第61回 松田聖子を取り巻いていた、はっぴいえんどを中心とする音楽家たち (1/3) |AERA dot. (アエラドット)

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第61回 松田聖子を取り巻いていた、はっぴいえんどを中心とする音楽家たち

文・小熊一実

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 わたしは松田聖子を、日本が生んだ最初の大物ポップ・シンガーだと思っている。
 それまでも、ポップスと呼べるものがなかったわけではない。たとえば1960年代、漣健児が訳詞をした一連のアメリカン・ポップスで、日本のポップス史ははじまったと言ってもいい。
 日本人は、坂本九《ステキなタイミング》、飯田久彦《ルイジアナ・ママ》、中尾ミエ《可愛いベイビー》、弘田三枝子《ヴァケイション》をはじめとする一連の作品をテレビのバラエティ歌謡番組で聴いた。スタジオの中では、オープンカーに乗ったおしゃれなお兄さんやお姉さんが、楽しそうに、からだを揺らしながら歌ったり踊ったりしていた。サングラスは必須アイテムだった。サングラスを頭にさしている女の子もけっこういた。ミニスカートでツイストなんかを踊っていた。といってもその当時、子供のわたしから見たら、女の子というよりは、かなりお姉さんだったが。
 しかしそれは、日本語で歌われながらも、どこかアメリカの音楽というイメージだった。

 わたしが同世代の歌手としてはじめて認知したのは、森昌子だった。
 1972年の初夏だった。高校1年生の時だ。クラスの同級生が新聞に載っていると話題になった。その地元紙を見ると、《せんせい》でデビューした森昌子が、地元、栃木県宇都宮市の二荒山神社の境内で、今でいうリリイベ(リリース・イベント)のライヴをやったという。その新聞記事の写真の真ん中に、ロープにすがりつくようにして森昌子を見ている彼の姿があった。この写真によって、身近なところからスターが生まれたことを知った。ちなみに、森昌子はわたしより2才年下だ。

 それからしばらくして、ある友人の家に行ったとき、彼の部屋一面に麻丘めぐみの写真やポスターが張り巡らしてあるのに驚いた。特に、ベッドの上の天井に、等身大より大きいのではないかと思える全身のポスターが貼ってあるのには、恐怖さえ感じた。

 南沙織の《17才》や麻丘めぐみの《わたしの彼は左きき》など、わたしも好きであった。しかし、レッド・ツェッペリンやビートルズ、あるいは、ピンク・フロイドやキング・クリムゾンにかぶれている17才の男子高校生にとっては、麻丘めぐみのポスターを部屋に貼るわけにはいかなかったのだ。当時、レコードにはポスターがついていたりしたものもあったのだが、わたしが壁に貼るのは、シカゴやサンタナのポスターだった。
 奥手だったのだろうか?


(更新 2014.6. 4 )


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プロフィール

小熊一実(こぐま・かずみ)

 1956年生まれ。プロデューサー。このサイトの前身「JAZZ STREET」に引き続き、「Music Street」の企画編集を担当。ジャズ、ロックはもちろん、クラシック、歌謡曲からアヴァンギャルドまで、聴きまくっている音楽狂。音楽以外にも、落語会やロボット・イベント、映画も製作している。ここでは、ジャンルを超えて、趣味に走ったライヴ情報をお届けしたい。補足情報をfacebookに掲載します、見て下さい。https://www.facebook.com/kazumi.koguma

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