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第20回 『エリック・クラプトン』エリック・クラプトン

文・大友博

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エリック・クラプトン自伝

エリック クラプトン著/中江昌彦訳

978-4872578867

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 2007年に刊行された自叙伝でエリック・クラプトンは、「ディレイニー&ボニーと出会わなければ、ブラインド・フェイスが短命に終わることもなかった」といった意味のことを書いている。彼らから受けた刺激は、クリーム解散を決意させたザ・バンドの代替物的存在という意識がどこかにあったかもしれないけれど、それほど大きかったということだろう。

 だが、ともかく、ブラインド・フェイスは呆気なく分裂し、69年11月末から翌年2月半ばにかけて彼は、ディレイニー&ボニー&フレンズのツアーに参加。残された写真や映像によると、いつも左端に立ち、あくまでも一メンバーとしてギターを弾きつづけたこの公演旅行の終盤、彼らやリオン・ラッセル、スティーヴン・スティルスらの協力を得て、最初のソロ・アルバムを完成させている。オフホワイトのスーツに黒いシャツと黒いブーツという着こなしで56年製ストラトキャスター=ブラウニーと寛ぐジャケット写真も印象的な『エリック・クラプトン』だ。

 プロデュースを務めたディレイニー・ブラムレットはクラプトンに、オリジナル曲を自分らしく、自信を持って歌うことを強く勧めたという。また、《レット・イット・レイン》、《ボトル・オブ・レッド・ワイン》、《ドント・ノウ・ホワイ》など大半の曲は二人の共作であり、ここでクラプトンは、シンガー/ソングライターとしても間違いなく確かな手応えを得たようだ。ハイライトの《レット・イット・レイン》では、新たな音楽的方向性にとってストラトキャスターの音が欠かせないものとなったこともわかる。

 録音の途中クラプトンは、ディレイニーから、リオンやベース奏者カール・レイドルと同郷のJ.J.ケイルという男の曲《アフター・ミッドナイト》を教えられ、それもアルバムに収めた。当時のケイルはまだ無名の存在だったが、なにか、とてつもなく大きな閃きのようなものを得たのだろう。クラプトン版《アフター・ミッドナイト》は彼にとって初ヒットとなり、結果的に、ケイルにメジャー・デビューの機会を与えることともなる。

 録音は70年3月に終わり、ディレイニーがミックス作業を進めたが、いくつかの行き違いがあり、ロンドンに戻っていたクラプトンがそれを確認することはできなかったらしい。結局、レコード会社の意向もあって最終ミックスはトム・ダウドに委ねられ、『エリック・クラプトン』はようやく同年夏、世に出ている(06年発表のデラックス・エディションでは二つのヴァージョンを聴き比べることができる)。

 この間にクラプトンは、ある意味ではディレイニー&ボニー&フレンズを瓦解させる形で新バンドを結成。6月には初ライヴも行なっていた。そう、デレク&ザ・ドミノスだ。[次回10/8(水)更新予定]


(更新 2014.10. 1 )


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プロフィール

大友 博(おおとも・ひろし)

 1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など。

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