第86回 少年少女にも役立つ、中高年のための夏フェス入門~その2 |AERA dot. (アエラドット)

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第86回 少年少女にも役立つ、中高年のための夏フェス入門~その2

文・小熊一実

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 暑い日が続きますが、もう、夏フェスには行かれましたでしょうか?
 前回第85回で、海外、おもにアメリカのフェスの歴史について簡単に触れたので、今回は、日本のフェスについて書いてみたいと思います。

 日本のフェスの始まりといえば、1969年から1971年にかけて3回開催された全日本フォークジャンボリーであろう。岐阜県恵那郡坂下町(現在の中津川市)にある椛の湖(はなのこ)の湖畔で開催された野外フェスティバルである。

 そのあらましについては、インターネットの「フリー百科事典ウィキペディア」で「全日本フォークジャンボリー」と「第3回全日本フォークジャンボリー」を検索すると、出演者やそこで起こったことなどが、多くは、出典をあげた上で記載されているので、ぜひ、読んでいただければと思う。もっとも「ウィキペディア」は、「サイトにアクセス可能な誰もが無料で自由に編集に参加できる」といった趣旨のものなので、完全に鵜呑みにはできないことには、注意しておいてほしい。わたしも、いくつかの出典と読み比べてみたが、その出典からの引用ではなく、参考にして書いているものが多いようだ。つまり、文章をそのまま書き写しているわけではなく、内容を参考にしているといった状況だ。

 さて、そこで知ったのだが、第1回の「全日本フォークジャンボリー」は、1969年8月9日と10日に開催されたのだが、アメリカの「ウッドストック・フェスティバル」が開催された1969年8月15日から17日よりも、早かったというのに驚いた。

 もっとも、日本の第1回「全日本フォークジャンボリー」の出演者を見ると、フォークジャンボリーの名にふさわしく、フォーク系のアーティストばかりである。
《遠い世界に》の五つの赤い風船や、《自衛隊に入ろう》と歌っていた高田渡、フォークの神様と呼ばれた岡林信康もギター1本で歌っていた頃だ。ロックに近いといえば、ジャックスくらいだろうか。《サルビアの花》の作曲者として知られる早川義夫率いるロックバンドだ。
 これらを考えると、ウッドストックより先に開催されたというよりは、ボブ・ディランなどが出演していた1963年から65年に開催された「ニューポート・フォーク・フェスティバル」などを追いかけているようにも思える。

 第2回「全日本フォークジャンボリー」になると、岡林信康が、バックにはっぴいえんどを率いて登場する。まるで日本のボブ・ディランのように、フォーク歌手からロック歌手のように変身した。しかも、はっぴいえんどのソロ演奏も残っている。いうまでもないが、はっぴいえんどとは、YMOの細野晴臣、『ロング・バケーション』の大瀧詠一、松田聖子の作詞などで知られる松本隆などが参加していたス-パー・グループだ。わたしが若い頃には、これらの演奏があったという情報は知っていても、なかなか聴く機会がなかったが、今ではこれらもCDで聴くことができる。

 そして、71年の第3回「全日本フォークジャンボリー」。このときの実況録音盤(古い言い方だね~)を、わたしは何度聴いたことか。このときの記録映画も残っているのだが、残念ながら、映画『ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間』のような演奏画像のたくさん入った傑作映画とはなっていない。しかし、レコードの方は、それらの素晴らしい演奏を記録している。

 ここに入っているはっぴいえんどの《かくれんぼ》と《春よこい》は、必聴である。このライヴレコードの中で、《かくれんぼ》が終わって《春よこい》が始まる間、「ええど、ええど」といっている客がいるのだが、後年、この声が当時、高校生だった役者の佐野史郎だと知って、嫉妬を感じたものだった。わたしも、生で聴きたかった~。

 それから、岡林信康は、柳田ヒロ・グループを率いて《それで自由になったのかい》を演奏している。今ではCDで他の曲の演奏も聴けるが、当時のLPでは、この一曲しか聴くことができなかった。

 そして一番ショックだったのが、28歳の吉田拓郎が歌う《人間なんて》だ。小室等率いる六文銭とともに、激しい演奏を繰り広げる。これは、ロックではないか!と思ったものだ。

