第2回 長谷川健一 『423』 |AERA dot. (アエラドット)

AERA dot.

第2回 長谷川健一 『423』

文・小浜文晶

プロフィール   バックナンバー   ミュージック・ストリート トップへ

このエントリーをはてなブックマークに追加

「煙霧(えんむ)」という何だかキナくさい言葉を初めて知ったいつぞやの休日、ぼくは自室にこもり、コイツをCDトレイに乗せていた。長谷川健一という、およそどこにでもいそうな名前の京都のシンガー・ソングライター、その新しいアルバム『423』だ。そもそもいたずらに外に出て、目鼻をグジュグジュやられては、たまったもんじゃないんで。今日はおとなしく“ハセケン”の歌と膝を突き合わせてやり過ごそう、と決めた次第。

 シンガー・ソングライター作品と休日との蜜月というのは実に甘く興味深いもので…… などとエラそうにご託宣を下すつもりはないが、少なくとも忙しい週日から解放された安らかなひとときに、シンガーソングライターたちが爪弾く音、たたえる空気、そして彼らが発する言葉の強さや含蓄の妙が、ほぐれかけた心や体に面白いまでにジワジワと沁みこんでくる、ということがぼくの場合間々ある。
 逆に言えば余裕がないときなどは、ディクションやメッセージどころか言葉そのものが全く入ってこないというザマで、レビュー原稿を書くことすらおぼつかず…… それゆえ休日の度にソファーに寝転んで、シンガー・ソングライターのCDやレコードをじっくりと味わい、そこにアレコレ思いをめぐらすという習慣が、いつからか身に付いていた。そしてこれは、ある種ぼくの真摯な音楽ライフの生命線にもなっている。
 
 というわけで、腰を据えて真正面から向き合った長谷川健一の『423』。ぼくは2010年の前作『震える牙、震える水』からハセケンの作品を聴き始めたクチなのだが、正直その当時は、彼の本当のすごさというものを理解できていなかった。正確に言えば、彼の歌や言葉の生々しい美しさを半分も感じることができず、また前作にはいくらか即興要素の強い楽曲が並んでいたこともあって、不覚にも(?)そっちの面白さばかりに耳をとられてしまっていたのだ。

 訊けば長谷川健一は、尾崎豊、ジェフ・バックリー、カーティス・メイフィールドなどに夢中になる傍ら、阿部薫やデレク・ベイリーといったフリージャズ~インプロヴィゼーション系の音楽にもどっぷり漬かっていた時期があったというのだから、それはそれで腑には落ちたのだが…… それでもやっぱり、この『423』を聴き込んでいくと、「はぁ、そうかぁ……」と当時の無理解への悔恨とも今ここにある感嘆ともつかぬ声が矢継ぎ早にもれ出てしまう。それは、温もりある在りのままの言葉を、美しく震える声、美しく揺れるメロディにそっと乗せるシンガー・ソングライター、長谷川健一の本当の姿を遅まきながら初めて確認できたことへの無上の喜びに他ならないわけで。窓の外は乳白色の白魔に降りこめられた煙霧の世界なれど、この日を境にぼくにとってのハセケンはとてつもなく視界良好、希望の光、つまりは特別なアーティストへと変わっていった。

 もちろん、今回プロデュースを担当したジム・オルーク(シカゴ出身・日本在住の作曲家/プロデューサー/エンジニア/マルチ奏者)の“マジカル”なアレンジによるところも大きいのだろうし、ゲスト参加の石橋英子(ピアノ)、山本達久(ドラム)、波多野敦子(ヴァイオリン)らが彩りを添えたトータリティな世界にもこれまでにない完成度の高さを感じさせる。

 ただ、「それより何より」と付け加えずにいられないのがこの『423』。いずれにしても長谷川健一の歌声や言葉に尽きるのかなと。美しくて儚くて、あまりに切なかったりもするけれど、しっかりと地に足が着いている。ちゃんと上を向いて歩いている。美辞麗句なんてこれっぽっちも並んでいない。頼もしいけど、守ってあげたい、ぼくやきみの姿がある。

 ソファーに横になりながら、何度も何度もハセケンの歌声を聴く、そんな休日が待ち遠しい。


■長谷川健一 OFFICIAL WEBSITE
http://www.kenichihasegawa.com/


(更新 2013.3.21 )


バックナンバー   コラム一覧   ミュージック・ストリート トップへ

このエントリーをはてなブックマークに追加

プロフィール

小浜文晶(こはま・ふみあき)

ローソンHMVエンタテイメント EC事業部・末端構成員。神奈川県出身。著作なし、キャリアなし、甲斐性なしの三拍子にもかかわらず、音楽好きの人のために何か力添えできることがないかと日々思索するも挫折の繰り返し。HMVオンラインでは、ジャズときどきロック、歌謡記事コンテンツを担当中。

あわせて読みたい あわせて読みたい