AERA「U25」

  • 故郷の海に背中を押されて
プロサーファー
高橋みなと
1993年8月9日生まれ

「世界を舞台に戦い続けたい。わたしの活躍が故郷・仙台の励みになると思うから」
 そう意気込むプロサーファーの高橋みなとは、国内のジュニア大会で何度も入賞を果たし、世界大会にも出場する若手のホープだ。
 仙台新港の海で、小3から波に乗る。自然が相手だからこその「完成形のない楽しさ」がたまらない。小6で初めて大会に出場し、4位に入賞。その大会で見たプロのライドに憧れた。
 高校は地元の聖和学園高校に進んだが、入学式は欠席した。南米エクアドルで開催された18歳以下の世界大会に出場するためだったが、「入学式は休むし、日焼けしたガングロ金髪だし、クラスメートからは最初、めっちゃ引かれました」
 慣れ親しんだ宮城の海を大津波が襲ったのは、高3への進級を間近にひかえた3月11日。毎日、海に入っていた高橋は、何となく異変を感じていた。
「1週間前から不思議なほど波が立たなくて。当日はなぜか気分が乗らず、海に行かなかった」
写真:東川哲也 ライター:小野美由紀

    故郷の海に背中を押されて プロサーファー
    高橋みなと
    1993年8月9日生まれ

    「世界を舞台に戦い続けたい。わたしの活躍が故郷・仙台の励みになると思うから」
     そう意気込むプロサーファーの高橋みなとは、国内のジュニア大会で何度も入賞を果たし、世界大会にも出場する若手のホープだ。
     仙台新港の海で、小3から波に乗る。自然が相手だからこその「完成形のない楽しさ」がたまらない。小6で初めて大会に出場し、4位に入賞。その大会で見たプロのライドに憧れた。
     高校は地元の聖和学園高校に進んだが、入学式は欠席した。南米エクアドルで開催された18歳以下の世界大会に出場するためだったが、「入学式は休むし、日焼けしたガングロ金髪だし、クラスメートからは最初、めっちゃ引かれました」
     慣れ親しんだ宮城の海を大津波が襲ったのは、高3への進級を間近にひかえた3月11日。毎日、海に入っていた高橋は、何となく異変を感じていた。
    「1週間前から不思議なほど波が立たなくて。当日はなぜか気分が乗らず、海に行かなかった」 写真:東川哲也 ライター:小野美由紀

  • ヒトの内面を「鏡」で操る
東京大学大学院学際情報学府博士課程
吉田成朗
1989年3月4日生まれ

 私たちはなぜ泣くのか。フツーは「悲しいから」と答えるだろう。しかし、認知科学では、これを正解とは結論づけない。東京大学大学院学際情報学府の博士課程で研究する吉田成朗(しげお)は、こう答えるのだ。
「ヒトの感情から行動に至る経路は一方通行ではなく、逆パターンもあり得るのではないか」
 つまり、泣くから悲しくなるということも、あり得るのではないか。仮説を実証するため、吉田はある鏡をつくり、2013年度のグッドデザイン賞、東大総長賞を受賞した。その名も「扇情的な鏡」。
写真:時津剛 ライター:岡本俊浩

    ヒトの内面を「鏡」で操る 東京大学大学院学際情報学府博士課程
    吉田成朗
    1989年3月4日生まれ

     私たちはなぜ泣くのか。フツーは「悲しいから」と答えるだろう。しかし、認知科学では、これを正解とは結論づけない。東京大学大学院学際情報学府の博士課程で研究する吉田成朗(しげお)は、こう答えるのだ。
    「ヒトの感情から行動に至る経路は一方通行ではなく、逆パターンもあり得るのではないか」
     つまり、泣くから悲しくなるということも、あり得るのではないか。仮説を実証するため、吉田はある鏡をつくり、2013年度のグッドデザイン賞、東大総長賞を受賞した。その名も「扇情的な鏡」。 写真:時津剛 ライター:岡本俊浩

  • 電子の音色に宇宙を感じて
シンガー・ソングライター
モデル
Maika Leboutet
1989年10月23日生まれ

 宇宙を感じさせる不思議な旋律と、言葉で遊ぶような歌詞。マイカ・ルブテの曲には、思わず空を見上げたくなる

    電子の音色に宇宙を感じて シンガー・ソングライター
    モデル
    Maika Leboutet
    1989年10月23日生まれ

     宇宙を感じさせる不思議な旋律と、言葉で遊ぶような歌詞。マイカ・ルブテの曲には、思わず空を見上げたくなる"浄化作用"がある。
     電子楽器を駆使したサウンドと、透き通った歌声が聴く人を魅了する。愛用するのは、電子楽器「TENORI-ON(テノリオン)」。16×16個の光るLEDボタンが並ぶその楽器には、思いもよらない“音との出合い”がある。ビンテージ・シンセサイザーや古いトイピアノなども操り、デジタルとアナログの間を行ったり来たりしながら演奏する。
     2009年、シンヤ・サイトウとユニット「EA」を結成。都内を中心にライブ活動し、13年には東北最大級の野外音楽イベント「アラバキ(荒吐)ロックフェスティバル」にも参加した。人気ファッションブランドのコレクションムービーの音楽を手がけ、原発の歴史を描いた電子絵本『ひかりのりゅうとぼくのくに』では、音楽とナレーションを担当。モデルとしても活躍するなど、さまざまな方面で芽を出しつつある。
     フランス人の父と、日本人の母を持つ。日本、フランス、香港を転々としながら育った。意志の強そうな顔立ちとは裏腹に、性格はどちらかといえば内向的で、言葉や文化の壁が怖かった。周囲となじめず、孤独を感じることも。そんなとき、救いとなったのが楽器演奏。言葉の違いを超えて通じ合えた。 写真:東川哲也 ライター:小野美由紀

  • 車いす目線でバリアを価値に
ミライロ代表取締役社長
垣内俊哉
1989年4月14日生まれ

 スマホに入れたアプリで45歳までの日数をカウントダウンしている。病状が重くなるかもしれないと医師に宣告された年齢まで、あと約7300日。ベンチャー企業「ミライロ」(大阪市)の社長、垣内俊哉はいま、自分のためでなく、社会のために時間を費やしている。
 自治体や企業、大学に、体の不自由な人が暮らしやすい建築や製品デザインをアドバイスする。車いすには幼稚園の頃から乗っている。骨が弱くて折れやすい難病を患っているためだ。
「経営者向きの“チキンな性格”になったのは、車いす生活のおかげかも。小学校の遠足でも、入れるトイレはあるのか、降りる駅の改札に最も近い車両はどこかと、心配事ばかり。用意周到に備えるクセが、いまは仕事に生きている」
 立命館大学の経営学部卒。2年生のとき、全国の大学のバリアフリー箇所のマップ制作や情報発信をする事業を考えた。ビジネスコンテストで獲得した賞金を元手に同級生と起業。社名には、誰もが「未来の色」を描き、「未来の路(みち)」をつくるという思いを込める。
写真:時津剛 ライター:小野美由紀

    車いす目線でバリアを価値に ミライロ代表取締役社長
    垣内俊哉
    1989年4月14日生まれ

     スマホに入れたアプリで45歳までの日数をカウントダウンしている。病状が重くなるかもしれないと医師に宣告された年齢まで、あと約7300日。ベンチャー企業「ミライロ」(大阪市)の社長、垣内俊哉はいま、自分のためでなく、社会のために時間を費やしている。
     自治体や企業、大学に、体の不自由な人が暮らしやすい建築や製品デザインをアドバイスする。車いすには幼稚園の頃から乗っている。骨が弱くて折れやすい難病を患っているためだ。
    「経営者向きの“チキンな性格”になったのは、車いす生活のおかげかも。小学校の遠足でも、入れるトイレはあるのか、降りる駅の改札に最も近い車両はどこかと、心配事ばかり。用意周到に備えるクセが、いまは仕事に生きている」
     立命館大学の経営学部卒。2年生のとき、全国の大学のバリアフリー箇所のマップ制作や情報発信をする事業を考えた。ビジネスコンテストで獲得した賞金を元手に同級生と起業。社名には、誰もが「未来の色」を描き、「未来の路(みち)」をつくるという思いを込める。 写真:時津剛 ライター:小野美由紀

  • 未踏の空白地帯はニホンオオカミ
早稲田大学探検部、同大人間科学部1年
和田愛也子
1994年11月17日生まれ

 100年余り前、奈良県で捕獲されたのを最後に、ニホンオオカミは姿を消す。だれもが絶滅を信じて疑わないが、そんな幻の獣を早稲田大学探検部の和田愛也子(あやこ)が追っている。
 栃木県出身。大学まで探検はもちろん、登山などの経験もなかったが、部の説明会で幹事長の「アマゾンで世界最大の大蛇をつかまえる」という熱い語りを聞き、興味をそそられた。ニホンオオカミを探索すると知り、入部を決めた。
 早大探検部といえば、直木賞作家の船戸与一、ノンフィクション作家の高野秀行、角幡唯介(かくはたゆうすけ)らが輩出した名門。アマゾン川や、直近ではインドネシアの鍾乳洞など、数多く海外遠征を重ね、探検してきた歴史は、部のプライドだ。ニホンオオカミの探索は、探検部OBから一昨年、打診があった。部にとっては異色の試みで、15人ほどの部員の中から、和田ら3人が捜索隊に参加する。
写真:東川哲也 ライター:岡本俊浩
協力(背景のニホンオオカミ):和歌山大学教育学部

    未踏の空白地帯はニホンオオカミ 早稲田大学探検部、同大人間科学部1年
    和田愛也子
    1994年11月17日生まれ

     100年余り前、奈良県で捕獲されたのを最後に、ニホンオオカミは姿を消す。だれもが絶滅を信じて疑わないが、そんな幻の獣を早稲田大学探検部の和田愛也子(あやこ)が追っている。
     栃木県出身。大学まで探検はもちろん、登山などの経験もなかったが、部の説明会で幹事長の「アマゾンで世界最大の大蛇をつかまえる」という熱い語りを聞き、興味をそそられた。ニホンオオカミを探索すると知り、入部を決めた。
     早大探検部といえば、直木賞作家の船戸与一、ノンフィクション作家の高野秀行、角幡唯介(かくはたゆうすけ)らが輩出した名門。アマゾン川や、直近ではインドネシアの鍾乳洞など、数多く海外遠征を重ね、探検してきた歴史は、部のプライドだ。ニホンオオカミの探索は、探検部OBから一昨年、打診があった。部にとっては異色の試みで、15人ほどの部員の中から、和田ら3人が捜索隊に参加する。 写真:東川哲也 ライター:岡本俊浩
    協力(背景のニホンオオカミ):和歌山大学教育学部

  • プロレス界の新星 ザ・フューチャー
プロレスラー、学生
竹下幸之介
1995年5月29日生まれ

 高校の卒業式を翌々日に控えた夜、18歳の竹下幸之介は、東京の新宿・歌舞伎町でプロレス会場のリングにいた。場外乱闘で首根っこをつかまれ、パイプ椅子に突っ込む。リングでは、コーナーポストに登ってドロップキック。身長187センチ、体重90キロの体が宙を飛び、急角度で相手の胸板をえぐる。
 恵まれた肉体は、陸上の混成競技で磨いた。中学3年ではジュニア五輪の4種競技で全国3位、高校時代も将来の五輪候補と目された。
「走る、跳ぶ、投げる。混成競技はプロレスのトレーニングとして理想形だった」(竹下)
 大阪市出身。プロレスラーをめざすきっかけは、父親の冗談だった。幼稚園に入園する前のことだ。
「アントニオ猪木は、仮面ライダーにやったら勝てるんちゃうか。身長はだいたい同じやし」
 この世界には、大好きな特撮ヒーローより強い人間がいる──。体に電流が走った。以来、プロレスの虜(とりこ)になり、小学5年で「プロレスラーになる」と宣言した。
写真:東川哲也 ライター:岡本俊浩

    プロレス界の新星 ザ・フューチャー プロレスラー、学生
    竹下幸之介
    1995年5月29日生まれ

     高校の卒業式を翌々日に控えた夜、18歳の竹下幸之介は、東京の新宿・歌舞伎町でプロレス会場のリングにいた。場外乱闘で首根っこをつかまれ、パイプ椅子に突っ込む。リングでは、コーナーポストに登ってドロップキック。身長187センチ、体重90キロの体が宙を飛び、急角度で相手の胸板をえぐる。
     恵まれた肉体は、陸上の混成競技で磨いた。中学3年ではジュニア五輪の4種競技で全国3位、高校時代も将来の五輪候補と目された。
    「走る、跳ぶ、投げる。混成競技はプロレスのトレーニングとして理想形だった」(竹下)
     大阪市出身。プロレスラーをめざすきっかけは、父親の冗談だった。幼稚園に入園する前のことだ。
    「アントニオ猪木は、仮面ライダーにやったら勝てるんちゃうか。身長はだいたい同じやし」
     この世界には、大好きな特撮ヒーローより強い人間がいる──。体に電流が走った。以来、プロレスの虜(とりこ)になり、小学5年で「プロレスラーになる」と宣言した。 写真:東川哲也 ライター:岡本俊浩

  • 時代が欲するささやく歌声
シンガー
南波志帆
1993年6月14日生まれ

「自分の声が実は好きではなかった」
 透明感のあるソフトな歌声が、ずっとコンプレックスだった。安室奈美恵や中島美嘉といった「歌姫」は、憂いのある声で情熱的に熱唱する。そんな歌声がもてはやされていた時代、自分の高くてか細い声を思うとき、歌姫たちとの距離の大きさを感じずにはいられなかった。しかし、あれから10年……。時代は今、ささやくように歌うJポップシンガー、南波志帆を欲している。
 2012年発表のサードシングル「少女、ふたたび」は、深夜ドラマの主題歌に起用され、話題を集めた。
「ひとりがいい/ひとりはやだ/わたしはどっちでいたい?/心、読みたい?/読みたくない?/『こころ』は読んだことない」
 10代の女の子の揺れ動く心を歌い、

    時代が欲するささやく歌声 シンガー
    南波志帆
    1993年6月14日生まれ

    「自分の声が実は好きではなかった」
     透明感のあるソフトな歌声が、ずっとコンプレックスだった。安室奈美恵や中島美嘉といった「歌姫」は、憂いのある声で情熱的に熱唱する。そんな歌声がもてはやされていた時代、自分の高くてか細い声を思うとき、歌姫たちとの距離の大きさを感じずにはいられなかった。しかし、あれから10年……。時代は今、ささやくように歌うJポップシンガー、南波志帆を欲している。
     2012年発表のサードシングル「少女、ふたたび」は、深夜ドラマの主題歌に起用され、話題を集めた。
    「ひとりがいい/ひとりはやだ/わたしはどっちでいたい?/心、読みたい?/読みたくない?/『こころ』は読んだことない」
     10代の女の子の揺れ動く心を歌い、"癒やし"を感じさせる声は、可憐(かれん)なビジュアルとも相まって、どこか時代の空気を映し出す。その個性的な声をいかし、アニメ「カルルとふしぎな塔」や「アマールカ」で声優に挑戦。NHKのワンセグ番組「ワンセグ☆ふぁんみ」には、司会者としてレギュラー出演するなど、活躍の場を広げている。 写真:時津剛 ライター:小野美由紀

  • 人々の幸せ願い“蝶”は飛ぶ
デジタルクリエーター
Tehu
1995年8月16日生まれ

「てふてふが一匹韃靼(だったん)海峡を渡つて行つた」
 安西冬衛の一行詩を、中学1年の授業で聞いた。同級生が彼に「てふ」とニックネームをつけた。本名は張惺(ちょうさとる)。張は「蝶」になり、「Tehu」を名乗ろうと決めた。
 2月6日に灘高校を卒業したが、その名は中学時代から轟(とどろ)く。iPhone用の無料アプリ「健康計算機」をつくり、世界3位のダウンロード数を記録。福島第一原発事故直後にはアプリ「放射能計算機」を開発した。彼を一躍有名にしたのは、2010年に始めたウェブ上の生番組だろう。アップル共同創業者、スティーブ・ジョブズの新製品発表を同時通訳し、わかりやすい解説付きで放映した。以後、講演や企画の依頼が引きも切らず、今や次世代のリーダー的存在だ。
 中国人の両親は、もとは天津の歌劇団のオペラ歌手だった。しかし、伝統芸能の先行きを案じた父は、1989年に夫婦で来日。神戸市にある中国系インターナショナルスクールの教員になった。そんな両親のもとに生まれたTehuは、2歳から父のパソコンで遊んだ。3歳からピアノを習い、公文式の教室で英語と算数を学び、小学校は父のいる学校へ進んだ。
写真:時津剛 ライター:西元まり

