日課。予定時刻を過ぎても練習は始まらないが、誰も気にしない。  どこまでものどかな島で、人も馬も猫も、みんなマイペース。のんびりと深呼吸するような暮らしを謳歌していた。※週刊朝日  2022年7月8日号

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    大迫傑の妻・あゆみさんがアスリート妻のモヤモヤを語る 飾らない家族の日常を発信

     アスリートの妻といえば、夫の競技生活全てを支えるイメージだが、それも今は昔。大迫傑選手の妻あゆみさんは、夫が遠征中のワンオペ、日常茶飯事のケンカのことなどの飾らない家族の日常を発信する。AERA 2022年7月11日号の記事を紹介する。 *  *  *  今日なんの日? 今日はゴミの日! 足折るぞ  青春を 返せ!こっちのセリフだわ  ある結婚記念日に、大迫あゆみさん(33)がインスタに投稿した川柳だ。夫は、プロランナーで、東京五輪マラソン6位の大迫傑選手(31)。2015年から投稿するインスタに加え、21年にはYouTube「大迫裏ちゃんねる」も始めた。共感のコメントを寄せる人の大半は女性や主婦などスポーツとは縁がない人たち。孤高のプロランナーの飾らない家族の日常にファンが急増中だ。 「ケンカは日常茶飯事。でも、切り取り方次第では笑えるかな、と。私たちは、どこにでもいる普通の家族。特別という意識はないです」 ■常に普段通りを心がけ  ともに大学生の時に出会った。箱根駅伝などで活躍した大迫選手は、卒業後に日清食品グループ陸上部へ。2年目の15年、プロに転向し、米国に行く決断をした。当時長女は2歳。前例のない挑戦に、周囲の心配は大きく、「家族は邪魔になる」と面と向かって言われたことも。 「悔しかったですね。日本では、マラソン選手は『修行僧』のようなイメージが強いせいもあったと思います。インスタを始めたのは、アメリカで家族みんなで頑張ってるよ、と伝えたかったからかもしれません」  大迫選手のチームメイトには、リオ五輪1万メートルの金メダリスト、モハメド・ファラー選手らがいた。 「選手みんなが家族を堂々と自慢している。なんだかホッとしました」  日々の生活で心がけているのは「常に普段通りであること」。練習の日も、休養日も、五輪の日も、すべて同じ1日だと考えているという。 「アスリートの妻なんだから、こうしてと言われたことも一回もない。夫は、ハードな練習後に、娘の誕生日プレゼントを買いに行くなど、家族をうまく使ってオンとオフを切り替えていると思います」 ■妻には「でしゃばるな」  大迫選手は、16年リオ五輪で5千、1万メートルに出場し、18年にはマラソンで2時間5分50秒の日本記録(当時)を樹立。あゆみさんは、合宿で不在中はワンオペをしながら、大会の時は1人で幼い娘2人を連れて飛行機で移動し、応援してきた。  ただ、あゆみさんには、もやっとする瞬間がある。  大迫選手のゴールを伝えるテレビ放映。子どもや両親が映ると好意的なのに、妻である自分が映り込んだ途端に「でしゃばるな」「あなたの手柄じゃない」と非難される。 「妻は三歩下がって支えるべきだとされている。なのに、夫の調子が悪いと急に前に出されて、妻のせいにされがちです」  東京五輪の10日前、大迫選手が現役引退を表明したことについて、あゆみさんは、 「さみしさの一方で、この人まだやるんじゃないかな、と。家族の勘があった」  と笑う。確信したのは、五輪後に家族で行った米カリフォルニアのディズニーランドでのこと。大迫選手はホテルで、シカゴマラソンの中継をじっと見ていた。その背中は、妙にさみしそうだったという。案の定、今年2月、現役復帰を表明した。 「大好きな走ることを、手放したくなかったんじゃないかな。走っている姿が一番かっこいい。これからも、普段通りのサポートをしようと思います」 (編集部・古田真梨子) ※AERA 2022年7月11日号

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    キスマイ、3年ぶりドームコン「デビュー10周年の感謝を込めて」

     昨年8月にデビュー10周年を迎えたKis-My-Ft2。しかし、新型コロナウイルスの影響で、ファンと対面してのライブは2019年を最後に開催できていなかった。10周年の感謝の想いを込め、今回開いたドームツアーには、デビュー前に故・ジャニー喜多川氏が付けたツアータイトルを再び題した。キスマイの代名詞ローラースケートで、7人は会場を縦横無尽に駆け回った。3年ぶりの“逢瀬”。7月2日から3日間行われた東京ドーム公演の、初日の様子をお届けする。  メンバーカラーの花々がメインステージを彩る。感謝の花言葉を持つ花を13種類集め、デビューから10年分の感謝の気持ちをファンに伝えた。  オープニング映像が流れ、一瞬の静寂ののち、優しく観客を包み込むような音色が会場に広がる。1曲目に選んだのは彼ら自身が作詞した「Re: (アールイー)」だった。愛する人に向けて、これまでの感謝と輝かしい未来について歌った曲だ。煌々とライトで照らされたスモークの中から現れる7つの影。玉森裕太がデザインに携わり、これまで着用してきた衣装のデザインや生地をパッチワークでつなげた衣装には、彼らの足跡を織り込んだ。「言葉だけでは伝えきれないほどの」感謝を、いまここにいるファンに向けてまっすぐに。昨年実現できなかった、デビューから10年間の想いを伝えるためのステージの幕が、開いた。  2曲目は「A10TION(アテンション)」。7人の新たな出航を告げる音色が、高らかに響きわたった。振り付けには、過去の楽曲の振りが入っており、これまでの軌跡をファンとともに思い返しながら、キスマイらしく、弾むように歌い上げた。  「Hey, Tokyo!! Kis-My-Ft2でーす!!」。北山宏光が雄たけびを上げると会場は北山のメンバーカラーである赤色に染まった。デビュー曲「Everybody Go」の一幕だ。「おかえりなさいませ、お姫様! 声出せないけど、ペンライトで俺たちに気持ちガンガンぶつけてこい!」と宮田俊哉もさらにファンを盛り上げる。ローラースケートを履いた7人が会場の空気を切り裂き、縦横無尽にステージを駆け回る。メンバーが通ったあとは、客席がそれぞれのメンカラで染まった。「じゃあいつものやつを、心の声でお願いしまーす。せーの」と玉森が言うと、メンバーが「玉ちゃーん!」と叫び、ファンの心の声もドームにこだました。  その後も「WANNA BEEEE!!!」、「SHE! HER! HER!」、「Kis-My-Calling!」とフルスロットルで飛ばす7人。彼らとファンの想いがぶつかりあい、会場の熱は早くも最高潮に達した。  映像を挟み、膨れ上がった熱を冷ますかのように、今度はシックな雰囲気のメロディーが会場に響いた。白を基調に、美しい黒の曲線が描かれた衣装に着替えたメンバーが、「One Kiss」や「NAKED」などのダンスナンバーで観客を魅了。  続く、「Break The Chains」で、花火の音が会場にとどろき、キスマイのドームライブ名物、“特効祭り”の始まりを告げた。センターステージで踊る7人を囲うようにアームが立ち上がり、炎を吹き上げる。会場に炸裂する花火の音。踊りとシンクロして、火柱と爆発音も激しさを増した。  次の曲、「HANDS UP」では、今回バックダンサーを務めたジャニーズJr.のIMPACTorsとともにバックステージで舞った。キスマイの白の衣装と IMPACTorsの黒の衣装とが、美しいコントラストを描き出した。  開始から1時間、MCタイムに。額には汗が光る。高揚感が7人を包みこんでいた。  話題は「SHE! HER! HER!」の千賀健永(けんと)の逆立ちに。二階堂高嗣が「千賀さん、めっちゃ(きれいな形で)止まってたね」と言うと、藤ヶ谷太輔が「ね! 20秒くらい」とあいづちを打つ。それに、千賀が「20秒!?」とツッコミを入れ、笑いを誘った。千賀は続けて、「あれたまにくずれちゃったりするじゃん。失敗したとき(逆立ち後に歌う藤ヶ谷が)めっちゃ悲しい顔してるんだよね。(逆に)今日みたいな日、めっちゃニコニコやなっていう(笑)」。  “宮玉”のかけあいも。宮田が「今日、俺と玉もうまくいったもんな」と言うと、玉森が「え? 何が?」。宮田が「『SHE! HER! HER!』で、俺が玉の股の下をこう通る技」と言うと、玉森が「あんなのね、千ちゃんに比べたら、ホコリレベルですよ。チリですチリ。」と答えた。  そして、新曲「Two as One」に話題が及んだ。これは空港を舞台とした玉森主演のドラマ「NICE FLIGHT!」(テレビ朝日系、7月22日スタート)の主題歌。現在公開しているメイキング映像では、メンバーがそれぞれ順番に他のメンバーをカメラで撮っていくという映像になっている。実は、横尾の提案でこうなったという。「タイトルが『Two as One』(=2人で1つ)なので、メンバー同士で撮ったらおもしろいんじゃないですかって(提案した)」(横尾)。  宮田の口から「まずはみなさんに(『Two as One』を)見てもらいたいな」という言葉が出ると、会場のファンはこの日最大の拍手で応えた。同曲がファンの前で披露されるのは初めて。歌う前には、玉森が「なんか緊張するなぁ」とつぶやき、宮田は「ガチで迷子になった」と立ち位置を忘れて、メンバー全員がツッコむ場面も。  会場に響く飛行機のエンジン音、滑走路に見立てた花道を進む光。二階堂考案の演出で、ドームは飛行機の離陸前のような雰囲気に。メンバーの高音でのハーモニーや甘いメロディー、タイトルにちなんだペアでの振付やフォーメンションに、ファンは酔いしれた。  その後、衣装チェンジした7人がトロッコに乗って再登場。ピンクの照明のなか、ラブソング「#1 Girl(ナンバーワンガール)」で美しい歌声を響かせた。トロッコがバックステージに向かって進み、メンバーが降り立つと、デビュー当時からの人気曲「Tell me why」を熱唱。パフォーマンス中には、ステージがせり上がり、360度回転する演出が、ファンを楽しませた。  センターステージに移動した7人が歌った曲は、「Luv bias」。円形のステージの周りで、最高水位15メートルの噴水がメロディーに合わせて吹き出した。曲が盛り上がるにつれて、ステージがせり上がり、縁からは水が滝のように流れ落ちる。青色のライトもあいまって水が生み出す幻想的な空間が客席を包み込んだ。  その後、メインステージのスクリーンにデビューが決まったときの映像が流れた。映し出されたのは、あどけない表情のメンバーが全身で喜びをはじけさせる様子。続いて、これまでのライブ映像も流れ、7人のこれまでの歩みをたどった。  映像が終わると、会場を包みこんでいた暗闇を引き裂く爆発音。ステージ下から7人が飛び出す。「FIRE BEAT」の始まりだ。ダークグリーンの衣装に着替えた彼らはセンターステージで髪を振り乱し、激しく踊る。吹き上がる火柱、爆ぜる花火の音に、会場はさらにヒートアップ。ベースの音に、力強い歌声がのる。フィナーレへ向けて、さらにステージは熱を帯びる。続く楽曲も、ノンストップで歌い、踊り、駆け抜けた。  2時間超つづいたライブもいよいよ最後の楽曲に。メンバーが選んだのは、「足音」。彼らの軌跡とファンへの感謝の気持ちが込められた曲を、しっとりと歌い上げた。モニターには、これまでのライブの写真やロゴが映し出され、観客は7人のこれまでの歩みに思いを馳せた。締めの言葉を担当したのは玉森。「本日はどうもありがとうございました。本当に改めて、当たり前なんてことはないんだなと思うからこそ、今日一緒に過ごせて時間がとっても幸せでしたし、僕らにとっても大切な思い出となりました。そして、いつも大きな愛とパワーをありがとうございます。これからも僕らの歩む道にはいつもみなさまがいてください。また遊びに来てください。いつまでも元気で健康で。ありがとうございました」。メインステージで客席に背を向けて立つ7人が、一歩を踏み出し、会場は暗転。それぞれのメンカラに染まった「Kis-My-Ft2」の文字で形作られた大きな足跡がモニターに映し出され、7つの光が四方に散った。その先で七色の花のバルーンが、大輪の花を咲かせた。  この日のライブで歌い上げたのはアンコールも含め全36曲。デビューから11年目を迎えたKis-My-Ft2が、昨年は踏み出せなかった大きな一歩を踏み出した。これまでの感謝を胸に、彼らはこれからも進んでいく。ファンとともに。 (週刊朝日・唐澤俊介)

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    浅田真央が垣間見せた“芯の強さ” 新しいアイスショーに込めた「覚悟と進化」

     自らが座長を務める「BEYOND」の開催発表記者会見に金色に輝くドレス姿で登場した浅田真央は、このアイスショーに込めた思いを「覚悟と進化」と表現した。 「この新しいショーを作るにあたって、私はすごく大きな覚悟を持って動き始めました。いろいろなことを乗り越えて、過去の自分を乗り越えて、進化していけるようにという思いを込めました。日々生活していく中でたくさんの山があると思いますが、それを一緒に乗り越えていこうという皆様へのメッセージになるといいなと思っています。このアイスショーを観ていただいて、少しでも皆さんの力になれるようになっていきたい」  現役時代、優しい笑顔と清々しいスケーティングで愛された浅田だが、長年世界のトップで戦い続けることができたのは、柔らかい物腰の中に鋼のような芯の強さを秘めていたからだ。2014年ソチ五輪でみせた奇跡のフリー『ピアノ協奏曲第2番』(ラフマニノフ)は、その浅田の強さが結晶したプログラムだった。  そして、その芯の強さはプロスケーターとなっても変わらなかった。2018年5月にスタートしたアイスショー「浅田真央サンクスツアー」は、コロナ禍により2020年2月の公演を最後に中断した。フィギュアスケートの興行は試合・アイスショーともに行われない状態が続く中、リンクに観客が戻る最初の機会となったのが、2020年8月のサンクスツアー滋賀公演だった。徹底的に感染対策を施しての開催だったが、それでも起こった批判の声は浅田自身にも届いていたという。不安も抱えながら、ライブ配信という新たな試みも加えて完遂した滋賀公演は、浅田にしかできない挑戦だったと考える。  その浅田が、「覚悟を乗り越えた先には進化がある」という思いで取り組むのが「BEYOND」だ。サンクスツアー終了後の休息を終えた浅田は、この「BEYOND」に向け昨年の7月頃から再始動した。約90分間ノンストップで続く「BEYOND」は、演出・楽曲・衣装・振付などすべてに浅田のこだわりが詰まったアイスショーになるという。浅田が選出し「とてもパワフルなスケーター」と語る浅田以外の10人のキャストは、来週以降に明らかになる。今年9月から来年3月まで、全国17都市で約70公演を開催する予定だ。  浅田は氷上での練習だけではなく陸でもバレエやタップダンスを習い、過去の自分を超えようとしている。 「私自身引退してから、前回のアイスショーで3年間全国を回ってきたんですけれども、やはりやるからにはそれ以上のものを。自分のパフォーマンスを上げていきたいなと思いますし、これからさまざまな大変なこともたくさん待っているかとは思うのですが、そういったこともはねのけるぐらいの覚悟で、自分自身日々進化していけたら」 「今とても大変な状況ではあるのですが、このショーを通じてたくさんの皆さんにパワーを届けられたらいい」と浅田が力を込めて語る「BEYOND」は、9月の滋賀公演で幕を開ける。今の浅田真央の覚悟と進化を、しっかりと見とどけたい。(文・沢田聡子) ●沢田聡子/1972年、埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。シンクロナイズドスイミング、アイスホッケー、フィギュアスケート、ヨガ等を取材して雑誌やウェブに寄稿している。「SATOKO’s arena」

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    11時間前

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    秋山翔吾、菊池雄星、中島宏之…西武はなぜ「主力が他球団に流出する」のか

     パドレス傘下のマイナー3Aエルパソを自由契約になった秋山翔吾が広島に入団したことに、驚いた野球ファンは多いだろう。西武、ソフトバンク、広島が獲得に名乗りを挙げ、古巣・西武に復帰するという見方が圧倒的に多かった。だが、秋山はゆかりのないセリーグで土地勘もない広島への入団を決断した。 「秋山は入団会見で、広島サイドが日米通算2000安打を達成してほしいと声をかけてくれたことに心を動かされたと話していました。3年契約というのが非常に大きかったと思います。実質2年半という期間で、今年は日本の野球に適応するために感覚を戻さなければいけない。勝負は来年以降でしょう。そうなった時に契約期間が短いと焦りも出るし、不安を感じる。また、メジャーで不完全燃焼だったことを考えると、新たな環境で再出発したい思いもあったと思います。西武に育てられたという思いが強いことから、ライバル球団のソフトバンクに行くこともはばかられる。そう考えると、広島入りを決断したのは自然なように感じます」(スポーツ紙デスク)   FA制度が導入されたのは1993年。西武は12球団で最多の19人が、国内他球団やメジャーに移籍している。黄金時代を支えた工藤公康、石毛宏典が94年オフにダイエー(現ソフトバンク)、96年オフに清原和博が巨人へ。2004年オフに松井稼頭央が米国・メッツ、05年オフには守護神・豊田清が巨人、07年オフに和田一浩が中日に移籍している。10年以降も主力が毎年のように他球団に流出。細川亨、中島宏之、片岡治大、涌井秀章、岸孝之、野上亮磨、浅村栄斗、炭谷銀仁朗、秋山翔吾がFA宣言して国内外の他球団に移籍した。ポスティング・システムでメジャー移籍した選手の数も西武が12球団で最多だ。森慎二、松坂大輔、牧田和久、菊池雄星の4投手がメジャーに挑戦している。  西武はメジャーからの「出戻り」が少ないのも特徴だ。松井、松坂は現役晩年に戻ってきたが、松井は日本球界に復帰した際に楽天、松坂はソフトバンク、牧田は楽天に移籍。今回の秋山も広島入団を決断した。 「その時のチーム事情も影響しています。松井が戻ってくる時は、遊撃の後継者で育てていた中島の全盛期だった。松坂が日本球界に復帰する時も若手の投手陣を育成する方針だったのに加え、資金力でソフトバンクに見劣りする背景があった。牧田には熱心に声をかけていましたが…。松井、松坂は球団の宝として最後は声をかけていますから。冷たい球団というわけではないです。昔の西武はフロント陣の対応に問題があり、選手の不信感を呼んで他球団に流出する一因となりました。でも、今は違う。コミュニケーション能力が高い渡辺久信GMが対話重視の姿勢で選手に歩み寄っている。秋山に関しても仕方ないと思います。若手の育成を重視するチーム方針で、長期契約を提示するのはリスクがある。育成能力が高く、常に新陳代謝を行ってきたから不良債権と呼ばれるベテランがいない。FAで主力が流出しても若手がどんどん出てきている事実を見過ごしてはけない」(スポーツ紙記者)  昨年は42年ぶりの最下位に沈んだ西武だが、辻発彦監督が就任した5年間で18、19年にリーグ連覇を飾るなど5年間で4度のAクラス入りを果たし、今年も首位・ソフトバンクに4.5ゲーム差(5日時点)と逆転優勝に向けて好位置につけている。  西武でプレーした経験のある選手は、こう語る。 「西武は居心地が良い球団ですよ。選手同士の仲が良くて派閥もない。意識が高い選手が多いですしね。本拠地のベルーナドームは球場の構造が吹き抜けなので夏は猛暑で、春や秋は冷たい風が吹き込むのでタフな環境ですが…。所沢は都心から離れていますが、野球に打ち込む環境としては最高です。他球団でプレーして気づきましたが、西武は骨太な選手が多い。FAで移籍する選手が多いとマイナスイメージがつきますが、球界を代表する選手を多く育てている証だと思います」  西武ファンにとって、応援していた主力選手が他球団に移籍するのは悲しことだろうが、ニューフェースが次々に誕生してチーム力が落ちない。他球団もチーム作りで参考になる部分が多いだろう。(梅宮昌宗)

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    12時間前

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    最先端TSMC誘致 驚愕の真実 古賀茂明

    「無理ですね」。  言いにくそうに私の顔色を窺いながら答えたのは、台湾のある半導体企業関係者(A氏)だ。私の問は、「日本の半導体復活プランは成功するか」だった。  現在、半導体で世界トップを行く台湾のTSMCは5ナノメートルレベル(1ナノメートルは10億分の一メートル。半導体回路の線幅。小さいほど技術水準が高い)の半導体の量産に入り、米国などの先端企業に供給している。現在はさらに3ナノについても試験的に供給を始めるところだ。これを追いかけるのは韓国のサムスン電子だけ。2社以外に5ナノを作れるところはない。日本が作れるのは、さらに4世代前の28/32ナノまでだ。  今後の競争は3ナノから2ナノへと進むが、A氏によれば、7ナノが作れずに5ナノや3ナノを作ることは出来ない。したがって、10年前の4~5世代前の実力しかない日本勢が最先端半導体の世界に復帰することは最初から無理なのだ。  ただし、これは「製造」の話で、5ナノを使った自社用の半導体の「開発・設計」には、世界のIT企業なども参入する流れになっている。アップルやメタ、テスラなどだ。日本にも、ソニー、キヤノン、ニコンなど得意分野で世界最先端を行く企業はあるが、これらの分野は主戦場とは言えないという。これからの世界を制するのは、数多くの最先端企業が、最高レベルのスパコンをとことん使いこなしAIであらゆる課題を解決できる国だが、残念ながらそうした大きな構想が日本政府にも企業にもない(ちなみに、それを実現する可能性を持つのが、あの「PEZY社」(助成金不正受給で問題となったスパコンなどのメーカー)の斉藤元章氏くらいかなという意外な話も出た。)。  さらに彼の言葉は続く。日本企業の意思決定の遅さは、致命的だ。経営者に能力がないのだろうが、リスクを取れない企業文化も問題だ。日本企業が社内で会議を開き、稟議書を作り、役員会で決裁を取るまでに、ライバル国では1世代分の開発が終わってしまう。  では、そんな日本なのに、世界最高水準の技術を持つTSMCがつくばに後工程を中心としたハイレベルの研究所を作り、熊本には1兆円をかけて半導体の新工場を作るのは何故かと聞くと、「日本には後工程で高い技術を持つ企業がある。その技術を使ってTSMC用の先端技術を開発するためにつくばに出るが、成果は全部TSMCに帰属する仕組みらしい。熊本で作るのは、大して儲からない2~3世代も前の半導体だが、日本の自動車メーカー向けに確実に売れる。日本政府が巨額の補助金を見返りなしでくれるというので、それなら損はないというところではないか。経済産業省が大臣のメンツをかけて何が何でもTSMC誘致という姿勢だったので、足元を見られたんでしょう」という答えだった。  私が推測していたとおりだったが、それにしても政府の愚かさには呆れるばかりだ。  最後に、A氏は「すみません。少ししゃべり過ぎました。日本が馬鹿だと言っているわけではないので、気を悪くしないでください。」と深々と頭を下げた。私は苦笑しながら、「是非その話を偉そうに胸を張っている経産省に聞かせてください」と答えておいた。 ※週刊朝日  2022年7月15日号から

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    阪神との差は歴然? ヤクルトの強さの根源、助っ人補強で見える“チーム編成”の巧みさ

     ヤクルトが2年連続の日本一へ向け強さを発揮している。他球団を寄せ付けない戦いぶりでセ・リーグ首位を独走(7月5日終了時点で2位巨人に12.5ゲーム差)。主砲の村上宗隆だけではなく若手からベテランまでチーム全員が躍動し、誰もが求められた仕事を確実にこなしている結果が勝利に結びついている。  7月2日には早々と優勝マジック53が点灯。この勢いは止まりそうになく、他チームは3位以内に入ってのクライマックスシリーズ進出が現実的な目標になってきている。  野球解説者の落合博満氏も、マジックが点灯した翌日3日のTBS系サンデーモーニングにて「エース級をヤクルト戦にぶつけていくしか、もう手だてはなくなってきたような気はしますね。それで5球団で追っかけるというような形にしてこないと、このままではシーズン終わっちゃいますよ」とヤクルトが頭一つ抜けているとコメントしている。  落合氏は一方で「まだシーズンは終わっていない」とも発言してはいるが、ヤクルトがこのまま突っ走る予感が漂っている。  選手たちの素晴らしいパフォーマンスや、高津臣吾監督の手腕などが強さの理由として挙げられるが、助っ人補強を中心としたチーム編成のビジョンにも勝てる要因が表れている。 「ヤクルトは出場している9人全員が状況に応じて、すべきことをしている。特に攻撃面では外国人選手への依存度も低い。仮に調子が悪くて試合に出られなくても打線が弱体化しない。他球団は外国人野手の打撃に過度な期待をする場合が多い。打率、本塁打、打点はどのくらいかと計算してしまう。結果を出せば良いがそうでない場合に大きな痛手を被る」(在京球団編成担当)  ヤクルトはかつてから外国人選手の補強については“巧者”と言われてきた。最近では日本のプロ野球の評価も上がり、大物助っ人の来日も増えたが、ヤクルトは知名度だけではなくあくまで“ハマる”選手を獲得しているという。現在野手で所属しているオスナも一塁が主だが三塁と外野も守れるユーティリティプレイヤーで、打撃だけに特化しておらず、守備でもチームに貢献できる選手だ。 「各球団によって外国人野手の獲得について好みも出ている。例えばDeNAはソト、オースティンという2人の大砲中心の攻撃野球を目指しているが、打てなければ勝てない。ヤクルトもかつてはハウエルやペタジーニなどを擁した時代はそうだった。しかしそういった選手が結果を残すとマネーゲームで他球団に移籍してしまう可能性もある。そうなると、現状のようなスケールは小さくとも適材適所の外国人を選択することになる。それが奏功している」(ヤクルト担当記者)  助っ人補強はあくまで現在のチームに必要な部分を埋めるためであり、過度の期待をせずに補強している部分も大きい。プロ野球の歴史を振り返ると、勝てる球団は外国人選手が上手く作用している場合がほとんど。しかし、入団1年目のルーキー以上に活躍するかが未知数なのが外国人選手だ。ヤクルトは助っ人の補強が上手な球団ではあるが、そこに依存しないことも想定してチーム作りをしているという。  また、今年は開幕から好調だったサンタナが左半月板のクリーニング手術を受け、シーズン序盤に長期離脱することが決定。そこで、すぐに“代役候補”となるキブレハンの獲得に動くなど、決断力の早さも目立つ。  一方で助っ人が低迷の大きな要因になっているの阪神だ。今季はシーズン途中から調子を上げてはいるが、それでも現在リーグ4位。2020年のオフに鳴り物入りで来日したロハス・ジュニアは今年で2年目となるが、これまで目立った成績は残せていない。韓国リーグで大活躍した大砲は推定250万ドル(約3億4000万円)の2年契約と大きな期待を持って迎えられ、彼を主軸にすることで勝てるチーム作りを目指してはいたが……。 「昔からヤクルト、DeNA(大洋時代を含む)は堅実だった。中日の中南米ルートもいまだ健在。巨人も古くはクロマティがいたし今年はウォーカー活躍している。外国人野手に関して言えば阪神が一番外している。助っ人は(成功率の高い)投手だけにした方がいいかもしれない」(阪神担当記者) 「ロハスに関しては巨人も獲得に動いていたが、最終的には手を引いたと思われる。打撃面での弱点を発見したのではないか。また現実的に韓国球界よりNPBの方がレベルは上だが、そこを考慮しての獲得だったのかにも疑問がある。巨人は独自ルートで獲得したウォーカーが大活躍。ヤクルトの外国人も知名度は決して高くないが貢献度は高い。阪神が今後、勝っていくためには外国人補強を含めた編成面のテコ入れが必須になる」(在京球団編成担当)  助っ人の活躍次第でチーム成績が大きく変わるプロ野球。とはいえ、過度な期待は禁物でもある。様々な状況を想定して助っ人を獲得しているヤクルトの強さはここにも見て取れる。現場の選手や監督だけではない部分もチームが結果を残すことに欠かせない要素の一つである。

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    11時間前

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    巨人・菅野智之、楽天・田中将大 全盛期取り戻せない両者に「対照的な評価」

     球界を代表するエースとして活躍していた巨人・菅野智之、楽天・田中将大に異変が起きている。  菅野は6月24日の首位・ヤクルト戦で5回9安打と打ち込まれて今季ワーストの7失点。伏兵の中村悠平にプロ14年目で初の2打席連続アーチを浴びるなどメッタ打ちを食らった。生命線の直球が走らず、変化球も浮くため空振りを取れる球がなかった。ゲーム差を大きく離された首位攻防戦で、エースの乱調が響き16失点の大敗はチームにとってもダメージが残る敗戦だった。  今季は12試合登板で6勝5敗、防御率3.19。右肘の違和感で4月30日に登録抹消され、5月上旬に復帰後は登板した試合できっちり試合を作っていたが、全盛期のような力でねじ伏せる投球ではない。球数がかさみながらも多彩な変化球をまじえて抑えているのが現状だ。 「4度の登録抹消を繰り返した昨年とあまり状態は変わらないですね。菅野の持ち味である制球が良くない。フォームのメカニズムが狂っているのか原因は分かりませんが、これまで先発ローテーションとして長年投げ続けた勤続疲労は間違いなくあると思います。年齢は32歳とここから円熟期に入るが、肩や肘は消耗している。今の状態で絶対的エースとして期待をかけるのは酷に感じます」(スポーツ紙デスク)  菅野は入団1年目から先発ローテーションで稼働してきた。2016年から3年連続180イニング以上投げ、18年にはリーグ最多の202イニングを投げている。17、18年と2年連続沢村賞を受賞。コロナ禍で120試合制だった20年も14勝2敗、防御率1.97で3度目の最多勝のタイトルを獲得している。最優秀防御率も4度輝くなど、巨人のエースとして揺るぎない存在だった。  だが、昨年は故障やコンディションが整わず6勝止まり。直球が130キロ台に落ちるなど明らかに精彩を欠いていた。今年も本来の状態を取り戻していない。マウンド上で威風堂々と振る舞っていたかつての姿はなく、審判の判定にいら立ちを隠せない場面も。菅野の復調なくして逆転優勝は望めないだけに心配だ。  もう1人、球界を代表するエース右腕・田中将も白星から遠ざかっている。24日の西武戦に先発したが、2本のアーチを被弾するなど6回4失点で今季7敗目。日米通じて自己ワーストタイの6連敗を喫した。今季11本の被本塁打はリーグワースト。6月17日のソフトバンク戦ではNPB自己ワーストとなる4被弾で5回12安打7失点KOを喫した。今季12試合登板で4勝7敗、防御率2.92。今年はパリーグの投手部門で5人の投手が防御率1点台をマークし、「投高打低」が顕著であることを考えると、田中の防御率が良いとも言えない。  他球団のスコアラーはこう分析する。 「勝負球のスプリット、スライダーが甘く入ってスタンドに被弾される場面が目立つ。ただ、菅野と違って直球は走っていますし、スタミナもあるのでゲームメーク能力は高い。日本球界に復帰した昨年は4勝止まりだったが、投球内容を見れば2ケタ勝ってもおかしくなかった。今年も微調整すれば後半戦は白星を重ねる可能性が十分にある」  球団史上初の日本一を達成した13年に24勝0敗1セーブ、防御率1.27を達成し、ヤンキースでも6年連続2ケタ勝利と菅野以上にズバ抜けた実績を持つ。こちらも勤続疲労が懸念されるが、直球は力強さを取り戻しており、過度な心配は無用かもしれない。  オリックス・山本由伸、ロッテ・佐々木朗希と若い力が躍動しているが、球界を長年支えてきた2人も後半戦は意地をみせてほしい。(梅宮昌宗)

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    内田樹「小田嶋隆さんからの最後の贈り物 気づかいに胸を衝かれた」

     哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。 *  *  *  小田嶋隆さんが亡くなった。出先で受けた追悼文寄稿の依頼メールで亡くなったことを知らされた。以前から闘病されていたことは知っていたし、「あまりよくないらしいよ」と共通の友人である平川克美君からも教えられていた。6月はじめに小田嶋さんから電話を頂いた。いずれ鎮痛剤のせいで意識がはっきりしなくなりそうなので、今のうちに旧知の友人たちに別れの挨拶(あいさつ)をしているのですということだった。小田嶋さんの親友の岡康道さんが急逝された時、別れの挨拶ができなかったことがずっと悔いとして残っていて、そういう思いを自分の友人たちにはさせたくないので順繰りに挨拶をしているのですと説明してくれた。体調が悪い中での気づかいに胸を衝(つ)かれた。  翌週東京に行く用事があるから、赤羽のお宅にお見舞いに参りますと告げて、平川君と一緒に病床を訪ねた。  ベッドから起き上がれないほど憔悴(しょうすい)していて、呼吸するのも苦しそうだった。それでも僕たちの顔を見ると「こういう状態だとバカ話ができないんです。だから、いま一番したいのはどうでもいいようなバカ話をすることなんです」と言ってくれた。  それではというので、平川君と出たばかりの彼の最初の小説集『東京四次元紀行』についての感想を話し始めた。  すると小田嶋さんは横たわったまま言語と文学について熱く語り始めた。彼の「バカ話」というのは、この不要不急の議論のことだったのかと腑(ふ)に落ちた。不思議なもので、臥床(がしょう)している時は、息をするのさえ苦しそうだった小田嶋さんが橋本治さんの「半ズボン主義」の文学史的意義を語り出したころには、それまでもつれ気味だった滑舌がよくなっていた。つい興に乗って、奥さまを交えて小田嶋さんを囲んで4人で1時間半もおしゃべりしてしまった。  別れ際に「じゃあ、また。元気でね」と言った。そう口にしてから、場違いな挨拶をしたものだと思ったけれども、いまさら取り消せない。でも、小田嶋さんはにっこり笑って、温かく柔らかい手で私の手を握り返してくれた。笑顔と温かい握手が小田嶋さんからの最後の贈り物になった。 内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数※AERA 2022年7月11日号

