熾烈なまでに悲し、どこまでも美しい言葉 (1/3) 〈NHK出版〉|AERA dot. (アエラドット)

AERA dot.

熾烈なまでに悲し、どこまでも美しい言葉

このエントリーをはてなブックマークに追加
NHK出版

水俣病の、後に確認される最初の患者が発症したのは1953年。日本窒素肥料(現チッソ)水俣工場が1932年から水俣湾に排出し続けたメチル水銀が原因でした。沿岸の被害者は、脳などの中枢神経を破壊され、手足のしびれや震え、舌のもつれ、視野が狭まるなとの症状に苦しみ、命まで奪われました。水俣病に冒された人々の声を酌み、近代的な闇を描くとともに、普遍的な問いを投げかけているのが、石牟礼道子(いしむれ・みちこ)の『苦海浄土』です。
9月の『100分de名著』では、批評家の若松英輔(わかまつ・えいすけ)さんを講師に迎え、この20世紀日本文学を代表する作品を読み解いていきます。まず、本文に入る前に、坂本きよ子という女性をめぐって石牟礼道子が書いた作品を読みたいと思います。

* * *

石牟礼は、1969年に『苦海浄土』の第一部を出版しますが、きよ子の存在を知ったのはその翌年のことでした。その年の6月に彼女は、坂本一家との出会いの記録を水俣運動の機関誌『告発』に発表します(原文は『わが死民─水俣病闘争』創土社所収)。
『苦海浄土』の第二部の初めにも、きよ子にふれた記述があります。そしてきよ子の家族に会ってから四十余年後の2013年に石牟礼は、「花の文(ふみ)を─寄る辺なき魂の祈り」で改めて、きよ子をめぐって書くのです。この作品には『苦海浄土』という作品全体を象徴する次のような一節が記されています。

「きよ子は手も足もよじれてきて、手足が縄のようによじれて、わが身を縛っておりましたが、見るのも辛うして。
 
それがあなた、死にました年でしたが、桜の花の散ります頃に。私がちょっと留守をしとりましたら、縁側に転げ出て、縁から落ちて、地面に這うとりましたですよ。たまがって駆け寄りましたら、かなわん指で、桜の花びらば拾おうとしよりましたです。曲った指で地面ににじりつけて、肘から血ぃ出して、
 
『おかしゃん、はなば』ちゅうて、花びらば指すとですもんね。花もあなた、かわいそうに、地面ににじりつけられて。
 
何の恨みも言わじゃった嫁入り前の娘が、たった一枚の桜の花びらば拾うのが、望みでした。それであなたにお願いですが、文(ふみ)ば、チッソの方々に、書いて下さいませんか。いや、世間の方々に。桜の時期に、花びらば一枚、きよ子のかわりに、拾うてやっては下さいませんでしょうか。花の供養に」
(「花の文を─寄る辺なき魂の祈り」『中央公論』2013年1月号)


トップにもどる NHKテキストビュー記事一覧


続きを読む


このエントリーをはてなブックマークに追加