    人々の幸せ願い“蝶”は飛ぶ デジタルクリエーター
    Tehu
    1995年8月16日生まれ

    「てふてふが一匹韃靼(だったん)海峡を渡つて行つた」
     安西冬衛の一行詩を、中学1年の授業で聞いた。同級生が彼に「てふ」とニックネームをつけた。本名は張惺(ちょうさとる)。張は「蝶」になり、「Tehu」を名乗ろうと決めた。
     2月6日に灘高校を卒業したが、その名は中学時代から轟(とどろ)く。iPhone用の無料アプリ「健康計算機」をつくり、世界3位のダウンロード数を記録。福島第一原発事故直後にはアプリ「放射能計算機」を開発した。彼を一躍有名にしたのは、2010年に始めたウェブ上の生番組だろう。アップル共同創業者、スティーブ・ジョブズの新製品発表を同時通訳し、わかりやすい解説付きで放映した。以後、講演や企画の依頼が引きも切らず、今や次世代のリーダー的存在だ。
     中国人の両親は、もとは天津の歌劇団のオペラ歌手だった。しかし、伝統芸能の先行きを案じた父は、1989年に夫婦で来日。神戸市にある中国系インターナショナルスクールの教員になった。そんな両親のもとに生まれたTehuは、2歳から父のパソコンで遊んだ。3歳からピアノを習い、公文式の教室で英語と算数を学び、小学校は父のいる学校へ進んだ。 写真:時津剛 ライター:西元まり

  • 何万回と転んで見える未到の景色
BMXライダー
池田貴広
1990年5月17日生まれ

 金属の塊であるはずの自転車は、前輪がふわりと宙に浮き、くるくる回り始めた。タイヤがきしむ。フレームに足をかけて立ち上がると、頭のてっぺんまでの高さは3メートルを超えた。池田貴広のオリジナル技「IKE SPIN」だ。
 小径の競技用自転車「BMX」のプロライダー。2010年、平地を走りながら次々と技を繰り出す「BMXフラットランド」のスペインで行われた世界大会で優勝した。翌年には高速スピンの連続回転数でギネス世界記録を塗り替えた。以来毎年、ギネス世界記録に挑戦し、いまでは三つの記録を保有する。その一方で、イベントやコンサートに出演したり、テレビ番組や広告に出たり、子どもたちに教えたり……忙しい毎日を送る。
写真:東川哲也 ライター:小野美由紀

    何万回と転んで見える未到の景色 BMXライダー
    池田貴広
    1990年5月17日生まれ

     金属の塊であるはずの自転車は、前輪がふわりと宙に浮き、くるくる回り始めた。タイヤがきしむ。フレームに足をかけて立ち上がると、頭のてっぺんまでの高さは3メートルを超えた。池田貴広のオリジナル技「IKE SPIN」だ。
     小径の競技用自転車「BMX」のプロライダー。2010年、平地を走りながら次々と技を繰り出す「BMXフラットランド」のスペインで行われた世界大会で優勝した。翌年には高速スピンの連続回転数でギネス世界記録を塗り替えた。以来毎年、ギネス世界記録に挑戦し、いまでは三つの記録を保有する。その一方で、イベントやコンサートに出演したり、テレビ番組や広告に出たり、子どもたちに教えたり……忙しい毎日を送る。 写真:東川哲也 ライター:小野美由紀

  • 鷹がくれた社会との接点
「そらたか」代表、鷹匠
真野将孝
1989年9月13日生まれ

 若き「鷹匠(たかじょう)」だ。真野将孝の相棒は2羽のハリスホーク。八代海に面する熊本県津奈木町で暮らす。狩猟では、イヌが探したキジを、真野の操るタカが空中から急降下して狩る。
 相棒の「ロイ」を前腕に乗せ、すうっと腕で押す。すると、ロイは翼を広げて飛び立った。呼び笛をピッと鳴らす。舞い戻ってきて前腕に止まる。真野は、このタカたちと現代社会を生き抜こうとしている。
 鷹匠の仕事は様々だ。狩猟、イベントでのフライトショーのほか、企業の依頼で害鳥対策を請け負うこともある。食品倉庫に寄ってくるカラスやハトを、タカを差しむけて追い払う。何度かやると、近寄らなくなるのだ。タカやフクロウなど猛禽類の販売も手がけ、近く熊本県内に店舗を構える予定だ。
 この道に入ったのは、幼い頃、父と一緒に行った山菜採りのときの経験がきっかけ。空から急降下する猛禽類を見た。その凛々しい姿が忘れられず、インターネットで調べていると、鷹匠の存在を知った。「こんな仕事があるのか!」と感銘を受け、中学の終わりごろ、父に懇願してタカを手に入れた。ただ、買ったはいいが、どう扱えばいいのか分からない。再びパソコンに向かい、師匠となる鷹匠を探し、6年間通いつめて教えを請うた。
 中学・高校時代、不登校で苦しんだ。集団生活になじめなかった。定時制高校に通い直し、高卒の資格を得た。タカは苦しかった思春期、伴走してくれた友でもある。
写真:外山俊樹 ライター:岡本俊浩

    鷹がくれた社会との接点 「そらたか」代表、鷹匠
    真野将孝
    1989年9月13日生まれ

     若き「鷹匠(たかじょう)」だ。真野将孝の相棒は2羽のハリスホーク。八代海に面する熊本県津奈木町で暮らす。狩猟では、イヌが探したキジを、真野の操るタカが空中から急降下して狩る。
     相棒の「ロイ」を前腕に乗せ、すうっと腕で押す。すると、ロイは翼を広げて飛び立った。呼び笛をピッと鳴らす。舞い戻ってきて前腕に止まる。真野は、このタカたちと現代社会を生き抜こうとしている。
     鷹匠の仕事は様々だ。狩猟、イベントでのフライトショーのほか、企業の依頼で害鳥対策を請け負うこともある。食品倉庫に寄ってくるカラスやハトを、タカを差しむけて追い払う。何度かやると、近寄らなくなるのだ。タカやフクロウなど猛禽類の販売も手がけ、近く熊本県内に店舗を構える予定だ。
     この道に入ったのは、幼い頃、父と一緒に行った山菜採りのときの経験がきっかけ。空から急降下する猛禽類を見た。その凛々しい姿が忘れられず、インターネットで調べていると、鷹匠の存在を知った。「こんな仕事があるのか!」と感銘を受け、中学の終わりごろ、父に懇願してタカを手に入れた。ただ、買ったはいいが、どう扱えばいいのか分からない。再びパソコンに向かい、師匠となる鷹匠を探し、6年間通いつめて教えを請うた。
     中学・高校時代、不登校で苦しんだ。集団生活になじめなかった。定時制高校に通い直し、高卒の資格を得た。タカは苦しかった思春期、伴走してくれた友でもある。 写真:外山俊樹 ライター:岡本俊浩

  • 高く軽やかに宙を舞う妖精
エアリアルパフォーマー
長谷川愛実
1990年5月14日生まれ

 天井からつるされた長い布に体をからませ、空中で軽やかに舞う。ぶら下がったり、回転したり、逆さになったり……。長谷川愛実(あいみ)は、サーカスなどで人気の演技「エアリアルティシュー」のパフォーマーだ。
 出会いは、13歳のときに見たエンターテインメント集団「シルク・ドゥ・ソレイユ」のショー。初めてエアリアルティシューを目撃し、憧れた。バレエを本格的に習い始め、18歳で専門スタジオ「エアリアル・アート・ダンス・プロジェクト(AADP)」の門をたたいた。
 まずは棒登りの要領で、布を足にからめ、8メートルの天井まで登る練習から。プロを目指す者はさらに、腕だけで登る修練を積む。男でもキツイのだから、腕の力が弱い長谷川は当然、登れなかった。悔しくて公園の鉄棒やジムで毎日、懸垂に励んだ。あまりの真剣さに、アームレスラーから声をかけられたほどだ。
写真:東川哲也 ライター:西元まり

    高く軽やかに宙を舞う妖精 エアリアルパフォーマー
    長谷川愛実
    1990年5月14日生まれ

     天井からつるされた長い布に体をからませ、空中で軽やかに舞う。ぶら下がったり、回転したり、逆さになったり……。長谷川愛実(あいみ)は、サーカスなどで人気の演技「エアリアルティシュー」のパフォーマーだ。
     出会いは、13歳のときに見たエンターテインメント集団「シルク・ドゥ・ソレイユ」のショー。初めてエアリアルティシューを目撃し、憧れた。バレエを本格的に習い始め、18歳で専門スタジオ「エアリアル・アート・ダンス・プロジェクト(AADP)」の門をたたいた。
     まずは棒登りの要領で、布を足にからめ、8メートルの天井まで登る練習から。プロを目指す者はさらに、腕だけで登る修練を積む。男でもキツイのだから、腕の力が弱い長谷川は当然、登れなかった。悔しくて公園の鉄棒やジムで毎日、懸垂に励んだ。あまりの真剣さに、アームレスラーから声をかけられたほどだ。 写真:東川哲也 ライター:西元まり

  • “平均”の街から降るカラフルな異世界
映像・アニメーション作家
ひらのりょう
1988年9月14日生まれ

 最新の短編アニメ「パラダイス」は、宇宙で出会った男と熊の物語だ。「2001年宇宙の旅」の

    “平均”の街から降るカラフルな異世界 映像・アニメーション作家
    ひらのりょう
    1988年9月14日生まれ

     最新の短編アニメ「パラダイス」は、宇宙で出会った男と熊の物語だ。「2001年宇宙の旅」の"モノリス"のように、時空を漂う"歯"を追いかけるストーリーは、奇妙極まりない。ただ、映像はといえば、宇宙に浮かぶ巨大墓地が温泉保養施設を兼ね、さびれた日本の商店街も出てくるなど、手描きのタッチと相まって、どことなく懐かしい。それでいてカラフルな映像に、ぐいぐい引き込まれる。
     ひらのりょうがアニメに興味を持ったのは、多摩美術大学に入ってから。ジブリ映画を何本か見ただけだったのに、ロシアのアニメ作家らが手がけた作品を見て、驚いた。
    「ハッキリとしたメッセージがあるわけでもない、不条理な物語。こんなアニメがあるのか」
     大学3年の2月、短編アニメ「河童の腕」で、学生デジタル作品コンテストのグランプリに輝いた。卒業後の2011年末には、文化庁メディア芸術祭のエンターテインメント部門で新人賞を受賞した。
    「3~5分の作品でも千枚以上は描く」 写真:東川哲也 ライター:岡本俊浩

  • 「分からない」 叫ぶ

    「分からない」 叫ぶ"私"撮る 宮城県柴田農林高校3年
    写真家
    安藤すみれ
    1995年8月21日生まれ

    「私を見ろ」と言わんばかりに、顔写真入りの学生証を拡大した写真から、それは始まる。川の中で暴れ、叫び、夜のフェンスを飛び越え、服を脱ぎ去っていく──。
     この写真は、安藤すみれの作品「ESCAPE」だ。写真家への登竜門といわれるコンテスト「写真新世紀」(キヤノン主催)で、2013年度の優秀賞に選ばれた。高校3年生という現実を泳ぎまわるように展開する作品群は、グランプリこそ逃したが、高い評価を得た。
     宮城県柴田農林高校の動物科学科に通う。昨年11月まで写真部の部長を務めたが、撮り始めたのは高校に入ってからのことだ。身の回りの広告写真を「かっこいい」と感じ、レストランのメニュー写真は「おいしそう」に見えた。そんな心を動かす写真を撮りたいと思った。
     卒業を前に自分自身を被写体に選んだのは、いまの"私"を客観的に見つめるため。
    「カメラの前に立つと、醜い部分も素直に出せるんです」 文・写真:東川哲也

  • 夜の自販機前で技を磨いた
フリースタイル・フットボールプレーヤー
徳田耕太郎
1991年7月21日生まれ

 ショーはボールを足でこすりあげた瞬間から始まる。脚、ひざ、肩……。腕を除く体のあらゆる部分を使って、ボールと戯れる。
 徳田耕太郎の取り組む競技は、「フリースタイル・フットボール」。基本的にはリフティングなのだが、手を地面につけ、重力に逆らって脚でボールをつかまえるようなアクロバティックな動きを交えるのが特徴だ。
「11人制のサッカーと違って、完全な個人競技。ボールひとつでできる手軽さから、この10年で急速に競技人口が増えています」
 2012年、イタリアで開催された世界大会で、アジア人で初めて優勝。53カ国から参加した54人の頂点に立った。
写真:時津 剛 ライター:岡本俊浩

    夜の自販機前で技を磨いた フリースタイル・フットボールプレーヤー
    徳田耕太郎
    1991年7月21日生まれ

     ショーはボールを足でこすりあげた瞬間から始まる。脚、ひざ、肩……。腕を除く体のあらゆる部分を使って、ボールと戯れる。
     徳田耕太郎の取り組む競技は、「フリースタイル・フットボール」。基本的にはリフティングなのだが、手を地面につけ、重力に逆らって脚でボールをつかまえるようなアクロバティックな動きを交えるのが特徴だ。
    「11人制のサッカーと違って、完全な個人競技。ボールひとつでできる手軽さから、この10年で急速に競技人口が増えています」
     2012年、イタリアで開催された世界大会で、アジア人で初めて優勝。53カ国から参加した54人の頂点に立った。 写真:時津 剛 ライター:岡本俊浩

  • “素直さ”で世界制覇
にいがた製菓・調理師専門学校えぷろん職員
パティシエ
上野実里菜
1990年10月12日生まれ

 植物を精巧にかたどった色鮮やかな飴細工は、まるで図鑑の中から飛び出してきたようだ。つくったのは、にいがた製菓・調理師専門学校えぷろん(新潟市)の職員、上野実里菜(みりな)。世界の若手パティシエでナンバー1の実力を持つ。
 ロンドンで開催された2011年の技能五輪国際大会。上野は洋菓子製造職種の部で優勝した。翌年はブラジルであった世界ジュニア製菓技術者コンクールで、金メダルに輝いた。この2冠達成は日本人で初めてという。
写真:東川哲也 ライター:小野美由紀

    “素直さ”で世界制覇 にいがた製菓・調理師専門学校えぷろん職員
    パティシエ
    上野実里菜
    1990年10月12日生まれ

     植物を精巧にかたどった色鮮やかな飴細工は、まるで図鑑の中から飛び出してきたようだ。つくったのは、にいがた製菓・調理師専門学校えぷろん(新潟市)の職員、上野実里菜(みりな)。世界の若手パティシエでナンバー1の実力を持つ。
     ロンドンで開催された2011年の技能五輪国際大会。上野は洋菓子製造職種の部で優勝した。翌年はブラジルであった世界ジュニア製菓技術者コンクールで、金メダルに輝いた。この2冠達成は日本人で初めてという。 写真:東川哲也 ライター:小野美由紀

  • 怒りと違和感が物語を生んでいく
小説家、会社員
朝井リョウ
1989年5月31日生まれ

 作家のかたわら、会社員を続けている。それは、保険をかけているのでも、話題づくりでもない。社会人になるのが、直木賞よりもほんの少し早かっただけのことだ。
 朝井リョウは当分、会社を辞めるつもりはない。
「会社を辞めて退路を断て、と言われることもある。友達がいない、まして異性の友達なんてもっといない、孤独から生まれる表現こそ素晴らしい……作家には何となくそういう

    怒りと違和感が物語を生んでいく 小説家、会社員
    朝井リョウ
    1989年5月31日生まれ

     作家のかたわら、会社員を続けている。それは、保険をかけているのでも、話題づくりでもない。社会人になるのが、直木賞よりもほんの少し早かっただけのことだ。
     朝井リョウは当分、会社を辞めるつもりはない。
    「会社を辞めて退路を断て、と言われることもある。友達がいない、まして異性の友達なんてもっといない、孤独から生まれる表現こそ素晴らしい……作家には何となくそういう"美学"のようなものを期待されている気がする。僕はそれを美学ではなく呪いと呼んでいる」 写真:時津 剛 ライター:岡本俊浩

