女性アーティストのアルバムで、当時、持っていたものを思い出すと、ジャニス・ジョプリンの遺作『パール』とキャロル・キングの『つづれ織り』くらいしか思い出せない。シングル盤では、友人から50円で買ったジョーン・バエズの《ドンナ・ドンナ》、メリー・ホプキンの《悲しき天使》《グッド・バイ》といったところだ。アイドルと言ってよいのは、メリー・ホプキンだけか。

 しかし、中学時代から女の子と映画を見に行ったりしていたのだから、奥手ということもないと思う。といっても、どきどきしながら手をつなぐのがせいいっぱいだったのだが。

 たぶん、歌手や女優に、自分の恋愛対象を求めるという傾向が、わたしにはなかったのだと思う。好きな女優は? と聞かれて、オードリー・ヘプバーンやカトリーヌ・ドヌーブと答えていたが、今思えば、現実と夢が同居していたのかもしれない。

 松田聖子が《裸足の季節》で歌手デビューしたのは、1980年の4月。わたしが社会人になった年だ。このころの松田聖子に関するわたしの記憶では、八重歯とえくぼだったように思う。ということは、今の歯は……。それ以上の詮索はやめよう。

 松田聖子は、その後《青い珊瑚礁》をはじめ、ヒットを連発していく。すぐに泣いてしまうことから、ぶりっこなどといわれていたが、当時、活気があった歌謡番組の常連として、毎日のようにテレビに登場していた。
 だが、その頃のわたしにとって、まだ特別な存在ということではなかった。

 わたしが松田聖子を特別な存在として意識したのは、『風立ちぬ』からだ。
 シングル盤の《風立ちぬ》は、81年10月7日の発売。デビューから1年と半年。7枚目のシングルだ。
 まず驚いたのは、作曲が大瀧詠一だったことだ。次に、作詞が松本隆ということだ。これはまるで、はっぴいえんどの曲ではないか!

 はっぴえんどは、細野晴臣、大瀧詠一、鈴木茂、松本隆の4人のメンバーで、1970年に『はっぴいえんど』でデビューし、71年『風街ろまん』、73年に3枚目のアルバム『HAPPY END』を発表し解散しているバンドだ。その後、ライヴやイベントへの参加はあるが、レコーデイングはしていない。

 松本隆が、アグネス・チャンの《ポケットいっぱいの秘密》の作詞をしたのは、細野晴臣、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆らが結成したティン・パン・アレーの不二家のペコちゃんに似た女の子のイラストのジャケット『ヒストリー』に入っていたので知っていた。当時は、キャラメル・ママとして編曲でも参加していた。

 松本隆が、太田裕美の歌った《木綿のハンカチーフ》のヒットで、歌謡界に入ったことは知った。しかも、作曲は筒美京平だった。筒美京平については、いずれ書く機会があると思うので、ここではふれない。

 さて、シングル《風立ちぬ》で、大瀧―松本コンビが復活しただけではなかった。アルバムも作っていたのだ。
 アルバム『風立ちぬ』は、81年10月21日の発売だから、シングルが発売されてまもなく発表されている。
 買ってから知ったのであるが、アルバムのA面(当時はLPだから、A面とB面があった)の5曲すべてが、大瀧詠一の作曲、多羅尾伴内の編曲だ。もちらん、多羅尾伴内は、大瀧詠一のアレンジャーとしての別名だ。
 それだけではない。B面の5曲全曲が鈴木茂の編曲であり、1曲だが、鈴木の作曲もある。アルバム全体が、はっぴいえんどのメンバーによって作られている。足りないのは、細野晴臣だけではないか。

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