AERA「ニッポンの課長」

  • 日清食品
「即席ラーメンと、ずっと」
マーケティング部第4グループ ブランドマネージャー 木所敬雄 (42)
 出社すると、やかんから湯気が立ち上っている。この日も試食が始まる。日清食品マーケティング部の、いつもの朝の風景だ。
「研究所からほぼ毎日、試作品が届きます。朝からサンプル品を試食し、社内プレゼンの直前まで、思い描いた味に近づけていくんです」
 そう話す木所敬雄は、「日清ラ王」「日清焼そばU.F.O.」を担当するブランドマネージャーだ。年間30もの新商品を市場投入する。味からパッケージ、収支計画、テレビCM、販売戦略に至るまで全権を担う。
 ブランドマネージャーは「カップヌードル」「チキンラーメン」などブランドごとに計9人いる。“花形”の仕事で、創造する恍惚感を味わえる半面、売れなければ在庫の山。「もって2~3年」と言われるほど過酷なポジションだ。
 味覚は、街の人気ラーメン店で鍛えている。取材の前日も、社内で試作品を食べたあと、夕方からは部下と埼玉県川越市の店に出かけた。その後、東京に戻って、もう1杯。
「インスタントラーメンの世界は奥が深い。袋麺なら家族向け、カップ麺は個食向け。年齢や性別、嗜好性、味の流行を加えれば、新商品の“タネ”は膨大な選択肢にのぼります」
 自身の最大のヒットは、「日清ラ王 袋麺」だ。カップ麺のお湯かけ調理で蓄積した技術を、煮込み調理の袋麺に応用し、さらなるコシともっちり感を実現した。
 新商品の発売には社内でのゴーサインがいる。しかし、準備万端でプレゼンテーションしても「3月は1品が差し戻し」。日清食品ホールディングス社長の安藤宏基は「勝つまでやめない!」が信条だけに、木所は再挑戦しようと、目下、手直しを進めている。
 部下は4人。20代の社員が新商品のアイデアを思いつかず悶々としていても、簡単には手を差しのべない。最後の最後まで自力で打開する──そんな矜持を胸に抱く。(文中敬称略)
写真:東川哲也 ライター:岡本俊浩

    日清食品
    「即席ラーメンと、ずっと」

    マーケティング部第4グループ ブランドマネージャー 木所敬雄 (42)  出社すると、やかんから湯気が立ち上っている。この日も試食が始まる。日清食品マーケティング部の、いつもの朝の風景だ。
    「研究所からほぼ毎日、試作品が届きます。朝からサンプル品を試食し、社内プレゼンの直前まで、思い描いた味に近づけていくんです」
     そう話す木所敬雄は、「日清ラ王」「日清焼そばU.F.O.」を担当するブランドマネージャーだ。年間30もの新商品を市場投入する。味からパッケージ、収支計画、テレビCM、販売戦略に至るまで全権を担う。
     ブランドマネージャーは「カップヌードル」「チキンラーメン」などブランドごとに計9人いる。“花形”の仕事で、創造する恍惚感を味わえる半面、売れなければ在庫の山。「もって2~3年」と言われるほど過酷なポジションだ。
     味覚は、街の人気ラーメン店で鍛えている。取材の前日も、社内で試作品を食べたあと、夕方からは部下と埼玉県川越市の店に出かけた。その後、東京に戻って、もう1杯。
    「インスタントラーメンの世界は奥が深い。袋麺なら家族向け、カップ麺は個食向け。年齢や性別、嗜好性、味の流行を加えれば、新商品の“タネ”は膨大な選択肢にのぼります」
     自身の最大のヒットは、「日清ラ王 袋麺」だ。カップ麺のお湯かけ調理で蓄積した技術を、煮込み調理の袋麺に応用し、さらなるコシともっちり感を実現した。
     新商品の発売には社内でのゴーサインがいる。しかし、準備万端でプレゼンテーションしても「3月は1品が差し戻し」。日清食品ホールディングス社長の安藤宏基は「勝つまでやめない!」が信条だけに、木所は再挑戦しようと、目下、手直しを進めている。
     部下は4人。20代の社員が新商品のアイデアを思いつかず悶々としていても、簡単には手を差しのべない。最後の最後まで自力で打開する──そんな矜持を胸に抱く。(文中敬称略) 写真:東川哲也 ライター:岡本俊浩

  • 川崎フロンターレ
「このクラブで『世界』に」
サッカー事業部 営業部 スポンサーセールスグループ 副グループ長 井川宜之(38)
 プロのサッカークラブたるもの、目標は勝つことにある。しかし、永遠に勝ち続ける集団などない。「だから」と前置きをし、井川宜之はこう言うのだった。
「勝ち負けに左右されない、安定した経営基盤をチームにもたらすこと。それがぼくらの仕事なんです」
 仕事の成果は、ホームの等々力陸上競技場に表れる。広告看板が井川らスポンサーセールスグループの決める“ゴール”。企業から複数年の契約を受注できれば、それだけチームの経営基盤は安定する。スポンサー収入は年間予算30億円の半分を占める。
 部下は4人。それぞれが独自のネットワークを持って動くので、いかにも上司的な振る舞いはしない。井川は一人で130ものクライアントを抱える。1口1万円から支援できるとあって、地元の個人事業主も多い。新しいカラオケ店ができると、サポーターが「営業に行ってみれば」と教えてくれる。
 クラブでの仕事は、明治大学在籍時のアルバイトを含めると、かれこれ16年目になる。入社した2000年当時の平均観客動員は7千人。いまの半分以下の頃から、変わらずサポーターに支えられている。
 井川には夢がある。
 このクラブが市民の誇りであり続ける一方で、試合を観るため、川崎に世界中から多くの人がつめかける。つまりそれは、川崎フロンターレが世界的なクラブの仲間入りをするということでもある。欧州には年間予算が700億円を超える、スペインのレアル・マドリードのような“巨人”がいる。一足飛びにそうはなれないが、浦和レッズがアジアチャンピオンズリーグで優勝した2007年、年間80億円の収入をあげた。ならば、Jリーグのクラブが100億円を稼ぐことも、まったくの夢物語とは呼べないだろう。
「現役で働ける20年以内に、見てみたい光景。いつか、きっと」(文中敬称略)
写真:東川哲也 ライター:岡本俊浩

    川崎フロンターレ
    「このクラブで『世界』に」

    サッカー事業部 営業部 スポンサーセールスグループ 副グループ長 井川宜之(38)  プロのサッカークラブたるもの、目標は勝つことにある。しかし、永遠に勝ち続ける集団などない。「だから」と前置きをし、井川宜之はこう言うのだった。
    「勝ち負けに左右されない、安定した経営基盤をチームにもたらすこと。それがぼくらの仕事なんです」
     仕事の成果は、ホームの等々力陸上競技場に表れる。広告看板が井川らスポンサーセールスグループの決める“ゴール”。企業から複数年の契約を受注できれば、それだけチームの経営基盤は安定する。スポンサー収入は年間予算30億円の半分を占める。
     部下は4人。それぞれが独自のネットワークを持って動くので、いかにも上司的な振る舞いはしない。井川は一人で130ものクライアントを抱える。1口1万円から支援できるとあって、地元の個人事業主も多い。新しいカラオケ店ができると、サポーターが「営業に行ってみれば」と教えてくれる。
     クラブでの仕事は、明治大学在籍時のアルバイトを含めると、かれこれ16年目になる。入社した2000年当時の平均観客動員は7千人。いまの半分以下の頃から、変わらずサポーターに支えられている。
     井川には夢がある。
     このクラブが市民の誇りであり続ける一方で、試合を観るため、川崎に世界中から多くの人がつめかける。つまりそれは、川崎フロンターレが世界的なクラブの仲間入りをするということでもある。欧州には年間予算が700億円を超える、スペインのレアル・マドリードのような“巨人”がいる。一足飛びにそうはなれないが、浦和レッズがアジアチャンピオンズリーグで優勝した2007年、年間80億円の収入をあげた。ならば、Jリーグのクラブが100億円を稼ぐことも、まったくの夢物語とは呼べないだろう。
    「現役で働ける20年以内に、見てみたい光景。いつか、きっと」(文中敬称略) 写真:東川哲也 ライター:岡本俊浩

  • ABC Cooking Studio
「料理教室で、出会った」
経営企画部 マネージャー 森本麻緒(37)
 全国に130ある料理教室「ABCクッキングスタジオ」の会員数は、28万人にのぼる。定番のおかずからおもてなし料理、パン、ケーキ、「食」の大切さを教えるキッズコースまで、豊富なコース・メニューは他の追随を許さない。一つのキッチンに集まる受講者は最大5人だから、スタッフとの距離は近い。
「サービスの大半は、受講者の声をきっかけに生まれたんです」
 と話すのは、経営企画部のマネージャー、森本麻緒。中途で入社して9年目だ。約4千人のスタッフが受講者の「声」を経営陣に伝え、新たなサービスが生まれる。そのスタッフたちと経営陣の間に、森本はいる。経営陣からのメッセージを毎週、スタッフたちに向けて発信するのも、森本の仕事だ。
 今年1月、会社にとって大きな出来事があった。NTTドコモの傘下に入ったのだ。それに伴って社内の組織改革が始まった。森本は現場と経営の間の”調整役”を担った。
 現場は戸惑っていた。良さであるスピーディーな意思決定一つとっても、ドコモのような大企業が親会社となれば、多くの決裁が必要になるかもしれない。「らしさ」を消さず、風通しの良い会社でありつづけるにはどうしたらいいか。4カ月近く、社内調整のために奔走した。
「途中で降りたいと感じることもあった」
 そんなある日、料理教室にふらりと足を運び、受講者の輪に加わった。笑い声と調理する音が部屋に響く。隣は同世代の女性。仕事の話になった。自分は何のために仕事をしているのだろう──彼女もやはり会社組織の中で悩んでいたのだ。
「わたしと同じ。悩んでいるのは、わたしだけじゃない」
 救われた思いがした。同時に自分の仕事の意義をあらためて感じた。料理を教えるだけではない。人々の出会いに、わたしの仕事は一役買っているのだと。(文中敬称略)
写真:朝日新聞社・時津剛 ライター:岡本俊浩

    ABC Cooking Studio
    「料理教室で、出会った」

    経営企画部 マネージャー 森本麻緒(37)  全国に130ある料理教室「ABCクッキングスタジオ」の会員数は、28万人にのぼる。定番のおかずからおもてなし料理、パン、ケーキ、「食」の大切さを教えるキッズコースまで、豊富なコース・メニューは他の追随を許さない。一つのキッチンに集まる受講者は最大5人だから、スタッフとの距離は近い。
    「サービスの大半は、受講者の声をきっかけに生まれたんです」
     と話すのは、経営企画部のマネージャー、森本麻緒。中途で入社して9年目だ。約4千人のスタッフが受講者の「声」を経営陣に伝え、新たなサービスが生まれる。そのスタッフたちと経営陣の間に、森本はいる。経営陣からのメッセージを毎週、スタッフたちに向けて発信するのも、森本の仕事だ。
     今年1月、会社にとって大きな出来事があった。NTTドコモの傘下に入ったのだ。それに伴って社内の組織改革が始まった。森本は現場と経営の間の”調整役”を担った。
     現場は戸惑っていた。良さであるスピーディーな意思決定一つとっても、ドコモのような大企業が親会社となれば、多くの決裁が必要になるかもしれない。「らしさ」を消さず、風通しの良い会社でありつづけるにはどうしたらいいか。4カ月近く、社内調整のために奔走した。
    「途中で降りたいと感じることもあった」
     そんなある日、料理教室にふらりと足を運び、受講者の輪に加わった。笑い声と調理する音が部屋に響く。隣は同世代の女性。仕事の話になった。自分は何のために仕事をしているのだろう──彼女もやはり会社組織の中で悩んでいたのだ。
    「わたしと同じ。悩んでいるのは、わたしだけじゃない」
     救われた思いがした。同時に自分の仕事の意義をあらためて感じた。料理を教えるだけではない。人々の出会いに、わたしの仕事は一役買っているのだと。(文中敬称略) 写真:朝日新聞社・時津剛 ライター:岡本俊浩

  • リングヂャケット
「スーツを、描く」
パターン室長 谷譲(39)
 レディースの洋服づくりも経験してきたが、あるとき「一生ものの、技を磨けないものか」という欲求が芽生えた。流行を受け、細部が変化することはある。しかし、スーツの根本には、決して変わることのない普遍的なデザインが流れている。谷譲は11年前、スーツのパタンナーを志した。
 たたいた門は、大阪府貝塚市に工場のあるリングヂャケット。1954年創業のスーツファクトリーである。スーツづくりには縫製、仕上げなどいくつもの工程があり、パタンナーはその“設計図”をつくる。入社間もない頃、社内の講習に飽き足らず、かつて通った大阪市内の服飾専門学校で“自主トレ”した。
 5年前、ベテランパタンナーが抜けたあと、パターン室長に抜擢された。工場長は目を細める。
「谷は運をつかんだんですわ。先輩が抜けて、顔つきがぐっと変わった。ええもんを作ることにかけては、間違いのない人間です」
 ファクトリーは驚くほど、静かだ。ミシンはていねいな仕事を重視するため、あえて低速。針をつかった手仕事の工程も多いため、1日の生産数は90着。生産数は少ないが、質にこだわった製品は、業界の誰もが「国産最高峰」と認める。谷は言う。
「たとえば肩回り。欧米人と違い、日本人は肩が前に出ている。その点を念頭に、フィット感がありながらも、余計なテンションがかからないパターンを引くことが大事なんです」
 重量感のあるウール素材を使っても、カーディガンのようにやわらかく、軽やかな着心地に仕上がる。
 そんな谷は、仕事に「求められた以上の手間をかける」という哲学を持っている。
 美しい背中のフィッティングなど、こだわるべき点はいくらでもある。注文主の想像の一歩先を行くからインパクトを生む。(文中敬称略)
写真:東川哲也 ライター:岡本俊浩

    リングヂャケット
    「スーツを、描く」

    パターン室長 谷譲(39)  レディースの洋服づくりも経験してきたが、あるとき「一生ものの、技を磨けないものか」という欲求が芽生えた。流行を受け、細部が変化することはある。しかし、スーツの根本には、決して変わることのない普遍的なデザインが流れている。谷譲は11年前、スーツのパタンナーを志した。
     たたいた門は、大阪府貝塚市に工場のあるリングヂャケット。1954年創業のスーツファクトリーである。スーツづくりには縫製、仕上げなどいくつもの工程があり、パタンナーはその“設計図”をつくる。入社間もない頃、社内の講習に飽き足らず、かつて通った大阪市内の服飾専門学校で“自主トレ”した。
     5年前、ベテランパタンナーが抜けたあと、パターン室長に抜擢された。工場長は目を細める。
    「谷は運をつかんだんですわ。先輩が抜けて、顔つきがぐっと変わった。ええもんを作ることにかけては、間違いのない人間です」
     ファクトリーは驚くほど、静かだ。ミシンはていねいな仕事を重視するため、あえて低速。針をつかった手仕事の工程も多いため、1日の生産数は90着。生産数は少ないが、質にこだわった製品は、業界の誰もが「国産最高峰」と認める。谷は言う。
    「たとえば肩回り。欧米人と違い、日本人は肩が前に出ている。その点を念頭に、フィット感がありながらも、余計なテンションがかからないパターンを引くことが大事なんです」
     重量感のあるウール素材を使っても、カーディガンのようにやわらかく、軽やかな着心地に仕上がる。
     そんな谷は、仕事に「求められた以上の手間をかける」という哲学を持っている。
     美しい背中のフィッティングなど、こだわるべき点はいくらでもある。注文主の想像の一歩先を行くからインパクトを生む。(文中敬称略) 写真:東川哲也 ライター:岡本俊浩

  • 盛岡セイコー工業
「技術者集団を、見守って」
雫石高級時計工房 組立工房 課長 泉田勝博(49)
 静寂が支配する工房で、20人の組み立て技能士が専用の顕微鏡をのぞき込み、指先に神経を集中させる。薄い時計内部の機械に組み込む部品は、歯車やぜんまいなど100点以上。盛岡セイコー工業(岩手県雫石町)の「雫石高級時計工房」で、組み立て部門を率いる課長、泉田勝博は言う。
「1000分の1ミリを表す『1ミクロン』が仕事の基準。一つの狂いは小さくても、完成時には大きなひずみになる」
「グランドセイコー」「クレドール」といったセイコーブランドの高級機械式時計を一貫生産する。部品製造から組み立て、検査まで、1本の腕時計をつくるのに約5カ月かかる。人の目、人の手が、複雑で繊細な機械式時計をつくる。
 泉田は地元の高校を出て1983年に入社すると、クオーツ時計工場の部品製造部門に配属された。2000年に機械式時計の製造部門への異動を志願。世界的に機械式時計が見直されていた。04年には機械式時計の部門が集約され、この工房が発足した。
 技能士たちは、例外なく自分の仕事に対するこだわりが強い。釣りの毛針づくりを趣味にする人もいて、ふだんから指先の感覚を研ぎ澄ませている。ただ、仕事は時間無制限の趣味のようにはいかない。納期がある。品質を維持しながら、手離れの良さが求められる。泉田の仕事の要点は、いかに「匠」たちの能力をチームプレーに昇華させるか、にある。
 神経がはりつめていると、互いに話しかけづらい。そんなときに泉田を支えるのは、
「同じ技術者上がりだからこそ通じる言語、専門知識のバックボーンです」
 工具は全て特注品。技能士を眺めながら、「こうだったら使いやすいだろうな」と、頭をめぐらせる。機械を超える人の技が、人々を魅了する機械をつくる。(文中敬称略)
写真:伊ケ崎忍 ライター:岡本俊浩

    盛岡セイコー工業
    「技術者集団を、見守って」

    雫石高級時計工房 組立工房 課長 泉田勝博(49)  静寂が支配する工房で、20人の組み立て技能士が専用の顕微鏡をのぞき込み、指先に神経を集中させる。薄い時計内部の機械に組み込む部品は、歯車やぜんまいなど100点以上。盛岡セイコー工業(岩手県雫石町)の「雫石高級時計工房」で、組み立て部門を率いる課長、泉田勝博は言う。
    「1000分の1ミリを表す『1ミクロン』が仕事の基準。一つの狂いは小さくても、完成時には大きなひずみになる」
    「グランドセイコー」「クレドール」といったセイコーブランドの高級機械式時計を一貫生産する。部品製造から組み立て、検査まで、1本の腕時計をつくるのに約5カ月かかる。人の目、人の手が、複雑で繊細な機械式時計をつくる。
     泉田は地元の高校を出て1983年に入社すると、クオーツ時計工場の部品製造部門に配属された。2000年に機械式時計の製造部門への異動を志願。世界的に機械式時計が見直されていた。04年には機械式時計の部門が集約され、この工房が発足した。
     技能士たちは、例外なく自分の仕事に対するこだわりが強い。釣りの毛針づくりを趣味にする人もいて、ふだんから指先の感覚を研ぎ澄ませている。ただ、仕事は時間無制限の趣味のようにはいかない。納期がある。品質を維持しながら、手離れの良さが求められる。泉田の仕事の要点は、いかに「匠」たちの能力をチームプレーに昇華させるか、にある。
     神経がはりつめていると、互いに話しかけづらい。そんなときに泉田を支えるのは、
    「同じ技術者上がりだからこそ通じる言語、専門知識のバックボーンです」
     工具は全て特注品。技能士を眺めながら、「こうだったら使いやすいだろうな」と、頭をめぐらせる。機械を超える人の技が、人々を魅了する機械をつくる。(文中敬称略) 写真:伊ケ崎忍 ライター:岡本俊浩

  • 富士重工業
「派手さなくとも一級品」
富士重工業 スバル技術本部 車両研究実験総括部 主査 香川穣(48)
 スバルの代名詞とも言える「レガシィ」の発売から25年目。富士重工業が6月20日、「フルモデルチェンジ」と意気込んで投入する新車がある。新開発したスポーツツアラー「LEVORG(レヴォーグ)」。力強く走るレガシィの設計思想を受け継ぎながら、車体は一回り小さい。縮小する日本市場で、あえて勝負をかける戦略車だ。
 エンジン、車体、インテリア……。新車を開発すると決めたら、2千人にも及ぶスタッフが動く。スバル技術本部の車両研究実験総括部主査を務める香川穣は、各部署の間の調整役。技術陣は先端技術を思う存分、盛り込もうとするが、それでは販売価格が高くなりすぎて売れない。決められたコスト内に収めるよう、香川は奔走する。
「技術屋はわがまま。そこを全体としてどうまとめるか。若い課長だったら務まらないんじゃないか。年を重ねてきた経験が生きるポジションです」
 1990年、航空機がつくりたくて富士重工業に入社した。しかし、配属されたのは自動車部門の材料研究部。バブルが崩壊すると、販売ディーラーへの出向を命ぜられた。開発から営業へ。「なぜおれが」と戸惑った。ただ、消費者と向き合い、生の反応に触れるうち、「求められているもの」を知り、消費者の目線を意識するようになった。2007年から現在の役職に就き、色々な車の開発にかかわるが、販売での経験は財産だ。
 メディア向けの試乗会でも、要点を押さえた説明には定評がある。調整役として開発のデータを集約してきたので、技術からコストまで熟知している。役員会の議論のたたき台をつくるのも、香川の仕事だ。
 技術革新は絶え間ない。ただし、香川はスバルの車はこうあるべきと考えている。
「質実剛健。派手さはなくとも、人生を豊かにする一級品の道具であり続ければいいんです」(文中敬称略)
写真:伊ケ崎忍 ライター:岡本俊浩

    富士重工業
    「派手さなくとも一級品」

    富士重工業 スバル技術本部 車両研究実験総括部 主査 香川穣(48)  スバルの代名詞とも言える「レガシィ」の発売から25年目。富士重工業が6月20日、「フルモデルチェンジ」と意気込んで投入する新車がある。新開発したスポーツツアラー「LEVORG(レヴォーグ)」。力強く走るレガシィの設計思想を受け継ぎながら、車体は一回り小さい。縮小する日本市場で、あえて勝負をかける戦略車だ。
     エンジン、車体、インテリア……。新車を開発すると決めたら、2千人にも及ぶスタッフが動く。スバル技術本部の車両研究実験総括部主査を務める香川穣は、各部署の間の調整役。技術陣は先端技術を思う存分、盛り込もうとするが、それでは販売価格が高くなりすぎて売れない。決められたコスト内に収めるよう、香川は奔走する。
    「技術屋はわがまま。そこを全体としてどうまとめるか。若い課長だったら務まらないんじゃないか。年を重ねてきた経験が生きるポジションです」
     1990年、航空機がつくりたくて富士重工業に入社した。しかし、配属されたのは自動車部門の材料研究部。バブルが崩壊すると、販売ディーラーへの出向を命ぜられた。開発から営業へ。「なぜおれが」と戸惑った。ただ、消費者と向き合い、生の反応に触れるうち、「求められているもの」を知り、消費者の目線を意識するようになった。2007年から現在の役職に就き、色々な車の開発にかかわるが、販売での経験は財産だ。
     メディア向けの試乗会でも、要点を押さえた説明には定評がある。調整役として開発のデータを集約してきたので、技術からコストまで熟知している。役員会の議論のたたき台をつくるのも、香川の仕事だ。
     技術革新は絶え間ない。ただし、香川はスバルの車はこうあるべきと考えている。
    「質実剛健。派手さはなくとも、人生を豊かにする一級品の道具であり続ければいいんです」(文中敬称略) 写真:伊ケ崎忍 ライター:岡本俊浩

  • TOTO
「トイレにある陶芸の道」
TOTO 衛陶生産本部 衛陶試作技術グループ グループリーダー 向井信弘(44)
 身近にある便器や洗面台は、陶芸の道に通じている。これら衛生陶器は、大きな焼き物。陶石や粘土を調合した「泥漿」を「型」に流し込む。型を外して乾燥させ、釉薬を吹き付けて窯で焼き上げる。
 TOTOの衛陶試作技術グループを率いる向井信弘は、製品の形を決める「型」の製作を担当している。形がなめらかでなければ、汚れをスムーズに洗い流せない。理想の形をつくるには、職人の技がいる。
「乾燥や焼き上げで水分が抜ける。焼き上げを終えたものは、型に流し込んだ状態から13%は縮むんです」
 だから、縮み具合の予測が正確でなければ、仕上がりのなめらかさが失われるばかりか、ひびが入ることもある。
 北九州市内の工業高校を卒業し、1988年、地元のTOTOに入社した。先輩社員は気温、湿度の変化を感じながら、焼き上がりの形を「勘」で読んでいた。あれから25年。仕事の一部はデジタル化されたものの、複雑な形状の縮み具合を読むのは、いまも「暗黙知」に拠る部分が大きい。
 課員は40人いるが、型づくりに従事するのは11人。その中でも最初から最後まで任せられるのは、向井も含めて5人しかいない。ほかは「修業中の身」といったところだが、仕事に口を出すことはしない。
「失敗しないと、覚えませんから」
 その腕を見込まれ、中国の生産拠点で製造管理の責任者を務めたこともある。型づくりを熟知しているかのように見える向井だが、いまもよく考え込むことがある。たとえば最新モデルのタンクレストイレ「ネオレスト」。見た目は、床面に向かってストンと伸びていて、スマート。旧来型と比べると直線と平面が多用されている。
「実は陶器って、まっすぐや平面がもっとも難しいんです」
 カンタンに見えることが、最も奥深い。(文中敬称略)
写真:写真部・外山俊樹 ライター:岡本俊浩

    TOTO
    「トイレにある陶芸の道」

    TOTO 衛陶生産本部 衛陶試作技術グループ グループリーダー 向井信弘(44)  身近にある便器や洗面台は、陶芸の道に通じている。これら衛生陶器は、大きな焼き物。陶石や粘土を調合した「泥漿」を「型」に流し込む。型を外して乾燥させ、釉薬を吹き付けて窯で焼き上げる。
     TOTOの衛陶試作技術グループを率いる向井信弘は、製品の形を決める「型」の製作を担当している。形がなめらかでなければ、汚れをスムーズに洗い流せない。理想の形をつくるには、職人の技がいる。
    「乾燥や焼き上げで水分が抜ける。焼き上げを終えたものは、型に流し込んだ状態から13%は縮むんです」
     だから、縮み具合の予測が正確でなければ、仕上がりのなめらかさが失われるばかりか、ひびが入ることもある。
     北九州市内の工業高校を卒業し、1988年、地元のTOTOに入社した。先輩社員は気温、湿度の変化を感じながら、焼き上がりの形を「勘」で読んでいた。あれから25年。仕事の一部はデジタル化されたものの、複雑な形状の縮み具合を読むのは、いまも「暗黙知」に拠る部分が大きい。
     課員は40人いるが、型づくりに従事するのは11人。その中でも最初から最後まで任せられるのは、向井も含めて5人しかいない。ほかは「修業中の身」といったところだが、仕事に口を出すことはしない。
    「失敗しないと、覚えませんから」
     その腕を見込まれ、中国の生産拠点で製造管理の責任者を務めたこともある。型づくりを熟知しているかのように見える向井だが、いまもよく考え込むことがある。たとえば最新モデルのタンクレストイレ「ネオレスト」。見た目は、床面に向かってストンと伸びていて、スマート。旧来型と比べると直線と平面が多用されている。
    「実は陶器って、まっすぐや平面がもっとも難しいんです」
     カンタンに見えることが、最も奥深い。(文中敬称略) 写真:写真部・外山俊樹 ライター:岡本俊浩

  • 日本航空
「シートはもう一人の自分」
日本航空 顧客マーケティング本部 商品サービス開発部 企画グループ マネジャー 末崎裕介(46)
 国内線、新クオリティ。──そんなキャッチコピーで日本航空(JAL)が5月28日から、羽田-福岡線を皮切りに新プロジェクト「JAL SKY NEXT」を始めた。「嵐」を起用したCMやポスターを見た人も多いことだろう。まずは機内インテリアを全面刷新。その陣頭指揮を執るのが、商品サービス開発部の企画グループマネジャー、末崎裕介だ。
 不要な部分を除き、座席のひざ周りの間隔を従来よりも最大で約5センチ広げた。そして何より、シート素材を高級感のある黒の本革に変えた。
「革は、見た目や触り心地の点で布地にはない魅力がある。ただし、座ったときに滑る傾向があるんです」
 クッション性を損なわず、いかに人体を“ホールド”する感覚を持たせるか。営業や客室など各部署の意見を調整しながら、テストを繰り返した。
 JALは「2016年度までに顧客満足度世界一」の目標を掲げている。今回のプロジェクトは、その一里塚。社内全体に気負いが感じられるなか、「シートの色は黒ではない方がいいのではないか」など、いろいろな案が出された。話がまとまらないとき、末崎がつねに頭の中心に置いたのは、
「お客さまだったらどう思うか」
 青山学院大大学院理工学研究科を修了後、1992年、JALに入社した。情報システムや空港部門が長かったが、8年前にいまの部署に配属された。これまでもシートの開発に携わってきたが、これほど大がかりなプロジェクトは初めてだ。開発には18カ月を要した。
 末崎にとってシートとは何か。問うてみた。
「分身のようなものです」
 即座に答えが返ってきた。そんなもう一人の自分が乗客を包み込み、各地へ運ぶ。
「そう考えると、感慨深いですね。案外、自分にも包容力があるのかな」(文中敬称略)
写真:写真部・外山俊樹 ライター:岡本俊浩

    日本航空
    「シートはもう一人の自分」

    日本航空 顧客マーケティング本部 商品サービス開発部 企画グループ マネジャー 末崎裕介(46)  国内線、新クオリティ。──そんなキャッチコピーで日本航空(JAL)が5月28日から、羽田-福岡線を皮切りに新プロジェクト「JAL SKY NEXT」を始めた。「嵐」を起用したCMやポスターを見た人も多いことだろう。まずは機内インテリアを全面刷新。その陣頭指揮を執るのが、商品サービス開発部の企画グループマネジャー、末崎裕介だ。
     不要な部分を除き、座席のひざ周りの間隔を従来よりも最大で約5センチ広げた。そして何より、シート素材を高級感のある黒の本革に変えた。
    「革は、見た目や触り心地の点で布地にはない魅力がある。ただし、座ったときに滑る傾向があるんです」
     クッション性を損なわず、いかに人体を“ホールド”する感覚を持たせるか。営業や客室など各部署の意見を調整しながら、テストを繰り返した。
     JALは「2016年度までに顧客満足度世界一」の目標を掲げている。今回のプロジェクトは、その一里塚。社内全体に気負いが感じられるなか、「シートの色は黒ではない方がいいのではないか」など、いろいろな案が出された。話がまとまらないとき、末崎がつねに頭の中心に置いたのは、
    「お客さまだったらどう思うか」
     青山学院大大学院理工学研究科を修了後、1992年、JALに入社した。情報システムや空港部門が長かったが、8年前にいまの部署に配属された。これまでもシートの開発に携わってきたが、これほど大がかりなプロジェクトは初めてだ。開発には18カ月を要した。
     末崎にとってシートとは何か。問うてみた。
    「分身のようなものです」
     即座に答えが返ってきた。そんなもう一人の自分が乗客を包み込み、各地へ運ぶ。
    「そう考えると、感慨深いですね。案外、自分にも包容力があるのかな」(文中敬称略) 写真:写真部・外山俊樹 ライター:岡本俊浩

  • 大同特殊鋼
「打て、燃える鋼を」
大同特殊鋼 知多工場製鋼室長 久村総一郎 (40)
 巨大な火柱のような鋼が44メートルの高さから、ゆっくり下へ引っ張り出される。
「鋼の温度は1000度を超えます。体を真正面に向けていると、熱くて立っていられません。ですから」
 そう言って、大同特殊鋼知多工場の製鋼室長、久村総一郎(6月1日付で経営企画部製品戦略室長に異動)は、半身に構えた。右半身が熱くなったら、左半身を熱い方へ向ける。周囲をヘルメットをかぶった男たちが、慌ただしく動き回る。
 この「連続鋳造」の工程で鋼は少しずつ冷やされ、固まる。それを延ばしたり、プレスしたり。できた製品は、暮らしや産業のいたるところに使われている。例えば、自動車のギアやシャフト、航空機のジェットエンジンシャフト、火力発電所のガスタービンだ。原料は鉄鉱石ではなく、鉄スクラップ。炉内で雷のような電気を浴びせ続け、スクラップを溶かす。不純物を除いた鉄にマンガンを加えると硬く、ニッケルを加えれば粘り強く、クロムを加えるとさびにくくなる。用途に応じて成分を調え、特殊な鋼がつくられる。
 名古屋工業大学生産システム工学科卒。入社すると、知多工場の製鋼部門に配属された。鋼と向き合う職場は職人気質が強く、
「危険も伴う場ですから、気性の荒い工員さんもいます。なじむのに苦労した」
 自分のアイデアで作業効率をアップさせたことがある。工員たちの見る目が変わった。
「現場は家族。仲間を見捨てたりしない。義理人情がある。その一員になれた」
 2年前に製鋼室長を任され、関連会社を含めると400人を束ねた。電力を大量消費する産業だから、工場は電気代の安い夜間を中心に動く。だから、毎日午前7時前に出勤し、夜勤明けの工員たちを迎えた。
 趣味はキックボクシング。練習中は仕事のことを一切忘れる。
「考えていると、パンチをくらいますから」(文中敬称略)
写真:写真部・東川哲也 ライター:岡本俊浩

    大同特殊鋼
    「打て、燃える鋼を」

    大同特殊鋼 知多工場製鋼室長 久村総一郎 (40)  巨大な火柱のような鋼が44メートルの高さから、ゆっくり下へ引っ張り出される。
    「鋼の温度は1000度を超えます。体を真正面に向けていると、熱くて立っていられません。ですから」
     そう言って、大同特殊鋼知多工場の製鋼室長、久村総一郎(6月1日付で経営企画部製品戦略室長に異動)は、半身に構えた。右半身が熱くなったら、左半身を熱い方へ向ける。周囲をヘルメットをかぶった男たちが、慌ただしく動き回る。
     この「連続鋳造」の工程で鋼は少しずつ冷やされ、固まる。それを延ばしたり、プレスしたり。できた製品は、暮らしや産業のいたるところに使われている。例えば、自動車のギアやシャフト、航空機のジェットエンジンシャフト、火力発電所のガスタービンだ。原料は鉄鉱石ではなく、鉄スクラップ。炉内で雷のような電気を浴びせ続け、スクラップを溶かす。不純物を除いた鉄にマンガンを加えると硬く、ニッケルを加えれば粘り強く、クロムを加えるとさびにくくなる。用途に応じて成分を調え、特殊な鋼がつくられる。
     名古屋工業大学生産システム工学科卒。入社すると、知多工場の製鋼部門に配属された。鋼と向き合う職場は職人気質が強く、
    「危険も伴う場ですから、気性の荒い工員さんもいます。なじむのに苦労した」
     自分のアイデアで作業効率をアップさせたことがある。工員たちの見る目が変わった。
    「現場は家族。仲間を見捨てたりしない。義理人情がある。その一員になれた」
     2年前に製鋼室長を任され、関連会社を含めると400人を束ねた。電力を大量消費する産業だから、工場は電気代の安い夜間を中心に動く。だから、毎日午前7時前に出勤し、夜勤明けの工員たちを迎えた。
     趣味はキックボクシング。練習中は仕事のことを一切忘れる。
    「考えていると、パンチをくらいますから」(文中敬称略) 写真:写真部・東川哲也 ライター:岡本俊浩

  • 東京国立博物館
「文化財とわたし」
東京国立博物館 学芸企画部 博物館教育課 課長 小林牧(52)
 国宝87、重要文化財633……収蔵する「宝物」の総数は、11万件以上にのぼる。
「本物に接する感動を、ひとりでも多くの人に体験してもらいたい」
 そのために何ができるか。それが東京国立博物館(東京・上野公園)の博物館教育課課長、小林牧に課されたミッションだ。展示された文化財の数々を、より深く理解してもらうためには、どうすればいいか。日本の伝統文化などに興味がない人にとっては、東京国立博物館の敷居は高い。
「来館のきっかけをつくることが大事」
 そう考えた小林は広報室にいた頃、館の愛称「トーハク」をPRし、ゆるキャラの「トーハクくん」「ユリノキちゃん」を積極登用。秋には、東洋館の仏像展示室で「朝ヨガ会」を催すつもりだ。人気俳優を起用したトークショー、子ども向けに写生会も控えている。アイデアは尽きることがない。
 2000年、雑誌編集者から転職した。慶應義塾大学で国文学を専攻し、卒業後は平凡社に入社。雑誌「太陽」の編集者を長く務め、取材で数多くの博物館、美術館を回った。30代も後半になり、「そんな古くさいところに、なぜ」と言われるも、心機一転を図るため転職を決意した。この春、広報室長から今の役職に昇格。140年を超える博物館の歴史で、初の女性課長だ。
 文化財は、時空を超えた情報を伝えてくれる。展示室には、縄文時代の土器、土偶から、近代絵画、工芸品まで並ぶ。着物や陶磁器に描かれた草花の文様や、絵画に表現された自然や風景に心を打たれる。昔を生きた人々は、何を考え、これを描いたのだろうか。登山をしていて、その理由がわかる気がした。茂みをかき分け、岩場をよじ登る。視界に飛び込む風景を見て、心が動いた。きっとこの感情は、100年、千年前も変わらなかったのではないか。(文中敬称略)
※東京国立博物館平成館考古展示室で撮影
写真:写真部・東川哲也 ライター:岡本俊浩

    東京国立博物館
    「文化財とわたし」
    東京国立博物館 学芸企画部 博物館教育課 課長 小林牧(52)  国宝87、重要文化財633……収蔵する「宝物」の総数は、11万件以上にのぼる。
    「本物に接する感動を、ひとりでも多くの人に体験してもらいたい」
     そのために何ができるか。それが東京国立博物館(東京・上野公園)の博物館教育課課長、小林牧に課されたミッションだ。展示された文化財の数々を、より深く理解してもらうためには、どうすればいいか。日本の伝統文化などに興味がない人にとっては、東京国立博物館の敷居は高い。
    「来館のきっかけをつくることが大事」
     そう考えた小林は広報室にいた頃、館の愛称「トーハク」をPRし、ゆるキャラの「トーハクくん」「ユリノキちゃん」を積極登用。秋には、東洋館の仏像展示室で「朝ヨガ会」を催すつもりだ。人気俳優を起用したトークショー、子ども向けに写生会も控えている。アイデアは尽きることがない。
     2000年、雑誌編集者から転職した。慶應義塾大学で国文学を専攻し、卒業後は平凡社に入社。雑誌「太陽」の編集者を長く務め、取材で数多くの博物館、美術館を回った。30代も後半になり、「そんな古くさいところに、なぜ」と言われるも、心機一転を図るため転職を決意した。この春、広報室長から今の役職に昇格。140年を超える博物館の歴史で、初の女性課長だ。
     文化財は、時空を超えた情報を伝えてくれる。展示室には、縄文時代の土器、土偶から、近代絵画、工芸品まで並ぶ。着物や陶磁器に描かれた草花の文様や、絵画に表現された自然や風景に心を打たれる。昔を生きた人々は、何を考え、これを描いたのだろうか。登山をしていて、その理由がわかる気がした。茂みをかき分け、岩場をよじ登る。視界に飛び込む風景を見て、心が動いた。きっとこの感情は、100年、千年前も変わらなかったのではないか。(文中敬称略) ※東京国立博物館平成館考古展示室で撮影 写真:写真部・東川哲也 ライター:岡本俊浩

  • セブンファーム
「やさしい畑」
セブンファーム 取締役 久留原昌彦(53)
 4ヘクタールの農場には、トウモロコシが力強く空に向かって伸び、ジャガイモの白い花が咲いていた。
 この千葉県富里市にある「セブンファーム富里」は、イトーヨーカ堂の直営農場だ。こうした農場は、関東のほか北海道、愛知、新潟にもあり、全国10カ所に広がっている。
 久留原昌彦は、これらの農場運営を担う中核会社「セブンファーム」の取締役。といっても、イトーヨーカ堂での役職は、青果部のチーフバイヤー。つまり課長だ。1982年の入社以来、青果部門を歩み、30代半ばまで売り場に立った後、仕入れを任されるようになった。そんな久留原に農業参入の大仕事が舞い込んだのは、2008年のことだ。
「一緒に会社を立ち上げませんか」
 富里市の農家に提案してまわったが、身構える人は少なくなかった。だが、あきらめず何度も足を運ぶ。ある日、生産者が「雨が足りない」と話すのを聞き、おかしいと感じた。さっきまで土砂降りの雨が降っていたのに。
「短時間降ってもダメ。全部流れちまう。少しずつ、ずっと降るのがいい雨なんだ」
 そんな生産者の解説に相づちを打つ。やり取りを重ねるうち、距離が縮まり、08年、富里で直営農場第1号の開設にこぎつけた。
 店の売り場にいた頃、野菜くずや古くなって捨てられる商品を見て、いつも「もったいない」と感じていた。セブンファームの取り組みには、そんな農作物の抱える課題解決の糸口がある。店から野菜くずや売れ残った商品を回収し、専用のリサイクル工場で堆肥にする。この堆肥を農場で使い、栽培された野菜を再び、店頭に並べる。まさに循環型の農業だ。
「小売りのプロだから、消費者のニーズを知っている。その知見を生産者と共有したい」
 と久留原。不ぞろいの野菜も、味は一級品。生産者にも、消費者にもやさしい。それが目指す農業だ。(文中敬称略)
写真:写真部・東川哲也 ライター:岡本俊浩

    セブンファーム
    「やさしい畑」

    セブンファーム 取締役 久留原昌彦(53)  4ヘクタールの農場には、トウモロコシが力強く空に向かって伸び、ジャガイモの白い花が咲いていた。
     この千葉県富里市にある「セブンファーム富里」は、イトーヨーカ堂の直営農場だ。こうした農場は、関東のほか北海道、愛知、新潟にもあり、全国10カ所に広がっている。
     久留原昌彦は、これらの農場運営を担う中核会社「セブンファーム」の取締役。といっても、イトーヨーカ堂での役職は、青果部のチーフバイヤー。つまり課長だ。1982年の入社以来、青果部門を歩み、30代半ばまで売り場に立った後、仕入れを任されるようになった。そんな久留原に農業参入の大仕事が舞い込んだのは、2008年のことだ。
    「一緒に会社を立ち上げませんか」
     富里市の農家に提案してまわったが、身構える人は少なくなかった。だが、あきらめず何度も足を運ぶ。ある日、生産者が「雨が足りない」と話すのを聞き、おかしいと感じた。さっきまで土砂降りの雨が降っていたのに。
    「短時間降ってもダメ。全部流れちまう。少しずつ、ずっと降るのがいい雨なんだ」
     そんな生産者の解説に相づちを打つ。やり取りを重ねるうち、距離が縮まり、08年、富里で直営農場第1号の開設にこぎつけた。
     店の売り場にいた頃、野菜くずや古くなって捨てられる商品を見て、いつも「もったいない」と感じていた。セブンファームの取り組みには、そんな農作物の抱える課題解決の糸口がある。店から野菜くずや売れ残った商品を回収し、専用のリサイクル工場で堆肥にする。この堆肥を農場で使い、栽培された野菜を再び、店頭に並べる。まさに循環型の農業だ。
    「小売りのプロだから、消費者のニーズを知っている。その知見を生産者と共有したい」
     と久留原。不ぞろいの野菜も、味は一級品。生産者にも、消費者にもやさしい。それが目指す農業だ。(文中敬称略) 写真:写真部・東川哲也 ライター:岡本俊浩

  • そごう・西武
「妄想力で創り出せ」
そごう・西武 自主商品部開発部 アベックモード チーフバイヤー 鶴沢良二(46)
 足を踏み入れるとほっと心がなごむのは、フロアにたたずむマネキンたちが、寄りそうカップルだからだろう。
 明治学院大学法学部卒。DCブランドで固めて学生時代を過ごした鶴沢良二が仕切るのは、40~50代の夫婦・カップルがターゲットのファッションブランド「アベックモード」。専属のデザイナーやパタンナーら社員7人でつくる、そごう・西武初のSPA(製造小売業)手法を採り入れたブランドだ。
 女性がボタニカル柄のワンピースをまとえば男性も同柄のシャツを。女性がマリンブルーのスカート姿なら、男性は同じ色のカーディガンを肩に巻いて──。
「ペアルックなんて恥ずかしいと思うでしょうが、大人は別。長年ともに歩んできた夫婦は、“さりげなく同じ”がかっこいい」
 色や素材など、ちょっとした装いのペア感で“調和のとれた大人のふたり”を演出する。
 ゼロからつくるだけに、こだわるのは、一着一着に込める「ストーリー」だ。
 子育てが一段落し、時間ができた夫婦は休日をどう過ごすのだろう? 美術館を巡るか、ドライブに出かけるか、公園を散歩するか……。妄想力をフル稼働させ、行動シーンに合ったファッションをカタチにしてゆく。
「夫婦の行動パターンは千差万別。24時間、次はどんな服をつくろうかと頭が動いている」
 アパレル業界では異例の2週間サイクルで新作を出すのは、ペアの楽しさを知ったふたりのテンションを下げさせないため。売り場を婦人服、紳士服に分けず、男女共同フロアにしたのは、ふたり一緒に買い物する時間を楽しんでほしいというメッセージだ。
「百貨店って、昔は訪れるだけでドキドキワクワクする場所だったはずだから」
 つれあいへの恋心の再燃と、百貨店の復権を夢見て、鶴沢は今日も想像の海を泳ぐ。(文中敬称略)
※そごう横浜店で撮影
写真:写真部・東川哲也 編集部:吉岡秀子

    そごう・西武
    「妄想力で創り出せ」

    そごう・西武 自主商品部開発部 アベックモード チーフバイヤー 鶴沢良二(46)  足を踏み入れるとほっと心がなごむのは、フロアにたたずむマネキンたちが、寄りそうカップルだからだろう。
     明治学院大学法学部卒。DCブランドで固めて学生時代を過ごした鶴沢良二が仕切るのは、40~50代の夫婦・カップルがターゲットのファッションブランド「アベックモード」。専属のデザイナーやパタンナーら社員7人でつくる、そごう・西武初のSPA(製造小売業)手法を採り入れたブランドだ。
     女性がボタニカル柄のワンピースをまとえば男性も同柄のシャツを。女性がマリンブルーのスカート姿なら、男性は同じ色のカーディガンを肩に巻いて──。
    「ペアルックなんて恥ずかしいと思うでしょうが、大人は別。長年ともに歩んできた夫婦は、“さりげなく同じ”がかっこいい」
     色や素材など、ちょっとした装いのペア感で“調和のとれた大人のふたり”を演出する。
     ゼロからつくるだけに、こだわるのは、一着一着に込める「ストーリー」だ。
     子育てが一段落し、時間ができた夫婦は休日をどう過ごすのだろう? 美術館を巡るか、ドライブに出かけるか、公園を散歩するか……。妄想力をフル稼働させ、行動シーンに合ったファッションをカタチにしてゆく。
    「夫婦の行動パターンは千差万別。24時間、次はどんな服をつくろうかと頭が動いている」
     アパレル業界では異例の2週間サイクルで新作を出すのは、ペアの楽しさを知ったふたりのテンションを下げさせないため。売り場を婦人服、紳士服に分けず、男女共同フロアにしたのは、ふたり一緒に買い物する時間を楽しんでほしいというメッセージだ。
    「百貨店って、昔は訪れるだけでドキドキワクワクする場所だったはずだから」
     つれあいへの恋心の再燃と、百貨店の復権を夢見て、鶴沢は今日も想像の海を泳ぐ。(文中敬称略) ※そごう横浜店で撮影 写真:写真部・東川哲也 編集部:吉岡秀子

  • ヤマト運輸
「最後の1マイルを走れ」
ヤマト運輸 大阪主管支店 上町支店 支店長 冨田尊嗣(36)
 見上げれば、勝鬘院の多宝塔。古寺が立ち並ぶ一角に、冨田尊嗣が支店長を務めるヤマト運輸の上町支店(大阪市天王寺区)はある。六つの営業所を束ね、3万世帯、6千事業所をカバーしている。
 ネット通販の普及によって、宅配ビジネスは家庭への小口配送が増加の一途をたどる。上町支店の場合、1日に5千の荷物が出入りするが、そんなことでひるむ冨田ではない。むしろ、闘志をかき立てられるのだ。
「1時間でどれだけ多くの荷物を届けることができるか。仲間と山を乗り越えるのが、楽しくて仕方がない」
 岡山県出身。高校卒業後に就職したが、20代半ばでヤマトに転職。生野支店(大阪市生野区)でドライバーを始めた。実は子どもの頃から、配送業には憧れていた。
「父親も同業者。屈強な肉体で弱音を吐くことがない。かっこよかったんです」
 4年前に管理者試験を受け、生野支店で支店長になった。すぐに仕分け、配送の効率化策を発案し、社長賞をとった。
 それは小さなイノベーションだ。地域の集配所には、物流センターから届く荷物をいったん保管するキャスター付きのかごが、たくさんある。このかごを置く場所を、ドライバーや仕分けスタッフの動線がなるべく短くなるように調整。早く配送に出かけられるようにした。在宅率が高い朝8時台により多くの荷物を届けることができ、不在票がぐっと減った。
 ヤマトには「ラストワンマイル」という合言葉がある。お客さまがいる限り、どんな場所だろうと最後の1歩まで走り抜くという意味が込められている。次の配属先が離れ小島だったらどうか。
「どこだろうと行きますよ」
 課題は克服するためにある。冨田はクライマーのように配送業を楽しむ。(文中敬称略)
写真:伊ケ崎忍 ライター:岡本俊浩

    ヤマト運輸
    「最後の1マイルを走れ」

    ヤマト運輸 大阪主管支店 上町支店 支店長 冨田尊嗣(36)  見上げれば、勝鬘院の多宝塔。古寺が立ち並ぶ一角に、冨田尊嗣が支店長を務めるヤマト運輸の上町支店(大阪市天王寺区)はある。六つの営業所を束ね、3万世帯、6千事業所をカバーしている。
     ネット通販の普及によって、宅配ビジネスは家庭への小口配送が増加の一途をたどる。上町支店の場合、1日に5千の荷物が出入りするが、そんなことでひるむ冨田ではない。むしろ、闘志をかき立てられるのだ。
    「1時間でどれだけ多くの荷物を届けることができるか。仲間と山を乗り越えるのが、楽しくて仕方がない」
     岡山県出身。高校卒業後に就職したが、20代半ばでヤマトに転職。生野支店(大阪市生野区)でドライバーを始めた。実は子どもの頃から、配送業には憧れていた。
    「父親も同業者。屈強な肉体で弱音を吐くことがない。かっこよかったんです」
     4年前に管理者試験を受け、生野支店で支店長になった。すぐに仕分け、配送の効率化策を発案し、社長賞をとった。
     それは小さなイノベーションだ。地域の集配所には、物流センターから届く荷物をいったん保管するキャスター付きのかごが、たくさんある。このかごを置く場所を、ドライバーや仕分けスタッフの動線がなるべく短くなるように調整。早く配送に出かけられるようにした。在宅率が高い朝8時台により多くの荷物を届けることができ、不在票がぐっと減った。
     ヤマトには「ラストワンマイル」という合言葉がある。お客さまがいる限り、どんな場所だろうと最後の1歩まで走り抜くという意味が込められている。次の配属先が離れ小島だったらどうか。
    「どこだろうと行きますよ」
     課題は克服するためにある。冨田はクライマーのように配送業を楽しむ。(文中敬称略) 写真:伊ケ崎忍 ライター:岡本俊浩

  • 図書印刷
「ジブリの色は経験の色」
図書印刷 第四営業本部 担当課長 鈴木敬二(50)
 スタジオジブリが世に送り出すのは、何も映像だけではない。原画集から劇場用パンフレットまで、数多くの出版物がある。図書印刷は、その印刷をほぼ一手に引き受ける。そんな会社で「ジブリ番」を20年担ってきたのが、鈴木敬二だ。
「ジブリの印刷物って、色が大変でしょう」
 そう何百回とたずねられてきた。その度に「図書印刷は、ずっとこれをやってきたんだ」という自負が胸に湧き上がる。
 この仕事には、勘所がある。
「自然の色や光。緻密な構造物や生活空間。人物もさることながら、スタジオジブリの作品を特徴づけているのは、背景なのです」
 そんな映像を何度も見返し、脳裏に「ジブリの色」を焼きつける。実作業を担うスタッフは、すべて専任。ともに経験を積んできたから、いちいち説明せずとも、「あ・うん」の呼吸で仕事ができる。
 専修大学卒。電機関係の商社で営業マンを務めた後の1991年、図書印刷に転職。その頃から同社ではジブリの出版物を扱っていて、鈴木は担当営業を任されると、先輩から“仕上がり”に対するジブリの厳しさを徹底的にたたき込まれた。
「勘所をつかむまで3、4年かかりました」
 受け取った素材は、だれが、どんな考えに基づいてつくったのか。監督やスタッフによって、ディテールの描き込み方や色づかいが微妙に違う。そうした一人ひとりの“癖”は、何度もジブリの現場に足を運んだからこそ、つかむことができる。疑問があれば、直接、本人と話して確認する。
 沼津工場(静岡県)では、最新作「思い出のマーニー」の関連書籍の作業が大詰めを迎えていた。ページごとに書き込まれた色やディテールへの指示を、ジブリ出版部のスタッフとともに最終確認する。ジブリには、鈴木の目が欠かせない。(文中敬称略)
写真:写真部・東川哲也 文:編集部・岡本俊浩

    図書印刷
    「ジブリの色は経験の色」

    図書印刷 第四営業本部 担当課長 鈴木敬二(50)  スタジオジブリが世に送り出すのは、何も映像だけではない。原画集から劇場用パンフレットまで、数多くの出版物がある。図書印刷は、その印刷をほぼ一手に引き受ける。そんな会社で「ジブリ番」を20年担ってきたのが、鈴木敬二だ。
    「ジブリの印刷物って、色が大変でしょう」
     そう何百回とたずねられてきた。その度に「図書印刷は、ずっとこれをやってきたんだ」という自負が胸に湧き上がる。
     この仕事には、勘所がある。
    「自然の色や光。緻密な構造物や生活空間。人物もさることながら、スタジオジブリの作品を特徴づけているのは、背景なのです」
     そんな映像を何度も見返し、脳裏に「ジブリの色」を焼きつける。実作業を担うスタッフは、すべて専任。ともに経験を積んできたから、いちいち説明せずとも、「あ・うん」の呼吸で仕事ができる。
     専修大学卒。電機関係の商社で営業マンを務めた後の1991年、図書印刷に転職。その頃から同社ではジブリの出版物を扱っていて、鈴木は担当営業を任されると、先輩から“仕上がり”に対するジブリの厳しさを徹底的にたたき込まれた。
    「勘所をつかむまで3、4年かかりました」
     受け取った素材は、だれが、どんな考えに基づいてつくったのか。監督やスタッフによって、ディテールの描き込み方や色づかいが微妙に違う。そうした一人ひとりの“癖”は、何度もジブリの現場に足を運んだからこそ、つかむことができる。疑問があれば、直接、本人と話して確認する。
     沼津工場(静岡県)では、最新作「思い出のマーニー」の関連書籍の作業が大詰めを迎えていた。ページごとに書き込まれた色やディテールへの指示を、ジブリ出版部のスタッフとともに最終確認する。ジブリには、鈴木の目が欠かせない。(文中敬称略) 写真:写真部・東川哲也 文:編集部・岡本俊浩

  • タワーレコード
「生配信という一期一会」
タワーレコード 広告宣伝メディア本部 宣伝マーケティング部 チーフ 山田尚宏(39)
 タワーレコードは一昨年、NTTドコモの子会社になった。山田尚宏はその年の査定面談で、上司に質問した。「デジタル化のいま、会社はどう対応するんですか」。すると、こう切り返された。「君にピッタリの仕事がある」。かくして、インターネットでの番組配信事業「TOWER REVOLVE PROJECT(タワレボ)」が立ち上がり、山田はその担当課長を任されたのだった。
 高校在学中の1993年、東京・新宿の店舗でバイトを始めた。あの頃の西新宿は、アナログレコード店が群雄割拠。パンクキッズだった山田は、その“熱”にひかれた。明治学院大学を卒業後もバイトを続け、27歳で正社員に。30歳で旗艦店の渋谷店に異動すると、洋楽ポップ/ロックフロアのチーフになった。
 そんな販売現場を最もよく知る男が今、月に約20本ものネット番組に現場監督として携わる。番組の企画を立て、出演交渉をし、売り場担当から情報を吸い上げる。
 渋谷店内の特設スタジオに、山田の姿があった。生放送中の番組「タワレコ渋谷洋楽第二企画室」を見守っている。「このバンドが好きなら、これも楽しめるはず。なぜなら……」と、案内役の音楽ジャーナリスト、高橋芳朗らが軽妙なトークで曲を薦め、洋楽を掘り下げていく。ネットで探し、クリック一つで欲しいものが自宅に届く時代だが、
「レコード店や音楽の専門家の持つ『お薦め力』は、生きた情報です。生配信という一期一会で、リアルの店舗の魅力を再認識してもらいたい」
 ラッパーのライブを生配信することもあれば、タワレコ社長とアイドルグループのトーク番組を放送することも。累計の視聴者数が1万人に上る人気番組もある。盤を売る仕事ではなくなったが、寂しくはない。
「音楽への熱、愛を伝えることに変わりはないのだから」(文中敬称略)
写真:写真部・東川哲也 文:編集部:岡本俊浩

    タワーレコード
    「生配信という一期一会」

    タワーレコード 広告宣伝メディア本部 宣伝マーケティング部 チーフ 山田尚宏(39)  タワーレコードは一昨年、NTTドコモの子会社になった。山田尚宏はその年の査定面談で、上司に質問した。「デジタル化のいま、会社はどう対応するんですか」。すると、こう切り返された。「君にピッタリの仕事がある」。かくして、インターネットでの番組配信事業「TOWER REVOLVE PROJECT(タワレボ)」が立ち上がり、山田はその担当課長を任されたのだった。
     高校在学中の1993年、東京・新宿の店舗でバイトを始めた。あの頃の西新宿は、アナログレコード店が群雄割拠。パンクキッズだった山田は、その“熱”にひかれた。明治学院大学を卒業後もバイトを続け、27歳で正社員に。30歳で旗艦店の渋谷店に異動すると、洋楽ポップ/ロックフロアのチーフになった。
     そんな販売現場を最もよく知る男が今、月に約20本ものネット番組に現場監督として携わる。番組の企画を立て、出演交渉をし、売り場担当から情報を吸い上げる。
     渋谷店内の特設スタジオに、山田の姿があった。生放送中の番組「タワレコ渋谷洋楽第二企画室」を見守っている。「このバンドが好きなら、これも楽しめるはず。なぜなら……」と、案内役の音楽ジャーナリスト、高橋芳朗らが軽妙なトークで曲を薦め、洋楽を掘り下げていく。ネットで探し、クリック一つで欲しいものが自宅に届く時代だが、
    「レコード店や音楽の専門家の持つ『お薦め力』は、生きた情報です。生配信という一期一会で、リアルの店舗の魅力を再認識してもらいたい」
     ラッパーのライブを生配信することもあれば、タワレコ社長とアイドルグループのトーク番組を放送することも。累計の視聴者数が1万人に上る人気番組もある。盤を売る仕事ではなくなったが、寂しくはない。
    「音楽への熱、愛を伝えることに変わりはないのだから」(文中敬称略) 写真:写真部・東川哲也 文:編集部:岡本俊浩

  • 「時を超える嗅覚」
ニッカウヰスキー ブレンダー室 主席ブレンダー 森弥(38)
 友だちの半分は製薬会社に就職した。それはそうだ。東京理科大学の大学院で、生物工学を学んだのだから。でも、森弥が就職先として選んだのは、ニッカウヰスキー。「日本のウイスキーの父」と称される創業者・竹鶴政孝に「挑戦者の精神を感じたから」だ。
 2000年に入社した。最初に配属された宮城峡蒸溜所(仙台市)は、余市蒸溜所(北海道余市町)と並ぶ、原酒(モルトウイスキー)づくりの要だ。森は、そこでウイスキーの品質管理や原酒開発に携わった。
 10年すると柏工場(千葉県柏市)の「ブレンダー室」に配属され、今は主席ブレンダーを務める。部下は2人。ニッカの新商品開発や発売中の商品の品質管理は、森たちの鍛えぬかれた"嗅覚"にかかっている。森はグラスにウイスキーを注ぎ、鼻孔に近づける。
「酵母が発酵することによって生じる化合物は、多様。原料によっても異なる。香りもその分、複雑なんです」
 どこで蒸留されたのか、寝かせていた樽の材質は何か、貯蔵した場所はどこなのか。5年ものか、10年ものか、あるいはそれ以上か……原酒は条件によって表情を変える。そんな原酒を混ぜ合わせてつくるブレンドウイスキーの味わい、品質を維持するのは、至難の業だ。
 いま使っている原酒の量には限りがあるから、在庫が底をつくと、別の原酒をあてる。それでも変わらぬ風味と品質を保つのが、ブレンダーの“腕”。むろん、重要なのは原酒の良しあしだ。将来、いい“表情”になっているかどうか、鼻を利かす。評価結果を記したファイルには、細かな字で評価コメントがつづられている。
「この瞬間に嗅いだ香りが、10年、20年先のブレンダーに引きつがれる」
 ブレンダー室に流れるのは、大いなる"時"の流れだ。(文中敬称略)
写真:写真部・東川哲也 文:編集部・岡本俊浩

    「時を超える嗅覚」
    ニッカウヰスキー ブレンダー室 主席ブレンダー 森弥(38)  友だちの半分は製薬会社に就職した。それはそうだ。東京理科大学の大学院で、生物工学を学んだのだから。でも、森弥が就職先として選んだのは、ニッカウヰスキー。「日本のウイスキーの父」と称される創業者・竹鶴政孝に「挑戦者の精神を感じたから」だ。
     2000年に入社した。最初に配属された宮城峡蒸溜所(仙台市)は、余市蒸溜所(北海道余市町)と並ぶ、原酒(モルトウイスキー)づくりの要だ。森は、そこでウイスキーの品質管理や原酒開発に携わった。
     10年すると柏工場(千葉県柏市)の「ブレンダー室」に配属され、今は主席ブレンダーを務める。部下は2人。ニッカの新商品開発や発売中の商品の品質管理は、森たちの鍛えぬかれた"嗅覚"にかかっている。森はグラスにウイスキーを注ぎ、鼻孔に近づける。
    「酵母が発酵することによって生じる化合物は、多様。原料によっても異なる。香りもその分、複雑なんです」
     どこで蒸留されたのか、寝かせていた樽の材質は何か、貯蔵した場所はどこなのか。5年ものか、10年ものか、あるいはそれ以上か……原酒は条件によって表情を変える。そんな原酒を混ぜ合わせてつくるブレンドウイスキーの味わい、品質を維持するのは、至難の業だ。
     いま使っている原酒の量には限りがあるから、在庫が底をつくと、別の原酒をあてる。それでも変わらぬ風味と品質を保つのが、ブレンダーの“腕”。むろん、重要なのは原酒の良しあしだ。将来、いい“表情”になっているかどうか、鼻を利かす。評価結果を記したファイルには、細かな字で評価コメントがつづられている。
    「この瞬間に嗅いだ香りが、10年、20年先のブレンダーに引きつがれる」
     ブレンダー室に流れるのは、大いなる"時"の流れだ。(文中敬称略) 写真:写真部・東川哲也 文:編集部・岡本俊浩

  • カルチュア・コンビニエンス・クラブ
「新しい図書館のかたち」
カルチュア・コンビニエンス・クラブ CCCデザイン図書館カンパニー 運営企画リーダー 椎名夏代子(35)
 田園に浮かぶ近未来的な建物の中は、やわらかな間接照明に彩られ、木のぬくもりを感じる。館内のスターバックスでコーヒーを買い、くつろぎながら本を読む。きょうも多くの人でにぎわう武雄市図書館(佐賀県武雄市)は、レンタルチェーン「TSUTAYA」を展開するカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)が、指定管理者として運営している。椎名夏代子は、ここで新しい図書館の“かたち”をつくりあげてきた。
 館内には「蔦屋書店」がある。本を借りるのも買うのも、自動貸出機(セルフカウンター)で済ませる。本の貸し出しはもちろん無料だが、Tカードで借りるとTポイントがたまる。本棚は「生き方」や「暮らし方」などのジャンルごとに並ぶ。本を見つけやすいようにと考えた結果であり、従来の図書館にはない工夫だ。
 私語は原則OK。館内にはBGMが流れる。「おしゃべりができれば、家族連れや若い人がより来やすくなる」と、市を説得した。壁で覆われていた幼児向けの読み聞かせスペースは、外から見える場所に移動させた。見られることで、読み聞かせるボランティアの声が、イキイキとし始めた。
 昨年4月に新装開館したが、こうした工夫が評判を呼び、2013年度の来館者数は11年度の約3.6倍、92万3千人に増えた。「こんなの図書館ではない」と批判も受けるが、
「新しいサービスを提供しつつも、図書館が昔から地域で担ってきた役割や機能は、きちんと果たしているという自負はあります」
 今は神奈川県海老名市、宮城県多賀城市の図書館再生事業も手がけ、「来年はどこにいるか分からない!」と、心を躍らせる。
 大学卒業後、出版社に入り、06年、CCCに転職した。CD・DVD販売部から12年に、いまの担当になった。
「ずっと本とかかわる仕事をしたかった。夢がかなって幸せ。子どもたちが本に触れるきっかけをつくりたい」(文中敬称略)
写真:写真部・東川哲也 ライター:小野美由紀

    カルチュア・コンビニエンス・クラブ
    「新しい図書館のかたち」

    カルチュア・コンビニエンス・クラブ CCCデザイン図書館カンパニー 運営企画リーダー 椎名夏代子(35)  田園に浮かぶ近未来的な建物の中は、やわらかな間接照明に彩られ、木のぬくもりを感じる。館内のスターバックスでコーヒーを買い、くつろぎながら本を読む。きょうも多くの人でにぎわう武雄市図書館(佐賀県武雄市)は、レンタルチェーン「TSUTAYA」を展開するカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)が、指定管理者として運営している。椎名夏代子は、ここで新しい図書館の“かたち”をつくりあげてきた。
     館内には「蔦屋書店」がある。本を借りるのも買うのも、自動貸出機(セルフカウンター)で済ませる。本の貸し出しはもちろん無料だが、Tカードで借りるとTポイントがたまる。本棚は「生き方」や「暮らし方」などのジャンルごとに並ぶ。本を見つけやすいようにと考えた結果であり、従来の図書館にはない工夫だ。
     私語は原則OK。館内にはBGMが流れる。「おしゃべりができれば、家族連れや若い人がより来やすくなる」と、市を説得した。壁で覆われていた幼児向けの読み聞かせスペースは、外から見える場所に移動させた。見られることで、読み聞かせるボランティアの声が、イキイキとし始めた。
     昨年4月に新装開館したが、こうした工夫が評判を呼び、2013年度の来館者数は11年度の約3.6倍、92万3千人に増えた。「こんなの図書館ではない」と批判も受けるが、
    「新しいサービスを提供しつつも、図書館が昔から地域で担ってきた役割や機能は、きちんと果たしているという自負はあります」
     今は神奈川県海老名市、宮城県多賀城市の図書館再生事業も手がけ、「来年はどこにいるか分からない!」と、心を躍らせる。
     大学卒業後、出版社に入り、06年、CCCに転職した。CD・DVD販売部から12年に、いまの担当になった。
    「ずっと本とかかわる仕事をしたかった。夢がかなって幸せ。子どもたちが本に触れるきっかけをつくりたい」(文中敬称略) 写真:写真部・東川哲也 ライター:小野美由紀

  • スターバックス コーヒー ジャパン
「掘り起こす豆の物語」
スターバックス コーヒー ジャパン チームマネジャー コーヒースペシャリスト 江嵜譲二(44)
 挽いたコーヒー豆をグラスに入れ、熱湯を注ぐと、表面に黒い粉が薄い層をつくる。表面をそっとスプーンで割り、「ズッ」とすする。液体と一緒に空気を吸い込むことで、豆の味や香りがはっきりとわかる。米シアトルから運ばれてくる豆を日々、江嵜譲二はこの「カッピング」と呼ばれる風味テストで評価する。
「豆の味わいや香りを、どんな言葉で表現するべきか。どういった食べ物と相性が良いのか。年に何度も、スタッフを交えて検証するのが、私の仕事です」
 スターバックスの店頭にある豆の説明書きを、ご存知だろう。アフリカのザンビアの農園でとれた期間限定の希少豆ならば、「シトラスの香りに、リンゴやバニラを思わせる風味とココアのような口あたり」。果実の風味がある豆には果物を使ったデザートが合うし、十分に寝かせた豆が持つ独特の風味は、熟成したチーズと相性がいい。ワインにおける「マリアージュ」は、コーヒーの世界にもあるのだ。
「初めは400文字ぐらいのリポート。ただ、店頭のメニューや解説カードには文字数の制限があるから、要所を短文に落とし込む」
 めざすのは、だれが聞いても味わいや香りをイメージできる言葉だ。
 日本大学文理学部を卒業したが就職せずにフリーター生活。1996年にスタバでアルバイトを始め、翌年、正社員になった。東京都内のいくつかの店で店長を務め、豆を売るうち、いつしか社内で「豆の人」と呼ばれるようになり、2004年にはコーヒースペシャリストに任じられた。日本のスタバには3人しかいない名誉ある“称号”だ。
 モノがあふれる現代、売れる商品には物語があると言われる。こげ茶色の豆はどれも同じに見えるが、産地や収穫した年、農園主の思いなどの違いによって、豆はそれぞれ異なる物語を持つ。江嵜の仕事は、その物語を掘り起こし、伝えることにあるのだ。(文中敬称略)
写真:写真部・東川哲也 文:編集部:岡本俊浩

    スターバックス コーヒー ジャパン
    「掘り起こす豆の物語」

    スターバックス コーヒー ジャパン チームマネジャー コーヒースペシャリスト 江嵜譲二(44)  挽いたコーヒー豆をグラスに入れ、熱湯を注ぐと、表面に黒い粉が薄い層をつくる。表面をそっとスプーンで割り、「ズッ」とすする。液体と一緒に空気を吸い込むことで、豆の味や香りがはっきりとわかる。米シアトルから運ばれてくる豆を日々、江嵜譲二はこの「カッピング」と呼ばれる風味テストで評価する。
    「豆の味わいや香りを、どんな言葉で表現するべきか。どういった食べ物と相性が良いのか。年に何度も、スタッフを交えて検証するのが、私の仕事です」
     スターバックスの店頭にある豆の説明書きを、ご存知だろう。アフリカのザンビアの農園でとれた期間限定の希少豆ならば、「シトラスの香りに、リンゴやバニラを思わせる風味とココアのような口あたり」。果実の風味がある豆には果物を使ったデザートが合うし、十分に寝かせた豆が持つ独特の風味は、熟成したチーズと相性がいい。ワインにおける「マリアージュ」は、コーヒーの世界にもあるのだ。
    「初めは400文字ぐらいのリポート。ただ、店頭のメニューや解説カードには文字数の制限があるから、要所を短文に落とし込む」
     めざすのは、だれが聞いても味わいや香りをイメージできる言葉だ。
     日本大学文理学部を卒業したが就職せずにフリーター生活。1996年にスタバでアルバイトを始め、翌年、正社員になった。東京都内のいくつかの店で店長を務め、豆を売るうち、いつしか社内で「豆の人」と呼ばれるようになり、2004年にはコーヒースペシャリストに任じられた。日本のスタバには3人しかいない名誉ある“称号”だ。
     モノがあふれる現代、売れる商品には物語があると言われる。こげ茶色の豆はどれも同じに見えるが、産地や収穫した年、農園主の思いなどの違いによって、豆はそれぞれ異なる物語を持つ。江嵜の仕事は、その物語を掘り起こし、伝えることにあるのだ。(文中敬称略) 写真:写真部・東川哲也 文:編集部:岡本俊浩

  • ヤフー
「リアルとネットをつなぐ」
ヤフー 復興支援室 復興デパートメント担当マネージャー 長谷川琢也(37)
 石巻湾に面するリアス式海岸。漁船に乗り込んだヤフーの長谷川琢也は、波に揺られ、宮城県石巻市牧浜沖のカキの養殖棚へ向かう。この地域の養殖棚も「3・11」の大津波で大きな被害を受けたが、漁師たちは再起していた。そんな人々と消費者をインターネットでつなぐのが、長谷川の仕事。ヤフーのサイト上で「復興デパートメント」を運営。東北の海産物や農産品、工芸品のネット通販を、土地の担い手とともに手がけている。
 横浜育ちで千葉大学卒。ITベンチャーを経て、2003年にヤフーに転職した。話し好きで、高いコミュニケーション能力が評価され、新事業を立ち上げる時にはよく声をかけられる。eコマースの宣伝部門で部長を任された時も、職場を明るく盛り上げたが、一方で、
「M&Aもできないし、プログラムを書けるわけでもない。中途半端」
 と劣等感も感じていた。迷いを吹き飛ばしたのは、東日本大震災。社業を離れて単身、津波被害が甚大な石巻に入り、がれきの撤去を手伝った。その後も休日や有給休暇を利用し、自腹で石巻へ。地元の人から「お帰り」と迎えられ、ホヤの味の奥深さも知った。
 震災から1年後、「会社辞めて、移住か」とも考えた。社長の宮坂学に相談すると、「復興支援の新事業を立ち上げろ」と命じられた。12年7月、石巻市内に「ヤフー石巻復興ベース」を開設。住まいも現地に移した。
 被災地支援として次々とインターネットを使ったサービスが立ち上がった。しかし、漁師や農家と関係を築くとき、相手のふところに飛び込み、信頼を勝ち得るのは、生身の力だ。長谷川はそのことを、よくわかっている。
「指先の仕事だけじゃわからないことがある。被災地と外側、ITとリアルの間に立って、両者をつないでいきたい」
 今月14日には、自転車イベント「ツール・ド・東北」も控える。復興支援室と河北新報社が共同で主催し、3千人が参加するイベントだ。(文中敬称略)
写真:写真部・東川哲也 文:編集部:岡本俊浩

