このアルバムに収められた曲の中に《一千一秒物語》というタイトルの曲がある。これは、1923年に出版された稲垣足穂の作品のタイトルと同じだ。これを見て、彼が文学少年だったのだなと確信した。

 そして、次のシングル《赤いスイートピー》は、作曲、呉田軽穂だ。この呉田軽穂は、松任谷由実の別名だ。そして、編曲が松任谷正隆。もちろん、作詞は松本隆だ。
 つまり、ユーミンの世界を松田聖子が歌ったことになる。
 ユーミンは、1973年11月に荒井由実の名でファースト・アルバム『ひこうき雲』を出している。このアルバムには、細野晴臣もベースで参加していた。

 その後のアルバムでも、複数の作曲家が曲を提供しているが、シングルだけを見ていくと、《渚のバルコニー》(82年4月21日)、《小麦色のマーメイド》(82年7月21日)と呉田軽穂作品が続く。

 次の《野ばらのエチュード》(82年10月21日)は、チューリップの財津和夫の作曲。そして、《秘密の花園》(83年2月3日)が、再び呉田軽穂の作曲だ。

 そして、83年4月27日に《天国のキッス》が発売される。この曲で、細野晴臣―松本隆のはっぴいえんどコンビが復活する。編曲、ベース、キーボードも細野が担当している。
 次の《ガラスの林檎》(83年8月1日)も細野の作品だ。

 ちなみに、このB面の《SWEET MEMORIES》(同)は、ビールのCMに使われたが、当初、歌手名を出さずに使ったところ、問い合わせが殺到して、両A面扱いに変更して再発し、こちらもチャート1位になった。
 このCM、覚えている方も多いと思うのだが、アニメのペンギンが出てくるものだ。
 わたしの友人で、この頃このビール会社につとめていて、ペンギン・グッズの販売を担当していたという人がいる。様々な企業の昼休みに、社員食堂などに行って、このペンギン・グッズを販売したところ、女子社員が群がるように集まってきて、飛ぶように売れたという。ある日を機会に、まったく売れなくなったというが。
 以後、呉田軽穂、細野晴臣の作品が続き、《ハートのイアリング》(84年11月1日)では、松本隆作詞、Holland Rose作曲となる。ちなみに、Holland Roseとは、佐野元春の別名だ。
 この曲を最後に、しばらく、松本隆の作詞ではなくなる。

 もちろん、この後も、松田聖子のヒット曲は続き、アメリカへの進出も果たす。
 一方、私生活でも結婚、出産、離婚、再婚……と話題を提供するが、歌詞のイメージも加え、泣き虫でぶりっこの聖子ちゃんが、たくましいひとりの女性として、同性からも愛され、尊敬されるスターへと変貌していった。

 その後、自作曲、自己プロデュースへと向かっていく。
 そして、現在でも毎年ライヴを行い、その映像も発売されている。
 2013年には、武道館公演100回目を記録し、女性アーティストとしては歴代1位となっている。また、年末12月31日のカウントダウン・コンサートも恒例となり、そのDVDも発売されている。
 そしてこれらのライヴでも、この松本隆時代の曲が歌われている。

 日本語のロックを切り開いたといわれたはっぴいえんどのメンバーは、実は歌謡曲の世界でも、新しい地平を切り開いていたのだと思う。

 また、松田聖子という、たぐいまれな歌唱力とセンスをもったシンガーが活躍することで、日本のポップスも進んできたのだと思う。
 今年も、松田聖子のライヴが始まる。[次回6/11(水)更新予定]

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