わたしは、PMO3カ所のうち、2か所の無人店舗のメンテナンスと、スタッフが常駐していたアルタのシフト管理などを担当していた。わたし以外のスタッフは、この頃、女性だけのロック・バンドZELDA(ゼルダ)にドラマーとして加入した小澤亜子が集めてきた。彼女が当時通っていた日本女子大の友人たち5~6人だった。

 全員、魅力的で、頭のよい子たちだったのを覚えている。仕事は、ビデオ・テープやLDの再生が終わったら、巻き戻して再度再生することと、キャプテン・システムの使い方に迷っている人がいたら、説明してあげるといった程度のものなので、その間は本を読んでもよいということになっていた。その中の1人が、学校の宿題といって、ポケコンを使って勉強しているのを見てわたしは驚いた。彼女は、物理学科だった。最近、亜子と話したら、みんな今でも活躍しているようだ。

 それから亜子に紹介され、レコード会社の依頼でZELDAのライヴ写真を何回か撮影した。ただ残念なことに、すべてカラーのポジで撮影し、レコード会社の担当の方に渡してしまったので、わたしの手元には白黒で撮影したスナップしか残っていない。

 アルタのPMOは、売上のないショー・ルームだった。けれど、ある時を境にしてその役割は大きく変わることになる。

 この頃、ぴあ株式会社が新しい雑誌を発行することになった。「月刊カレンダー」という誌名だった。創刊準備号の表紙を松任谷由実ユーミン)が飾り、創刊号はフランソワ・トリュフォーが飾ったと記憶している。

 その販促ツールとして、卓上カレンダーや月刊カレンダーのロゴ入りセメント袋(こういったものを小脇に抱えるのが流行っていた)などを作製した。それらの販促グッズが好評だったので、PMOで販売しようということになった。販促グッズなんて売れるのだろうか、などという意見もあったが、低価格に抑えたこともあって、これが意外に売れた。毎日、数千円の売り上げになった。調子に乗って、当時、イラストパズル「ぴあパノラマ館」をぴあに連載していた、おおやちきイラストの「ごきぶりぶりぶり」(おおやちきのイラストが施されたごきぶり取り)など、雑誌の読者プレゼントも売った。

 そんなある日、映画『ピンク・フロイド ザ・ウォール』のチケットを売ることになった。ロードショーではなく、イベント型の上映で、わたしの記憶ではアルタのPMOでのみの販売だったはずだ。そのためチケットは次から次に売れ、1日で数十万円の売り上げになることもあった。

 同じスペースで、売り上げゼロから、1日で数十万円も売り上げるようになったのには驚いた。使い方次第なのだな、と思ったものだ。そして、それから2年後の1984年、オンラインでチケットを販売するチケットぴあが開始する。まずは劇団四季のロングラン・ミュージカルの『キャッツ』のチケットを売り始めた。アルタのPMOは、ぴあステーションと名前を変えた。そして『キャッツ』のチケット発売日には、数百万円の売り上げを上げた。
 
 この2~3年の体験は、わたしにビジネスの面白さを教えてくれた。そしてわたしの青春は終わり、社会人へと変貌していった。

[次回5/17(水)更新予定]

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