    ヤフー
    「リアルとネットをつなぐ」

    ヤフー 復興支援室 復興デパートメント担当マネージャー 長谷川琢也(37)  石巻湾に面するリアス式海岸。漁船に乗り込んだヤフーの長谷川琢也は、波に揺られ、宮城県石巻市牧浜沖のカキの養殖棚へ向かう。この地域の養殖棚も「3・11」の大津波で大きな被害を受けたが、漁師たちは再起していた。そんな人々と消費者をインターネットでつなぐのが、長谷川の仕事。ヤフーのサイト上で「復興デパートメント」を運営。東北の海産物や農産品、工芸品のネット通販を、土地の担い手とともに手がけている。
     横浜育ちで千葉大学卒。ITベンチャーを経て、2003年にヤフーに転職した。話し好きで、高いコミュニケーション能力が評価され、新事業を立ち上げる時にはよく声をかけられる。eコマースの宣伝部門で部長を任された時も、職場を明るく盛り上げたが、一方で、
    「M&Aもできないし、プログラムを書けるわけでもない。中途半端」
     と劣等感も感じていた。迷いを吹き飛ばしたのは、東日本大震災。社業を離れて単身、津波被害が甚大な石巻に入り、がれきの撤去を手伝った。その後も休日や有給休暇を利用し、自腹で石巻へ。地元の人から「お帰り」と迎えられ、ホヤの味の奥深さも知った。
     震災から1年後、「会社辞めて、移住か」とも考えた。社長の宮坂学に相談すると、「復興支援の新事業を立ち上げろ」と命じられた。12年7月、石巻市内に「ヤフー石巻復興ベース」を開設。住まいも現地に移した。
     被災地支援として次々とインターネットを使ったサービスが立ち上がった。しかし、漁師や農家と関係を築くとき、相手のふところに飛び込み、信頼を勝ち得るのは、生身の力だ。長谷川はそのことを、よくわかっている。
    「指先の仕事だけじゃわからないことがある。被災地と外側、ITとリアルの間に立って、両者をつないでいきたい」
     今月14日には、自転車イベント「ツール・ド・東北」も控える。復興支援室と河北新報社が共同で主催し、3千人が参加するイベントだ。(文中敬称略) 写真:写真部・東川哲也 文:編集部:岡本俊浩

  • ブリヂストンサイクル
「進化するママチャリ」
ブリヂストンサイクル 技術管理部 デザイン課 課長 中森和崇(44)
 値段が高くてもいいから、おしゃれなママチャリがほしい──そんなママたちの願いをかなえたのが、ブリヂストンサイクルが2011年に発売した電動アシスト自転車「HYDEE.B(ハイディビー)」。子育て世代の女性誌「VERY」(光文社)とのコラボでつくった。
「子どもを乗せる自転車は、実用性重視のものばかりでしたが、『子育て、カッコイイ』、そんな流れを自転車でつくれたことに誇りを感じます」
 そう話す中森和崇は、自転車のデザイン一筋で生きてきた。千葉大学工学部で工業デザインを学んだ後、自動車業界に進む道もあったが、「もっと身近な乗り物をつくりたい」とブリヂストンサイクルに就職した。自転車のデザインのコンセプトや形、色を決めるのが仕事。ただ、HYDEE.Bの開発では、安全とオシャレのバランスに苦心した。
 ブリヂストンサイクルには、すでに人気の3人乗り電動アシスト自転車「アンジェリーノ」があった。「できるだけオシャレに」とつくったが、やはり安全性が最優先。ところが、新開発する自転車は「オシャレありき」。社内の安全基準内に収めつつ、VERYママのオシャレ感覚を満たさないといけない。
 驚くこともあった。細いタイヤがカッコイイと思っていたら、マウンテンバイク世代のママたちが求めたのは、ゴツゴツした極太タイヤ。それなら子どもを乗せてもふらつかない。一方、フレームはシンプルな形にこだわった。メーンカラーは「マット(ツヤ消し)ブラック」に。HYDEE.Bは200台の先行予約が、受け付け開始40分で埋まった。
 新シリーズ「bikke(ビッケ)」は、極太タイヤはそのままだが、重心を低くして車輪を小さくした。進化を続ける電動アシスト自転車の国内市場は急伸中。欧州の街をさっそうと走れば、オシャレなパリジェンヌも振り向くだろう。世界を席巻する日も、そう遠くない。(文中敬称略)
写真:伊ケ崎忍 文:編集部:岡本俊浩

    ブリヂストンサイクル
    「進化するママチャリ」

    ブリヂストンサイクル 技術管理部 デザイン課 課長 中森和崇(44)  値段が高くてもいいから、おしゃれなママチャリがほしい──そんなママたちの願いをかなえたのが、ブリヂストンサイクルが2011年に発売した電動アシスト自転車「HYDEE.B(ハイディビー)」。子育て世代の女性誌「VERY」(光文社)とのコラボでつくった。
    「子どもを乗せる自転車は、実用性重視のものばかりでしたが、『子育て、カッコイイ』、そんな流れを自転車でつくれたことに誇りを感じます」
     そう話す中森和崇は、自転車のデザイン一筋で生きてきた。千葉大学工学部で工業デザインを学んだ後、自動車業界に進む道もあったが、「もっと身近な乗り物をつくりたい」とブリヂストンサイクルに就職した。自転車のデザインのコンセプトや形、色を決めるのが仕事。ただ、HYDEE.Bの開発では、安全とオシャレのバランスに苦心した。
     ブリヂストンサイクルには、すでに人気の3人乗り電動アシスト自転車「アンジェリーノ」があった。「できるだけオシャレに」とつくったが、やはり安全性が最優先。ところが、新開発する自転車は「オシャレありき」。社内の安全基準内に収めつつ、VERYママのオシャレ感覚を満たさないといけない。
     驚くこともあった。細いタイヤがカッコイイと思っていたら、マウンテンバイク世代のママたちが求めたのは、ゴツゴツした極太タイヤ。それなら子どもを乗せてもふらつかない。一方、フレームはシンプルな形にこだわった。メーンカラーは「マット(ツヤ消し)ブラック」に。HYDEE.Bは200台の先行予約が、受け付け開始40分で埋まった。
     新シリーズ「bikke(ビッケ)」は、極太タイヤはそのままだが、重心を低くして車輪を小さくした。進化を続ける電動アシスト自転車の国内市場は急伸中。欧州の街をさっそうと走れば、オシャレなパリジェンヌも振り向くだろう。世界を席巻する日も、そう遠くない。(文中敬称略) 写真:伊ケ崎忍 文:編集部:岡本俊浩

  • コクヨ工業滋賀
「琵琶湖の自然とノート」
コクヨ工業滋賀 開発グループ 課長代理 岡田佳美(35)
 のどかで自然豊かな琵琶湖は、人々に安らぎと恵みを与える。岸辺を覆うヨシ(葦)の群落は、水鳥や魚の産卵場所になり、命を育む。水をきれいにする作用もあるから、ヨシを守ることは、多くの人々の暮らしを守ることにもつながる。岡田佳美は、そんな琵琶湖の近くで生まれ育った。
 幼いころから、無類の文具好き。さらには環境やものづくりに興味をそそられる“リケジョ”でもある。滋賀県立大学工学部材料科学科を卒業すると、迷わず文具メーカーへの就職を決めた。配属先は、地元のコクヨ工業滋賀。ノートの生産量が日本一という工場だ。
 希望した仕事は、商品開発。会社がちょうど新ブランドを立ち上げようとしていた時期とも重なり、入社早々、誕生したばかりの開発グループで働くことになった。そこで目をつけたのが、ヨシ。枯れたヨシで紙をつくってみては、という案が検討された。そうして生まれたのが、2007年発売の「リエデン・シリーズ」のノートや名刺だ。リエデンとは「エデンに帰ろう」という意味。
 何といってもユニークなのは、色のネーミングだ。バームクーヘン、竹生島、オオナマズ、忍者、野菜ジュース……。
「開発担当の3人は全員が女子だから、最初はほとんどが食べ物の名前でした」
 もちろん、楽しいことばかりではない。ヨシパルプ100%のロール紙づくりは、機械への負荷が大きく、製紙会社に何度も試作を断られた。
「それでもお願いして、やっと実現したんですが、その後も試行錯誤を重ね、名刺にするまでに1年近くかかりましたね」
 そういう岡田の名刺は、しっかりとした紙質を保ちつつ、温かみのある風合いだ。
 1年半前に娘を出産し、育休取得後に職場復帰した。自然環境の循環は、生命の循環。
「自分たちのつくったものが環境を考える渡し船になれたら」(文中敬称略)
写真:伊ケ崎忍 文:ライター:西元まり

    コクヨ工業滋賀
    「琵琶湖の自然とノート」

    コクヨ工業滋賀 開発グループ 課長代理 岡田佳美(35)  のどかで自然豊かな琵琶湖は、人々に安らぎと恵みを与える。岸辺を覆うヨシ(葦)の群落は、水鳥や魚の産卵場所になり、命を育む。水をきれいにする作用もあるから、ヨシを守ることは、多くの人々の暮らしを守ることにもつながる。岡田佳美は、そんな琵琶湖の近くで生まれ育った。
     幼いころから、無類の文具好き。さらには環境やものづくりに興味をそそられる“リケジョ”でもある。滋賀県立大学工学部材料科学科を卒業すると、迷わず文具メーカーへの就職を決めた。配属先は、地元のコクヨ工業滋賀。ノートの生産量が日本一という工場だ。
     希望した仕事は、商品開発。会社がちょうど新ブランドを立ち上げようとしていた時期とも重なり、入社早々、誕生したばかりの開発グループで働くことになった。そこで目をつけたのが、ヨシ。枯れたヨシで紙をつくってみては、という案が検討された。そうして生まれたのが、2007年発売の「リエデン・シリーズ」のノートや名刺だ。リエデンとは「エデンに帰ろう」という意味。
     何といってもユニークなのは、色のネーミングだ。バームクーヘン、竹生島、オオナマズ、忍者、野菜ジュース……。
    「開発担当の3人は全員が女子だから、最初はほとんどが食べ物の名前でした」
     もちろん、楽しいことばかりではない。ヨシパルプ100%のロール紙づくりは、機械への負荷が大きく、製紙会社に何度も試作を断られた。
    「それでもお願いして、やっと実現したんですが、その後も試行錯誤を重ね、名刺にするまでに1年近くかかりましたね」
     そういう岡田の名刺は、しっかりとした紙質を保ちつつ、温かみのある風合いだ。
     1年半前に娘を出産し、育休取得後に職場復帰した。自然環境の循環は、生命の循環。
    「自分たちのつくったものが環境を考える渡し船になれたら」(文中敬称略) 写真:伊ケ崎忍 文:ライター:西元まり

  • 三井不動産商業マネジメント
「脱セオリーと対話力」
三井不動産商業マネジメント アーバン事業部 運営統括課長 劔持直子
 一歩足を踏み入れると、そこには「和」を強く意識した空間があった。2010年に東京・日本橋で開業した「コレド室町」。出汁や昆布、箔小物の専門店が並ぶ1階の内観からは、「江戸」「日本橋」の香りが漂う。劔持直子は、ここを運営する三井不動産商業マネジメントで、この施設の販売促進を担当している。
 三井アウトレットパーク、ららぽーと……同社が手がける他の商業施設と比べ、コレド室町は独自路線だ。重要なのは、店舗がずっと客足を伸ばしていくこと。だから、劔持は店舗の販売支援に軸足を置く。たとえば、夏に施設が金魚をテーマにしたイベントを展開するときには、入居する店舗にも、金魚にちなんだ商品開発を提案する。
 明治大学文学部を卒業して百貨店に就職。バブル入社組ではあるが、すぐにバブルははじけ、ものを売る厳しさを知った。
 2003年に転職したが、百貨店で覚えた「セオリー」が、このところ通じないことが多くなった。上層階のレストランから、客足が自然と階下の店舗に流れる「シャワー効果」も、今は昔。社会の多様化は著しく、商業施設に求められるものは、ショッピングだけではなくなった。だから、読みにくい。
 今は10月10日開業の「飯田橋サクラテラス」の販促に奔走している。オフィス、住居、店舗が混在する駅前複合施設だ。地域の拠点としての機能も求められるから、
「地元感を意識したPRに力を入れています。ただ、最後のよりどころは、顧客との直接対話。正解を導き出すマニュアルはない。ひとりでは解決できないこともあるから、課題が出てきたときは、社内の知恵を集めます」
 だから、チームのメンバーを大切にする。逆に知恵を求められることも多く、持ち前の「姉御肌」で課を引っ張っている。(文中敬称略)
写真:伊ケ崎忍 文:編集部:岡本俊浩

    三井不動産商業マネジメント
    「脱セオリーと対話力」

    三井不動産商業マネジメント アーバン事業部 運営統括課長 劔持直子  一歩足を踏み入れると、そこには「和」を強く意識した空間があった。2010年に東京・日本橋で開業した「コレド室町」。出汁や昆布、箔小物の専門店が並ぶ1階の内観からは、「江戸」「日本橋」の香りが漂う。劔持直子は、ここを運営する三井不動産商業マネジメントで、この施設の販売促進を担当している。
     三井アウトレットパーク、ららぽーと……同社が手がける他の商業施設と比べ、コレド室町は独自路線だ。重要なのは、店舗がずっと客足を伸ばしていくこと。だから、劔持は店舗の販売支援に軸足を置く。たとえば、夏に施設が金魚をテーマにしたイベントを展開するときには、入居する店舗にも、金魚にちなんだ商品開発を提案する。
     明治大学文学部を卒業して百貨店に就職。バブル入社組ではあるが、すぐにバブルははじけ、ものを売る厳しさを知った。
     2003年に転職したが、百貨店で覚えた「セオリー」が、このところ通じないことが多くなった。上層階のレストランから、客足が自然と階下の店舗に流れる「シャワー効果」も、今は昔。社会の多様化は著しく、商業施設に求められるものは、ショッピングだけではなくなった。だから、読みにくい。
     今は10月10日開業の「飯田橋サクラテラス」の販促に奔走している。オフィス、住居、店舗が混在する駅前複合施設だ。地域の拠点としての機能も求められるから、
    「地元感を意識したPRに力を入れています。ただ、最後のよりどころは、顧客との直接対話。正解を導き出すマニュアルはない。ひとりでは解決できないこともあるから、課題が出てきたときは、社内の知恵を集めます」
     だから、チームのメンバーを大切にする。逆に知恵を求められることも多く、持ち前の「姉御肌」で課を引っ張っている。(文中敬称略) 写真:伊ケ崎忍 文:編集部:岡本俊浩

  • 資生堂
「美しく、しなやかな改革」
資生堂 経営企画部 課長 岡田依子(45)
「SHISEIDO THE GINZA」は、創業の地、東京・銀座の目抜き通りに面する情報発信拠点。咲き乱れる花のように商品が並ぶ店内を見渡し、岡田依子は言う。
「たくさんのブランドがありますが、どれも“資生堂の商品”として知られてはいても、個々のブランドとしてグローバルに成功しているとは言いがたいところがある。今後は、それぞれブランドとしての個性を伸ばし、世界中のお客さまにご愛用いただきたい。その戦略を立てるのが、私の仕事です」
 経営企画部の課長として、4月に社長に就任した魚谷雅彦の経営改革を実践する業務に当たる。部下は6人。他の業界から転職してきた社員も多く、よく「なぜ資生堂ってこうなの?」と問われる。そんなとき自問自答し、こう思うのだ。
「これまでの成功体験にこだわらず、かつてない手法を採り入れた新たな『資生堂ウェイ』をつくっていきたい」
 立教大学文学部を卒業し、1992年、資生堂に就職。まもなく国際事業部門に異動し、ニューヨーク発の化粧品「5S」の立ち上げに携わった。29歳で「コンビニコスメ」の開発部署へ。めまぐるしく変化する世界へ、怒濤のような準備期間を経て参入した。
「自分で道を切り開くタイプではなく、与えられた仕事をがんばるタイプなんです」
 32歳で出産し、約1年半の休暇を取った。しかし、ゆっくりした時間の中にいると、「仕事に戻らなければ」と思う自分がいた。復帰すると、当時苦戦していたメンズ商品の戦略立案を担当した。
 息子は小6になった。
「仕事と育児の両立なんて格好いいことはできていません。できる範囲のことを頑張っているだけ」
 そう控えめに話すが、たおやかな姿の中には強さを秘める。まるで“椿”の花のように。(文中敬称略)
写真:写真部・東川哲也 文:編集部:岡本俊浩

    資生堂
    「美しく、しなやかな改革」

    資生堂 経営企画部 課長 岡田依子(45) 「SHISEIDO THE GINZA」は、創業の地、東京・銀座の目抜き通りに面する情報発信拠点。咲き乱れる花のように商品が並ぶ店内を見渡し、岡田依子は言う。
    「たくさんのブランドがありますが、どれも“資生堂の商品”として知られてはいても、個々のブランドとしてグローバルに成功しているとは言いがたいところがある。今後は、それぞれブランドとしての個性を伸ばし、世界中のお客さまにご愛用いただきたい。その戦略を立てるのが、私の仕事です」
     経営企画部の課長として、4月に社長に就任した魚谷雅彦の経営改革を実践する業務に当たる。部下は6人。他の業界から転職してきた社員も多く、よく「なぜ資生堂ってこうなの?」と問われる。そんなとき自問自答し、こう思うのだ。
    「これまでの成功体験にこだわらず、かつてない手法を採り入れた新たな『資生堂ウェイ』をつくっていきたい」
     立教大学文学部を卒業し、1992年、資生堂に就職。まもなく国際事業部門に異動し、ニューヨーク発の化粧品「5S」の立ち上げに携わった。29歳で「コンビニコスメ」の開発部署へ。めまぐるしく変化する世界へ、怒濤のような準備期間を経て参入した。
    「自分で道を切り開くタイプではなく、与えられた仕事をがんばるタイプなんです」
     32歳で出産し、約1年半の休暇を取った。しかし、ゆっくりした時間の中にいると、「仕事に戻らなければ」と思う自分がいた。復帰すると、当時苦戦していたメンズ商品の戦略立案を担当した。
     息子は小6になった。
    「仕事と育児の両立なんて格好いいことはできていません。できる範囲のことを頑張っているだけ」
     そう控えめに話すが、たおやかな姿の中には強さを秘める。まるで“椿”の花のように。(文中敬称略) 写真:写真部・東川哲也 文:編集部:岡本俊浩

  • コカ・コーラ
「『にごり』への挑戦」
コカ・コーラ 東京研究開発センター 製品開発 プロジェクトマネジャー 足立秀哉(41)
 急須を使って茶を入れた時、抽出した成分の粒子が茶の中に漂い、トロッとした飲み口になる。この「にごり」こそ、緑茶本来のうまみなのだが、ペットボトル入り清涼飲料ににごりを入れるのは、見栄えの悪さからタブーとされてきた。そのタブーに挑戦し、「綾鷹」を生み出したのが足立秀哉だ。
「まだ誰も作ったことのない商品でしたので、緑茶市場に旋風を起こしたい、革命を起こして業界のリーダーになりたい、という思いがありました」
 物静かな外見とは裏腹に、語り口が熱い。
 神戸大学大学院で生物機能化学を専攻。化学メーカーに就職し、乳化剤などを作っていたが、「最終製品を作りたい」という思いが強くなり、2005年にコカ・コーラ東京研究開発センターに転職。7年前から、ペットボトル茶の開発に熱中している。
 通常、お茶の製品化まで、開発を始めて半年から約1年かかるが、綾鷹は2年近くを要した。うまみ、渋み、甘み……。バランスの異なる様々なにごりのバリエーションの試作品を、最終的には100種類以上開発。にごりのもととなる抹茶成分は、生産ラインの機械に目詰まりを起こすこともある。足立は生産工場に何度も通い、フィルターが不純物を通さず抹茶だけが通るか、徹夜で抹茶をふるい続けたこともある。
「最大の課題は抹茶の管理でした」
 その言葉通り、全国にあるどの工場の生産ラインでも、品質が均一な製品を作るため、プロジェクトメンバー全員が、工場に通い、交代で仮眠をとりながら製造に立ち会った。さらに、創業450年を誇る京都・宇治の老舗茶問屋「上林春松本店」とも提携し、07年、ついに綾鷹を発売。広くファンを獲得し、「にごり市場」で先行する。
「ひと仕事終えたので、落ち着きますね」
 そう言って足立は、丹精込めた綾鷹で一服するのだった。(文中敬称略)
写真:写真部・東川哲也 文:編集部:野村昌二

    コカ・コーラ
    「『にごり』への挑戦」

    コカ・コーラ 東京研究開発センター 製品開発 プロジェクトマネジャー 足立秀哉(41)  急須を使って茶を入れた時、抽出した成分の粒子が茶の中に漂い、トロッとした飲み口になる。この「にごり」こそ、緑茶本来のうまみなのだが、ペットボトル入り清涼飲料ににごりを入れるのは、見栄えの悪さからタブーとされてきた。そのタブーに挑戦し、「綾鷹」を生み出したのが足立秀哉だ。
    「まだ誰も作ったことのない商品でしたので、緑茶市場に旋風を起こしたい、革命を起こして業界のリーダーになりたい、という思いがありました」
     物静かな外見とは裏腹に、語り口が熱い。
     神戸大学大学院で生物機能化学を専攻。化学メーカーに就職し、乳化剤などを作っていたが、「最終製品を作りたい」という思いが強くなり、2005年にコカ・コーラ東京研究開発センターに転職。7年前から、ペットボトル茶の開発に熱中している。
     通常、お茶の製品化まで、開発を始めて半年から約1年かかるが、綾鷹は2年近くを要した。うまみ、渋み、甘み……。バランスの異なる様々なにごりのバリエーションの試作品を、最終的には100種類以上開発。にごりのもととなる抹茶成分は、生産ラインの機械に目詰まりを起こすこともある。足立は生産工場に何度も通い、フィルターが不純物を通さず抹茶だけが通るか、徹夜で抹茶をふるい続けたこともある。
    「最大の課題は抹茶の管理でした」
     その言葉通り、全国にあるどの工場の生産ラインでも、品質が均一な製品を作るため、プロジェクトメンバー全員が、工場に通い、交代で仮眠をとりながら製造に立ち会った。さらに、創業450年を誇る京都・宇治の老舗茶問屋「上林春松本店」とも提携し、07年、ついに綾鷹を発売。広くファンを獲得し、「にごり市場」で先行する。
    「ひと仕事終えたので、落ち着きますね」
     そう言って足立は、丹精込めた綾鷹で一服するのだった。(文中敬称略) 写真:写真部・東川哲也 文:編集部:野村昌二

  • 東レ
「強くて軽い、黒い糸」
東レ 複合材料研究所 主任研究員 伊勢昌史(44)
 入社した1995年、炭素繊維は社内でもまだ日陰の存在だった。研究は60年頃から始まっていたが、まだ小さな“つぼみ”でしかなかった。翻って現在。東レが世界シェアの5割以上を握る高性能炭素繊維は、ボーイングの新鋭機「787」の構造材に採用されるなど、脚光を浴びている。
 鉄と比べて10倍の強度なのに、重さは4分の1。強くて軽く、耐久性にも優れる。ならば、誰もがこう考えるだろう。世の中の鉄製品を炭素繊維にすればいい──。自動車はもっと丈夫になるし、燃費も良くなる。実際、787の燃費は炭素繊維を使うことで2割向上した。
 しかし、話はそう単純ではない。
 一般的な国産中型車を炭素繊維でつくった場合、価格は1千万円を超える。コストの壁は、高い。質を向上させながら、どう普及させるか。複合材料研究所の主任研究員、伊勢昌史の仕事は、そんな素材を身近にさせるためにある。
「炭素繊維は、アクリル溶液を細い糸に加工することから始まります。さらに炉で焼き、樹脂とともに成形していきます。鉄鋼などと比べ、工程が長い」
 コストを下げるには、質を落とさずに工程を見直す必要があるのだが、これがカンタンではない。なぜなら、炭素繊維の分子構造は複雑で不規則。伊勢は言う。
「入社後、炭素繊維の世界をつかめるようになるまで、3年かかりました」
 いまの役職になってからは、部下から上がってくるデータを読み解き、普及に向けて方策を練るのが、仕事の中心だ。その日々の仕事が実を結ぶ日は、はるか遠い。
「787用に製品をつくったときも、開発から初飛行まで10年余りかかりましたから」
 仕事場にあるのは、そんな長い長い、道のりなのだ。(文中敬称略)
写真:写真部・外山俊樹 文:編集部:岡本俊浩

    東レ
    「強くて軽い、黒い糸」

    東レ 複合材料研究所 主任研究員 伊勢昌史(44)  入社した1995年、炭素繊維は社内でもまだ日陰の存在だった。研究は60年頃から始まっていたが、まだ小さな“つぼみ”でしかなかった。翻って現在。東レが世界シェアの5割以上を握る高性能炭素繊維は、ボーイングの新鋭機「787」の構造材に採用されるなど、脚光を浴びている。
     鉄と比べて10倍の強度なのに、重さは4分の1。強くて軽く、耐久性にも優れる。ならば、誰もがこう考えるだろう。世の中の鉄製品を炭素繊維にすればいい──。自動車はもっと丈夫になるし、燃費も良くなる。実際、787の燃費は炭素繊維を使うことで2割向上した。
     しかし、話はそう単純ではない。
     一般的な国産中型車を炭素繊維でつくった場合、価格は1千万円を超える。コストの壁は、高い。質を向上させながら、どう普及させるか。複合材料研究所の主任研究員、伊勢昌史の仕事は、そんな素材を身近にさせるためにある。
    「炭素繊維は、アクリル溶液を細い糸に加工することから始まります。さらに炉で焼き、樹脂とともに成形していきます。鉄鋼などと比べ、工程が長い」
     コストを下げるには、質を落とさずに工程を見直す必要があるのだが、これがカンタンではない。なぜなら、炭素繊維の分子構造は複雑で不規則。伊勢は言う。
    「入社後、炭素繊維の世界をつかめるようになるまで、3年かかりました」
     いまの役職になってからは、部下から上がってくるデータを読み解き、普及に向けて方策を練るのが、仕事の中心だ。その日々の仕事が実を結ぶ日は、はるか遠い。
    「787用に製品をつくったときも、開発から初飛行まで10年余りかかりましたから」
     仕事場にあるのは、そんな長い長い、道のりなのだ。(文中敬称略) 写真:写真部・外山俊樹 文:編集部:岡本俊浩

  • JX日鉱日石エネルギー
「太陽光とともに」
JX日鉱日石エネルギー 新エネルギー事業部 ESCO&ソーラーグループ担当マネージャー 舞弓奈央子
 那覇空港へ向かう機中から地上をのぞく。海に囲まれた石油備蓄基地が見える。ずらりと並んだ原油タンク群のわきに、太陽光パネルが輝いている。石油元売り最大手、JX日鉱日石エネルギーが沖縄石油基地内に建設中の「うるまメガソーラー発電所」(沖縄県うるま市)だ。
「ここは、太陽に恵まれた土地。原油タンクとこれからのエネルギーである太陽光パネルが並び立つ風景が気に入ってます」
 そう話すのは、このプロジェクトの責任者、舞弓奈央子。全国にあるJXグループの遊休地からメガソーラーの建設候補地を選び、日照条件や事業採算性を検討。場所が決まれば、地元の電力会社や官公庁への申請手続き、工事会社との折衝などを行う。根気の要る仕事だ。これまで宮城県や山口県など全国6カ所で送電を始めている。沖縄は来春の稼働予定だが、出力12メガワット、広さ16万平方メートルは、その中でも群を抜く。
 出身校の久留米工業高等専門学校電気工学科では、クラス40人のうち女子は2人だった。大学編入後、九州大学大学院総合理工学研究科エネルギー変換工学専攻に進み、プラズマ関連の研究を行った。
「電気の勉強をし始めた頃から、環境にやさしいエネルギーをもっとつくれないか、ずっと考えていました」
 旧日本石油化学に入社すると製造現場の技術部門を担う計画部に配属され、以来、そこで制御システムの設計や運転教育を担当してきた。その間、米国新プラント建設プロジェクトも2年経験。そして2012年8月、メガソーラー発電所建設担当者の社内公募を見た時、かつての夢が蘇り、思い切って応募したのだ。
 口調は穏やかで、慌ただしい工事現場とは一見無縁のよう。だが、現場で培った厳しさを秘めている。
「何をおいても安全第一。現場ではけっこう口うるさいんですよ」(文中敬称略)
写真:写真部・東川哲也 文:ライター・西元まり

    JX日鉱日石エネルギー
    「太陽光とともに」

    JX日鉱日石エネルギー 新エネルギー事業部 ESCO&ソーラーグループ担当マネージャー 舞弓奈央子  那覇空港へ向かう機中から地上をのぞく。海に囲まれた石油備蓄基地が見える。ずらりと並んだ原油タンク群のわきに、太陽光パネルが輝いている。石油元売り最大手、JX日鉱日石エネルギーが沖縄石油基地内に建設中の「うるまメガソーラー発電所」(沖縄県うるま市)だ。
    「ここは、太陽に恵まれた土地。原油タンクとこれからのエネルギーである太陽光パネルが並び立つ風景が気に入ってます」
     そう話すのは、このプロジェクトの責任者、舞弓奈央子。全国にあるJXグループの遊休地からメガソーラーの建設候補地を選び、日照条件や事業採算性を検討。場所が決まれば、地元の電力会社や官公庁への申請手続き、工事会社との折衝などを行う。根気の要る仕事だ。これまで宮城県や山口県など全国6カ所で送電を始めている。沖縄は来春の稼働予定だが、出力12メガワット、広さ16万平方メートルは、その中でも群を抜く。
     出身校の久留米工業高等専門学校電気工学科では、クラス40人のうち女子は2人だった。大学編入後、九州大学大学院総合理工学研究科エネルギー変換工学専攻に進み、プラズマ関連の研究を行った。
    「電気の勉強をし始めた頃から、環境にやさしいエネルギーをもっとつくれないか、ずっと考えていました」
     旧日本石油化学に入社すると製造現場の技術部門を担う計画部に配属され、以来、そこで制御システムの設計や運転教育を担当してきた。その間、米国新プラント建設プロジェクトも2年経験。そして2012年8月、メガソーラー発電所建設担当者の社内公募を見た時、かつての夢が蘇り、思い切って応募したのだ。
     口調は穏やかで、慌ただしい工事現場とは一見無縁のよう。だが、現場で培った厳しさを秘めている。
    「何をおいても安全第一。現場ではけっこう口うるさいんですよ」(文中敬称略) 写真:写真部・東川哲也 文:ライター・西元まり

  • 日本生命保険
「職場でチャレンジ叫ぶ」
日本生命保険 新商品管理部 新商品契約管理グループ 課長 清宮敬子(51)
 保険商品の銀行窓口販売が全面解禁されてから、間もなく7年になる。その新しい販売ルートの“裏方”を仕切るのが、清宮敬子の仕事だ。契約、支払い、コールセンターの業務すべてを新商品管理部が統括。滞りなく業務が進むよう、約200人の部員たちがいる3フロアを日々、見て回る。
 預金を扱う銀行の窓口で、保険商品を売るのだから、十分な説明が求められる。商品の性質や約款について幅広い知識を持つことはもちろんだが、マニュアル通りでは答えられないことも多い。耳の遠いお年寄りも少なくなく、コールセンターには何度も粘り強く説明する大きな声が響く。困ったことが起きれば、清宮がすばやく的確に判断する。
 部員の約9割は女性。雇用のかたちは、パートや契約などさまざまだ。子育てなどの事情で、あえて昇進を望まない女性も多いが、そんな人たちに清宮はこう語りかける。
「自分自身の『革新』を意識して前進してほしい。可能性にチャレンジしてほしい」
 昭和学院短期大学被服科を卒業後、1983年に一般職(現・業務職)として入社、地元の千葉支社に勤務した。10年以上、社内事務に携わってきたが、ある時、営業部で働く機会を得た。目標達成に向けてリーダーシップを発揮する営業部長の姿に刺激を受け、33歳で総合職転換試験を受けた。初挑戦は不合格。ただ、あきらめる清宮ではない。新たな職務にチャレンジする社内派遣制度に手を挙げ、東京へ転勤。39歳で試験に再トライし、総合職になった。「チャンスだ。行ってこい!」という上司に背中を押され、7年間の大阪暮らしも経験した。
「子育てや介護など、それぞれ事情はあると思いますが、上位職へ挑戦するよう促しています。今年は積極的な反応が返ってきてうれしいですね」
 女性の歩む先を照らす頼もしい存在だ。(文中敬称略)
写真:伊ケ崎忍 文:ライター・安楽由紀子

    日本生命保険
    「職場でチャレンジ叫ぶ」

    日本生命保険 新商品管理部 新商品契約管理グループ 課長 清宮敬子(51)  保険商品の銀行窓口販売が全面解禁されてから、間もなく7年になる。その新しい販売ルートの“裏方”を仕切るのが、清宮敬子の仕事だ。契約、支払い、コールセンターの業務すべてを新商品管理部が統括。滞りなく業務が進むよう、約200人の部員たちがいる3フロアを日々、見て回る。
     預金を扱う銀行の窓口で、保険商品を売るのだから、十分な説明が求められる。商品の性質や約款について幅広い知識を持つことはもちろんだが、マニュアル通りでは答えられないことも多い。耳の遠いお年寄りも少なくなく、コールセンターには何度も粘り強く説明する大きな声が響く。困ったことが起きれば、清宮がすばやく的確に判断する。
     部員の約9割は女性。雇用のかたちは、パートや契約などさまざまだ。子育てなどの事情で、あえて昇進を望まない女性も多いが、そんな人たちに清宮はこう語りかける。
    「自分自身の『革新』を意識して前進してほしい。可能性にチャレンジしてほしい」
     昭和学院短期大学被服科を卒業後、1983年に一般職(現・業務職)として入社、地元の千葉支社に勤務した。10年以上、社内事務に携わってきたが、ある時、営業部で働く機会を得た。目標達成に向けてリーダーシップを発揮する営業部長の姿に刺激を受け、33歳で総合職転換試験を受けた。初挑戦は不合格。ただ、あきらめる清宮ではない。新たな職務にチャレンジする社内派遣制度に手を挙げ、東京へ転勤。39歳で試験に再トライし、総合職になった。「チャンスだ。行ってこい!」という上司に背中を押され、7年間の大阪暮らしも経験した。
    「子育てや介護など、それぞれ事情はあると思いますが、上位職へ挑戦するよう促しています。今年は積極的な反応が返ってきてうれしいですね」
     女性の歩む先を照らす頼もしい存在だ。(文中敬称略) 写真:伊ケ崎忍 文:ライター・安楽由紀子

  • モンベル
「アウトドアの達人社員」
モンベル 企画部課長代理 渡邊千絵(54)
 雄大な山々は人々を魅了してやまないが、時に牙をむくこともある。だから山登りのウエアは第一に機能性重視。色も、遭難時に備え、目立つ色であるほうがよい。モンベルの企画部課長代理、渡邊千絵は、そう思う。
 40人近くいる企画部の中で、商品全般の色の管理と、女性のウエアやギア(道具)のデザイン管理を任されている。渡邊を含む担当の4人で、社内で出されたアイデアをもとに、商品に合う素材開発から携わり、必要な生地や部品を厳選。縫製方法も指示する。そうしてできる商品は、1年間で700に上る。
「どういう機能をつけるのか、改善するのか、刷新するのか。常に先々のシーズンの分まで同時進行で考えています。山に行くと、つい女性のウエアをじっと観察してしまいますね」
 北海道生まれ。父が登山家だったせいか、小さい頃からアウトドア派。オートバイを乗りこなし、スキーやウインドサーフィン、山登りが好き。大学は芸術方面に進み、金属工芸を学んだが、27歳のとき転機が訪れた。
 大学卒業後、いったん就職したが、再び芸術を学ぼうとカナダに渡った。しかし、そこはカナダ。日本のモンベルで寝袋やテントなどを一式買いそろえ、現地のアウトドアスクールに参加したところ、はまってしまった。
「挑戦が好き。体を動かすのが大好き」
 という渡邊のチャレンジ精神は、アウトドアの達人ぞろいの社内でも群を抜く。雪の槍ケ岳を登り、スノーボードで上から滑降。フルマラソンには26回も出場した。並々ならぬ強い精神力と持久力の持ち主は、仕事でも課題が多いほうが燃えるタイプだ。
「最近はだいぶ落ち着きました。今は夫と自転車でツーリングしたり、自宅近くの生駒山で山走りをしたりするのが休日の楽しみ」
 そう軽く言うが、10月は延べ200キロ以上を走った。目指すは12月14日の奈良マラソンだ。(文中敬称略)
写真:伊ケ崎忍 文:ライター・西元まり

    モンベル
    「アウトドアの達人社員」

    モンベル 企画部課長代理 渡邊千絵(54)  雄大な山々は人々を魅了してやまないが、時に牙をむくこともある。だから山登りのウエアは第一に機能性重視。色も、遭難時に備え、目立つ色であるほうがよい。モンベルの企画部課長代理、渡邊千絵は、そう思う。
     40人近くいる企画部の中で、商品全般の色の管理と、女性のウエアやギア(道具)のデザイン管理を任されている。渡邊を含む担当の4人で、社内で出されたアイデアをもとに、商品に合う素材開発から携わり、必要な生地や部品を厳選。縫製方法も指示する。そうしてできる商品は、1年間で700に上る。
    「どういう機能をつけるのか、改善するのか、刷新するのか。常に先々のシーズンの分まで同時進行で考えています。山に行くと、つい女性のウエアをじっと観察してしまいますね」
     北海道生まれ。父が登山家だったせいか、小さい頃からアウトドア派。オートバイを乗りこなし、スキーやウインドサーフィン、山登りが好き。大学は芸術方面に進み、金属工芸を学んだが、27歳のとき転機が訪れた。
     大学卒業後、いったん就職したが、再び芸術を学ぼうとカナダに渡った。しかし、そこはカナダ。日本のモンベルで寝袋やテントなどを一式買いそろえ、現地のアウトドアスクールに参加したところ、はまってしまった。
    「挑戦が好き。体を動かすのが大好き」
     という渡邊のチャレンジ精神は、アウトドアの達人ぞろいの社内でも群を抜く。雪の槍ケ岳を登り、スノーボードで上から滑降。フルマラソンには26回も出場した。並々ならぬ強い精神力と持久力の持ち主は、仕事でも課題が多いほうが燃えるタイプだ。
    「最近はだいぶ落ち着きました。今は夫と自転車でツーリングしたり、自宅近くの生駒山で山走りをしたりするのが休日の楽しみ」
     そう軽く言うが、10月は延べ200キロ以上を走った。目指すは12月14日の奈良マラソンだ。(文中敬称略) 写真:伊ケ崎忍 文:ライター・西元まり

  • 野村証券
「証券業と母の道」
野村証券 熊本支店ファイナンシャル・コンサルティング課 課長 平野和枝(39)
 子どもの頃から新聞を読むのが好きだった。大学でゼミの担当教授から「証券業は社会の情勢をよく反映する業種」と聞き、平野和枝は野村証券に就職した。
 最初は窓口業務を淡々とこなした。結婚して28歳で出産。2年間の産休・育休をとり、主婦になったとき、あることに気がついた。平日の街並みや、スーパーの活気、昼間の生活空間の切実さ……。誰にでも生活のリズムがある。営業は、そこに割って入ること。漫然と顧客に電話をかけてきたが、電話一本の重さを感じるようになった。
 復職後は資産運用の担当になった。株式や債券、投資信託などの商品提案から、保険や相続のアドバイスまで、仕事の幅は広い。結婚、出産、子どもの進学、リタイア後のセカンドライフ。人生のイベントに寄り添いながら、相談に乗る。そんなときも会社を離れ、主婦として地域社会で暮らした経験が生きる。母親となったことで、提案の中身に厚みが出てきたと思う。
 ただ、いつも笑顔の接客とはいかない。リーマン・ショック後の経済危機のなか、資産を半分以下に減らした顧客もいた。資産運用を提案する側としては、痛恨の事態。でも、そこで逃げはしなかった。厳しい時こそ「顔を出そう」と、顧客宅へ足を運んだ。以前よりも信頼関係が深まった顧客もいる。
 2年前、課長になった。6人の部下は、全員が女性。仕事と子育てを両立する部下も増えている。
「子育てと仕事の両立は簡単ではない」
 朝は5時に起き、ニュースをチェックしつつ家事をこなす。時には泣く子の顔を見ながら出勤。そのたびに周囲の協力に支えられてきた。いま感じるのは、
「母親業も証券業も、人生に寄り添う仕事」
 後輩たちに伝えていきたいことだ。(文中敬称略)
写真:東川哲也 文:編集部・岡本俊浩

    野村証券
    「証券業と母の道」

    野村証券 熊本支店ファイナンシャル・コンサルティング課 課長 平野和枝(39)  子どもの頃から新聞を読むのが好きだった。大学でゼミの担当教授から「証券業は社会の情勢をよく反映する業種」と聞き、平野和枝は野村証券に就職した。
     最初は窓口業務を淡々とこなした。結婚して28歳で出産。2年間の産休・育休をとり、主婦になったとき、あることに気がついた。平日の街並みや、スーパーの活気、昼間の生活空間の切実さ……。誰にでも生活のリズムがある。営業は、そこに割って入ること。漫然と顧客に電話をかけてきたが、電話一本の重さを感じるようになった。
     復職後は資産運用の担当になった。株式や債券、投資信託などの商品提案から、保険や相続のアドバイスまで、仕事の幅は広い。結婚、出産、子どもの進学、リタイア後のセカンドライフ。人生のイベントに寄り添いながら、相談に乗る。そんなときも会社を離れ、主婦として地域社会で暮らした経験が生きる。母親となったことで、提案の中身に厚みが出てきたと思う。
     ただ、いつも笑顔の接客とはいかない。リーマン・ショック後の経済危機のなか、資産を半分以下に減らした顧客もいた。資産運用を提案する側としては、痛恨の事態。でも、そこで逃げはしなかった。厳しい時こそ「顔を出そう」と、顧客宅へ足を運んだ。以前よりも信頼関係が深まった顧客もいる。
     2年前、課長になった。6人の部下は、全員が女性。仕事と子育てを両立する部下も増えている。
    「子育てと仕事の両立は簡単ではない」
     朝は5時に起き、ニュースをチェックしつつ家事をこなす。時には泣く子の顔を見ながら出勤。そのたびに周囲の協力に支えられてきた。いま感じるのは、
    「母親業も証券業も、人生に寄り添う仕事」
     後輩たちに伝えていきたいことだ。(文中敬称略) 写真:東川哲也 文:編集部・岡本俊浩

  • セブン―イレブン・ジャパン
「繁盛コンビニへキュッ」
セブン―イレブン・ジャパン 太田地区 ディストリクトマネジャー 藤田恵実(39)
 幹線道路沿いにある「セブン―イレブン」2階の事務所で、藤田恵実は長い髪をキュッと後ろに束ねた。業務に挑む前の“儀式”だ。
 システマティックに見えるコンビニだが、内幕は人間臭い。加盟店と本部の間に信頼関係がなければ、業績は上がらない。売り上げを伸ばすには、従業員の教育は……店が抱える悩みはさまざま。それをサポートするために、本部の営業部隊「OFC」(オペレーション・フィールド・カウンセラー=店舗経営相談員)が店を回る。藤田は群馬県の太田地区にある約80店を受け持つOFC11人のリーダーであり、“指導係”だ。
「店の経営を左右するOFCには責任があると同時にやりがいもある。現場で人とふれあい、人の役に立てるこの仕事が大好きです」
 法政大学文学部英文学科を卒業し、1998年に入社。セブン―イレブンには、高校時代にアルバイトをした経験から親近感があった。会社案内に載っている女性役員を見て、
「がんばれば男女平等に評価してもらえる」
 と思い、就職を決めた。ところが、現実は甘くない。2年半の店舗での勤務を経て、憧れのOFCに。しかし、20代の若手で、しかも女性の社員の話に耳を貸さない加盟店のオーナーが少なからずいた。駐車場に車を止めて泣いた。そんなとき、支えにした上司の言葉がある。
「誰よりも力をつけろ」
 売れる商品は? 陳列方法は? 知恵を絞ってアドバイスし、次々と地区でトップクラスの繁盛店にしていった。
「性別も年齢も関係ない。要は結果を出せるかどうか。部下にも、そう教えています」
 母となってからは、子どもとの時間を大切にしようとして、「スケジュール管理能力がついた」。でも、仕事に妥協はしない。
「セブン-イレブンで働きたいという5歳の娘に、背中をずっと見ていてほしいから」(文中敬称略)
写真:伊ケ崎忍 文:編集部・吉岡秀子

    セブン―イレブン・ジャパン
    「繁盛コンビニへキュッ」

    セブン―イレブン・ジャパン 太田地区 ディストリクトマネジャー 藤田恵実(39)  幹線道路沿いにある「セブン―イレブン」2階の事務所で、藤田恵実は長い髪をキュッと後ろに束ねた。業務に挑む前の“儀式”だ。
     システマティックに見えるコンビニだが、内幕は人間臭い。加盟店と本部の間に信頼関係がなければ、業績は上がらない。売り上げを伸ばすには、従業員の教育は……店が抱える悩みはさまざま。それをサポートするために、本部の営業部隊「OFC」(オペレーション・フィールド・カウンセラー=店舗経営相談員)が店を回る。藤田は群馬県の太田地区にある約80店を受け持つOFC11人のリーダーであり、“指導係”だ。
    「店の経営を左右するOFCには責任があると同時にやりがいもある。現場で人とふれあい、人の役に立てるこの仕事が大好きです」
     法政大学文学部英文学科を卒業し、1998年に入社。セブン―イレブンには、高校時代にアルバイトをした経験から親近感があった。会社案内に載っている女性役員を見て、
    「がんばれば男女平等に評価してもらえる」
     と思い、就職を決めた。ところが、現実は甘くない。2年半の店舗での勤務を経て、憧れのOFCに。しかし、20代の若手で、しかも女性の社員の話に耳を貸さない加盟店のオーナーが少なからずいた。駐車場に車を止めて泣いた。そんなとき、支えにした上司の言葉がある。
    「誰よりも力をつけろ」
     売れる商品は? 陳列方法は? 知恵を絞ってアドバイスし、次々と地区でトップクラスの繁盛店にしていった。
    「性別も年齢も関係ない。要は結果を出せるかどうか。部下にも、そう教えています」
     母となってからは、子どもとの時間を大切にしようとして、「スケジュール管理能力がついた」。でも、仕事に妥協はしない。
    「セブン-イレブンで働きたいという5歳の娘に、背中をずっと見ていてほしいから」(文中敬称略) 写真:伊ケ崎忍 文:編集部・吉岡秀子

  • 大江戸温泉物語
「温泉とファンタジー」
大江戸温泉物語 浦安万華郷 企画広報課 課長 井上悟(41)
 南アフリカから取材にきた国営テレビのスタッフは、目を丸くして驚いた。無理もない。大滝の流れる岩山洞窟風呂を人工的につくる。LEDでお湯を5種類に染める……。こんな発想をする国が、ほかにあるだろうか。
 千葉県浦安市にある温泉リゾート「大江戸温泉物語 浦安万華郷」。敷地面積1万坪のなかに、25種類もの風呂がある。この巨大な温泉施設を運営するのは、全国で温泉旅館など30施設を経営する「大江戸温泉物語」(本社・東京)だ。
 企画広報課の課長、井上悟は、どんな季節限定の風呂にしようかと、いつも頭をめぐらせている。ワイン色のコラーゲン成分を溶かしこんだ湯は、美容に敏感な女性客をとりこにした。
 水着で入れる自慢の「水着露天ゾーン」は、娯楽性を追求した風呂の数々が人々を驚かせる。客足が鈍りかねない夏、井上は「プールに負けないように」と、このゾーンの一部をプールに仕立てた。水面に大量のゴムボールを浮かべ、すべり台も設置。人気のプール施設並みに客がつめかけた。
 2007年、別の温泉施設から転職した。企画力を期待されての入社だが、駒澤大学の学生時代から仲間との温泉めぐりを趣味にしていたというから、いまの仕事は“天職”ともいえる。休みの日は家族総出で各地の温泉をめぐり、これまで入浴した温泉は約300カ所にもなる。
 浦安万華郷では、風呂の「品質」をチェックして回る。湯の温度が0.5度違うだけで、湯船につかる時間が変わる。季節に応じてベストな湯温を導き出すのも、井上に託された大切な仕事だ。
「癒やしである以外は、健康増進からレジャーづかいまで、十人十色。だからいい」
 温泉は、癒やしがつなぐ民主社会なのだ。(文中敬称略)
写真:伊ケ崎忍 文:編集部・岡本俊浩

    大江戸温泉物語
    「温泉とファンタジー」

    大江戸温泉物語 浦安万華郷 企画広報課 課長 井上悟(41)  南アフリカから取材にきた国営テレビのスタッフは、目を丸くして驚いた。無理もない。大滝の流れる岩山洞窟風呂を人工的につくる。LEDでお湯を5種類に染める……。こんな発想をする国が、ほかにあるだろうか。
     千葉県浦安市にある温泉リゾート「大江戸温泉物語 浦安万華郷」。敷地面積1万坪のなかに、25種類もの風呂がある。この巨大な温泉施設を運営するのは、全国で温泉旅館など30施設を経営する「大江戸温泉物語」(本社・東京)だ。
     企画広報課の課長、井上悟は、どんな季節限定の風呂にしようかと、いつも頭をめぐらせている。ワイン色のコラーゲン成分を溶かしこんだ湯は、美容に敏感な女性客をとりこにした。
     水着で入れる自慢の「水着露天ゾーン」は、娯楽性を追求した風呂の数々が人々を驚かせる。客足が鈍りかねない夏、井上は「プールに負けないように」と、このゾーンの一部をプールに仕立てた。水面に大量のゴムボールを浮かべ、すべり台も設置。人気のプール施設並みに客がつめかけた。
     2007年、別の温泉施設から転職した。企画力を期待されての入社だが、駒澤大学の学生時代から仲間との温泉めぐりを趣味にしていたというから、いまの仕事は“天職”ともいえる。休みの日は家族総出で各地の温泉をめぐり、これまで入浴した温泉は約300カ所にもなる。
     浦安万華郷では、風呂の「品質」をチェックして回る。湯の温度が0.5度違うだけで、湯船につかる時間が変わる。季節に応じてベストな湯温を導き出すのも、井上に託された大切な仕事だ。
    「癒やしである以外は、健康増進からレジャーづかいまで、十人十色。だからいい」
     温泉は、癒やしがつなぐ民主社会なのだ。(文中敬称略) 写真:伊ケ崎忍 文:編集部・岡本俊浩

  • 住友商事
「ビルは街とともに」」
住友商事 建設不動産本部ビル事業部 神田街づくり推進チームリーダー 平松潤一(47)
 下町の手触りが残る神田は、都心に残された数少ないフロンティア。路地裏のレトロモダンなビルや木造家屋が、センスのいい店主たちの視線をひきつけ、個性のある新しい店が増えている。平松潤一は、そんな街と並走する気構えでいる。
 地下鉄の神保町駅から徒歩2分。地上17階建ての複合ビル「テラススクエア」(東京都千代田区神田錦町)は、住友商事の神田再開発の「要」になる。1930年竣工の博報堂旧本館とその周辺を再開発する一大プロジェクト。平松は、建設中のビルを見上げて言う。
「もはやスペックだけを競う時代ではないんです。頭打ちに近づいてきている」
 かつての不動産開発は、「いい場所に、いい建物をつくればそれでよし」だった。いまは、そうではない。何で差をつけるのか。ヒントは「建てた後」にある。
「ここで働きたい、住みたい。人にそう感じてもらえる効果を街にもたらすことが、いまの物件には求められている。ビルが一つのハブ(結節点)になり、街全体の人の流れを活性化させないといけない。建てた後、街と一緒に伸びていかないと意味がないんです」
 京都大学工学部卒。90年に入社し、不動産開発一筋できた。大阪勤務が長かったが、2005年に東京へ異動。しばらく「仕事のネタ」がなかった。そんなところに先輩社員が「一緒にやらないか」と誘ってくれたのが、住商が20年来、挑んできた神田再開発のプロジェクトだった。
 6年前に再開発のゴーサインが出て、土地の取得から建築、テナントの誘致まで奔走してきた。20年来の社の努力がいよいよ実る。予定では15年3月に完成するのだ。
「この物件が自分を大きくしてくれた」
 思いの詰まったテラススクエアは、きっと神田の街とともに歩むのだろう。そう思うと胸にこみ上げるものがある。(文中敬称略)
写真:伊ケ崎忍 文:編集部・岡本俊浩

    住友商事
    「ビルは街とともに」」

    住友商事 建設不動産本部ビル事業部 神田街づくり推進チームリーダー 平松潤一(47)  下町の手触りが残る神田は、都心に残された数少ないフロンティア。路地裏のレトロモダンなビルや木造家屋が、センスのいい店主たちの視線をひきつけ、個性のある新しい店が増えている。平松潤一は、そんな街と並走する気構えでいる。
     地下鉄の神保町駅から徒歩2分。地上17階建ての複合ビル「テラススクエア」(東京都千代田区神田錦町)は、住友商事の神田再開発の「要」になる。1930年竣工の博報堂旧本館とその周辺を再開発する一大プロジェクト。平松は、建設中のビルを見上げて言う。
    「もはやスペックだけを競う時代ではないんです。頭打ちに近づいてきている」
     かつての不動産開発は、「いい場所に、いい建物をつくればそれでよし」だった。いまは、そうではない。何で差をつけるのか。ヒントは「建てた後」にある。
    「ここで働きたい、住みたい。人にそう感じてもらえる効果を街にもたらすことが、いまの物件には求められている。ビルが一つのハブ(結節点)になり、街全体の人の流れを活性化させないといけない。建てた後、街と一緒に伸びていかないと意味がないんです」
     京都大学工学部卒。90年に入社し、不動産開発一筋できた。大阪勤務が長かったが、2005年に東京へ異動。しばらく「仕事のネタ」がなかった。そんなところに先輩社員が「一緒にやらないか」と誘ってくれたのが、住商が20年来、挑んできた神田再開発のプロジェクトだった。
     6年前に再開発のゴーサインが出て、土地の取得から建築、テナントの誘致まで奔走してきた。20年来の社の努力がいよいよ実る。予定では15年3月に完成するのだ。
    「この物件が自分を大きくしてくれた」
     思いの詰まったテラススクエアは、きっと神田の街とともに歩むのだろう。そう思うと胸にこみ上げるものがある。(文中敬称略) 写真:伊ケ崎忍 文:編集部・岡本俊浩

  • 花王
「食器をキュキュッと」
花王 ハウスホールド研究所 室長 岡野哲也(46)
 食器用洗剤は一般的に、植物由来のヤシの実の油脂を原料につくられる。熱帯雨林のような温室のある和歌山研究所が、岡野哲也の仕事場だ。
 花王の食器用洗剤の看板ブランドといえば、10年前に発売された「キュキュット」シリーズ。それを8月、全面改良して新発売した。これには5年以上の歳月を要した。
 2009年春、ハウスホールド研究所に着任すると、キュキュットの革新的改良を命じられた。大学院では、高分子工学を研究。花王に入社後は、長く化学品の開発研究に携わってきたが、商品開発となると経験がない。
「開発チームの若い部下たちのほうが知識も経験も豊富で、眠れない日々でした。でも、わからないことは『教えて』とどんどん聞いて、身につけていきました」
 洗うときには豊かに泡立ち、すすぐとスッキリ泡切れさせるにはどうすればいいか。凝りだすと突き詰めるタイプ。流し台に立ち、食器を洗うプロセスをこと細かく観察し、どこでどんなストレスを感じるかを徹底的に探った。これまでの処方を思い切って全部捨て、ヤシの原料以外の洗浄成分も一新。チームで一から再検討した。
「これでもか、これならどうだ、今度こそは……。本社事業部に提出するたびにダメ出しされながら、格闘してきました」
 ヒントは、化粧落とし(クレンジング剤)など、洗浄剤を広く研究している社内に転がっていた。結果的に2千通り近い処方を試した。
 濃密な泡で手ごわい油汚れも落とし、水を注ぐと汚れを包み込んだ泡がさっと消える。だから、節水にもなる。ようやくできた食器用洗剤を妻に試してもらった。いつもは厳しい評価の妻が、「これはすごい」と驚いてくれた。その言葉が、何よりうれしかった。
「どんなに小さい製品にも、キラリと光る科学(サイエンス)を入れたい」
 めんどうな食器洗いが、科学の力で少しでも気持ちよくなれば、と思うのだ。(文中敬称略)
写真:写真部・外山俊樹 文:ライター・西元まり

    花王
    「食器をキュキュッと」

    花王 ハウスホールド研究所 室長 岡野哲也(46)  食器用洗剤は一般的に、植物由来のヤシの実の油脂を原料につくられる。熱帯雨林のような温室のある和歌山研究所が、岡野哲也の仕事場だ。
     花王の食器用洗剤の看板ブランドといえば、10年前に発売された「キュキュット」シリーズ。それを8月、全面改良して新発売した。これには5年以上の歳月を要した。
     2009年春、ハウスホールド研究所に着任すると、キュキュットの革新的改良を命じられた。大学院では、高分子工学を研究。花王に入社後は、長く化学品の開発研究に携わってきたが、商品開発となると経験がない。
    「開発チームの若い部下たちのほうが知識も経験も豊富で、眠れない日々でした。でも、わからないことは『教えて』とどんどん聞いて、身につけていきました」
     洗うときには豊かに泡立ち、すすぐとスッキリ泡切れさせるにはどうすればいいか。凝りだすと突き詰めるタイプ。流し台に立ち、食器を洗うプロセスをこと細かく観察し、どこでどんなストレスを感じるかを徹底的に探った。これまでの処方を思い切って全部捨て、ヤシの原料以外の洗浄成分も一新。チームで一から再検討した。
    「これでもか、これならどうだ、今度こそは……。本社事業部に提出するたびにダメ出しされながら、格闘してきました」
     ヒントは、化粧落とし(クレンジング剤)など、洗浄剤を広く研究している社内に転がっていた。結果的に2千通り近い処方を試した。
     濃密な泡で手ごわい油汚れも落とし、水を注ぐと汚れを包み込んだ泡がさっと消える。だから、節水にもなる。ようやくできた食器用洗剤を妻に試してもらった。いつもは厳しい評価の妻が、「これはすごい」と驚いてくれた。その言葉が、何よりうれしかった。
    「どんなに小さい製品にも、キラリと光る科学(サイエンス)を入れたい」
     めんどうな食器洗いが、科学の力で少しでも気持ちよくなれば、と思うのだ。(文中敬称略) 写真:写真部・外山俊樹 文:ライター・西元まり

  • メルシャン
「香りが、決める」
メルシャン チーフワインメーカー 生駒元(45)
 日本はワイン用のブドウづくりに適さない──かつてそんな見方が支配的だったこともあるが、いまは違う。「シャトー・メルシャン」(山梨県甲州市)のワインは、国際コンクールや海外専門誌で最高クラスの評価を得て、すっかりワールドクラス。であるからこそ、メルシャンのチーフワインメーカー、生駒元は感じている。
「日本のワインには厳しい目線が注がれている。ハンパなものはつくれない」
 山梨県の勝沼を拠点に、自社の管理畑や契約栽培地でのブドウづくりから醸造まで、「純日本産」にこだわったワインづくりに明け暮れる。寒暖差のある高地でつくれば、いいブドウができる。果実を育む軟水も、生かせば他にはない、やわらかい口当たりを生むことができる。
 生駒は日々、樽で寝かせたワインをチェックして回る。なかには数年寝かせたワインもある。気の長い仕事だ。
 京都大学農学部の食品工学科を卒業し、入社した。研修のために駐在した米国の名門ワイナリーで、「世の中には、こんなにまでおいしい液体があるのか」と衝撃を受け、夢中で学んだ。
 最も苦労したのは、ブドウをいつ摘みとるか。いくら果実としてよく育っても、ワイン原料としての収穫のタイミングを誤れば、ポテンシャルは大きく減退する。だから、果実味の「香り」が最大限に高まったとき、逃さず摘み取る。ワインの出来、不出来の多くを握るのは、香り。日本のワインを飛躍させたのも、この香りだった。
「経験や勘で判断していた香りをデータ化できないか。日本固有の品種『甲州』を材料に、ボルドー大学の富永敬俊博士(故人)と科学的な分析をかけたんです」
 日本のワインづくりは欧州に比べたら歴史は浅いが、その時間を科学で埋めたのだった。(文中敬称略)
写真:写真部・東川哲也 文:編集部・岡本俊浩

    メルシャン
    「香りが、決める」

    メルシャン チーフワインメーカー 生駒元(45)  日本はワイン用のブドウづくりに適さない──かつてそんな見方が支配的だったこともあるが、いまは違う。「シャトー・メルシャン」(山梨県甲州市)のワインは、国際コンクールや海外専門誌で最高クラスの評価を得て、すっかりワールドクラス。であるからこそ、メルシャンのチーフワインメーカー、生駒元は感じている。
    「日本のワインには厳しい目線が注がれている。ハンパなものはつくれない」
     山梨県の勝沼を拠点に、自社の管理畑や契約栽培地でのブドウづくりから醸造まで、「純日本産」にこだわったワインづくりに明け暮れる。寒暖差のある高地でつくれば、いいブドウができる。果実を育む軟水も、生かせば他にはない、やわらかい口当たりを生むことができる。
     生駒は日々、樽で寝かせたワインをチェックして回る。なかには数年寝かせたワインもある。気の長い仕事だ。
     京都大学農学部の食品工学科を卒業し、入社した。研修のために駐在した米国の名門ワイナリーで、「世の中には、こんなにまでおいしい液体があるのか」と衝撃を受け、夢中で学んだ。
     最も苦労したのは、ブドウをいつ摘みとるか。いくら果実としてよく育っても、ワイン原料としての収穫のタイミングを誤れば、ポテンシャルは大きく減退する。だから、果実味の「香り」が最大限に高まったとき、逃さず摘み取る。ワインの出来、不出来の多くを握るのは、香り。日本のワインを飛躍させたのも、この香りだった。
    「経験や勘で判断していた香りをデータ化できないか。日本固有の品種『甲州』を材料に、ボルドー大学の富永敬俊博士(故人)と科学的な分析をかけたんです」
     日本のワインづくりは欧州に比べたら歴史は浅いが、その時間を科学で埋めたのだった。(文中敬称略) 写真:写真部・東川哲也 文:編集部・岡本俊浩

  • 下鴨茶寮
「京野菜の味を生かす」
下鴨茶寮 本店料亭部 調理課課長・料理長 明石尚宏(30)
 庭にある井戸に手を合わせ、京野菜などの下ごしらえから仕事が始まる。農家から仕入れた大きな堀川ごぼうやえびいも、聖護院かぶら、色鮮やかな金時にんじん、万願寺とうがらし……。それぞれの風味や旨みを引き出し、美しく盛りつける。
 高野川のほとりに立つ数寄屋造りの下鴨茶寮は、1856(安政3)年の創業。下鴨神社の包丁人として仕えた由緒ある料亭で、2年前に小山薫堂が経営を受け継いだ。料理長の明石尚宏は、料理人たちを束ね、腕をふるう。
 中学3年のとき、明石は難病を発症し、車いす生活を余儀なくされた。手術を受けて2カ月入院。この試練は厳しかった。
「性格も人生観もすっかり変わりました。いつ死ぬかわからないなら、好きな道に行こう。そう決めました。生き急ぐ感じでした」
 子どもの頃から料理が好きだった。だから、おかやま山陽高校調理科へ進学した。フランス料理のシェフを目指すつもりだったが、
「日本人なら日本料理だ。やるなら京都だ」
 と思い、下鴨茶寮に就職。その後、各地のホテルで修業を重ねていると、2年前、先代の女将から電話があり、料理長を任された。
「チャンスと思いました。がんばる自信はあります。でも、おいしい店で仕事のできる人を見ると、憧れるのと同時に悔しさがこみ上げます。まだまだ勉強することは多い」
 下鴨茶寮でおいしいのは当たり前。課題は、流れや満足感をどう演出するか。
「薫堂さんはサプライズ好き。例えば、懐石料理の釜炊きの白いご飯が残っていたら、『お代わりしますか。それとも……』と、シメに牛とじを出します。九条ねぎと牛ロースをスライスし、八方だしでしゃぶしゃぶ風にして、とき卵をのせ、山椒をパラパラ……」
 鳥のさえずる頃に起床して仕入れに向かう。ご馳走をつくるため、今日も走る。(文中敬称略)
写真:伊ケ崎忍 文:ライター・西元まり

    下鴨茶寮
    「京野菜の味を生かす」

    下鴨茶寮 本店料亭部 調理課課長・料理長 明石尚宏(30)  庭にある井戸に手を合わせ、京野菜などの下ごしらえから仕事が始まる。農家から仕入れた大きな堀川ごぼうやえびいも、聖護院かぶら、色鮮やかな金時にんじん、万願寺とうがらし……。それぞれの風味や旨みを引き出し、美しく盛りつける。
     高野川のほとりに立つ数寄屋造りの下鴨茶寮は、1856(安政3)年の創業。下鴨神社の包丁人として仕えた由緒ある料亭で、2年前に小山薫堂が経営を受け継いだ。料理長の明石尚宏は、料理人たちを束ね、腕をふるう。
     中学3年のとき、明石は難病を発症し、車いす生活を余儀なくされた。手術を受けて2カ月入院。この試練は厳しかった。
    「性格も人生観もすっかり変わりました。いつ死ぬかわからないなら、好きな道に行こう。そう決めました。生き急ぐ感じでした」
     子どもの頃から料理が好きだった。だから、おかやま山陽高校調理科へ進学した。フランス料理のシェフを目指すつもりだったが、
    「日本人なら日本料理だ。やるなら京都だ」
     と思い、下鴨茶寮に就職。その後、各地のホテルで修業を重ねていると、2年前、先代の女将から電話があり、料理長を任された。
    「チャンスと思いました。がんばる自信はあります。でも、おいしい店で仕事のできる人を見ると、憧れるのと同時に悔しさがこみ上げます。まだまだ勉強することは多い」
     下鴨茶寮でおいしいのは当たり前。課題は、流れや満足感をどう演出するか。
    「薫堂さんはサプライズ好き。例えば、懐石料理の釜炊きの白いご飯が残っていたら、『お代わりしますか。それとも……』と、シメに牛とじを出します。九条ねぎと牛ロースをスライスし、八方だしでしゃぶしゃぶ風にして、とき卵をのせ、山椒をパラパラ……」
     鳥のさえずる頃に起床して仕入れに向かう。ご馳走をつくるため、今日も走る。(文中敬称略) 写真:伊ケ崎忍 文:ライター・西元まり

  • MUJI HOUSE
「21世紀、団地のカタチ」
MUJI HOUSE 住空間事業部 開発担当 一級建築士 豊田輝人(38)
 すべてを壊すのではなく、使えるものは残す。古くなった団地の現状を確認しながら、「この柱は残そう」「多少のキズがあっても、無駄に新しくするのはやめよう」と、一つ一つ丁寧に判断していく。コストを抑える効果もあるが、長い年月を経た団地だからこそ、生かしておきたいところは多い。
 これは、生活雑貨店「無印良品」が、UR都市機構と共同で進める「MUJI×UR団地リノベーションプロジェクト」のテーマの一つ。昭和40~60年代に建てられた団地の空室を、若い世代が住みたくなるような部屋に改修する。無印良品の住宅事業を担う「MUJI HOUSE」(東京)の豊田輝人は、このプロジェクトの設計リーダーだ。
「団地は棟によって建築年が異なる場合もあり、状況はさまざま。実際に着工してみないとわからないことが多いので、まめに現場に足を運んでいます」
 プロジェクトの対象は現在、千里青山台団地(大阪)、落合団地(兵庫)、千代が丘団地(愛知)、武里団地(埼玉)、真砂団地(千葉)、高島平団地(東京)など、全国13カ所にもなる。豊田は部下の設計士やアシスタントを率い、これまで19タイプの部屋の設計を手がけてきた。
 東京理科大学の大学院を修了後、組織設計事務所に5年ほど勤務した。住む人が家に合わせるのではなく、住む人の暮らしを主役として、「暮らしの背景をととのえる」というMUJI HOUSEの理念に共感し、2005年に転職した。
「新築と違って、リノベーションはこれからの分野。出てきた課題に対し、すべて100点を目指すと平均的なものになってしまう。どこかは削ってでも、別の部分で120点を取ることで魅力的なものをつくりたい」
 壁を取り払った室内に、やわらかな陽の光がふりそそぐ。(文中敬称略)
写真:伊ケ崎忍 文:ライター・安楽由紀子

    MUJI HOUSE
    「21世紀、団地のカタチ」

    MUJI HOUSE 住空間事業部 開発担当 一級建築士 豊田輝人(38)  すべてを壊すのではなく、使えるものは残す。古くなった団地の現状を確認しながら、「この柱は残そう」「多少のキズがあっても、無駄に新しくするのはやめよう」と、一つ一つ丁寧に判断していく。コストを抑える効果もあるが、長い年月を経た団地だからこそ、生かしておきたいところは多い。
     これは、生活雑貨店「無印良品」が、UR都市機構と共同で進める「MUJI×UR団地リノベーションプロジェクト」のテーマの一つ。昭和40~60年代に建てられた団地の空室を、若い世代が住みたくなるような部屋に改修する。無印良品の住宅事業を担う「MUJI HOUSE」(東京)の豊田輝人は、このプロジェクトの設計リーダーだ。
    「団地は棟によって建築年が異なる場合もあり、状況はさまざま。実際に着工してみないとわからないことが多いので、まめに現場に足を運んでいます」
     プロジェクトの対象は現在、千里青山台団地(大阪)、落合団地(兵庫)、千代が丘団地(愛知)、武里団地(埼玉)、真砂団地(千葉)、高島平団地(東京)など、全国13カ所にもなる。豊田は部下の設計士やアシスタントを率い、これまで19タイプの部屋の設計を手がけてきた。
     東京理科大学の大学院を修了後、組織設計事務所に5年ほど勤務した。住む人が家に合わせるのではなく、住む人の暮らしを主役として、「暮らしの背景をととのえる」というMUJI HOUSEの理念に共感し、2005年に転職した。
    「新築と違って、リノベーションはこれからの分野。出てきた課題に対し、すべて100点を目指すと平均的なものになってしまう。どこかは削ってでも、別の部分で120点を取ることで魅力的なものをつくりたい」
     壁を取り払った室内に、やわらかな陽の光がふりそそぐ。(文中敬称略) 写真:伊ケ崎忍 文:ライター・安楽由紀子

  • PSソリューションズ(ソフトバンクグループ)
「農業データを見える化」
PSソリューションズ(ソフトバンクグループ) 農業IoT事業推進部 課長 坂井洋平(36)
 この日、IT関連企業「PSソリューションズ」で課長をしている坂井洋平(写真手前)は、千葉県外房の農家で「案山子」を眺めていた。でも、これはカラスの類を追っ払うためのものではない。なんなのか。坂井によるとこうだ。
「名前は『e-案山子』。農業に必要なデータを測り、『見える化』する機器です」
 このビニールハウスなら、トマトだ。温度管理や水やりには工夫がいるが、これまでは「経験と勘」に、判断基準が委ねられてきた。そこを「データ」でやったら、どうか。精密農業がぐっと身近になる。そう考える。
 水や日射量、CO2濃度などのデータを計測。ネットを介して、農業従事者はタブレット端末などでチェックできる。こだわったのは、わかりやすいグラフィックと、シンプルな操作感。アプリをいじるのと同じ感覚で、遠隔地からでも把握できる。
 2001年、徳島大学工学部を卒業し、J-フォン西日本に入社。04年にいったん退社して、仲間と会社を起業。08年にソフトバンクモバイルに入社。すぐに、社内の新規農業プロジェクトの創設に参加した。「e-案山子」を、社内の事業応募に提案。1300件中で10件しか出なかった合格を、チームで勝ちとった。
 農業をITでなんとかしたい。そう考えるのには理由がある。兵庫県の淡路島出身。実家は農家。帰省のたびに、故郷の農業が高齢化や担い手不足でやせ細っていくのを実感してきた。それは、「大きかった親父の背中が、こんなに小さくなってしまった」に似ている。
 e-案山子は、全国5カ所で試験運用中。今年中に、一般へのサービス開始を予定している。理想は、ベテランの知見を新規就農者に伝えること。データが両者をつなぐ。(文中敬称略)
写真:写真部・東川哲也 文:編集部・岡本俊浩

    PSソリューションズ(ソフトバンクグループ)
    「農業データを見える化」

    PSソリューションズ(ソフトバンクグループ) 農業IoT事業推進部 課長 坂井洋平(36)  この日、IT関連企業「PSソリューションズ」で課長をしている坂井洋平(写真手前)は、千葉県外房の農家で「案山子」を眺めていた。でも、これはカラスの類を追っ払うためのものではない。なんなのか。坂井によるとこうだ。
    「名前は『e-案山子』。農業に必要なデータを測り、『見える化』する機器です」
     このビニールハウスなら、トマトだ。温度管理や水やりには工夫がいるが、これまでは「経験と勘」に、判断基準が委ねられてきた。そこを「データ」でやったら、どうか。精密農業がぐっと身近になる。そう考える。
     水や日射量、CO2濃度などのデータを計測。ネットを介して、農業従事者はタブレット端末などでチェックできる。こだわったのは、わかりやすいグラフィックと、シンプルな操作感。アプリをいじるのと同じ感覚で、遠隔地からでも把握できる。
     2001年、徳島大学工学部を卒業し、J-フォン西日本に入社。04年にいったん退社して、仲間と会社を起業。08年にソフトバンクモバイルに入社。すぐに、社内の新規農業プロジェクトの創設に参加した。「e-案山子」を、社内の事業応募に提案。1300件中で10件しか出なかった合格を、チームで勝ちとった。
     農業をITでなんとかしたい。そう考えるのには理由がある。兵庫県の淡路島出身。実家は農家。帰省のたびに、故郷の農業が高齢化や担い手不足でやせ細っていくのを実感してきた。それは、「大きかった親父の背中が、こんなに小さくなってしまった」に似ている。
     e-案山子は、全国5カ所で試験運用中。今年中に、一般へのサービス開始を予定している。理想は、ベテランの知見を新規就農者に伝えること。データが両者をつなぐ。(文中敬称略) 写真:写真部・東川哲也 文:編集部・岡本俊浩

  • 「マヨネーズの伝道師」
キユーピー 広報部 食育推進チーム チームリーダー 池田律子(44)
 キユーピーが1925(大正14)年に日本で初めて製造・販売したマヨネーズ。今年、発売90周年を迎える。61年からは「オープンキッチン」という名前で製造工程を公開。まだ工場見学が一般的ではなかった時代からオープンな姿勢を取るのは、それだけ品質と安全性に対する強い自負があるからだろう。
 東京都調布市の仙川工場も、半世紀にわたって一般公開してきたが、2011年に閉鎖。昨年6月、跡地に立つオフィスの一角に、マヨネーズの歴史やおいしさの秘密、ものづくりへの思いを伝えるための見学施設「マヨテラス」をオープンさせ、子どもからお年寄りまで幅広い世代に向けて「食」の情報を発信する。池田律子は、このマヨテラスの運営をはじめ、社員が小学校を訪問する「マヨネーズ教室」や講演会などを通して、未来のキユーピーファンづくりを進める食育推進チームのリーダーだ。チームは10人。
 マヨテラスの見学は90分間、見学者とじっくり会話しながら進める。
「反応を見てその都度、お話しする内容を変えています。キユーピーを好きになっていただけるかどうかが私たちにかかっているので、やりがいがあると同時に、責任も重い」
 池田がエプロン姿で担当したマヨネーズ教室。野菜嫌いという子が、自分で作ったマヨネーズで野菜を食べて喜んでいた。
「マヨネーズ教室やマヨテラスでの体験を、ぜひ家庭の食卓で話してほしい」
 麻布大学環境保健学部で食品衛生学を学び、同社に入社した。志望動機は明快。
「小さい頃から大のキユーピーマヨネーズファンだから」
 食卓にはいつも赤いキャップのそれがあった。サラダだけでなく、炒め油の代わりにするなど使い道は広がる。それを伝え、食卓を豊かにしていくのも、池田に与えられたミッションだ。(文中敬称略)
写真:写真部・外山俊樹 文:ライター・安楽由紀子