    AERA

    22時間前

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    「夏のボーナス」元本保証、本当に得する定期預金は? 注目はいつも高金利「オリックス」

     元本保証の預金が大好きな日本人。大手銀行の定期預金金利は0.002%と低いが、知る人ぞ知る高金利預金がある。キャンペーン広告に引っかからない、賢い預金の選び方を伝授しよう。AERA 2022年7月11日号の記事から紹介する。 *  *  *  銀行をはじめとする金融機関側は“夏のボーナス商戦”と銘打ち、キャンペーンを設けてキャッシュを待ち構える。  投資信託の積み立てが流行(はや)っているとはいえ、臨時収入の預け先として真っ先に思い浮かべるのは預金だろう。しかし金利が低い。ほとんどの銀行では普通預金が0.001%の横並び。普通預金より有利なはずの定期預金も、小口はもちろん大口預金であっても0.002%が目立つ。100万円を預けても、1年後にたった20円(税引き後17円)の利息しかもらえない。  大手より高金利を提示している銀行を探そう。その際、注意すべきことがある。あくまで高金利は見かけの数字で、実質的にはさほど魅力的ではないケースが潜むのだ。 ■1カ月ものでも年利  たとえば、ある銀行が今年6月から定期預金金利を引き上げ、注目された。円の定期預金1カ月ものの金利を、それまでの2倍の0.2%に変更。今年4月の時点(0.01%)と比べると20倍の水準になり、ネットでも「金利20倍に引き上げ」と派手に報道されていた。  0.2%という金利に嘘はない。ただしこの金利が適用されるのは満期までの1カ月だけ。その後は普通預金金利(0.001%)が適用される。提示している0.2%は「年利換算」の金利だから、実際には「元金×0.2%÷12」、つまり0.2%の12分の1に相当する利息しかつかない。  満期が訪れるたびに1カ月もの定期預金に預け直すことを1年間繰り返せば、0.2%に相当する利息をもらうことはできる。しかし面倒すぎないか?  この「見かけの高金利」というトリックは、先述した“1カ月もの定期預金0.2%”に限らず、1990年代から横行してきた。1年未満で満期が訪れる短期の定期預金でも年率換算の金利を表示しているケースが主流なので、だまされないように注釈までよく確認しよう。  高金利預金を選ぶとき、できれば「夏の……」など、期間限定キャンペーンではないほうが得でラクだ。常に高い金利を提示している銀行を選んでおけば、季節モノのキャンペーンが終わるたびに他の高金利を探して預け替える手間もなくなる。 ■0.27%のオリックス  普段から高金利の定期預金を提供しているのはどこなのか。ベスト7をピックアップした。目をひくのは、5年満期で0.27%を提示するオリックス銀行の「eダイレクト定期預金」。6カ月ごとに利息を元金に加えて運用してくれる「半年複利」方式だ。この定期預金は01年から取り扱っているが、広告宣伝もほとんどせず、現在の口座数は約30万。知る人ぞ知る存在である。  オリックス銀行が国内総合リース最大手のオリックスグループであることは察しがつくが、ここまで高い金利を掲げられるのはなぜなのか。オリックス銀行の鈴木祥之さんに聞いた。 「当行は銀座に1店舗を配するのみで、ATMも所有しておらず、インターネット取引が中心です。預金口座には自動引き落としなどの決済機能がないためシステム運営費用もかかりません。当行の経費率は42.3%(2022年3月期)と、他行と比べてコスト負担が低い分、収益性が高くなっています」  日本金融通信社の「ニッキンレポート」によると、全国の銀行109行の平均経費率は64.1%(22年3月期)。オリックス銀行は2割以上も低い。  経費率が低いこと以外に、何か理由がある?  「当行では住宅ローンを取り扱っておらず、貸し出しの大半を占めているのは投資用不動産ローンです。賃貸に回すマンションやアパートを建てる人に貸すので、審査なども非常に専門的で参入障壁も高い。相対的に高い貸し出し利回りを得られます。その一部をeダイレクト定期預金の金利に乗せている形」  個人の住宅ローンで審査するのは借り手の信用力(勤務先や所得水準など)で、貸し出し事業としての難易度はさほど高くない。これに対し、賃貸物件の収益性や事業計画を吟味しつつ融資の判断を行う投資用不動産ローンには、相応の知見や専門のノウハウが求められる。  個人の住宅ローンは銀行間の競争が熾烈で貸し出し利回りが低め。投資用不動産ローンは参入障壁が高い(競争相手が限られる)ので、おのずと高い貸し出し利回りが得られるのだ。審査に関するオリックス銀行の実力は、不良債権の割合がわずか0.38%にとどまっていることが立証している。  話が少々脱線するが、定期預金を預けるとき「元利自動継続」か「元金自動継続」を選ぶことになる。どちらを選ぶべきなのか? 鈴木さんは答えた。 「満期が訪れると、元金とその利息が再び同じ定期に預けられるのが元利自動継続。元金だけを同じ定期に預け、利息は払い出されるのが元金自動継続。わずかながらお金が増えやすいのは、元利自動継続です」  なお、定期預金を満期日の前に中途解約すると、提示されていたものよりも低い金利(ペナルティー金利)が適用されることになる。元本割れすることはないが、せっかくの高金利が減る場合もあるのでご注意を。(金融ジャーナリスト・大西洋平、編集部・中島晶子)※AERA 2022年7月11日号より抜粋

    AERA

    18時間前

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    乙武洋匡「6年前の過ち」脱却できるか 旧友は「嘘つかないように」

     渋谷駅から歩いて5分ほどの雑居ビル。著書『五体不満足』で知られる作家・乙武洋匡氏(46)の事務所はわずか4畳半ほどの広さだ。  今回の参院選(7月10日投開票)では、激戦の東京選挙区で無所属での出馬となるが、SNS上では全国から1500人以上がボランティアに応募したという。事務所の玄関には七夕の笹が飾られ、2ちゃんねる創設者で実業家のひろゆき氏の「楽しく」と書かれた短冊が。わざわざパリから駆け付けたひろゆき氏は、応援演説では「たぶん受からないんじゃないか。でも、こういう人が頑張っているのは面白い」と話したという。  事務所で七夕飾りをつくっていたスタッフの一人に、ボランティアに参加した理由を聞くと、「いま妊娠しているんですが、会社でマタハラにあった時に偶然、乙武さんの演説を聞いて、働きたくても働けない人に手を差し伸べてくれる人だと思ったんです」。  事務所を出ると、街の若者たちは「乙武さんじゃん」とスマホをパシャリ。一人ひとりと記念撮影をし、「僕が目指していくのは、いろいろな違いのある方々が調和を成していく社会です」と訴えると、拍手が上がった。  乙武氏には、過去に苦い記憶もある。2016年の参院選に自民党候補として東京選挙区での出馬を検討していたが、直前に週刊誌で女性問題を報じられ、断念した。  トラブルは他にもあった。当時、「日本を元気にする会」から出馬する前提で準備が進んでいたが、それを反故にして急遽、自民党からの出馬に転じたというのだ。古くからの乙武氏の友人で「日本を元気にする会」の代表であった元参院議員の松田公太氏はこう振り返る。 「こちらから連絡しても音信不通になり、そのときは本当にショックでしたね。乙武さんに伝えるとしたら、当選して議員になったとしても嘘をついたりブレたりすることがないようにと。例えば完全無所属で出馬して闘いますと言ったのであれば、少なくとも6年間は政党に入らず、最後まで無所属で頑張ってやってほしいと思います」  当時のことを乙武氏に直撃すると硬い表情で「以前のことは……」と口ごもった。今回の選挙で汚名返上できるか。※週刊朝日  2022年7月15日号

    週刊朝日

    17時間前

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    「チームメンバー全員が主役」と思わせることが成功の秘訣 はやぶさ2×Googleで解明

     3億キロメートル彼方の小惑星リュウグウから「星のかけら(サンプル)」を地球に持ち帰った「はやぶさ2プロジェクト」。幾多の想定外を乗り越え、9つもの「世界初」という偉業を成し遂げた背景には、どのようなチームマネジメントがあったのか? 『世界最高のチーム』と『世界最高のコーチ』の著者である経営コンサルタントのピョートル・フェリクス・グジバチさんが、『はやぶさ2のプロジェクトマネジャーはなぜ「無駄」を大切にしたのか?』の著者の津田雄一さんに聞きました。 *  *  *■「生産性の高いチーム」の特長 ピョートル:困難だけれども成功すれば大きなイノベーションにつながるチャレンジを“ムーンショット”といいますね。月にロケットを打ち上げたことから派生した言葉ですけれども、はやぶさ2は月よりも遠い天体まで行った壮大なプロジェクトでした。リーダーとして総勢600名ものチームを率いた津田さんは、たいへんな苦労だったと思います。 津田:はやぶさ2が目指したリュウグウという小惑星は、直径約1キロメートルの小さな天体で、地球から観測しても得られる情報はごくわずかでした。誰も行ったことのない天体ですから、何が起こるかわからない。実際に、行ってみたら不測の事態もたくさん起こりましたが、それらをすべて解決して、当初の予定を大きく上回る成果を挙げることができたのはチームワークの勝利だと思っています。  リュウグウでのミッションを終えて地球に戻るときに、チームメンバーの一人が私に「はやぶさ2は、みんなが『自分がいなければ成功しなかった』と思えるプロジェクトだ」という言葉をかけてくれました。それはまさに私がつくろうとしたチームの姿で、奇しくもそれをメンバーの口から聞いたときには、本当に泣きたくなるくらいうれしかったです。 ピョートル:「自分がいなければ成功しなかった」というのは、メンバーが「チームの仕事に『Meaning(意味)』を見出していた」からこそ出てくる言葉ですね。  僕が以前いたグーグルには、生産性の高いチームの特性を明らかにした「プロジェクト・アリストテレス」という調査・研究があります。そこでの結論は5つあって、「チームの仕事に『Meaning(意味)』を見出していること」はその一つです。あとの4つは、「チームの仕事が社会に対して『Impact(影響)』をもたらすと考えていること」「チームに対する『Dependability(信頼性)』が高いこと」「チームの『Structure(構造)』が明瞭であること」、そして「チームの『Psychological Safety(心理的安全性)』が高いこと」でした。  はやぶさ2規模のプロジェクトですと、予算も膨大ですし、失敗が許されないというプレッシャーでたいへんなストレスがあったかと思います。そこで僕が津田さんにうかがいたかったのが、メンバーのみなさんがいかにして心理的安全性を保っていたのかということです。 ■いかにして心理的安全性を高めるか 津田:私が重要視したのはチームメンバーに失敗経験を持ってもらうことでした。通常、宇宙ミッションでは「絶対に失敗するな」と散々言われるんですけれども、失敗から学べることはたくさんあります。打ち上げからリュウグウ到着までの3年半の間に安心してメンバーが挑戦できる場所、言い換えれば失敗できる場所をどうやって確保するかということに注力しました。  その一つの仕掛けが訓練で、シミュレーターを使った着陸訓練を48回やって、22回「墜落」しています。この失敗経験があったからこそ、本番で不測の事態が起きても消極策を取らず、教科書には載っていない大胆な解決策を次々に編み出すことができたんです。 ピョートル:それはまさにメンバーの心理的安全性を守りながら、よいアウトプットを生み出す仕組みですね。  グーグルにも「ビィ・スクラッピー(Be scrappy)」という合言葉があります。スクラッピーとは「スクラップ=くず、残り物」のことで、ちゃんとしたものではなくてもいいから、とにかくやってみるという考え方です。エンジニアリングチームは、とりあえずプログラムをつくってみて失敗し、そこからみんなで学習するという、いわば「早めに失敗する仕組み」の中で動いています。 津田:はやぶさ2には若いメンバーもたくさんいて、若手らしい自由な発想から生まれてくるアイデアに私も期待をしていました。彼らは突飛だけれども可能性のあるアイデアをたくさん思いつきます。  だけど、それを提案するのを怖がるんですね。なぜかというと、「提案が通って失敗したら自分のせいだ」と考えてしまうからです。そこで私が心掛けたのは、「発案」「評価」「責任」の所在を明確にすることでした。  個々のメンバーが自由にアイデアを出し、出てきたアイデアをチームが評価し、結果責任はリーダーが背負う。<アイデアは個人><評価はチーム><責任はリーダー>という構造をしっかり見せていこうと。そこにたどり着くまでには私も試行錯誤の繰り返しでしたが、「結果論」としてメンバーたちの心理的安全性を保てるチームづくりができたのではないかなと思っています。 ■若手が育つ指示の出し方 ピョートル:結局、心理的安全性が保てるからこそ、妥協を許さない率直さも発生するということですね。プレッシャーをゼロにするというわけではなくて、ネガティブなプレッシャーをなくして、建設的な意見の対立をいかに推奨していくかということで、これはグーグルの心理的安全性の考え方と共通します。  心理的安全性があれば、メンバーを挑発することもできますよね。僕はチーム内でのぶつかり合いがとても大事だと思っていて、ぶつかることによってより強いアイデアを選び、それを拡大していくのがポイントだと考えていますが、津田さんはいかがですか? 津田:おっしゃる通りで、意見のぶつかり合いは重要だと私も思っています。でも、むずかしいですよね。小惑星探査は「答え」のないミッションですから、どっちの意見がいいのか、必ずしも冷静に選択できないところもあります。とくに技術者集団だと、各々のこだわりもあったりして。 ピョートル:エンジニアは頑固なところもありますね(笑)。 津田:「こっちであるべきだ」とか、「これが一番いいアイデアだ」とか、そういうこだわりが仕事への情熱につながることもありますので、意見の対立をけしかけながらも、どちらの気持ちも潰さないように気をつけました。 ピョートル:はやぶさ2は長期に渡るプロジェクトでしたが、メンバーのモチベーションを高めて維持するために、津田さんはリーダーとして現場で具体的にどんな指示を出していましたか? 津田:打ち上げ後に入ってきた若手メンバーたちは、事前につくられた計画に従って淡々と業務をこなすということになりがちですが、それだと創意工夫は生まれない。だから計画をしっかり理解してもらった上で、「計画上の制約はいったん取り払って、自分だったらはやぶさ2を使ってどんなことができると思う?」という言い方で若手メンバーたちをけしかけていました。  考えた結果は、プロジェクトの成功に直接関わらなくてもかまわない、論文を書いてもいいし、海外に行って研究発表してきてもいいですよ、と。そういうことを認めると、ある種、仕事を奪い合うようなかたちでいろいろな解析が回りますし、「機会さえあれば自分はこういうネタを持っているぞ」という頼もしい若手がたくさん育ってくれます。そこに3年くらい時間をかけました。 ■「運」を味方につける方法 ピョートル:チームマネジメントというのは、メンバーが最高のパフォーマンスを出せることを支援してくのが仕事ですよね。そういう意味でマネジャーはスポーツのコーチに近い。要は、練習ではいろいろなことを試して、指示したり、フィードバックしたり、もう面倒くさいほど会話をするけれど、試合になったらメンバーは圧倒的な自由を与えられてパフォーマンスを発揮する。津田さんは典型的なコーチ、もう名コーチですね。 津田:私自身はコーチングの勉強をしたことがなくて、もう我流なんですが(笑)。ちょどはやぶさ2がタッチダウン(着陸)するときにラグビーのワールドカップがありました。ラグビーチームのミッションもタッチダウンですけれども、監督はフィールドにはいませんよね。けれども、選手たちは一つの生命体のように非常に有機的に動いている。彼らはどんな練習をしてきたんだろうかとか、私もいろいろ感じることがありましたから、たしかにスポーツに通じるところはありますね。 ピョートル:先ほど津田さんは「結果論」という言葉を使われましたけれども、経営者や実業家には素晴らしい結果が出たときに「運」という言葉を使う人もいます。はやぶさ2がこれほどまでの成果を挙げることができた要因は、津田さんが振り返ってみたときに、それはスキルなのか、それともラッキーもあったのか、どうお考えですか? 津田:はやぶさ2は国家事業なので、「計画してできました」という言い方をするんですけれども、いろいろな局面で「運に恵まれた」という実感はあります。そもそも宇宙探査というのは人間の予想通りにすべてが上手くいくはずがないんですね。  技術的・科学的という意味ではチームメンバーは成功確率100%のことをやっているわけではないので、やれることをすべてやった後の最後の1%は神頼みなんです。だから「運」に対しては謙虚でなければいけないと思っていて、本当に神社へ行ったりもします(笑)。  一方で、買いかぶりすぎかもしれないですけれども、メンバーは人類の代表として未知の天体に行くわけですから、そこで恥ずかしくない所業をしなくてはいけない。予想外のことが起きても、全力で事に当たれるためにチームづくりをしたという感覚があります。 ■難題に挑むときに欠かせないアプローチ法 ピョートル:ほとんどの業界や分野に言えることですけれども、どうすればいいかわからない状況で、上手く解決策を見つけられた人が成功し、成長していきますよね。そこでお聞きしたいのは、「これは困った、わかんない、次にどうしよう?」という壁にぶつかったときに、津田さんたちは何をしたのかということ。壁を乗り越えるコツみたいなものはあったんですか? 津田:はやぶさ2の場合はリュウグウのサンプルを採取するという明確な目標があって、最大の困難は安全に着陸できる場所が見つからないということでした。探査機の設計図通りのスペックではとても解決できない問題が、リュウグウに到着してからわかってしまった。  そのときに「着陸」という作業に必要な問題を分解して考えてみると、たとえば小惑星の地形を知らなければいけない、重力を知らなければいけない、探査機のスペック以前に設計そのものはどうなっているのか、着陸に求められる安全とはどういうことなのか……と、問題を細分化できたんです。  そのプロセスは「問題を解く」のではなく、「問題をつくる」という感じですが、適切に問題をつくれたときは答えが見えやすいんですね。答えというのは必ずしもリーダーの頭の中から出てくるものではないので、私がリーダーとして努力したのはチームの中に問題設定ができる場をつくることでした。 ピョートル:なるほど。では、ちょっと意地悪な質問をしますけれども、ここに20代の男性がいて、結婚したいけれどもいい出会いがなくて、どうしたらいいのかわからない。という問題に対して、津田さんならどういうステップを踏んで、どうやって解決しますか? 津田:私には小惑星着陸よりもむずかしい(笑)。  まったく想定していなかった問題ですが、細分化するという話に合わせると、まず「結婚相手が見つからない」という問題を「自分の問題」と「環境の問題」に分けることでしょうか。で、自分の問題を解決するには、身だしなみを整えるとか。環境のほうは、日頃の社会との接点を増やすとか。あとは技術的に、それぞれの専門家に相談してみる。  そうやって問題をどんどん細分化して、検証を繰り返して、積み重ねていけば、必ずしも答えに結びつかなくても、答えに近づくことはできると思います。即効性はないけれども、時間をかけてじわじわ答えをあぶり出すようなイメージですかね。 ■「はやぶさ2」が成功した理由 ピョートル:なぜはやぶさ2が成功したのか、よくわかりました(笑)。要は、「仮説を立てて検証していきましょう」ということがチームの中に浸透しているわけですね。  一般の会社では、社員に対して「前向きな失敗はOK」という経営者がたくさんいて、もちろん意図は正しいんですけれども、現場レベルでは失敗は降格やクビといったリスクでしかないと考えます。ところが、「失敗」を「仮説を立てて検証した結果」というポジティブな言葉に置き換えると、実際に社員たちがおもしろい失敗をたくさんしてくれるという場面を僕はいままで何回も見てきました。はやぶさ2は、まさにそういう仕組みがチーム内にできていたんだろうなと思いました。 津田:トライ・アンド・エラーで「これはやったけれども上手くいかなかった」というほうがリアリティがあるし、「次はもっと深く考えるぞ」という意識につながると思うんですね。結果として「失敗」であっても、選択肢を減らして成功への道筋が絞られていくのであれば、失敗を経験することは重要なプロセスだと思います。

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    生稲晃子に「タレント候補」扱い直撃「間違っていません。でも…」

     参院選(7月10日投開票)、大乱戦の東京選挙区で「タレント候補」として異彩を放つのが、自民党公認で出馬する生稲晃子氏(54)だ。俳優で「元おニャン子クラブ」だけに知名度はさすがで、街頭演説を行えば「キャー! あきこさん!」と女子高生や男性ファンが群がる。 「タレント候補」路線には党内でも賛否があるようで、足立区内で行われた生稲氏の個人演説会では、都議会議員の高島直樹氏が「おニャン子クラブの(会員番号)40番ですよ。『自民党またタレントか』と思われそうな気がいたしますが……」と、本人の到着前に本音をポロリ。  別の日に立川市内で行われた街頭演説で、「生稲さんはただの『タレント候補』ではない! きちんとした仕事、子どもを持っておられる立場です!」と力説したのは下村博文衆院議員。応援演説に駆け付けた安倍晋三元首相も、芸能界での活躍には触れず「生稲さんはがんに苦しみながら子育てを両立してきた。この経験を国会で生かしてほしい」とだけ述べた。  生稲氏の三多摩事務所の責任者は言う。 「『タレント候補』はあくまで肩書の一部で、我々の側では強調していません。過去には内閣府の働き方改革実現会議委員や、厚生労働省の『がん対策推進企業アクション』メンバーも務めており、陣営としてはそういった方面の活躍を期待しています」  だが、取材を続ける中では「おや?」と思う場面も。足立区内での個人演説会には、自民党の比例区で出馬している元SPEEDの今井絵理子氏(38)が駆け付け「生稲さんは芸能界時代の大先輩です! 『いまいく』タッグを組んで頑張ります!」とアピール。生稲氏と今井氏のツーショット撮影時間が設けられるなど、結局、「タレント議員コンビ」として売り出しているようにも見える。  本人はどう考えているのか。立川市内での街頭演説後、「『タレント候補』と言われることをどう思っていますか?」と直撃すると、一瞬たじろぎつつも、「私はタレントなので、その呼び方で間違っていません。でも、この36年間の芸能生活は誇りに思っていますので!」とキッパリ。陣営ともども、いっそ開き直ってしまえばいいと思うのだが……。※週刊朝日  2022年7月15日号

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    18時間前

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    倉科カナ、北乃きい、高橋一生 「大家族」タレントが成功するワケ

     女優の倉科カナ(34)が5月6日に放送されたトーク番組「A-Studio+」(TBS)に出演した際、自身の生い立ちについて触れ、幼いころに両親が離婚し、妹3人と弟1人の5人兄弟の長女として母子家庭を支えたことを明かした。 「彼女が5歳のときにご両親が離婚したと語っていました。他の家庭でよくある『お父さんに言うからね!』といった、家族を引き締める“父親役”を倉科さんが担っていたそうです。高校時代には、地元の熊本でアルバイトを3~4つ掛け持ちし、家族の生活を支えていたというから頭が下がります。ただ、そんな生活がふと『つまらない』と感じ、かねて興味があった芸能界入りを目指してみようとオーディションを受けてみたところ、見事グランプリを受賞したのです」(テレビ情報誌の編集者)  近年、日本では少子化が進み、一人っ子の家庭も増えてきている。たが、芸能界では倉科のように大家族で育ってきたという人も少なくない。  5月24日に最終回を迎えたドラマ「汝の名」(テレビ東京)で、昼ドラ顔負けのドロドロのホラーサスペンスに挑戦した女優の北乃きい(31)はなんと11人きょうだいの長女。昨年、バラエティー番組で両親がそれぞれ再婚したため、合わせて11人のきょうだいがいたことを告白。一番下の妹との年の差は実に30歳もあり、一緒にいると北乃が母親に間違われることもあるという(日本テレビ「行列のできる法律相談所」2021年3月21日放送)。  ほかにも、本田望結&真凛姉妹も実は5人きょうだいの7人家族。YouTubeチャンネルにときどき両親や長男、四女が登場し、和気あいあいとした動画を配信している。また、仲間由紀恵や吉田羊、城田優やりゅうちぇるなども5人きょうだいで、芸能界には意外と大家族が多い。 「バラエティーやトーク番組では大家族ネタは受けますし、芸能人にとってもイメージアップにつながります。家族との仲よしエピソードを番組で話すと、ほっこりとして場が和むので本人たちも積極的にアピールしていますよね。今はコロナ禍でより家族の絆が再認識されているので、ほほえましいエピソードに癒やされたり、共感したりする人も増えているでしょう。また、家族の生活のためにアルバイトをしたり、親の代わりに小さいきょうだいの面倒をみていたという苦労エピソードも、華やかさとのギャップを生み、やはり好感度がアップします。大家族で育つとハングリー精神が鍛えられ、それが芸能界でいきている部分もありそうです」(民放バラエティー制作スタッフ) ■ポジショニング能力が鍛えられる?  一方、大家族だったからこそ、才能が開花したのではと思わせてくれるのがシンガー・ソングライターのあいみょん(27)だ。クールな外見とは裏腹に、家族には熱い思いがあるようで、各所のインタビューで両親や兄弟姉妹のことを話している。姉、妹、弟3人の6人きょうだいだという彼女。父親は音響関係の仕事をするPAエンジニアで、元ミュージシャンでもある。  2月27日に石田ゆり子のラジオ番組「LILY’S TONE」にゲスト出演した際、シンガー・ソングライターを目指したきっかけを告白。母方の祖母が「(親戚も大家族が多く)こんだけ孫がおったら、誰か1人でもええから“歌手になりたかった”っていう私の夢をかなえてほしいな」という言葉がずっと頭にあったという。19歳でデビューしたときに「代わりにかなえてくれてありがとう」と祖母に感謝されたことを「徹子の部屋」(テレビ朝日・2021年3月26日)の出演時にも語っていた。 「パリピ属性だったお姉さんからは西野カナを聞くことを薦められたというエピソードもありました。6人兄弟という大家族の中、さまざまな価値観にもまれて育ち、独特の世界観が形成されたのだと思います。似ているケースだと、俳優の高橋一生さんもそうです。彼は5人兄弟の長男。ただ、次男&三男、四男&五男と、それぞれ『父親が3人違う』とトーク番組で明かしていました。お母さまは他界されたそうですが、その際に兄弟を集めて、生活力をつけなければいけないと話し、弟たちに家計簿をつけさせているそうです。いろんな立場で状況を俯瞰(ふかん)しているからこそ、演技に説得力が出るのでしょう。演技の幅の広さ、独特の世界観も家庭環境が少なからず影響しているように感じます」(同)  芸能評論家の三杉武氏は、大家族で育ったタレントが活躍する背景をこう分析する。 「芸能界では『兄の影響でギターに興味を持った』とか『姉に勧められてオーディションを受けた』という話をよく聞きます。やはり幼い頃から年上の肉親と触れ合うことで文化的な影響や刺激を受けて、芸能界を目指すケースが多いように思います。一方、ドラマや映画の現場、バラエティー番組の収録など、芸能界の仕事の大半は団体行動を強いられます。集団の中で自分に求められている役割や立ち位置を理解しつつ、実力を発揮することを求められるわけですが、子供の頃から大家族の中で育つことによって、そうした機微や空気を読む力、ポジショニング能力などが自然と培われることも大きいと思います」  芸能界という荒波で生き残るには、大人数のきょうだいでもまれた強さや対人能力が大きなメリットになるのかもしれない。(高梨歩)

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    宇野昌磨、成熟期を迎えた24歳 新世代台頭にも「静かな闘志」燃やし成長誓う

     2022-23シーズンが始まった7月1日、宇野昌磨はフィギュアスケート日本代表エキシビション「ドリーム・オン・アイス」(KOSE新横浜スケートセンター)で、新シーズンのショートプログラム『Gravity』を滑った。  既に4月末のアイスショーで披露していた『Gravity』は、それから2カ月を経てさらに洗練された印象を与えた。黒のスーツ姿の宇野が、エレキギターの音色とジョン・メイヤーの渋い歌声に乗り、試合より小さいアイスショーのリンクでは狭く感じるほど伸びのあるスケーティングをみせる。チャームポイントであるクリムキンイーグルも入っており、昨季ついに世界王者となった宇野の貫録漂う演技だった。  ショー終了後に取材に応じた宇野は、『Gravity』の振り付けを担当したステファン・ランビエールコーチが来日しており「少しブラッシュアップもかねてこのショートプログラムを見てもらい、今年のルールに沿ったプログラムに変えてもらいました」と話している。具体的には、今季からレベルの要件に「難しい出方」が加わったスピンを修正したという。  ルールについてはスピン以外にも、セカンドジャンプにアクセルを跳ぶジャンプシークエンスの基礎点が、従来の0.8倍から1.0倍に上がる変更もあった。しかし宇野は「そんなに大きな変化はないというのが僕の印象です」と語っている。 「今までやってきた練習を何かすごく変えなければいけないという変化ではないのかなと思うので、特に大丈夫かなと」  具体的には、スピンについては「レベルとれるように頑張ります」、またジャンプについては「多分どのトップ選手もコンビネーションにアクセルを取り入れてくると思うので、『置いていかれないようにちゃんとやっていかなければいけないな』という気持ちです」としている。 「今考えていることは、シーズンに向けて、スケートにどう取り組んでいくかということ」と言う宇野は、落ち着いてスケートに向き合う充実した日々を過ごしているようだ。世界王者である24歳の宇野は既にベテランの域に入りつつあるが、成長への意欲は衰えない。  この「ドリーム・オン・アイス」には昨季全米選手権2位に入った世界ジュニア王者、17歳のイリア・マリニンが出演しており、練習中に跳んだ4回転アクセルの動画をインスタグラムにあげている。実際にマリニンの4回転アクセルを見た宇野は、刺激を受けるかという質問を受け「すごく安定していましたし、『間違いなく試合でたくさん取り入れてくるんだろうな』という完成度でした」と答えている。 「もちろん刺激にはなるんですけれども、ただ跳ぶだけでなくあれだけの成功率で跳ぶということは、あまりにも本当にすごすぎることで。自分の手が届きそうなものだったら刺激を受けるんですけど、あまりにすごすぎて客観視してしまうというか『すごいな』という感想でした」  いつも優れた選手を素直に讃える宇野らしい感想を述べた後、今シーズンの目標について問われると、静かな闘志がのぞいた。 「マリニン選手もどんどん成長していますし、まだまだ若いんですけれども、僕もまだまだ気持ちは若いつもりでいますし。現状維持をしていけば、いつかは置いていかれてしまう。ちゃんと成長をしていく、そして去年からまだ成長できる余地があると自分では思っているので、そういったところを皆さんに見せられたらなと思っています」  さらに成長する自分を信じる、宇野昌磨のシーズンが始まる。(文・沢田聡子) ●沢田聡子/1972年、埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。シンクロナイズドスイミング、アイスホッケー、フィギュアスケート、ヨガ等を取材して雑誌やウェブに寄稿している。「SATOKO’s arena」

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    「思い通りにならない体」の不思議さに耳を傾ける 美学者・東京工業大学教授・伊藤亜紗

