『ON TOUR WITH ERIC CLAPTON』DELANEY & BONNIE & FRIENDS
『ON TOUR WITH ERIC CLAPTON』DELANEY & BONNIE & FRIENDS

 ジョン・レノンのバックでギターを弾いたトロント・ロックンロール・リヴァイヴァル・フェスティヴァル(69年9月13日)のあとの動きは慌ただしい。翌日ロンドンに戻ったクラプトンは、9月30日にアビィーロード・スタジオで行なわれた《コールド・ターキー》のスタジオ録音に呼ばれるのだが、その直前から10月初旬にかけてロサンゼルスで録音されたディレイニー&ボニーのシングルにも彼は参加している。A面は、ブラムレット/クラプトンの共作で、おそらくブラインド・フェイスのツアー中に書かれたものと思われる《カミン・ホーム》。B面は、リオン・ラッセルとボニー・ブラムレットが書いた《グルーピー(スーパースター)》。どちらの曲でも、クラプトンはメンバーの一人という立場に徹し、オーガニックなアンサンブルのなかに溶け込んでいる。曲づくりやアレンジ、録音スタイルも含めて、このセッションが70年代以降のソロ活動と出発点ととらえていいだろう。

 このあと、イギリスとドイツでテレビ番組の収録を行なったディレイニー&ボニー&フレンズwithエリック・クラプトン(デイヴ・メイスンも参加)は、11月27日にフランクフルトから公演旅行を開始。翌70年2月半ばの、フィルモア・ウェストでの4日連続公演まで欧米各地を回った。3月に発表されたアルバム『オン・ツアーwithエリック・クラプトン』は、その途中、12月7日に英国クロイドンでライヴ収録された音源をまとめたものだ。

《カミン・ホーム》、デイヴ・メイスンの《オンリー・ユー・ノウ・アンド・アイ・ノウ》、リトル・リチャード・メドレーなどを収めたこのアルバムでもクラプトンは、バックという言葉が正しいとは思えないが、あくまでもディレイニー&ボニーを支えるミュージシャンとしての立場を貫いている。同時期、やはりフレンズの協力を得てソロ作品『アローン・トゥゲザー』を録音することになるメイスンとのギター・コンビネーションも完全にイーヴンな関係を保ったものだ。しかしそのうえで、もちろん彼は、きちんと自分らしさも打ち出していた。そして、この間に身体に馴染んでいったサンバーストのフェンダー・ストラトキャスター(ブラウニー)を抱えて、クラプトンは初ソロ作品の制作に臨むことになる。

 ところで、ディレイニー&ボニーの《グルーピー(スーパースター)》は、そのタイトルが示すとおり、ロック・スターと一夜だけの関係を持ったいわゆる追っかけの女性の視点で描かれた、かなりセクシャルな内容の曲だ。歌詞のインスピレーションを提供したのではないかと思われるクラプトンも、控えめながら、随所でかなり扇情的なギターを聞かせている。

 カーペンターズが1971年に大ヒットさせた《スーパースター》の元歌が、この《グルーピー(スーパースター)》。リチャードはディレイニー&ボニーのことは知らなかったそうだが、それはともかく、このとき彼は、歌詞の一部を書き換えただけで(sleep→be)、扇情的な曲を妹のイメージにあったラヴ・ソングに変身させてしまっている。その手腕と感性に、いろいろな意味で、脱帽。[次回10/1(水)更新予定]

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大友博

大友博

大友博(おおともひろし)1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など。dot.内の「Music Street」で現在「ディラン名盤20選」を連載中

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