    「マヨネーズの伝道師」
    キユーピー 広報部 食育推進チーム チームリーダー 池田律子(44)  キユーピーが1925(大正14)年に日本で初めて製造・販売したマヨネーズ。今年、発売90周年を迎える。61年からは「オープンキッチン」という名前で製造工程を公開。まだ工場見学が一般的ではなかった時代からオープンな姿勢を取るのは、それだけ品質と安全性に対する強い自負があるからだろう。
     東京都調布市の仙川工場も、半世紀にわたって一般公開してきたが、2011年に閉鎖。昨年6月、跡地に立つオフィスの一角に、マヨネーズの歴史やおいしさの秘密、ものづくりへの思いを伝えるための見学施設「マヨテラス」をオープンさせ、子どもからお年寄りまで幅広い世代に向けて「食」の情報を発信する。池田律子は、このマヨテラスの運営をはじめ、社員が小学校を訪問する「マヨネーズ教室」や講演会などを通して、未来のキユーピーファンづくりを進める食育推進チームのリーダーだ。チームは10人。
     マヨテラスの見学は90分間、見学者とじっくり会話しながら進める。
    「反応を見てその都度、お話しする内容を変えています。キユーピーを好きになっていただけるかどうかが私たちにかかっているので、やりがいがあると同時に、責任も重い」
     池田がエプロン姿で担当したマヨネーズ教室。野菜嫌いという子が、自分で作ったマヨネーズで野菜を食べて喜んでいた。
    「マヨネーズ教室やマヨテラスでの体験を、ぜひ家庭の食卓で話してほしい」
     麻布大学環境保健学部で食品衛生学を学び、同社に入社した。志望動機は明快。
    「小さい頃から大のキユーピーマヨネーズファンだから」
     食卓にはいつも赤いキャップのそれがあった。サラダだけでなく、炒め油の代わりにするなど使い道は広がる。それを伝え、食卓を豊かにしていくのも、池田に与えられたミッションだ。(文中敬称略) 写真:写真部・外山俊樹 文:ライター・安楽由紀子

  • 三越伊勢丹
「紳士靴は人生の相棒」
三越伊勢丹 紳士・スポーツ統括部 紳士靴 バイヤー 中村良枝(43)
 東京・新宿に、「世界屈指」の紳士靴売り場がある。服飾好きなら知らぬ者はいないだろう。伊勢丹新宿店メンズ館の地下1階には、国内外の180ブランドから約2千足が並ぶ。これだけそろうショップは、本場の英国にさえ存在しない。そんな売り場のバイヤーを務めるのが、中村良枝だ。
 靴の買いつけに奔走するかたわら、売り場づくりの全権を担い、職場に一体感をつくりあげる。紳士靴売り場のスタッフは、総勢約100人。そのうち2割は三越伊勢丹の社員だが、ほかは取引先からのパートナースタッフだ。自社製品に関する知識は、販売における強みになる。もっとも、彼らが売るのは自社製品だけではない。
「みんな同じ売り場に立つのですから、ほかのブランドの商品も売ってもらいます。求められるのは売り場としてのチームプレー。横断的な知識をつけるため、頻繁に勉強会も開きます。靴の製法やブランドの歴史、靴の細部に込められた意味……。知らなきゃ売れませんから」
 かくしてできあがるのが、1人あたり年間売り上げが、トップでは数千万円というプロ集団だ。
 短大を卒業して1992年、伊勢丹に入社した。この間、ほとんどを紳士靴の担当できた。シューフィッターの資格をとり、何万という足を見るうちに、測らなくてもサイズがわかるようになった。そんな中村の見立てを希望する紳士は少なくない。「中村待ち」ができるほどだ。
 景気が厳しいときでも、消費税率が上がっても、10万円前後の高級靴が売れる。なぜなのか。
「本物志向。歴史の風雨に耐えて生き残ってきた名品は売れるんです」
 いい靴は、手入れをすれば10年、あるいはそれ以上、人生の相棒であり続ける。中村が売るのは、そういうものなのだ。(文中敬称略)
写真:写真部・東川哲也 文:編集部・岡本俊浩

    三越伊勢丹
    「紳士靴は人生の相棒」

    三越伊勢丹 紳士・スポーツ統括部 紳士靴 バイヤー 中村良枝(43)  東京・新宿に、「世界屈指」の紳士靴売り場がある。服飾好きなら知らぬ者はいないだろう。伊勢丹新宿店メンズ館の地下1階には、国内外の180ブランドから約2千足が並ぶ。これだけそろうショップは、本場の英国にさえ存在しない。そんな売り場のバイヤーを務めるのが、中村良枝だ。
     靴の買いつけに奔走するかたわら、売り場づくりの全権を担い、職場に一体感をつくりあげる。紳士靴売り場のスタッフは、総勢約100人。そのうち2割は三越伊勢丹の社員だが、ほかは取引先からのパートナースタッフだ。自社製品に関する知識は、販売における強みになる。もっとも、彼らが売るのは自社製品だけではない。
    「みんな同じ売り場に立つのですから、ほかのブランドの商品も売ってもらいます。求められるのは売り場としてのチームプレー。横断的な知識をつけるため、頻繁に勉強会も開きます。靴の製法やブランドの歴史、靴の細部に込められた意味……。知らなきゃ売れませんから」
     かくしてできあがるのが、1人あたり年間売り上げが、トップでは数千万円というプロ集団だ。
     短大を卒業して1992年、伊勢丹に入社した。この間、ほとんどを紳士靴の担当できた。シューフィッターの資格をとり、何万という足を見るうちに、測らなくてもサイズがわかるようになった。そんな中村の見立てを希望する紳士は少なくない。「中村待ち」ができるほどだ。
     景気が厳しいときでも、消費税率が上がっても、10万円前後の高級靴が売れる。なぜなのか。
    「本物志向。歴史の風雨に耐えて生き残ってきた名品は売れるんです」
     いい靴は、手入れをすれば10年、あるいはそれ以上、人生の相棒であり続ける。中村が売るのは、そういうものなのだ。(文中敬称略) 写真:写真部・東川哲也 文:編集部・岡本俊浩

  • ティー・ケー・ジー
「変わり続ける定番」
ティー・ケー・ジー ル パティシエ タカギ 店舗統括部 マネージャー 西園寺麻未(40)
「キットカット」といえば、チョコレート菓子における永遠不朽の定番だろう。いまのシーズン、「きっと勝つと」と験を担いで食べる受験生も多いのではないか。そんな定番商品を極めた専門店がある。パティシエ高木康政が監修した「キットカット ショコラトリー」だ。昨年1月に開店した西武池袋本店をはじめ、東京、名古屋、京都の百貨店に4店舗を展開。西園寺麻未は、これらの店の立ち上げを手がけた。
「目指したのは、ふつうのお店ではないもの。カウンター奥に鮮やかな赤を使って、シャンデリアもキットカットの形状をモチーフにしています」
 昨年は延べ40万人が来店し、9億円を売り上げた。原材料にカカオ66%のビターチョコレートなどを使った看板商品「サブリム ビター」は、1本300円。ふつうのキットカットより割高だが、人気が高いので各店1日300本の限定販売だ。
 西園寺は、高木が経営する「ティー・ケー・ジー」に勤めて8年目。イベント運営会社で働いたのち、仕事で人の心を動かす醍醐味を求めて転職してきた。
 甘いものを見つめるときの人の表情は、特別な趣がある。それを見たくて、高木の店「ル パティシエ タカギ」で洋菓子を売ってもきた。いまは店舗づくりを任される一方、高木がいる厨房と、キットカットを製造するネスレ日本の間の調整役を担う。
 それにしても、だ。永遠の大定番が、なぜ新しいトライをしたのか。パティシエ高木とタッグを組んだネスレ日本キットカットマーケティング部の部長、槇亮次(写真中央)は、
「ひとつのブランドを多面的に見せる。その結果いかんで、より新しい価値を広げていくことができる」
 変わらないために、変わり続ける。そういうことなのだ。(文中敬称略)
写真:伊ケ崎忍 文:編集部・岡本俊浩

    ティー・ケー・ジー
    「変わり続ける定番」

    ティー・ケー・ジー ル パティシエ タカギ 店舗統括部 マネージャー 西園寺麻未(40) 「キットカット」といえば、チョコレート菓子における永遠不朽の定番だろう。いまのシーズン、「きっと勝つと」と験を担いで食べる受験生も多いのではないか。そんな定番商品を極めた専門店がある。パティシエ高木康政が監修した「キットカット ショコラトリー」だ。昨年1月に開店した西武池袋本店をはじめ、東京、名古屋、京都の百貨店に4店舗を展開。西園寺麻未は、これらの店の立ち上げを手がけた。
    「目指したのは、ふつうのお店ではないもの。カウンター奥に鮮やかな赤を使って、シャンデリアもキットカットの形状をモチーフにしています」
     昨年は延べ40万人が来店し、9億円を売り上げた。原材料にカカオ66%のビターチョコレートなどを使った看板商品「サブリム ビター」は、1本300円。ふつうのキットカットより割高だが、人気が高いので各店1日300本の限定販売だ。
     西園寺は、高木が経営する「ティー・ケー・ジー」に勤めて8年目。イベント運営会社で働いたのち、仕事で人の心を動かす醍醐味を求めて転職してきた。
     甘いものを見つめるときの人の表情は、特別な趣がある。それを見たくて、高木の店「ル パティシエ タカギ」で洋菓子を売ってもきた。いまは店舗づくりを任される一方、高木がいる厨房と、キットカットを製造するネスレ日本の間の調整役を担う。
     それにしても、だ。永遠の大定番が、なぜ新しいトライをしたのか。パティシエ高木とタッグを組んだネスレ日本キットカットマーケティング部の部長、槇亮次(写真中央)は、
    「ひとつのブランドを多面的に見せる。その結果いかんで、より新しい価値を広げていくことができる」
     変わらないために、変わり続ける。そういうことなのだ。(文中敬称略) 写真:伊ケ崎忍 文:編集部・岡本俊浩

  • 日本ホテル
「100年ホテルの男」
日本ホテル 東京ステーションホテル 料飲宴会部 料飲支配人 山岡広記(41)
 東京駅は、鉄道交通の起点。そんな日本の中心地で、山岡広記は働く。といっても、鉄道員ではない。丸の内駅舎内にある「東京ステーションホテル」のホテルマンとして、直営4店舗を含む館内10の飲食店を束ねる。
 開業は1915年。空襲によって約5年間、休館したものの、100年続くホテルとして多くの人々が利用してきた。松本清張の長編推理小説『点と線』も、ここの一室から生まれている。国指定重要文化財である駅舎の保存・復原工事のため、2006年から6年半、休館。12年10月に新たな装いで営業を再開した。
 山岡は95年、運営会社の「日本ホテル」に入社した。長く東京・池袋のホテルメトロポリタンで働き、東京ステーションホテルには休館中から携わる。最初の仕事は営業再開へ向けた準備だ。
 フレンチの王道をいくレストラン、重厚でオーセンティックなバー……。直営店はそれぞれ長い歴史を持つ。そこで働くスタッフ約70人の多くは、新規採用組だ。
「ホテルで働くのは初めて、という人も珍しくありませんでしたが、生まれ変わるホテルでは、経験より熱意を重視しました」
 再開1年目は、予算を上回る大盛況。注文を受け、調理し、テーブルに運ぶまで、よどみのないチームプレーができているか、スタッフの動きに気を配った。
 人が相手の仕事だけにトラブルはつきもの。そんなとき、心がけたのは「ニュートラルな気持ち」だ。
「トラブルが起きたときこそ、サービスで挽回。好印象につなげるチャンスですから」
 数字の管理、スタッフのケア……。裏方の仕事が増えたが、もとはバーテンダーに憧れて、この世界に入った。
「暗がりに差した光のなか、シェーカーを振るバーテンダーがカッコよかった」
 一瞬の憧れが、長い仕事の始まりになった。(文中敬称略)
写真:写真部・外山俊樹 文:編集部・岡本俊浩

    日本ホテル
    「100年ホテルの男」

    日本ホテル 東京ステーションホテル 料飲宴会部 料飲支配人 山岡広記(41)  東京駅は、鉄道交通の起点。そんな日本の中心地で、山岡広記は働く。といっても、鉄道員ではない。丸の内駅舎内にある「東京ステーションホテル」のホテルマンとして、直営4店舗を含む館内10の飲食店を束ねる。
     開業は1915年。空襲によって約5年間、休館したものの、100年続くホテルとして多くの人々が利用してきた。松本清張の長編推理小説『点と線』も、ここの一室から生まれている。国指定重要文化財である駅舎の保存・復原工事のため、2006年から6年半、休館。12年10月に新たな装いで営業を再開した。
     山岡は95年、運営会社の「日本ホテル」に入社した。長く東京・池袋のホテルメトロポリタンで働き、東京ステーションホテルには休館中から携わる。最初の仕事は営業再開へ向けた準備だ。
     フレンチの王道をいくレストラン、重厚でオーセンティックなバー……。直営店はそれぞれ長い歴史を持つ。そこで働くスタッフ約70人の多くは、新規採用組だ。
    「ホテルで働くのは初めて、という人も珍しくありませんでしたが、生まれ変わるホテルでは、経験より熱意を重視しました」
     再開1年目は、予算を上回る大盛況。注文を受け、調理し、テーブルに運ぶまで、よどみのないチームプレーができているか、スタッフの動きに気を配った。
     人が相手の仕事だけにトラブルはつきもの。そんなとき、心がけたのは「ニュートラルな気持ち」だ。
    「トラブルが起きたときこそ、サービスで挽回。好印象につなげるチャンスですから」
     数字の管理、スタッフのケア……。裏方の仕事が増えたが、もとはバーテンダーに憧れて、この世界に入った。
    「暗がりに差した光のなか、シェーカーを振るバーテンダーがカッコよかった」
     一瞬の憧れが、長い仕事の始まりになった。(文中敬称略) 写真:写真部・外山俊樹 文:編集部・岡本俊浩

  • 三菱東京UFJ銀行
「“つながり”を創る」
三菱東京UFJ銀行 コーポレート情報営業部 ビジネスソリューショングループ調査役 野田浩二(49)
 静まりかえった巨大ホールに、1千を超えるテーブルが整然と並ぶ。その間を縫うように、三菱東京UFJ銀行ビジネスソリューショングループの野田浩二が歩く。翌日からパシフィコ横浜(横浜市)で始まる国内最大級の商談会「Business Link 商賣繁盛」の準備に余念がない。
「モノやサービスを売りたい、買いたい企業が、相互に出会うための場です。参加するのは4200社。1万を超える商談が開催されます。このテーブルは全部埋まりますよ」
 参加は無料。企業にとっては、飛び込み営業で名刺交換するより、はるかに効率がいい。商談がまとまる確率も高く、新しい有望なビジネスが生まれるかもしれない。
 10年前に初めて開催し、これが12回目。27人の部下を率いる野田のチームは、場を提供するだけではなく、商談が円滑に進むようサポートする。ウェブ上に自社の情報や商談内容を打ち込んでもらうアポイントシステムは、毎年更新し、改良を続けてきた。中身には自信がある。
 帝京大学経済学部を卒業後、1989年に入行した。四日市支店、新橋支店、三菱総合研究所などを経て、3年前から今の業務を担当している。
 そもそも、銀行がなぜ商談会を開く必要があるのか。
 商談が成立してからが、銀行の出番。新しいビジネスを始めるために事業資金が必要になったとき、商談会の主催者であれば、「当行をよろしくお願いいたします」と、いの一番に持ちかけることができる。融資や資金調達、コンサルティング……。銀行のできる手伝いは、たくさんあるのだ。
「お金を預かることだけが、銀行の仕事ではありません。ビジネス機会を創出する仕事は、主力の金融部門に次いでニーズが高い。参加企業数は毎年、右肩上がりです」(文中敬称略)
写真:写真部・外山俊樹 文:編集部・岡本俊浩

    三菱東京UFJ銀行
    「“つながり”を創る」

    三菱東京UFJ銀行 コーポレート情報営業部 ビジネスソリューショングループ調査役 野田浩二(49)  静まりかえった巨大ホールに、1千を超えるテーブルが整然と並ぶ。その間を縫うように、三菱東京UFJ銀行ビジネスソリューショングループの野田浩二が歩く。翌日からパシフィコ横浜(横浜市)で始まる国内最大級の商談会「Business Link 商賣繁盛」の準備に余念がない。
    「モノやサービスを売りたい、買いたい企業が、相互に出会うための場です。参加するのは4200社。1万を超える商談が開催されます。このテーブルは全部埋まりますよ」
     参加は無料。企業にとっては、飛び込み営業で名刺交換するより、はるかに効率がいい。商談がまとまる確率も高く、新しい有望なビジネスが生まれるかもしれない。
     10年前に初めて開催し、これが12回目。27人の部下を率いる野田のチームは、場を提供するだけではなく、商談が円滑に進むようサポートする。ウェブ上に自社の情報や商談内容を打ち込んでもらうアポイントシステムは、毎年更新し、改良を続けてきた。中身には自信がある。
     帝京大学経済学部を卒業後、1989年に入行した。四日市支店、新橋支店、三菱総合研究所などを経て、3年前から今の業務を担当している。
     そもそも、銀行がなぜ商談会を開く必要があるのか。
     商談が成立してからが、銀行の出番。新しいビジネスを始めるために事業資金が必要になったとき、商談会の主催者であれば、「当行をよろしくお願いいたします」と、いの一番に持ちかけることができる。融資や資金調達、コンサルティング……。銀行のできる手伝いは、たくさんあるのだ。
    「お金を預かることだけが、銀行の仕事ではありません。ビジネス機会を創出する仕事は、主力の金融部門に次いでニーズが高い。参加企業数は毎年、右肩上がりです」(文中敬称略) 写真:写真部・外山俊樹 文:編集部・岡本俊浩

  • 大阪府
「太陽の塔の内部へ再び」
大阪府 日本万国博覧会記念公園事務所 営業推進課 課長 平田清(56)
 1970年の大阪万博で異彩を放った岡本太郎作の「太陽の塔」。中に入ると、まず赤い鱗のような壁が目に飛び込んでくる。中央には高さ41メートルの「生命の樹」。色鮮やかな枝に三葉虫やアンモナイト、恐竜、人類などの造形群が乗っている。閉鎖されて約44年。かなり壊れているものの、当時の“熱”は朽ちずに空間を満たす。
 塔の内部は耐震上の問題から非公開になっているが、大阪府は2年後の3月をめどに常時公開する方針だ。平田清は、この公開へ向けて展示物などの改修プロジェクトに携わる。
「私はとても幸運。後世にずっと残る施設を担当し、常時公開の大仕事にかかわれるのですから。オープン後は、大阪万博のように国民の2人に1人が訪れていただければ」
 生命の樹にあった生物群は、約160体を復元し、保存している40体を再び設置する。人々を乗せて40億年にわたる生物の進化を案内したエスカレーターは、撤去して階段に。地下展示空間にあった「地底の太陽」は、万博終了後に行方不明になっているが、今回、これを原寸大で忠実に復元する。
 平田は大阪府内の農家に生まれた。農業大学校で造園について学び、日本万国博覧会記念協会(現大阪府日本万国博覧会記念公園事務所)の緑地課に就職した。10年前に営業推進課に移り、万博の遺産を活性化させるための将来ビジョンの策定にかかわる。太陽の塔内部の常時公開も、活性化策の一環だ。
 ただ、内部公開には耐震工事が必須で、多額の改修費が要ることから、反対意見も多かった。3年前の耐震工事の入札不調によって一度はあきらめかけたが、ようやく着工できるめどが立った。
 展示物の復元にあたっては、1億円を目標に寄付金を募る計画だ。
「三葉虫1匹からでも復元費用の寄付を、なんてことも考えています」(文中敬称略)
写真:東川哲也 文:ライター・西元まり

    大阪府
    「太陽の塔の内部へ再び」

    大阪府 日本万国博覧会記念公園事務所 営業推進課 課長 平田清(56)  1970年の大阪万博で異彩を放った岡本太郎作の「太陽の塔」。中に入ると、まず赤い鱗のような壁が目に飛び込んでくる。中央には高さ41メートルの「生命の樹」。色鮮やかな枝に三葉虫やアンモナイト、恐竜、人類などの造形群が乗っている。閉鎖されて約44年。かなり壊れているものの、当時の“熱”は朽ちずに空間を満たす。
     塔の内部は耐震上の問題から非公開になっているが、大阪府は2年後の3月をめどに常時公開する方針だ。平田清は、この公開へ向けて展示物などの改修プロジェクトに携わる。
    「私はとても幸運。後世にずっと残る施設を担当し、常時公開の大仕事にかかわれるのですから。オープン後は、大阪万博のように国民の2人に1人が訪れていただければ」
     生命の樹にあった生物群は、約160体を復元し、保存している40体を再び設置する。人々を乗せて40億年にわたる生物の進化を案内したエスカレーターは、撤去して階段に。地下展示空間にあった「地底の太陽」は、万博終了後に行方不明になっているが、今回、これを原寸大で忠実に復元する。
     平田は大阪府内の農家に生まれた。農業大学校で造園について学び、日本万国博覧会記念協会(現大阪府日本万国博覧会記念公園事務所)の緑地課に就職した。10年前に営業推進課に移り、万博の遺産を活性化させるための将来ビジョンの策定にかかわる。太陽の塔内部の常時公開も、活性化策の一環だ。
     ただ、内部公開には耐震工事が必須で、多額の改修費が要ることから、反対意見も多かった。3年前の耐震工事の入札不調によって一度はあきらめかけたが、ようやく着工できるめどが立った。
     展示物の復元にあたっては、1億円を目標に寄付金を募る計画だ。
    「三葉虫1匹からでも復元費用の寄付を、なんてことも考えています」(文中敬称略) 写真:東川哲也 文:ライター・西元まり

  • 海上保安庁
「陸でも塩気を大切に」海上保安庁 横浜海上保安部 警備救難課長 太刀川征利(40) 救助が必要な人を抱えた潜水士が、ゆっくりと水面へ上がってきた。
「転覆船の船底に取り残された人を救助する訓練ですね」
 横浜海上防災基地にある潜水訓練用プールの窓をのぞきながら、太刀川征利が説明してくれた。救助計画やパトロール計画を立て、部下に指示を出し、現場をコントロールする立場の太刀川は海に潜ることはないが、その声はどこか誇らしげだ。
 小さいころから乗り物好き。船の世界にあこがれた。やがてそれは、「国民の安全を守りたい」という思いと結びつき、海上保安大学校へ進み、海上保安官になった。
 1999年12月、横浜海上保安部で巡視船の主任航海士となったのを皮切りに、海上保安庁本庁での勤務や国土交通省への出向など「陸」での勤務を交えながら、神戸や呉(広島県)の巡視船に配属され、「船乗り」として日本の海を守ってきた。
 沖縄に領海警備対策室長として着任したのは、尖閣諸島周辺海域で緊張が高まっていた2013年。中国公船が領海侵入するたびに携帯電話が鳴り、深夜でも非番でも呼び出され、対応に追われた。
「そのうち、鳴ってないのに、携帯が鳴ったと思うようになりました」
 昨年、横浜海上保安部に戻り、現職に就いた。部下15人とともに、近海の水域だけでなく、小笠原諸島周辺の海で起きる犯罪の取り締まり、海難の際の人命救助などを担う。事故や火災が発生すると、太刀川の指示が人命を左右することもある。
「今、現場で何が起きているのか。船はどういう動きをしているのか。現場をどれだけイメージできるかが大事だと思います。上司の指示を仰ぎながら、部下を含めていろんな人の意見を聞いて判断し、その判断には責任を持ちたい」
 どんな立場になっても、「自分は船乗りだ」というプライドは持っていたいと思う。
「塩気が抜けたら、おしまいですから」
(文中敬称略)

撮影:写真部・東川哲也 文:編集部・大川恵実

    海上保安庁
    「陸でも塩気を大切に」

    海上保安庁 横浜海上保安部 警備救難課長 太刀川征利(40)
     救助が必要な人を抱えた潜水士が、ゆっくりと水面へ上がってきた。
    「転覆船の船底に取り残された人を救助する訓練ですね」
     横浜海上防災基地にある潜水訓練用プールの窓をのぞきながら、太刀川征利が説明してくれた。救助計画やパトロール計画を立て、部下に指示を出し、現場をコントロールする立場の太刀川は海に潜ることはないが、その声はどこか誇らしげだ。
     小さいころから乗り物好き。船の世界にあこがれた。やがてそれは、「国民の安全を守りたい」という思いと結びつき、海上保安大学校へ進み、海上保安官になった。
     1999年12月、横浜海上保安部で巡視船の主任航海士となったのを皮切りに、海上保安庁本庁での勤務や国土交通省への出向など「陸」での勤務を交えながら、神戸や呉(広島県)の巡視船に配属され、「船乗り」として日本の海を守ってきた。
     沖縄に領海警備対策室長として着任したのは、尖閣諸島周辺海域で緊張が高まっていた2013年。中国公船が領海侵入するたびに携帯電話が鳴り、深夜でも非番でも呼び出され、対応に追われた。
    「そのうち、鳴ってないのに、携帯が鳴ったと思うようになりました」
     昨年、横浜海上保安部に戻り、現職に就いた。部下15人とともに、近海の水域だけでなく、小笠原諸島周辺の海で起きる犯罪の取り締まり、海難の際の人命救助などを担う。事故や火災が発生すると、太刀川の指示が人命を左右することもある。
    「今、現場で何が起きているのか。船はどういう動きをしているのか。現場をどれだけイメージできるかが大事だと思います。上司の指示を仰ぎながら、部下を含めていろんな人の意見を聞いて判断し、その判断には責任を持ちたい」
     どんな立場になっても、「自分は船乗りだ」というプライドは持っていたいと思う。
    「塩気が抜けたら、おしまいですから」 (文中敬称略)
    撮影:写真部・東川哲也 文:編集部・大川恵実

  • 内田洋行
「タブレットで人類を変える」

内田洋行 教育総合研究所 研究開発部 研究推進課 課長 佐藤喜信(48)


 子どもたち一人ひとりが、ノートではなくタブレット端末を持ち、デジタル教科書で勉強する。先生が使うのは、チョークを使う黒板ではなく電子黒板。壁には、クジラでもゾウでも、そして猿人でも、実物大で投影できるスクリーンがある。こんな最新のICT教育の現場を体験できるのが、内田洋行の「フューチャークラスルーム」だ。
 佐藤喜信は、7人のチームを率い、ICT教育を学校に導入する際に、どうすればそれぞれに適切な環境になるかを研究する。
「先生が授業をやりやすく、子どもたちが学びやすい環境を整えることが、私たち企業にできる教育支援だと思っています」
 法政大学経営学部を卒業後、1992年に内田洋行に入社。大阪で営業マンを経て、2005年に東京に転勤して現職に就いた。
 10年、ICT教育のカリキュラムや情報技術の研究のために、国は全国10校の小学校をモデル校として選び、1人1台タブレット端末を導入させた。このプロジェクトに佐藤たちが参画したときのことだ。
「教室に約40台のタブレット端末が持ち込まれたんですが、児童が一斉に電源を入れたため、ネットワークの負荷が一気に高まり、ネットに全然つながらなくなってしまって」
 充電の問題、機械が苦手な教師のためのICT支援員の導入と、プロジェクトでは大小さまざまな問題が浮き彫りになった。その一つひとつを解決するために動いてきた。
 現在、東京都荒川区の区立小・中学校ではすべての児童・生徒がタブレットを持つようになり、滋賀、兵庫各県や京都、大阪両府など、全国の小中高・大学にICT教育が導入されつつあるが、その現場には佐藤たちのノウハウが生きている。
「ICT先進国に比べると、日本は教育でのICT活用がだいぶ遅れているのですが……」
道具を持ったとき、人類は大きく進化したタブレットを持ったヒトは、どこへ向かうのだろう。その鍵を佐藤が握っている。
(文中敬称略)

撮影:写真部・東川哲也 文:編集部・大川恵実

    内田洋行
    「タブレットで人類を変える」

    内田洋行 教育総合研究所 研究開発部 研究推進課 課長 佐藤喜信(48)
     子どもたち一人ひとりが、ノートではなくタブレット端末を持ち、デジタル教科書で勉強する。先生が使うのは、チョークを使う黒板ではなく電子黒板。壁には、クジラでもゾウでも、そして猿人でも、実物大で投影できるスクリーンがある。こんな最新のICT教育の現場を体験できるのが、内田洋行の「フューチャークラスルーム」だ。
     佐藤喜信は、7人のチームを率い、ICT教育を学校に導入する際に、どうすればそれぞれに適切な環境になるかを研究する。
    「先生が授業をやりやすく、子どもたちが学びやすい環境を整えることが、私たち企業にできる教育支援だと思っています」
     法政大学経営学部を卒業後、1992年に内田洋行に入社。大阪で営業マンを経て、2005年に東京に転勤して現職に就いた。
     10年、ICT教育のカリキュラムや情報技術の研究のために、国は全国10校の小学校をモデル校として選び、1人1台タブレット端末を導入させた。このプロジェクトに佐藤たちが参画したときのことだ。
    「教室に約40台のタブレット端末が持ち込まれたんですが、児童が一斉に電源を入れたため、ネットワークの負荷が一気に高まり、ネットに全然つながらなくなってしまって」
     充電の問題、機械が苦手な教師のためのICT支援員の導入と、プロジェクトでは大小さまざまな問題が浮き彫りになった。その一つひとつを解決するために動いてきた。
     現在、東京都荒川区の区立小・中学校ではすべての児童・生徒がタブレットを持つようになり、滋賀、兵庫各県や京都、大阪両府など、全国の小中高・大学にICT教育が導入されつつあるが、その現場には佐藤たちのノウハウが生きている。
    「ICT先進国に比べると、日本は教育でのICT活用がだいぶ遅れているのですが……」
    道具を持ったとき、人類は大きく進化したタブレットを持ったヒトは、どこへ向かうのだろう。その鍵を佐藤が握っている。
    (文中敬称略)
    撮影:写真部・東川哲也 文:編集部・大川恵実

  • ファーストリテイリング
「仕事も家庭もあきらめず」

ファーストリテイリング 人事部 ユニクロ店舗人事チーム リーダー 佐々木彩(37)

 毎週金曜日の午後4時半。ファーストリテイリング東京本部34階にある社食が、照明を落とした「ロックンロールカフェ」へと変貌する。入場料300円。社員はビュッフェ形式で食べ放題の食事と、1杯100円でお酒を楽しむことができる。ビリヤード台もあり、社員同士の親睦を深めたり、他社との飲み会の時間まで一杯飲んで時間をつぶしたりするのに使われる。
「私はどちらかというと、ランチを取りながら、チームのメンバーとコミュニケーションを取るほうが多いですが(笑)」
 日本女子大学理学部を卒業後、完全実力主義で、年齢など関係なく働けることに魅力を感じ、2001年に入社した。
 ユニクロ原宿店に店長候補として配属されてから店での販売経験を積み、03年に三鷹店の店長に。多摩センター店、国分寺店と規模の大きい店の店長も任された。06年、横浜エリアのSV(スーパーバイザー)として店舗のマネジメントを任されると同時に結婚。ますます忙しくなった。
 女性が比較的働きやすい会社ではあるが、「それでも当時、SVで結婚している人はいなかったんですよ」
 だから、「女性活躍推進プロジェクト」から声がかかると、すぐに参加を決めた。08年に人事部へと異動し、13年にリーダー職に。「言いたいことを言い合う」を胸に7人のチームをまとめる。アルバイトなど、販売スタッフの面接がスムーズにできるように採用センターを立ち上げ、応募者のエントリーから面接のアレンジなど、忙しい店長の負担が少しでも軽減するように環境を整えることが仕事だ。
 仕事か、家庭か。その岐路に立つとき、佐々木はいつも両方ともあきらめなかった。夫もむしろ佐々木に働くことを勧めた。
「結婚、出産したら仕事をあきらめないといけないほうがおかしいんですよね」
5月、3人目の子どもが生まれる予定だ。
(文中敬称略)

撮影:写真部・外山俊樹 文:編集部・大川恵実

    ファーストリテイリング
    「仕事も家庭もあきらめず」

    ファーストリテイリング 人事部 ユニクロ店舗人事チーム リーダー 佐々木彩(37)
     毎週金曜日の午後4時半。ファーストリテイリング東京本部34階にある社食が、照明を落とした「ロックンロールカフェ」へと変貌する。入場料300円。社員はビュッフェ形式で食べ放題の食事と、1杯100円でお酒を楽しむことができる。ビリヤード台もあり、社員同士の親睦を深めたり、他社との飲み会の時間まで一杯飲んで時間をつぶしたりするのに使われる。
    「私はどちらかというと、ランチを取りながら、チームのメンバーとコミュニケーションを取るほうが多いですが(笑)」
     日本女子大学理学部を卒業後、完全実力主義で、年齢など関係なく働けることに魅力を感じ、2001年に入社した。
     ユニクロ原宿店に店長候補として配属されてから店での販売経験を積み、03年に三鷹店の店長に。多摩センター店、国分寺店と規模の大きい店の店長も任された。06年、横浜エリアのSV(スーパーバイザー)として店舗のマネジメントを任されると同時に結婚。ますます忙しくなった。
     女性が比較的働きやすい会社ではあるが、「それでも当時、SVで結婚している人はいなかったんですよ」
     だから、「女性活躍推進プロジェクト」から声がかかると、すぐに参加を決めた。08年に人事部へと異動し、13年にリーダー職に。「言いたいことを言い合う」を胸に7人のチームをまとめる。アルバイトなど、販売スタッフの面接がスムーズにできるように採用センターを立ち上げ、応募者のエントリーから面接のアレンジなど、忙しい店長の負担が少しでも軽減するように環境を整えることが仕事だ。
     仕事か、家庭か。その岐路に立つとき、佐々木はいつも両方ともあきらめなかった。夫もむしろ佐々木に働くことを勧めた。
    「結婚、出産したら仕事をあきらめないといけないほうがおかしいんですよね」
    5月、3人目の子どもが生まれる予定だ。
    (文中敬称略)
    撮影:写真部・外山俊樹 文:編集部・大川恵実

  • AGC旭硝子
「一発勝負の試作も楽しく」

AGC旭硝子 ガラスカンパニーオートモーティブ事業本部 戦略マーケティンググループ 主幹 宮本二郎(40)

 ガラス工場は一度火を入れると、24時間365日止めることができない。一度止めるとラインでガラスが固まるなどの支障があるからだ。大量生産向きのため、車の窓ガラスのサンプルを作るにも、数千台分できてしまう。
 2014年、宮本二郎は車の「全周UV99%カット化」プロジェクトのリーダーとして、営業や開発、工場、品質保証などに携わる20人ほどのチームをまとめていた。
 すでに旭硝子では、99%UVカットできるフロントガラスとフロントドアガラスを作っていた。運転席や助手席の女性を日焼けから守ると評判だったが、「後部座席に座る子どもの肌を守りたい」という声があがった。
 それまではガラスへのコーティングなどで、UVをカットしていたが、リアドアガラス、リアガラスにはテレビのアンテナなどを埋め込む必要があるため、UVカットの素材そのものをガラスに練り込まなくてはいけない。大きな挑戦だった。
「ガラスの色も含めて、ラボでは何度も確認して。いけそうだ、となったんです」
 ついにサンプルを生産することとなった。請け負ったのは愛知工場。通常生産を止めての作業だ。失敗したら、億単位の損失になる。緊張したが、1回の試作で成功。世界初の技術となり、すぐにホンダのN―BOXなどに採用された。
「お客様のニーズに応えられたというのがうれしいし、評判を工場の人たちに伝えて、喜んだ顔を見られるのもうれしい」
 1998年、慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、入社。営業部で国内自動車メーカーを担当した。03年から英国に赴任、08年に帰国し、営業部に戻って11年から現職。
 元ラガーマンで現役のモーグル選手でもある。栃木県に住み、平日は東京まで新幹線通勤、休みは福島などのスキー場で練習する。
「仕事もモーグルも楽しんでやったら結果が出ると思う。皆が楽しく仕事ができるよう、常に前向きに明るくリードしていきたい」
(文中敬称略)

撮影:写真部・東川哲也 文:編集部・大川恵実

    AGC旭硝子
    「一発勝負の試作も楽しく」

    AGC旭硝子 ガラスカンパニーオートモーティブ事業本部 戦略マーケティンググループ 主幹 宮本二郎(40)
     ガラス工場は一度火を入れると、24時間365日止めることができない。一度止めるとラインでガラスが固まるなどの支障があるからだ。大量生産向きのため、車の窓ガラスのサンプルを作るにも、数千台分できてしまう。
     2014年、宮本二郎は車の「全周UV99%カット化」プロジェクトのリーダーとして、営業や開発、工場、品質保証などに携わる20人ほどのチームをまとめていた。
     すでに旭硝子では、99%UVカットできるフロントガラスとフロントドアガラスを作っていた。運転席や助手席の女性を日焼けから守ると評判だったが、「後部座席に座る子どもの肌を守りたい」という声があがった。
     それまではガラスへのコーティングなどで、UVをカットしていたが、リアドアガラス、リアガラスにはテレビのアンテナなどを埋め込む必要があるため、UVカットの素材そのものをガラスに練り込まなくてはいけない。大きな挑戦だった。
    「ガラスの色も含めて、ラボでは何度も確認して。いけそうだ、となったんです」
     ついにサンプルを生産することとなった。請け負ったのは愛知工場。通常生産を止めての作業だ。失敗したら、億単位の損失になる。緊張したが、1回の試作で成功。世界初の技術となり、すぐにホンダのN―BOXなどに採用された。
    「お客様のニーズに応えられたというのがうれしいし、評判を工場の人たちに伝えて、喜んだ顔を見られるのもうれしい」
     1998年、慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、入社。営業部で国内自動車メーカーを担当した。03年から英国に赴任、08年に帰国し、営業部に戻って11年から現職。
     元ラガーマンで現役のモーグル選手でもある。栃木県に住み、平日は東京まで新幹線通勤、休みは福島などのスキー場で練習する。
    「仕事もモーグルも楽しんでやったら結果が出ると思う。皆が楽しく仕事ができるよう、常に前向きに明るくリードしていきたい」
    (文中敬称略)
    撮影:写真部・東川哲也 文:編集部・大川恵実

  • 国立科学博物館
「まじめに楽しく伝える」

国立科学博物館 事業推進部 企画展示課長 吉野英男(54)

 3月8日から公開が始まった「恐竜博2016に向けて、急ピッチで搬入作業が行われていた国立科学博物館(科博)。この日は、ティラノサウルスの骨格の組み立てが終わり、スピノサウルスの作業が始まっていた。
 この二大肉食恐竜の全身骨格は今回の目玉展示の一つ。特にスピノサウルスは長い間、その生態が謎に包まれていたが、2014年に、四足歩行で、水中でも活動していた可能性があると論文で発表され、注目を浴びた。
 そのスピノサウルスの四足歩行の全身復元骨格は日本初の公開になる。吉野英男は、恐竜展はもちろん、科博でのすべての特別展や企画展を担当。企画立案から展示までに3~5年はかかるため、常に15本ほどの企画を抱える。研究者と相談しながら、展示内容、展示方法を考えていくとともに、7人の部下の進行管理、進捗状況の把握も仕事だ。
 明治初期の1877年に創立された科博は、日本で最も歴史ある博物館の一つ。自然史・科学技術に関する研究も担っているため、科博の特別展、企画展は、その調査や研究の成果の発表の場でもある。
「ただ、一方的な目線にならないよう、面白く、楽しく伝えたいんです」
 ときに部下からの提案で思いがけない企画が誕生することもある。驚いたのは、地質年代を覚えるための替え歌を作りたいと相談されたとき。
「最初は暴走してるなと思った(笑)。でも歌を作るのは新鮮だったし、楽しみながら地質年代を知ってもらえたらいいな、と」
 最終的には、人気声優に歌ってもらうまでになった。
 日本大学文理学部卒業後、1985年に科博に就職。庶務課、財務課などを経て、09年に特別展室長になり、12年から現職。
 国立だから、“まじめさ”はもちろん必要。でも、若い人や女性にも楽しんでもらえるように、いい意味で博物館のイメージを変えていけたらうれしい」
(文中敬称略)

撮影:写真部・東川哲也 文:編集部・大川恵実

    国立科学博物館
    「まじめに楽しく伝える」

    国立科学博物館 事業推進部 企画展示課長 吉野英男(54)
     3月8日から公開が始まった「恐竜博2016に向けて、急ピッチで搬入作業が行われていた国立科学博物館(科博)。この日は、ティラノサウルスの骨格の組み立てが終わり、スピノサウルスの作業が始まっていた。
     この二大肉食恐竜の全身骨格は今回の目玉展示の一つ。特にスピノサウルスは長い間、その生態が謎に包まれていたが、2014年に、四足歩行で、水中でも活動していた可能性があると論文で発表され、注目を浴びた。
     そのスピノサウルスの四足歩行の全身復元骨格は日本初の公開になる。吉野英男は、恐竜展はもちろん、科博でのすべての特別展や企画展を担当。企画立案から展示までに3~5年はかかるため、常に15本ほどの企画を抱える。研究者と相談しながら、展示内容、展示方法を考えていくとともに、7人の部下の進行管理、進捗状況の把握も仕事だ。
     明治初期の1877年に創立された科博は、日本で最も歴史ある博物館の一つ。自然史・科学技術に関する研究も担っているため、科博の特別展、企画展は、その調査や研究の成果の発表の場でもある。
    「ただ、一方的な目線にならないよう、面白く、楽しく伝えたいんです」
     ときに部下からの提案で思いがけない企画が誕生することもある。驚いたのは、地質年代を覚えるための替え歌を作りたいと相談されたとき。
    「最初は暴走してるなと思った(笑)。でも歌を作るのは新鮮だったし、楽しみながら地質年代を知ってもらえたらいいな、と」
     最終的には、人気声優に歌ってもらうまでになった。
     日本大学文理学部卒業後、1985年に科博に就職。庶務課、財務課などを経て、09年に特別展室長になり、12年から現職。
     国立だから、“まじめさ”はもちろん必要。でも、若い人や女性にも楽しんでもらえるように、いい意味で博物館のイメージを変えていけたらうれしい」
    (文中敬称略)
    撮影:写真部・東川哲也 文:編集部・大川恵実

  • バンダイ
「ヒーローはここにもいる」

バンダイ ボーイズトイ事業部 戦隊チーム マネージャー 中野 拓 (38)

 特撮ドラマ「スーパー戦隊シリーズ」は2月にスタートした「動物戦隊ジュウオウジャー」で40作を数える。時代を反映してか5人のうちブルーとホワイトの2人が女性。しかし、リーダーはやっぱりレッドだ!
 戦隊ヒーロー&ヒロインが使う武器やロボットなどを企画するのが中野拓。7人の部下とともに、東映をはじめ関係各社と構想を練り上げ、おもちゃとして商品化する。
 準備は、番組が放送される半年以上前から始まる。「カッコいい」「簡単に遊べて楽しい」というだけではダメ。安全性にも厳しく目を光らせる。一定の基準の高さから落としても壊れないか。壊れてもケガなどの危険がないか。小さな子どもが使うものだけに、世に出るまでに厳しいテストと調整を繰り返すのだ。商品によっては試作を7、8回繰り返すこともある。
 2001年、早稲田大学社会科学部を卒業しバンダイに入社。以来、男児用玩具企画開発一筋だ。09年から4年間は、バンダイアメリカに出向した。スーパー戦隊は、アメリカでは「パワーレンジャー」という名で20年以上放送。おもちゃも、日本と同じように販売されている。
「モットーは「楽しく仕事をする」。
「『それ、おもしろいね』『カッコいいね』と積極的に言葉で表現して、『僕らは楽しいものを作っている』ということを忘れないようにしています。納期に追われていると忘れてしまうこともまれにあるんですが……」
 同じ会社に勤める妻との間に、6歳と4歳の子どもがいる。保育園の送り迎えは交代制、週末は子どもたちとおもちゃ屋へ。
「実は、子どもが生まれる前は、“おもちゃはなくても生きていける”と思っていました。でも、子どもたちを見ているとおもちゃは必要だと思うようになった。日本だけでなくアメリカ、韓国、台湾……世界中に待っている子どもたちがいる」
 ここにも、子どもたちが憧れるべきヒーローが、いた。
(文中敬称略)

撮影:写真部・外山俊樹 文:ライター・安楽由紀子

    バンダイ
    「ヒーローはここにもいる」

    バンダイ ボーイズトイ事業部 戦隊チーム マネージャー 中野 拓 (38)
     特撮ドラマ「スーパー戦隊シリーズ」は2月にスタートした「動物戦隊ジュウオウジャー」で40作を数える。時代を反映してか5人のうちブルーとホワイトの2人が女性。しかし、リーダーはやっぱりレッドだ!
     戦隊ヒーロー&ヒロインが使う武器やロボットなどを企画するのが中野拓。7人の部下とともに、東映をはじめ関係各社と構想を練り上げ、おもちゃとして商品化する。
     準備は、番組が放送される半年以上前から始まる。「カッコいい」「簡単に遊べて楽しい」というだけではダメ。安全性にも厳しく目を光らせる。一定の基準の高さから落としても壊れないか。壊れてもケガなどの危険がないか。小さな子どもが使うものだけに、世に出るまでに厳しいテストと調整を繰り返すのだ。商品によっては試作を7、8回繰り返すこともある。
     2001年、早稲田大学社会科学部を卒業しバンダイに入社。以来、男児用玩具企画開発一筋だ。09年から4年間は、バンダイアメリカに出向した。スーパー戦隊は、アメリカでは「パワーレンジャー」という名で20年以上放送。おもちゃも、日本と同じように販売されている。
    「モットーは「楽しく仕事をする」。
    「『それ、おもしろいね』『カッコいいね』と積極的に言葉で表現して、『僕らは楽しいものを作っている』ということを忘れないようにしています。納期に追われていると忘れてしまうこともまれにあるんですが……」
     同じ会社に勤める妻との間に、6歳と4歳の子どもがいる。保育園の送り迎えは交代制、週末は子どもたちとおもちゃ屋へ。
    「実は、子どもが生まれる前は、“おもちゃはなくても生きていける”と思っていました。でも、子どもたちを見ているとおもちゃは必要だと思うようになった。日本だけでなくアメリカ、韓国、台湾……世界中に待っている子どもたちがいる」
     ここにも、子どもたちが憧れるべきヒーローが、いた。
    (文中敬称略)
    撮影:写真部・外山俊樹 文:ライター・安楽由紀子

  • コマツ建機販売「客に寄り添う太い腕」

コマツ建機販売 東京カンパニー 千葉支店 営業課長 惣田一朗(44)

 油圧ショベル、ホイールローダー、ブルドーザー、値段も数百万円から数千万円まで惣田一朗が扱う商品は「大物」ばかり。主な顧客である建設業界は縁起を担ぐことが多いので、大安の日には続々と納品される。
 4人の部下を束ねながら、自らも車を走らせ、建設会社や工務店を一日10社ほど回り道路工事、宅地の造成、解体など、顧客の目的に合う機械を売り込む。景気に大きく左右される業界だけに、新品の売り上げに鈍りを感じれば、中古やメンテナンスサービスに力を入れるなど、臨機応変さも必要だ。
 国学院大学経済学部卒業後、1997年に入社。営業一筋でキャリアを積んだ。会社が目標に掲げる「数字」は課長として当然、意識しているが、「お客様は数字ではない」。顧客企業のトップを直接訪問するケースも多く、時には厳しい言葉を受けることもある。人と人との仕事に正解はないと日々、実感しているのだ。
 「会社のブランドに甘んじず、個人名でご指名していただけるお客様を増やすことが営業マンの財産、と後輩に伝えています」
 そのためには、客の依頼には迅速、かつ的確に対応することが大切。機種によっては生産に時間をもらうこともあるが、
「『お急ぎでしたら納期の早いこちらの機械はいかがですか』『この機械は、今ご検討いただけましたら忙しい時期に間に合います』などと、数カ月、時には年単位でお客様の事業予定を予測し、具体的にご提案するように心がけています」
 現在は単身赴任中。毎週末、車で2時間ほどかけ、妻と小学6年生の娘、小学2年生の息子の待つ自宅に帰る。かつてラガーマンだったが、息子とサッカーを楽しんでも、「今は。足が思うように動かなくて」と苦笑い。
 東京五輪に向けて、建設業界は忙しい日々が続く。大きく強い「腕」の鳴りどころだ。
(文中敬称略)

撮影:写真部・東川哲也 文:ライター・安楽由紀子

    コマツ建機販売
    「客に寄り添う太い腕」

    コマツ建機販売 東京カンパニー 千葉支店 営業課長 惣田一朗(44)
     油圧ショベル、ホイールローダー、ブルドーザー、値段も数百万円から数千万円まで惣田一朗が扱う商品は「大物」ばかり。主な顧客である建設業界は縁起を担ぐことが多いので、大安の日には続々と納品される。
     4人の部下を束ねながら、自らも車を走らせ、建設会社や工務店を一日10社ほど回り道路工事、宅地の造成、解体など、顧客の目的に合う機械を売り込む。景気に大きく左右される業界だけに、新品の売り上げに鈍りを感じれば、中古やメンテナンスサービスに力を入れるなど、臨機応変さも必要だ。
     国学院大学経済学部卒業後、1997年に入社。営業一筋でキャリアを積んだ。会社が目標に掲げる「数字」は課長として当然、意識しているが、「お客様は数字ではない」。顧客企業のトップを直接訪問するケースも多く、時には厳しい言葉を受けることもある。人と人との仕事に正解はないと日々、実感しているのだ。
     「会社のブランドに甘んじず、個人名でご指名していただけるお客様を増やすことが営業マンの財産、と後輩に伝えています」
     そのためには、客の依頼には迅速、かつ的確に対応することが大切。機種によっては生産に時間をもらうこともあるが、
    「『お急ぎでしたら納期の早いこちらの機械はいかがですか』『この機械は、今ご検討いただけましたら忙しい時期に間に合います』などと、数カ月、時には年単位でお客様の事業予定を予測し、具体的にご提案するように心がけています」
     現在は単身赴任中。毎週末、車で2時間ほどかけ、妻と小学6年生の娘、小学2年生の息子の待つ自宅に帰る。かつてラガーマンだったが、息子とサッカーを楽しんでも、「今は。足が思うように動かなくて」と苦笑い。
     東京五輪に向けて、建設業界は忙しい日々が続く。大きく強い「腕」の鳴りどころだ。
    (文中敬称略)
    撮影:写真部・東川哲也 文:ライター・安楽由紀子

  • YKK
「ファスナーは未来を開ける」

YKK ファスニング事業本部 事業推進部 汎用資材戦略推進室 TFM(車両部材)グループ 戦略アイテムチーム チームリーダー 原田勝弘 (40)

 いつも何げなく座っている自動車のシートカバーに、ファスナーがついていることをご存じだろうか。開閉が目的ではない。シートを組み立てる時に効率よくカバーをかぶせることを目的とした専用ファスナーなので、カバーの裏などにひっそりある。
「目立たない構造になっているが、『こんなところにも使われている』と、もっと多くの人に知ってほしい」と語る原田勝弘は、ファスナーやボタンなど、車両用ファスニング部材のグローバル商品戦略を立てる責任者だ。
 国内外の自動車シートメーカーが顧客だが国内メーカーであっても海外で縫製されていることもあり、世界を舞台に仕事をする。ひと頃は中国が多かったが、最近は東南アジアでの縫製が増えてきた。
 ネックになるのは、やはりコミュニケーションだ。電話やメールでどんなにこまめに連絡を取り合ったつもりでも、日本と現地で話が微妙に食い違うと、ちょっとしたトラブルにつながることがある。
 そういうときは、テレビ会議の出番だ。「やはりリアルタイムで互いの顔を見て話し合うことが大切。今朝も、YKKグループの海外拠点と情報をすり合わせてきました」
 青山学院大学経営学部を1999年に卒業後、YKKに入社。台湾やドイツへの赴任経験が、今の仕事の支えにもなっている。ドイツでは車両用部材を新規事業として立ち上げた。担当した欧州自動車メーカーの車を日本の街中で見かけると、今でもそのときの喜びと苦労が昨日のことのようによみがえる。
 漁網、耐火スクリーン、明石海峡大橋の排水溝……。ファスナーは時代時代、思わぬところへと用途を広げてきた。
「今後、自動運転車などで車の構造が変われば、今のようなシートではなくなるかもしれない。そのときどういう商品で貢献できるか常に新しいことを考えていきたい」
 いつも、可能性の窓を開けることを考え続けている。
(文中敬称略)

撮影:写真部・東川哲也 文:編集部・安楽由紀子

    YKK 「ファスナーは未来を開ける」
    YKK ファスニング事業本部 事業推進部 汎用資材戦略推進室 TFM(車両部材)グループ 戦略アイテムチーム チームリーダー 原田勝弘 (40)
     いつも何げなく座っている自動車のシートカバーに、ファスナーがついていることをご存じだろうか。開閉が目的ではない。シートを組み立てる時に効率よくカバーをかぶせることを目的とした専用ファスナーなので、カバーの裏などにひっそりある。
    「目立たない構造になっているが、『こんなところにも使われている』と、もっと多くの人に知ってほしい」と語る原田勝弘は、ファスナーやボタンなど、車両用ファスニング部材のグローバル商品戦略を立てる責任者だ。
     国内外の自動車シートメーカーが顧客だが国内メーカーであっても海外で縫製されていることもあり、世界を舞台に仕事をする。ひと頃は中国が多かったが、最近は東南アジアでの縫製が増えてきた。
     ネックになるのは、やはりコミュニケーションだ。電話やメールでどんなにこまめに連絡を取り合ったつもりでも、日本と現地で話が微妙に食い違うと、ちょっとしたトラブルにつながることがある。
     そういうときは、テレビ会議の出番だ。「やはりリアルタイムで互いの顔を見て話し合うことが大切。今朝も、YKKグループの海外拠点と情報をすり合わせてきました」
     青山学院大学経営学部を1999年に卒業後、YKKに入社。台湾やドイツへの赴任経験が、今の仕事の支えにもなっている。ドイツでは車両用部材を新規事業として立ち上げた。担当した欧州自動車メーカーの車を日本の街中で見かけると、今でもそのときの喜びと苦労が昨日のことのようによみがえる。
     漁網、耐火スクリーン、明石海峡大橋の排水溝……。ファスナーは時代時代、思わぬところへと用途を広げてきた。
    「今後、自動運転車などで車の構造が変われば、今のようなシートではなくなるかもしれない。そのときどういう商品で貢献できるか常に新しいことを考えていきたい」
     いつも、可能性の窓を開けることを考え続けている。
    (文中敬称略)
    撮影:写真部・東川哲也 文:編集部・安楽由紀子

  • オートレース振興協会
「爆音響かす教え子とPR」

オートレース振興協会 広報ユニット チーム長 石澤芳幸(47)


 最高時速およそ150キロ。エンジン音をとどろかせながら、8人の選手が1周500メートルの楕円形コースを6~10周して速さを競う。公営競技の中で最もスピード感に満ちている。それがオートレースだ。
 その競技としての魅力をどうPRするか石澤芳幸=写真は合成=は、2人の部下といっしょに日々、頭をひねる。
「予算が少ないので、新聞広告の代わりにネットで仕掛けるなど、知恵を絞っています。原稿も自分で書きますし、ポスター作製からイベントの立ち合いまで、何でもやります」
 1993年、敬愛大学経済学部を卒業後、日本小型自動車振興会(現・JKA)に就職。レース開催の日取りに合わせて、選手を全国のレース場へ割り振るなどの業務を行う選手あっせん課(現・あっせん課)に配属された。その後、オートレース選手養成所、業務課などを経験し、2014年にオートレース振興協会に出向して現職に就いた。
 経歴の中で目立つのが、5回配属された選手養成所。10カ月間(現在は9カ月間)の訓練中、朝6時には起床し、競走車の整備から、エンジンの分解・組み立て、走行訓練など教官として選手候補生を指導した。メカに強かったわけではない。エンジンの組み立てなど、配属前に一通り学んだが、最初のうちは候補生に交じって必死に勉強した。
「教え子」の選手の中には、今や人気レーサーとなった元アイドルの森且行もいる。石澤が教えた多くの候補生がトップレーサーとして活躍。過酷な訓練をともに乗り越えてきた仲だからこそ、広報関係の仕事で「ちょっと頼むよ」とフランクに言えるのが財産だ。
 オートレースに限らず、公営競技は娯楽の多様化などもあって採算に苦しむ。3月には船橋オートレース場(千葉県)が廃止され、全国5場に。ファンの獲得は使命でもある。
「迫力あるエンジン音やスピード感を知ってもらえたら、ファンになっていただけると思う。そういうところをどんどんアピールしたい」 
(文中敬称略)

撮影:写真部・東川哲也 文:編集部・大川恵実

    オートレース振興協会
    「爆音響かす教え子とPR」

    オートレース振興協会 広報ユニット チーム長 石澤芳幸(47)
     最高時速およそ150キロ。エンジン音をとどろかせながら、8人の選手が1周500メートルの楕円形コースを6~10周して速さを競う。公営競技の中で最もスピード感に満ちている。それがオートレースだ。
     その競技としての魅力をどうPRするか石澤芳幸=写真は合成=は、2人の部下といっしょに日々、頭をひねる。
    「予算が少ないので、新聞広告の代わりにネットで仕掛けるなど、知恵を絞っています。原稿も自分で書きますし、ポスター作製からイベントの立ち合いまで、何でもやります」
     1993年、敬愛大学経済学部を卒業後、日本小型自動車振興会(現・JKA)に就職。レース開催の日取りに合わせて、選手を全国のレース場へ割り振るなどの業務を行う選手あっせん課(現・あっせん課)に配属された。その後、オートレース選手養成所、業務課などを経験し、2014年にオートレース振興協会に出向して現職に就いた。
     経歴の中で目立つのが、5回配属された選手養成所。10カ月間(現在は9カ月間)の訓練中、朝6時には起床し、競走車の整備から、エンジンの分解・組み立て、走行訓練など教官として選手候補生を指導した。メカに強かったわけではない。エンジンの組み立てなど、配属前に一通り学んだが、最初のうちは候補生に交じって必死に勉強した。
    「教え子」の選手の中には、今や人気レーサーとなった元アイドルの森且行もいる。石澤が教えた多くの候補生がトップレーサーとして活躍。過酷な訓練をともに乗り越えてきた仲だからこそ、広報関係の仕事で「ちょっと頼むよ」とフランクに言えるのが財産だ。
     オートレースに限らず、公営競技は娯楽の多様化などもあって採算に苦しむ。3月には船橋オートレース場(千葉県)が廃止され、全国5場に。ファンの獲得は使命でもある。
    「迫力あるエンジン音やスピード感を知ってもらえたら、ファンになっていただけると思う。そういうところをどんどんアピールしたい」
    (文中敬称略)
    撮影:写真部・東川哲也 文:編集部・大川恵実

  • 
アデランス
「同じものでも表情変わる」

アデランス 東京営業部(フォンテーヌ担当) 販売課長 榎本真理(47)


 11人の女性が同じウィッグをつけ、同じヘアスタイルでズラッと並んでもらう──それがこの記事の最初の企画だった。ウィッグのセットが完了した姿を見て、驚いた。同じウィッグなのに、それぞれ違う雰囲気になっている! その理由を榎本真理=写真先頭=に、問うと、
「顔の形や雰囲気など、その人に似合うようにウィッグをカットしたり、スタイリングを変えたりしますので」
 使ってもらったフォンテーヌのウィッグはファッショナブルなデザインで、専門のスタッフが一人ひとりに合わせて調整することにこだわる。アデランスというと男性のかつらのイメージが強いが、いま顧客の半数以上が女性。髪のボリュームを出したり、おしゃれを楽しんだり、気軽に使われる。
 榎本は高校卒業後、電気機器メーカーを経て、1989年にフォンテーヌ(現・アデランス)に入社。多摩センター三越、東武百貨店池袋店、伊勢丹新宿店など、東京の店舗で23年間、ウィッグの販売を担当した。
「髪形が変わると、女性って変わるんです。それがおもしろかった」
 顧客のウィッグを調整する間は、コミュニケーションを大事にした。どんな人との会話にも困らないように、朝はニュースや情報番組のチェックに始まり、何紙かの新聞に必ず目を通し、月に5、6冊は雑誌を買った。
 2012年、販売のチーフからエリアマネージャーとなり、翌年に現職。現在は、3人のエリアリーダーをまとめながら、都内を中心に25店舗の売り上げや、店や販売員の改善点をチェックして回る。部下も販売員も女性ばかり。いかに信頼されるかが重要だ。
「どうしても悪いところが目についてしまうことがある。でも、必ずいいところを見つけそこを生かしつつ、アドバイスするようにしています」
 女性たちの奮闘こそが、ブランドを支えている。親子3世代にウィッグを使ってもらうことが榎本の夢だ。
(文中敬称略)

撮影:写真部・東川哲也 文:編集部・大川恵実

    アデランス
    「同じものでも表情変わる」

    アデランス 東京営業部(フォンテーヌ担当) 販売課長 榎本真理(47)
     11人の女性が同じウィッグをつけ、同じヘアスタイルでズラッと並んでもらう──それがこの記事の最初の企画だった。ウィッグのセットが完了した姿を見て、驚いた。同じウィッグなのに、それぞれ違う雰囲気になっている! その理由を榎本真理=写真先頭=に、問うと、
    「顔の形や雰囲気など、その人に似合うようにウィッグをカットしたり、スタイリングを変えたりしますので」
     使ってもらったフォンテーヌのウィッグはファッショナブルなデザインで、専門のスタッフが一人ひとりに合わせて調整することにこだわる。アデランスというと男性のかつらのイメージが強いが、いま顧客の半数以上が女性。髪のボリュームを出したり、おしゃれを楽しんだり、気軽に使われる。
     榎本は高校卒業後、電気機器メーカーを経て、1989年にフォンテーヌ(現・アデランス)に入社。多摩センター三越、東武百貨店池袋店、伊勢丹新宿店など、東京の店舗で23年間、ウィッグの販売を担当した。
    「髪形が変わると、女性って変わるんです。それがおもしろかった」
     顧客のウィッグを調整する間は、コミュニケーションを大事にした。どんな人との会話にも困らないように、朝はニュースや情報番組のチェックに始まり、何紙かの新聞に必ず目を通し、月に5、6冊は雑誌を買った。
     2012年、販売のチーフからエリアマネージャーとなり、翌年に現職。現在は、3人のエリアリーダーをまとめながら、都内を中心に25店舗の売り上げや、店や販売員の改善点をチェックして回る。部下も販売員も女性ばかり。いかに信頼されるかが重要だ。
    「どうしても悪いところが目についてしまうことがある。でも、必ずいいところを見つけそこを生かしつつ、アドバイスするようにしています」
     女性たちの奮闘こそが、ブランドを支えている。親子3世代にウィッグを使ってもらうことが榎本の夢だ。
    (文中敬称略)
    撮影:写真部・東川哲也 文:編集部・大川恵実

  • 日野自動車
「エンジン、クールに制御」

日野自動車 制御設計室 エンジン設計部 エンジン制御設計グループ長 名越勝之(45)


 名越勝之は、子どものときに魅せられて以来、根っからのクルマ好きだ。武蔵工業大学(現・東京都市大学)ではエンジンを研究し、1996年に日野自動車に入社。99年にエンジン設計部に配属されて以降、エンジン一筋の会社員人生を送る。
「ずっとエンジンに携わってこられて、幸せだなあといつも思っています」
 国内で一般に販売されている自動車のエンジンは、電子制御化が主流。日野自動車が主力とするトラックやバスに搭載されているディーゼルエンジンも、性能や燃費の向上に加えて、排ガスをよりクリーンにするため、センサーを駆使して細かく燃焼を制御する。名越が担当するのは、すべての車種のエンジン制御。この分野では「社内一、知っている」と自負する。
「もちろん失敗はあります。その調査のために全国の販売会社を飛び回った時などは落ち込みますが、引きずったってしょうがない。気持ちを切り替え、早く不具合を直すことに専念するようにしています」
 入社したての若い部下たちにも、苦労や失敗をしても「一番」と胸を張れるようになってほしいと、それぞれに合った適切なアドバイスをするよう心がけているという。
「世界一過酷」といわれるダカールラリー出場車のエンジンも担当している。2週間で約1万キロを走るレース専用車のエンジンは、一般車と違い、まず出力の大きさが求められる。名越は2012年からプロジェクトに携わり、14年からはエンジニアとして3年連続出場。サポートカーに乗り、その場でソフトをチューニングしてドライバーを支え、排気量10リットル未満クラス7連覇に貢献した。
「通常の業務にプラスしてなので大変だけど、プライベートのような気持ちで楽しんでいます」
 まさに「フルスロットル」の日々だが、週末は息子とのんびり過ごす。だからこそ仕事もがんばれるのだと思っている。
(文中敬称略)

撮影:写真部・東川哲也 文:ライター・安楽由紀子

    日野自動車
    「エンジン、クールに制御」

    日野自動車 制御設計室 エンジン設計部 エンジン制御設計グループ長 名越勝之(45)
     名越勝之は、子どものときに魅せられて以来、根っからのクルマ好きだ。武蔵工業大学(現・東京都市大学)ではエンジンを研究し、1996年に日野自動車に入社。99年にエンジン設計部に配属されて以降、エンジン一筋の会社員人生を送る。
    「ずっとエンジンに携わってこられて、幸せだなあといつも思っています」
     国内で一般に販売されている自動車のエンジンは、電子制御化が主流。日野自動車が主力とするトラックやバスに搭載されているディーゼルエンジンも、性能や燃費の向上に加えて、排ガスをよりクリーンにするため、センサーを駆使して細かく燃焼を制御する。名越が担当するのは、すべての車種のエンジン制御。この分野では「社内一、知っている」と自負する。
    「もちろん失敗はあります。その調査のために全国の販売会社を飛び回った時などは落ち込みますが、引きずったってしょうがない。気持ちを切り替え、早く不具合を直すことに専念するようにしています」
     入社したての若い部下たちにも、苦労や失敗をしても「一番」と胸を張れるようになってほしいと、それぞれに合った適切なアドバイスをするよう心がけているという。
    「世界一過酷」といわれるダカールラリー出場車のエンジンも担当している。2週間で約1万キロを走るレース専用車のエンジンは、一般車と違い、まず出力の大きさが求められる。名越は2012年からプロジェクトに携わり、14年からはエンジニアとして3年連続出場。サポートカーに乗り、その場でソフトをチューニングしてドライバーを支え、排気量10リットル未満クラス7連覇に貢献した。
    「通常の業務にプラスしてなので大変だけど、プライベートのような気持ちで楽しんでいます」
     まさに「フルスロットル」の日々だが、週末は息子とのんびり過ごす。だからこそ仕事もがんばれるのだと思っている。
    (文中敬称略)
    撮影:写真部・東川哲也 文:ライター・安楽由紀子

  • 江戸東京たてもの園
「古い建物管理に踊る目線」

江戸東京たてもの園 園長 飯塚晴美(49)

「銭湯の女風呂から人が消える」と言われるほど人気だったラジオドラマ「君の名は」の放送が始まったのが1952年。その23年前に開業した「子宝湯」は、当時の銭湯文化を今に伝える「証人」だ。
 建物は神社仏閣を思わせるようなつくりで、玄関上には七福神の彫刻があるなど、贅を尽くしている。93年に、江戸東京たてもの園に移築された。今は、湯は出ないが。
 江戸東京たてもの園には子宝湯を始め、江戸時代前期から戦後までに建てられ、現地保存が不可能な歴史的建造物30棟が移築され、公開されている。映画「千と千尋の神隠し」に登場する建物のモデルにもなった「武居三省堂」(文具店)もある。
 園長の飯塚晴美=写真右端=の重要な仕事の一つが、これら建物の管理、修復だ。
「古い建物なので、結構、傷んできてもいるんです。ただ、建築技法やデザインなどが珍しく貴重な建物ばかり。どうやって修理すればいいのか、頭を悩ませています」
 8人の職員とともに、建築の専門家や学芸員などと相談しながら、最適な修復方法を探っていく。
 飯塚は、大学時代に中央ヨーロッパやバルカン地方の踊りに興味を持ち、お茶の水女子大学大学院で舞踊教育学を修了。民俗舞踊の調査のため、ハンガリーへ留学したこともある。大学院時代に、学芸員の資格取得のために、大阪府にある国立民族学博物館に実習に行き、そこで「作品」の持つ力に圧倒された。
 93年、学芸員として江戸東京歴史財団(現・東京都歴史文化財団)に就職すると、財団の運営する江戸東京博物館の展示や資料収集、東京都庭園美術館の管理運営などを担当し、昨年、現職に就いた。
「建築の専門家ではないのですが、知らない人の目線で歴史や文化などを解説できるので、そこは強みです」
 古きよき建物の持つ力を大事にしつつ、新しいことにチャレンジしていくつもりだ。
(文中敬称略)
(ライター・安楽由紀子 写真・写真部・東川哲也)

    江戸東京たてもの園
    「古い建物管理に踊る目線」

    江戸東京たてもの園 園長 飯塚晴美(49)
    「銭湯の女風呂から人が消える」と言われるほど人気だったラジオドラマ「君の名は」の放送が始まったのが1952年。その23年前に開業した「子宝湯」は、当時の銭湯文化を今に伝える「証人」だ。
     建物は神社仏閣を思わせるようなつくりで、玄関上には七福神の彫刻があるなど、贅を尽くしている。93年に、江戸東京たてもの園に移築された。今は、湯は出ないが。
     江戸東京たてもの園には子宝湯を始め、江戸時代前期から戦後までに建てられ、現地保存が不可能な歴史的建造物30棟が移築され、公開されている。映画「千と千尋の神隠し」に登場する建物のモデルにもなった「武居三省堂」(文具店)もある。
     園長の飯塚晴美=写真右端=の重要な仕事の一つが、これら建物の管理、修復だ。
    「古い建物なので、結構、傷んできてもいるんです。ただ、建築技法やデザインなどが珍しく貴重な建物ばかり。どうやって修理すればいいのか、頭を悩ませています」
     8人の職員とともに、建築の専門家や学芸員などと相談しながら、最適な修復方法を探っていく。
     飯塚は、大学時代に中央ヨーロッパやバルカン地方の踊りに興味を持ち、お茶の水女子大学大学院で舞踊教育学を修了。民俗舞踊の調査のため、ハンガリーへ留学したこともある。大学院時代に、学芸員の資格取得のために、大阪府にある国立民族学博物館に実習に行き、そこで「作品」の持つ力に圧倒された。
     93年、学芸員として江戸東京歴史財団(現・東京都歴史文化財団)に就職すると、財団の運営する江戸東京博物館の展示や資料収集、東京都庭園美術館の管理運営などを担当し、昨年、現職に就いた。
    「建築の専門家ではないのですが、知らない人の目線で歴史や文化などを解説できるので、そこは強みです」
     古きよき建物の持つ力を大事にしつつ、新しいことにチャレンジしていくつもりだ。
    (文中敬称略)
    (ライター・安楽由紀子 写真・写真部・東川哲也)

  • 日本紙パルプ商事
「出版業界支える紙の力」

日本紙パルプ商事 新聞・出版営業本部 出版一部 出版三課 課長 藤嶋章人(45)


 私たちに何ができるのだろう。2011年3月11日の東日本大震災。日に日に大きくなっていく被害を見ながら、誰もがそんな思いを胸に抱いていたことだろう。出版社はすぐに、震災関連の雑誌や書籍を緊急出版しようと動き出した。しかし直後、難しいかもしれない、との情報が駆け巡る。東北地方には出版社向けの紙の工場が多く、大きな被害を受けていた。紙が用意できないかもしれない、と。
 出版できるのか、できないのか。藤嶋章人は、紙を確保するために駆けずり回った。東北がダメでも、西日本にある他のメーカーから入手できないか。同時に、紙を運ぶトラックの手配もしなくてはならない。
「こんなことをしている場合なのか、と悩む人もいました。けれども、この震災は紙で残さないといけないんだと、出版社さんのこだわりが強かった。その思いに応えたかった」
 やがて、書店には大震災を記録する数多くの雑誌や、防災のための書籍が並んだ。藤嶋は、この時期に予定されたすべての担当出版物の紙を遅れずに供給した。
「日頃から、私たちはメーカーさんとの関係を強固にして、お客様が必要としているものを察知したらとにかく行動していた。それが、強みになったかもしれません」
 成蹊大学経済学部卒業後、1993年に入社。仕入部を経て、2000年に新聞・出版営業本部に異動。以降16年間、営業マンとして、担当する出版社への紙の安定供給を始め、編集者やデザイナーが求めているイメージに近い紙の提案や、急な出版物にも対応できるように必要な紙を切らさないなどの心配りをしている。現職に就いたのは震災の年。6人の部下を率いる。
「管理職になったのと、異動と震災とが同じタイミングで、大変でした」
 ネットが発達し、本は売れない時代とされる。けれども、まだまだやりようはあるはずだ。出版界の「縁の下の力持ち」は、紙の力を信じている。
(文中敬称略)