  • 伝え、壊す 華道に新風
いけばな小原流五世家元
小原宏貴
1988年3月26日生まれ

 床の間いっぱいに、松が伸びやかに広がる。中心には空間を切り裂くように立つバナナの茎。
「えっ! バナナ?」
 意表を突く組み合わせに、思わず声が漏れた。この作品をつくったのは、いけばな小原流の五世家元、小原宏貴(おはらひろき)だ。
 神戸市の御影で生まれ育った。父の夏樹が42歳の若さで急逝(のちに四世を追贈)。1995年、三世の祖父、豊雲(ほううん)も死去すると、わずか6歳にして家元を継いだ。10歳から人前でいけばなを披露するが、本格的な活動は2010年、甲南大学を卒業してからだ。国内158支部、海外57支部、30万人を超える会員を束ねる。
「家元」の仕事は多岐にわたる。花展を指揮するディレクターであり、技能を広める伝承者であり、新しい表現手法に挑戦するアーティストでもある。
「責任は感じるけれど、やっぱり花をいけるのは楽しい。それが一番です」
写真:外山俊樹 ライター:小野美由紀

    伝え、壊す 華道に新風 いけばな小原流五世家元
    小原宏貴
    1988年3月26日生まれ

     床の間いっぱいに、松が伸びやかに広がる。中心には空間を切り裂くように立つバナナの茎。
    「えっ! バナナ?」
     意表を突く組み合わせに、思わず声が漏れた。この作品をつくったのは、いけばな小原流の五世家元、小原宏貴(おはらひろき)だ。
     神戸市の御影で生まれ育った。父の夏樹が42歳の若さで急逝(のちに四世を追贈)。1995年、三世の祖父、豊雲(ほううん)も死去すると、わずか6歳にして家元を継いだ。10歳から人前でいけばなを披露するが、本格的な活動は2010年、甲南大学を卒業してからだ。国内158支部、海外57支部、30万人を超える会員を束ねる。
    「家元」の仕事は多岐にわたる。花展を指揮するディレクターであり、技能を広める伝承者であり、新しい表現手法に挑戦するアーティストでもある。
    「責任は感じるけれど、やっぱり花をいけるのは楽しい。それが一番です」 写真:外山俊樹 ライター:小野美由紀

  • 仕事も暮らしも環境をいかして
音楽ファシリテーター
小山和音
1991年5月28日生まれ

 小山和音(かずね)は自分の仕事をこう説明する。
「音で人や環境の可能性を切り拓くこと」
 熊本県の寺で、あるイベントが催された。奉納の舞の動きに合わせ、音色が変わる。使われているのは、動きを音に変換する特殊な装置。舞い手が両腕で空気を抱きしめ、指先で弾くような動きをするたびに、音が変化する。
 景色も音になる。船にカメラをセット。航行中の眺望を感じ取り、変幻自在に音は表情を変える。小山は「わかりにくい仕事」と苦笑するが、この道を歩く理由はちゃんとある。
「世の中が良くなればうれしい」
写真:馬場岳人 ライター:岡本俊浩

    仕事も暮らしも環境をいかして 音楽ファシリテーター
    小山和音
    1991年5月28日生まれ

     小山和音(かずね)は自分の仕事をこう説明する。
    「音で人や環境の可能性を切り拓くこと」
     熊本県の寺で、あるイベントが催された。奉納の舞の動きに合わせ、音色が変わる。使われているのは、動きを音に変換する特殊な装置。舞い手が両腕で空気を抱きしめ、指先で弾くような動きをするたびに、音が変化する。
     景色も音になる。船にカメラをセット。航行中の眺望を感じ取り、変幻自在に音は表情を変える。小山は「わかりにくい仕事」と苦笑するが、この道を歩く理由はちゃんとある。
    「世の中が良くなればうれしい」 写真:馬場岳人 ライター:岡本俊浩

  • ともに見つめる生と死の懸け橋
あそかビハーラクリニック
ビハーラ僧 研修生
高蔵大樹
1988年7月25日生まれ

「ビハーラ」という言葉をご存じだろうか。古代インドのサンスクリット語で、僧院や休息の場所を意味する。平安時代から、仏教僧が死を迎える人々を世話し、看取る制度があった。ビハーラは今、末期のがん患者らの苦痛を和らげるため、僧侶が行う心のケアのことをさす。
 京都府城陽市に終末医療を提供する施設「あそかビハーラクリニック」がある。浄土真宗本願寺派が母体となって設立した緩和ケア病棟で、僧侶が常駐している。高蔵大樹は、ここでビハーラ僧になる研修を受けている。
 広島県内にある浄土真宗のお寺の17代目。小さな頃から生と死について考えることが多かった。龍谷大学の文学部仏教学科に進み、在学中には軽音楽部で活動。タイでエイズホスピスを訪れたときに感じた生と死の矛盾を詩に書き、ギターにのせてシャウトした。「激情ハードコア」ライブだ。卒業後は仏教の専門学校に2年間通い、今年4月から今の施設で働く。
写真:外山俊樹 ライター:小野美由紀

    ともに見つめる生と死の懸け橋 あそかビハーラクリニック
    ビハーラ僧 研修生
    高蔵大樹
    1988年7月25日生まれ

    「ビハーラ」という言葉をご存じだろうか。古代インドのサンスクリット語で、僧院や休息の場所を意味する。平安時代から、仏教僧が死を迎える人々を世話し、看取る制度があった。ビハーラは今、末期のがん患者らの苦痛を和らげるため、僧侶が行う心のケアのことをさす。
     京都府城陽市に終末医療を提供する施設「あそかビハーラクリニック」がある。浄土真宗本願寺派が母体となって設立した緩和ケア病棟で、僧侶が常駐している。高蔵大樹は、ここでビハーラ僧になる研修を受けている。
     広島県内にある浄土真宗のお寺の17代目。小さな頃から生と死について考えることが多かった。龍谷大学の文学部仏教学科に進み、在学中には軽音楽部で活動。タイでエイズホスピスを訪れたときに感じた生と死の矛盾を詩に書き、ギターにのせてシャウトした。「激情ハードコア」ライブだ。卒業後は仏教の専門学校に2年間通い、今年4月から今の施設で働く。 写真:外山俊樹 ライター:小野美由紀

  • 津軽三味線で荒波を生き抜く
津軽三味線奏者
葛西頼之
1988年7月17日生まれ

「津軽三味線は音階がブルースで、リズムはジャズ。打楽器の要素もあり、実はロックな楽器なんですよ」
 そう語る葛西頼之(よしゆき)は、伝統芸能の型にはまらない三味線奏者だ。ソロ活動だけでなく、若手津軽三味線奏者のユニット「疾風(はやて)」のメンバーとして、ももいろクローバーZなど、Jポップとも協演。ラジオのパーソナリティーやテレビの司会もこなす。最新アルバム「三枚目っ!!」は、1万5000枚を売り上げた。
 青森県西津軽郡鰺ケ沢町の出身。10歳のとき、小学校の授業で習った三味線に魅せられ、大御所の長峰健一に弟子入り。下働きの合間に居酒屋で演奏し、経験を積んだ。
 曽祖父がロシア人ということもあり、背が高くて色白。英語、中国の広東語、ロシア語を操り、海外公演では自らMCを務める。
「通訳がいらないから、安上がりで重宝されているんですよ」
 さらりと言ってのけるが、そのやわらかな物腰からは、努力に裏打ちされた自信がのぞく。
写真:馬場岳人 ライター:小野美由紀

    津軽三味線で荒波を生き抜く 津軽三味線奏者
    葛西頼之
    1988年7月17日生まれ

    「津軽三味線は音階がブルースで、リズムはジャズ。打楽器の要素もあり、実はロックな楽器なんですよ」
     そう語る葛西頼之(よしゆき)は、伝統芸能の型にはまらない三味線奏者だ。ソロ活動だけでなく、若手津軽三味線奏者のユニット「疾風(はやて)」のメンバーとして、ももいろクローバーZなど、Jポップとも協演。ラジオのパーソナリティーやテレビの司会もこなす。最新アルバム「三枚目っ!!」は、1万5000枚を売り上げた。
     青森県西津軽郡鰺ケ沢町の出身。10歳のとき、小学校の授業で習った三味線に魅せられ、大御所の長峰健一に弟子入り。下働きの合間に居酒屋で演奏し、経験を積んだ。
     曽祖父がロシア人ということもあり、背が高くて色白。英語、中国の広東語、ロシア語を操り、海外公演では自らMCを務める。
    「通訳がいらないから、安上がりで重宝されているんですよ」
     さらりと言ってのけるが、そのやわらかな物腰からは、努力に裏打ちされた自信がのぞく。 写真:馬場岳人 ライター:小野美由紀

  • 歌を強くするのは幸福と不幸の距離
シンガー・ソングライター
青葉市子
1990年生まれ

 音楽界ではいま、ギター1本で聴衆と向き合うシンガー・ソングライターが、静かなブームになっている。23歳の青葉市子も、その中の一人だろう。第一線で活躍する他の面々と比べ、群を抜いて若い。けれども、青葉にははしゃいだところがまったくない。深い森のなかで木霊と話すようにギターを弾き、夢と現実が交錯する心象風景を歌ったかと思えば、「あなたの秘密を ばらしてあげましょう/仮面の下は恐ろしい顔/みんなにも見せてあげて」(不和リン)
「人は誰かをナイフで突き刺しながら歩んでいく それがいのちのさだめ」(重たい睫毛)
 と、人の内面をギクリとする形容でえぐる。8月に発売されたCD「ラヂヲ」には、細野晴臣、坂本龍一、小山田圭吾らとのセッションが収録されている。この若さでこれだけの面々と競演できるのは、高い評価の裏づけだろう。
写真:東川哲也 ライター:岡本俊浩

    歌を強くするのは幸福と不幸の距離 シンガー・ソングライター
    青葉市子
    1990年生まれ

     音楽界ではいま、ギター1本で聴衆と向き合うシンガー・ソングライターが、静かなブームになっている。23歳の青葉市子も、その中の一人だろう。第一線で活躍する他の面々と比べ、群を抜いて若い。けれども、青葉にははしゃいだところがまったくない。深い森のなかで木霊と話すようにギターを弾き、夢と現実が交錯する心象風景を歌ったかと思えば、「あなたの秘密を ばらしてあげましょう/仮面の下は恐ろしい顔/みんなにも見せてあげて」(不和リン)
    「人は誰かをナイフで突き刺しながら歩んでいく それがいのちのさだめ」(重たい睫毛)
     と、人の内面をギクリとする形容でえぐる。8月に発売されたCD「ラヂヲ」には、細野晴臣、坂本龍一、小山田圭吾らとのセッションが収録されている。この若さでこれだけの面々と競演できるのは、高い評価の裏づけだろう。 写真:東川哲也 ライター:岡本俊浩

  • 競技から舞台へ可能性を求めて
青森大学新体操部
小林翔
1992年1月14日生まれ

 動画サイトでもいい。一度でも男子新体操を見れば、その動きの精密さ、俊敏さに引き込まれる。それはまるで忍者集団のよう。
 青森大学は男子新体操の強豪。4年生の小林翔は、その中のエースだ。愛知県出身で、中学1年のときにひじを痛めて野球をやめ、一つ年上の兄がいる新体操部に入部した。
 男子新体操は競技人口が1500人ほど。団体競技は約3分間、6人が息を合わせて演じる。バック転や宙返りの連続技タンブリング、倒立などを繰り広げる。個人競技にはスティック、リング、ロープ、クラブの4種目があり、約1分半ずつ演じる。小林は中学、高校では団体、個人の両方をやっていたが、トップ選手が集まる青森大では、個人競技に専念している。
 語り継がれるOBがいる。大坪政幸だ。男子の新体操部の第1期生で、小林も高校2年のとき、指導を受けた。だが、2009年夏、病気のため27歳の若さで亡くなった。その年の秋にあった全日本選手権大会。青森大は団体競技で、大坪が個人競技で使っていた曲「BLUE」に合わせて舞い、優勝した。この動画は150万回以上、再生された。
写真:東川哲也 ライター:西元まり

    競技から舞台へ可能性を求めて 青森大学新体操部
    小林翔
    1992年1月14日生まれ

     動画サイトでもいい。一度でも男子新体操を見れば、その動きの精密さ、俊敏さに引き込まれる。それはまるで忍者集団のよう。
     青森大学は男子新体操の強豪。4年生の小林翔は、その中のエースだ。愛知県出身で、中学1年のときにひじを痛めて野球をやめ、一つ年上の兄がいる新体操部に入部した。
     男子新体操は競技人口が1500人ほど。団体競技は約3分間、6人が息を合わせて演じる。バック転や宙返りの連続技タンブリング、倒立などを繰り広げる。個人競技にはスティック、リング、ロープ、クラブの4種目があり、約1分半ずつ演じる。小林は中学、高校では団体、個人の両方をやっていたが、トップ選手が集まる青森大では、個人競技に専念している。
     語り継がれるOBがいる。大坪政幸だ。男子の新体操部の第1期生で、小林も高校2年のとき、指導を受けた。だが、2009年夏、病気のため27歳の若さで亡くなった。その年の秋にあった全日本選手権大会。青森大は団体競技で、大坪が個人競技で使っていた曲「BLUE」に合わせて舞い、優勝した。この動画は150万回以上、再生された。 写真:東川哲也 ライター:西元まり

  • 神宮に刻む“野球狂の詩”
慶應義塾大学法学部2年
体育会野球部投手
川崎彩乃
1992年7月3日生まれ

「もっと俺の胸をめがけて投げてみろ!」
 幼稚園のころから、家の前の路地や近くの公園で、父と暗くなるまでキャッチボールをしていた。大学生になった今も大好きな野球に打ち込む川崎彩乃の目標は、「憧(あこが)れの神宮のマウンドに立って、チームの勝利に貢献すること」
 所属する慶應義塾大学の体育会野球部は今季、東京六大学野球で優勝争いを展開。11月2日からは伝統の「慶早戦」だ。
 宇都宮で少年野球チームに入った当初は、外野手だった。秋田、横浜と引っ越しても、野球に対する姿勢は変わらなかったが、ポジションは監督の一言でピッチャーに変わった。その目は、漫画『野球狂の詩(うた)』(水島新司作)の主人公、水原勇気のように、キラキラと輝く。
 高校球児の憧れである甲子園のマウンドに、女子選手は立てない。それならばと女子硬式野球の強豪、駒沢学園女子高校(東京)に進んだ。2009年、全国高校女子硬式野球選抜大会で準優勝。最多勝利をあげ、ベストナインに選ばれた。
写真:時津 剛 ライター:神津伸子

    神宮に刻む“野球狂の詩” 慶應義塾大学法学部2年
    体育会野球部投手
    川崎彩乃
    1992年7月3日生まれ

    「もっと俺の胸をめがけて投げてみろ!」
     幼稚園のころから、家の前の路地や近くの公園で、父と暗くなるまでキャッチボールをしていた。大学生になった今も大好きな野球に打ち込む川崎彩乃の目標は、「憧(あこが)れの神宮のマウンドに立って、チームの勝利に貢献すること」
     所属する慶應義塾大学の体育会野球部は今季、東京六大学野球で優勝争いを展開。11月2日からは伝統の「慶早戦」だ。
     宇都宮で少年野球チームに入った当初は、外野手だった。秋田、横浜と引っ越しても、野球に対する姿勢は変わらなかったが、ポジションは監督の一言でピッチャーに変わった。その目は、漫画『野球狂の詩(うた)』(水島新司作)の主人公、水原勇気のように、キラキラと輝く。
     高校球児の憧れである甲子園のマウンドに、女子選手は立てない。それならばと女子硬式野球の強豪、駒沢学園女子高校(東京)に進んだ。2009年、全国高校女子硬式野球選抜大会で準優勝。最多勝利をあげ、ベストナインに選ばれた。 写真:時津 剛 ライター:神津伸子

  • 赤い宇宙に刹那を込めて
金沢卯辰山工芸工房 技術研修者
陶芸家
吉村茉莉
1988年12月31日生まれ

 小さな器の中に、曼荼羅(まんだら)のような赤い宇宙が広がる。九谷焼の絵付けの技法の一つである「赤絵細描(さいびょう)」は、赤い顔料を使い、極細の筆で0.1ミリにも満たない線を引き、白磁の器にびっしりと模様を入れてゆく。気が遠くなるほど繊細な作業だ。
 陶芸家、吉村茉莉(まり)の描く赤絵は、ハート形などの若者らしいポップなモチーフと、伝統の模様をバランスよく融合させた新しいデザインだ。何度も窯に入れて焼くために時間がかかり、大量生産はできない。一つ一つ、心をこめて白い素地に模様を描いてゆく。
「小さな頃からパズルが好き。真っ白な画面をピースで埋めてゆく快感は、赤絵にも通じる」
写真:時津 剛 ライター:小野美由紀