     美学者・東京工業大学教授、伊藤亜紗。目が見えない、耳が聞こえない、しゃべるときにどもる、幻肢が痛む……。自分の体なのに、ときに体がままならない。伊藤亜紗は、それぞれの体が持つ「固有性」や詳細を聞き取り、それを抱える人々の悲喜こもごもや、生きるための工夫を記してきた。体は理由がないことをする。説明できないこともたくさんある。そこを理解し、言語化していきたいと伊藤は考える。 *  *  *  全盲の男性がハンバーグとポテトサラダを調理している。刻み方やこね方に無駄がない。付け合わせの野菜は自動水切り器で水を切る。慣れた手つきで洗い物も並行しておこない、所定の位置に調理器具を収納する。午後の早い時間だったが、部屋の照明はつけていなかった。男性は「あ、(照明を)つけましょうね。いつもこのままだから」と微笑(ほほえ)んで照明のスイッチを押した。 「塩の分量は音で判断しているんですか」  伊藤亜紗(いとうあさ)(42)が男性に聞いた。 「計量スプーンに入れてゆすってますね」  そう答える男性を伊藤がスマホで撮影しながらじっと手元を観察している。ハンバーグをこねる男性に再び問う。 「玉葱(たまねぎ)を半分に切ってから皮を剥くんですね?」 「その方がうまく剥ける気がしてね」 「これだけ(部屋に人数が)いると視線は感じますか?」 「これだけいると感じますね」  笑いが起きた。私も入れて5~6人がそのダイニングキッチンにいた。いつもどう質問するのか伊藤に聞くと、こう答えた。 「視覚障害者だったら、今どういうふうに見えてますか?とか、わりと何回も聞かれているだろうなということを最初に質問していきます。聞いていると、ちょっとひっかかる言葉とかも出てくるんです。それも自分の体をどう動かしているのかと同じで、本人が無意識的に使ってる言葉だと思うんですけど、どうしてこの言葉を使うんだろうという疑問が出てくるんです。そうしたら、それについてまた質問していく。たとえば、手を切断して幻肢(失った四肢が存在するような錯覚)の手を感じている人が、“今日は、手が腫れたがっている”みたいな言い方をする。“腫れたがっている”という言い方は、その人が幻肢と対話するみたいなモードに入っているのかなと思うんです」 美学者としての訓練が相手の言葉を聞き逃さない  伊藤の肩書は美学者だが、肩書と彼女の仕事を結びつけることは一筋縄ではいかない。広辞苑によれば、美学とは[自然・芸術における美の本質や構造を解明する学問]で、専門研究者やかなり通じた「玄人」でないと理解できないような難解な哲学用語を駆使する学問だ。  伊藤は博士論文を下敷きにした『ヴァレリー 芸術と身体の哲学』という本こそ著しているが、この数年の話題作は、視覚障害を扱った『目の見えない人は世界をどう見ているのか』、吃音(きつおん)を持つ人にインタビューをした『どもる体』、さまざまな障害との独自の向き合い方を聞き取った『記憶する体』など、心身に何かしらの障害がある人々の「固有性」について徹底的に詳細を聞き取り、観察し、記述する作品が多い。「人間の体」の不思議さと、それを抱えている人々の悲喜こもごも、生きるための工夫や実践や実験を独自の表現で社会へ伝えていく。  美学者として哲学などを学び、「言葉にしにくいものを言葉で解明していく、いわく言いがたいもの、感じられているのに言葉にできない、わかっているけれど、言葉にできないものを言葉にしたくなる」訓練をしたことで、「手が腫れたがっている」というような、当事者も無意識に使う言葉を聞き逃さない術を身につけた。  最近では、物理を研究し、心と命の探求を試みる江本伸悟、究極の身体ケアが必要とされるALSの母親との日々を記録した川口有美子、探検家の角幡唯介、「独立研究者」の森田真生など、一見すると他領域の論者とも積極的に公開で言葉を交わし、自分の「研究」の発展性や可能性、社会への溶け込み方をさぐっている。  伊藤自身に軽い吃音があることが、ままならない体へ興味を持つ一つのきっかけとなっている。普段の会話や授業などで大きな問題にならない「隠れ吃音」ではあるものの、自分の中で吃音をやりくりしている感じがあるという。  伊藤の言い方を借りれば、「体が先に行ってしまっている」人たち、つまり、心ではこうありたいと願っても、体がコントロールできず、ままならない状況にある人たちは、障害を抱えた体とともに生き、無数の工夫を重ね生きている。それは、自分の体を少しでも居心地のいいものにするために、唯一無二の代替できない体にしていくこと、思い通りにならない体に対して悲観と肯定をおりかさねていくという言い方もできる。体と付き合っていく時間の堆積がその人の身体的アイデンティティーをつくると思う、と言う。 「先に、目が見えないとか、耳が聞こえないとか、どもるっていうのがあって、そこから生きることが始まる。体の状態に感情を持ちすぎてしまうと──感情ってすでに判断を含んでいますよね──思考停止になってしまいがちで、新しい世界が見えなくなる可能性があると思うんです。自分の認識が先にあって、そこに体を当てはめているというのではなくて、体がすごい先に行ってしまっている状況のほうに、結果的にすごい豊かさのようなものを発見すると、宝石を見つけたという気持ちになります」 昆虫図鑑好きの小学生将来の夢は生物学者  私が伊藤の『記憶する体』を知ったのは、脳卒中(小脳出血)を患い、幸い1週間ほどの入院で退院できたものの、かるい右半身麻痺や発語のたどたどしさ(運動障害性構音障害)といった後遺症をねじ伏せようと四苦八苦している日常を送っている最中だった。もとの体に戻そうと焦っていた。しかし『記憶する体』を読んだ私は、本に登場する人々がままならない体と固有の向き合い方をさぐり続けていることを知り、少し心が緩んだ。  同書は──全盲でありながらメモをとる女性、点字を読みながら数字や文字の色を思い浮かべる男性、事故で失った左足を義足にして踊るプロダンサーの男性の感性、全盲の女性が感じる「目が見える人が書いた文章」に対する違和感、骨肉腫で右腕をすべて切断した女性が、義手をつけることによって幻肢の記憶が失われるかもしれないと考える独自性、バイク事故で左腕の神経が損傷したことによる幻肢痛と関わってきた男性の執念など──個々の障害との「付き合い方」を聞き取り、わかりやすく綴(つづ)っていく。  やわらかく、体温を感じさせる伊藤の文体はスッと頭に入ってきた。どこか文学的表現を用いながら、かつ客観的で細かな、相手の所作への観察眼と描写は心地よくさえあった。相手の発する言葉を独自の比喩と解釈で読む者に届ける。  ライターの武田砂鉄(39)は、伊藤の『記憶する体』がとりわけ好きで、ほとんどの著書を読んでおり影響を受けたという。 「人間の体というのはローカルルールを持っていて、それが他の人から見たら不合理な内容だったとしても、その人にとっては合理的で、私たちが、今日は体調いい感じ、とか、ちょっとダルいんだよね、という曖昧な感じを持つときも、実はとても大切で複雑なもので、そこに着目すると世の中の見え方も変わってくるな、と伊藤さんの一連の著作を読んで思ったんです」  伊藤は1979年、東京都八王子市に生まれた。広告会社勤務の父も、在宅の仕事をしていた母も美術好きで、美術全集の類いも書棚に揃(そろ)っていた。野山を駆け回り、わざと知らない獣道のようなところを行き、見覚えがある場所に出ると心がざわめいた。読書好きの子どもではなく、昆虫図鑑の類いばかりを読み、将来は生物学者になろうと思っていた。  吃音が原因で小学校の頃、同級生から軽くいじめられたり、真似(まね)されたりすることはあった。しかし陰湿なものではなく、イヤな気持ちになることはあっても、吃音がスティグマになるような否定感を持つことはなかった。  中学時代に、本川達雄の『ゾウの時間 ネズミの時間──サイズの生物学』を読んで、動物ごとに異なった時間感覚があることに感動し、生物学者になるという思いを大きくした。  東京大学では思い描いた通り生物学を勉強したが、個々の動物がどのような時間を生きているのかという哲学的ともいえる広大な疑問を解くには、大学の理系分野は細分化されすぎていて肌が合わなかった。3年次に文転、文学部で「美学」を専攻する。美学を通じて、生物一般から「人間」の身体へと興味が移行していき、同じ人間でも同じ身体は一つとしてなく、一人ひとりが違う「世界」を構築していることに気づいていく。 吃音の8人に聞き取り音読好きが多くて驚く  視覚障害者と対話形式で美術鑑賞するワークショップに行ったことがきっかけで、視覚障害に興味を持つ。視覚障害者は、声の反響で今いる部屋の大きさや人の数などを把握していた。視覚障害者が視覚を使わない方法で世界を認識していることを知ることで、さまざまな障害のある人の、それぞれの世界の認識の仕方や身体の使い方を聞くことにのめりこんでいく。  2018年に出版した『どもる体』では、吃音がある8人にインタビューをおこなった。「吃音」という自分の体をコントロールできない人たちが、さまざまな固有の工夫をしながら日常を送っていることを聞き取っていく。伊藤にとって驚きの連続だった。 「他の人も私みたいに吃音と付き合っているんだろうって思い込んでいたら、全然違いました。吃音なのに音読が好きって言う人がけっこういたことも信じがたかった」  吃音には、たとえば「たまご」と言おうとして、「たたたたたまご」と言ってしまう「連発」や、最初にしゃべろうとした単語が出てこず言葉につまってしまう「難発」があるが、「連発」や「難発」が出そうなときに、同じ意味の言葉に「言い換え」をすることで、吃音になることを避ける。 「言い換えは意識的にすることから、だんだん無意識におこなうようになりますけど、その区別が当事者でも難しいんです。でも、言い換えをするときって、言い換える言葉の意味や本質をすごく考えることだということにも気づいていくんです」  どんなときにどもるのか。歌ったり、独り言を言ったりしているときにはなぜどもらないのか。言い換えをするときに体にはどんな変化が起きているのか──インタビューを通じて吃音と体の複雑極まりない関係に迫っていく。 『どもる体』を編集した医学書院の白石正明(64)は次のように語る。 「伊藤さんの『身体論』の特徴は、意のままにならないもの、コントロールできないものとどう付き合うかです。つまり振り回す主体に焦点が当たっているのではなく、振り回される主体に焦点が当たっている。その圧倒的な『やられ感』こそが伊藤さんの真骨頂で、その位置取りの新鮮さこそが、他の身体論を一気に追い越しているのではないでしょうか」 『記憶する体』でインタビューされた森一也(48)は、伊藤を「静かで奥深い観察眼と傾聴力を持っている」と感じたという。  森は17歳のときにバイクに2人乗りして事故に遭い、その衝撃で左腕の神経叢(しんけいそう)引き抜き損傷を負った。網状になって脊髄に付着している腕の神経が抜けてしまう損傷で、物理的に左腕はあるが、左腕半分と指が麻痺しており、30年にわたって消えることのない痛み、つまり幻肢の痛みと向き合ってきた。 体の固有性について簡単な言葉で考えたい  最近、VR(バーチャルリアリティー)を利用して、自分の麻痺した左腕と、バーチャル空間に現れた健康な手の動きをシンクロさせたところ、そのバーチャルな手を自分のものだと感じることで「両手感」を取り戻し、24時間苦しめられていた痛みが消えた。伊藤はこれを、〔私たちの想像を超えて作用する記憶と体の関係をつなぎなおすこと〕と表現した。森は伊藤のことをこう話す。 「自分もピタリと当てはまる言葉を持ち合わせていないから、伊藤さんとの会話は、最適な言葉が吸着するような感じでした。“生きづらさ”や“不自由さ”の中で柔軟に生き、編み出してきた創意工夫に対して、伊藤さんは過度な賛美も憐れみも無い。多くを語り過ぎず、ちょうどよい客観性を欠くことがない。読者に理解の種を芽吹かせてくれるんです」  別の日に伊藤が、吃音の女性にインタビューする機会に立ち会った。伊藤は相手の話が逸れていっても止めることはなく、ときたま頷(うなず)く程度で、相手の言い分を静かに聴いていた。英語圏やフランス語圏での生活が長かった女性が、「私にとっての吃音は、外国語と日本語を切り替えるときの感覚のズレみたいな感じです」と説明すると、伊藤は「外国語で話をするときって体の中で言葉を探しているもんね」と笑った。  調査する相手の障害や病の状況に合わせて30分から2時間くらい会話する。 「いつもそこに寝る猫もいれば、日向(ひなた)が好きな猫もいるし、寝るときの丸まり方とか、妙なこだわりがあったりするじゃないですか。そういう理由がないことをいっぱい体はやっている。説明できることもあるけれど、説明できないこともいっぱいあって。理由がないところを私は理解したいし、本人にも解釈してほしい」  さまざまな障害者と関わるが、そこには福祉的な「治す」という視点はない。障害や病気を歴史的に「医学モデル」で考えると、個人の体が悪いから治しましょうという発想になる。けれども、社会の方に問題があるから障害のある人が生きにくいんだという「社会モデル」という発想が徐々に主流となってきた。 「たとえば、(先人たちが)吃音の体を社会に受け入れてほしいと闘ってきたおかげで、今いろんな制度が整っていると思うけど、一方で吃音の人が、治せるなら治したいと思う気持ちとか、言い換えをする努力とか、社会モデル的にはあまり歓迎されない体との向き合い方なんです。でも、そこにいいも悪いもなくて、現実をそうやって生きているから、矛盾と言われるかもしれない領域もちゃんと言葉にしていかないと、社会がいくら変わっても、ままならない体だけが取り残されるだけになっちゃう」  体の固有性について語る言葉は実は少ない。今の伊藤は、その道具を作っているとも言える。インタビューを通して聞いた話を、研究者として違う角度から整理し直し、それをアカデミックに展開したり、道筋を作ったりできたらと考える。 「簡単な言葉で考えたいんですよね。難しい言葉でややこしいことを言うのはすごい簡単なんですけど、簡単な言葉のほうが難しい言葉で言えないことが言えるっていうところがある」  子どもの頃、「風の谷のナウシカ」が好きだった。研究者のイメージはナウシカだという。不毛の地と化した大地や人類を新しい「価値」をもとに再生させていく。伊藤の営為から現代のナウシカを連想しても、大げさではないと思う。(文中敬称略) ■いとう・あさ1979年 東京都八王子市でサラリーマンの家庭に生まれる。小学校時代は野山を駆け回り、動物が大好きな子どもで、昆虫図鑑等を読みふけった。「実験」と称していたずらを思いついては、友達を巻き込んでいた。 95年 東京学芸大学附属高校に進学。 2010年 東京大学大学院人文社会系研究科基礎文化研究専攻美学芸術学専門分野を単位取得の上、退学。同大学で博士号を取得(文学)。『美学への招待』等の著書がある美学者の佐々木健一に学ぶ。大学院生時代に妊娠、出産。 13年 日本学術振興会特別研究員を経て、東京工業大学リベラルアーツセンター准教授に着任。 15年 『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社新書)を出版。 16年 『目の見えないアスリートの身体論──なぜ視覚なしでプレイできるのか』(潮新書)を出版。 18年 『どもる体』(医学書院)を出版。 19年 『記憶する体』(春秋社)を出版。3月から8月まで、マサチューセッツ工科大学客員研究員。 20年 『手の倫理』(講談社選書メチエ)、『ひび割れた日常──人類学・文学・美学から考える』(奥野克巳・吉村萬壱との共著/亜紀書房)を出版。東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センターでセンター長を務める。一連の著作でサントリー学芸賞を受賞。 21年 東京工業大学リベラルアーツ研究教育院、科学技術創成研究院教授。『ヴァレリー 芸術と身体の哲学』(講談社学術文庫)、『きみの体は何者か──なぜ思い通りにならないのか?』(ちくまQブックス)、『「利他」とは何か』(中島岳志・國分功一郎らとの共著/集英社新書)を出版。 (文・藤井誠二) 1965年、愛知県生まれ。ノンフィクション作家。『沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち』で沖縄書店大賞沖縄部門受賞。最近刊に『沖縄ひとモノガタリ』(琉球新報社)。 ※AERA 2022年4月18日号

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    【ゲッターズ飯田】7月の開運のつぶやき「与える人に運は味方する」銀の羅針盤座

     占いは人生の地図のようなもの。芸能界最強の占い師、ゲッターズ飯田さんの「五星三心占い」が、あなたが自分らしく日々を送るためのお手伝いをします。12タイプ別に、毎週月曜日にその日の運勢、毎月5のつく日(毎月5、15、25日)に開運のつぶやきをお届けします。 【タイプチェッカー】あなたはどのタイプ?自分のタイプを調べる 【金の羅針盤座】時間がないのではなく、時間の使い方が下手なだけ【銀の羅針盤座】与えられることを待っている間は、運は味方しない。与える人に運は味方する【金のインディアン座】運気が悪いから動かない人と、運気の悪さを楽しむ人では、人生に差がつく【銀のインディアン座】「運気を上げたい、幸運をつかみたい」と思うなら、他人を許し認めること【金の鳳凰座】否定的な人ほど否定される。認められたければ肯定し、ほめるのが大切【銀の鳳凰座】「転んでもただでは起きない」。そう本気で思って生きている人に運は味方する【金の時計座】人にたくさん会う人は、人生でたくさんチャンスがやってくる【銀の時計座】不安とは己がつくり出したものだから、己が変わらなければなくならない 【金のカメレオン座】「人生には落とし穴があるものだ」と思って心構えしておくことも必要 【銀のカメレオン座】見様見真似で終わらないように。そこから、自分のものにすることが大切【金のイルカ座】相手にやる気を出させる。これが上手にできる人に幸運はやってくる【銀のイルカ座】「努力も、覚悟も、感謝もしない」。それは「幸せがいらない」のと同じ※毎週月曜日に占いが届きます!AERA dot.の公式LINEの友達申請はこちら↓↓↓https://lin.ee/trWiCvV

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    「独身おじさん友達いない」問題が意外に深刻 「会社以外ではいつも一人ぼっち」の中年男性はどうすればいいのか

    小学生の頃は「友達100人できるかな」なんて歌っていたのが、40歳を過ぎたら「あれ? 俺って友達一人もいなくない?」と愕然とする中年男性は少なくない。特に独身の場合は、家庭を持った友人とは疎遠になり、いつの間にか、話し相手がいるのは会社だけ、なんてことにもなりかねない。さらには「今さら友達づくり? 恥ずかしい」と男のプライドが邪魔をして、どんどん“ぼっち”になってくという悪循環に……。でも本音を言えば、「友達」が欲しくてたまらない! という人だっているだろう。じゃあ、どうすればいいのか。40代からの“友達のつくり方”を聞いてみた。 *  *  *「別府の良い温泉を教えろ」「彼氏に浮気された」などのメッセージが寄せられ、よろず相談室と化しているらしいライターのヨッピーさんのLINE。6月のある日には、こんなメッセージが届いた。 「会社以外の知り合いが全くいなくて、危機感を覚えているのですが、いい年した独身のおっさんはどうやって友達を作れば良いのでしょうか」  すかさず、こんな返事をするヨッピーさん。 「えーなんだろ。友達の飲み会に混ぜてもらってそこから友達の輪を増やしていくとか……?」  ところが続く”おっさん“の返信に、全ネットが泣いた。 「その友達がいないんですが」  ヨッピーさんはこのやりとりを「胸が痛い」というツイートとともに投稿。たくさんのリツイートと「いいね」を集めた。  ネットでこの三段オチのお手本のようなやりとりを見て、笑ってばかりもいられなかったのが40代の独身会社員氏だ。 「そういえば自分も、昔のように友達をつくれない。それに気がついたのは、数年前。40歳を迎えたころのことですかね。四半世紀前に卒業した大学時代からの男女の友人はいるものの、数えるほど。結婚はまだしも、子どもが生まれるとみんなパタンと会わなくなって、つながっているのはLINEだけですよ。だから平日はともかく、土日は飲みにいく相手がいない。さみしいものです」  人と話すのは好きで、会社になら話す相手は何人もいる。でもいつか仕事をリタイアする年齢になって、もしも独身を通していたら……。この会社員の場合、そう考えて一番どんよりするのは、やはり食事のことだ。自炊も好きだが、店に食べに行くのも好き。そんなとき、一緒に行きたい相手といえば、やはり友達。食べたり飲んだりは、「恋人より友達のほうが楽しかったりすることも多い」からだ。  会社の50代の先輩に『一人で飲みに行けば、友達なんていくらでもできるだろう』と言われたこともあるが、飲み屋で出会った人とその場は盛り上がったとしても、友達として長続きするかは別。 「だいたいおっさんが、友達ほしさに誰かに話しかけたりするのだって面倒。まして『連絡先教えて』なんて、異性に聞くより恥ずかしくないですか? 要は面倒くささと恥ずかしさが、友達ほしい願望を上回っているということ。そのくせ、さみしいのです(笑)」  さまざまなコレクションの趣味もあるが、30年以上続けているともう立派なベテラン。今さら人とつるんで、気を遣いながら掘り出しものを探しにいくのも、考えただけでめんどくさい。最近「友達紹介するよ」という友達からの声がけがまったくなくなったのは、「そんな自分にも問題があるのでは?」と考えて、ジイジイ……じゃなかった、イジイジする日々だ。  ちなみに若いころは恋人選びじゃあるまいし、友達ひとり作るのにこんな逡巡は1ミリもなかったという。いつの間にか自分を「おっさん」と呼べる立派な年齢になったことも、自分の友達づくりを邪魔している気がして、会社員の心のどんよりを、さらにディープにしている。  ではそんな迷えるおっさんたちは、どうしたらいいのか。まずはヨッピーさんにLINEのメッセージを送ってきた「会社以外に友達が全くいないおっさん」へ寄せられた、ネットのみなさんのアドバイスから。 「会社以外に通うところを見つけるのがいい」「ボルタリングジムは、一人で来ている人が多いのでおすすめです」「(新たな友達を求めて)会社を転職するのはどうでしょう」「小さい店で一人のみの常連になる」。  かく言う自分はおばちゃんだが、最近仕事の場面以外で、新しい友達がまったくできない事情はおっさんたちと同じ。ボルタリングに、がぜん興味が湧いてきた……というか、そんなことより、おっさんへのアドバイスだ。  せっかくなので、当のヨッピーさんにも聞いた。ヨッピーさんが見習うべきお手本として挙げてくれたのが、2年前、ヨッピーさんの「口車に乗せられて」、縁もゆかりもない佐賀県の唐津に移住した、編集者の中川淳一郎さん(48)だった。ヨッピーさんによると、中川さんは今では町の有名人。 「一緒に唐津で飲み歩いていると、あちこちから『中川さん!』と声がかかるほど。いつのまにか町の人気者になって、唐津の町を牛耳り始めていたのでびっくりしました。例えば『イカ釣りに行こう』とか『ニラを育てよう』とか、誰に何を誘われても、『おお!やりましょう!』と楽しそうに出かけて行くんです。そんな中川さんに、誘った方もうれしくなって、またあちこちから声がかかるんですよね」  あるときは唐津の居酒屋で、絵に描いたようなぐでんぐでんの酔っ払いと居合わせたこともある。 「でも中川さんは実に楽しそうに、その知らない人と仲良く飲み始めたりする。あー、中川さんはこうやって、唐津の町や人を受け入れたから、この土地に受け入れられたのだな、と思った。他人に自分を受け入れてほしいなら、まず自分が他人を受け入れようと。友達作りも、たぶんそんな具合ですよね」  最後に「超雑談力」や、最新刊「部下 後輩 年下との話し方」などの著書がある、作家で心理カウンセラーの五百田達成(いおた・たつなり)さんが言う。 「先日、大きな病院の待合室でずっと待っている人を観察していたのですが、女性は若い人から高齢者まで、いつのまにかほかの患者さんとおしゃべりが始まっている。それに対して男性は、ひとりイライラしながら、むっつりして座っている人がほとんど。私の本の読者を見ても、友達を上手につくれないのは既婚未婚にかかわらず、男性のほうが多い傾向はありそうですね」  その解決法を、五百田さんはこう話す。 「若い世代は別ですが、今の40代以降の人のなかには、女性らしさや男性らしさを押しつけられて育った人も多い。その結果コミュニケーションでも、つい人と競争してしまい、人に議論をふっかけたり、マウントしようとする男性が少なくない印象です。他人との平和な会話に慣れていないので、まず人と雑談する場数を踏むのがおすすめ。当たり障りのないゆるふわな雑談トークでも数をこなせば、必ずや気の合う人が見つかります。そういう人に出会ったら、あとはじっくり友人としての仲を深めていくのがいいですね」  長引くコロナ禍で、他人とのリアルなコミュニケーションがない生活が常態化。「もう友達なんていなくても生きていけるもんね」と、両手の人さし指をツンツンしている人もいるかもしれない。でも、アドラー先生も、瀬戸内寂聴先生も、金八先生もみんな言っている。「人はひとりでは生きていけない」らしいのだ。  前出ヨッピーさんも、こう語る。 「やっぱり、人間ってひとりで生きてくようには設計されてないのかなぁ~」  ちなみに五百田さんによると、相手と仲良くなれる雑談の一番のコツは、「情報を交換することより、気持ちをやりとりする」こと。競争心を捨て、丸腰で人の懐に入っていくことが、「友達100人できるかな」と不安だった小学校入学時以来の、友達作りのポイントになりそうだ。おっさんたちの健闘を祈る。(福光恵)

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    要介護5の70歳母の面倒を見る75歳父 福祉サービスを嫌がる両親に悩む39歳女性に、鴻上尚史が実父の体験を例に語る「説得できるチャンス」とは?

     福祉サービスを嫌がる両親をどう説得するか悩む39歳女性。自身もうつ病で療養中という相談者に、鴻上尚史が実父の介護サービスの経験を例に語る「説得できるチャンス」とは? 【相談149】母は要介護5の難病ですが、福祉サービスを嫌がり、困ってます(39歳 女性 まあこ)  鴻上さん、こんにちは。  私の母(70歳)は難病で要介護5の寝たきりです。父(75歳)が面倒をみてます。認知症は発症していません。  両親が頑なに福祉サービスを受け付けてくれなくて困ってます。ケアマネジャーともろくに口をききません。他人が家に入るのをとても嫌がり、デイケア、ショートステイも試しましたが、職員さんたちのアラばかり探し、文句を言って二度と行かないと頑なです。  父が特にひどくて、「あいつらは人を下に見てる」とか「憐れみを受けたくない」みたいな酷い発言が多いです。肝心の母は、体が動かないから四六時中側に父が居てくれる今の状況にできるだけいたいようです。ただ父も高齢で体が心配です。  実は私は去年まで同居して手伝っていましたが、15年以上介護と家事と仕事で目まぐるしい毎日だったのでうつ病を発症してしまい、会社を解雇され現在一人暮らしで療養中です。  自分の体調を回復させ、また仕事を探さないといけないのに、両親のことが心配で苦しくてなかなか精神が安定しません。  二人を説得して福祉の力を借りることはできないのでしょうか? もうやりたいようにやらせておくしかないのでしょうか?  兄弟妹は結婚して遠方なので力は借りられません。  ご意見をお聞かせください。よろしくお願いします。 【鴻上さんの答え】 まあこさん。大変ですね。昔気質の人には、福祉サービスを受けることをよしとしない、行政の保護を受けることを恥ずかしいと思う人が一定数、いらっしゃいますよね。  どうしてなんでしょうねえ。自分が本当にダメな人間になった、無用な存在になったと思ってしまうのでしょうか。それとも、「世間様」から後ろ指を指されると思っているのでしょうか。「公助」に頼るのは国民の恥で、「自助」でやり抜くことが正しいと思っているんでしょうか。  でも、福祉サービスも生活保護のお金も税金で運営されていますが、税金は国が国民にほどこすものではなく、まあこさんの親や国民一人一人が一生懸命働いて、「自分達のために使って欲しい」と思って納めたものなんですよね。「年貢」と「税金」の違いですね。  だから、それを自分が弱った時に使うのは、当り前のことで、税金の正当な使い道を要求するのは、国民のまっとうな権利ですね。  でも、頑固なまあこさんの両親、特に父親に言っても通じないんですよねえ。  僕のアドバイスとしては、とりあえず今は父親の好きなようにさせておくしかないと思います。  というのは、今、父親は言えば言うだけ頑なに、頑固になるような予感がします。  まあこさんやケアマネさんが言えば言うほど、かえって意地になって心を閉ざすと思えます。  でも、75歳が「要介護5」の70歳の面倒を見る「老老介護」ですから、間違いなく近いうちに、父親が負担の重さに悲鳴を上げる時がくると思います。  早くて1年以内、長くても2、3年のうちには、父親が介護に疲れ果てる時期がくるでしょう。父親が気持ちを変えるとしたら、その時期なんじゃないかと僕は思います。  といって、完全に疲れ果てると正常な判断力を失ってしまい、取り返しのつかないことになってしまうかもしれませんから、「しんどい。なんとかしたい。どうしたらいいんだ」と迷い始めた時が説得できるチャンスだと思います。  それまで、まあこさんは黙って父親の状態を見続けるのがいいと思います。定期的に実家に行き、でも、福祉サービスのことはなにも言わず、ただ、両親の状況を観察するのです。  母親は要介護5でも認知症は発症してないんですよね。母親とはどれぐらいコミュニケイションできますか? やがて、父親が疲れ始めた時に、「お父さんを楽にするために、福祉サービスの世話になるのはどう?」と、父親のいない所で話すことはとても大切だと思います。「自分のせいで夫が疲れ果てていく」という状態を深く受け止めれば、母親の方から「福祉サービス」を受けることを父親に提案する可能性もあります。  僕の父親は元教師でとても頑固でした。「要介護3」の時に、ある福祉サービスの施設に行った時は、「俺を子供扱いした!」とぷりぷり怒って帰ってきました。それでも、母親の負担になるからと僕は福祉サービスを受けるように何回も言いました。実際に母親は父親の世話で疲れ切っていたのです。でも、母親は昔のタイプですから、ぐっと我慢して自分から福祉サービスを受けて欲しいとは言いませんでした。  僕は何カ所か、まずデイサービスの施設を調べ、ケアマネさんとも相談して、ショートステイを含めて父親に行ってもらいました。父親は母親の疲弊を実感していたのです。  父親は3カ所は嫌いましたが、たった1カ所、とても気に入った所ができました。やがて、週に2回から3回、その施設に行くことを本当に楽しみにするようになりました。  どんな福祉サービスを受けるかの適性と施設そのものとの相性もあると思います。それから、ケアマネさんとの相性もあります。  今はまあこさんの父親は、言えば言うほど心を閉ざす状態だと思います。ですから、つかず離れず見守りながら、ちょうどいいタイミングで、福祉サービスを提案することをお勧めします。  それまでは、まだしばらく時間があると思いますから、まあこさんは自分の生活を立て直して、回復する時期にしてはどうでしょうか。今の間に休息して、体調を回復するといいと思います。  うまくいくことを心から願います。 ■本連載の書籍化第3弾!『鴻上尚史のますますほがらか人生相談』が発売中です!

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    【下山進】応募原稿から出たベストセラー『同志少女よ、敵を撃て』

     ノンフィクション作家・下山進さんの連載「2050年のメディア」が「週刊朝日」でスタート。メディア業界の構造変化や興廃を、綿密な取材をもとに鮮やかに描き、メディアのあるべき姿について発信してきた下山さんが、メディアをめぐる状況を多角的な視点から語ります。第1回は大ヒットした『同志少女よ、敵を撃て』について。 *  *  *  昨年の11月、池袋の三省堂をとおりぬけようとした時に、この本が、タワーになって積まれているのを見て、早川書房は、いったい初版をどのくらい刷ったの、と心配になった。 『同志少女よ、敵を撃て』  青い目で栗色の髪の少女が、雪の中腹這いになってスコープを覗いているイラストの表紙、著者名を確認すると「逢坂冬馬」というまったく知らない日本人の名前。「あいさかとうま」と読むらしい。  独ソ戦を舞台にした、ソ連の女性狙撃兵が主人公の小説で、第11回のアガサ・クリスティー賞を受賞した、という。  早川以外の出版社の編集者や営業担当だったらば、日本人が書いた独ソ戦を舞台にした小説、しかも、著者は一冊も本を出したことがない、というところで、「売れないよ」とそもそも本にもしないだろう。原稿すら読まないかもしれない。  出版社では、たいがいの編集者は、その人の過去実績から本を出すかどうかを決めている。営業は初版部数を、やはり過去実績から決める。  これは、過去一作も本を出したことがない新人の応募原稿に、可能性を見いだし、46万部のベストセラーにした出版人たちの「ベストセラー誕生」の物語。  メディアの力について書くこのコラムの、サンデー毎日からの移籍第1弾として、前後編2週にわたってお届けする。 「10年やってあたりが出なかったらば、その賞はやめたほうがいい」  翻訳書がメインの出版社である早川書房が、アガサ・クリスティーの生誕120年にちなんで、新人育成のための賞をつくろうとした時、選考委員を頼まれた北上次郎は、当時「ミステリマガジン」の編集長だった小塚麻衣子にそう言っている。  賞を始めるときの社内の空気と言えば、応募原稿を読むことになるので、「めんどくさい」「いいのがくるわけない」と総スカンだった。  小塚は編集長を退いたあとも、社内で最終選考に残す作品を選ぶ「賞の下読み」を続ける。が、気がつけばはや10年がたってしまった。  作品的にはいいものは出たが、しかし、「あたり」は出ていない。大賞をとった作品は出版をすることになっているが、初版4000部がせいぜいだ。もう潮時か。  ところが11年目の、2021年。その原稿はやってきた。  アガサ・クリスティー賞は、まず社外の書評家などに委託して1次選考をおこない、残った十数作品を、社内でまわし読みする。 『同志少女よ、敵を撃て』と題された原稿を書いた「逢坂冬馬」は、過去3度、賞に応募していたが、最終選考までいったことがなかった。  が、その年の原稿は違った。独ソスナイパー同士の筋の読みあい。ソ連の女性だけの狙撃兵の部隊ひとりひとりがそこにたどりつくまでの物語、そして友情すなわちシスターフッド。主人公セラフィマと教官イリーナの憎しみの果ての師弟愛。精緻かつ大胆に組み立てられたその小説は、まさに巻を措(お)く能わず、小塚は、最高点の5をつけた。  しかし、その時点で、小塚は、将来ベストセラーになると思っていたわけではない。社内選考会でも、「キャラクターがアニメっぽい」「仮に本になっても、売りにくい」といった批判もあった。  逢坂のその作品は最終選考にすすむ。  この最終選考会でも「最後のケーニヒスベルクの戦いは余分」と主張する選考委員がいた。他の選考委員が「ここで、重要な伏線が回収されている」と反論し、それに委員全員が納得、アガサ・クリスティー賞始まって以来初めて満票で大賞を受賞することになる。  しかし、このままでは、かつての大賞作品と同様に、初版4000部のスタートとなっただろう。  きっかけは、社内の下読みでこの作品を読んでいた編集統括部長の塩澤快浩が、副社長の早川淳に、「これ面白いから読んでくださいよ」と選考会直後に原稿を渡したことだった。  早川書房は1945年8月に創設された同族会社で、淳は3代目にあたる。現在42歳。慶應SFCを出たあと、イギリスで演劇学校に学び早川書房には2006年に入社している。社長を務める父親の浩に反発して家を出て一人暮らしをしたこともある。  私は、2008年秋のフランクフルトブックフェアで淳に初めて会っているが、このときは入社2年目、まだひらの営業部員だった。素直な人で、書店を一生懸命まわっていたという記憶がある。父親が編集畑だったのに対して、ずっと営業でやってきた。  淳は、渡された原稿を、家で読み始めたが、興奮して眠れなかった。  翌日、営業部に席のある淳は、こう営業部内で宣言する。 「この本は、5万部は売るぞ!」  が早川書房は、いくら副社長の淳が言ったからといって、初版を5万部に設定できるわけではない。刊行の2カ月前にある部数会議のあと、社長の早川浩の厳しい決裁がある。  この社長決裁の日までに、材料を集めなくてはならない。  営業部を管掌する淳は、まず書店員にゲラを読んでもらおうと考える。ゲラの表紙に感想を書く欄と注文書をつけて、200部を発送した。  しかし、忙しい書店員が、分厚く重いゲラをわざわざ読むだろうか?  以下、次号。 下山 進(しもやま・すすむ)/ ノンフィクション作家・上智大学新聞学科非常勤講師。メディア業界の構造変化や興廃を、綿密な取材をもとに鮮やかに描き、メディアのあるべき姿について発信してきた。主な著書に『2050年のメディア』(文藝春秋)など。 週刊朝日  2022年7月15日号

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    22時間前

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    大迫傑の妻・あゆみさんがアスリート妻のモヤモヤを語る 飾らない家族の日常を発信