撮影:写真部・外山俊樹 文:編集部・大川恵実

    日本紙パルプ商事
    「出版業界支える紙の力」

    日本紙パルプ商事 新聞・出版営業本部 出版一部 出版三課 課長 藤嶋章人(45)
     私たちに何ができるのだろう。2011年3月11日の東日本大震災。日に日に大きくなっていく被害を見ながら、誰もがそんな思いを胸に抱いていたことだろう。出版社はすぐに、震災関連の雑誌や書籍を緊急出版しようと動き出した。しかし直後、難しいかもしれない、との情報が駆け巡る。東北地方には出版社向けの紙の工場が多く、大きな被害を受けていた。紙が用意できないかもしれない、と。
     出版できるのか、できないのか。藤嶋章人は、紙を確保するために駆けずり回った。東北がダメでも、西日本にある他のメーカーから入手できないか。同時に、紙を運ぶトラックの手配もしなくてはならない。
    「こんなことをしている場合なのか、と悩む人もいました。けれども、この震災は紙で残さないといけないんだと、出版社さんのこだわりが強かった。その思いに応えたかった」
     やがて、書店には大震災を記録する数多くの雑誌や、防災のための書籍が並んだ。藤嶋は、この時期に予定されたすべての担当出版物の紙を遅れずに供給した。
    「日頃から、私たちはメーカーさんとの関係を強固にして、お客様が必要としているものを察知したらとにかく行動していた。それが、強みになったかもしれません」
     成蹊大学経済学部卒業後、1993年に入社。仕入部を経て、2000年に新聞・出版営業本部に異動。以降16年間、営業マンとして、担当する出版社への紙の安定供給を始め、編集者やデザイナーが求めているイメージに近い紙の提案や、急な出版物にも対応できるように必要な紙を切らさないなどの心配りをしている。現職に就いたのは震災の年。6人の部下を率いる。
    「管理職になったのと、異動と震災とが同じタイミングで、大変でした」
     ネットが発達し、本は売れない時代とされる。けれども、まだまだやりようはあるはずだ。出版界の「縁の下の力持ち」は、紙の力を信じている。
    (文中敬称略)
    撮影:写真部・外山俊樹 文:編集部・大川恵実

  • 商船三井客船
「気配りの2代目『海の女』」

商船三井客船 マネージャー 森田純子 (46)


 1990年に就航し、現在3代目になる豪華客船「にっぽん丸」。楽しみの一つが、朝、昼、夜の食事だろう。8階まである客船には様々な食事場所があるが、その中でもメインとなるダイニングを統括しているのが森田純子だ。
「父親も船乗りでして、働くステージが海っていいなと思いました」
 職業柄、海での生活が1年の半分以上を占める。入社間もないころには船酔いに苦しんだが、「船酔いは病気じゃない。弱音を吐くな」と励まされた。今では、プライベートで海外旅行をするときも、海のある国を選ぶ。
 高校を卒業し、88年に入社。客室担当や船内ショップの裏方、バーテンダーなどを経て、2014年7月から現職。フィリピン人スタッフが3分の2以上在籍する10~30人のダイニングチームをまとめる。
 夕食前になると、「オーシャンダイニング春日」の入り口に、乗客を出迎える森田の姿があった。長いクルーズの場合、食欲の有無や食事時間が遅れていないかなど、一人ひとりの細かいところまで気を配る。
「ご利用されるお客様70人ほどの顔や名前などを2日目の食事までに覚えるようにしています」
 日本酒好き、赤ワインは好みでも酸味のあるタイプは苦手など、乗客ごとの好みに合ったものを提案するだけではなく、食物アレルギーの有無も把握し、あらゆる人に心地良い時間を過ごしてもらいたいと思う。
「日々勉強です。サービスに終わりはありませんから」
 大型連休最終日の5月8日。取材後、にっぽん丸は東京・晴海埠頭から神戸、九州、山陰を経て、ロシアのウラジオストクへ回り、東北地方経由で東京へと戻る13日間の船旅へと旅立っていった。
「何回でもお帰りいただいて、にっぽん丸を別荘代わりにしてほしいですね」
(文中敬称略)

撮影:門間新弥 文:編集部・小野ヒデコ

    商船三井客船
    「気配りの2代目『海の女』」

    商船三井客船 マネージャー 森田純子 (46)
     1990年に就航し、現在3代目になる豪華客船「にっぽん丸」。楽しみの一つが、朝、昼、夜の食事だろう。8階まである客船には様々な食事場所があるが、その中でもメインとなるダイニングを統括しているのが森田純子だ。
    「父親も船乗りでして、働くステージが海っていいなと思いました」
     職業柄、海での生活が1年の半分以上を占める。入社間もないころには船酔いに苦しんだが、「船酔いは病気じゃない。弱音を吐くな」と励まされた。今では、プライベートで海外旅行をするときも、海のある国を選ぶ。
     高校を卒業し、88年に入社。客室担当や船内ショップの裏方、バーテンダーなどを経て、2014年7月から現職。フィリピン人スタッフが3分の2以上在籍する10~30人のダイニングチームをまとめる。
     夕食前になると、「オーシャンダイニング春日」の入り口に、乗客を出迎える森田の姿があった。長いクルーズの場合、食欲の有無や食事時間が遅れていないかなど、一人ひとりの細かいところまで気を配る。
    「ご利用されるお客様70人ほどの顔や名前などを2日目の食事までに覚えるようにしています」
     日本酒好き、赤ワインは好みでも酸味のあるタイプは苦手など、乗客ごとの好みに合ったものを提案するだけではなく、食物アレルギーの有無も把握し、あらゆる人に心地良い時間を過ごしてもらいたいと思う。
    「日々勉強です。サービスに終わりはありませんから」
     大型連休最終日の5月8日。取材後、にっぽん丸は東京・晴海埠頭から神戸、九州、山陰を経て、ロシアのウラジオストクへ回り、東北地方経由で東京へと戻る13日間の船旅へと旅立っていった。
    「何回でもお帰りいただいて、にっぽん丸を別荘代わりにしてほしいですね」
    (文中敬称略)
    撮影:門間新弥 文:編集部・小野ヒデコ

  • コナミスポーツクラブ
「勝つために走り続ける」

コナミスポーツクラブ 人事部 人事企画グループ 統括マネージャー 山田麻優子(32)


 身長157センチ。中学生からのめりこんだバスケットボールは、背の高くない山田麻優子=写真左端=に対し、常に「どう戦うか」を突きつけてきた。ゴール下では競り負けるから、3ポイントが狙える長距離のシュートを磨いたり、司令塔の役割を担ったり。
 青山学院大学国際政治経済学部を選んだのも、強いバスケ部に入りたかったから。チームメートにはスポーツ推薦で入った人も多い。プレーでは劣ることもあるが、副キャプテンに。部員の日々の変化には敏感でいようと心がけ、気持ちがプレーに向いていないような人には声をかけるようにした。
「バスケはチームプレーなので、人間関係や気持ちがプレーに影響するんです。私自身は、練習に向かう姿勢は絶対に一番でいようと思っていました」
 “負“をバネに戦ってきた姿勢は、仕事にも生きる。大学卒業後、2006年にコナミスポーツクラブに入社すると、受託開発部に配属。その3年前に地方自治法が改正され、スポーツセンターなどの公共施設を民間企業が管理運営できるようになり、会社が新たに取り組んだ事業を受け持った。
 契約を獲得するために、何度も現場へ足を運び、どんな運営が求められているか、全国各地で声を聞き続けた。相手はベテランも多く、最初は相手にされないこともあったが、仕事に必要な知識を必死に勉強。次第に、耳を傾けてもらえるようになった。
 そうやって時間をかけて手に入れた情報をもとに企画書を作り、コンペに挑む。「勝率」は約8割を誇る。
「相手の立場に立って、相手にとって最も良い提案を考え尽くすことが大事ですね」
 この4月に、入社以来10年いた部署を離れ人事部に。部下は5人。人事制度の構築や採用、人材育成など、新しいフィールドでの「試合」が始まっている。
「走ることをやめたら負けてしまう。進化し続けていきたい」

(文中敬称略)

撮影:写真部・東川哲也 文:編集部・大川恵実

    コナミスポーツクラブ
    「勝つために走り続ける」

    コナミスポーツクラブ 人事部 人事企画グループ 統括マネージャー 山田麻優子(32)
     身長157センチ。中学生からのめりこんだバスケットボールは、背の高くない山田麻優子=写真左端=に対し、常に「どう戦うか」を突きつけてきた。ゴール下では競り負けるから、3ポイントが狙える長距離のシュートを磨いたり、司令塔の役割を担ったり。
     青山学院大学国際政治経済学部を選んだのも、強いバスケ部に入りたかったから。チームメートにはスポーツ推薦で入った人も多い。プレーでは劣ることもあるが、副キャプテンに。部員の日々の変化には敏感でいようと心がけ、気持ちがプレーに向いていないような人には声をかけるようにした。
    「バスケはチームプレーなので、人間関係や気持ちがプレーに影響するんです。私自身は、練習に向かう姿勢は絶対に一番でいようと思っていました」
     “負“をバネに戦ってきた姿勢は、仕事にも生きる。大学卒業後、2006年にコナミスポーツクラブに入社すると、受託開発部に配属。その3年前に地方自治法が改正され、スポーツセンターなどの公共施設を民間企業が管理運営できるようになり、会社が新たに取り組んだ事業を受け持った。
     契約を獲得するために、何度も現場へ足を運び、どんな運営が求められているか、全国各地で声を聞き続けた。相手はベテランも多く、最初は相手にされないこともあったが、仕事に必要な知識を必死に勉強。次第に、耳を傾けてもらえるようになった。
     そうやって時間をかけて手に入れた情報をもとに企画書を作り、コンペに挑む。「勝率」は約8割を誇る。
    「相手の立場に立って、相手にとって最も良い提案を考え尽くすことが大事ですね」
     この4月に、入社以来10年いた部署を離れ人事部に。部下は5人。人事制度の構築や採用、人材育成など、新しいフィールドでの「試合」が始まっている。
    「走ることをやめたら負けてしまう。進化し続けていきたい」
    (文中敬称略)
    撮影:写真部・東川哲也 文:編集部・大川恵実

  • イケア・ジャパン
「倉庫走るスシプリンセス」

イケア・ジャパン  IKEA新三郷 In-store Logistics Goods Flow Manager 松下美穂(24)


 スウェーデン発祥の家具販売店、イケア。4万平方メートルの店内には1万点近い商品が並べられている。その在庫を管理し、14人の部下を統括するのが松下美穂だ。入社5年目。自らフォークリフトを乗りこなし、週末にはサーフィンを楽しむ姿はパワフルでエネルギッシュそのもの。
 短大時代、カナダやイギリスなどに留学し、よく海外をひとり旅した。将来像が思い描けず行き詰まっていた卒業間近、旅先で見かけることが多かったイケアで働いてみることにした。2012年2月のことだ。
 入社後、社内公募を利用してキャリアアップ。その中で、1年間海外で働く「バックパッカー制度」の存在を知り、応募。日本から行けるのは半年に1人だけだが、狭き門をくぐり抜けた。
 赴任したのは、米国フィラデルフィアの物流部門。日々繰り返される棚卸しで、在庫管理の精度を向上させるプロジェクトを担当した。経験や語学力に不安が残る中、人種も年齢も様々な20人を引っ張った。
「信頼を得ないまま物事を進めてしまい、何度も衝突しました。結果を出さないといけないというプレッシャーがあったんです」
 それでも話し合いを重ね、時には譲歩。「飲みにケーション」も実践すると、1カ月ほどで徐々に結果が伴うようになった。結局、予想を上回る3カ月で目標を達成。残りの期間は別のプロジェクトを自ら立ち上げ、さらに在庫管理の精度を高める新しい基礎を築くまでになった。
「最初は、“sushi princess”と馬鹿にされていましたが、最後はそれが愛着のあるニックネームに変わりました」
 人と仲良くなるスピードがほかの人より速いと笑顔で話す。その言葉通り、カメラマンが注文するポーズにもノリノリで応え、撮影のための特別なセッティングの力も借りて、無機質な倉庫をビーチの雰囲気に変えた。
 そのバイタリティーで、海外店のマネジャーを任されるのが次の目標だ。
(文中敬称略)

撮影:写真部・東川哲也 文:編集部・小野ヒデコ

    イケア・ジャパン 「倉庫走るスシプリンセス」
    イケア・ジャパン  IKEA新三郷 In-store Logistics Goods Flow Manager 松下美穂(24)
     スウェーデン発祥の家具販売店、イケア。4万平方メートルの店内には1万点近い商品が並べられている。その在庫を管理し、14人の部下を統括するのが松下美穂だ。入社5年目。自らフォークリフトを乗りこなし、週末にはサーフィンを楽しむ姿はパワフルでエネルギッシュそのもの。
     短大時代、カナダやイギリスなどに留学し、よく海外をひとり旅した。将来像が思い描けず行き詰まっていた卒業間近、旅先で見かけることが多かったイケアで働いてみることにした。2012年2月のことだ。
     入社後、社内公募を利用してキャリアアップ。その中で、1年間海外で働く「バックパッカー制度」の存在を知り、応募。日本から行けるのは半年に1人だけだが、狭き門をくぐり抜けた。
     赴任したのは、米国フィラデルフィアの物流部門。日々繰り返される棚卸しで、在庫管理の精度を向上させるプロジェクトを担当した。経験や語学力に不安が残る中、人種も年齢も様々な20人を引っ張った。
    「信頼を得ないまま物事を進めてしまい、何度も衝突しました。結果を出さないといけないというプレッシャーがあったんです」
     それでも話し合いを重ね、時には譲歩。「飲みにケーション」も実践すると、1カ月ほどで徐々に結果が伴うようになった。結局、予想を上回る3カ月で目標を達成。残りの期間は別のプロジェクトを自ら立ち上げ、さらに在庫管理の精度を高める新しい基礎を築くまでになった。
    「最初は、“sushi princess”と馬鹿にされていましたが、最後はそれが愛着のあるニックネームに変わりました」
     人と仲良くなるスピードがほかの人より速いと笑顔で話す。その言葉通り、カメラマンが注文するポーズにもノリノリで応え、撮影のための特別なセッティングの力も借りて、無機質な倉庫をビーチの雰囲気に変えた。
     そのバイタリティーで、海外店のマネジャーを任されるのが次の目標だ。
    (文中敬称略)
    撮影:写真部・東川哲也 文:編集部・小野ヒデコ

  • カゴメ
「振り向けば赤いヤツが」

カゴメ 農事業本部課長、いわき小名浜菜園社長 永田智靖(49)


 ケチャップで有名なカゴメが扱っているのは、トマトの加工食品だけではない。生のトマトも作っている。2015年には国内シェアで3%弱に当たる約1.7万トンを出荷した。約40ある生産拠点の一つが、福島県のいわき小名浜菜園。コンピューターで温度や湿度、二酸化炭素(CO2)濃度、養液を管理する、アジア最大級の温室トマト栽培施設だ。カゴメでは課長の永田智靖は、小名浜菜園に出向して社長を務める。
 トマトは気候などで日ごとに状態が変わる。対応が遅れれば病気が発生したり、成長が止まったりしかねない。最新ハイテク施設のこの菜園でも最後は、人間の経験と感覚が頼りだ。
「『トマトと対話できる人材』を育てることが、自分の役目」
 だから、最繁忙期の6月には派遣も含めて250人にもなるスタッフに対して、いちいち問題点を指摘することは避け、やる気を伸ばすことを心がけている。
 神戸大学農学部でトマトの追熟(収穫後に完熟させること)を研究し、1990年にカゴメ入社。98年に生鮮野菜事業部ができると、翌年そこに加わった。和歌山市の加太菜園の代表取締役を経て14年、小名浜菜園へ来た。
「栽培が楽しい」というシンプルな情熱に突き動かされた学生時代以来30年、振り向けばいつもトマトがあった。ストレス解消法も、東京で暮らす妻と2人の子どもに休日に会うことに加えて、「トマトを食べること」。1日平均5個は食べる。
 東京ドーム2個分の広さを誇る小名浜菜園の建設には、100人を超える地権者の理解があったと思う。だからこそ、「地元に貢献し、日本のトマト作りを世界レベルの産業にしたい。『きれいごと』と言われるかもしれないけど、そのきれいごとを描ききりたい」と言い切る。
 厳しくなれないことが弱点と自己分析するように、語り口は穏やか。だが、胸中は情熱の赤で輝いている。
(文中敬称略)

撮影:写真部・東川哲也 文:ライター・安楽由紀子

    カゴメ 「振り向けば赤いヤツが」
    カゴメ 農事業本部課長、いわき小名浜菜園社長 永田智靖(49)
     ケチャップで有名なカゴメが扱っているのは、トマトの加工食品だけではない。生のトマトも作っている。2015年には国内シェアで3%弱に当たる約1.7万トンを出荷した。約40ある生産拠点の一つが、福島県のいわき小名浜菜園。コンピューターで温度や湿度、二酸化炭素(CO2)濃度、養液を管理する、アジア最大級の温室トマト栽培施設だ。カゴメでは課長の永田智靖は、小名浜菜園に出向して社長を務める。
     トマトは気候などで日ごとに状態が変わる。対応が遅れれば病気が発生したり、成長が止まったりしかねない。最新ハイテク施設のこの菜園でも最後は、人間の経験と感覚が頼りだ。
    「『トマトと対話できる人材』を育てることが、自分の役目」
     だから、最繁忙期の6月には派遣も含めて250人にもなるスタッフに対して、いちいち問題点を指摘することは避け、やる気を伸ばすことを心がけている。
     神戸大学農学部でトマトの追熟(収穫後に完熟させること)を研究し、1990年にカゴメ入社。98年に生鮮野菜事業部ができると、翌年そこに加わった。和歌山市の加太菜園の代表取締役を経て14年、小名浜菜園へ来た。
    「栽培が楽しい」というシンプルな情熱に突き動かされた学生時代以来30年、振り向けばいつもトマトがあった。ストレス解消法も、東京で暮らす妻と2人の子どもに休日に会うことに加えて、「トマトを食べること」。1日平均5個は食べる。
     東京ドーム2個分の広さを誇る小名浜菜園の建設には、100人を超える地権者の理解があったと思う。だからこそ、「地元に貢献し、日本のトマト作りを世界レベルの産業にしたい。『きれいごと』と言われるかもしれないけど、そのきれいごとを描ききりたい」と言い切る。
     厳しくなれないことが弱点と自己分析するように、語り口は穏やか。だが、胸中は情熱の赤で輝いている。
    (文中敬称略)
    撮影:写真部・東川哲也 文:ライター・安楽由紀子

  • ヴィレッジヴァンガードコーポレーション
「祭りも仕事も一生懸命」

ヴィレッジヴァンガードコーポレーション 営業部 エリアマネージャー 植田将行(33)


 今でも初めて行ったときの衝撃を、植田将行=写真中央奥=は覚えている。高校生のとき、“ツレ”が朝からテンション高く話しかけてきた。
「将行、死体が載ってる本が置いてある本屋を見つけたぞ!」
 学校が終わると2人はダッシュで本屋へ。それが、大阪・アメリカ村のヴィレッジヴァンガードだった。
 今でこそ、死体が載っているような本は置かないが、「遊べる本屋」として、本はもちろんのこと、お菓子やお香、おもちゃ、入浴剤など、個性的な商品が所狭しと置かれるスタイルは変わっていない。
「ヴィレッジヴァンガードで買い物をするのは、すごいステータスでした」
 生まれも育ちも大阪・岸和田。桃山学院高校に在学中、だんじり祭りの青年団に入った。だんじりの練習や会合に没頭するあまり、大学進学はせず、高校卒業後はカラオケ店や引っ越し屋、トラックの運転手などの仕事を転々とした。
 転機は20歳のとき。ヴィレッジヴァンガードがアルバイトを募集していたのだ。すぐに応募、2日後には現・イオンモールりんくう泉南店(大阪府)で働き始めた。
「1年半はフラフラと働いていました。祭りのことしか考えてなかったので(笑)」
 けれども、祭りをあきらめずに正社員になれることを知ると、がぜん仕事に注力するようになる。その働きぶりが認められ、2007年、店長に昇格。その約10カ月後、売り上げを伸ばした植田は社員採用となった。
 エリアマネージャーになったのは4年前。この4月に関東エリアの担当になり、東京に引っ越してきた。千葉、東京西部、お台場など9店舗の売り上げ向上のために奔走する。
「めっちゃ楽しいですよ。でもやっぱり、祭りが一番なんですが」
 祭りも仕事も、本気を出したときの植田は無敵だ。
(文中敬称略)
撮影:写真部・東川哲也 文:編集部・大川恵実

    ヴィレッジヴァンガードコーポレーション
    「祭りも仕事も一生懸命」

    ヴィレッジヴァンガードコーポレーション 営業部 エリアマネージャー 植田将行(33)
     今でも初めて行ったときの衝撃を、植田将行=写真中央奥=は覚えている。高校生のとき、“ツレ”が朝からテンション高く話しかけてきた。
    「将行、死体が載ってる本が置いてある本屋を見つけたぞ!」
     学校が終わると2人はダッシュで本屋へ。それが、大阪・アメリカ村のヴィレッジヴァンガードだった。
     今でこそ、死体が載っているような本は置かないが、「遊べる本屋」として、本はもちろんのこと、お菓子やお香、おもちゃ、入浴剤など、個性的な商品が所狭しと置かれるスタイルは変わっていない。
    「ヴィレッジヴァンガードで買い物をするのは、すごいステータスでした」
     生まれも育ちも大阪・岸和田。桃山学院高校に在学中、だんじり祭りの青年団に入った。だんじりの練習や会合に没頭するあまり、大学進学はせず、高校卒業後はカラオケ店や引っ越し屋、トラックの運転手などの仕事を転々とした。
     転機は20歳のとき。ヴィレッジヴァンガードがアルバイトを募集していたのだ。すぐに応募、2日後には現・イオンモールりんくう泉南店(大阪府)で働き始めた。
    「1年半はフラフラと働いていました。祭りのことしか考えてなかったので(笑)」
     けれども、祭りをあきらめずに正社員になれることを知ると、がぜん仕事に注力するようになる。その働きぶりが認められ、2007年、店長に昇格。その約10カ月後、売り上げを伸ばした植田は社員採用となった。
     エリアマネージャーになったのは4年前。この4月に関東エリアの担当になり、東京に引っ越してきた。千葉、東京西部、お台場など9店舗の売り上げ向上のために奔走する。
    「めっちゃ楽しいですよ。でもやっぱり、祭りが一番なんですが」
     祭りも仕事も、本気を出したときの植田は無敵だ。
    (文中敬称略)
    撮影:写真部・東川哲也 文:編集部・大川恵実

  • メットライフ生命保険
「見上げればいつも前向き」

メットライフ生命保険 ブランドマーケティング部 ブランドアクティベーション課 課長 小林真(44)

 全長約39メートル、高さ約13メートル。マストにつながれた飛行船がゆったりと揺れている。
「空を見上げて、前向きな気持ちになってほしい。その気持ちに寄り添っていきたい」というメッセージを込め、メットライフ生命が2010年から運航している飛行船だ。飛ぶ姿を見てもらうだけでなく、係留先ではコックピット見学や飛行船のしくみを解説するトークショーなども開いている。その企画・運営を担当しているのが、小林真と3人のチームだ。
 取材中、小林の口から何度も聞いて印象に残った言葉がある。
「妥協しない」
 営業系と違い、直接収益を上げる部門ではない。だからこそ、妥協しないというのだ。スケジュールや予算が限られた中で、「これだけしかできない」と妥協するのではなく、納得できる方法を探し求める。見て聞いて触れられる来場者参加型の催しも、その延長線で考えついた。
 大学卒業後、新聞社を経て、出版社で編集デザインの技術を培った。その後、印刷会社に転職し、企業のPRツールを制作。その実績が買われ、07年にアリコジャパン(現メットライフ生命)に移った。パンフレットや広告の制作に携わった後、14年、現在の部署に来た。
「常に前向きに、と心がけています。初めての試みでも、今の自分だからできることがあるはずだ、と考える。実際、これまでの経験すべてが、今の業務に生かされています」
 熱が入るのは仕事だけではない。プライベートでは妻とともに、DREAMS COME TRUEのコンサートで全国を飛び回る。
「お客様に最も選ばれる生命保険会社を目指し、他の保険会社がしたことのないことにチャレンジしていきたい」
 ふと顔を上げると、いつのまにか飛行船の周りにたくさんの人が集まっていた。
(文中敬称略)

撮影:伊ケ崎忍 文:ライター・安楽由紀子

    メットライフ生命保険
    「見上げればいつも前向き」

    メットライフ生命保険 ブランドマーケティング部 ブランドアクティベーション課 課長 小林真(44)
     全長約39メートル、高さ約13メートル。マストにつながれた飛行船がゆったりと揺れている。
    「空を見上げて、前向きな気持ちになってほしい。その気持ちに寄り添っていきたい」というメッセージを込め、メットライフ生命が2010年から運航している飛行船だ。飛ぶ姿を見てもらうだけでなく、係留先ではコックピット見学や飛行船のしくみを解説するトークショーなども開いている。その企画・運営を担当しているのが、小林真と3人のチームだ。
     取材中、小林の口から何度も聞いて印象に残った言葉がある。
    「妥協しない」
     営業系と違い、直接収益を上げる部門ではない。だからこそ、妥協しないというのだ。スケジュールや予算が限られた中で、「これだけしかできない」と妥協するのではなく、納得できる方法を探し求める。見て聞いて触れられる来場者参加型の催しも、その延長線で考えついた。
     大学卒業後、新聞社を経て、出版社で編集デザインの技術を培った。その後、印刷会社に転職し、企業のPRツールを制作。その実績が買われ、07年にアリコジャパン(現メットライフ生命)に移った。パンフレットや広告の制作に携わった後、14年、現在の部署に来た。
    「常に前向きに、と心がけています。初めての試みでも、今の自分だからできることがあるはずだ、と考える。実際、これまでの経験すべてが、今の業務に生かされています」
     熱が入るのは仕事だけではない。プライベートでは妻とともに、DREAMS COME TRUEのコンサートで全国を飛び回る。
    「お客様に最も選ばれる生命保険会社を目指し、他の保険会社がしたことのないことにチャレンジしていきたい」
     ふと顔を上げると、いつのまにか飛行船の周りにたくさんの人が集まっていた。
    (文中敬称略)
    撮影:伊ケ崎忍 文:ライター・安楽由紀子

  • 高野山真言宗・総本山金剛峯寺
「らしくてクールな僧侶」

高野山真言宗・総本山金剛峯寺 教学部教学課 課長 赤堀暢泰(43)


 南海極楽橋駅から、急勾配のケーブルカーでぐんぐん登る。弘法大師(空海)が真言密教の道場として平安時代初めに開創した高野山に着く。金剛峯寺は、高野山全体を境内地とし、高野山真言宗の総本山として国内外にある約4千もの寺院や教会を統括している。
 国際局、会計課、調度課、山林部……。僧侶や在家職員100人ほどが働く宗務所は、まるで役場のよう。教学部の赤堀暢泰の仕事は、宗団の教育や布教を推進することのほか、教誨師連盟や保育連盟、寺族婦人会などとの連携を図ることだ。
 東京生まれ。実家は寺ではないが、父が熱心な在家信者だったことから高野山高校へ進学。親元を離れたその冬に、母を病気で亡くした。近しい人の死に接した初めての体験。無常観を強く感じながらも、15歳まで育ててもらったことに感謝できるようになっていた。
「一緒にいた時間はかけがえのない時間だったと早くに知ることができて、恵まれていました」
「景色を観る」が好きな言葉の一つだ。相手に気づかせずに自然にそこに入っていく。そのために目配り、気配り、心配りを忘れず、どうすればなじむのか考える。人の心に寄り添う僧侶ならではの姿勢だ。自身も課長になって3年目。仕事の内容によって7人の部下の誰と誰を組ませるかを考えている。
「時に、感情の起伏が表に出ませんか」と聞くと、「注意しています。予見不足のときや、自分に対して何かを恐れているときは特に……」。だが、外にはそれをほとんど見せない。
「昔からいつもパリッとしている。知識レベルがとても高くて、尋ねればすぐに答えてくれる。臨機応変でカッコいい」
 若い僧侶がそう口にして目標とするような、クールさがある。高野山大学卒業後、高野山専修学院まで進学した20代から、ファッションへの関心も大変高い。
 家に帰れば、1歳を迎える娘と妻と過ごす時間を大切にする横顔もまた、カッコよさの一つだ。
(文中敬称略)

撮影:写真部・東川哲也 文:ライター・西元まり

    高野山真言宗・総本山金剛峯寺 「らしくてクールな僧侶」
    高野山真言宗・総本山金剛峯寺 教学部教学課 課長 赤堀暢泰(43)
     南海極楽橋駅から、急勾配のケーブルカーでぐんぐん登る。弘法大師(空海)が真言密教の道場として平安時代初めに開創した高野山に着く。金剛峯寺は、高野山全体を境内地とし、高野山真言宗の総本山として国内外にある約4千もの寺院や教会を統括している。
     国際局、会計課、調度課、山林部……。僧侶や在家職員100人ほどが働く宗務所は、まるで役場のよう。教学部の赤堀暢泰の仕事は、宗団の教育や布教を推進することのほか、教誨師連盟や保育連盟、寺族婦人会などとの連携を図ることだ。
     東京生まれ。実家は寺ではないが、父が熱心な在家信者だったことから高野山高校へ進学。親元を離れたその冬に、母を病気で亡くした。近しい人の死に接した初めての体験。無常観を強く感じながらも、15歳まで育ててもらったことに感謝できるようになっていた。
    「一緒にいた時間はかけがえのない時間だったと早くに知ることができて、恵まれていました」
    「景色を観る」が好きな言葉の一つだ。相手に気づかせずに自然にそこに入っていく。そのために目配り、気配り、心配りを忘れず、どうすればなじむのか考える。人の心に寄り添う僧侶ならではの姿勢だ。自身も課長になって3年目。仕事の内容によって7人の部下の誰と誰を組ませるかを考えている。
    「時に、感情の起伏が表に出ませんか」と聞くと、「注意しています。予見不足のときや、自分に対して何かを恐れているときは特に……」。だが、外にはそれをほとんど見せない。
    「昔からいつもパリッとしている。知識レベルがとても高くて、尋ねればすぐに答えてくれる。臨機応変でカッコいい」
     若い僧侶がそう口にして目標とするような、クールさがある。高野山大学卒業後、高野山専修学院まで進学した20代から、ファッションへの関心も大変高い。
     家に帰れば、1歳を迎える娘と妻と過ごす時間を大切にする横顔もまた、カッコよさの一つだ。
    (文中敬称略)
    撮影:写真部・東川哲也 文:ライター・西元まり

  • ドーム
「スポーツで大学力アップ」

ドーム 社長室 経営企画チーム チームリーダー 兼 広報チーム チームリーダー アベ・ケビン(35)


 最新の世界大学ランキング(Times Higher Education World University Rankings 2015-2016)は、日本の大学トップ、東京大学でも43位。低迷の背景に「大学の資金力がある」と考えるのが、米スポーツブランド、アンダーアーマーの日本総代理店を務めるドームだ。対策として、日本の学生スポーツを産業化し、その収益を教育環境に再投資するプロジェクトを進めている。立役者の一人が、アベ・ケビンだ。
 テキサス・ダラス市生まれの日系米国人4世。子どものころからスポーツ好きで、剣道と日本語を学ぼうと16歳のとき、滋賀県の高校に1年間、交換留学で通った。
 いったん帰国し、再び日本へ。立命館アジア太平洋大学を卒業後、通販会社に就職したが、「やっぱりスポーツで仕事をしたい」という強い思いから12年4月末、ドームに転職した。
 スポーツ用テーピングの輸入販売会社として始まり、アスリート専用のトレーニングジムなどにも手を広げる同社。高い天井、大きなスクリーンを置く東京のオフィスは、さながら軍事基地の司令室のようだ。「仕事は戦い」という風土を表している。
 中でも社長室は、多くのプロジェクトに関わる部署だ。16年4月には関東学院と提携。プロ野球では読売ジャイアンツとオフィシャルパートナー契約を結んだ。ライセンスグッズの開発・販売などを通じ、強いチーム作りの一端を担う。
「日米では“文化の違いがある”とよく言われますがそれは違います。米国は成功事例があるだけ。やるか、やらないかです」
 日本人女性と結婚し、2児の父親になった。次女が生まれたばかりで妻が里帰りしており、週2回、社内にあるジムで汗を流すのが今の日課。週末は4段の腕前の剣道にもいそしむ。

(文中敬称略)

撮影:伊ケ崎忍 文:編集部・小野ヒデコ

    ドーム 「スポーツで大学力アップ」
    ドーム 社長室 経営企画チーム チームリーダー 兼 広報チーム チームリーダー アベ・ケビン(35)
     最新の世界大学ランキング(Times Higher Education World University Rankings 2015-2016)は、日本の大学トップ、東京大学でも43位。低迷の背景に「大学の資金力がある」と考えるのが、米スポーツブランド、アンダーアーマーの日本総代理店を務めるドームだ。対策として、日本の学生スポーツを産業化し、その収益を教育環境に再投資するプロジェクトを進めている。立役者の一人が、アベ・ケビンだ。
     テキサス・ダラス市生まれの日系米国人4世。子どものころからスポーツ好きで、剣道と日本語を学ぼうと16歳のとき、滋賀県の高校に1年間、交換留学で通った。
     いったん帰国し、再び日本へ。立命館アジア太平洋大学を卒業後、通販会社に就職したが、「やっぱりスポーツで仕事をしたい」という強い思いから12年4月末、ドームに転職した。
     スポーツ用テーピングの輸入販売会社として始まり、アスリート専用のトレーニングジムなどにも手を広げる同社。高い天井、大きなスクリーンを置く東京のオフィスは、さながら軍事基地の司令室のようだ。「仕事は戦い」という風土を表している。
     中でも社長室は、多くのプロジェクトに関わる部署だ。16年4月には関東学院と提携。プロ野球では読売ジャイアンツとオフィシャルパートナー契約を結んだ。ライセンスグッズの開発・販売などを通じ、強いチーム作りの一端を担う。
    「日米では“文化の違いがある”とよく言われますがそれは違います。米国は成功事例があるだけ。やるか、やらないかです」
     日本人女性と結婚し、2児の父親になった。次女が生まれたばかりで妻が里帰りしており、週2回、社内にあるジムで汗を流すのが今の日課。週末は4段の腕前の剣道にもいそしむ。
    (文中敬称略)
    撮影:伊ケ崎忍 文:編集部・小野ヒデコ

  • 東海旅客鉄道
「シンカンセンを世界へ」

東海旅客鉄道 総合技術本部 技術企画部 海外高速鉄道プロジェクトC&C事業室 担当課長 緒志智子(46)

 日本の新幹線の技術を導入し、台湾が高速鉄道を開業してから9年。JR東日本・東海・西日本・九州が発起人の一般社団法人国際高速鉄道協会(IHRA)が今年5月、台湾で3日間、国際会議を開いた。これから高速鉄道を導入しようとする国に、日本型の高速鉄道システムの優位性や実績などを理解してもらうのが目的だ。
 JR東海で緒志智子が所属するC&C(Consulting and Coordination)事業室の業務は、海外での高速鉄道プロジェクトへの対応で、IHRAの事務局も務める。
 台湾での会議では、インド、シンガポール、マレーシア、タイ、オーストラリアなどの要人に、高速鉄道の現場を見てもらいながら、どんな課題があるのか、どのような経済効果があるのか、日本型高速鉄道の良さは何かなど、さまざまな議題が話し合われた。緒志は会議の計画から実行まで、すべてを仕切った。
「ヨーロッパや中国など、世界には日本と異なる高速鉄道がありますが、高速鉄道の導入を検討するときに、日本型が俎上に載るようにするのが役割です」
 青山学院大学卒業後、1992年にJR東海に入社。京都観光の宣伝や、出向先のジェイアール名古屋タカシマヤの販売促進などを担当。2001年からは東京駅の開発に携わり、八重洲口にある東京駅一番街の開業準備なども手掛けた。
 11年には1年間休職し、米マサチューセッツ工科大学Sloan Fellows Programへ留学してMBAを取得、3年前に今の職場に来た。
 新幹線の最大の売りは、半世紀にわたって安全に運行してきた実績だ。
「高速旅客鉄道用の専用線と、ATC(自動列車制御装置)を導入して、安全で高頻度の大量高速輸送を実現する日本型のシステムのメリットを正しく理解してもらえれば、このシステムが適した国に必ず選択してもらえると思っています」
 日本の新幹線が世界各国で走る日は、きっとそう遠くはない。
(文中敬称略)

撮影:門間新弥 文:編集部・大川恵実

    東海旅客鉄道 「シンカンセンを世界へ」
    東海旅客鉄道 総合技術本部 技術企画部 海外高速鉄道プロジェクトC&C事業室 担当課長 緒志智子(46)
     日本の新幹線の技術を導入し、台湾が高速鉄道を開業してから9年。JR東日本・東海・西日本・九州が発起人の一般社団法人国際高速鉄道協会(IHRA)が今年5月、台湾で3日間、国際会議を開いた。これから高速鉄道を導入しようとする国に、日本型の高速鉄道システムの優位性や実績などを理解してもらうのが目的だ。
     JR東海で緒志智子が所属するC&C(Consulting and Coordination)事業室の業務は、海外での高速鉄道プロジェクトへの対応で、IHRAの事務局も務める。
     台湾での会議では、インド、シンガポール、マレーシア、タイ、オーストラリアなどの要人に、高速鉄道の現場を見てもらいながら、どんな課題があるのか、どのような経済効果があるのか、日本型高速鉄道の良さは何かなど、さまざまな議題が話し合われた。緒志は会議の計画から実行まで、すべてを仕切った。
    「ヨーロッパや中国など、世界には日本と異なる高速鉄道がありますが、高速鉄道の導入を検討するときに、日本型が俎上に載るようにするのが役割です」
     青山学院大学卒業後、1992年にJR東海に入社。京都観光の宣伝や、出向先のジェイアール名古屋タカシマヤの販売促進などを担当。2001年からは東京駅の開発に携わり、八重洲口にある東京駅一番街の開業準備なども手掛けた。
     11年には1年間休職し、米マサチューセッツ工科大学Sloan Fellows Programへ留学してMBAを取得、3年前に今の職場に来た。
     新幹線の最大の売りは、半世紀にわたって安全に運行してきた実績だ。
    「高速旅客鉄道用の専用線と、ATC(自動列車制御装置)を導入して、安全で高頻度の大量高速輸送を実現する日本型のシステムのメリットを正しく理解してもらえれば、このシステムが適した国に必ず選択してもらえると思っています」
     日本の新幹線が世界各国で走る日は、きっとそう遠くはない。
    (文中敬称略)
    撮影:門間新弥 文:編集部・大川恵実

  • 日本盲導犬協会
「人と犬の幸せを橋渡し」

日本盲導犬協会 神奈川訓練センター 訓練部 マネージャー 田中真司(35)


 5年前、この仕事を続けるかどうか考えたことがある。30歳の節目だった。そのとき頭をよぎったのは、これまで出会った犬と視覚障がい者たちのことだった。
 世界を飛び回って働いていた人は、人生最後の相棒と思っていた盲導犬に、毎日ピカピカにブラッシングをし、愛情を注いだ。光を失うとともに、一度は生きる目的を失った人からは、「盲導犬と一緒に鍼灸学校に通い始めた」と喜びの声が届いた。誰かの人生が大きく変わる。その一助となれた誇りが、田中真司=写真手前=の心にじわりと湧いた。
 中央大学法学部を卒業後、法科大学院を受験したもののかなわなかった。進路を考えあぐねた末、盲導犬訓練士学校に1期生として入学した。2004年のことだ。
 子どものころから犬を飼い、福祉にも関心はあったが、盲導犬や視覚障がい者に関する知識はほぼゼロ。3年で「盲導犬訓練士」の資格を取り、日本盲導犬協会で働きながら経験を積み、盲導犬利用希望者に歩き方を指導する「盲導犬歩行指導員」の資格を得た。
 盲導犬候補の子犬は、生後2カ月から1歳まではボランティアの家庭で育ち、その後約1年間、センターで訓練を受ける。そして、パートナーとなる人との共同訓練を経て、晴れて盲導犬になる。合格率は3~4割と厳しい。
 一方、利用を希望する障がい者の多くは60代以上。共同訓練を円滑に行うには、犬と人、双方に対する高度なコミュニケーション能力が求められる。田中は約30人の部下とともに、常時いる40頭の候補犬から1頭でも多く、盲導犬として送り出せるよう努めている。
「人間のために働かされてかわいそう」。そんな批判の声を時に聞くこともある。
「静岡の施設に勤めていたときは、子犬の繁殖から引退犬の看取りまでしていました。僕たちが“生ませた命”に対して責任の重さを感じ、犬の福祉と権利に配慮しています」
 人と犬、互いの幸せを願ってやまない。
(文中敬称略)

撮影:門間新弥 文:ライター・安楽由紀子

    日本盲導犬協会 「人と犬の幸せを橋渡し」
    日本盲導犬協会 神奈川訓練センター 訓練部 マネージャー 田中真司(35)
     5年前、この仕事を続けるかどうか考えたことがある。30歳の節目だった。そのとき頭をよぎったのは、これまで出会った犬と視覚障がい者たちのことだった。
     世界を飛び回って働いていた人は、人生最後の相棒と思っていた盲導犬に、毎日ピカピカにブラッシングをし、愛情を注いだ。光を失うとともに、一度は生きる目的を失った人からは、「盲導犬と一緒に鍼灸学校に通い始めた」と喜びの声が届いた。誰かの人生が大きく変わる。その一助となれた誇りが、田中真司=写真手前=の心にじわりと湧いた。
     中央大学法学部を卒業後、法科大学院を受験したもののかなわなかった。進路を考えあぐねた末、盲導犬訓練士学校に1期生として入学した。2004年のことだ。
     子どものころから犬を飼い、福祉にも関心はあったが、盲導犬や視覚障がい者に関する知識はほぼゼロ。3年で「盲導犬訓練士」の資格を取り、日本盲導犬協会で働きながら経験を積み、盲導犬利用希望者に歩き方を指導する「盲導犬歩行指導員」の資格を得た。
     盲導犬候補の子犬は、生後2カ月から1歳まではボランティアの家庭で育ち、その後約1年間、センターで訓練を受ける。そして、パートナーとなる人との共同訓練を経て、晴れて盲導犬になる。合格率は3~4割と厳しい。
     一方、利用を希望する障がい者の多くは60代以上。共同訓練を円滑に行うには、犬と人、双方に対する高度なコミュニケーション能力が求められる。田中は約30人の部下とともに、常時いる40頭の候補犬から1頭でも多く、盲導犬として送り出せるよう努めている。
    「人間のために働かされてかわいそう」。そんな批判の声を時に聞くこともある。
    「静岡の施設に勤めていたときは、子犬の繁殖から引退犬の看取りまでしていました。僕たちが“生ませた命”に対して責任の重さを感じ、犬の福祉と権利に配慮しています」
     人と犬、互いの幸せを願ってやまない。
    (文中敬称略)
    撮影:門間新弥 文:ライター・安楽由紀子

  • クボタ
「モノも人も動かすセンス」

クボタ 機械ロジスティクスソリューション部 物流企画グループ長 土本哲也(47)


 日本の物流の中心の一つ、東京港周辺。色とりどりのコンテナを積んだたくさんの会社のトラックが、時に港に入るのを待って連なるほどだ。茨城・筑波工場からトラクターなどを輸出するクボタでも、年約1万本のコンテナが日々、約60キロ離れた東京港との間を行き来していた。少しでも物流の効率を改善したい。そこで土本哲也が採った策が「コンテナ・ラウンドユース」だ。
 貿易港に入るトラックはまず、外国から着いた輸入品をコンテナごと国内の荷下ろし場所へ配送する。そこで空になったコンテナを港へ戻し、清掃して輸出企業の出荷場所へ回送。輸出品を積んだコンテナが港へ返ってくる。このうち、空コンテナの回送をカットしようと土本は考えた。港外のコンテナ置き場で輸出品を詰め、東京港へ向かうようにすればコンテナが港に入る回数を半減できる。
 実現は簡単ではなかった。コンテナ置き場の確保に加え、輸入企業側の賛同も得なければならない。土本は数年かけて交渉を重ね、体制を作り上げた。交渉力がある、という周囲の評価を地で行く成果だが、自分のことは「人見知り」と分析する。
「コンテナ置き場のみなと運送つくば支店、トラック業者、茨城県の協力もあって実現しました。これをひな型に、海外の物流改善にも採り入れていこうと思います」
 大学卒業後、地元・静岡の物流会社を経て、2006年にクボタへ転職した。1年の半分は出張先の海外で過ごす仕事優先の毎日だ。
「社内の開発や製造などはプロ集団ですが、物流はまだまだ。自分が物流のプロ集団を作っていきたいと思います」
 6人の部下にいつも助言しているのが「センスを磨け」。土本自身、相談を受けることの7割は未経験の事柄だ。それでも3割の経験と自分のセンスで毎回答えを出す。
「3人の子どもたちも徐々に手が離れてきました。これからは妻や子どものためにもプライベートを充実させていきたい」
(文中敬称略)

撮影:写真部・東川哲也 文:編集部・小野ヒデコ

    クボタ 「モノも人も動かすセンス」
    クボタ 機械ロジスティクスソリューション部 物流企画グループ長 土本哲也(47)
     日本の物流の中心の一つ、東京港周辺。色とりどりのコンテナを積んだたくさんの会社のトラックが、時に港に入るのを待って連なるほどだ。茨城・筑波工場からトラクターなどを輸出するクボタでも、年約1万本のコンテナが日々、約60キロ離れた東京港との間を行き来していた。少しでも物流の効率を改善したい。そこで土本哲也が採った策が「コンテナ・ラウンドユース」だ。
     貿易港に入るトラックはまず、外国から着いた輸入品をコンテナごと国内の荷下ろし場所へ配送する。そこで空になったコンテナを港へ戻し、清掃して輸出企業の出荷場所へ回送。輸出品を積んだコンテナが港へ返ってくる。このうち、空コンテナの回送をカットしようと土本は考えた。港外のコンテナ置き場で輸出品を詰め、東京港へ向かうようにすればコンテナが港に入る回数を半減できる。
     実現は簡単ではなかった。コンテナ置き場の確保に加え、輸入企業側の賛同も得なければならない。土本は数年かけて交渉を重ね、体制を作り上げた。交渉力がある、という周囲の評価を地で行く成果だが、自分のことは「人見知り」と分析する。
    「コンテナ置き場のみなと運送つくば支店、トラック業者、茨城県の協力もあって実現しました。これをひな型に、海外の物流改善にも採り入れていこうと思います」
     大学卒業後、地元・静岡の物流会社を経て、2006年にクボタへ転職した。1年の半分は出張先の海外で過ごす仕事優先の毎日だ。
    「社内の開発や製造などはプロ集団ですが、物流はまだまだ。自分が物流のプロ集団を作っていきたいと思います」
     6人の部下にいつも助言しているのが「センスを磨け」。土本自身、相談を受けることの7割は未経験の事柄だ。それでも3割の経験と自分のセンスで毎回答えを出す。
    「3人の子どもたちも徐々に手が離れてきました。これからは妻や子どものためにもプライベートを充実させていきたい」
    (文中敬称略)
    撮影:写真部・東川哲也 文:編集部・小野ヒデコ

  • 江崎グリコ
「強く明るくつなぐ伝統」

江崎グリコ マーケティング本部 健康事業マーケティング部 河瀬茂宏(47)


 1922年に発売された「グリコ」。社名を冠したこのキャラメルは、商品数が増えた今でも、江崎グリコにとっては特別な存在だ。27年からはおまけのおもちゃが付いた。これまで世に出たおもちゃは、2万種類以上。戦争で物資が不足していた時期も紙飛行機や粘土製の人形を付け、子どもたちのおなかと心を満たした。
 いま、その企画を担当するのが河瀬茂宏。刺激的な玩具があふれる現代、あえて木製にこだわり、つみきなど自由な発想で遊べる「あそべる木のおもちゃ アソビグリコ」シリーズを打ち出した。
 仕事のモットーは「“過去“を否定する勇気を持つこと」。伝統ある商品とはいえ、同じことを繰り返していては生き延びることはできない。
 実際に河瀬は、過去のイメージを覆すおもちゃで数々のヒットを生み出してきた。大人をターゲットに昭和の家電などのフィギュアを付けた「タイムスリップグリコ」は累計2500万個を売り上げた。ミニ絵本を付けたときは、「親子で楽しめる」と重宝された。同社が重んじる「創意工夫」の精神がそのまま、河瀬の強みになっている。
 とはいえ、反応がイマイチだったおもちゃも、やっぱり出る。でも、絶対にめげない。
「落ち込んでも日はまた昇る(笑)。なぜ失敗したのか突き詰めれば、見えるものがある。それを生かしてまたチャレンジしたい」
 関西大学を卒業し、92年に入社した。菓子開発企画部に配属され、「ビスコ」や「カプリコ」などさまざまな人気商品を担当。2015年、新設された現在の部署に移った。
 自らの子はもう中学2年と高校3年。小さな子どもたちの好みをキャッチするため、菓子店やおもちゃ売り場、公園へ足しげく通う。
「『グリコ』は社の原点。絶対になくすことはできない。これからもお子様の心と体の栄養になるよう、将来につないでいきます」
 歴史を重ねたその小箱に、今も思いを詰め込んでいる。
(文中敬称略)

撮影:写真部・東川哲也 文:ライター・安楽由紀子

    江崎グリコ 「強く明るくつなぐ伝統」
    江崎グリコ マーケティング本部 健康事業マーケティング部 河瀬茂宏(47)
     1922年に発売された「グリコ」。社名を冠したこのキャラメルは、商品数が増えた今でも、江崎グリコにとっては特別な存在だ。27年からはおまけのおもちゃが付いた。これまで世に出たおもちゃは、2万種類以上。戦争で物資が不足していた時期も紙飛行機や粘土製の人形を付け、子どもたちのおなかと心を満たした。
     いま、その企画を担当するのが河瀬茂宏。刺激的な玩具があふれる現代、あえて木製にこだわり、つみきなど自由な発想で遊べる「あそべる木のおもちゃ アソビグリコ」シリーズを打ち出した。
     仕事のモットーは「“過去“を否定する勇気を持つこと」。伝統ある商品とはいえ、同じことを繰り返していては生き延びることはできない。
     実際に河瀬は、過去のイメージを覆すおもちゃで数々のヒットを生み出してきた。大人をターゲットに昭和の家電などのフィギュアを付けた「タイムスリップグリコ」は累計2500万個を売り上げた。ミニ絵本を付けたときは、「親子で楽しめる」と重宝された。同社が重んじる「創意工夫」の精神がそのまま、河瀬の強みになっている。
     とはいえ、反応がイマイチだったおもちゃも、やっぱり出る。でも、絶対にめげない。
    「落ち込んでも日はまた昇る(笑)。なぜ失敗したのか突き詰めれば、見えるものがある。それを生かしてまたチャレンジしたい」
     関西大学を卒業し、92年に入社した。菓子開発企画部に配属され、「ビスコ」や「カプリコ」などさまざまな人気商品を担当。2015年、新設された現在の部署に移った。
     自らの子はもう中学2年と高校3年。小さな子どもたちの好みをキャッチするため、菓子店やおもちゃ売り場、公園へ足しげく通う。
    「『グリコ』は社の原点。絶対になくすことはできない。これからもお子様の心と体の栄養になるよう、将来につないでいきます」
     歴史を重ねたその小箱に、今も思いを詰め込んでいる。
    (文中敬称略)
    撮影:写真部・東川哲也 文:ライター・安楽由紀子

  • グーグル
「挑戦の果て、グローバル」

グーグル 人事部プログラムリード 小山弥生(35)


 インターネットで何かを調べるとき、多くの人が頼る「Google」。米国の本社を中心に世界展開する同社では、社内もグローバル。当然、英語力が求められる。小山弥生は今でこそTOEIC満点で不自由していないが、かつては「英語が全く話せない」女子高生だった。
 東京都内の高校を卒業後、1年間バイトで留学資金をため、2000年に渡米。語学学校、短大を経て、ワシントン大学に編入して英語力などを磨いた。その後、人材会社と法律事務所勤務を経て、「今の自分がどれだけ日本で通用するかチャレンジしてみたい」と思い、10年に帰国した。
 帰国後の就活で、強く意識したのがグーグルだった。面接担当者の「この会社で本気で世界を変える」という熱意に引かれたのだ。営業系新卒採用のプログラムを立ち上げてほしいと言われ、採用条件は「派遣」だったが、チャレンジせずにはいられなかった。
 どんな人材がこれから必要になるのか、営業系の社員と話し合い、戦略を立てた。大変だったが、ゼロから作ることを楽しめた。翌11年7月、正社員に登用された。
 小山が採用時に大切にしている信念がある。「素直で誠実か。考える力、やり遂げる力があるか」だ。これは自分がそうありたい姿でもある。
「新卒採用を担当していると、『英語が……』と言う学生が多いですが、『私もハタチまで話せなかったから、本気でやればできるようになる』と伝えています」
 多国籍のチームメートには、リスクや間違いを怖がらず、とにかくやってみようと呼びかけている。
「間違いや失敗を回避する力より、リカバリー力のほうが重要。そういう場面では『ここが大切』と全体で共有して前進します。最高のチームです」
 今年の3月に結婚したばかり。子どもが好きなので、将来はワーキングマザーとしても挑戦を続けるつもりだ。

(文中敬称略)

撮影:写真部・東川哲也 文:編集部・小野ヒデコ

    グーグル 「挑戦の果て、グローバル」
    グーグル 人事部プログラムリード 小山弥生(35)
     インターネットで何かを調べるとき、多くの人が頼る「Google」。米国の本社を中心に世界展開する同社では、社内もグローバル。当然、英語力が求められる。小山弥生は今でこそTOEIC満点で不自由していないが、かつては「英語が全く話せない」女子高生だった。
     東京都内の高校を卒業後、1年間バイトで留学資金をため、2000年に渡米。語学学校、短大を経て、ワシントン大学に編入して英語力などを磨いた。その後、人材会社と法律事務所勤務を経て、「今の自分がどれだけ日本で通用するかチャレンジしてみたい」と思い、10年に帰国した。
     帰国後の就活で、強く意識したのがグーグルだった。面接担当者の「この会社で本気で世界を変える」という熱意に引かれたのだ。営業系新卒採用のプログラムを立ち上げてほしいと言われ、採用条件は「派遣」だったが、チャレンジせずにはいられなかった。
     どんな人材がこれから必要になるのか、営業系の社員と話し合い、戦略を立てた。大変だったが、ゼロから作ることを楽しめた。翌11年7月、正社員に登用された。
     小山が採用時に大切にしている信念がある。「素直で誠実か。考える力、やり遂げる力があるか」だ。これは自分がそうありたい姿でもある。
    「新卒採用を担当していると、『英語が……』と言う学生が多いですが、『私もハタチまで話せなかったから、本気でやればできるようになる』と伝えています」
     多国籍のチームメートには、リスクや間違いを怖がらず、とにかくやってみようと呼びかけている。
    「間違いや失敗を回避する力より、リカバリー力のほうが重要。そういう場面では『ここが大切』と全体で共有して前進します。最高のチームです」
     今年の3月に結婚したばかり。子どもが好きなので、将来はワーキングマザーとしても挑戦を続けるつもりだ。
    (文中敬称略)
    撮影:写真部・東川哲也 文:編集部・小野ヒデコ

  • オーエックスエンジニアリング
「パラ選手をメカで支える」

オーエックスエンジニアリング 陸上競技担当 小澤徹(46)


 その工場は、緑の山々に囲まれた風景に溶け込んで目立たない。しかし、ここオーエックスエンジニアリング(千葉市)は、パラリンピックに出場する日本人選手には有名な場所だ。1996年のアトランタ大会からレース用車いすを製作。車いすテニスの世界チャンピオン国枝慎吾、上地結衣両選手が使うテニス用車いすも大切に手作りされている。
 小澤徹=写真左端=は99年からレース用車いす担当になり、現在は設計から加工、溶接まで全工程を手がけている。選手の力を完全に生かすには、体にフィットする必要がある。そのため、製品は全て、選手の障害の程度や体格に合わせたオーダーメイド。受注から納入まで通常、2~3カ月かかる。
「今まで千台ほど作ってきましたが、同じ寸法のものは一つもありません」
 大の自転車好き。高校2年生の夏休みには、バイトでためた20万円を握りしめて独り、1カ月で北海道を1周する自転車の旅に出た。卒業後は、自転車の卸業者に就職した。91年には千葉工業大学(夜間)に入り、働きながら4年間通学。その後、現在の会社に転職した。シドニー大会を2年後に控え、新しい車いすを作ろうとしていた。
 レース用車いすは一つの前輪と二つの後輪からなり、全長は180センチ前後。今年のリオ大会で使用されるタイプは小澤が主に開発し、前後輪をつなぐフレームの形をT字からV字に改良した。
「T字では正座する形でしか乗れなかったものが、V字にすることで左右の車軸の間に足を通せるようになりました。それで乗車姿勢の自由度が上がり、より多くの人が使えるようになったんです」
 9月7日に始まるリオ大会では、陸上競技日本代表選手8人の車いすを手がける。東京大会が決まった13年ごろからは受注が途切れず、息つく暇なく年間80台ほどを生産している。
 8月末、自身もリオへと飛び立った。選手が現地で力いっぱい戦えるよう、メンテナンスに全力を注ぐつもりだ。

(文中敬称略)

撮影:伊ケ崎忍 文:編集部・小野ヒデコ

    オーエックスエンジニアリング 「パラ選手をメカで支える」
    オーエックスエンジニアリング 陸上競技担当 小澤徹(46)
     その工場は、緑の山々に囲まれた風景に溶け込んで目立たない。しかし、ここオーエックスエンジニアリング(千葉市)は、パラリンピックに出場する日本人選手には有名な場所だ。1996年のアトランタ大会からレース用車いすを製作。車いすテニスの世界チャンピオン国枝慎吾、上地結衣両選手が使うテニス用車いすも大切に手作りされている。
     小澤徹=写真左端=は99年からレース用車いす担当になり、現在は設計から加工、溶接まで全工程を手がけている。選手の力を完全に生かすには、体にフィットする必要がある。そのため、製品は全て、選手の障害の程度や体格に合わせたオーダーメイド。受注から納入まで通常、2~3カ月かかる。
    「今まで千台ほど作ってきましたが、同じ寸法のものは一つもありません」  大の自転車好き。高校2年生の夏休みには、バイトでためた20万円を握りしめて独り、1カ月で北海道を1周する自転車の旅に出た。卒業後は、自転車の卸業者に就職した。91年には千葉工業大学(夜間)に入り、働きながら4年間通学。その後、現在の会社に転職した。シドニー大会を2年後に控え、新しい車いすを作ろうとしていた。
     レース用車いすは一つの前輪と二つの後輪からなり、全長は180センチ前後。今年のリオ大会で使用されるタイプは小澤が主に開発し、前後輪をつなぐフレームの形をT字からV字に改良した。
    「T字では正座する形でしか乗れなかったものが、V字にすることで左右の車軸の間に足を通せるようになりました。それで乗車姿勢の自由度が上がり、より多くの人が使えるようになったんです」
     9月7日に始まるリオ大会では、陸上競技日本代表選手8人の車いすを手がける。東京大会が決まった13年ごろからは受注が途切れず、息つく暇なく年間80台ほどを生産している。
     8月末、自身もリオへと飛び立った。選手が現地で力いっぱい戦えるよう、メンテナンスに全力を注ぐつもりだ。
    (文中敬称略)
    撮影:伊ケ崎忍 文:編集部・小野ヒデコ

  • 東京メトロポリタンテレビジョン
「いつまでも現場に生きる」

東京メトロポリタンテレビジョン 編成局局次長 兼 制作第二部長 大川貴史(44)


 金曜日夕方5時。皇居に面した東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)で、情報番組「5時に夢中!」の生放送が始まった。冒頭、司会者がゲストにツッコミを入れた瞬間、大きな笑い声がスタジオに響いた。番組プロデューサーの大川貴史だった。
 通常、現場を仕切るのは課長級であるディレクターの仕事だが、総責任者自ら現場の雰囲気をつくりたいと、生放送番組にも同席するなど、役職を超えて仕事をこなす。
 進行中、判断に迷ったスタッフや出演者が大川の顔を見ることがある。その時、笑い返すことで相手に安心感を与えている。スタジオのセットの搬出入にも積極的に参加=写真。出演者の見送りも欠かさない。
「相手を喜ばせることが一番。自分が喜ぶのはその次でいいと思っています」
 中・高・大と立教学院で野球部に所属。立教大学では1軍の外野としてプレーした。自称「ムードメーカーかつ親分肌」という性分はまさに、チームプレー向きだ。
 大学卒業後、1995年に新卒第1期生として入社。営業現場などを経て28歳で制作部へ異動になり、ADになった。現場へのこだわりはこのとき以来だ。
 一人でも多くの人に見てもらうために、電波を通して作り手の「熱量」をお茶の間へ届ける。そのために、命がけで番組作りに取り組む。視聴者の反応、スタッフや共演者とのコミュニケーションを大切にし、できるだけ相手の要望に応えるよう努める。
「直感力はあるから判断が早く、勝負強さはあります」
 大切なことは、野球と親から学んだ。
「常に筋道をつけて生きているつもりなので、勝っても負けても自分の生き方に後悔はしないですね」
 制作部に移った年に結婚。飲食店を経営する妻と一緒に過ごす時間はいま、「日曜の夕飯くらい」というほど、夫婦ともども「仕事優先」の毎日だ。

(文中敬称略)

撮影:伊ケ崎忍 文:編集部・小野ヒデコ

    東京メトロポリタンテレビジョン
    「いつまでも現場に生きる」

    東京メトロポリタンテレビジョン 編成局局次長 兼 制作第二部長 大川貴史(44)
     金曜日夕方5時。皇居に面した東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)で、情報番組「5時に夢中!」の生放送が始まった。冒頭、司会者がゲストにツッコミを入れた瞬間、大きな笑い声がスタジオに響いた。番組プロデューサーの大川貴史だった。
     通常、現場を仕切るのは課長級であるディレクターの仕事だが、総責任者自ら現場の雰囲気をつくりたいと、生放送番組にも同席するなど、役職を超えて仕事をこなす。
     進行中、判断に迷ったスタッフや出演者が大川の顔を見ることがある。その時、笑い返すことで相手に安心感を与えている。スタジオのセットの搬出入にも積極的に参加=写真。出演者の見送りも欠かさない。
    「相手を喜ばせることが一番。自分が喜ぶのはその次でいいと思っています」
     中・高・大と立教学院で野球部に所属。立教大学では1軍の外野としてプレーした。自称「ムードメーカーかつ親分肌」という性分はまさに、チームプレー向きだ。
     大学卒業後、1995年に新卒第1期生として入社。営業現場などを経て28歳で制作部へ異動になり、ADになった。現場へのこだわりはこのとき以来だ。
     一人でも多くの人に見てもらうために、電波を通して作り手の「熱量」をお茶の間へ届ける。そのために、命がけで番組作りに取り組む。視聴者の反応、スタッフや共演者とのコミュニケーションを大切にし、できるだけ相手の要望に応えるよう努める。
    「直感力はあるから判断が早く、勝負強さはあります」
     大切なことは、野球と親から学んだ。
    「常に筋道をつけて生きているつもりなので、勝っても負けても自分の生き方に後悔はしないですね」
     制作部に移った年に結婚。飲食店を経営する妻と一緒に過ごす時間はいま、「日曜の夕飯くらい」というほど、夫婦ともども「仕事優先」の毎日だ。
    (文中敬称略)
    撮影:伊ケ崎忍 文:編集部・小野ヒデコ

  • 四季
「感動舞台、データで支え」

四季 制作部 演出管理 課長 中山隆(51)


 写真は9月27日に開幕するミュージカル「壁抜け男」のワンシーン。俳優は11人、公演に直接つく裏方は13人。公演にはつかないが制作に関わったスタッフは100人をゆうに超える。2015年1月に新設された演出管理に所属する中山隆=写真左=もその一人だ。
 劇団四季の演目は、何年も繰り返し上演され愛されている作品が多い。俳優への演技指導は、それぞれが台本に注意点などを書き入れ、代々受け継ぐスタイル。劇団が一元管理することはこれまで、なかった。
 そこで、中山と部下6人の出番である。稽古場に入り、あらゆる指示をパソコンに入力してデータベースとして管理したり、過去の上演映像にグリッド線を重ねて俳優の立ち位置を細かく分析したりするなど、作品のクオリティー維持の要となる役割を担う。例えば「アラジン」のデータは811ページ、「ウェストサイド物語」のミザンセーヌ(立ち位置の指示、道具の配置)は1746ページにもなるという。
「私にとってミュージカルは最高のエンターテインメントなんです」
 今ではそう言い切る中山だが、ミュージカルとの出会いは決して早くない。埼玉大学理学部在学中は学習塾講師にのめり込み、その後DTPオペレーターやデジタル機器メーカーの派遣社員を続け、30歳を過ぎたころ。見るやその魅力に取りつかれ、毎週末鑑賞するほどに。タップダンスまで習い始めた。
 1998年、34歳のときにたまたま劇団四季の求人をみつけて裏方として入団。2年目から16年間、舞台装置の機構操作を担当した。そして、現部署の創設にあたり、コンピューターの技術が役立つと手を挙げた。
 今後は、新作制作のための資料収集というもう一つの業務にも力を入れるつもりだ。
「劇団四季には新しい作品を生み出す力がある。その力を最大限生かしていきたい」
 観客席からは見えない仕事でも、舞台を創り上げる手応えはしっかりと感じている。

(文中敬称略)

撮影:門間新弥 文:ライター・安楽由紀子

    四季
    「感動舞台、データで支え」

    四季 制作部 演出管理 課長 中山隆(51)
     写真は9月27日に開幕するミュージカル「壁抜け男」のワンシーン。俳優は11人、公演に直接つく裏方は13人。公演にはつかないが制作に関わったスタッフは100人をゆうに超える。2015年1月に新設された演出管理に所属する中山隆=写真左=もその一人だ。
     劇団四季の演目は、何年も繰り返し上演され愛されている作品が多い。俳優への演技指導は、それぞれが台本に注意点などを書き入れ、代々受け継ぐスタイル。劇団が一元管理することはこれまで、なかった。
     そこで、中山と部下6人の出番である。稽古場に入り、あらゆる指示をパソコンに入力してデータベースとして管理したり、過去の上演映像にグリッド線を重ねて俳優の立ち位置を細かく分析したりするなど、作品のクオリティー維持の要となる役割を担う。例えば「アラジン」のデータは811ページ、「ウェストサイド物語」のミザンセーヌ(立ち位置の指示、道具の配置)は1746ページにもなるという。
    「私にとってミュージカルは最高のエンターテインメントなんです」
     今ではそう言い切る中山だが、ミュージカルとの出会いは決して早くない。埼玉大学理学部在学中は学習塾講師にのめり込み、その後DTPオペレーターやデジタル機器メーカーの派遣社員を続け、30歳を過ぎたころ。見るやその魅力に取りつかれ、毎週末鑑賞するほどに。タップダンスまで習い始めた。
     1998年、34歳のときにたまたま劇団四季の求人をみつけて裏方として入団。2年目から16年間、舞台装置の機構操作を担当した。そして、現部署の創設にあたり、コンピューターの技術が役立つと手を挙げた。
     今後は、新作制作のための資料収集というもう一つの業務にも力を入れるつもりだ。
    「劇団四季には新しい作品を生み出す力がある。その力を最大限生かしていきたい」
     観客席からは見えない仕事でも、舞台を創り上げる手応えはしっかりと感じている。
    (文中敬称略)
    撮影:門間新弥 文:ライター・安楽由紀子

  • UACJ
「一番の工場へ人を大事に」

UACJ 生産本部福井製造所 製造部熱延課長 野田尚也(42)


今年の夏も、もう終わり。缶ビール片手に、花火大会やフェスを楽しんだ人も多かっただろう。
 国内の缶ビールや缶ジュースの5本のうち3本は、UACJのアルミニウムで作られた缶だ。他にも、車やロケット、航空機、船の部材から、パソコンなどのメモリーディスク、医療用品などさまざまな用途に、この会社のアルミが使われている。アルミニウムの板製品の生産能力は年100万トン以上。世界でもトップクラスを誇る。
 国内に四つある板工場のうち、主力工場である福井製造所には、全長400メートル、幅4.3メートルのアルミの板を作れる、世界最大級の大型熱間圧延機がある。アルミのかたまりを削り、加熱してこの熱間圧延機で延ばし、コイル状に巻く作業までを担当するのが熱延課。野田尚也はその課長だ。
 約300℃で巻き上げられたコイルが圧延される作業所。そんな中で、26トンあるアルミのかたまりをクレーンで移動させたり、フォークリフトで物を運んだりするのは、部下を含め総勢75人。その安全管理は、野田の重要な仕事の一つだ。
「それ以外にも、何か問題があったとき、すぐに相談してもらえるよう、ざっくばらんな雰囲気でいるようにしています」
 年齢もバラバラで、担当する作業もさまざまな部下に対し、日頃から不公平にならないように心がけてもいる。
 1996年、早稲田大学理工学部機械工学科を卒業後、古河電工(のちの古河スカイ)へ入社。2013年に住友軽金属工業と合併してUACJになったが、入社以来20年ずっと、福井製造所に身を置く。圧延技術研究室、生産技術室、冷延課課長などを経て、今年、現職に就いた。
 どんなに素晴らしい機械でも、それを動かすのは人。人を育て、UACJのどの工場にも負けない工場にしたいと、気合が入る。
「自分たちで問題点に気づき、改善策が立てられるように、人を教育していきたい」

(文中敬称略)

編集部・大川恵実 写真・門間新弥

    UACJ
    「一番の工場へ人を大事に」

    UACJ 生産本部福井製造所 製造部熱延課長 野田尚也(42)
    今年の夏も、もう終わり。缶ビール片手に、花火大会やフェスを楽しんだ人も多かっただろう。
     国内の缶ビールや缶ジュースの5本のうち3本は、UACJのアルミニウムで作られた缶だ。他にも、車やロケット、航空機、船の部材から、パソコンなどのメモリーディスク、医療用品などさまざまな用途に、この会社のアルミが使われている。アルミニウムの板製品の生産能力は年100万トン以上。世界でもトップクラスを誇る。
     国内に四つある板工場のうち、主力工場である福井製造所には、全長400メートル、幅4.3メートルのアルミの板を作れる、世界最大級の大型熱間圧延機がある。アルミのかたまりを削り、加熱してこの熱間圧延機で延ばし、コイル状に巻く作業までを担当するのが熱延課。野田尚也はその課長だ。
     約300℃で巻き上げられたコイルが圧延される作業所。そんな中で、26トンあるアルミのかたまりをクレーンで移動させたり、フォークリフトで物を運んだりするのは、部下を含め総勢75人。その安全管理は、野田の重要な仕事の一つだ。
    「それ以外にも、何か問題があったとき、すぐに相談してもらえるよう、ざっくばらんな雰囲気でいるようにしています」
     年齢もバラバラで、担当する作業もさまざまな部下に対し、日頃から不公平にならないように心がけてもいる。
     1996年、早稲田大学理工学部機械工学科を卒業後、古河電工(のちの古河スカイ)へ入社。2013年に住友軽金属工業と合併してUACJになったが、入社以来20年ずっと、福井製造所に身を置く。圧延技術研究室、生産技術室、冷延課課長などを経て、今年、現職に就いた。
     どんなに素晴らしい機械でも、それを動かすのは人。人を育て、UACJのどの工場にも負けない工場にしたいと、気合が入る。
    「自分たちで問題点に気づき、改善策が立てられるように、人を教育していきたい」
    (文中敬称略)
    編集部・大川恵実 写真・門間新弥

  • はせがわ
「供養のカタチも新しく」

はせがわ 調布店 店長 中島健(36)

より大きく、より立派なものを。仏壇といえばこれまで、きらびやかな装飾を施し、自分の背丈以上もあるような漆塗りのものが、多くの家庭で求められてきた。
 しかし今や、部屋のインテリアに溶け込むような仏壇が求められる時代になっている。伝統的な仏壇が得意のはせがわも、モダンなインテリアとしてコーディネートできるような木製の仏壇を、家具会社「カリモク家具」と共同で開発。コンパクトなものを始め、時代のニーズに合わせた仏壇もそろえている。
 東京・調布店は「リビングスタイル店」というコンセプト。店内にはソファやテーブルが置かれ、リビングにいるような感覚で仏壇を選べる。今回の撮影では、「リビングでリラックスしているような写真を」という注文に、店長の中島健が自宅からDVDやCD、ガンダムのプラモデルなど、お気に入りのコレクションを持ってきてくれた。
「家では、たまにガンプラ見ながらニヤニヤしちゃいます(笑)」
 和光大学経済学部経営学科(当時)を卒業。高校3年から大学卒業まで、ヘヴィメタのバンドでドラムをたたいていた。2002年、はせがわに入社。仏教徒でも、仏壇のある家に育ったわけでもないが、はせがわの社風と、「お客様に買っていただいた後もご縁ができていく」ことが決め手になった。
 6年ほど前に聖蹟桜ケ丘店で店長に。昨年5月、調布店のオープンに合わせ、異動した。5人のスタッフとともに店を切り盛りする。
 仕事のモットーは「プライベートの充実なくして、仕事の充実なし」。スタッフの公休、有休の希望は積極的に聞くようにする。
「仕事も大事ですが、友人や親戚などと縁が切れないほうがいいと思いますので」
 中島自身も、休みにはテニスを楽しむ。
「供養のこれからのあり方をつくり、ここから発信していきたい」
 時代が変わっても、人が誰かを悼み、祈る気持ちは変わらない。

(文中敬称略)

編集部・大川恵実 写真部・東川哲也

    はせがわ
    「供養のカタチも新しく」

    はせがわ 調布店 店長 中島健(36)
    より大きく、より立派なものを。仏壇といえばこれまで、きらびやかな装飾を施し、自分の背丈以上もあるような漆塗りのものが、多くの家庭で求められてきた。
     しかし今や、部屋のインテリアに溶け込むような仏壇が求められる時代になっている。伝統的な仏壇が得意のはせがわも、モダンなインテリアとしてコーディネートできるような木製の仏壇を、家具会社「カリモク家具」と共同で開発。コンパクトなものを始め、時代のニーズに合わせた仏壇もそろえている。
     東京・調布店は「リビングスタイル店」というコンセプト。店内にはソファやテーブルが置かれ、リビングにいるような感覚で仏壇を選べる。今回の撮影では、「リビングでリラックスしているような写真を」という注文に、店長の中島健が自宅からDVDやCD、ガンダムのプラモデルなど、お気に入りのコレクションを持ってきてくれた。
    「家では、たまにガンプラ見ながらニヤニヤしちゃいます(笑)」
     和光大学経済学部経営学科(当時)を卒業。高校3年から大学卒業まで、ヘヴィメタのバンドでドラムをたたいていた。2002年、はせがわに入社。仏教徒でも、仏壇のある家に育ったわけでもないが、はせがわの社風と、「お客様に買っていただいた後もご縁ができていく」ことが決め手になった。
     6年ほど前に聖蹟桜ケ丘店で店長に。昨年5月、調布店のオープンに合わせ、異動した。5人のスタッフとともに店を切り盛りする。
     仕事のモットーは「プライベートの充実なくして、仕事の充実なし」。スタッフの公休、有休の希望は積極的に聞くようにする。
    「仕事も大事ですが、友人や親戚などと縁が切れないほうがいいと思いますので」  中島自身も、休みにはテニスを楽しむ。
    「供養のこれからのあり方をつくり、ここから発信していきたい」
     時代が変わっても、人が誰かを悼み、祈る気持ちは変わらない。
    (文中敬称略)
    編集部・大川恵実 写真部・東川哲也

