『苦海浄土』とは何か──水俣病患者たちの声なき声 (1/3) 〈NHK出版〉|AERA dot. (アエラドット)

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『苦海浄土』とは何か──水俣病患者たちの声なき声

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NHK出版

1969年に出版された『苦海浄土』は、翌70年の第一回大宅壮一ノンフィクション賞に選ばれるも、石牟礼道子(いしむれ・みちこ)は受賞を辞退しました。その理由は公表されていませんが、大きく二つあるのではないか、と批評家の若松英輔(わかまつ・えいすけ)さんは考えます。

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一つは、この作品がいわゆる「ノンフィクション」ではないこと、そしてもうひとつは、自分はこの作品の真の作者ではない、と彼女が感じていたところにあるように思われます。
近代文学では通常、作者がいて作品がある、作品は作者に属するものである、と考えられます。社会的にはもちろんその通りなのですが、『苦海浄土』をめぐっては、本質的にはそれとは異なる意味があります。少なくとも石牟礼にはそう感じられていたように思われます。『苦海浄土』は水俣病の患者たちが本当の語り手であって、自分はその言葉を預かっただけなのだ、という強い自覚が彼女にはある。表現を変えながら彼女は様々なところで、水俣病の患者たちは、言葉を奪われて書くことができない、自分はその秘められた言葉の通路になっただけだと語っています。
ノンフィクションでなければフィクションなのか、ということになりがちですが、私たちは、そもそも文学を、ノンフィクション、フィクションで二分しなくてはならないのでしょうか。
作家の遠藤周作が新約聖書にふれ、この書物は、文学としても、もっとも優れた作品であるといい、そこには事実だけではなく、その奥に秘められた真実も描かれていることを読者は忘れてはならないと語っていましたが、同じことは『苦海浄土』にもいえると思います。
この作品の成り立ちをめぐって彼女と話をしたことがあります。そのとき、彼女は、現代詩の枠組みを超えた新しい「詩」のつもりで書いた、と語っていました。


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