    赤い宇宙に刹那を込めて 金沢卯辰山工芸工房 技術研修者
    陶芸家
    吉村茉莉
    1988年12月31日生まれ

     小さな器の中に、曼荼羅(まんだら)のような赤い宇宙が広がる。九谷焼の絵付けの技法の一つである「赤絵細描(さいびょう)」は、赤い顔料を使い、極細の筆で0.1ミリにも満たない線を引き、白磁の器にびっしりと模様を入れてゆく。気が遠くなるほど繊細な作業だ。
     陶芸家、吉村茉莉(まり)の描く赤絵は、ハート形などの若者らしいポップなモチーフと、伝統の模様をバランスよく融合させた新しいデザインだ。何度も窯に入れて焼くために時間がかかり、大量生産はできない。一つ一つ、心をこめて白い素地に模様を描いてゆく。
    「小さな頃からパズルが好き。真っ白な画面をピースで埋めてゆく快感は、赤絵にも通じる」 写真:時津 剛 ライター:小野美由紀

  • ひとり旅のように台本をめくっていく
俳優
神木隆之介
1993年5月19日生まれ

 ロケで全国を飛び回る。撮影がはじまったら、現場とホテルの往復。閉じられた世界で、ときが過ぎていく。だからこそ、「時間が空いたら、カメラ片手に

    ひとり旅のように台本をめくっていく 俳優
    神木隆之介
    1993年5月19日生まれ

     ロケで全国を飛び回る。撮影がはじまったら、現場とホテルの往復。閉じられた世界で、ときが過ぎていく。だからこそ、「時間が空いたら、カメラ片手に"ひとり旅"をするんです。外の世界に触れたいから」
     雨の新宿御苑は、人もまばら。水滴が落ちる木々の葉に、ぐっとレンズを近づける。「きれいだな、素敵(すてき)だな」と感じたことは、いつまでも残しておきたい。神木隆之介にとってひとり旅の時間は、何ものにも代え難い。
    「乗り」も「撮り」も。鉄道が好きだから、小学生の頃からカメラを持ち歩いている。映画「桐島、部活やめるってよ」で演じた高校映画部の前田涼也役。ゾンビ映画が好きなオタクは、「人としゃべるのが苦手なタイプ。自分とは真逆(まぎゃく)で、演じるのが難しかった」
     ただ、自分と同じように、ゆるぎない「好きなもの」がある点には共感した。 写真:外山俊樹 ライター:岡本俊浩

  • 欲しいのは

    欲しいのは"ナマ"の快感 早稲田大学文学部演劇映像コース
    「ハイブリットハイジ座」主宰
    天野峻
    1991年9月15日生まれ

     森繁久彌、松本幸四郎など名だたる演劇人が輩出した早稲田大学の中でも、主宰の天野峻率いる劇団「ハイブリットハイジ座」は、突出した個性を放つ。代表作のあらすじはこうだ。
    「朝鮮半島と日本の間に浮かんでいた赤ん坊の主人公。育ての親は優しい脱北者夫婦。名前は指が7本あるから"ナナオ"……」
     思わずギョッとするシナリオ。老婆役の女を舞台上で裸にするなど、過激な演出。
    悪ふざけギャグの連発。けれど、勢いだけの劇団ではない。緻密(ちみつ)に計算された笑いと、役者の肉体を極限まで酷使したレベルの高いパフォーマンス。観客を混乱させ、脳をゆさぶる。脚本・演出を手がける天野の人を動かす上手さが光る舞台だ。 写真:時津 剛 ライター:小野美由紀

  • ヒマが生んだ天文学の大発見
京都大学理学部宇宙物理系4年
柴山拓也
1990年8月23日生まれ

 太陽の表面で起きる爆発がある。「フレア」だ。それを上回る大爆発を「スーパーフレア」と呼ぶ。長年、天文学界では「われわれの太陽でスーパーフレアは起きない」とされてきたが、昨年、京都大学教授の柴田一成らの研究グループが、定説を覆した。米国の天文衛星が観測した、太陽に似た星のデータを解析。365例ものスーパーフレアが起きていることを突きとめ、科学誌「ネイチャー」に論文が掲載された。その第1発見者が柴山拓也だ。
 大発見のきっかけは、柴田の何げないひと言だった。
「1年生だし、どうせヒマだろう。やってみないか」
写真:外山俊樹 ライター:岡本俊浩

    ヒマが生んだ天文学の大発見 京都大学理学部宇宙物理系4年
    柴山拓也
    1990年8月23日生まれ

     太陽の表面で起きる爆発がある。「フレア」だ。それを上回る大爆発を「スーパーフレア」と呼ぶ。長年、天文学界では「われわれの太陽でスーパーフレアは起きない」とされてきたが、昨年、京都大学教授の柴田一成らの研究グループが、定説を覆した。米国の天文衛星が観測した、太陽に似た星のデータを解析。365例ものスーパーフレアが起きていることを突きとめ、科学誌「ネイチャー」に論文が掲載された。その第1発見者が柴山拓也だ。
     大発見のきっかけは、柴田の何げないひと言だった。
    「1年生だし、どうせヒマだろう。やってみないか」 写真:外山俊樹 ライター:岡本俊浩

  • 映画で訴えた“俺たちを見ろ”
多摩美術大学造形表現学部3年生
映画監督
中村祐太郎
1990年5月11日生まれ

 初めて撮った劇映画「ぽんぽん」で5月、東京学生映画祭の実写部門グランプリをとった。
 中村祐太郎(左から2人目)は、多摩美術大学の夜間学部で映画づくりを学ぶ。教えるのは映画監督の青山真治らだ。青山は「ぽんぽん」の脚本や予算に、容赦なくツッコミを入れた。飲み会ではすぐ酔いつぶれるが、ムクッと起きて語り出す映画論に、すごみを感じる。
「これが映画監督か」
 都立三田高校卒だが、「とりあえず進学」では燃えるものがない。周囲の反対を押し切り、美大を志望した。武蔵野美術大学のオープンキャンパスでは、燃えすぎて講師と口論になったが、多摩美の講師に誘われ、行くことにした。
写真:東川哲也 ライター:岡本俊浩

    映画で訴えた“俺たちを見ろ” 多摩美術大学造形表現学部3年生
    映画監督
    中村祐太郎
    1990年5月11日生まれ

     初めて撮った劇映画「ぽんぽん」で5月、東京学生映画祭の実写部門グランプリをとった。
     中村祐太郎(左から2人目)は、多摩美術大学の夜間学部で映画づくりを学ぶ。教えるのは映画監督の青山真治らだ。青山は「ぽんぽん」の脚本や予算に、容赦なくツッコミを入れた。飲み会ではすぐ酔いつぶれるが、ムクッと起きて語り出す映画論に、すごみを感じる。
    「これが映画監督か」
     都立三田高校卒だが、「とりあえず進学」では燃えるものがない。周囲の反対を押し切り、美大を志望した。武蔵野美術大学のオープンキャンパスでは、燃えすぎて講師と口論になったが、多摩美の講師に誘われ、行くことにした。 写真:東川哲也 ライター:岡本俊浩

  • 被災地に現れた教育界の

    被災地に現れた教育界の"ルーキー" 学習・居場所支援団体「TEDIC」代表
    門馬優
    1989年3月1日生まれ

     あの日、生まれ故郷の宮城県石巻市を大津波が襲った。早稲田大学の法学部4年生だった門馬優は、卒業証書を受け取った足で石巻に向かった。変わり果てた故郷。「なんとかしたい」と強く思った。
     避難所でボランティア活動に奔走し、2011年5月、子どもの学習を助ける団体「TEDIC」を一人で立ち上げた。学生を集めて仮設住宅や公民館に出向き、児童・生徒に無償で勉強を教え、身近な話し相手として相談に乗る。
     教育者を志していたので、卒業後は早大大学院の教職研究科に進んだ。平日は東京、土日は石巻。忙しいが、「担うべき役が回ってきた」という思いが先に立ち、苦にならなかった。 写真:時津 剛 ライター:小野美由紀

  • 闘うだけが

    闘うだけが"強い"じゃない 千葉大学大学院融合科学研究科1年生
    ロシア武術「システマ」の指導者
    立川恭太郎
    1989年12月10日生まれ

     全身の力を抜く。タコのようにぐにゃぐにゃと体を動かし、殴りかかる相手をするりとかわす。肩に軽く手を当てたかと思うと、相手はあっけなく地に転がった。力でぶつかるのではない。相手を受け流し、闘いを収める──ロシア武術「システマ」の動作は、川の流れのようにおだやかで、美しさすら感じる。
     千葉大学の大学院に通う立川恭太郎は、日本で最年少のシステマインストラクター研修生だ。4月にサークル「システマ千葉大」を立ち上げた。週に2回、大学の武道場や近くの公民館で鍛錬する。学生だけでなく、一般の人にも教えている。
     もとはロシア特殊部隊で開発された格闘術だ。ロシアの伝統武術と健康法を融合させ、「最強の護身術」ともいわれる。戦闘用の残忍な格闘術を想像するかもしれないが、心身の健康にも効果のある武術として、日本でも愛好者がじわりと増えている。
     立川がひかれたのは、システマの中に日本古来の「和合」の精神を見たからだ。 写真:東川哲也 ライター:小野美由紀

  • 凛として未来見据えて
歌舞伎役者
中村隼人
1993年11月30日生まれ

 初夏の東京・国立劇場は高校生であふれていた。歌舞伎鑑賞教室「紅葉狩」1カ月公演。多くの若者が歌舞伎デビューを果たす瞬間にワクワクな面持ちだ。
「うぉー!」の歓声と拍手喝采は、オープニングのドラマ「ガリレオ」のメインテーマが場内に響き渡ると、最高潮に達した。
 つかみはOK。指南役で新世代歌舞伎リーダーの一人、中村隼人が水色の着物姿で颯爽と現れた。中村勘九郎・七之助、市川海老蔵らに次ぐ、フレッシュな若者だ。今回、舞台での解説だけにとどまらず、演出も手がけた。
「自分も歌舞伎役者でなければ、この年で歌舞伎は観なかった。そんな世代に、どうしたら興味を持ってもらえるか、必死に考えました」
写真:東川哲也 ライター:神津伸子

    凛として未来見据えて 歌舞伎役者
    中村隼人
    1993年11月30日生まれ

     初夏の東京・国立劇場は高校生であふれていた。歌舞伎鑑賞教室「紅葉狩」1カ月公演。多くの若者が歌舞伎デビューを果たす瞬間にワクワクな面持ちだ。
    「うぉー!」の歓声と拍手喝采は、オープニングのドラマ「ガリレオ」のメインテーマが場内に響き渡ると、最高潮に達した。
     つかみはOK。指南役で新世代歌舞伎リーダーの一人、中村隼人が水色の着物姿で颯爽と現れた。中村勘九郎・七之助、市川海老蔵らに次ぐ、フレッシュな若者だ。今回、舞台での解説だけにとどまらず、演出も手がけた。
    「自分も歌舞伎役者でなければ、この年で歌舞伎は観なかった。そんな世代に、どうしたら興味を持ってもらえるか、必死に考えました」 写真:東川哲也 ライター:神津伸子

  • 私には人より色が見える
トッパンコミュニケーションプロダクツ
谷本まりの
1992年10月生まれ

「印刷機は生きています! 機械と私の波長がぴったり合う一瞬は突然やってきて、最高の仕事ができるのです」
 印刷オペレーターの谷本まりのは、技能五輪国際大会「印刷」職種の代表選手だ。
技能五輪は1950年、スペインの職業青年団が提唱して、ポルトガルとの間で各12人の選手が技能を競ったことに源を発する。7月上旬に独ライプチヒで開かれた42回大会には46職種に日本など52カ国・地域の計986人が参加。日本は情報ネットワーク施工、自動車板金など5職種で金メダルを獲得したほか、銀4個、銅3個、敢闘賞18個の成績を収めた。
 印刷オペレーターとは、クライアントの要望に応じて印刷用の板を作り、色見本に合わせてインクを調合して印刷用の機械に入れ込み、印刷物を製作していく技能者だ。大会では、次回開催国ブラジルの国旗をあしらったポスターが課題に出され、限られた時間の中で忠実に多くの色を再現しなければならなかった。
「金を目指した」谷本に、初めて扱うドイツ製機械の操縦の難しさが立ちはだかった。
写真:時津 剛 ライター:神津伸子

    私には人より色が見える トッパンコミュニケーションプロダクツ
    谷本まりの
    1992年10月生まれ

    「印刷機は生きています! 機械と私の波長がぴったり合う一瞬は突然やってきて、最高の仕事ができるのです」
     印刷オペレーターの谷本まりのは、技能五輪国際大会「印刷」職種の代表選手だ。
    技能五輪は1950年、スペインの職業青年団が提唱して、ポルトガルとの間で各12人の選手が技能を競ったことに源を発する。7月上旬に独ライプチヒで開かれた42回大会には46職種に日本など52カ国・地域の計986人が参加。日本は情報ネットワーク施工、自動車板金など5職種で金メダルを獲得したほか、銀4個、銅3個、敢闘賞18個の成績を収めた。
     印刷オペレーターとは、クライアントの要望に応じて印刷用の板を作り、色見本に合わせてインクを調合して印刷用の機械に入れ込み、印刷物を製作していく技能者だ。大会では、次回開催国ブラジルの国旗をあしらったポスターが課題に出され、限られた時間の中で忠実に多くの色を再現しなければならなかった。
    「金を目指した」谷本に、初めて扱うドイツ製機械の操縦の難しさが立ちはだかった。 写真:時津 剛 ライター:神津伸子

  • 未踏の宇宙開発は対話から始まる
宇宙航空研究開発機構(JAXA)
誘導・制御グループ
春木美鈴
1988年1月23日生まれ

 低い音をたてて、6本脚の黒い装置が走っていく。ターゲットは奥の白い板だ。
 6本脚は国際宇宙ステーション補給機の「こうのとり」、白い板は「国際宇宙ステーション」(ISS)に見立てている。この設備は、宇宙空間で両機が接近・結合するシステムを試験する目的でつくられた代物だ。
 地球周回軌道上のISSには日本人も搭乗しているから、定期的にこうのとりで物資の補給をしている。ただし、事はそうカンタンではない。白衣を着た春木美鈴はこう解説する。
「両機は秒速7.7キロで地球を周回しているので、接近・結合するためには試験装置に極めて高い精度が求められるんです」
写真:東川哲也 ライター:岡本俊浩

    未踏の宇宙開発は対話から始まる 宇宙航空研究開発機構(JAXA)
    誘導・制御グループ
    春木美鈴
    1988年1月23日生まれ

     低い音をたてて、6本脚の黒い装置が走っていく。ターゲットは奥の白い板だ。
     6本脚は国際宇宙ステーション補給機の「こうのとり」、白い板は「国際宇宙ステーション」(ISS)に見立てている。この設備は、宇宙空間で両機が接近・結合するシステムを試験する目的でつくられた代物だ。
     地球周回軌道上のISSには日本人も搭乗しているから、定期的にこうのとりで物資の補給をしている。ただし、事はそうカンタンではない。白衣を着た春木美鈴はこう解説する。
    「両機は秒速7.7キロで地球を周回しているので、接近・結合するためには試験装置に極めて高い精度が求められるんです」 写真:東川哲也 ライター:岡本俊浩

  • 就職も起業も変わらない
株式会社エイダ 代表取締役
野澤恭平
1988年1月7日生まれ

 3年前、コミック全巻販売専門のネットショップ「百夢(ひゃくむ)」を立ち上げた。
 オフィスは、東京・神保町のマンションの一室にある。扉を開けると、2DKの室内でわさわさと梱包作業が進んでいた。売るのはすべて新刊だ。やっぱり『ワンピース』の売れ行きは頭ひとつ抜けていて、グッチとコラボレーションしてからは、『ジョジョの奇妙な冒険』の大人買いが伸びた。新しいファンがついているのを、売りながら感じる。注文が入ったら、近所の卸倉庫で商品を買いつける。在庫を持たなくていいのが百夢の強みだ。
写真:東川哲也 ライター:岡本俊浩

    就職も起業も変わらない 株式会社エイダ 代表取締役
    野澤恭平
    1988年1月7日生まれ

     3年前、コミック全巻販売専門のネットショップ「百夢(ひゃくむ)」を立ち上げた。
     オフィスは、東京・神保町のマンションの一室にある。扉を開けると、2DKの室内でわさわさと梱包作業が進んでいた。売るのはすべて新刊だ。やっぱり『ワンピース』の売れ行きは頭ひとつ抜けていて、グッチとコラボレーションしてからは、『ジョジョの奇妙な冒険』の大人買いが伸びた。新しいファンがついているのを、売りながら感じる。注文が入ったら、近所の卸倉庫で商品を買いつける。在庫を持たなくていいのが百夢の強みだ。 写真:東川哲也 ライター:岡本俊浩