     アスリートの妻といえば、夫の競技生活全てを支えるイメージだが、それも今は昔。大迫傑選手の妻あゆみさんは、夫が遠征中のワンオペ、日常茶飯事のケンカのことなどの飾らない家族の日常を発信する。AERA 2022年7月11日号の記事を紹介する。 *  *  *  今日なんの日? 今日はゴミの日! 足折るぞ  青春を 返せ!こっちのセリフだわ  ある結婚記念日に、大迫あゆみさん(33)がインスタに投稿した川柳だ。夫は、プロランナーで、東京五輪マラソン6位の大迫傑選手(31)。2015年から投稿するインスタに加え、21年にはYouTube「大迫裏ちゃんねる」も始めた。共感のコメントを寄せる人の大半は女性や主婦などスポーツとは縁がない人たち。孤高のプロランナーの飾らない家族の日常にファンが急増中だ。 「ケンカは日常茶飯事。でも、切り取り方次第では笑えるかな、と。私たちは、どこにでもいる普通の家族。特別という意識はないです」 ■常に普段通りを心がけ  ともに大学生の時に出会った。箱根駅伝などで活躍した大迫選手は、卒業後に日清食品グループ陸上部へ。2年目の15年、プロに転向し、米国に行く決断をした。当時長女は2歳。前例のない挑戦に、周囲の心配は大きく、「家族は邪魔になる」と面と向かって言われたことも。 「悔しかったですね。日本では、マラソン選手は『修行僧』のようなイメージが強いせいもあったと思います。インスタを始めたのは、アメリカで家族みんなで頑張ってるよ、と伝えたかったからかもしれません」  大迫選手のチームメイトには、リオ五輪1万メートルの金メダリスト、モハメド・ファラー選手らがいた。 「選手みんなが家族を堂々と自慢している。なんだかホッとしました」  日々の生活で心がけているのは「常に普段通りであること」。練習の日も、休養日も、五輪の日も、すべて同じ1日だと考えているという。 「アスリートの妻なんだから、こうしてと言われたことも一回もない。夫は、ハードな練習後に、娘の誕生日プレゼントを買いに行くなど、家族をうまく使ってオンとオフを切り替えていると思います」 ■妻には「でしゃばるな」  大迫選手は、16年リオ五輪で5千、1万メートルに出場し、18年にはマラソンで2時間5分50秒の日本記録(当時)を樹立。あゆみさんは、合宿で不在中はワンオペをしながら、大会の時は1人で幼い娘2人を連れて飛行機で移動し、応援してきた。  ただ、あゆみさんには、もやっとする瞬間がある。  大迫選手のゴールを伝えるテレビ放映。子どもや両親が映ると好意的なのに、妻である自分が映り込んだ途端に「でしゃばるな」「あなたの手柄じゃない」と非難される。 「妻は三歩下がって支えるべきだとされている。なのに、夫の調子が悪いと急に前に出されて、妻のせいにされがちです」  東京五輪の10日前、大迫選手が現役引退を表明したことについて、あゆみさんは、 「さみしさの一方で、この人まだやるんじゃないかな、と。家族の勘があった」  と笑う。確信したのは、五輪後に家族で行った米カリフォルニアのディズニーランドでのこと。大迫選手はホテルで、シカゴマラソンの中継をじっと見ていた。その背中は、妙にさみしそうだったという。案の定、今年2月、現役復帰を表明した。 「大好きな走ることを、手放したくなかったんじゃないかな。走っている姿が一番かっこいい。これからも、普段通りのサポートをしようと思います」 (編集部・古田真梨子) ※AERA 2022年7月11日号

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    キスマイ、3年ぶりドームコン「デビュー10周年の感謝を込めて」

     昨年8月にデビュー10周年を迎えたKis-My-Ft2。しかし、新型コロナウイルスの影響で、ファンと対面してのライブは2019年を最後に開催できていなかった。10周年の感謝の想いを込め、今回開いたドームツアーには、デビュー前に故・ジャニー喜多川氏が付けたツアータイトルを再び題した。キスマイの代名詞ローラースケートで、7人は会場を縦横無尽に駆け回った。3年ぶりの“逢瀬”。7月2日から3日間行われた東京ドーム公演の、初日の様子をお届けする。  メンバーカラーの花々がメインステージを彩る。感謝の花言葉を持つ花を13種類集め、デビューから10年分の感謝の気持ちをファンに伝えた。  オープニング映像が流れ、一瞬の静寂ののち、優しく観客を包み込むような音色が会場に広がる。1曲目に選んだのは彼ら自身が作詞した「Re: (アールイー)」だった。愛する人に向けて、これまでの感謝と輝かしい未来について歌った曲だ。煌々とライトで照らされたスモークの中から現れる7つの影。玉森裕太がデザインに携わり、これまで着用してきた衣装のデザインや生地をパッチワークでつなげた衣装には、彼らの足跡を織り込んだ。「言葉だけでは伝えきれないほどの」感謝を、いまここにいるファンに向けてまっすぐに。昨年実現できなかった、デビューから10年間の想いを伝えるためのステージの幕が、開いた。  2曲目は「A10TION(アテンション)」。7人の新たな出航を告げる音色が、高らかに響きわたった。振り付けには、過去の楽曲の振りが入っており、これまでの軌跡をファンとともに思い返しながら、キスマイらしく、弾むように歌い上げた。  「Hey, Tokyo!! Kis-My-Ft2でーす!!」。北山宏光が雄たけびを上げると会場は北山のメンバーカラーである赤色に染まった。デビュー曲「Everybody Go」の一幕だ。「おかえりなさいませ、お姫様! 声出せないけど、ペンライトで俺たちに気持ちガンガンぶつけてこい!」と宮田俊哉もさらにファンを盛り上げる。ローラースケートを履いた7人が会場の空気を切り裂き、縦横無尽にステージを駆け回る。メンバーが通ったあとは、客席がそれぞれのメンカラで染まった。「じゃあいつものやつを、心の声でお願いしまーす。せーの」と玉森が言うと、メンバーが「玉ちゃーん!」と叫び、ファンの心の声もドームにこだました。  その後も「WANNA BEEEE!!!」、「SHE! HER! HER!」、「Kis-My-Calling!」とフルスロットルで飛ばす7人。彼らとファンの想いがぶつかりあい、会場の熱は早くも最高潮に達した。  映像を挟み、膨れ上がった熱を冷ますかのように、今度はシックな雰囲気のメロディーが会場に響いた。白を基調に、美しい黒の曲線が描かれた衣装に着替えたメンバーが、「One Kiss」や「NAKED」などのダンスナンバーで観客を魅了。  続く、「Break The Chains」で、花火の音が会場にとどろき、キスマイのドームライブ名物、“特効祭り”の始まりを告げた。センターステージで踊る7人を囲うようにアームが立ち上がり、炎を吹き上げる。会場に炸裂する花火の音。踊りとシンクロして、火柱と爆発音も激しさを増した。  次の曲、「HANDS UP」では、今回バックダンサーを務めたジャニーズJr.のIMPACTorsとともにバックステージで舞った。キスマイの白の衣装と IMPACTorsの黒の衣装とが、美しいコントラストを描き出した。  開始から1時間、MCタイムに。額には汗が光る。高揚感が7人を包みこんでいた。  話題は「SHE! HER! HER!」の千賀健永(けんと)の逆立ちに。二階堂高嗣が「千賀さん、めっちゃ(きれいな形で)止まってたね」と言うと、藤ヶ谷太輔が「ね! 20秒くらい」とあいづちを打つ。それに、千賀が「20秒!?」とツッコミを入れ、笑いを誘った。千賀は続けて、「あれたまにくずれちゃったりするじゃん。失敗したとき(逆立ち後に歌う藤ヶ谷が)めっちゃ悲しい顔してるんだよね。(逆に)今日みたいな日、めっちゃニコニコやなっていう(笑)」。  “宮玉”のかけあいも。宮田が「今日、俺と玉もうまくいったもんな」と言うと、玉森が「え? 何が?」。宮田が「『SHE! HER! HER!』で、俺が玉の股の下をこう通る技」と言うと、玉森が「あんなのね、千ちゃんに比べたら、ホコリレベルですよ。チリですチリ。」と答えた。  そして、新曲「Two as One」に話題が及んだ。これは空港を舞台とした玉森主演のドラマ「NICE FLIGHT!」(テレビ朝日系、7月22日スタート)の主題歌。現在公開しているメイキング映像では、メンバーがそれぞれ順番に他のメンバーをカメラで撮っていくという映像になっている。実は、横尾の提案でこうなったという。「タイトルが『Two as One』(=2人で1つ)なので、メンバー同士で撮ったらおもしろいんじゃないですかって(提案した)」(横尾)。  宮田の口から「まずはみなさんに(『Two as One』を)見てもらいたいな」という言葉が出ると、会場のファンはこの日最大の拍手で応えた。同曲がファンの前で披露されるのは初めて。歌う前には、玉森が「なんか緊張するなぁ」とつぶやき、宮田は「ガチで迷子になった」と立ち位置を忘れて、メンバー全員がツッコむ場面も。  会場に響く飛行機のエンジン音、滑走路に見立てた花道を進む光。二階堂考案の演出で、ドームは飛行機の離陸前のような雰囲気に。メンバーの高音でのハーモニーや甘いメロディー、タイトルにちなんだペアでの振付やフォーメンションに、ファンは酔いしれた。  その後、衣装チェンジした7人がトロッコに乗って再登場。ピンクの照明のなか、ラブソング「#1 Girl(ナンバーワンガール)」で美しい歌声を響かせた。トロッコがバックステージに向かって進み、メンバーが降り立つと、デビュー当時からの人気曲「Tell me why」を熱唱。パフォーマンス中には、ステージがせり上がり、360度回転する演出が、ファンを楽しませた。  センターステージに移動した7人が歌った曲は、「Luv bias」。円形のステージの周りで、最高水位15メートルの噴水がメロディーに合わせて吹き出した。曲が盛り上がるにつれて、ステージがせり上がり、縁からは水が滝のように流れ落ちる。青色のライトもあいまって水が生み出す幻想的な空間が客席を包み込んだ。  その後、メインステージのスクリーンにデビューが決まったときの映像が流れた。映し出されたのは、あどけない表情のメンバーが全身で喜びをはじけさせる様子。続いて、これまでのライブ映像も流れ、7人のこれまでの歩みをたどった。  映像が終わると、会場を包みこんでいた暗闇を引き裂く爆発音。ステージ下から7人が飛び出す。「FIRE BEAT」の始まりだ。ダークグリーンの衣装に着替えた彼らはセンターステージで髪を振り乱し、激しく踊る。吹き上がる火柱、爆ぜる花火の音に、会場はさらにヒートアップ。ベースの音に、力強い歌声がのる。フィナーレへ向けて、さらにステージは熱を帯びる。続く楽曲も、ノンストップで歌い、踊り、駆け抜けた。  2時間超つづいたライブもいよいよ最後の楽曲に。メンバーが選んだのは、「足音」。彼らの軌跡とファンへの感謝の気持ちが込められた曲を、しっとりと歌い上げた。モニターには、これまでのライブの写真やロゴが映し出され、観客は7人のこれまでの歩みに思いを馳せた。締めの言葉を担当したのは玉森。「本日はどうもありがとうございました。本当に改めて、当たり前なんてことはないんだなと思うからこそ、今日一緒に過ごせて時間がとっても幸せでしたし、僕らにとっても大切な思い出となりました。そして、いつも大きな愛とパワーをありがとうございます。これからも僕らの歩む道にはいつもみなさまがいてください。また遊びに来てください。いつまでも元気で健康で。ありがとうございました」。メインステージで客席に背を向けて立つ7人が、一歩を踏み出し、会場は暗転。それぞれのメンカラに染まった「Kis-My-Ft2」の文字で形作られた大きな足跡がモニターに映し出され、7つの光が四方に散った。その先で七色の花のバルーンが、大輪の花を咲かせた。  この日のライブで歌い上げたのはアンコールも含め全36曲。デビューから11年目を迎えたKis-My-Ft2が、昨年は踏み出せなかった大きな一歩を踏み出した。これまでの感謝を胸に、彼らはこれからも進んでいく。ファンとともに。 (週刊朝日・唐澤俊介)

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    【岩合光昭】約100頭の馬と同居する太っちょ猫 『赤毛のアン』舞台の島で

     動物写真家・岩合光昭さんが見つけた“いい猫(こ)”を紹介する「今週の猫」。今回は、カナダ・プリンスエドワード島の「のんびりでいいにゃん」です。 *  *  * 『赤毛のアン』の舞台の島に、2輪の馬車で競うハーネスレース場がある。その馬小屋で暮らす9歳の太っちょ猫・マニュー。生まれたときから約100頭の馬と同居生活をしている。  朝、のろのろと小屋から出てくると、観客席に腰を下ろす。お客さんがいないときは、ここから練習風景を眺めるのが日課。予定時刻を過ぎても練習は始まらないが、誰も気にしない。  どこまでものどかな島で、人も馬も猫も、みんなマイペース。のんびりと深呼吸するような暮らしを謳歌していた。※週刊朝日  2022年7月8日号

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    稲垣えみ子「私たちが孤独なのは過去をバカにしているせいかもしれない」

     元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。 *  *  *  めちゃくちゃウマイ居酒屋を営む友人から、コレ絶対好きだと思ってと『津軽伝承料理』なる本を頂いた。友人は津軽出身で、その縁でこの本に出会ったらしい。  好きも何も、一読してブッ飛んだ。と言いますのはですね、ノー冷蔵庫生活7年超の私は一人勝手に涙の試行錯誤を積み重ねた結果、今や「冷蔵庫って何の役に立つの……?」とすら思う完璧な食材保存スキルを身につけて鼻高々なわけですが、そのスキルの全てが、それよりもはるかに洗練された形でここに完璧に集約されているではないか!  つまりはですね、私が今やってることなんぞ昔の人は各地で超当たり前にやっていたのである。確かに昔は冷蔵庫なんてないし、さらには流通も未発達なので食材は地元で採れるものだけ。加えて寒冷地では冬は野菜が採れず、となれば旬のものをいかに気候風土を生かして長期保存し無駄なく「食べ回す」かが勝負である。その長年にわたる知恵の集積が伝承料理なのだ。  ゆえに私が7年で、しかも年中何でも買える都会で成し遂げたことなど「屁」。山菜を半年先まで保存する方法などナルホドと膝を打つことばかり。改めて見れば難しいわけでもなく、しかも保存には発酵の仕組みを使うので超健康的。フードロスなし。電気代も輸送代もゼロなのでエネルギー危機などどこ吹く風。まさにこれぞ、現代のほとんどの問題を解決する最強かつ合理的な方法そのものである。  しかしこのような知恵はベンリの蔓延によりもはや風前の灯なのだ。それはあまりに勿体ないと立ち上がった津軽のおばちゃん達が地元のお年寄りを訪ね歩き、実際に自分たちでも作って食べて風習を守り続けているのだった。印象深かったのは、お年寄りが嬉々として聞き取りに応じてくれたというエピソード。伝承を大切にすることは人を生き生きとさせるのだな。我らが孤独なのは過去をバカにしているからなのかもしれぬ。  メタバースなど求めずとも我らは既にすべてを手にしている。ただ見てないだけ、関心を持っていないだけで。 ◎稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行 ※AERA 2022年7月4日号

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    浅田真央が垣間見せた“芯の強さ” 新しいアイスショーに込めた「覚悟と進化」

     自らが座長を務める「BEYOND」の開催発表記者会見に金色に輝くドレス姿で登場した浅田真央は、このアイスショーに込めた思いを「覚悟と進化」と表現した。 「この新しいショーを作るにあたって、私はすごく大きな覚悟を持って動き始めました。いろいろなことを乗り越えて、過去の自分を乗り越えて、進化していけるようにという思いを込めました。日々生活していく中でたくさんの山があると思いますが、それを一緒に乗り越えていこうという皆様へのメッセージになるといいなと思っています。このアイスショーを観ていただいて、少しでも皆さんの力になれるようになっていきたい」  現役時代、優しい笑顔と清々しいスケーティングで愛された浅田だが、長年世界のトップで戦い続けることができたのは、柔らかい物腰の中に鋼のような芯の強さを秘めていたからだ。2014年ソチ五輪でみせた奇跡のフリー『ピアノ協奏曲第2番』(ラフマニノフ)は、その浅田の強さが結晶したプログラムだった。  そして、その芯の強さはプロスケーターとなっても変わらなかった。2018年5月にスタートしたアイスショー「浅田真央サンクスツアー」は、コロナ禍により2020年2月の公演を最後に中断した。フィギュアスケートの興行は試合・アイスショーともに行われない状態が続く中、リンクに観客が戻る最初の機会となったのが、2020年8月のサンクスツアー滋賀公演だった。徹底的に感染対策を施しての開催だったが、それでも起こった批判の声は浅田自身にも届いていたという。不安も抱えながら、ライブ配信という新たな試みも加えて完遂した滋賀公演は、浅田にしかできない挑戦だったと考える。  その浅田が、「覚悟を乗り越えた先には進化がある」という思いで取り組むのが「BEYOND」だ。サンクスツアー終了後の休息を終えた浅田は、この「BEYOND」に向け昨年の7月頃から再始動した。約90分間ノンストップで続く「BEYOND」は、演出・楽曲・衣装・振付などすべてに浅田のこだわりが詰まったアイスショーになるという。浅田が選出し「とてもパワフルなスケーター」と語る浅田以外の10人のキャストは、来週以降に明らかになる。今年9月から来年3月まで、全国17都市で約70公演を開催する予定だ。  浅田は氷上での練習だけではなく陸でもバレエやタップダンスを習い、過去の自分を超えようとしている。 「私自身引退してから、前回のアイスショーで3年間全国を回ってきたんですけれども、やはりやるからにはそれ以上のものを。自分のパフォーマンスを上げていきたいなと思いますし、これからさまざまな大変なこともたくさん待っているかとは思うのですが、そういったこともはねのけるぐらいの覚悟で、自分自身日々進化していけたら」 「今とても大変な状況ではあるのですが、このショーを通じてたくさんの皆さんにパワーを届けられたらいい」と浅田が力を込めて語る「BEYOND」は、9月の滋賀公演で幕を開ける。今の浅田真央の覚悟と進化を、しっかりと見とどけたい。(文・沢田聡子) ●沢田聡子/1972年、埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。シンクロナイズドスイミング、アイスホッケー、フィギュアスケート、ヨガ等を取材して雑誌やウェブに寄稿している。「SATOKO’s arena」

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    11時間前

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    内田樹「小田嶋隆さんからの最後の贈り物 気づかいに胸を衝かれた」

     哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。 *  *  *  小田嶋隆さんが亡くなった。出先で受けた追悼文寄稿の依頼メールで亡くなったことを知らされた。以前から闘病されていたことは知っていたし、「あまりよくないらしいよ」と共通の友人である平川克美君からも教えられていた。6月はじめに小田嶋さんから電話を頂いた。いずれ鎮痛剤のせいで意識がはっきりしなくなりそうなので、今のうちに旧知の友人たちに別れの挨拶(あいさつ)をしているのですということだった。小田嶋さんの親友の岡康道さんが急逝された時、別れの挨拶ができなかったことがずっと悔いとして残っていて、そういう思いを自分の友人たちにはさせたくないので順繰りに挨拶をしているのですと説明してくれた。体調が悪い中での気づかいに胸を衝(つ)かれた。  翌週東京に行く用事があるから、赤羽のお宅にお見舞いに参りますと告げて、平川君と一緒に病床を訪ねた。  ベッドから起き上がれないほど憔悴(しょうすい)していて、呼吸するのも苦しそうだった。それでも僕たちの顔を見ると「こういう状態だとバカ話ができないんです。だから、いま一番したいのはどうでもいいようなバカ話をすることなんです」と言ってくれた。  それではというので、平川君と出たばかりの彼の最初の小説集『東京四次元紀行』についての感想を話し始めた。  すると小田嶋さんは横たわったまま言語と文学について熱く語り始めた。彼の「バカ話」というのは、この不要不急の議論のことだったのかと腑(ふ)に落ちた。不思議なもので、臥床(がしょう)している時は、息をするのさえ苦しそうだった小田嶋さんが橋本治さんの「半ズボン主義」の文学史的意義を語り出したころには、それまでもつれ気味だった滑舌がよくなっていた。つい興に乗って、奥さまを交えて小田嶋さんを囲んで4人で1時間半もおしゃべりしてしまった。  別れ際に「じゃあ、また。元気でね」と言った。そう口にしてから、場違いな挨拶をしたものだと思ったけれども、いまさら取り消せない。でも、小田嶋さんはにっこり笑って、温かく柔らかい手で私の手を握り返してくれた。笑顔と温かい握手が小田嶋さんからの最後の贈り物になった。 内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数※AERA 2022年7月11日号

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    保阪正康が語るウクライナ侵攻 停戦への近道は市民社会化だが「独裁を許容する」現実

     ロシアのウクライナ侵攻に世界は揺れ続けている。この先どこへ向かうのか。『歴史の予兆を読む』(朝日新書)の共著者・保阪正康さんに聞いた。AERA 2022年7月11日号の記事を紹介する。 *  *  *  ウクライナに侵攻したロシア軍は今、親ロシア派支配地域がある東部ルハンスク、ドネツク両州の完全支配を目指し、要衝セベロドネツクを制圧するなど攻勢をかけている。 「侵攻には驚きました。1939年のナチスドイツによるポーランド侵攻のような、まさに20世紀型の帝国主義的侵略戦争が、これほど露骨な形で行われるとは思っていなかった。めくれていた人類史のカレンダーが元に戻ったような、非常に奇妙な感じも抱きました」  侵攻はなぜ起きたか。保阪さんはロシアのプーチン大統領の「意識」によるところが大きいと見る。 「かつてはロシア帝国があり、その後のソ連も社会主義の総本山として支配体制を作り、その空間自体が一つの帝国でした。そういう『大ソ連帝国』を再び作りたい──。そんな思いが、侵略を強行したプーチンの『力の論理』の根源にあると思います。プーチンの中ではウクライナは『大ソ連帝国』の一つであり、侵攻の何が悪い、という開き直りもあったでしょう」 ■KGB出身の大統領  プーチンは、旧ソ連の独裁者スターリンとの類似性も指摘される。保阪さんは「似ている部分はある」としつつ、異なる点に着目する。西側諸国からの視線だ。 「スターリンは、社会主義を世界に拡大していくことが一つの目標でした。当時、西側の特に知識人たちは『社会主義の先駆性』をまだ信じていましたから、その目標を比較的好意的に見ていたと思います。スターリンによる粛清も、社会主義の持つイデオロギーによってある意味、相殺されていた」 「しかし、今や社会主義幻想はすっかり崩れてしまった。プーチンがスターリンと似たことをやっても、スターリンなら『社会主義の先駆性のためだろう』と思ってもらえたけれども、プーチンの政治は『帝国主義の、世界を支配下に置くための悪質なシステムに過ぎない』という捉え方をされ、批判を浴びる。そこは大きく違います」  では、どうしてプーチンはその意識を持つに至ったのか。大きな理由は「(情報機関の)KGB出身であること」だと保阪さんは言う。 「私は91年にソ連が崩壊した後、元KGB職員に話を聞く機会がありました。彼らが言うには、体質としてKGBの人間には三つの病があると。一つは激務の影響によるアルコール中毒。二つ目に離婚の多さ。そしてもう一つが、民主主義に対する抜きがたい不信感などの『妄想』です。70年代半ばからの十数年間、スターリンが作り上げたソ連の中でKGBとしてシビアな仕事をこなし、その体質を強く受け継いだ人間が大統領として政治を担うことの危険性は指摘できると思います」 「『妄想』について、プーチンを最も的確に理解していたのは(ドイツの前首相)メルケルでした。彼女はプーチンと話すとき、まず30分ほどはプーチンに一方的に話をさせ、その後で諄々(じゅんじゅん)と説得する。プーチンはそれを『理解』しつつも信じることはなかったそうですが、一目は置いていた。侵攻はメルケルが退陣して3カ月足らずのこと。プーチンにとって、西側に自分の気持ちをうまく話せる人がいなくなった。それが原因の一つだったと思います」 ■独裁を許容する市民  侵攻から4カ月経った。だが、停戦への道筋は見えない。 「停戦への一番の近道は、ロシアの市民社会化が進み、デモなどで『こんな戦争やめろ』と主張してプーチンを引きずり下ろすことができるかどうか。(旧ソ連共産党の書記長)ゴルバチョフの時代に西洋型の市民社会に近づいていった流れが、成熟しているかどうか。その道筋が今、試されているはずです」 「しかし、現状はプーチンの独裁を許容する市民の弱さがウクライナとの戦争を遂行するバネになってしまっている。市民からの反戦・非戦の声で停戦が実現する可能性はない、と見るしかない。かといって、西側の市民社会でベトナム戦争のときのような反戦の波が起き、プーチン政権に影響を与えていく可能性があるかというと、その素地もない。国連と、ロシア、ウクライナ両国から距離を置く第三国が仲介に入る形での停戦、休戦という方法しか見えません」  第3次世界大戦を危惧する声もある。保阪さんは「世界大戦を意図的に起こそうなどとは誰も思わない。ただ、第1次世界大戦もそうでしたが、偶発的なきっかけから起きてしまう可能性は内在している」としたうえで、中国について指摘する。 「中国は、チベットや新疆ウイグル自治区での人権弾圧に対しても『民主主義はそれぞれの国に独自の発展性がある。我々の民主主義に米国が介在する必要はない』などと言っています。『開き直り』の累積化は軍事的緊張につながり、極めて危険です。中国の世界観や世界戦略が、この21世紀の時代を動かしていくでしょう。そんな中国を各国がどう見てどう理解し、どう批判していくかが重要な鍵になってくると思います」 (構成/編集部・小長光哲郎)※AERA 2022年7月11日号より抜粋

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    最先端TSMC誘致 驚愕の真実 古賀茂明

    「無理ですね」。  言いにくそうに私の顔色を窺いながら答えたのは、台湾のある半導体企業関係者(A氏)だ。私の問は、「日本の半導体復活プランは成功するか」だった。  現在、半導体で世界トップを行く台湾のTSMCは5ナノメートルレベル(1ナノメートルは10億分の一メートル。半導体回路の線幅。小さいほど技術水準が高い)の半導体の量産に入り、米国などの先端企業に供給している。現在はさらに3ナノについても試験的に供給を始めるところだ。これを追いかけるのは韓国のサムスン電子だけ。2社以外に5ナノを作れるところはない。日本が作れるのは、さらに4世代前の28/32ナノまでだ。  今後の競争は3ナノから2ナノへと進むが、A氏によれば、7ナノが作れずに5ナノや3ナノを作ることは出来ない。したがって、10年前の4~5世代前の実力しかない日本勢が最先端半導体の世界に復帰することは最初から無理なのだ。  ただし、これは「製造」の話で、5ナノを使った自社用の半導体の「開発・設計」には、世界のIT企業なども参入する流れになっている。アップルやメタ、テスラなどだ。日本にも、ソニー、キヤノン、ニコンなど得意分野で世界最先端を行く企業はあるが、これらの分野は主戦場とは言えないという。これからの世界を制するのは、数多くの最先端企業が、最高レベルのスパコンをとことん使いこなしAIであらゆる課題を解決できる国だが、残念ながらそうした大きな構想が日本政府にも企業にもない(ちなみに、それを実現する可能性を持つのが、あの「PEZY社」(助成金不正受給で問題となったスパコンなどのメーカー)の斉藤元章氏くらいかなという意外な話も出た。)。  さらに彼の言葉は続く。日本企業の意思決定の遅さは、致命的だ。経営者に能力がないのだろうが、リスクを取れない企業文化も問題だ。日本企業が社内で会議を開き、稟議書を作り、役員会で決裁を取るまでに、ライバル国では1世代分の開発が終わってしまう。  では、そんな日本なのに、世界最高水準の技術を持つTSMCがつくばに後工程を中心としたハイレベルの研究所を作り、熊本には1兆円をかけて半導体の新工場を作るのは何故かと聞くと、「日本には後工程で高い技術を持つ企業がある。その技術を使ってTSMC用の先端技術を開発するためにつくばに出るが、成果は全部TSMCに帰属する仕組みらしい。熊本で作るのは、大して儲からない2~3世代も前の半導体だが、日本の自動車メーカー向けに確実に売れる。日本政府が巨額の補助金を見返りなしでくれるというので、それなら損はないというところではないか。経済産業省が大臣のメンツをかけて何が何でもTSMC誘致という姿勢だったので、足元を見られたんでしょう」という答えだった。  私が推測していたとおりだったが、それにしても政府の愚かさには呆れるばかりだ。  最後に、A氏は「すみません。少ししゃべり過ぎました。日本が馬鹿だと言っているわけではないので、気を悪くしないでください。」と深々と頭を下げた。私は苦笑しながら、「是非その話を偉そうに胸を張っている経産省に聞かせてください」と答えておいた。 ※週刊朝日  2022年7月15日号から

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    性産業大国の日本で「風俗を差別するな」にモヤモヤ こぼれ落ちる巻き込まれた女性たちの声

    作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、性産業について。 *   *  *  コロナ禍で休業したデリヘル店が、持続化給付金などの対象外とされたのは「職業差別だ」と国を訴えていた裁判で、東京地裁が業者の訴えを退けた。訴えていたのはデリヘルを経営する女性だ。納税義務を果たし、真面目に営業してきたという。判決は、さぞかし悔しかっただろう。  国が給付金の対象外としたのは、公共法人、政治団体、宗教団体と、性風俗関連特殊営業の業者だ。デリヘル以外にも、ソープランド、個室ビデオ店、アダルトグッズ販売店、ラブホテルなど、風営法の届け出が必要な業者が一律にくくられ、給付金対象から除外された。 「アダルトグッズ」を販売している私の会社も給付金の対象外だった。幸いなことにネットショップのためコロナ禍の影響は受けなかったが、もし申請しなければならない経済状況で給付金が却下されたとしたら……私もきっと訴えただろう。  この国は気楽に「職業の貴賎」を突きつけてくるのである。私の例でいえば、アダルトグッズをネットで販売するためには「性風俗関連特殊営業」の届け出を出さなければならない。とはいえ、この届け出は、食品衛生責任者を置かなければ飲食店が開けないというような許可制の類いではなく、出したところで何の保障も権利も与えられない。むしろ届け出を出すことで社会的信用が失われることもある。例えば銀行は性風俗関連特殊営業の業者に融資はしないし、不動産屋にも敬遠される。部屋一つ借りるのにも、部屋の間取り図を全て警察に提出しなければならなく、そんな寛大な大家を見つけるのは至難の業だ。でも出さなければ仕事ができないし、でも出したら出したで………という負のループにはまり、「賤(いや)しい仕事はするな、やるなら覚悟しろ」と国から叱られているような気持ちになるのだ。  とはいえ、である。今回の裁判で、原告のデリヘル業者の主張がそのまま通るべきだったのかどうか、私はすんなりと答えを出せていない。しっかり納税してきたという女性経営者の悔しさには共感するし、排除は不公平だと、当事者として思う。一方、裁判そのものにどこかモヤモヤするのは、そもそも「性風俗関連特殊営業」とはいったい何なのかという、素朴な疑問からだ。いったいなぜこの国は「性風俗関連特殊営業」という業種を、わざわざ設定しているのだろう。  多くの方がご存じのように(ですよね?!)、日本は世界に類を見ない性産業大国でもある。その理由の一つが「性風俗関連特殊営業」を規定している「風営法」にある。「風営法」の歴史を簡単に説明すれば……1956年、超党派の女性議員らの尽力によって売春防止法(売防法)が成立した。ただ、求められていた買春者の処罰は実現せず、売る側だけに罰則が設けられるものになってしまった。一方、84年には風営法が大幅に改正され、男性器の膣挿入以外の行為が、各都道府県公安委員会に届け出ることで認められるようになった。売防法により「売春」(男性器の膣挿入という狭い定義)は禁止されているが、風営法により業者が自由に営業できるようになったのだ。そのため、口腔性交のみをうたう業種など、性産業が限りなく細分化されていき、世界に類を見ない方法で巨大な産業として発展しているのが日本の現実だ。風営法は売防法をさらに骨抜きにし、買春文化を無制限に広げてきた法律ともいえる。  今回の裁判は、風俗業者に給付金が支払われないのは「法の下での平等を保障した憲法14条に違反するか否か」が問われた。判決では、「一時の性的好奇心を満たすような営業が、公の機関の公認の下に行われることは相当ではない」とし、「国庫からの支出で性風俗業者の事業継続を下支えすることは、大多数の国民が共有する性的道義観念に照らして相当ではない」とした。つまり、国は風俗業に目をつむっているだけで公的に認めてねぇからな、国民も認めてねぇからな、という話である。  そこで、モヤモヤがはじまってしまうのである。  そもそも風俗は、「一時の性的好奇心を満たすような営業」という定義で説明できるものなのだろうか。その定義が徹底的に「買う側視線」のみで、風俗で働く女性たちの視線が一切ないことに、胸が締めつけられる思いになる。  近年、ソープランド、デリヘルといった性売買産業で働く女性たちから、日常的搾取や暴力に苦しむ声があがりはじめている。実際に、女性支援団体に助けを求める、性産業から逃げ出す女性たちが後を絶たない。そういう業種を「一時の性的好奇心を満たすような営業」として黙認し続けたつけを、女性たちがその人生で払わされている。  そう、国も、そしてこの社会も、風俗を公的な空間から排除しながら黙認することで、そこで行われている暴力や貧困に目をつむってきたのだ。80年代からずっと、この国では、他の国にはないような変なサービスが手を替え品を替え、生まれては消えを繰り返し、性産業は持続され発展してきた。「妊婦専用風俗」や「出産直後の女性の乳が吸える風俗」とか、そんなサービスを思いつくような業界が、「こっちの水は甘いよ」と大きな口を開けて待っている。原宿など若者が多い街を歩けば「高収入アルバイト」の宣伝カーがにぎやかに音楽を鳴り散らかして走っている。「若ければ売れる」「若い女に価値がある」という圧を10代の女の子たちが内面化するような環境がつくられている。デリヘルの現場では、膣性交を禁止しながら、喉の奥の奥まで男性器を突っ込んだり、洗わない男性器をそのまま舐めさせたりするような性虐待が「オプション」としてサービスのように選べる。それが日本の今だ。 「風俗で働く人を差別するな」というのは当然の前提だが、性産業で働く人の中にも権力構造がある。妊娠や性感染症などのリスクを負い働く女性たちと、スカウトや経営者では立場が違う。労働問題や職業の平等という観点から性産業を捉えれば、「風俗を差別するな」というシンプルな闘いは正しいが、そういう観点“のみ”で風俗が語られるとき、こぼれ落ちるのは、性産業に巻き込まれ苦しんできた女性たちの声だということも忘れたくはない。今回の裁判は平等という観点からは不当だが(原告は控訴した)、女性の貧困や女性に対する性虐待を黙認してきた日本社会そのものの理屈、法の立て付けがゆがんでいる現実も突きつけるものだった。  これを機に職業差別について語るだけでなく、そもそも「性を買う」文化そのものの問題性も、今後、私たちは問うていくべきなのかもしれない。はっきりしているのは、性を買うのは権利ではない、ということだ。その前提に立った議論が必要だ。

