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貝谷八百子を描いた1957年3月17日号用の原画 一宮市三岸節子記念美術館蔵 (c)MIGISHI
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東京・鷺宮にあった三岸のアトリエで絵の出来栄えに満足そうな貝谷(右)と三岸。「いつのまにか、キャンバスの上に私がうつしとられていたのです」と貝谷は当時語っている 写真提供=三岸太郎
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谷桃子の肖像画の習作。個人蔵 (c)MIGISHI「人物をもっとも不得手としながら、ついにフテイにも描く側になりました」と三岸は書いている
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1956年1月8日号の表紙となっている谷の肖像画の原画は行方不明。この絵についてご存じの方は週刊朝日編集部までご一報を
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1958年3月、三岸のアトリエで絵を見つめる浜村美智子(右)。アトリエには三岸が好んで描いた花の絵が並ぶ 写真=朝日新聞社
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浜村はモデルになったことについて「先生には初めてお会いするのですが、何かとても親しみ易いおば様という感じで、私のようなぶっきらぼうには好都合でした」と語っている。さらに「私の個性をよくつかんで下さっているので、とてもうれしく思いました」と満足げであった 一宮市三岸節子記念美術館蔵 (c)MIGISHI
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1958年3月16日号の週刊朝日の表紙。浜村について三岸は「まだ可愛らしい。少女期の面影さえただよわせている」と評している
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