  • 福島の農業に希望の種をまく
「きぼうのたねカンパニー」代表取締役
菅野瑞穂
1988年3月7日生まれ

 福島県二本松市で農業の再生に取り組む「きぼうのたねカンパニー」代表、菅野(すげの)瑞穂は、これからの福島の農業を背負う期待の星だ。
 日本女子体育大学でセパタクローに4年間打ち込み、日本代表にまでなったが、卒業後、7代続く実家の農業を継いだ。原発事故が起きたのは就農1年目。作付け制限解除後も先の見えない不安に地域は揺れたが、迷った末、例年通り田植えをすることにした。
「一言で福島といっても、いろんな地域がある。会津など放射能の被害を受けていない地域まで風評で売り上げが落ち、困っている」
写真:時津 剛 ライター:小野美由紀

    福島の農業に希望の種をまく 「きぼうのたねカンパニー」代表取締役
    菅野瑞穂
    1988年3月7日生まれ

     福島県二本松市で農業の再生に取り組む「きぼうのたねカンパニー」代表、菅野(すげの)瑞穂は、これからの福島の農業を背負う期待の星だ。
     日本女子体育大学でセパタクローに4年間打ち込み、日本代表にまでなったが、卒業後、7代続く実家の農業を継いだ。原発事故が起きたのは就農1年目。作付け制限解除後も先の見えない不安に地域は揺れたが、迷った末、例年通り田植えをすることにした。
    「一言で福島といっても、いろんな地域がある。会津など放射能の被害を受けていない地域まで風評で売り上げが落ち、困っている」 写真:時津 剛 ライター:小野美由紀

  • 働く以外は欲しくない
BASE株式会社 代表取締役
鶴岡裕太
1989年12月28日生まれ

 昨年末、IT業界で話題をさらったネットショップ運営サービスがある。鶴岡裕太らが手がけた「BASE」(ベイス)だ。立ち上げる前、大分県で洋品店を営む母親がこぼしていた。
「ネットショップを始めたいけど、やり方が難しくてサッパリわからない」
 だから、デジタルが苦手な母親でもできるようなサービスをつくった。手続きはドメインなど三つの項目を埋めるだけ。機能は必要最低限で、無料。現在の月間流通額は「1億円いかないほど」(鶴岡)だが、スタートから半年余りで3万ユーザーに達した。
写真:時津 剛 ライター:岡本俊浩

    働く以外は欲しくない BASE株式会社 代表取締役
    鶴岡裕太
    1989年12月28日生まれ

     昨年末、IT業界で話題をさらったネットショップ運営サービスがある。鶴岡裕太らが手がけた「BASE」(ベイス)だ。立ち上げる前、大分県で洋品店を営む母親がこぼしていた。
    「ネットショップを始めたいけど、やり方が難しくてサッパリわからない」
     だから、デジタルが苦手な母親でもできるようなサービスをつくった。手続きはドメインなど三つの項目を埋めるだけ。機能は必要最低限で、無料。現在の月間流通額は「1億円いかないほど」(鶴岡)だが、スタートから半年余りで3万ユーザーに達した。 写真:時津 剛 ライター:岡本俊浩

  • バイリンガルはニッポンの応援団長
中央大学応援団長
本城亜利架
1991年8月25日生まれ

 神宮の杜に、本城亜利架の声が響き渡る。
「ほ~ら、かっとばせ~!」
 生まれは米国、育ちはニュージーランド、オーストラリア。羽織袴姿で80人超の応援団を率いる一方で、「不自由なのは、日本語デス」と、屈託なく笑い飛ばしてもみせる。
 中学2年まで海外で暮らし、帰国後もインターナショナルスクール。高校時代はショートカットで、バンドでベース。日本の伝統・文化・タテ社会がまったくわからなかった。
「日本を知りたい」
 生粋の日本人の友人に相談したところ、「応援団しかないだろ」と即答された。4年間の制服は、学ランと袴と決めた。
写真:時津 剛 ライター:神津伸子

    バイリンガルはニッポンの応援団長 中央大学応援団長
    本城亜利架
    1991年8月25日生まれ

     神宮の杜に、本城亜利架の声が響き渡る。
    「ほ~ら、かっとばせ~!」
     生まれは米国、育ちはニュージーランド、オーストラリア。羽織袴姿で80人超の応援団を率いる一方で、「不自由なのは、日本語デス」と、屈託なく笑い飛ばしてもみせる。
     中学2年まで海外で暮らし、帰国後もインターナショナルスクール。高校時代はショートカットで、バンドでベース。日本の伝統・文化・タテ社会がまったくわからなかった。
    「日本を知りたい」
     生粋の日本人の友人に相談したところ、「応援団しかないだろ」と即答された。4年間の制服は、学ランと袴と決めた。 写真:時津 剛 ライター:神津伸子

  • 島を想う異端の「姫君」
アーティスト/小豆島地域おこし協力隊員
岡村美紀
1990年9月27日生まれ

 グロテスクな生物の器官か、はたまたマグマが生み出した大自然の奇景か。原始的な生命のエネルギーを具現化したような、摩訶不思議な形の架空の物体を、手を墨だらけにして描き上げる「絵師」。岡村美紀が活動するのは、ニューヨークでも東京でもなく、のどかな風景の広がる瀬戸内の離島、小豆島だ。
「東京じゃなきゃ成功しないという考えは古い。私がここで成功したら、既存の価値観を覆せる」
 京都造形芸術大学を卒業後、ドイツ留学を予定していたが、今年開かれている「瀬戸内国際芸術祭」でアーティスト・ヤノベケンジ氏の作品に参加。小豆島の港で巨大な龍の壁画を描き上げ、その迫力が話題を呼んだ。
写真:東川哲也 ライター:小野美由紀

    島を想う異端の「姫君」 アーティスト/小豆島地域おこし協力隊員
    岡村美紀
    1990年9月27日生まれ

     グロテスクな生物の器官か、はたまたマグマが生み出した大自然の奇景か。原始的な生命のエネルギーを具現化したような、摩訶不思議な形の架空の物体を、手を墨だらけにして描き上げる「絵師」。岡村美紀が活動するのは、ニューヨークでも東京でもなく、のどかな風景の広がる瀬戸内の離島、小豆島だ。
    「東京じゃなきゃ成功しないという考えは古い。私がここで成功したら、既存の価値観を覆せる」
     京都造形芸術大学を卒業後、ドイツ留学を予定していたが、今年開かれている「瀬戸内国際芸術祭」でアーティスト・ヤノベケンジ氏の作品に参加。小豆島の港で巨大な龍の壁画を描き上げ、その迫力が話題を呼んだ。 写真:東川哲也 ライター:小野美由紀

  • ワカモノだって政治変えたい
政治活動家/慶應義塾大学1年生
青木大和
1994年3月9日生まれ

 選挙権はなくても、政治に参加したい! 若者の政治関心の向上を目指し活動する任意団体「僕らの一歩が日本を変える。」のメンバーは全員、10代だ。代表の青木大和(やまと)は、高校在学中にこの団体を立ち上げ、昨年夏に政治家と高校生の討論会「高校生100人×国会議員@国会議事堂」を開催。SNS上で話題を巻き起こした。現在は、長野県の公立中学校で政治教育の授業を担うなど、前例のない取り組みに挑戦している。
 小学生の頃から政治に並ならぬ関心を持ち、ひそかに政治家を夢見ていたが、中学まではスポーツも勉強も苦手な「フツー」の生徒だった。
写真:時津 剛 ライター:小野美由紀

    ワカモノだって政治変えたい 政治活動家/慶應義塾大学1年生
    青木大和
    1994年3月9日生まれ

     選挙権はなくても、政治に参加したい! 若者の政治関心の向上を目指し活動する任意団体「僕らの一歩が日本を変える。」のメンバーは全員、10代だ。代表の青木大和(やまと)は、高校在学中にこの団体を立ち上げ、昨年夏に政治家と高校生の討論会「高校生100人×国会議員@国会議事堂」を開催。SNS上で話題を巻き起こした。現在は、長野県の公立中学校で政治教育の授業を担うなど、前例のない取り組みに挑戦している。
     小学生の頃から政治に並ならぬ関心を持ち、ひそかに政治家を夢見ていたが、中学まではスポーツも勉強も苦手な「フツー」の生徒だった。 写真:時津 剛 ライター:小野美由紀

  • 大見出し 快速でえぐる 世の中の根っこ
福田哲丸
ロックバンド「快速東京」ボーカル
1988年8月4日生まれ

 演奏終了後は全てを出し尽くし、動けなくなってしまうこともある。この日も福田哲丸は壊れてしまうんじゃないかとハラハラするぐらい踊り、歌った。
 福田がボーカルを務める4人組ロックバンド「快速東京」。楽曲はその名の通り高速で、1分前後と短い。ぼーっとしていたら終わる。でも、それに不満をこぼす観客はいない。彼らの演奏は、切り立った山の稜線を辿るのと同じで常にスリルがある。
 ライブの尺が平均30分だろうと、問題にならないほど濃密なのだ。
写真:外山俊樹 ライター:岡本俊浩

    大見出し 快速でえぐる 世の中の根っこ 福田哲丸
    ロックバンド「快速東京」ボーカル
    1988年8月4日生まれ

     演奏終了後は全てを出し尽くし、動けなくなってしまうこともある。この日も福田哲丸は壊れてしまうんじゃないかとハラハラするぐらい踊り、歌った。  福田がボーカルを務める4人組ロックバンド「快速東京」。楽曲はその名の通り高速で、1分前後と短い。ぼーっとしていたら終わる。でも、それに不満をこぼす観客はいない。彼らの演奏は、切り立った山の稜線を辿るのと同じで常にスリルがある。  ライブの尺が平均30分だろうと、問題にならないほど濃密なのだ。 写真:外山俊樹 ライター:岡本俊浩

  • 迷ってゆらいで 言葉に乗せて
小説家
片瀬チヲル
1990年10月17日生まれ

 「恋も愛も求めない」現代的な人魚姫が主人公の小説『泡をたたき割る人魚は』。第
55回群像新人文学賞優秀作に選ばれた片瀬チヲルのデビュー作だ。女性作家らしい透
明感ある文体、ファンタジックな世界観で若い女性の心をつかみながらも、性や愛に
ついての固定観念への疑問をぴしゃりと投げつけるクールさもある。
 作者自身も小説のイメージと違わず、一見物静かで不思議な印象。だが、小説家の
夢を抱えて上京したという野心家の一面も。
 北海道・帯広の広大な土地で、草花と小川に囲まれて育った。高校の頃から何度も
新人賞に応募してきたが芽は出ず、夢をかなえるため、明治大学文学部の文芸メディ
ア専攻に入学。大学で出会った同世代の女の子たちの様々な考え方に触れ、そこで覚
えた違和感から小説の着想を得た。
写真:東川哲也 ライター:小野美由紀

    迷ってゆらいで 言葉に乗せて 小説家
    片瀬チヲル
    1990年10月17日生まれ

     「恋も愛も求めない」現代的な人魚姫が主人公の小説『泡をたたき割る人魚は』。第
    55回群像新人文学賞優秀作に選ばれた片瀬チヲルのデビュー作だ。女性作家らしい透
    明感ある文体、ファンタジックな世界観で若い女性の心をつかみながらも、性や愛に
    ついての固定観念への疑問をぴしゃりと投げつけるクールさもある。
     作者自身も小説のイメージと違わず、一見物静かで不思議な印象。だが、小説家の
    夢を抱えて上京したという野心家の一面も。
     北海道・帯広の広大な土地で、草花と小川に囲まれて育った。高校の頃から何度も
    新人賞に応募してきたが芽は出ず、夢をかなえるため、明治大学文学部の文芸メディ
    ア専攻に入学。大学で出会った同世代の女の子たちの様々な考え方に触れ、そこで覚
    えた違和感から小説の着想を得た。 写真:東川哲也 ライター:小野美由紀

  • 自転車で切り開く おっちゃんの明日
NPO法人「Homedoor」理事長
川口加奈
1991年1月7日生まれ

 大阪で立ち上げたNPOは4年目に入った。目的はホームレス支援だ。
 一昨年から「HUBchari(ハブチャリ)」という事業を始めている。市内8カ所のコンビニ、ホテルなどに、有料の自転車共同利用所を設置。スタッフは28人に及ぶ元ホームレスのおっちゃんたちだ。現場仕事などで培ってきた手先は器用で、自転車の修理だって任せられる。どの人もパートタイマー。仕事の負荷は軽いが、雇用形態には意図がある。川口加奈は言う。
「利用所で働く人のなかには、元ホームレスで生活保護をもらっていた人が多い。人とのコミュニケーションも発生するここでの仕事は、本格就労に向けた社会的リハビリの場です」
写真:時津 剛 ライター:岡本俊浩

    自転車で切り開く おっちゃんの明日 NPO法人「Homedoor」理事長
    川口加奈
    1991年1月7日生まれ

     大阪で立ち上げたNPOは4年目に入った。目的はホームレス支援だ。
     一昨年から「HUBchari(ハブチャリ)」という事業を始めている。市内8カ所のコンビニ、ホテルなどに、有料の自転車共同利用所を設置。スタッフは28人に及ぶ元ホームレスのおっちゃんたちだ。現場仕事などで培ってきた手先は器用で、自転車の修理だって任せられる。どの人もパートタイマー。仕事の負荷は軽いが、雇用形態には意図がある。川口加奈は言う。
    「利用所で働く人のなかには、元ホームレスで生活保護をもらっていた人が多い。人とのコミュニケーションも発生するここでの仕事は、本格就労に向けた社会的リハビリの場です」 写真:時津 剛 ライター:岡本俊浩

  • 裸でぶつかれ!好きなものに。
ボーイズシンクロエンターテインメント
「iNDIGO BLUE」代表
平澤慎也
1987年9月9日生まれ

 小学校の時はいじめられっ子。今は、人懐っこい笑顔が魅力の若手起業家。平澤慎也(写真中央)の人生を変えたのは、プールの中、男たちが裸で表現する「ボーイズシンクロエンターテインメント」だった。
「iNDIGO BLUE(インディゴブルー)」は、20代前半の男性メンバーで構成され、ホテルやスポーツクラブ、小学校のプールなどで200公演以上もの実績を持つシンクロ
チーム。
「いじめられっ子で、自分を守るために嘘をついたり、気持ちをごまかすことに慣れっこになっていた僕に、『もっと自分を表現してもいい』と教えてくれたのがシンクロ。お客さんにも、パフォーマンスを通じてそう伝えたい」
 純白のブーメランパンツ一つというチームのユニホームに、“裸一貫で自分の好きなものにぶつかれ”というメッセージを込めている。
 やりたいことはやらないと気が済まない。
「自分は早くから夢を見つけられた幸運な人間。でもタイミングは人それぞれ。自分の幸せは他の誰とも一致しない。そう考えて探し続ければ、いつか必ず夢は見つかる」
 青臭い思いは社会の荒波に揉まれて色あせるのが常。だが「誰も見たことのないエンターテインメントを作りたい。シンクロを通じて目の前の人を幸せにしたい」熱い気持ちは、年月を経てますます色濃くなる。インディゴブルーから出発した平澤の描く未来は、どんな綺麗な青色を見せてくれるのだろう。
写真:東川哲也 ライター:小野美由紀

    裸でぶつかれ!好きなものに。 ボーイズシンクロエンターテインメント
    「iNDIGO BLUE」代表
    平澤慎也
    1987年9月9日生まれ

     小学校の時はいじめられっ子。今は、人懐っこい笑顔が魅力の若手起業家。平澤慎也(写真中央)の人生を変えたのは、プールの中、男たちが裸で表現する「ボーイズシンクロエンターテインメント」だった。
    「iNDIGO BLUE(インディゴブルー)」は、20代前半の男性メンバーで構成され、ホテルやスポーツクラブ、小学校のプールなどで200公演以上もの実績を持つシンクロ
    チーム。
    「いじめられっ子で、自分を守るために嘘をついたり、気持ちをごまかすことに慣れっこになっていた僕に、『もっと自分を表現してもいい』と教えてくれたのがシンクロ。お客さんにも、パフォーマンスを通じてそう伝えたい」
     純白のブーメランパンツ一つというチームのユニホームに、“裸一貫で自分の好きなものにぶつかれ”というメッセージを込めている。
     やりたいことはやらないと気が済まない。
    「自分は早くから夢を見つけられた幸運な人間。でもタイミングは人それぞれ。自分の幸せは他の誰とも一致しない。そう考えて探し続ければ、いつか必ず夢は見つかる」
     青臭い思いは社会の荒波に揉まれて色あせるのが常。だが「誰も見たことのないエンターテインメントを作りたい。シンクロを通じて目の前の人を幸せにしたい」熱い気持ちは、年月を経てますます色濃くなる。インディゴブルーから出発した平澤の描く未来は、どんな綺麗な青色を見せてくれるのだろう。 写真:東川哲也 ライター:小野美由紀