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    「満州事変はプーチンのやり方と一緒だ」 保阪正康が説く「歴史を知ること」の重要性

     ロシアによるウクライナ侵攻をきっかけに、日本の防衛のあり方が注目を集めている。この先どこへ向かうのか。『歴史の予兆を読む』(朝日新書)の共著者・保阪正康さんに聞いた。AERA 2022年7月11日号の記事を紹介する。 *  *  *  日本は今後、どうなるのか。今回の侵攻を機に台湾有事など中国の脅威が喧伝(けんでん)され、「核共有」や「憲法9条改正」を訴える政治家もいる。 「ある集まりで『もし日本がウクライナのように侵攻されたら、政府はどう対応すると思うか』と聞かれ、私は三つの選択肢を示しました。一つはアメリカ依存。一つは憲法の、専守防衛の範囲内での抵抗。三つ目は、政府が意図的に八百長でクーデターを起こして現憲法が作る政治的空間を全部止めてしまい、そのうえで『軍』をどうするかなど緊急対応を考えていくという道です」 ■国民が「よく見ておく」 「三つ目の選択は非現実的と思うかもしれませんが、誰もがあり得ないと思っていたウクライナ戦争が起きた今、考えざるを得ない。そうなったら、侵略してきた相手よりも日本のほうがもっと怖い国になります」  保阪さんは、「大切なのは国がそんな方向に行かないよう国民が『よく見ておく』こと」だと指摘する。そのために必要なのは「歴史を知ること」だ。 「なぜ歴史を学ぶのか。歴史の中に全ての答えが入っているからです。特に明治から戦前・戦中の近代史77年の中には、『他国への侵略のために、国が国民の生命と財産をいかに博打(ばくち)のように使い、いかにひどいことをやるのか』の答えが全てあります」 「日本は江戸時代の270年間、一度も対外戦争をしませんでした。それが鎖国を解いて近代国家になったら、今度は明治27(1894)年の日清戦争を皮切りに10年おきに戦争をやる国になった。しかも極めて帝国主義的な侵略戦争です。ヨーロッパ諸国が帝国主義的な戦争の段階から脱皮していく中、日本はいわば『最後の帝国主義国』として東南アジアや中国に対応した」 ■軍人は営業マンだった 「そんな戦争の歴史を見ていくと、『この国は戦争を営業品目に使っていた』ことに気づきます。何のために戦うのかを考えることなく、とにかく勝って賠償金と領土を取り、帝国主義国のトップに上り詰め『一等国』になるのだと。軍人はそのための営業マンだったのです」  現状を自国の歴史と重ね合わせる視点が大事だと、保阪さんは言う。例えば、ロシアがウクライナ東部にある親ロシア派支配地域の独立を一方的に認め、「東部の住民保護」を名目に侵攻したことは、満州国を作り、中国と全面戦争に突入した日本と重なりはしないか。 「今、プーチンを批判したときに『お前たちだって同じようなことをやっていたじゃないか』と言われたら、私たちは決してそれを否定できません。歴史を学び、『満州事変は本当にプーチンのやり方と一緒だな』とまず知ること。歴史をかみしめ、咀嚼(そしゃく)してみること。21世紀の歴史の予兆をつかむためにも大事なことだと思います」 (構成/編集部・小長光哲郎)※AERA 2022年7月11日号より抜粋

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    21時間前

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    巨人・菅野智之、楽天・田中将大 全盛期取り戻せない両者に「対照的な評価」

     球界を代表するエースとして活躍していた巨人・菅野智之、楽天・田中将大に異変が起きている。  菅野は6月24日の首位・ヤクルト戦で5回9安打と打ち込まれて今季ワーストの7失点。伏兵の中村悠平にプロ14年目で初の2打席連続アーチを浴びるなどメッタ打ちを食らった。生命線の直球が走らず、変化球も浮くため空振りを取れる球がなかった。ゲーム差を大きく離された首位攻防戦で、エースの乱調が響き16失点の大敗はチームにとってもダメージが残る敗戦だった。  今季は12試合登板で6勝5敗、防御率3.19。右肘の違和感で4月30日に登録抹消され、5月上旬に復帰後は登板した試合できっちり試合を作っていたが、全盛期のような力でねじ伏せる投球ではない。球数がかさみながらも多彩な変化球をまじえて抑えているのが現状だ。 「4度の登録抹消を繰り返した昨年とあまり状態は変わらないですね。菅野の持ち味である制球が良くない。フォームのメカニズムが狂っているのか原因は分かりませんが、これまで先発ローテーションとして長年投げ続けた勤続疲労は間違いなくあると思います。年齢は32歳とここから円熟期に入るが、肩や肘は消耗している。今の状態で絶対的エースとして期待をかけるのは酷に感じます」(スポーツ紙デスク)  菅野は入団1年目から先発ローテーションで稼働してきた。2016年から3年連続180イニング以上投げ、18年にはリーグ最多の202イニングを投げている。17、18年と2年連続沢村賞を受賞。コロナ禍で120試合制だった20年も14勝2敗、防御率1.97で3度目の最多勝のタイトルを獲得している。最優秀防御率も4度輝くなど、巨人のエースとして揺るぎない存在だった。  だが、昨年は故障やコンディションが整わず6勝止まり。直球が130キロ台に落ちるなど明らかに精彩を欠いていた。今年も本来の状態を取り戻していない。マウンド上で威風堂々と振る舞っていたかつての姿はなく、審判の判定にいら立ちを隠せない場面も。菅野の復調なくして逆転優勝は望めないだけに心配だ。  もう1人、球界を代表するエース右腕・田中将も白星から遠ざかっている。24日の西武戦に先発したが、2本のアーチを被弾するなど6回4失点で今季7敗目。日米通じて自己ワーストタイの6連敗を喫した。今季11本の被本塁打はリーグワースト。6月17日のソフトバンク戦ではNPB自己ワーストとなる4被弾で5回12安打7失点KOを喫した。今季12試合登板で4勝7敗、防御率2.92。今年はパリーグの投手部門で5人の投手が防御率1点台をマークし、「投高打低」が顕著であることを考えると、田中の防御率が良いとも言えない。  他球団のスコアラーはこう分析する。 「勝負球のスプリット、スライダーが甘く入ってスタンドに被弾される場面が目立つ。ただ、菅野と違って直球は走っていますし、スタミナもあるのでゲームメーク能力は高い。日本球界に復帰した昨年は4勝止まりだったが、投球内容を見れば2ケタ勝ってもおかしくなかった。今年も微調整すれば後半戦は白星を重ねる可能性が十分にある」  球団史上初の日本一を達成した13年に24勝0敗1セーブ、防御率1.27を達成し、ヤンキースでも6年連続2ケタ勝利と菅野以上にズバ抜けた実績を持つ。こちらも勤続疲労が懸念されるが、直球は力強さを取り戻しており、過度な心配は無用かもしれない。  オリックス・山本由伸、ロッテ・佐々木朗希と若い力が躍動しているが、球界を長年支えてきた2人も後半戦は意地をみせてほしい。(梅宮昌宗)

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    東方神起 二人の原動力と「僕たちは二人じゃない」の真意とは

     東方神起が、2年半ぶりに日本のファンの元に帰ってきた。「できるだけ多くの人と会いたい」という思いから、全6都市を回り、21もの公演を行った。日本のファンへの思い、これからの歩みについて語った。AERA 2022年7月4日号から。 *  *  * ――2020年1月に日本デビュー15周年ツアー大阪公演を行って以来、2年半ぶりに来日した。「待っていました」と言うと、二人同時に「ありがとうございます」と丁寧にお辞儀をした。 ユンホ:思ったよりも時間がかかってしまいましたね。僕は、昔からレインボーブリッジを見ると「日本に来たな」と思うのですが、今回はレインボーブリッジを見た瞬間、(両腕を上げガッツポーズをして)「日本に来たぞ~!」って叫んじゃいました。景色も相変わらずきれいで、全部が懐かしかったです。 チャンミン:人って、慣れているものを見ると安心感を覚えますよね。2年前までは当たり前に見ていた日本の風景や建物を今回久しぶりに見て、「ああ、戻ってきた」と、ホッとしたんです。日本は僕たちにとって“第二のホーム”なんだなと改めて思いましたね。 ■日本のラーメンの味 ――4月27日に入国。隔離期間を経て、リハーサルにファンイベントと、忙しく2カ月を過ごした。 チャンミン:日本に来てすぐ、ラーメンを食べました。韓国にいる時、「日本の生ビールが飲みたいな」「日本のラーメン懐かしいな」と思うことが多かったんです。スタッフの方に「ラーメンが食べたい」と言ったら、ラーメンも出前できると言うので、早速注文してもらいました。厳しく言うと、配達の間に麺がのびちゃっていたのが、ちょっと惜しかったかな(笑)。それでも、やっぱり覚えている味、そのままだったのでうれしかったです。 ユンホ:美味しかったですよ。隔離解除後に、お店に行って食べたら、もっと格段に美味しかったです。隔離期間中はYouTubeで動画を観たりして過ごしていました。僕、最近、いろんな人のルーティン動画を観るのが好きなんですよ。「会社員の一日」とかを観ています。アーティストとして生きていると、知らないことも多くて。そういう部分を埋めていく感覚です。社会勉強になります。 チャンミン:僕はゴルフのスイング動画をよく観ています。この人はどんなスイングで、どんな練習器具を持っているのかを見たりして、参考にしたり。 ユンホ:チャンミンの話で思い出しましたが、日本に来て二人でゴルフの打ちっぱなしに行ったんですよ。僕たち、来日できなかった間に、ゴルフを始めて。 チャンミン:昨年始めたばかりなんですけどね。僕が周囲の人に勧められて先に始めて。やってみたらおもしろかったので、ユンホを誘いました。考えてみたら、僕たち、共通の趣味があんまりなかったので、「一緒にできたらいいな」と思って。 ユンホ:誘われちゃいましたね(笑)。僕の友人たちでもゴルフをやっている人がいるのですが、なかなか気持ちが乗らなかったんです。だけど、チャンミンに誘われたらやらない理由はないでしょう? 「しょうがないな。やってみようかな」と思って始めてみたら、すっごく楽しくて! チャンミン:今ではどちらがよりハマっていると言えないくらい、二人ともハマっていますね。 ユンホ:そうだね。上手いのはチャンミンですけど。フォームがすごくきれいなんですよ。 チャンミン:スイング動画を観ているから。まあ、こう言っていますけど、実際は同じくらいのレベルです。 ユンホ:僕は、いつかスコア100を切りたいんですよ。チャンミンは何かある? チャンミン:僕は具体的な数字よりも、「昨日より今日の自分。日々、少しでも成長しよう」という感じです。 ユンホ:(拍手をして)それ重要だよね。仕事と同じです。 ■近い距離で思い出を ――これまでは横浜や大阪といった大都市の会場でファンクラブイベントを行ってきた。だが、今回は、6都市を回り、アリーナで21回もの公演を行う形式になった。アリーナでのファンクラブイベントを選んだのには、理由があるそうだ。 ユンホ:会えない間に僕たちが感じていた「皆さんに会いたい」という気持ちを、どうしたらうまく伝えられるのかを考えた時、まずはなるべく早い段階で、顔を見せることが何より大事なのではないかと思ったんです。まずは皆さんと近い距離でご挨拶をして、思い出を作ってから、ライブとか次を目指そうと。 チャンミン:大きな会場にファンの皆さんを集めて終わり、とはしたくなかったんですよね。今回、たくさんのファンの方と再会できたことに何より感謝しています。友達でさえ、何年も会えなかったら関係を続けるのが難しいのに、日本のファンの方々は変わらず、無条件の愛を与えてくれて、応援してくれているじゃないですか。それは「愛」そのものですし、僕たちは恵まれているなと思いました。 ユンホ:イベントでは、以前のように声を出して応援することもできなくて、もどかしい気持ちにもなったと思うんです。でも、マスクをしていても皆さんの表情はちゃんと見えましたし、歓声をあげなくても、みなさんの感情はストレートに伝わってきた。最後の挨拶で僕たちが会場を回った時にも、黙ったまま目に感情を込めて、手を振ってくださるんです。皆さんが作り出す空気がすごく心地よくて、「東方神起のステージは温かいな」と改めて感じました。こういう経験はあまりできないので、特別な気持ちになりましたね。 ――デビューから18年。長い間、仕事に対するモチベーションを保ち続けるのは簡単なことではない。だが、フィジカルもパフォーマンスも進化している姿を見ると、いまだステージに対する情熱の種はふつふつと燃えているように見える。 ■その喜びがあるから ユンホ:僕は自分が好きなことを仕事にしているじゃないですか。そういう人って、実はなかなかいないと思うんです。感謝しながら仕事をしなければいけないと思いますし、さらに、僕たちはたくさんの人の愛を受けて、たくさんの人に支えてもらっている。そういう僕たちの周りにいる人たちへの責任感がどんどん強くなって、原動力になっているのではないかと思います。“東方神起”は、二人じゃないんです。もちろんプレーヤーとしては、僕とチャンミンの二人なんだけれども、ファンの皆さんやスタッフ、みんなが“東方神起”であり、みんなで東方神起を作っている。そういうことを、年を取るにつれてもっと強く感じるようになりました。正直、たまには落ち込んだり、休みたくなったりする時もあります。僕も人間だから。でも、ステージの上から、ファンの皆さんの笑顔を見ると、底知れない力が生まれてくる。そんな経験ができる人って、少ないじゃないですか。その喜びがあるからこの仕事を続けていくことができているんだと思います。 チャンミン:新人の時は「売れたい」「成功したい」という気持ちでやっていたとすれば、今は、ユンホの言うとおり、僕たち二人を見守ってくださり、応援してくださり、サポートしてくださっているファンの皆さんやスタッフ、みんなと一緒に生きるためにやっている。みんなで“東方神起”を動かしている。そんな感覚のような気がします。 ――自分たちの欲だけでは、ここまで来られなかった? チャンミン:そうですね。絶対に。 ■現状維持と挑戦が大切 ――では、今の東方神起にとって必要なことはなんだろうか。 チャンミン:挑戦と維持。両方、大切だと思います。これだけ長く活動をしていると、アーティストとして、したことがないことを探すのは簡単じゃないんです。それでも新しいことに挑戦し続けるのは、アーティストとしての生命力につながると思うので、挑戦する気持ちは持ち続けていたいです。体力やパフォーマンスの質を維持することももちろん重要ですよね。体力的には落ちていくものかもしれないですが、「昔の方が良かったね」と評価されるのはプライドもあるし悔しいので、限界までやるぞという気概はあります。 ユンホ:(うんうん、と頷いて)新しい面を見せるという意識は常に持っていないといけないと思います。だからといって、ガツガツしたくはないかな。自然な流れで、いろいろな経験ができたらいいな、というのはあります。 ――今年、ユンホは36歳、チャンミンは34歳。アーティストとしてはもちろん、一人の人間としても脂の乗った時期に入った。東方神起として、一人の人間として、思い描く未来とは。 ■いろいろな経験したい ユンホ:僕は「チョン・ユンホ」と東方神起の「ユンホ」の人生は違うと思っているんです。東方神起のユンホとしては、これまで頑張ってきた年月よりも、もっと長い時間を皆さんとつながっていたいです。東方神起にとって一番大切なことは、「長く続けること」だと思っているんです。僕ね。夢があるんですよ。ファンの方々が結婚して、子どもができて、その子と一緒に東方神起のライブに来る。僕たちのライブが、テーマパークのような存在になったらうれしいなって。無理せず、自然な感じで、穏やかに続けていきたいですね。「チョン・ユンホ」としての人生は……。正直、よくわからないです。迷っているのではなくて、僕にとって「チョン・ユンホ」の人生は、デビューする前の高校生の時で止まっていて、それをどうまた動かせばいいのか、よくわからないというか。もともと今も一生懸命生きているし、このままでいいんじゃない?と思ったりして。とりあえず、一日一日、進んでいくしかないのかなって。 チャンミン:僕は、アーティストとしての僕、一人の男としての僕、一人の人間としての僕という境界線をわざわざ引かないで、仕事とプライベートのバランスをよく取りながら生きていきたいという思いがあります。若い頃からアーティストの仕事をしてきたので、僕だけの時間だったり、家族との時間だったりを十分に取れなかったこともあるんですよね。これからは、そういう部分も充実させていきたいですね。いろいろな経験をして勉強をして、バランスのいい人になりたいです。 (ライター・酒井美絵子)※AERA 2022年7月4日号

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    「夏のボーナス」元本保証、本当に得する定期預金は? 注目はいつも高金利「オリックス」

     元本保証の預金が大好きな日本人。大手銀行の定期預金金利は0.002%と低いが、知る人ぞ知る高金利預金がある。キャンペーン広告に引っかからない、賢い預金の選び方を伝授しよう。AERA 2022年7月11日号の記事から紹介する。 *  *  *  銀行をはじめとする金融機関側は“夏のボーナス商戦”と銘打ち、キャンペーンを設けてキャッシュを待ち構える。  投資信託の積み立てが流行(はや)っているとはいえ、臨時収入の預け先として真っ先に思い浮かべるのは預金だろう。しかし金利が低い。ほとんどの銀行では普通預金が0.001%の横並び。普通預金より有利なはずの定期預金も、小口はもちろん大口預金であっても0.002%が目立つ。100万円を預けても、1年後にたった20円(税引き後17円)の利息しかもらえない。  大手より高金利を提示している銀行を探そう。その際、注意すべきことがある。あくまで高金利は見かけの数字で、実質的にはさほど魅力的ではないケースが潜むのだ。 ■1カ月ものでも年利  たとえば、ある銀行が今年6月から定期預金金利を引き上げ、注目された。円の定期預金1カ月ものの金利を、それまでの2倍の0.2%に変更。今年4月の時点(0.01%)と比べると20倍の水準になり、ネットでも「金利20倍に引き上げ」と派手に報道されていた。  0.2%という金利に嘘はない。ただしこの金利が適用されるのは満期までの1カ月だけ。その後は普通預金金利(0.001%)が適用される。提示している0.2%は「年利換算」の金利だから、実際には「元金×0.2%÷12」、つまり0.2%の12分の1に相当する利息しかつかない。  満期が訪れるたびに1カ月もの定期預金に預け直すことを1年間繰り返せば、0.2%に相当する利息をもらうことはできる。しかし面倒すぎないか?  この「見かけの高金利」というトリックは、先述した“1カ月もの定期預金0.2%”に限らず、1990年代から横行してきた。1年未満で満期が訪れる短期の定期預金でも年率換算の金利を表示しているケースが主流なので、だまされないように注釈までよく確認しよう。  高金利預金を選ぶとき、できれば「夏の……」など、期間限定キャンペーンではないほうが得でラクだ。常に高い金利を提示している銀行を選んでおけば、季節モノのキャンペーンが終わるたびに他の高金利を探して預け替える手間もなくなる。 ■0.27%のオリックス  普段から高金利の定期預金を提供しているのはどこなのか。ベスト7をピックアップした。目をひくのは、5年満期で0.27%を提示するオリックス銀行の「eダイレクト定期預金」。6カ月ごとに利息を元金に加えて運用してくれる「半年複利」方式だ。この定期預金は01年から取り扱っているが、広告宣伝もほとんどせず、現在の口座数は約30万。知る人ぞ知る存在である。  オリックス銀行が国内総合リース最大手のオリックスグループであることは察しがつくが、ここまで高い金利を掲げられるのはなぜなのか。オリックス銀行の鈴木祥之さんに聞いた。 「当行は銀座に1店舗を配するのみで、ATMも所有しておらず、インターネット取引が中心です。預金口座には自動引き落としなどの決済機能がないためシステム運営費用もかかりません。当行の経費率は42.3%(2022年3月期)と、他行と比べてコスト負担が低い分、収益性が高くなっています」  日本金融通信社の「ニッキンレポート」によると、全国の銀行109行の平均経費率は64.1%(22年3月期)。オリックス銀行は2割以上も低い。  経費率が低いこと以外に、何か理由がある?  「当行では住宅ローンを取り扱っておらず、貸し出しの大半を占めているのは投資用不動産ローンです。賃貸に回すマンションやアパートを建てる人に貸すので、審査なども非常に専門的で参入障壁も高い。相対的に高い貸し出し利回りを得られます。その一部をeダイレクト定期預金の金利に乗せている形」  個人の住宅ローンで審査するのは借り手の信用力(勤務先や所得水準など)で、貸し出し事業としての難易度はさほど高くない。これに対し、賃貸物件の収益性や事業計画を吟味しつつ融資の判断を行う投資用不動産ローンには、相応の知見や専門のノウハウが求められる。  個人の住宅ローンは銀行間の競争が熾烈で貸し出し利回りが低め。投資用不動産ローンは参入障壁が高い(競争相手が限られる)ので、おのずと高い貸し出し利回りが得られるのだ。審査に関するオリックス銀行の実力は、不良債権の割合がわずか0.38%にとどまっていることが立証している。  話が少々脱線するが、定期預金を預けるとき「元利自動継続」か「元金自動継続」を選ぶことになる。どちらを選ぶべきなのか? 鈴木さんは答えた。 「満期が訪れると、元金とその利息が再び同じ定期に預けられるのが元利自動継続。元金だけを同じ定期に預け、利息は払い出されるのが元金自動継続。わずかながらお金が増えやすいのは、元利自動継続です」  なお、定期預金を満期日の前に中途解約すると、提示されていたものよりも低い金利(ペナルティー金利)が適用されることになる。元本割れすることはないが、せっかくの高金利が減る場合もあるのでご注意を。(金融ジャーナリスト・大西洋平、編集部・中島晶子)※AERA 2022年7月11日号より抜粋

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    18時間前

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    浜矩子「スタグフレーションのメカニズムを見誤ると犠牲者が出る」

     経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、経済学的視点で切り込みます。 *  *  *  スタグフレーションという言葉がさかんに飛び交うようになっている。筆者にとっては懐かしい言葉だ。以前の職場である三菱総合研究所に入社して間もなかった1970年代、アメリカ経済のスタグフレーション化が大いに話題を呼んでいた。  スタグフレーションは、スタグネーション(停滞)とインフレーション(膨張)を合体させた造語だ。スタグフレーションにも色々あるが、70年代のアメリカのスタグフレーションは次のような形で進んだ。  大盤振る舞い財政のおかげで、需要が強い。だから物価が上がる。物価が上がると、賃金も上がる。まだ強大だった労働組合の交渉力がものを言った。賃金が上がると、さらに物価が上がる。物価と賃金が追いかけっこで上がり続ける。  ところが、需要の強さに生産が反応しない。さらに一段の値上がり期待が生産者に増産を手控えさせる。賃金が高くなりすぎて、増産対応の人の手当てができない生産者も出てきた。そもそも、アメリカ産業の空洞化が進んで生産力に限界が生じていたという事情もある。これらのことが相まって、物価と賃金が2桁も高騰する中で、失業率も2桁台に達するという状況が現出したのである。  今の日本にも、スタグフレーションがやってくるのか。それが話題になる今日この頃だ。そうかもしれない。だが、そうだとしても、70年代のアメリカ型スタグフレーションにはなりそうもない。なぜなら、今の日本においては賃金が上がっていない。高まってきた物価上昇のペースに、賃金が全く追いついていない。追いかけっこどころか、このままでは、賃金が物価にどんどん置いてきぼりを食らうことになりそうだ。  これは悲惨なことだ。弱者の生活が行き詰まる。70年代のアメリカでは、賃金と物価の上昇が足並みをそろえていたから、失業を免れている限り、生活苦が窮まることはなかった。今の日本では、そうはいかない。同じスタグフレーションでも、そのメカニズムには違いがある。そこを見誤ると、犠牲者が出る。  今の日本の政策責任者たちに、それが分かっているだろうか。聞くだけ野暮(やぼ)だ。分かっていないに決まっている。 浜矩子(はま・のりこ)/1952年東京都生まれ。一橋大学経済学部卒業。前職は三菱総合研究所主席研究員。1990年から98年まで同社初代英国駐在員事務所長としてロンドン勤務。現在は同志社大学大学院教授で、経済動向に関するコメンテイターとして内外メディアに執筆や出演※AERA 2022年7月11日号

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    乙武洋匡「6年前の過ち」脱却できるか 旧友は「嘘つかないように」

     渋谷駅から歩いて5分ほどの雑居ビル。著書『五体不満足』で知られる作家・乙武洋匡氏(46)の事務所はわずか4畳半ほどの広さだ。  今回の参院選(7月10日投開票)では、激戦の東京選挙区で無所属での出馬となるが、SNS上では全国から1500人以上がボランティアに応募したという。事務所の玄関には七夕の笹が飾られ、2ちゃんねる創設者で実業家のひろゆき氏の「楽しく」と書かれた短冊が。わざわざパリから駆け付けたひろゆき氏は、応援演説では「たぶん受からないんじゃないか。でも、こういう人が頑張っているのは面白い」と話したという。  事務所で七夕飾りをつくっていたスタッフの一人に、ボランティアに参加した理由を聞くと、「いま妊娠しているんですが、会社でマタハラにあった時に偶然、乙武さんの演説を聞いて、働きたくても働けない人に手を差し伸べてくれる人だと思ったんです」。  事務所を出ると、街の若者たちは「乙武さんじゃん」とスマホをパシャリ。一人ひとりと記念撮影をし、「僕が目指していくのは、いろいろな違いのある方々が調和を成していく社会です」と訴えると、拍手が上がった。  乙武氏には、過去に苦い記憶もある。2016年の参院選に自民党候補として東京選挙区での出馬を検討していたが、直前に週刊誌で女性問題を報じられ、断念した。  トラブルは他にもあった。当時、「日本を元気にする会」から出馬する前提で準備が進んでいたが、それを反故にして急遽、自民党からの出馬に転じたというのだ。古くからの乙武氏の友人で「日本を元気にする会」の代表であった元参院議員の松田公太氏はこう振り返る。 「こちらから連絡しても音信不通になり、そのときは本当にショックでしたね。乙武さんに伝えるとしたら、当選して議員になったとしても嘘をついたりブレたりすることがないようにと。例えば完全無所属で出馬して闘いますと言ったのであれば、少なくとも6年間は政党に入らず、最後まで無所属で頑張ってやってほしいと思います」  当時のことを乙武氏に直撃すると硬い表情で「以前のことは……」と口ごもった。今回の選挙で汚名返上できるか。※週刊朝日  2022年7月15日号

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    17時間前

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    生稲晃子に「タレント候補」扱い直撃「間違っていません。でも…」

     参院選(7月10日投開票)、大乱戦の東京選挙区で「タレント候補」として異彩を放つのが、自民党公認で出馬する生稲晃子氏(54)だ。俳優で「元おニャン子クラブ」だけに知名度はさすがで、街頭演説を行えば「キャー! あきこさん!」と女子高生や男性ファンが群がる。 「タレント候補」路線には党内でも賛否があるようで、足立区内で行われた生稲氏の個人演説会では、都議会議員の高島直樹氏が「おニャン子クラブの(会員番号)40番ですよ。『自民党またタレントか』と思われそうな気がいたしますが……」と、本人の到着前に本音をポロリ。  別の日に立川市内で行われた街頭演説で、「生稲さんはただの『タレント候補』ではない! きちんとした仕事、子どもを持っておられる立場です!」と力説したのは下村博文衆院議員。応援演説に駆け付けた安倍晋三元首相も、芸能界での活躍には触れず「生稲さんはがんに苦しみながら子育てを両立してきた。この経験を国会で生かしてほしい」とだけ述べた。  生稲氏の三多摩事務所の責任者は言う。 「『タレント候補』はあくまで肩書の一部で、我々の側では強調していません。過去には内閣府の働き方改革実現会議委員や、厚生労働省の『がん対策推進企業アクション』メンバーも務めており、陣営としてはそういった方面の活躍を期待しています」  だが、取材を続ける中では「おや?」と思う場面も。足立区内での個人演説会には、自民党の比例区で出馬している元SPEEDの今井絵理子氏(38)が駆け付け「生稲さんは芸能界時代の大先輩です! 『いまいく』タッグを組んで頑張ります!」とアピール。生稲氏と今井氏のツーショット撮影時間が設けられるなど、結局、「タレント議員コンビ」として売り出しているようにも見える。  本人はどう考えているのか。立川市内での街頭演説後、「『タレント候補』と言われることをどう思っていますか?」と直撃すると、一瞬たじろぎつつも、「私はタレントなので、その呼び方で間違っていません。でも、この36年間の芸能生活は誇りに思っていますので!」とキッパリ。陣営ともども、いっそ開き直ってしまえばいいと思うのだが……。※週刊朝日  2022年7月15日号

    週刊朝日

    18時間前

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    「独身おじさん友達いない」問題が意外に深刻 「会社以外ではいつも一人ぼっち」の中年男性はどうすればいいのか

    小学生の頃は「友達100人できるかな」なんて歌っていたのが、40歳を過ぎたら「あれ? 俺って友達一人もいなくない?」と愕然とする中年男性は少なくない。特に独身の場合は、家庭を持った友人とは疎遠になり、いつの間にか、話し相手がいるのは会社だけ、なんてことにもなりかねない。さらには「今さら友達づくり? 恥ずかしい」と男のプライドが邪魔をして、どんどん“ぼっち”になってくという悪循環に……。でも本音を言えば、「友達」が欲しくてたまらない! という人だっているだろう。じゃあ、どうすればいいのか。40代からの“友達のつくり方”を聞いてみた。 *  *  *「別府の良い温泉を教えろ」「彼氏に浮気された」などのメッセージが寄せられ、よろず相談室と化しているらしいライターのヨッピーさんのLINE。6月のある日には、こんなメッセージが届いた。 「会社以外の知り合いが全くいなくて、危機感を覚えているのですが、いい年した独身のおっさんはどうやって友達を作れば良いのでしょうか」  すかさず、こんな返事をするヨッピーさん。 「えーなんだろ。友達の飲み会に混ぜてもらってそこから友達の輪を増やしていくとか……?」  ところが続く”おっさん“の返信に、全ネットが泣いた。 「その友達がいないんですが」  ヨッピーさんはこのやりとりを「胸が痛い」というツイートとともに投稿。たくさんのリツイートと「いいね」を集めた。  ネットでこの三段オチのお手本のようなやりとりを見て、笑ってばかりもいられなかったのが40代の独身会社員氏だ。 「そういえば自分も、昔のように友達をつくれない。それに気がついたのは、数年前。40歳を迎えたころのことですかね。四半世紀前に卒業した大学時代からの男女の友人はいるものの、数えるほど。結婚はまだしも、子どもが生まれるとみんなパタンと会わなくなって、つながっているのはLINEだけですよ。だから平日はともかく、土日は飲みにいく相手がいない。さみしいものです」  人と話すのは好きで、会社になら話す相手は何人もいる。でもいつか仕事をリタイアする年齢になって、もしも独身を通していたら……。この会社員の場合、そう考えて一番どんよりするのは、やはり食事のことだ。自炊も好きだが、店に食べに行くのも好き。そんなとき、一緒に行きたい相手といえば、やはり友達。食べたり飲んだりは、「恋人より友達のほうが楽しかったりすることも多い」からだ。  会社の50代の先輩に『一人で飲みに行けば、友達なんていくらでもできるだろう』と言われたこともあるが、飲み屋で出会った人とその場は盛り上がったとしても、友達として長続きするかは別。 「だいたいおっさんが、友達ほしさに誰かに話しかけたりするのだって面倒。まして『連絡先教えて』なんて、異性に聞くより恥ずかしくないですか? 要は面倒くささと恥ずかしさが、友達ほしい願望を上回っているということ。そのくせ、さみしいのです(笑)」  さまざまなコレクションの趣味もあるが、30年以上続けているともう立派なベテラン。今さら人とつるんで、気を遣いながら掘り出しものを探しにいくのも、考えただけでめんどくさい。最近「友達紹介するよ」という友達からの声がけがまったくなくなったのは、「そんな自分にも問題があるのでは?」と考えて、ジイジイ……じゃなかった、イジイジする日々だ。  ちなみに若いころは恋人選びじゃあるまいし、友達ひとり作るのにこんな逡巡は1ミリもなかったという。いつの間にか自分を「おっさん」と呼べる立派な年齢になったことも、自分の友達づくりを邪魔している気がして、会社員の心のどんよりを、さらにディープにしている。  ではそんな迷えるおっさんたちは、どうしたらいいのか。まずはヨッピーさんにLINEのメッセージを送ってきた「会社以外に友達が全くいないおっさん」へ寄せられた、ネットのみなさんのアドバイスから。 「会社以外に通うところを見つけるのがいい」「ボルタリングジムは、一人で来ている人が多いのでおすすめです」「(新たな友達を求めて)会社を転職するのはどうでしょう」「小さい店で一人のみの常連になる」。  かく言う自分はおばちゃんだが、最近仕事の場面以外で、新しい友達がまったくできない事情はおっさんたちと同じ。ボルタリングに、がぜん興味が湧いてきた……というか、そんなことより、おっさんへのアドバイスだ。  せっかくなので、当のヨッピーさんにも聞いた。ヨッピーさんが見習うべきお手本として挙げてくれたのが、2年前、ヨッピーさんの「口車に乗せられて」、縁もゆかりもない佐賀県の唐津に移住した、編集者の中川淳一郎さん(48)だった。ヨッピーさんによると、中川さんは今では町の有名人。 「一緒に唐津で飲み歩いていると、あちこちから『中川さん!』と声がかかるほど。いつのまにか町の人気者になって、唐津の町を牛耳り始めていたのでびっくりしました。例えば『イカ釣りに行こう』とか『ニラを育てよう』とか、誰に何を誘われても、『おお!やりましょう!』と楽しそうに出かけて行くんです。そんな中川さんに、誘った方もうれしくなって、またあちこちから声がかかるんですよね」  あるときは唐津の居酒屋で、絵に描いたようなぐでんぐでんの酔っ払いと居合わせたこともある。 「でも中川さんは実に楽しそうに、その知らない人と仲良く飲み始めたりする。あー、中川さんはこうやって、唐津の町や人を受け入れたから、この土地に受け入れられたのだな、と思った。他人に自分を受け入れてほしいなら、まず自分が他人を受け入れようと。友達作りも、たぶんそんな具合ですよね」  最後に「超雑談力」や、最新刊「部下 後輩 年下との話し方」などの著書がある、作家で心理カウンセラーの五百田達成(いおた・たつなり)さんが言う。 「先日、大きな病院の待合室でずっと待っている人を観察していたのですが、女性は若い人から高齢者まで、いつのまにかほかの患者さんとおしゃべりが始まっている。それに対して男性は、ひとりイライラしながら、むっつりして座っている人がほとんど。私の本の読者を見ても、友達を上手につくれないのは既婚未婚にかかわらず、男性のほうが多い傾向はありそうですね」  その解決法を、五百田さんはこう話す。 「若い世代は別ですが、今の40代以降の人のなかには、女性らしさや男性らしさを押しつけられて育った人も多い。その結果コミュニケーションでも、つい人と競争してしまい、人に議論をふっかけたり、マウントしようとする男性が少なくない印象です。他人との平和な会話に慣れていないので、まず人と雑談する場数を踏むのがおすすめ。当たり障りのないゆるふわな雑談トークでも数をこなせば、必ずや気の合う人が見つかります。そういう人に出会ったら、あとはじっくり友人としての仲を深めていくのがいいですね」  長引くコロナ禍で、他人とのリアルなコミュニケーションがない生活が常態化。「もう友達なんていなくても生きていけるもんね」と、両手の人さし指をツンツンしている人もいるかもしれない。でも、アドラー先生も、瀬戸内寂聴先生も、金八先生もみんな言っている。「人はひとりでは生きていけない」らしいのだ。  前出ヨッピーさんも、こう語る。 「やっぱり、人間ってひとりで生きてくようには設計されてないのかなぁ~」  ちなみに五百田さんによると、相手と仲良くなれる雑談の一番のコツは、「情報を交換することより、気持ちをやりとりする」こと。競争心を捨て、丸腰で人の懐に入っていくことが、「友達100人できるかな」と不安だった小学校入学時以来の、友達作りのポイントになりそうだ。おっさんたちの健闘を祈る。(福光恵)