  • ヤマト
「愛する文具と世界へ」

ヤマト リテール事業部 マネージャー 鈴木成人(47)

 さいたま市にある「Karugamo English School」のArt Class(講師・白井裕子)。38人の園児が1枚のクレヨン絵を仕上げた。子どもならではの色鮮やかな世界観を、鈴木成人が優しい目で見つめる。園児が使った「カラリックス」をつくるヤマトのマネージャーで、自身も5月に第1子が誕生したばかりだ。
 同社は、事務用液状のりでシェア約7割強を誇る「アラビックヤマト」が有名だが、ほかにも新製品を毎年6アイテムほど発売している。鈴木の主な仕事は、オフィス通販カタログ発行元への営業だ。
 オフィス通販は年4千億円規模まで成長し、文具市場での存在感を強めている。カタログ発刊は年に1~2回。メーカー側で製品発売が遅れると次の掲載まで待たねばならず、売り上げに大きな影響が出る。
 そこで登場する文具メーカーの営業は、掲載の締め切りを延ばしてもらうようカタログ編集者にかけあったり、生産を早めるよう社内の調整をしたり。時に「秘策」が求められそうな激務だが、鈴木の策は至って真っすぐ。
「何事も一生懸命。きちんとした仕事をすれば周りも助けてくれる。5人の部下にもそうアドバイスしています」
 1992年、専修大学経営学部を卒業し、大手百貨店に入社した。33歳で早期退職者が募集されたのを機に転職を決意。「子どものころから文具が好きで」と、ヤマトに入社した。購買部門を7年間経験した後、久々に営業現場に戻った。百貨店時代からの「古巣」だが、勝手が違った。
「一部を除いて、ほとんどが自社開発品。製品に対するよりいっそうの愛着、知識が必要になりますね」
 手帳にはメモが書かれた色とりどりのテープが貼られている。鈴木にとって思い入れがあるロール状の付箋「メモックロールテープ」だ。今年7月、海外営業との兼務になった。「本当に便利」というこの相棒とともに、創業117年の看板を世界に売り込む。
(文中敬称略)

ライター・安楽由紀子 写真部・東川哲也

    ヤマト
    「愛する文具と世界へ」

    ヤマト リテール事業部 マネージャー 鈴木成人(47)
     さいたま市にある「Karugamo English School」のArt Class(講師・白井裕子)。38人の園児が1枚のクレヨン絵を仕上げた。子どもならではの色鮮やかな世界観を、鈴木成人が優しい目で見つめる。園児が使った「カラリックス」をつくるヤマトのマネージャーで、自身も5月に第1子が誕生したばかりだ。  同社は、事務用液状のりでシェア約7割強を誇る「アラビックヤマト」が有名だが、ほかにも新製品を毎年6アイテムほど発売している。鈴木の主な仕事は、オフィス通販カタログ発行元への営業だ。
     オフィス通販は年4千億円規模まで成長し、文具市場での存在感を強めている。カタログ発刊は年に1~2回。メーカー側で製品発売が遅れると次の掲載まで待たねばならず、売り上げに大きな影響が出る。
     そこで登場する文具メーカーの営業は、掲載の締め切りを延ばしてもらうようカタログ編集者にかけあったり、生産を早めるよう社内の調整をしたり。時に「秘策」が求められそうな激務だが、鈴木の策は至って真っすぐ。
    「何事も一生懸命。きちんとした仕事をすれば周りも助けてくれる。5人の部下にもそうアドバイスしています」
     1992年、専修大学経営学部を卒業し、大手百貨店に入社した。33歳で早期退職者が募集されたのを機に転職を決意。「子どものころから文具が好きで」と、ヤマトに入社した。購買部門を7年間経験した後、久々に営業現場に戻った。百貨店時代からの「古巣」だが、勝手が違った。
    「一部を除いて、ほとんどが自社開発品。製品に対するよりいっそうの愛着、知識が必要になりますね」
     手帳にはメモが書かれた色とりどりのテープが貼られている。鈴木にとって思い入れがあるロール状の付箋「メモックロールテープ」だ。今年7月、海外営業との兼務になった。「本当に便利」というこの相棒とともに、創業117年の看板を世界に売り込む。
    (文中敬称略)
    ライター・安楽由紀子 写真部・東川哲也

  • J-WAVE
AM、FM、次はスマホと

J-WAVE 営業局 営業2部 主任 手塚渉(40)

 1988年の開局以来、オシャレな音楽番組で首都圏にその名を響かせてきたFMラジオ局J-WAVE。「J-POP」というジャンルの生みの親とも言われており、リスナーには多くの音楽好きを抱える。手塚渉もその一人だった。
 中学時代からAMラジオを聴き始め、洋楽にハマって高校でFMへと移っていった。J-WAVEが相棒になったのはその頃からだ。
「ラジオの魅力はナビゲーターとの距離が近いことと、音楽との『偶然の出合い』です」
 かけていた番組で偶然、出合った曲が、様々なジャンルの音楽に触れるきっかけになる。自然と聴く音楽の幅も広がっていった。
「本か音楽の近くで働きたい」という希望がかない、早稲田大学第一文学部を卒業した99年に入社。スポンサーを探す営業担当を、内勤で長らくサポートした。2011年に編成部へ移り、番組の垣根を越えての企画を立てるなど、営業と制作の橋渡し役に。今年3月、営業部に戻った。2カ所の経験で広がった仕事の視野を、法人の広告営業に生かす。
 いま注目しているのは、「タイムフリー」というサービス。スマートフォンやパソコンでラジオが聴けるアプリradiko(ラジコ)上で10月11日から、過去1週間分の番組を配信、その音声をツイッターなどでシェアできるようになるのだ。
 深夜番組は「眠くて起きていられない……」という人も多い中、新サービスで深夜番組を聴く人が増えれば、広告主の注目を集め、番組もより活性化されるかもしれない。
「これはラジオ界の変革です。リスナーだけではなく広告主にも新しい価値を提供できるようになります」
 イベントなどでの出勤がない休日は、家で読書や音楽を聴いたり、趣味のエレキギターを弾いたりして過ごす。娘の中学受験も終わり、一息ついた。かつてファンだった横浜DeNAベイスターズの好調に刺激され、観戦を再開しようかと考えるこのごろだ。

(文中敬称略)

編集部・小野ヒデコ 写真部・東川哲也

    J-WAVE
    AM、FM、次はスマホと

    J-WAVE 営業局 営業2部 主任 手塚渉(40)
     1988年の開局以来、オシャレな音楽番組で首都圏にその名を響かせてきたFMラジオ局J-WAVE。「J-POP」というジャンルの生みの親とも言われており、リスナーには多くの音楽好きを抱える。手塚渉もその一人だった。
     中学時代からAMラジオを聴き始め、洋楽にハマって高校でFMへと移っていった。J-WAVEが相棒になったのはその頃からだ。
    「ラジオの魅力はナビゲーターとの距離が近いことと、音楽との『偶然の出合い』です」
     かけていた番組で偶然、出合った曲が、様々なジャンルの音楽に触れるきっかけになる。自然と聴く音楽の幅も広がっていった。
    「本か音楽の近くで働きたい」という希望がかない、早稲田大学第一文学部を卒業した99年に入社。スポンサーを探す営業担当を、内勤で長らくサポートした。2011年に編成部へ移り、番組の垣根を越えての企画を立てるなど、営業と制作の橋渡し役に。今年3月、営業部に戻った。2カ所の経験で広がった仕事の視野を、法人の広告営業に生かす。
     いま注目しているのは、「タイムフリー」というサービス。スマートフォンやパソコンでラジオが聴けるアプリradiko(ラジコ)上で10月11日から、過去1週間分の番組を配信、その音声をツイッターなどでシェアできるようになるのだ。
     深夜番組は「眠くて起きていられない……」という人も多い中、新サービスで深夜番組を聴く人が増えれば、広告主の注目を集め、番組もより活性化されるかもしれない。
    「これはラジオ界の変革です。リスナーだけではなく広告主にも新しい価値を提供できるようになります」
     イベントなどでの出勤がない休日は、家で読書や音楽を聴いたり、趣味のエレキギターを弾いたりして過ごす。娘の中学受験も終わり、一息ついた。かつてファンだった横浜DeNAベイスターズの好調に刺激され、観戦を再開しようかと考えるこのごろだ。
    (文中敬称略)
    編集部・小野ヒデコ 写真部・東川哲也

  • 大宅壮一文庫
貴重な「知」の後方支援

大宅壮一文庫  事業課 主事 鴨志田浩(49)

 およそ1万タイトル、77万冊の雑誌を所蔵する大宅壮一文庫(東京都世田谷区)。評論家・大宅壮一のコレクションを引き継いでつくられた日本で初めての雑誌図書館だ。所蔵する雑誌で一番古いものは、1875(明治8)年の「会館雑誌」。新刊雑誌の蔵書は、年間約1万冊のペースで増えている。
 大宅が1956年につくった書庫が、今でもバックヤードで使われる。利用者が閲覧を希望する雑誌を用意するため、人ひとり通るのがやっとの通路をスタッフが慌ただしく走り回る。書庫から出されるのは1日約1700冊。取り出す雑誌の右側の雑誌を少し出すのは、返却がしやすいように。鴨志田浩は言う。
「この間、初めて取り出す雑誌がありました。これだけ多いと、きっと一度も取り出すことなく終わる雑誌もあるんでしょうね」
 ふと思いついて、NHKの「とと姉ちゃん」で見た商品テストが載っている「暮しの手帖」を見たいとお願いすると、迷いなく一つの書棚まで歩き、スッと1冊抜き取った。
「ああ、これはアイロンの商品テストが載っている号ですね」
 どの雑誌が、どの書庫の、どの棚にあるかは、頭の中に入っている。勤続31年の大ベテラン。日本ジャーナリスト専門学校に通っていた18歳のとき、大宅文庫でバイトを始め、卒業後に職員になった。
 利用者のために雑誌を探して用意したり、コピーを取ったり、書庫への返却作業をしたりといった日常業務の合間に、新しく到着した雑誌が傷まないように表紙にブックコートをかけたりする。最近は、雑誌記事索引のデータベースの維持運営にも関わっている。
「スタッフは30人程度で手が足りないので、全員で助け合いながら作業しています」
 利用者数が減少傾向にある大宅文庫は一時、財政難のニュースも流れた。もっと広く存在を知ってもらおうと、バックヤードツアーを始めるなど、努力も怠らない。
「利用している方の役に立つことが、何よりうれしい」

(文中敬称略)

    大宅壮一文庫
    貴重な「知」の後方支援

    大宅壮一文庫  事業課 主事 鴨志田浩(49)
     およそ1万タイトル、77万冊の雑誌を所蔵する大宅壮一文庫(東京都世田谷区)。評論家・大宅壮一のコレクションを引き継いでつくられた日本で初めての雑誌図書館だ。所蔵する雑誌で一番古いものは、1875(明治8)年の「会館雑誌」。新刊雑誌の蔵書は、年間約1万冊のペースで増えている。
     大宅が1956年につくった書庫が、今でもバックヤードで使われる。利用者が閲覧を希望する雑誌を用意するため、人ひとり通るのがやっとの通路をスタッフが慌ただしく走り回る。書庫から出されるのは1日約1700冊。取り出す雑誌の右側の雑誌を少し出すのは、返却がしやすいように。鴨志田浩は言う。
    「この間、初めて取り出す雑誌がありました。これだけ多いと、きっと一度も取り出すことなく終わる雑誌もあるんでしょうね」
     ふと思いついて、NHKの「とと姉ちゃん」で見た商品テストが載っている「暮しの手帖」を見たいとお願いすると、迷いなく一つの書棚まで歩き、スッと1冊抜き取った。
    「ああ、これはアイロンの商品テストが載っている号ですね」
     どの雑誌が、どの書庫の、どの棚にあるかは、頭の中に入っている。勤続31年の大ベテラン。日本ジャーナリスト専門学校に通っていた18歳のとき、大宅文庫でバイトを始め、卒業後に職員になった。
     利用者のために雑誌を探して用意したり、コピーを取ったり、書庫への返却作業をしたりといった日常業務の合間に、新しく到着した雑誌が傷まないように表紙にブックコートをかけたりする。最近は、雑誌記事索引のデータベースの維持運営にも関わっている。
    「スタッフは30人程度で手が足りないので、全員で助け合いながら作業しています」
     利用者数が減少傾向にある大宅文庫は一時、財政難のニュースも流れた。もっと広く存在を知ってもらおうと、バックヤードツアーを始めるなど、努力も怠らない。
    「利用している方の役に立つことが、何よりうれしい」
    (文中敬称略)

  • はとバス
安全+αの運転を心がけ

はとバス 観光バス事業本部 運輸部 運転課 専門課長 角舘淳(48)

 もう15年以上も前のことになるだろうか。東北1泊2日の旅を担当したときのことだ。ある母と娘が、そのツアーに参加していた。母は足が悪く、娘がサポートしながら、ゆっくりとしか歩くことができない。

「ごめんなさい、遅くて」

 母はバスの乗り降りのときに、何度も謝ってくる。運転していた角舘淳=写真下=はそのつど、「いいんですよ」と恐縮しながら答えた。

 いくつかの観光地を巡り、ホテルに着いたとき、その母はこう言ってくれた。

「運転手さん、ありがとう。いつもは車酔いをするんだけど、今日はしませんでした」
 その言葉は今も、仕事をするうえでの指針になっている。

「お客さまに声をかけることや、安全な運転はドライバーができるサービスですが、それ以上に、乗り物酔いしないスムーズな運転が最大のサービスだと思うんです」

 お金を払っているお客さまに「ありがとう」と言ってもらえる、数少ない仕事の一つだとも思う。だからこそ、できる限りのサービスを心がける。

 高校卒業後、ガソリンスタンドでアルバイトをしながら、観光バスの運転手をめざして21歳で大型2種免許を取得。東京都町田市内を走る路線バスの運転手となり、経験を積み、23歳で、はとバスへと転職した。

 今は課長として、約160人のドライバーをまとめる立場。事故防止の徹底、事故があった場合の指導、新しいツアーでのルート確認や、ツアーが安全確実に実施できるかの検討をこなしつつ、時にハンドルを握っている。

「今は東京五輪の開催が楽しみですね。自分たちのホームグラウンドですから」

 1998年の長野五輪では、関連ツアーなどが数多く組まれ、それこそ目の回るような忙しさを経験した。東京もそうなるはずだ。ベテランドライバーならではの経験を生かしつつ、楽しみたいと考えている。

(文中敬称略)

編集部・大川恵実 写真部・東川哲也

    はとバス
    安全+αの運転を心がけ

    はとバス 観光バス事業本部 運輸部 運転課 専門課長 角舘淳(48)
     もう15年以上も前のことになるだろうか。東北1泊2日の旅を担当したときのことだ。ある母と娘が、そのツアーに参加していた。母は足が悪く、娘がサポートしながら、ゆっくりとしか歩くことができない。
    「ごめんなさい、遅くて」
     母はバスの乗り降りのときに、何度も謝ってくる。運転していた角舘淳=写真下=はそのつど、「いいんですよ」と恐縮しながら答えた。
     いくつかの観光地を巡り、ホテルに着いたとき、その母はこう言ってくれた。
    「運転手さん、ありがとう。いつもは車酔いをするんだけど、今日はしませんでした」  その言葉は今も、仕事をするうえでの指針になっている。
    「お客さまに声をかけることや、安全な運転はドライバーができるサービスですが、それ以上に、乗り物酔いしないスムーズな運転が最大のサービスだと思うんです」
     お金を払っているお客さまに「ありがとう」と言ってもらえる、数少ない仕事の一つだとも思う。だからこそ、できる限りのサービスを心がける。
     高校卒業後、ガソリンスタンドでアルバイトをしながら、観光バスの運転手をめざして21歳で大型2種免許を取得。東京都町田市内を走る路線バスの運転手となり、経験を積み、23歳で、はとバスへと転職した。
     今は課長として、約160人のドライバーをまとめる立場。事故防止の徹底、事故があった場合の指導、新しいツアーでのルート確認や、ツアーが安全確実に実施できるかの検討をこなしつつ、時にハンドルを握っている。
    「今は東京五輪の開催が楽しみですね。自分たちのホームグラウンドですから」
     1998年の長野五輪では、関連ツアーなどが数多く組まれ、それこそ目の回るような忙しさを経験した。東京もそうなるはずだ。ベテランドライバーならではの経験を生かしつつ、楽しみたいと考えている。
    (文中敬称略)
    編集部・大川恵実 写真部・東川哲也

  • 横浜ゴム
クルマを支え、支えられ

横浜ゴム タイヤ企画部 事業開発グループ グループリーダー 佐藤英俊(42)

 社内では典型的な「いじられキャラ」。親しみを込め、「ヒデちゃん」と呼ばれ、周りの空気を和らげる。横浜ゴムの佐藤英俊は、そんな存在だ。

 一方、業務内容は対照的に、シビアそのもの。世界8位のシェアを誇るタイヤ事業の中期計画、および国外工場の新設・拡張プランの立案を任されている。投資額や回収期間を計算、事業可能性を検討し、経営陣に提案する。同社の主力商品を扱うだけに、関連する部門が多く、扱う情報量も膨大なら、動かす金額も大きい。その分のプレッシャーが佐藤と部下8人にのしかかる。

 関係する各部門間で、意見の食い違いが起きることは、やはり避けられない。だから、互いの信頼感がベースに必要。信頼を得るコツは、「上司にも部下にも、自分を装わず本音で接すること」だと思う。

「ピリピリした状況でおのおの不満を残したままプロジェクトを強引に動かしても、しこりが残り、結果としてうまく進まない。『ヒデが言うなら……』と協力してもらえる人を一人ずつ地道に増やしていくことが大切だと思い、若い人たちにもそう伝えています」
 1998年、横浜国立大学経済学部を卒業後、入社。販売促進、製品企画などを経て、2013年から現在の業務に携わっている。

 工場を運営するアメリカ、中国、フィリピン、タイなど計7カ国の生産子会社の事業運営もフォローする。各国の経済状況や販売状況の変化、競合他社の進出など、国内に負けず劣らず調整は大変だ。計画の見直しを迫られることになれば「計画を立てるのと同じくらい骨が折れる」。

 そんなプレッシャーから解放されるときが、「休日に子どもを乗せてのドライブ」と話すほど、大のクルマ好きだ。山越え谷越えクルマが安定して走るように、新設した工場が成長していくさまを見たい、という思いが、仕事上での大きな駆動力になっている。
 
(文中敬称略)

ライター・安楽由紀子 写真・伊ケ崎忍

    横浜ゴム
    クルマを支え、支えられ

    横浜ゴム タイヤ企画部 事業開発グループ グループリーダー 佐藤英俊(42)
     社内では典型的な「いじられキャラ」。親しみを込め、「ヒデちゃん」と呼ばれ、周りの空気を和らげる。横浜ゴムの佐藤英俊は、そんな存在だ。
     一方、業務内容は対照的に、シビアそのもの。世界8位のシェアを誇るタイヤ事業の中期計画、および国外工場の新設・拡張プランの立案を任されている。投資額や回収期間を計算、事業可能性を検討し、経営陣に提案する。同社の主力商品を扱うだけに、関連する部門が多く、扱う情報量も膨大なら、動かす金額も大きい。その分のプレッシャーが佐藤と部下8人にのしかかる。
     関係する各部門間で、意見の食い違いが起きることは、やはり避けられない。だから、互いの信頼感がベースに必要。信頼を得るコツは、「上司にも部下にも、自分を装わず本音で接すること」だと思う。
    「ピリピリした状況でおのおの不満を残したままプロジェクトを強引に動かしても、しこりが残り、結果としてうまく進まない。『ヒデが言うなら……』と協力してもらえる人を一人ずつ地道に増やしていくことが大切だと思い、若い人たちにもそう伝えています」
     1998年、横浜国立大学経済学部を卒業後、入社。販売促進、製品企画などを経て、2013年から現在の業務に携わっている。
     工場を運営するアメリカ、中国、フィリピン、タイなど計7カ国の生産子会社の事業運営もフォローする。各国の経済状況や販売状況の変化、競合他社の進出など、国内に負けず劣らず調整は大変だ。計画の見直しを迫られることになれば「計画を立てるのと同じくらい骨が折れる」。
     そんなプレッシャーから解放されるときが、「休日に子どもを乗せてのドライブ」と話すほど、大のクルマ好きだ。山越え谷越えクルマが安定して走るように、新設した工場が成長していくさまを見たい、という思いが、仕事上での大きな駆動力になっている。
      (文中敬称略)
    ライター・安楽由紀子 写真・伊ケ崎忍

  • モーリス楽器製造
3回の変化、自然へ導き

モーリス楽器製造 製造部 技術課 課長 森中巧(44)

 長野県松本市は、ギターの生産量で国内トップ。湿気が少なく、森林豊かな土地柄が適している。ギター製造を始めてまもなく半世紀になるモーリス楽器製造で、森中巧は高級ギターの製作・開発に携わる。

 高校時代は、器械体操部に所属しながら学園祭限定でバンドを結成。エレキギターでX JAPANの曲などを演奏した。卒業後の進路で選んだのは、エレキを「弾く」ほうではなく、「作る」ほうの専門学校。もの作りが好きだったのと、一生できる仕事に就きたいと思ったのだ。

 2年間エレキ作りを学んだ後、就職先に選んだのがアコースティックギターの工場。就職活動で多くの工場に足を運び、「エレキとアコースティックは構造が全く異なりますが、機械作業が多いエレキより手作業が多いアコースティックを面白いと思ったんです」

 ふるさとの大阪府枚方市から信州へ、3度目の「チェンジ」で松本にたどり着いたのは1992年。塗装や、ギターの本体を作る木工部門などを経て、2014年からは1本30万~80万円するギターを全工程一人で作るとともに、工場全体を見回り、部下に製作を指導する。

 完成までに約3カ月。塗装と研磨を繰り返し、一本一本大切な我が子のように手がける。加工前の胴体用の板は軟らかい。弦を張ると、約60キロの負荷が胴体の表部分にかかるため、ブレーシングという骨組みで強化する。しかし、強くしすぎると、今度は音が鳴らなくなる。バランスが大切だ。

「完成後に、注文者からさらに難しい要望が入ることもありますが、『できません』と言いたくありません。一人で全工程を手掛けるので、そのギターがどういう変化をしてきたかがわかるのが楽しい」

 休日は妻と2人、同じ種類の一眼レフを持って山の草花を撮影しに出かける。自然を細部まで観察する目が、美しい音色を奏でるための丁寧な手作業へと続いている。

(文中敬称略)

編集部・小野ヒデコ 写真部・東川哲也

    モーリス楽器製造
    3回の変化、自然へ導き

    モーリス楽器製造 製造部 技術課 課長 森中巧(44)
     長野県松本市は、ギターの生産量で国内トップ。湿気が少なく、森林豊かな土地柄が適している。ギター製造を始めてまもなく半世紀になるモーリス楽器製造で、森中巧は高級ギターの製作・開発に携わる。
     高校時代は、器械体操部に所属しながら学園祭限定でバンドを結成。エレキギターでX JAPANの曲などを演奏した。卒業後の進路で選んだのは、エレキを「弾く」ほうではなく、「作る」ほうの専門学校。もの作りが好きだったのと、一生できる仕事に就きたいと思ったのだ。
     2年間エレキ作りを学んだ後、就職先に選んだのがアコースティックギターの工場。就職活動で多くの工場に足を運び、「エレキとアコースティックは構造が全く異なりますが、機械作業が多いエレキより手作業が多いアコースティックを面白いと思ったんです」
     ふるさとの大阪府枚方市から信州へ、3度目の「チェンジ」で松本にたどり着いたのは1992年。塗装や、ギターの本体を作る木工部門などを経て、2014年からは1本30万~80万円するギターを全工程一人で作るとともに、工場全体を見回り、部下に製作を指導する。
     完成までに約3カ月。塗装と研磨を繰り返し、一本一本大切な我が子のように手がける。加工前の胴体用の板は軟らかい。弦を張ると、約60キロの負荷が胴体の表部分にかかるため、ブレーシングという骨組みで強化する。しかし、強くしすぎると、今度は音が鳴らなくなる。バランスが大切だ。
    「完成後に、注文者からさらに難しい要望が入ることもありますが、『できません』と言いたくありません。一人で全工程を手掛けるので、そのギターがどういう変化をしてきたかがわかるのが楽しい」
     休日は妻と2人、同じ種類の一眼レフを持って山の草花を撮影しに出かける。自然を細部まで観察する目が、美しい音色を奏でるための丁寧な手作業へと続いている。
    (文中敬称略)
    編集部・小野ヒデコ 写真部・東川哲也

  • 帝人フロンティア
地に足つけ虹を延ばす

帝人フロンティア 繊維資材第一部 東京キャンバス資材課 課長 野田賢一(49)

よく晴れた秋の日。東京都江東区にある東京臨海広域防災公園に、巨大な「人工の虹」が現れた。帝人フロンティアが開発した大型仮設テント「エアロシェルター」だ。約137平方メートルで約65キロ(ミドルサイズ)ある重みを、発電機と送風機各1台と、テントを留める数本のペグでカバーする。設営にかかる時間は30分ほどだ。

 野田賢一は23年間テント事業に携わり、市場拡大に努めてきた。主力製品は、商業施設や住宅などで日よけ・雨よけ用に使う「装飾テント」。エアロシェルターもその一つで、災害時や屋外イベントなどで使われている。国内販売シェア首位を保つ理由は、屋外で使用できる強度と、色や性能が違う250種類ほどを取りそろえていること。全て国内生産し、受注後すぐに出荷できるよう、常に全種類の在庫を用意している。

 愛知県出身で、甲南大学経営学部卒業後の1990年に入社。2013年7月に現職に就いた。管理職としての役目に重きを置きつつ、プレーヤーとしても営業の新規開拓を続けている。

 取引先の信用を得るには知識だけではなく、実際に商品が使われている現場を知ることが大切だと考える。

「部下には、業界の中で誰にも負けないプロになるようにと言っています」
 今年、超小型電気自動車「リモノ」のボディーが布製になるという情報を知り、部下に即電話をするよう指示。採用につなげた。

 休日は庭掃除をしたり、近くの公園や川沿いを妻と一緒にウォーキングしたりする。「長く単身赴任していたので、その埋め合わせです」と話す顔はどこか、照れくさそうだ。

 テント業界も国内市場は縮小傾向にある。

「新しい分野へのチャレンジは必須。テントの海外販売はほぼない状況なので、今後何とか売っていきたいですね」

 挑戦の虹は、国境の向こうへと延びていく。

(文中敬称略)

編集部・小野ヒデコ 写真・門間新弥

    帝人フロンティア
    地に足つけ虹を延ばす

    帝人フロンティア 繊維資材第一部 東京キャンバス資材課 課長 野田賢一(49)
    よく晴れた秋の日。東京都江東区にある東京臨海広域防災公園に、巨大な「人工の虹」が現れた。帝人フロンティアが開発した大型仮設テント「エアロシェルター」だ。約137平方メートルで約65キロ(ミドルサイズ)ある重みを、発電機と送風機各1台と、テントを留める数本のペグでカバーする。設営にかかる時間は30分ほどだ。
     野田賢一は23年間テント事業に携わり、市場拡大に努めてきた。主力製品は、商業施設や住宅などで日よけ・雨よけ用に使う「装飾テント」。エアロシェルターもその一つで、災害時や屋外イベントなどで使われている。国内販売シェア首位を保つ理由は、屋外で使用できる強度と、色や性能が違う250種類ほどを取りそろえていること。全て国内生産し、受注後すぐに出荷できるよう、常に全種類の在庫を用意している。
     愛知県出身で、甲南大学経営学部卒業後の1990年に入社。2013年7月に現職に就いた。管理職としての役目に重きを置きつつ、プレーヤーとしても営業の新規開拓を続けている。
     取引先の信用を得るには知識だけではなく、実際に商品が使われている現場を知ることが大切だと考える。
    「部下には、業界の中で誰にも負けないプロになるようにと言っています」  今年、超小型電気自動車「リモノ」のボディーが布製になるという情報を知り、部下に即電話をするよう指示。採用につなげた。
     休日は庭掃除をしたり、近くの公園や川沿いを妻と一緒にウォーキングしたりする。「長く単身赴任していたので、その埋め合わせです」と話す顔はどこか、照れくさそうだ。
     テント業界も国内市場は縮小傾向にある。
    「新しい分野へのチャレンジは必須。テントの海外販売はほぼない状況なので、今後何とか売っていきたいですね」
     挑戦の虹は、国境の向こうへと延びていく。
    (文中敬称略)
    編集部・小野ヒデコ 写真・門間新弥

  • 国立西洋美術館
世界遺産を追い風に

国立西洋美術館 総務課長 南川貴宣(41)

 東京・上野の森にたたずむ国立西洋美術館。その静かな館内を今、追い風が吹き抜けている。今年7月、近代建築の巨匠ル・コルビュジエが設計した建築作品の一つとして、世界文化遺産への登録が決まったのだ。

 登録への運動は、西洋美術館に加えて外務省、文化庁、東京都、台東区が連携して進めてきた。調整役として中心にいたのが、今年1月に文化庁から異動してきた南川貴宣だ。

 登録決定後、常設展で入館する人は昨年平均のおよそ3倍、日によっては10倍の1日5千人に。来館者や取材への対応、記念事業の企画などに、13人の部下とともに今も追われる毎日。「美術に関心を持っていただくいい機会」と南川は前向きに臨んでいる。

 世界遺産決定を生かそうという機運は館の外にも広がり始めた。

「商店街の方々も、旗やポスターを制作してくださるなど、街全体で盛り上げてくださっています。引き続き周囲の方々と協力して、新しい試みに取り組んでいきます」

 10月には、上野公園周辺の文化施設が一体になって「TOKYO数寄フェス」を開催。西洋美術館は東京藝術大学と協力し、バイオリニストの諏訪内晶子を招いて演奏会を開いた。

 今の南川を動かしているのは「文化芸術振興に携わりたい」という熱い思いだ。しかし、ここまでストレートにたどり着いたわけではない。1997年に南山大学文学部(当時)を卒業し、住宅メーカーに勤務。その後、国立大学職員を経て、転任試験を突破して2003年に文部科学省へ移った。文化庁で主に舞台芸術の支援や著作権関連業務、本省での生涯学習関連業務などのキャリアを積んできた。

 その過程で、「芸術は創造力を養うもの。芸術家でなくどんな仕事に就くにしても創造性は必要だ」という考えを抱くに至った。
 そのためには、まだまだ少ない中高生の来館を増やしたいと思う。休日には高2、中2の娘をいろんな美術館に連れて行き、作品の感想などを言い合って盛り上がっている。

(文中敬称略)

ライター・安楽由紀子 写真部・東川哲也

    国立西洋美術館
    世界遺産を追い風に

    国立西洋美術館 総務課長 南川貴宣(41)
     東京・上野の森にたたずむ国立西洋美術館。その静かな館内を今、追い風が吹き抜けている。今年7月、近代建築の巨匠ル・コルビュジエが設計した建築作品の一つとして、世界文化遺産への登録が決まったのだ。
     登録への運動は、西洋美術館に加えて外務省、文化庁、東京都、台東区が連携して進めてきた。調整役として中心にいたのが、今年1月に文化庁から異動してきた南川貴宣だ。
     登録決定後、常設展で入館する人は昨年平均のおよそ3倍、日によっては10倍の1日5千人に。来館者や取材への対応、記念事業の企画などに、13人の部下とともに今も追われる毎日。「美術に関心を持っていただくいい機会」と南川は前向きに臨んでいる。
     世界遺産決定を生かそうという機運は館の外にも広がり始めた。
    「商店街の方々も、旗やポスターを制作してくださるなど、街全体で盛り上げてくださっています。引き続き周囲の方々と協力して、新しい試みに取り組んでいきます」
     10月には、上野公園周辺の文化施設が一体になって「TOKYO数寄フェス」を開催。西洋美術館は東京藝術大学と協力し、バイオリニストの諏訪内晶子を招いて演奏会を開いた。
     今の南川を動かしているのは「文化芸術振興に携わりたい」という熱い思いだ。しかし、ここまでストレートにたどり着いたわけではない。1997年に南山大学文学部(当時)を卒業し、住宅メーカーに勤務。その後、国立大学職員を経て、転任試験を突破して2003年に文部科学省へ移った。文化庁で主に舞台芸術の支援や著作権関連業務、本省での生涯学習関連業務などのキャリアを積んできた。
     その過程で、「芸術は創造力を養うもの。芸術家でなくどんな仕事に就くにしても創造性は必要だ」という考えを抱くに至った。
     そのためには、まだまだ少ない中高生の来館を増やしたいと思う。休日には高2、中2の娘をいろんな美術館に連れて行き、作品の感想などを言い合って盛り上がっている。
    (文中敬称略)
    ライター・安楽由紀子 写真部・東川哲也

  • 日比谷花壇
会ってきたように送る花

 生花販売が本業の日比谷花壇が、花の祭壇作りから式場の予約、式の進行、料理の手配まで葬儀のトータルサービスを請け負う事業を始めたのは2004年。担当する金澤和央=写真手前右=に、父・幸一(64)=同奥=の葬儀を想定した祭壇を、早稲田奉仕園スコットホールギャラリー(東京都新宿区)に作ってもらった。

 父の趣味の絵を、個展を開くイメージで飾り、「父が笑顔の時」を思い、母と寄り添う写真や、赤ん坊の金澤を風呂に入れる若き日の父の写真も添えた。咲き誇るのは父の好きなバラ。この小さな庭園を金澤の2人の息子が駆け回る。父本人は、「不思議な感じ」と苦笑いしつつ「素晴らしい」と目を細めた。

 昨今は「終活」として本人が相談に来たり、闘病中から家族が準備を始めたりするなど、時間をかけてプランを練るケースも増えてきた。とはいえ、大半はやはり突然の依頼。悲しみに動揺するなかで、故人や家族の思いをくみ取って一両日中に形にする。

 著名人の葬儀も手がけた。永六輔さんのお別れの会では、ラジオをライフワークとしていたことにちなみ、ポストを設置。投函されたファンからのメッセージは800通近くに上った。水木しげるさんの時は、目玉おやじのコサージュや妖怪を模した料理も提案した。

 04年に早稲田大学商学部を卒業し、日比谷花壇に入社した理由は、「言葉も宗教も関係なく人を喜ばせることができる花を通して、死という究極の場面で人の役に立ちたい」だった。葬儀のトータルサービスは、事業の立ち上げから携わる。「葬儀を悲しみだけで終わらせず、笑顔の瞬間を作り出そう」と7人いる部下には声をかけている。

「黒衣という立場は守りつつも、ご家族とともに愛をこめて葬儀を作る気持ちで臨んでいます」。葬儀後

 めざすは「故人が喜ぶ葬儀」。生と死を、笑顔と花でつないでいく。

(文中敬称略)

ライター・安楽由紀子 写真部・東川哲也

    日比谷花壇
    会ってきたように送る花

     生花販売が本業の日比谷花壇が、花の祭壇作りから式場の予約、式の進行、料理の手配まで葬儀のトータルサービスを請け負う事業を始めたのは2004年。担当する金澤和央=写真手前右=に、父・幸一(64)=同奥=の葬儀を想定した祭壇を、早稲田奉仕園スコットホールギャラリー(東京都新宿区)に作ってもらった。
     父の趣味の絵を、個展を開くイメージで飾り、「父が笑顔の時」を思い、母と寄り添う写真や、赤ん坊の金澤を風呂に入れる若き日の父の写真も添えた。咲き誇るのは父の好きなバラ。この小さな庭園を金澤の2人の息子が駆け回る。父本人は、「不思議な感じ」と苦笑いしつつ「素晴らしい」と目を細めた。
     昨今は「終活」として本人が相談に来たり、闘病中から家族が準備を始めたりするなど、時間をかけてプランを練るケースも増えてきた。とはいえ、大半はやはり突然の依頼。悲しみに動揺するなかで、故人や家族の思いをくみ取って一両日中に形にする。
     著名人の葬儀も手がけた。永六輔さんのお別れの会では、ラジオをライフワークとしていたことにちなみ、ポストを設置。投函されたファンからのメッセージは800通近くに上った。水木しげるさんの時は、目玉おやじのコサージュや妖怪を模した料理も提案した。
     04年に早稲田大学商学部を卒業し、日比谷花壇に入社した理由は、「言葉も宗教も関係なく人を喜ばせることができる花を通して、死という究極の場面で人の役に立ちたい」だった。葬儀のトータルサービスは、事業の立ち上げから携わる。「葬儀を悲しみだけで終わらせず、笑顔の瞬間を作り出そう」と7人いる部下には声をかけている。
    「黒衣という立場は守りつつも、ご家族とともに愛をこめて葬儀を作る気持ちで臨んでいます」。葬儀後
     めざすは「故人が喜ぶ葬儀」。生と死を、笑顔と花でつないでいく。
    (文中敬称略)
    ライター・安楽由紀子 写真部・東川哲也

  • 江の島ピーエフアイ
つながる命を伝えたい

江の島ピーエフアイ 施設統括部 ショー制作チーム チームリーダー 板倉知広(43)

「えのすいトリーター」と呼ばれるダイバーが大水槽の中に入ると、1匹の魚が近寄り、そばで泳ぎ始めた。

「あれはタカノハダイのキャンディーです。このトリーターと大の仲良しなんです」

 新江ノ島水族館(えのすい)でショーの制作を担当する板倉知広=写真右=が教えてくれた。大水槽で行われるショー「うおゴコロ」でトリーターは、水槽にいる魚たちを次々と紹介していく。

「トリーターたちが普段、動物たちと接している姿を見せるようなショーにしているんです」

 えのすいでは、「うおゴコロ」以外にも、クラゲ、イルカ、ペンギンなど、六つのショーを楽しむことができる。板倉はこのすべての制作に携わる。

 アルバイトを含め25人のチームを率いて、新しいショーの開発を担当。それだけでなく、ショーのクオリティーを上げるために演出家や舞台監督と話し合ったり、プログラムのメンテナンスの対応をしたりもする。クラゲのショーでは世界で初めて、3Dプロジェクションマッピングを採り入れた。

「魚や動物をもっと好きになってほしいし、つながる命を感じてほしいんです」

 1996年、東海大学文学部卒業後に、記念品などを販売する会社へ入社したが、「地球の環境保全に貢献する仕事がしたい」と一念発起。2001年、東海大学海洋学部へ再入学した。

 その在学中にえのすいでバイトを始め、水族館に来た人たちが、動物の命に触れることで、地球環境のことまで考えてくれるかもしれないと思うようになった。04年にえのすいの社員になってからずっと、制作を担当する。

「お金をかけた豪華なショーというよりも、心地のいい水族館で、温かい気持ちになれるショーをつくっていきたい」

 どのショーにも、板倉のそんな人柄がにじみ出ている。

(文中敬称略)


編集部・大川恵実 写真・伊ケ崎忍

    江の島ピーエフアイ
    つながる命を伝えたい

    江の島ピーエフアイ 施設統括部 ショー制作チーム チームリーダー 板倉知広(43)
    「えのすいトリーター」と呼ばれるダイバーが大水槽の中に入ると、1匹の魚が近寄り、そばで泳ぎ始めた。
    「あれはタカノハダイのキャンディーです。このトリーターと大の仲良しなんです」
     新江ノ島水族館(えのすい)でショーの制作を担当する板倉知広=写真右=が教えてくれた。大水槽で行われるショー「うおゴコロ」でトリーターは、水槽にいる魚たちを次々と紹介していく。
    「トリーターたちが普段、動物たちと接している姿を見せるようなショーにしているんです」
     えのすいでは、「うおゴコロ」以外にも、クラゲ、イルカ、ペンギンなど、六つのショーを楽しむことができる。板倉はこのすべての制作に携わる。
     アルバイトを含め25人のチームを率いて、新しいショーの開発を担当。それだけでなく、ショーのクオリティーを上げるために演出家や舞台監督と話し合ったり、プログラムのメンテナンスの対応をしたりもする。クラゲのショーでは世界で初めて、3Dプロジェクションマッピングを採り入れた。
    「魚や動物をもっと好きになってほしいし、つながる命を感じてほしいんです」
     1996年、東海大学文学部卒業後に、記念品などを販売する会社へ入社したが、「地球の環境保全に貢献する仕事がしたい」と一念発起。2001年、東海大学海洋学部へ再入学した。
     その在学中にえのすいでバイトを始め、水族館に来た人たちが、動物の命に触れることで、地球環境のことまで考えてくれるかもしれないと思うようになった。04年にえのすいの社員になってからずっと、制作を担当する。
    「お金をかけた豪華なショーというよりも、心地のいい水族館で、温かい気持ちになれるショーをつくっていきたい」
     どのショーにも、板倉のそんな人柄がにじみ出ている。
    (文中敬称略)
    編集部・大川恵実 写真・伊ケ崎忍

  • ユニ・チャーム
安さより心地よさで

ユニ・チャーム ジャパンプロケア営業統括本部 プロケア営業本部 首都圏第1支店東京エリアマネージャー 大西毅(40)

 大西毅が、東京都内のある区立介護施設=写真=を訪ねたのは4年前。介護用の紙おむつの営業を担当していた。区が単価を決めて入札するため、個々の施設を訪ねても成約は期待できないが、それでも「よりよいケアを提案できたら」と考えたのだ。

 大西は施設側に、ケアについて真剣に意見を述べた。スタッフはその姿に心動かされ、価格以外の条件も検討するよう、区に制度変更を働きかけた。1年目は実を結ばなかったが、大西もスタッフも諦めず、2年目に晴れて採用になった。

 高齢化で拡大が見込める紙おむつ業界には20社近くのメーカーがひしめく。とにかく「安さ」を訴えて攻勢をかける会社もあるが、大西の営業方針は違う。漏れの少なさや通気性など利用者の快適性こそ、スタッフの負担減やトータルでのコスト削減につながると、現場の人々に寄り添って丁寧に説明する。

 大学では農学部で生物学を学び、1998年に卒業後、外資系製薬会社で営業職(MR)に。2002年に渡豪し、働きながら英語を習得。04年に帰国してユニ・チャームに入社以来、紙おむつの営業一筋だ。MR時代に病院を回った感覚をフルに生かし、大口の成約を次々に獲得してきた。海外の現地法人に営業手法を教えたこともある。

「施設の中で、我々の理念に共感する人を少しずつ増やしていけばおのずと道は開ける」

 独自の感覚を言葉で8人の部下たちに伝えることは難しいと思うが、後進が育てばと、若手が互いに教え合う勉強会を企画する。

「紙おむつは命を救う新薬ではないが、単なる消耗品でも決してない。『朝、いつも機嫌が悪かった方が笑顔になった』と聞くと、心地よく眠ることができたのだとうれしくなる。社会貢献度がとても高い仕事だと思う」

 年が明けたら、北信越支店長に昇進する。

「組織づくりと同時に、今後も自らトップセールスを目指していきたい」

 東京で地道に築いた人間関係は「宝物」として胸にしまい、新天地に飛び立つ。

(文中敬称略)


ライター・安楽由紀子 写真・伊ケ崎忍

    ユニ・チャーム
    安さより心地よさで

    ユニ・チャーム ジャパンプロケア営業統括本部 プロケア営業本部 首都圏第1支店東京エリアマネージャー 大西毅(40)
     大西毅が、東京都内のある区立介護施設=写真=を訪ねたのは4年前。介護用の紙おむつの営業を担当していた。区が単価を決めて入札するため、個々の施設を訪ねても成約は期待できないが、それでも「よりよいケアを提案できたら」と考えたのだ。
     大西は施設側に、ケアについて真剣に意見を述べた。スタッフはその姿に心動かされ、価格以外の条件も検討するよう、区に制度変更を働きかけた。1年目は実を結ばなかったが、大西もスタッフも諦めず、2年目に晴れて採用になった。
     高齢化で拡大が見込める紙おむつ業界には20社近くのメーカーがひしめく。とにかく「安さ」を訴えて攻勢をかける会社もあるが、大西の営業方針は違う。漏れの少なさや通気性など利用者の快適性こそ、スタッフの負担減やトータルでのコスト削減につながると、現場の人々に寄り添って丁寧に説明する。
     大学では農学部で生物学を学び、1998年に卒業後、外資系製薬会社で営業職(MR)に。2002年に渡豪し、働きながら英語を習得。04年に帰国してユニ・チャームに入社以来、紙おむつの営業一筋だ。MR時代に病院を回った感覚をフルに生かし、大口の成約を次々に獲得してきた。海外の現地法人に営業手法を教えたこともある。
    「施設の中で、我々の理念に共感する人を少しずつ増やしていけばおのずと道は開ける」
     独自の感覚を言葉で8人の部下たちに伝えることは難しいと思うが、後進が育てばと、若手が互いに教え合う勉強会を企画する。
    「紙おむつは命を救う新薬ではないが、単なる消耗品でも決してない。『朝、いつも機嫌が悪かった方が笑顔になった』と聞くと、心地よく眠ることができたのだとうれしくなる。社会貢献度がとても高い仕事だと思う」
     年が明けたら、北信越支店長に昇進する。
    「組織づくりと同時に、今後も自らトップセールスを目指していきたい」
     東京で地道に築いた人間関係は「宝物」として胸にしまい、新天地に飛び立つ。
    (文中敬称略)
    ライター・安楽由紀子 写真・伊ケ崎忍

  • エスビー食品
香る緑の力を信じて

エスビー食品 営業グループ ハーブ営業部 ハーブ供給ユニット マネージャー 伊藤弘敬(51)

「頭の中は緑色。ハーブでいっぱい」

 伊藤弘敬は笑いながらも真剣な目でこう語った。撮影地の「エスビーハーブセンターつくば」(茨城県常総市)は、エスビー食品と地元農家が共同運営する生鮮ハーブ生産施設の一つ。バジル、パクチー、ミントなど約20種類をハウスで栽培し、毎日、出荷している。全国に約40あるこうした生産現場と連携し、企画から品質管理、設備投資など、生産業務のすべてを12人の部下と担う。

 ハーブは別名「軟弱野菜」と呼ばれるぐらい傷みやすい。品質・供給の安定が最大の課題だ。緊急時は365日問わず電話があり、判断が求められる。例えば台風。いざとなれば、ハウスのビニールをはぐ決断さえしなければならない。ハーブが全滅しても、ハウスごと吹き飛ばされるよりましだからだ。9月は記録的な日照不足に悩む日々が続いた。自然は容赦ない。

「生産責任をすべて負っているため、気の休まる時がない。一課長ではあるけれど、気持ちの上では経営者。ピンチの連続だが、ある意味、精神的にずぶとく成長していくしかない」

 一人ひとりが責任者という心構えでいなければ、農家と信頼関係は築けないと後進にもアドバイスしている。

 千葉県出身。信州大学農学部を卒業後、1988年に入社。カレーや練りわさびの研究開発や商品企画などに携わった。2009年、現職に就くとき、両親に「昔の夢がかなったね」と祝福され、少年時代の記憶がよみがえった。地元の畑が次々に住宅に変わり心を痛め、農業のために働きたいと思ったこと。中学から大学まで長距離ランナーとして活躍し、人々の健康を食から支えたいと思ったこと。

 来年、ハーブ事業は30周年を迎える。昨今のパクチーブームも、会社として粘り強く作り続けてきたことの成果でもあると自負する。

「それでも欧米と比べ日本のハーブ文化はまだまだ。今後も市場をリードしていきたい」

 芳しいハーブに包まれ、17年も強く駆けてゆく。

(文中敬称略)

ライター・安楽由紀子 写真部・東川哲也

    エスビー食品
    香る緑の力を信じて

    エスビー食品 営業グループ ハーブ営業部 ハーブ供給ユニット マネージャー 伊藤弘敬(51)
    「頭の中は緑色。ハーブでいっぱい」
     伊藤弘敬は笑いながらも真剣な目でこう語った。撮影地の「エスビーハーブセンターつくば」(茨城県常総市)は、エスビー食品と地元農家が共同運営する生鮮ハーブ生産施設の一つ。バジル、パクチー、ミントなど約20種類をハウスで栽培し、毎日、出荷している。全国に約40あるこうした生産現場と連携し、企画から品質管理、設備投資など、生産業務のすべてを12人の部下と担う。
     ハーブは別名「軟弱野菜」と呼ばれるぐらい傷みやすい。品質・供給の安定が最大の課題だ。緊急時は365日問わず電話があり、判断が求められる。例えば台風。いざとなれば、ハウスのビニールをはぐ決断さえしなければならない。ハーブが全滅しても、ハウスごと吹き飛ばされるよりましだからだ。9月は記録的な日照不足に悩む日々が続いた。自然は容赦ない。
    「生産責任をすべて負っているため、気の休まる時がない。一課長ではあるけれど、気持ちの上では経営者。ピンチの連続だが、ある意味、精神的にずぶとく成長していくしかない」
     一人ひとりが責任者という心構えでいなければ、農家と信頼関係は築けないと後進にもアドバイスしている。
     千葉県出身。信州大学農学部を卒業後、1988年に入社。カレーや練りわさびの研究開発や商品企画などに携わった。2009年、現職に就くとき、両親に「昔の夢がかなったね」と祝福され、少年時代の記憶がよみがえった。地元の畑が次々に住宅に変わり心を痛め、農業のために働きたいと思ったこと。中学から大学まで長距離ランナーとして活躍し、人々の健康を食から支えたいと思ったこと。
     来年、ハーブ事業は30周年を迎える。昨今のパクチーブームも、会社として粘り強く作り続けてきたことの成果でもあると自負する。
    「それでも欧米と比べ日本のハーブ文化はまだまだ。今後も市場をリードしていきたい」
     芳しいハーブに包まれ、17年も強く駆けてゆく。
    (文中敬称略)
    ライター・安楽由紀子 写真部・東川哲也

  • 加茂
ヒトもトリも「大家族」

加茂 富士花鳥園 副園長 宮本正明(46)

 富士山のふもとで、約65種類330羽の鳥が暮らす富士花鳥園。とり年の今年、かわいい小さなフクロウ2羽が入り口で出迎えてくれる。

 副園長の宮本正明は、開園前に全ての鳥を見回り、滞りなく一日を送ることができそうか確認をするのが毎朝の日課だ。「ゲゲ」と鳴きながら近づいてくるフラミンゴには、「ゲゲ」と返事。翼を広げた姿を披露してくれると、「かっこいいね~」と声をかける。
「鳥たちは人の顔を覚えます。鳴き声をマネすることで、心理的にも物理的にも距離が近づく感じがします」

 宮本はお隣の静岡県富士市出身。元々動物好きだが、最初は動物関連の仕事に就くつもりはなかった。工業高校を卒業後、手に職をつけようと1988年に電機メーカーに就職。機械を相手に働いてみて気づいたのは、「動物が好き」という本当の気持ちだった。ちょうどそのころ、花鳥園がスタッフ募集をしていて、応募した。

 99年の入社から半年間、フクロウの飼養管理を担当した。おとなしいとはいえ、小動物を食べる猛禽類。フクロウの中で最も握力が強いアメリカワシミミズクを捕まえようとしてうまくいかず、腕に装着した革グローブを鋭い爪が貫通したこともあった。

 エミューを担当したときは卵の孵化にも挑戦した。エミューは、自分の娘と同い年のものもいて「縁が深い鳥」。2年ほど前に副園長になっても、エミューの担当は続けている。
 休日はバス釣りや、始めたばかりのエレキギターの練習を楽しむ宮本だが、自宅ではやはりインコを飼っている。妻も鳥好きだ。

「でも、娘はその反動か鳥はイマイチで、『アイタタ……』という感じです」と苦笑い。

 顔見知りになったリピーターに、好きな鳥の好物のエサを渡すなど、人への心配りも忘れない。

 宮本をはじめとする園スタッフの優しいまなざし。鳥たちが安心して甘える様子は、大家族を見ているかのようだった。

(文中敬称略)

編集部・小野ヒデコ 写真部・東川哲也

    加茂
    ヒトもトリも「大家族」

    加茂 富士花鳥園 副園長 宮本正明(46)
     富士山のふもとで、約65種類330羽の鳥が暮らす富士花鳥園。とり年の今年、かわいい小さなフクロウ2羽が入り口で出迎えてくれる。
     副園長の宮本正明は、開園前に全ての鳥を見回り、滞りなく一日を送ることができそうか確認をするのが毎朝の日課だ。「ゲゲ」と鳴きながら近づいてくるフラミンゴには、「ゲゲ」と返事。翼を広げた姿を披露してくれると、「かっこいいね~」と声をかける。 「鳥たちは人の顔を覚えます。鳴き声をマネすることで、心理的にも物理的にも距離が近づく感じがします」
     宮本はお隣の静岡県富士市出身。元々動物好きだが、最初は動物関連の仕事に就くつもりはなかった。工業高校を卒業後、手に職をつけようと1988年に電機メーカーに就職。機械を相手に働いてみて気づいたのは、「動物が好き」という本当の気持ちだった。ちょうどそのころ、花鳥園がスタッフ募集をしていて、応募した。
     99年の入社から半年間、フクロウの飼養管理を担当した。おとなしいとはいえ、小動物を食べる猛禽類。フクロウの中で最も握力が強いアメリカワシミミズクを捕まえようとしてうまくいかず、腕に装着した革グローブを鋭い爪が貫通したこともあった。
     エミューを担当したときは卵の孵化にも挑戦した。エミューは、自分の娘と同い年のものもいて「縁が深い鳥」。2年ほど前に副園長になっても、エミューの担当は続けている。  休日はバス釣りや、始めたばかりのエレキギターの練習を楽しむ宮本だが、自宅ではやはりインコを飼っている。妻も鳥好きだ。
    「でも、娘はその反動か鳥はイマイチで、『アイタタ……』という感じです」と苦笑い。
     顔見知りになったリピーターに、好きな鳥の好物のエサを渡すなど、人への心配りも忘れない。
     宮本をはじめとする園スタッフの優しいまなざし。鳥たちが安心して甘える様子は、大家族を見ているかのようだった。
    (文中敬称略)
    編集部・小野ヒデコ 写真部・東川哲也

  • 新日鉄住金
100人の一歩を大事に

新日鉄住金 君津製鉄所 製鋼部 第二製鋼工場 第二精錬課長 加藤大樹(33)

 1600℃以上に熱せられた300トンの溶けた鉄が、転炉と呼ばれる炉から運搬用の器へと移し替えられても、炉についた鉄はそのまま赤々と光を放っていた。そのまぶしさは太陽のようでもあり、火山口からマグマをのぞいているようでもある。現場はとにかく安全の確保が最優先。撮影のチャンスも、1時間ほど待機したのちに、わずか5分程度訪れただけだった。

 千葉にある新日鉄住金君津製鉄所は、東京ドーム約220個分の敷地を有し、年間900万トンに迫る粗鋼を生産する。加藤大樹の属す第二製鋼工場は主に、高炉から運ばれた溶けた鉄と鉄スクラップを転炉に装入し、そこに高圧の酸素を吹き込んで、不要な炭素分などを取り除く工程を担う。

「転炉はほぼ休みなく動き、1日で合計60杯以上は作ります」

 加藤は、東京大学大学院マテリアル工学専攻修士課程修了。日本の産業を支え、広く社会に関わっている「鉄」の仕事がしたいと、2007年に新日本製鉄(当時)へ入社。君津製鉄所の製鋼部製鋼技術グループへ配属された。最初に担当した仕事は、溶融した鋼を冷却して凝固させるプロセスの生産性向上。最適な冷却速度を計算し、試験を重ね、10%生産性を高めることに成功した。

 16年4月に現職の課長になった。117人いる部下の安全管理や労務管理を始め、品質やコストなどの管理・改善が仕事だ。まだ33歳、半分以上の部下が年上だが、話を聞きながら、一人一人のレベルアップを促すように心がける。ときにプライベートの悩みを相談されることもあるが、よりよい解決策を共に考える。

「チームで役割分担しながらモノづくりをしているので、一人でも機能しないと製品が正しく作れなくなるんです。みんなの向上意欲を大切にしたい。製造現場は、一人の100歩より、100人の一歩が大事ですから」

 半年前に生まれた息子がいる。いつか、この工場を見せてあげたいと思う。

(文中敬称略)

編集部・大川恵実 写真部・東川哲也

    新日鉄住金
    100人の一歩を大事に

    新日鉄住金 君津製鉄所 製鋼部 第二製鋼工場 第二精錬課長 加藤大樹(33)
     1600℃以上に熱せられた300トンの溶けた鉄が、転炉と呼ばれる炉から運搬用の器へと移し替えられても、炉についた鉄はそのまま赤々と光を放っていた。そのまぶしさは太陽のようでもあり、火山口からマグマをのぞいているようでもある。現場はとにかく安全の確保が最優先。撮影のチャンスも、1時間ほど待機したのちに、わずか5分程度訪れただけだった。
     千葉にある新日鉄住金君津製鉄所は、東京ドーム約220個分の敷地を有し、年間900万トンに迫る粗鋼を生産する。加藤大樹の属す第二製鋼工場は主に、高炉から運ばれた溶けた鉄と鉄スクラップを転炉に装入し、そこに高圧の酸素を吹き込んで、不要な炭素分などを取り除く工程を担う。
    「転炉はほぼ休みなく動き、1日で合計60杯以上は作ります」
     加藤は、東京大学大学院マテリアル工学専攻修士課程修了。日本の産業を支え、広く社会に関わっている「鉄」の仕事がしたいと、2007年に新日本製鉄(当時)へ入社。君津製鉄所の製鋼部製鋼技術グループへ配属された。最初に担当した仕事は、溶融した鋼を冷却して凝固させるプロセスの生産性向上。最適な冷却速度を計算し、試験を重ね、10%生産性を高めることに成功した。
     16年4月に現職の課長になった。117人いる部下の安全管理や労務管理を始め、品質やコストなどの管理・改善が仕事だ。まだ33歳、半分以上の部下が年上だが、話を聞きながら、一人一人のレベルアップを促すように心がける。ときにプライベートの悩みを相談されることもあるが、よりよい解決策を共に考える。
    「チームで役割分担しながらモノづくりをしているので、一人でも機能しないと製品が正しく作れなくなるんです。みんなの向上意欲を大切にしたい。製造現場は、一人の100歩より、100人の一歩が大事ですから」
     半年前に生まれた息子がいる。いつか、この工場を見せてあげたいと思う。
    (文中敬称略)
    編集部・大川恵実 写真部・東川哲也

  • 伊藤ハム
伸び伸び生きる場ひらく

伊藤ハム 食肉事業本部 海外食肉本部 戦略担当 担当課長 杉山美佳(52)

「伊藤ハム」というと加工食品が思い浮かぶが、実は食肉の売り上げがグループ全体の約65%を占める。中でも輸入食肉はグループ売り上げ全体のおよそ35%を占める大黒柱。その事業をスペシャリストとして支えているのが、杉山美佳だ。

 輸入ビーフ、輸入ポーク、貿易業務の三つの部署の成績管理を行うほか、海外駐在員のサポート、子会社であるニュージーランドの食肉会社アンズコフーズの事業管理も行う。
 写真は、アンズコフーズジャパンが運営するレストラン「ワカヌイ」で撮影した。「大自然のなかで伸び伸び育てたニュージーランド産ビーフやラムのおいしさは格別。この味をもっと広めていきたい」と語る。

 中央大学文学部卒業後、男女雇用機会均等法の第一世代として1987年に入社。以来輸入食肉に関わってきた。入社2年目にして早くも部署内で最年長の女性社員に。「当時は自分自身もここまで仕事を続けるとは思わなかった」と言う。そういう時代だったのだ。91年、牛肉の輸入自由化後は海外拠点が増え、業務の幅が広がった。ほどなくニュージーランドにアンズコフーズとの合弁でフィードロット(牛の穀物肥育場)を設立。日本側の窓口業務を担うようになった。

 仕事は面白かったが、それだけに見えない天井の存在も感じた。30代に入ったころだ。このままでいいのだろうか――。悩んだ末、会社を辞めるつもりで米国公認会計士の勉強を始めた。帰宅後、寝る間を惜しんで問題演習に励む日々。社内で女性活躍推進委員に命じられたのはそんなときだった。

「2年間、支援制度の整備などの改革に取り組み、私たちにも管理職の道が開けた。結果として会計士の道は諦めることになったけれど、そこで得た知識は今も業務に役立っています」

 柔らかな語り口。決して“バリバリ“というタイプではない。だが、海外業務で困ったら「まず杉山に相談」と言われるほど頼もしい存在だ。彼女をよく知る社員は言う。
「彼女は奥ゆかしいパイオニアなんです」

(文中敬称略)

ライター・安楽由紀子 写真・門間新弥

    伊藤ハム
    伸び伸び生きる場ひらく

    伊藤ハム 食肉事業本部 海外食肉本部 戦略担当 担当課長 杉山美佳(52)
    「伊藤ハム」というと加工食品が思い浮かぶが、実は食肉の売り上げがグループ全体の約65%を占める。中でも輸入食肉はグループ売り上げ全体のおよそ35%を占める大黒柱。その事業をスペシャリストとして支えているのが、杉山美佳だ。
     輸入ビーフ、輸入ポーク、貿易業務の三つの部署の成績管理を行うほか、海外駐在員のサポート、子会社であるニュージーランドの食肉会社アンズコフーズの事業管理も行う。
     写真は、アンズコフーズジャパンが運営するレストラン「ワカヌイ」で撮影した。「大自然のなかで伸び伸び育てたニュージーランド産ビーフやラムのおいしさは格別。この味をもっと広めていきたい」と語る。
     中央大学文学部卒業後、男女雇用機会均等法の第一世代として1987年に入社。以来輸入食肉に関わってきた。入社2年目にして早くも部署内で最年長の女性社員に。「当時は自分自身もここまで仕事を続けるとは思わなかった」と言う。そういう時代だったのだ。91年、牛肉の輸入自由化後は海外拠点が増え、業務の幅が広がった。ほどなくニュージーランドにアンズコフーズとの合弁でフィードロット(牛の穀物肥育場)を設立。日本側の窓口業務を担うようになった。
     仕事は面白かったが、それだけに見えない天井の存在も感じた。30代に入ったころだ。このままでいいのだろうか――。悩んだ末、会社を辞めるつもりで米国公認会計士の勉強を始めた。帰宅後、寝る間を惜しんで問題演習に励む日々。社内で女性活躍推進委員に命じられたのはそんなときだった。
    「2年間、支援制度の整備などの改革に取り組み、私たちにも管理職の道が開けた。結果として会計士の道は諦めることになったけれど、そこで得た知識は今も業務に役立っています」
     柔らかな語り口。決して“バリバリ“というタイプではない。だが、海外業務で困ったら「まず杉山に相談」と言われるほど頼もしい存在だ。彼女をよく知る社員は言う。 「彼女は奥ゆかしいパイオニアなんです」
    (文中敬称略)
    ライター・安楽由紀子 写真・門間新弥

  • 喜代村
伝統つなぎ若手を育てる

喜代村 喜代村塾(すし職人養成校) 教育課長 下山和秀(48)

 すしを握るその手はツヤッとして滑らか。「修業先の大旦那に教えられた。『板前は役者だ』って。お客様に見られる商売だから」。その教えを守ってケアを怠らない下山和秀=上=の手は、十数年間、荒れたことがない。

「すしざんまい」を展開する喜代村はすし学校「喜代村塾」を運営している。未経験者を正社員として採用し、職人養成基礎講座で約3カ月間指導する。その後は店舗で実践を重ね、約2年間で一人前のすし職人を目指す。板前が減り、修業者を受け入れる個人店も減る中、若手の育成は業界全体の大きな課題だ。ここで座学から実践まで指導にあたっているのが下山である。生徒は10代もいれば脱サラした20代、30代も。女性も徐々に増えてきた。「女性は板前に向かない」といわれたのは昔の話。やる気に男女は関係ない。

「入塾式で『厳しいよ』とあらかじめ言っているけど、卒業前に辞める生徒も少なくない。簡単にプロになれると思っているんだろうね。寂しいけど、他の一生懸命な生徒のために気持ちはすぐに切り替える」

 振り返れば、自分も辞めたいと何度も思った。ヤンチャしていた中学を卒業後、日本橋の店で修業。朝は早いし力仕事も多い。でも高校に進学した同級生は遊んでいる。
 板前としての覚悟が決まったのは20代半ば。都内の店を3軒ほど経て、先輩に引っ張られる形で2003年に喜代村入社。本店勤務や新規店舗の立ち上げにも携わり、店長も務めた。10年、上司や周囲の推薦で講師となった。

 生徒によく言うことは「頭は生きてるうちに使え」。次々に入るオーダーをすべて覚え、箸を使う人と手でつまむ人とでは握り方を変え、笑顔で会話。頭はフル回転だ。
「仕事は一生修業。現場でも、学校でもそう。人を育てることにもゴールはないでしょ」

 一人前に育った姿を見るのがうれしい。海外のすし店に就職したという知らせが届くこともある。「私は口が悪いから講師に向かない」と笑うが、教え子たちはなぜ下山が講師に推薦されたのかわかっているはずだ。

(文中敬称略)

ライター・安楽由紀子 写真・伊ケ崎忍

    喜代村
    伝統つなぎ若手を育てる

    喜代村 喜代村塾(すし職人養成校) 教育課長 下山和秀(48)
     すしを握るその手はツヤッとして滑らか。「修業先の大旦那に教えられた。『板前は役者だ』って。お客様に見られる商売だから」。その教えを守ってケアを怠らない下山和秀=上=の手は、十数年間、荒れたことがない。
    「すしざんまい」を展開する喜代村はすし学校「喜代村塾」を運営している。未経験者を正社員として採用し、職人養成基礎講座で約3カ月間指導する。その後は店舗で実践を重ね、約2年間で一人前のすし職人を目指す。板前が減り、修業者を受け入れる個人店も減る中、若手の育成は業界全体の大きな課題だ。ここで座学から実践まで指導にあたっているのが下山である。生徒は10代もいれば脱サラした20代、30代も。女性も徐々に増えてきた。「女性は板前に向かない」といわれたのは昔の話。やる気に男女は関係ない。
    「入塾式で『厳しいよ』とあらかじめ言っているけど、卒業前に辞める生徒も少なくない。簡単にプロになれると思っているんだろうね。寂しいけど、他の一生懸命な生徒のために気持ちはすぐに切り替える」
     振り返れば、自分も辞めたいと何度も思った。ヤンチャしていた中学を卒業後、日本橋の店で修業。朝は早いし力仕事も多い。でも高校に進学した同級生は遊んでいる。  板前としての覚悟が決まったのは20代半ば。都内の店を3軒ほど経て、先輩に引っ張られる形で2003年に喜代村入社。本店勤務や新規店舗の立ち上げにも携わり、店長も務めた。10年、上司や周囲の推薦で講師となった。
     生徒によく言うことは「頭は生きてるうちに使え」。次々に入るオーダーをすべて覚え、箸を使う人と手でつまむ人とでは握り方を変え、笑顔で会話。頭はフル回転だ。 「仕事は一生修業。現場でも、学校でもそう。人を育てることにもゴールはないでしょ」
     一人前に育った姿を見るのがうれしい。海外のすし店に就職したという知らせが届くこともある。「私は口が悪いから講師に向かない」と笑うが、教え子たちはなぜ下山が講師に推薦されたのかわかっているはずだ。
    (文中敬称略)
    ライター・安楽由紀子 写真・伊ケ崎忍

  • 竹尾
紙の様々な表情を探す

竹尾 企画部 市場開発チーム 課長代理 植村行人(38)

 名刺にも描かれているシンボルマークの紙を運ぶ少年、通称「紙小僧」は16世紀にドイツで出版された書籍の挿絵からの引用だという。サンプルを見ながら紙を選べる「竹尾 見本帖本店」(東京・神保町)で、植村行人にも紙見本の束を運んでもらった。

 竹尾は「ファインペーパー」と呼ばれる特殊印刷用紙の企画や開発、販売などをする紙の専門商社で、約9千種の紙を扱う。植村は展示会の企画制作などを担当する。

「デジタルの時代だとか、紙離れしているとか、みんな簡単に言ってしまっているような気がするんです」

 そう思うからこそ、展示会では紙が身近なものであるということ、紙の可能性や魅力、面白さを伝えたいと思っている。そのためにはどういう展示会にするか、何を見せるか、案内状はどうするか、販促グッズは何を作るか。デザイナーと加工所、会社との意向のすり合わせや調整をするのが植村の役目だ。可能な限り、印刷や加工の現場を見せてもらい、理解する。

「『できない』と言うのは簡単。できないことでも折り合いをつけつつ、どうしたら皆の理想の形に近づけられるかを考えるようにしています」

 東京造形大学でグラフィックデザインを専攻し、卒業後はグラフィックデザイナーとして6年ほどを過ごした。2006年に竹尾へ入社すると、販売促進本部や営業部を経て、14年に現職。現在、植村含め6人のチームで年間20本ほどの展示会などに関わる。
 とにかく紙が好き。理想の休日は、紙を探しながら街を歩き、夕方から居酒屋でお酒を飲みながら紙のことを考えることだ。

「繊細に丁寧に観察して分析していけば、紙は様々な表情を見せてくれる。見逃していたことが見えてくるんだろうなと思っています」

 静かな口調だったが、紙の可能性を誰よりも強く信じている人の言葉だった。


(文中敬称略)

編集部・大川恵実 写真部・東川哲也

    竹尾
    紙の様々な表情を探す

    竹尾 企画部 市場開発チーム 課長代理 植村行人(38)
     名刺にも描かれているシンボルマークの紙を運ぶ少年、通称「紙小僧」は16世紀にドイツで出版された書籍の挿絵からの引用だという。サンプルを見ながら紙を選べる「竹尾 見本帖本店」(東京・神保町)で、植村行人にも紙見本の束を運んでもらった。  竹尾は「ファインペーパー」と呼ばれる特殊印刷用紙の企画や開発、販売などをする紙の専門商社で、約9千種の紙を扱う。植村は展示会の企画制作などを担当する。 「デジタルの時代だとか、紙離れしているとか、みんな簡単に言ってしまっているような気がするんです」  そう思うからこそ、展示会では紙が身近なものであるということ、紙の可能性や魅力、面白さを伝えたいと思っている。そのためにはどういう展示会にするか、何を見せるか、案内状はどうするか、販促グッズは何を作るか。デザイナーと加工所、会社との意向のすり合わせや調整をするのが植村の役目だ。可能な限り、印刷や加工の現場を見せてもらい、理解する。 「『できない』と言うのは簡単。できないことでも折り合いをつけつつ、どうしたら皆の理想の形に近づけられるかを考えるようにしています」  東京造形大学でグラフィックデザインを専攻し、卒業後はグラフィックデザイナーとして6年ほどを過ごした。2006年に竹尾へ入社すると、販売促進本部や営業部を経て、14年に現職。現在、植村含め6人のチームで年間20本ほどの展示会などに関わる。  とにかく紙が好き。理想の休日は、紙を探しながら街を歩き、夕方から居酒屋でお酒を飲みながら紙のことを考えることだ。 「繊細に丁寧に観察して分析していけば、紙は様々な表情を見せてくれる。見逃していたことが見えてくるんだろうなと思っています」  静かな口調だったが、紙の可能性を誰よりも強く信じている人の言葉だった。 (文中敬称略)
    編集部・大川恵実 写真部・東川哲也

  • チロルチョコ
味を記憶、再現、開発

チロルチョコ 開発部・部長代理 松嶋祐介(40)

 2月14日に手作りチョコを本命男子にあげた一方で「義理」として買い求めやすいチロルチョコを渡した経験もある。

 現在、チロルチョコ東京本社には約20人が在籍し、平均年齢は30代前半。開発部部長代理の松嶋祐介はプレイングマネジャーとして、研究開発、企画、九州で新規開発に携わる計9人を統括する。生産ラインは福岡にあるため、昨年は東京と九州を50往復ほどした。試作とライン生産では味や粘度が「ぶれる」ことがあるため、新商品の初回生産に毎度立ち会う。

 年間30品ほどの新味を生み出す中、最近は生チョコ仕立てや「いちごがいっぱい」シリーズなどの開発に携わった。2月には「モーツァルトチロル」を発売。オーストリアの伝統的な菓子「マジパン」をチョコ内に注入することに挑戦し、新しく設備の投入を行った。

「今後もこの設備で新しい食感の製品を開発していくというテーマができました」

 元々甘いものが好きな松嶋。高校時代は水球部で、練習後にチョコやグミなどをよく口にしていた。明治大学農学部卒業後、1999年に大阪の食品メーカーに就職。研究開発職で修業を積むも、32歳の時に「東京で仕事をしたい」という思いで同社へ転職した。

 試食が仕事ゆえ、多い時には1日20個ほどチョコを食べる時もある。そのため、夕食を減らしたり、休日はサイクリングやプールへ出かけたりと体調管理は欠かさない。目まぐるしい日々を送るが、「部下も帰りづらいと思うので」と、なるべく残業はしないよう心がけている。

 小1の長女に、「友達の間ではミルク味が1番人気」と言われ、顔をほころばせる一面も。

 得意なことは、食べた物の味を覚え、それを再現すること。
 日々、アンテナを張り、色々な物を食べ、商品開発への糸口を探求している。

(文中敬称略)

編集部・小野ヒデコ 写真・門間新弥

    チロルチョコ
    味を記憶、再現、開発

    チロルチョコ 開発部・部長代理 松嶋祐介(40)
     2月14日に手作りチョコを本命男子にあげた一方で「義理」として買い求めやすいチロルチョコを渡した経験もある。
     現在、チロルチョコ東京本社には約20人が在籍し、平均年齢は30代前半。開発部部長代理の松嶋祐介はプレイングマネジャーとして、研究開発、企画、九州で新規開発に携わる計9人を統括する。生産ラインは福岡にあるため、昨年は東京と九州を50往復ほどした。試作とライン生産では味や粘度が「ぶれる」ことがあるため、新商品の初回生産に毎度立ち会う。
     年間30品ほどの新味を生み出す中、最近は生チョコ仕立てや「いちごがいっぱい」シリーズなどの開発に携わった。2月には「モーツァルトチロル」を発売。オーストリアの伝統的な菓子「マジパン」をチョコ内に注入することに挑戦し、新しく設備の投入を行った。
    「今後もこの設備で新しい食感の製品を開発していくというテーマができました」  元々甘いものが好きな松嶋。高校時代は水球部で、練習後にチョコやグミなどをよく口にしていた。明治大学農学部卒業後、1999年に大阪の食品メーカーに就職。研究開発職で修業を積むも、32歳の時に「東京で仕事をしたい」という思いで同社へ転職した。
     試食が仕事ゆえ、多い時には1日20個ほどチョコを食べる時もある。そのため、夕食を減らしたり、休日はサイクリングやプールへ出かけたりと体調管理は欠かさない。目まぐるしい日々を送るが、「部下も帰りづらいと思うので」と、なるべく残業はしないよう心がけている。
     小1の長女に、「友達の間ではミルク味が1番人気」と言われ、顔をほころばせる一面も。
     得意なことは、食べた物の味を覚え、それを再現すること。  日々、アンテナを張り、色々な物を食べ、商品開発への糸口を探求している。 (文中敬称略)
    編集部・小野ヒデコ 写真・門間新弥