  • 氷上の「壁」は 元気印の10代
法政大学スポーツ健康学部1年生/
SEIBUプリンセスラビッツ所属
床亜矢可
1994年8月22日生まれ

 元日本代表だった父・泰則(51)が叶えられなかった夢を、2月にスロバキアで行われたソチ五輪最終予選で代わりに果たした。女子アイスホッケー日本代表エースディフェンス、床亜矢可。あの浅田真央より先にソチ行きを決めた、元気印の10代アスリートだ。
写真:東川哲也 ライター:神津伸子

    氷上の「壁」は 元気印の10代 法政大学スポーツ健康学部1年生/
    SEIBUプリンセスラビッツ所属
    床亜矢可
    1994年8月22日生まれ

     元日本代表だった父・泰則(51)が叶えられなかった夢を、2月にスロバキアで行われたソチ五輪最終予選で代わりに果たした。女子アイスホッケー日本代表エースディフェンス、床亜矢可。あの浅田真央より先にソチ行きを決めた、元気印の10代アスリートだ。 写真:東川哲也 ライター:神津伸子

  • 不完全な調和で 未来をつくる
シンガー・ソングライター
おおたえみり
1992年9月14日生まれ

「未来をつくっていくためには、きれいなハーモニーだけでは足りないんです」
 シンガー・ソングライターのおおたえみりは、こうつぶやく。
 確かに、彼女のつくる音楽はそうなのだ。
写真:時津 剛 ライター:岡本俊浩

    不完全な調和で 未来をつくる シンガー・ソングライター
    おおたえみり
    1992年9月14日生まれ

    「未来をつくっていくためには、きれいなハーモニーだけでは足りないんです」
     シンガー・ソングライターのおおたえみりは、こうつぶやく。
     確かに、彼女のつくる音楽はそうなのだ。 写真:時津 剛 ライター:岡本俊浩

  • コーヒーの魅力伝える メッセンジャー
バリスタ
井崎英典
1990年3月15日生まれ

 バリスタは、コーヒーの持つ魅力をお客様に伝える“メッセンジャー”。そう語るのは、ジャパン バリスタ チャンピオンシップ2012の優勝者、井崎英典(ひでのり)だ。
 長野県は浅間山の麓にある「丸山珈琲」小諸店に勤めつつ、次の世界大会に向け、寝る間を惜しんで技術を磨いている。コーヒーが自分を変えてくれたという井崎。17歳で高校を中退、父が営む福岡のコーヒー豆専門店を手伝い始めた。慢心の自分を変えたのは、業界の重鎮、丸山珈琲社長・丸山健太郎との出会い。自分は井の中の蛙だ、もっと多くのことを学び、丸山のような一流のバリスタになりたい。技術と人間性を磨く修業が始まった。
 東京の大学で学びつつ土日は長野に通い、丸山の元で経験を積んだ。イギリスに留学もした。
「丸山は世界中の生産者に慕われている。この世界は人とのつながりが命。深く外国を理解し、グローバルに人とかかわれる人間になりたい」
写真:東川哲也 ライター:小野美由紀

    コーヒーの魅力伝える メッセンジャー バリスタ
    井崎英典
    1990年3月15日生まれ

     バリスタは、コーヒーの持つ魅力をお客様に伝える“メッセンジャー”。そう語るのは、ジャパン バリスタ チャンピオンシップ2012の優勝者、井崎英典(ひでのり)だ。
     長野県は浅間山の麓にある「丸山珈琲」小諸店に勤めつつ、次の世界大会に向け、寝る間を惜しんで技術を磨いている。コーヒーが自分を変えてくれたという井崎。17歳で高校を中退、父が営む福岡のコーヒー豆専門店を手伝い始めた。慢心の自分を変えたのは、業界の重鎮、丸山珈琲社長・丸山健太郎との出会い。自分は井の中の蛙だ、もっと多くのことを学び、丸山のような一流のバリスタになりたい。技術と人間性を磨く修業が始まった。
     東京の大学で学びつつ土日は長野に通い、丸山の元で経験を積んだ。イギリスに留学もした。
    「丸山は世界中の生産者に慕われている。この世界は人とのつながりが命。深く外国を理解し、グローバルに人とかかわれる人間になりたい」 写真:東川哲也 ライター:小野美由紀

  • リスクは上等 迷ったら攻める
棋士/日本将棋連盟所属
中村太地
1988年6月1日生まれ

 かつて、自らの将棋スタイルを尋ねられて中村太地(たいち)は、笑いながらこう答えた。
「無理攻め、です」
 現在六段。近年は「受け」も巧みになってきたが、やはり信条は駒を激しく動かすファイトスタイルにある。熱が入ると、猛禽類のような目で盤上と相手を見すえる。
「迷ったら、いきます。いっちゃえと」
 気がつけば、誰もがリスクだらけの社会を生きるなか、臆せず相手の懐に飛びこむインファイトが、ファンの喝采を浴びる。
写真:東川哲也 ライター:岡本俊浩

    リスクは上等 迷ったら攻める 棋士/日本将棋連盟所属
    中村太地
    1988年6月1日生まれ

     かつて、自らの将棋スタイルを尋ねられて中村太地(たいち)は、笑いながらこう答えた。
    「無理攻め、です」
     現在六段。近年は「受け」も巧みになってきたが、やはり信条は駒を激しく動かすファイトスタイルにある。熱が入ると、猛禽類のような目で盤上と相手を見すえる。
    「迷ったら、いきます。いっちゃえと」
     気がつけば、誰もがリスクだらけの社会を生きるなか、臆せず相手の懐に飛びこむインファイトが、ファンの喝采を浴びる。 写真:東川哲也 ライター:岡本俊浩

  • 代表監督は、現役大学生
慶應義塾大学SFC4年生/
コンゴ民主共和国フライングディスク協会
副会長兼代表監督
大川晴
1990年7月20日生まれ

日本ではごく普通の大学4年生。だが、アフリカのコンゴ民主共和国に渡ると、肩書がとたんにビッグになる。
大川晴(はる)、なんと代表監督である。
 指導する競技は、アメリカで生まれた「フライングディスク・アルティメット」だ。通称「アルティメット」。7対7のチーム制で、フリスビーを回しながら相手エンドゾーンでパスを決めると1点。大川も大学サークルで競技に燃えた。でも、それがなんだってコンゴでの代表監督につながるのか。
 1年前、大学で入ったゼミの関連プログラムが、コンゴ政府から現地の教員大学で日本語を教えてほしいと頼まれていた。立候補した大川は、日本語教師としてコンゴに渡ったが、日本から持ってきたフリスビーが運命を変えた。
 軽い気持ちで競技の説明をすると、話が広まってスポーツ省の幹部が飛んできた。
「ぜひ、我が国で普及に努めてくれないか」
写真:時津 剛 ライター:岡本俊浩

    代表監督は、現役大学生 慶應義塾大学SFC4年生/
    コンゴ民主共和国フライングディスク協会
    副会長兼代表監督
    大川晴
    1990年7月20日生まれ

    日本ではごく普通の大学4年生。だが、アフリカのコンゴ民主共和国に渡ると、肩書がとたんにビッグになる。
    大川晴(はる)、なんと代表監督である。
     指導する競技は、アメリカで生まれた「フライングディスク・アルティメット」だ。通称「アルティメット」。7対7のチーム制で、フリスビーを回しながら相手エンドゾーンでパスを決めると1点。大川も大学サークルで競技に燃えた。でも、それがなんだってコンゴでの代表監督につながるのか。
     1年前、大学で入ったゼミの関連プログラムが、コンゴ政府から現地の教員大学で日本語を教えてほしいと頼まれていた。立候補した大川は、日本語教師としてコンゴに渡ったが、日本から持ってきたフリスビーが運命を変えた。
     軽い気持ちで競技の説明をすると、話が広まってスポーツ省の幹部が飛んできた。
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故郷の海に背中を押されて
プロサーファー
高橋みなと
1993年8月9日生まれ

「世界を舞台に戦い続けたい。わたしの活躍が故郷・仙台の励みになると思うから」
 そう意気込むプロサーファーの高橋みなとは、国内のジュニア大会で何度も入賞を果たし、世界大会にも出場する若手のホープだ。
 仙台新港の海で、小3から波に乗る。自然が相手だからこその「完成形のない楽しさ」がたまらない。小6で初めて大会に出場し、4位に入賞。その大会で見たプロのライドに憧れた。
 高校は地元の聖和学園高校に進んだが、入学式は欠席した。南米エクアドルで開催された18歳以下の世界大会に出場するためだったが、「入学式は休むし、日焼けしたガングロ金髪だし、クラスメートからは最初、めっちゃ引かれました」
 慣れ親しんだ宮城の海を大津波が襲ったのは、高3への進級を間近にひかえた3月11日。毎日、海に入っていた高橋は、何となく異変を感じていた。
「1週間前から不思議なほど波が立たなくて。当日はなぜか気分が乗らず、海に行かなかった」
写真:東川哲也 ライター:小野美由紀
ヒトの内面を「鏡」で操る
東京大学大学院学際情報学府博士課程
吉田成朗
1989年3月4日生まれ

 私たちはなぜ泣くのか。フツーは「悲しいから」と答えるだろう。しかし、認知科学では、これを正解とは結論づけない。東京大学大学院学際情報学府の博士課程で研究する吉田成朗(しげお)は、こう答えるのだ。
「ヒトの感情から行動に至る経路は一方通行ではなく、逆パターンもあり得るのではないか」
 つまり、泣くから悲しくなるということも、あり得るのではないか。仮説を実証するため、吉田はある鏡をつくり、2013年度のグッドデザイン賞、東大総長賞を受賞した。その名も「扇情的な鏡」。
写真:時津剛 ライター:岡本俊浩
電子の音色に宇宙を感じて
シンガー・ソングライター
モデル
Maika Leboutet
1989年10月23日生まれ

 宇宙を感じさせる不思議な旋律と、言葉で遊ぶような歌詞。マイカ・ルブテの曲には、思わず空を見上げたくなる
車いす目線でバリアを価値に
ミライロ代表取締役社長
垣内俊哉
1989年4月14日生まれ

 スマホに入れたアプリで45歳までの日数をカウントダウンしている。病状が重くなるかもしれないと医師に宣告された年齢まで、あと約7300日。ベンチャー企業「ミライロ」(大阪市)の社長、垣内俊哉はいま、自分のためでなく、社会のために時間を費やしている。
 自治体や企業、大学に、体の不自由な人が暮らしやすい建築や製品デザインをアドバイスする。車いすには幼稚園の頃から乗っている。骨が弱くて折れやすい難病を患っているためだ。
「経営者向きの“チキンな性格”になったのは、車いす生活のおかげかも。小学校の遠足でも、入れるトイレはあるのか、降りる駅の改札に最も近い車両はどこかと、心配事ばかり。用意周到に備えるクセが、いまは仕事に生きている」
 立命館大学の経営学部卒。2年生のとき、全国の大学のバリアフリー箇所のマップ制作や情報発信をする事業を考えた。ビジネスコンテストで獲得した賞金を元手に同級生と起業。社名には、誰もが「未来の色」を描き、「未来の路(みち)」をつくるという思いを込める。
写真:時津剛 ライター:小野美由紀
未踏の空白地帯はニホンオオカミ
早稲田大学探検部、同大人間科学部1年
和田愛也子
1994年11月17日生まれ

 100年余り前、奈良県で捕獲されたのを最後に、ニホンオオカミは姿を消す。だれもが絶滅を信じて疑わないが、そんな幻の獣を早稲田大学探検部の和田愛也子(あやこ)が追っている。
 栃木県出身。大学まで探検はもちろん、登山などの経験もなかったが、部の説明会で幹事長の「アマゾンで世界最大の大蛇をつかまえる」という熱い語りを聞き、興味をそそられた。ニホンオオカミを探索すると知り、入部を決めた。
 早大探検部といえば、直木賞作家の船戸与一、ノンフィクション作家の高野秀行、角幡唯介(かくはたゆうすけ)らが輩出した名門。アマゾン川や、直近ではインドネシアの鍾乳洞など、数多く海外遠征を重ね、探検してきた歴史は、部のプライドだ。ニホンオオカミの探索は、探検部OBから一昨年、打診があった。部にとっては異色の試みで、15人ほどの部員の中から、和田ら3人が捜索隊に参加する。
写真:東川哲也 ライター:岡本俊浩
協力(背景のニホンオオカミ):和歌山大学教育学部
プロレス界の新星 ザ・フューチャー
プロレスラー、学生
竹下幸之介
1995年5月29日生まれ

 高校の卒業式を翌々日に控えた夜、18歳の竹下幸之介は、東京の新宿・歌舞伎町でプロレス会場のリングにいた。場外乱闘で首根っこをつかまれ、パイプ椅子に突っ込む。リングでは、コーナーポストに登ってドロップキック。身長187センチ、体重90キロの体が宙を飛び、急角度で相手の胸板をえぐる。
 恵まれた肉体は、陸上の混成競技で磨いた。中学3年ではジュニア五輪の4種競技で全国3位、高校時代も将来の五輪候補と目された。
「走る、跳ぶ、投げる。混成競技はプロレスのトレーニングとして理想形だった」(竹下)
 大阪市出身。プロレスラーをめざすきっかけは、父親の冗談だった。幼稚園に入園する前のことだ。
「アントニオ猪木は、仮面ライダーにやったら勝てるんちゃうか。身長はだいたい同じやし」
 この世界には、大好きな特撮ヒーローより強い人間がいる──。体に電流が走った。以来、プロレスの虜(とりこ)になり、小学5年で「プロレスラーになる」と宣言した。
写真:東川哲也 ライター:岡本俊浩
時代が欲するささやく歌声
シンガー
南波志帆
1993年6月14日生まれ

「自分の声が実は好きではなかった」
 透明感のあるソフトな歌声が、ずっとコンプレックスだった。安室奈美恵や中島美嘉といった「歌姫」は、憂いのある声で情熱的に熱唱する。そんな歌声がもてはやされていた時代、自分の高くてか細い声を思うとき、歌姫たちとの距離の大きさを感じずにはいられなかった。しかし、あれから10年……。時代は今、ささやくように歌うJポップシンガー、南波志帆を欲している。
 2012年発表のサードシングル「少女、ふたたび」は、深夜ドラマの主題歌に起用され、話題を集めた。
「ひとりがいい/ひとりはやだ/わたしはどっちでいたい?/心、読みたい?/読みたくない?/『こころ』は読んだことない」
 10代の女の子の揺れ動く心を歌い、
人々の幸せ願い“蝶”は飛ぶ
デジタルクリエーター
Tehu
1995年8月16日生まれ

「てふてふが一匹韃靼(だったん)海峡を渡つて行つた」
 安西冬衛の一行詩を、中学1年の授業で聞いた。同級生が彼に「てふ」とニックネームをつけた。本名は張惺(ちょうさとる)。張は「蝶」になり、「Tehu」を名乗ろうと決めた。
 2月6日に灘高校を卒業したが、その名は中学時代から轟(とどろ)く。iPhone用の無料アプリ「健康計算機」をつくり、世界3位のダウンロード数を記録。福島第一原発事故直後にはアプリ「放射能計算機」を開発した。彼を一躍有名にしたのは、2010年に始めたウェブ上の生番組だろう。アップル共同創業者、スティーブ・ジョブズの新製品発表を同時通訳し、わかりやすい解説付きで放映した。以後、講演や企画の依頼が引きも切らず、今や次世代のリーダー的存在だ。
 中国人の両親は、もとは天津の歌劇団のオペラ歌手だった。しかし、伝統芸能の先行きを案じた父は、1989年に夫婦で来日。神戸市にある中国系インターナショナルスクールの教員になった。そんな両親のもとに生まれたTehuは、2歳から父のパソコンで遊んだ。3歳からピアノを習い、公文式の教室で英語と算数を学び、小学校は父のいる学校へ進んだ。
写真:時津剛 ライター:西元まり
何万回と転んで見える未到の景色
BMXライダー
池田貴広
1990年5月17日生まれ

