都電時代の「最も短い区間」はどこ? 70年前傷みながらも戦後東京を支えた木造車両

  • 終戦から5年を経た26系統今井橋の終点風景。板張りの窓ガラスや半壊したストライカーをまとった木造都電からは、戦中・戦後の酷使が連想できる(撮影/江本廣一・所蔵/筆者:1950年12月16日)

    終戦から5年を経た26系統今井橋の終点風景。板張りの窓ガラスや半壊したストライカーをまとった木造都電からは、戦中・戦後の酷使が連想できる(撮影/江本廣一・所蔵/筆者:1950年12月16日)

  • 定点観測のポイントとなった緑色の日除けがある「宇田川薬局」の建物を背景に入れ、70年前の今井橋風景をイメージして撮影。画面上空の高架橋は新大橋通り。(撮影/諸河久:2020年10月2日)

    定点観測のポイントとなった緑色の日除けがある「宇田川薬局」の建物を背景に入れ、70年前の今井橋風景をイメージして撮影。画面上空の高架橋は新大橋通り。(撮影/諸河久:2020年10月2日)

  • トロバス開業工事で折返し地点が変更された今井橋停留所の一コマ。廃止まで二か月を切っていたが、老朽化した設備の発展的解消を目前にする乗務員の表情は明るい。右の軍手姿が運転士で、左の車掌はショルダーバックを携行している。(撮影/宮松金次郎:1952年3月30日)

    トロバス開業工事で折返し地点が変更された今井橋停留所の一コマ。廃止まで二か月を切っていたが、老朽化した設備の発展的解消を目前にする乗務員の表情は明るい。右の軍手姿が運転士で、左の車掌はショルダーバックを携行している。(撮影/宮松金次郎:1952年3月30日)

  • 長閑な用水堀を渡る26系統今井橋行きの都電。背景の今井街道にはトロリーバス用の架線柱が建植され、26系統一之江線の終焉が迫っていた。筆者は画面と平面図を照合して、この用水を中井堀と推察した。一之江~瑞江(撮影/宮松金次郎:1952年3月30日)

    長閑な用水堀を渡る26系統今井橋行きの都電。背景の今井街道にはトロリーバス用の架線柱が建植され、26系統一之江線の終焉が迫っていた。筆者は画面と平面図を照合して、この用水を中井堀と推察した。一之江~瑞江(撮影/宮松金次郎:1952年3月30日)

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終戦から5年を経た26系統今井橋の終点風景。板張りの窓ガラスや半壊したストライカーをまとった木造都電からは、戦中・戦後の酷使が連想できる(撮影/江本廣一・所蔵/筆者:1950年12月16日)
定点観測のポイントとなった緑色の日除けがある「宇田川薬局」の建物を背景に入れ、70年前の今井橋風景をイメージして撮影。画面上空の高架橋は新大橋通り。(撮影/諸河久:2020年10月2日)
トロバス開業工事で折返し地点が変更された今井橋停留所の一コマ。廃止まで二か月を切っていたが、老朽化した設備の発展的解消を目前にする乗務員の表情は明るい。右の軍手姿が運転士で、左の車掌はショルダーバックを携行している。(撮影/宮松金次郎:1952年3月30日)
長閑な用水堀を渡る26系統今井橋行きの都電。背景の今井街道にはトロリーバス用の架線柱が建植され、26系統一之江線の終焉が迫っていた。筆者は画面と平面図を照合して、この用水を中井堀と推察した。一之江~瑞江(撮影/宮松金次郎:1952年3月30日)
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