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    【ゲッターズ飯田】7月の開運のつぶやき「与える人に運は味方する」銀の羅針盤座

     占いは人生の地図のようなもの。芸能界最強の占い師、ゲッターズ飯田さんの「五星三心占い」が、あなたが自分らしく日々を送るためのお手伝いをします。12タイプ別に、毎週月曜日にその日の運勢、毎月5のつく日(毎月5、15、25日)に開運のつぶやきをお届けします。 【タイプチェッカー】あなたはどのタイプ?自分のタイプを調べる 【金の羅針盤座】時間がないのではなく、時間の使い方が下手なだけ【銀の羅針盤座】与えられることを待っている間は、運は味方しない。与える人に運は味方する【金のインディアン座】運気が悪いから動かない人と、運気の悪さを楽しむ人では、人生に差がつく【銀のインディアン座】「運気を上げたい、幸運をつかみたい」と思うなら、他人を許し認めること【金の鳳凰座】否定的な人ほど否定される。認められたければ肯定し、ほめるのが大切【銀の鳳凰座】「転んでもただでは起きない」。そう本気で思って生きている人に運は味方する【金の時計座】人にたくさん会う人は、人生でたくさんチャンスがやってくる【銀の時計座】不安とは己がつくり出したものだから、己が変わらなければなくならない 【金のカメレオン座】「人生には落とし穴があるものだ」と思って心構えしておくことも必要 【銀のカメレオン座】見様見真似で終わらないように。そこから、自分のものにすることが大切【金のイルカ座】相手にやる気を出させる。これが上手にできる人に幸運はやってくる【銀のイルカ座】「努力も、覚悟も、感謝もしない」。それは「幸せがいらない」のと同じ※毎週月曜日に占いが届きます!AERA dot.の公式LINEの友達申請はこちら↓↓↓https://lin.ee/trWiCvV

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    巨人・菅野智之、楽天・田中将大 全盛期取り戻せない両者に「対照的な評価」

     球界を代表するエースとして活躍していた巨人・菅野智之、楽天・田中将大に異変が起きている。  菅野は6月24日の首位・ヤクルト戦で5回9安打と打ち込まれて今季ワーストの7失点。伏兵の中村悠平にプロ14年目で初の2打席連続アーチを浴びるなどメッタ打ちを食らった。生命線の直球が走らず、変化球も浮くため空振りを取れる球がなかった。ゲーム差を大きく離された首位攻防戦で、エースの乱調が響き16失点の大敗はチームにとってもダメージが残る敗戦だった。  今季は12試合登板で6勝5敗、防御率3.19。右肘の違和感で4月30日に登録抹消され、5月上旬に復帰後は登板した試合できっちり試合を作っていたが、全盛期のような力でねじ伏せる投球ではない。球数がかさみながらも多彩な変化球をまじえて抑えているのが現状だ。 「4度の登録抹消を繰り返した昨年とあまり状態は変わらないですね。菅野の持ち味である制球が良くない。フォームのメカニズムが狂っているのか原因は分かりませんが、これまで先発ローテーションとして長年投げ続けた勤続疲労は間違いなくあると思います。年齢は32歳とここから円熟期に入るが、肩や肘は消耗している。今の状態で絶対的エースとして期待をかけるのは酷に感じます」(スポーツ紙デスク)  菅野は入団1年目から先発ローテーションで稼働してきた。2016年から3年連続180イニング以上投げ、18年にはリーグ最多の202イニングを投げている。17、18年と2年連続沢村賞を受賞。コロナ禍で120試合制だった20年も14勝2敗、防御率1.97で3度目の最多勝のタイトルを獲得している。最優秀防御率も4度輝くなど、巨人のエースとして揺るぎない存在だった。  だが、昨年は故障やコンディションが整わず6勝止まり。直球が130キロ台に落ちるなど明らかに精彩を欠いていた。今年も本来の状態を取り戻していない。マウンド上で威風堂々と振る舞っていたかつての姿はなく、審判の判定にいら立ちを隠せない場面も。菅野の復調なくして逆転優勝は望めないだけに心配だ。  もう1人、球界を代表するエース右腕・田中将も白星から遠ざかっている。24日の西武戦に先発したが、2本のアーチを被弾するなど6回4失点で今季7敗目。日米通じて自己ワーストタイの6連敗を喫した。今季11本の被本塁打はリーグワースト。6月17日のソフトバンク戦ではNPB自己ワーストとなる4被弾で5回12安打7失点KOを喫した。今季12試合登板で4勝7敗、防御率2.92。今年はパリーグの投手部門で5人の投手が防御率1点台をマークし、「投高打低」が顕著であることを考えると、田中の防御率が良いとも言えない。  他球団のスコアラーはこう分析する。 「勝負球のスプリット、スライダーが甘く入ってスタンドに被弾される場面が目立つ。ただ、菅野と違って直球は走っていますし、スタミナもあるのでゲームメーク能力は高い。日本球界に復帰した昨年は4勝止まりだったが、投球内容を見れば2ケタ勝ってもおかしくなかった。今年も微調整すれば後半戦は白星を重ねる可能性が十分にある」  球団史上初の日本一を達成した13年に24勝0敗1セーブ、防御率1.27を達成し、ヤンキースでも6年連続2ケタ勝利と菅野以上にズバ抜けた実績を持つ。こちらも勤続疲労が懸念されるが、直球は力強さを取り戻しており、過度な心配は無用かもしれない。  オリックス・山本由伸、ロッテ・佐々木朗希と若い力が躍動しているが、球界を長年支えてきた2人も後半戦は意地をみせてほしい。(梅宮昌宗)

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    泉ピン子、夫の「隠し子」騒動を振り返る「あんなに泣くことはなかった」

     残された“先”の時間を思ったとき、ふと、自分にできることは何かと考えた。できるのは、喜んでもらえる作品を届けることだけ。今年75歳を迎える泉ピン子さんの新たな挑戦が始まる。  年を取ったら朗読劇をやろう。そう決めていた。世間一般には、テレビでの活躍で知られているが、1970年代から80年代にかけては、舞台への出演も多かった。日本の演劇に偉大な功績を残した杉村春子さんにも可愛がられていて、同じ舞台に立ったときは、ホテルの隣の部屋で寝泊まりし、たくさんのことを吸収した。 「芝居の何たるかは舞台で教わったと、今でも、私は思っています。朗読劇なら美術も必要ないし、共演者も少なくて済む。ライフワークにはちょうどいいかなと。『いつか朗読劇を』と思い始めてからは、何かいい原作はないかと探していたんですが、なかなかピッタリくるものがなくて……。ようやく出会えたのが、内館牧子先生のベストセラー小説『すぐ死ぬんだから』でした」  ヒロインの忍(おし)ハナは78歳。仲のいい夫と経営してきた酒屋は息子夫婦に譲り、それなりに楽しい隠居生活を送っていた。ところが、夫が倒れたことから思いがけない事実を知ることになる──。 「もちろん、原作に惚れ込んだことがいちばんだけど、『やる!』と決めた理由に、ハナと私の境遇が似ていることも一つある。原作を読んでいない人にはネタバレになっちゃいますけど、ハナの夫である岩造が倒れて発覚した事実というのは、隠し子がいることだったんですね。もう30年ぐらい前のことになりますけど、ウチの夫も同じ過ちを犯していて……」  90年代のことだ。ピン子さんは、医師である夫に隠し子がいたことが記事になると知り、「許します」「離婚はしません」ということを表明するために、記者会見を開いたことがあった。 「当時、TBSで『渡る世間は鬼ばかり』をやっていたので、TBSに全部仕切ってもらったんです。事前に、橋田壽賀子先生から『別れたら、あんたの笑顔が見られなくなる。ご主人があんたと別れる気がないっていうんなら、別れることない。それよりも、あんたがどれだけ愛されていたかを示すために、ご主人からのラブレターを持っていきなさい』と言われて、そのとおりにしたんだけど、あれは演出ミスだった。今考えたらあんなに泣くことはなかった。女優の性なのか、いざ『オヨヨ』と泣けば、その悲しみに酔って、どんどん涙が止まらなくなっちゃうの」  記者会見の前の晩、ピン子さんが反射的に思ったのは、「子供と女の人を守ってあげなきゃ」ということだった。 「そんなのは男の発想よね。でも、会見でいちばん忘れられないのは、記者の人から『どうして子供を作らなかったんですか?』って質問されたこと。子供は好きだし欲しかったから、病院に通って、いろんなことをやって、何度も挫折して、でもできなかった。『それは言っちゃダメよ』って」  その後、周りからはいろんなアドバイスが押し寄せた。「別居したらいい」という助言には心が揺れたが、今度は森光子さんから、「別居は別れの一歩」と言って止められたという。 「森さんが離婚したときの経緯もお話ししてくださって、最後に、『小夜ちゃん(ピン子さんの本名)、男は裏切るけど仕事は裏切らないよ』とピシャッと締めました(笑)」  記者会見と離婚の危機はなんとか乗り切ったが、自分がダメな女のように思えて、いつになく落ち込んだ。後頭部は、円形脱毛症になった。 「食事も喉を通らないし、寝室で一緒に寝るのも嫌だったから、リビングのソファでずっと毛布をかぶって寝てた。10キロぐらい痩せたかな。私は別にお金に困ってないので、別れてもよかったのに、橋田先生は、『あんたが週刊誌とかで“捨てられた”って書かれるのが嫌だ』って言うわけ。夫婦が別れるときは、男が女を捨てたときに決まってる、それが常識とされる時代だったんです。でも、あるとき市川森一先生と対談したときに、『そうだ、私、子供のいる人と再婚したと思えばいいんだ!』と思ったの。そしたら自分が(夫にとっての)一番じゃなくても腹立たないじゃん、って」  朗読劇の原作を探していて、舞台制作関係者から、「この本でぜひ!」と『すぐ死ぬんだから』を手渡されたとき、「ぜひやりたい!」と感じた半面、もしかしたら、自分たち夫婦の過去を蒸し返されるかもしれないとも思った。 「『どうしても朗読劇にしたい小説があるんだけど』と夫に原作を手渡したら、一気に読んだみたいで、ニコニコしながら『おもしろいね~』って。私の心配も杞憂に終わったんだけど、あんまり過去のトラウマがない夫に拍子抜けして、『あんた、死後離婚だからね』って言っちゃった(笑)。そしたら、『死後離婚でもいいよ、もう僕死んじゃってるから』って……。とことんまで屈託がないんです、ウチの夫」 (菊地陽子、構成/長沢明)※週刊朝日  2022年7月8日号より抜粋 >>【後編/泉ピン子、「週末婚」でストレスなし 橋田壽賀子との“軽口エピソード”も】へ続く

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    大谷翔平がアメリカの「野球少年の母」にとことん好かれる理由

     2022年のメジャーリーグ開幕戦で、史上初の「1番・投手」で先発出場を果たしたエンゼルスの大谷翔平(27)。今季も、私たちの想像を超える記録を生み出してくれることだろう。実は、現地・アメリカでは日本ではあまり知られてない、大谷をめぐるさまざまな“ドラマ”がある。大谷翔平の番記者を務めた経験もある在米ジャーナリストの志村朋哉氏の新著『ルポ 大谷翔平 日本メディアが知らない「リアル二刀流」の真実』(朝日新書)から一部を抜粋・編集して掲載する。 *  *  * ■助手席に顔写真  内装業を手がけるスティーブ・スミスさん(45)は、2010年からライトスタンドの年間予約席を買い続ける熱心なエンゼルスファンだ。自宅から球場まで約1時間ドライブして、2021年はエンゼル・スタジアムでのホームゲームをほぼ全て生で観戦した。  そんなスミスさんが、「これまでの人生で最も熱狂している」と言うくらい入れ込んで応援しているのが大谷だ。エンゼルスの主砲であるマイク・トラウトでさえ「大谷ほど興奮させてはくれない」と話す。 「メジャーで投手としてやっていくだけでも、とんでもなくしんどいのに、打者としても毎日出場するなんて想像を絶する。もう二度と見られないかもしれない。だから欠かさず生で見るつもりです」  球場に行く時は、大谷の顔写真パネルを車の助手席にくくりつけていた。いかついスミスさんの横に巨大な「大谷」が浮かぶ。そんな異様な光景に驚いた通りがかりの人に写真や動画を撮られることもあったそうだ。 「家族によくからかわれますよ」と笑って話す。 「私の枕の上に大谷の顔写真パネルを置かれたりします」  スミスさんは、大谷のファンになった瞬間を鮮明に覚えている。大谷がメジャー公式戦デビューした2018年3月29日だ。  長男タイラーくんの11歳の誕生日プレゼントで、敵地オークランドでの開幕戦を見に行った。オープン戦で不振だった大谷にあまり期待はしていなかったが、試合前の打撃練習を見て驚愕した。 「15本くらい連続で柵越えするんですよ。しかも500フィート(152メートル)以上、飛んでいたように見えました。『こいつは何者なんだ!』と興奮しました。息子も私も目の前の光景が信じられなかった。二人とも一瞬でとりこになりましたよ」 ■強迫観念さえ感じる  大谷の野球カードや、球場で入場者に配布される大谷グッズを集め始めた。敵地での試合も、大谷が打席に立つと、家族でテレビで食い入るように見る。故障や不振に苦しむ大谷を他のエンゼルスファンが批判するたびに、「健康だったらすごいんだ」と言い返した。  けがが完治してシーズンを通しての二刀流が期待されていた21年は、初日から大谷のユニホームを着て球場に通った。大谷は、そんなスミスさんの想像をはるかに上回る活躍を見せた。  同年5月6日のレイズ戦では、大谷の第10号本塁打を、持参したグローブでキャッチした。その歓喜の瞬間をとらえた映像は、エンゼルスのハイライト動画の一部として繰り返し球場で流された。それを見る度に興奮がよみがえったという。 「あんなに幸せな気分は人生で幾度と味わえません。あれ以来、大谷のホームランを捕ったり偉業に居合わせたりするチャンスを逃したくない、という強迫観念さえ感じています」  スミスさんの席があるライトスタンドは、大谷がよくホームランを打つので、いつも混んでいると言う。 「大谷が打席に立つたびに、いつも動画を撮っています。周りのファンもみんなカメラを向けます。トラウトもすごいですが、あまりにそつがないところが逆につまらないと感じることもあります。大谷の場合、ピッチャーもしているのに、毎回、単なるヒットではなく一発を狙っています。だから面白いんです。観客がみんな固唾(かたず)をのんで見守り、スイングするたびに歓声が上がったりため息が漏れたりします。あんな光景は見たことありません」  スミスさんも、クラブチームで野球をする息子にとって大谷は良いお手本だと話す。 「野球は『失敗のスポーツ』です。だから感情をコントロールして、次のプレーだけを考えるよう息子に教えてきました。大谷の振る舞いは本当に素晴らしい。あれだけ活躍できる理由の一つです。大谷が怒っている姿を私は見たことがありません。心の中でどう思っているかは分かりませんが、それを出しません。失敗してもすぐに気持ちを切り替えるのが誰よりも上手です」  唯一の不満は、大谷がトラウトなどと比べて近寄り難いところだと言う。 「野球だけに集中したいのは分かります。でも、もう少しファンと交流してほしい。トラウトのように、ホームゲームでも時間をとって子どもたちにサインなどをしてくれたらいいなと思います」 「通訳を通してしか話を聞く機会がないので、彼の性格や人格があまり伝わってきません。例えば、フィールドの外では、どんな人なのか。コメントも当たり障りがないですし」  それでも、スミスさんは大谷に魅了されている。 「彼は何年に一人などという選手ではありません。これまで見たことのない存在なんです。おそらくどんなポジションでもこなせるでしょう。『ショートを守れ』と言われてもできると思います。それだけすごいアスリートなんです」 「さすがに21年のような活躍は、もう難しいと思います。でも、その予想が外れることを願っていますよ」 ■野球少年の母が語る大谷  エンゼルス本拠地から車で1時間くらいの砂漠の町アップルバレーに住むウォーカー・ムーアくん(14)は、熱心な野球少年が集まるクラブチームに所属している。メジャーリーグでプレーするのを目標に、チーム練習がない日も、投球と打撃の個人レッスンを受けるか、裏庭に作ったケージで父親と欠かさずトレーニングに励んでいる。  そんなウォーカーくんが憧れの野球選手として挙げるのが、ドジャーズのムーキー・ベッツとトレイ・ターナー、エンゼルスのトラウト、そして大谷だ。 「大谷はとにかく化け物です。ベーブ・ルース以外に、あんなにバッティングもピッチングもできる選手はいません。練習や試合に対する意識の高さは素晴らしいです」  それでいて、常に楽しそうにしているのも魅力的だと言う。 「大谷がイチローと(フィールドで)会った時に、あいさつをしに行っていた姿が印象に残っています。とても楽しそうに話をしていました」  クラブチームの仲間とも大谷について話すという。 「大谷のセンター方向への打ち方とか、打つ時の後ろ足の使い方とかについてです。僕はツーストライクと追い込まれた時、大谷の(前足を上げずに打つ)真似をしています。振り遅れないで素早くスイングするためです」  ウォーカーくん以上に、大谷に魅了されているのが、母ジェニー・ムーアさん(46)だ。ニュースで大谷が取り上げられるたびに、自身のフェイスブックのタイムラインにシェアしている。自身も本格的にソフトボールをやっていたムーアさんは、大谷はウォーカーくんにとって理想のロールモデルだと熱く語る。 「翔平はとても謙虚で野球を愛しているのが伝わってきます」とムーアさん。「野球に人生をささげ、徹底的なトレーニングを積んでいるので、難なくプレーしているように見えます」  何より「立ち振る舞いが素晴らしい」と言う。 「野球を見るのは好きですが、スター選手のうぬぼれた態度は見ていられません。選手としての価値を下げます。その点、翔平は見ていてすがすがしいです。……試合前のウオームアップに、通訳やトレーナーなんかと出てくると、とても気さくな感じに見えます。インタビューに答える時も、いつも笑顔です。常に楽しんでいるように見えます」 「自分のいる立場や環境を受け入れ、それを楽しみ、感謝の気持ちを忘れない。大金を手に入れてうぬぼれて、ありがたみを忘れてしまう選手もいますから。判定が気に食わないからといって、審判に失礼な態度をとるなんて許されません」 ■大谷の動向を追いたい 「翔平は特大ホームランも打ちますが、三振することもあります。でも、かんしゃくを起こしたり、バットをたたきつけたり、審判をにらみつけたりはしません。とてもありがたいことです。ウォーカーに教えようとしていることですから」 「三振することもあれば、エラーすることもあれば、間違った判定をされることもあります。でも気持ちを切り替えなければ、次のプレーに影響してしまいます。翔平は冷静に受け止め、対処しているように見えます。もしかすると、冷静でいられるよう教えられてきたのかもしれない。日本の文化は、この国の文化とは違うはずですから。なので、そこから他者への敬意が生まれているのでしょう」  ウォーカーくんにも、良い選手になる以上に、感謝の気持ちを忘れないでほしいと話す。 「周りのさまざまなサポートの上に成り立っているからです。もちろん本人の努力もありますが、当たり前だと思ってはいけない。コーチやチームメート、対戦相手、審判に敬意を持って接するべきです。そうでなければ、プレーする資格はありません」  エンゼルスの大ファンだというムーアさんは、大谷を初めて見た時から、特別な選手だと感じたと言う。トラウトにも、ここまでの思い入れを感じたことはないそうだ。 「ウォーカーの言うように、翔平は『怪物』です。一般的な日本人男性の体格ではありません。背が高くて、手足が長く、とにかく大きな選手です。物腰や態度を見ても、文句のつけようがなく輝いています。トラウトは素晴らしい選手ですが、翔平のように動向を追いたいと思ったことはありません」  大谷の二刀流での活躍も、いくつものポジションをこなす息子の姿と重なる。 「ウォーカーはあらゆる役割をこなせます。ピッチャー、キャッチャー、外野、内野など、置かれたポジションで常に全力を尽くします。『このポジションは嫌だ』と言う子どももいますが、なんでもやってみるべきです」 「翔平の二刀流は素晴らしいことだと思います。二刀流ができる可能性を持った若い選手はたくさんいると思います。でも前例がなかったので、試すことすら避けられてきた。でも翔平ができることを証明したので、もっと挑戦する選手が出てくると思います」 (在米ジャーナリスト・志村朋哉)

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    元舞妓さんの告白ツイートに約30万の反響 少女の「人権」より「伝統」優先へ疑問

    作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、舞妓さんの人権について。 *   *  *  元舞妓さんのTwitterが話題になっている。  16歳で舞妓さんとしてお座敷に出たとき、大量の酒を飲まされ、客と一緒に風呂に入るように強いられたことなどを、当時の写真とともに公表したのだ。  観光地・京都の代名詞でもある舞妓さんは、芸妓さん(成人女性)になるための修業期間ともされ、15~20歳の女性たちが担うものとされている。でもそれって……もしかして児童労働じゃないの……? と、どこかで誰もが感じていたであろうぼんやりとした疑問が、くっきりと輪郭を持ったのだろう。その女性のツイートはたった数日間で約30万もの「いいね」がつけられ、さらにその声に呼応するように、「私も同じような被害にあった」「私の妹が被害にあった」「私の友だちも被害にあっていた」という声が次々にあがりはじめている。  舞妓さんは、長い間、私の疑問だった。なぜなら、あまりにも“陽”の存在として描かれすぎていたからだ。たとえばテレビなどで舞妓さんが報じられるとき、それはたいてい「伝統芸能を支える少女」「過酷な修業に耐え舞妓デビューした少女」というような、一人の少女が夢をかなえる成長物語として描かれがちである。  もちろん、舞妓さんを目指すのは女の子たちの意思だ。舞妓さんになる少女の多くは、その美しさに憧れ、伝統芸能への憧憬をもってこの世界に飛び込んでくる。京都から遠く離れた地域からやってくる子も少なくなく、彼女たちは置屋の女将を「おかあさん」と呼び、京言葉や、日常のしぐさなどを徹底的に仕込まれていく。とはいえ、そういう生活を乗り越えて舞妓さんになれても、給料は一切出ない。衣食住を置屋が全て賄ってはくれるのだが、それでも夜は、芸妓さんとともにお座敷に出て、客に酒をついだり、踊ったり、酒の席での遊びを客としたりなどの仕事をする……そんな厳しい日常を懸命に生きる少女たちの物語は、これまでも“隠されることなく”報じられてきた。  考えてみれば不思議である。10代の少女が客(主に成人男性)に酒をつぎ、昔ながらの酒の席の遊びを客と興じる現実が批判的に報じられることはなく、むしろ「彼女たちの夢」視点、さらには「京都の伝統を守る」視点で描き続けられることに。少女たちの夢は尊いが、夜のお座敷に向かう姿をそのまま手放しで応援はできない。夢を利用するな、とも思う。  花街の伝統伎芸の保存・継承を目指す公益財団法人「京都伝統伎芸振興財団」のHPには、舞妓さんの一日の過ごし方が記されている。そこには 「お座敷は毎晩のようにあり、深夜に及ぶこともしょっちゅうで、帰ってから後片付けなどすると、床に就くのは午前1時を回ってしまうということもよくあることだそうです。なかなかハードですね」  と明るい調子で記されている。「なかなかハードですね」というか、かなりやばいですね……という“正論”が通じないのも、“伝統”という治外法権がなせる業なのだろうか。  それでも、強い決意と勇気をもって当事者の#MeTooが出た以上、少なくとも「少女の成長物語」としてのキラキラとした「舞妓さん」語りは今後、これまでのように垂れ流せないのではないか。「伝統」が「人権」に優先させられることへの疑問の声は大きくなるべきだし、そもそもその「伝統」って、そうとう性差別が入っているし……。Twitterであげられた声に、社会がどう応えるかが問われるだろう。  今、性被害や性搾取が被害当事者たちの声によって、重大な社会問題になりつつあるのを実感する。「当たり前にあった」とされるものの中にひそむ暴力や差別が、当事者によって白日の下にさらされてきているのだ。  私は自身が性産業に関わってきたなかで、日本のAV産業を含む性産業がどの国よりも広範囲に細分化され、環境のように日常化しているのを見てきた。「性産業を禁止すれば闇が増えて危険だ」という声もあるが、性産業を合法化した国での非合法の性搾取が増えている現実がある。「買春するのが当たり前」という今の日本社会が、若年女性をリスクにさらしている。ジェンダー平等先進国の北欧などでは、売る側ではなく、買春者と業者を処罰する法律がつくられているが、日本はその方向に向かえるだろうか。「性」を巡る「ビジネス」について、そろそろ日本社会も真剣に議論するときがきたのかもしれない。

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    キスマイ、3年ぶりドームコン「デビュー10周年の感謝を込めて」

     昨年8月にデビュー10周年を迎えたKis-My-Ft2。しかし、新型コロナウイルスの影響で、ファンと対面してのライブは2019年を最後に開催できていなかった。10周年の感謝の想いを込め、今回開いたドームツアーには、デビュー前に故・ジャニー喜多川氏が付けたツアータイトルを再び題した。キスマイの代名詞ローラースケートで、7人は会場を縦横無尽に駆け回った。3年ぶりの“逢瀬”。7月2日から3日間行われた東京ドーム公演の、初日の様子をお届けする。  メンバーカラーの花々がメインステージを彩る。感謝の花言葉を持つ花を13種類集め、デビューから10年分の感謝の気持ちをファンに伝えた。  オープニング映像が流れ、一瞬の静寂ののち、優しく観客を包み込むような音色が会場に広がる。1曲目に選んだのは彼ら自身が作詞した「Re: (アールイー)」だった。愛する人に向けて、これまでの感謝と輝かしい未来について歌った曲だ。煌々とライトで照らされたスモークの中から現れる7つの影。玉森裕太がデザインに携わり、これまで着用してきた衣装のデザインや生地をパッチワークでつなげた衣装には、彼らの足跡を織り込んだ。「言葉だけでは伝えきれないほどの」感謝を、いまここにいるファンに向けてまっすぐに。昨年実現できなかった、デビューから10年間の想いを伝えるためのステージの幕が、開いた。  2曲目は「A10TION(アテンション)」。7人の新たな出航を告げる音色が、高らかに響きわたった。振り付けには、過去の楽曲の振りが入っており、これまでの軌跡をファンとともに思い返しながら、キスマイらしく、弾むように歌い上げた。  「Hey, Tokyo!! Kis-My-Ft2でーす!!」。北山宏光が雄たけびを上げると会場は北山のメンバーカラーである赤色に染まった。デビュー曲「Everybody Go」の一幕だ。「おかえりなさいませ、お姫様! 声出せないけど、ペンライトで俺たちに気持ちガンガンぶつけてこい!」と宮田俊哉もさらにファンを盛り上げる。ローラースケートを履いた7人が会場の空気を切り裂き、縦横無尽にステージを駆け回る。メンバーが通ったあとは、客席がそれぞれのメンカラで染まった。「じゃあいつものやつを、心の声でお願いしまーす。せーの」と玉森が言うと、メンバーが「玉ちゃーん!」と叫び、ファンの心の声もドームにこだました。  その後も「WANNA BEEEE!!!」、「SHE! HER! HER!」、「Kis-My-Calling!」とフルスロットルで飛ばす7人。彼らとファンの想いがぶつかりあい、会場の熱は早くも最高潮に達した。  映像を挟み、膨れ上がった熱を冷ますかのように、今度はシックな雰囲気のメロディーが会場に響いた。白を基調に、美しい黒の曲線が描かれた衣装に着替えたメンバーが、「One Kiss」や「NAKED」などのダンスナンバーで観客を魅了。  続く、「Break The Chains」で、花火の音が会場にとどろき、キスマイのドームライブ名物、“特効祭り”の始まりを告げた。センターステージで踊る7人を囲うようにアームが立ち上がり、炎を吹き上げる。会場に炸裂する花火の音。踊りとシンクロして、火柱と爆発音も激しさを増した。  次の曲、「HANDS UP」では、今回バックダンサーを務めたジャニーズJr.のIMPACTorsとともにバックステージで舞った。キスマイの白の衣装と IMPACTorsの黒の衣装とが、美しいコントラストを描き出した。  開始から1時間、MCタイムに。額には汗が光る。高揚感が7人を包みこんでいた。  話題は「SHE! HER! HER!」の千賀健永(けんと)の逆立ちに。二階堂高嗣が「千賀さん、めっちゃ(きれいな形で)止まってたね」と言うと、藤ヶ谷太輔が「ね! 20秒くらい」とあいづちを打つ。それに、千賀が「20秒!?」とツッコミを入れ、笑いを誘った。千賀は続けて、「あれたまにくずれちゃったりするじゃん。失敗したとき(逆立ち後に歌う藤ヶ谷が)めっちゃ悲しい顔してるんだよね。(逆に)今日みたいな日、めっちゃニコニコやなっていう(笑)」。  “宮玉”のかけあいも。宮田が「今日、俺と玉もうまくいったもんな」と言うと、玉森が「え? 何が?」。宮田が「『SHE! HER! HER!』で、俺が玉の股の下をこう通る技」と言うと、玉森が「あんなのね、千ちゃんに比べたら、ホコリレベルですよ。チリですチリ。」と答えた。  そして、新曲「Two as One」に話題が及んだ。これは空港を舞台とした玉森主演のドラマ「NICE FLIGHT!」(テレビ朝日系、7月22日スタート)の主題歌。現在公開しているメイキング映像では、メンバーがそれぞれ順番に他のメンバーをカメラで撮っていくという映像になっている。実は、横尾の提案でこうなったという。「タイトルが『Two as One』(=2人で1つ)なので、メンバー同士で撮ったらおもしろいんじゃないですかって(提案した)」(横尾)。  宮田の口から「まずはみなさんに(『Two as One』を)見てもらいたいな」という言葉が出ると、会場のファンはこの日最大の拍手で応えた。同曲がファンの前で披露されるのは初めて。歌う前には、玉森が「なんか緊張するなぁ」とつぶやき、宮田は「ガチで迷子になった」と立ち位置を忘れて、メンバー全員がツッコむ場面も。  会場に響く飛行機のエンジン音、滑走路に見立てた花道を進む光。二階堂考案の演出で、ドームは飛行機の離陸前のような雰囲気に。メンバーの高音でのハーモニーや甘いメロディー、タイトルにちなんだペアでの振付やフォーメンションに、ファンは酔いしれた。  その後、衣装チェンジした7人がトロッコに乗って再登場。ピンクの照明のなか、ラブソング「#1 Girl(ナンバーワンガール)」で美しい歌声を響かせた。トロッコがバックステージに向かって進み、メンバーが降り立つと、デビュー当時からの人気曲「Tell me why」を熱唱。パフォーマンス中には、ステージがせり上がり、360度回転する演出が、ファンを楽しませた。  センターステージに移動した7人が歌った曲は、「Luv bias」。円形のステージの周りで、最高水位15メートルの噴水がメロディーに合わせて吹き出した。曲が盛り上がるにつれて、ステージがせり上がり、縁からは水が滝のように流れ落ちる。青色のライトもあいまって水が生み出す幻想的な空間が客席を包み込んだ。  その後、メインステージのスクリーンにデビューが決まったときの映像が流れた。映し出されたのは、あどけない表情のメンバーが全身で喜びをはじけさせる様子。続いて、これまでのライブ映像も流れ、7人のこれまでの歩みをたどった。  映像が終わると、会場を包みこんでいた暗闇を引き裂く爆発音。ステージ下から7人が飛び出す。「FIRE BEAT」の始まりだ。ダークグリーンの衣装に着替えた彼らはセンターステージで髪を振り乱し、激しく踊る。吹き上がる火柱、爆ぜる花火の音に、会場はさらにヒートアップ。ベースの音に、力強い歌声がのる。フィナーレへ向けて、さらにステージは熱を帯びる。続く楽曲も、ノンストップで歌い、踊り、駆け抜けた。  2時間超つづいたライブもいよいよ最後の楽曲に。メンバーが選んだのは、「足音」。彼らの軌跡とファンへの感謝の気持ちが込められた曲を、しっとりと歌い上げた。モニターには、これまでのライブの写真やロゴが映し出され、観客は7人のこれまでの歩みに思いを馳せた。締めの言葉を担当したのは玉森。「本日はどうもありがとうございました。本当に改めて、当たり前なんてことはないんだなと思うからこそ、今日一緒に過ごせて時間がとっても幸せでしたし、僕らにとっても大切な思い出となりました。そして、いつも大きな愛とパワーをありがとうございます。これからも僕らの歩む道にはいつもみなさまがいてください。また遊びに来てください。いつまでも元気で健康で。ありがとうございました」。メインステージで客席に背を向けて立つ7人が、一歩を踏み出し、会場は暗転。それぞれのメンカラに染まった「Kis-My-Ft2」の文字で形作られた大きな足跡がモニターに映し出され、7つの光が四方に散った。その先で七色の花のバルーンが、大輪の花を咲かせた。  この日のライブで歌い上げたのはアンコールも含め全36曲。デビューから11年目を迎えたKis-My-Ft2が、昨年は踏み出せなかった大きな一歩を踏み出した。これまでの感謝を胸に、彼らはこれからも進んでいく。ファンとともに。 (週刊朝日・唐澤俊介)