 金属の塊であるはずの自転車は、前輪がふわりと宙に浮き、くるくる回り始めた。タイヤがきしむ。フレームに足をかけて立ち上がると、頭のてっぺんまでの高さは3メートルを超えた。池田貴広のオリジナル技「IKE SPIN」だ。
 小径の競技用自転車「BMX」のプロライダー。2010年、平地を走りながら次々と技を繰り出す「BMXフラットランド」のスペインで行われた世界大会で優勝した。翌年には高速スピンの連続回転数でギネス世界記録を塗り替えた。以来毎年、ギネス世界記録に挑戦し、いまでは三つの記録を保有する。その一方で、イベントやコンサートに出演したり、テレビ番組や広告に出たり、子どもたちに教えたり……忙しい毎日を送る。
写真:東川哲也 ライター:小野美由紀
鷹がくれた社会との接点
「そらたか」代表、鷹匠
真野将孝
1989年9月13日生まれ

 若き「鷹匠(たかじょう)」だ。真野将孝の相棒は2羽のハリスホーク。八代海に面する熊本県津奈木町で暮らす。狩猟では、イヌが探したキジを、真野の操るタカが空中から急降下して狩る。
 相棒の「ロイ」を前腕に乗せ、すうっと腕で押す。すると、ロイは翼を広げて飛び立った。呼び笛をピッと鳴らす。舞い戻ってきて前腕に止まる。真野は、このタカたちと現代社会を生き抜こうとしている。
 鷹匠の仕事は様々だ。狩猟、イベントでのフライトショーのほか、企業の依頼で害鳥対策を請け負うこともある。食品倉庫に寄ってくるカラスやハトを、タカを差しむけて追い払う。何度かやると、近寄らなくなるのだ。タカやフクロウなど猛禽類の販売も手がけ、近く熊本県内に店舗を構える予定だ。
 この道に入ったのは、幼い頃、父と一緒に行った山菜採りのときの経験がきっかけ。空から急降下する猛禽類を見た。その凛々しい姿が忘れられず、インターネットで調べていると、鷹匠の存在を知った。「こんな仕事があるのか!」と感銘を受け、中学の終わりごろ、父に懇願してタカを手に入れた。ただ、買ったはいいが、どう扱えばいいのか分からない。再びパソコンに向かい、師匠となる鷹匠を探し、6年間通いつめて教えを請うた。
 中学・高校時代、不登校で苦しんだ。集団生活になじめなかった。定時制高校に通い直し、高卒の資格を得た。タカは苦しかった思春期、伴走してくれた友でもある。
写真:外山俊樹 ライター:岡本俊浩
高く軽やかに宙を舞う妖精
エアリアルパフォーマー
長谷川愛実
1990年5月14日生まれ

 天井からつるされた長い布に体をからませ、空中で軽やかに舞う。ぶら下がったり、回転したり、逆さになったり……。長谷川愛実(あいみ)は、サーカスなどで人気の演技「エアリアルティシュー」のパフォーマーだ。
 出会いは、13歳のときに見たエンターテインメント集団「シルク・ドゥ・ソレイユ」のショー。初めてエアリアルティシューを目撃し、憧れた。バレエを本格的に習い始め、18歳で専門スタジオ「エアリアル・アート・ダンス・プロジェクト(AADP)」の門をたたいた。
 まずは棒登りの要領で、布を足にからめ、8メートルの天井まで登る練習から。プロを目指す者はさらに、腕だけで登る修練を積む。男でもキツイのだから、腕の力が弱い長谷川は当然、登れなかった。悔しくて公園の鉄棒やジムで毎日、懸垂に励んだ。あまりの真剣さに、アームレスラーから声をかけられたほどだ。
写真:東川哲也 ライター:西元まり
“平均”の街から降るカラフルな異世界
映像・アニメーション作家
ひらのりょう
1988年9月14日生まれ

 最新の短編アニメ「パラダイス」は、宇宙で出会った男と熊の物語だ。「2001年宇宙の旅」の
「分からない」 叫ぶ
夜の自販機前で技を磨いた
フリースタイル・フットボールプレーヤー
徳田耕太郎
1991年7月21日生まれ

 ショーはボールを足でこすりあげた瞬間から始まる。脚、ひざ、肩……。腕を除く体のあらゆる部分を使って、ボールと戯れる。
 徳田耕太郎の取り組む競技は、「フリースタイル・フットボール」。基本的にはリフティングなのだが、手を地面につけ、重力に逆らって脚でボールをつかまえるようなアクロバティックな動きを交えるのが特徴だ。
「11人制のサッカーと違って、完全な個人競技。ボールひとつでできる手軽さから、この10年で急速に競技人口が増えています」
 2012年、イタリアで開催された世界大会で、アジア人で初めて優勝。53カ国から参加した54人の頂点に立った。
写真:時津 剛 ライター:岡本俊浩
“素直さ”で世界制覇
にいがた製菓・調理師専門学校えぷろん職員
パティシエ
上野実里菜
1990年10月12日生まれ

 植物を精巧にかたどった色鮮やかな飴細工は、まるで図鑑の中から飛び出してきたようだ。つくったのは、にいがた製菓・調理師専門学校えぷろん(新潟市)の職員、上野実里菜(みりな)。世界の若手パティシエでナンバー1の実力を持つ。
 ロンドンで開催された2011年の技能五輪国際大会。上野は洋菓子製造職種の部で優勝した。翌年はブラジルであった世界ジュニア製菓技術者コンクールで、金メダルに輝いた。この2冠達成は日本人で初めてという。
写真:東川哲也 ライター:小野美由紀
怒りと違和感が物語を生んでいく
小説家、会社員
朝井リョウ
1989年5月31日生まれ

 作家のかたわら、会社員を続けている。それは、保険をかけているのでも、話題づくりでもない。社会人になるのが、直木賞よりもほんの少し早かっただけのことだ。
 朝井リョウは当分、会社を辞めるつもりはない。
「会社を辞めて退路を断て、と言われることもある。友達がいない、まして異性の友達なんてもっといない、孤独から生まれる表現こそ素晴らしい……作家には何となくそういう
伝え、壊す 華道に新風
いけばな小原流五世家元
小原宏貴
1988年3月26日生まれ

 床の間いっぱいに、松が伸びやかに広がる。中心には空間を切り裂くように立つバナナの茎。
「えっ! バナナ?」
 意表を突く組み合わせに、思わず声が漏れた。この作品をつくったのは、いけばな小原流の五世家元、小原宏貴(おはらひろき)だ。
 神戸市の御影で生まれ育った。父の夏樹が42歳の若さで急逝(のちに四世を追贈)。1995年、三世の祖父、豊雲(ほううん)も死去すると、わずか6歳にして家元を継いだ。10歳から人前でいけばなを披露するが、本格的な活動は2010年、甲南大学を卒業してからだ。国内158支部、海外57支部、30万人を超える会員を束ねる。
「家元」の仕事は多岐にわたる。花展を指揮するディレクターであり、技能を広める伝承者であり、新しい表現手法に挑戦するアーティストでもある。
「責任は感じるけれど、やっぱり花をいけるのは楽しい。それが一番です」
写真:外山俊樹 ライター:小野美由紀
仕事も暮らしも環境をいかして
音楽ファシリテーター
小山和音
1991年5月28日生まれ

 小山和音(かずね)は自分の仕事をこう説明する。
「音で人や環境の可能性を切り拓くこと」
 熊本県の寺で、あるイベントが催された。奉納の舞の動きに合わせ、音色が変わる。使われているのは、動きを音に変換する特殊な装置。舞い手が両腕で空気を抱きしめ、指先で弾くような動きをするたびに、音が変化する。
 景色も音になる。船にカメラをセット。航行中の眺望を感じ取り、変幻自在に音は表情を変える。小山は「わかりにくい仕事」と苦笑するが、この道を歩く理由はちゃんとある。
「世の中が良くなればうれしい」
写真:馬場岳人 ライター:岡本俊浩
ともに見つめる生と死の懸け橋
あそかビハーラクリニック
ビハーラ僧 研修生
高蔵大樹
1988年7月25日生まれ

「ビハーラ」という言葉をご存じだろうか。古代インドのサンスクリット語で、僧院や休息の場所を意味する。平安時代から、仏教僧が死を迎える人々を世話し、看取る制度があった。ビハーラは今、末期のがん患者らの苦痛を和らげるため、僧侶が行う心のケアのことをさす。
 京都府城陽市に終末医療を提供する施設「あそかビハーラクリニック」がある。浄土真宗本願寺派が母体となって設立した緩和ケア病棟で、僧侶が常駐している。高蔵大樹は、ここでビハーラ僧になる研修を受けている。
 広島県内にある浄土真宗のお寺の17代目。小さな頃から生と死について考えることが多かった。龍谷大学の文学部仏教学科に進み、在学中には軽音楽部で活動。タイでエイズホスピスを訪れたときに感じた生と死の矛盾を詩に書き、ギターにのせてシャウトした。「激情ハードコア」ライブだ。卒業後は仏教の専門学校に2年間通い、今年4月から今の施設で働く。
写真:外山俊樹 ライター:小野美由紀
津軽三味線で荒波を生き抜く
津軽三味線奏者
葛西頼之
1988年7月17日生まれ

「津軽三味線は音階がブルースで、リズムはジャズ。打楽器の要素もあり、実はロックな楽器なんですよ」
 そう語る葛西頼之(よしゆき)は、伝統芸能の型にはまらない三味線奏者だ。ソロ活動だけでなく、若手津軽三味線奏者のユニット「疾風(はやて)」のメンバーとして、ももいろクローバーZなど、Jポップとも協演。ラジオのパーソナリティーやテレビの司会もこなす。最新アルバム「三枚目っ!!」は、1万5000枚を売り上げた。
 青森県西津軽郡鰺ケ沢町の出身。10歳のとき、小学校の授業で習った三味線に魅せられ、大御所の長峰健一に弟子入り。下働きの合間に居酒屋で演奏し、経験を積んだ。
 曽祖父がロシア人ということもあり、背が高くて色白。英語、中国の広東語、ロシア語を操り、海外公演では自らMCを務める。
「通訳がいらないから、安上がりで重宝されているんですよ」
 さらりと言ってのけるが、そのやわらかな物腰からは、努力に裏打ちされた自信がのぞく。
写真:馬場岳人 ライター:小野美由紀
歌を強くするのは幸福と不幸の距離
シンガー・ソングライター
青葉市子
1990年生まれ

 音楽界ではいま、ギター1本で聴衆と向き合うシンガー・ソングライターが、静かなブームになっている。23歳の青葉市子も、その中の一人だろう。第一線で活躍する他の面々と比べ、群を抜いて若い。けれども、青葉にははしゃいだところがまったくない。深い森のなかで木霊と話すようにギターを弾き、夢と現実が交錯する心象風景を歌ったかと思えば、「あなたの秘密を ばらしてあげましょう/仮面の下は恐ろしい顔/みんなにも見せてあげて」(不和リン)
「人は誰かをナイフで突き刺しながら歩んでいく それがいのちのさだめ」(重たい睫毛)
 と、人の内面をギクリとする形容でえぐる。8月に発売されたCD「ラヂヲ」には、細野晴臣、坂本龍一、小山田圭吾らとのセッションが収録されている。この若さでこれだけの面々と競演できるのは、高い評価の裏づけだろう。
写真:東川哲也 ライター:岡本俊浩
競技から舞台へ可能性を求めて
青森大学新体操部
小林翔
1992年1月14日生まれ

 動画サイトでもいい。一度でも男子新体操を見れば、その動きの精密さ、俊敏さに引き込まれる。それはまるで忍者集団のよう。
 青森大学は男子新体操の強豪。4年生の小林翔は、その中のエースだ。愛知県出身で、中学1年のときにひじを痛めて野球をやめ、一つ年上の兄がいる新体操部に入部した。
 男子新体操は競技人口が1500人ほど。団体競技は約3分間、6人が息を合わせて演じる。バック転や宙返りの連続技タンブリング、倒立などを繰り広げる。個人競技にはスティック、リング、ロープ、クラブの4種目があり、約1分半ずつ演じる。小林は中学、高校では団体、個人の両方をやっていたが、トップ選手が集まる青森大では、個人競技に専念している。
 語り継がれるOBがいる。大坪政幸だ。男子の新体操部の第1期生で、小林も高校2年のとき、指導を受けた。だが、2009年夏、病気のため27歳の若さで亡くなった。その年の秋にあった全日本選手権大会。青森大は団体競技で、大坪が個人競技で使っていた曲「BLUE」に合わせて舞い、優勝した。この動画は150万回以上、再生された。
写真:東川哲也 ライター:西元まり
神宮に刻む“野球狂の詩”
慶應義塾大学法学部2年
体育会野球部投手
川崎彩乃
1992年7月3日生まれ

「もっと俺の胸をめがけて投げてみろ!」
 幼稚園のころから、家の前の路地や近くの公園で、父と暗くなるまでキャッチボールをしていた。大学生になった今も大好きな野球に打ち込む川崎彩乃の目標は、「憧(あこが)れの神宮のマウンドに立って、チームの勝利に貢献すること」
 所属する慶應義塾大学の体育会野球部は今季、東京六大学野球で優勝争いを展開。11月2日からは伝統の「慶早戦」だ。
 宇都宮で少年野球チームに入った当初は、外野手だった。秋田、横浜と引っ越しても、野球に対する姿勢は変わらなかったが、ポジションは監督の一言でピッチャーに変わった。その目は、漫画『野球狂の詩(うた)』(水島新司作)の主人公、水原勇気のように、キラキラと輝く。
 高校球児の憧れである甲子園のマウンドに、女子選手は立てない。それならばと女子硬式野球の強豪、駒沢学園女子高校(東京)に進んだ。2009年、全国高校女子硬式野球選抜大会で準優勝。最多勝利をあげ、ベストナインに選ばれた。
写真:時津 剛 ライター:神津伸子
赤い宇宙に刹那を込めて
金沢卯辰山工芸工房 技術研修者
陶芸家
吉村茉莉
1988年12月31日生まれ

 小さな器の中に、曼荼羅(まんだら)のような赤い宇宙が広がる。九谷焼の絵付けの技法の一つである「赤絵細描(さいびょう)」は、赤い顔料を使い、極細の筆で0.1ミリにも満たない線を引き、白磁の器にびっしりと模様を入れてゆく。気が遠くなるほど繊細な作業だ。
 陶芸家、吉村茉莉(まり)の描く赤絵は、ハート形などの若者らしいポップなモチーフと、伝統の模様をバランスよく融合させた新しいデザインだ。何度も窯に入れて焼くために時間がかかり、大量生産はできない。一つ一つ、心をこめて白い素地に模様を描いてゆく。
「小さな頃からパズルが好き。真っ白な画面をピースで埋めてゆく快感は、赤絵にも通じる」
写真:時津 剛 ライター:小野美由紀
ひとり旅のように台本をめくっていく
俳優
神木隆之介
1993年5月19日生まれ

 ロケで全国を飛び回る。撮影がはじまったら、現場とホテルの往復。閉じられた世界で、ときが過ぎていく。だからこそ、「時間が空いたら、カメラ片手に
欲しいのは
ヒマが生んだ天文学の大発見
京都大学理学部宇宙物理系4年
柴山拓也
1990年8月23日生まれ

 太陽の表面で起きる爆発がある。「フレア」だ。それを上回る大爆発を「スーパーフレア」と呼ぶ。長年、天文学界では「われわれの太陽でスーパーフレアは起きない」とされてきたが、昨年、京都大学教授の柴田一成らの研究グループが、定説を覆した。米国の天文衛星が観測した、太陽に似た星のデータを解析。365例ものスーパーフレアが起きていることを突きとめ、科学誌「ネイチャー」に論文が掲載された。その第1発見者が柴山拓也だ。
 大発見のきっかけは、柴田の何げないひと言だった。
「1年生だし、どうせヒマだろう。やってみないか」
写真:外山俊樹 ライター:岡本俊浩
映画で訴えた“俺たちを見ろ”
多摩美術大学造形表現学部3年生
映画監督
中村祐太郎
1990年5月11日生まれ

