2014年1月に家族関係をつづったエッセイ『「自分」がしんどい』(新潮社)を刊行するタレントでエッセイストの小島慶子さんは、母と娘の間に感じていた確執をこう語る。

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「さわらないで!」

 30歳のとき、産んだばかりの長男を強く抱く母に嫌悪感を覚えました。その後、母が連絡してくるたびに私は熱を出し、夫や子どもに八つ当たり。わき起こる強い怒りに、自分が恐ろしくなりました。

 33歳で次男を妊娠し、育児カウンセリングを受けて、初めて、怒りは「母と家族への抑圧された思い」と知りました。「苦しんでいい」とカウンセラーに言われてほっとしました。毎日3時間も母と言い争っていたなんて、私はひどい娘だったのでは……という罪悪感がありましたから。

 幼稚園のころ、運動会の絵が先生に褒められても、「ママ、こんな髪形じゃないわ」と言われる。中学のとき、友達を父親の職業で判断されて腹が立ち、何時間もかけてやめるよう説得した翌日、また「あの子のお父さん、二流企業だからダメね」。私がいら立ちを爆発させると「何が不満なの?」。母は祖母から愛情を得られなかった分、娘を自分の愛情に浸し切っていたのに、それが娘に通じないことにいら立っていました。

 それでも私がいちばん安心できるのは母の腕の中。いい大学に入り、1部上場企業に勤めて結婚する。母の期待通りの幸せを手に入れ、喜ばせたかった。

 
 15歳のときに、年の離れた姉が結婚して家を出ました。それからは母の関心が私に集中するのが恐くて拒食になり、その後、過食と嘔吐を繰り返すように。母は知っていましたが、「吐きたくなるほど悩んでいるのか?」と聞いてきたことはありません。

 見たいものしか見ない人でした。娘は自分の延長線上にいる味方で、喜びも悲しみも一緒に信じて疑わない。悪気はなくて、ただ無邪気で無神経なんです。母と分かり合えないモヤモヤを父にぶつけると、「家の中はまるくて温かいほうがいいから、けんかはやめて」。解決になりませんでした。

 社会に出て一人暮らしを始めても母の過干渉は変わらず、私の番組を全部見て「あの服は似合わない」「今日は目の下にくまがあった」とダメ出しの連続。発狂しそうでした。

 次男出産後、職場復帰への不安も重なって不安障害に。カウンセリングで親子関係を見直した結果、私は母を、そして家族を「諦める」ことにしました。母を変えられないが、自分は変えられる。そうすれば見え方も変わる。その後7年間、母に会いませんでした。

 
 母を名前を持った一人の人間として眺めるようになり、やっとわかりました。彼女は幸せになろうとベストを尽くしたけれど、そのやり方が互いを苦しめる形だった。もっと早く距離を置けばよかったけれど、私も「家族を突き放してはいけない」という強烈な呪縛に囚われていた。罪悪感を抱えたくないから「なぜわかってくれないの」「親子なんだから察してよ!」とぶつかっていました。

「いい人だけどちょっと面倒」な相手は2~3カ月に一度会うのがちょうどいい。親も距離を置いていい。それは、互いが解放されて自由になることです。

 母への感謝もたくさんあります。私が死にたくなるほど追いつめられても自殺しなかったのは「人生に期待しなさい」と母が言い続けたからです。

 今年の春、10年ぶりに世間話をしました。別れ際、「今日は楽しかったよね?」と聞かれた。変わったなと驚きました。今、母への怒りはありません。

 母は私の発言に傷ついているかもしれないけど、こうして親子関係を明かすのは、他にもある話だと思うからです。同じように悩む人に参考にしてほしい。でもきっと、両親の棺の蓋を閉じるときには切なさや、やり切れなさを引き受けるのだと思います。

週刊朝日  2013年12月13日号