  • スクウェア・エニックス
最先端から世界に夢を

スクウェア・エニックス 情報システム部 ITインフラストラクチャー・グループ/ネットワーク・グループ シニア・マネージャー 森竜也(40)

 人気ゲーム「ファイナルファンタジー」シリーズは今年30周年を迎える。

 昨今のゲームの進化はめざましい。実写映画のようなグラフィックに加え、世界中の数十万人規模のユーザーがインターネットを通じて一緒にプレイしたりコンテンツを拡張したりできる。森竜也は、こうしたゲームの提供に欠かすことができないネットワークインフラを構築するエンジニア。ユーザー向けだけでなく、数百人もの開発者が100テラバイト級のデータを編集するための社内環境の整備も担当し、また、数十人のチームメンバーのマネジメントも行う。

「開発部隊の要望やお客さまの期待に応えるため、常に最先端の技術を追求しています。結果的に“日本初”の事例になることも多い」

 先陣を切る“戦士”に不安はつきものだが、それでも立ち向かわなくてはならない。2012年に発売された「ドラゴンクエストX」では、複数のサーバーで負荷を分散させる業界の常識をくつがえし、「世界はひとつ」のコンセプトのもと、数十万のユーザーのデータを一元管理する前代未聞のプロジェクトに携わった。オフィス移転の際は、悩みに悩んで未知数の最先端技術を導入。メンバーのスキルにも支えられ、新しい環境づくりを成功させた。

「規模が大きすぎて、個人の力だけでは超えられない仕事。ふだんからチーム間の連携を円滑にするよう心がけています。休日にみんなで一緒にオンラインゲームをすることもある」

 この世界を知ったのは幼稚園のころ。MSX(1980年代に発売されたパソコン)のゲームと出合い、将来の道が決まった。東京理科大学大学院で電子応用学を学び、01年、プロバイダー会社に就職。07年、憧れのスクウェア・エニックスに入った。仕事(ゲーム)のストレスは、趣味(ゲーム)で解消。7歳の長女と楽しむこともある。

「子どものころからの夢だったので、ゲームの最後に出てくるスタッフロールに自分の名前があると感無量です」

 今は世界にたくさんの夢を提供することが森の願いだ。

(文中敬称略)

ライター・安楽由紀子 写真・門間新弥

    スクウェア・エニックス
    最先端から世界に夢を

    スクウェア・エニックス 情報システム部 ITインフラストラクチャー・グループ/ネットワーク・グループ シニア・マネージャー 森竜也(40)
     人気ゲーム「ファイナルファンタジー」シリーズは今年30周年を迎える。
     昨今のゲームの進化はめざましい。実写映画のようなグラフィックに加え、世界中の数十万人規模のユーザーがインターネットを通じて一緒にプレイしたりコンテンツを拡張したりできる。森竜也は、こうしたゲームの提供に欠かすことができないネットワークインフラを構築するエンジニア。ユーザー向けだけでなく、数百人もの開発者が100テラバイト級のデータを編集するための社内環境の整備も担当し、また、数十人のチームメンバーのマネジメントも行う。
    「開発部隊の要望やお客さまの期待に応えるため、常に最先端の技術を追求しています。結果的に“日本初”の事例になることも多い」
     先陣を切る“戦士”に不安はつきものだが、それでも立ち向かわなくてはならない。2012年に発売された「ドラゴンクエストX」では、複数のサーバーで負荷を分散させる業界の常識をくつがえし、「世界はひとつ」のコンセプトのもと、数十万のユーザーのデータを一元管理する前代未聞のプロジェクトに携わった。オフィス移転の際は、悩みに悩んで未知数の最先端技術を導入。メンバーのスキルにも支えられ、新しい環境づくりを成功させた。
    「規模が大きすぎて、個人の力だけでは超えられない仕事。ふだんからチーム間の連携を円滑にするよう心がけています。休日にみんなで一緒にオンラインゲームをすることもある」
     この世界を知ったのは幼稚園のころ。MSX(1980年代に発売されたパソコン)のゲームと出合い、将来の道が決まった。東京理科大学大学院で電子応用学を学び、01年、プロバイダー会社に就職。07年、憧れのスクウェア・エニックスに入った。仕事(ゲーム)のストレスは、趣味(ゲーム)で解消。7歳の長女と楽しむこともある。
    「子どものころからの夢だったので、ゲームの最後に出てくるスタッフロールに自分の名前があると感無量です」
     今は世界にたくさんの夢を提供することが森の願いだ。
    (文中敬称略)
    ライター・安楽由紀子 写真・門間新弥

  • 成城石井
“工学系”の菓子バイヤー

成城石井 商品本部 商品部 菓子課 課長 加藤寿人(33)

 平日の朝10時。横浜市の成城石井美しが丘店内を来店者が回遊する中、菓子課課長の加藤寿人は撮影直前まで陳列整理をしていた。

 成城石井が目指すのは「高品質」スーパーだ。一つひとつの商品単価は決して安くはないが、こだわりを持ち、良質なものをお得に販売している。 
 
 現在、成城石井は全国に148店舗あり、店ごとに規模や客層、人気商品は異なる。加藤は商品購入の決定権を持ち、全社的な菓子売り場の方向づけを行う立場だ。原料の買い付けから行っている商品もあり、「商品の“ストーリー”を大切にしている」とバター一つの味からこだわっている。 

 小売りに興味を持ったのは大学生時代だ。電気通信大学電気通信学部知能機械工学科(夜間)に通学するかたわら、4年間本屋でアルバイトに励んでいた。狭い店内で書籍を積み替えたり、販促物を作ったりすることにやりがいを感じていた。そんな時、通学途中にあった成城石井の店に初めて入った。 

「他のスーパーの雰囲気と違って面白い」 

 10坪弱の店内に、普段見かけない商品や輸入チーズ、瓶ジュースが積み上げられている。店内に入ると、気持ちが高揚する自分がおり、徐々に食品に興味を持ち始めていった。 

 入社したのは2007年。初めての仕事はグロサリー担当だった。店舗で調味料や加工品などの発注、売り場のメンテナンスの経験も経て、09年に商品部菓子課のバイヤーになった。 

 以前は「コミュニケーション能力ほぼなし」と自己評価していたが、来店者やスタッフとのやりとりを通じて、「得意というか、鍛えられました」。 

 社内結婚した妻との間に、2人の子どもがいる。休日は子どもと公園へ行ったり、外出先で見かけたセレクトショップで食のチェックをしたりするのも日課の一つだ。

「心がけていることは固定観念を取り払って、いろいろな意見に対して耳を傾けること。柔軟な発想を大切にしていきたいです」 

(文中敬称略)

編集部・小野ヒデコ 写真部・東川哲也

    成城石井
    “工学系”の菓子バイヤー

    成城石井 商品本部 商品部 菓子課 課長 加藤寿人(33)
     平日の朝10時。横浜市の成城石井美しが丘店内を来店者が回遊する中、菓子課課長の加藤寿人は撮影直前まで陳列整理をしていた。
     成城石井が目指すのは「高品質」スーパーだ。一つひとつの商品単価は決して安くはないが、こだわりを持ち、良質なものをお得に販売している。 
       現在、成城石井は全国に148店舗あり、店ごとに規模や客層、人気商品は異なる。加藤は商品購入の決定権を持ち、全社的な菓子売り場の方向づけを行う立場だ。原料の買い付けから行っている商品もあり、「商品の“ストーリー”を大切にしている」とバター一つの味からこだわっている。 
     小売りに興味を持ったのは大学生時代だ。電気通信大学電気通信学部知能機械工学科(夜間)に通学するかたわら、4年間本屋でアルバイトに励んでいた。狭い店内で書籍を積み替えたり、販促物を作ったりすることにやりがいを感じていた。そんな時、通学途中にあった成城石井の店に初めて入った。 
    「他のスーパーの雰囲気と違って面白い」 
     10坪弱の店内に、普段見かけない商品や輸入チーズ、瓶ジュースが積み上げられている。店内に入ると、気持ちが高揚する自分がおり、徐々に食品に興味を持ち始めていった。 
     入社したのは2007年。初めての仕事はグロサリー担当だった。店舗で調味料や加工品などの発注、売り場のメンテナンスの経験も経て、09年に商品部菓子課のバイヤーになった。 
     以前は「コミュニケーション能力ほぼなし」と自己評価していたが、来店者やスタッフとのやりとりを通じて、「得意というか、鍛えられました」。 
     社内結婚した妻との間に、2人の子どもがいる。休日は子どもと公園へ行ったり、外出先で見かけたセレクトショップで食のチェックをしたりするのも日課の一つだ。
    「心がけていることは固定観念を取り払って、いろいろな意見に対して耳を傾けること。柔軟な発想を大切にしていきたいです」 
    (文中敬称略)
    編集部・小野ヒデコ 写真部・東川哲也

  • 株式会社モリタ
火消し車両の操作盤師

株式会社モリタ 生産本部 商品開発部 開発三課 課長 元野等(45)

 はしご車を日本で初めて造り、今でははしご車の国内生産で9割以上のシェアを占めるモリタ。兵庫県三田市の生産工場では、さまざまな用途の消防車が年間700台以上製造されている。元野等は、消防車全般に取りつけられている電子制御盤「e-モニタ」の開発担当者だ。手にしているのは2014年に開発した3代目。7インチモニターには、ポンプの回転数やタンクの水の残量、放射量、取りつけたホースの位置などが一度に表示される。情報を一覧できるのが特長だ。

 ものを作るのが好きな、おとなしい少年だった。中学に入り、ぽっちゃり体形を変えようとスポーツを始めた。社会人までラグビー部に所属し、ポジションはフォワード。関西大学工学研究科では機械工学を専攻し、将来は機械設計の仕事に就きたいと考えていた。ところがモリタに入り、未知の電子工学を担当することに。その頃、会社はプログラム開発と電子制御に注力しようとしていた。

 旧型の消防車の操作スロットルは、車体を貫く軸でつながった構造。消防隊員は車体の両脇で、一方はそれを左回しで、もう一方は右回しで操作しなければならず、少々混乱するのが難点だった。そこで元野は、20歳ほど年上の上司とともに、同じ向きに回せる電子スロットルの開発を命じられる。操作盤の電子化というこの業界で全く初めての試みを、ふたりで担った。

 試作品は大幅な方向修正を何度も求められた。その度にがっかりはしたものの「人命にかかわる仕事なので使命感、やりがいがあり、モチベーションは高かった」という。
 今は所属課で、制御部門とポンプ部門の10人の部下を統括し、専門外のポンプを学ぶ毎日。かつての上司から学んだ「まずは対話」という姿勢を大切に、常に現場に足を運ぶ。高所恐怖症だが、はしご車のバスケットにも乗って「e-モニタ」の操作性を確認する。

「自分で配線をしないと、本当の使いやすさはわからない。やっぱり配線が好きなんです」

(文中敬称略)

ライター・西元まり 写真部・東川哲也

    株式会社モリタ
    火消し車両の操作盤師

    株式会社モリタ 生産本部 商品開発部 開発三課 課長 元野等(45)
     はしご車を日本で初めて造り、今でははしご車の国内生産で9割以上のシェアを占めるモリタ。兵庫県三田市の生産工場では、さまざまな用途の消防車が年間700台以上製造されている。元野等は、消防車全般に取りつけられている電子制御盤「e-モニタ」の開発担当者だ。手にしているのは2014年に開発した3代目。7インチモニターには、ポンプの回転数やタンクの水の残量、放射量、取りつけたホースの位置などが一度に表示される。情報を一覧できるのが特長だ。
     ものを作るのが好きな、おとなしい少年だった。中学に入り、ぽっちゃり体形を変えようとスポーツを始めた。社会人までラグビー部に所属し、ポジションはフォワード。関西大学工学研究科では機械工学を専攻し、将来は機械設計の仕事に就きたいと考えていた。ところがモリタに入り、未知の電子工学を担当することに。その頃、会社はプログラム開発と電子制御に注力しようとしていた。
     旧型の消防車の操作スロットルは、車体を貫く軸でつながった構造。消防隊員は車体の両脇で、一方はそれを左回しで、もう一方は右回しで操作しなければならず、少々混乱するのが難点だった。そこで元野は、20歳ほど年上の上司とともに、同じ向きに回せる電子スロットルの開発を命じられる。操作盤の電子化というこの業界で全く初めての試みを、ふたりで担った。
     試作品は大幅な方向修正を何度も求められた。その度にがっかりはしたものの「人命にかかわる仕事なので使命感、やりがいがあり、モチベーションは高かった」という。  今は所属課で、制御部門とポンプ部門の10人の部下を統括し、専門外のポンプを学ぶ毎日。かつての上司から学んだ「まずは対話」という姿勢を大切に、常に現場に足を運ぶ。高所恐怖症だが、はしご車のバスケットにも乗って「e-モニタ」の操作性を確認する。
    「自分で配線をしないと、本当の使いやすさはわからない。やっぱり配線が好きなんです」
    (文中敬称略)
    ライター・西元まり 写真部・東川哲也

  • エンルート
飛べ、未知なる空へ

エンルート 技術運用部 部長 錢谷彰(35)

 あの衝撃を忘れない。6年前の3月、故郷・宮城に戻った錢谷彰=右から2人目=の眼前に広がっていたのは、瓦礫だらけの荒野。幸い実家は難を逃れたが、知人の家も思い出の海岸風景も一変していた。被災地は混乱を極め、状況の把握には時間が必要だった。

 小さなころから、ラジコン、パソコンなどさまざまなメカに魅せられた。宮城の商業高校卒業後に上京し、自動車整備士の専門学校へ。2003年、バイト先の大手家電販売店に見込まれ、そのまま入社。豊富な家電の知識を生かして楽しい日々を送っていた。だが東日本大震災で変わった。いつしか被災地に役立つ仕事を望むようになっていたのだ。

「早く詳しい情報を得る方法はないのか」

 被災地の惨状を目の当たりにしていろいろ調べるうち、当時はまだあまり知られていない無人航空機「ドローン」に行き着いた。人の立ち入りが難しい場所でも飛行でき、撮影やガス計測もできる。被災地の状況調査だけでなく、工事現場の調査や農薬散布、物流など用途は幅広い。

「今後、業界は伸びるはず」

 そんな強い確信を持ち、知ったのがエンルートだった。もともとラジコン部品の輸入販売会社で、11年から産業用無人機の開発を開始。錢谷は13年、同社に転職した。

 現在は、測量会社や建設会社などから要望を受け、適した無人機を提案し、現場で運用するまでの一連の作業を行う。今は社員33人と3倍以上に増えたが、かつては人手が足りず、錢谷も機体の製造を手がけていた。

 国内の開発メーカーは10社もない。自治体などと災害時の支援協定を結んでおり、有事の際は昼夜問わずすぐに現場に向かう。

 プレッシャーも大きい。墜落事故が起これば会社も依頼主も、そして業界全体も信用が失墜、開発にブレーキがかかる。

「業界の立ち上げから経験でき、誰もやってきていないことを自分の手で達成してきたという実感があります。今後も安全にリードしていけたら」

 可能性は広がるばかりだ。

(文中敬称略)

ライター・安楽由紀子 写真部・東川哲也

    エンルート
    飛べ、未知なる空へ

    エンルート 技術運用部 部長 錢谷彰(35)
     あの衝撃を忘れない。6年前の3月、故郷・宮城に戻った錢谷彰=右から2人目=の眼前に広がっていたのは、瓦礫だらけの荒野。幸い実家は難を逃れたが、知人の家も思い出の海岸風景も一変していた。被災地は混乱を極め、状況の把握には時間が必要だった。
     小さなころから、ラジコン、パソコンなどさまざまなメカに魅せられた。宮城の商業高校卒業後に上京し、自動車整備士の専門学校へ。2003年、バイト先の大手家電販売店に見込まれ、そのまま入社。豊富な家電の知識を生かして楽しい日々を送っていた。だが東日本大震災で変わった。いつしか被災地に役立つ仕事を望むようになっていたのだ。
    「早く詳しい情報を得る方法はないのか」
     被災地の惨状を目の当たりにしていろいろ調べるうち、当時はまだあまり知られていない無人航空機「ドローン」に行き着いた。人の立ち入りが難しい場所でも飛行でき、撮影やガス計測もできる。被災地の状況調査だけでなく、工事現場の調査や農薬散布、物流など用途は幅広い。
    「今後、業界は伸びるはず」
     そんな強い確信を持ち、知ったのがエンルートだった。もともとラジコン部品の輸入販売会社で、11年から産業用無人機の開発を開始。錢谷は13年、同社に転職した。
     現在は、測量会社や建設会社などから要望を受け、適した無人機を提案し、現場で運用するまでの一連の作業を行う。今は社員33人と3倍以上に増えたが、かつては人手が足りず、錢谷も機体の製造を手がけていた。
     国内の開発メーカーは10社もない。自治体などと災害時の支援協定を結んでおり、有事の際は昼夜問わずすぐに現場に向かう。
     プレッシャーも大きい。墜落事故が起これば会社も依頼主も、そして業界全体も信用が失墜、開発にブレーキがかかる。
    「業界の立ち上げから経験でき、誰もやってきていないことを自分の手で達成してきたという実感があります。今後も安全にリードしていけたら」
     可能性は広がるばかりだ。
    (文中敬称略)
    ライター・安楽由紀子 写真部・東川哲也

  • ヤマハ発動機
三輪ならではの開発を

ヤマハ発動機 技術本部 NPM事業統括部 LMW開発部 高野和久(55)

 学生時代からバイクが好きだった。鹿児島大学工学部機械工学科に在学中はモーターサイクル部に入り、モトクロスに熱中。ヤマハYZに乗り、ガソリンスタンドでバイトをしながら、「飲まず食わず」で部品をそろえた。ヤマハのバイクショップに通ううちに、自然とヤマハファンに。1986年に卒業後、高野和久はヤマハ発動機に入った。

 入社後はモータースポーツ開発部に所属。レース用バイクの車体設計などを担当した。初めての海外出張はダカール・ラリー(通称パリダカ)だった。スタッフとして、「世界一過酷」とも呼ばれるレースに随行。約1カ月の期間中、屋根のある部屋で寝たのはたった2日、あとはテント泊という経験をした。

 三輪のバイクを開発する「LMW開発部」への異動を命じられたのが6年前。パリダカ、各種ロードレーサー、そしてモトGP用と、レース用マシンの開発に入社以来の年月を費やした高野にとって、一般の人に向けた市販車を開発することは、青天のへきれきだった。そんな時、高野の妻が声をかけた。今までのバイクには私は乗れなかったから、今度は私が乗れるバイクを作って、と。

「免許も取ってくれたんです。妻が気に入るようなバイクを開発しようと思いました」
 転びにくく、安定した走りと、二輪に極めて近い乗り心地、さらには女性でも扱いやすい性能を兼ね備えた三輪のバイクを目指した。肝となる前二輪機構の構造をどうしたらいいのか、割り箸と輪ゴムを使って、自宅のこたつで考えたこともあった。そして2014年、「トリシティ125」を発売した。

「静岡から京都に住む娘のところへ、妻と2人でトリシティに乗って行きました。10時間かかったけど、行けましたよ」

 今年1月には、さらに改良を重ねた「トリシティ155 ABS」も続いた。
「三輪は二輪よりもブレーキが利きやすいし、横風にも強い。三輪ならではの可能性を追求していきたい」

 さらなる改良へ、開発の手は緩めない。

(文中敬称略)

編集部・大川恵実 写真部・東川哲也

    ヤマハ発動機
    三輪ならではの開発を

    ヤマハ発動機 技術本部 NPM事業統括部 LMW開発部 高野和久(55)
     学生時代からバイクが好きだった。鹿児島大学工学部機械工学科に在学中はモーターサイクル部に入り、モトクロスに熱中。ヤマハYZに乗り、ガソリンスタンドでバイトをしながら、「飲まず食わず」で部品をそろえた。ヤマハのバイクショップに通ううちに、自然とヤマハファンに。1986年に卒業後、高野和久はヤマハ発動機に入った。
     入社後はモータースポーツ開発部に所属。レース用バイクの車体設計などを担当した。初めての海外出張はダカール・ラリー(通称パリダカ)だった。スタッフとして、「世界一過酷」とも呼ばれるレースに随行。約1カ月の期間中、屋根のある部屋で寝たのはたった2日、あとはテント泊という経験をした。
     三輪のバイクを開発する「LMW開発部」への異動を命じられたのが6年前。パリダカ、各種ロードレーサー、そしてモトGP用と、レース用マシンの開発に入社以来の年月を費やした高野にとって、一般の人に向けた市販車を開発することは、青天のへきれきだった。そんな時、高野の妻が声をかけた。今までのバイクには私は乗れなかったから、今度は私が乗れるバイクを作って、と。
    「免許も取ってくれたんです。妻が気に入るようなバイクを開発しようと思いました」  転びにくく、安定した走りと、二輪に極めて近い乗り心地、さらには女性でも扱いやすい性能を兼ね備えた三輪のバイクを目指した。肝となる前二輪機構の構造をどうしたらいいのか、割り箸と輪ゴムを使って、自宅のこたつで考えたこともあった。そして2014年、「トリシティ125」を発売した。
    「静岡から京都に住む娘のところへ、妻と2人でトリシティに乗って行きました。10時間かかったけど、行けましたよ」
     今年1月には、さらに改良を重ねた「トリシティ155 ABS」も続いた。 「三輪は二輪よりもブレーキが利きやすいし、横風にも強い。三輪ならではの可能性を追求していきたい」
     さらなる改良へ、開発の手は緩めない。
    (文中敬称略)
    編集部・大川恵実 写真部・東川哲也

  • チームラボ
最高の理想を現実に

チームラボ カタリストチーム カタリスト 金澤真(31)

 オフィスのドアを開けると、うっそうと茂る植物が目に飛び込んできた。壁一面にある透明のディスプレーには滝が流れる。受付から会議室へ案内するのは、動物たちだ。Aの部屋ならAnteater(アリクイ)が、BならBear(クマ)、FならFlamingo(フラミンゴ)と、担当の動物たちが廊下のスクリーンに映し出され、目的の会議室までアテンドしてくれる。滝や動物たちの映像はセンシングの技術で、前に立つと水がその部分だけ避けて流れたり、動物たちから花が舞ったりする。

 ここは東京・六本木にあるDMM.comの新オフィス。クレイジーで遊び心満載、でもかっこいい。デザインしたのはチームラボ。金澤真は、理想とするアウトプットを実現させるため、各分野のプロフェッショナルをつなぐ調整役、つまりカタリスト(触媒)として働く。このオフィスでは、全長約80メートルの空間設計、透明ディスプレーとプロジェクターの機材構成などに携わった。

「まずやってみたいアイデアを出し合うのですが、ハードルが高くても無理だと考えるのではなく、どうしたらその理想を現実に落とし込めるかを考えていきます。だからゴールが変わることもある」

 2009年、慶應義塾大学総合政策学部を卒業し、チームラボに入社。エンジニア、プロジェクトマネジャーを経て、約4年前にカタリストに。15年のミラノ万博日本館での作品や、お台場で開催した「DMM.プラネッツ Art by teamLab」の展示なども担当した。

 金澤は数十人いるカタリストのリーダー的な立場の一人ではあるが、会社は役職を設けておらず、上下関係はない。

「組織にありがちな政治的な人間関係の調整をする必要がないので、仕事の本質的でない部分に労力を費やすストレスがありません。自分のやるべきことに集中できます」
 自由に発想をふくらませ、風通しのいい人間関係の中でそれを実現させていく。金澤たちは、きっと想像を超えるニッポンを作り出すはずだ。

(文中敬称略)

編集部・大川恵実 写真部・東川哲也

    チームラボ
    最高の理想を現実に

    チームラボ カタリストチーム カタリスト 金澤真(31)
     オフィスのドアを開けると、うっそうと茂る植物が目に飛び込んできた。壁一面にある透明のディスプレーには滝が流れる。受付から会議室へ案内するのは、動物たちだ。Aの部屋ならAnteater(アリクイ)が、BならBear(クマ)、FならFlamingo(フラミンゴ)と、担当の動物たちが廊下のスクリーンに映し出され、目的の会議室までアテンドしてくれる。滝や動物たちの映像はセンシングの技術で、前に立つと水がその部分だけ避けて流れたり、動物たちから花が舞ったりする。
     ここは東京・六本木にあるDMM.comの新オフィス。クレイジーで遊び心満載、でもかっこいい。デザインしたのはチームラボ。金澤真は、理想とするアウトプットを実現させるため、各分野のプロフェッショナルをつなぐ調整役、つまりカタリスト(触媒)として働く。このオフィスでは、全長約80メートルの空間設計、透明ディスプレーとプロジェクターの機材構成などに携わった。
    「まずやってみたいアイデアを出し合うのですが、ハードルが高くても無理だと考えるのではなく、どうしたらその理想を現実に落とし込めるかを考えていきます。だからゴールが変わることもある」
     2009年、慶應義塾大学総合政策学部を卒業し、チームラボに入社。エンジニア、プロジェクトマネジャーを経て、約4年前にカタリストに。15年のミラノ万博日本館での作品や、お台場で開催した「DMM.プラネッツ Art by teamLab」の展示なども担当した。
     金澤は数十人いるカタリストのリーダー的な立場の一人ではあるが、会社は役職を設けておらず、上下関係はない。
    「組織にありがちな政治的な人間関係の調整をする必要がないので、仕事の本質的でない部分に労力を費やすストレスがありません。自分のやるべきことに集中できます」  自由に発想をふくらませ、風通しのいい人間関係の中でそれを実現させていく。金澤たちは、きっと想像を超えるニッポンを作り出すはずだ。
    (文中敬称略)
    編集部・大川恵実 写真部・東川哲也

日清食品
「即席ラーメンと、ずっと」
マーケティング部第4グループ ブランドマネージャー 木所敬雄 (42)
 出社すると、やかんから湯気が立ち上っている。この日も試食が始まる。日清食品マーケティング部の、いつもの朝の風景だ。
「研究所からほぼ毎日、試作品が届きます。朝からサンプル品を試食し、社内プレゼンの直前まで、思い描いた味に近づけていくんです」
 そう話す木所敬雄は、「日清ラ王」「日清焼そばU.F.O.」を担当するブランドマネージャーだ。年間30もの新商品を市場投入する。味からパッケージ、収支計画、テレビCM、販売戦略に至るまで全権を担う。
 ブランドマネージャーは「カップヌードル」「チキンラーメン」などブランドごとに計9人いる。“花形”の仕事で、創造する恍惚感を味わえる半面、売れなければ在庫の山。「もって2~3年」と言われるほど過酷なポジションだ。
 味覚は、街の人気ラーメン店で鍛えている。取材の前日も、社内で試作品を食べたあと、夕方からは部下と埼玉県川越市の店に出かけた。その後、東京に戻って、もう1杯。
「インスタントラーメンの世界は奥が深い。袋麺なら家族向け、カップ麺は個食向け。年齢や性別、嗜好性、味の流行を加えれば、新商品の“タネ”は膨大な選択肢にのぼります」
 自身の最大のヒットは、「日清ラ王 袋麺」だ。カップ麺のお湯かけ調理で蓄積した技術を、煮込み調理の袋麺に応用し、さらなるコシともっちり感を実現した。
 新商品の発売には社内でのゴーサインがいる。しかし、準備万端でプレゼンテーションしても「3月は1品が差し戻し」。日清食品ホールディングス社長の安藤宏基は「勝つまでやめない!」が信条だけに、木所は再挑戦しようと、目下、手直しを進めている。
 部下は4人。20代の社員が新商品のアイデアを思いつかず悶々としていても、簡単には手を差しのべない。最後の最後まで自力で打開する──そんな矜持を胸に抱く。(文中敬称略)
写真:東川哲也 ライター:岡本俊浩
川崎フロンターレ
「このクラブで『世界』に」
サッカー事業部 営業部 スポンサーセールスグループ 副グループ長 井川宜之(38)
 プロのサッカークラブたるもの、目標は勝つことにある。しかし、永遠に勝ち続ける集団などない。「だから」と前置きをし、井川宜之はこう言うのだった。
「勝ち負けに左右されない、安定した経営基盤をチームにもたらすこと。それがぼくらの仕事なんです」
 仕事の成果は、ホームの等々力陸上競技場に表れる。広告看板が井川らスポンサーセールスグループの決める“ゴール”。企業から複数年の契約を受注できれば、それだけチームの経営基盤は安定する。スポンサー収入は年間予算30億円の半分を占める。
 部下は4人。それぞれが独自のネットワークを持って動くので、いかにも上司的な振る舞いはしない。井川は一人で130ものクライアントを抱える。1口1万円から支援できるとあって、地元の個人事業主も多い。新しいカラオケ店ができると、サポーターが「営業に行ってみれば」と教えてくれる。
 クラブでの仕事は、明治大学在籍時のアルバイトを含めると、かれこれ16年目になる。入社した2000年当時の平均観客動員は7千人。いまの半分以下の頃から、変わらずサポーターに支えられている。
 井川には夢がある。
 このクラブが市民の誇りであり続ける一方で、試合を観るため、川崎に世界中から多くの人がつめかける。つまりそれは、川崎フロンターレが世界的なクラブの仲間入りをするということでもある。欧州には年間予算が700億円を超える、スペインのレアル・マドリードのような“巨人”がいる。一足飛びにそうはなれないが、浦和レッズがアジアチャンピオンズリーグで優勝した2007年、年間80億円の収入をあげた。ならば、Jリーグのクラブが100億円を稼ぐことも、まったくの夢物語とは呼べないだろう。
「現役で働ける20年以内に、見てみたい光景。いつか、きっと」(文中敬称略)
写真:東川哲也 ライター:岡本俊浩
ABC Cooking Studio
「料理教室で、出会った」
経営企画部 マネージャー 森本麻緒(37)
 全国に130ある料理教室「ABCクッキングスタジオ」の会員数は、28万人にのぼる。定番のおかずからおもてなし料理、パン、ケーキ、「食」の大切さを教えるキッズコースまで、豊富なコース・メニューは他の追随を許さない。一つのキッチンに集まる受講者は最大5人だから、スタッフとの距離は近い。
「サービスの大半は、受講者の声をきっかけに生まれたんです」
 と話すのは、経営企画部のマネージャー、森本麻緒。中途で入社して9年目だ。約4千人のスタッフが受講者の「声」を経営陣に伝え、新たなサービスが生まれる。そのスタッフたちと経営陣の間に、森本はいる。経営陣からのメッセージを毎週、スタッフたちに向けて発信するのも、森本の仕事だ。
 今年1月、会社にとって大きな出来事があった。NTTドコモの傘下に入ったのだ。それに伴って社内の組織改革が始まった。森本は現場と経営の間の”調整役”を担った。
 現場は戸惑っていた。良さであるスピーディーな意思決定一つとっても、ドコモのような大企業が親会社となれば、多くの決裁が必要になるかもしれない。「らしさ」を消さず、風通しの良い会社でありつづけるにはどうしたらいいか。4カ月近く、社内調整のために奔走した。
「途中で降りたいと感じることもあった」
 そんなある日、料理教室にふらりと足を運び、受講者の輪に加わった。笑い声と調理する音が部屋に響く。隣は同世代の女性。仕事の話になった。自分は何のために仕事をしているのだろう──彼女もやはり会社組織の中で悩んでいたのだ。
「わたしと同じ。悩んでいるのは、わたしだけじゃない」
 救われた思いがした。同時に自分の仕事の意義をあらためて感じた。料理を教えるだけではない。人々の出会いに、わたしの仕事は一役買っているのだと。(文中敬称略)
写真:朝日新聞社・時津剛 ライター:岡本俊浩
リングヂャケット
「スーツを、描く」
パターン室長 谷譲(39)
 レディースの洋服づくりも経験してきたが、あるとき「一生ものの、技を磨けないものか」という欲求が芽生えた。流行を受け、細部が変化することはある。しかし、スーツの根本には、決して変わることのない普遍的なデザインが流れている。谷譲は11年前、スーツのパタンナーを志した。
 たたいた門は、大阪府貝塚市に工場のあるリングヂャケット。1954年創業のスーツファクトリーである。スーツづくりには縫製、仕上げなどいくつもの工程があり、パタンナーはその“設計図”をつくる。入社間もない頃、社内の講習に飽き足らず、かつて通った大阪市内の服飾専門学校で“自主トレ”した。
 5年前、ベテランパタンナーが抜けたあと、パターン室長に抜擢された。工場長は目を細める。
「谷は運をつかんだんですわ。先輩が抜けて、顔つきがぐっと変わった。ええもんを作ることにかけては、間違いのない人間です」
 ファクトリーは驚くほど、静かだ。ミシンはていねいな仕事を重視するため、あえて低速。針をつかった手仕事の工程も多いため、1日の生産数は90着。生産数は少ないが、質にこだわった製品は、業界の誰もが「国産最高峰」と認める。谷は言う。
「たとえば肩回り。欧米人と違い、日本人は肩が前に出ている。その点を念頭に、フィット感がありながらも、余計なテンションがかからないパターンを引くことが大事なんです」
 重量感のあるウール素材を使っても、カーディガンのようにやわらかく、軽やかな着心地に仕上がる。
 そんな谷は、仕事に「求められた以上の手間をかける」という哲学を持っている。
 美しい背中のフィッティングなど、こだわるべき点はいくらでもある。注文主の想像の一歩先を行くからインパクトを生む。(文中敬称略)
写真:東川哲也 ライター:岡本俊浩
盛岡セイコー工業
「技術者集団を、見守って」
雫石高級時計工房 組立工房 課長 泉田勝博(49)
 静寂が支配する工房で、20人の組み立て技能士が専用の顕微鏡をのぞき込み、指先に神経を集中させる。薄い時計内部の機械に組み込む部品は、歯車やぜんまいなど100点以上。盛岡セイコー工業(岩手県雫石町)の「雫石高級時計工房」で、組み立て部門を率いる課長、泉田勝博は言う。
「1000分の1ミリを表す『1ミクロン』が仕事の基準。一つの狂いは小さくても、完成時には大きなひずみになる」
「グランドセイコー」「クレドール」といったセイコーブランドの高級機械式時計を一貫生産する。部品製造から組み立て、検査まで、1本の腕時計をつくるのに約5カ月かかる。人の目、人の手が、複雑で繊細な機械式時計をつくる。
 泉田は地元の高校を出て1983年に入社すると、クオーツ時計工場の部品製造部門に配属された。2000年に機械式時計の製造部門への異動を志願。世界的に機械式時計が見直されていた。04年には機械式時計の部門が集約され、この工房が発足した。
 技能士たちは、例外なく自分の仕事に対するこだわりが強い。釣りの毛針づくりを趣味にする人もいて、ふだんから指先の感覚を研ぎ澄ませている。ただ、仕事は時間無制限の趣味のようにはいかない。納期がある。品質を維持しながら、手離れの良さが求められる。泉田の仕事の要点は、いかに「匠」たちの能力をチームプレーに昇華させるか、にある。
 神経がはりつめていると、互いに話しかけづらい。そんなときに泉田を支えるのは、
「同じ技術者上がりだからこそ通じる言語、専門知識のバックボーンです」
 工具は全て特注品。技能士を眺めながら、「こうだったら使いやすいだろうな」と、頭をめぐらせる。機械を超える人の技が、人々を魅了する機械をつくる。(文中敬称略)
写真:伊ケ崎忍 ライター:岡本俊浩
富士重工業
「派手さなくとも一級品」
富士重工業 スバル技術本部 車両研究実験総括部 主査 香川穣(48)
 スバルの代名詞とも言える「レガシィ」の発売から25年目。富士重工業が6月20日、「フルモデルチェンジ」と意気込んで投入する新車がある。新開発したスポーツツアラー「LEVORG(レヴォーグ)」。力強く走るレガシィの設計思想を受け継ぎながら、車体は一回り小さい。縮小する日本市場で、あえて勝負をかける戦略車だ。
 エンジン、車体、インテリア……。新車を開発すると決めたら、2千人にも及ぶスタッフが動く。スバル技術本部の車両研究実験総括部主査を務める香川穣は、各部署の間の調整役。技術陣は先端技術を思う存分、盛り込もうとするが、それでは販売価格が高くなりすぎて売れない。決められたコスト内に収めるよう、香川は奔走する。
「技術屋はわがまま。そこを全体としてどうまとめるか。若い課長だったら務まらないんじゃないか。年を重ねてきた経験が生きるポジションです」
 1990年、航空機がつくりたくて富士重工業に入社した。しかし、配属されたのは自動車部門の材料研究部。バブルが崩壊すると、販売ディーラーへの出向を命ぜられた。開発から営業へ。「なぜおれが」と戸惑った。ただ、消費者と向き合い、生の反応に触れるうち、「求められているもの」を知り、消費者の目線を意識するようになった。2007年から現在の役職に就き、色々な車の開発にかかわるが、販売での経験は財産だ。
 メディア向けの試乗会でも、要点を押さえた説明には定評がある。調整役として開発のデータを集約してきたので、技術からコストまで熟知している。役員会の議論のたたき台をつくるのも、香川の仕事だ。
 技術革新は絶え間ない。ただし、香川はスバルの車はこうあるべきと考えている。
「質実剛健。派手さはなくとも、人生を豊かにする一級品の道具であり続ければいいんです」(文中敬称略)
写真:伊ケ崎忍 ライター:岡本俊浩
TOTO
「トイレにある陶芸の道」
TOTO 衛陶生産本部 衛陶試作技術グループ グループリーダー 向井信弘(44)
 身近にある便器や洗面台は、陶芸の道に通じている。これら衛生陶器は、大きな焼き物。陶石や粘土を調合した「泥漿」を「型」に流し込む。型を外して乾燥させ、釉薬を吹き付けて窯で焼き上げる。
 TOTOの衛陶試作技術グループを率いる向井信弘は、製品の形を決める「型」の製作を担当している。形がなめらかでなければ、汚れをスムーズに洗い流せない。理想の形をつくるには、職人の技がいる。
「乾燥や焼き上げで水分が抜ける。焼き上げを終えたものは、型に流し込んだ状態から13%は縮むんです」
 だから、縮み具合の予測が正確でなければ、仕上がりのなめらかさが失われるばかりか、ひびが入ることもある。
 北九州市内の工業高校を卒業し、1988年、地元のTOTOに入社した。先輩社員は気温、湿度の変化を感じながら、焼き上がりの形を「勘」で読んでいた。あれから25年。仕事の一部はデジタル化されたものの、複雑な形状の縮み具合を読むのは、いまも「暗黙知」に拠る部分が大きい。
 課員は40人いるが、型づくりに従事するのは11人。その中でも最初から最後まで任せられるのは、向井も含めて5人しかいない。ほかは「修業中の身」といったところだが、仕事に口を出すことはしない。
「失敗しないと、覚えませんから」
 その腕を見込まれ、中国の生産拠点で製造管理の責任者を務めたこともある。型づくりを熟知しているかのように見える向井だが、いまもよく考え込むことがある。たとえば最新モデルのタンクレストイレ「ネオレスト」。見た目は、床面に向かってストンと伸びていて、スマート。旧来型と比べると直線と平面が多用されている。
「実は陶器って、まっすぐや平面がもっとも難しいんです」
 カンタンに見えることが、最も奥深い。(文中敬称略)
写真:写真部・外山俊樹 ライター:岡本俊浩
日本航空
「シートはもう一人の自分」
日本航空 顧客マーケティング本部 商品サービス開発部 企画グループ マネジャー 末崎裕介(46)
 国内線、新クオリティ。──そんなキャッチコピーで日本航空(JAL)が5月28日から、羽田-福岡線を皮切りに新プロジェクト「JAL SKY NEXT」を始めた。「嵐」を起用したCMやポスターを見た人も多いことだろう。まずは機内インテリアを全面刷新。その陣頭指揮を執るのが、商品サービス開発部の企画グループマネジャー、末崎裕介だ。
 不要な部分を除き、座席のひざ周りの間隔を従来よりも最大で約5センチ広げた。そして何より、シート素材を高級感のある黒の本革に変えた。
「革は、見た目や触り心地の点で布地にはない魅力がある。ただし、座ったときに滑る傾向があるんです」
 クッション性を損なわず、いかに人体を“ホールド”する感覚を持たせるか。営業や客室など各部署の意見を調整しながら、テストを繰り返した。
 JALは「2016年度までに顧客満足度世界一」の目標を掲げている。今回のプロジェクトは、その一里塚。社内全体に気負いが感じられるなか、「シートの色は黒ではない方がいいのではないか」など、いろいろな案が出された。話がまとまらないとき、末崎がつねに頭の中心に置いたのは、
「お客さまだったらどう思うか」
 青山学院大大学院理工学研究科を修了後、1992年、JALに入社した。情報システムや空港部門が長かったが、8年前にいまの部署に配属された。これまでもシートの開発に携わってきたが、これほど大がかりなプロジェクトは初めてだ。開発には18カ月を要した。
 末崎にとってシートとは何か。問うてみた。
「分身のようなものです」
 即座に答えが返ってきた。そんなもう一人の自分が乗客を包み込み、各地へ運ぶ。
「そう考えると、感慨深いですね。案外、自分にも包容力があるのかな」(文中敬称略)
写真:写真部・外山俊樹 ライター:岡本俊浩
大同特殊鋼
「打て、燃える鋼を」
大同特殊鋼 知多工場製鋼室長 久村総一郎 (40)
 巨大な火柱のような鋼が44メートルの高さから、ゆっくり下へ引っ張り出される。
「鋼の温度は1000度を超えます。体を真正面に向けていると、熱くて立っていられません。ですから」
 そう言って、大同特殊鋼知多工場の製鋼室長、久村総一郎(6月1日付で経営企画部製品戦略室長に異動)は、半身に構えた。右半身が熱くなったら、左半身を熱い方へ向ける。周囲をヘルメットをかぶった男たちが、慌ただしく動き回る。
 この「連続鋳造」の工程で鋼は少しずつ冷やされ、固まる。それを延ばしたり、プレスしたり。できた製品は、暮らしや産業のいたるところに使われている。例えば、自動車のギアやシャフト、航空機のジェットエンジンシャフト、火力発電所のガスタービンだ。原料は鉄鉱石ではなく、鉄スクラップ。炉内で雷のような電気を浴びせ続け、スクラップを溶かす。不純物を除いた鉄にマンガンを加えると硬く、ニッケルを加えれば粘り強く、クロムを加えるとさびにくくなる。用途に応じて成分を調え、特殊な鋼がつくられる。
 名古屋工業大学生産システム工学科卒。入社すると、知多工場の製鋼部門に配属された。鋼と向き合う職場は職人気質が強く、
「危険も伴う場ですから、気性の荒い工員さんもいます。なじむのに苦労した」
 自分のアイデアで作業効率をアップさせたことがある。工員たちの見る目が変わった。
「現場は家族。仲間を見捨てたりしない。義理人情がある。その一員になれた」
 2年前に製鋼室長を任され、関連会社を含めると400人を束ねた。電力を大量消費する産業だから、工場は電気代の安い夜間を中心に動く。だから、毎日午前7時前に出勤し、夜勤明けの工員たちを迎えた。
 趣味はキックボクシング。練習中は仕事のことを一切忘れる。
「考えていると、パンチをくらいますから」(文中敬称略)
写真:写真部・東川哲也 ライター:岡本俊浩
東京国立博物館
「文化財とわたし」
東京国立博物館 学芸企画部 博物館教育課 課長 小林牧(52)
 国宝87、重要文化財633……収蔵する「宝物」の総数は、11万件以上にのぼる。
「本物に接する感動を、ひとりでも多くの人に体験してもらいたい」
 そのために何ができるか。それが東京国立博物館(東京・上野公園)の博物館教育課課長、小林牧に課されたミッションだ。展示された文化財の数々を、より深く理解してもらうためには、どうすればいいか。日本の伝統文化などに興味がない人にとっては、東京国立博物館の敷居は高い。
「来館のきっかけをつくることが大事」
 そう考えた小林は広報室にいた頃、館の愛称「トーハク」をPRし、ゆるキャラの「トーハクくん」「ユリノキちゃん」を積極登用。秋には、東洋館の仏像展示室で「朝ヨガ会」を催すつもりだ。人気俳優を起用したトークショー、子ども向けに写生会も控えている。アイデアは尽きることがない。
 2000年、雑誌編集者から転職した。慶應義塾大学で国文学を専攻し、卒業後は平凡社に入社。雑誌「太陽」の編集者を長く務め、取材で数多くの博物館、美術館を回った。30代も後半になり、「そんな古くさいところに、なぜ」と言われるも、心機一転を図るため転職を決意した。この春、広報室長から今の役職に昇格。140年を超える博物館の歴史で、初の女性課長だ。
 文化財は、時空を超えた情報を伝えてくれる。展示室には、縄文時代の土器、土偶から、近代絵画、工芸品まで並ぶ。着物や陶磁器に描かれた草花の文様や、絵画に表現された自然や風景に心を打たれる。昔を生きた人々は、何を考え、これを描いたのだろうか。登山をしていて、その理由がわかる気がした。茂みをかき分け、岩場をよじ登る。視界に飛び込む風景を見て、心が動いた。きっとこの感情は、100年、千年前も変わらなかったのではないか。(文中敬称略)
※東京国立博物館平成館考古展示室で撮影
写真:写真部・東川哲也 ライター:岡本俊浩
セブンファーム
「やさしい畑」
セブンファーム 取締役 久留原昌彦(53)
 4ヘクタールの農場には、トウモロコシが力強く空に向かって伸び、ジャガイモの白い花が咲いていた。
 この千葉県富里市にある「セブンファーム富里」は、イトーヨーカ堂の直営農場だ。こうした農場は、関東のほか北海道、愛知、新潟にもあり、全国10カ所に広がっている。
 久留原昌彦は、これらの農場運営を担う中核会社「セブンファーム」の取締役。といっても、イトーヨーカ堂での役職は、青果部のチーフバイヤー。つまり課長だ。1982年の入社以来、青果部門を歩み、30代半ばまで売り場に立った後、仕入れを任されるようになった。そんな久留原に農業参入の大仕事が舞い込んだのは、2008年のことだ。
「一緒に会社を立ち上げませんか」
 富里市の農家に提案してまわったが、身構える人は少なくなかった。だが、あきらめず何度も足を運ぶ。ある日、生産者が「雨が足りない」と話すのを聞き、おかしいと感じた。さっきまで土砂降りの雨が降っていたのに。
「短時間降ってもダメ。全部流れちまう。少しずつ、ずっと降るのがいい雨なんだ」
 そんな生産者の解説に相づちを打つ。やり取りを重ねるうち、距離が縮まり、08年、富里で直営農場第1号の開設にこぎつけた。
 店の売り場にいた頃、野菜くずや古くなって捨てられる商品を見て、いつも「もったいない」と感じていた。セブンファームの取り組みには、そんな農作物の抱える課題解決の糸口がある。店から野菜くずや売れ残った商品を回収し、専用のリサイクル工場で堆肥にする。この堆肥を農場で使い、栽培された野菜を再び、店頭に並べる。まさに循環型の農業だ。
「小売りのプロだから、消費者のニーズを知っている。その知見を生産者と共有したい」
 と久留原。不ぞろいの野菜も、味は一級品。生産者にも、消費者にもやさしい。それが目指す農業だ。(文中敬称略)
写真:写真部・東川哲也 ライター:岡本俊浩
そごう・西武
「妄想力で創り出せ」
そごう・西武 自主商品部開発部 アベックモード チーフバイヤー 鶴沢良二(46)
 足を踏み入れるとほっと心がなごむのは、フロアにたたずむマネキンたちが、寄りそうカップルだからだろう。
 明治学院大学法学部卒。DCブランドで固めて学生時代を過ごした鶴沢良二が仕切るのは、40~50代の夫婦・カップルがターゲットのファッションブランド「アベックモード」。専属のデザイナーやパタンナーら社員7人でつくる、そごう・西武初のSPA(製造小売業)手法を採り入れたブランドだ。
 女性がボタニカル柄のワンピースをまとえば男性も同柄のシャツを。女性がマリンブルーのスカート姿なら、男性は同じ色のカーディガンを肩に巻いて──。
「ペアルックなんて恥ずかしいと思うでしょうが、大人は別。長年ともに歩んできた夫婦は、“さりげなく同じ”がかっこいい」
 色や素材など、ちょっとした装いのペア感で“調和のとれた大人のふたり”を演出する。
 ゼロからつくるだけに、こだわるのは、一着一着に込める「ストーリー」だ。
 子育てが一段落し、時間ができた夫婦は休日をどう過ごすのだろう? 美術館を巡るか、ドライブに出かけるか、公園を散歩するか……。妄想力をフル稼働させ、行動シーンに合ったファッションをカタチにしてゆく。
「夫婦の行動パターンは千差万別。24時間、次はどんな服をつくろうかと頭が動いている」
 アパレル業界では異例の2週間サイクルで新作を出すのは、ペアの楽しさを知ったふたりのテンションを下げさせないため。売り場を婦人服、紳士服に分けず、男女共同フロアにしたのは、ふたり一緒に買い物する時間を楽しんでほしいというメッセージだ。
「百貨店って、昔は訪れるだけでドキドキワクワクする場所だったはずだから」
 つれあいへの恋心の再燃と、百貨店の復権を夢見て、鶴沢は今日も想像の海を泳ぐ。(文中敬称略)
※そごう横浜店で撮影
写真:写真部・東川哲也 編集部:吉岡秀子
ヤマト運輸
「最後の1マイルを走れ」
ヤマト運輸 大阪主管支店 上町支店 支店長 冨田尊嗣(36)
 見上げれば、勝鬘院の多宝塔。古寺が立ち並ぶ一角に、冨田尊嗣が支店長を務めるヤマト運輸の上町支店(大阪市天王寺区)はある。六つの営業所を束ね、3万世帯、6千事業所をカバーしている。
 ネット通販の普及によって、宅配ビジネスは家庭への小口配送が増加の一途をたどる。上町支店の場合、1日に5千の荷物が出入りするが、そんなことでひるむ冨田ではない。むしろ、闘志をかき立てられるのだ。
「1時間でどれだけ多くの荷物を届けることができるか。仲間と山を乗り越えるのが、楽しくて仕方がない」
 岡山県出身。高校卒業後に就職したが、20代半ばでヤマトに転職。生野支店(大阪市生野区)でドライバーを始めた。実は子どもの頃から、配送業には憧れていた。
「父親も同業者。屈強な肉体で弱音を吐くことがない。かっこよかったんです」
 4年前に管理者試験を受け、生野支店で支店長になった。すぐに仕分け、配送の効率化策を発案し、社長賞をとった。
 それは小さなイノベーションだ。地域の集配所には、物流センターから届く荷物をいったん保管するキャスター付きのかごが、たくさんある。このかごを置く場所を、ドライバーや仕分けスタッフの動線がなるべく短くなるように調整。早く配送に出かけられるようにした。在宅率が高い朝8時台により多くの荷物を届けることができ、不在票がぐっと減った。
 ヤマトには「ラストワンマイル」という合言葉がある。お客さまがいる限り、どんな場所だろうと最後の1歩まで走り抜くという意味が込められている。次の配属先が離れ小島だったらどうか。
「どこだろうと行きますよ」
 課題は克服するためにある。冨田はクライマーのように配送業を楽しむ。(文中敬称略)
写真:伊ケ崎忍 ライター:岡本俊浩
図書印刷
「ジブリの色は経験の色」
図書印刷 第四営業本部 担当課長 鈴木敬二(50)
 スタジオジブリが世に送り出すのは、何も映像だけではない。原画集から劇場用パンフレットまで、数多くの出版物がある。図書印刷は、その印刷をほぼ一手に引き受ける。そんな会社で「ジブリ番」を20年担ってきたのが、鈴木敬二だ。
「ジブリの印刷物って、色が大変でしょう」
 そう何百回とたずねられてきた。その度に「図書印刷は、ずっとこれをやってきたんだ」という自負が胸に湧き上がる。
 この仕事には、勘所がある。
「自然の色や光。緻密な構造物や生活空間。人物もさることながら、スタジオジブリの作品を特徴づけているのは、背景なのです」
 そんな映像を何度も見返し、脳裏に「ジブリの色」を焼きつける。実作業を担うスタッフは、すべて専任。ともに経験を積んできたから、いちいち説明せずとも、「あ・うん」の呼吸で仕事ができる。
 専修大学卒。電機関係の商社で営業マンを務めた後の1991年、図書印刷に転職。その頃から同社ではジブリの出版物を扱っていて、鈴木は担当営業を任されると、先輩から“仕上がり”に対するジブリの厳しさを徹底的にたたき込まれた。
「勘所をつかむまで3、4年かかりました」
 受け取った素材は、だれが、どんな考えに基づいてつくったのか。監督やスタッフによって、ディテールの描き込み方や色づかいが微妙に違う。そうした一人ひとりの“癖”は、何度もジブリの現場に足を運んだからこそ、つかむことができる。疑問があれば、直接、本人と話して確認する。
 沼津工場(静岡県)では、最新作「思い出のマーニー」の関連書籍の作業が大詰めを迎えていた。ページごとに書き込まれた色やディテールへの指示を、ジブリ出版部のスタッフとともに最終確認する。ジブリには、鈴木の目が欠かせない。(文中敬称略)
写真:写真部・東川哲也 文:編集部・岡本俊浩
タワーレコード
「生配信という一期一会」
タワーレコード 広告宣伝メディア本部 宣伝マーケティング部 チーフ 山田尚宏(39)
 タワーレコードは一昨年、NTTドコモの子会社になった。山田尚宏はその年の査定面談で、上司に質問した。「デジタル化のいま、会社はどう対応するんですか」。すると、こう切り返された。「君にピッタリの仕事がある」。かくして、インターネットでの番組配信事業「TOWER REVOLVE PROJECT(タワレボ)」が立ち上がり、山田はその担当課長を任されたのだった。
 高校在学中の1993年、東京・新宿の店舗でバイトを始めた。あの頃の西新宿は、アナログレコード店が群雄割拠。パンクキッズだった山田は、その“熱”にひかれた。明治学院大学を卒業後もバイトを続け、27歳で正社員に。30歳で旗艦店の渋谷店に異動すると、洋楽ポップ/ロックフロアのチーフになった。
 そんな販売現場を最もよく知る男が今、月に約20本ものネット番組に現場監督として携わる。番組の企画を立て、出演交渉をし、売り場担当から情報を吸い上げる。
 渋谷店内の特設スタジオに、山田の姿があった。生放送中の番組「タワレコ渋谷洋楽第二企画室」を見守っている。「このバンドが好きなら、これも楽しめるはず。なぜなら……」と、案内役の音楽ジャーナリスト、高橋芳朗らが軽妙なトークで曲を薦め、洋楽を掘り下げていく。ネットで探し、クリック一つで欲しいものが自宅に届く時代だが、
「レコード店や音楽の専門家の持つ『お薦め力』は、生きた情報です。生配信という一期一会で、リアルの店舗の魅力を再認識してもらいたい」
 ラッパーのライブを生配信することもあれば、タワレコ社長とアイドルグループのトーク番組を放送することも。累計の視聴者数が1万人に上る人気番組もある。盤を売る仕事ではなくなったが、寂しくはない。
「音楽への熱、愛を伝えることに変わりはないのだから」(文中敬称略)
写真:写真部・東川哲也 文:編集部:岡本俊浩
「時を超える嗅覚」
ニッカウヰスキー ブレンダー室 主席ブレンダー 森弥(38)
 友だちの半分は製薬会社に就職した。それはそうだ。東京理科大学の大学院で、生物工学を学んだのだから。でも、森弥が就職先として選んだのは、ニッカウヰスキー。「日本のウイスキーの父」と称される創業者・竹鶴政孝に「挑戦者の精神を感じたから」だ。
 2000年に入社した。最初に配属された宮城峡蒸溜所(仙台市)は、余市蒸溜所(北海道余市町)と並ぶ、原酒(モルトウイスキー)づくりの要だ。森は、そこでウイスキーの品質管理や原酒開発に携わった。
 10年すると柏工場(千葉県柏市)の「ブレンダー室」に配属され、今は主席ブレンダーを務める。部下は2人。ニッカの新商品開発や発売中の商品の品質管理は、森たちの鍛えぬかれた"嗅覚"にかかっている。森はグラスにウイスキーを注ぎ、鼻孔に近づける。
「酵母が発酵することによって生じる化合物は、多様。原料によっても異なる。香りもその分、複雑なんです」
 どこで蒸留されたのか、寝かせていた樽の材質は何か、貯蔵した場所はどこなのか。5年ものか、10年ものか、あるいはそれ以上か……原酒は条件によって表情を変える。そんな原酒を混ぜ合わせてつくるブレンドウイスキーの味わい、品質を維持するのは、至難の業だ。
 いま使っている原酒の量には限りがあるから、在庫が底をつくと、別の原酒をあてる。それでも変わらぬ風味と品質を保つのが、ブレンダーの“腕”。むろん、重要なのは原酒の良しあしだ。将来、いい“表情”になっているかどうか、鼻を利かす。評価結果を記したファイルには、細かな字で評価コメントがつづられている。
「この瞬間に嗅いだ香りが、10年、20年先のブレンダーに引きつがれる」
 ブレンダー室に流れるのは、大いなる"時"の流れだ。(文中敬称略)
写真:写真部・東川哲也 文:編集部・岡本俊浩
カルチュア・コンビニエンス・クラブ
「新しい図書館のかたち」
カルチュア・コンビニエンス・クラブ CCCデザイン図書館カンパニー 運営企画リーダー 椎名夏代子(35)
 田園に浮かぶ近未来的な建物の中は、やわらかな間接照明に彩られ、木のぬくもりを感じる。館内のスターバックスでコーヒーを買い、くつろぎながら本を読む。きょうも多くの人でにぎわう武雄市図書館(佐賀県武雄市)は、レンタルチェーン「TSUTAYA」を展開するカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)が、指定管理者として運営している。椎名夏代子は、ここで新しい図書館の“かたち”をつくりあげてきた。
 館内には「蔦屋書店」がある。本を借りるのも買うのも、自動貸出機(セルフカウンター)で済ませる。本の貸し出しはもちろん無料だが、Tカードで借りるとTポイントがたまる。本棚は「生き方」や「暮らし方」などのジャンルごとに並ぶ。本を見つけやすいようにと考えた結果であり、従来の図書館にはない工夫だ。
 私語は原則OK。館内にはBGMが流れる。「おしゃべりができれば、家族連れや若い人がより来やすくなる」と、市を説得した。壁で覆われていた幼児向けの読み聞かせスペースは、外から見える場所に移動させた。見られることで、読み聞かせるボランティアの声が、イキイキとし始めた。
 昨年4月に新装開館したが、こうした工夫が評判を呼び、2013年度の来館者数は11年度の約3.6倍、92万3千人に増えた。「こんなの図書館ではない」と批判も受けるが、
「新しいサービスを提供しつつも、図書館が昔から地域で担ってきた役割や機能は、きちんと果たしているという自負はあります」
 今は神奈川県海老名市、宮城県多賀城市の図書館再生事業も手がけ、「来年はどこにいるか分からない!」と、心を躍らせる。
 大学卒業後、出版社に入り、06年、CCCに転職した。CD・DVD販売部から12年に、いまの担当になった。
「ずっと本とかかわる仕事をしたかった。夢がかなって幸せ。子どもたちが本に触れるきっかけをつくりたい」(文中敬称略)
写真:写真部・東川哲也 ライター:小野美由紀
スターバックス コーヒー ジャパン
「掘り起こす豆の物語」
スターバックス コーヒー ジャパン チームマネジャー コーヒースペシャリスト 江嵜譲二(44)
 挽いたコーヒー豆をグラスに入れ、熱湯を注ぐと、表面に黒い粉が薄い層をつくる。表面をそっとスプーンで割り、「ズッ」とすする。液体と一緒に空気を吸い込むことで、豆の味や香りがはっきりとわかる。米シアトルから運ばれてくる豆を日々、江嵜譲二はこの「カッピング」と呼ばれる風味テストで評価する。
「豆の味わいや香りを、どんな言葉で表現するべきか。どういった食べ物と相性が良いのか。年に何度も、スタッフを交えて検証するのが、私の仕事です」
 スターバックスの店頭にある豆の説明書きを、ご存知だろう。アフリカのザンビアの農園でとれた期間限定の希少豆ならば、「シトラスの香りに、リンゴやバニラを思わせる風味とココアのような口あたり」。果実の風味がある豆には果物を使ったデザートが合うし、十分に寝かせた豆が持つ独特の風味は、熟成したチーズと相性がいい。ワインにおける「マリアージュ」は、コーヒーの世界にもあるのだ。
「初めは400文字ぐらいのリポート。ただ、店頭のメニューや解説カードには文字数の制限があるから、要所を短文に落とし込む」
 めざすのは、だれが聞いても味わいや香りをイメージできる言葉だ。
 日本大学文理学部を卒業したが就職せずにフリーター生活。1996年にスタバでアルバイトを始め、翌年、正社員になった。東京都内のいくつかの店で店長を務め、豆を売るうち、いつしか社内で「豆の人」と呼ばれるようになり、2004年にはコーヒースペシャリストに任じられた。日本のスタバには3人しかいない名誉ある“称号”だ。
 モノがあふれる現代、売れる商品には物語があると言われる。こげ茶色の豆はどれも同じに見えるが、産地や収穫した年、農園主の思いなどの違いによって、豆はそれぞれ異なる物語を持つ。江嵜の仕事は、その物語を掘り起こし、伝えることにあるのだ。(文中敬称略)
写真:写真部・東川哲也 文:編集部:岡本俊浩
ヤフー
「リアルとネットをつなぐ」
ヤフー 復興支援室 復興デパートメント担当マネージャー 長谷川琢也(37)
 石巻湾に面するリアス式海岸。漁船に乗り込んだヤフーの長谷川琢也は、波に揺られ、宮城県石巻市牧浜沖のカキの養殖棚へ向かう。この地域の養殖棚も「3・11」の大津波で大きな被害を受けたが、漁師たちは再起していた。そんな人々と消費者をインターネットでつなぐのが、長谷川の仕事。ヤフーのサイト上で「復興デパートメント」を運営。東北の海産物や農産品、工芸品のネット通販を、土地の担い手とともに手がけている。
 横浜育ちで千葉大学卒。ITベンチャーを経て、2003年にヤフーに転職した。話し好きで、高いコミュニケーション能力が評価され、新事業を立ち上げる時にはよく声をかけられる。eコマースの宣伝部門で部長を任された時も、職場を明るく盛り上げたが、一方で、
「M&Aもできないし、プログラムを書けるわけでもない。中途半端」
 と劣等感も感じていた。迷いを吹き飛ばしたのは、東日本大震災。社業を離れて単身、津波被害が甚大な石巻に入り、がれきの撤去を手伝った。その後も休日や有給休暇を利用し、自腹で石巻へ。地元の人から「お帰り」と迎えられ、ホヤの味の奥深さも知った。
 震災から1年後、「会社辞めて、移住か」とも考えた。社長の宮坂学に相談すると、「復興支援の新事業を立ち上げろ」と命じられた。12年7月、石巻市内に「ヤフー石巻復興ベース」を開設。住まいも現地に移した。
 被災地支援として次々とインターネットを使ったサービスが立ち上がった。しかし、漁師や農家と関係を築くとき、相手のふところに飛び込み、信頼を勝ち得るのは、生身の力だ。長谷川はそのことを、よくわかっている。
「指先の仕事だけじゃわからないことがある。被災地と外側、ITとリアルの間に立って、両者をつないでいきたい」
 今月14日には、自転車イベント「ツール・ド・東北」も控える。復興支援室と河北新報社が共同で主催し、3千人が参加するイベントだ。(文中敬称略)
写真:写真部・東川哲也 文:編集部:岡本俊浩
ブリヂストンサイクル
「進化するママチャリ」
ブリヂストンサイクル 技術管理部 デザイン課 課長 中森和崇(44)
 値段が高くてもいいから、おしゃれなママチャリがほしい──そんなママたちの願いをかなえたのが、ブリヂストンサイクルが2011年に発売した電動アシスト自転車「HYDEE.B(ハイディビー)」。子育て世代の女性誌「VERY」(光文社)とのコラボでつくった。
「子どもを乗せる自転車は、実用性重視のものばかりでしたが、『子育て、カッコイイ』、そんな流れを自転車でつくれたことに誇りを感じます」
 そう話す中森和崇は、自転車のデザイン一筋で生きてきた。千葉大学工学部で工業デザインを学んだ後、自動車業界に進む道もあったが、「もっと身近な乗り物をつくりたい」とブリヂストンサイクルに就職した。自転車のデザインのコンセプトや形、色を決めるのが仕事。ただ、HYDEE.Bの開発では、安全とオシャレのバランスに苦心した。
 ブリヂストンサイクルには、すでに人気の3人乗り電動アシスト自転車「アンジェリーノ」があった。「できるだけオシャレに」とつくったが、やはり安全性が最優先。ところが、新開発する自転車は「オシャレありき」。社内の安全基準内に収めつつ、VERYママのオシャレ感覚を満たさないといけない。
 驚くこともあった。細いタイヤがカッコイイと思っていたら、マウンテンバイク世代のママたちが求めたのは、ゴツゴツした極太タイヤ。それなら子どもを乗せてもふらつかない。一方、フレームはシンプルな形にこだわった。メーンカラーは「マット(ツヤ消し)ブラック」に。HYDEE.Bは200台の先行予約が、受け付け開始40分で埋まった。
 新シリーズ「bikke(ビッケ)」は、極太タイヤはそのままだが、重心を低くして車輪を小さくした。進化を続ける電動アシスト自転車の国内市場は急伸中。欧州の街をさっそうと走れば、オシャレなパリジェンヌも振り向くだろう。世界を席巻する日も、そう遠くない。(文中敬称略)
写真:伊ケ崎忍 文:編集部:岡本俊浩
コクヨ工業滋賀
「琵琶湖の自然とノート」
コクヨ工業滋賀 開発グループ 課長代理 岡田佳美(35)
 のどかで自然豊かな琵琶湖は、人々に安らぎと恵みを与える。岸辺を覆うヨシ(葦)の群落は、水鳥や魚の産卵場所になり、命を育む。水をきれいにする作用もあるから、ヨシを守ることは、多くの人々の暮らしを守ることにもつながる。岡田佳美は、そんな琵琶湖の近くで生まれ育った。
 幼いころから、無類の文具好き。さらには環境やものづくりに興味をそそられる“リケジョ”でもある。滋賀県立大学工学部材料科学科を卒業すると、迷わず文具メーカーへの就職を決めた。配属先は、地元のコクヨ工業滋賀。ノートの生産量が日本一という工場だ。
 希望した仕事は、商品開発。会社がちょうど新ブランドを立ち上げようとしていた時期とも重なり、入社早々、誕生したばかりの開発グループで働くことになった。そこで目をつけたのが、ヨシ。枯れたヨシで紙をつくってみては、という案が検討された。そうして生まれたのが、2007年発売の「リエデン・シリーズ」のノートや名刺だ。リエデンとは「エデンに帰ろう」という意味。
 何といってもユニークなのは、色のネーミングだ。バームクーヘン、竹生島、オオナマズ、忍者、野菜ジュース……。
「開発担当の3人は全員が女子だから、最初はほとんどが食べ物の名前でした」
 もちろん、楽しいことばかりではない。ヨシパルプ100%のロール紙づくりは、機械への負荷が大きく、製紙会社に何度も試作を断られた。
「それでもお願いして、やっと実現したんですが、その後も試行錯誤を重ね、名刺にするまでに1年近くかかりましたね」
 そういう岡田の名刺は、しっかりとした紙質を保ちつつ、温かみのある風合いだ。
 1年半前に娘を出産し、育休取得後に職場復帰した。自然環境の循環は、生命の循環。
「自分たちのつくったものが環境を考える渡し船になれたら」(文中敬称略)
写真:伊ケ崎忍 文:ライター:西元まり
三井不動産商業マネジメント
「脱セオリーと対話力」
三井不動産商業マネジメント アーバン事業部 運営統括課長 劔持直子
 一歩足を踏み入れると、そこには「和」を強く意識した空間があった。2010年に東京・日本橋で開業した「コレド室町」。出汁や昆布、箔小物の専門店が並ぶ1階の内観からは、「江戸」「日本橋」の香りが漂う。劔持直子は、ここを運営する三井不動産商業マネジメントで、この施設の販売促進を担当している。
 三井アウトレットパーク、ららぽーと……同社が手がける他の商業施設と比べ、コレド室町は独自路線だ。重要なのは、店舗がずっと客足を伸ばしていくこと。だから、劔持は店舗の販売支援に軸足を置く。たとえば、夏に施設が金魚をテーマにしたイベントを展開するときには、入居する店舗にも、金魚にちなんだ商品開発を提案する。
 明治大学文学部を卒業して百貨店に就職。バブル入社組ではあるが、すぐにバブルははじけ、ものを売る厳しさを知った。
 2003年に転職したが、百貨店で覚えた「セオリー」が、このところ通じないことが多くなった。上層階のレストランから、客足が自然と階下の店舗に流れる「シャワー効果」も、今は昔。社会の多様化は著しく、商業施設に求められるものは、ショッピングだけではなくなった。だから、読みにくい。
 今は10月10日開業の「飯田橋サクラテラス」の販促に奔走している。オフィス、住居、店舗が混在する駅前複合施設だ。地域の拠点としての機能も求められるから、
「地元感を意識したPRに力を入れています。ただ、最後のよりどころは、顧客との直接対話。正解を導き出すマニュアルはない。ひとりでは解決できないこともあるから、課題が出てきたときは、社内の知恵を集めます」
 だから、チームのメンバーを大切にする。逆に知恵を求められることも多く、持ち前の「姉御肌」で課を引っ張っている。(文中敬称略)
写真:伊ケ崎忍 文:編集部:岡本俊浩
資生堂
「美しく、しなやかな改革」
資生堂 経営企画部 課長 岡田依子(45)
「SHISEIDO THE GINZA」は、創業の地、東京・銀座の目抜き通りに面する情報発信拠点。咲き乱れる花のように商品が並ぶ店内を見渡し、岡田依子は言う。
「たくさんのブランドがありますが、どれも“資生堂の商品”として知られてはいても、個々のブランドとしてグローバルに成功しているとは言いがたいところがある。今後は、それぞれブランドとしての個性を伸ばし、世界中のお客さまにご愛用いただきたい。その戦略を立てるのが、私の仕事です」
 経営企画部の課長として、4月に社長に就任した魚谷雅彦の経営改革を実践する業務に当たる。部下は6人。他の業界から転職してきた社員も多く、よく「なぜ資生堂ってこうなの?」と問われる。そんなとき自問自答し、こう思うのだ。
「これまでの成功体験にこだわらず、かつてない手法を採り入れた新たな『資生堂ウェイ』をつくっていきたい」
 立教大学文学部を卒業し、1992年、資生堂に就職。まもなく国際事業部門に異動し、ニューヨーク発の化粧品「5S」の立ち上げに携わった。29歳で「コンビニコスメ」の開発部署へ。めまぐるしく変化する世界へ、怒濤のような準備期間を経て参入した。
「自分で道を切り開くタイプではなく、与えられた仕事をがんばるタイプなんです」
 32歳で出産し、約1年半の休暇を取った。しかし、ゆっくりした時間の中にいると、「仕事に戻らなければ」と思う自分がいた。復帰すると、当時苦戦していたメンズ商品の戦略立案を担当した。
 息子は小6になった。
「仕事と育児の両立なんて格好いいことはできていません。できる範囲のことを頑張っているだけ」
 そう控えめに話すが、たおやかな姿の中には強さを秘める。まるで“椿”の花のように。(文中敬称略)
写真:写真部・東川哲也 文:編集部:岡本俊浩
コカ・コーラ
「『にごり』への挑戦」
コカ・コーラ 東京研究開発センター 製品開発 プロジェクトマネジャー 足立秀哉(41)
 急須を使って茶を入れた時、抽出した成分の粒子が茶の中に漂い、トロッとした飲み口になる。この「にごり」こそ、緑茶本来のうまみなのだが、ペットボトル入り清涼飲料ににごりを入れるのは、見栄えの悪さからタブーとされてきた。そのタブーに挑戦し、「綾鷹」を生み出したのが足立秀哉だ。
「まだ誰も作ったことのない商品でしたので、緑茶市場に旋風を起こしたい、革命を起こして業界のリーダーになりたい、という思いがありました」
 物静かな外見とは裏腹に、語り口が熱い。
 神戸大学大学院で生物機能化学を専攻。化学メーカーに就職し、乳化剤などを作っていたが、「最終製品を作りたい」という思いが強くなり、2005年にコカ・コーラ東京研究開発センターに転職。7年前から、ペットボトル茶の開発に熱中している。
 通常、お茶の製品化まで、開発を始めて半年から約1年かかるが、綾鷹は2年近くを要した。うまみ、渋み、甘み……。バランスの異なる様々なにごりのバリエーションの試作品を、最終的には100種類以上開発。にごりのもととなる抹茶成分は、生産ラインの機械に目詰まりを起こすこともある。足立は生産工場に何度も通い、フィルターが不純物を通さず抹茶だけが通るか、徹夜で抹茶をふるい続けたこともある。
「最大の課題は抹茶の管理でした」
 その言葉通り、全国にあるどの工場の生産ラインでも、品質が均一な製品を作るため、プロジェクトメンバー全員が、工場に通い、交代で仮眠をとりながら製造に立ち会った。さらに、創業450年を誇る京都・宇治の老舗茶問屋「上林春松本店」とも提携し、07年、ついに綾鷹を発売。広くファンを獲得し、「にごり市場」で先行する。
「ひと仕事終えたので、落ち着きますね」
 そう言って足立は、丹精込めた綾鷹で一服するのだった。(文中敬称略)
写真:写真部・東川哲也 文:編集部:野村昌二
東レ
「強くて軽い、黒い糸」
東レ 複合材料研究所 主任研究員 伊勢昌史(44)
 入社した1995年、炭素繊維は社内でもまだ日陰の存在だった。研究は60年頃から始まっていたが、まだ小さな“つぼみ”でしかなかった。翻って現在。東レが世界シェアの5割以上を握る高性能炭素繊維は、ボーイングの新鋭機「787」の構造材に採用されるなど、脚光を浴びている。
 鉄と比べて10倍の強度なのに、重さは4分の1。強くて軽く、耐久性にも優れる。ならば、誰もがこう考えるだろう。世の中の鉄製品を炭素繊維にすればいい──。自動車はもっと丈夫になるし、燃費も良くなる。実際、787の燃費は炭素繊維を使うことで2割向上した。
 しかし、話はそう単純ではない。
 一般的な国産中型車を炭素繊維でつくった場合、価格は1千万円を超える。コストの壁は、高い。質を向上させながら、どう普及させるか。複合材料研究所の主任研究員、伊勢昌史の仕事は、そんな素材を身近にさせるためにある。
「炭素繊維は、アクリル溶液を細い糸に加工することから始まります。さらに炉で焼き、樹脂とともに成形していきます。鉄鋼などと比べ、工程が長い」
 コストを下げるには、質を落とさずに工程を見直す必要があるのだが、これがカンタンではない。なぜなら、炭素繊維の分子構造は複雑で不規則。伊勢は言う。
「入社後、炭素繊維の世界をつかめるようになるまで、3年かかりました」
 いまの役職になってからは、部下から上がってくるデータを読み解き、普及に向けて方策を練るのが、仕事の中心だ。その日々の仕事が実を結ぶ日は、はるか遠い。
「787用に製品をつくったときも、開発から初飛行まで10年余りかかりましたから」
 仕事場にあるのは、そんな長い長い、道のりなのだ。(文中敬称略)
写真:写真部・外山俊樹 文:編集部:岡本俊浩
JX日鉱日石エネルギー
「太陽光とともに」
JX日鉱日石エネルギー 新エネルギー事業部 ESCO&ソーラーグループ担当マネージャー 舞弓奈央子
 那覇空港へ向かう機中から地上をのぞく。海に囲まれた石油備蓄基地が見える。ずらりと並んだ原油タンク群のわきに、太陽光パネルが輝いている。石油元売り最大手、JX日鉱日石エネルギーが沖縄石油基地内に建設中の「うるまメガソーラー発電所」(沖縄県うるま市)だ。
「ここは、太陽に恵まれた土地。原油タンクとこれからのエネルギーである太陽光パネルが並び立つ風景が気に入ってます」
 そう話すのは、このプロジェクトの責任者、舞弓奈央子。全国にあるJXグループの遊休地からメガソーラーの建設候補地を選び、日照条件や事業採算性を検討。場所が決まれば、地元の電力会社や官公庁への申請手続き、工事会社との折衝などを行う。根気の要る仕事だ。これまで宮城県や山口県など全国6カ所で送電を始めている。沖縄は来春の稼働予定だが、出力12メガワット、広さ16万平方メートルは、その中でも群を抜く。
 出身校の久留米工業高等専門学校電気工学科では、クラス40人のうち女子は2人だった。大学編入後、九州大学大学院総合理工学研究科エネルギー変換工学専攻に進み、プラズマ関連の研究を行った。
「電気の勉強をし始めた頃から、環境にやさしいエネルギーをもっとつくれないか、ずっと考えていました」
 旧日本石油化学に入社すると製造現場の技術部門を担う計画部に配属され、以来、そこで制御システムの設計や運転教育を担当してきた。その間、米国新プラント建設プロジェクトも2年経験。そして2012年8月、メガソーラー発電所建設担当者の社内公募を見た時、かつての夢が蘇り、思い切って応募したのだ。
 口調は穏やかで、慌ただしい工事現場とは一見無縁のよう。だが、現場で培った厳しさを秘めている。
「何をおいても安全第一。現場ではけっこう口うるさいんですよ」(文中敬称略)
写真:写真部・東川哲也 文:ライター・西元まり
日本生命保険
「職場でチャレンジ叫ぶ」
日本生命保険 新商品管理部 新商品契約管理グループ 課長 清宮敬子(51)
 保険商品の銀行窓口販売が全面解禁されてから、間もなく7年になる。その新しい販売ルートの“裏方”を仕切るのが、清宮敬子の仕事だ。契約、支払い、コールセンターの業務すべてを新商品管理部が統括。滞りなく業務が進むよう、約200人の部員たちがいる3フロアを日々、見て回る。
 預金を扱う銀行の窓口で、保険商品を売るのだから、十分な説明が求められる。商品の性質や約款について幅広い知識を持つことはもちろんだが、マニュアル通りでは答えられないことも多い。耳の遠いお年寄りも少なくなく、コールセンターには何度も粘り強く説明する大きな声が響く。困ったことが起きれば、清宮がすばやく的確に判断する。
 部員の約9割は女性。雇用のかたちは、パートや契約などさまざまだ。子育てなどの事情で、あえて昇進を望まない女性も多いが、そんな人たちに清宮はこう語りかける。
「自分自身の『革新』を意識して前進してほしい。可能性にチャレンジしてほしい」
 昭和学院短期大学被服科を卒業後、1983年に一般職(現・業務職)として入社、地元の千葉支社に勤務した。10年以上、社内事務に携わってきたが、ある時、営業部で働く機会を得た。目標達成に向けてリーダーシップを発揮する営業部長の姿に刺激を受け、33歳で総合職転換試験を受けた。初挑戦は不合格。ただ、あきらめる清宮ではない。新たな職務にチャレンジする社内派遣制度に手を挙げ、東京へ転勤。39歳で試験に再トライし、総合職になった。「チャンスだ。行ってこい!」という上司に背中を押され、7年間の大阪暮らしも経験した。
「子育てや介護など、それぞれ事情はあると思いますが、上位職へ挑戦するよう促しています。今年は積極的な反応が返ってきてうれしいですね」
 女性の歩む先を照らす頼もしい存在だ。(文中敬称略)
写真:伊ケ崎忍 文:ライター・安楽由紀子
モンベル
「アウトドアの達人社員」
モンベル 企画部課長代理 渡邊千絵(54)
 雄大な山々は人々を魅了してやまないが、時に牙をむくこともある。だから山登りのウエアは第一に機能性重視。色も、遭難時に備え、目立つ色であるほうがよい。モンベルの企画部課長代理、渡邊千絵は、そう思う。
 40人近くいる企画部の中で、商品全般の色の管理と、女性のウエアやギア(道具)のデザイン管理を任されている。渡邊を含む担当の4人で、社内で出されたアイデアをもとに、商品に合う素材開発から携わり、必要な生地や部品を厳選。縫製方法も指示する。そうしてできる商品は、1年間で700に上る。
「どういう機能をつけるのか、改善するのか、刷新するのか。常に先々のシーズンの分まで同時進行で考えています。山に行くと、つい女性のウエアをじっと観察してしまいますね」
 北海道生まれ。父が登山家だったせいか、小さい頃からアウトドア派。オートバイを乗りこなし、スキーやウインドサーフィン、山登りが好き。大学は芸術方面に進み、金属工芸を学んだが、27歳のとき転機が訪れた。
 大学卒業後、いったん就職したが、再び芸術を学ぼうとカナダに渡った。しかし、そこはカナダ。日本のモンベルで寝袋やテントなどを一式買いそろえ、現地のアウトドアスクールに参加したところ、はまってしまった。
「挑戦が好き。体を動かすのが大好き」
 という渡邊のチャレンジ精神は、アウトドアの達人ぞろいの社内でも群を抜く。雪の槍ケ岳を登り、スノーボードで上から滑降。フルマラソンには26回も出場した。並々ならぬ強い精神力と持久力の持ち主は、仕事でも課題が多いほうが燃えるタイプだ。
「最近はだいぶ落ち着きました。今は夫と自転車でツーリングしたり、自宅近くの生駒山で山走りをしたりするのが休日の楽しみ」
 そう軽く言うが、10月は延べ200キロ以上を走った。目指すは12月14日の奈良マラソンだ。(文中敬称略)
写真:伊ケ崎忍 文:ライター・西元まり
野村証券
「証券業と母の道」
野村証券 熊本支店ファイナンシャル・コンサルティング課 課長 平野和枝(39)
 子どもの頃から新聞を読むのが好きだった。大学でゼミの担当教授から「証券業は社会の情勢をよく反映する業種」と聞き、平野和枝は野村証券に就職した。
 最初は窓口業務を淡々とこなした。結婚して28歳で出産。2年間の産休・育休をとり、主婦になったとき、あることに気がついた。平日の街並みや、スーパーの活気、昼間の生活空間の切実さ……。誰にでも生活のリズムがある。営業は、そこに割って入ること。漫然と顧客に電話をかけてきたが、電話一本の重さを感じるようになった。
 復職後は資産運用の担当になった。株式や債券、投資信託などの商品提案から、保険や相続のアドバイスまで、仕事の幅は広い。結婚、出産、子どもの進学、リタイア後のセカンドライフ。人生のイベントに寄り添いながら、相談に乗る。そんなときも会社を離れ、主婦として地域社会で暮らした経験が生きる。母親となったことで、提案の中身に厚みが出てきたと思う。
 ただ、いつも笑顔の接客とはいかない。リーマン・ショック後の経済危機のなか、資産を半分以下に減らした顧客もいた。資産運用を提案する側としては、痛恨の事態。でも、そこで逃げはしなかった。厳しい時こそ「顔を出そう」と、顧客宅へ足を運んだ。以前よりも信頼関係が深まった顧客もいる。
 2年前、課長になった。6人の部下は、全員が女性。仕事と子育てを両立する部下も増えている。
「子育てと仕事の両立は簡単ではない」
 朝は5時に起き、ニュースをチェックしつつ家事をこなす。時には泣く子の顔を見ながら出勤。そのたびに周囲の協力に支えられてきた。いま感じるのは、
「母親業も証券業も、人生に寄り添う仕事」
 後輩たちに伝えていきたいことだ。(文中敬称略)
写真:東川哲也 文:編集部・岡本俊浩
セブン―イレブン・ジャパン
「繁盛コンビニへキュッ」
セブン―イレブン・ジャパン 太田地区 ディストリクトマネジャー 藤田恵実(39)
 幹線道路沿いにある「セブン―イレブン」2階の事務所で、藤田恵実は長い髪をキュッと後ろに束ねた。業務に挑む前の“儀式”だ。
 システマティックに見えるコンビニだが、内幕は人間臭い。加盟店と本部の間に信頼関係がなければ、業績は上がらない。売り上げを伸ばすには、従業員の教育は……店が抱える悩みはさまざま。それをサポートするために、本部の営業部隊「OFC」(オペレーション・フィールド・カウンセラー=店舗経営相談員)が店を回る。藤田は群馬県の太田地区にある約80店を受け持つOFC11人のリーダーであり、“指導係”だ。
「店の経営を左右するOFCには責任があると同時にやりがいもある。現場で人とふれあい、人の役に立てるこの仕事が大好きです」
 法政大学文学部英文学科を卒業し、1998年に入社。セブン―イレブンには、高校時代にアルバイトをした経験から親近感があった。会社案内に載っている女性役員を見て、
「がんばれば男女平等に評価してもらえる」
 と思い、就職を決めた。ところが、現実は甘くない。2年半の店舗での勤務を経て、憧れのOFCに。しかし、20代の若手で、しかも女性の社員の話に耳を貸さない加盟店のオーナーが少なからずいた。駐車場に車を止めて泣いた。そんなとき、支えにした上司の言葉がある。
「誰よりも力をつけろ」
 売れる商品は? 陳列方法は? 知恵を絞ってアドバイスし、次々と地区でトップクラスの繁盛店にしていった。
「性別も年齢も関係ない。要は結果を出せるかどうか。部下にも、そう教えています」
 母となってからは、子どもとの時間を大切にしようとして、「スケジュール管理能力がついた」。でも、仕事に妥協はしない。
「セブン-イレブンで働きたいという5歳の娘に、背中をずっと見ていてほしいから」(文中敬称略)
写真:伊ケ崎忍 文:編集部・吉岡秀子
大江戸温泉物語
「温泉とファンタジー」
大江戸温泉物語 浦安万華郷 企画広報課 課長 井上悟(41)
 南アフリカから取材にきた国営テレビのスタッフは、目を丸くして驚いた。無理もない。大滝の流れる岩山洞窟風呂を人工的につくる。LEDでお湯を5種類に染める……。こんな発想をする国が、ほかにあるだろうか。
 千葉県浦安市にある温泉リゾート「大江戸温泉物語 浦安万華郷」。敷地面積1万坪のなかに、25種類もの風呂がある。この巨大な温泉施設を運営するのは、全国で温泉旅館など30施設を経営する「大江戸温泉物語」(本社・東京)だ。
 企画広報課の課長、井上悟は、どんな季節限定の風呂にしようかと、いつも頭をめぐらせている。ワイン色のコラーゲン成分を溶かしこんだ湯は、美容に敏感な女性客をとりこにした。
 水着で入れる自慢の「水着露天ゾーン」は、娯楽性を追求した風呂の数々が人々を驚かせる。客足が鈍りかねない夏、井上は「プールに負けないように」と、このゾーンの一部をプールに仕立てた。水面に大量のゴムボールを浮かべ、すべり台も設置。人気のプール施設並みに客がつめかけた。
 2007年、別の温泉施設から転職した。企画力を期待されての入社だが、駒澤大学の学生時代から仲間との温泉めぐりを趣味にしていたというから、いまの仕事は“天職”ともいえる。休みの日は家族総出で各地の温泉をめぐり、これまで入浴した温泉は約300カ所にもなる。
 浦安万華郷では、風呂の「品質」をチェックして回る。湯の温度が0.5度違うだけで、湯船につかる時間が変わる。季節に応じてベストな湯温を導き出すのも、井上に託された大切な仕事だ。
「癒やしである以外は、健康増進からレジャーづかいまで、十人十色。だからいい」
 温泉は、癒やしがつなぐ民主社会なのだ。(文中敬称略)
写真:伊ケ崎忍 文:編集部・岡本俊浩
住友商事
「ビルは街とともに」」
住友商事 建設不動産本部ビル事業部 神田街づくり推進チームリーダー 平松潤一(47)
 下町の手触りが残る神田は、都心に残された数少ないフロンティア。路地裏のレトロモダンなビルや木造家屋が、センスのいい店主たちの視線をひきつけ、個性のある新しい店が増えている。平松潤一は、そんな街と並走する気構えでいる。
 地下鉄の神保町駅から徒歩2分。地上17階建ての複合ビル「テラススクエア」(東京都千代田区神田錦町)は、住友商事の神田再開発の「要」になる。1930年竣工の博報堂旧本館とその周辺を再開発する一大プロジェクト。平松は、建設中のビルを見上げて言う。
「もはやスペックだけを競う時代ではないんです。頭打ちに近づいてきている」
 かつての不動産開発は、「いい場所に、いい建物をつくればそれでよし」だった。いまは、そうではない。何で差をつけるのか。ヒントは「建てた後」にある。
「ここで働きたい、住みたい。人にそう感じてもらえる効果を街にもたらすことが、いまの物件には求められている。ビルが一つのハブ(結節点)になり、街全体の人の流れを活性化させないといけない。建てた後、街と一緒に伸びていかないと意味がないんです」
 京都大学工学部卒。90年に入社し、不動産開発一筋できた。大阪勤務が長かったが、2005年に東京へ異動。しばらく「仕事のネタ」がなかった。そんなところに先輩社員が「一緒にやらないか」と誘ってくれたのが、住商が20年来、挑んできた神田再開発のプロジェクトだった。
 6年前に再開発のゴーサインが出て、土地の取得から建築、テナントの誘致まで奔走してきた。20年来の社の努力がいよいよ実る。予定では15年3月に完成するのだ。
「この物件が自分を大きくしてくれた」
 思いの詰まったテラススクエアは、きっと神田の街とともに歩むのだろう。そう思うと胸にこみ上げるものがある。(文中敬称略)
写真:伊ケ崎忍 文:編集部・岡本俊浩
花王
「食器をキュキュッと」
花王 ハウスホールド研究所 室長 岡野哲也(46)
 食器用洗剤は一般的に、植物由来のヤシの実の油脂を原料につくられる。熱帯雨林のような温室のある和歌山研究所が、岡野哲也の仕事場だ。
 花王の食器用洗剤の看板ブランドといえば、10年前に発売された「キュキュット」シリーズ。それを8月、全面改良して新発売した。これには5年以上の歳月を要した。
 2009年春、ハウスホールド研究所に着任すると、キュキュットの革新的改良を命じられた。大学院では、高分子工学を研究。花王に入社後は、長く化学品の開発研究に携わってきたが、商品開発となると経験がない。
「開発チームの若い部下たちのほうが知識も経験も豊富で、眠れない日々でした。でも、わからないことは『教えて』とどんどん聞いて、身につけていきました」
 洗うときには豊かに泡立ち、すすぐとスッキリ泡切れさせるにはどうすればいいか。凝りだすと突き詰めるタイプ。流し台に立ち、食器を洗うプロセスをこと細かく観察し、どこでどんなストレスを感じるかを徹底的に探った。これまでの処方を思い切って全部捨て、ヤシの原料以外の洗浄成分も一新。チームで一から再検討した。
「これでもか、これならどうだ、今度こそは……。本社事業部に提出するたびにダメ出しされながら、格闘してきました」
 ヒントは、化粧落とし(クレンジング剤)など、洗浄剤を広く研究している社内に転がっていた。結果的に2千通り近い処方を試した。
 濃密な泡で手ごわい油汚れも落とし、水を注ぐと汚れを包み込んだ泡がさっと消える。だから、節水にもなる。ようやくできた食器用洗剤を妻に試してもらった。いつもは厳しい評価の妻が、「これはすごい」と驚いてくれた。その言葉が、何よりうれしかった。
「どんなに小さい製品にも、キラリと光る科学(サイエンス)を入れたい」
 めんどうな食器洗いが、科学の力で少しでも気持ちよくなれば、と思うのだ。(文中敬称略)
写真:写真部・外山俊樹 文:ライター・西元まり
メルシャン
「香りが、決める」
メルシャン チーフワインメーカー 生駒元(45)
 日本はワイン用のブドウづくりに適さない──かつてそんな見方が支配的だったこともあるが、いまは違う。「シャトー・メルシャン」(山梨県甲州市)のワインは、国際コンクールや海外専門誌で最高クラスの評価を得て、すっかりワールドクラス。であるからこそ、メルシャンのチーフワインメーカー、生駒元は感じている。
「日本のワインには厳しい目線が注がれている。ハンパなものはつくれない」
 山梨県の勝沼を拠点に、自社の管理畑や契約栽培地でのブドウづくりから醸造まで、「純日本産」にこだわったワインづくりに明け暮れる。寒暖差のある高地でつくれば、いいブドウができる。果実を育む軟水も、生かせば他にはない、やわらかい口当たりを生むことができる。
 生駒は日々、樽で寝かせたワインをチェックして回る。なかには数年寝かせたワインもある。気の長い仕事だ。
 京都大学農学部の食品工学科を卒業し、入社した。研修のために駐在した米国の名門ワイナリーで、「世の中には、こんなにまでおいしい液体があるのか」と衝撃を受け、夢中で学んだ。
 最も苦労したのは、ブドウをいつ摘みとるか。いくら果実としてよく育っても、ワイン原料としての収穫のタイミングを誤れば、ポテンシャルは大きく減退する。だから、果実味の「香り」が最大限に高まったとき、逃さず摘み取る。ワインの出来、不出来の多くを握るのは、香り。日本のワインを飛躍させたのも、この香りだった。
「経験や勘で判断していた香りをデータ化できないか。日本固有の品種『甲州』を材料に、ボルドー大学の富永敬俊博士(故人)と科学的な分析をかけたんです」
 日本のワインづくりは欧州に比べたら歴史は浅いが、その時間を科学で埋めたのだった。(文中敬称略)
写真:写真部・東川哲也 文:編集部・岡本俊浩
下鴨茶寮
「京野菜の味を生かす」
下鴨茶寮 本店料亭部 調理課課長・料理長 明石尚宏(30)
 庭にある井戸に手を合わせ、京野菜などの下ごしらえから仕事が始まる。農家から仕入れた大きな堀川ごぼうやえびいも、聖護院かぶら、色鮮やかな金時にんじん、万願寺とうがらし……。それぞれの風味や旨みを引き出し、美しく盛りつける。
 高野川のほとりに立つ数寄屋造りの下鴨茶寮は、1856(安政3)年の創業。下鴨神社の包丁人として仕えた由緒ある料亭で、2年前に小山薫堂が経営を受け継いだ。料理長の明石尚宏は、料理人たちを束ね、腕をふるう。
 中学3年のとき、明石は難病を発症し、車いす生活を余儀なくされた。手術を受けて2カ月入院。この試練は厳しかった。
「性格も人生観もすっかり変わりました。いつ死ぬかわからないなら、好きな道に行こう。そう決めました。生き急ぐ感じでした」
 子どもの頃から料理が好きだった。だから、おかやま山陽高校調理科へ進学した。フランス料理のシェフを目指すつもりだったが、
「日本人なら日本料理だ。やるなら京都だ」
 と思い、下鴨茶寮に就職。その後、各地のホテルで修業を重ねていると、2年前、先代の女将から電話があり、料理長を任された。
「チャンスと思いました。がんばる自信はあります。でも、おいしい店で仕事のできる人を見ると、憧れるのと同時に悔しさがこみ上げます。まだまだ勉強することは多い」
 下鴨茶寮でおいしいのは当たり前。課題は、流れや満足感をどう演出するか。
「薫堂さんはサプライズ好き。例えば、懐石料理の釜炊きの白いご飯が残っていたら、『お代わりしますか。それとも……』と、シメに牛とじを出します。九条ねぎと牛ロースをスライスし、八方だしでしゃぶしゃぶ風にして、とき卵をのせ、山椒をパラパラ……」
 鳥のさえずる頃に起床して仕入れに向かう。ご馳走をつくるため、今日も走る。(文中敬称略)
写真:伊ケ崎忍 文:ライター・西元まり
MUJI HOUSE
「21世紀、団地のカタチ」
MUJI HOUSE 住空間事業部 開発担当 一級建築士 豊田輝人(38)
 すべてを壊すのではなく、使えるものは残す。古くなった団地の現状を確認しながら、「この柱は残そう」「多少のキズがあっても、無駄に新しくするのはやめよう」と、一つ一つ丁寧に判断していく。コストを抑える効果もあるが、長い年月を経た団地だからこそ、生かしておきたいところは多い。
 これは、生活雑貨店「無印良品」が、UR都市機構と共同で進める「MUJI×UR団地リノベーションプロジェクト」のテーマの一つ。昭和40~60年代に建てられた団地の空室を、若い世代が住みたくなるような部屋に改修する。無印良品の住宅事業を担う「MUJI HOUSE」(東京)の豊田輝人は、このプロジェクトの設計リーダーだ。
「団地は棟によって建築年が異なる場合もあり、状況はさまざま。実際に着工してみないとわからないことが多いので、まめに現場に足を運んでいます」
 プロジェクトの対象は現在、千里青山台団地(大阪)、落合団地(兵庫)、千代が丘団地(愛知)、武里団地(埼玉)、真砂団地(千葉)、高島平団地(東京)など、全国13カ所にもなる。豊田は部下の設計士やアシスタントを率い、これまで19タイプの部屋の設計を手がけてきた。
 東京理科大学の大学院を修了後、組織設計事務所に5年ほど勤務した。住む人が家に合わせるのではなく、住む人の暮らしを主役として、「暮らしの背景をととのえる」というMUJI HOUSEの理念に共感し、2005年に転職した。
「新築と違って、リノベーションはこれからの分野。出てきた課題に対し、すべて100点を目指すと平均的なものになってしまう。どこかは削ってでも、別の部分で120点を取ることで魅力的なものをつくりたい」
 壁を取り払った室内に、やわらかな陽の光がふりそそぐ。(文中敬称略)
写真:伊ケ崎忍 文:ライター・安楽由紀子
PSソリューションズ(ソフトバンクグループ)
「農業データを見える化」
PSソリューションズ(ソフトバンクグループ) 農業IoT事業推進部 課長 坂井洋平(36)
 この日、IT関連企業「PSソリューションズ」で課長をしている坂井洋平(写真手前)は、千葉県外房の農家で「案山子」を眺めていた。でも、これはカラスの類を追っ払うためのものではない。なんなのか。坂井によるとこうだ。
「名前は『e-案山子』。農業に必要なデータを測り、『見える化』する機器です」
 このビニールハウスなら、トマトだ。温度管理や水やりには工夫がいるが、これまでは「経験と勘」に、判断基準が委ねられてきた。そこを「データ」でやったら、どうか。精密農業がぐっと身近になる。そう考える。
 水や日射量、CO2濃度などのデータを計測。ネットを介して、農業従事者はタブレット端末などでチェックできる。こだわったのは、わかりやすいグラフィックと、シンプルな操作感。アプリをいじるのと同じ感覚で、遠隔地からでも把握できる。
 2001年、徳島大学工学部を卒業し、J-フォン西日本に入社。04年にいったん退社して、仲間と会社を起業。08年にソフトバンクモバイルに入社。すぐに、社内の新規農業プロジェクトの創設に参加した。「e-案山子」を、社内の事業応募に提案。1300件中で10件しか出なかった合格を、チームで勝ちとった。
 農業をITでなんとかしたい。そう考えるのには理由がある。兵庫県の淡路島出身。実家は農家。帰省のたびに、故郷の農業が高齢化や担い手不足でやせ細っていくのを実感してきた。それは、「大きかった親父の背中が、こんなに小さくなってしまった」に似ている。
 e-案山子は、全国5カ所で試験運用中。今年中に、一般へのサービス開始を予定している。理想は、ベテランの知見を新規就農者に伝えること。データが両者をつなぐ。(文中敬称略)
写真:写真部・東川哲也 文:編集部・岡本俊浩
「マヨネーズの伝道師」
キユーピー 広報部 食育推進チーム チームリーダー 池田律子(44)
 キユーピーが1925(大正14)年に日本で初めて製造・販売したマヨネーズ。今年、発売90周年を迎える。61年からは「オープンキッチン」という名前で製造工程を公開。まだ工場見学が一般的ではなかった時代からオープンな姿勢を取るのは、それだけ品質と安全性に対する強い自負があるからだろう。
 東京都調布市の仙川工場も、半世紀にわたって一般公開してきたが、2011年に閉鎖。昨年6月、跡地に立つオフィスの一角に、マヨネーズの歴史やおいしさの秘密、ものづくりへの思いを伝えるための見学施設「マヨテラス」をオープンさせ、子どもからお年寄りまで幅広い世代に向けて「食」の情報を発信する。池田律子は、このマヨテラスの運営をはじめ、社員が小学校を訪問する「マヨネーズ教室」や講演会などを通して、未来のキユーピーファンづくりを進める食育推進チームのリーダーだ。チームは10人。
 マヨテラスの見学は90分間、見学者とじっくり会話しながら進める。
「反応を見てその都度、お話しする内容を変えています。キユーピーを好きになっていただけるかどうかが私たちにかかっているので、やりがいがあると同時に、責任も重い」
 池田がエプロン姿で担当したマヨネーズ教室。野菜嫌いという子が、自分で作ったマヨネーズで野菜を食べて喜んでいた。
「マヨネーズ教室やマヨテラスでの体験を、ぜひ家庭の食卓で話してほしい」
 麻布大学環境保健学部で食品衛生学を学び、同社に入社した。志望動機は明快。
「小さい頃から大のキユーピーマヨネーズファンだから」
 食卓にはいつも赤いキャップのそれがあった。サラダだけでなく、炒め油の代わりにするなど使い道は広がる。それを伝え、食卓を豊かにしていくのも、池田に与えられたミッションだ。(文中敬称略)
写真:写真部・外山俊樹 文:ライター・安楽由紀子
三越伊勢丹
「紳士靴は人生の相棒」
三越伊勢丹 紳士・スポーツ統括部 紳士靴 バイヤー 中村良枝(43)
 東京・新宿に、「世界屈指」の紳士靴売り場がある。服飾好きなら知らぬ者はいないだろう。伊勢丹新宿店メンズ館の地下1階には、国内外の180ブランドから約2千足が並ぶ。これだけそろうショップは、本場の英国にさえ存在しない。そんな売り場のバイヤーを務めるのが、中村良枝だ。
 靴の買いつけに奔走するかたわら、売り場づくりの全権を担い、職場に一体感をつくりあげる。紳士靴売り場のスタッフは、総勢約100人。そのうち2割は三越伊勢丹の社員だが、ほかは取引先からのパートナースタッフだ。自社製品に関する知識は、販売における強みになる。もっとも、彼らが売るのは自社製品だけではない。
「みんな同じ売り場に立つのですから、ほかのブランドの商品も売ってもらいます。求められるのは売り場としてのチームプレー。横断的な知識をつけるため、頻繁に勉強会も開きます。靴の製法やブランドの歴史、靴の細部に込められた意味……。知らなきゃ売れませんから」
 かくしてできあがるのが、1人あたり年間売り上げが、トップでは数千万円というプロ集団だ。
 短大を卒業して1992年、伊勢丹に入社した。この間、ほとんどを紳士靴の担当できた。シューフィッターの資格をとり、何万という足を見るうちに、測らなくてもサイズがわかるようになった。そんな中村の見立てを希望する紳士は少なくない。「中村待ち」ができるほどだ。
 景気が厳しいときでも、消費税率が上がっても、10万円前後の高級靴が売れる。なぜなのか。
「本物志向。歴史の風雨に耐えて生き残ってきた名品は売れるんです」
 いい靴は、手入れをすれば10年、あるいはそれ以上、人生の相棒であり続ける。中村が売るのは、そういうものなのだ。(文中敬称略)
写真:写真部・東川哲也 文:編集部・岡本俊浩
ティー・ケー・ジー
「変わり続ける定番」
ティー・ケー・ジー ル パティシエ タカギ 店舗統括部 マネージャー 西園寺麻未(40)
「キットカット」といえば、チョコレート菓子における永遠不朽の定番だろう。いまのシーズン、「きっと勝つと」と験を担いで食べる受験生も多いのではないか。そんな定番商品を極めた専門店がある。パティシエ高木康政が監修した「キットカット ショコラトリー」だ。昨年1月に開店した西武池袋本店をはじめ、東京、名古屋、京都の百貨店に4店舗を展開。西園寺麻未は、これらの店の立ち上げを手がけた。
「目指したのは、ふつうのお店ではないもの。カウンター奥に鮮やかな赤を使って、シャンデリアもキットカットの形状をモチーフにしています」
 昨年は延べ40万人が来店し、9億円を売り上げた。原材料にカカオ66%のビターチョコレートなどを使った看板商品「サブリム ビター」は、1本300円。ふつうのキットカットより割高だが、人気が高いので各店1日300本の限定販売だ。
 西園寺は、高木が経営する「ティー・ケー・ジー」に勤めて8年目。イベント運営会社で働いたのち、仕事で人の心を動かす醍醐味を求めて転職してきた。
 甘いものを見つめるときの人の表情は、特別な趣がある。それを見たくて、高木の店「ル パティシエ タカギ」で洋菓子を売ってもきた。いまは店舗づくりを任される一方、高木がいる厨房と、キットカットを製造するネスレ日本の間の調整役を担う。
 それにしても、だ。永遠の大定番が、なぜ新しいトライをしたのか。パティシエ高木とタッグを組んだネスレ日本キットカットマーケティング部の部長、槇亮次(写真中央)は、
「ひとつのブランドを多面的に見せる。その結果いかんで、より新しい価値を広げていくことができる」
 変わらないために、変わり続ける。そういうことなのだ。(文中敬称略)
写真:伊ケ崎忍 文:編集部・岡本俊浩
日本ホテル
「100年ホテルの男」
日本ホテル 東京ステーションホテル 料飲宴会部 料飲支配人 山岡広記(41)
 東京駅は、鉄道交通の起点。そんな日本の中心地で、山岡広記は働く。といっても、鉄道員ではない。丸の内駅舎内にある「東京ステーションホテル」のホテルマンとして、直営4店舗を含む館内10の飲食店を束ねる。
 開業は1915年。空襲によって約5年間、休館したものの、100年続くホテルとして多くの人々が利用してきた。松本清張の長編推理小説『点と線』も、ここの一室から生まれている。国指定重要文化財である駅舎の保存・復原工事のため、2006年から6年半、休館。12年10月に新たな装いで営業を再開した。
 山岡は95年、運営会社の「日本ホテル」に入社した。長く東京・池袋のホテルメトロポリタンで働き、東京ステーションホテルには休館中から携わる。最初の仕事は営業再開へ向けた準備だ。
 フレンチの王道をいくレストラン、重厚でオーセンティックなバー……。直営店はそれぞれ長い歴史を持つ。そこで働くスタッフ約70人の多くは、新規採用組だ。
「ホテルで働くのは初めて、という人も珍しくありませんでしたが、生まれ変わるホテルでは、経験より熱意を重視しました」
 再開1年目は、予算を上回る大盛況。注文を受け、調理し、テーブルに運ぶまで、よどみのないチームプレーができているか、スタッフの動きに気を配った。
 人が相手の仕事だけにトラブルはつきもの。そんなとき、心がけたのは「ニュートラルな気持ち」だ。
「トラブルが起きたときこそ、サービスで挽回。好印象につなげるチャンスですから」
 数字の管理、スタッフのケア……。裏方の仕事が増えたが、もとはバーテンダーに憧れて、この世界に入った。
「暗がりに差した光のなか、シェーカーを振るバーテンダーがカッコよかった」
 一瞬の憧れが、長い仕事の始まりになった。(文中敬称略)
写真:写真部・外山俊樹 文:編集部・岡本俊浩
三菱東京UFJ銀行
「“つながり”を創る」
三菱東京UFJ銀行 コーポレート情報営業部 ビジネスソリューショングループ調査役 野田浩二(49)
 静まりかえった巨大ホールに、1千を超えるテーブルが整然と並ぶ。その間を縫うように、三菱東京UFJ銀行ビジネスソリューショングループの野田浩二が歩く。翌日からパシフィコ横浜(横浜市)で始まる国内最大級の商談会「Business Link 商賣繁盛」の準備に余念がない。
「モノやサービスを売りたい、買いたい企業が、相互に出会うための場です。参加するのは4200社。1万を超える商談が開催されます。このテーブルは全部埋まりますよ」
 参加は無料。企業にとっては、飛び込み営業で名刺交換するより、はるかに効率がいい。商談がまとまる確率も高く、新しい有望なビジネスが生まれるかもしれない。
 10年前に初めて開催し、これが12回目。27人の部下を率いる野田のチームは、場を提供するだけではなく、商談が円滑に進むようサポートする。ウェブ上に自社の情報や商談内容を打ち込んでもらうアポイントシステムは、毎年更新し、改良を続けてきた。中身には自信がある。
 帝京大学経済学部を卒業後、1989年に入行した。四日市支店、新橋支店、三菱総合研究所などを経て、3年前から今の業務を担当している。
 そもそも、銀行がなぜ商談会を開く必要があるのか。
 商談が成立してからが、銀行の出番。新しいビジネスを始めるために事業資金が必要になったとき、商談会の主催者であれば、「当行をよろしくお願いいたします」と、いの一番に持ちかけることができる。融資や資金調達、コンサルティング……。銀行のできる手伝いは、たくさんあるのだ。
「お金を預かることだけが、銀行の仕事ではありません。ビジネス機会を創出する仕事は、主力の金融部門に次いでニーズが高い。参加企業数は毎年、右肩上がりです」(文中敬称略)
写真:写真部・外山俊樹 文:編集部・岡本俊浩
大阪府
「太陽の塔の内部へ再び」
大阪府 日本万国博覧会記念公園事務所 営業推進課 課長 平田清(56)
 1970年の大阪万博で異彩を放った岡本太郎作の「太陽の塔」。中に入ると、まず赤い鱗のような壁が目に飛び込んでくる。中央には高さ41メートルの「生命の樹」。色鮮やかな枝に三葉虫やアンモナイト、恐竜、人類などの造形群が乗っている。閉鎖されて約44年。かなり壊れているものの、当時の“熱”は朽ちずに空間を満たす。
 塔の内部は耐震上の問題から非公開になっているが、大阪府は2年後の3月をめどに常時公開する方針だ。平田清は、この公開へ向けて展示物などの改修プロジェクトに携わる。
「私はとても幸運。後世にずっと残る施設を担当し、常時公開の大仕事にかかわれるのですから。オープン後は、大阪万博のように国民の2人に1人が訪れていただければ」
 生命の樹にあった生物群は、約160体を復元し、保存している40体を再び設置する。人々を乗せて40億年にわたる生物の進化を案内したエスカレーターは、撤去して階段に。地下展示空間にあった「地底の太陽」は、万博終了後に行方不明になっているが、今回、これを原寸大で忠実に復元する。
 平田は大阪府内の農家に生まれた。農業大学校で造園について学び、日本万国博覧会記念協会(現大阪府日本万国博覧会記念公園事務所)の緑地課に就職した。10年前に営業推進課に移り、万博の遺産を活性化させるための将来ビジョンの策定にかかわる。太陽の塔内部の常時公開も、活性化策の一環だ。
 ただ、内部公開には耐震工事が必須で、多額の改修費が要ることから、反対意見も多かった。3年前の耐震工事の入札不調によって一度はあきらめかけたが、ようやく着工できるめどが立った。
 展示物の復元にあたっては、1億円を目標に寄付金を募る計画だ。
「三葉虫1匹からでも復元費用の寄付を、なんてことも考えています」(文中敬称略)
写真:東川哲也 文:ライター・西元まり
海上保安庁
「陸でも塩気を大切に」海上保安庁 横浜海上保安部 警備救難課長 太刀川征利(40) 救助が必要な人を抱えた潜水士が、ゆっくりと水面へ上がってきた。
「転覆船の船底に取り残された人を救助する訓練ですね」
 横浜海上防災基地にある潜水訓練用プールの窓をのぞきながら、太刀川征利が説明してくれた。救助計画やパトロール計画を立て、部下に指示を出し、現場をコントロールする立場の太刀川は海に潜ることはないが、その声はどこか誇らしげだ。
 小さいころから乗り物好き。船の世界にあこがれた。やがてそれは、「国民の安全を守りたい」という思いと結びつき、海上保安大学校へ進み、海上保安官になった。
 1999年12月、横浜海上保安部で巡視船の主任航海士となったのを皮切りに、海上保安庁本庁での勤務や国土交通省への出向など「陸」での勤務を交えながら、神戸や呉(広島県)の巡視船に配属され、「船乗り」として日本の海を守ってきた。
 沖縄に領海警備対策室長として着任したのは、尖閣諸島周辺海域で緊張が高まっていた2013年。中国公船が領海侵入するたびに携帯電話が鳴り、深夜でも非番でも呼び出され、対応に追われた。
「そのうち、鳴ってないのに、携帯が鳴ったと思うようになりました」
 昨年、横浜海上保安部に戻り、現職に就いた。部下15人とともに、近海の水域だけでなく、小笠原諸島周辺の海で起きる犯罪の取り締まり、海難の際の人命救助などを担う。事故や火災が発生すると、太刀川の指示が人命を左右することもある。
「今、現場で何が起きているのか。船はどういう動きをしているのか。現場をどれだけイメージできるかが大事だと思います。上司の指示を仰ぎながら、部下を含めていろんな人の意見を聞いて判断し、その判断には責任を持ちたい」
 どんな立場になっても、「自分は船乗りだ」というプライドは持っていたいと思う。
「塩気が抜けたら、おしまいですから」
(文中敬称略)