 後年、『エレックレコードの時代』というCD付きの本で、このときの状況を知る。少し長いが、面白いエピソードなので紹介したい。拓郎はすでに人気者であったのだが、規制を受けないサブステージを気に入っており、

「寝転んで酒を飲みながら、歌を聴き、やがて起き上がってみずからステージに立った。『人間なんて』を歌い始めると小室等と六文銭がそれに和した。武蔵野タンポポ団のユニットで来ていた山本コータローも参加した。その演奏の途中で突然電源が落ちてしまうというハプニングに見舞われる。ギターアンプもスピーカーも鳴らなくなったが、拓郎はやめなかった。あたかも音響システムなどないほうがいいとでもいわんばかりに地声で歌いつづける。なにかに憑かれたように延々と歌う拓郎に客が次第に集まり始め、その観客をまた巻き込んでの歌声が広がっていき、その数は、どんどん膨らんでいった。行きかう人がみな足を止め、歌い始め、ものすごい大合唱になった。「人間なんて」。たしかにこの単純な歌詞の繰り返しには呪詛的な要素もあるので、酒の酔いも手伝い、一種のトランス状態が現出したのだろう。「メインステージを潰せ!」誰かが叫ぶと多くの人間がメインステージに殺到し、大混乱となった。それを無視するように拓郎は歌いつづける。この演奏時間を90分くらいという人もいれば2時間という人もいる。歌とも叫びともつかぬ高まりのうちに全員がふらふらになって1曲が終了した。」

 こんなドラマが、フェスでは起こるのだ。

 このあと拓郎は、1975年の8月2日から3日までの2日間『吉田拓郎・かぐや姫 コンサート インつま恋』として、12時間、夜通しのライヴへとつながっていく。

 古い話が続いたので、最近行ったフェスでの話をしよう。フェスでは様々なお店が出ていて、それも楽しみだ。グッズや食べ物、ビールも売っている、ボディコンのお姉さんがビールの呼び込みをしていて、いっしょに写真を撮ったりできる。
 わたしは、広島風お好み焼きをビールといっしょに食べながら、となりに座っていた女の子2人組をナンパした、いや、インタビューした。

――そのおそろいのTシャツは、家から着てきたの?ここで買ったの?
「ここで、買って着替えたんです」
――どこから来たの?
「群馬の前橋です、うふふ」
――朝、早かったんだ。
「はい、在来線で来ました」
――誰が、お目当てなの?
「◯◯です。でも、一番最初にやっちゃったんで、もう、終わっちゃいました、うふふ。これから、どうしようかな?」
――写真撮っていい?
「いいですよ。載るんですか?」
――たぶん、載らないと思うな。会場での写真は、主催提供のものに限る、といわれてるんだ。
「なあんだ、つまんない!」

てなかんじで、女の子との会話も弾みました。

 中高年諸君、夏フェスは、若者だけのものではないですぞ!

 はじめは、夏フェスに行く時の参考になるようなことを書こうと思っていたのだが、フェスの主催者によるアドバイスなど、よくできているので、それは、そちらを紹介することにとどめよう。(フェスの必需品☆服装(ファッション)と持ち物

 夏はこれからだ!楽しみましょう![次回7/29(水)更新予定]

■情報として、主なチケット販売会社のフェス特集を紹介しておこう。
●チケットぴあ フェス2015
http://t.pia.jp/feature/music/musicfes/
●e+(イープラス) 日本全国フェス一覧とフェスを100倍楽しむ方法。
http://eplus.jp/sys/web/s/festival/index.html
●ローソンチケット 野外フェス・音楽フェス情報 2015
http://l-tike.com/fes/


(更新 2015.7.15 )


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プロフィール

小熊一実(こぐま・かずみ)

 1956年生まれ。プロデューサー。このサイトの前身「JAZZ STREET」に引き続き、「Music Street」の企画編集を担当。ジャズ、ロックはもちろん、クラシック、歌謡曲からアヴァンギャルドまで、聴きまくっている音楽狂。音楽以外にも、落語会やロボット・イベント、映画も製作している。ここでは、ジャンルを超えて、趣味に走ったライヴ情報をお届けしたい。補足情報をfacebookに掲載します、見て下さい。https://www.facebook.com/kazumi.koguma

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