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    ミッツ・マングローブ「純烈の新メンバーが誰でもよい理由」

     ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、「純烈の新メンバー」について。 *  *  *  ご存知、歌謡グループ「純烈」の小田井涼平さんが今年限りで脱退されるとか。それに伴い新メンバーを加入させる予定の純烈ですが、特に募集やオーディション告知などがされていないにもかかわらず、連日「新メンバー立候補」を表明する芸能人が後を絶ちません。これも偏(ひとえ)に純烈が築き上げた気のおけなさのなせる業(わざ)だと、改めて彼らが「国民的グループ」であることに気付かされます。  本来、人気絶頂時のメンバー交代は大きな賭けです。私が子供の頃、オトナたちは事ある毎に「志村けんより荒井注がいた時のドリフの方が面白かった」と言っていたのを思い出します。記憶に新しいところでは、SHUN脱退後に新生EXILEのボーカルになったTAKAHIROさんもいろいろと苦悩されたと聞きますし、メインボーカルの寺田恵子さんが抜けた後のSHOW-YAや、MINAの代わりにAKIが加入した時代のMAXも忘れてはいけません。  例えばNEWSやKAT-TUN、ドリカムや東方神起のように、メンバーが減る・分裂することもファンにとっては一大事ですが、それ以上にそこへ新メンバーを迎え、景色や音を変化させるというのは、ともすれば熱狂的な消費意欲をリセットさせてしまうリスクも大いにあると言えるでしょう。むしろ様々な変化に寄り添いながら観続けることもまた、芸能鑑賞の醍醐味のひとつです。しかし時にはそう簡単に割り切れないケースもあります。印象的だったのは、ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」における「岡倉大吉役の交代」です。初代・岡倉大吉役だった藤岡琢也さんが病気で降板されたことによる宇津井健さんへのバトンタッチだったわけですが、突然かつ唐突だったせいもあり、結局その戸惑いは最終シリーズまで払拭されず……。特に「渡鬼」がファンタジー色のまったくない極めてリアルな作品だからこそ、「ある朝起きたら父親が宇津井健になっていた」という衝撃は、「ドラえもん」よりも「E.T.」よりもSFでした。  話は純烈に戻ります。現在、新メンバーへ自薦の声を上げているのは、私の知る限り野々村真さん、楽しんご、さらには名古屋CBCの永岡歩アナウンサー。純烈側が掲げる理想の新メンバー像は、「身長175cm~2m」「歌って踊れる」「安い飯をおいしく頂けるような人」だそうですが、熱心なファンの心理は別にして、「誰が加入しても面白そう」と思わせてしまえるのが純烈の凄いところです。何ならポール・マッカートニーや大林素子が入っても「純烈らしさ」は変わらないでしょう。  裏を返せばそれぐらい世間は純烈に対し寛大だということ。いや、適当と言ってもいいかもしれません。かつてこんなにも適当に扱われた国民的グループがいたでしょうか? 客商売・人気商売というのは「思い入れ」を扇動するのも大切ですが、一方で日常の中にある無意識な概念として存在した者が究極「勝ち」という見方もできます。  純烈はその境地に達している数少ないグループです。内輪で偉そうなことばかり宣って、悦に入っている人気ユーチューバーなんかよりよっぽど奇想天外で面白い。 ミッツ・マングローブ/1975年、横浜市生まれ。慶應義塾大学卒業後、英国留学を経て2000年にドラァグクイーンとしてデビュー。現在「スポーツ酒場~語り亭~」「5時に夢中!」などのテレビ番組に出演中。音楽ユニット「星屑スキャット」としても活動する※週刊朝日  2022年7月1日号

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    要介護5の70歳母の面倒を見る75歳父 福祉サービスを嫌がる両親に悩む39歳女性に、鴻上尚史が実父の体験を例に語る「説得できるチャンス」とは?

     福祉サービスを嫌がる両親をどう説得するか悩む39歳女性。自身もうつ病で療養中という相談者に、鴻上尚史が実父の介護サービスの経験を例に語る「説得できるチャンス」とは? 【相談149】母は要介護5の難病ですが、福祉サービスを嫌がり、困ってます(39歳 女性 まあこ)  鴻上さん、こんにちは。  私の母(70歳)は難病で要介護5の寝たきりです。父(75歳)が面倒をみてます。認知症は発症していません。  両親が頑なに福祉サービスを受け付けてくれなくて困ってます。ケアマネジャーともろくに口をききません。他人が家に入るのをとても嫌がり、デイケア、ショートステイも試しましたが、職員さんたちのアラばかり探し、文句を言って二度と行かないと頑なです。  父が特にひどくて、「あいつらは人を下に見てる」とか「憐れみを受けたくない」みたいな酷い発言が多いです。肝心の母は、体が動かないから四六時中側に父が居てくれる今の状況にできるだけいたいようです。ただ父も高齢で体が心配です。  実は私は去年まで同居して手伝っていましたが、15年以上介護と家事と仕事で目まぐるしい毎日だったのでうつ病を発症してしまい、会社を解雇され現在一人暮らしで療養中です。  自分の体調を回復させ、また仕事を探さないといけないのに、両親のことが心配で苦しくてなかなか精神が安定しません。  二人を説得して福祉の力を借りることはできないのでしょうか? もうやりたいようにやらせておくしかないのでしょうか?  兄弟妹は結婚して遠方なので力は借りられません。  ご意見をお聞かせください。よろしくお願いします。 【鴻上さんの答え】 まあこさん。大変ですね。昔気質の人には、福祉サービスを受けることをよしとしない、行政の保護を受けることを恥ずかしいと思う人が一定数、いらっしゃいますよね。  どうしてなんでしょうねえ。自分が本当にダメな人間になった、無用な存在になったと思ってしまうのでしょうか。それとも、「世間様」から後ろ指を指されると思っているのでしょうか。「公助」に頼るのは国民の恥で、「自助」でやり抜くことが正しいと思っているんでしょうか。  でも、福祉サービスも生活保護のお金も税金で運営されていますが、税金は国が国民にほどこすものではなく、まあこさんの親や国民一人一人が一生懸命働いて、「自分達のために使って欲しい」と思って納めたものなんですよね。「年貢」と「税金」の違いですね。  だから、それを自分が弱った時に使うのは、当り前のことで、税金の正当な使い道を要求するのは、国民のまっとうな権利ですね。  でも、頑固なまあこさんの両親、特に父親に言っても通じないんですよねえ。  僕のアドバイスとしては、とりあえず今は父親の好きなようにさせておくしかないと思います。  というのは、今、父親は言えば言うだけ頑なに、頑固になるような予感がします。  まあこさんやケアマネさんが言えば言うほど、かえって意地になって心を閉ざすと思えます。  でも、75歳が「要介護5」の70歳の面倒を見る「老老介護」ですから、間違いなく近いうちに、父親が負担の重さに悲鳴を上げる時がくると思います。  早くて1年以内、長くても2、3年のうちには、父親が介護に疲れ果てる時期がくるでしょう。父親が気持ちを変えるとしたら、その時期なんじゃないかと僕は思います。  といって、完全に疲れ果てると正常な判断力を失ってしまい、取り返しのつかないことになってしまうかもしれませんから、「しんどい。なんとかしたい。どうしたらいいんだ」と迷い始めた時が説得できるチャンスだと思います。  それまで、まあこさんは黙って父親の状態を見続けるのがいいと思います。定期的に実家に行き、でも、福祉サービスのことはなにも言わず、ただ、両親の状況を観察するのです。  母親は要介護5でも認知症は発症してないんですよね。母親とはどれぐらいコミュニケイションできますか? やがて、父親が疲れ始めた時に、「お父さんを楽にするために、福祉サービスの世話になるのはどう?」と、父親のいない所で話すことはとても大切だと思います。「自分のせいで夫が疲れ果てていく」という状態を深く受け止めれば、母親の方から「福祉サービス」を受けることを父親に提案する可能性もあります。  僕の父親は元教師でとても頑固でした。「要介護3」の時に、ある福祉サービスの施設に行った時は、「俺を子供扱いした!」とぷりぷり怒って帰ってきました。それでも、母親の負担になるからと僕は福祉サービスを受けるように何回も言いました。実際に母親は父親の世話で疲れ切っていたのです。でも、母親は昔のタイプですから、ぐっと我慢して自分から福祉サービスを受けて欲しいとは言いませんでした。  僕は何カ所か、まずデイサービスの施設を調べ、ケアマネさんとも相談して、ショートステイを含めて父親に行ってもらいました。父親は母親の疲弊を実感していたのです。  父親は3カ所は嫌いましたが、たった1カ所、とても気に入った所ができました。やがて、週に2回から3回、その施設に行くことを本当に楽しみにするようになりました。  どんな福祉サービスを受けるかの適性と施設そのものとの相性もあると思います。それから、ケアマネさんとの相性もあります。  今はまあこさんの父親は、言えば言うほど心を閉ざす状態だと思います。ですから、つかず離れず見守りながら、ちょうどいいタイミングで、福祉サービスを提案することをお勧めします。  それまでは、まだしばらく時間があると思いますから、まあこさんは自分の生活を立て直して、回復する時期にしてはどうでしょうか。今の間に休息して、体調を回復するといいと思います。  うまくいくことを心から願います。 ■本連載の書籍化第3弾!『鴻上尚史のますますほがらか人生相談』が発売中です!

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    大迫傑の妻・あゆみさんがアスリート妻のモヤモヤを語る 飾らない家族の日常を発信

     アスリートの妻といえば、夫の競技生活全てを支えるイメージだが、それも今は昔。大迫傑選手の妻あゆみさんは、夫が遠征中のワンオペ、日常茶飯事のケンカのことなどの飾らない家族の日常を発信する。AERA 2022年7月11日号の記事を紹介する。 *  *  *  今日なんの日? 今日はゴミの日! 足折るぞ  青春を 返せ!こっちのセリフだわ  ある結婚記念日に、大迫あゆみさん(33)がインスタに投稿した川柳だ。夫は、プロランナーで、東京五輪マラソン6位の大迫傑選手(31)。2015年から投稿するインスタに加え、21年にはYouTube「大迫裏ちゃんねる」も始めた。共感のコメントを寄せる人の大半は女性や主婦などスポーツとは縁がない人たち。孤高のプロランナーの飾らない家族の日常にファンが急増中だ。 「ケンカは日常茶飯事。でも、切り取り方次第では笑えるかな、と。私たちは、どこにでもいる普通の家族。特別という意識はないです」 ■常に普段通りを心がけ  ともに大学生の時に出会った。箱根駅伝などで活躍した大迫選手は、卒業後に日清食品グループ陸上部へ。2年目の15年、プロに転向し、米国に行く決断をした。当時長女は2歳。前例のない挑戦に、周囲の心配は大きく、「家族は邪魔になる」と面と向かって言われたことも。 「悔しかったですね。日本では、マラソン選手は『修行僧』のようなイメージが強いせいもあったと思います。インスタを始めたのは、アメリカで家族みんなで頑張ってるよ、と伝えたかったからかもしれません」  大迫選手のチームメイトには、リオ五輪1万メートルの金メダリスト、モハメド・ファラー選手らがいた。 「選手みんなが家族を堂々と自慢している。なんだかホッとしました」  日々の生活で心がけているのは「常に普段通りであること」。練習の日も、休養日も、五輪の日も、すべて同じ1日だと考えているという。 「アスリートの妻なんだから、こうしてと言われたことも一回もない。夫は、ハードな練習後に、娘の誕生日プレゼントを買いに行くなど、家族をうまく使ってオンとオフを切り替えていると思います」 ■妻には「でしゃばるな」  大迫選手は、16年リオ五輪で5千、1万メートルに出場し、18年にはマラソンで2時間5分50秒の日本記録(当時)を樹立。あゆみさんは、合宿で不在中はワンオペをしながら、大会の時は1人で幼い娘2人を連れて飛行機で移動し、応援してきた。  ただ、あゆみさんには、もやっとする瞬間がある。  大迫選手のゴールを伝えるテレビ放映。子どもや両親が映ると好意的なのに、妻である自分が映り込んだ途端に「でしゃばるな」「あなたの手柄じゃない」と非難される。 「妻は三歩下がって支えるべきだとされている。なのに、夫の調子が悪いと急に前に出されて、妻のせいにされがちです」  東京五輪の10日前、大迫選手が現役引退を表明したことについて、あゆみさんは、 「さみしさの一方で、この人まだやるんじゃないかな、と。家族の勘があった」  と笑う。確信したのは、五輪後に家族で行った米カリフォルニアのディズニーランドでのこと。大迫選手はホテルで、シカゴマラソンの中継をじっと見ていた。その背中は、妙にさみしそうだったという。案の定、今年2月、現役復帰を表明した。 「大好きな走ることを、手放したくなかったんじゃないかな。走っている姿が一番かっこいい。これからも、普段通りのサポートをしようと思います」 (編集部・古田真梨子) ※AERA 2022年7月11日号

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    泉ピン子、「週末婚」でストレスなし 橋田壽賀子との“軽口エピソード”も

     橋田壽賀子さん脚本の「おしん」「渡る世間は鬼ばかり」など、多くの代表作を持つ俳優の泉ピン子さん。プライベートでは「週末婚」を実践しているという。どのような暮らしぶりなのだろうか。  ピン子さんの毒舌によって語られる、夫婦にしかわからない絆を感じさせるエピソード。数年前から青山の自宅を引き払い、熱海に暮らすピン子さんだが、最近は、ご主人が週末だけ熱海に通う週末婚を実践している。 「今は、うちのパパは土曜日に帰ってこさせるようにしてるの。だって、70で、毎日朝5時に起きて、6時半の新幹線に乗って、人様の命預かって帰ってきて、ご飯を食べてすぐ寝るような生活を送るより、平日は東京で過ごして、土日だけ帰ってきたほうがいいに決まってる。私もラクになりました。夫婦生活でストレスになるのが食事だから。年を取ると、食が細くなるし食べたいものもなくなるのに、毎日夕食のおかずは何にしようか、頭を悩ませなきゃならない。それが、週末婚だと、自分の食事の心配だけすればいいから」  熱海での昼下がりの過ごし方は、テレビ鑑賞がメインだ。取材は5月末だったが、4月クールの連続ドラマのタイトルをスラスラと暗唱した。 「平日は民放が多い。月曜日は『元彼の遺言状』、火曜日は『持続可能な恋ですか?』、水曜日は特になくて、木曜日はキムタク様の『未来への10カウント』、金曜日は『インビジブル』。土曜日は、BSのドラマ、ネットフリックス、U‐NEXT、アマゾンプライム、ディズニープラスで新しい映画をチェックするか、WOWOWで録画しておいたドラマを観たり……。昔から『ピン子さんほどドラマを観てる女優はいませんよ』って言われる。でも、私から言わせれば、テレビ関係者は、皆さん、テレビで食べているくせにテレビを観なさすぎだと思う。(明石家)さんまさんと私ぐらいじゃない? 寝る間を惜しんでまで観ているのは。だってさ、死んだら、『ピン子さん、ピン子さん』っていくら呼ばれたって起きなくなるんだから。生きてる間は好きなものを観たほうがいい、すぐ死ぬんだからさ(笑)」  そう言って豪快に笑ってから、スッと声のトーンを落とし、「橋田先生も、いろんなドラマを観てらしたなぁ」と続けた。 「『脚本を書かなくてもいい時期はドラマを観る時間があるのが嬉しい』と言って、『相棒』とか、『はぐれ刑事』シリーズなんかをよく観てた。『そんなに好きなら、サスペンスとか刑事ものを書けばいいのに。視聴率とれるんだから』なんて軽口をたたき合って(笑)。橋田先生の健康を気遣うつもりでいろいろ言うと、『わかんないよ、あんたが先に死ぬかもしれない』なんて返された。『90の私が書いているんだから、70のガキは仕事しろ!』って(笑)。橋田先生が『笑っていいとも!』に出演していたのは、今の私ぐらいの年齢なのよね。この年で、毎週一人で熱海から新宿まで通ってたんだから」  初めての朗読劇は、「挑戦」だという。宮川彬良さんの音楽も入る、一筋縄ではいかない朗読劇。「未知の世界だから楽しいじゃない」と微笑んだ。 「年取るっていうのも未知の世界だけどさ、人生の先輩たちが、“年を取るのも悪くない”と言っていたそのココロは、私は、“忘れられる”ってことにあるような気がする。ウチの夫だって、自分の過去の過ちを『そんなことあったっけ』なんて忘れられるようになるんだから」 (菊地陽子、構成/長沢明)※週刊朝日  2022年7月8日号より抜粋 >>【前編】泉ピン子、夫の「隠し子」騒動を振り返る「あんなに泣くことはなかった」

    週刊朝日

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    プロ野球史上「日本一の二遊間コンビ」は誰と誰? 落合博満が即答した守備の名手も

     巨人の坂本勇人、中日の京田陽太、西武の源田壮亮らリーグを代表する遊撃手が故障や不調によって、一時、出場選手登録を抹消された。一方、二塁手はどのチームも好調な選手が多い。今年のプロ野球の傾向として、「中堅、ベテラン二塁手とフレッシュ遊撃手」の二遊間コンビが目立つ。  本塁から見て、内野の頂上にあることから二塁をキーストーン(重要な石)と言い、二塁手と遊撃手を「キーストーン・コンビ」と呼ぶことがある。それだけ重要なポジションなのだ。そんな二遊間コンビで「最強」と呼べるのは誰と誰だろうか。  1951年から3年連続でベストナインを受賞したのは、巨人の千葉茂と平井三郎のコンビ。千葉は二塁手で最多となる7年連続ベストナインに輝いている。右打ちが得意で、通算96本塁打中81本がライト方向だった。筆者は、88年に千葉の「エア・フィールディング」を目の前で見せてもらった。当時69歳であったが、そのフットワークは往年の俊敏さを感じさせた。一方、平井は「打てる遊撃手」だった。2リーグ分立当時は「投高打低」で、打率.250も打てば十分だったが、53年は打率.291、通算でも.277を残している。  攻撃型コンビの代表格は、横浜のローズと石井琢朗だろう。このコンビは、97年、98年、99年、2000年と、4年連続でベストナインを受賞している。ローズは1998年の優勝時、マシンガン打線の4番を担った。99年は打率.369、153打点(史上2位)という抜群の数字を残している。石井は通算2000安打を達成、盗塁王を4度獲得した1番打者だった。俊足を生かした広い守備範囲、投手でプロ入りした強肩を武器にゴールデングラブ賞を4度受賞している。ローズも機敏な動きで「6-4-3」「4-6-3」のダブルプレーを確実に取った。「横浜の優勝」と聞くと、マシンガン打線と大魔神・佐々木主浩を思い浮かべる人も多いだろうが、二遊間を含めた、捕手・谷繁元信、三塁・進藤達哉、一塁・駒田徳広らによる内野守備は鉄壁であった。  野球ファンが「最強の二遊間コンビ」と聞いて、真っ先に思い浮かべるのは、中日の荒木雅博と井端弘和の「アライバコンビ」かもしれない。2004年から3年連続でベストナインを受賞しただけでなく、04年から6年連続で、ゴールデングラブ賞をコンビで受賞している。荒木は通算2000安打、史上11位の通算378盗塁。05年は「二塁手最多守備機会」の日本記録も作っている。井端は通算1912安打。「2番を打つのが楽しくて仕方なかった」と本人も語っているが、荒木と井端の1・2番コンビは、盗塁、送りバント、ヒットエンドラン、強打と何でもできた。守備においても、荒木が逆シングルキャッチしてグラブトス、井端が素手で捕って一塁に送球するなど、他のコンビではできないような息の合った連係だった。  過去、ベストナインやゴールデングラブ賞を3度以上受賞しているコンビはほかにもいる。南海の岡本伊三美と木塚忠助は、52年、53年、55年に3度ベストナインを受賞している。岡本は53年の首位打者で、リーグ優勝のMVPにも輝いている。木塚は通算479盗塁。これは阪急の福本豊、南海の広瀬叔功、巨人の柴田勲に次ぐ史上4位の記録で、盗塁王4度。打順は1番・木塚、2番・岡本。蔭山和夫や飯田徳治らとともに「100万ドルの内野陣」と呼ばれた。  阪急のマルカーノと大橋穣は1975年、76年、78年とダイヤモンドグラブ賞(現・ゴールデングラブ賞)を3度受賞している。マルカーノは、78年に打点王に輝いたように勝負強い打者だった。小柄で小回りが利き、守備もうまかった。ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞とも各4度受賞している。大橋は、「花の68年ドラフト組」で、強打の遊撃手だったが、プロ入り後は守備の人となった。大橋は阪急移籍の72年から78年まで7年連続でダイヤモンドグラブ賞を受賞し、72年から76年まで5年連続ベストナインを受賞した。76年は打率.191でベストナインに選ばれた。あの落合博満が「守備のうまい選手は?」と問われて、名前を挙げたのは大橋だった。現役時代の大橋を見ていた野村克也は、ヤクルト監督時代の93年から大橋を守備コーチとして招聘し、大橋が育て上げたのが、ゴールデングラブ賞を遊撃手で6度、三塁手で4度受賞した宮本慎也であった。  現役の二遊間コンビを見てみよう。セ・リーグでは、ヤクルトの山田哲人と長岡秀樹の元気がいい。山田はチャンスで本塁打を放ち、高卒3年目の長岡は開幕から全試合に出場している(6月21日現在)。阪神の糸原健斗と中野拓夢、巨人の吉川尚輝と中山礼都、広島の菊池涼介と小園海斗は、冒頭で述べた「中堅、ベテラン二塁手とフレッシュ遊撃手」の二遊間コンビだ。パ・リーグはオリックスの安達了一と紅林弘太郎、楽天の浅村栄斗と小深田大翔が安定している。日本ハムの石井一成と上川畑大悟、西武の外崎修汰と滝澤夏央も「中堅、ベテラン二塁手とフレッシュ遊撃手」のコンビ。例外は、ロッテの中村奨吾とエチェバリア、遊撃手のほうがベテランのソフトバンクの三森大貴と今宮健太だ。  過去にベストナインやゴールデングラブ賞を同時に3度以上受賞しているコンビはプロ野球史上、ここで紹介した5組しかいない。西武の辻発彦と田辺徳雄が89年、92年にベストナインとゴールデングラブ賞を各2度ずつ受賞しているが、3度以上に届かなかった。その5組から「日本一」を決めることは至難の業ではあるが、活躍度と「記憶に残るコンビ」という面で考えると「荒木・井端」、次点は「マルカーノ・大橋」かもしれない。  現役コンビには、長きにわたり活躍できる日本一の「キーストーン・コンビ」を目指してもらいたい。(新條雅紀)

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    巨人から移籍2年目、ヤクルト田口麗斗の“圧倒的存在感” 様々な場面で「欠かせない」選手に

     まだ6月というのに優勝へのマジックナンバー点灯が間近に迫るなど、歴史的な勢いでセ・リーグの首位を独走するヤクルト。その躍進を支える投手陣、特にブルペン陣にあって“切り札”的な活躍を見せているのが、巨人から移籍して2年目のサウスポー、田口麗斗(26歳)だ。  巨人時代は2016年から2年連続2ケタ勝利、2019年には14ホールドを挙げるなど、先発もリリーフもこなしてきた田口は、昨年3月のトレードでヤクルトに移籍。開幕第2戦の先発マウンドを任されるなど、9月初旬まで17試合に先発して4勝8敗、防御率4.11を記録すると、その後はリリーフに回って16試合で1勝1敗4ホールド、防御率3.46の成績を残した。  日本シリーズでも3試合に登板して無失点とチームの日本一にも貢献したのだが、そこまで“無双”していたわけではない。ところが今シーズンはここまですべて救援で25試合に登板して自責点はゼロ(1失点)。チームでも唯一、防御率0.00をキープしている。  ただし、この数字だけではそのスゴさを測ることはできない。それは今季の田口が、ピンチの場面になると颯爽と現れ、鮮やかに火を消していくという、いわばジョーカー的な存在となっているからだ。実際、今シーズンの田口は25試合のうち、13試合までがイニング途中での登板。その中の11試合は走者を置いてのマウンドである。  圧巻だったのは、今季のセ・パ交流戦初戦となった5月24日の日本ハム戦(神宮)。1対1の同点のまま延長戦に入ったこの試合、田口は10回表、無死満塁の場面で登板すると、まずは4番の清宮幸太郎を空振り三振に仕留める。  続く5番・万波中正に対しては、2-2から外角いっぱいに決まったかに見えたバックドアのスライダーに球審の右手は上がらず、フルカウントから万波が放ったライナーをショートの長岡秀樹がジャンプ一番グラブに収めてツーアウト。6番の宇佐美真吾には3-0と、もう1球もボールにできない状況からストレートを続けてフルカウントまで持っていき、最後もインハイのストレートで空振りを奪うと、打者に背を向けて雄たけびを上げながら、左手でガッツポーズをつくった。 「どういう状況になろうと、そこ(清宮の打席)で代えようと思ってました。ノーアウト満塁は想定してなかったんですけども、よく開き直って全力で行ったと思います。気持ちは入ってたけど、すごく冷静にしっかり投げ込めたのかなと思います」  試合後、20球に及ぶ田口の力投をそう評したのは高津臣吾監督である。最大のピンチを切り抜けたヤクルトは、延長11回に飛び出した4番・村上宗隆の2ランでサヨナラ勝ちを収め、その後も快進撃を続けて4年ぶりに交流戦王者となるのだが、この田口の“火消し”がなかったらどうなっていたか。 「無死満塁からの火消し」ということでいえば、古くからのプロ野球ファンが思い出すのは1979年の日本シリーズ第7戦での広島・江夏豊の「江夏の21球」や、1993年ペナントレース終盤の優勝争いにおけるヤクルト・内藤尚行の「ギャオスの16球」だろう。そうした歴史的な快投に、この日の「マリモ(田口の愛称)の20球」を重ね合わせた向きも多かったはずだ。  実は今シーズン、田口が満塁のピンチを切り抜けたのはこの試合に限らない。4月2日のDeNA戦(神宮)で1対1の6回1死、4月6日の中日(神宮)では2対1の7回無死、交流戦明けの6月18日の広島戦(神宮)でも5対4の7回2死と、僅差のゲームのフルベースの場面で登場しては、ことごとくしのいでいる。まさに“エスケープ・アーティスト”と言っていい。  もっとも、それだけが田口の価値ではない。ヤクルトの“勝利の方程式”の一角を担う今野龍太が、6月24日のニッポン放送『ショウアップナイタープレイボール』に出演した際にブルペンのムードメーカー的な存在は誰かと問われ「やっぱり田口さんですかね」と話したように、持ち前の明るい性格でチームの盛り上げ役を担う。  さらに試合に勝ってグラウンドを去る前には、ファンから「勝利の舞」と呼ばれる独特のパフォーマンスでスタンドを沸かせ、SNSではチームメイトの素顔を積極的に投稿するなど、プレーのみならずさまざまな手段でファンを楽しませている。  それでも一番の魅力は、やはり颯爽とピンチを切り抜けるマウンドでの姿だろう。先に「今季の田口のスゴさは防御率だけでは測れない」と書いたが、メジャーリーグにはそれを測る「IS%」という指標がある。 「IS」とは前の投手が残した走者を生還させた数(Inherited Score)のことで、「IS%」はその割合を示す。走者を塁に置いてマウンドに上がった投手がその走者をかえしても、自身の自責点にはならず防御率には響かない。だが、ピンチの場面で送り込まれる投手に求められるのは、そうした走者をホームにかえさないことだ。  つまり、この「IS%」こそが田口のようなピッチャーの、防御率に表れない価値を示す指標ということになる。そこで今季の田口のIS%を調べてみると、6月18日までの22試合の登板で、前の投手から受け継いだ20人の走者のうち、生還を許したのはゼロ! IS%は驚異の0%である。  その後は6月21日の中日戦(バンテリンドーム)の10回裏、2死満塁の場面でマウンドに上がって代打の三ツ俣大樹にサヨナラ打を浴びると、26日の巨人戦(神宮)でも同点の7回表、2死一、二塁から適時打を許し、2試合連続でホールドに失敗。その借りを返すように、6月28日の広島戦(マツダ)では3点リードの8回裏、2死一、二塁の場面で登板し、スライダーの連投で野間峻祥を3球三振に斬って取り、キャリアハイを更新する15個目のホールドを手にした。  これで今季の田口のIS%は7.4%。ちなみに昨年のメジャーリーグ全体の平均は34.6%で、シーズンで30人以上の走者を引き継いだ投手の中でベストだったのがシカゴ・ホワイトソックスのクローザー、リアム・ヘンドリックスの10.0%。日米の記録を単純に比較することはできないし、今シーズンもまだ半ばではあるが、これらの数字からは今季の田口がいかに傑出しているかがわかるはずだ。  田口の起用に関し、高津監督は「本当は楽な場面(で使いたい)というか、もう1人2人左ピッチャーがいればまた違ったことになるとは思うんですけども、今は彼しかいないので。どうしてもピンチのところで『お願いします』というような感じで送り出してます」と話している。  6月25日には4年目の左腕、坂本光士郎が一軍に昇格したものの、その日の試合に救援して2イニングで8失点。翌日には再びファームに降格し、ヤクルトのブルペンでサウスポーは、また田口1人になった。  現時点で貯金25、2位の巨人とは11ゲーム差と余裕を持って戦えるヤクルトだが「困った時の田口頼み」は、今後もしばらく続きそうだ。 (文中のメジャーリーグの「IS%」はBASEBALL REFERENCEによる) (文・菊田康彦) ●プロフィール菊田康彦1966年生まれ。静岡県出身。大学卒業後、地方公務員、英会話講師などを経てフリーライターに転身。2004~08年『スカパーMLBライブ』、16~17年『スポナビライブMLB』出演。プロ野球は10年からヤクルトの取材を続けている。

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    稲垣えみ子「私たちが孤独なのは過去をバカにしているせいかもしれない」

     元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。 *  *  *  めちゃくちゃウマイ居酒屋を営む友人から、コレ絶対好きだと思ってと『津軽伝承料理』なる本を頂いた。友人は津軽出身で、その縁でこの本に出会ったらしい。  好きも何も、一読してブッ飛んだ。と言いますのはですね、ノー冷蔵庫生活7年超の私は一人勝手に涙の試行錯誤を積み重ねた結果、今や「冷蔵庫って何の役に立つの……?」とすら思う完璧な食材保存スキルを身につけて鼻高々なわけですが、そのスキルの全てが、それよりもはるかに洗練された形でここに完璧に集約されているではないか!  つまりはですね、私が今やってることなんぞ昔の人は各地で超当たり前にやっていたのである。確かに昔は冷蔵庫なんてないし、さらには流通も未発達なので食材は地元で採れるものだけ。加えて寒冷地では冬は野菜が採れず、となれば旬のものをいかに気候風土を生かして長期保存し無駄なく「食べ回す」かが勝負である。その長年にわたる知恵の集積が伝承料理なのだ。  ゆえに私が7年で、しかも年中何でも買える都会で成し遂げたことなど「屁」。山菜を半年先まで保存する方法などナルホドと膝を打つことばかり。改めて見れば難しいわけでもなく、しかも保存には発酵の仕組みを使うので超健康的。フードロスなし。電気代も輸送代もゼロなのでエネルギー危機などどこ吹く風。まさにこれぞ、現代のほとんどの問題を解決する最強かつ合理的な方法そのものである。  しかしこのような知恵はベンリの蔓延によりもはや風前の灯なのだ。それはあまりに勿体ないと立ち上がった津軽のおばちゃん達が地元のお年寄りを訪ね歩き、実際に自分たちでも作って食べて風習を守り続けているのだった。印象深かったのは、お年寄りが嬉々として聞き取りに応じてくれたというエピソード。伝承を大切にすることは人を生き生きとさせるのだな。我らが孤独なのは過去をバカにしているからなのかもしれぬ。  メタバースなど求めずとも我らは既にすべてを手にしている。ただ見てないだけ、関心を持っていないだけで。 ◎稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行 ※AERA 2022年7月4日号

