そんなわけで、わたしが《ブラック・マジック・ウーマン》っていいよね、などと言っていたら、隣のクラスの塩ちゃんという子がレコードを持っているという情報が入ってきた。知り合いを通して塩ちゃんを紹介してもらい、レコードを貸してほしいと頼んだ。彼女は(あ、塩ちゃんは、女の子です)、「シングル盤ですよ。それで、いいですか?」と言って、貸してくれた。たぶん、これが人生で初めてレコードを借りた経験だ。しかも違うクラスの女の子からだ、加えて、わりと可愛い子だった。「これがきっかけで仲よくなったりして」などと、淡い期待を持ったりしたが、「かわりにぼくの持っているレコードを貸そうか」と提案したところ、「けっこうです」と断られ、その後の発展はなかった。

 わたしと同じ年の知り合いで、学生時代にバンドをやっていた人がいる。山梨の学校だったのだが、時折、地元の人に頼まれてライヴ演奏をしていたようだ。
 ある日、「今日は赤坂でライヴだ」と言われ、ついに東京進出だと意気込んでいたら、軽トラックの後ろにバンドごと乗せられ、近くの村に連れて行かれたという。
 それは、近所の赤坂村の祭りのイベント会場だったそうだ。到着すると村のじいちゃんばあちゃんが「楽隊が来た」と言っていた。その祭りのステージで、リーダーが「《サンバ・パ・チ(君に捧げるサンバ)》やるべ」と言って、演奏したのだそうだ。

 もうひとつ、その人が言っていたのは、会社の宴会の席で演奏を依頼されたとき、《サンバ・パ・チ(君に捧げるサンバ)》を弾き始めると、ひとりのおばさんが立ち上がり、踊りながら、服を脱ぎはじめたという。他の社員の反応を見ていると、よくやっているようだったという。そして演奏をしているわたしの友人の所に近づいてきて、ズボンの中にお札を入れてきたという。こんな話がサンタナの演奏と妙に合うのがおかしい。

 1970年にこのアルバムが出た頃、サンタナを日本に呼ぼうという動きがあったが、サンタナからの条件で「マリファナと女を用意しろ」と言われ、諦めたという話しを聞いた覚えがある。その真意はわからないが、このころのサンタナにはそんなイメージがあった。

 ところがその後数年間で、サンタナは宗教との出会いにより、大きく変貌していく。
 73年に来日した時には、コンサートの始まる前に、会場全体で黙祷をするまでに変わっていたのだ。この時の演奏は、『ロータスの伝説』としてレコード化され、その最初に、楽曲《黙祷》として残されている。このレコードは3枚組の大作で、横尾忠則による22枚のイラストが作り上げる、素晴らしいジャケットも素晴らしかった。

 現在に至るまで、サンタナの活動は続いている。

 わたしも、武道館にライヴを見に行ったことがある。
 なんとその日はK1を見に来日していたというエリック・クラプトンが、突然ゲストとしてステージに現れ、数曲演奏したのだ。
 正確な日にちは覚えていないのだが、インターネットで調べたところ、2000年4月28日武道館の追加公演との情報があった。

 なんて、ラッキーな日だったのだろう。

 サンタナは、今でも、素晴らしいアルバムを出し続けている。 [次回3/15(水)更新予定]

■ライヴ情報はこちら。http://udo.jp/concert/Santana