 初めて撮った劇映画「ぽんぽん」で5月、東京学生映画祭の実写部門グランプリをとった。
 中村祐太郎(左から2人目)は、多摩美術大学の夜間学部で映画づくりを学ぶ。教えるのは映画監督の青山真治らだ。青山は「ぽんぽん」の脚本や予算に、容赦なくツッコミを入れた。飲み会ではすぐ酔いつぶれるが、ムクッと起きて語り出す映画論に、すごみを感じる。
「これが映画監督か」
 都立三田高校卒だが、「とりあえず進学」では燃えるものがない。周囲の反対を押し切り、美大を志望した。武蔵野美術大学のオープンキャンパスでは、燃えすぎて講師と口論になったが、多摩美の講師に誘われ、行くことにした。
写真:東川哲也 ライター:岡本俊浩
被災地に現れた教育界の
闘うだけが
凛として未来見据えて
歌舞伎役者
中村隼人
1993年11月30日生まれ

 初夏の東京・国立劇場は高校生であふれていた。歌舞伎鑑賞教室「紅葉狩」1カ月公演。多くの若者が歌舞伎デビューを果たす瞬間にワクワクな面持ちだ。
「うぉー!」の歓声と拍手喝采は、オープニングのドラマ「ガリレオ」のメインテーマが場内に響き渡ると、最高潮に達した。
 つかみはOK。指南役で新世代歌舞伎リーダーの一人、中村隼人が水色の着物姿で颯爽と現れた。中村勘九郎・七之助、市川海老蔵らに次ぐ、フレッシュな若者だ。今回、舞台での解説だけにとどまらず、演出も手がけた。
「自分も歌舞伎役者でなければ、この年で歌舞伎は観なかった。そんな世代に、どうしたら興味を持ってもらえるか、必死に考えました」
写真:東川哲也 ライター:神津伸子
私には人より色が見える
トッパンコミュニケーションプロダクツ
谷本まりの
1992年10月生まれ

「印刷機は生きています! 機械と私の波長がぴったり合う一瞬は突然やってきて、最高の仕事ができるのです」
 印刷オペレーターの谷本まりのは、技能五輪国際大会「印刷」職種の代表選手だ。
技能五輪は1950年、スペインの職業青年団が提唱して、ポルトガルとの間で各12人の選手が技能を競ったことに源を発する。7月上旬に独ライプチヒで開かれた42回大会には46職種に日本など52カ国・地域の計986人が参加。日本は情報ネットワーク施工、自動車板金など5職種で金メダルを獲得したほか、銀4個、銅3個、敢闘賞18個の成績を収めた。
 印刷オペレーターとは、クライアントの要望に応じて印刷用の板を作り、色見本に合わせてインクを調合して印刷用の機械に入れ込み、印刷物を製作していく技能者だ。大会では、次回開催国ブラジルの国旗をあしらったポスターが課題に出され、限られた時間の中で忠実に多くの色を再現しなければならなかった。
「金を目指した」谷本に、初めて扱うドイツ製機械の操縦の難しさが立ちはだかった。
写真:時津 剛 ライター:神津伸子
未踏の宇宙開発は対話から始まる
宇宙航空研究開発機構(JAXA)
誘導・制御グループ
春木美鈴
1988年1月23日生まれ

 低い音をたてて、6本脚の黒い装置が走っていく。ターゲットは奥の白い板だ。
 6本脚は国際宇宙ステーション補給機の「こうのとり」、白い板は「国際宇宙ステーション」(ISS)に見立てている。この設備は、宇宙空間で両機が接近・結合するシステムを試験する目的でつくられた代物だ。
 地球周回軌道上のISSには日本人も搭乗しているから、定期的にこうのとりで物資の補給をしている。ただし、事はそうカンタンではない。白衣を着た春木美鈴はこう解説する。
「両機は秒速7.7キロで地球を周回しているので、接近・結合するためには試験装置に極めて高い精度が求められるんです」
写真:東川哲也 ライター:岡本俊浩
就職も起業も変わらない
株式会社エイダ 代表取締役
野澤恭平
1988年1月7日生まれ

 3年前、コミック全巻販売専門のネットショップ「百夢(ひゃくむ)」を立ち上げた。
 オフィスは、東京・神保町のマンションの一室にある。扉を開けると、2DKの室内でわさわさと梱包作業が進んでいた。売るのはすべて新刊だ。やっぱり『ワンピース』の売れ行きは頭ひとつ抜けていて、グッチとコラボレーションしてからは、『ジョジョの奇妙な冒険』の大人買いが伸びた。新しいファンがついているのを、売りながら感じる。注文が入ったら、近所の卸倉庫で商品を買いつける。在庫を持たなくていいのが百夢の強みだ。
写真:東川哲也 ライター:岡本俊浩
福島の農業に希望の種をまく
「きぼうのたねカンパニー」代表取締役
菅野瑞穂
1988年3月7日生まれ

 福島県二本松市で農業の再生に取り組む「きぼうのたねカンパニー」代表、菅野(すげの)瑞穂は、これからの福島の農業を背負う期待の星だ。
 日本女子体育大学でセパタクローに4年間打ち込み、日本代表にまでなったが、卒業後、7代続く実家の農業を継いだ。原発事故が起きたのは就農1年目。作付け制限解除後も先の見えない不安に地域は揺れたが、迷った末、例年通り田植えをすることにした。
「一言で福島といっても、いろんな地域がある。会津など放射能の被害を受けていない地域まで風評で売り上げが落ち、困っている」
写真:時津 剛 ライター:小野美由紀
働く以外は欲しくない
BASE株式会社 代表取締役
鶴岡裕太
1989年12月28日生まれ

 昨年末、IT業界で話題をさらったネットショップ運営サービスがある。鶴岡裕太らが手がけた「BASE」(ベイス)だ。立ち上げる前、大分県で洋品店を営む母親がこぼしていた。
「ネットショップを始めたいけど、やり方が難しくてサッパリわからない」
 だから、デジタルが苦手な母親でもできるようなサービスをつくった。手続きはドメインなど三つの項目を埋めるだけ。機能は必要最低限で、無料。現在の月間流通額は「1億円いかないほど」(鶴岡)だが、スタートから半年余りで3万ユーザーに達した。
写真:時津 剛 ライター:岡本俊浩
バイリンガルはニッポンの応援団長
中央大学応援団長
本城亜利架
1991年8月25日生まれ

 神宮の杜に、本城亜利架の声が響き渡る。
「ほ~ら、かっとばせ~!」
 生まれは米国、育ちはニュージーランド、オーストラリア。羽織袴姿で80人超の応援団を率いる一方で、「不自由なのは、日本語デス」と、屈託なく笑い飛ばしてもみせる。
 中学2年まで海外で暮らし、帰国後もインターナショナルスクール。高校時代はショートカットで、バンドでベース。日本の伝統・文化・タテ社会がまったくわからなかった。
「日本を知りたい」
 生粋の日本人の友人に相談したところ、「応援団しかないだろ」と即答された。4年間の制服は、学ランと袴と決めた。
写真:時津 剛 ライター:神津伸子
島を想う異端の「姫君」
アーティスト/小豆島地域おこし協力隊員
岡村美紀
1990年9月27日生まれ

 グロテスクな生物の器官か、はたまたマグマが生み出した大自然の奇景か。原始的な生命のエネルギーを具現化したような、摩訶不思議な形の架空の物体を、手を墨だらけにして描き上げる「絵師」。岡村美紀が活動するのは、ニューヨークでも東京でもなく、のどかな風景の広がる瀬戸内の離島、小豆島だ。
「東京じゃなきゃ成功しないという考えは古い。私がここで成功したら、既存の価値観を覆せる」
 京都造形芸術大学を卒業後、ドイツ留学を予定していたが、今年開かれている「瀬戸内国際芸術祭」でアーティスト・ヤノベケンジ氏の作品に参加。小豆島の港で巨大な龍の壁画を描き上げ、その迫力が話題を呼んだ。
写真:東川哲也 ライター:小野美由紀
ワカモノだって政治変えたい
政治活動家/慶應義塾大学1年生
青木大和
1994年3月9日生まれ

 選挙権はなくても、政治に参加したい! 若者の政治関心の向上を目指し活動する任意団体「僕らの一歩が日本を変える。」のメンバーは全員、10代だ。代表の青木大和(やまと)は、高校在学中にこの団体を立ち上げ、昨年夏に政治家と高校生の討論会「高校生100人×国会議員@国会議事堂」を開催。SNS上で話題を巻き起こした。現在は、長野県の公立中学校で政治教育の授業を担うなど、前例のない取り組みに挑戦している。
 小学生の頃から政治に並ならぬ関心を持ち、ひそかに政治家を夢見ていたが、中学まではスポーツも勉強も苦手な「フツー」の生徒だった。
写真:時津 剛 ライター:小野美由紀
大見出し 快速でえぐる 世の中の根っこ
福田哲丸
ロックバンド「快速東京」ボーカル
1988年8月4日生まれ

 演奏終了後は全てを出し尽くし、動けなくなってしまうこともある。この日も福田哲丸は壊れてしまうんじゃないかとハラハラするぐらい踊り、歌った。
 福田がボーカルを務める4人組ロックバンド「快速東京」。楽曲はその名の通り高速で、1分前後と短い。ぼーっとしていたら終わる。でも、それに不満をこぼす観客はいない。彼らの演奏は、切り立った山の稜線を辿るのと同じで常にスリルがある。
 ライブの尺が平均30分だろうと、問題にならないほど濃密なのだ。
写真:外山俊樹 ライター:岡本俊浩
迷ってゆらいで 言葉に乗せて
小説家
片瀬チヲル
1990年10月17日生まれ

 「恋も愛も求めない」現代的な人魚姫が主人公の小説『泡をたたき割る人魚は』。第
55回群像新人文学賞優秀作に選ばれた片瀬チヲルのデビュー作だ。女性作家らしい透
明感ある文体、ファンタジックな世界観で若い女性の心をつかみながらも、性や愛に
ついての固定観念への疑問をぴしゃりと投げつけるクールさもある。
 作者自身も小説のイメージと違わず、一見物静かで不思議な印象。だが、小説家の
夢を抱えて上京したという野心家の一面も。
 北海道・帯広の広大な土地で、草花と小川に囲まれて育った。高校の頃から何度も
新人賞に応募してきたが芽は出ず、夢をかなえるため、明治大学文学部の文芸メディ
ア専攻に入学。大学で出会った同世代の女の子たちの様々な考え方に触れ、そこで覚
えた違和感から小説の着想を得た。
写真:東川哲也 ライター:小野美由紀
自転車で切り開く おっちゃんの明日
NPO法人「Homedoor」理事長
川口加奈
1991年1月7日生まれ

 大阪で立ち上げたNPOは4年目に入った。目的はホームレス支援だ。
 一昨年から「HUBchari(ハブチャリ)」という事業を始めている。市内8カ所のコンビニ、ホテルなどに、有料の自転車共同利用所を設置。スタッフは28人に及ぶ元ホームレスのおっちゃんたちだ。現場仕事などで培ってきた手先は器用で、自転車の修理だって任せられる。どの人もパートタイマー。仕事の負荷は軽いが、雇用形態には意図がある。川口加奈は言う。
「利用所で働く人のなかには、元ホームレスで生活保護をもらっていた人が多い。人とのコミュニケーションも発生するここでの仕事は、本格就労に向けた社会的リハビリの場です」
写真:時津 剛 ライター:岡本俊浩
裸でぶつかれ!好きなものに。
ボーイズシンクロエンターテインメント
「iNDIGO BLUE」代表
平澤慎也
1987年9月9日生まれ

 小学校の時はいじめられっ子。今は、人懐っこい笑顔が魅力の若手起業家。平澤慎也(写真中央)の人生を変えたのは、プールの中、男たちが裸で表現する「ボーイズシンクロエンターテインメント」だった。
「iNDIGO BLUE(インディゴブルー)」は、20代前半の男性メンバーで構成され、ホテルやスポーツクラブ、小学校のプールなどで200公演以上もの実績を持つシンクロ
チーム。
「いじめられっ子で、自分を守るために嘘をついたり、気持ちをごまかすことに慣れっこになっていた僕に、『もっと自分を表現してもいい』と教えてくれたのがシンクロ。お客さんにも、パフォーマンスを通じてそう伝えたい」
 純白のブーメランパンツ一つというチームのユニホームに、“裸一貫で自分の好きなものにぶつかれ”というメッセージを込めている。
 やりたいことはやらないと気が済まない。
「自分は早くから夢を見つけられた幸運な人間。でもタイミングは人それぞれ。自分の幸せは他の誰とも一致しない。そう考えて探し続ければ、いつか必ず夢は見つかる」
 青臭い思いは社会の荒波に揉まれて色あせるのが常。だが「誰も見たことのないエンターテインメントを作りたい。シンクロを通じて目の前の人を幸せにしたい」熱い気持ちは、年月を経てますます色濃くなる。インディゴブルーから出発した平澤の描く未来は、どんな綺麗な青色を見せてくれるのだろう。
写真:東川哲也 ライター:小野美由紀
氷上の「壁」は 元気印の10代
法政大学スポーツ健康学部1年生/
SEIBUプリンセスラビッツ所属
床亜矢可
1994年8月22日生まれ

 元日本代表だった父・泰則(51)が叶えられなかった夢を、2月にスロバキアで行われたソチ五輪最終予選で代わりに果たした。女子アイスホッケー日本代表エースディフェンス、床亜矢可。あの浅田真央より先にソチ行きを決めた、元気印の10代アスリートだ。
写真:東川哲也 ライター:神津伸子
不完全な調和で 未来をつくる
シンガー・ソングライター
おおたえみり
1992年9月14日生まれ

「未来をつくっていくためには、きれいなハーモニーだけでは足りないんです」
 シンガー・ソングライターのおおたえみりは、こうつぶやく。
 確かに、彼女のつくる音楽はそうなのだ。
写真:時津 剛 ライター:岡本俊浩
コーヒーの魅力伝える メッセンジャー
バリスタ
井崎英典
1990年3月15日生まれ

 バリスタは、コーヒーの持つ魅力をお客様に伝える“メッセンジャー”。そう語るのは、ジャパン バリスタ チャンピオンシップ2012の優勝者、井崎英典(ひでのり)だ。
 長野県は浅間山の麓にある「丸山珈琲」小諸店に勤めつつ、次の世界大会に向け、寝る間を惜しんで技術を磨いている。コーヒーが自分を変えてくれたという井崎。17歳で高校を中退、父が営む福岡のコーヒー豆専門店を手伝い始めた。慢心の自分を変えたのは、業界の重鎮、丸山珈琲社長・丸山健太郎との出会い。自分は井の中の蛙だ、もっと多くのことを学び、丸山のような一流のバリスタになりたい。技術と人間性を磨く修業が始まった。
 東京の大学で学びつつ土日は長野に通い、丸山の元で経験を積んだ。イギリスに留学もした。
「丸山は世界中の生産者に慕われている。この世界は人とのつながりが命。深く外国を理解し、グローバルに人とかかわれる人間になりたい」
写真:東川哲也 ライター:小野美由紀
リスクは上等 迷ったら攻める
棋士/日本将棋連盟所属
中村太地
1988年6月1日生まれ

 かつて、自らの将棋スタイルを尋ねられて中村太地(たいち)は、笑いながらこう答えた。
「無理攻め、です」
 現在六段。近年は「受け」も巧みになってきたが、やはり信条は駒を激しく動かすファイトスタイルにある。熱が入ると、猛禽類のような目で盤上と相手を見すえる。
「迷ったら、いきます。いっちゃえと」
 気がつけば、誰もがリスクだらけの社会を生きるなか、臆せず相手の懐に飛びこむインファイトが、ファンの喝采を浴びる。
写真:東川哲也 ライター:岡本俊浩
代表監督は、現役大学生
慶應義塾大学SFC4年生/
コンゴ民主共和国フライングディスク協会
副会長兼代表監督
大川晴
1990年7月20日生まれ

日本ではごく普通の大学4年生。だが、アフリカのコンゴ民主共和国に渡ると、肩書がとたんにビッグになる。
大川晴(はる)、なんと代表監督である。
 指導する競技は、アメリカで生まれた「フライングディスク・アルティメット」だ。通称「アルティメット」。7対7のチーム制で、フリスビーを回しながら相手エンドゾーンでパスを決めると1点。大川も大学サークルで競技に燃えた。でも、それがなんだってコンゴでの代表監督につながるのか。
 1年前、大学で入ったゼミの関連プログラムが、コンゴ政府から現地の教員大学で日本語を教えてほしいと頼まれていた。立候補した大川は、日本語教師としてコンゴに渡ったが、日本から持ってきたフリスビーが運命を変えた。
 軽い気持ちで競技の説明をすると、話が広まってスポーツ省の幹部が飛んできた。
「ぜひ、我が国で普及に努めてくれないか」
写真:時津 剛 ライター:岡本俊浩
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