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    俵万智が語る“一人息子”の中学受験と寮生活 「中高6年間、毎日ハガキを送りました」

     中学受験には保護者の意思が強く表れるものだが、俵万智さんと息子さんの場合では少し事情が違ったようだ。6月30日発売のAERAムック『偏差値だけに頼らない 中高一貫校選び2023』(朝日新聞出版)で、子ども自身の意思を尊重した中学受験と、中高時代の思い出について語った。 * * *  俵万智さんが歌集『サラダ記念日』を発表したのは、今から35年前。日々の出来事や恋人への思いを20代女性の話し言葉で詠んだ歌が共感を呼び、同書は歌集としては異例のベストセラーとなった。 ■小学校は全校児童13人。卒業を機に宮崎へ  俵さんの作品にたびたび登場し、読者の間ではおなじみの一人息子は、2022年春に宮崎県立の中高一貫校を卒業。現在は東京の大学に通っている。 「息子が中学に入るまでの5年間は、石垣島に住んでいました。小学校は全校児童が13人。年齢の違う子、まったく性格の違う子とも工夫して一緒に遊ぶので、少人数だからこそ社会性が育ったという面もあるかもしれません」  大自然の中で存分に遊べる石垣島は、好奇心旺盛な小学生男子にとっても、息子を土の庭で遊ばせたい一心で東京を離れる決心をした俵さんにとっても、理想の環境だった。だが、地元の中学は、小学校よりさらに小規模になる。 「思春期の多感な年頃は、もう少し人数の多い環境で、好きなことや気の合う友だちを見つける経験をしてほしい」。  子育てのために移り住んだ石垣島を出ると決めた理由も、また子育てだった。  受験勉強を始めたのは小6の夏休み。宮崎市内に短期の賃貸マンションを借り、進学塾の夏期講習に参加した。 「中学受験をしようと決めたのは、地元の子が大半の公立中で疎外感を味わうより、全員が『初めまして』になる環境のほうがいいと考えたからです。当時の息子にとって宮崎市は大都会。そこで塾に行くこと自体に憧れがあったようで、お弁当持参で楽しそうに通っていました」  自身は県立の進学校出身で、高校教員の経験もある俵さん。志望校選びでは気になる学校の情報を全国から集め、見学にも足を運んだ。  後に息子の進学先となる学校について知ったのは、高校生の短歌大会「牧水・短歌甲子園」の審査員として宮崎県を訪れたときのことだった。息子が中学受験をすることを地元のある教員に話したところ、「宮崎にもユニークな学校がありますよ」といくつか校名を挙げてくれたうちの一つだった。 ■寮生活でたくましく成長。生きる力も身についた 「男女共学の公立中高一貫校で、全寮制。しかも山の中にあると聞いて、早速オープンスクールに申し込みました。私はいくつか見る学校の中の一つのつもりだったのですが、息子はすっかり気に入り、『絶対この学校に通いたい。だから勉強も頑張る』と言い出して。このときの彼の熱意には、正直驚きました」  実は当初、進学先の第一候補として別の学校を想定していたという俵さん。だが、一つのテーマをじっくり学ぶ「探究型学習」重視の教育方針や、寮を案内してくれた在校生のしっかりした受け答えに好印象を抱いたこと、そして何より息子本人の強い希望があったことから、迷わずその学校を第一志望に決めた。  息子の受験勉強中、俵さんがとくに意識していたのは「希望通りの結果が出なかった場合のこと」だった。 「受験がうまくいかなくて親が打ちひしがれていたら、子どもは自分のせいだと思って傷つきますよね。結果はどうあれ、頑張ったことはゼロにはならないし、お母さんと一緒に問題を解いた、難しい問題が解けて嬉しかったという経験をいい記憶のまま残すことはできるはず。もちろん不合格を前提に取り組んでいたわけではありませんが、もしうまくいかなかったらそのときこそ親の出番で、『あなたの頑張りはよく知っているよ』と言ってあげることが私の役割だと肝に銘じていました」 ■「携帯電話禁止の6年間。息子に毎日ハガキを送りました」  併願校も加えて臨んだ入試の結果は、第一志望合格。寮生活が始まると間もなく息子はホームシックになり、俵さんも寂しさを感じたが、長期休みなどで帰宅するたびに実感する息子の成長は、何よりの楽しみでもあった。同学年のルームメイトと過ごした息子の日常は「きっと、人間関係の練習問題が毎日出題されるような感じだったと思う」と俵さんは語る。 「相手を気遣いつつ自分の意見を伝える力、違ったタイプの人といい関係を築く力は鍛えられましたね。親ばかかもしれませんが、寮生活を通じて人としての器も大きくなったような気がします」  そしてもう一つ、俵さんが「今の時代になかなかできない、貴重な体験」と振り返るのが、携帯電話の持ち込みを禁止する学校と寮のルールだ。家族への連絡にも寮内の公衆電話を使うという徹底した状況だったからこそ、息子との特別な“絆”も生まれた。6年間、毎日息子宛てに送り続けたハガキだ。 「大したことは書きませんよ。ただ、君のことをお母さんは忘れていないからね、と伝えたかったんです。高3になって毎日のハガキはさすがに恥ずかしいだろうと『もうやめようか?』と聞いたら、『やめないでいいよ、友だちもみんな楽しみにしてる』と言われました(笑)」  大学入試は情報収集から志望校決定まですべて息子が行い、総合型選抜で見事合格を手にした。石垣島での生活や寮で過ごした中高時代の経験が息子の自立心を育み、それが大学入試の結果にも少なからず影響を与えたかもしれない。だが「大学合格」から逆算して、「今すべきこと」を決める方法には賛成できないと、俵さんは主張する。 「大学に入るための高校、高校に入るための中学という考え方はちょっと違うのかな、と。未来のために今があるのではなくて、今を充実させることが未来につながる。目の前にある日々を充実させることで、次の道も見えてくると私は思っています」  20年に発表し、短歌の世界で最も権威ある賞とされる迢空賞(ちょうくうしょう)を受賞した歌集『未来のサイズ』。同書には息子が寮に入って間もないころ、街で目にした小学生の姿に涙が出た日のこと、コロナ禍の一時帰宅による“期間限定”の二人暮らしの出来事が、愛とユーモアに満ちた言葉で歌われている。後書きの「歌を詠むとは、日常を丁寧に生きること」の一文に、息子との日常をそっと掬い上げ、歌に託してきた俵さんの思いを感じた。 俵 万智(たわら・まち)/1962年大阪府生まれ。早稲田大学在学中に短歌を始め、歌誌「心の花」入会。大学卒業後は国語教員として働きながら制作をつづけ、88年に『サラダ記念日』で現代歌人協会賞を受賞。2006年『プーさんの鼻』で若山牧水賞、21年『未来のサイズ』(角川書店)で迢空賞、詩歌文学館賞受賞。 ※AERAムック『偏差値だけに頼らない 中高一貫校選び2023』より (文/木下昌子)

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    東方神起・ユンホ「51歳まではアーティストをやるって、ずっと前から決めているんですよ」

     昨年12月にデビューから18周年を迎えた東方神起。今なお日韓のミュージックシーンでトップランナーとして輝き続ける。そのもととなっているのは、二人とファンの絆と高いプロ意識だ。AERA 2022年7月4日号から。 *  *  *  ファンミーティングを行うため、4月末に、2年半ぶりに来日した。  2017年末(18年1月1-8日合併号)以来、久しぶりの再会となる蜷川実花の顔を見つけたユンホは、満面の笑みで近づくと、エアーフィストバンプ。髪色を褒めたり、近況を尋ねたり、自分から距離を縮めていく。一方のチャンミンは、写真を見て「ホントかっこいい」と呟く蜷川に「撮ってくださる方がすばらしいから」と話し、「変わってないね」という言葉には「え~。嘘でしょう? お互いさまじゃないですか」と、ウィットに富んだ言葉で返す。流暢(りゅうちょう)で品のある日本語が心地いい。  撮影が始まりしばらくして、ユンホがチャンミンの肩に手を回した。チャンミンは自然に受け入れ、ユンホの腕に寄りかかる。18年で培った信頼でつながる二人の世界がそこにあった。  取材後、ユンホがいち早く準備を終えて楽屋を出てきた。大きめのTシャツにハーフパンツ、バスケットシューズというスポーティーな私服に、「若々しいですね」と声をかけると、「若いんですよ」とニコリ。マネージャーが「50歳まで『Why?[Keep Your Head Down]』をやるんだもんね」と言うと、紙パックジュースにさそうとしていたストローを思わず落とした。「Why?[Keep Your Head Down]」は、東方神起の曲の中でも、特に激しいダンスパフォーマンスを要求される曲だ。 「僕、51歳まではアーティストをやるって、ずっと前から決めているんですよ。マイケル・ジャクソンは50歳までやっていたから。でも気持ちは、57歳くらいまではやっていたい。ジャンルですか? なんでもいいです。トロット(韓国版の演歌)を挟むのもいい。だけど、必ずダンスに戻ります。そのためにも、体作りはしっかり続けていくつもりです」  東方神起という物語は続いていく。 (ライター・酒井美絵子)※AERA 2022年7月4日号

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    加藤シゲアキが振り返る「青山学院中」の合格発表 「地獄と天国をいっぺんに見た」

     中学受験を描いたドラマ「二月の勝者-絶対合格の教室-」(日本テレビ系)で塾講師役の出演も記憶に新しい、NEWSの加藤シゲアキさん。自身も中学受験を経て、私立中高一貫校から大学まで学んだ。アイドルとして、また作家としても活躍する今、中学受験と学生生活についてを振り返り、6月30日発売のAERAムック『偏差値だけに頼らない 中高一貫校選び2023』(朝日新聞出版)で語った。 * * * 「今もときどき友だちと話すんです。もし自分に子どもが生まれたら中学受験をさせる?って」  そう語る加藤シゲアキさんも、かつては中学受験生だった。 「うまくいくかどうかは別として、やってみることはいい経験になる、というのがぼくの意見。実際、中学受験は自分の力を客観視する姿勢や、知的好奇心、積極性などが身につくきっかけになったと思います」  所属するアイドルグループ「NEWS」は、来年が結成20周年。2020年に発表した小説『オルタネート』は吉川英治文学新人賞を受賞し、直木賞候補にも選出されるなど話題を集めた。今年は自身の小説を舞台化した作品で脚本を担当し、岸田國士戯曲賞の最終候補に残るなど、さらに活躍の場を広げている。 ■成績下降の苦い思い出が忙しくても勉強に向き合う習慣へとつながった  加藤さんが友だちに誘われて中学受験塾に通い始めたのは、小学5年生の終わり。やや遅めのスタートだったが、両親は加藤さんの意思を尊重してくれた。 「今思えば宿題はすごい量でしたが、もともと勉強は好きでしたし、辛さは感じませんでした。仕事を持ちながら塾の送迎や夜食作りをしてくれた母のほうが、ぼくより大変だったかもしれません」  目標から逆算してタスクを洗い出し、一つひとつこなしていくという受験勉強のプロセスは「昔から物事を論理的に考えるところがあった」という加藤さんの性格に合っていた。真面目な取り組みが功を奏し、入塾当初は下から2番目だったクラスは、いつしか上から2番目に。だがジャニーズ事務所に入所し、芸能活動を開始すると、一気に成績は下がった。 「予想はしていましたが、やはりショックでしたね。少し休んだだけでこんなに下がるということは、周りがそれだけ力をつけているということ。ぼくも受験はあきらめたくなかったので、仕事を始めたばかりではありましたが、いったん芸能活動を中断し、受験勉強に専念させてほしいと事務所に伝えました」  受験終了後の活動再開を視野に入れ、志望校は中高一貫の進学校から大学付属校に変更。加藤さんの思い切った決断を、当時の社長だったジャニー喜多川さんは応援してくれたという。  それから半年間、家庭教師をつけて臨んだ猛勉強の結果、見事、青山学院中等部に合格した。 「実はぼく、補欠で1番だったんです。合格者欄に名前がなくてがっかりしていたら、補欠者の1番上に名前があった(笑)。その場ですぐに繰り上がり合格が決まって、地獄と天国をいっぺんに見たような気分でした」 ■特別扱いはなし。友人との出会いは財産  入学後は芸能活動を再開したが、中学受験時の苦い思い出から「どんなに忙しくても、定期テストの勉強は1週間前から始める」というルールを自らに課した。 「芸能人だから成績が悪いと思われたくないというプライドもありました。だからいつもテストの点数はよかったですよ」と語る加藤さん。  出席や携帯電話持ち込みなどの特別扱いは一切なく、学校にいる間は一人の生徒としての時間を過ごすことができた。  受験勉強に縛られない中高の6年間は、趣味の読書や音楽への興味を深める時間にもなった。印象に残るのは、在校生がバンド演奏やダンスを披露する高等部恒例のイベント「ミュージックフェスティバル」。若者文化の中心地、渋谷という立地の影響もあり、当時すでにNEWSのメンバーだった加藤さんから見ても驚くような高いテクニックを持っている生徒も多かったという。  加藤さんが抱く青学生の印象は「協調性もあるけど、自立性もあってバランスがいい」。大学卒業までに得た多くの友人との出会いこそが、「青山学院で得た一番の財産」と語る。  文学賞を受賞した年には学校から招待を受け、久しぶりに中等部の校舎を訪れた。「ものすごくきれいになっていて、びっくりしましたよ! あんな素敵な校舎で学べる今の生徒たちが、うらやましいな」と笑う。 「小説を書くときに、学生時代に見た風景や思い出を設定に取り入れることはありますね。読んだ方から『青学っぽいね』って言われるのは、学校にそれだけはっきりした個性があるから。そんなところも、青山学院の魅力だと思います」 加藤シゲアキ(かとうしげあき)/1987年大阪府出身。中学受験を経て青山学院中等部・高等部・青山学院大学法学部卒。NEWSのメンバーとして活動しながら作家としても活躍、『オルタネート』(新潮社)は第42回吉川英治文学新人賞を受賞した。NEWS・29枚目のシングル「LOSER/三銃士」6月15日発売。 (木下昌子) ※AERAムック『偏差値だけに頼らない 中高一貫校選び2023』より

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    東方神起 二人の原動力と「僕たちは二人じゃない」の真意とは

     東方神起が、2年半ぶりに日本のファンの元に帰ってきた。「できるだけ多くの人と会いたい」という思いから、全6都市を回り、21もの公演を行った。日本のファンへの思い、これからの歩みについて語った。AERA 2022年7月4日号から。 *  *  * ――2020年1月に日本デビュー15周年ツアー大阪公演を行って以来、2年半ぶりに来日した。「待っていました」と言うと、二人同時に「ありがとうございます」と丁寧にお辞儀をした。 ユンホ:思ったよりも時間がかかってしまいましたね。僕は、昔からレインボーブリッジを見ると「日本に来たな」と思うのですが、今回はレインボーブリッジを見た瞬間、(両腕を上げガッツポーズをして)「日本に来たぞ~!」って叫んじゃいました。景色も相変わらずきれいで、全部が懐かしかったです。 チャンミン:人って、慣れているものを見ると安心感を覚えますよね。2年前までは当たり前に見ていた日本の風景や建物を今回久しぶりに見て、「ああ、戻ってきた」と、ホッとしたんです。日本は僕たちにとって“第二のホーム”なんだなと改めて思いましたね。 ■日本のラーメンの味 ――4月27日に入国。隔離期間を経て、リハーサルにファンイベントと、忙しく2カ月を過ごした。 チャンミン:日本に来てすぐ、ラーメンを食べました。韓国にいる時、「日本の生ビールが飲みたいな」「日本のラーメン懐かしいな」と思うことが多かったんです。スタッフの方に「ラーメンが食べたい」と言ったら、ラーメンも出前できると言うので、早速注文してもらいました。厳しく言うと、配達の間に麺がのびちゃっていたのが、ちょっと惜しかったかな(笑)。それでも、やっぱり覚えている味、そのままだったのでうれしかったです。 ユンホ:美味しかったですよ。隔離解除後に、お店に行って食べたら、もっと格段に美味しかったです。隔離期間中はYouTubeで動画を観たりして過ごしていました。僕、最近、いろんな人のルーティン動画を観るのが好きなんですよ。「会社員の一日」とかを観ています。アーティストとして生きていると、知らないことも多くて。そういう部分を埋めていく感覚です。社会勉強になります。 チャンミン:僕はゴルフのスイング動画をよく観ています。この人はどんなスイングで、どんな練習器具を持っているのかを見たりして、参考にしたり。 ユンホ:チャンミンの話で思い出しましたが、日本に来て二人でゴルフの打ちっぱなしに行ったんですよ。僕たち、来日できなかった間に、ゴルフを始めて。 チャンミン:昨年始めたばかりなんですけどね。僕が周囲の人に勧められて先に始めて。やってみたらおもしろかったので、ユンホを誘いました。考えてみたら、僕たち、共通の趣味があんまりなかったので、「一緒にできたらいいな」と思って。 ユンホ:誘われちゃいましたね(笑)。僕の友人たちでもゴルフをやっている人がいるのですが、なかなか気持ちが乗らなかったんです。だけど、チャンミンに誘われたらやらない理由はないでしょう? 「しょうがないな。やってみようかな」と思って始めてみたら、すっごく楽しくて! チャンミン:今ではどちらがよりハマっていると言えないくらい、二人ともハマっていますね。 ユンホ:そうだね。上手いのはチャンミンですけど。フォームがすごくきれいなんですよ。 チャンミン:スイング動画を観ているから。まあ、こう言っていますけど、実際は同じくらいのレベルです。 ユンホ:僕は、いつかスコア100を切りたいんですよ。チャンミンは何かある? チャンミン:僕は具体的な数字よりも、「昨日より今日の自分。日々、少しでも成長しよう」という感じです。 ユンホ:(拍手をして)それ重要だよね。仕事と同じです。 ■近い距離で思い出を ――これまでは横浜や大阪といった大都市の会場でファンクラブイベントを行ってきた。だが、今回は、6都市を回り、アリーナで21回もの公演を行う形式になった。アリーナでのファンクラブイベントを選んだのには、理由があるそうだ。 ユンホ:会えない間に僕たちが感じていた「皆さんに会いたい」という気持ちを、どうしたらうまく伝えられるのかを考えた時、まずはなるべく早い段階で、顔を見せることが何より大事なのではないかと思ったんです。まずは皆さんと近い距離でご挨拶をして、思い出を作ってから、ライブとか次を目指そうと。 チャンミン:大きな会場にファンの皆さんを集めて終わり、とはしたくなかったんですよね。今回、たくさんのファンの方と再会できたことに何より感謝しています。友達でさえ、何年も会えなかったら関係を続けるのが難しいのに、日本のファンの方々は変わらず、無条件の愛を与えてくれて、応援してくれているじゃないですか。それは「愛」そのものですし、僕たちは恵まれているなと思いました。 ユンホ:イベントでは、以前のように声を出して応援することもできなくて、もどかしい気持ちにもなったと思うんです。でも、マスクをしていても皆さんの表情はちゃんと見えましたし、歓声をあげなくても、みなさんの感情はストレートに伝わってきた。最後の挨拶で僕たちが会場を回った時にも、黙ったまま目に感情を込めて、手を振ってくださるんです。皆さんが作り出す空気がすごく心地よくて、「東方神起のステージは温かいな」と改めて感じました。こういう経験はあまりできないので、特別な気持ちになりましたね。 ――デビューから18年。長い間、仕事に対するモチベーションを保ち続けるのは簡単なことではない。だが、フィジカルもパフォーマンスも進化している姿を見ると、いまだステージに対する情熱の種はふつふつと燃えているように見える。 ■その喜びがあるから ユンホ:僕は自分が好きなことを仕事にしているじゃないですか。そういう人って、実はなかなかいないと思うんです。感謝しながら仕事をしなければいけないと思いますし、さらに、僕たちはたくさんの人の愛を受けて、たくさんの人に支えてもらっている。そういう僕たちの周りにいる人たちへの責任感がどんどん強くなって、原動力になっているのではないかと思います。“東方神起”は、二人じゃないんです。もちろんプレーヤーとしては、僕とチャンミンの二人なんだけれども、ファンの皆さんやスタッフ、みんなが“東方神起”であり、みんなで東方神起を作っている。そういうことを、年を取るにつれてもっと強く感じるようになりました。正直、たまには落ち込んだり、休みたくなったりする時もあります。僕も人間だから。でも、ステージの上から、ファンの皆さんの笑顔を見ると、底知れない力が生まれてくる。そんな経験ができる人って、少ないじゃないですか。その喜びがあるからこの仕事を続けていくことができているんだと思います。 チャンミン:新人の時は「売れたい」「成功したい」という気持ちでやっていたとすれば、今は、ユンホの言うとおり、僕たち二人を見守ってくださり、応援してくださり、サポートしてくださっているファンの皆さんやスタッフ、みんなと一緒に生きるためにやっている。みんなで“東方神起”を動かしている。そんな感覚のような気がします。 ――自分たちの欲だけでは、ここまで来られなかった? チャンミン:そうですね。絶対に。 ■現状維持と挑戦が大切 ――では、今の東方神起にとって必要なことはなんだろうか。 チャンミン:挑戦と維持。両方、大切だと思います。これだけ長く活動をしていると、アーティストとして、したことがないことを探すのは簡単じゃないんです。それでも新しいことに挑戦し続けるのは、アーティストとしての生命力につながると思うので、挑戦する気持ちは持ち続けていたいです。体力やパフォーマンスの質を維持することももちろん重要ですよね。体力的には落ちていくものかもしれないですが、「昔の方が良かったね」と評価されるのはプライドもあるし悔しいので、限界までやるぞという気概はあります。 ユンホ:(うんうん、と頷いて)新しい面を見せるという意識は常に持っていないといけないと思います。だからといって、ガツガツしたくはないかな。自然な流れで、いろいろな経験ができたらいいな、というのはあります。 ――今年、ユンホは36歳、チャンミンは34歳。アーティストとしてはもちろん、一人の人間としても脂の乗った時期に入った。東方神起として、一人の人間として、思い描く未来とは。 ■いろいろな経験したい ユンホ:僕は「チョン・ユンホ」と東方神起の「ユンホ」の人生は違うと思っているんです。東方神起のユンホとしては、これまで頑張ってきた年月よりも、もっと長い時間を皆さんとつながっていたいです。東方神起にとって一番大切なことは、「長く続けること」だと思っているんです。僕ね。夢があるんですよ。ファンの方々が結婚して、子どもができて、その子と一緒に東方神起のライブに来る。僕たちのライブが、テーマパークのような存在になったらうれしいなって。無理せず、自然な感じで、穏やかに続けていきたいですね。「チョン・ユンホ」としての人生は……。正直、よくわからないです。迷っているのではなくて、僕にとって「チョン・ユンホ」の人生は、デビューする前の高校生の時で止まっていて、それをどうまた動かせばいいのか、よくわからないというか。もともと今も一生懸命生きているし、このままでいいんじゃない?と思ったりして。とりあえず、一日一日、進んでいくしかないのかなって。 チャンミン:僕は、アーティストとしての僕、一人の男としての僕、一人の人間としての僕という境界線をわざわざ引かないで、仕事とプライベートのバランスをよく取りながら生きていきたいという思いがあります。若い頃からアーティストの仕事をしてきたので、僕だけの時間だったり、家族との時間だったりを十分に取れなかったこともあるんですよね。これからは、そういう部分も充実させていきたいですね。いろいろな経験をして勉強をして、バランスのいい人になりたいです。 (ライター・酒井美絵子)※AERA 2022年7月4日号

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    岩田剛典、中学受験で慶應普通部へ 「15×7は? はい2秒!」家でも勉強漬けだった小学生時代

     EXILE /三代目 J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBEのパフォーマーとして、また俳優としても活躍中の岩田剛典さん。小学生時代に猛勉強を経て慶應義塾普通部に合格した経験は、いまにつながる素地になったといいます。好評発売中の子育て情報誌『AERA with Kids 2022夏号』で、中学受験の思い出を聞きました。 *  *  * 生き物に触れるのが大好きだった少年時代  小学生時代の思い出は本当に勉強しかないんです。自分でもかわいそうって思うくらい(笑)。  祖父も父も慶應出身で、小さいころから親に「慶應に入りなさい」と言われ続けて、中学受験まで勉強一筋でした。  ただ低学年までは自由にさせてもらっていました。生き物に触れるのが好きで、虫捕りに行って昆虫標本を作ったり、川に行って魚やザリガニを持って帰ってきては、うまく育てられなくて死なせてしまってヘコんだり。カメも飼っていました。実家は緑のなかにあって自然に囲まれていて、ヘビもタヌキも出るし、タケノコも生えていました。子どもにはいい環境だったと思います。3歳上の兄はあまり虫が好きじゃなかったけど、僕は木の幹にハチミツを塗って朝方カブトムシを捕りに行くような少年でした。  高学年になると、塾が生活の一番のプライオリティーになりました。毎週、毎月のテストの順位がバーッと貼り出されるんです。その順位に一喜一憂し、一緒のクラスだった子がどんどんレベルの高いクラスにあがっていくことに焦ったり、不安にかられたりもしました。「なんでこんなにつらいことをやらなきゃならないのか?」と塾の先生や親に訴えたこともあります。  それでも挫折せずに勉強したのは「褒めてもらうのがうれしかった」のと「負けず嫌いだった」から。スポーツでもなんでもいいから、与えられたことでがんばり、それで評価され認めてもらうことに喜びを感じていたんだと思います。当時は塾で忙しくてスポーツはあまりやらせてもらえなかったから、そのぶん勉強をしていたんです。  科目は算数と理科が得意でした。ただ自分のなかで論理的に納得できない問題には苦戦することも多かった。それだとテストでは時間切れで通用しません。克服するためには知識として暗記するのが一番だと、暗記を徹底しました。  暗記法はメモに書いて読む、声に出して言う、の繰り返しです。瞬発力も鍛えるため、九九も「9×9」までではなく、その先のかけ算も2秒以内に答える訓練をしていました。家でも親にいきなり問題を振られることもありました。食事中にいきなり「15×7は? はい2秒!」などの質問が飛んでくる(笑)。  つらい勉強のモチベーションになっていたのは、家庭教師の先生の存在でした。男の先生で勉強の合間にいろんなところに連れていってもらいました。「次のテストで100点とったら、釣りに連れていってあげる」「山に珍しい虫を捕りに行こう」。そんなことがうれしくて、がんばれるんですよね。 (取材・文/中村千晶) ※『AERA with Kids 2022年夏号』から一部抜粋  〇岩田剛典(いわた・たかのり)/愛知県出身。慶應義塾普通部、高等部を経て、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業。2010年に三代目 J SOUL BROTHERSfrom EXILE TRIBEのメンバーとしてデビュー。主な映画出演作に「去年の冬、きみと別れ」(18年)、「新解釈・三國志」(20年)、「名も無き世界のエンドロール」(21年)、「ウェディング・ハイ」「死刑にいたる病」(22年)。 ◎映画『バスカヴィル家の犬』/世界的探偵小説『シャーロック・ホームズ』を原案としたテレビドラマ「シャーロック」の映画化。孤島で起こった資産家の変死事件を追う犯罪捜査コンサルタント・誉獅子雄(ディーン・フジオカ)と助手・若宮潤一(岩田剛典)を待ち受ける最大の謎とは――?!全国で公開中。

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    山田涼介「僕らとファンが付き合って15年」 Hey! Say! JUMPや役者としての覚悟を語る

     自身のすべてを懸け、国民的漫画のヒーローをまっとうした。2017年公開の実写映画「鋼の錬金術師」、そして完結編となる2部作「復讐者スカー」と「最後の錬成」で主人公のエドワード・エルリックを演じた山田涼介(Hey! Say! JUMP)。役者としての痛みと覚悟を吐露する言葉は、不屈の魂を持つエドのセリフと自然とリンクして──。 *  *  * ──前作から4年経って挑んだ「完結編」です。  僕も監督も日本のVFXの技術も、みんながレベルを上げてきた4年間だったので、前回とはまた違ったものができたかなと思っています。  でもエドを演じるのは4年経っても大変でした。(アニメ版でエドの声優を務めた)朴ろ美(ぱくろみ)さんとも前に話したんですけど、この役の難しさって正直誰にもわからないと思うんです。エドって魂の熱量が人より高いというか、生きるうえでの消費カロリーがえぐいっていうか。普通、毎日全力で生きてたら「しんどーい」ってなるはずなのに、それがない人。ちょっと特殊ですよね。 ──作中での山田さんの鍛え上げられた肉体も話題になりましたね。  いやー、肉体改造は本当にしんどかった。体を鍛えるのが好きな人だったら知らない人はいないくらいの、世界でも活躍している怪物みたいな体をしたトレーナーさんに教わりました。  背筋や腰まわりの筋肉を鍛えるために床に置いたバーベルを上げる“デッドリフト”っていうトレーニングがあるんですけど、まだ体重が50キロぐらいだった初日、いきなり「100キロいこう」って言われました。最初はやっぱり上がんなくて。そしたら「あきらめちゃうの?」「そんなんだったらもう俺、教えないよ?」って(笑)。  普段は超優しいんだけど、「そうやって追い込まないと人間やらないから。みんなできるのに自分で制御しちゃうんだ」って言うんです。だから「やるよ」って言って、一発だけ上げました。  半年間ずっとその調子でしたよ。しかもドラマの撮影中だったので、深夜2時にジムに行って2時間ぐらいトレーニングして、家に帰ってセリフを覚えてから1時間くらい寝て、そのまま撮影行って……みたいな生活で。マジで地獄。表ではハガレンやってますって言えないから、それもすごくストレスでした。なぜか体がデカくなっていく山田、みたいになってて。 ■僕らとファンが付き合って15年 ──Hey! Say! JUMPのみなさんにもツッコまれましたか?  あ、メンバーは知ってるので。(昨年秋公開の映画)「燃えよ剣」で沖田(総司)を演じたときもすごい労ってくれました。やっぱり、ねえ。ロケ地の京都から東京に戻ってきたらガリガリで「話しかけないで……」みたいになってるから、みんな「え?」って。今回も体がどんどんどんどんデカくなるから、「死ぬぞお前」って言われました。でもやらなきゃいけないから。 「復讐者スカー」が公開されると、高木(雄也)が映画館に見に行ってくれたみたいで、ポスターとチケットを持った写真を送ってきて。「めっちゃ面白かった。めっちゃ進化してたね」って言ってくれました。 ──一度だけ錬金術を使えたら何を錬成する?  ゲーム部屋に飾るネオン管が欲しいです。かわいいっすよ、あれ。でも錬金術の何が難しいって、等価交換なんですよ。差し出すものが割と難しくて。うーんと、なんですかね。まあお金ですね。ただのBuy(笑)。 ──舞台挨拶で舘ひろしさんに「仕事を投げ出したくなったときはないですか?」と質問されていましたが、今まで辞めたいと思ったことは?  僕自身はお芝居をすることがすごく好きなので、それはないです。自分の力不足を感じることや悔しい思いをすることはたくさんあるけど、エンターテインメントってそういうものだよねって思っているし。苦しくて悔しくて当たり前。それこそ等価交換じゃないけど、何かを差し出して何かを失う覚悟を持たないと得られないものがある。昔からそういう覚悟のもと、この仕事をしています。  やっぱり映画にしてもドラマにしても、そのときその一瞬の自分のすべてを出しきって、みんなで一つのものを作り上げるのが僕ら演者の役割だと思うので、ただただそれをまっとうするだけというか。第一線を張っている方たちは、たぶんみんなそうなんじゃないですか?  山田涼介の中にはアイドルの顔も、役者の顔も、バラエティーの顔も、ゲーマーの顔もありますけど、役者としての自分にNGはないです。枠の中でしか立ち回れなくなってしまうのが嫌だし、いろんな自分を見たいし見てほしいというか。何にでもなれる存在でいたいです。 ──共演者の蓮佛(れんぶつ)美沙子さんは山田さんに「おすすめの美顔器ない?」と聞かれたと明かしていますが、美しさを保つために努力していることは? (11日に最終回を迎えた主演ドラマ)「俺の可愛いはもうすぐ消費期限!?」で一緒だった(なにわ男子の)大橋(和也)くんがすごい美容男子で、迫田(さこだ、孝也)さんと一緒に勉強させてもらったんですよ。なんでそれ公言しないの?って思うぐらい、半端じゃない知識量で。  それまで化粧水と乳液しかしてなかったんですけど、29歳だし、いろいろやらなきゃいけないんだなって反省しました。ただ、今はクランクアップしてすぐだからやろうかなって考えてるけど、次がワイルドな役とかだったらたぶん興味なくなると思います(笑)。 ──11月、Hey! Say! JUMPが15周年を迎えますね。  僕は「先見てもしゃーないし、振り返ってもしゃーないし」って今を生きるタイプなので、周年なんていうものは通過点だと思ってます。  それに、自分たちで祝うものではない。そうじゃなくて、僕らを応援し続けてくれたファンの人のための周年だと思ってて。付き合って15年みたいな感じ。15年ついてきてくれたお礼に僕らも何かしてあげたいよねっていう。プレゼントされたらプレゼントを返すじゃないですか。その感覚です。ちゃんと恩返しができる場とか時間を作ろうってみんなで考えてます。 (構成 本誌・大谷百合絵)※週刊朝日  2022年7月1日号

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