撮影:写真部・東川哲也 文:編集部・大川恵実
内田洋行
「タブレットで人類を変える」

内田洋行 教育総合研究所 研究開発部 研究推進課 課長 佐藤喜信(48)


 子どもたち一人ひとりが、ノートではなくタブレット端末を持ち、デジタル教科書で勉強する。先生が使うのは、チョークを使う黒板ではなく電子黒板。壁には、クジラでもゾウでも、そして猿人でも、実物大で投影できるスクリーンがある。こんな最新のICT教育の現場を体験できるのが、内田洋行の「フューチャークラスルーム」だ。
 佐藤喜信は、7人のチームを率い、ICT教育を学校に導入する際に、どうすればそれぞれに適切な環境になるかを研究する。
「先生が授業をやりやすく、子どもたちが学びやすい環境を整えることが、私たち企業にできる教育支援だと思っています」
 法政大学経営学部を卒業後、1992年に内田洋行に入社。大阪で営業マンを経て、2005年に東京に転勤して現職に就いた。
 10年、ICT教育のカリキュラムや情報技術の研究のために、国は全国10校の小学校をモデル校として選び、1人1台タブレット端末を導入させた。このプロジェクトに佐藤たちが参画したときのことだ。
「教室に約40台のタブレット端末が持ち込まれたんですが、児童が一斉に電源を入れたため、ネットワークの負荷が一気に高まり、ネットに全然つながらなくなってしまって」
 充電の問題、機械が苦手な教師のためのICT支援員の導入と、プロジェクトでは大小さまざまな問題が浮き彫りになった。その一つひとつを解決するために動いてきた。
 現在、東京都荒川区の区立小・中学校ではすべての児童・生徒がタブレットを持つようになり、滋賀、兵庫各県や京都、大阪両府など、全国の小中高・大学にICT教育が導入されつつあるが、その現場には佐藤たちのノウハウが生きている。
「ICT先進国に比べると、日本は教育でのICT活用がだいぶ遅れているのですが……」
道具を持ったとき、人類は大きく進化したタブレットを持ったヒトは、どこへ向かうのだろう。その鍵を佐藤が握っている。
(文中敬称略)

撮影:写真部・東川哲也 文:編集部・大川恵実
ファーストリテイリング
「仕事も家庭もあきらめず」

ファーストリテイリング 人事部 ユニクロ店舗人事チーム リーダー 佐々木彩(37)

 毎週金曜日の午後4時半。ファーストリテイリング東京本部34階にある社食が、照明を落とした「ロックンロールカフェ」へと変貌する。入場料300円。社員はビュッフェ形式で食べ放題の食事と、1杯100円でお酒を楽しむことができる。ビリヤード台もあり、社員同士の親睦を深めたり、他社との飲み会の時間まで一杯飲んで時間をつぶしたりするのに使われる。
「私はどちらかというと、ランチを取りながら、チームのメンバーとコミュニケーションを取るほうが多いですが(笑)」
 日本女子大学理学部を卒業後、完全実力主義で、年齢など関係なく働けることに魅力を感じ、2001年に入社した。
 ユニクロ原宿店に店長候補として配属されてから店での販売経験を積み、03年に三鷹店の店長に。多摩センター店、国分寺店と規模の大きい店の店長も任された。06年、横浜エリアのSV(スーパーバイザー)として店舗のマネジメントを任されると同時に結婚。ますます忙しくなった。
 女性が比較的働きやすい会社ではあるが、「それでも当時、SVで結婚している人はいなかったんですよ」
 だから、「女性活躍推進プロジェクト」から声がかかると、すぐに参加を決めた。08年に人事部へと異動し、13年にリーダー職に。「言いたいことを言い合う」を胸に7人のチームをまとめる。アルバイトなど、販売スタッフの面接がスムーズにできるように採用センターを立ち上げ、応募者のエントリーから面接のアレンジなど、忙しい店長の負担が少しでも軽減するように環境を整えることが仕事だ。
 仕事か、家庭か。その岐路に立つとき、佐々木はいつも両方ともあきらめなかった。夫もむしろ佐々木に働くことを勧めた。
「結婚、出産したら仕事をあきらめないといけないほうがおかしいんですよね」
5月、3人目の子どもが生まれる予定だ。
(文中敬称略)

撮影:写真部・外山俊樹 文:編集部・大川恵実
AGC旭硝子
「一発勝負の試作も楽しく」

AGC旭硝子 ガラスカンパニーオートモーティブ事業本部 戦略マーケティンググループ 主幹 宮本二郎(40)

 ガラス工場は一度火を入れると、24時間365日止めることができない。一度止めるとラインでガラスが固まるなどの支障があるからだ。大量生産向きのため、車の窓ガラスのサンプルを作るにも、数千台分できてしまう。
 2014年、宮本二郎は車の「全周UV99%カット化」プロジェクトのリーダーとして、営業や開発、工場、品質保証などに携わる20人ほどのチームをまとめていた。
 すでに旭硝子では、99%UVカットできるフロントガラスとフロントドアガラスを作っていた。運転席や助手席の女性を日焼けから守ると評判だったが、「後部座席に座る子どもの肌を守りたい」という声があがった。
 それまではガラスへのコーティングなどで、UVをカットしていたが、リアドアガラス、リアガラスにはテレビのアンテナなどを埋め込む必要があるため、UVカットの素材そのものをガラスに練り込まなくてはいけない。大きな挑戦だった。
「ガラスの色も含めて、ラボでは何度も確認して。いけそうだ、となったんです」
 ついにサンプルを生産することとなった。請け負ったのは愛知工場。通常生産を止めての作業だ。失敗したら、億単位の損失になる。緊張したが、1回の試作で成功。世界初の技術となり、すぐにホンダのN―BOXなどに採用された。
「お客様のニーズに応えられたというのがうれしいし、評判を工場の人たちに伝えて、喜んだ顔を見られるのもうれしい」
 1998年、慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、入社。営業部で国内自動車メーカーを担当した。03年から英国に赴任、08年に帰国し、営業部に戻って11年から現職。
 元ラガーマンで現役のモーグル選手でもある。栃木県に住み、平日は東京まで新幹線通勤、休みは福島などのスキー場で練習する。
「仕事もモーグルも楽しんでやったら結果が出ると思う。皆が楽しく仕事ができるよう、常に前向きに明るくリードしていきたい」
(文中敬称略)

撮影:写真部・東川哲也 文:編集部・大川恵実
国立科学博物館
「まじめに楽しく伝える」

国立科学博物館 事業推進部 企画展示課長 吉野英男(54)

 3月8日から公開が始まった「恐竜博2016に向けて、急ピッチで搬入作業が行われていた国立科学博物館(科博)。この日は、ティラノサウルスの骨格の組み立てが終わり、スピノサウルスの作業が始まっていた。
 この二大肉食恐竜の全身骨格は今回の目玉展示の一つ。特にスピノサウルスは長い間、その生態が謎に包まれていたが、2014年に、四足歩行で、水中でも活動していた可能性があると論文で発表され、注目を浴びた。
 そのスピノサウルスの四足歩行の全身復元骨格は日本初の公開になる。吉野英男は、恐竜展はもちろん、科博でのすべての特別展や企画展を担当。企画立案から展示までに3~5年はかかるため、常に15本ほどの企画を抱える。研究者と相談しながら、展示内容、展示方法を考えていくとともに、7人の部下の進行管理、進捗状況の把握も仕事だ。
 明治初期の1877年に創立された科博は、日本で最も歴史ある博物館の一つ。自然史・科学技術に関する研究も担っているため、科博の特別展、企画展は、その調査や研究の成果の発表の場でもある。
「ただ、一方的な目線にならないよう、面白く、楽しく伝えたいんです」
 ときに部下からの提案で思いがけない企画が誕生することもある。驚いたのは、地質年代を覚えるための替え歌を作りたいと相談されたとき。
「最初は暴走してるなと思った(笑)。でも歌を作るのは新鮮だったし、楽しみながら地質年代を知ってもらえたらいいな、と」
 最終的には、人気声優に歌ってもらうまでになった。
 日本大学文理学部卒業後、1985年に科博に就職。庶務課、財務課などを経て、09年に特別展室長になり、12年から現職。
 国立だから、“まじめさ”はもちろん必要。でも、若い人や女性にも楽しんでもらえるように、いい意味で博物館のイメージを変えていけたらうれしい」
(文中敬称略)

撮影:写真部・東川哲也 文:編集部・大川恵実
バンダイ
「ヒーローはここにもいる」

バンダイ ボーイズトイ事業部 戦隊チーム マネージャー 中野 拓 (38)

 特撮ドラマ「スーパー戦隊シリーズ」は2月にスタートした「動物戦隊ジュウオウジャー」で40作を数える。時代を反映してか5人のうちブルーとホワイトの2人が女性。しかし、リーダーはやっぱりレッドだ!
 戦隊ヒーロー&ヒロインが使う武器やロボットなどを企画するのが中野拓。7人の部下とともに、東映をはじめ関係各社と構想を練り上げ、おもちゃとして商品化する。
 準備は、番組が放送される半年以上前から始まる。「カッコいい」「簡単に遊べて楽しい」というだけではダメ。安全性にも厳しく目を光らせる。一定の基準の高さから落としても壊れないか。壊れてもケガなどの危険がないか。小さな子どもが使うものだけに、世に出るまでに厳しいテストと調整を繰り返すのだ。商品によっては試作を7、8回繰り返すこともある。
 2001年、早稲田大学社会科学部を卒業しバンダイに入社。以来、男児用玩具企画開発一筋だ。09年から4年間は、バンダイアメリカに出向した。スーパー戦隊は、アメリカでは「パワーレンジャー」という名で20年以上放送。おもちゃも、日本と同じように販売されている。
「モットーは「楽しく仕事をする」。
「『それ、おもしろいね』『カッコいいね』と積極的に言葉で表現して、『僕らは楽しいものを作っている』ということを忘れないようにしています。納期に追われていると忘れてしまうこともまれにあるんですが……」
 同じ会社に勤める妻との間に、6歳と4歳の子どもがいる。保育園の送り迎えは交代制、週末は子どもたちとおもちゃ屋へ。
「実は、子どもが生まれる前は、“おもちゃはなくても生きていける”と思っていました。でも、子どもたちを見ているとおもちゃは必要だと思うようになった。日本だけでなくアメリカ、韓国、台湾……世界中に待っている子どもたちがいる」
 ここにも、子どもたちが憧れるべきヒーローが、いた。
(文中敬称略)

撮影:写真部・外山俊樹 文:ライター・安楽由紀子
コマツ建機販売「客に寄り添う太い腕」

コマツ建機販売 東京カンパニー 千葉支店 営業課長 惣田一朗(44)

 油圧ショベル、ホイールローダー、ブルドーザー、値段も数百万円から数千万円まで惣田一朗が扱う商品は「大物」ばかり。主な顧客である建設業界は縁起を担ぐことが多いので、大安の日には続々と納品される。
 4人の部下を束ねながら、自らも車を走らせ、建設会社や工務店を一日10社ほど回り道路工事、宅地の造成、解体など、顧客の目的に合う機械を売り込む。景気に大きく左右される業界だけに、新品の売り上げに鈍りを感じれば、中古やメンテナンスサービスに力を入れるなど、臨機応変さも必要だ。
 国学院大学経済学部卒業後、1997年に入社。営業一筋でキャリアを積んだ。会社が目標に掲げる「数字」は課長として当然、意識しているが、「お客様は数字ではない」。顧客企業のトップを直接訪問するケースも多く、時には厳しい言葉を受けることもある。人と人との仕事に正解はないと日々、実感しているのだ。
 「会社のブランドに甘んじず、個人名でご指名していただけるお客様を増やすことが営業マンの財産、と後輩に伝えています」
 そのためには、客の依頼には迅速、かつ的確に対応することが大切。機種によっては生産に時間をもらうこともあるが、
「『お急ぎでしたら納期の早いこちらの機械はいかがですか』『この機械は、今ご検討いただけましたら忙しい時期に間に合います』などと、数カ月、時には年単位でお客様の事業予定を予測し、具体的にご提案するように心がけています」
 現在は単身赴任中。毎週末、車で2時間ほどかけ、妻と小学6年生の娘、小学2年生の息子の待つ自宅に帰る。かつてラガーマンだったが、息子とサッカーを楽しんでも、「今は。足が思うように動かなくて」と苦笑い。
 東京五輪に向けて、建設業界は忙しい日々が続く。大きく強い「腕」の鳴りどころだ。
(文中敬称略)

撮影:写真部・東川哲也 文:ライター・安楽由紀子
YKK
「ファスナーは未来を開ける」

YKK ファスニング事業本部 事業推進部 汎用資材戦略推進室 TFM(車両部材)グループ 戦略アイテムチーム チームリーダー 原田勝弘 (40)

 いつも何げなく座っている自動車のシートカバーに、ファスナーがついていることをご存じだろうか。開閉が目的ではない。シートを組み立てる時に効率よくカバーをかぶせることを目的とした専用ファスナーなので、カバーの裏などにひっそりある。
「目立たない構造になっているが、『こんなところにも使われている』と、もっと多くの人に知ってほしい」と語る原田勝弘は、ファスナーやボタンなど、車両用ファスニング部材のグローバル商品戦略を立てる責任者だ。
 国内外の自動車シートメーカーが顧客だが国内メーカーであっても海外で縫製されていることもあり、世界を舞台に仕事をする。ひと頃は中国が多かったが、最近は東南アジアでの縫製が増えてきた。
 ネックになるのは、やはりコミュニケーションだ。電話やメールでどんなにこまめに連絡を取り合ったつもりでも、日本と現地で話が微妙に食い違うと、ちょっとしたトラブルにつながることがある。
 そういうときは、テレビ会議の出番だ。「やはりリアルタイムで互いの顔を見て話し合うことが大切。今朝も、YKKグループの海外拠点と情報をすり合わせてきました」
 青山学院大学経営学部を1999年に卒業後、YKKに入社。台湾やドイツへの赴任経験が、今の仕事の支えにもなっている。ドイツでは車両用部材を新規事業として立ち上げた。担当した欧州自動車メーカーの車を日本の街中で見かけると、今でもそのときの喜びと苦労が昨日のことのようによみがえる。
 漁網、耐火スクリーン、明石海峡大橋の排水溝……。ファスナーは時代時代、思わぬところへと用途を広げてきた。
「今後、自動運転車などで車の構造が変われば、今のようなシートではなくなるかもしれない。そのときどういう商品で貢献できるか常に新しいことを考えていきたい」
 いつも、可能性の窓を開けることを考え続けている。
(文中敬称略)

撮影:写真部・東川哲也 文:編集部・安楽由紀子
オートレース振興協会
「爆音響かす教え子とPR」

オートレース振興協会 広報ユニット チーム長 石澤芳幸(47)


 最高時速およそ150キロ。エンジン音をとどろかせながら、8人の選手が1周500メートルの楕円形コースを6~10周して速さを競う。公営競技の中で最もスピード感に満ちている。それがオートレースだ。
 その競技としての魅力をどうPRするか石澤芳幸=写真は合成=は、2人の部下といっしょに日々、頭をひねる。
「予算が少ないので、新聞広告の代わりにネットで仕掛けるなど、知恵を絞っています。原稿も自分で書きますし、ポスター作製からイベントの立ち合いまで、何でもやります」
 1993年、敬愛大学経済学部を卒業後、日本小型自動車振興会(現・JKA)に就職。レース開催の日取りに合わせて、選手を全国のレース場へ割り振るなどの業務を行う選手あっせん課(現・あっせん課)に配属された。その後、オートレース選手養成所、業務課などを経験し、2014年にオートレース振興協会に出向して現職に就いた。
 経歴の中で目立つのが、5回配属された選手養成所。10カ月間(現在は9カ月間)の訓練中、朝6時には起床し、競走車の整備から、エンジンの分解・組み立て、走行訓練など教官として選手候補生を指導した。メカに強かったわけではない。エンジンの組み立てなど、配属前に一通り学んだが、最初のうちは候補生に交じって必死に勉強した。
「教え子」の選手の中には、今や人気レーサーとなった元アイドルの森且行もいる。石澤が教えた多くの候補生がトップレーサーとして活躍。過酷な訓練をともに乗り越えてきた仲だからこそ、広報関係の仕事で「ちょっと頼むよ」とフランクに言えるのが財産だ。
 オートレースに限らず、公営競技は娯楽の多様化などもあって採算に苦しむ。3月には船橋オートレース場(千葉県)が廃止され、全国5場に。ファンの獲得は使命でもある。
「迫力あるエンジン音やスピード感を知ってもらえたら、ファンになっていただけると思う。そういうところをどんどんアピールしたい」 
(文中敬称略)

撮影:写真部・東川哲也 文:編集部・大川恵実

アデランス
「同じものでも表情変わる」

アデランス 東京営業部(フォンテーヌ担当) 販売課長 榎本真理(47)


 11人の女性が同じウィッグをつけ、同じヘアスタイルでズラッと並んでもらう──それがこの記事の最初の企画だった。ウィッグのセットが完了した姿を見て、驚いた。同じウィッグなのに、それぞれ違う雰囲気になっている! その理由を榎本真理=写真先頭=に、問うと、
「顔の形や雰囲気など、その人に似合うようにウィッグをカットしたり、スタイリングを変えたりしますので」
 使ってもらったフォンテーヌのウィッグはファッショナブルなデザインで、専門のスタッフが一人ひとりに合わせて調整することにこだわる。アデランスというと男性のかつらのイメージが強いが、いま顧客の半数以上が女性。髪のボリュームを出したり、おしゃれを楽しんだり、気軽に使われる。
 榎本は高校卒業後、電気機器メーカーを経て、1989年にフォンテーヌ(現・アデランス)に入社。多摩センター三越、東武百貨店池袋店、伊勢丹新宿店など、東京の店舗で23年間、ウィッグの販売を担当した。
「髪形が変わると、女性って変わるんです。それがおもしろかった」
 顧客のウィッグを調整する間は、コミュニケーションを大事にした。どんな人との会話にも困らないように、朝はニュースや情報番組のチェックに始まり、何紙かの新聞に必ず目を通し、月に5、6冊は雑誌を買った。
 2012年、販売のチーフからエリアマネージャーとなり、翌年に現職。現在は、3人のエリアリーダーをまとめながら、都内を中心に25店舗の売り上げや、店や販売員の改善点をチェックして回る。部下も販売員も女性ばかり。いかに信頼されるかが重要だ。
「どうしても悪いところが目についてしまうことがある。でも、必ずいいところを見つけそこを生かしつつ、アドバイスするようにしています」
 女性たちの奮闘こそが、ブランドを支えている。親子3世代にウィッグを使ってもらうことが榎本の夢だ。
(文中敬称略)

撮影:写真部・東川哲也 文:編集部・大川恵実
日野自動車
「エンジン、クールに制御」

日野自動車 制御設計室 エンジン設計部 エンジン制御設計グループ長 名越勝之(45)


 名越勝之は、子どものときに魅せられて以来、根っからのクルマ好きだ。武蔵工業大学(現・東京都市大学)ではエンジンを研究し、1996年に日野自動車に入社。99年にエンジン設計部に配属されて以降、エンジン一筋の会社員人生を送る。
「ずっとエンジンに携わってこられて、幸せだなあといつも思っています」
 国内で一般に販売されている自動車のエンジンは、電子制御化が主流。日野自動車が主力とするトラックやバスに搭載されているディーゼルエンジンも、性能や燃費の向上に加えて、排ガスをよりクリーンにするため、センサーを駆使して細かく燃焼を制御する。名越が担当するのは、すべての車種のエンジン制御。この分野では「社内一、知っている」と自負する。
「もちろん失敗はあります。その調査のために全国の販売会社を飛び回った時などは落ち込みますが、引きずったってしょうがない。気持ちを切り替え、早く不具合を直すことに専念するようにしています」
 入社したての若い部下たちにも、苦労や失敗をしても「一番」と胸を張れるようになってほしいと、それぞれに合った適切なアドバイスをするよう心がけているという。
「世界一過酷」といわれるダカールラリー出場車のエンジンも担当している。2週間で約1万キロを走るレース専用車のエンジンは、一般車と違い、まず出力の大きさが求められる。名越は2012年からプロジェクトに携わり、14年からはエンジニアとして3年連続出場。サポートカーに乗り、その場でソフトをチューニングしてドライバーを支え、排気量10リットル未満クラス7連覇に貢献した。
「通常の業務にプラスしてなので大変だけど、プライベートのような気持ちで楽しんでいます」
 まさに「フルスロットル」の日々だが、週末は息子とのんびり過ごす。だからこそ仕事もがんばれるのだと思っている。
(文中敬称略)

撮影:写真部・東川哲也 文:ライター・安楽由紀子
江戸東京たてもの園
「古い建物管理に踊る目線」

江戸東京たてもの園 園長 飯塚晴美(49)

「銭湯の女風呂から人が消える」と言われるほど人気だったラジオドラマ「君の名は」の放送が始まったのが1952年。その23年前に開業した「子宝湯」は、当時の銭湯文化を今に伝える「証人」だ。
 建物は神社仏閣を思わせるようなつくりで、玄関上には七福神の彫刻があるなど、贅を尽くしている。93年に、江戸東京たてもの園に移築された。今は、湯は出ないが。
 江戸東京たてもの園には子宝湯を始め、江戸時代前期から戦後までに建てられ、現地保存が不可能な歴史的建造物30棟が移築され、公開されている。映画「千と千尋の神隠し」に登場する建物のモデルにもなった「武居三省堂」(文具店)もある。
 園長の飯塚晴美=写真右端=の重要な仕事の一つが、これら建物の管理、修復だ。
「古い建物なので、結構、傷んできてもいるんです。ただ、建築技法やデザインなどが珍しく貴重な建物ばかり。どうやって修理すればいいのか、頭を悩ませています」
 8人の職員とともに、建築の専門家や学芸員などと相談しながら、最適な修復方法を探っていく。
 飯塚は、大学時代に中央ヨーロッパやバルカン地方の踊りに興味を持ち、お茶の水女子大学大学院で舞踊教育学を修了。民俗舞踊の調査のため、ハンガリーへ留学したこともある。大学院時代に、学芸員の資格取得のために、大阪府にある国立民族学博物館に実習に行き、そこで「作品」の持つ力に圧倒された。
 93年、学芸員として江戸東京歴史財団(現・東京都歴史文化財団)に就職すると、財団の運営する江戸東京博物館の展示や資料収集、東京都庭園美術館の管理運営などを担当し、昨年、現職に就いた。
「建築の専門家ではないのですが、知らない人の目線で歴史や文化などを解説できるので、そこは強みです」
 古きよき建物の持つ力を大事にしつつ、新しいことにチャレンジしていくつもりだ。
(文中敬称略)
(ライター・安楽由紀子 写真・写真部・東川哲也)
日本紙パルプ商事
「出版業界支える紙の力」

日本紙パルプ商事 新聞・出版営業本部 出版一部 出版三課 課長 藤嶋章人(45)


 私たちに何ができるのだろう。2011年3月11日の東日本大震災。日に日に大きくなっていく被害を見ながら、誰もがそんな思いを胸に抱いていたことだろう。出版社はすぐに、震災関連の雑誌や書籍を緊急出版しようと動き出した。しかし直後、難しいかもしれない、との情報が駆け巡る。東北地方には出版社向けの紙の工場が多く、大きな被害を受けていた。紙が用意できないかもしれない、と。
 出版できるのか、できないのか。藤嶋章人は、紙を確保するために駆けずり回った。東北がダメでも、西日本にある他のメーカーから入手できないか。同時に、紙を運ぶトラックの手配もしなくてはならない。
「こんなことをしている場合なのか、と悩む人もいました。けれども、この震災は紙で残さないといけないんだと、出版社さんのこだわりが強かった。その思いに応えたかった」
 やがて、書店には大震災を記録する数多くの雑誌や、防災のための書籍が並んだ。藤嶋は、この時期に予定されたすべての担当出版物の紙を遅れずに供給した。
「日頃から、私たちはメーカーさんとの関係を強固にして、お客様が必要としているものを察知したらとにかく行動していた。それが、強みになったかもしれません」
 成蹊大学経済学部卒業後、1993年に入社。仕入部を経て、2000年に新聞・出版営業本部に異動。以降16年間、営業マンとして、担当する出版社への紙の安定供給を始め、編集者やデザイナーが求めているイメージに近い紙の提案や、急な出版物にも対応できるように必要な紙を切らさないなどの心配りをしている。現職に就いたのは震災の年。6人の部下を率いる。
「管理職になったのと、異動と震災とが同じタイミングで、大変でした」
 ネットが発達し、本は売れない時代とされる。けれども、まだまだやりようはあるはずだ。出版界の「縁の下の力持ち」は、紙の力を信じている。
(文中敬称略)

撮影:写真部・外山俊樹 文:編集部・大川恵実
商船三井客船
「気配りの2代目『海の女』」

商船三井客船 マネージャー 森田純子 (46)


 1990年に就航し、現在3代目になる豪華客船「にっぽん丸」。楽しみの一つが、朝、昼、夜の食事だろう。8階まである客船には様々な食事場所があるが、その中でもメインとなるダイニングを統括しているのが森田純子だ。
「父親も船乗りでして、働くステージが海っていいなと思いました」
 職業柄、海での生活が1年の半分以上を占める。入社間もないころには船酔いに苦しんだが、「船酔いは病気じゃない。弱音を吐くな」と励まされた。今では、プライベートで海外旅行をするときも、海のある国を選ぶ。
 高校を卒業し、88年に入社。客室担当や船内ショップの裏方、バーテンダーなどを経て、2014年7月から現職。フィリピン人スタッフが3分の2以上在籍する10~30人のダイニングチームをまとめる。
 夕食前になると、「オーシャンダイニング春日」の入り口に、乗客を出迎える森田の姿があった。長いクルーズの場合、食欲の有無や食事時間が遅れていないかなど、一人ひとりの細かいところまで気を配る。
「ご利用されるお客様70人ほどの顔や名前などを2日目の食事までに覚えるようにしています」
 日本酒好き、赤ワインは好みでも酸味のあるタイプは苦手など、乗客ごとの好みに合ったものを提案するだけではなく、食物アレルギーの有無も把握し、あらゆる人に心地良い時間を過ごしてもらいたいと思う。
「日々勉強です。サービスに終わりはありませんから」
 大型連休最終日の5月8日。取材後、にっぽん丸は東京・晴海埠頭から神戸、九州、山陰を経て、ロシアのウラジオストクへ回り、東北地方経由で東京へと戻る13日間の船旅へと旅立っていった。
「何回でもお帰りいただいて、にっぽん丸を別荘代わりにしてほしいですね」
(文中敬称略)

撮影:門間新弥 文:編集部・小野ヒデコ
コナミスポーツクラブ
「勝つために走り続ける」

コナミスポーツクラブ 人事部 人事企画グループ 統括マネージャー 山田麻優子(32)


 身長157センチ。中学生からのめりこんだバスケットボールは、背の高くない山田麻優子=写真左端=に対し、常に「どう戦うか」を突きつけてきた。ゴール下では競り負けるから、3ポイントが狙える長距離のシュートを磨いたり、司令塔の役割を担ったり。
 青山学院大学国際政治経済学部を選んだのも、強いバスケ部に入りたかったから。チームメートにはスポーツ推薦で入った人も多い。プレーでは劣ることもあるが、副キャプテンに。部員の日々の変化には敏感でいようと心がけ、気持ちがプレーに向いていないような人には声をかけるようにした。
「バスケはチームプレーなので、人間関係や気持ちがプレーに影響するんです。私自身は、練習に向かう姿勢は絶対に一番でいようと思っていました」
 “負“をバネに戦ってきた姿勢は、仕事にも生きる。大学卒業後、2006年にコナミスポーツクラブに入社すると、受託開発部に配属。その3年前に地方自治法が改正され、スポーツセンターなどの公共施設を民間企業が管理運営できるようになり、会社が新たに取り組んだ事業を受け持った。
 契約を獲得するために、何度も現場へ足を運び、どんな運営が求められているか、全国各地で声を聞き続けた。相手はベテランも多く、最初は相手にされないこともあったが、仕事に必要な知識を必死に勉強。次第に、耳を傾けてもらえるようになった。
 そうやって時間をかけて手に入れた情報をもとに企画書を作り、コンペに挑む。「勝率」は約8割を誇る。
「相手の立場に立って、相手にとって最も良い提案を考え尽くすことが大事ですね」
 この4月に、入社以来10年いた部署を離れ人事部に。部下は5人。人事制度の構築や採用、人材育成など、新しいフィールドでの「試合」が始まっている。
「走ることをやめたら負けてしまう。進化し続けていきたい」

(文中敬称略)

撮影:写真部・東川哲也 文:編集部・大川恵実
イケア・ジャパン
「倉庫走るスシプリンセス」

イケア・ジャパン  IKEA新三郷 In-store Logistics Goods Flow Manager 松下美穂(24)


 スウェーデン発祥の家具販売店、イケア。4万平方メートルの店内には1万点近い商品が並べられている。その在庫を管理し、14人の部下を統括するのが松下美穂だ。入社5年目。自らフォークリフトを乗りこなし、週末にはサーフィンを楽しむ姿はパワフルでエネルギッシュそのもの。
 短大時代、カナダやイギリスなどに留学し、よく海外をひとり旅した。将来像が思い描けず行き詰まっていた卒業間近、旅先で見かけることが多かったイケアで働いてみることにした。2012年2月のことだ。
 入社後、社内公募を利用してキャリアアップ。その中で、1年間海外で働く「バックパッカー制度」の存在を知り、応募。日本から行けるのは半年に1人だけだが、狭き門をくぐり抜けた。
 赴任したのは、米国フィラデルフィアの物流部門。日々繰り返される棚卸しで、在庫管理の精度を向上させるプロジェクトを担当した。経験や語学力に不安が残る中、人種も年齢も様々な20人を引っ張った。
「信頼を得ないまま物事を進めてしまい、何度も衝突しました。結果を出さないといけないというプレッシャーがあったんです」
 それでも話し合いを重ね、時には譲歩。「飲みにケーション」も実践すると、1カ月ほどで徐々に結果が伴うようになった。結局、予想を上回る3カ月で目標を達成。残りの期間は別のプロジェクトを自ら立ち上げ、さらに在庫管理の精度を高める新しい基礎を築くまでになった。
「最初は、“sushi princess”と馬鹿にされていましたが、最後はそれが愛着のあるニックネームに変わりました」
 人と仲良くなるスピードがほかの人より速いと笑顔で話す。その言葉通り、カメラマンが注文するポーズにもノリノリで応え、撮影のための特別なセッティングの力も借りて、無機質な倉庫をビーチの雰囲気に変えた。
 そのバイタリティーで、海外店のマネジャーを任されるのが次の目標だ。
(文中敬称略)

撮影:写真部・東川哲也 文:編集部・小野ヒデコ
カゴメ
「振り向けば赤いヤツが」

カゴメ 農事業本部課長、いわき小名浜菜園社長 永田智靖(49)


 ケチャップで有名なカゴメが扱っているのは、トマトの加工食品だけではない。生のトマトも作っている。2015年には国内シェアで3%弱に当たる約1.7万トンを出荷した。約40ある生産拠点の一つが、福島県のいわき小名浜菜園。コンピューターで温度や湿度、二酸化炭素(CO2)濃度、養液を管理する、アジア最大級の温室トマト栽培施設だ。カゴメでは課長の永田智靖は、小名浜菜園に出向して社長を務める。
 トマトは気候などで日ごとに状態が変わる。対応が遅れれば病気が発生したり、成長が止まったりしかねない。最新ハイテク施設のこの菜園でも最後は、人間の経験と感覚が頼りだ。
「『トマトと対話できる人材』を育てることが、自分の役目」
 だから、最繁忙期の6月には派遣も含めて250人にもなるスタッフに対して、いちいち問題点を指摘することは避け、やる気を伸ばすことを心がけている。
 神戸大学農学部でトマトの追熟(収穫後に完熟させること)を研究し、1990年にカゴメ入社。98年に生鮮野菜事業部ができると、翌年そこに加わった。和歌山市の加太菜園の代表取締役を経て14年、小名浜菜園へ来た。
「栽培が楽しい」というシンプルな情熱に突き動かされた学生時代以来30年、振り向けばいつもトマトがあった。ストレス解消法も、東京で暮らす妻と2人の子どもに休日に会うことに加えて、「トマトを食べること」。1日平均5個は食べる。
 東京ドーム2個分の広さを誇る小名浜菜園の建設には、100人を超える地権者の理解があったと思う。だからこそ、「地元に貢献し、日本のトマト作りを世界レベルの産業にしたい。『きれいごと』と言われるかもしれないけど、そのきれいごとを描ききりたい」と言い切る。
 厳しくなれないことが弱点と自己分析するように、語り口は穏やか。だが、胸中は情熱の赤で輝いている。
(文中敬称略)

撮影:写真部・東川哲也 文:ライター・安楽由紀子
ヴィレッジヴァンガードコーポレーション
「祭りも仕事も一生懸命」

ヴィレッジヴァンガードコーポレーション 営業部 エリアマネージャー 植田将行(33)


 今でも初めて行ったときの衝撃を、植田将行=写真中央奥=は覚えている。高校生のとき、“ツレ”が朝からテンション高く話しかけてきた。
「将行、死体が載ってる本が置いてある本屋を見つけたぞ!」
 学校が終わると2人はダッシュで本屋へ。それが、大阪・アメリカ村のヴィレッジヴァンガードだった。
 今でこそ、死体が載っているような本は置かないが、「遊べる本屋」として、本はもちろんのこと、お菓子やお香、おもちゃ、入浴剤など、個性的な商品が所狭しと置かれるスタイルは変わっていない。
「ヴィレッジヴァンガードで買い物をするのは、すごいステータスでした」
 生まれも育ちも大阪・岸和田。桃山学院高校に在学中、だんじり祭りの青年団に入った。だんじりの練習や会合に没頭するあまり、大学進学はせず、高校卒業後はカラオケ店や引っ越し屋、トラックの運転手などの仕事を転々とした。
 転機は20歳のとき。ヴィレッジヴァンガードがアルバイトを募集していたのだ。すぐに応募、2日後には現・イオンモールりんくう泉南店(大阪府)で働き始めた。
「1年半はフラフラと働いていました。祭りのことしか考えてなかったので(笑)」
 けれども、祭りをあきらめずに正社員になれることを知ると、がぜん仕事に注力するようになる。その働きぶりが認められ、2007年、店長に昇格。その約10カ月後、売り上げを伸ばした植田は社員採用となった。
 エリアマネージャーになったのは4年前。この4月に関東エリアの担当になり、東京に引っ越してきた。千葉、東京西部、お台場など9店舗の売り上げ向上のために奔走する。
「めっちゃ楽しいですよ。でもやっぱり、祭りが一番なんですが」
 祭りも仕事も、本気を出したときの植田は無敵だ。
(文中敬称略)
撮影:写真部・東川哲也 文:編集部・大川恵実
メットライフ生命保険
「見上げればいつも前向き」

メットライフ生命保険 ブランドマーケティング部 ブランドアクティベーション課 課長 小林真(44)

 全長約39メートル、高さ約13メートル。マストにつながれた飛行船がゆったりと揺れている。
「空を見上げて、前向きな気持ちになってほしい。その気持ちに寄り添っていきたい」というメッセージを込め、メットライフ生命が2010年から運航している飛行船だ。飛ぶ姿を見てもらうだけでなく、係留先ではコックピット見学や飛行船のしくみを解説するトークショーなども開いている。その企画・運営を担当しているのが、小林真と3人のチームだ。
 取材中、小林の口から何度も聞いて印象に残った言葉がある。
「妥協しない」
 営業系と違い、直接収益を上げる部門ではない。だからこそ、妥協しないというのだ。スケジュールや予算が限られた中で、「これだけしかできない」と妥協するのではなく、納得できる方法を探し求める。見て聞いて触れられる来場者参加型の催しも、その延長線で考えついた。
 大学卒業後、新聞社を経て、出版社で編集デザインの技術を培った。その後、印刷会社に転職し、企業のPRツールを制作。その実績が買われ、07年にアリコジャパン(現メットライフ生命)に移った。パンフレットや広告の制作に携わった後、14年、現在の部署に来た。
「常に前向きに、と心がけています。初めての試みでも、今の自分だからできることがあるはずだ、と考える。実際、これまでの経験すべてが、今の業務に生かされています」
 熱が入るのは仕事だけではない。プライベートでは妻とともに、DREAMS COME TRUEのコンサートで全国を飛び回る。
「お客様に最も選ばれる生命保険会社を目指し、他の保険会社がしたことのないことにチャレンジしていきたい」
 ふと顔を上げると、いつのまにか飛行船の周りにたくさんの人が集まっていた。
(文中敬称略)

