第36回 Dream Powerジョン・レノン スーパー・ライヴ2013 その2 |AERA dot. (アエラドット)

AERA dot.

第36回 Dream Powerジョン・レノン スーパー・ライヴ2013 その2

文・小熊一実

プロフィール   バックナンバー   ミュージック・ストリート トップへ

このエントリーをはてなブックマークに追加

 あるお寺で、お坊さんの講話を聞いた。
 お坊さんは、キリスト教の世界的に偉い方とお会いしたと話をした。他にも、何人かの世界的に高名な方たちとお会いした話もしてくれた。
 わたしは、その方たちと会って、彼は、どんな印象を持ったのか、期待をして聞いていたのだが、彼は、こんな偉い方たちと会ったことがある人が、この中にいますか?と尋ねた。もちろん、一人もいなかった。それを見て、彼は、そんな方々と、わたしは会ってるんですね、と言った。自慢をしたかったのかなと思った。そして、話は、そこまでだった。

 と、前振りをしておいて、話しにくいのだが、わたしは、ジョン・レノンを見たことがある。いや、正直に言うと、さわったことがある。
 大学生のころ、わたしは、アルバイトをたくさんした。それも、できるだけ効率のよい仕事を探していた。
 その中のひとつが、地下鉄御成門駅の近くにある東京美術倶楽部での催事の準備。多くの骨董屋さんが、あつまる大掛かりな骨董市の準備だ。
 今は、立派なビルディングになっているが、当時は、大きな木造の建物で、まるで旅館のようだった。
 そこの長い廊下に、巻かれた緋毛氈をのばしていったりするのが、わたしの仕事だった。
 そんな、ある日、1977年ころだと思う。一人の中年の方が、わたしに、別なアルバイトをやらないか?と声をかけてくれた。
 それは、そこで週末に開催される骨董の即売会の見張りの仕事だった。
 それまでの仕事内容は、その骨董市の展示のための下準備だったのだが、この仕事は、実際の展示での見張りだった。わたしは、基本的に裏方の仕事をしようと思っていたのだが、自分の準備した催事がどのように行われているのか見ておくのもよいだろうと思い、請け負うことにした。といっても、その骨董屋さんの2メートルくらいの販売コーナーの前を行ったりきたりして、骨董に触って壊したりしないように見ていればよい仕事だった。

 そんなとき、時々、周囲がざわつくときがある。骨董好きの有名人が現れたときだ。
 一人は、向田邦子だった。当時のわたしは、まだ、彼女のよい読者ではなかったので、「あれが、『時間ですよ』の脚本家か」くらいの印象だった。今のわたしは、向田邦子の大ファンである。
 そして、その次に来たのが、ジョン・レノンとオノ・ヨーコだった。
 当時の東京美術倶楽部は、日本家屋だったので、二人とも靴を脱いで和室や木の廊下を歩いていた。ジョンは、サングラスをしていたように記憶するが、曖昧でもある。
 誰かが、サインをねだった。ジョンは、丁重に断っていた。次に、握手を求める人がいた。これも、丁重にお断りされていた。
 次の人が、写真を撮ってよいかたずねた。ジョンとヨーコは、その方を挟んで、お供の人にカメラを渡した。その方は、ジョンとヨーコにはさまれた自分の写真を手に入れたわけだ。
 わたしは、小学校、中学校と写真部の部長だった、にも、かかわらず、そのとき、カメラを持っていなかった。
 ジョンとヨーコが、わたしの売り場の前に来た。わたしは、なにを思ったか、見張りをしているような振りをしながら、ジョンに軽く、ぶつかった。ジョンは、少し振りむいて、なにが起こったのだ、というような顔をした。わたしは、さりげなく「ソーリー」と謝罪した。これが、わたしとジョン・レノンが接触した現実のすべてだ。その日、わたしは、風呂に入らなかった。
 最初に、思ったことだが、有名な人に会ったという、それも、自慢にもならないような話になってしまった。申し訳ありません。

 ところで、最近、『ダブル・ファンタジー ストリップト・ダウン』というCDを聴いた。
 ジョンのアルバムは、何度かリマスターされていて、そのたびに、音の違いが取りざたされているが、2010年のリマスターの際に、『ダブル・ファンタジー』のネイキッド盤とでも呼ぶべきアルバムとして作られたのがこの作品だ。これは、リマスターの音の違いというレベルではなく、印象が異なるほどの作品であり、別物ともいえる内容だ。
 ジョンには、生前発表されたアルバムのほかに、未発表曲や未発表バージョンの楽曲が、亡くなった後もたくさんリリースされている。これは、もちろんヨーコのプロデュース力によるところが多いと思う。
 この『ダブル・ファンタジー ストリップト・ダウン』も、ヨーコの提案で始まった企画という。元のアルバムにあった女性コーラスや装飾音をなくし、あたかも一発どりで録音されたような味わいになっている。ジョンは、《アイ・アム・ザ・ウォーラス》のように、自分の声を加工するのが好きだったようだが、未発表バージョン、デモ・バージョンなどで聴かれる、加工していないジョンのリアルな声のほうが説得力をもつというのも、事実だ。

 また、そこには、楽曲のよさもあるのだと思う。ギター1本で演奏しても、素晴らしいのだ。
 10代でデビューし、すべての発言から私生活まで記録されてきたジョン・レノンではあるが、自ら意識して残していたようにも思える。
 家の中で、一人でギターを弾き作曲をした音源の量の多いこと。
 また、レコーディングの風景だけでなく、私生活の記録のために写真をたくさん撮らせていたことも、何冊かのプライベートな写真集が出版されているのでわかる。
 たぶん、人類史上、もっとも多く記録された人間の一人ではないだろうか。
 これらが、発表されているのも、ヨーコの才覚の一つとわたしは思っている。
 そのヨーコの企画の一つがこのコンサートだ。
 このライヴの趣旨は「『どんな些細なことでも夢を持つこと。それが世界を変えていく大きな力となるのです』というオノ・ヨーコさんの提唱により、学校建設ほか教育に恵まれない世界の子どもたちを支援するチャリティ・コンサートです。」と書かれている。
 今は亡きジョン・レノンを活かし続けているのは、やはり、妻オノ・ヨーコなのであろう。
 今年も、ジョンの命日がやってくる。[次回11/27(水)更新予定]


■公演情報は、こちら
http://www.dreampower-jp.com/


(更新 2013.11.20 )


バックナンバー   コラム一覧   ミュージック・ストリート トップへ

このエントリーをはてなブックマークに追加

プロフィール

小熊一実(こぐま・かずみ)

 1956年生まれ。プロデューサー。このサイトの前身「JAZZ STREET」に引き続き、「Music Street」の企画編集を担当。ジャズ、ロックはもちろん、クラシック、歌謡曲からアヴァンギャルドまで、聴きまくっている音楽狂。音楽以外にも、落語会やロボット・イベント、映画も製作している。ここでは、ジャンルを超えて、趣味に走ったライヴ情報をお届けしたい。補足情報をfacebookに掲載します、見て下さい。https://www.facebook.com/kazumi.koguma

あわせて読みたい あわせて読みたい