第67回 『ザ・ブリーズ~アン・アプリシエイション・オブ・J.J.ケイル』エリック・クラプトン&フレンズ |AERA dot. (アエラドット)

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第67回 『ザ・ブリーズ~アン・アプリシエイション・オブ・J.J.ケイル』エリック・クラプトン&フレンズ

文・大友博

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 本連載の第1回目で書いたとおり、2014年2月に行われた通算20回目の来日公演に際してクラプトンは、「これが最後のツアーになるだろう」というメッセージを公式に表明している。ところが、ツアー終盤の大阪でそのことを確認すると、「あくまでもプラバブリィ」と笑っていた。そして、「最近はレコーディングが楽しくて」とも語っていた。

 それから5カ月後に届けられたアルバム『ザ・ブリーズ~アン・アプリシエイション・オブ・J.J.ケイル』は、とりあえず重荷を下ろすことを決断した結果として、あらためて得ることとなった制作意欲の成果といえるかもしれない。

 正式名義は、エリック・クラプトン&フレンズ。2013年7月26日、74歳でこの世を去ったケイルのために、たくさんの仲間たちとつくり上げた作品だ。サブタイトルの「アプリシエイション」からは、単なるトリビュートや追悼ではなく、正当な評価とか、深い感謝といった気持ちが伝わってくる。仙人的な生き方を貫いたこともあり、過剰とも思えるほどに過小評価されてきた本物のアーティストの音楽に同じ想いを持つ友人たちと向きあい、あらためて、多くの人たちに届けたい。そんなことを考えたのだろう。

 記録によれば、2013年3月から6月にかけてクラプトンは、クロスローズ・ギター・フェスティヴァルやロイヤル・アルバート・ホールでの連続公演を含む米国/欧州ツアーを行ない、7月はオフの状態にあったようだ。ケイルの健康状態がよくないことは、『クラプトン』の制作時、彼が途中で降りたことからもうわかっていた。ある程度は予期していたはずであり、訃報に触れるとすぐ、行動を起こしたと思われる。

 翌月には、サンタモニカのギター・ショップで行なわれたパーソナルな追悼コンサートに参加。選曲を進めながら、ウィリー・ネルソン、マーク・ノップラー、トム・ペティ、ジョン・メイヤー、サンタモニカでのイベントの主役だったドン・ホワイト(日本ではほとんど知られていないが、ケイルとも交流のあったナッシュヴィル系のベテラン)、グレッグ・リース、ドイル・ブラムホールⅡ、デレク・トラックス、アルバート・リー、デイヴィッド・リンドレイ、ジム・ケルトナー、ネイザン・イーストらに声をかけ、フレンズのラインナップを固めていった。そして、その年の秋にはもうレコーディングに着手し、13年来日公演の前にはほぼ完成させていたようだ。

 取り上げられているのは、《コール・ミー・ザ・ブリーズ》、《ライズ》、《センシティヴ・カインド》、《マグノリア》など、公式にケイル版が残されている曲が13(このうち1曲はカヴァー)、《トレイン・トゥ・ノーホエア》など未発表が3曲。ここでクラプトンは、アプリシエイションという言葉に込めたコンセプトを追求するため、基本的には、「独自の解釈」といった手法や概念を排している。キーも、語り口も、構成も、尺も、フェイドアウトの感じも、オリジナルの感触をほぼ崩さず、そのうえで、ケイルへの感謝、称賛の気持ちを表現しているのだ。

『ザ・ブリーズ』での彼は、また、プロデューサー/オーガナイザーの立場に徹し、ヴォーカルもギターも、多くのパートを仲間たちに委ねている。どこかクロスローズ・ギター・フェスティヴァルともつながるスタンスであり、これは、70代以降の創作活動の方向性を示唆するものなのかもしれない。[次回9/30(水)更新予定]


(更新 2015.9.16 )


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プロフィール

大友 博(おおとも・ひろし)

 1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など。

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