第36回 『ジャスト・ワン・ナイト』エリック・クラプトン |AERA dot. (アエラドット)

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第36回 『ジャスト・ワン・ナイト』エリック・クラプトン

文・大友博

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 1979年6月24日、ワシントン州シアトルで行なわれたエリック・クラプトンのコンサートは、カール・レイドルを中心にしたアメリカ人バンドと彼にとって、最後の公式ステージとなった。このあとクラプトンは、プロコル・ハルムのゲイリー・ブルッカーが彼の自宅からも近いサリー州フォレストグリーンで経営していたパブ、ザ・パロット・インに入り浸るようになる。おそらく毎晩、表現は悪いが、酒を浴びるように飲みながらのジャム・セッションを楽しんだ。

 レイドルやジェイミー・オルデイカー、ディック・シムズを解雇したあとのバンドは、このドリンキング・セッションから生まれた。79年前半のツアーからアルバート・リーは残り、キーボードはゲイリー・ブルッカーと、ジョー・コッカーのバンドなどで活躍していたクリス・ステイントン、ベースのデイヴ・マーキーとドムラスのヘンリー・スピネッティはセッション系のミュージシャンという編成だった。全員、『モンティ・パイソン』の笑いが理解できる英国人だ。

 9月7日、サリー州からスタートした新バントとのツアーは、旧共産圏も含む欧州を回ったあと、タイ、フィリピン、香港をへて日本に上陸(ブルッカーは同行しなかった)。東京・大阪だけでなく、水戸、名古屋、札幌、京都、広島、北九州などにも立ち寄ったこのツアーから、彼らは2枚組のライヴ盤を残している。『ジャスト・ワン・ナイト』だ。

 収められているのは、《アフター・ミッドナイト》、《コケイン》、《ワンダフル・トゥナイト》、《レイ・ダウン・サリー》などソロ活動開始後のヒット曲と、《ランブリング・オン・マイ・マインド》、《ファーザー・オン・アップ・ザ・ロード》などのブルース・スタンダードを中心にした14曲。

 ジャケット写真でも強烈な存在感を放っている愛器ブラッキーで、クラプトンは素晴らしいソロを聞かせている。ザ・バンドとの共演から生まれた《オール・アウア・パスト・タイムズ》には、アルバート・リーのギターとヴォーカルを得て新たな味わいを加えている。たしかに聴き応えのあるアルバムであり、ヒットも記録しているのだが、個人的にはどうしても、カール・レイドルたちとこういう録音を残してほしかったと思ってしまう。クラプトン本人も、どこかでそう思っていたのではないだろうか。

 オクラホマ州タルサ生まれのベース奏者カール・レイドルは、1969年、ディレイニー&ボニー&フレンズの一員としてクラプトンと出会った。その後、初ソロ作品、ドミノス、復活以降のソロ活動と、まるで番頭さんのような存在としてクラプトンを支えつづけた彼は、『ジャスト・ワン・ナイト』発売の翌月ということになる80年5月、病死している。37歳だった。[次回2/4(水)更新予定]


(更新 2015.1.28 )


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プロフィール

大友 博(おおとも・ひろし)

 1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など。

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