撮影:伊ケ崎忍 文:ライター・安楽由紀子
高野山真言宗・総本山金剛峯寺
「らしくてクールな僧侶」

高野山真言宗・総本山金剛峯寺 教学部教学課 課長 赤堀暢泰(43)


 南海極楽橋駅から、急勾配のケーブルカーでぐんぐん登る。弘法大師(空海)が真言密教の道場として平安時代初めに開創した高野山に着く。金剛峯寺は、高野山全体を境内地とし、高野山真言宗の総本山として国内外にある約4千もの寺院や教会を統括している。
 国際局、会計課、調度課、山林部……。僧侶や在家職員100人ほどが働く宗務所は、まるで役場のよう。教学部の赤堀暢泰の仕事は、宗団の教育や布教を推進することのほか、教誨師連盟や保育連盟、寺族婦人会などとの連携を図ることだ。
 東京生まれ。実家は寺ではないが、父が熱心な在家信者だったことから高野山高校へ進学。親元を離れたその冬に、母を病気で亡くした。近しい人の死に接した初めての体験。無常観を強く感じながらも、15歳まで育ててもらったことに感謝できるようになっていた。
「一緒にいた時間はかけがえのない時間だったと早くに知ることができて、恵まれていました」
「景色を観る」が好きな言葉の一つだ。相手に気づかせずに自然にそこに入っていく。そのために目配り、気配り、心配りを忘れず、どうすればなじむのか考える。人の心に寄り添う僧侶ならではの姿勢だ。自身も課長になって3年目。仕事の内容によって7人の部下の誰と誰を組ませるかを考えている。
「時に、感情の起伏が表に出ませんか」と聞くと、「注意しています。予見不足のときや、自分に対して何かを恐れているときは特に……」。だが、外にはそれをほとんど見せない。
「昔からいつもパリッとしている。知識レベルがとても高くて、尋ねればすぐに答えてくれる。臨機応変でカッコいい」
 若い僧侶がそう口にして目標とするような、クールさがある。高野山大学卒業後、高野山専修学院まで進学した20代から、ファッションへの関心も大変高い。
 家に帰れば、1歳を迎える娘と妻と過ごす時間を大切にする横顔もまた、カッコよさの一つだ。
(文中敬称略)

撮影:写真部・東川哲也 文:ライター・西元まり
ドーム
「スポーツで大学力アップ」

ドーム 社長室 経営企画チーム チームリーダー 兼 広報チーム チームリーダー アベ・ケビン(35)


 最新の世界大学ランキング(Times Higher Education World University Rankings 2015-2016)は、日本の大学トップ、東京大学でも43位。低迷の背景に「大学の資金力がある」と考えるのが、米スポーツブランド、アンダーアーマーの日本総代理店を務めるドームだ。対策として、日本の学生スポーツを産業化し、その収益を教育環境に再投資するプロジェクトを進めている。立役者の一人が、アベ・ケビンだ。
 テキサス・ダラス市生まれの日系米国人4世。子どものころからスポーツ好きで、剣道と日本語を学ぼうと16歳のとき、滋賀県の高校に1年間、交換留学で通った。
 いったん帰国し、再び日本へ。立命館アジア太平洋大学を卒業後、通販会社に就職したが、「やっぱりスポーツで仕事をしたい」という強い思いから12年4月末、ドームに転職した。
 スポーツ用テーピングの輸入販売会社として始まり、アスリート専用のトレーニングジムなどにも手を広げる同社。高い天井、大きなスクリーンを置く東京のオフィスは、さながら軍事基地の司令室のようだ。「仕事は戦い」という風土を表している。
 中でも社長室は、多くのプロジェクトに関わる部署だ。16年4月には関東学院と提携。プロ野球では読売ジャイアンツとオフィシャルパートナー契約を結んだ。ライセンスグッズの開発・販売などを通じ、強いチーム作りの一端を担う。
「日米では“文化の違いがある”とよく言われますがそれは違います。米国は成功事例があるだけ。やるか、やらないかです」
 日本人女性と結婚し、2児の父親になった。次女が生まれたばかりで妻が里帰りしており、週2回、社内にあるジムで汗を流すのが今の日課。週末は4段の腕前の剣道にもいそしむ。

(文中敬称略)

撮影:伊ケ崎忍 文:編集部・小野ヒデコ
東海旅客鉄道
「シンカンセンを世界へ」

東海旅客鉄道 総合技術本部 技術企画部 海外高速鉄道プロジェクトC&C事業室 担当課長 緒志智子(46)

 日本の新幹線の技術を導入し、台湾が高速鉄道を開業してから9年。JR東日本・東海・西日本・九州が発起人の一般社団法人国際高速鉄道協会(IHRA)が今年5月、台湾で3日間、国際会議を開いた。これから高速鉄道を導入しようとする国に、日本型の高速鉄道システムの優位性や実績などを理解してもらうのが目的だ。
 JR東海で緒志智子が所属するC&C(Consulting and Coordination)事業室の業務は、海外での高速鉄道プロジェクトへの対応で、IHRAの事務局も務める。
 台湾での会議では、インド、シンガポール、マレーシア、タイ、オーストラリアなどの要人に、高速鉄道の現場を見てもらいながら、どんな課題があるのか、どのような経済効果があるのか、日本型高速鉄道の良さは何かなど、さまざまな議題が話し合われた。緒志は会議の計画から実行まで、すべてを仕切った。
「ヨーロッパや中国など、世界には日本と異なる高速鉄道がありますが、高速鉄道の導入を検討するときに、日本型が俎上に載るようにするのが役割です」
 青山学院大学卒業後、1992年にJR東海に入社。京都観光の宣伝や、出向先のジェイアール名古屋タカシマヤの販売促進などを担当。2001年からは東京駅の開発に携わり、八重洲口にある東京駅一番街の開業準備なども手掛けた。
 11年には1年間休職し、米マサチューセッツ工科大学Sloan Fellows Programへ留学してMBAを取得、3年前に今の職場に来た。
 新幹線の最大の売りは、半世紀にわたって安全に運行してきた実績だ。
「高速旅客鉄道用の専用線と、ATC(自動列車制御装置)を導入して、安全で高頻度の大量高速輸送を実現する日本型のシステムのメリットを正しく理解してもらえれば、このシステムが適した国に必ず選択してもらえると思っています」
 日本の新幹線が世界各国で走る日は、きっとそう遠くはない。
(文中敬称略)

撮影:門間新弥 文:編集部・大川恵実
日本盲導犬協会
「人と犬の幸せを橋渡し」

日本盲導犬協会 神奈川訓練センター 訓練部 マネージャー 田中真司(35)


 5年前、この仕事を続けるかどうか考えたことがある。30歳の節目だった。そのとき頭をよぎったのは、これまで出会った犬と視覚障がい者たちのことだった。
 世界を飛び回って働いていた人は、人生最後の相棒と思っていた盲導犬に、毎日ピカピカにブラッシングをし、愛情を注いだ。光を失うとともに、一度は生きる目的を失った人からは、「盲導犬と一緒に鍼灸学校に通い始めた」と喜びの声が届いた。誰かの人生が大きく変わる。その一助となれた誇りが、田中真司=写真手前=の心にじわりと湧いた。
 中央大学法学部を卒業後、法科大学院を受験したもののかなわなかった。進路を考えあぐねた末、盲導犬訓練士学校に1期生として入学した。2004年のことだ。
 子どものころから犬を飼い、福祉にも関心はあったが、盲導犬や視覚障がい者に関する知識はほぼゼロ。3年で「盲導犬訓練士」の資格を取り、日本盲導犬協会で働きながら経験を積み、盲導犬利用希望者に歩き方を指導する「盲導犬歩行指導員」の資格を得た。
 盲導犬候補の子犬は、生後2カ月から1歳まではボランティアの家庭で育ち、その後約1年間、センターで訓練を受ける。そして、パートナーとなる人との共同訓練を経て、晴れて盲導犬になる。合格率は3~4割と厳しい。
 一方、利用を希望する障がい者の多くは60代以上。共同訓練を円滑に行うには、犬と人、双方に対する高度なコミュニケーション能力が求められる。田中は約30人の部下とともに、常時いる40頭の候補犬から1頭でも多く、盲導犬として送り出せるよう努めている。
「人間のために働かされてかわいそう」。そんな批判の声を時に聞くこともある。
「静岡の施設に勤めていたときは、子犬の繁殖から引退犬の看取りまでしていました。僕たちが“生ませた命”に対して責任の重さを感じ、犬の福祉と権利に配慮しています」
 人と犬、互いの幸せを願ってやまない。
(文中敬称略)

撮影:門間新弥 文:ライター・安楽由紀子
クボタ
「モノも人も動かすセンス」

クボタ 機械ロジスティクスソリューション部 物流企画グループ長 土本哲也(47)


 日本の物流の中心の一つ、東京港周辺。色とりどりのコンテナを積んだたくさんの会社のトラックが、時に港に入るのを待って連なるほどだ。茨城・筑波工場からトラクターなどを輸出するクボタでも、年約1万本のコンテナが日々、約60キロ離れた東京港との間を行き来していた。少しでも物流の効率を改善したい。そこで土本哲也が採った策が「コンテナ・ラウンドユース」だ。
 貿易港に入るトラックはまず、外国から着いた輸入品をコンテナごと国内の荷下ろし場所へ配送する。そこで空になったコンテナを港へ戻し、清掃して輸出企業の出荷場所へ回送。輸出品を積んだコンテナが港へ返ってくる。このうち、空コンテナの回送をカットしようと土本は考えた。港外のコンテナ置き場で輸出品を詰め、東京港へ向かうようにすればコンテナが港に入る回数を半減できる。
 実現は簡単ではなかった。コンテナ置き場の確保に加え、輸入企業側の賛同も得なければならない。土本は数年かけて交渉を重ね、体制を作り上げた。交渉力がある、という周囲の評価を地で行く成果だが、自分のことは「人見知り」と分析する。
「コンテナ置き場のみなと運送つくば支店、トラック業者、茨城県の協力もあって実現しました。これをひな型に、海外の物流改善にも採り入れていこうと思います」
 大学卒業後、地元・静岡の物流会社を経て、2006年にクボタへ転職した。1年の半分は出張先の海外で過ごす仕事優先の毎日だ。
「社内の開発や製造などはプロ集団ですが、物流はまだまだ。自分が物流のプロ集団を作っていきたいと思います」
 6人の部下にいつも助言しているのが「センスを磨け」。土本自身、相談を受けることの7割は未経験の事柄だ。それでも3割の経験と自分のセンスで毎回答えを出す。
「3人の子どもたちも徐々に手が離れてきました。これからは妻や子どものためにもプライベートを充実させていきたい」
(文中敬称略)

撮影:写真部・東川哲也 文:編集部・小野ヒデコ
江崎グリコ
「強く明るくつなぐ伝統」

江崎グリコ マーケティング本部 健康事業マーケティング部 河瀬茂宏(47)


 1922年に発売された「グリコ」。社名を冠したこのキャラメルは、商品数が増えた今でも、江崎グリコにとっては特別な存在だ。27年からはおまけのおもちゃが付いた。これまで世に出たおもちゃは、2万種類以上。戦争で物資が不足していた時期も紙飛行機や粘土製の人形を付け、子どもたちのおなかと心を満たした。
 いま、その企画を担当するのが河瀬茂宏。刺激的な玩具があふれる現代、あえて木製にこだわり、つみきなど自由な発想で遊べる「あそべる木のおもちゃ アソビグリコ」シリーズを打ち出した。
 仕事のモットーは「“過去“を否定する勇気を持つこと」。伝統ある商品とはいえ、同じことを繰り返していては生き延びることはできない。
 実際に河瀬は、過去のイメージを覆すおもちゃで数々のヒットを生み出してきた。大人をターゲットに昭和の家電などのフィギュアを付けた「タイムスリップグリコ」は累計2500万個を売り上げた。ミニ絵本を付けたときは、「親子で楽しめる」と重宝された。同社が重んじる「創意工夫」の精神がそのまま、河瀬の強みになっている。
 とはいえ、反応がイマイチだったおもちゃも、やっぱり出る。でも、絶対にめげない。
「落ち込んでも日はまた昇る(笑)。なぜ失敗したのか突き詰めれば、見えるものがある。それを生かしてまたチャレンジしたい」
 関西大学を卒業し、92年に入社した。菓子開発企画部に配属され、「ビスコ」や「カプリコ」などさまざまな人気商品を担当。2015年、新設された現在の部署に移った。
 自らの子はもう中学2年と高校3年。小さな子どもたちの好みをキャッチするため、菓子店やおもちゃ売り場、公園へ足しげく通う。
「『グリコ』は社の原点。絶対になくすことはできない。これからもお子様の心と体の栄養になるよう、将来につないでいきます」
 歴史を重ねたその小箱に、今も思いを詰め込んでいる。
(文中敬称略)

撮影:写真部・東川哲也 文:ライター・安楽由紀子
グーグル
「挑戦の果て、グローバル」

グーグル 人事部プログラムリード 小山弥生(35)


 インターネットで何かを調べるとき、多くの人が頼る「Google」。米国の本社を中心に世界展開する同社では、社内もグローバル。当然、英語力が求められる。小山弥生は今でこそTOEIC満点で不自由していないが、かつては「英語が全く話せない」女子高生だった。
 東京都内の高校を卒業後、1年間バイトで留学資金をため、2000年に渡米。語学学校、短大を経て、ワシントン大学に編入して英語力などを磨いた。その後、人材会社と法律事務所勤務を経て、「今の自分がどれだけ日本で通用するかチャレンジしてみたい」と思い、10年に帰国した。
 帰国後の就活で、強く意識したのがグーグルだった。面接担当者の「この会社で本気で世界を変える」という熱意に引かれたのだ。営業系新卒採用のプログラムを立ち上げてほしいと言われ、採用条件は「派遣」だったが、チャレンジせずにはいられなかった。
 どんな人材がこれから必要になるのか、営業系の社員と話し合い、戦略を立てた。大変だったが、ゼロから作ることを楽しめた。翌11年7月、正社員に登用された。
 小山が採用時に大切にしている信念がある。「素直で誠実か。考える力、やり遂げる力があるか」だ。これは自分がそうありたい姿でもある。
「新卒採用を担当していると、『英語が……』と言う学生が多いですが、『私もハタチまで話せなかったから、本気でやればできるようになる』と伝えています」
 多国籍のチームメートには、リスクや間違いを怖がらず、とにかくやってみようと呼びかけている。
「間違いや失敗を回避する力より、リカバリー力のほうが重要。そういう場面では『ここが大切』と全体で共有して前進します。最高のチームです」
 今年の3月に結婚したばかり。子どもが好きなので、将来はワーキングマザーとしても挑戦を続けるつもりだ。

(文中敬称略)

撮影:写真部・東川哲也 文:編集部・小野ヒデコ
オーエックスエンジニアリング
「パラ選手をメカで支える」

オーエックスエンジニアリング 陸上競技担当 小澤徹(46)


 その工場は、緑の山々に囲まれた風景に溶け込んで目立たない。しかし、ここオーエックスエンジニアリング(千葉市)は、パラリンピックに出場する日本人選手には有名な場所だ。1996年のアトランタ大会からレース用車いすを製作。車いすテニスの世界チャンピオン国枝慎吾、上地結衣両選手が使うテニス用車いすも大切に手作りされている。
 小澤徹=写真左端=は99年からレース用車いす担当になり、現在は設計から加工、溶接まで全工程を手がけている。選手の力を完全に生かすには、体にフィットする必要がある。そのため、製品は全て、選手の障害の程度や体格に合わせたオーダーメイド。受注から納入まで通常、2~3カ月かかる。
「今まで千台ほど作ってきましたが、同じ寸法のものは一つもありません」
 大の自転車好き。高校2年生の夏休みには、バイトでためた20万円を握りしめて独り、1カ月で北海道を1周する自転車の旅に出た。卒業後は、自転車の卸業者に就職した。91年には千葉工業大学(夜間)に入り、働きながら4年間通学。その後、現在の会社に転職した。シドニー大会を2年後に控え、新しい車いすを作ろうとしていた。
 レース用車いすは一つの前輪と二つの後輪からなり、全長は180センチ前後。今年のリオ大会で使用されるタイプは小澤が主に開発し、前後輪をつなぐフレームの形をT字からV字に改良した。
「T字では正座する形でしか乗れなかったものが、V字にすることで左右の車軸の間に足を通せるようになりました。それで乗車姿勢の自由度が上がり、より多くの人が使えるようになったんです」
 9月7日に始まるリオ大会では、陸上競技日本代表選手8人の車いすを手がける。東京大会が決まった13年ごろからは受注が途切れず、息つく暇なく年間80台ほどを生産している。
 8月末、自身もリオへと飛び立った。選手が現地で力いっぱい戦えるよう、メンテナンスに全力を注ぐつもりだ。

(文中敬称略)

撮影:伊ケ崎忍 文:編集部・小野ヒデコ
東京メトロポリタンテレビジョン
「いつまでも現場に生きる」

東京メトロポリタンテレビジョン 編成局局次長 兼 制作第二部長 大川貴史(44)


 金曜日夕方5時。皇居に面した東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)で、情報番組「5時に夢中!」の生放送が始まった。冒頭、司会者がゲストにツッコミを入れた瞬間、大きな笑い声がスタジオに響いた。番組プロデューサーの大川貴史だった。
 通常、現場を仕切るのは課長級であるディレクターの仕事だが、総責任者自ら現場の雰囲気をつくりたいと、生放送番組にも同席するなど、役職を超えて仕事をこなす。
 進行中、判断に迷ったスタッフや出演者が大川の顔を見ることがある。その時、笑い返すことで相手に安心感を与えている。スタジオのセットの搬出入にも積極的に参加=写真。出演者の見送りも欠かさない。
「相手を喜ばせることが一番。自分が喜ぶのはその次でいいと思っています」
 中・高・大と立教学院で野球部に所属。立教大学では1軍の外野としてプレーした。自称「ムードメーカーかつ親分肌」という性分はまさに、チームプレー向きだ。
 大学卒業後、1995年に新卒第1期生として入社。営業現場などを経て28歳で制作部へ異動になり、ADになった。現場へのこだわりはこのとき以来だ。
 一人でも多くの人に見てもらうために、電波を通して作り手の「熱量」をお茶の間へ届ける。そのために、命がけで番組作りに取り組む。視聴者の反応、スタッフや共演者とのコミュニケーションを大切にし、できるだけ相手の要望に応えるよう努める。
「直感力はあるから判断が早く、勝負強さはあります」
 大切なことは、野球と親から学んだ。
「常に筋道をつけて生きているつもりなので、勝っても負けても自分の生き方に後悔はしないですね」
 制作部に移った年に結婚。飲食店を経営する妻と一緒に過ごす時間はいま、「日曜の夕飯くらい」というほど、夫婦ともども「仕事優先」の毎日だ。

(文中敬称略)

撮影:伊ケ崎忍 文:編集部・小野ヒデコ
四季
「感動舞台、データで支え」

四季 制作部 演出管理 課長 中山隆(51)


 写真は9月27日に開幕するミュージカル「壁抜け男」のワンシーン。俳優は11人、公演に直接つく裏方は13人。公演にはつかないが制作に関わったスタッフは100人をゆうに超える。2015年1月に新設された演出管理に所属する中山隆=写真左=もその一人だ。
 劇団四季の演目は、何年も繰り返し上演され愛されている作品が多い。俳優への演技指導は、それぞれが台本に注意点などを書き入れ、代々受け継ぐスタイル。劇団が一元管理することはこれまで、なかった。
 そこで、中山と部下6人の出番である。稽古場に入り、あらゆる指示をパソコンに入力してデータベースとして管理したり、過去の上演映像にグリッド線を重ねて俳優の立ち位置を細かく分析したりするなど、作品のクオリティー維持の要となる役割を担う。例えば「アラジン」のデータは811ページ、「ウェストサイド物語」のミザンセーヌ(立ち位置の指示、道具の配置)は1746ページにもなるという。
「私にとってミュージカルは最高のエンターテインメントなんです」
 今ではそう言い切る中山だが、ミュージカルとの出会いは決して早くない。埼玉大学理学部在学中は学習塾講師にのめり込み、その後DTPオペレーターやデジタル機器メーカーの派遣社員を続け、30歳を過ぎたころ。見るやその魅力に取りつかれ、毎週末鑑賞するほどに。タップダンスまで習い始めた。
 1998年、34歳のときにたまたま劇団四季の求人をみつけて裏方として入団。2年目から16年間、舞台装置の機構操作を担当した。そして、現部署の創設にあたり、コンピューターの技術が役立つと手を挙げた。
 今後は、新作制作のための資料収集というもう一つの業務にも力を入れるつもりだ。
「劇団四季には新しい作品を生み出す力がある。その力を最大限生かしていきたい」
 観客席からは見えない仕事でも、舞台を創り上げる手応えはしっかりと感じている。

(文中敬称略)

撮影:門間新弥 文:ライター・安楽由紀子
UACJ
「一番の工場へ人を大事に」

UACJ 生産本部福井製造所 製造部熱延課長 野田尚也(42)


今年の夏も、もう終わり。缶ビール片手に、花火大会やフェスを楽しんだ人も多かっただろう。
 国内の缶ビールや缶ジュースの5本のうち3本は、UACJのアルミニウムで作られた缶だ。他にも、車やロケット、航空機、船の部材から、パソコンなどのメモリーディスク、医療用品などさまざまな用途に、この会社のアルミが使われている。アルミニウムの板製品の生産能力は年100万トン以上。世界でもトップクラスを誇る。
 国内に四つある板工場のうち、主力工場である福井製造所には、全長400メートル、幅4.3メートルのアルミの板を作れる、世界最大級の大型熱間圧延機がある。アルミのかたまりを削り、加熱してこの熱間圧延機で延ばし、コイル状に巻く作業までを担当するのが熱延課。野田尚也はその課長だ。
 約300℃で巻き上げられたコイルが圧延される作業所。そんな中で、26トンあるアルミのかたまりをクレーンで移動させたり、フォークリフトで物を運んだりするのは、部下を含め総勢75人。その安全管理は、野田の重要な仕事の一つだ。
「それ以外にも、何か問題があったとき、すぐに相談してもらえるよう、ざっくばらんな雰囲気でいるようにしています」
 年齢もバラバラで、担当する作業もさまざまな部下に対し、日頃から不公平にならないように心がけてもいる。
 1996年、早稲田大学理工学部機械工学科を卒業後、古河電工(のちの古河スカイ)へ入社。2013年に住友軽金属工業と合併してUACJになったが、入社以来20年ずっと、福井製造所に身を置く。圧延技術研究室、生産技術室、冷延課課長などを経て、今年、現職に就いた。
 どんなに素晴らしい機械でも、それを動かすのは人。人を育て、UACJのどの工場にも負けない工場にしたいと、気合が入る。
「自分たちで問題点に気づき、改善策が立てられるように、人を教育していきたい」

(文中敬称略)

編集部・大川恵実 写真・門間新弥
はせがわ
「供養のカタチも新しく」

はせがわ 調布店 店長 中島健(36)

より大きく、より立派なものを。仏壇といえばこれまで、きらびやかな装飾を施し、自分の背丈以上もあるような漆塗りのものが、多くの家庭で求められてきた。
 しかし今や、部屋のインテリアに溶け込むような仏壇が求められる時代になっている。伝統的な仏壇が得意のはせがわも、モダンなインテリアとしてコーディネートできるような木製の仏壇を、家具会社「カリモク家具」と共同で開発。コンパクトなものを始め、時代のニーズに合わせた仏壇もそろえている。
 東京・調布店は「リビングスタイル店」というコンセプト。店内にはソファやテーブルが置かれ、リビングにいるような感覚で仏壇を選べる。今回の撮影では、「リビングでリラックスしているような写真を」という注文に、店長の中島健が自宅からDVDやCD、ガンダムのプラモデルなど、お気に入りのコレクションを持ってきてくれた。
「家では、たまにガンプラ見ながらニヤニヤしちゃいます(笑)」
 和光大学経済学部経営学科(当時)を卒業。高校3年から大学卒業まで、ヘヴィメタのバンドでドラムをたたいていた。2002年、はせがわに入社。仏教徒でも、仏壇のある家に育ったわけでもないが、はせがわの社風と、「お客様に買っていただいた後もご縁ができていく」ことが決め手になった。
 6年ほど前に聖蹟桜ケ丘店で店長に。昨年5月、調布店のオープンに合わせ、異動した。5人のスタッフとともに店を切り盛りする。
 仕事のモットーは「プライベートの充実なくして、仕事の充実なし」。スタッフの公休、有休の希望は積極的に聞くようにする。
「仕事も大事ですが、友人や親戚などと縁が切れないほうがいいと思いますので」
 中島自身も、休みにはテニスを楽しむ。
「供養のこれからのあり方をつくり、ここから発信していきたい」
 時代が変わっても、人が誰かを悼み、祈る気持ちは変わらない。

(文中敬称略)

編集部・大川恵実 写真部・東川哲也
ヤマト
「愛する文具と世界へ」

ヤマト リテール事業部 マネージャー 鈴木成人(47)

 さいたま市にある「Karugamo English School」のArt Class(講師・白井裕子)。38人の園児が1枚のクレヨン絵を仕上げた。子どもならではの色鮮やかな世界観を、鈴木成人が優しい目で見つめる。園児が使った「カラリックス」をつくるヤマトのマネージャーで、自身も5月に第1子が誕生したばかりだ。
 同社は、事務用液状のりでシェア約7割強を誇る「アラビックヤマト」が有名だが、ほかにも新製品を毎年6アイテムほど発売している。鈴木の主な仕事は、オフィス通販カタログ発行元への営業だ。
 オフィス通販は年4千億円規模まで成長し、文具市場での存在感を強めている。カタログ発刊は年に1~2回。メーカー側で製品発売が遅れると次の掲載まで待たねばならず、売り上げに大きな影響が出る。
 そこで登場する文具メーカーの営業は、掲載の締め切りを延ばしてもらうようカタログ編集者にかけあったり、生産を早めるよう社内の調整をしたり。時に「秘策」が求められそうな激務だが、鈴木の策は至って真っすぐ。
「何事も一生懸命。きちんとした仕事をすれば周りも助けてくれる。5人の部下にもそうアドバイスしています」
 1992年、専修大学経営学部を卒業し、大手百貨店に入社した。33歳で早期退職者が募集されたのを機に転職を決意。「子どものころから文具が好きで」と、ヤマトに入社した。購買部門を7年間経験した後、久々に営業現場に戻った。百貨店時代からの「古巣」だが、勝手が違った。
「一部を除いて、ほとんどが自社開発品。製品に対するよりいっそうの愛着、知識が必要になりますね」
 手帳にはメモが書かれた色とりどりのテープが貼られている。鈴木にとって思い入れがあるロール状の付箋「メモックロールテープ」だ。今年7月、海外営業との兼務になった。「本当に便利」というこの相棒とともに、創業117年の看板を世界に売り込む。
(文中敬称略)

ライター・安楽由紀子 写真部・東川哲也
J-WAVE
AM、FM、次はスマホと

J-WAVE 営業局 営業2部 主任 手塚渉(40)

 1988年の開局以来、オシャレな音楽番組で首都圏にその名を響かせてきたFMラジオ局J-WAVE。「J-POP」というジャンルの生みの親とも言われており、リスナーには多くの音楽好きを抱える。手塚渉もその一人だった。
 中学時代からAMラジオを聴き始め、洋楽にハマって高校でFMへと移っていった。J-WAVEが相棒になったのはその頃からだ。
「ラジオの魅力はナビゲーターとの距離が近いことと、音楽との『偶然の出合い』です」
 かけていた番組で偶然、出合った曲が、様々なジャンルの音楽に触れるきっかけになる。自然と聴く音楽の幅も広がっていった。
「本か音楽の近くで働きたい」という希望がかない、早稲田大学第一文学部を卒業した99年に入社。スポンサーを探す営業担当を、内勤で長らくサポートした。2011年に編成部へ移り、番組の垣根を越えての企画を立てるなど、営業と制作の橋渡し役に。今年3月、営業部に戻った。2カ所の経験で広がった仕事の視野を、法人の広告営業に生かす。
 いま注目しているのは、「タイムフリー」というサービス。スマートフォンやパソコンでラジオが聴けるアプリradiko(ラジコ)上で10月11日から、過去1週間分の番組を配信、その音声をツイッターなどでシェアできるようになるのだ。
 深夜番組は「眠くて起きていられない……」という人も多い中、新サービスで深夜番組を聴く人が増えれば、広告主の注目を集め、番組もより活性化されるかもしれない。
「これはラジオ界の変革です。リスナーだけではなく広告主にも新しい価値を提供できるようになります」
 イベントなどでの出勤がない休日は、家で読書や音楽を聴いたり、趣味のエレキギターを弾いたりして過ごす。娘の中学受験も終わり、一息ついた。かつてファンだった横浜DeNAベイスターズの好調に刺激され、観戦を再開しようかと考えるこのごろだ。

(文中敬称略)

編集部・小野ヒデコ 写真部・東川哲也
大宅壮一文庫
貴重な「知」の後方支援

大宅壮一文庫  事業課 主事 鴨志田浩(49)

 およそ1万タイトル、77万冊の雑誌を所蔵する大宅壮一文庫(東京都世田谷区)。評論家・大宅壮一のコレクションを引き継いでつくられた日本で初めての雑誌図書館だ。所蔵する雑誌で一番古いものは、1875(明治8)年の「会館雑誌」。新刊雑誌の蔵書は、年間約1万冊のペースで増えている。
 大宅が1956年につくった書庫が、今でもバックヤードで使われる。利用者が閲覧を希望する雑誌を用意するため、人ひとり通るのがやっとの通路をスタッフが慌ただしく走り回る。書庫から出されるのは1日約1700冊。取り出す雑誌の右側の雑誌を少し出すのは、返却がしやすいように。鴨志田浩は言う。
「この間、初めて取り出す雑誌がありました。これだけ多いと、きっと一度も取り出すことなく終わる雑誌もあるんでしょうね」
 ふと思いついて、NHKの「とと姉ちゃん」で見た商品テストが載っている「暮しの手帖」を見たいとお願いすると、迷いなく一つの書棚まで歩き、スッと1冊抜き取った。
「ああ、これはアイロンの商品テストが載っている号ですね」
 どの雑誌が、どの書庫の、どの棚にあるかは、頭の中に入っている。勤続31年の大ベテラン。日本ジャーナリスト専門学校に通っていた18歳のとき、大宅文庫でバイトを始め、卒業後に職員になった。
 利用者のために雑誌を探して用意したり、コピーを取ったり、書庫への返却作業をしたりといった日常業務の合間に、新しく到着した雑誌が傷まないように表紙にブックコートをかけたりする。最近は、雑誌記事索引のデータベースの維持運営にも関わっている。
「スタッフは30人程度で手が足りないので、全員で助け合いながら作業しています」
 利用者数が減少傾向にある大宅文庫は一時、財政難のニュースも流れた。もっと広く存在を知ってもらおうと、バックヤードツアーを始めるなど、努力も怠らない。
「利用している方の役に立つことが、何よりうれしい」

(文中敬称略)
はとバス
安全+αの運転を心がけ

はとバス 観光バス事業本部 運輸部 運転課 専門課長 角舘淳(48)

 もう15年以上も前のことになるだろうか。東北1泊2日の旅を担当したときのことだ。ある母と娘が、そのツアーに参加していた。母は足が悪く、娘がサポートしながら、ゆっくりとしか歩くことができない。

「ごめんなさい、遅くて」

 母はバスの乗り降りのときに、何度も謝ってくる。運転していた角舘淳=写真下=はそのつど、「いいんですよ」と恐縮しながら答えた。

 いくつかの観光地を巡り、ホテルに着いたとき、その母はこう言ってくれた。

「運転手さん、ありがとう。いつもは車酔いをするんだけど、今日はしませんでした」
 その言葉は今も、仕事をするうえでの指針になっている。

「お客さまに声をかけることや、安全な運転はドライバーができるサービスですが、それ以上に、乗り物酔いしないスムーズな運転が最大のサービスだと思うんです」

 お金を払っているお客さまに「ありがとう」と言ってもらえる、数少ない仕事の一つだとも思う。だからこそ、できる限りのサービスを心がける。

 高校卒業後、ガソリンスタンドでアルバイトをしながら、観光バスの運転手をめざして21歳で大型2種免許を取得。東京都町田市内を走る路線バスの運転手となり、経験を積み、23歳で、はとバスへと転職した。

 今は課長として、約160人のドライバーをまとめる立場。事故防止の徹底、事故があった場合の指導、新しいツアーでのルート確認や、ツアーが安全確実に実施できるかの検討をこなしつつ、時にハンドルを握っている。

「今は東京五輪の開催が楽しみですね。自分たちのホームグラウンドですから」

 1998年の長野五輪では、関連ツアーなどが数多く組まれ、それこそ目の回るような忙しさを経験した。東京もそうなるはずだ。ベテランドライバーならではの経験を生かしつつ、楽しみたいと考えている。

(文中敬称略)

編集部・大川恵実 写真部・東川哲也
横浜ゴム
クルマを支え、支えられ

横浜ゴム タイヤ企画部 事業開発グループ グループリーダー 佐藤英俊(42)

 社内では典型的な「いじられキャラ」。親しみを込め、「ヒデちゃん」と呼ばれ、周りの空気を和らげる。横浜ゴムの佐藤英俊は、そんな存在だ。

 一方、業務内容は対照的に、シビアそのもの。世界8位のシェアを誇るタイヤ事業の中期計画、および国外工場の新設・拡張プランの立案を任されている。投資額や回収期間を計算、事業可能性を検討し、経営陣に提案する。同社の主力商品を扱うだけに、関連する部門が多く、扱う情報量も膨大なら、動かす金額も大きい。その分のプレッシャーが佐藤と部下8人にのしかかる。

 関係する各部門間で、意見の食い違いが起きることは、やはり避けられない。だから、互いの信頼感がベースに必要。信頼を得るコツは、「上司にも部下にも、自分を装わず本音で接すること」だと思う。

「ピリピリした状況でおのおの不満を残したままプロジェクトを強引に動かしても、しこりが残り、結果としてうまく進まない。『ヒデが言うなら……』と協力してもらえる人を一人ずつ地道に増やしていくことが大切だと思い、若い人たちにもそう伝えています」
 1998年、横浜国立大学経済学部を卒業後、入社。販売促進、製品企画などを経て、2013年から現在の業務に携わっている。

 工場を運営するアメリカ、中国、フィリピン、タイなど計7カ国の生産子会社の事業運営もフォローする。各国の経済状況や販売状況の変化、競合他社の進出など、国内に負けず劣らず調整は大変だ。計画の見直しを迫られることになれば「計画を立てるのと同じくらい骨が折れる」。

 そんなプレッシャーから解放されるときが、「休日に子どもを乗せてのドライブ」と話すほど、大のクルマ好きだ。山越え谷越えクルマが安定して走るように、新設した工場が成長していくさまを見たい、という思いが、仕事上での大きな駆動力になっている。
 
(文中敬称略)

ライター・安楽由紀子 写真・伊ケ崎忍
モーリス楽器製造
3回の変化、自然へ導き

モーリス楽器製造 製造部 技術課 課長 森中巧(44)

 長野県松本市は、ギターの生産量で国内トップ。湿気が少なく、森林豊かな土地柄が適している。ギター製造を始めてまもなく半世紀になるモーリス楽器製造で、森中巧は高級ギターの製作・開発に携わる。

 高校時代は、器械体操部に所属しながら学園祭限定でバンドを結成。エレキギターでX JAPANの曲などを演奏した。卒業後の進路で選んだのは、エレキを「弾く」ほうではなく、「作る」ほうの専門学校。もの作りが好きだったのと、一生できる仕事に就きたいと思ったのだ。

 2年間エレキ作りを学んだ後、就職先に選んだのがアコースティックギターの工場。就職活動で多くの工場に足を運び、「エレキとアコースティックは構造が全く異なりますが、機械作業が多いエレキより手作業が多いアコースティックを面白いと思ったんです」

 ふるさとの大阪府枚方市から信州へ、3度目の「チェンジ」で松本にたどり着いたのは1992年。塗装や、ギターの本体を作る木工部門などを経て、2014年からは1本30万~80万円するギターを全工程一人で作るとともに、工場全体を見回り、部下に製作を指導する。

 完成までに約3カ月。塗装と研磨を繰り返し、一本一本大切な我が子のように手がける。加工前の胴体用の板は軟らかい。弦を張ると、約60キロの負荷が胴体の表部分にかかるため、ブレーシングという骨組みで強化する。しかし、強くしすぎると、今度は音が鳴らなくなる。バランスが大切だ。

「完成後に、注文者からさらに難しい要望が入ることもありますが、『できません』と言いたくありません。一人で全工程を手掛けるので、そのギターがどういう変化をしてきたかがわかるのが楽しい」

 休日は妻と2人、同じ種類の一眼レフを持って山の草花を撮影しに出かける。自然を細部まで観察する目が、美しい音色を奏でるための丁寧な手作業へと続いている。

(文中敬称略)

編集部・小野ヒデコ 写真部・東川哲也
帝人フロンティア
地に足つけ虹を延ばす

帝人フロンティア 繊維資材第一部 東京キャンバス資材課 課長 野田賢一(49)

よく晴れた秋の日。東京都江東区にある東京臨海広域防災公園に、巨大な「人工の虹」が現れた。帝人フロンティアが開発した大型仮設テント「エアロシェルター」だ。約137平方メートルで約65キロ(ミドルサイズ)ある重みを、発電機と送風機各1台と、テントを留める数本のペグでカバーする。設営にかかる時間は30分ほどだ。

 野田賢一は23年間テント事業に携わり、市場拡大に努めてきた。主力製品は、商業施設や住宅などで日よけ・雨よけ用に使う「装飾テント」。エアロシェルターもその一つで、災害時や屋外イベントなどで使われている。国内販売シェア首位を保つ理由は、屋外で使用できる強度と、色や性能が違う250種類ほどを取りそろえていること。全て国内生産し、受注後すぐに出荷できるよう、常に全種類の在庫を用意している。

 愛知県出身で、甲南大学経営学部卒業後の1990年に入社。2013年7月に現職に就いた。管理職としての役目に重きを置きつつ、プレーヤーとしても営業の新規開拓を続けている。

 取引先の信用を得るには知識だけではなく、実際に商品が使われている現場を知ることが大切だと考える。

「部下には、業界の中で誰にも負けないプロになるようにと言っています」
 今年、超小型電気自動車「リモノ」のボディーが布製になるという情報を知り、部下に即電話をするよう指示。採用につなげた。

 休日は庭掃除をしたり、近くの公園や川沿いを妻と一緒にウォーキングしたりする。「長く単身赴任していたので、その埋め合わせです」と話す顔はどこか、照れくさそうだ。

 テント業界も国内市場は縮小傾向にある。

「新しい分野へのチャレンジは必須。テントの海外販売はほぼない状況なので、今後何とか売っていきたいですね」

 挑戦の虹は、国境の向こうへと延びていく。

(文中敬称略)

編集部・小野ヒデコ 写真・門間新弥
国立西洋美術館
世界遺産を追い風に

国立西洋美術館 総務課長 南川貴宣(41)

 東京・上野の森にたたずむ国立西洋美術館。その静かな館内を今、追い風が吹き抜けている。今年7月、近代建築の巨匠ル・コルビュジエが設計した建築作品の一つとして、世界文化遺産への登録が決まったのだ。

 登録への運動は、西洋美術館に加えて外務省、文化庁、東京都、台東区が連携して進めてきた。調整役として中心にいたのが、今年1月に文化庁から異動してきた南川貴宣だ。

 登録決定後、常設展で入館する人は昨年平均のおよそ3倍、日によっては10倍の1日5千人に。来館者や取材への対応、記念事業の企画などに、13人の部下とともに今も追われる毎日。「美術に関心を持っていただくいい機会」と南川は前向きに臨んでいる。

 世界遺産決定を生かそうという機運は館の外にも広がり始めた。

「商店街の方々も、旗やポスターを制作してくださるなど、街全体で盛り上げてくださっています。引き続き周囲の方々と協力して、新しい試みに取り組んでいきます」

 10月には、上野公園周辺の文化施設が一体になって「TOKYO数寄フェス」を開催。西洋美術館は東京藝術大学と協力し、バイオリニストの諏訪内晶子を招いて演奏会を開いた。

 今の南川を動かしているのは「文化芸術振興に携わりたい」という熱い思いだ。しかし、ここまでストレートにたどり着いたわけではない。1997年に南山大学文学部(当時)を卒業し、住宅メーカーに勤務。その後、国立大学職員を経て、転任試験を突破して2003年に文部科学省へ移った。文化庁で主に舞台芸術の支援や著作権関連業務、本省での生涯学習関連業務などのキャリアを積んできた。

 その過程で、「芸術は創造力を養うもの。芸術家でなくどんな仕事に就くにしても創造性は必要だ」という考えを抱くに至った。
 そのためには、まだまだ少ない中高生の来館を増やしたいと思う。休日には高2、中2の娘をいろんな美術館に連れて行き、作品の感想などを言い合って盛り上がっている。

(文中敬称略)

ライター・安楽由紀子 写真部・東川哲也
日比谷花壇
会ってきたように送る花

 生花販売が本業の日比谷花壇が、花の祭壇作りから式場の予約、式の進行、料理の手配まで葬儀のトータルサービスを請け負う事業を始めたのは2004年。担当する金澤和央=写真手前右=に、父・幸一(64)=同奥=の葬儀を想定した祭壇を、早稲田奉仕園スコットホールギャラリー(東京都新宿区)に作ってもらった。

 父の趣味の絵を、個展を開くイメージで飾り、「父が笑顔の時」を思い、母と寄り添う写真や、赤ん坊の金澤を風呂に入れる若き日の父の写真も添えた。咲き誇るのは父の好きなバラ。この小さな庭園を金澤の2人の息子が駆け回る。父本人は、「不思議な感じ」と苦笑いしつつ「素晴らしい」と目を細めた。

 昨今は「終活」として本人が相談に来たり、闘病中から家族が準備を始めたりするなど、時間をかけてプランを練るケースも増えてきた。とはいえ、大半はやはり突然の依頼。悲しみに動揺するなかで、故人や家族の思いをくみ取って一両日中に形にする。

 著名人の葬儀も手がけた。永六輔さんのお別れの会では、ラジオをライフワークとしていたことにちなみ、ポストを設置。投函されたファンからのメッセージは800通近くに上った。水木しげるさんの時は、目玉おやじのコサージュや妖怪を模した料理も提案した。

 04年に早稲田大学商学部を卒業し、日比谷花壇に入社した理由は、「言葉も宗教も関係なく人を喜ばせることができる花を通して、死という究極の場面で人の役に立ちたい」だった。葬儀のトータルサービスは、事業の立ち上げから携わる。「葬儀を悲しみだけで終わらせず、笑顔の瞬間を作り出そう」と7人いる部下には声をかけている。

「黒衣という立場は守りつつも、ご家族とともに愛をこめて葬儀を作る気持ちで臨んでいます」。葬儀後

 めざすは「故人が喜ぶ葬儀」。生と死を、笑顔と花でつないでいく。

(文中敬称略)

ライター・安楽由紀子 写真部・東川哲也
江の島ピーエフアイ
つながる命を伝えたい

江の島ピーエフアイ 施設統括部 ショー制作チーム チームリーダー 板倉知広(43)

「えのすいトリーター」と呼ばれるダイバーが大水槽の中に入ると、1匹の魚が近寄り、そばで泳ぎ始めた。

「あれはタカノハダイのキャンディーです。このトリーターと大の仲良しなんです」

 新江ノ島水族館(えのすい)でショーの制作を担当する板倉知広=写真右=が教えてくれた。大水槽で行われるショー「うおゴコロ」でトリーターは、水槽にいる魚たちを次々と紹介していく。

「トリーターたちが普段、動物たちと接している姿を見せるようなショーにしているんです」

 えのすいでは、「うおゴコロ」以外にも、クラゲ、イルカ、ペンギンなど、六つのショーを楽しむことができる。板倉はこのすべての制作に携わる。

 アルバイトを含め25人のチームを率いて、新しいショーの開発を担当。それだけでなく、ショーのクオリティーを上げるために演出家や舞台監督と話し合ったり、プログラムのメンテナンスの対応をしたりもする。クラゲのショーでは世界で初めて、3Dプロジェクションマッピングを採り入れた。

「魚や動物をもっと好きになってほしいし、つながる命を感じてほしいんです」

 1996年、東海大学文学部卒業後に、記念品などを販売する会社へ入社したが、「地球の環境保全に貢献する仕事がしたい」と一念発起。2001年、東海大学海洋学部へ再入学した。

 その在学中にえのすいでバイトを始め、水族館に来た人たちが、動物の命に触れることで、地球環境のことまで考えてくれるかもしれないと思うようになった。04年にえのすいの社員になってからずっと、制作を担当する。

「お金をかけた豪華なショーというよりも、心地のいい水族館で、温かい気持ちになれるショーをつくっていきたい」

 どのショーにも、板倉のそんな人柄がにじみ出ている。

(文中敬称略)


編集部・大川恵実 写真・伊ケ崎忍
ユニ・チャーム
安さより心地よさで

ユニ・チャーム ジャパンプロケア営業統括本部 プロケア営業本部 首都圏第1支店東京エリアマネージャー 大西毅(40)

 大西毅が、東京都内のある区立介護施設=写真=を訪ねたのは4年前。介護用の紙おむつの営業を担当していた。区が単価を決めて入札するため、個々の施設を訪ねても成約は期待できないが、それでも「よりよいケアを提案できたら」と考えたのだ。

 大西は施設側に、ケアについて真剣に意見を述べた。スタッフはその姿に心動かされ、価格以外の条件も検討するよう、区に制度変更を働きかけた。1年目は実を結ばなかったが、大西もスタッフも諦めず、2年目に晴れて採用になった。

 高齢化で拡大が見込める紙おむつ業界には20社近くのメーカーがひしめく。とにかく「安さ」を訴えて攻勢をかける会社もあるが、大西の営業方針は違う。漏れの少なさや通気性など利用者の快適性こそ、スタッフの負担減やトータルでのコスト削減につながると、現場の人々に寄り添って丁寧に説明する。

 大学では農学部で生物学を学び、1998年に卒業後、外資系製薬会社で営業職(MR)に。2002年に渡豪し、働きながら英語を習得。04年に帰国してユニ・チャームに入社以来、紙おむつの営業一筋だ。MR時代に病院を回った感覚をフルに生かし、大口の成約を次々に獲得してきた。海外の現地法人に営業手法を教えたこともある。

「施設の中で、我々の理念に共感する人を少しずつ増やしていけばおのずと道は開ける」

 独自の感覚を言葉で8人の部下たちに伝えることは難しいと思うが、後進が育てばと、若手が互いに教え合う勉強会を企画する。

「紙おむつは命を救う新薬ではないが、単なる消耗品でも決してない。『朝、いつも機嫌が悪かった方が笑顔になった』と聞くと、心地よく眠ることができたのだとうれしくなる。社会貢献度がとても高い仕事だと思う」

 年が明けたら、北信越支店長に昇進する。

「組織づくりと同時に、今後も自らトップセールスを目指していきたい」

 東京で地道に築いた人間関係は「宝物」として胸にしまい、新天地に飛び立つ。

(文中敬称略)


ライター・安楽由紀子 写真・伊ケ崎忍
エスビー食品
香る緑の力を信じて

エスビー食品 営業グループ ハーブ営業部 ハーブ供給ユニット マネージャー 伊藤弘敬(51)

「頭の中は緑色。ハーブでいっぱい」

 伊藤弘敬は笑いながらも真剣な目でこう語った。撮影地の「エスビーハーブセンターつくば」(茨城県常総市)は、エスビー食品と地元農家が共同運営する生鮮ハーブ生産施設の一つ。バジル、パクチー、ミントなど約20種類をハウスで栽培し、毎日、出荷している。全国に約40あるこうした生産現場と連携し、企画から品質管理、設備投資など、生産業務のすべてを12人の部下と担う。

 ハーブは別名「軟弱野菜」と呼ばれるぐらい傷みやすい。品質・供給の安定が最大の課題だ。緊急時は365日問わず電話があり、判断が求められる。例えば台風。いざとなれば、ハウスのビニールをはぐ決断さえしなければならない。ハーブが全滅しても、ハウスごと吹き飛ばされるよりましだからだ。9月は記録的な日照不足に悩む日々が続いた。自然は容赦ない。

「生産責任をすべて負っているため、気の休まる時がない。一課長ではあるけれど、気持ちの上では経営者。ピンチの連続だが、ある意味、精神的にずぶとく成長していくしかない」

 一人ひとりが責任者という心構えでいなければ、農家と信頼関係は築けないと後進にもアドバイスしている。

 千葉県出身。信州大学農学部を卒業後、1988年に入社。カレーや練りわさびの研究開発や商品企画などに携わった。2009年、現職に就くとき、両親に「昔の夢がかなったね」と祝福され、少年時代の記憶がよみがえった。地元の畑が次々に住宅に変わり心を痛め、農業のために働きたいと思ったこと。中学から大学まで長距離ランナーとして活躍し、人々の健康を食から支えたいと思ったこと。

 来年、ハーブ事業は30周年を迎える。昨今のパクチーブームも、会社として粘り強く作り続けてきたことの成果でもあると自負する。

「それでも欧米と比べ日本のハーブ文化はまだまだ。今後も市場をリードしていきたい」

 芳しいハーブに包まれ、17年も強く駆けてゆく。

(文中敬称略)

ライター・安楽由紀子 写真部・東川哲也
加茂
ヒトもトリも「大家族」

加茂 富士花鳥園 副園長 宮本正明(46)

 富士山のふもとで、約65種類330羽の鳥が暮らす富士花鳥園。とり年の今年、かわいい小さなフクロウ2羽が入り口で出迎えてくれる。

 副園長の宮本正明は、開園前に全ての鳥を見回り、滞りなく一日を送ることができそうか確認をするのが毎朝の日課だ。「ゲゲ」と鳴きながら近づいてくるフラミンゴには、「ゲゲ」と返事。翼を広げた姿を披露してくれると、「かっこいいね~」と声をかける。
「鳥たちは人の顔を覚えます。鳴き声をマネすることで、心理的にも物理的にも距離が近づく感じがします」

 宮本はお隣の静岡県富士市出身。元々動物好きだが、最初は動物関連の仕事に就くつもりはなかった。工業高校を卒業後、手に職をつけようと1988年に電機メーカーに就職。機械を相手に働いてみて気づいたのは、「動物が好き」という本当の気持ちだった。ちょうどそのころ、花鳥園がスタッフ募集をしていて、応募した。

 99年の入社から半年間、フクロウの飼養管理を担当した。おとなしいとはいえ、小動物を食べる猛禽類。フクロウの中で最も握力が強いアメリカワシミミズクを捕まえようとしてうまくいかず、腕に装着した革グローブを鋭い爪が貫通したこともあった。

 エミューを担当したときは卵の孵化にも挑戦した。エミューは、自分の娘と同い年のものもいて「縁が深い鳥」。2年ほど前に副園長になっても、エミューの担当は続けている。
 休日はバス釣りや、始めたばかりのエレキギターの練習を楽しむ宮本だが、自宅ではやはりインコを飼っている。妻も鳥好きだ。

「でも、娘はその反動か鳥はイマイチで、『アイタタ……』という感じです」と苦笑い。

 顔見知りになったリピーターに、好きな鳥の好物のエサを渡すなど、人への心配りも忘れない。

 宮本をはじめとする園スタッフの優しいまなざし。鳥たちが安心して甘える様子は、大家族を見ているかのようだった。

(文中敬称略)

編集部・小野ヒデコ 写真部・東川哲也
新日鉄住金
100人の一歩を大事に

新日鉄住金 君津製鉄所 製鋼部 第二製鋼工場 第二精錬課長 加藤大樹(33)

 1600℃以上に熱せられた300トンの溶けた鉄が、転炉と呼ばれる炉から運搬用の器へと移し替えられても、炉についた鉄はそのまま赤々と光を放っていた。そのまぶしさは太陽のようでもあり、火山口からマグマをのぞいているようでもある。現場はとにかく安全の確保が最優先。撮影のチャンスも、1時間ほど待機したのちに、わずか5分程度訪れただけだった。

 千葉にある新日鉄住金君津製鉄所は、東京ドーム約220個分の敷地を有し、年間900万トンに迫る粗鋼を生産する。加藤大樹の属す第二製鋼工場は主に、高炉から運ばれた溶けた鉄と鉄スクラップを転炉に装入し、そこに高圧の酸素を吹き込んで、不要な炭素分などを取り除く工程を担う。

「転炉はほぼ休みなく動き、1日で合計60杯以上は作ります」

 加藤は、東京大学大学院マテリアル工学専攻修士課程修了。日本の産業を支え、広く社会に関わっている「鉄」の仕事がしたいと、2007年に新日本製鉄(当時)へ入社。君津製鉄所の製鋼部製鋼技術グループへ配属された。最初に担当した仕事は、溶融した鋼を冷却して凝固させるプロセスの生産性向上。最適な冷却速度を計算し、試験を重ね、10%生産性を高めることに成功した。

 16年4月に現職の課長になった。117人いる部下の安全管理や労務管理を始め、品質やコストなどの管理・改善が仕事だ。まだ33歳、半分以上の部下が年上だが、話を聞きながら、一人一人のレベルアップを促すように心がける。ときにプライベートの悩みを相談されることもあるが、よりよい解決策を共に考える。

「チームで役割分担しながらモノづくりをしているので、一人でも機能しないと製品が正しく作れなくなるんです。みんなの向上意欲を大切にしたい。製造現場は、一人の100歩より、100人の一歩が大事ですから」

 半年前に生まれた息子がいる。いつか、この工場を見せてあげたいと思う。

(文中敬称略)

編集部・大川恵実 写真部・東川哲也
伊藤ハム
伸び伸び生きる場ひらく

伊藤ハム 食肉事業本部 海外食肉本部 戦略担当 担当課長 杉山美佳(52)

「伊藤ハム」というと加工食品が思い浮かぶが、実は食肉の売り上げがグループ全体の約65%を占める。中でも輸入食肉はグループ売り上げ全体のおよそ35%を占める大黒柱。その事業をスペシャリストとして支えているのが、杉山美佳だ。

 輸入ビーフ、輸入ポーク、貿易業務の三つの部署の成績管理を行うほか、海外駐在員のサポート、子会社であるニュージーランドの食肉会社アンズコフーズの事業管理も行う。
 写真は、アンズコフーズジャパンが運営するレストラン「ワカヌイ」で撮影した。「大自然のなかで伸び伸び育てたニュージーランド産ビーフやラムのおいしさは格別。この味をもっと広めていきたい」と語る。

 中央大学文学部卒業後、男女雇用機会均等法の第一世代として1987年に入社。以来輸入食肉に関わってきた。入社2年目にして早くも部署内で最年長の女性社員に。「当時は自分自身もここまで仕事を続けるとは思わなかった」と言う。そういう時代だったのだ。91年、牛肉の輸入自由化後は海外拠点が増え、業務の幅が広がった。ほどなくニュージーランドにアンズコフーズとの合弁でフィードロット(牛の穀物肥育場)を設立。日本側の窓口業務を担うようになった。

 仕事は面白かったが、それだけに見えない天井の存在も感じた。30代に入ったころだ。このままでいいのだろうか――。悩んだ末、会社を辞めるつもりで米国公認会計士の勉強を始めた。帰宅後、寝る間を惜しんで問題演習に励む日々。社内で女性活躍推進委員に命じられたのはそんなときだった。

「2年間、支援制度の整備などの改革に取り組み、私たちにも管理職の道が開けた。結果として会計士の道は諦めることになったけれど、そこで得た知識は今も業務に役立っています」

 柔らかな語り口。決して“バリバリ“というタイプではない。だが、海外業務で困ったら「まず杉山に相談」と言われるほど頼もしい存在だ。彼女をよく知る社員は言う。
「彼女は奥ゆかしいパイオニアなんです」

(文中敬称略)

ライター・安楽由紀子 写真・門間新弥
喜代村
伝統つなぎ若手を育てる

喜代村 喜代村塾(すし職人養成校) 教育課長 下山和秀(48)

 すしを握るその手はツヤッとして滑らか。「修業先の大旦那に教えられた。『板前は役者だ』って。お客様に見られる商売だから」。その教えを守ってケアを怠らない下山和秀=上=の手は、十数年間、荒れたことがない。

「すしざんまい」を展開する喜代村はすし学校「喜代村塾」を運営している。未経験者を正社員として採用し、職人養成基礎講座で約3カ月間指導する。その後は店舗で実践を重ね、約2年間で一人前のすし職人を目指す。板前が減り、修業者を受け入れる個人店も減る中、若手の育成は業界全体の大きな課題だ。ここで座学から実践まで指導にあたっているのが下山である。生徒は10代もいれば脱サラした20代、30代も。女性も徐々に増えてきた。「女性は板前に向かない」といわれたのは昔の話。やる気に男女は関係ない。

「入塾式で『厳しいよ』とあらかじめ言っているけど、卒業前に辞める生徒も少なくない。簡単にプロになれると思っているんだろうね。寂しいけど、他の一生懸命な生徒のために気持ちはすぐに切り替える」

 振り返れば、自分も辞めたいと何度も思った。ヤンチャしていた中学を卒業後、日本橋の店で修業。朝は早いし力仕事も多い。でも高校に進学した同級生は遊んでいる。
 板前としての覚悟が決まったのは20代半ば。都内の店を3軒ほど経て、先輩に引っ張られる形で2003年に喜代村入社。本店勤務や新規店舗の立ち上げにも携わり、店長も務めた。10年、上司や周囲の推薦で講師となった。

 生徒によく言うことは「頭は生きてるうちに使え」。次々に入るオーダーをすべて覚え、箸を使う人と手でつまむ人とでは握り方を変え、笑顔で会話。頭はフル回転だ。
「仕事は一生修業。現場でも、学校でもそう。人を育てることにもゴールはないでしょ」

 一人前に育った姿を見るのがうれしい。海外のすし店に就職したという知らせが届くこともある。「私は口が悪いから講師に向かない」と笑うが、教え子たちはなぜ下山が講師に推薦されたのかわかっているはずだ。

(文中敬称略)

ライター・安楽由紀子 写真・伊ケ崎忍
竹尾
紙の様々な表情を探す

竹尾 企画部 市場開発チーム 課長代理 植村行人(38)

 名刺にも描かれているシンボルマークの紙を運ぶ少年、通称「紙小僧」は16世紀にドイツで出版された書籍の挿絵からの引用だという。サンプルを見ながら紙を選べる「竹尾 見本帖本店」(東京・神保町)で、植村行人にも紙見本の束を運んでもらった。

 竹尾は「ファインペーパー」と呼ばれる特殊印刷用紙の企画や開発、販売などをする紙の専門商社で、約9千種の紙を扱う。植村は展示会の企画制作などを担当する。

「デジタルの時代だとか、紙離れしているとか、みんな簡単に言ってしまっているような気がするんです」

 そう思うからこそ、展示会では紙が身近なものであるということ、紙の可能性や魅力、面白さを伝えたいと思っている。そのためにはどういう展示会にするか、何を見せるか、案内状はどうするか、販促グッズは何を作るか。デザイナーと加工所、会社との意向のすり合わせや調整をするのが植村の役目だ。可能な限り、印刷や加工の現場を見せてもらい、理解する。

「『できない』と言うのは簡単。できないことでも折り合いをつけつつ、どうしたら皆の理想の形に近づけられるかを考えるようにしています」

 東京造形大学でグラフィックデザインを専攻し、卒業後はグラフィックデザイナーとして6年ほどを過ごした。2006年に竹尾へ入社すると、販売促進本部や営業部を経て、14年に現職。現在、植村含め6人のチームで年間20本ほどの展示会などに関わる。
 とにかく紙が好き。理想の休日は、紙を探しながら街を歩き、夕方から居酒屋でお酒を飲みながら紙のことを考えることだ。

「繊細に丁寧に観察して分析していけば、紙は様々な表情を見せてくれる。見逃していたことが見えてくるんだろうなと思っています」

 静かな口調だったが、紙の可能性を誰よりも強く信じている人の言葉だった。


(文中敬称略)

編集部・大川恵実 写真部・東川哲也
チロルチョコ
味を記憶、再現、開発

チロルチョコ 開発部・部長代理 松嶋祐介(40)

 2月14日に手作りチョコを本命男子にあげた一方で「義理」として買い求めやすいチロルチョコを渡した経験もある。

 現在、チロルチョコ東京本社には約20人が在籍し、平均年齢は30代前半。開発部部長代理の松嶋祐介はプレイングマネジャーとして、研究開発、企画、九州で新規開発に携わる計9人を統括する。生産ラインは福岡にあるため、昨年は東京と九州を50往復ほどした。試作とライン生産では味や粘度が「ぶれる」ことがあるため、新商品の初回生産に毎度立ち会う。

 年間30品ほどの新味を生み出す中、最近は生チョコ仕立てや「いちごがいっぱい」シリーズなどの開発に携わった。2月には「モーツァルトチロル」を発売。オーストリアの伝統的な菓子「マジパン」をチョコ内に注入することに挑戦し、新しく設備の投入を行った。

「今後もこの設備で新しい食感の製品を開発していくというテーマができました」

 元々甘いものが好きな松嶋。高校時代は水球部で、練習後にチョコやグミなどをよく口にしていた。明治大学農学部卒業後、1999年に大阪の食品メーカーに就職。研究開発職で修業を積むも、32歳の時に「東京で仕事をしたい」という思いで同社へ転職した。

 試食が仕事ゆえ、多い時には1日20個ほどチョコを食べる時もある。そのため、夕食を減らしたり、休日はサイクリングやプールへ出かけたりと体調管理は欠かさない。目まぐるしい日々を送るが、「部下も帰りづらいと思うので」と、なるべく残業はしないよう心がけている。

 小1の長女に、「友達の間ではミルク味が1番人気」と言われ、顔をほころばせる一面も。

 得意なことは、食べた物の味を覚え、それを再現すること。
 日々、アンテナを張り、色々な物を食べ、商品開発への糸口を探求している。

(文中敬称略)

編集部・小野ヒデコ 写真・門間新弥
スクウェア・エニックス
最先端から世界に夢を

スクウェア・エニックス 情報システム部 ITインフラストラクチャー・グループ/ネットワーク・グループ シニア・マネージャー 森竜也(40)

 人気ゲーム「ファイナルファンタジー」シリーズは今年30周年を迎える。

 昨今のゲームの進化はめざましい。実写映画のようなグラフィックに加え、世界中の数十万人規模のユーザーがインターネットを通じて一緒にプレイしたりコンテンツを拡張したりできる。森竜也は、こうしたゲームの提供に欠かすことができないネットワークインフラを構築するエンジニア。ユーザー向けだけでなく、数百人もの開発者が100テラバイト級のデータを編集するための社内環境の整備も担当し、また、数十人のチームメンバーのマネジメントも行う。

「開発部隊の要望やお客さまの期待に応えるため、常に最先端の技術を追求しています。結果的に“日本初”の事例になることも多い」

 先陣を切る“戦士”に不安はつきものだが、それでも立ち向かわなくてはならない。2012年に発売された「ドラゴンクエストX」では、複数のサーバーで負荷を分散させる業界の常識をくつがえし、「世界はひとつ」のコンセプトのもと、数十万のユーザーのデータを一元管理する前代未聞のプロジェクトに携わった。オフィス移転の際は、悩みに悩んで未知数の最先端技術を導入。メンバーのスキルにも支えられ、新しい環境づくりを成功させた。

「規模が大きすぎて、個人の力だけでは超えられない仕事。ふだんからチーム間の連携を円滑にするよう心がけています。休日にみんなで一緒にオンラインゲームをすることもある」

 この世界を知ったのは幼稚園のころ。MSX(1980年代に発売されたパソコン)のゲームと出合い、将来の道が決まった。東京理科大学大学院で電子応用学を学び、01年、プロバイダー会社に就職。07年、憧れのスクウェア・エニックスに入った。仕事(ゲーム)のストレスは、趣味(ゲーム)で解消。7歳の長女と楽しむこともある。

「子どものころからの夢だったので、ゲームの最後に出てくるスタッフロールに自分の名前があると感無量です」

 今は世界にたくさんの夢を提供することが森の願いだ。

(文中敬称略)

ライター・安楽由紀子 写真・門間新弥
成城石井
“工学系”の菓子バイヤー

成城石井 商品本部 商品部 菓子課 課長 加藤寿人(33)

 平日の朝10時。横浜市の成城石井美しが丘店内を来店者が回遊する中、菓子課課長の加藤寿人は撮影直前まで陳列整理をしていた。

 成城石井が目指すのは「高品質」スーパーだ。一つひとつの商品単価は決して安くはないが、こだわりを持ち、良質なものをお得に販売している。 
 
 現在、成城石井は全国に148店舗あり、店ごとに規模や客層、人気商品は異なる。加藤は商品購入の決定権を持ち、全社的な菓子売り場の方向づけを行う立場だ。原料の買い付けから行っている商品もあり、「商品の“ストーリー”を大切にしている」とバター一つの味からこだわっている。 

 小売りに興味を持ったのは大学生時代だ。電気通信大学電気通信学部知能機械工学科(夜間)に通学するかたわら、4年間本屋でアルバイトに励んでいた。狭い店内で書籍を積み替えたり、販促物を作ったりすることにやりがいを感じていた。そんな時、通学途中にあった成城石井の店に初めて入った。 

「他のスーパーの雰囲気と違って面白い」 

 10坪弱の店内に、普段見かけない商品や輸入チーズ、瓶ジュースが積み上げられている。店内に入ると、気持ちが高揚する自分がおり、徐々に食品に興味を持ち始めていった。 

 入社したのは2007年。初めての仕事はグロサリー担当だった。店舗で調味料や加工品などの発注、売り場のメンテナンスの経験も経て、09年に商品部菓子課のバイヤーになった。 

 以前は「コミュニケーション能力ほぼなし」と自己評価していたが、来店者やスタッフとのやりとりを通じて、「得意というか、鍛えられました」。 

 社内結婚した妻との間に、2人の子どもがいる。休日は子どもと公園へ行ったり、外出先で見かけたセレクトショップで食のチェックをしたりするのも日課の一つだ。

「心がけていることは固定観念を取り払って、いろいろな意見に対して耳を傾けること。柔軟な発想を大切にしていきたいです」 

(文中敬称略)

編集部・小野ヒデコ 写真部・東川哲也
株式会社モリタ
火消し車両の操作盤師

株式会社モリタ 生産本部 商品開発部 開発三課 課長 元野等(45)

 はしご車を日本で初めて造り、今でははしご車の国内生産で9割以上のシェアを占めるモリタ。兵庫県三田市の生産工場では、さまざまな用途の消防車が年間700台以上製造されている。元野等は、消防車全般に取りつけられている電子制御盤「e-モニタ」の開発担当者だ。手にしているのは2014年に開発した3代目。7インチモニターには、ポンプの回転数やタンクの水の残量、放射量、取りつけたホースの位置などが一度に表示される。情報を一覧できるのが特長だ。

 ものを作るのが好きな、おとなしい少年だった。中学に入り、ぽっちゃり体形を変えようとスポーツを始めた。社会人までラグビー部に所属し、ポジションはフォワード。関西大学工学研究科では機械工学を専攻し、将来は機械設計の仕事に就きたいと考えていた。ところがモリタに入り、未知の電子工学を担当することに。その頃、会社はプログラム開発と電子制御に注力しようとしていた。

 旧型の消防車の操作スロットルは、車体を貫く軸でつながった構造。消防隊員は車体の両脇で、一方はそれを左回しで、もう一方は右回しで操作しなければならず、少々混乱するのが難点だった。そこで元野は、20歳ほど年上の上司とともに、同じ向きに回せる電子スロットルの開発を命じられる。操作盤の電子化というこの業界で全く初めての試みを、ふたりで担った。

 試作品は大幅な方向修正を何度も求められた。その度にがっかりはしたものの「人命にかかわる仕事なので使命感、やりがいがあり、モチベーションは高かった」という。
 今は所属課で、制御部門とポンプ部門の10人の部下を統括し、専門外のポンプを学ぶ毎日。かつての上司から学んだ「まずは対話」という姿勢を大切に、常に現場に足を運ぶ。高所恐怖症だが、はしご車のバスケットにも乗って「e-モニタ」の操作性を確認する。

「自分で配線をしないと、本当の使いやすさはわからない。やっぱり配線が好きなんです」

(文中敬称略)

ライター・西元まり 写真部・東川哲也
エンルート
飛べ、未知なる空へ

エンルート 技術運用部 部長 錢谷彰(35)

 あの衝撃を忘れない。6年前の3月、故郷・宮城に戻った錢谷彰=右から2人目=の眼前に広がっていたのは、瓦礫だらけの荒野。幸い実家は難を逃れたが、知人の家も思い出の海岸風景も一変していた。被災地は混乱を極め、状況の把握には時間が必要だった。

 小さなころから、ラジコン、パソコンなどさまざまなメカに魅せられた。宮城の商業高校卒業後に上京し、自動車整備士の専門学校へ。2003年、バイト先の大手家電販売店に見込まれ、そのまま入社。豊富な家電の知識を生かして楽しい日々を送っていた。だが東日本大震災で変わった。いつしか被災地に役立つ仕事を望むようになっていたのだ。

「早く詳しい情報を得る方法はないのか」

 被災地の惨状を目の当たりにしていろいろ調べるうち、当時はまだあまり知られていない無人航空機「ドローン」に行き着いた。人の立ち入りが難しい場所でも飛行でき、撮影やガス計測もできる。被災地の状況調査だけでなく、工事現場の調査や農薬散布、物流など用途は幅広い。

「今後、業界は伸びるはず」

 そんな強い確信を持ち、知ったのがエンルートだった。もともとラジコン部品の輸入販売会社で、11年から産業用無人機の開発を開始。錢谷は13年、同社に転職した。

 現在は、測量会社や建設会社などから要望を受け、適した無人機を提案し、現場で運用するまでの一連の作業を行う。今は社員33人と3倍以上に増えたが、かつては人手が足りず、錢谷も機体の製造を手がけていた。

 国内の開発メーカーは10社もない。自治体などと災害時の支援協定を結んでおり、有事の際は昼夜問わずすぐに現場に向かう。

 プレッシャーも大きい。墜落事故が起これば会社も依頼主も、そして業界全体も信用が失墜、開発にブレーキがかかる。

「業界の立ち上げから経験でき、誰もやってきていないことを自分の手で達成してきたという実感があります。今後も安全にリードしていけたら」

 可能性は広がるばかりだ。

(文中敬称略)

ライター・安楽由紀子 写真部・東川哲也
ヤマハ発動機
三輪ならではの開発を

ヤマハ発動機 技術本部 NPM事業統括部 LMW開発部 高野和久(55)

 学生時代からバイクが好きだった。鹿児島大学工学部機械工学科に在学中はモーターサイクル部に入り、モトクロスに熱中。ヤマハYZに乗り、ガソリンスタンドでバイトをしながら、「飲まず食わず」で部品をそろえた。ヤマハのバイクショップに通ううちに、自然とヤマハファンに。1986年に卒業後、高野和久はヤマハ発動機に入った。

 入社後はモータースポーツ開発部に所属。レース用バイクの車体設計などを担当した。初めての海外出張はダカール・ラリー(通称パリダカ)だった。スタッフとして、「世界一過酷」とも呼ばれるレースに随行。約1カ月の期間中、屋根のある部屋で寝たのはたった2日、あとはテント泊という経験をした。

 三輪のバイクを開発する「LMW開発部」への異動を命じられたのが6年前。パリダカ、各種ロードレーサー、そしてモトGP用と、レース用マシンの開発に入社以来の年月を費やした高野にとって、一般の人に向けた市販車を開発することは、青天のへきれきだった。そんな時、高野の妻が声をかけた。今までのバイクには私は乗れなかったから、今度は私が乗れるバイクを作って、と。

「免許も取ってくれたんです。妻が気に入るようなバイクを開発しようと思いました」
 転びにくく、安定した走りと、二輪に極めて近い乗り心地、さらには女性でも扱いやすい性能を兼ね備えた三輪のバイクを目指した。肝となる前二輪機構の構造をどうしたらいいのか、割り箸と輪ゴムを使って、自宅のこたつで考えたこともあった。そして2014年、「トリシティ125」を発売した。

「静岡から京都に住む娘のところへ、妻と2人でトリシティに乗って行きました。10時間かかったけど、行けましたよ」

 今年1月には、さらに改良を重ねた「トリシティ155 ABS」も続いた。
「三輪は二輪よりもブレーキが利きやすいし、横風にも強い。三輪ならではの可能性を追求していきたい」

 さらなる改良へ、開発の手は緩めない。

(文中敬称略)

編集部・大川恵実 写真部・東川哲也
チームラボ
最高の理想を現実に

チームラボ カタリストチーム カタリスト 金澤真(31)

 オフィスのドアを開けると、うっそうと茂る植物が目に飛び込んできた。壁一面にある透明のディスプレーには滝が流れる。受付から会議室へ案内するのは、動物たちだ。Aの部屋ならAnteater(アリクイ)が、BならBear(クマ)、FならFlamingo(フラミンゴ)と、担当の動物たちが廊下のスクリーンに映し出され、目的の会議室までアテンドしてくれる。滝や動物たちの映像はセンシングの技術で、前に立つと水がその部分だけ避けて流れたり、動物たちから花が舞ったりする。

 ここは東京・六本木にあるDMM.comの新オフィス。クレイジーで遊び心満載、でもかっこいい。デザインしたのはチームラボ。金澤真は、理想とするアウトプットを実現させるため、各分野のプロフェッショナルをつなぐ調整役、つまりカタリスト(触媒)として働く。このオフィスでは、全長約80メートルの空間設計、透明ディスプレーとプロジェクターの機材構成などに携わった。

「まずやってみたいアイデアを出し合うのですが、ハードルが高くても無理だと考えるのではなく、どうしたらその理想を現実に落とし込めるかを考えていきます。だからゴールが変わることもある」

 2009年、慶應義塾大学総合政策学部を卒業し、チームラボに入社。エンジニア、プロジェクトマネジャーを経て、約4年前にカタリストに。15年のミラノ万博日本館での作品や、お台場で開催した「DMM.プラネッツ Art by teamLab」の展示なども担当した。

 金澤は数十人いるカタリストのリーダー的な立場の一人ではあるが、会社は役職を設けておらず、上下関係はない。

「組織にありがちな政治的な人間関係の調整をする必要がないので、仕事の本質的でない部分に労力を費やすストレスがありません。自分のやるべきことに集中できます」
 自由に発想をふくらませ、風通しのいい人間関係の中でそれを実現させていく。金澤たちは、きっと想像を超えるニッポンを作り出すはずだ。

(文中敬称略)

編集部・大川恵実 写真部・東川哲也

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