第33回 『ザ・ラスト・ワルツ』ザ・バンド ほか |AERA dot. (アエラドット)

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第33回 『ザ・ラスト・ワルツ』ザ・バンド ほか

文・大友博

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 ロビー・ロバートソン、リック・ダンコ、リチャード・マニュエル、ボブ・ディランらの協力を得てアルバム『ノー・リーズン・トゥ・クライ』を完成させたエリック・クラプトンは、その発表から3カ月後ということになる1976年11月25日(感謝祭)、サンフランシスコのウィンターランド・ボールルームで開催されたザ・バンドのフェアウェル・コンサートに招かれている。『ザ・ラスト・ワルツ』だ。

 1950年代末、ロニー・ホウキンスのバック・バンドとして第一歩を踏み出した5人の男たちは、しばらくボブ・ディランと行動をともにしたあと、ザ・バンドと名乗るようになり、68年に発表した最初のアルバム『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』で強烈な存在感を示している。クラプトンも、その、時代を超越した深い味わいの音楽に打ちのめされたアーティストたちの一人だった。筆頭だったといってもいいだろう。

 しかし、70年代を迎えたころから、メイン・ソングライターだったロバートソンと、唯一の米国南部出身者でグループの精神的支柱だったリヴン・ヘルムが激化し、確執が深まるなか、いったんその活動に終止符を打つことになったのだった。当初はホウキンスとディランだけをゲストに呼ぶ予定だったそうだが、「クラプトンもどうだろう」という話になり、規模が拡大していく。ニール・ヤング、ジョニ・ミッチェル、ヴァン・モリスン、マディ・ウォーターズ、ドクター・ジョン、ボビー・チャールズ、ポール・バターフィールド、リンゴ・スター、ロン・ウッドらも招かれ、ビル・グレアム、ジョン・サイモン、アラン・トゥーサンらがプロダクションやアレンジなどで協力。この過程で、マーティン・スコセッシによる映画化の話も決まっている。

 七面鳥ディナーや舞踏会を含めると10時間近くに及んだイベントと、メンバーへのインタビュー、エミルー・ハリスとザ・ステイプルズも参加したスタジオ・パートなどをまとめた映画『ザ・ラスト・ワルツ』が公開されたのは78年春。同時に3枚組(アナログ盤当時)のサウンドトラック・アルバムもリリースされている。

 フィナーレやジャムなどを別にすると、ここでクラプトンがザ・バンドと演奏したのは、『ノー・リーズン・トゥ・クライ』収録の《オール・アウア・パスト・タイムズ》と、ブルース・スタンダード《ファーザー・オン・アップ・ザ・ロード》の2曲。後者は映画とサウンドトラックの最初のヴァージョンに収められ、前者は、2002年発表のCD4枚組(ほぼ)完全盤で、はじめて正式な形で作品化されている。

 若くして学校を飛び出したロバートソンは、旅の暮らしのなかで、映画から多くのことを学んだという。書き上げた曲を誰に歌わせるか、映画のキャスティングのように決めていったとも語っている(そういう発言が、また、リヴォンを怒らせたに違いない)。ちょうど『タクシー・ドライヴァー』を仕上げたころのスコセッシに、共通の知人から紹介された彼は、急速にその関係を深めていき、コンサートの準備段階で、かなり綿密な撮影台本を書き上げられていたらしい。映画化された『ザ・ラスト・ワルツ』は、単なるロック・フィルムではなかったのだ。

《ファーザー・オン・アップ・ザ・ロード》では、クラプトンがソロを弾こうとした瞬間、ストラップが外れ、すかさずロバートソンが強烈なソロを弾きはじめる。公開されたのはビデオ・ソフトという概念がまだ定着していなかった時代のことであり、何度か映画館に通ううち、とりわけ強い印象を与えられたシーンの一つだ。ひょっとすると、あれも一種の演出なのではないだろうか?[次回1/14(水)更新予定]


(更新 2015.1. 7 )


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プロフィール

大友 博(おおとも・ひろし)

 1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など。

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